7 O’Carolam’s Ramble to Cashel / Sheep in the Boat
90年代初頭からもっとも好きだったハープ曲をギター用にアレンジしてよく演奏してきた。
ある時、サンフランシスコでアイルランド移民の為のコンサートがあり、僕らティプシーハウスのメンバーに加え、ストーリーテラー、ダンサーやシンガー総勢10人ほどがステージに上がった。確かその時初めてこの曲をソロで弾いたのだと思うが、会が終わると80代と思われる女性が二人涙を浮かべて「素晴らしかった。あなたのギターを聴いて故郷を思い出した」といたく感動してくれている様子だった。この人たちもいろんな事情で故郷を離れて暮らしてきたんだなぁ。
それにしても美しいメロディだ。続けたのはJunior Crehanの作になるジグ。このメロディも大好きなものだ。
ギターソロから二つのギターを合わせてみた。
8 The Night in that Land
Johnny Cunninghamの美しいワルツ。彼とは一度だけステージを共にしたことがあるが、こんなにも自由自在にフィドルを操る人も珍しい。言い方が難しいし、他にも考えられないくらい素晴らしいプレイを目の当たりにしてきたが、彼の場合、まるで子供が無心にお気に入りのおもちゃで遊んでいるようだった。とても気さくで人懐っこくて陽気な彼がこの世を去った後、NYでの追悼コンサートにも参加したが、兄のPhilの後姿は本当に寂しそうだったのが忘れられない。
ギターを少しだけ重ねて。
9 Declan / The Butterfly
これもひたすら美しいエアーだ。Donal Lunnyの作だが、この人の作曲能力、アレンジ能力にはいつも感動させられてしまう。本来フルートやローホイスル、そしてイーリアンパイプスなどが活躍する曲なので、ギターだけというのもなぁ、と思っていたが、かのJeff Beckもやっているしそれも有りかな、と考えた。そして続く曲は、1970年中ごろからのお気に入りだったもの。
京都の、とあるレコード店で何気なくジャケ買いしたボシー・バンドのアルバムで、衝撃を受けた。その中でも最も気に入ったのがこの曲だった。元々Tommy Pottsの曲とされているが、この辺はその基になっているものがあるなど、多くのコメントが寄せられている。中でもNoel Hillの演奏によるSonny McDonagh’s Flingsはそのものずばりだとしか思えない。こんなことを考えだすと一生かけても時間が足りない。
ギターソロから少しにぎやかに沢山のギターを重ねてみた。
10 Opus24
ライナーノーツにある通り、これは24歳の時に創ったもの。何気なしピアノ練習曲なるイメージを持って、バンジョーをオープンCに合わせてみたらできあがった曲。
11 君かげ草 / Leaving of Liverpool
この歌は高石氏の作曲したものの中でも特に好きなもののひとつだったが、何故か前作には入れなかった。理由はないが多分アレンジが思い浮かばなかったのだろう。
そんな中、ふと思い浮かんだのがLeaving of Liverpoolのメロディだった。
前作の「街」のように、僕にしか浮かばないアイディア(であろう…)を、と常に考えているのは音楽を奏でる者にとって大切なことだと思っている。
もちろんオリジナル作品というものもそうだが、僕にとってこういう音楽をやっている以上、古き良き時代のものを多く知ることは重要な事柄だ。そんな中でこのようなアイディアが浮かんでくる。
ギターと少しだけマンドリン、最後にバンジョー、それになんと、エンジニアのタムちゃんがベースを弾いてくれた。元々ベース無しで録音したが、全体のバランスや、曲に入った時の感じなどによって、ベースが入った方が…と考えていたら、なんと彼が心を読んでいたように、彼自身が弾いたものと、そのままのデータの両方を送ってきた。二つ返事でOKを出した。
12 Melodies of Scotlamd
あえて「メドレー」とはしなかったことに特に理由はない。
それに、特に各曲の説明も必要ないと思っているし、ボーナストラックのようなもの として聴いてください。ギターひとつだけで音も重ねず、皆さんの居間で弾いているような雰囲気を味わっていただけたら嬉しいです。
しかし、世の中には美しいメロディが存在している。こんなに美しいメロディが存在する人間界をわがもの顔に破壊する各国の指導者がこの世から消えてしまうことを願ってやまない。
今回のアルバムの曲は、その多くが1700~1800年代に作られたものだ。
追記; このアルバムを坂庭省悟に捧げたのには訳がある。
よくツアーの宿泊先で彼がリクエストしたものだ。「じゅんじ、ギター弾いてくれ、きれいなやつ。わし、それ聴いて寝るわ」
僕が弾き始めると、ほどなくしてスヤスヤと眠りに落ちていた。
いつになるか分からないけど、そんなに遠くない将来、また聴かせてあげることができる…かな?それまでとりあえずこれ聴いててくれ。
君を愛した人、ナターシャーを愛した人、みんなが君と一緒に聴いてくれると信じている。
補足: アルバムカバーについて
このシリーズ「Back to Banjo」については、道端で拾った子猫、これしかない!
と決めて、過去の写真を探した。確か、バンジョーに無理やり乗せて撮った写真があったなぁ、と。なんで猫?という意見もあったが「猫ブーム、なんでも猫を使えば売れると思って…」なんていう、いつもいろんな商店で販売している猫グッズを観ていたのでこのアイディアを思いついた。
ま、2作目は自分の姿でも良いのではないか、と考えたころから次はちょっと違うものを…と考えていた。そんな時、かなり前から気になっていたアルバムカバーの事をふと思い出した。
うん、こんな感じで行こう…。
それはTony MacMahon&Noel Hillのアルバムで女性が塀に寄りかかっている、多分それは絵であったと思うが、とても印象に残ったものがあった。
中身が想像できない、というのかな。
そして、なんかこんな感じにしたいな、と思っていた。
そんな中でも、ナターシャー・セブンのトリビュートを考え出してしまい、急に京都の風景を描きたくなった。
元来、絵を描くことは好きなのだが、構図のアイデアがなかなか浮かばない。
そこで京の街角というとあの「犬矢来」だ。ここはこれしかないでしょう、と制作に取り掛かった。あのアイディアは次に使えばいいか、と。
そしてトリビュート録音の最中に見つけたのがこの一枚の写真。
元々、何故か僕の頭の中に例の「女性が塀に寄りかかっている…」というイメージがあり、こちらは「女の子が空を見上げている」というような構図はどうだろうか?などという構想があったので正にビンゴ!だった。
いろいろなデフォルメを試してみたりしたが、なにも細工しない方が良いだろう、という事に落ち着いた。
そしてタイトルも今までに使わなかった字体にしてみたい、と、お願いした。
まさにこの感じが求めていたものだった。
裏には僕が描いたスズランの花。
君かげ草を挿入曲に考えていたので、いっそのこと、これをタイトルに…と思った。
どこか「フェミニン」なものを全面に押し出したい、というイメージがあったが、全てに的中した、と感じた。
元々、アニメっぽいとか、少女漫画っぽいとか、今までとは違う全く想像が付かないものにしたかった、という考えがあったことも事実だ。
さて、実はすでに次作の構想を練っているが、まだアルバムカバーのアイディアはない。
そんなに早まっていいのだろうか。
先ず、このアルバムがある程度出ていかないと「次」というのは難しいのに。
そんなこんなで思いをめぐらせている毎日。
しかし考えるべきことが沢山ある、というのは素晴らしいことだ。
今日は何を食べようか、でも良い。それは何を使って何を作るか…ということだ。
少なくともぼくにとっては。
音楽も人生もそういうものかもしれない。
世界があらぬ方向に向かっているような今日この頃。
このアルバムが皆さんに安らぎをもたらしてくれることを祈っています。