パディが紹介してくれたパブはスウィニーズという名前だった。かなり広いパブで、セッションは2階でやっているようだ。
恐る恐る2階へ上がってみると、いたいた。若手が4~5人。
ギターを持った男が「あ、じゅんじ。パディから聞いたよ。前に会ったことあるのおぼえてるか?」確かに見覚えのある顔だ。
それと、アシュリー・マクアイザック風のごっついフィドラー。もうひとり、若い女の子のフィドラー、それに、パイパーとボーラン。
なんかニュー・ヨークにいるような気がする。
音がモダンなのだ。でもちゃんとトラッドでもある。都会人のセンスというべきだろうか。
此処に来るまでじつに多くのスタイルをみてきた。特に名の通っている人達は、それぞれに独自のスタイルを持っているが、その上、その地方独特のスタイルというものも踏襲している。
この音楽に本格的に関わって20年。まだまだ赤ちゃんみたいなものだ。言葉でとやかく言うよりもとにかく聴いて聴いて、弾いて弾く。と同時に全ての音楽に耳を傾ける。
ビリー・ホリデイから美空ひばりまで、ロバート・ジョンソンからスティビー・レイ・ヴォーンまで、カーター・ファミリーからフレックトーンズまで、バッハからサイモン・ラトルまで。ちょっと無理があるか。
因みにサイモン・ラトル(詳しくは“サー”サイモン・ラトル)は18年来の友人だが、クラシック界の人からみればなかなか近づくこともできないくらいの超大物指揮者である。
そんな彼もボーイズ・オブ・ザ・ロックの“アリ・ベイン”と大の仲好だと言っていたし、どこかの国のガチガチのクラシックファンとは持ち合わせているものが違い過ぎる。
アイリッシュミュージックの世界でもよくあることだが、自分の好きなものしか認めない人達がいる。
好きでない、というのは仕方ないことだが、他を認めないという姿勢は決していいものではない。ましてや10年やそこら関わってきたくらいの狭い判断基準をそこにあてはめてしまう人がたまにいる。
全てを、自ら探しに出かけなければならなかった時代から、欲しいものだけをチョイス出来る時代へと変化している。
僕らは随分無駄道も踏んだだろうが、その中には思わぬ出会いもあったのだろう。
アイリッシュミュージックを演奏する若い人達にも確固たるトラッド志向と、幅広い音楽性の両方を持ってほしいものだ。
また来年ここに来れたなら“1からのスタート”だ。
アイルランド最後の夜が更けていく。おっと、フライトは朝6時ころだったような気がする。このまま弾き続けるか…。