ちょっとだけノスタルジック

この夏、高石さんが亡くなった事は多くの方達にとってショックだったろう。

今、あれから2週間が過ぎている。

僕にとってはどうだろうか。

自分では想像ができなかったけど…どこから来るんだろうか、言葉では言い表せない喪失感を感じている。

やっぱり自分にとって大きな大きな人生の1ページが終息を迎えたような気持ち。

言葉ではなかなか言い表せないけど、また省悟の時とは違うのは、70歳も中盤に入り、やっぱりみんないなくなるんだなぁ、という気持ちがもっと顕著に現れるからなのかな。

僕は母親を自分が10歳の時に亡くしているが、その時「なんで死ぬのに産まれてくるんだろう」なんて思ったりした。

どうせ死ぬのなら生まれてくる必要は無いんではないか、と思ったものだ。

それが自分では選べない道ということも知らなかったし。

話はちょっとあらぬ方向に飛んだが、あの高石さんでも死ぬんだなぁ、と言うのが僕の素直な気持ち。

この前のコラムでも書いたが、絶対に最後まで生き残るのは彼だと思っていたので。

それだけになんか、心に穴が空いたような…。

別にそんなに親しかったわけでもない。

省悟のように説明がつかないくらいに分かり合える仲でもない。

なのに、この喪失感はいったい何なのだろう。

やっぱり先に言ったように、最も多感で、身も心も軽々と、なんでも出来る、なんて思っていた時代を共に過ごしたからだろうか。

そんな時代が終わった。

もちろん時は過ぎてゆき、どんどん新たな時代がやってくることは当たり前なのだが。

その辺のジレンマなのかな。少なくとも少しの間は。

先に進まなくてはいけないし、また、いやがおうでも先に進まざるを得ない状況が生きている限り続く。

そんな時、やっぱり一番頼りになるのはナターシャー・セブンを愛してくれた人達の存在だろうな。

本当にそれはつくづく感じる。

今、ビールの後にちょっぴりのウイスキーを飲んでいるので、勝手な事を書いていますが、どうせそんなに飲める方ではないのでこれで寝てしまうと思います。それでも最終的には皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて…。

高石さんもステージ上ではあんな感じですが、本当に恥ずかしがり屋、悪く言えば気の小さい人だった。良く言えばすごく思慮深く軽はずみなことが言えない人だった。

でも、本当に皆さんには感謝していると思います。僕はそんな彼を知っています。