先日のぐんじ君主催のコンサートで「京都産業大学トリオ」として一緒に演奏した
櫛谷さんから、琵琶湖マラソンを走ってきた、という便りが届いた。
え?フルマラソン?42・195キロ?
そんな風に見えなかったし、そんな話題も出なかったので全く知らなかったが(いや、少しは話をしたかな。音楽談義の方が盛り上がっていたのかな)おかげでいろんなことを想い出させていただいた。
僕は中学の頃、異様に長距離が得意だったようだ。
駅伝も経験したし、高校では陸上部に入ろうかな、と思いながらも美術部に入った。
そんなことも有り、走ることは苦ではなかった。
省ちゃんなんかは「なんでやねん」と言いながら走っていた。後のタバコの為に…。
ホノルルに行く前に、それぞれの酸素摂取量を計る、という名目で、群馬大の山西先生を訪ね、なんやら酸素マスクみたいなものがついた自転車みたいなもの(固定された機械)に乗せられて、そのペダルを思い切り漕いだ。
省ちゃんは「あのマスクの中に思い切り吐いたら、ハイ、やめー!ってなるんちゃうか」とか言いながら、いやいや漕いでいた。後のタバコの為に…。
そんなこんなでいざ、ホノルルへ。
最初は1978年だったと記憶している。
まだ全然大した人数ではなかったが、確かフランク・ショーターが居たのはその年かな。
僕がまだまだ折り返し地点に程遠いところを走っていたら、向かい方の、言うなれば帰り道を、彼は颯爽と駆け抜けて行った。
太陽が上がると「ハワイ良いとこ、一度はおいで」みたいな流石に美しい景色が広がった。
それはそれで気持ちよかったが、最初のその年は頑張り過ぎた。
確か4時間少し超えるくらいのタイムだったかもしれない。
おかげで、次の日はアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けなかった。
無駄に頑張らなかった省ちゃんは美味しそうにタバコを吸いながら買い物を楽しんでいた。
足を引きずっている僕に多くの人が「どうしたんだ?」と訊くくらい、まだホノルルマラソンがそれほど浸透していなかった。
次の年はその経験を踏まえて、6時間かけて走った。途中で歩いたりして。
そのおかげでアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けた。
42キロはやっぱり長い。
途中で白人の海兵隊員みたいのが「This is crazy!」とブツブツ言いながら走っていた。
確かに35キロ位を越えると膝から笑い声が聞こえてきた。
そんな事はないやろ~。
目から鱗は出ないし、耳にタコは出来ないだろう。
耳にタコが出来たら、今はタコ高いし、良いのになぁ、としょうもない事を言っていないで、
今度、また産業大学トリオが有ったら、マラソンの話をしてみよう。
ホノルルマラソン、一応5回走っているので。
でもしょうもないことしか覚えていないかな。
櫛谷さんは2年くらい前から走り始めたようだが、なにかきっかけが有ったんだろうか。
まだ若いし、間違いなく高石ともやの影響ではないだろう。
それでもぐんじ君から教わった「孤独のマラソンランナー」を口ずさんでいたらしい。
とに角42キロを5時間ほどで走り抜けた、というから大したもんだ。
因みに42キロ、フルで歩いたら約8時間とか…。
あ、もう先も長くないし、それ時間の無駄だ。