Joe Cooleyを聴く

久々にJoe Cooleyの録音を聴いた。それは1970年代に入ったばかりの頃のもの。

彼がこの世を去ったのは1973年の12月20日。生まれた場所は比較的クレアーに近いゴールウエイのPeterswellという町。10歳でアコーディオンを始め、ダブリンに移った時期もあったが、タラ・ケイリ・バンドとして演奏していたのが1946年から1948年。そして1954年にはアメリカに渡っている。最初はニューヨーク、更にシカゴへ、最終的にはサンフランシスコで暮らしていた。その時にパトリシア・ケネリーにアコーディオンを教えていた、と言うことだ。パトリシアとは何度も一緒に演奏したし、彼女のダンスの伴奏もアンドリューと数多くやったことがある。

アンドリューもトニー・マクマホンも、サンフランシスコに来た時には彼女の家に泊まっていた。彼女のアコーディオンプレイは本当にJoe Cooley譲りだった。

更に言うならば、勿論タラ・ケイリ・バンドから出たアンドリュー・マクナマラのスタイルも、今Joe Cooleyを聴くといい意味で生き写しのような感がある。

曲のスタートからそのリズムから全てがイーストクレアー、そのものだ。

僕のアイリッシュミュージックのキャリアがそこから始まったことは正に幸運だったと云えるだろう。

さて、本題のJoe Cooleyのことだが、これはいつでも機会があるごとに聴いておきたいものだ。

ブルーグラスを演奏していた頃に聴いた、カントリー・クッキングのCooley’s Reelは彼の代名詞となっている曲だが、元はTulla Reelという名前がついているようだ。作者についてはあまりに多くの説があるのでここには書かないが、これが出たら次の曲はWise Maidと云うのが少なくともクレアーのお決まりだ。

彼の演奏からはあのアンドリューの家の周りの景色や、突然降る雨。そしてサッと止んで眼の前いっぱいに広がる緑と青空。そんな景色が見えてくる。

更に部屋の暖炉の前で聴いていると、すぐそこに彼の足を踏む音が聴こえてくるようだ。

アンドリューお手製のハムサンドウィッチをほおばりながらコーヒーを、またはやっぱりギネスかな。