前回の「鎖国」という話が僕なりに面白かったので今一度、日本人としてのアイデンティティというものを考えてしまった。
確かにアメリカにいた時、それはとても大切な事だと感じていた。
幸い幼いころから音楽に親しんでいたので自分自身を表現する手立ては持ち合わせていたと云えるだろう。
ただ、それが日本人としての、となると…。
1949年生まれ。日本が復興し始めようとしていた頃だろうか。戦争が終わったのは1945年。そうしてみるとたった4年で復興のきざしが見えていたのだろうか。
少なくとも希望の光は新たに見つけていたんだろう。生まれたばかりの事は当たり前だが覚えていない。
ラッキーにも朝鮮戦争も覚えていない。
記憶が生まれてくるのは多分1953年くらいからだろうか。ピアノを弾き始めた。その音楽との出会いが自分自身を表現するチャンスとなったのだろう。
しかし、文化はずっと西洋に近いまま生活していたと思う。
テレビもなく、ラジオを聴きながら家族そろって近くの市場で買ったコロッケを食べる。なんとも昭和の風景だが、西洋からのものは日に日に増えていったと感じる。
少し成長すると西部劇に没頭し、音楽も、勿論クラシックをやってきたので、どうしても西洋音楽に傾倒していった。
だが、僕だけではなく、ほとんどのこの年代の子供たちは日本人としてのアイデンティティを持つことなく育ってきたように感じる。
漠然と日本人としてのアイデンティティと言っているが、それが何なのかも良く分からない。ただ単に日本の歴史を良く知っているとか、それぞれの土地の伝統芸能や特産物などに明るいとか、そういう事だろうか。
アイルランドでよく質問される。「日本の人口は?」「東京の人口は?」彼らにとっては羊より人間の数の方が多いなんて信じられないのかな。
「東京のセンターはどこだ?」なんて訊いてくる奴もいる。非常に難しい。
「日本人が最も得意としていることはなんだ?」「アイルランドは酒と音楽と文学の国だ!」
さぁ、日本人のこれだ!というのはなんだろう。お、も、て、な、し、ではないだろう。
とんでもないうそつきの総理大臣がいる、ということも自慢にはならないし。
カップヌードルの値段も知らない奴が財務大臣なんて、猫に小判、馬の耳に念仏?
あ、またこんなことに話がそれてしまう。
まぁ、日本人の良さ、日本の良さを長きに渡って無視してきたのは政治のせいも多々あると思う。
諸外国を見てもやはり日本人のアイデンティティに関する意識の低さは際立っていると感じる。
ひとつにはほとんどのケースで、自分がどこから来たのかを考えず、また伝えずに済むからだろう。
海外では、特にアメリカやヨーロッパでは、あ、アイルランド系、あ、イタリア系、ロシア系かな、なんて思うことが良くある。
僕たちはせいぜい、お、なになに県に多い苗字、という感覚しか無い。それか、ひとくくりに日本人だ。
平和ボケ、という言葉が一時もてはやされたが、平和であることに越したことはない。
ただ、やはり多くのベトナム難民や、不法移民との付き合いから、平和ボケという言葉も分からないでもないな、と感じるようになったし、少なからずそのことを批判されることもあった。
政治家のアホさ加減も批判の対象になったし…問題はそれが日本国民の代表だという事、そして、僕らも含めて西洋の文化にしか目がいかなかったことも考えさせられる事柄であった。
時々聞かれる言葉に「ゆとり教育の弊害」というのがある。これによって考え方が受動的になった、ということが大きな問題になっているという。
「三つの箱」だ。また「This Island」でもある。
やはり敗戦国として見えないところでずっと支配されてきた国。いろんな恩恵で急激に発展してきた国。それらの弊害がこの国自体のアイデンティティを失わせているのかもしれない。
やっぱり鎖国かな。