ブルーグラス・ミュージック その3(ブルーグラス45とBOM サービス)

ブルーグラスファンなら、もはや知らない人はいないだろうこの会社は設立してからもう40年にもなるだろうか。

この、言うなれば超マイナーな音楽を、今日まで日本という国の中で紹介し続けた功績は偉大なものだ。

ものごとをやり続けることの大切さ、そして情熱を持ち続けることの大切さ、自分たちが愛して止まない音楽に対する飽くなき研究心を持ち続けることの大切さ、それらのことを、このBOMから学ぶことができる。

中心人物の渡辺兄弟。お兄さんの敏雄さんについては個人的にはあまり知らないが、弟の三郎は歳も同じだし、バンジョー弾きということで、すでに45年くらいの付き合いだ。

僕と省悟の“50・50”のビデオの中で、フィドルを弾いているのが彼。ブルーグラス45の初アメリカ・ツァーから帰ってきて「やっぱこの音楽はフィドルやで」と言ってフィドルばかり弾いていた時期があったことを想い出す。

それについては僕も同感だ。スコティッシュ、アイリッシュの流れを汲むこの音楽は正に“フィドル音楽”だ。

それはともかくとして、かなり昔のアルバムで彼はケイのバンジョーを持っている写真があったがいつか聞いてみよう。

ヘッドストックの部分にアメリカの国旗みたいな模様が入っていたと記憶している。

そして大塚兄弟。兄のジョッシュと弟の章さん。ジョッシュは生まれた時からジョッシュではないはずだが、もう40年以上ジョッシュとしてしか知らないので大したもんだ。

章さんにはアメリカで随分お世話になった。しかし関西の人はなんであんななんだろう。

電話してくる時も「角のそば屋です」などと言ってきたものだ。

非常にアグレッシブでエンタテイニングに満ち溢れた超絶テクニックのマンドリン・プレイは今も健在だ。

それに、フィドルの寥さん。ほとんど個人的には知らないが、東のジョー(ジョー・山本)西の寥、は当時日本のフィドラーの代名詞であった。

もうひとり、李さんという人がいたはずだ。かれらがブルーグラス45。60年代後半、日本が生んだスーパー・グループだ。

そのブルーグラス45での活躍を基に立ち上げた会社がBOMサービス。

ナターシャー・セブンからブルーグラスを知った人も、最近ブルーグラスを知った人も、アイリッシュ・ファンの人も、是非、彼らの心を感じてもらいたい。