高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

1971年の出会いから半世紀も過ぎた。

ナターシャー・セブン…何ちゅう名前や?

変だなぁ、日本語で歌うって…。

僕にとってはそんな風に始まったこのグループも、その黄金時代(自分で言うのもおかしいが)のメンバーは僕だけになってしまった。

予定では高石ともやが最後に残るメンバーであったはずだが…ってそんな予定あるか!

でも、自分で言っていた。

「わたしには蛇年のしぶとさがあるんです」なんて。

ずっと「私はB型です!」なんて言っていたのにある日「A型でした」なんていうすっとぼけた部分も有った。

あまりA型のイメージは無いけどなぁ。

青森か何処かの駅で汽車が止まっている時、ホームを駅員さんが歩いていた。

それを眺めていた僕が「ねぇねぇ、ともやさん。獅子てんや、瀬戸わんやって、どっちがてんやで、どっちがわんやだったっけ?」

と問うと、ただひとこと「うん、似ていましたねぇ」と言った。

このあたりの受け応えは流石に詩人、という感じがする、なんて思うのは僕だけだろうか?

思えば旅ばかりだった。

彼の言葉でひとつ印象深かったものがある。

「あなたと僕はもう家の奥さんがやきもちを焼くくらいなんですよ」

それくらいの旅、また旅だったのだろう。

それくらいお互いを理解することに必死だったんだろう。

僕は彼の歌にギターを乗せるのが好きだった。

そしてそれはどこで音楽を演奏していても、彼のために伴奏をしている時と同じ次元のものとなっていったはずだ。

僕は今でも、彼は日本に於ける至高のフォークシンガー、筋金入りのフォークシンガー、唯一無二のフォークシンガー、そして類まれな才能を持った詩人、だと信じている。

なので、少しだけ、ひとつの時代が終わったかな?という思いは持っている。

そして少しだけまた心に穴が空いたかな?という思いも持っている。

榊原氏は僕と高石さんを結び付けてくれた人。

あの頃、僕は彼の期待に少しは応えることが出来たはずだ。

木田ちゃんは、本当に良い時のグループを更にワンランク持ち上げてくれた人。

僕らは彼のほとばしる才能に対し、少なくとも多少応えることが出来たはずだ。

省悟は…もう言う事ないかな。

僕らは唯一無二のコンビとして皆さんの期待に応えることが出来ていたと思う。

そして高石氏。

もしもまだ元気に歌っていたら、横でギターを弾きたかったことも事実だ。

勿論バンジョーも。

彼の紡ぎ出す詩を聴きながら、どんな音を創っていくか、そんな事を考えながら。

多分、彼の想いが詰まった詩に対して、まだまだ応えることが出来ただろう。

ひとり残され、この世の旅の終わりに

あいつに会ったなら あの世で二人また旅に出よう…

いやいや、もう旅はいいかな。

でも、あなたのためにギターもバンジョーも弾くよ。