僕はよく「なんちゃってアイリッシュ」とか「アイリッシュっぽい」ものが嫌いだ、と言うが、それは1960年代のフォーク・ブームからずっと僕らがやってきたことだと思う。
如何にPP&M, Kingston Trio, Brothers Fourのように演奏し、歌うか、日々の頭の中にはそれしかなかった。
来る日も来る日もレコード盤に針を落とし、授業中も机の下で指はスリーフィンガーを練習していた。
やがて、ブルーグラスを演奏するようになると、それはそれで激しいコピーの毎日に明け暮れた。相変わらず自分の足で探しに行かなければ何も得ることが出来なかった。
「なんちゃって」と「っぽいもの」は同じではなく、もしかしたら「なんちゃって」のほうが「っぽいもの」よりたちが悪いかもしれない。
「なんちゃって」は表面上は知っていて、でもこんなんでいいじゃん。そこまで深く掘り下げる必要もないし…と言う感じで「っぽい」はあまり知らないけどなんとなくコピーも含めてそんな感じ、というところだろうか。
そうは言えども、この日本に於いては少しアコーディオンの牧歌的なサウンドが加わると「アイリッシュっぽい」なんて言う音楽関係者がいる。
なので「なんちゃって」は演じる側の悪、「っぽいもの」は受け取る側の悪という感もある。
そしてそのどちらからもこの深い音楽に対する敬意と、この音楽を受け止める幅の広さを感じることはできない、という意味でこのような言い方になってしまう。
ところが、僕らが1971年に始めた「ザ・ナターシャーセブン」も限りなくブルーグラスっぽかった、と言えよう。
しかし、その頃どれだけ多くの人がブルーグラスにどっぷり浸かっていっただろうか。
そこには僕らの「っぽいもの」でありながら決して「なんちゃって」ではない生き方があったからだ。
思うに、高石さんのフォークソングに関する知識やオールドタイム、ブルーグラスに対する情熱、そして日本語を大切にする姿勢と、坂庭君と僕の、どんなものにも貪欲に耳を傾けてきた姿勢は「なんちゃって」も「っぽいもの」も越えた場所に居たのかもしれない。
やがて、僕がアイリッシュの世界に入り始めた頃、もう世の中ではどんな資料も自分の部屋で手に入れられるようになってきた。
しかし、ティプシーハウスのメンバーになったころは自分の足で、耳で、身体で必死に食らいついていったものだ。幸か不幸かコンピューターを触れなかったからかも。
アメリカに於いてブルーグラスでさえも、西海岸のブルーグラスはブルーグラスっぽいだけだ、なんて言う人が…今でもいるとは思わないが、少なからず居たと思う。
ましてやアメリカ人の演奏するアイリッシュは言わずもがな、というところだろう。
ジャック・ギルダーの悩みがそこらへんにあったことを僕は良く知っている。
マーティン・ヘイズとコンサーティナ奏者とのクレア・スタイルで初めてコンサートをしたとき、奇しくもコンサーティナ奏者が「ジュンジ、本物のクレア・ミュージシャンとやるのは初めてだろ」と言った。
そこら辺から軒並みクレアのミュージシャン、或いはアイルランド全域のミュージシャンから声が掛かるようになってきた。
これはティプシーハウスというバンドでやってきたことが大きく影響していることだと思う。
ジャックは悩みを抱えながらも無類の勉強家だったと言える。その姿勢が「っぽいもの」を越えた場所に立たせているのだろう。
僕がこんなことを言えるのもさんざん「っぽいもの」をやってきたからだろう。
そしてすでにそんなところは越えてしまったからかも。
そして、それはクラシックを始めた1954年くらいからの自分の歴史かもしれない。