Dale Russとの久しぶりの演奏

1996年の終わりころだったと記憶している。

Jack Gilderがひょんなことからフィドラーを誰か呼んでグループをつくろうじゃないか、と言い出した。

フィドラーのPaulがやめて、時々Chris KnapperやKevin Bernhagenが時間の空いた時に交代で参加してくれていた頃だ。

僕が何気なしに「Dale Russはどう?」と言うと、彼は「それ最高!」と膝を打った。

そしてバンドのCDは見事、北米のケルト音楽分野のブロンズプライズを獲得した

詳しいことは既にコラムに書いているので省略するが、当時のJody’sはあのLunasaのKevin Crowfordがサインをねだるくらいの評判だった。

Daleもあの頃に比べてかなり円熟してきたような気がする。それでも乗らせればグイグイとくるフィドラーだ。

大人しいプレイヤーが徐々に乗り出してくるのを感じるのは面白い。

初めて一緒に演奏した時のNoel Hillしかり、Martin Hayesしかり、Pat O’Connorも、彼らは僕のプレイをじっくり聴きながら「よし、いける!」と思うのだろうか。

その要求はどこまでも限りなく続いてくるのだ。

Daleからもそれを感じ取ることができる。

僕も東京のコンサートで「今の時代、フェイスブックやツイッターという手段を通してでしか自分の意見を言えない奴が増えているけど、きちんと相手の顔を見てものが言えるようでなければいけない。音楽(アイリッシュ・ミュージック)はその最たるもののひとつだ」

と言ったが、彼等との演奏では、音楽上の会話というものがいかに大切か、それが分かるのだ。

キャリアは積めば積むほど全ての意味に於いて深くなる。そして余計なことは発信する必要もない。きちんとお互いの音を聴き、自分がどう相手に寄り添っていくかを考える。

それが、この音楽にとって最も大切なことであり、ともすれば忘れがちなことかもしれない。

また来年も彼は来てくれるだろうか。