音楽を考える 2

 前回、同じタイトルで書き出して結局のところ、自分なりのアイリッシュミュージックについて書いてしまった。

今回はついでに少しブルーグラスについて書いてみようかな。

それというのも、先日ひょんなことから有田君と会って、バンジョーについて少し長く立ち話をしたことで、またブルーグラスもいいな、なんて思ってしまった。

いや、彼もいろんな分野に長けているが、何といっても特にバンジョーに関しての知識は相当なものである。

ファンの集いにもすでに書いたことだが、彼が中学時代、僕の向かいに住んでいたという事は驚きだ。

以前、その話を彼から聞いたのはいつ頃だったろうか。随分前だったような気もするが、それだけになんか自分の中で話を盛ってしまっていたかなぁ、と危惧していた。

でも今回会えてやっぱり勘違いや盛った話ではなかったことで安心した。

彼、僕は昔からどこか体操のひろみちお兄さんみたいな感じがしていたが、なんか爽やか印象なんだろうなぁ。

さて、話を戻して、ブルーグラスだが。

ブルーグラスとの初遭遇は1964年頃に聴いたフォギーマウンテンブレークダウン。

奇しくも僕が生まれる19日前に録音されたものだ。

それが全ての始まりだったけど、あれから60年近く経った今、ブルーグラスは大きく変化して来ている。しかし、そのスピリッツは生き続けている。

僕はいまだに自分にとっての最高のブルーグラスは?と訊かれたら迷いなくスタンレーブラザース、と答えている。

勿論、ブルーグラス・ボーイズとフォギーマウンテン・ボーイズも。

そこにジム&ジェシーやオズボーンも加わるが、何といってもスタンレーブラザースかな。

彼等の生まれ育った頃の記述を読んだ時、しばらく滞在していたカーターファミリーの郷

いわゆるプアーヴァレーと呼ばれる場所を想い出していた。

そこの空気、森、山々、全てが彼らの音楽そのものだった。そしてそれはアイルランド音楽と同じだった。

そこに違うものが有るとすれば、それはそれぞれの持つ特有のリズム感覚かもしれない。

スコットランドのスタイルは、テキサスフィドルスタイルに近いと感じるが、アイルランドのものは、特にクレアーのものとは全く違う。

僕は長年ブルーグラスに関わってきて初めて身をもって体感したアイリッシュミュージックがあの強烈なアンドリューだった。

今、巷にアイリッシュチューンを演奏するブルーグラスミュージシャンはたくさん存在するけど、あまり、これは素晴らしい!と感じるものがない。

あのクリス・シーリでさえ、ちぐはぐに感じる。上手すぎるのかなぁ…いや、そりゃ上手いに越したことはないだろうが、やっぱりリズムなのかなぁ。

ブルーグラスの人達にはあれで素晴らしいのだろうけど、少なくともアイルランド音楽ではない。彼らの音楽だが、それを聴いた人達は「お、アイリッシュだ」と思うだろう。

前にも書いたけど、日本人のとてもいいジャズギタリストがブルースのセッションに行ったら「上手いけどここは君の来るところではない」と云われた、と云う話。

アイリッシュのセッションでも今までに沢山そんなシーンを見てきた。

アンドリューはブルースが大好きだ。

どこか蔑まれてきた民族の血みたいなものがアイルランドという国の環境と被るところに魅かれるのか、彼のプレイにはブルースを感じる。

古いブルーグラスにもひたすらブルースを感じる。

僕自身でいえば、自分が演奏してきたブルーグラスと、それ以前に学んでいたクラシックでの和声感覚と、そして大好きなブルースという共通点を生かして彼に必死に付いていった。

結局、そこが源になっているからこそ、古いブルーグラスに事あるごとに魅かれるのかな。

よくスタンレーブラザースのボックスセットを引っ張り出して聴いている。

まとまりのない文章になってしまったけど、またなにか思いついたら書いてみようかな。