2011年 アイルランドの旅 ~エニス その1~

7月半ば、35分ほど遅れて飛行機はパリに着いた。

パリに着くとき、どうしても「翼よ、あれがパリの灯だ」と言ってしまうが、若いフィドラーには何の事だか分からない。

いいか。昔ジェームス・スチュアートという俳優がいてだな、ってなことを一生懸命になって話す“うざい”おやじと化した僕にとっても1年ぶりのアイルランドが近づいてきている。

まれかにとっても1年ぶりだが、今回はいままでと違い、僕が関わってきた高名なミュージシャン数名との出会いが待っているのだ。

なかでもフランキー・ギャビンはめったにつかまらないが、前もってメールで“若いフィドラーで紹介したい人がいるから時間をつくってくれ”と伝えておいた。

おそらくフィドラーにとって、彼との出会いは強烈なひとときになるに違いない。その他、各地で本当の意味でのアイリッシュ・ミュージックの伝承者たちが僕らを迎えてくれる。それを考えるといまからわくわくしてくるので、あまり“うざい”おやじにならないように努めなければいけない。

ここで乗り換えてダブリンに向かうのだが、ヨーロッパでいちばん気がかりなのが荷物のことだ。

特に今回のように乗り換えがあったりすると、どこへ飛ばされるかわからない。それどころかどこへも飛ばない、なんてことにもなりかねない。しかし、そのほうがまだ“まし”なんてこともあるかもしれない。

だからといって、口をすっぱくして、とても大事なものだから、云々言ってもさっぱり動じるそぶりは見せない。

まぁ、仕方ないだろう。回転寿司のように、ベルトの上を流れていく荷物を眺めながら、ダブリンに行く飛行機の搭乗口へと足を運ぶ。そういえば、しばらく回転寿司ともおさらばだ。

そして、ダブリン。荷物はめずらしく全部出てきた。当たり前であって欲しいことなのだが…。

ダブリンからはエニスまで鉄道の旅だ。また、1年ぶりにアンドリュー・マクナマラが迎えに来てくれる。

アンドリューのドライブでエニスのホステルに着き、身支度を整えると、早速セッションを探しにでかけるが、アンドリューは母親の世話をみなくてはならないので、ホステル前でひとまず別れた。

セッションについては、勿論前もっていくつかは調べてあるが、何といってもアイルランドである。なにが本当か分からない。

しかし、一応アンドリューが紹介してくれたパブに入ると、早速、見た顔がブズーキを弾いている。オーイン・オニールだ。

パブの名前は“Cruises”オーインが僕を見つけて、「やぁ、じゅんじじゃぁないか。ひさしぶりだな」と声をかけてくれる。

「そうだな。あとでアンドリューも来るかも知れないけど、今回は日本からフィドラーを連れてきた」

といい、すでにいるヒッピー風のフィドラーの横にまれかを座らせ、セッションに加わった。

オーインのブズーキプレイは実につぼを得ている。様々なレコーディングを聴いてきたがいつでも心に響いてくる。

なかなかにいいセッションだ。フィドラーも上手い。

まれかが訊く「すごくいい音ですね。もう長くやっているんですか?」それもその筈。彼の名はクェンテイン・クーパー。来日したこともあり、フィドルでも、そしてバンジョーでも独自のサウンドを奏でる素晴らしい音楽家である。

これから暫くの間、アイルランドではこのようなことがたびたび起こるだろう。

そういえば想い出した。

初めてアイルランドを訪れた時、アンドリューの運転で田舎道を走っていると、羊の群れをひき連れて歩いているおじいさんがいた。

よくある光景だが。そう…アイルランドの絵ハガキに出てきそうな、といったらなんとなく想像できるだろう。

アンドリューが車を止めて、首を出してなにか話している。じゃぁね、と言って別れた後、彼が言った。

「今の誰か知ってるか?パディ・カニーだ」

心地よい音と共に、エニスの最初の夜が更けていく。