サイモン・ラトル

僕が語るのもおこがましいのですが、とても仲のいい超大物中の超大物です。クラシック音楽に興味のない方には馴染みのない名前かもしれませんが、現ベルリンフィルの首席指揮者で、芸術監督でもある人物です。

今までのコラムでも数回彼の名前は出しましたが、あらためて少しだけ書いておきます。

もう20年近く前のことになりますが、ひょんなことで2人の男の子を連れたもじゃもじゃ頭の男と友達になりました。

何故、彼がサイモン・ラトルという有名な指揮者であることを知ったかというと、多くの人が「昨夜のシンフォニーは素晴らしかった」と彼に声をかけていたからです。

そこで、音楽の話になり、僕の家にも遊びに来るようになりました。勿論、僕も彼の家に遊びに行ったりしていました。

2人の子供のベビーシッターをしたこともありました。

長男は少しコロンとしたサーシャ。当時で8歳か7歳くらいでした。次男は4歳くらいだったかな。エリオットという名前でした。

サーシャは既にピアノを弾いていたので、僕のギターと合わせ、そこに、幼少の頃はドラマーになりたかったというサイモンが打楽器で参加する、といったYouTubeにでものせたら大変な騒ぎになるだろう場面もありました。エリオットはお昼寝。

サイモンの仲のいい友達の中には、ボーイズ・オブ・ザ・ロックのアリ・ベインがいます。アイリッシュなんか音楽ではない、と言った”私こそ日本のクラシック音楽の発展を担う人物だ”とでも言いたげな、大阪の某クラシック専門楽器店のおやじと違い、とても幅の広い視野を持っています。

そんなサイモンも徐々に世界中に名が知れ渡る指揮者となり、あまり会うことができなくなりました。

 

2011年、サイモンがベルリン・フィルの指揮者として来日する、という話を希花から聞きました。彼女の母上もオーケストラでヴァイオリンを弾いている人。そういう人たちが知らないわけがありません。何としてでも行きたいから一緒に行きましょう、と誘われましたが、チケットは驚きの4万円。

もったいないからいい、と断っていましたが、発売当日、希花が電話の前で待機。いざかけてみるとなかなかつながらない。やっとつながったと思ったら、な、なんと、発売から2分で売り切れた、ということでした。正直、胸をなでおろしました。

当日、サントリーホールは日本公演最終日でした。希花が「もしかしたら会えるかもしれないから行こうよ」と言いますが、僕はそんな超大物だし、日本ではなかなかガードも固いだろうし、また別な機会でいいよ、と断りました。

しかしそこはさすがに、2浪してまでも行きたかった医学部にくいさがる人です。公演終了時間に合わせて連れて行かれてしまいました。

公演も終わり、多くのクラシックファンが会場から出てきました。僕は係の人にサイモンと会えるかどうか、事情を説明して交渉してみました。

やはりそれは無理だったので、もう帰ろう、というと、希花がオーケストラのメンバーらしき人たちに尋ねています。それでも「グッド・ラック」という返事しか得られませんでした。

まだ、たむろしていた数人の団員らしきひとたちの横を通り過ぎ、帰ろうとすると、ひとりの若者と目が合いました。どこからみても、ヨーロッパ人ではなく、アメリカ人という風情でした。僕は何気なしに「オーケストラのメンバー?」と訊くと彼が驚きの一言を発しました。

「ううん。僕はサイモン・ラトルの息子だ」ほんとうにびっくりしました。

「サーシャ?」「いや、僕はエリオットだ」なんという神様からの救いでしょうか。

「エリオット?僕だよジュンジだよ」キョトンとしていた彼が「ジュンジ!!」と叫ぶまでは、ほんの2~3秒しか掛からなかったのです。

当時、僕の腰くらいまでしかなかった彼も、もう180cmに近いくらいの大きさになっていました。約18年ぶりの再会です。通り過ぎてしまったら分かるわけがありません。

「これからパーティに行くんだ。親父もびっくりするだろうから一緒に行こうよ」僕は今一緒に音楽をやっている人だ、と希花を紹介して、エリオットの後について行きました。

20年ほど前は僕の後にエリオットが付いてきたものですが…。

 

会場に入るとタキシードとドレスに身を包んだ老若男女がシャンペンやワインを片手に談笑しています。焼酎など飲む人はいないようだ。

少しはましな格好をしてきたつもりでしたが、かなり場違いかな、と思わざるを得ませんでした。でもエリオットはジーンズにチェックのシャツ。そんな彼をアメリカ人と思ったからこそ声を掛けてみたのです。彼と一緒にいたらだれも文句はいわないでしょう。

しばらくすると、疲れきった表情のサイモンが多くの人に囲まれてやってきました。記者会見が終わったようです。

すかさずエリオットが「親父、ジュンジだよ」と紹介するとしばらく事情が呑み込めなかったらしく、息子と同じようにキョトンとしていましたが、周りの関係者も多いことだったので

静かに納得して2言、3言、言葉を交わすと、エリオットが紹介した希花とちゃっかりツーショットに収まってくれました。

あまり多くの人に囲まれて忙しそうなので、エリオットに「僕らはこれで失礼する」と伝え、アドレスや電話番号を交換して会場を出ました。

駅に向かいながら希花が言いました。「クラシックをやっていたらまず会うことなんか叶わなかった人に、アイリッシュをやっていて会えるなんてこんな不思議なことが世の中にあるんだ」

入ってきた電車に乗り込もうとした時、僕の携帯にメッセージが入っていることに気がつきました。聞いてみると、サイモンからです。「ジュンジ。帰ってしまったのか。後でゆっくり話をしたいと思っていたんだ。今どこにいる?」あれ、気がつかなかった、と思っていたところにまた電話が鳴りました。

「サイモン」「ジュンジ。話がしたい。戻って来れるか?」「うん、待っててくれ。15分位で戻る」このときの最初のメッセージは今も大事に残してあります。

 

会場に戻るとサイモン自ら出迎えてくれました。そこからはサイモン、エリオット、僕、そして希花と4人で1時間ほどワインを飲みながらゆっくり話をすることができました。

そして再会を誓うと、僕らは終電に間に合うように会場を後にしました。

僕が「良かった会えて。サイモンと友達なんて、でまかせだと思われてたかもしれないし」と言うと

希花が胸を張って言いました。「あたしの粘り強さと、じゅんじさんの運かな」

希花が興奮して実家に戻ると、母上が地団駄踏んでいたらしい…。