この年の夏、7月15日に宵々山コンサートが始まったようだ。
ようだ…というのもおかしいが、半世紀も前のことになるんだなぁ。
まだ永さんが30台?或いは40歳になったばかりくらいだっただろうか。
勿論、よく覚えていないが、どうもこのすぐ後に坂庭君が参加しているらしい。
なぜ、今頃こんなことを書き始めたのかと云うと、セミの鳴き声だ。
セミの鳴き声を聞くと、あの暑かった円山公園を想い出す。僕だけではないだろうけど。
ひょっとしたら今より2~3度、気温は低かったのかもしれないが、それでも暑かったのはよく覚えている。
あの暑い中、若かったのでバンジョーの重さも全然気にならずに駆けずり回っていた。
1973年、僕がまだVegaのスクラッグス・モデルを弾いていた頃だろうか。
ゲストは渥美清、小坂一也、そこに木田ちゃんが参加していたようだ。
小坂一也が定番、ワゴンマスターを歌っていたことくらいしか覚えていないこのコンサートが、徐々に大きな京都の風物詩になるなんて想像もしていなかったが、それは確実に京都発信の重要な一コマとなるイベントだったのだろう。
一説によると、宵々山コンサートに出るか出ないかで芸能人の価値が決まる、なんていう嘘みたいなことも囁かれていたようだ。
僕らは(少なくとも僕は)そんな事とは知らず、単純に音楽を楽しんでいた。
当時、どんなレパートリーを演奏したのかは覚えていないが、多分何人かの人は、その時のテープを持っていたりするかもしれない。
元気いっぱいで、これでもか!というくらいのスピードで弾いていたんだろうなぁ。
雨は降らなかったんだろうか…。
多くの人が並んで待ってくれるようになったのは少し後の事だが、それにしても雨が降ったら客席は大変なことになる円山音楽堂。
楽屋では蚊取り線香が香り、やかんに入った冷たい麦茶。今ならコンビニで大量に購入するペットボトルのお茶か水だろう。
スタッフが汗だくになり、首からタオルをぶら下げて走り回る。
リハーサルの為の音チェックが音響スタッフによって始まると、それに負けるもんかと一段とセミの大きな鳴き声が響き渡る。
2021年、オリンピックをテレビで観ながら、急に想い出してしまったあの光景。
外からは50年前と同じようなセミの鳴き声が聞こえてくる…。