さて、あと2週間になった。
今年は音楽、というよりも生活をゆっくり楽しんだ感がある。
もちろん、フィークルではまたまたアンドリューとお揃いのシャツで盛り上がったし、新しい出会いもあり、素晴らしい音楽とも巡り会えた。
ラジオでは朝も夕方も夜もゲール語の放送局でいろんなものが流れる。
マイケル・コールマンのバリナスロー・フェアのセットが始まりの合図で、あらゆるアイリッシュ・ミュージックを新旧おりまぜて聴く事ができる。
中には思わず一緒になって木曽節を歌いたくなるくらいによく似た歌もあるし…あ、今、まるで「あんたがたどこさ」にそっくりなのが流れている。
それはともかく、今の誰だったんだろう?という疑問が湧くと解説をよく聞く。
ゲール語なのでわからないが、人の名前は分かる。もちろん分からないこともある。
もう一度聴きたくなったら、すぐに探す。
今、ケビン・バークって言ったよなぁ。じゃ、ケビン・バークのアルバムを探ってみたら入っているんじゃないか、とか、曲目からも探す事ができる。
どの楽器がメインだったか、という事からも探しだす事ができる。
そうして、いろんな人のいろんなスタイルの演奏を聴いたり、新しい曲を聴いたり…これは日本ではなかなかできない事だ。
勿論、ユーチューブで見たり、CDをかけたり、ということはできるが、普通に生活の中に入ってくる形ではなかなかない事だ。
もし仮に、終戦くらいからずっと、一日の家庭の団欒には必ず、日本民謡や童謡などが何時間も流れていたら、そういう文化が日本の至る所に残っていただろうか。
やっぱり敗戦とともに、日本は独自の文化に目を背けてきたのかな。
コロナの最中(いや、まだ終わったわけではないけど)100年も続いた三味線屋さんが閉めた、とかいう話を聞いた時、なぜ、政府がこういうところを大切にしないのかなぁ、と思ったものだ。
アイルランドではミュージシャンに対しての補助がすごく良かったらしいが、ま、確かに人口も違うしな。
僕も貰うものはもらったし、あまり政府を批判できないけど、それにしても彼らがあまりに贅沢しているみたいだし、それならもらわにゃ損だ、と考えただけだ。
その上で、やっぱり日本古来の文化などにはもうちょっと目を向けてもいいんではないかな、と素朴に思ったりする。
少なくとも、音楽という文化をこの国では非常に大切にしているようだ。
さて、あと2週間という事で2週間後、世界はどうなっているだろう。
ロシアはさらなる恐怖を駆り立てるような攻撃をするんだろうか。東京の上を北のミサイルが飛ぶようになるんだろうか。
誠に遺憾で決して許される行為ではなく、最も強い言葉で非難する…って僕にも言えますが。
国連でもワークしない位だから、名もなき日本の「聞く耳を持っているらしい人」が何か言ったところで、この人の言うことには誰も聞く耳を持てないだろう。
コロナのあとは戦争って予想もつかなかったけど、またノストラダムスの研究者が何か言ってくるかな。
あ、そうだ。日本は地震も怖い。
ここにいたらその心配は全くないので、また日本で揺れたら怖いだろうな。
マスクも3ヶ月間つけていないので付け方を忘れたんじゃないかな。確か、あの紐は耳に引っ掛けるはずだった、なんてね。
そうか。あの人のは「聞く耳」ではなく、単にマスクを引っ掛ける為の耳か。納得。