聴こえてくる音に関して

僕には、音楽が聴こえる時、その一つ一つの音に対しての和音が同時に聞こえてきてしまう。因みに希花さんには色が見えてくるらしい。これはキーであり、和音でもあるのだが。もちろん、それと同時に同じ基音のコードでもマイナーとメジャーでは色もかわってくるのは当然のことだろう。

そういう人は他にもいるらしいが、その色は人によって違うらしい。いろいろ調べてみると、これは「色聴」というらしく、絶対音感の持ち主に多いということだ。

また、それとは違うケース、例えば絵を見ていてその色彩から音が浮かんでくるなど、そういう感覚を総じて「共感覚」と呼ぶらしい。こういうことについてはかなり詳しく書いている人もいるので今更…なのだが。

話を自分のことに戻すと、昔から和音という観念に取りつかれ、ここはこれでないと気持ち悪いという感覚が常にあった。

しかし、例えばひとりが明らかにFのコードを弾いているのに、もう一人がDmを弾いているような、言うならばF6が出来ちゃいました、みたいなのが気持ちいいこともよく分かる。

Foggy Mt. Break DownではGの後Emが通説だが、何故か1949年の元々の録音ではギターがEmajを弾いている。そしてまた、1小節ずれてGに戻っているなど、えも言われん不協和音とも取れるものの気持ちよさもよく分かる。

面白いものだ。

僕のように、ある音に対して常に別な音が同時進行で聞こえてくるのは、いわゆる相対音感の一部だろうか。

曲を聴くと、必ずベースとコードが同時進行で思い浮かぶ。もちろんとんでもなくややこしい曲などは別だ。

それがアイリッシュ・ミュージックにとってどれだけ便利なものだったかは言うまでもない。他人にコードを尋ねる必要は全くない。

たまに自分が思うコードとは違うコードで「なるほど。これも理に適っている」と思うものがあるが、その逆もこのアイリッシュ・ミュージックにおいてはかなりの頻度で遭遇することも事実だ。

かといって、誰もがそういっぺんに音がきこえてくるわけではないのだが、多分普段の訓練でなんとかなるのだろう。しかし、それは出来れば6歳くらいまでに訓練しておいたほうがいいのかも。

僕にしてみると、希花さんの発する442を覚えておこうと思うのだが、すぐ忘れてしまう。ギターの弦を変えた時、自分の声で、下のCはこんなもんだし、弦の張り具合からみてこんなところだろうと判断する。そしてそれはかなり近い確率で442なのだ。

僕には絶対音感は無い。色も見えていない。では、なにが見えているんだろう。希花さんにとっても不思議な音感の持ち主なのかもしれない。