2013年 アイルランドの旅 8月1日、2日、3日 ゴルウエィ

8月1日 曇り

珍しく早起きしたコーマックがキッチンでコンサルティーナの練習をしている。

「いいリールだね。なんて言うタイトル?」「多分、Kit O’sheaだと思う」「次の曲は?」「これはJohn Brossnanだ」

そんな感じで2時間ほどがあっというまにすぎて行く。

少し降っていた雨もやんだようなので、外に出てみる。今日は特に予定もないので町の様子を見に行くが、この時期のゴルウェイは人でごった返している。

有名なゴルウェイ・レースもあるし、なんやかやフェスティバルが目白押しだ。

町は観光客や、大騒ぎの大好きな若者達でいっぱいだ。こんな日は部屋でゆっくり過ごすのが一番。

パディ・キーナンやジョニー”リンゴ”マクドナーからメールが入った。また忙しくなるかもしれない。

 

8月2日 晴れ

洗濯ものを持って、コーマックと一緒にランドリーに出かける。その後、妹と日本食を食べに行くけど一緒に行くか?と訊かれるが、

僕らはマックでいい、と、そこで別れる。

ついでにちょっとバスキングでもして洗濯代を稼ごう。ここでは20~30分やれば洗濯代くらいには十分なるし、その気になれば晩ご飯代にもなるが、

そこまでの気もないし、早々に引き上げてマックへ。

Wi-Fiがいちばんつながりやすくて長居できるのはマックだ。いろいろ調べなくちゃならないこともあるし。

今晩もゆっくりして今後の計画を練ろう。しかし、すぐ近くにCrainsというよく知られたパブもあるし、今日くらいは行ってみるか、と外に出る。

Crainsは町の喧噪とは少し離れたところにあるので、行きやすい。

店の前につくと2階からブルーグラスのようなサウンドが聴こえて来た。一杯の人をかき分けてのぞいてみると、見た顔がベースを弾いている。

ずっと前にロハウンズでアメリカに来て、その後デシャールやジョセフィン・マーシュ・バンドでも活躍していたベース・マン、ポール・オドリスコだ。

アイリッシュは勿論のこと、ブルース、ジャズ、ブルーグラス、それに渋いボーカルも聴かせるベテラン・ミュージシャンだ。

バンドも女性二人、男性二人、ギター、マンドリン、クラリネットなどを使い、コーラスがばっちり決まった、なんとも独特な音楽を聴かせてくれる。

みんながよく知っている曲などを、いっぱいのお客さんと一緒に歌い、やんやの喝采を浴びている。素晴らしいグループだった。

ポールとは12~3年ぶりの再会を祝して12時半頃帰宅するが、3時頃ブレンダンが来るらしい。くわばらくわばら、早く寝たふりを決め込もう。

 

8月3日 晴れ

夜中にブレンダンが来た形跡はなかった。ゆっくり眠れたようだ。それでも予定を変えた彼が現れたのが11時頃。そのままケリーへ向けて車を飛ばすらしい。彼の場合、すっ飛ばすという表現がピッタリかも。

僕らは今日、リンゴとのギグが6時からTi Coilisである。その前に昼飯でも一緒に食べよう、という話になり、Monroesという、ちょうどコーマックのアパートの隣にあるパブで待ち合わせる。

リンゴはとても面倒見がよく、日本人の多くはアイルランドに行ったら、まずリンゴに連絡したらなんとかしてくれると思っているらしい。

また日本の巷では、初めてアイルランドを訪れる若い人たちに、簡単に「リンゴとコンタクトを取ったらいい」という話まで出ているらしい。

実際には彼にとって少し重荷になりつつあるようだ。「なんとかしてあげたいが、見も知らず人に、今ダブリンに着いたけど迎えに来てほしい、などと急にいわれても困惑してしまうんだよ」

お人好しのリンゴだからこそ抱える悩みなんだろう。

そんな話をしている最中にフランキーが、これから会おう、とメールしてきた。

リンゴにその旨を伝え、6時にTi Coiliで会う約束をして、僕らはフランキーの指定したCrainsに向かった。

現ディ・ダナンのアコーディオン奏者も加わっての2時間ほどのセッションに興じ、6時からリンゴとのギグ。

カレーを食べて別れてから、帰り道にあるアイルランド語パブというコアなパブに寄る。今晩はここでもいいセッションがあるらしい。

若者たちのセッションだが、どうもアコーディオン奏者とブズーキ奏者とは12~3年前に一緒にやったことがあるということだ。

そんなに前だったら彼らはまだ少年だったのだろう。「日本人でこれだけのギターを弾く人はそんなにいないだろう。だから覚えているのさ」

確かにアイルランド人で信じられないくらいの演奏をする子供達はごろごろしている。

しばし、若者のパワーを体に感じて、12時半ころ帰宅。どっと疲れて爆睡。