ギターあれこれ(ローデンにしびれるまで)

1963年頃だろうか、64年頃だろうか。ギターというものが日本に於いて、少しずつ人々の間に浸透していった。

ほとんどがクラシック・ギターで“あなたも一週間で弾ける”なんていう本がついていた。因みに僕が買ったギターに付いていた本は、“さがらなおみ”が表紙だった、と記憶している。

そして殆どの人が最初に習った曲は“禁じられた遊び”だろう。あとは“古賀メロディ”だろうか。

僕の場合、すでにピアノで音楽には馴染みが深かった為、習得には時間がかからなかった。その日のうちに“禁じられた遊び”は弾いたが、それでもE♭は押さえにくかった。

そうこうしているうちにウエスタン・ギターなるものがお目見えした。初めて観る鉄弦のギターだ。確か“モンタナ”というようなメーカーだったと思う。

やがてフォークソングに目覚めると、“マーティン”というギターの存在を知ることとなるのだが、それは宇宙のはるかかなたの物、くらいの感覚だった。

当時、僕らが使っていたギターは“穂高”というメーカーのもので、後に、それが“モーリス”の前身であった、ということを知った。

また、神田のカワセ楽器が作っていた“マスター”というギターも話題にのぼっていた。

実際に手に入れたことはないが、かなりの評判であったことは事実だ。

大学へ入ると、京都、河原町にあるワタナベ楽器が“W&S”という、すぐれもののギターを世に送り出して一躍有名になった。もしかしたら関西だけかも…。

なにが優れていたかというと…当時まだ憧れの物だった“マーティン”は裏を見ると真ん中に線が一本入っていた。それがD-28というモデルだ、なんてことも知らなかった時代。

“W&S”にも線が入っていた。何のことは無い。2枚板の継ぎ目なのだが。僕らは一様に「わー、線が入ってる」なんて喜んだものだ。

因みに、他のギターがどうであったか記憶には無い。

そんな時代を経て、初めての“マーティン”を手に入れたのが1971年頃。やっぱりD-28だった。

同じころ、ジョン・マクローリンの“マイ・ゴールズ・ビヨンド”というレコードジャケットに奇妙なギターが写っていた。

胴体が丸くなっていたのだ。それがかの有名なる“オベイション”というギターだったが、ほどなくして友人が手に入れたので弾いてみると、とてもクリアな音で、いままでのギターとは一味違うものを持っていた。

しかし、畳に正座して弾くと、裏が丸いのでツルツル滑る。これは日本向きではない、などと訳の分からない批評をしていたものだ。

D-28のあと、同じ“マーティン”の、O-18,OO-18,OOO-18,D-18、更にOOO-28などを手に入れる。ひと昔前だったら考えられないことだ。

エレクトリック・ギターにも興味があり、最初は高校時代“ベンチャーズ”に憧れて、いわゆる“エレキ・ギター”なるものを手に入れたが、どこのメーカーだったか全く覚えていない。

最初に買った“いいもの”は“ギブソン・SG”というモデルだった。なにかのジャケットでジョージ・ハリソンが持っていたからだ。

それから“フェンダー・ストラトキャスター”これはライ・クーダーの影響だ。次に興味を持ったのが“ギブソン・ES-335”これはリー・リトナーかな。

ジョニー・ウインターが好きだったので“ギブソン・ファイアー・バード”も、などと考えたこともあった。

いずれにせよ、エレクトリックに関しては、趣味の範中だったので真剣には考えていなかった。

アコースティックに戻ると…、一通り“マーティン”の音に慣れた後、様々なギターが登場し、にわかににぎやかになってきた。

クラレンス・ホワイトは“マーク・ホワイトブック”という見たこともないギターを弾いていた。

ダン・クレイリーは“モスマン”というギター。ドック・ワトソンは“ギャラガー”。

余談だが、ウッディ・ガスリーの物語を描いた映画があって、最後に貨物列車の屋根に座り込んだガスリー役のデヴィッド・キャラダインが、どうみても“モスマン”を弾いている。おいおい、あの時代にはなかっただろう、と突っ込んだものだ。

とにかく、その頃から個人製作による良質のギターが注目を浴びるようになった。しかしどれも値段が高く、コレクターでもない僕らには、手頃な値段で“使える道具”としてのギターが第一条件だった。

というのは貧乏人のひがみでもあるのだが…。

ある時カリフォルニアのパロ・アルトにある“グリフォン”という楽器屋さんに2台の見なれないギターを持った人が現れた。1991年の終わりくらいだったか。

そのトーンは今までに聴いたギターのサウンドの中でも秀逸のものだった。それは“ブリードラブ”というメーカーだった。

少し心が動いた。しかし、斬新なデザインが今一つ躊躇する理由となったが、後にそれでよかった、ということになる。

ほどなくして、“ローデン”に出会う。なにからその存在を知ったのか、はっきりした記憶はないが、弾いた瞬間に“これで決まり”と思った。

“ローデン”は、実際には随分前から作られていたギターだったが、その頃はまだ、“マーティン”こそがギターだ、と思っていたんだろうなぁ。

先ほどの“ブリードラブ”と“ローデン”とは何が違ったか。実を言ってたわいもないことなのだが、とても大切なことだった。あくまで僕にとって。

その頃すでに、カイザーのクイック・チェンジカポを使用していて、常にそれをヘッドに装着し、自在に動かしてはまたヘッドに戻すという手法を使っていた。

そこで“ブリードラブ”のヘッドの形状だが、4弦側が非常に細くなっている。これではカポがはまらない、と後になって気がついた。

しかし数あるギターの中ではかなり心を奪われたものではあった。

他にも数々の名器が存在している。

実際に手に取ってみただけでも“コリングス”“ラルビー”“エリック・ショーエンバーグ”“トンプソン”など挙げていけばきりが無いが、自分の演奏スタイルに一番適しているのはやはり、なんといっても“ローデン”である。

そこは一番重要なポイントである。いくら高価なものでも、いくら誰かが使っているのと同じものでも、弾くのは自分だ。

自分を表現するためのパートナー、としてしか選ぶポイントは無いはずだ。

基本的にギターは2本あれば充分だろう。長い間ずっと、沢山のギターを持ってきたが、どれも全て毎日顔を見てやれるわけではない。

僕はひとりしかいないし、もしトラブルが起きた時の、あるいは、少し違うサウンドが必要になった時に、もうひとつあればいい。

それが僕の考えである。

日本にも優れた製作家たちが沢山おられて、良質のギターを見かけるが、今回は敢えて、時代背景によって、マーティンの存在も知らなかった頃からのいわゆる“アメリカ製ギター”の一部を取り上げてみた。

因みにローデンはアイルランド製である。