アメリカ南部

ここしばらくコロナもさることながら、人種差別に関する記事を多く見かける。

もちろんきっかけとなる事件があったからだが、僕自身アメリカ南部には何度も行っているし、バージニアではカーター・ファミリーとの普通の生活も経験しているし、今回の事件があったミネアポリスにも行っているし、いろんなところで黒人だけではなく、いわゆる「Colored」と云うのだろうか有色人種としての様々な場面を見てきているし経験もしている。

尚、この言葉「Colored」は現在では余りに差別的だという事で使われなくなってきているらしいが、その代わり「Non -White」と置き換えられているという。だから何だ!という感じだが。

幸いにも僕はブルーグラスを演奏していたのでそんな南部の深いところまですんなり入っていくことが出来た。

しかし、それでも珍しい東洋人は一種異様な眼で見られることは多々ある。

パディとフランキーと僕とでどこかの田舎町のダイナーに立ち寄った時の目付きは、映画イージーライダーを彷彿とさせるものがあった。

不思議なもので同じ白人でも「アイリッシュ」ってわかるんだなぁ。パディが「いやな目付きだなぁ」と言っていたのをよく覚えている。

僕なんか絶対中国人だと思われただろう。かくなる僕も中国人には間違われたくない、と思ってしまうのだから人種問題というのには根深~いものがある、と思うのだ。

ニューヨークではハーレムのど真ん中に住む、ホテルの黒人掃除婦のおばちゃんと友達になった。家に行ってその部屋の乱雑さに驚いた。

今思えば、あの状態の生活だったらウイルスはどこをとってもひっついているだろう。

そんなおばちゃんにGreat Dream From Heavenなんかを弾いてあげると、ゴスペルだ!と言って大層喜んでくれたものだ。

ニューヨークはみんなが知っての通り人種の坩堝なので、黒い帽子の巻き毛のユダヤ人も居れば、道端でアラーの神に祈りを捧げている奴も居る。まったく聞き慣れない言葉で話しながらすれ違う人達も居る。

Englishman in New Yorkの世界だ。

しかし、南部の田舎は違う。3か月ほどカーター・ファミリーと暮らしたが、あの村では黒人は一人も見なかった。少し街に出れば少なからずいたと思うが、ましてや東洋人には出くわさなかった。

でもチャイニーズレストランは1軒だけあるって言っていたなぁ。無理もない。地球上の4分の1は中国人なんだから。

そんなアメリカでは黒人の差別なんて当たり前のことだ。やっぱり黒人街を歩けば身構えてしまう。

それは圧倒的に犯罪に出くわす率が高いからと云えるだろう。自分の行き先に数人の黒人がたむろしていたら道を変える。そうして自分の身を守ることは大事なことだ。

でも、それは相手がメキシコ人でも同じかな。

そんな場合のコツはやっぱりひたすらオーラを出して「金あげてもいいけど大して持ってないし、俺も同じ有色人種だし、仲良くしようぜ」という雰囲気を醸し出すこと。こっちから先に「よー!」と挨拶してしまう事だ。

結構怖いのは、命知らずのベトナム難民の子供たちかもしれない。彼ら、一度は死んだようなところがあるし、運よく生まれてきただけなんていう子も居るから他人のことなどなんとも思っていないこともありうる。

一緒に働いていたベトナム人なんかしょっちゅうギャンブルの掛け金が払えなくて命を狙われていた。

アメリカの都会ではよくあることだ。

さて、南部ではやはり黒人と白人かな。

テレビのトークショーではKKKの幹部と黒人たちがののしり合う番組を観たことがある。

「白こそ神が創ったものだ。それ以外のものはクズだ」と叫ぶKKKの奴の顔が興奮して赤くなっていた。

やがて取っ組み合いになるので、どこまでも「やらせ」という感は否めないが。

取りあえずそんなものをしょっちゅう見せられ、夜の街では黒人の少年たちが壁に手をついて並ばされ、ピストルを抜いた警官たちが取り囲んでいた。

南部の町ではよくあることだ。

そうして考えると、考えても無駄なのが良く分かる、というのが正直なところ。

ただ良く知ること。書物でもいいし、出来れば自身の眼で見て、実際にそういう目で見られる経験をすることだろう。

それでもなお分からないことは分からない。それが人間なのだろうか…?

卵が先か、ニワトリが先か…に匹敵する難しさだ。