2022年 アイルランドの旅 38

寒い。ひたすら寒い。気温をみると11℃ということだが、風が冷たい。

朝7時半ということもあろうが、これからあと数週間したらこの時間は真っ暗でもっと寒くなるのかもしれない。

その上、雨が降ったりしたら、オノマトペで表現したら「ドヨ~ン」とした空気感、ということになるんだろうなぁ。

その寒い中、川でスイスイ泳ぐカモを見て、塀の上を歩く猫を見て、飛び回るカモメの声を聴きながら歩く。

カモメはよく空中戦を繰り広げている。

下手したら巻き込まれそうな低空までやってきて戦っている。

餌の取り合いだと思うが、始まったらしばし立ち止まっていないと危険だ。

ヒチコックの世界。

東京にいたらカラスやムクドリというのがやたらとはびこっているが、特にカラスも怖い。

カラスの撃退法で、一説によると「毎日カラスの目を見てこんにちわ、と言うと来なくなる」らしいが、調べてみるといろんなグッズが出ている。

その昔、ロンドンかどこかの空港で鳩が大量発生し、色々試した結果、シャーリー・バッシーの「Gold Finger」を大音量で流したら一目散に逃げまわり、大成功を収めた、と言う記事が新聞に載っていた。

どうやら他の音や歌ではダメだったらしい。

鳩ではうまくいったみたいけど、カラスと言うのは学習能力が日本の政治家よりも数段上だと言うことなので結構難しいらしいですね。

ところで、カラスにも効果があるのではないかと、彼女の歌を(特にシャウトの部分)収録したアルバムが発売されている、と言う話があるみたいですが、

それもカラス撃退グッズの一つなのかな。

と言うことで、今回は寒い朝に見かけた鳥たちの光景から何だか訳のわからない文章になってしまった。

今日はチキンでも食べようかな。

2022年 アイルランドの旅 37

9月24日。クレインバーでフランキー・ギャビンのショーを観る。

フランキーについてはここ最近、健康状態が芳しくなく、気にはなっていたが、そっとしておいてあげた方がいいかな、と思っていた。

それでも彼が精力的にあちらこちらで演奏していることを知っていたので安心していた。

そんな折、彼がすぐ近くで演奏すると聞いて、やっぱり行ってみようと思った。

会場であるクレインバーに歩いていく途中、道端でばったりフランキーと出会った。

かなり痩せていたが元気そうだった。

しばし話をして、固くハグをして「今からいくからね」と伝えたら嬉しそうに「ありがとう」と言っていた。

僕と希花は会場に入り、一番前、フランキーの正面に座った。

演奏が始まるとこれぞフランキーの世界。

健在だ。

限りなく力強い。

全く衰えていない。

フルートプレイも涙が出てくるほど美しい。

会場にはアン・コンロイ・バークも来ていた。サーカ・コステロもコーナー・コノリーも、そして勿論ショーン・ギャビンも。

横に座った3人の若者と一緒に盛り上がってギネスの奢り合いもしてしまった。

それもこれもフランキーの鬼気迫る演奏のせいだ。

最後にステージ上から「ジュンジとマレカも来てくれている」なんていうアナウンスもしてくれた。

2度のアンコールに応えての終了後、また固くハグをして別れた。

本当に来てよかった。

フランキーはまだまだ元気だ。そしてまだまだこの世界の頂点に立つ人物だ。

2022年 アイルランドの旅 36

ゴールウエイは今、オイスターフェスティバルの真っ最中。

街は大変なことになっている。

いつでも人で溢れているが、こういう時はもう歩くのが困難、と言えるほどの人で溢れかえる。

もうコロナの事なんかすっかり忘れてしまっている。

どこのパブも黒山の人だかり。ブラック・マウンテン・ラグだ。

通りもあちらこちら歩行者天国になっていて、道路にいっぱいテーブルが並んで、多くの人は外でビール三昧だ。

結構寒いのに。多分10度以下。

でもあちらこちらに涼しげな格好をした女の子もいるし、おしゃれした青年たちもいる。

みんなビール片手にご機嫌さんだ。

この人たちの血液はビールなんだろう。

バンドの演奏もあった。

かなりうまいアコーディオンとその姉だか妹だかのフィドル、イケイケバウロンとキーボードの女性、ギターが何故か2人。

1人の方を見てみると、シェーン・マッガンだ。いや、ポーグスではない。

確か、ミック・モロニーとフィラデルフィアかどこかで演奏した時に一緒にステージに上がっていた、結構ギタリストとして名の通っている奴だ。

彼らのご機嫌なアイリッシュチューンを聴いて、少しシェーンと話をして、夜道を歩いて帰った。

夜道、という感じではない。人がいっぱい溢れている街を後にした。

2022年 アイルランドの旅 35

今日は珍しい人と立ち話をした。

僕がゴールウエイに頻繁に来るようになったのは2011年から。

その頃からパブ「チコリ」の前で毎日のように見かけるおじさん。

どこか、ダブリナーズのルーク・ケリーのような風貌でいつも同じところに立っていた。

一度だけ「あんたルーク・ケリーかと思ったよ」と話しかけたことがあったが、それも7~8年前かな。

そのおじさんが今日は正面から歩いてきた。

とても細い道だったので、お互い顔を合わせて何気なしに立ち止まって会話が始まった。

驚いたことにおじさん、僕よりも4歳若かった。

カーリーのかなり少ない白髪、真っ白なモジャモジャの髭。赤ら顔の、でもよくみると酔いどれおじさんではない。

それに、何かユニホームみたいなのを着て、道路に落ちたゴミを集めていた。ボランティアではなくれっきとした仕事のようだ。

70まで働いた方が年金がいいはずだ、と言いながら。

また、早くに仕事を終えるのもいいけど、せいぜい最初の1年は楽しく暮らせても、2年目からは何もやることがなくなって、3年目からはまた飲み始めて人生終わるかも知れないので、出来るだけ長く働きたい、と言っていた。

今までただの暇な飲んだくれかと思っていたが、とてもしっかり話をする人で少々驚いた。

とてもわかりやすい英語を話す人で、こういう人は外国人と話をするのが慣れている、とか、そこそこ学のある人という印象だ。

しまった。名前を訊き忘れた。

ま、どうせまた明日会うかも知れない。いや、今夜かも。

2022年 アイルランドの旅 34

アイルランドに居ながらにして、どうしても日本の箸にも棒にもかからない政治家の恥さらしの記事ばかりが目につく。

いや、離れているから尚更のことかもしれないな。

大谷くんのニュースを見ている方がよっぽど身体にも心にも良い。

野球は子供の頃好きだった。父親の影響かな。ちなみに彼は大の巨人ファン。

そのせいで僕も、キャッチャーは森か藤尾、ピッチャーは高橋や伊藤、ファーストは王、セカンドは土屋、ショートは広岡、サードは長嶋、

外野は宮本や与那嶺…蚊取り線香の香り、蚊帳、トランジスターラジオから流れる中継が懐かしい。

スポーツで言えば、どうもサッカーというのはあまり好きではない。多分高校の授業で走っても走ってもなかなかゴールに届かない、なんか疲れるスポーツだなぁ、と感じたことに発するのかも知れない。

ラグビーの授業もあった。全然覚えていなかったが、ワールドカップの仕事をした頃から、お、なかなか面白いな、と思うようになった。

でもサッカーは足だけというのがなんともまどろっこしい。

バスケットもやった。こちらはスピードがあってなかなか面白いと感じた。

アメリカの3大スポーツはフットボールとバスケットと野球だろう。野球は一時期ストライキで人気を落としたが。

僕がいた頃は何と言っても49ersのジョー・モンタナだ。あちらこちらにモンタナを大統領に!などという落書きがあった。

後釜のスティーブ・ヤングも相当な人気だった。

バスケットではシャキール、ジョーダン、ジョンソン、少し後でコービーなどをよく見ていた。他にもラリー・バード、アイゼア・トーマス、ジョン・ストックトン等、そうしてみるとやっぱりスピード感あふれるバスケットをよく見ていたのかも知れない。

アメフトはルールがよくわからなくて。

プロレスは良く観ていたかな。あれ、完全にショーという感じ。

ハルク・ホーガンとかアンダーテイカー、トリプルH、ロック…挙げればきりがない。

そう言えば、中学の頃は何故かバレーボール部だった。まだ9人制の時代。

バレーボールというのも、東洋の魔女以来、女子の方が認知度が高い。少なくとも僕にとっては。

男子の方はあまりにスピードがありすぎる上に、彼らの見かけではコートが狭すぎる感がある。

もちろん女子でも2メートル近い選手、いや海外だったら2メートル超える選手もいるし、同じことかも知れないけど。

高校生になって、陸上部という選択肢もあったが、美術部に入り、それからはスポーツではなくフォークソングに打ち込んだ。

秋の夜長、大谷くんの明るいニュースから昔のことをちょっとだけ思い出してしまった。

2022年 アイルランドの旅 33

今日は朝、歩いていて何気なしに空気の重さが違うことに気がついた。

もちろん、今日は湿気が多いとか、カラッとしているとかそういった感じは普通に分かるが、今朝の感じはとても微妙。

曇っていても少し晴れ間が出ているような天気だったが、何が違うと感じたかというと「風」だ。

決して風が吹いている天候ではなかったが、肌に当たるほんのわずかな風の重さが少し違ったような気がした。

これ、きっと雨になる、と思わずつぶやいてしまった。

それから約1時間後、しとしとと雨が降り出した。少し濡れるかな?程度の雨だったが、2時間ほどでまた曇り空に戻った。

段々デルス・ウザーラみたいになってきたかな。

この国は本当に自然豊かだし、そういう所にいると神経が研ぎ澄まされるのかもしれない。

そういえば、日本に呼んだアイルランドのミュージシャンたちは、誰もが方向感覚に異常に優れていた。

太陽の位置とか風向きで分かるんだろうか。もう船乗りの世界。

大自然の中で生まれ育った人々にとっては当たり前のことなんだろうか。

大自然の息吹を聞く力というものに優れているのかな。

聞く力といえば、恥ずかしげもなく国連本部で「聞く力」をアピールした、という我が国の首相。

ここまで来るともう………????世界の恥さらし?横でヘラヘラしていた奴も、爆睡していた奴も。

あ、いやあんまり他人のことをとやかく言うのは止めておいて、聞く耳でも持ってみようか。

2022年 アイルランドの旅 32

昨夜、大聖堂で日本からの高校生たちのブラスバンド演奏がある、と云うので出かけていった。

北海道の東川高校。調べてみると旭川から美瑛のあたりに存在するようだ。

僕らもよく行ったあたりかもしれない。

7時半からのコンサート。どうせ時間通りには始まらないだろう、と、ゆっくりピザを食べてから出かけたが、もう一杯の人で既に始まっていた。

やっぱり日本人が関わっていたからだろうか。

最初はどうやら地元の高校生、もっと小さい子もいたかな、とにかく彼らのオーケストラ。

そして、次が地元のちょっとお年寄りたちのブラスバンド。

最後が東川高校、と云う流れだったが、彼らの演奏が圧倒的に素晴らしかった。

フィナーレでダニー・ボーイの合同演奏。

先ず、お年寄りたちの演奏で入ったが、結構ホニョホニョしている。そこにサビから高校生たちが入る。

すると、それが本当に素晴らしいものになった。

元々2020年に来るはずだったと思うが、もしそうだとしたら、その夢を叶えられなかった先輩たちの分も頑張って練習して来たんだろう

比較的新しく、1965年に完成したと言われる大聖堂。そこに響き渡る彼らの演奏で気持ちの良い夜を過ごすことができた。

2022年 アイルランドの旅 31

9月17日の土曜日は、同じCo.GalwayのPortumnaという小さな町のフェスティバルに出演するため朝からゴールウエイを出発。

コンサートは、マナスとのトリオで90分。

素晴らしい教会、小さくもなく大きすぎるわけでもない、理想的な古い教会。

到着すると音響機材の前に、にこやかな男が座っていた。今日の音響係のアイバンという人。

既に全て用意されていて、やっぱり慣れているせいか、3人がお互いを観る事ができるように、真ん中の椅子を少し後ろに、両端は少し内側に向いている。

細かい話だが、これが理想的な配置。

僕らはただ座っただけでそのまま音を出してみた。

案の定なんの問題もない。

教会の空間と、彼の作り出す音が絶妙にマッチして文句なしの素晴らしい音響だ。

コンサートは休憩なしの90分だが、70人ほどのお客さんは食い入るように楽しんでくれたようだ。

僕はそんな中、1人デューリングバンジョーを演奏。途中でMother’s Love is a BlessingとDanny Boyを挿入。

思った通り、どちらもアイルランド人の心の故郷のような歌なので、みんなが僕のバンジョーに合わせて歌っていた。

それも、教会の壁に響き渡ってこの上なくいい雰囲気に包まれた。

マナスと希花さんのツインフィドルも美しい。何もかも、僕らもお客さんも大満足のコンサートだったと確信している。

さて、終了後、主催者がこの町のどこのレストランでも使える食事券を用意してくれたので、少し寄り道してみることにした。

ここでまたアイルランドらしいことが起きる。

マナスはスープとサンドウイッチ、僕はファラフェル、希花さんはチーズバーガーを頼んだ。勿論チップスも。

飲み物は何にする?と聞かれたので僕はコーヒーを、と言ったら、、希花さんが「何か冷たいものがいいな」とつぶやいた。

お姉さん、すかさず張り切って「アイスコーヒーがあるわよ」と云う。

そこで希花さんが「あ、それにする」と言ったので「じゃ、僕もコーヒーじゃなくてアイスコーヒーにします」と言ってしばらく待っていた。

やがてアイスコーヒーが運ばれて来た。僕はちょっとトイレに行っている間に来たのだが、戻ってくると希花さんが不思議そうな顔をしている。

開口一番「火傷するからストローで飲まない方がいいよ」「え?」アイスコーヒーじゃなかったっけ。

それはなんとストローが刺さった温かいラテのような物だった。

「これ、アイスコーヒーじゃないよね」と言いながら先ほどのお姉さんをみるが、忙しそうにお客さんと話をしたり動き回ったりしている。

面白いからいつ気がつくかこのままにしておこう、と云うことになり、やがてフードが運ばれて来た。

マナスのは頼んだものズバリ。僕のはファラフェルと言えども少しスタイルの違ったラップのようなものだったが中身を見る限りファラフェルに間違いない。

そして希花さんのバーガーもラップのような形状をしている。

「これ、どう見てもバーガーじゃなくね?」と希花さん。これは言わにゃ、と「これ、バーガー?」と訊くと「あら、ごめんなさい」と言って別なテーブルに持って行き、既に出来上がっているバーガーが運ばれて来た。今度はどこから見てもれっきとしたバーガー。ま、これはレストランではたまにある事。驚きやしない。

しかし、僕らはその時点でコーヒーについて何かあるかな?と思っていたが案の定何もない。

さぁ、これはどの時点で間違えたのだろうか。興味をそそられる事案である。

氷を入れるつもりならこんなに並々作らないだろう。温かいコーヒーにストローを刺したのはなぜだろう。コップを持った時、変だと思わなかったのか?

アイルランド人の謎は深まるばかり。

どこかに「このお店のアイスコーヒーは熱いです」とか書いていないか探すがどこにも書いてはない。

結局お姉さん、最後まで気がつかなかった。しかし、感じのいいお姉さんだったし、お店もアットホームな素晴らしいところだったし、町も綺麗だったし、天気も良かったし、コンサートも素晴らしかったので、あ、それと食べ物も美味しかったので、また、ここに来ることがあったら今度はコーヒーを頼んでみよう。

何が出てくるかお楽しみだ。

2022年 アイルランドの旅 30

どう考えてもこの国の不思議な当たり前が、おおらかなのかあまり考えていないのか、大した事ではないのかよく分からない部分がある。

ずっと前にも書いたけど、パンの売り場に吊り下がっていたトング。どちら方向にも届かない。

ちょっと考えれば分かるはずなのに、結局みんな手で掴むしかない。

先日、瓶詰めのチリペパーを買おうと思い、売り場を見たらパウダーはあったが、僕が欲しかったフレイクの物がない。

ふと後方を見ると、さっきまで誰か店の人が働いていただろうワゴンのところに乱雑に、見るからにやりっぱなしの物が置いてあった。

それらの中に僕の欲しいフレイクの物があったので、これは多分これから棚に並べるんだろうな、と思い、しばらく誰かが来るのを待っていた。

が、一向に来る気配がない。

えい、ここから搾取してしまえ、と思い、10個ほどが一緒になっているパーケージを破って一つ手にとってみた。

すると蓋がちゃんと閉まらない。プラスティックのパカっとなるやつ。他のも手にとってみた。これもダメ。全部ダメ。

さては、それで置いてあるのかな、と思いきや、次の日、そのまま陳列されていた。

ところで、僕は使いかけの容器でちゃんとしたものを持っているので、そこから一つ拝借したが、決して「あ、一つ足りない」なんていう番長皿屋敷みたいなことにはならないだろう。

また、よくあるのが値段表。ずらっと並んでいるものの中から僕の買おうとするものだけが何故か値段が書いてない。

いくつかそのために値段を調べる機械が置いてあるが、みてみるとどれも故障中。

希花さん怒る「これ、意味無くね」

レジなどでもやたらと要領が悪い。

店員がアホなのか客がアホなのか、システムが悪いのか…いや、働いている人に対してあまり失礼なことは言えないが、どうみても一生懸命働いている様子はこれっぽちも見えないことが多い。

日本のコンビニのように、ちょっとでもレジが混みそうな気配が見えただけでも店員さんがすっ飛んでくるようなことは一切と言っていいほど無い。

結局それでも誰1人なんとも思わないことでこの国は成り立っているのかもしれない。

アメリカも「我が道を行く」だが、流石にそこまででも無いような…いや、南部とか行ったらそんな感じもあるかな?しかし、この国は全体的にそんな感じ。

2022年 アイルランドの旅 29

ふと考えた。

お酒の中で、比較的身体に害が少ないのはなんだろう。

もちろん、ハードリカーのようなきついのは別としてだ。

普段よく飲むのはビールと赤、あるいは白ワインだ。

以前、赤と白を混ぜてロゼ、と言って飲んでいたらスペイン人に怒られた。

トニー・マクマホンはサンフランシスコの普通のカフェで赤ワインをオーダーしたら普通のコップを出されて、激怒して店を後にした。

ヨーロッパではやっぱりワインだろうか。

僕はあまり飲めないせいか、日本酒、焼酎、ウイスキーの類は苦手だ。

かろうじて、冷酒のキンキンに冷えたものだったら少し飲むかな。でもせいぜい1合くらいだろう。

酒類は家で飲むに限る。もちろん僕の場合は。そのまま寝れるからだ。

先日、こんな話を聞いた。

「酒の強さは母親から遺伝する」つまり母親が強かったら大体子供は強いらしい。

本人があまり飲まなくても先天的に持っている強さはあるようだ。どうも父親からではなさそうだ。

これがアイリッシュに当てはまるのかどうかは知らないが。

昔の話になるが、僕が初めて酒類なるものを飲んだのは…もう時効だろうから言うけど、高校の修学旅行の時だった。

安芸の宮島に着いた時、みんなで学帽の中にお金を出し合って資金にした。

こういう時、買いに行かされる奴が必ずクラスには1人くらいは居る。流石に学生服は着替えたと思うけど。

そして、ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎、流石にワインはなかったかな、とにかく酒という酒はしこたまあった。

今ではあり得ないことだろう。みんな夜通し飲みまくった。僕もそれなりに飲んだけど気持ち悪くなった。

さて、次の日はバスで観光。しかも僕らのバスには校長先生が乗っていた。

校長なんて修学旅行について来ていたんだなぁ。でも、確かに「あ、ヤベェ校長だ」って誰かが言っていたのを覚えている。

それでもバスに乗り込むなり、みんなガアガアいびきをかいて寝た。共学だったが、女の子も数人はよだれを垂らして寝込んでいた。男は全員高いびき。

バスの中はかなり酒臭かったが、先生たちはもう分かっているせいか何も言わなかった。

ガイドさんだけが一生懸命「名所案内」をしていたが、みんなのいびきの方がうるさかった。ちょっと大袈裟か。

修学旅行から戻ってからも何かお咎めがあったような記憶もない。なんと平和でおおらかな時代だったんだろう。

アイルランドと酒とは密接なつながりがあるのでついついこんな告白をしてしまった。

2022年 アイルランドの旅 28

寒くなってきた。

流石に外でコーヒーを飲んでいる救急隊員には出会わない。

今朝は気温10℃で曇っていたのでなおさら寒く感じる。

手が悴んでいる。へぇ、こう書くんだ。

ところで、この悴むというのは方言かどうか気になったのでちょっと調べてみたら、元々は北海道あたりの方言だった、という説や、

古い言葉で今や季語として扱われる、などと言う記述があった。

それにしても実に言い当てた表現だと思うが、長年使っているからそう思うだけだろうか。

そこでこの表現は英語では?と思い、調べてみた。

numbというのがそれに当たるらしいが、指を挟んだりして腫れたり痺れたりするのもこの言葉を使うのでややこしい。

もう一つ関連としてShiverという言葉もあったが、これは寒気と同時に恐怖でちぢこまっているような時に使われるらしい。

そう言えばIn the Pinesという歌を歌った時にこの言葉が出てきた。

I would shiver the whole night throughという最後の行が繰り返されていた。

とにかく今日は一日中肌寒い天気になりそうだ。こんな日はやっぱり温かい紅茶が合うのかもしれない。少なくともお昼は。

お昼といえば、今週末京都でまた昼下がりコンサートが開催される。

ナターシャーセブンのスタッフ達が主催するコンサートだが、天気が心配だ。

見たところ、台風の影響が出るのはコンサート当日を過ぎてからのようだし、その通りになってくれたらいいな、と思っている。

彼らの心意気にはアイルランドからも感謝の意を示したい。

2022年 アイルランドの旅 27

9月11日が過ぎた。

時の流れと共に記憶も薄れていく。

国葬もやったもん勝ちで、終われば「素晴らしかった!」などという報道がたくさん流れるんだろうなぁ。

僕はこの件で彼の死亡が伝えられたと同時に「こりゃ絶対に国葬やるぞ」とテレビに向かって言っていました。

決して彼の生前を評価しているのではなく、ただなんとなくそう思っただけです。

僕ごときに手の内を読まれてしまう政治家なんてやっぱり頭すっからかんなんだろうな、と思ってしまう。

今になって「やっぱりやーめた」って言ったらどうなるんだろう。

エリザベス女王の葬儀とかぶったら面白かったのになぁ、なんていう不埒なことも思ってしまう。

反対派の多くはそう思っているだろうけど、僕は反対でも賛成でもない。こういうのコウモリっていうのかな。

反対派の人も無下に反対しているわけではなく、いつもやり口が汚く、あるいは本当に成すべきことをやらない政権にうんざりしているんだろうなぁ。

アイルランド、ゴールウエイ、現在16℃、今日は朝から雨。梅田から難波までは何キロくらいだろう?

2022年 アイルランドの旅 26

やっと日本がオープンするようだ。

ただ単に国葬をやりたいがため、支持率を上げたいがためという感じはするが。

マスクはどうなるだろう。まだまだつけていないと変な感じなんだろうなぁ。

この2ヶ月間ですっかり忘れてしまったけど。

話変わって、今朝買い物に出かけたら、いつも行くスーパーの入り口に若者が倒れていた。

倒れていたというよりも、ひょっとしたら死んでいるんではないか?と思うくらいの倒れ方だった。

数人が取り囲み、やがて警察官が来たが、どうやら彼は生きていたようだ。

顔が真っ赤になり、飲み過ぎか、それとも傷だらけなんかよく分からない。

あんまりジロジロ見るわけにもいかないし、遠巻きに見ていたが、水を飲まされていた。

もし酔っ払っているとしたら、アイリッシュだし一升瓶5本くらい一気飲みしないとあんな風にはならないはずだ。

その後救急車に運び込まれたみたいけど、あんな感じの若者がストレッチャーに乗せられたり、床に転がされたりして何時間も唸っているのを2015年のあの日に見た。

こちらは病院に連れて行かれてからが大変だ。

緊急性がなければ、扱いは牛、馬、豚と変わりない。ならば、最初から動物病院に行けばいいのに。

日本はその点幸せなのに、救急隊員に暴力を振るう奴がいるらしい。医者に恨みを持つ奴もいる。

あんまりこちらではそんな話聞かないような気もするが、知らないだけだろうか。

いや、彼らにもっと権限が与えられているのかもしれない。

アメリカでは、バスの運転手が乗客に「出て行け!」と怒鳴って蹴っ飛ばしていたことがよくあった。

中国人に絡んでくる黒人。バスの中で物乞いする奴。騒がしいガキなど、みんな運転手に追い出されていた。

日本は親切な国だなぁ、と感じることがよくある。

アメリカなんかで救急隊員に暴力なんて振るったら逆に袋叩きにあってその場に置いていかれそう。

日本がオープンするらしい、という話からとんでもない方向に向かったが、さぁ、これからまた外国人がいっぱい入ってくるかな。

2022年 アイルランドの旅 25

ミックとのセッションはパブも比較的静かでとてもいい感じだった。

6時の方がみんな出来上がる前で少しはまだ大人しいのかな。

終わってから、希花さんの仕事場の同僚たちがパーティーをしている、と言うのでそのまま出向いた。

目的は「月見」

満月の一日前、と言うことだったが、ちょうどいい時間、ゴールウエイ・ベイに昇る月は見事なものだった。

そう言えば、随分前、85年頃だったかな。イェール大学を卒業したあと、京都大学に留学していたアメリカ人の若者がいた。

その彼が、日本語ペラペラどころじゃないくらいに喋るのに満月を見て「あ、まんつきだ」と言ったので、初めて彼に「あれはマンゲツだよ」と教えてあげた。

そんな彼も今や国際政治学者として名を馳せているようだ。

話は戻って、これは日本人だけの集まりであったが全員職場では全て英語で仕事をしなければいけない。

そんな彼らもここでは日本語でのやり取り。

お月見、と言うことだったので、僕は前日から用意しておいた餡子を炊いて持っていった。

月見だんごも要る。

苦肉の策でご飯を柔らかく炊いてすりつぶし、片栗粉と混ぜて作った。

ネットというものは便利だ。

他にも彼らが用意してくれた唐揚げやお好み焼きなど、盛りだくさんのメニューがあったが、やっぱり昔ほどは食べられない。

しかし、ワインはさすが医者仲間なので、しかもヨーロッパ生活の長い人もいるので出してくるものがちょっと違う。

いや、多分ちょっとどころではない。

話をしながらいっぱい飲んだ。

気がついたら3時。

ここの住民(彼は若くして世界に名を馳せるほどの循環器系の医師・医学博士)はもっと飲みたそうにしていたが、おいとまする事にした。

彼は3時間ほどしたらまた仕事を始める、と言っていた。

アンドリューとはまた違うタフさだ。

2022年 アイルランドの旅 24

9月8日(木)歴史的な日になった。エリザベス女王の死去。

こちらの国葬は頷ける。

ちょうどマナス・マグワイアーが来ていて練習をしている最中でした。

少しは近いだけにこりゃ大変!と言う雰囲気がひしひしと伝わってきます。

そんな中、ミック・ニーリーからの突然のメール。

明日、チコリで6時から3人でできるか?と言うことだった。

希花さん、仕事場でミックと顔を合わせて、また今度はパブでミックと演奏をする。

かなりの腕前のフィドラーなので(ブズーキ奏者としても有名)これぞアイルランド生活だ。

因みにこのミック、漫画のTintinによく似ている、とみんなから言われているが、ゴールウェイ大学病院には無くてはならない存在であるらしい。

フランキーやショーン・マグワイヤースタイルのかっ飛ばしフィドラーで、結構すっとぼけたキャラなのでとてもそんな風には見えないが。

2013年の8月8日に初めて彼と演奏した、と記録にはある。

あの時、かなり僕らの演奏に食いついてきた彼のもう一つの職場に、いま希花さんが勤務しているとは…そんなこと想像もしていなかった。

2022年 アイルランドの旅 23

毎日、朝は7時から1時間、昼は3時から1時間、晩は7時から1時間(日によっては2時間)知っているだけでもそれくらいラジオからトラディショナルが流れてくる。

日本ではほとんどラジオなるものを聴くことがなくなったが、僕らの子供の頃、まだテレビが登場する前は娯楽はラジオだけだった。

「1丁目1番地」や「にあんちゃん」なんていう暗いものまで、そんなものを聞きながら食卓を囲んでいたなぁ。

あの頃の日本の首相は岸信介だった。国会を初めて「はだし」で歩いたのだ~れだ、なんていうなぞなぞがあったなぁ。

結局、この一族は国民のことを考えてきたんだろうか。疑問である。

今調べてみたら去年の9月のほぼ同じ日に、コロナを発端に政治家に対する不信感を書いている。

ありゃ、前の年にも同じ時期に政治家に対する不満を書いている。

結局、2年間はずっとそんなことに明け暮れていたのかな。

コロナをきっかけに彼らの無気力さを知り、それ以前からの嘘ばっかりつく姿勢にうんざりしていたので相当憤慨していたようだ。

今でも日本のニュースを見る度に、なんだかんだ言ってもこいつら平和な国でおとなしい国民相手で良かったよなぁ、と思ってしまう。

今は夜7時45分。ラジオからフランキー・ギャビンとポール・ブロック、チャーリー・レノンが流れている。

外はどうやら弱い雨が降っているようだ。

まだそこそこ明るいが、あと1ヶ月もしたらこの時間は真っ暗になるだろう。

そしたらパブにでも行かなけりゃ寂しくてたまらない人が増えるだろう。

天気が良ければ飲みに出かけるし、天気が悪くても飲みに出かけるし。

キアラン君、どうしているだろう。

2022年 アイルランドの旅 22

また面白い光景を見た。

いや、こちらにいたら決して稀な光景ではないが。

近くのタルト屋さんに救急車が止まっていた。

そこは僕の散歩コースで、僕はその救急車の後方から歩いていた。

また、こんなところで油売っているな、と思い、外に出ているテーブルに目をやると、そこでは数人の人がお茶を飲んだり、タルトを食べている。

因みにここのタルトはとても美味しい。

日本の某タルト屋さんのようにきめ細かく作られていないが、値段は半分以下で味もかなりのもの。

そんな人気店で、中をのぞいてみると、中で何か買っている様子もないし、中で座って食べている姿も見受けられない。

こりゃ失礼しました。お仕事かな?と思いながら運転席の横を通り過ぎたら…居ました。

中で2人仲良くアイスクリームを食べていました。

やっぱりなぁ。

日本も救急車はそろそろ有料化したらいいと思うが、それでは金のない人は助からない、という考えもあるだろう。

確かに、全ての人を助ける、という主旨の日本の医療からすればそういう理論になってしまう。

アメリカで一緒に働いていたメキシコ人の子供が2人、火傷をして救急車を呼んだら1人600ドル、計1200ドル取られて嘆いていた。

なんか今ではそれどころではないらしいけど。

これでは貧乏人は救われないということも事実だが、これも前出のように神の思し召し。神のなされることに何故?どうして?は言ってはいけない。

宗教は人を強くするのかひん曲げるのか…よくわからないですね。

宗教と政治はセットらしいのでやっぱりひん曲げるか。宗教とは関係のない僕もだいぶひん曲がってきたかな?

ま、日本とそれぞれの国の考え方の違いもあるのでしょう。

近頃、日本の救急隊員があろうことか、頻繁に被害を被っている、という話をよく聞くので、ついこんなことを考えてしまっています。

2022年 アイルランドの旅 21

久しぶりに虹を見た。というか、今回ここに来て初めてだったかも知れない。

もちろん出ているのに見なかった、ということもあるかも知れないが、今朝はいかにも虹のできそうな天気だった。

そういえばそんな感じの天気がここのところ少なく、よく晴れていることの方が多かったし、急に降り出しては晴れる、という天気があまりなかったようだ。

今朝は15℃くらいのちょっと肌寒い空で、昨夜から降っていたらしい雨で道が濡れていて、どんよりした雲の間から時折太陽が顔を見せる、それはそれは絵に描いたような虹チャンスだったかも知れない。

と言っていた矢先に急な雨。

なんか風が冷たくなってきたなぁ、と思っていたところに急な土砂降りというのは、自分でも予測がつく。

むかし、デルス・ウザーラという映画をナターシャーのスタッフとみんなで観に行ったことがあった。

自然と共存するデルス・ウザーラが、天候の移り変わりを語るシーンなど、美しい映像とともによく覚えている。

1975年の映画だったらしい。

ありゃ、すごく晴れてきた。驚き!これじゃぁデルス・ウザーラのようにはなれないなぁ。

2022年 アイルランドの旅 20

9月4日、日曜日、今日も涼しくていい天気だ。

夕方、ブライアン・マグラーから連絡があり、ギタリストを探しているけど空いているか?ということだった。

時間は夜の9時から。

場所はすぐ近く、歩いて5分ほどのチ・コリ。

フィドラーにミック・ニーリー。フランキーと分裂した後のディ・ダナンで弾いていた人で希花さんと同じ職場の人物。

ちょうどアメリカからダーシー・ヌーナンというフィドラーが来ていたが、彼女はサンフランシスコ、いや、オークランドかな。

とにかくジャック・ギルダー等と一緒に演奏することも多い、と聞いた。

なぜか僕もかなり前から名前だけは聞いていたかも知れないが、会うのは初めてだった。

後もう1人。カウンターで飲んではちょっとだけ座って、どえらい大きな声で話すおばさん。

時々コンサーティナを出してスライドなどを勢いよく弾く。知らない曲だと弾かないので全然邪魔にはならないが、

一旦弾きだすと声と同じく大きな音で勢いに乗る。そしてまた飲みに戻る。ケリーから来ているのかな、と思わせる勢いだ。

パブはこの上なくうるさかったが、多くの人が周りに集まって聴いていた。

その中で1人、若い東洋系の男の子がガールフレンドらしき(こちらはみるからにアイルランド人)女性と飲みに来ていて、僕はその見かけから絶対ハワイから来ているサーフィン関係の男の子かな?と思っていた。

演奏が終わり、外へ出ると彼らが話しかけてきた。

彼は純粋な日本人(神奈川県人)だった。彼女の方も流暢な日本語を話す人だったが、これから2人でダブリンに住んで仕事を始めるので、その前に少しの間ゴールウエイに遊びに行こう、と考えたらしい。

そうして僕らと出会ったのでなんだか嬉しくなって話しかけてきた、ということだった。

とても感じのいいカップルで、これからの生活も上手くいくことを祈っている。

そんな彼らと別れた後、ポツリポツリと雨が空から降ってきた。いや、小室等ではない。

この曲を聴いて「当たり前だろう。雨は空から降るんだ」と言っていたこともあったなぁ…。

夜中には一転して激しい雨音が響いていたが、パブの喧騒からは解放されて深い眠りに落ちた。

2022年 アイルランドの旅 19

今回は少し音楽のことでも書いてみようかな。

先日、ある曲をマナス・マグワイアーと一緒に演奏していて、Bパートの途中1小節だけ僕の知っているバージョンとは違っていた。

ほとんどの人は僕の知っているバージョンで演奏するので初めて聴いたパターンだな、と思いつつも、大ベテランだし、それでずっとやってきているのだろうし、

このバージョンも探せば出てくるか、と思い、魔の検索が始まった。

まずこの曲「Miss Thornton」を検索する。

最初に出てくるのが僕の知るバージョン。2つ目もそう。3つ目。あ、あった。因みに4つ目以降はまた僕の知っているバージョン。

してみるとこのバージョンはマナスの録音だけか?

そこで100ほどの録音物の中から聴けるものをかたっぱしから聴く。

そこで見つけたのがJames Morrisonの1921~1936に録音されたもの。

少しのバリエーションも非常に近いものがある。

また、以前のコラムの中でTom morrisonに関するこの曲の解説を書いた事があった。

1928年の彼の録音では、Ballinasloe Fair とこの曲をRoscommon Reelとして録音している、と書いてあった。

 こうして調べ上げていくことは、オールド楽器の出処を調べるのと同じように面白い。

発見した時の喜びに加え、例え一つの曲でも様々な観点から知ることができるいい機会になるからだ。

2022年 アイルランドの旅 18

もう9月だ。

やっぱり温暖化のせいで、普段の8月とは比べものにならないくらい好天に恵まれて暑いと感じる日があった。

ここも25℃なんていうのが当たり前になって、日本は40℃が当たり前の国になるだろう。

かなり前、天気のことばかり言うのは年寄りになった証拠なんて言う話を聞いたことがある。

確かに年寄りが集まると「今日は暑いでんなぁ」「寒おますなぁ」なんて言う感じかな。

さて、丸々1ヶ月が過ぎて、決して忙しかったわけではないが、思えばバタバタと過ぎて行ったような気もする。

この辺の道も歩き慣れてきて、何と、緑が多く空気が軽くて美しいところだろうと感じる気持ちが毎日のように湧いてくる。

比較的安全と言われているアイルランド だが、そりゃいろんな事も起こる。

僕は多くの国には行ったことはないが、アメリカや、ここアイルランド を歩いていてふと気がつくのは、やっぱり日本と違う歩き方をしているな、という事。

いや、足は右と左を交互に出しているが、そんなことではなく、周りへの注意である。

ここも結構狭い道がある。

田舎の、例えばアンドリューの住む辺りなどは、あの狭い道を80㎞くらいで飛ばしてそのまますれ違っている。

道脇の木々をバリバリいわせながら。

もし子供でも人でも出てきたらどうするの、と訊けば「神の思し召し。仕方ない」と普通に言っている。

ゴールウエイの街を歩いていればそんな事もないけど、やっぱり結構危険な感じもする。

9月に入り、学校も始まると朝方などは子どもを学校に送り届ける親の車で休みの時の倍ほどの交通量になる。

それに、夜などはこの国に来て酔っ払い運転に轢かれて人生を終わるのも情けない。

アメリカでは夢を追いかけて勉強をしていた若者があっけなく銃で撃たれて死ぬ。別に日本人に限ったことではないにせよ、もったいない。

とにかく道を歩いていて、アイルランドでは車社会、アメリカではそれに加えて銃社会、ということは常に頭に置いておかなくてはならない。

それでも気の抜けるときはあるし、歳のことも考えると、たまには気を張って生きるのは悪いことではないと思う。

年取ればとるほど周りにアンテナを張る訓練はしておきたいものだ。

それでなくとも思わぬところで引っかかってこけそうになったりするし。

2022年 アイルランドの旅 17 ゴールウェイに戻る

さて、最終日。と言うか今朝はこれからゴールウエイに戻ることになっている。天気も良さそう。

仕事に出かけるキアラン君に駅まで乗せてもらって7時45分発のダブリン行きの電車に乗る。

すぐ隣の4人掛けの席には高校生か大学に今度入るくらいの男の子が4人座っている。どこから乗ってきているのか、やたらと純朴そうな少年たち。

あちらの方で誰かが大声で電話をかけている。子供が騒いでいる。

4人はお互いに笑いながら参ったなぁ、と言う顔をしているが、本当に良い子たちなのか、嫌そうな顔をしない。でもきっと早起きしてきたんだろうな。眠たそうにはしている。

バグナルスタウンを出てから40分ほどしてからかな。電車が止まったまま一向に動く気配がない。やがて車掌が来て、メディカルイマージェンシーだと言う。

誰か倒れたらしい。

もうすでに救急車が到着しているが、ここでタラタラしているのはいかにもアイルランド。

つい先日も長蛇の列ができている1車線の通りの先のど真ん中に救急車が止まっていた。

希花さん曰く「ここで処置するんだったら車を動かせ。そうでなければとっとと病院に行け」確かに中で何かしているみたいけど、後方には20台ほどの車が連なっている。それを気にも止めないのがアイルランド人。まさか世間話?

普段待つ事をあまり気にしないアイルランド 人も、この時は流石に何人かは車を降りて、一体どうなっているんだ、と言う表情を見せていた。

それはさておき、僕らの乗った電車はかなり遅れてダブリンに着いた。

次の乗り換えには、時間通りに着けば25分あったがこれは渋い。隣の少年たちに「ゴールウエイに行くのか?」と聞いたら「そう」と言うので「間に合うのかな?」

と言ったら笑いながら「さぁ?」と言っていた。

電車はかなり微妙な時間、次の電車まで1分と言うところでダブリン駅に着いた。

僕が「走ったら間に合うかも」と言うと希花さんが「待っているはずだから大丈夫」と言う。

少年たちも4人で談笑しながら後ろを歩いてきた。

同じホームの向かい側、かなり向こうの方にゴールウエイ行きの電車が見える。向かっているとベルが鳴った。

あれ、動いているけど…あ、通り過ぎたけど…あれ~…?

少年たち、ニコニコしながら去ってゆく電車を見ている。

「あれだった?」「うん。あれだったみたいね」あっけにとられている僕らと少年たちの落ち着いた様子は正に日本人とアイルランド 人の違いか?

2時間後にまたあるから飯でも食べに行く、と少年たちは駅を出て行った。

時間通りにことが進む、なんて言うことは珍しいこの国で、よりによってこんな時に限って時間通りって一体どう言うことよ!

そんなこんなで色々あったが無事2時間ほど遅れてゴールウエイに着いた。

まぁ、何とかなるんだろうけど、それにしてもあの、乗るはずだった電車が目前を去っていく光景は忘れがたい。

乗るはずだった電車を苦笑いで見送る少年たちの姿もなかなかに忘れ難い。

2022年 アイルランドの旅 16

日曜日。曇っているが雨は降りそうにない。

近所のカフェ、と言うか、洋服も園芸用品も家具も売っていて、食事もできて、スウィーツも楽しめる、それでいてちょっぴりオシャレな場所でお昼を済ませて

今日は特に出かけずにゆっくりすることにした。

夕食は地元のチャイニーズレストランでテイクアウト。

受付に入って行くと隣のアンドリューもテイクアウトを待っていた。なんともバグナルスタウンらしい光景だ。

大体、外を歩いている人はキアラン君もほとんど知っている。「あいつ酔っ払い。あ、あいつも酔っ払い」なんてよく言っているが、向こうもキアラン君を見て「あいつ酔っ払い」って言っているだろう。小さな街だ。

2022年 アイルランドの旅 15

朝起きると、今日も快晴。サンサンと降り注ぐ太陽の下、ウサギがピョンピョン跳ねている。ペンギンはもうお出かけのようだ。

多分、早くにコケコッコ~があったのかもしれないが、あ、いや、そういえばもう居ないとキアラン君が言っていたか…。隣のアンドリュー、喰ったかな?

昼から今回の目的の最たるもの、ノエル・バークの工房に行くため、カーロウに出かけた。

ノックすると出てきた彼は、髪の毛をほとんど刈り上げて以前とは全く違う印象だったが、人の好さそうな笑顔は変わらない。

ここでまたアイリッシュ特有の1時間ほどの世間話が始まり、いよいよ弓を診て、じゃぁ、1時間ほどで戻ってきてくれ、と言うので、僕らは市内の青空マーケットに出かけた。

その後、カーロウの有名なドルメン(支石墓)を見学。以前、ここに住むれいこさんに連れてきてもらったことがあったけど、何度見ても不思議で、スピリチュアルなものだ。一体どうやってあの巨大な石を積んだんだろう。

1時間で戻ると、弓は出来上がっていて色々説明を聞いているうちにまた世間話が始まった。今度はそれでも30分ほどで終えて帰路についた。

夕食後、張り替えてもらった弓でご満悦の希花さんを中心に少し演奏をして、またワインとギネスで歓談。

12時消灯。

2022年 アイルランドの旅 14 バグナルスタウン

電車は少しの遅れでバグナルスタウンに着いた。こちらも快晴。

仕事先から直接迎えにきてくれたネクタイ姿のキアラン君と再会。

希花さんはこちらに住み始めてから一度来ているが、僕は3年目の再会だ。

一旦家に戻り、さて、ペンギンは?と探すが、どこかへ出かけているらしい。

しばし、変わっていない景色を眺めながらの相談が決まり、ここで有名なホテル、ロードバグナルスで食事をすることになった。

おれが払う、おれが払う、と何度も嬉しそうに言うキアラン君。そこそこ高くつくだろうが、お言葉に甘えることにした。

この辺の人がなにかお祝い事があったり、ちょっとオシャレに食事、なんて言う時に出かけて行くところだが、考えてみたらここぐらいしか無いかも。

僕らはずいぶん前にここでの演奏の仕事をレギュラーでいただいたことがあるので、オーナーもバーテンダーも顔見知りだ。

もちろん、キアラン君も来ているお客さんとあっちこっちで挨拶を交わしている。

ここも2年間、大変だったんだろうな。

僕はハンバーガーをオーダーしたが、その肉の厚さは想像をはるかに超えていた。と言うよりも、前にも食べた記憶はあるが、もうしばらくは日本サイズに慣れてしまっていたのかな。

どうやって食べたらいいんだろう、と言うくらいのものに、これ全部食べるのは不可能、と思われるフライドポテト(こちらではチップスと言う)が山のように付いてくる。

こんなもの小さい時から食べているから、キアラン君のようにケアーして細い体を保っていても、出てくるフルートの音色はそこはかとなく太く、また深い音になるのだろう。

希花さんのフィッシュ&チップスも皿からはみ出しているし、これでもか、のチップスが付いている。

お腹いっぱいになってコーヒーをいただいて家に戻ると、ペンギンがうろちょろしていた。

これで7匹も子供を産んだのか、と思うくらい小ぶりな猫だ。

日本の猫ではあまり経験しないが、僕のように初めて会う人にもすぐ近づいてきて周りでじゃれている。

おコメとコムギもそうだったのは、この広い空間で緑に囲まれた生活をしていると怖いもんなんかないのかな。

しばし、ペンギンの相手をしながら白ワインを3人で2本開けたところで、キアラン君、嬉しそうに今度は赤ワインを持ってくる。

そして3人でしばし演奏を楽しみ、また話をしながら、ビール飲むか?と言うキアラン君。

結局、1時半ごろみんな眠りについた。その間、ペンギンはソファの上でずっと寝ていた。

2022年 アイルランドの旅 13

8月26日(金)カーロウへの旅路。ゴールウエイを出て3時間でカーロウのバグナルスタウンに着く。今回の目的は二つあった。

一つにはキアラン君に会う事。そしてもう一つはまれかさんがノエル・バークに弓の毛の張替えをお願いする事。

あ、もう一つあった。キアラン君の猫、ペンギンに会う事だ。

あの「おコメとコムギ」はもう独立して何処かへ旅立ってしまったので、キアラン君の生徒さんたちが彼にプレゼントしてくれた子猫だ。

でも、もうすでにちょっと前の話。それに最近7匹も子供を産んで、それぞれもらわれていったらしい。

なので僕らが会えるのはすっかり大人になったペンギン。

今朝のゴールウエイはというと、正面から心地よく吹いてくる風は冷たく、背中に当たる陽の光はかなり暖かい。

川の水は美しく澄んでいて青空と流れてゆく雲を写しているし、鳥も気持ち良さそうに佇んでいる。

こちらがいい天気だと、東の方は悪かったりするが、どうだろうか。天気予報は…あてにならない。

2022年 アイルランドの旅 12

前回11では、別にアイルランドで書かんでもいいようなことを書いてしまったのでしきりに反省しながらも、やっぱり日本を出ないと気がつかない点や、新たに思う事柄などが出てくるもんだ、と自己判断しています。

以前、8月になると、ここアイルランドではもう夏は終わり、というようなことをさんざん言ってきたが、どうもこの頃はまだ夏かもしれない、という日がよくある。

今朝も歩いていて思わず上着を脱いだ。多分20℃に近かったんじゃないかな。少なくとも太陽の下では。

やっぱり地球規模の温暖化かなぁ。

朝も10時半くらいになるとすでに開いているパブの外のテーブルでもう何人もの人が飲んでいる。

本当に酒ありきの国だ。

酒の好きな人には本当にいい国かもしれないが、美味しいものを食べたい人には決して薦められる国ではない。

しかし、アイスクリームは薦められる。

初めてこの地を訪れて、アンドリューとツアーをした時の事。

夜中の2時頃、アンドリューが「ジュンジ、そこで99(ナインティナイン)買ってきてくれ」と言って車を止めた。

訳がわからなかったが「そう言えば分かる」と言われて「99二つ」と言ったら日本でいうソフトクリームにチョコフレークのスティックが刺さっていた。

クリームも日本のように綺麗に渦をまいているものではなく、これでもか!と言わんばかりにゴテゴテに積み上げたものだった。

さんざん演奏して、さんざん飲んできた帰りのアイスクリーム。

いや、それでなくてもかなり美味しい物だったので、それからは必ずこの99を買う事にしている。

もともとアイスクリームなる物、あまり好きではないがここは何度も言うように乳製品は美味しい。

北海道と似ているかもしれないけど、日本人の持ち合わせているきめ細かさとは程遠いものがあるので、どちらかと言うと僕は満足だ。

この歳になってもまだそこそこ食べられる僕としては。

そこで「酒」だが。

ウイスキーは嫌いでもないけど好きでもない。ウイスキーはお好きでしょ♪と言うcmを思い出した。僕はいつでも「いえ、別に」と答え、エリカ様になっていた。

日本酒もあまり好きではないし、焼酎も大して好きではない。

あ、そう言えば大関のcm出ていたなぁ。関係ないか。

かろうじてビールくらいなら最初の一杯は美味しい、と感じる。そう、美味しいと感じるかどうか、で言えばビールくらいだ。

それは発泡酒でもいいくらいなので、本当に好きな人に言わせれば邪道きわまりないのかもしれない。

また、そう言えばだが、日本で、ものすごく大きな焼酎のボトルを見たアイルランド人が「こんなのあるんだ。実に危険だ。アイルランド人だったら一晩で飲んでしまうぞ。これは驚きだ」と言っていた。

それ、5000mlくらい入っていると思うけど、確かに彼らだったら2人くらい寄れば一晩で終わるかも。

あんまり驚いて過去にも書いたかもしれないが、パイント8杯の後、ワインを2本ほとんど1人で空けて平然としている奴がいた。しかもそいつ、朝早く起きて普通に車すっ飛ばして歯医者に行くくらいなので、あり得る話ではある。

歯医者はたまったもんじゃない。

デシ・ウイルキンソンの曲でGentle Dentistというのがあったけど、誰かが「親切な歯医者なんてアイルランドには居ない」と言っていた。

方向を変えれば、酒臭くない患者なんてこの国には居ないのかもしれない。子供以外は。

今回は少しくらいアイルランドらしい話になったかな?

と思っていた矢先にぶち壊しのニュースを見てしまった。

せっかくアイルランドらしく締めくくれると思ったのに、また2階だか3階だかから国民を見下す老人が余計な事を吐いて胸くそが悪くなってきた。

仕方がない。いっぱい飲んで寝るか。

2022年 アイルランドの旅 11

昨日、希花さんとこんな話で盛り上がった。

人のつく嘘について。

というのが、あるアイルランド人。因みにミュージシャンではないし、ユジーンほどそんなに良く知っている人物でもないが、

まぁまぁ時々道でばったり会う人物。

全くちぐはぐな事を云う。

嘘ついてるの?それとも覚えていないの?それともかなりポジティブにそう思い込んでいるの?

そんなに重要なことを話すわけではないので、どうでもいいがこれは非常に面白い。

嘘もつき続ければ本当に聞こえてくる場合もあるし、本人もその気になってしまう、と云うことの典型だろうか。

それで思い出されるのが、やはり国会での虚偽答弁だ。嘘をつき過ぎて本人の中では本当のことを言っているつもりになっていたんだろうな。

そしてそれを見習うがごとく周りの政治家も平気で嘘をつくようになる。

ある記事によると彼の場合、子供の頃から嘘をつくのが得意な少年だった、という。

子どもの頃「嘘は泥棒の始まりだ」という言葉を聞いたが、もはや「嘘は政治家の始まり」だ。

ここ最近でも日本のニュースを見ていると、また嘘ついてるよ、と思う政治家の発言ばかりだ。

こんな話で盛り上がるのは無駄な事だし、それに、僕らの世間話の中の事だったらいいが、彼らの嘘は本当にタチが悪い。

タチが悪い事に関わっても何の得にもならない。

しかしながら、希花さんもここしばらくの間、その頭脳をフル回転させたのでたまにはこんな不毛な会話もいいだろう。

さて、8月も半ば過ぎた。

日本は少しぐらい暑さが収まっているみたいに見えるけど、どうだろうか。

ここではもう朝起きると寒くて上着が必要だ。

でも、何年か前のコラムで9月に数日間だけインディアンサマーがやってきたと書いている。(2014年9月3日~)

2018年8月のちょうど今頃にもそれらしいことを書いているが、いつやってくるかわからないからインディアンサマーと呼ぶ説もあるし、

他には、移住者が先住民との取引で自国とは違うものをつかまされたので、それを偽物だとした事による「偽物の夏」という説もあるそうな。

日本では小春日和という表記がなされるようで、もっと「ほんわか」したようなイメージ。

しかし、そこには移住者による先住民の大虐殺など、とても小春日和とは程遠い歴史がありそうだ。

ところでインディアンというとほとんどの日本人はアメリカインディアンを連想するだろう。インドの人はインド人だ。びっくりする人。

ここしばらく希花さんの周りはインドから来た医療関係者がかなりの人数いたみたいだ。

彼らをインディアンと呼ぶか、これは一般的日本人にとっては難しい。インディアン・ネイションあるいはアジアン・インディアン…あんまり言わないか。

先住民の場合はネイティブアメリカンとか、アメリカインディアン?これもなんか西部劇のイメージがある。

He is from Indiaと言われたら分かるけど He is an Indianと言われたらどうしても鳥の羽根と皮のパンツが頭に浮かんでしまう。

これ決して差別ではなく、僕ら日本人のほとんどがその程度の国際感覚だ、ということなんだろう。いや、僕だけ?

とにかくこんな事一つでもいろいろ勉強になるし、幅広く世界を見ることができるようになっていく。

そろそろ話をまとめなくちゃ。

最後に言いたいのはこれだ。よく聞け政治家!「インディアン嘘つかない」

2022年 アイルランドの旅 10

本当に山の天気だ。娘さんよく聞けよ♪

娘さん、というと何故か昔の感じがする。

ナターシャーの頃、高石氏が「道しるべ」と言っていたが「今は道路標識ですよ」と言ってみんなで大笑いしたものだ。

同じく娘さんというと、どこかおさげ髪に赤いほっぺの…モンペをはいたようなイメージがある。

戦後、結婚してすぐアメリカに渡ったスージーさんが「写真機持ってきた?」と言って「カメラならあります」と言った奴もいた。

そんな風に言葉も時代とともに変化していく。

えーっと、何の話だったかな。

そうそう、晴れていると思ったら急に降ってくる雨。そしてまた急に止む。かと思えば瞬間的に激しい雨。そしてまた晴れる。

その晴れ間を狙ってフランシスが連絡をくれる。

すぐ近くのパブで午後4時半からセッションだ、と。

その時間ならそんなに悪くない。以前、希花さんが行ったら、僕もよく知っているケビン・ホークがいたよ、と言っていたセッションだ。

彼はアンドリューのバンドでサンフランシスコに来たギタリストで僕も大好きなおじさん…いや、僕より若い人。

何となく今日はセッションというより、少しギネスでも飲んでゆっくりしたいな。たまには聴くのもいいかな、と思い、

ギネスをオーダーして、パブの入り口近くの青空テーブルのところでまったりしていた。

気持ちのいい天気。音楽もいい。

と、そこへメッセージが入った。かなこちゃんだ。

バンジョーのブライアンがギタリストを探しているんだけど6時からできる?という内容だった。

すぐ近く。楽器を取りに戻って出かけても15分ほどで事は済む。

ケビンやフランシスや他のメンバーに「ちょっと行ってくる」と挨拶して現場に向かった。

パブは例の「チコリ」あれ、ユジーンは今日はもう帰ったらしい。

演奏者の席にはブライアン・マグラーが待っていた。後バウロンの大きなおじさん。

そこにフランスからの観光で来ている母と息子。その10歳くらいの息子はこの上なく可愛い顔をしてニコニコしてフィドルを持っている。

一生懸命流暢な英語でみんなに話かけている。

セッションが始まると一緒に弾くが、多分知っている曲はサリーガーデンズとジョー・クーリーズくらい。

こちらが何をやろうが一緒に弾いているが、さすがにこちらの音の方が大きいのでほとんど聞こえない。

いや、聞こえたら大変だ。多分何をやってもサリーかクーリーズを弾いているからだ。

みんなに聴け、聴け、と言われてもニコニコして頷くがすぐにサリーかクーリーズを弾き始める。

こちらは御構い無しに次の曲を始める。聞こえないがそこでも例の2曲を弾いているんだろう。

母親はこれまたニコニコして大満足の顔をしている。

この親子、ブライアン・マグラーがアイリッシュ・ミュージックの中でどれだけ重要な人物なのか知らないのだろう。

セッションはブライアンと希花さんが強烈に引っ張り、僕も強烈にビートを刻んで2時間ほどで終えた。

バウロンのおじさんは体はでかいし、声もめっちゃデカかったのにバウロンはすごくおとなしかった、けど、いいプレイヤーだった。

終わると、あれだけ嫌がっていた彼らは少年に「とっても良かったよ」と言って褒めていた。

これ、やっぱり文化の違いかなぁ。

日本と違って、アメリカでもそうだけど、基本的に子供は「褒めてのばしてあげる」という事なんだろうか。

親子はとても喜んで帰っていったが、2人ともいや~参ったな、という顔をしている…ように見えたのは僕ら、日本人だけだろうか。

またまたパブのおごりのギネスを飲まされた。その前にすでに一杯ひっかけていたのに。

休肝日はいつになるだろうか?

2022年 アイルランドの旅 9

さて、いよいよアイルランドらしい天気になってきた。

これから先はどんどん季節が進んで行き、朝は9時でもまだ暗く、夕方にはもう4時にもなるとほとんど真っ暗。おまけに雨まで降る。

流石のユジーンも…いや、中で飲んでいるかも。

昨夜はまたフランシスのお誘いがあり、クレインバーで12時までセッションに興じた。

オーストラリアからのフルート、フィドル、マンドリンの3人組が加わって一層盛り上がった。

それより先に、ノクトンズという有名なパブで少しだけ飲んでいると、隣にきたグループのうちの1人が陽気に話かけてきた。

結構、音楽に詳しい人でフランキーのこともよく知っているらしく、ギターはDADGADか?なんて聞いてくるし、非常に盛り上がった。

困ったことに意気投合してくると必ず出る言葉が「もう一杯どうだ」

この後、和カフェ(現在は和すしに名前を変更している)のオーナーである早川さんと食事をするので、その前に軽く、というつもりが、こうなるとなかなか断りづらい。ハーフが結局1パイントになってしまう。

そして食事は希花さんの合格祝いと考えてくれた早川さんがシャンパンもオーダーしてくれたので3人でそれも1本飲み、そのままパブに向かった。

早川さんも朝からずっと働きっぱなしで疲れていたが、パブに入ると待ちかねたフランシスが「何飲む?」

これは例によってパブのおごり。もう半分寝かかっている早川さんも遠慮しながらジンジャーエール。

僕はギネス。希花さんもギネス。

オーストラリア人も加わって盛り上がった頃「もう一杯いこう」とフランシス。

バーテンダーが嬉々としてみんなの分を持ってきてくれる。

結局5時くらいから12時まで飲みっぱなし。ユジーンのことは言えないが、僕らなんてまだ可愛い方だろう。

でもそろそろアルコールを控える日を設定しないと。

いよいよアイルランドらしく…と書いたが、急にどえらくいい天気になってきた。風は冷たく、日差しは暖かい。

これでは晩御飯の後、一杯、ということに…三日坊主ならぬ3分坊主だ。

2022年 アイルランドの旅 8

非常に嬉しくて困ったことがある。

どういうことかというと、チーズが安過ぎるのだ。

同じグラム数のマスカルポーネ、日本で1000円となっているが、わずか1ユーロ。

こうなるとつい手が出てしまう。

ふと横を見ると、200グラムのチリチェダーの塊が1ユーロちょっとで売っている。

これもついつい手が出てしまう。

カマンベール、エメンタールもやはり日本の10分の1ほどの値段だ。

この国の乳製品の安さは分かっていた事なので何を今更、という感もあるが。

その他、聞いたこともない名前のものや、絶対買わない苦手なものまでそのコーナーは見ていて飽きない。

あまり期待はせず購入するが全て、まったく文句のつけようがない。

これだけ購入するとやはりそのままワインコーナーに走る。

そこでワインだが。

アイルランドでは比較的ワインは高いような気がする。

いや、ワインだけでなく、ウイスキーやビールもそんなに安いとは思わない。

因みに、ともすればJamesonなどは日本の通販の方が安く買えるみたいだ。

色々考えてみたが、もしかするとアルコールはパブやレストランで飲め、ということなのかな。

それ以外の理由は思いつかない。

そうしてこの国のパブ文化が守られているのかもしれない。

今日は8月16日。

京都では五山の送り火が盛大に催されたようだ。

友人たちが次々にそれぞれの家から見える画像や動画を送ってくれた。

その光景は、京都に長く住んだ僕にとって何とも説明がつかない感情を抱かせてくれる。

様々な催しがある中、この五山の送り火は格別だ。と言いながら、当時は毎年必ず拝ませていただいた記憶もない。

演奏に出かけていた事もあっただろう。あまりに近い存在で気にも止めていなかった年もあろう。

今、こうしてアイルランドに居ながらにしてその灯を見ると一層感慨深いものがある。

京都の友人たちに感謝だ。

2022年 アイルランドの旅 7

友人がパブの入り口でゆったりと椅子に座って飲んでいた。

時刻はお昼の12時をちょっと回ったところ。元々赤い顔が真っ赤になっている。

僕を見つけるなり「お、ジュンジ、ちょっと座れ。なに飲む?ギネスだな」

こうして買い物帰りだった僕にとっての予定になかった一杯とお話が始まる。

でも、やっぱり良いものだ。

ちなみにこの友人の名前はユジーン。いや、本当です。

同じ日、時は移って午後5時半頃。

別な用事で同じ道を歩いていると、驚いたことにまだユジーンが飲んでいるではないか。

同じパブ、同じ席で。

しかし今度は周りにたくさん飲んでいる人がいたので上手いこと気がつかれないようにして帰ってきた。

いったい何杯飲んでいるんだろう。

おそらく11時頃から18時くらい、いや、今はまだ暗くなるのが遅いのでひょっとすると、もっと長居するのかもしれない。

もうあそこ、うろうろできないなぁ。逆に飲みたい時、手ぶらで行ったらいいか。おいおい!

アイルランド人には心臓疾患とかが多いので、ペースメーカーなど埋め込む技術もかなりのものらしいけど、

やはりそれで死ぬ人も多い、と聞いている。

でも、結構長生きの人も多いのはストレスを抱えない生活によるものじゃないか、とユジーンが言っていた。

彼はもうリタイアしている人だけど、そうでない人も必要以上に仕事やお金のことは考えず、パブで楽しく飲んで一生を終えることができたらどんなに幸せだろうか、というのが基本的な考えなのかな。いや、決してそんなことはわざわざ考えないだろう。

「あなたにとって音楽とは?」「え~と…考えたことないな」マーク・ドネランの言葉そのものだ。

2022年 アイルランドの旅 6

こちらでは8月15日の朝。終戦記念日のはずだが、日本ではもう過ぎている。

昨夜、一週間の天気が大逆転するように雷とともにかなりの雨が降った。

ひっきりなしに空が光り、電気を消していると時折部屋がものすごく明るくなり、しばらくしてゴロゴロと。思わずへその確認。

朝にはすっかり止んでいたが、アイルランドらしいどんよりした1日になりそう。

これからはランチを忘れても傘は忘れるな、という気候かな。いや、傘なんかこの国の人には必要なかったか。

恒例の散歩に出掛ける。

10分ほど歩いた大きな教会の敷地に公園があり、川が流れ、その川辺の広場にちょっとしたエクササイズマシンが並んでいる。

先日ノエルが「あそこにあるマシンは効くか?」と言っていた。

ちょうどばったりノエルと出会った時、その直前に見つけて少しトライしたばかりだったので「まぁ、子供も遊んでいたくらいだからそんなに大したことないけど」と言っておいたが、真剣にやると次の日は少し効いている。

そのうちまた遭遇するかもしれない。

川にはカモやカモメがいっぱいいる。

澄み渡った水と緑の芝生で遊ぶ鳥たち。あまりに美しい光景なのでついついスマホを出してしまう。

大量に撮った写真は、やはり空気が澄んでいるせいかスマホでも驚くくらい良い色合いに見えるが、やはりそれなりのカメラだったらもっと良い写真が撮れるだろう。

ところで、そのマシンがある公園の近くに気持ちの良さそうなカフェがある。

朝から多くの人が、と言ってもコメダのようなものではなく、ローカルの小さいカフェ。

とにかく多くの人がテイクアウトをしたり、少しのあいだ外のテーブルでまったりとしたり。大学病院の近くということもあり、多くの医療関係者なども利用しているんだと思う。

そんな中、カフェの入り口に救急車が止まっている。

ふと見ると、救急隊員が2人でコーヒーを飲みながらタバコを吸って談笑している。

これ、日本だったらアウトでしょ。

先日、土曜の夜、と言っても7時くらいか。電車に乗ってゴールウェイに戻る時だが、ゴールウェイの一つ手前の駅から若い女の子が大量に乗ってきた。

これから都会のクラブでブイブイ言わせるんだろうなぁ。

しかしその格好たるや日本だったら完全にアウト。ビーチじゃないんだから。ハロウィンでもないし。

いくら埼玉から東京に遊びに行くにしてもあれはアウトだ。

あ、いや。これ言ったらアウトかもしれない。

てなことを考えながら、やっぱり国の常識の違いというのはなかなかに埋めがたいところがあるし、政治家と国民の常識の違いも埋めがたいところがあるなぁ、と…そこに行くか?

ところで終戦記念日。毎年僕は何か書いているが、結局今だに庶民は「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぎ」そうして生きているように思えてならない。

2022年 アイルランドの旅 5

アイルランドに来てから早くも2週間が過ぎようとしている。フィークルの大爆発の後の疲れはもう飛んでいるかな。

このところどうやらヒートウェイブが来ているらしく、日向に出ると暑く感じるがそれでも25℃あるかないかくらいで、日陰は寒さを感じるくらい。

ただ珍しくこの上ない良い天気が続いている。しかも夜9時くらいではまだ明るいし、その頃には15℃くらいを行ったり来たりしているので、朝散歩に出ても

晩ごはんを食べたらまた散歩に出かけたくなる。

昨日は道でばったり出会ってしまったのがノエル・ヒル。

1時間ほどの散歩のつもりが、一緒にシャンペンやビールを飲んで話し込んでいる間に12時近くになってしまった。

ま、こう言うことは日本でも有り得るけど、アイルランド人の話し好きは格別かもしれない。

どんなに急いでいても誰かとばったり会ったら長々と話をする光景は今までに何度も見ている。それが例え明日にでも会える人、ともすれば数時間でまたすれ違うかもしれない人でもしっかりと話をして別れる。

ともすればそのままパブで一杯。

自分が急いでいたことなど忘れてしまうのか、あるいは人生そんなに急がなくても、と思うのか、いつも急いでいる僕には想像がつかないけど、もうそろそろ見習っても良いかもしれない。

今日は8月11日。広島も長崎も過ぎ、終戦記念日も近くなってきた。

ところで、北の国のバカはまだ駄々こねているのかな。

聞く耳を持つ、と豪語していた人は何も聞かずに国葬に突っ走るのかな。

パパ活とか言われてたやつ、まだ仕事もせず給料ふんだくっているのかな。

転じて、大谷の快挙は素晴らしい。彼が高校時代から注目していたので本当に嬉しい。素晴らしいことだ。

希花さんの一発合格もなかなかの快挙だ。今まで英語で生活してこなかった人間としてはまさに快挙と言うしかないだろう。

最近はアンドリューとの会話も成り立っている。確かにあんな患者さんが来たら、と思うと良いサンプルにはなっているかも。

メンタル的にもかなり変わったやつがミュージシャンの中には多いし。僕なんかいたって普通だ…と自分では思っている。

ところで昨夜に引き続き、またノエルに遭遇した。

カフェで優雅に朝食を食べていたところを通りかかってしまったのだ。もうコーヒーに移行していたところなので、まぁ座れ、と言われ、また30分ほど話し込んでしまった。

サンサンと降り注ぐ太陽の下、ちょっと日陰になったパティオでひんやりした風に当りながら、なんとも贅沢な時間だ。

2022年 アイルランドの旅 4 フィークル

3年越しのフィークル・フェスティバル。

8時半からペパーズでアンドリューとの演奏が控えている。

今年は珍しく信じられないくらいの好天気の中、

世界中から集まった人たちと「どうしてた?」と言うようなやり取りでのっけから盛り上がる。

アンドリューの家の周りも、この村も、ちっとも変わっていない。

各パブのオーナーの笑顔もちっとも変わっていない。

10年の間、夏には必ず訪れていたこの村とプツンと途切れてしまっていたけど、彼らの笑顔を見るとそれだけで気持ちが落ち着くようだ。

演奏はいつも通りアンドリューのかっ飛ばしで始まり、浴びるほどのビールでそのまま2時過ぎまですっ飛ばす。

さぁ帰るぞ、と言う段階になり、それでもしばらくはまだ騒いでいる人たちと歓談をし、家に着いたのはもう3時を回った頃。

キッチンでおもむろに紅茶を淹れてじっと飲み干す姿を見ると歳いったかな?と思うがこちらも同じだ。

この中で一番若いはずの希花さんも流石に久しぶりの大爆発で疲れているようだが、いつ倒れるかわからない2人の面倒は何となく観なくてはいけない使命感があるのだろう。

老人2人は大好きなブルースを聴きながらまだ生きている。

結局、眠りについたのがもう4時半近く。

フィークルに降り注ぐ星に思いを馳せて誰のいびきも聞こえてこない静かな夜。いびきをかく間も無く全員眠りに落ちたようだ。もちろん僕も。

次の日8月7日は夜、マナス・マグワイアーとのセッションホスト役。

世界中から集まるこの音楽の愛好家達を引っ張っていく仕事なので1人くらいアイルランド人がいなくちゃまずいだろう、と考えた末に、

希花さんが普段からお世話になっている医者兼プロフェッショナルミュージシャンの彼にお願いした。

セッションではノース・カロライナから来たと言うフィドラーが実に巧みな演奏を聴かせてくれたので、彼と共にオールドタイムチューンも

楽しんだ。

マナスもアメリカでブルーグラスの大御所、リッキー・スキャッグスやブライアン・サットンなどとCDをリリースしているので、そちらの方面にも明るい。

そんな彼らのおかげでとても質の高いセッションを保つことが出来た。

ホストがしっかりしていて、周りに集まる人がしっかりと聞く耳を持っていれば自然とセッションはいいものになる。

あまりに気を使いすぎてもだらだらしてしまうし、こちらだけが楽しんでもダメだし、その兼ね合いを心得ているとみんなが楽しめて、なおかつ高度な演奏を展開することが可能だ。

この日、実は午後3時からアンドリューと別な場所で演奏していたので、このセッションは4時間ほどにしておいた。

役割は12時までなのでそれで店側もちょうどいいはずだ。

それにしてもアンドリューと4時間、マナスと4時間。かなり疲れている。おまけに前日の就寝4時過ぎというのも効いている。

その上、浴びるほどのビールだ。

しばらくは体を休めなくては老体に鞭打つことになる。

2022年 アイルランドの旅 3

約一週間前に日本を出た時はゾッとするくらい暑かった。今日は8月4日。

ここゴールウェイはなかなかの天気だ。良い天気という意味で。気温は13℃ということ。

風が冷たくて日差しが暖かい、という理想的な気候だ。

昨夜は、昼に一旦別れたフランシスとちょっと一杯飲むか、ということで待ち合わせをした。

一応フィドルとパイプを持って、バスで街まで出て来たので、近くの有名なパブに行ってみた。

もちろん、オーナーも昔からよく知っているところだが。

2階ではアンダース(アコーディオン奏者)が7~8人のミュージシャンに囲まれてセッションも佳境に入っていた。

ちょっと眼で合図をしてから下の階にいくと、フランシスがバーテンダーと何か話している。

そこの空いている席で演奏してもいいか?と訊いて来たらしい。

これが、なかなかアイルランド人でないと出来ないことだ。

そしてバーテンダーが快く承諾してくれ、驚くことにパイントを買いに行ったら「店のおごりだ」という。

これでは下手な演奏は出来ない。

さぁ始めようとした時、隣の席にいた集団の中からおじさんが立ち上がり話しかけて来た。

「何ということだろうか。あんた知ってるよ!俺シカゴから来ているんだけど、20年くらい前にパディとフランキーとシカゴに来ただろう」

世の中狭いもんだ。

僕らが演奏を始めると多くのオーディエンスが寄って来た。そしてフランシスがもう一杯いくか?と立ち上がり、バーテンダーの方に向かい、

戻ってくると「これもおごりだそうだ」と嬉々として言う。

こんな風に奢って店の方は大丈夫かな、と心配になるが、隣のおじさんのグループ6人くらいは一体何杯目なんだろ。

そんなグループや、1人でフラフラしながら飲んでいる人がワンサといるパブにとって、大切なミュージシャン達に酒を出すのは当たり前な事なのかもしれない。

結局、2時間ほど演奏して店を出ると、まだビールにうしろ髪を引かれている様なおじさんがヘロヘロになって話しかけてくる。

めんどくさいので「帰りは気をつけて運転して帰れよ」と言っておいた。

もちろん近所の常連さんだろう。もう自転車にも乗れないくらいフラフラだった。

こちらもフランシスのおかげで気持ちのよい晩を過ごすことができた。

今は4日の午前10時半。日差しが降り注ぎ、冷たい風が吹き、緑一杯に囲まれて流れている川の堤防の様なところで、サギらしき鳥が佇んでいる。

昨夜も同じところにいた様な気がするが、まるで毎日朝と言わず晩と言わず、同じパブで見かけるおじさんのようだ。

2022年 アイルランドの旅 2

今は8月の3日、水曜日の午前5時少し前。といえども3時頃から眼が覚めてしまっている。ひたすら寒い。

こんな時間に眼が覚めたのには時差ボケとは無関係な理由がある。

昨日、希花さんのイギリスでの医師国家試験の結果発表があり、その様子を聞いて僕も興奮していたのかもしれない。

少なくともこの1年余りは朝8時から夜中の12時まで勉強に費やしていただろう。

なんせ日本生まれ、日本育ちの日本人と言う元々のハンディみたいなものがある。

そこにもって来て一発合格という快挙だ。

知らせを受けて泣き崩れた、という彼女にとってのこの1年、もしかしたら2年余りの血の滲むような努力の場面が走馬灯の様に蘇ったに違いない。

その間にもCDを作り、演奏をして来たのだから間違いなくこれは快挙だ。

その大きな知らせの後、僕のインスタグラムに、ある男からメッセージが入った。

2011年に約10年ぶりにフィークルで再会したフランシス・ダガンだ。

ゴールウェイに住む音楽一家。家はグローサリーストアーで家族全員が楽器を演奏する一家の次男坊。

この夏はアイルランドに来るのか?と訊ねて来た彼に、今ゴールウェイに居るよ、と返信したら、明日の朝セッションしよう、なんていう返事が来た。

偶然にも彼の実家は車で10分ほどのところだ。話は早いはず。

そんな二つの事柄が重なったせいかな。3時間ほどしか眠れていない。

帰って来たらよく寝ないと…と言いながらなかなか昼寝もできなかったりする。

希花さんのおめでとうパーティも企画しなくちゃなぁ。

フィークルでもやるか。

何と言っても、ここゴールウェイとフィークルは彼女にとってそれぞれ2人の人命を救った場所。

そんなことを考えているうちに少し明るくなって来た。5時45分か。ちょっとだけ横になるかな。

2022年 アイルランドの旅 1

7月29日 金

ダブリン到着。気温16度、くもり。朝8時15分発ゴールウェイ行きのバスに乘る。景色は全くと言っていいほど変わっていない。

思えば70代になって初めての長旅。トータルで18時間ほどのフライトは少しこたえたかもしれない。

飛んでいる間にも、もう少し北のほうではバカが戦争なんていうものを始めて、それがまだ続いているんだなあ、と考えていた。

こうしていろんな民族と共にいて、いろんな国をまたいでいると、否応なしに僕らではどうしようもない事案が世界では起きている、ということを感じざるを得ない。

ところで懸案のマスクだが…やっぱり飛行機の中は一応それなりにみんなつけていたようだ。

だが、ダブリンに着くなり、僕だけになった。バスの中も僕だけ。ゴールウェイを歩いても僕だけ。

さて、買い物に行こうか、と考えた時、どうしようかな?と思ってしまう。そして一旦外へ出ると、やっぱり何か忘れ物をしたような感覚になるが、

誰もつけていないので、まぁいいか、という感覚さえ忘れてしまう。

そんな1日目。13時間も寝てしまった。

7月30日 土

朝から結構な雨。それらしい、アイルランドらしいと言えばそれまで。まだ眠たいような身体のだるさはあるけど、何かしなくてはだるいのを引っ張るだけになってしまう。

来週末のアンドリューとのギグに備えて弦でも交換しておこうか、などと考えながら、少し昼寝したほうがいいかもしれない、とも思う。

なんだかお腹も空かないし、やっぱり若い時の旅とは少しばかり違うのかな?

昼近くなると雨が止んだようにも見えるけど、日本と違って道行く人の状況を見てもわかりやしない。

なんせ、雨の中でも平気で傘もささずに何か食べながら歩く人たちだ。

外に出て見るとやっぱり普通に降っているが傘をさす人はいたって少ない。びしょぬれになった犬を連れて散歩する人もいる。

コーヒーショップの店先で座ってコーヒーを飲む人がいるが、コーヒーには間違いなく雨が入っている。

変わった人達だ。

とりあえず今日は一日雨のようだし、身体もまだだるいのでもう少し静かにしていよう。

7月31日 日

日本ではもう8月に突入している。ここ、アイルランドは8月になればもう秋だ。

4時には目が覚めたが、昨夜頑張って10時過ぎまで起きていたので、時間としてはそこそこ寝たのかな、と考えると時差ぼけによる早起きとは違うようだ。

今はもう5時過ぎているが外はまだ暗いのでこれからの天気はわからない。

この街はカモメの鳴き声と川のせせらぎがなんとも心地よい。もちろんロケーションによって多少の違いはあれど、やっぱり日本の都会とはかけ離れたものを感じる。

毎度思うことだが日本にはなんでもある。少なくとも物質的には。

だが、都会育ちの僕にはそれも当たり前になっている、ということも事実だ。

それにしてもテレビのない生活の心のゆとり、みたいなものをここ3日だけでも感じる事が出来るのは、自分にとっていいことのような気がする。

今頃日本では、芸能人と呼ばれる人たちが馬鹿騒ぎをし、大食いみたいなものを競い、有名どころを使うだけの医療ドラマ…などが腐る程放映されているのだろう。

お、そろそろ6時。まだどんよりしているけど東の空が明るくなってきたので今日は晴れそうだ。

午前7時、近所を散歩。マスクは要らないが上着は必要だ。日本の冬の入り口という感じ。

8月1日 月

今のところ晴れ。朝早くから目が覚めてしまうと、もうTシャツでは寒い。

ゴールウェイに来て最初に出くわすのは誰だろうとずっと考えていたが、そんな中、声をかけてきた人がいた。これは昨夜の事だが。

クレアのバンジョー弾き、ポラック・マクドナーだ。

なんでも今晩5時半からアコーディオン弾きのコナー・コノリーとセッションだから来い!と言う。コナーも良く知る人物だ。

セッションは珍しく時間通りに始まって、ポラックの落ち着いたバンジョープレイと、コナーの滑らかなボックスプレイがたまらなく気持ちいい。

久しぶりの感触だ。

パブはマスクも何も関係ない人たちで埋め尽くされ、雄叫びが聞こえ、次から次へとビールが運ばれてくる。流石に4パイント目はちょっときつい。

でもオーナーが嬉しそうに『店のおごりだ』と言いながら持って来たり、わざわざ買ってくれる人がいたり、そんな訳で飲まないのも失礼かな、と思ってしまう。

そんな風にして時間が過ぎ、さぁ、帰ろうかと思ったところにやって来たのが、ブライアン・マグラーとミック・ニーリー。

これでは帰ることは不可能だ。

それでも途中まで付き合って戻って来たのが10時頃。決して遅い時間ではないけれど、久々の人ごみ、久々の押し寄せるビール、久々の力強い音楽で疲れも頂点に達している。

もちろん久々の長いフライトが効いているんだろうけど。

今週末はフィークルなので、多分朝まで帰れないだろう。

これから先はこの様な日記形式ではなく、飛び飛びの更新になると思うけど、また、フィークルの報告や、珍しい人に会ったとか、おもしろいものを見たとか、

そういった事があったら、生きている証しとして書き続けていくのでよろしくお願いします。

現在13℃です。

2022年7月 もう一つの大きな出来事

七夕の日、希花さんがマンチェスターから遠路遥々戻って来た。

天の川を越えたんだろうか…。

その日か…時差があるので何とも言えないが、ジョンソンが辞任した。

あっちの方は大変だったが、一息ついた後、日本でも予期せぬ出来事が起きた。

安倍元首相狙撃、というニュースが飛び込んできたことは大きな衝撃だった。

僕は彼を散々嘘つき呼ばわりしてきたので、正直なところ大嫌いだった。

日本ではこのようなことは起こらないんじゃないか?もしかしたら籠池氏でも刺し違えるんじゃないか、程度の事は考えていた。

なので、こんなところになにか書くのも…と思いながら、散々言ってきた責任上、何かを自分のためだけにでも残しておいた方がいいのかな、と考えた。

確かに大きな力を持った政治家であっただろう事は否めないが、同時に世紀の嘘つきであっただろうことも否めない。

なので、政治家と言う輩は「平気で嘘を言える」「権力の下で何でもしたい放題」「金さえあればいい」「適当にあしらっておけばそのうち国民は忘れる」「まずくなったら逃げ込む病院がある」…枚挙に暇がないが、そういうものだろう、という印象を与えた人物の最たるものでもあった。他にもいっぱいそういうせこい輩は存在しているが。

警備の問題や、日本では銃による襲撃は想定外だった、云々いろいろあるだろうが、その辺りは専門家に任せよう。

確かにアメリカでは銃声もよく聞いたし、空に向けて発砲しながら走る警官も見たし、その時には見事にまわりの通行人は伏せていた。

慣れてきたら僕も伏せるようになった。

平和と安全ほど尊いものはないが、ともすればいとも簡単に壊れる。100年かけて作りだしたものでもたった数分、数時間もあれば破壊することは簡単だ。

このような言い方もどうかな、と思うが、政治家としては見事な最期だった、とも言えよう。

理想的、とも言えよう。

箸にも棒にも掛からぬ輩が多い中、あのような最期を遂げるとは…。

が、いわゆる「もりかけ」「さくら」全て墓に持って行ってしまった。

これを検証、追及するだけの力が野党にあるとも思えないし、死者にむち打つのは良くない、という風潮もあろうかと思う。

しかし、これは決してうやむやにされることではないと思うが…。

それにしても、もはやマスメディアは、彼がどんなに素晴らしい人だったかを躍起になって語っているし、ある特定の宗教もやり玉に挙がっている。

段々、いろんな話が出て来るなぁ。

でも、好き嫌いは別として冥福を祈るのは悪い事ではないという気持ちである。

2022年は暑い

朝早く西から登った…あ、いや、東から登った太陽を窓越しに観ていた。

どこかでみた光景…という事をこのひとつ前に書いている。

このごろは少しましになってきているが、蒸し暑いことは確かだ。

近所のスーパーに居るベトナム人のニャンちゃん(名札にそう書いてある)が「ベトナムも暑いけど、こんなに湿気は無い」と言っていた。

先日、外は暑いけど多少風があるので、窓を開けたら大音響で自分の名前を連呼するバカが居たので仕方なしに窓を閉めてクーラーをつけた。

電力逼迫回避に協力しようと思った僕の努力が無駄になった。

見返してみると、去年も同じような時期に同じような事を書いている。

今年の、特に昼は少し静かなように感じるが…元々無いやる気が、更に暑さで追い打ちをかけられているのだろうか。

因みに今、窓は開けているがテレビの音は聴こえる。

さて、暑い中、結構マジに掃除をした。

掃除は大好きなのでやたらと毎日毎日しているが、今日、トイレのカバーの裏側を拭いていて、あることを想い出して笑えてきた。

省ちゃんがある日「じゅんじ、聞いてくれるか?今日ボンネットの裏洗ったんや」

どういう意味だったんだろうか。

でも、すごく嬉しそうに言っていたが、褒めていいのやら、え!と驚いてやったらいいのやら、よく分からなかった。

その後でお母ちゃんが一言「省悟、たまも洗ったか(あろうたか?)」と…勿論タイヤの事ですよ。

そんなつまらないことを想い出してクッククック笑いながらトイレもピカピカにした。

水回りはとても大切なので汚れたりしている事は有りえないのだが。

いつ頃からこんなにも掃除が好きになったのか分からないけど、ピカピカになった床やピカピカになった蛇口とか見るのが大好きだ。

省ちゃんも結構、ピカピカする物が好きだったけど、頭の毛が薄くなってきたことは気にしていた。

タクシ―の後部座席で「なぁじゅんじ。ずっと帽子被ってばかりいると禿げるらしいなぁ」ふと見ると、深々と帽子をかぶった運転手さんの素の写真は見事に…。

すかさず肘で小突いた。

トイレのカバーからしょうもないことを想い出したが、彼、今頃天国のドアでも磨いているかも。

タイトルとはほぼ無関係ですね。

2022年7月

暑い暑い群馬県は久保田さんのところ、スペース結。

いや、もう暑いのは群馬県だけではない。

朝早く起きて東京の空に昇る朝日を観た途端、想い出した光景があった。

アブダビからドバイに向かうバスの中からみた太陽。

詳しくは分からないけど、ほぼ、空気感が一緒。日本も中東と変わらなくなってきた、という実感が湧いた。

今日は久保田さんをリードボーカルに迎えて、ナターシャーセブン・ソングをたっぷり歌う、という会。

一部にいくつかオールドタイムやブルーグラスのものを演奏したかったので、産業大学後輩の(6年後輩だと思っていたら12年だった)川俣君とのデュオで25分ほど。

そして今回、そのむかし、省ちゃんとよく替え歌として歌っていた「朝日楼」の歌詞を急遽この日の為に創り上げ、久保田さんの登場へとつなげた。

久保田さんもお元気そうで、FBで見かける時のように酔っていなかったので、声にも張りがあり良いボーカルを聴かせていただいた。

こんな風にナターシャーセブン・ソングを伴奏したり歌ったり、と言うのは川俣君には初めての経験だったかもしれないけど、もし、楽しんでもらえたらそれが一番。

僕も楽しませていただいたし、久保田さんも楽しそうだった。

何もかもが変わってきてしまいそうな今日この頃。

こうしてまた集まって…欲を言えばみんなも一緒に歌ったりできるようになればいい、と思うけど、なかなか難しいですね。

ある程度大きなコンサートなどはもうあちらこちらで催されているようだけど、逆にこういったアットホームな少人数、選ばれた人だけ(?)という会だとそれはそれで難しいこともある。

それでも一年に一度くらいはやろうか、みたいな話をしながら奥様の美味しい料理を頂いて、また楽しいひと時を過ごさせていただきました。

暑い中、足をはこんでいただいた皆さん、ありがとう。またいつか濃厚な時間を共有しましょう。

とにかく、心と体を丈夫に保ち、元気にこの暑さを乗り切りましょう。

僕は今月末、アイルランド行を予定しています。

アブダビ経由。もはや日本のどこか一番暑いところと変わらない…暑いぜアブダビ!です。

2022年6月25日 京都産業大学ブルーグラス研究会

6月と云うのに異常な暑さ。

40℃超えたところもあるという事。中東かよ!と突っ込みたくなる中、開催された同窓会。

こちらも熱く盛り上がりました。

場所は宝が池のホンキ―トンク。

産大時代にはしょっちゅう行っていたボウ矢谷さんのお店。お元気そうで良かった。

先輩から後輩まで…学生としては中退したのですが、ブルーグラスは濃厚なものでした。

そんな僕は2代目。初代のバンジョー弾き、酒井さんや、僕の代でベースを弾いていた野口さん。

恐らく先輩として今回会えたのは彼らくらいだったかな。

誰だかが透析中だという話。

産大は学生運動が無かったので、当時やっていなかった投石を今やっているんだね、なんていうしょうもないギャグを言わずに飲み込んだ。いや、言ってしまったかな?

声をかけてくれた木内君をはじめ、名前を挙げればきりがない後輩たちが本当によくしてくれて感謝、感謝。

川俣君ともJunji & Gunjiの練習をちょこっとやらせてもらったり、フィドルを弾く、彼は在学中なのかな、一緒にアイリッシュチューンもやらせていただいたり、と、本当に楽しいひと時でした。

入り口には亡くなった方達の写真が飾られていて、彼等に対するリスペクトも忘れない素晴らしい仲間たちの集まりだという事がよく分かりました。

最後はBlue Ridge Cabin Home  Angel Band そして恒例のFoggy Mountain BD

2年に一度開かれているこの会にもこれで3回参加させていただいているのかな。

2016年の3月3日と、2018年の2月25日(会は24日)に産業大学ブルーリッジの記事をコラムとして書いていました。

とに角、久々にみんなのブルーグラス愛を感じることが出来て本当に嬉しかった。

みんな元気でこれからも活躍してほしい。

本当に有難う。

デニス・カヒル

あれは1993年頃だったかな?ファーストアルバムをリリースしたばかりのマーティン・ヘイズがサン・フランシスコのプラウ&スターズに登場した。

ギタリストはランダル・ベイズ。

僕はぎっしり詰まった客席の前から3番目くらい、ほとんどかぶりつき、という場所に居た。

アルバム同様、モーニング・スターから始まった素晴らしい演奏。

マーティンもさることながら、借り物のヤマハのギターを弾いていたランダルの素晴らしかったこと。

終了後、少しマーティンと話をし、そしてランダルにDADGAD?と訊くと、そうだよ、とにっこりして答えてくれた。

それからほどなくしてデニス・カヒルが相方としてバークレーに現れた。

この音楽には精通していなかったデニスのデビューは、まだまだ僕には満足いくものではなかった。

ギタリストとしてはミホー・オドムナルをよく聴いていた僕は、その流れでランダルの様なプレイの方が性に合っていたのかも。

マーティンとデニスはかなり前からの音楽仲間であったらしいが、このスタイルはまだまだ実験段階のように感じた。

しかし、徐々に二人の演奏はがっぷり四つに組むようになってきた。

その頃にはどこのフェスでも一緒になる事が多く、彼ともよく話をするようになった。

「いやぁ、大変だよ。覚えることが多くて」なんて良く言っていた。

ある日、彼等のコンサートがプラウ・アンド・スターズであったのだが、確かデニスが最初の奥さんを事故で亡くした直後だったと思う。急遽、僕がギターを弾くことになった。

事前に向かいのイタリアンレストランでピザを食べながら、曲の相談などを軽くした。

「あんまりぶっ続けにやるなよ。身体が持たないから」「いや、大丈夫だよ。気楽に行こう」

なんていう会話をして、さていよいよ始まり。

パブには入りきれないほどの人が今か今かと待っている。

初めてあんたを観た時、俺はあの辺に居たんだよ、なんて彼に言ったら面白そうに笑っていた。

やがて、チューニングを始めると、それだけで騒がしかったパブが静まり返った。それから先は…心配した通り、20分ほどのセット。次から次へと曲が繫がる。

そして、乗ってくるとひとつの曲を5回も6回も弾き、髪を振り乱し、徐々に近づいてくる。時間と共に魔物とも云える変貌をとげていく。

デニスが、覚えることが多くて大変だ、と言っていたけど、どうやらそれだけではなさそうだ。この終わりの見えない嵐のような演奏に付き合うためにはよほどの精神力が必要なのだろう。別な意味で「嵐を呼ぶ男」だ。♪おいらはフィドラー♪

2011年から毎年フィークルのフェスに出掛けていた。

デニスはギターのワークショップを担当していたが、ある年のワークショップでこう言っていたそうだ。

「みんな、このフィークルにいる間にジュンジのギターを聴け」

僕は常にアンドリューと共に演奏していて、それはそれは兄弟の様な演奏ぶりと良く言われていた。

彼がどうしたいか、どんな事を望んでいるかが手に取るように分かった。

ひょっとして、あの初めてのデニスの登場からすると、今やもうマーティンにとってデニスはそんな存在だったのだろう。

あまり詳しくは書かないが、2015年にフィークルに演奏に来ていた希花さんが、デニスの命を救った。

その5時間ほど前「よーデニス。お前いくつになった?」「俺、もう60だよ」「そうか。お互い身体には気を付けような」なんていう会話をした。

その後、僕らはイデル・フォックスとのギグがあり、その時、司会の女性が希花さんの事を「彼女は医者の資格も持っている」と一言入れたことで彼の命が救われたのだと思うと、なかなかに奥深い。

その翌年、命の恩人に挨拶に来たデニスが言われていた「これからは毎年きちんと健康診断にいくのよ」

いや、実際こう言ったかどうかは分からないが、とに角身体に気を付けるようには釘を刺したようだ。

ここ最近になって彼の事をまた聞くようになったので、ちょっと心配していた希花さんが心情を語った。

「あの時、自分の持っている知識で何とか彼を救うことが出来たけど、誰だっていつかは死ぬんだし…複雑だなぁ」

今日、持っている知識を全て使い、渾身の力を振り絞って、助けた命が明日どうなるか分からないって、それは医者にもどうしようもできないことだ。

恐らくデニスの死に関しては、多くのミュージシャンやファンの人達が感じている喪失感とはまた違う視点から、彼女は複雑な気持ちになっているに違いない。

90年代半ばからのこのデュオは至高の芸術だったと云えるだろう。

マーティンに寄り添ってきたデニス・カヒル、素晴らしい芸術家であり、愛すべき人物だった。

肉、野菜

最近、肉を食べている老人は元気だ!という事が良く言われている。

肉を食べているから元気なのか、元気だから歳とっても肉を食べられるのか…段々玉川さんのようになってきた。

これはあくまで僕の考えだけど、若い時は出来るだけ野菜中心に務め、歳と共に肉もすすんで食べる、と言うのはどうだろうか。

結局のところ食のバランスと体質なのかな。

体質の方はどうしようもないので、自分の体のことを出来る限る理解したうえで、バランス良く食事を取る、という事しかないのかな。

朝食は取らなければいけない、と言うが、朝はコーヒーを飲めば充分、ということになってしまう。

なので、少し早い目に昼食をしっかり食べて(その時に肉を取り入れる、かな)晩御飯も早い目の時間に軽いもので済ます、と言うのが理想的だと考えている。

なかなかそんなうまい具合にはいかないけど。

さて、アイルランドではどうだろうか。

野菜、という観念がほとんどない。

というか、食というものに関心がない。飲むことには興味津々。

ある高名なフルート吹きがマクナマラ家に泊まっていた時、アンドリューが面白そうに言っていた。

「あいつ、朝からソーセージ6本も食べたぜ。死ぬぞ」

かく云う本人もハムサンドくらいしか食べない。それもハムとチーズしか挟んでいない。

それでも片手に携帯、片手にギネスを持ってこけそうになった時、迷わず携帯を落としてギネスを守ったくらいの奴だ。

そうは言えども、アイルランド全体を見れば、多少は健康志向に転じている部分もあるようには…見えなくもない。

しかし、面白いことに、そんな国なのでやたらとペースメーカーは普及しているし、埋め込む技術にも長けているらしい。

そのくせAEDみたいなものは限られたところにしか無い。もう何が何だかよく分からない。

ま、アイルランド人の事はおいといても、食のバランスと云うのは大切だと感じる。

しかし日本は牛肉、高いな。

いつでも食べられるのは政治家くらいか。

そう言えば「あいつ、いつまでも悪態つきながら長生きだなぁ」と感じる政治家が数名いる。

高い肉、喰っているんだろうなぁ。もったいないなぁ。

アイルランドの旅から振り返る10年  #10 ~エピローグ

2019年、この年は先ず、韓国の仁川に飛んだ。そしてアムステルダムを経由してダブリン。

猫はすっかり大きくなっていたが、すぐ膝の上に乗っかってきた。

この年、希花さんが注文していたノエル・バークの弓が出来上がって受け取りに行った。世界的な弓職人ノエル・バークがなんとカーロウに住んでいるとは偶然だ。

送ってもらわなくても取りに行けばいいのだから。

そしてまた、フィークルで歌えや踊れの大騒ぎ。

アンドリューを始め、カレン・ライアンもアイリーン・オブライエンもマーク・ドネランもジョセフィン・マーシュも、とことん素晴らしい演奏家だが、こういうところで聴くことに価値があるのかもしれない。

あの爆発ぶりは日本に呼んだとしても再現されないだろう。

実際に目の当たりにした、高橋竹山の津軽公演、というところだろう。

毎日、昼から始めて、家に戻ったら朝の3時~4時。しかも何杯のギネスを飲んだのか記憶にもない。

また、この年初めてカウンティ・ミースを訪れた。2014年に知り合ったファミリーに再会するために。

その時はゴールウエイで、このファミリーの息子がバンジョーを弾いていたのだ。何度かそれからも出会うチャンスがあったのだが、とに角、家に来い、とずっと言われていたので、やっとそれが叶ったわけだ。

ミュージシャンファミリーではない、ごく普通のアイルランドの中流家庭との数日間は、また別な暮らしを観た、という感覚だった。

下の女の子が(10歳くらい)「あたしの友達が日本のポップスが大好きなの。BTSって知ってる?」と言っていた。希花さんが「それ韓国じゃねぇ?」と言っていた。

帰りはその韓国に立ち寄って、小さなコンサートとワークショップとセッションで韓国の素晴らしい仲間たちにお世話になった。

この旅のレポートの最後に、身体さえ丈夫だったら、また2020年アイルランドの旅という記事を書いているだろう、と記していたが…。

~エピローグ~ 以上、既に書いてきたアイルランドの旅のダイジェストを通してこの10年間の動きを振り返ってみた。

今、希花さんは医学の道を真剣に進み始めた。

しかし、それでもアイルランドにいる以上、音楽仲間との繋がりはますます広がって、沢山演奏も出来ているようだ。

僕も、今年は3年ぶりにアイルランドに出掛ける。純粋に音楽の為だけに。

周りの同年配には身体の調子が悪い人も一杯いるし、気を付けなくてはならないけど、僕は相変わらず虫歯もない。特に痛いところもない。沢山食べたらすぐ太るので要注意。

そんな事を言っていてもいつ何時、内藤先生のお世話になるか分からない。いや、お世話にはなりたくない気持ちもある。

10年の間、アイルランドで通用する底力のあるフィドラーになるようサポートしてきたので、これからは世界で通用する医師となるようにサポートしていく。

10年か。過ぎた10年は短く感じるけど、これから先の10年を考えると結構長い。

因みに、地球の寿命はあと14億年と云われている。それまでに生命は消滅する、とも。

しかし、たかがここ数年、色んなことが起きて世界はこれからどうなるのか見当も付かなくなってきた。

我々としては自分のやるべきことを普通にやって、できる限り健康を保ち、お世話になった友人たちに感謝して生きていくしかない。

この10年が次の10年に繋がりますように…。

余談だが、BTSの活動休止が社会現象になったらしい。

ストーリーとしては「アメイジング・グレイス&チャック」のようなものだったら面白かったのになぁ。

アイルランドの旅から振り返る10年  #9

またまた2018年。今度は夏。

この年は初めて香港経由のフライト。降り立った空港はなんかアジアの香りがした。

「優の良品」なんて書いたお店があった。なんか無印っぽいお店。

この年はなんと、キアラン君の住む小さな町、バグナルスタウンでレンスター・フラーがあるという。そこそこ大きなイベントだ。

それよりも(と云えるかどうか分からないけど)僕らにとっての大きなイベントは、友人から生まれたばかりの子猫をもらう事だった。友人から生まれたわけではない。日本語は難しい。友人から、と、生まれた、の間に「、」があればいいのか…。

あ、生まれたばかりの子猫を友人から…と言うのが正しいのか。

まぁとに角、真っ白な小さな子猫が、雄と雌の二匹。アイルランドらしくワインの箱に入って届けられた。

おこめとこむぎ、と名付けることにした。Paddy& Brigitteとかいうよりいいだろう。

フラーではまたまたギターのワークショップを担当した。

いろんなレベルの子、そして幼いころからアイルランド音楽に慣れ親しんでいる子…当たり前か。

しかし、かなりのレベルのパイパーやバンジョー弾きも居たが、やっぱりギターは別物かもしれない。何故こうなるか、という理屈抜きのセンスと云うものがいかに大切で難しいことかがよく分かる。後は和声の知識と感覚か。

この年、アイルランドでは7月15日になんと28日ぶりの雨が降った。地球規模の天変地異だ。

岐阜県の多治見の気温が世界第3位だったらしく、とうとうドバイを抜いたらしい。こりゃたまげた。

7月20日からチェコのプラハに出掛けた。希花さんはウイーンの友人に会いに行った。

8月8日に希花さん、初めてモハーの断崖に立つ。真っ青な空と冷たい風。絶好の観光日和だった。

そしてフィークルでは初対面のトニー・オコネルとのセッション・ホスト。彼とはとても良く演奏が絡み合い、後に彼の家にまで出かけていくことになる。

フィークルで11日にシェーマス・ベグリーに捕まって長いセッションが始まった。彼の大好きな「上を向いて歩こう」を演奏し出した時は既に12日。偶然にも1985年の、あの大事故の日だった。

この年初めてノエル・ヒルに連れて行ってもらった、カウンティ・ダウンのストラングフォードという街は生涯を通じて最も美しい景色の処だったと云える。

そしてこの年はベルギーにも出かけて行ったんだなぁ。

初めてマカフェリのギターを弾いた。その音のアイリッシュに向かない事と言ったら、何というか、箸でスパゲティを食べる感じ。スプーンで味噌汁を飲む感じ。

訳わかめ!意味ふみこ!

今回も、コークやブロスナなどを含め、様々な場所に出掛けて行っては良いミュージシャンたちといっぱい演奏ができたし、忙しい年だった。猫もすくすくと成長していった、

僕も成長できただろうか…。

アイルランドの旅から振り返る10年  #8

2018年、この年は春にもアイルランドを訪れた。アブダビからベルギーに飛んだが、そこで待ち合わせ時間が長かったので、アントワープの駅を観に行った。

あんまりこういう事では感動しない僕でもその美しさに目を奪われた。

カーロウに着くと、また素晴らしい緑に囲まれて、当たり前のことだが、またいつもの朝がやって来る。コケコッコ―の後、ウサギが走り回り…。そして、なんだか北朝鮮が盛んにミサイルを発射している、というニュースを見ながら、この当たり前の朝が普通にやって来ることがなんと素晴らしいことか、なんて思っていた。

日記には、核戦争なんて起きたら…とも書いていた。

また、春ということもあり、セントパトリックスディもあったので、キアラン君の住む小さな町、バグナルスタウンでの小規模なパレードにも参加した。

小規模なだけに、沿道には知った顔ばかり。小規模なだけに、凄く恥ずかしかった。そして次の日、なんと3月18日は大雪がこの辺を襲った。

サマータイムが始まる一日前の24日はティム・エディのコンサートの前座としてキアラン君と3人で演奏した。

そうそう、ギターのワークショップをしたのもこの年だったがこれはとても難しい。やっぱり教える、というのはまた違う才能なんだろうな…っていつも感じている。だがいい経験にもなる。

帰りはベルギーに寄り、また素晴らしい景色に見惚れてしまった。

ヨーロッパの建造物というものには、そのセンスの良さをたっぷりと感じ、何とも言えない美しさをこの上なく感じるが、外国人が日本のお寺や神社を見ても同じように、また違った感覚に浸るんだろうなぁ。

アイルランドの旅から振り返る10年  #7

2017年7月31日、午後11時過ぎのアブダビはまだ35℃以上あった。さっきまで45℃だったらしい。

翌日のダブリンは13℃…身体、大丈夫かなぁ。

この年には着いてすぐ何と、デイナとの再会もあった。偶然にもカーロウに来ていたのだ。

Why Carlow?だ。そしてコークではパイパーのオーイン・オリービーとも再会。

また、ジャッキー・デイリーとも。こちらは初対面だったが、素晴らしい演奏を楽しんだ。

John Sheehanとの出会いもこの年だった。

様々な人との出会い。そして再会。

もうすっかりカーロウにもゴールウエイにも馴染んできてしまった。

アイルランドの旅から振り返る10年  #6

2016年、この年から滞在先がカウンティ・カーロ―に変わった。

イミグレイションで「カーロ―に行く」と言うと「Why Carlow?」という決まり文句が飛び出すくらいの処だ。

いや、イミグレイションだけではない。アイルランド人の全てが発する言葉、と言っても過言ではない。さしずめ「なぜ埼玉?」…かな?

キアラン・サマーズの家。周りは緑、そしてまた緑。

朝起きて庭を見るとウサギが数匹ピョンピョン跳ねている。かと思えば、突然キツネが現れてちょこんと座っている。

それよりも前にどこかのニワトリがコケコッコ―、牛がモー、羊がバー。

なんとのどかな環境だ。

ここからいろんなところに出掛けて行った。

ミルタウン・マルベイでは久しぶりにトニー・マクマホンに出会った。もう演奏は出来ない、と語っていた彼に「いつまでも胸の中に残っているよ」と伝えた。

永六輔さんの訃報を聞いたのはこの年だった。

フィークルではアルバム「Through the Wood」のCDラウンチをやらせていただいた。

そしてこの年8月9日から初めてブリタニ―を訪れた。

また、セッションなるものを覗いてみたり、ましてやバスキングの様な事を全くやらなくなったのもこの年くらいからかな。

アイルランドの旅から振り返る10年  #5

2015年.この年から中東をまわってのフライトを利用した。安かったからだ。

この年になるとゴールウエイでの生活にも慣れてきたし、仕事もしょっちゅう入るし、ラジオでも僕らの演奏が流れたり…と普通にゴールウエイのミュージシャンの一員のようになってきたようだ。

街を歩いていて瀕死のカモメを救ったりしたのもこの年だ。

そして、何といっても人命救助!この年、希花さんは2人の命を救った。

彼等は、希花さんがあの日、あの時間にあの場所に居なかったら、2015年で人生を終えていたはずだった。良かった、良かった。

去年、亡くなったフランのパブにみんなで集まって追悼の演奏をしたのもこの年。アイリーン・オブライエンとアンドリューが明け方まで大騒ぎしていた。

調べてみたらゴールウエイの教会でのコンサートに出演し出したのは2012年らしい。だが、ほとんどレギュラーメンバーとなったのはその翌年くらいから。

2015年は本当によく出演していた。そして、その合間をぬっていろんなところで演奏を重ねていた。

それにしても帰りに寄ったドバイの暑さは強烈だったが、今や日本もあまり変わりはないようだ。

アイルランドの旅から振り返る10年  #4

2014年、晴れて医師免許を取得した後の旅。3か月の滞在。

ゴールウエイの、以前から気になっていた楽器屋さんに入り、レコーディング・キングの比較的安めの5弦バンジョーを購入。

フルート奏者のエディ・モロニーの息子のお店だ、ということを知ったのもこの時。

そして、この年からゴールウエイの日本食レストラン「和カフェ」の2階にあるアパートを借りてそこを拠点にして動くことを決めた。

パブに行くにも、どこか他のカウンティに行くにも、ちょっとした買い物をするにも最高の立地条件だった。

ブレンダンに連れられて北アイルランドのフェスティバルに参加。ここでもセッション・ホストを務め、素晴らしい環境と素晴らしいミュージシャンに囲まれた3日間を過ごすことが出来た。

また、北アイルランドに限らず、ブレンダン・ベグリーとのギグをあっちこっちで沢山こなしたのもこの年だ。

そして、初めてマット・クラニッチの家を訪れたのもこの年。マイケル・コールマンやパディ・キロラン等の古い録音をたっぷり体験させてもらった医師の卵、希花さんにとっても意義のある旅になっただろう。

先日、訪れた沖縄、北谷でレストランをオープンしたあゆむ君と出会ったのもこの年。

かなり動き回った3か月間だった。

旅の最後に近づいたころ、アンドリューの家で過ごした数日は、僕に「あ~、ここから始まったんだなぁ」という感情を呼び起こさせてくれたものだ。

アイルランドの旅から振り返る10年  #3

2013年、この年もパリを経由。そしてギターが出てこなかった。ま、遅れて来たけども。良くあることなのでもうあまり驚かない。

この年の一番の経験はスタート直後、ブレンダンに連れられての大西洋夜行航海だった。これはアイルランド音楽を演奏するためにはこの上なくいい経験となった。

そろそろ医師国家試験の勉強も真剣に始めないといけない、という希花さんの事情もあり、この年は比較的短い滞在だったが、それだけにかなり濃い内容だった。

セッションでも引っ張りだこになり始めていたし。

アイルランドの旅から振り返る10年  #2

2012年、ダブリン空港。珍しくちゃんとギターは出てきた。これからの行動は未定だったが、ブレンダン・ベグリーからの電話でミルタウン・マルベイまで急遽出かけることになった。

そこでジョン・ヒックスに久しぶりに会った。それが、彼の来日のきっかけになったのだが。

そしてここでもケリー・ボーイたちにえらい目に遭わされた。

3日ほどの滞在の後、ほうほうの体でエニスに向かうと、ここでまた懐かしいニーヴ・パーソンズに会った。どうやらジョセフィン・マーシュが僕へのサプライズとしてセッションに内緒で呼んでくれたらしい。

そして、サンフランシスコからの友人であったサラ・コリーの家に泊めてもらい、シャワーにナメクジがいたのが希花さんにとって怖かったらしく、次の日には逃げるようにリムリックに向かった。

そこで久しぶりにジェリー・フィドル・オコーナーと会い、イデル・フォックスやゾーイ・コンウェイ等とセッション。

そこで初めて観た(聴いた)マナス・マグワイヤーと今、希花さんは一緒に演奏している。 ドゥーランでもゴールウエイでも、懐かしい顔や、新しい人達との演奏を楽しむことが出来た。

そして、またアンドリュ―の家で宿泊。

この年に初めて希花さんをフランのパブに連れて行った。僕が初めてアイルランドを訪れた時から行き続けた小さなローカルパブ。

また、この年からセッション・ホストの仕事が舞い込んでくるようになった。

アイルランドの旅から振り返る10年  #1

~プロローグ~ 2010年、僕はアンドリュー・マクナマラの家に居た。お母ちゃんもまだ健在だった。僕らがふざけ合って弾いているチューンに合わせてステップを踏んでいた。

その年、希花さんと、この家で会っている。

アンドリューが「変わった顔した子だな」と言っていたが、多分日本人の顔は眼が細くて吊り上っていて…とかそういうイメージだったのかな。

2011年からデュオとして出かけることになった。

そしてこの年にブレンダン・ベグリーを紹介している。

僕が彼と初めて会ったのは99年かな、アンドリューと二人でケリーに行って夜通し、えらい目に遭った時だ。

このえらい目と云うのを希花さんにも味わってもらわないとアイルランド音楽もうわべだけのものになってしまう、と確信していた。

そのブレンダンとの待ち合わせの時間を潰している最中にトミー・ピープルスと再会。動くトミー・ピープルスを初めて見た希花さんがしばしポカンとしていた。

そして怒涛のフィークル。パブに居ても、B&Bに居てもセッション、またセッション。

寝る暇がない。食べるものも大したものはない。それでいてとても充実した日々。

ゴールウエイではフランキーを呼び出して3人だけの鬼気迫るセッションも。

別の日には、あるセッションでメアリー・シャノンに気に入られてパブの梯子をした。

まだまだ駆け出しのデュオだった。

銃規制

決めつけるのは良くないが、絶対に無理だと思う。

おそらく世界中の良識ある人がそう思っていながらも、何とかしなければ、と感じているだろう。

大体、人間が存在する以上武器は無くならない…くらいのことは誰でも知っている。

減らすことは出来ても、今まで100持っていたものを1にしたところで危険度が減るだけで、使ってしまえば同じことだ。

ライフル協会の幹部が全員撃ち殺されても「ほら、やっぱり銃があれば応戦することが出来たはずだ」という理屈になるだろう。

僕はアメリカで身近に銃の存在があることを知ってきた。

テキサス、テネシーやヴァージニアでは冷蔵庫と同じくらいに各家庭にライフルが有ったし…いや靴と同じくらい、という方が正しいかな。ピストルだって何丁も有ったし。

コルト45は僕も撃ってみた。普通の家の倉庫で。

普通の人が持つ分にはいいけど、その普通の人が急変する場合もあるし、そうなると何が普通で何が異常かわからない。

どうもよく分からないのが、殺傷能力の高い銃とか非人道的兵器とか。

人道的な兵器って?殺傷能力が低くても撃たれたら痛いだろう。死ぬかもしれない。

人間の愚かさを正すことが出来るのは人間しかいないのだろうけど、ある一握りの愚かすぎる人間はもはや誰にも正すことは出来なさそうだ。

アメリカではかなり前「朝、学校に出掛ける子供を抱きしめよう。そうしないと2度と戻ってこなくて後悔するかもしれない」などと言うキャンペーンがあったが、あの頃とあんまり変わっていない。

銃規制も、ついでに議員の行動規制も無理な相談なのかもしれない。

ランドセル問題

近頃、話題になっているランドセルの話。

キャリーバッグスタイルにした方が体への負担は軽くなる、ということ。

僕らの時代とは違って、どうなんだろう。教科書なんかも沢山あって確かに重いんじゃないかな、とは思う。

両手が空いて転んだ時に危険度が減る、というのも分かるが、僕らがデイパックを担ぐ時もあまり重くならないように工夫した上で両手がフリーになって便利だ、と考える。

そうしてみると、子供の体重と大人の体重、そして荷物の大きさや重さを考えてみたら、いくら両手が空いていてもちょっと負担が大きすぎるかな?ということも分かるかもしれない。

今はどうなっているのか知らないけど、やっぱり全部持って行って、全部持って帰るのかな?もし、そうだとしたら、その辺って変えられないのかな?

実際、どれくらいの重さを持って行っているのか知らないので、そんなことでへこたれるな!なんていう軍隊みたいなことは言いたくはない。

電車の中で爺さんばあさんに席を譲らずにガキが座っていたら「起立!」とは言いたくなるが…。

今回の一連の報道を見ていて、どうも抜けているところがあるような気がしてならない。

大事なことはそのキャリーバッグスタイルのものをどう転がすかをきちんと大人が教える事だろう。

街でもそのようなバッグをおもいきり引きずって人ごみの中を歩く大人が一杯いる。

傘を振って歩く大人もいっぱいいる。

商店街の人ごみを平気で走り抜けていくウーバーイーツもいっぱいいる。

僕は常日頃思うが、臨機応変にここではこれはいかんだろう、とか、ここなら大丈夫だろう、とかいう事を大人が子供に教えるべきだと思う。

ほんの5~6歩で渡れるところに歩行者用信号があっても、止まらなくては危ない場面、止まったほうが車に迷惑がかからない場面、また、なにも来ていないのに止まらなくてもいいんじゃないか、さっさと渡ったほうがいいんじゃないか…なんて言う事も、しつこいくらいに子供たちに教えてあげたらいいと思うが。

でも今どきは余りにも危機感の無い大人が多すぎるし、周りに気を遣う大人も減ってきている。

そんな中でせめてこのランドセル問題。キャリーバッグはズルズル引きずってはいけない、他の人の迷惑になるし、と教えてあげるとか、担ぐんだったら中身を年齢に合わせた重さにしてあげるとか、考えるところは色々ありそうだ。

誤送金

今回の誤送金事件。

使った奴もさることながら、長いこと放っておいた生ぬるい役所にも突っ込みどころはいっぱいある。

もう散々語りつくされているだろうから何も僕がわざわざいう事ではないが、この事件で思い出したことが有った。

かなり前のことだが、アメリカでの一件。

東海岸に住むある日本人の話。

ある時、日本から20万円の振り込みがあった。彼はアメリカに住みながら色んな情報を日本の或る雑誌社に提供していたので、その原稿料だったのだろう。

振込伝票を見て彼はぶったまげた。

なんと20万円のはずが20万ドルと表示されていたのだ。

さて、彼は部屋の中を動物園の熊のようにあっち行き、こっち行き歩き回ってしばらく考えたそうだ。

どうしよう…どうしたらいいか…黙っていようか…いや、それはまずいだろう。でもこれもらったら美味しいなぁ。

そうだ、ちょっと友達に相談しよう、と思い立った彼は西海岸に住む親しい友人に電話をかけてみた。

「20万ドル間違って振り込まれたんだけど」即かえってきた返事はこうだった。

「それおろしてすぐにずらかってこい!!」

友人もすごく真面目な奴なのでこれは冗談だという事が彼にもすぐ分かったのだが、そんな話があった。

これ、だれかに聞いた話ではなく、直接本人から聞いた本当の話なので、今回の事件で思い出したけど、そんな事ってあるんだなぁ。

因みに、彼はすぐに銀行と連絡を取って、間違いだという事を伝えたらしいです。

しかし、今回の事件。

恐らく10人中9人くらいはこんな金額だったらビビッて返すと思うけど、よりによって残りの一人のとんでもない奴に当たったもんですね。

町の人口がどれくらいか知らないけど、かなり「ビンゴ!」という命中率。

いやぁ、世の中面白い。

明日ATMに行ってみようかな?

あれから42年?

何気なくカレンダーを見ていて、あ、もしかしてそろそろ木田ちゃんの事故があった日かな?ということに気がついた。

40年以上って凄いなぁ。

あの日、僕と省ちゃんは永さん、坂本九さん、そしてもしかしたら松島とも子さん等と一緒にどこかの離島コンサートに出掛けていた。

その帰りに飛び込んできたニュースだった。

ひょっとして最終日、大分空港に向かうホバークラフト乗り場で、だったかな。

省ちゃんと二人でずっと「嘘やろ」という結論をひねり出していた。

アメリカではHippo(カバ)というニックネームで呼ばれていた木田ちゃん。

新幹線の食堂車でカレーライスを注文すると必ずと言っていいほど3口で食べてしまう。

「こんな少ししかないんだ。見てろよ。3口で喰ってやる」と豪語していた。

タップダンスを習いに行っていて、その帰り。

半ズボンにタップシューズというスタイルがかっこ悪すぎて忘れられない。

だって、面倒くさいじゃん、とすっとぼけて言っていた。

なかなか独特な面白さを持った人だったなぁ。

ギターとかベースとか弾いたことがないのに「ちょっと待ってね。5分…よし、やろう」

と言ってレコーディングしてしまう。

「こういうものは雰囲気だから」とか言いながら、ちゃんと演奏してしまう。

今でもよく想い出すのがハワイでのレコーディング。

何故か、僕と彼と二人で「道」を唄う事になった。

一発録音だった。

イントロのギターに続いて木田ちゃんの口笛。もうその時点で笑いそうになってしまう。

なんかあの人面白い。

何度かやり直して…あれは夜だったなぁ。10時くらいに始めたかな。

やっと笑いも収まって、コリャ最後までうまくいくかな?と後奏にまで来て、木田ちゃんの一声「ハレル~^^♪」で大爆笑してしまった。「ハイ、やめ~」

しばし休憩したが、頭の中に彼のすっとぼけた「ハレル~」がぐるぐる回っている。

でも。気を取りなおしてなんとかお互い頑張った。そう、彼自身も自分の「ハレル~」がおかしかったようだ。

結局、終わったのが1時過ぎだった。

僕にとって木田ちゃんというと「ハレル~」だ。

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ちょっとした事

先日、例によってウォーキングの最中、いつも歩いている結構ややこしい交差点に差し掛かった時の光景です。

そこは電車の駅があり、バスのターミナルがあり…となかなかにごちゃごちゃした一角。

バスターミナル、或いは駅に向かう人がひっきりなしにわたる横断歩道。因みに信号はないし、せいぜい10メートルほどの横断歩道がある所。

勿論、横断歩道に人が居たら車は止まらなくてはいけない、という事は知っていることですが、パトカーが横断歩道の手前で止まっていました。

渡る人はとぎれとぎれに、それでも一向にとぎれない。

パトカーは暇なのでじっと待っている。その後ろにバスターミナルに入るためのバスがいる。そしてその後ろに急がなくてはいけないはずの営業車もいる。ごみ収集車もいる、乗用車もいる。そしてその後ろにバスもいる。

そこには ぐるっと回ったところに 信号と横断歩道がある。

みごとに車が連なり、その信号の横断歩道の真ん中で止まっている車をよけながら人が渡っている。

そこから今パトカーが止まっているところまで僅か数十メートル。

おびただしい数の車がつまっている。

さて、例の信号の無い横断歩道。

スマホをみながらゆっくり渡る若者。杖をついて渡る老人(これは仕方ない)べちゃべちゃ話ながら渡る集団。途切れたか、と思ったら飛び出してくる奴。そしてまた年寄りが渡る。

これ、どう見てもなんとかならないかな、と思ってしまう。

ご丁寧にそこに交番もあるのに、少し気を利かせてなにかすればいいのに。

そして、問題は歩行者のほうにもある。

状況を判断して譲れるところでは譲ったらいいと思うが、現代の人達にはそんな余裕はなさそうだ。

どうも、お客様は神様、という言葉が、自由と身勝手をはき違える結果を生んでいるようだ。

いやいや、けっしてそれだけではないが、僕は常日頃思うけど、本当に尊いのはお客様の為に一生懸命働いてくれる人達だ。

そういう考えでいたら、横断歩道でも状況をみて車を先に行かせてあげたり、そんな時、車の中からどうぞ、という手振りをしてくれたら急いで渡ってあげるとか、周りの状況をみれば全然出来ることだと思う。

店に入ってお客様は神様だ、みたいな態度の奴。お前が神様だったらプーチンを止めてくれ!

ありゃ、なんかあらぬ方向にきたけど、ちょっとした事が気になって、みんなもっと周りを見て臨機応変に譲り合えばいいのになぁ、と思った一日でした。

でもこれ、先頭がパトカーと云うのがみそだったなぁ。

頃合いを見て少しずつ前に出るなんてことしないだろうし、降りて行って交通整理をするとかの余計な仕事はしないだろうし。

Bluegrass Boys 1980

ジミー・カーター時代のホワイトハウスでのブルーグラス・ボーイズの映像を見た。

ゲストにドック・ワトソンが出ていたものだったが、すっかり時間の経つのを忘れて見入ってしまった。トイレに行くのも忘れたくらい。

夜中の頻尿に悩む人はできる限り昼間にあまりトイレに行かないほうがいいらしい。

何となく行きたくなった時はなにか他のことをやって、出来るだけ回数を減らした方がいいらしい。

そんなに行きたくなくても行きたいような気になって行ってしまうのが良くないそうだ。

また話があらぬ方向に向かっているが…。強引にトイレからバンジョーの話に持って行こう。

この映像のバンジョーはブッチ・ロビンスだっただろうか。

ブルーグラス・ボーイズは何回か(2回だった?)来日しているし、その度に聴きに行った。

バンジョーがボブ・ブラックだったと思う。

リハーサルでPAの人に先ず生の音を聴かせて、バンジョーだけ少し多めにローを入れてくれ。それ以外はいじらなくていい、と言っていた。

なんか周りはピリピリしていた。まるでどこかのバンドをみているようだった。

84年にニューヨークで観た時は多分バンジョー弾きはブレイク・ウイリアムスだったと思うが、オープニング・アクトのパット・クラウドのバンドも楽しみに出掛けて行った。

このバンドの演奏をステージそでからケニー・ベイカーが「わしにはようわからん」と云うような表情で観ていたのが印象に残っている。

とにもかくにもこの80年の演奏も素晴らしかった。

アンサンブルの素晴らしさと強引なまでのドライブ感に打ちのめされた。

文句なしのブルーグラス。

勿論、ドック・ワトソンも素晴らしかった。

良いものを観たし、おかげで今晩はよく寝れるかもしれない。

音楽を考える 2

 前回、同じタイトルで書き出して結局のところ、自分なりのアイリッシュミュージックについて書いてしまった。

今回はついでに少しブルーグラスについて書いてみようかな。

それというのも、先日ひょんなことから有田君と会って、バンジョーについて少し長く立ち話をしたことで、またブルーグラスもいいな、なんて思ってしまった。

いや、彼もいろんな分野に長けているが、何といっても特にバンジョーに関しての知識は相当なものである。

ファンの集いにもすでに書いたことだが、彼が中学時代、僕の向かいに住んでいたという事は驚きだ。

以前、その話を彼から聞いたのはいつ頃だったろうか。随分前だったような気もするが、それだけになんか自分の中で話を盛ってしまっていたかなぁ、と危惧していた。

でも今回会えてやっぱり勘違いや盛った話ではなかったことで安心した。

彼、僕は昔からどこか体操のひろみちお兄さんみたいな感じがしていたが、なんか爽やか印象なんだろうなぁ。

さて、話を戻して、ブルーグラスだが。

ブルーグラスとの初遭遇は1964年頃に聴いたフォギーマウンテンブレークダウン。

奇しくも僕が生まれる19日前に録音されたものだ。

それが全ての始まりだったけど、あれから60年近く経った今、ブルーグラスは大きく変化して来ている。しかし、そのスピリッツは生き続けている。

僕はいまだに自分にとっての最高のブルーグラスは?と訊かれたら迷いなくスタンレーブラザース、と答えている。

勿論、ブルーグラス・ボーイズとフォギーマウンテン・ボーイズも。

そこにジム&ジェシーやオズボーンも加わるが、何といってもスタンレーブラザースかな。

彼等の生まれ育った頃の記述を読んだ時、しばらく滞在していたカーターファミリーの郷

いわゆるプアーヴァレーと呼ばれる場所を想い出していた。

そこの空気、森、山々、全てが彼らの音楽そのものだった。そしてそれはアイルランド音楽と同じだった。

そこに違うものが有るとすれば、それはそれぞれの持つ特有のリズム感覚かもしれない。

スコットランドのスタイルは、テキサスフィドルスタイルに近いと感じるが、アイルランドのものは、特にクレアーのものとは全く違う。

僕は長年ブルーグラスに関わってきて初めて身をもって体感したアイリッシュミュージックがあの強烈なアンドリューだった。

今、巷にアイリッシュチューンを演奏するブルーグラスミュージシャンはたくさん存在するけど、あまり、これは素晴らしい!と感じるものがない。

あのクリス・シーリでさえ、ちぐはぐに感じる。上手すぎるのかなぁ…いや、そりゃ上手いに越したことはないだろうが、やっぱりリズムなのかなぁ。

ブルーグラスの人達にはあれで素晴らしいのだろうけど、少なくともアイルランド音楽ではない。彼らの音楽だが、それを聴いた人達は「お、アイリッシュだ」と思うだろう。

前にも書いたけど、日本人のとてもいいジャズギタリストがブルースのセッションに行ったら「上手いけどここは君の来るところではない」と云われた、と云う話。

アイリッシュのセッションでも今までに沢山そんなシーンを見てきた。

アンドリューはブルースが大好きだ。

どこか蔑まれてきた民族の血みたいなものがアイルランドという国の環境と被るところに魅かれるのか、彼のプレイにはブルースを感じる。

古いブルーグラスにもひたすらブルースを感じる。

僕自身でいえば、自分が演奏してきたブルーグラスと、それ以前に学んでいたクラシックでの和声感覚と、そして大好きなブルースという共通点を生かして彼に必死に付いていった。

結局、そこが源になっているからこそ、古いブルーグラスに事あるごとに魅かれるのかな。

よくスタンレーブラザースのボックスセットを引っ張り出して聴いている。

まとまりのない文章になってしまったけど、またなにか思いついたら書いてみようかな。

音楽を考える

よく言われていることだけど、音を楽しむと書いて音楽…ってめちゃ日本人好みの理屈。

勿論楽しいことでもある。

僕は4歳からピアノを始めた。理由は2歳年上の姉がやっていたから。それだけだった。

ただ、みるみるうちに姉とは全く違う方向に向かって行ったらしい。

あまりに幼いころだったのではっきりした記憶はないが、かなりの異端児だったということだ。

そしてそののめり込み様は他に類をみないものだったらしい。やがてフォークソングに目覚めてピアノからの知識を全てギターとバンジョーに生かした。

特にバンジョーは周りに弾く人が居らず、それだけに面白さが増し、そしてやっぱりブルーグラスだよな!と京都産業大学のブルーリッジマウンテンボーイズに加入。

そしてナターシャーセブンへと道が開けて行った。

怒涛の如く過ぎて行った70年代、80年代だった。

91年にアイリッシュのセッションに遭遇してからも怒涛の如く過ぎた30年だったが。

この音楽も僕は20年くらい前から、これやっぱりアイルランド人の音楽だよな、とつくづく感じるようになった。

当たり前のことだが。

アンドリューなんか「アイリッシュミュージックは大っ嫌いだ!」なんて言いながらブルースばかり聴いている。

僕もブルース大好きだがアイリッシュミュージックだって好きだ。あいつはアイルランド人だからそう言えるんだろうな。

アンドリューとの演奏は底抜けに楽しい。実に音楽だ。そしてこの音楽のあるべき姿。生活だ。この音楽の奥深くにあるアイルランド人達のストーリーも感じることが出来る。

人々は僕らの演奏している姿を見て「彼等、兄弟みたい」と云うし、実際に二人で笑い転げているだけでも「あんたたちまるで兄弟ね」といった人がいた。

彼のお姉ちゃんのマリーさんでさえも「あんた、よくアンドリューの言ってること分かるわね。私でも分からないのに」なんて言う。

話は戻って、そのアイリッシュミュージックなるもの。

僕は数年前から自分たちの音楽を「アイリッシュミュージック」だとは言いたくなくなってきた。

なにかカテゴリーを提示するためには必要かもしれないが…特に日本でやっていくためには。

でも、その日本に於いてアイリッシュミュージックというものの立ち位置がよく分からなくなってきた。

人々は一体このアイリッシュミュージックなるものをどういうものとして捉えているんだろうか。それは音楽関係者も含めて。

今迄の経験によると、みんなで演奏して楽しい音楽。アニメに使われるような幻想的な音楽。

モーダルサウンドのえも言われん雰囲気。フィンガーピッキングギタリストによる美しいエアー。どこか寂し気なマイナーがちょこっと入る感じ。イベントにもってこいの陽気な音楽…等々。

こうなってくると、言い切れやしないけど、ある意味、僕の演奏してきたものとはかけ離れている部分が多い。

そうなると、やっぱりアイリッシュミュージックはアイルランドで演奏するんでいいかな、と思えるようになってくる。

希花さんにしても、アイルランドでセッションホストが出来るフィドラーとしての存在、という方が彼女にとっても有意義なものとなるだろう。

僕ら二人は様々な場面でセッションホストを務めてきたけど、世界中からこの音楽を目指してやって来る人達に対して申し訳なさを感じることもある。

そんな時に必要なのは、楽曲のバックグラウンドをよく知ることだとつくづく感じる。

タイトルやストーリーを人々に伝えてあげる事。それもホストの仕事の一つかも知れない。

そんなことを考えると、決して音を楽しむというだけのものではない、というところに行きついてしまう。

そろそろその辺りのことを考慮して自分の身の振り方も考えなくてはならない。

日本茶、紅茶、コーヒー

皆さんはこの中で何が一番好きですか?

もちろん様々なシチュエイション、例えば何を食べた後か、とか、何と一緒に飲むか、という事はあるし、烏龍茶やジャスミン茶というのも中華料理の後にはとても落ち着くものではありますが、ここでは3種類に限ってみます。

僕は静岡の生まれということもあり、圧倒的に日本茶が好きです。それも緑茶かな。

この日本茶ということに関して、今でもよく覚えていることがあります。

大学で京都に出て来て、ある友人の家でブルーグラスを練習した後、お茶を出してくれたのだが、生涯忘れることが出来ない味だった。

僕は咄嗟に、どこかその辺で摘んできた草ではないか、と思ったのです。そう、とても口には入れられないものでした。敢えて銘柄は言いませんが…。

でも、まわりのみんなは飲んでいました。

ここまで極端なのも珍しいけど、出されたお茶が、白湯に色がうっすらついている程度のものだったり、それがまたどえらくぬるかったり…そういう場合非常に困ってしまいます。

残せばいいのですが。

でも前出の京都のお茶は残す残さない以前の、あれが本当にお茶だったのかも謎の味の飲み物だったのです。

アイルランドで日本茶を淹れると、これまた美味しくないのです。それが結構いい茶葉でも。

やっぱり瑛人が歌ったように硬水のせいかも。

いやいや、おやじギャグを言っている場合ではなく、確かにそのようです。なんか出汁も上手く取れないような…。

その代わり紅茶は信じられないくらい良く出て美味しい。50パック入って3~400円程度のものでも3人分は優に楽しめます。

僕はレモンよりミルクかな?

なんでもアイルランド人やイギリス人は歯の着色を極力抑えるのにミルクを入れる、とか…知らんけど。

それにしても、紅茶と云うのは少し高貴なイメージがあるのはそこにコーヒーという飲み物の存在があるからだろうか。

コーヒーも好きだけど何となく気軽に飲めるものというイメージがあるからかな。

実際、アメリカを横断している時などはグレイハウンドのステイションでは必ず飲んでいたし、それは飲みきれないくらいのサイズで6~70円くらいだったからかもしれない。

コーヒーとドーナツで1ドルとか。

レコーディングスタジオにもコーヒーメーカー、本屋さんにもコーヒーメーカー、勿論どこも無料だったし。

僕が割とよくコーヒーを飲むようになったのはブラックにしてからかな。

なので、比較的薄味のどうでもいい味のコーヒーをよく飲んでいました。特にアメリカでは。

でも、そんなアメリカ人の味音痴を見かねた人がスターバックスを開業したりしたせいか、少し高くてもやっぱりそういうコーヒーの方が美味しいな、という事が分かり、また、日本のちゃんとしたコーヒーショップでいただくコーヒーは流石に美味しい!と感じます。

朝はほとんど毎日フレンチプレスで淹れたコーヒーを飲みますが、やっぱり違うなぁ、とつくづく感じます。

そんなコーヒーとチーズケーキ、またはアップルパイ、パンケーキなんかいいなぁ。

紅茶にはショートブレッドが最適かなぁ。

日本茶には何といっても餡子のものだなぁ。

それにしてもカステラが迷う。

そうしてみるとカステラと云うのは偉大なお菓子だな。

おや、話がそれてきた。

とに角僕の一番はやっぱり緑茶かな。温度設定、淹れ方、かなりうるさいです。

カステラについてはまた後日。

出会い

人との出会い、というのも大事だが、楽器との出会いにもなかなか面白いものが有る。

バンジョーを弾き始めて60年近く。

最初はその形にすらお目にかかることができなかったが、後に数多くのバンジョーを見ることとなった。

最近の超軽量のバンジョーには正直驚かされた。

今年に入って割とすぐ、例のドクターサウンドに小林氏を訪ねて行った時の事。

彼がすぐに「もうこれからはこれですよ」と言って出してきたのがそのバンジョーだった。

半信半疑どころか、こんなちゃっちいの要らんなぁ…なんて思いながら、それでも腰かけて弾いてみたら、驚きのサウンド。

「ちょっと君弾いてみて」と、正面からの音を確かめるも、グイグイと引き込まれる感触。

いや、それは高価なバンジョーに比べればいろいろ突っ込みどころはあるが、もう今更そんなに高価なものを手に入れる気もないし金もない。

「これいくら?」「3万6000円です」「包んで」「お客様、ありがとうございます。」

店に入って買う気の無かったものを僅か15分ほどで購入してしまった。

僅か数分で何百万円ものギターを買う人もいるのだろうけど…。

この出会いはなかなか新鮮なものだった。

出会い、と言えばここの小林君との出会いもなかなか不思議なものだった。

朝起きて何気なく楽器に関する情報をみていたら、ギブソンバンジョーが比較的安価で池袋のクロサワ楽器にあるという事。

早速お店に電話したらまだあります、と云われちょっと遠いけど行ってみるか、とそんな軽い気持ちで出かけた。

買う気半分、買わない気半分、値切る気充分。

さて、店に入ると背の高い綾野剛みたいな若者が「あ、さきほどのギブソンですね」と言って出してくれた。

しばらく弾いて考え、そしてまた弾いて考え、もう少し安くならないかな?と切り出そうと思った処に彼が「城田じゅんじさんですか?」

これでは値切れない。

「そ、そうです」あっけにとられている僕に彼が「僕の親父がナターシャーの大ファンで、そんなこともあって僕もずっとバンジョーを弾いています」

あちゃー。こりゃ駄目だ。良かった先に言ってくれて、と云うのが僕の素直な気持ち。

結局、なかなか良い物だったのでそれは購入したが、僕の中では、あの人散々弾き倒していったけど結局買わなかった。たいして高くないのに、なんて思われるのもなぁ、という気持ちがちょっぴりあったかも。

当時でまだ20代前半だった彼がまさかナターシャーを口にするとは…。

それどころか僕よりしっかり歌詞や曲順、107ソングの隅から隅まで覚えているのです。

そんな彼が所属するお店には暇があれば出掛けて行く。

いや、いつも暇ですが。

そうなるとお店でも忙しそうに入ってきた有田君とも会うし、忠英さんや、バンジョーの原君、そして先だってはクローハンマーの加瀬さんともお会いすることが出来た。

そして様々なお客さんとも会うことが出来る。

やっぱり少しでも外に出て行くと新しい発見があったり、良い出会いがあったりと、コロナはかなり長期間そんな当たり前の事を妨げてきた。

その上、歳のせいか出不精も手伝って(少し太り気味の友人にそう言ったら、僕の事ですか?と言っていた。いやデブ性じゃなくて、と言っておいた)外に出るのもおっくうになる。

そんな中、例え決まった所でも行く場所があれば、彼(小林氏)を通じての友人からもお誘いがあったりするのでありがたいことだ。

そうして電車に乗って、いろんな人を見て、いろんな景色を見て、世の中の空気を感じて…という事はとても尊いことだ。

様々な出会いと云うものがとても大切なんだ、という事は例え元のように戻っても忘れてはいけないことだと改めて思う。

無題

長い間ここになにも書かずにいた、いや、書けずにいたのだろうか。

これだけ世の中がめちゃくちゃになってくると、黙ってはいられない感情と、何も言えない感覚が入り乱れてぐるぐる回ってしまう。

もうテレビも観ていられない。可哀そうでこんなの観ていられない、とチャンネルを変えてしまうが、変えた先で大食い選手権なんかやってるとすぐ消してしまう。

そういえども、やっぱり状況は観ておかなくては、と思いながらすこしだけ見るが、やっぱり消してしまう。

アメリカに住む息子も大人になったせいか、子供たちが可哀そうで観ていられない、と言っていた。

僕らにはもうなにも出来ない世界だ。

ゼレンスキー大統領が国会議員の前で演説したところで、あの連中は自分たちのもらう金の使い道すら公表したくないような“せこい”連中だ。

そんな奴らに理解できるわけがない。

ある人は「感動しました」なんて言っていたが、戦争映画でも観ているつもりだったんだろうか。

こうしている間にも馬鹿げたニュースを聞く。

マスク反対を意地になって主張しているどこかの議員が裁判を起こす…。ハッキリ言ってお前はアホか…だ。

内閣府が若者の恋愛観についてあーだのこーだの、壁ドン推奨みたいなことを提唱しているらしい。お前らアホか…だ。

あるコメンテーターが「こんなことを内閣府がするなんて、とうとう日本も終わったか」と言っていたが、本当にそう思う。

牛丼チェーンの発言も、これは政治家ではないが、政治家以下というのも情けない。

こんなことを書いている自分も情けなくなってきてしまう。

世界に目を向けると…一体どうなるんだろう。

どうやらこれを止める手立ては無さそうだ。ヒトラー以来の事案だ。

去年の8月に「いっそのこと世界の指導者たちはどこか迷惑のかからないところで素手で一騎打ちしたら」って書いた。そして「そうなったらプーチンの勝ちかな」と結んだが、別な意味でプーチンの世界になりそうだ。

そうなったら地球は終わりだ。壁ドンや牛丼にうつつを抜かしている場合ではない。

未来

本当に分からない。

日本の未来、世界の未来は多分存続はするだろうけど、どういう形になるのかさっぱり見当がつかない。

またあの映像を見てしまった。もういい、というくらい。

一体、何故アンダーコントロールなどという嘘がつけたのか。

そういう嘘が平気で言える人間、いや動物なんだろう。

なんだかロシアの動物も同じような事を言っていた。

ウクライナの状況もあまりにひどくて見たくない。

3月11日、同じ日に立て続けにあまりに可哀そうな映像を見せられて気持ちがついて行けなかった。

天災しかり人災しかり、募金運動も盛んだけど、政治家で有り余る金を持ってふんぞり返っている奴一杯いるだろうに。

妙な社会だなぁ…。

ところで、誰だったか、コーマックだったかな?トニー・オコネルだったかな?ウクライナに行くけど、綺麗だぞ。一緒に行くか?と言っていた人がいたなぁ。

結構、アイリッシュのミュージシャン、行っているんじゃないかな。

ユークレインと云われて「スペルして」と言って書いてもらって「あ、ウクライナだ!」と言った覚えがある。

さて、これからの世界、どうなるか分からないけど、僕らの演奏もこの日本ではあまり行わないことにしました。

2年間続くコロナ禍を見ていて、やっぱり希花さんは人命を救う職業にシフトしていくことを考え始めておいた方が良いのではないか、と思った次第です。

医師免許も使わなければ勿体ないし。

フィドラーとしても既にアイルランドでの演奏の方がメインになってきているし、今はゴールウェイで勉強しています。

その間にも同じ医師でありフィドラーでもあるマナス・マグワイヤーというような超大物と演奏に出掛けることもあるし、彼女にとってはその方がいいような気もします。

10年前、これは知る限りの超大物に紹介していったらきっと、彼等と同じ場所に立てるようになる、と感じたことが間違いではなかった、と自負しています。

その上で、これだけ混沌とした世の中で人命を救う立場にも立つということは素晴らしいし、僕はそれをサポートしていくつもりでいます。

明るい未来を信じて。

関係ないけど、NATOというのは英語発音だとほとんどネイトウ、人によってはかなりの確率でネとナの中間、聞きようによってはナイトウに聞こえるのでびっくり。

久しぶりに…

本当に久しぶりに楽器を持って出かけました。

行き先は愛知県。

豊橋で降りて岡崎へ。

豊川で長年「フォーク酒場 街」を運営している戸苅氏に出迎えていただき、一路岡崎に向かいましたが、地図を見てみると意外と遠い。同じ愛知県だと思って軽く見ていたのですが結構広いんだなぁ、と感心してしまう。

岡崎では、ここでも長年に渡ってブルーグラスやフォークを多くの人に紹介し続けている

深谷氏と合流。彼の仕切りでのコンサート。

久々にナターシャー時代の話をいっぱい、といえども、後からそういえばこんなこともあんなことも…なんていう話もありましたが、一杯話もしました。

スタンダードチューニングのためのギターもお借りしてのナターシャーソング。

もっと彼とも一緒に演奏するような場面を作って助けてもらっても良かったのかもしれないけど、しっかり、コンサートという設定だったので取りあえず一人で、休憩を挟んで2時間ほどやらせていただきました。

二日目は戸苅氏のお店で。

こちらでは皆さんとのセッションタイムもあり、もう少しラフな感じで、と言えども、みんな結構静かにしっかり聴いていただいたのでこちらも緊張。

それでも戸苅氏や、この日も駆けつけてくれた深谷氏の皆さんをまとめる力のおかげで充実した時間を過ごすことが出来ました。

僕は、音楽についてアンサンブルというところを考えるのがとても好きなので、一人で歌い演奏する、というスタイルではあまりやらないのですが、こうして同じ音楽をずっとやり続けてくれる人たちが様々な場所に居てくれることはとても有難いです。

彼等に感謝です。それと他にもいろいろ助けてくれた人達が居ます。

お名前は分かりませんがこの場を借りて皆さんに感謝いたします。

カレーやお汁粉をつくっていただいた、けいちゃんと多分もうおひとがた。美味しかったです。どちらもおかわりしてしまいました。

僕を迎えるに当たっていろいろと考えて下さり、大変だったでしょう。有難うございました。

世の中が更に混沌として来ました。

幸いにも、僕らの国のトップは、箸にも棒にも掛からぬ嘘ばかりつき続けて来て、けちな私腹を肥やすくらいの事にしか興味の無いちっぽけな存在なので、おおきな禍は自然災害くらいしか起こらないのかもしれませんが、世界には間違いなく大きな波がうねっています。

どうなるのか、また、どうしたらいいのかも分かりませんが、心を強く持って、自分の人生を、そして友人たちの人生を守り、共に生きていきましょう。

皆さん、ありがとうございました。

ブースター接種

約3か月前、アメリカの友人からブースター受けたけど、そっちはまだか?と言ってきた。

まだだ、と答えると「なにノロノロしてるんだ」と云われたけど「俺のせいじゃない」と言っておいた。

あれからしばらくして、役に立たない厚労省もやっとその気になったのか、飲み会に忙しかったのか知らんけど、ようやく始まったようだった。

僕も今日受けてきた。

今回はいつも健康診断で行く…こういうのは掛かり付けというのだろうか、近所のクリニックだった。

待合室には多くの老人。

あっちの方から「アレルギーある?じんましん。そうそう痒くなったりとか…」看護師さんの大きな声が聞こえる。

おばあさんの「え~なに?なんだって?」看護師さんさらに大きな声で同じことを3回も4回も訊いている。

こっちの方では「なんかお薬飲んでいる?」「あ~…いえいえ」「そう。それじゃあお薬は飲んでいないのね」「血圧の薬は飲んでる」

思わず「飲んでるんかい!」と突っ込みたくなるが、大阪のクリニックだったら正にそうなるだろう。

大体、来る前にそういうものは記入してくるだろうが、なかなかどうして、そうとも限らないようだ。

めちゃくちゃ厚着をしてくる爺さん。「上着はそこで脱いで。セーターも。その長袖のシャツ肩までめくれる?」「なんで?」こんなやり取りも。

とに角そんな人が多く、結局1時間半も待たされた。

ようやく呼ばれて、部屋に入って部屋を出るまでは約10秒。それから15分様子をみて…となると、現実、接種は4~5秒?待ち時間1時間45分。

むかし、東芝レコードのパーティに新幹線で京都から出かけて1時間出席して戻って来たことが有ったなぁ。それに匹敵するくらいの時間の使い方。

リリーズと一緒に写真撮ったなぁ。

ま、とに角3回目は終わった。4回目はいつ来るかな?

ところで、今のところ腕は重くて少し痛いので上がらないし、陽が暮れてきたせいか体温も少し上がったようで、今はまだ37℃だけど、もうちょっと上がるかな。

急に焼きたてのパンを食べたくなったので、パン焼き器に活躍してもらい、ハチミツ入りのミルクティと共に晩御飯を済ませた。

さぁ、今晩これからなんか副反応が出るかな?歳だからあんまり出ないかな?

楽しみである。

ラーメン

何故か突然のラーメン。別に食べたくなったわけではない。

いつものウォーキングコースに、とあるラーメン屋さんがある。

そこにはほとんどいつも20~30人のお客さんが並んでいる。

店はとても小さく12~3人がカウンターに座れるだけ。中はとてもきれいで全く脂ぎってはいない。

作っている若い兄ちゃんはこの上ないイケメンで愛想も良い。

最初は「お、こんなところに料亭ができるのか」と思っていたらラーメン屋さんになった、というくらいの見かけのお店だ。

やがてオープンすると、普通に入るのにさほど困難なお店ではなかった。

店主もひとりで比較的のんびりやっていたようだ。

ある日、張り紙があって「ダクトが故障したのでお休みします」と書いてあった。

また、ある時はこのような張り紙があった「本日、仕込み中に指を切ってしまいました。なので、お休みさせてください」なんという正直な奴なんだろう。

ところで、僕はラーメンというものが別に好物ではない。

若い時はインスタントを含め、それでも時々食べていたが、やっぱりそれほど好きな食べ物でもない。

その昔、諸口あきら氏に連れて行ってもらった北白川の屋台は美味しかったが、それが後に天下一品として全国に進出したラーメンだった。

もうこの歳になるとちょっと胃に負担がかかるかな?

そんなこともあり、最近では2~3か月に一度か半年に一度くらいしか行かないが、行くところは必ず、そのお兄ちゃんがやっている店だ。

味がいい。ちょうど良い、というのか…。それに、店主に清潔感があって美しい。愛想が良い。今ではあと2人従業員を抱えているがみんな感じがいい。

敢えてお店の名前は明かさないが僕はここでしかラーメンは食べない。

しかし、本当に「久々に行こうかな」と思い立っても今ではなかなか入ることができない。

近所という利点はあるが、40~50分は並ばなくてはならない。

今日もウォーキングに出掛けるとお店の前にずらりと並ぶ人の列。

そして1時間ほどで戻ってくると、まだずらりと並んでいる。

ラーメンビジネス。体力も気力もかなり必要だろうし、探求心を持ち続けて行くのも大変なんだろうなぁ。

春はそこまで?

あちらこちら梅が咲き、所によっては少しだけ桜も咲き始めた2月。

驚きのニュースが飛び込んできました。

やぎたこのやなぎ君のことです。

こうして文章にするほど深い繋がりがあるわけでもない僕が、何故ここに彼のことを書こうと思ったのかは、同じトラディショナル音楽に真剣に携わってきた一人の男として、彼のことを見てきたからです。

一度だけ、三島で共演させていただいたり、あれはどこだったか…小さなお店でライブを聴きにいかせていただいたり、本当にその程度だったのですが、彼と貴子さんの、この音楽に真剣に取り組んでいる姿には感動したものです。

自分たちの愛する音楽に正面から向き合って、真剣に取り組んでいくことは、この国では難しいです。特にそれで生計を立てて行くという意味で。

彼等は地道ながらそれをずっと同じペースで続けてきました。

一方僕らはここ数年、その活動をアイルランドに向ける方向で取り組んできました。

確かにアイルランドで演奏した時の血液や脳から出るドーパミンについては解明できないところでは有り、ここは一概に言えない本当に難しい問題です。

アイルランドの音楽は特殊かもしれません。そこには長い歴史の中で非常に過酷な運命を背負った影が見え隠れする…なんて言葉で言えば薄っぺらいのですが、そういうところを感じます。

一方、アメリカの音楽は「なんでもあり」という感は否めません。

そう言った意味ではアメリカの音楽に焦点を当てることは、少しだけこの日本と云う国に於いて生きていきやすいかもしれません。

自分の事で言えば、アメリカ西海岸でのアイリッシュミュージックとブルーグラス、南部に於けるオールドタイムとブルーグラス、東部に於けるアイリッシュミュージックとブルーグラス、そしてアイルランドに於けるアイリッシュミュージック…そんなものをここ40年ほどの間に経験してきました。

やなぎ君たちはあの音楽をやりながらそこまで経験してはいない、と彼等から聞きました。

しかしながら、そのスピリッツは素晴らしく、よほど研究を重ねているんだろうな、と感じることが出来ました。

勿論、貴子さんからもその意気込みは伝わってきていました。

こういう事はあまり長くダラダラと書くことでもないと思うのでこの辺で結論を。

日本に於ける稀有な存在であったやなぎ君の残した功績は目立たずとも偉大なものであったと云えるし、貴子さんのこれからの人生の中でも永遠に語り継がれていける存在であると思います。

もうすぐ春です。みんなで前を向いて彼の分も長生きしましょう。

2022年2月8日

2020年2月8日の70歳バースディコンサートから2年。

あの時、ダイヤモンドプリンセス号の話が浮上していて、大変な事になるかもしれない、という予想はついていた…かどうか分からなかったが、消毒シートなどを持って出かけた。

来ていただいた方々もまだマスクを付けることが当たり前ではなかった時だった。

厚労省の対応はどうだったのか。

WHOの偉いんだかアホなんだかわかない奴が「中国が発生源とは考えられない」などと「いくらお金をもらったんだろう」と想像できる発言をしていた。

それからあっという間にこんな状況になって、もう2年。3年目に入った。

正に失われた2年だ。政治家以外。

この感染症のおかげで明らかになったことは、政治家と云うものがいかに無力で庶民のことに無関心だったのかという事。それでも税金だけは払わされ、その税金も政治家を潤わせるために使われている。

もちろん協力金はいただきましたけど。

余ったマスクに2億8000万枚の申し込みがあった、なんて、嘘つき癖はどうしても治らないようだ。

最近、もうひとつ見てしまったことは、鼻出しマスクで意味の分からない持論を展開して切れていた元首相。

嘘つきにしても、鼻出しにしても、差別をする奴にしても、国民を下々の者という奴にしても、日本の顔、日本のトップとしてその座についたことがある、なんて考えるとゾッとする。

言っても言っても言いきれないので、それはそれとして。

あの日、静岡から金海君、京都から進ちゃんが来てくれて、共に良い時間を過ごさせてもらった。

進ちゃんは相変わらずの笑顔で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

金海君は残念だったけど、あの後この世を去ってしまった。

でも本当に後1週間遅れていたら、彼も来ることが出来なかったかもしれないし、コンサート自体もできなかったかもしれない。

この日に決断してくれたスタッフには感謝しかない。

そして、日が経つにつれ、多くの人がこの予想もしていなかった感染症の為に自身を見失ってしまったり、絶望の淵に追いやられたりした。

それでも、這い上がろうとする人達を見て勇気づけられたことも確かだ。

そこに政治家は存在しないが。

この2年間、皆さんはいかがお過ごしだったのかな。

いや、まだまだ終わったわけではないし、出来そうなことと出来ないことを慎重に考えながら生きていくしかない。

後、1年、2年、それは全く分からないけど、僕は人生のうちのたったの2~3年…もしかしたら5年くらいかもしれないけど、そんなものだろう。永遠に続くわけじゃないし、生きていれば良いことも悪い事もあるか、と思う事にしている。

幸い、自分を見失うほど物事を深く考える方ではないので(良くも悪くも?)

それでも、この時期に人生の節目を迎えていた、特に若い人達は大変な思いをして来たことだろう。

卒業、入学、就職、出産など、彼らにとってのこれからの人生が素晴らしいことになっていくことを願ってやまない。

まぁ、僕はもうちょっと生きなければいけないみたいだし、取りあえず健康には気を配っていこうかな。

正月料金

近所の、良く行っている野菜やら肉やらを売っている店を覗いてみた。

そして、なんだかいつもより高い値段がついているな、と感じた。

別に店の悪意ではないと思うし、多分元々の流通の段階でそうなるんだろうと思うが、いろいろなもの、特に野菜関係が高いみたいだ。

想い出したことがある。

高校を卒業したての頃、確かクリスマスの時だったか、いつも一緒につるんでいたフォークソング仲間の三好君と清水までドライブした。

12月25日の夜。普通なら女の子と過ごすはずだが…?

仲良しの僕らは何故かそんな時に清水への道すがら、ある喫茶店に立ち寄った。

初めて入る場末の喫茶店。今なら絶対に入らないだろう…でも他が開いていなかったのかな?

入ってコーヒーをオーダーしたら、なんかイブの残り物みたいなケーキが付いてきた。

今日はクリスマスのサービスかと思いきや、それでクリスマス料金だ、というではないか。

クリスマスとは程遠い和風スナックのママみたいなおばさんがそう言った。

それで1000円くらいぼったくられた記憶がある。

今、そんなことがあったら大変だけど、世の中ある意味平和だったのかな。

そんなことを想い出しながら、いつもは50円くらいで売っている100円のバナナをつらつらと眺めた。

ここのバナナ、決して何も悪くなっていないのにたまに15円で売っている。

おじさんが「腐らすよりもみんなに買って行ってもらった方がいいからね」と言っていた。

こういうおじさんともすぐ仲良くなってしまう。

正月がひと段落したらまた15円になるかもしれない。

2022年1月1日

静岡、京都の演奏会から戻って、あ、その前に雪が心配でお弁当や、御菓子類、飲み物を買って新幹線に乗り込んだ。

しかも勢いで随分高い「いづうの鯖寿司」まで買ってしまった。

雪は関ヶ原の辺りで流石に素晴らしく降っていたけど、新幹線自体は結局2分ほどの遅れだった。凄いことだ。しかも「2分の遅れでお客様には大変ご迷惑をおかけします」みたいなアナウンスが流れる。

つくづくよくできた国だと感じる。

さっき行った電車は昨日の2時に来るはずだった電車、とか、今日の2時に来る電車はいつ来ますか?みたいなことには天変地異でもない限り絶対にならない。

そんな感じでほとんど予定通りに戻ることが出来た大晦日。

少しゆっくりしながら、NHKが誇るほとんど小学生以下の学芸会を観る。

紅組だか白組だか、それも小学生っぽさが出ているような若手の区別のつかないグループたちがあんなことを真剣にやっているのがなんとも滑稽だ。

いや、なんでも真剣にやる、というのは素晴らしいことではないか!

しかし、あれが大衆に喜ばれているこの国の音楽事情は…これでは韓国にかなうわけないか、と思わざるを得ない。

いろんな意味で、この国は戦後の立ち直りから経済大国と云われ続け、そこにあぐらをかいてきたことが実は全てをストップさせてしまったんではないかと感じる。

もっとハングリーにならなくてはいけなかったんだろうな。

あの世紀の嘘つきが国のトップになってしまったことも不幸だったし、いまだにそれもある意味続いているような気もする。

学芸会からそんなことまで考えさせられてしまった年の終わりだった。

明けて2022年。

さて、コロナはどうなっていくだろうか?

やがては、インフルエンザ程度として考えても問題ない、という風にいくだろうか?

そうなってくれないとどうにもこうにも動きが取れない。

もう2年もアイルランドの連中と会っていない。あっちもこっちも大変だ。

そんな中、72歳を迎えた僕もあと何年生きるだろうか、などということも考えてしまう。

あんまり長生きもしたくないしなぁ…でも元気でいられるのだったら多少の長生きもいいか…などなど考えながら、それにはこのままではいけないかな?人生最後の賭けにでも出るか…いやいやそれほど切羽詰まったことを考えなくてもいいか、など考えを張り巡らせながら、伊達巻でも食べることにする。

お正月はやっぱり伊達巻だ。

J D Crowe

また素晴らしいバンジョー弾きがこの世を去った。

僕は彼の追従者ではないけど、その素晴らしさについてはよく分かっている。

New Southの来日時には省悟とふたりで大興奮だった。

素晴らしく安定した、これぞバンジョー、これぞブルーグラスという演奏を堪能したものだ。

僕にとってはJ D Croweと言えば進ちゃん、進ちゃんといえばJ D Croweというくらいに感じている。

彼がどんなにJ D Croweのファンだったか…多分本当にそうだったと思う。

ブルーグラスを愛してかれこれ50数年。

多くのいい演奏家たちとめぐり合ったけど、J D Croweもここ数年で旅立った多くのバンジョー弾きと同じく素晴らしいプレイヤーだった。

84歳…そうか、もうそんな歳だったんだ、とつくづく時の流れを感じてしまう。

金儲け主義

昨日、警視庁が電動キックボードを歩道走行OKとする方向で調整している、という話が出ていた。

おいおい、どんだけ金もらったんだ!と思わず突っ込んでしまった。

これを決めようとしている奴って東京の下町の歩道を歩いたことあるのか?

今でも自転車に当てられそうな毎日なのに、その上あんなもんまで走ってくるのか?

時速6キロまでならOKって誰が測定するんだ?

本人の感覚に任せるのか?

本当に理解に苦しむ、庶民の感覚とはかけ離れている利権がらみの事柄が多すぎて、自分の身が守れるのかどうかも分からない。

これはなんとか廃案にしてもらわないと、ぶつけられてからでは遅い。

今年の漢字

名古屋の市長の今年の漢字会見、見ました?

ほとんど酔っ払いのおっさんが自分のしたことが分かっていない、というところを暴露してしまっているようだった。

あれがまだ市長をやっている名古屋市というものは…。市民も分かっているんだろうけど。

彼が選ぶべき漢字は「噛」ではないかな。

一般市民の感覚とはかみ合わないけど金メダルは噛む。

名前にも「か」と「む」が入っているし。

謝り方を知らない奴が「謝」もないのだろうから、云うに事欠いて「感謝の謝」?

こういうのを「意味不明」というのだろう。

ほとんど前後不覚の酔っ払いだ。

花嫁

FBで紅白の時の花嫁画像を見た。

その数時間前、省悟から電話があった。

僕がまだ北白川のアパートに居た時だ。

「おい、これからピーナッツやるからよく見ておいてくれよ」

ただそれだけの話だが、ピーナッツと云うのは何かというと、当時よく省ちゃんは口をすぼめてとんがらかすとちょうどピーナッツが二つに割れた断面のようになったことから来ている。

まだかなり痩せていたからなおさらそう見えたのかもしれない。

彼が40キロ台、僕が僅か53キロくらいだった記憶がある。

テレビを観ていると、出演者が入れ替わり立ち代わり、カメラに向かって突進してくる。

さぁ、クライマックスの番が来た時、僕は食い入るように画面を見つめた。

省悟が出て来て彼が言った通りピーナッツをやった。

ほんの一瞬だった。

僕は一人で笑いこけてしまった。

あの時、テレビの前で笑いこけたのは僕だけだっただろう。

つまらない話で申し訳ないが、映像を見て想い出してしまった。

Touching Wood 追加ライナー

CDに付けるライナーでは書き切れなかったことをここで紹介しておきます。

Midnight on the Waterは古いフィドルチューンです。一般的にはBenny Thomassonの作ではないかと云われていますが、世に発表したのが彼で、彼の父親であるLuke Thomassonが本来の作者だという事です。更に彼らの家族がポーチで演奏していた中でOld Paintという曲があってそれを基にして作られた曲という説もあります。どちらにせよ1900年の頃の話です。Grey Owlはとても美しいメロディのフレンチカナディアン・チューン。

希花 フィドル、

純二 ギター、マンドリン、ベース

Plearaca Erica NewmanはDale Russのペンになる曲。5~6年前に彼が「こんな曲を書いた」と云って僕の部屋で演奏してくれました。その時、手元にオクターブ・マンドリンが有ったのでそれで伴奏をしてみました。そんな経緯もあり、今回もオクターブ・マンドリンを使用してみました。2曲目はJunior Crehanの曲。別名Luchrachanといいますが、この2曲をメドレーにすることをDaleに伝えると、彼も「お、いいね。同じことをやってみようかな」と云っていました。

希花 フィドル

純二 オクターブ・マンドリン、ギター

An Paistin Fionnこの曲は、多くのバージョンがあり、それぞれかなりメロディが違うので明らかに別な曲だと思われます。僕は最初、Gearoid O hAllmhrainのCD リリースコンサートで学びました。その時のメンバーは僕とコンサーティナ奏者の彼、そしてフィドルがMartin Hayesでした。ずっと頭の中にありましたが、最近またNiamh Parsonsの唄で聴いてギターで弾き始めたものです。意味としてはThe Fair haired childともThe Fair Childrenとも訳されています。そのまま有名なリールWise Maidをフィンガースタイルのギターで弾いてみました。

純二 ギター

Strayaway ChildはおそらくBothy Bandの演奏が最も有名なものの一つかも知れません。長い間、最も好きな曲のひとつだったこの曲はMichael Gorman作と云われますが定かではありません。彼と関係が深かったMargaret Barryだという説もあります。Gormanが書き、Margaretに権利を譲った、という説もあるようです。官能的ともいえる美しいメロディの6パートジグ。

希花 フィドル

純二 ギター

MacLeod’s FarewellはLunasaがWedding Reelというタイトルで演奏して有名になった曲。彼らはDで演奏していますがオリジナルはEです。書いたのはCapercaillieのDonald Shaw、 Eでこの曲をフィドルで弾くのはかなり難しいと思います。Sitting on the Throneは高名なフィドラーJames Kellyの作品。Ring SessionsというアルバムでギタリストのZan McLeordとの素晴らしいデュオを聴かせてくれました。その中の1曲です。3曲目はPhil Cunninghamの作品。かなりキャッチ―な曲ですが、あまりポピュラーではありません。僕はTipsy Houseに加入した当初に習ったものですが、それからセッションで聴いたのはBrian McGrath とAlan Kellyそして僕、という面子でやった時だけです。

希花 フィドル

純二 ギター

Windy and Warmはもう説明不要Doc Watsonの名曲です。僕はここで1899年の0-21を使用してみました。いつものLowdenとの音の違いを聴いてください。

純二 ギター

Limestone Rock / Humours of Loughreaこのセットはブルーグラスを意識したものになっております。フィドル&バンジョーというのはフラット&スクラッグスの1962年ライブ盤の時からどうしても取り入れたいものでした。ここでは2曲目にギターを入れていますが、レスター・フラットの「昔は夕暮れ時に農作業を終えて、フィドルとバンジョーさえあれば、ポーチに座ってこんな風に楽しんだものだ」というようなMCが印象的だったのです。因みにそこで演奏されたものはStony PointアイルランドではPig Town Flingという同一曲があります。

希花 フィドル

純二 ギター、バンジョー

Beautiful Lake AislinはTim Edeyのギター演奏から覚えた曲で作者はElmer Briandというケイプブレットン・フィドラー。とても美しい曲で今回のアルバムには絶対に入れたかったものです。続く2曲はFisherman’s Wedding / Lady Harriet Hopeというスコットランドの曲。これはAlasdair FraserとJody Stecherのアルバムから学んだものです。

希花 フィドル

純二 ギター

Cuckoo’s Nestはアイルランドではホーンパイプとして有名な曲です。しかし、この曲を覚えたのは遥か昔、ブルーグラスからでした。通常ホーンパイプと云うものはゆっくり目に弾んだリズムで演奏されるのですがブルーグラスではブレイクダウンと大差ないスピードで演奏されることも良くあります。この曲はそれほどでもありませんが、パートがアイリッシュバージョンではひとつ多いのです。アイリッシュの3パート目に近いメロディが1パート目に2パート目が同じメロディで、それで終わり、と云うのがブルーグラスバージョン。アイリッシュでは1パート目にブルーグラスには無いメロディが来ます。

希花 フィドル、マンドリン

純二 ギター、バンジョー

Martin Wynne’s #2は、これもBothy Bandで有名な曲だろう。又はFrankie GavinのAlec Finn とのバイブルともいえる77年のアルバムでも1曲目から強烈な演奏で聴くことが出来ます。Killavil FancyはFarewell Reelとも呼ばれるものですが、以前、こんな話を聞いたことがあります。「貧しかった昔のアイルランドでは、生まれてきた赤ん坊が1ヶ月ほどで亡くなってしまい、その子を棺桶に入れて川に流した。それで10パウンドくらいの物(約4.5㎏)が川を流れていくという曲なんだ」なんとも悲しい話ですが、実際にこの曲の解説として別なところでみた事も聞いたことも無い。もしかしたら都市伝説みたいなものかもしれないが、確かにAngela’s Ashなんていう映画を観るとありそうな話かもしれないと感じます。

希花 フィドル、コンサーティナ、ビオラ

純二 ギター

Lonesome EyesはJerry Holland作の美しくも悲しいメロディのスローエアー。2009年に54歳の若さで亡くなってしまいましたが、本当に素晴らしいケイプブレットン・フィドラーでした。僕らの大好きなこの曲。いつかは録音しようと思っていた曲です。

希花 フィドル

純二 ギター

When it’s moonlight in Mayoは有名な古いワルツです。特に今回の録音リストには無かったものですが、何となく二人ともよく知ったメロディだったので演奏してみたところ、なかなか可愛いな、という話になり、アルバムの最後にしてみました。僕はこの曲をアンドリュー・マクナマラと何回か演奏したことがあります。また、多分フィークルのフェスでは、アイリーン・オブライエンが歌い、観客が合唱する、といったシーンもあったはずです。しかし、それはもしかしたら同系列の曲、例えば、A Mother’s Love a Blessingというとてもよく似た曲かもしれません。とに角この感じのワルツはアイルランド人のほとんどが知っている曲かと思われます。僕らはイントロやエンディングを含め、Bridie Gallagherの唄からヒントを得て演奏しています。1924年にCo.Donegalで生まれ2012 年にBelfastで亡くなった女性歌手で、一般的にThe Girl from Donegalとも呼ばれて親しまれている人です。

希花 フィドル

純二 ギター、バンジョー、マンドリン、ベース

ボーナストラックもついていますが、曲目としてクレジットされていません。聴いてからのお楽しみ。

純二 バンジョー

坂庭省悟と買い物

もう18年にもなる?もうすぐ命日。

思えば18の時に京都産業大学の学食で出会ったのが最初。

「あのー、バンジョーについて教えて欲しいことがあるんですが…」彼が最初に僕に対して発した言葉だ。

それからは何かにつけ、行動を共にしていた。

なぜ、もうすでに彼については一杯書いているのに急にまた…という感もあるが。

昨日、電車の中である初老の(というか、同じくらいの歳格好)男性が、見事なアイビー・ルックで向かいの席に座っているのが気になった。

髪の毛がかなり後退していてテカテカと光るおでこに、ストライプのボタンダウン。オフ・ホワイトのコットンパンツに、その日は楽に買い物をしたかったのか、ジョギングシューズ。

そこに大きな紙袋。その紙袋には「FUKUZO」と書いてある。

あー、省ちゃん横浜に来るとよくフクゾーに行っていたなぁ、と心の中でつぶやいてしまった。

ある時の話。

意気揚々とフクゾーに入っていった彼。僕は外で待っていた。

やがて、彼がげんなりした表情で、入っていった時とは全く違う足取りで出てきた。

そして言った「あ~ケツまで汗びっしょり」

関西人の彼にとって関東の感じ、どこか鼻高々な雰囲気は性に合わないのかも。

それからも何度もフクゾーには行っている。

僕はいつも「省ちゃん、パンツの替え持ったか」と訊いていた。

省ちゃんは「大丈夫。オシメはいたから」と言っていた。

また、ある日、同じく横浜の元町を歩いていた時、省ちゃんがふいに何かに引き寄せられるように店に入っていった。ありゃ、こんなところにこんな店が…と、ぶつぶつ言いながら。

そしていつもと同じように僕は外で待っていたが、見るからにハマトラ、トラッドを売り物にしている店のようだった。

やがて、またまたぶつぶつ言いながら出てきた「わしゃみのさんが大嫌いになった!」

みのさん、と云うのは彼の大学時代のバンド、マヨネーズでベースを弾いていた箕岡さんのことだ。

ことの成り行きはこうだ。

店に入るとびしっと決めた男が洒落た口調で「いらっしゃいませ」と言った。その男がみのさんにそっくりだった。

省ちゃんはおもむろに「あのー、グレイのピンチェックに合わせるネクタイを探しているんですが」すると店員のその男が「え?グレイのピンチェック?」と有りえないというような口調で言ったかと思ったら「あ~あ~」と少しあきれた馬鹿にしたような態度で言ったらしい。

カチンと来た省ちゃんはすぐ「結構です」…とは言わなかったらしいが、みのさんは嫌いになったらしい。

買い物大好き、買い物上手の省ちゃんには沢山良い想い出もあるんだろうけど、その分苦い想い出もあるんだろうなぁ。

買い物はあまりしない僕だが、何かを買うときには結構迷う。

省ちゃんはそれ以上に迷う。

迷いに迷っている彼に「やめといたら。もし帰り飛行機事故に遭ったら、あー、やっぱり買わんで良かったと思うで」と云うと彼は間髪をおかずに言った。

「いや、やっぱり買うわ。買っておけばよかったと思いながら死ぬのは嫌じゃ」

マスク

上手いことを言うなぁ。

若者の発言だったが、もはやマスクは「顔パンツ」だそうだ。

外した時にイメージと違うと思われるのも嫌だし、外すのが恥ずかしくなってきた、というのがその大きな理由だ。

僕は常日頃、鼻を出してマスクを付けている人をみると、ちょっと下品な表現だが、

トレパンとかジャージとかウエストがゴムになっているものをちゃんと上げずにポロッと

(これは男性の場合)出ているように見えていた。

ま、マスクの場合は公然わいせつには問われないけど、なんか嫌な感じになるのはそんな理由から、正に「顔パンツ」という観念だったんだろうなぁ。

この言葉、もしあの時からあったら「安倍のパンツ」

どひゃ~気持ち悪い。

さて、気を取りなおして。

日本でマスクをつけないのは勇気がいる。あ、いや、常識がない、教養が足りない、自由と身勝手のはき違え。

何かしら身体的に事情がある人は別として。

何処かにマスク着用を拒否し続けている議員がいるらしいが、いっそのこと素っ裸で議会に参加したらいい。マスクだけ付けて。

こりゃ、なかなか面白いぞ。

あまりきれいな投稿でなくてごめんなさい。

Touching Wood

2021年3作目のアルバムです。

デュオを結成して10年。かなりのペースで録音物を残してきました。

各地のコンサートでも沢山の人達に助けていただきました。

古くからの友人にも、新たに出会った方達にも。

2020年(19年?)からの状況で人と人との繋がりがどんなに大切なものか、という事が本当に心に沁みる経験をされている方も多いでしょう。

勿論、あらゆるシーン、9/11,3/11,そんなに大きなことでなくても日々の暮らしの中でそういう事は多々あります。

しかし、今回の事柄は、人と近づいてはいけない、という事が全面に押し出されるような、そんな悲しいものでした。

そしてそれはいまだに続いている部分もあるし、いつまで続くか分からない状況でもあります。

全ての予定が立てられない、立てても予定通りに行くか分からない。それも人生に大きく影響することでさえ、予定が立てられない。

こんなことがあっていいのだろうか。いや、でもそれが現実に起こっているのです。

僕らもこれからの予定は立てられないけど、方向性みたいなものは考えておいた方がいい、と感じました。

2020年は静かに様子を見守って過ごし、2021に入ってからは録音物を残しておこう、と考えました。

そうしてThe Strings Collageと2作品、そして今回のTouching Wood

神が宿る、と云われる木々に触れて「幸運がやってきますように」と願いを込める、そんな気持ちを皆さんと分かち合いたいと願っています。

また、木のぬくもりを感じる僕らの基本的なスタイル、フィドル&ギターというものを中心にまとめてみました。

ジャケットデザインも、僕がフリーハンドで描いたものを使わせていただきました。

内藤はアイルランドで勉学に励みながらも、それらをまとめ上げ、立派なものにしてくれました。

僕らは活動を休止するわけでもストップするわけでもありませんが、少しだけ皆さんとお会いできる機会が、この2年の間もそうでしたが、もう少し減るかもしれません。

そんな時にこのTouching Woodをリリースできることを有意義なことと捉えています。

僕は1971年からのナターシャー・セブン、1991年からのアイルランド音楽を経て、内藤とのデュオで演奏してきました。

そして、内藤は僕の思惑通り、今やアイルランドでも人々を牽引するフィドラーになっています。

それは数々のセッションシーンでホストを務めてきたことでも充分証明されています。

そして、ただそれだけではなく、僕が80年代、カーターファミリーとの生活で経験した、この手の音楽の本当に大切な部分もアイルランドで経験しています。

そんな内藤の力強いフィドルと、僕も少しだけ久々のブルーグラススタイルでバンジョーを弾いています。

ちょっと懐かしい曲も入っています。

長い紹介文になってしまいましたが、何卒よろしくお願いします。

https://tenstrings.easy-myshop.jp/c-item-detail?ic=A000000017

クリスマス

またまたやって来るクリスマス。

先日、ドクターサウンドの小林君から写真が届きました。

そこにあったのは、ギブソンバンジョーが2台。クリスマスの支度はお済ですか?というメッセージだったので、また「お客様のご購入をお待ちしております」という事かな、と思いながらよくよく見てみると…分かりました。

インレイがリース(Wreath)だったのです。

坂庭君が「何だ、このはてなマークみたいなのは」といった物です。

今や日本でも当たり前になったリース。いや、ギブソンバンジョーの事ではなく、クリスマスの飾りとしてのリース。

ま、日本の正月のしめ縄とか門松みたいなものかな。

クリスマスも僕ら日本人にはあまり関係ありませんね。あ、そうではないか。宗教上の事だから日本人には、というのは間違っているな。

しかし、何が楽しみかと云うと、やっぱりケーキだった。もちろん子供の頃は。

必ずケーキをもって現れる、父の顧客であったおばさん。渡辺さんと云う人だったが、その渡辺さんのケーキが毎年待ち遠しかった。

ある時からアイスクリームのケーキだったような記憶があるけど、僕は普通のケーキのほうが好きだった。

そしてある頃から来なくなったけど…まだ1950年代の話だ。

今年はケーキでも作ってみるか…と思うがやっぱり買ってきた方が簡単で美味しいはずだ。

かなり前、ナターシャーで敏子さんが一緒にツアーに参加していた時、ちょうどクリスマスイブだったかな、新幹線に乗って京都に帰る車中で、彼女が小さな箱を持っていて、一人でクリスマスケーキを食べる、と言っていました。

僕と省ちゃんが何気なしにその姿を見て、ひとりで食べるの?寂しくない?でも、なんか可愛らしい…みたいなことを言ったら急に泣き出してしまったことがあったなぁ。

後で、俺らなんか悪いこと言っちゃたかな。メリークリスマスだけで良かったのかも、なんて反省したのを覚えています。

クリスマスケーキというと、渡辺さんの豪華な甘い想い出と、敏子さんの可愛らしくもほろ苦い想い出が蘇る。

ケーキはさておいて、今年はどんなクリスマスになるだろうか。

食べ物

たまには食のことでも書いてみようかな。あくまで独り言感覚で。

前にも言ったかもしれないけど、あまり食にこだわりがない。なのでかどうか知らないが、好き嫌いも極めて少ない。

強いて言うならば、ホアグラとか生ハムなるもののコンセプトがあまり好きではないのでまず口にすることは無い。

ぬれせんべい?煎餅とは硬いものなので、そんなものを食べたかったら袋を開けてほったらかしておけば1週間もしないうちにぬれせんべいの出来上がりだ。って、これ作っている人に怒られるかな。すみません。

ただ、これも煎餅食べたし、歯が…というひとには良いのかもしれないけど、僕の場合それは無いのでなおさらそういう思いが伝わらないのかも。

さて、ジャンクなものはどうだろうか。

僕が1年に1回か2回くらい食べるものにマカロニチーズなるものがあるが、これは本当にジャンキーだ。でも美味い。でも、万人には勧められない。

ハンバーガーは絶対にチキンバーガーだ。それかフィッシュ。

カップ麺はほとんど食べないが、カップ焼きそばは1年に2~3回程度は食べるかもしれない。それには必ず大量のキャベツをクックして混ぜる。

野菜の中で苦手なものは無い。

特に好きなものは芽キャベツだ。

先日、希花さんがアイルランドで購入した芽キャベツの写真を送ってきた。

大粒のものが見たところ30個くらい入っていて日本円だと50円程度。

東京で時々見かけるが、普通の大きさで8個くらい入っていて300円くらいしている。

なので、絶対に買わない。本当は綺麗な色で少し硬い目に湯がいて、そのまま食べたり、シチューに乗せたりしたら美味しいんだけど。

果物はどうかな?

あまりこだわりがない。柑橘系は皮をむくのが面倒だったりするくらいで…バナナだったら簡単…って、あたりまえか。

秋になると柿もいただいたりするが、僕は柔らかい方が好きなのでしばらく待つことにしている。

栗をいただいたりしたらどうしていいか分からない。栗はやっぱり天津甘栗を買って食べるのが一番おいしいかも。楽だし。

食べるものは自分で作ることがほとんどなので、2020年からの状況でも特に苦労はしていない。

結構、冷凍庫がいっぱいになったかな。

先日、賞味期限ぎりぎりのベーグル5個入りが250円くらいで売っていたので、2袋購入して、きれいにスライスしてひとつずつラップしてからジップロックに入れてしまっておいた。

今朝も食べたが充分美味しい。ベーグルも好きだが、日本では高いのでまず買うことはなかったし、結構楽しめる。

買い物に出ると必ず大手から小売店まで見て回る。

あ、今そうして思い出してみると、意外と魚を買ったりすることがないかな。

今日は魚でも…といっても鮭の切り身じゃァ芸がないしなぁ。

そう言えばいただいた鯖がまだ冷凍室にあったから塩焼きで食べるか…。

そんな風に考えているのはそこそこ食にこだわりがあるっていうことかな。

でも、立ったままヨーグルト入りのフルグラを食べたりもするので、きっと座ってじっくりメニューを見て、というようなスタイルに興味が無いんだろうな。

なので、自分が作ったものでもさっさと食べてすぐ洗い物を済ます。

鍋などは調理が済めば先にさっさと洗ってしまう。

そうして考えてみると多分、調理にも食べる事にも時間をかけたくないのだろう。なので、あまりこだわりや興味が無いように感じるだけなのかも。

外相

現外相が就任後初めてアメリカの国務長官と電話会談を行ったらしい。

その中で、面白いことを言っていた。

先日、僕が書いたこととは真逆で「自分も彼もむかしバンドをやっていたので、良いハーモニーが奏でていければいいと思う」

思わず大笑いしてしまった。

いや、この人別に嫌いでもない。

目立つほどの悪党でもなさそうだし、誰かさんのような品の悪さもなさそうだし。

だが、どうしてもこの人が出てくると「あ、猫」と言ってしまう。

ヒマラヤンキャット?っていうのかな。そんな風に思うの、僕だけかな?

なので、尚更嫌いになれないのかもしれない。

問題はそこではなくて、大笑いの理由だ。

聞く耳を持たない政治家同士、どちらのバンドも…あ、いやいや、あんまり人の事は云わないようにしよう。

しかし、僕にとってはタイムリーでなかなか面白かった。

追加:ゴールドのレスポールでリードギターを弾いて、出だし、ちょっとキーを間違えたのかもしれないが、なかなかいい音を出していた。この人ひょっとして政治家にはあまり向いていないのではないか…というほどでもないが。

軌道修正

あまりにもクズみたいな政治家や議員のせいで、当初、様々な見地から音楽を語ろうと思い始めたこのページも最近はクズに引っ張られてしまっている。

そろそろ軌道修正しなければ、と思いつつ、世の中の大半がストップしているような状況が続いてきたのでなかなか音楽のことも書けないでいる。

嘘、隠ぺい、国民を見下した態度、どれをとっても超一流の詐欺師としか思えないのだから文句を言いたくなるのも仕方ない。

もう忘れて少し音楽のことを…と思っていると必ずと言っていいほどなんか少し考えれば誰にでもわかるアホなことをやらかす。

もうお手上げだ。

でも、一応選挙には行く。行かずして文句は言えないだろうな、と思うので。

でも、もう一方で誰も期待できる人がいないのに何故行かなきゃならないんだろう?なんて考えたりもする。

国民の誰一人として投票所に行かなかったら(有りえないけど)面白いだろうな、と思ってしまう。投票率10%とか。クックック。

原子力発電所を国会の真ん前に建てたら、なんて妄想にふけってしまう。核のゴミを国会の敷地内に集める。これも面白い。

Aなんて、いの一番に逃げるだろう。そして誰もいなくなった…なんちゃって。

おっと。軌道修正するつもりだったんじゃなかったっけ。

今年も多くのいいミュージシャンがこの世を去ってしまった。

特に僕が大きくショックを感じたのはナンシ・グリフィス。彼女の唄は本当によく聴いていた。性格はきつそうだが、僕はあの、なんか愛嬌のある顔も好きだった。もちろん声もだ。

オースティン・シティ・リミッツにメアリー・チェイピン・カーペンター、インディゴ・ガールズ、ジュリィ・ゴールドと共に出ていた時には慌ててビデオを撮って擦り切れるほど観たものだ。

ニュー・ヨークのクラブでのライブビデオも仕事が終わって帰ると毎晩のように観ていた。

彼女が亡くなってしまったことは自分の音楽の歴史にポッカリ穴が空いてしまったようだった。

最近では、バンジョー弾きのビル・エマーソンやソニー・オズボーンもだ。

ビル・エマーソンはカントリー・ジェントルメンで来日した時に、その卓越したプレイに魅せられたものだった。

ソニー・オズボーンも時折飛び出すジャジーなコードワークや独特のタイミング、それに何といっても珍しいヴェガのソニー・オズボーン・モデルにも憧れたものだ。

そう言えば、よく覚えていないが、円山音楽堂で何かブルーグラス関係の音楽会があった時、アメリカから来た誰かが持っていたのを初めて見て、省悟と二人、眼を皿のようにして「わー!ソニー・オズボーン・モデルや!」と感激したことがあった。噂によると10台ほどしか作られていないらしい。

そしてトニー・マクマホン。

もう2016年にアイルランドで再会した時からかなり弱っていたようだし覚悟はしていたが、もう一度くらい会っておきたかった人だ。

2018年にアンドリューの家でラストレコーディングを聴いた時のことは、いまだに深く心に残っている。

彼のギタリストとして共にツァー出来たことは甥っ子のアンドリューにも感謝だ。

更にまた最近訃報が入った。今度も個人的に良く知っていた人物。ショーン・テリル。

Sean Tyrellと云う名前を日本語表記するのはとても難しい。以前、僕はこのコラムでトリルと書いているがテリルに近いのだろうか。

よく訊いておけばよかった。

いつも、ショーン・ショーンと呼んでいたので、あまりラストネームは気にかけていなかったので。

彼とはパディ・キーナンとのトリオで何か所かステージに立った。めっちゃ素朴で付き合いやすい人だった。

ギブソンの古いマンドチェロを持って、たまにマーチンのテナーギターを持って、深い味わいのある声で歌う彼に、よくギターで伴奏をしたものだ。

その後、アイルランドで何度か会って話をする機会があったが、彼もこの世を去ってしまった。

もうあと1ヶ月とちょっとで今年も終わってしまう。

本当はもうちょっと後で書くべきことだったのかもしれないが、あまりに価値の無い政治家や議員のことばかり言っていると、我ながら情けなくなってくるので、素晴らしい人達の事を書いてみたくなった、と云うのが今の心境だ。

辞職?それともクビ?

もうこのタイトルで今なら誰のことを言いたいのかが分かってしまうので、しょうもないことに首をつっこむのもどうかな、と思いつつ、黙っているのもしゃくだなという大人げない理由で書いている。

体調不良という割にはやつれた様子も痩せた感じも見受けられない。

まぁ、どんなにダイエットしてもなかなか痩せない人もいるし、知り合いの中にはしっかり食べているのに50年くらい体重が変わらない人もいる。

大体、政治家、議員という職業は最もミュージシャンからは程遠い職種かもしれない。

ミュージシャンはアンサンブルを考えるために他人の音をよく聴かなくてはならない。

他人の話を聞く気もない政治家、議員とは全く真逆だ。

休んでいても金だけはふんだくろうとする腐った性根も、ま、中にはいるかもしれないけど、政治家、或いは議員ならでは、というところだろう。

あのふてぶてしさもあの職種ならでは、だ。

こういうのがどうしてクビに出来ないのかが不思議でならない。

応援してくれる人がいる、などという嘘も…いや、家族のことだろうか。ならば思い込みで、嘘とは決めつけられないかもしれない。

こちらも最大限、気を使って書いているつもりだが、やっぱりどう考えても一刻も早くクビにするべきだ。

少なくとも本人が辞める気が無いのだから。

これからも、もし今の立場を続けていくとしたら、周りの人間も同じようなものだと思われても仕方ない。

ちょっと結末が楽しみではあるが、なにも変わらないまま新しい年を迎えるのかな?

環境問題

温暖化にも良いところがある、と言ったAはやっぱりそれなりの知能の低い動物だった。

この低俗動物が政治に対して力を持っているとしたら、日本は終わっている。

日本人の90%くらいはそう思っているんじゃないかな。

相手にもしていない人がそのうちの80%くらいか。

ま、そんなことはどうでもいいけど、僕らは既にいろんなエネルギーの恩恵で今まで生きてきていることは確かだ。

そこをどうしていくかが課題ではあるが、Aのようなぬるま湯動物にはさっぱり理解できない問題なのだろう。

とに角、地球の寿命はこのままいくとあと20年くらいという話もあるが、もしそれが本当だとしたら恐ろしい話だ。

20年…まだ生きているかもしれない?(あくまで「かも…」です)

2021年7月にケンブリッジ大学の研究員によって発表された面白い論文を読んだ。

「ニュージーランド、アイルランドなどの一部の島国は比較的冷涼で気候変動への耐性が高く、人類は農業によって居住可能な状態を維持できる」

なに?アイルランド?う~ん。農業はきついかもしれないけど、ジャガイモくらいなら何とかなるかな。でも、毎日フレンチフライかマッシュポテトかベイクドポテトが主食で、おやつはポテトチップス…って考えただけでもお腹の中が温暖化しそう。

ところで温暖化は人類のせいだけではなく、太陽の活動によるものだという説もある。

しかし、もし太陽の活動なるものが収まってきたとしても、人類が今まで通りの暮らしをしていると、ある程度の気温上昇は防げないともいう。

そのある程度と云うものでも様々な悪影響を及ぼすのだろう。

人類への悪影響、地球への悪影響はAの存在だけではなさそうだ。

スピード感の無さが功を奏したか

感染者が急激に減ってきた。

いつあの政党が我々の政策が功を奏した、と言い出すだろうか。

いや、もしかしたらいつまでももたもたして、なかなかワクチンに辿りつかなったことが今の数字に表れているのか。瓢箪から駒…か。

先日、希花さんが言っていた。

ロンドンからダブリンの飛行機はアイリッシュの若者の大パーティ状態だった。

ダブリンに着いたら、路上で大騒ぎする若者たち。

白人種の大騒ぎは日本人の比ではない。と、決めつけてしまうのは良くないが、数多くのシーンでそんなことを感じる。

彼等はいち早くワクチンを打ち、少し落ち着いてきたという事でマスクも外し、外に出始めたのだろう。

そうしてみると、先に述べたように政府のもたもた感が丁度良かったのか。

これが今年早くから行きわたっていたら、今頃「いやぁ、6波さん明治だよ」って、ちょっと唐突か…って言っているかも。

なので、まだまだ安心はできないが、それにしても、いつマスクを外すんだろう、僕たちは。

僕は比較的夏の間でも苦にならなかったが、それでも仕事で長い時間働きながらの人は大変だったろうなぁ。

とに角、政府が「明日からはマスク禁止」とでも云わない限り、多くの日本人はまだ外さないだろう。

これから冬だし、風邪もインフルエンザも怖いし。

やっぱり家に戻れば思いきり手は洗うし、うがいもする。

先日イギリスの若者のインタビューでも「マスク?あぁ、家に2枚あるよ。一応公共交通機関に乗る時の為に持っているけど、こんなもん付けて歩かない。手洗い?してないよ」

って普通に言っていた。

もちろん日本人でもそういう人は一杯いるだろうけど、恐らく欧米人の比ではないはずだ。

本当に日本人というのはよくできた民族だ。

だから政府もコントロールしやすいんだろうな。原発はアンダーコントロールって、国民はアンダーコントロールだろう。

なにはともあれ、このままブースター接種が始まれば僕は4回でも5回でも打っていただくつもりだ。

ま、それは極端だが。

政府のスピード感が感染者に関してこの結果を生んでいるとしたらいいけど。

どこかからミサイルが飛んで来ても「スピード感をもって来月中には撃ち落とします」なんて…まさかそんなことないよね。

体力

ショパン国際コンクールで2位を獲得した反田氏がなかなか面白い。

初めて顔を見た時は、なんかパンク町田の若い時みたいだなぁ(若い時知らないので、若くしたみたいだ、と云うのが正しいのかな)と思った。

その彼がとても共感できることを言っていた。

「海外で演奏するのに必要なのは体力」といった主旨のこと。

これは本当だ。

アメリカでもアイルランドでも、身体がしっかりしていないと貧弱な演奏になってしまう。

パディが日本のアイリッシュミュージシャンの事を言っていた、みんな上手いけどパッションが感じられない、というのはそういうところもあるのかもしれない。

キアラン君は一見スリムなのだが、彼から出てくるフルートの音には地響きのようなものを感じる。

身体全体が響いている、と云えるのだろうか。

その昔、ジムに通っていた頃、日本人の若い男の子が「以前、学生としてテキサスに居た時思ったんですよ。ひょろひょろして歩いてるの日本人だけだな」

そんな彼は、なにを成し遂げるにも体力が必要だと感じ、ジムに通い始めたと言っていた。

欧米の人間はやはり、良い悪いは別として食い物が違うのかな、というのはかなり昔から言われていた事だが、とても面白い話も聞いたことがある。

それは僕の父親からだった。

「捕虜になってアメリカの空母に乗せられた時、アメリカ兵と腕相撲をして楽しんだけど、驚くことに日本の少年兵がどでかいアメリカ兵をバッタバッタとやっつけるんだ」

これは面白いことだが、何だろう…大和魂か、或いは神風が吹いたか…でも、もう戦争は負けていたんだし…よく分からない。

もしかしたら、戦後の日本人がかなりひ弱になってきたのかもしれない。細い方が見た目がいい、とか、そういった理由も含めて。

しかし、やっぱり体力、と云うのは基本的にはあった方がいい。勿論、そこには筋力というものも付いてくるのだし。

きっとその頃の少年兵たちも、ろくなもの喰わされていなかったにせよ、かなり苛酷に身体を鍛えていたんだろうな。御国の為に。(国民の命と財産を守るために…?)

さて、音楽の話に戻るが、反田氏の考えと同じことを僕はアメリカで感じていた。

2週間もアメリカをツアーすると、とんでもない移動を強いられる。それは体力勝負だ。

そしてついた土地での演奏。終わってからのセッションを朝までやって、昼にはもう違う州に居なくてはならない。

そこでまた朝まで演奏。こんなことの連続に堪え、またパフォーミングでは力強い演奏をしなければならない。

自分の体を楽器にしなければならない。

反田氏もそう感じたのだろう。

楽器の音が身体に入り、それが増幅されて力強い音となって聴衆に響く。そこには限りなく力強い繊細さ、というものも存在する。

それこそが音楽のひとつのかたちかもしれない。音楽に必要な要素の一つかも知れない。

音楽

僕にとっての音楽とは…って考えたこともないけど、それでは終わってしまうので、ちょっと考えてみようかな、と思った。

確かに葉加瀬太郎がアイルランドに行って、マーク・ドネランに「あなたにとって音楽とはどういうものですか?」と尋ねた時の彼の反応が面白かった。

「へぇ、そんなこと考えるんだ」という表情で笑いながら「考えたことない」と言っていた。

マークはほとんど地元から出ないフィドラー。

酪農の傍らの演奏だが、彼の追従者は希花さんも含め非常に多い。

僕も何度か一緒に演奏させてもらっているが、その楽しい演奏と素晴らしい技量とで圧倒させられる。

アンドリューとのトリオで演奏したことがあるが、一向に止まらなかった記憶がある。

多分、アンドリューにしても、自分にとって音楽とは…なんて考えたことがないだろう。

果たして僕ら、いや、僕は音楽が好きなんだろうか。音楽とはそういうものなんだろうか。

以前、あるエンジニアにマスタリングをお願いした時に、普段どういうもので音楽を聴いているか尋ねられたが、返答に困ってしまった。

まず、音楽を聴くことは無い。

何か特別に覚えたいもの、覚えなくてはならないものでもない限り、目的なしに音楽を聴くことはない。

何かをしている時、後ろで音楽が流れていることは絶対に無い。

何気なく音楽を聴いていることはまず無いし、リラックスするために聴くこともない。

幼少期、ピアノを習っていた頃、家に帰ると即ピアノの前に行き、さっき聞いた救急車の音などと言って弾いていたらしい。

あの頃はただ単純に好きだったんだろうなぁ。他に何かに入れ込んでいた記憶は無い。

先生からはとんでもない天才かもしれない、とも云われたらしい。

よく「好きこそものの上手なり」と云うが、子供の頃の僕にはかなり当てはまっていた言葉かもしれない。

音楽の無い人生なんて…みたいなキャッチコピーもあるが、その通り、とはあまり感じない。

やっぱりそんなこと考えたこともないし、ひょっとしたら自分自身が音楽そのものだと考えるとつじつまが合うのかもしれない。

まわりに音楽が存在しなかろうが、自分には関係が無いのだし。

たかが音楽、されど音楽、とはよく言ったものだ。

日本

日本と云う国はすごく良い国だと思うけど、同時にとても情けない国になってしまっている、と感じる。

ノーベル賞の真鍋氏の発言も話題になっているが、確かにその通り!と云いたくなる部分が多々あると感じる。

また、日本にずっといたら気がつかない事や、それも分からないでもない、その通り、などと思うことがいっぱいある。

しかし、こんな平和で安心安全な国でもあっと驚くようなことも起きる。

それはどこにいても同じことかもしれない。

運が悪かったり、ちょっとした気の緩みとか、いろいろな条件がそろっていたりすることがある。

僕自身、仕事帰りの夜遅くに黒人街のど真ん中を自転車で走り抜けていたことがあるが、それもほぼ毎日のペースだった。そこが一番坂の少ないルートだったので。

誰かと出会ったら「Yo!」とこちらからオーラを送る。すると向うも「What’s Up Man!」と返ってくる。

おどおどしたら負けなのだが、これも運の問題かもしれない。たった一度通っただけでも危ない目に遭う人もいる。

いや、ここで云いたかったのはそういう事ではなく、やはり才能ある人がなかなかその才能を発揮できない国であることだ。

特に今回の真鍋氏のような研究を長年している機関にあまりにも少ない額のお金しかいかない、という話。

嘘ばかりつく政治家、悪態ばかりつく政治家には有り余るくらいのお金がいくのに。

ノーベル賞受賞者に「日本の誇りだ」と云う政治家は「日本の恥」だ。

我が身の利益ばかり考えずに、もっと人々の為に有意義なお金の使い方をすべきだ。

ステーキ会食に現を抜かしている場合ではない。

ちょっと飛躍するかもしれないが、カミカゼ特攻隊の話を聞く度に、今の様な政治家がのさばっていることに悲しさと怒りを覚える。

選挙になると給付金のばらまきみたいな事を云い出すが、どこから金が湧いて出てくるのだろう。

借金大国の日本だというが、政治家に要らん金が行き過ぎているんじゃないか、と思うので、「私たちの給料を半分に減らし、悪事を働いたり、ろくな仕事をしていない政治家の資産を全て没収して財源にまわします」くらいのこと言う奴が出てこないかな?

あんまり詳しくない経済のことなので好き勝手なことを言いますが、とに角、政治家は自分たちにとって損になること、不利益になる事は絶対に避ける、という信念のもとでやっているようだし、ここは変わらないだろう。

政治家のみならず、全てを黒塗りにしてしまう行政機関も変わることはないだろう。

こうしているうちにまた始まった政治家の叫び。

家の中のテレビの音よりもうるさく聞こえてくる。窓もカーテンも閉め切っているのに。

大きな声でわめけばみんなが感動すると思っているのだろうか。

云いたいことがあれば、ちゃんと国会なり議会なりでしっかり発言すればいいのに、選挙前だけいきがってもらっても…。

日本は良い国だと思うが、やっぱり政治家の質が地に落ちている。

どうにかして、この人なら!と思う人物が登場してくれないかな、と思う今日この頃だ。

僕には分からない

失礼かも知れないが、どう見てもアホとしか思えない。

何が「万歳!万歳!万歳!」なんだろう。

と、普通の感覚だったら思うのだが、そうでもないのかなぁ。

僕には分からない。

体調不良などという見え透いた手を使って会議を長く休んで、給料だけは身を粉にして働いている人の数倍もふんだくる。詐欺罪で逮捕されないのかなぁ。

僕には分からない。

「おっぱい!おっぱい!」と酔っぱらって連呼していた奴って、まだ白々しく議員やっているのかなぁ。

僕には分からない。

金メダルは新しいものに交換されたから、はい、これで終わり…?

僕には分からない。

こいつら全部やめさせることが出来ないのかなぁ。

そんなこと思うのは僕だけかなぁ。

分からないことだらけだ。

そんな中、また始まった。

大声が響いている。

もしかしたら迷惑かもしれない、という想像が出来ない連中の雄叫びだ。

迷惑を承知でやっているとしたら、あおり運転と大差ない。

ワンちゃん、ネコちゃん達を助けてあげてください。ガーナの子供たちに小学校を…。

と肉声で訴えている人たちの背後で思い切り大音量をスピーカーから響かせていい気になっている連中。

本当に分からない。

ザ・ナターシャー・セブン(昼下がりコンサート)

1971年の高石氏との出会いから、事実上僕が脱退した1984年までの事などは既に

「ザ・ナターシャー・セブンとその時代背景」というコラムで書いてきました。

なので、何を今更、という感も無いことは無いけど、つい先日、当時のスタッフたちが中心になって円山音楽堂で昼下がりコンサートが開催されました。

僕は不参加でありましたが、このコンサートに関する熱い思いは、彼等からずっと聞いていました。

それにしても、このコロナ禍での中止のうっぷんを晴らす好天気に恵まれたようで、本当に良かったと思っています。

ザ・ナターシャー・セブンという表記が正しいのか分かりません。

ザ・ナターシャーセブンなのかな?

よく想い出すのが、マネージャーの榊原さんが「ナターシャ」ではなくて「ナターシャー」です、と、やけに「シャー」と伸ばすところを強調していたことです。

もう50年にもなるのですね。多くの人にお世話になりました。

当時、既に芸能人として活躍していた高石氏とは違って、僕は完全なドロップアウト大学生でアマチュアバンドの仲間のひとりでした。

そこから始まったバンドに多くのスタッフが集まってくれました。

そんな彼らが満を持して、と云うのでしょうか、この灯は消してはならない!という思いで開催してくれた今回の昼下がりコンサート。

確かに日本全国にナターシャーに影響された、という人が一杯おられます。

その多くは1973年~1984年の11年間の僕らを見て、聴いてきた人達だろうと思います。

僕が思うにザ・ナターシャー・セブンの本当の意味でのナターシャーたるところはその11年間だったろうと思う。

更にマネージャーの榊原氏を失ってからは僕にとってのナターシャーはもう終わりを見はじめていたのかもしれない。

僕が去り、坂庭君が去った後のナターシャー・セブンというのは果たしてザ・ナターシャー・セブンと云えたかどうか、僕にはよく分かりません。

高石氏が頑張ってその名を引き継いできた、というような美しいストーリーはそこには存在しないと僕は思います。

なので、もしかしたら本当に内部からザ・ナターシャー・セブンを語ることが出来るのは、高石さんと僕…省ちゃんと木田ちゃんはいないし、金海君は短かったし、もういないし…それとずっと一緒に働いてくれたスタッフだけだろう。かろうじてメンバーとして進ちゃんが入るかな?

僕が抜けた後にもナターシャーの一員になった人が何人かいるようだが、僕はあまりよく知りません。

もしかしたらそれこそがナターシャー・セブンだと感じておられる方もいるかもしれないのであまり下手なことは言えませんが。

どう考えても高石氏のみなぎるパワーに伴うアイデァと表現力を最大限に生かすことが出来たのは、僕と坂庭君しかいなかっただろう。

この際、木田ちゃんは別格として。

1973年の坂庭君の加入で僕の持っていたものと彼の持っていたものが絶妙に炸裂したものがザ・ナターシャー・セブンのサウンドを決定づけている、と感じます。

そんなナターシャーの意思を受け継いだスタッフたちの今回の企画には本当に頭の下がる思いだし、大いに感謝しています。

この昼下がりコンサートはおそらく毎年くらいのペースで続けていくでしょう。まだはっきりしたことは聞いていないのでいい加減なことは言えませんが。

僕は少し遠いところから見ているようなところがありますが、そのうち参加させていただくかも知れません。

ザ・ナターシャー・セブンの生き証人として、出来れば高石さんと共に…。

フィドル

2021年3作目のアルバムは僕らの基本的なスタイル、フィドル&ギターというところに重きをおいてみた。

これまでハープ&ギター、そして様々な楽器のものが2作目。どちらも希花さんのフィドルはあまり登場していない。

なので、今回はフィドルを少し多めにしてみた訳だ。

10年前、このデュオを始めた時、これはもっともっと本場のプレイを聴いたらいい、と思ったものだ。

それは音楽だけではなく、生活感も空気感も全てがこの音楽に結びつくという考えからだった。僕が1984年にカーターファミリーと過ごしたあの時のように。

更に、そこに住むという選択肢も無いことは無いが、そこで得た体感を自分自身の感性と結びつけるのには、少し離れたところに身を置くことも必要だと思う。

そして、もはやアイルランドのあちらこちらで一流のミュージシャン達に認識されるようになった希花さんだが、そこは賢い性格が邪魔してか、なかなかフィドル・メインのアルバムを作ろうとしなかった。

そこにはこの音楽に対してのリスペクトが大きく関わっているのだろう。

ただ、僕も思うにそれは本当に大切なところだ。

ある程度のテクニックは他人に教えることが出来るが、それ相当の責任を持たなくてはこの手の音楽を他人には教えることが出来ない、と云うのが僕の考えだ。

なので、アルバム作りもそれと同じだと考えている。

ちょっと考えすぎかもしれないが、ただ「いい曲」「好きな曲」と云うだけではなく、その曲に秘められた背景や歴史的な物語などを知らなければ、ただ楽譜にあるだけのものになってしまうからだ。

僕は95年くらいからティプシーハウスで演奏し出して、そこを深く意識してきたが、恐らく107ソングブックの時から持っていた感覚だったのかもしれない。

なので、希花さんもそれはこの10年ずっとみていることだ。

上手い人は一杯いる。でも、造詣の深いミュージシャンこそが真にこういった歴史ある音楽を奏でることが出来ると信じている。

理屈はともかく、この10年でアイルランドを代表するくらいのフィドラーの一人となった希花さんのプレイと、今回はブルーグラスタッチの5弦バンジョーも収録されているし、久しぶりに僕は1899年製のマーチンでも1曲弾いたし、この3作目を是非楽しみにしていてください。

ありゃ、結局CDの宣伝みたいになってしまったけど、とに角フィドルをフューチャーしたアルバムに乞うご期待を。まだまだ現在進行中です。

ヴァイオリン

このコラムではフィドルについて、或いはヴァイオリンについて沢山書いてきた。

もう周知の如く、僕らの演奏する音楽はフィドル・ミュージックと云えるものだ。今回は統一してフィドルにしておこうかな。

いや、ヴァイオリンにしておこうか。

と云うのが、最近テレビを観ていて、希花さんが面白いことを言っていたからだ。

「このヴァイオリンという楽器ほど、持っただけで素人か、それなりに弾く人かが識別できる楽器は他に無いんじゃない?」

確かにピアノの前に座って鍵盤に手を置いているだけのポーズなら弾く人かどうか分からないだろう。

ギターでもにっこり笑って抱えていればあんまり分からないかもしれない。

チェロは弓を縦にしてでも持って、本体を股に挟めば…それで格好つけてれば分からないだろう。

笛の類もそうかもしれない。

そう考えるとヴァイオリンは構えた時の姿勢に無理があるのかな?それだけに難しいのかも。

大体、物を顎で挟んで肩に乗せるなんていう事は普段の生活でもあまりしない。

そう言えば、省ちゃんと電話でギター談義をするとき、よく受話器を挟んでギターを弾いたけど、あれはけっこうきついポーズだった。

しかもヴァイオリンの場合、自分の手から非常に遠い位置で音を出している。

弓だ。

誰が考えたのかな?あの弓なるもの。

左手の運指についても、ほとんど見えないところで動かす。

摩訶不思議な楽器だが世界中の音楽に使われていることがまた不思議だ。お、上手いこと韻を踏んだ。

それにあんなに怖い楽器もない。

もし弾いている最中に弦が切れて自分の方に飛んで来たら、なんて思ってしまうが、それはあまり無いようだ。五嶋みどりのようなこともあり得るが、自分の方に飛んでくることは無さそうだ。

そう言えばギターでもあんまり派手に自分の方に飛んでくることは無い。

僕は演奏中に弦を切ったことは今までに1回か2回くらいしかない。50年以上でそれだったら良い方だろう

でも、ギターの弦は安いものだ。

希花さんのヴァイオリンの弦は1本で僕の弦が20セットほど買える。

ヴァイオリン…つくづく大変な楽器だ。

デマ情報

最近、ワクチンの話になると、明らかなデマを流して嬉々としている素人が一杯いるようだ。

デマの中にも色々あるようで、考えれば分かることと、うん、ま、そう言いたいことも分からんでもない、とかあるが、今の時代、あまりにも周りを見ることが出来ない人間が多すぎてこれが、本当に困ったことだ。

多くの人は感じている事なんだろうけど、誹謗中傷なども後を絶たない。

大体、現財務大臣なんかは完全な「国民に対する誹謗中傷」を顔からしてぬけぬけと公の席でやってのける。

ああいうのがのさばっている限りは、無くならないだろうし、またいなくなったら別な奴が現れるかな。

あんなに発信力の乏しい総理大臣というのも、特にこの1年半は、一体隠れて何してたんだろう、等と思ってしまう。

実際には大変な思いをしていたのかもしれないが、そこは国民に知られたくなかったのか、あまりにもお隠れになっている時間が長すぎたようだ。

世の中には「何故?」ということがいっぱいあるが、悪行多き政治家や、知っていて平気で他人を困らせる人に「何故?」と訊くことはもうナンセンスかもしれない。

ワクチンで家族が分断している、なんていう話を聞くが、これも所詮、意見は平行線をたどるのだろう。

多くのケース、それは精神的な問題だと思うので。

なので、デマ情報を安易に流したり、安易に信じてしまったり、平気で誹謗中傷を拡散したりする人は既に精神的に人間としては成り立っていけないのだと思う。

しかし、不思議だ。

街に出ると明らかにおかしい奴を見かける。

特に気になるのが、駅前であっちへ行きこっちへ行きながら大声で歌って、少し踊っている奴。こぶしを振り上げて「Come on Baby America!!」と凄い音痴で歌っている。

ところが、マスクをしている。寒い日はマフラーを巻いている。暑い日はちゃんと洗濯しているだろうTシャツを着ている。

何処が不思議かというと、朝起きて鏡を見て髪の毛をとかし、歯も磨いて顔も洗うだろう。そして何が彼に「マスクをつけなくちゃ」と思わせるのだろう。

家族が居て、お母さんが「マスクして行きなさい!」とか云うんだろうか。奥さんがいるんだろうか?しかし、ちゃんと付けて歩いている。鼻も出していないし、顎にも引っかけていない。

そして、いつスイッチが入って歌い出すのだろう。部屋を出た途端だろうか。表通りへ出た途端だろうか。

時々ホームレスみたいな爺さんとにこやかに話し込んでいる。電池でも切れたか、と思うくらいに普通に静かだ。

家に帰ってからは、手洗いうがいするんだろうか。シャワー浴びて明日は何を歌おうか、何を着ていこうか、なんて思いを張り巡らすのだろうか。

考えてみれば、陰に隠れてなんかやっている奴よりは、こういう明らかにおかしい奴の方が安全かもしれない。

陰に隠れていなくても、政治家と云う立場を利用して国民をバカにしている奴も危険だ。

かくなる僕もいろいろ言っているが、ことさら政治家にはみんなもっと厳しくしてもいいと思っている。

だって、給料高いんだから。しかして何かやらかしても議会を休んでほとぼりがさめるのを待っている、という構図が生まれてくる。

その間、給料が払われているのかと思うと、怒りを通り越して情けなくなってくる。

これ、決してデマ情報ではないと確信していますが、

Gibson RB-500

先日ある方から(お名前は書いていいのか分からないので)お便りをいただきました。

僕が70年代初頭使用していたギブソンのRB-500について、もっとよく知りたい、という事でした。

彼は当時、友人と「やっぱり金は良いなぁ」という事で持っていたバンジョーを金色に塗った、とか。

僕もいろいろやったけど金に塗ったことはなかった。凄いなぁ。

さて、例のバンジョーRB-500と云うのは結構レアかもしれません。

当時はRB-100  RB-250 の上はRB-800という観念でした。余り情報も無かった時代です。

なので、手に入れてしばらくはRB-800 だと思っていました。

あれは神田のカワセ楽器だったと思いますが、ひょっとすると売った方もそう思っていたんではないかな。500という話は全く聞かなかったし…。

インレイはフライング・イーグルでしたが、後でよくよく見ると、確かに800のそれとは少し違ってシンプルな形だったかもしれません。

ヘッドストックは普通のイカみたいな形の少し大きめだったので僕と省ちゃんは「スルメ」と呼んでいました。

詳しくはイカが「ダブルカット」と呼ぶようですが、僕のは「Huber」という形に近かった、かと思います。

アーチトップ仕様のパキパキした音でした。

それまで使っていたヴェガのスクラッグスモデルとは全く違う音でした。

重さもそこそこありました。

ネックは比較的肉厚で幅も狭くなく、いい感じの弾き心地です。

調べてみると結構ボウタイインレイのものが多いようです。ゴールドでない物もあるみたいです。

とに角、何故500だという事が発覚したかは…記憶によるとヘッドを交換しようとバラした時、中にRB-500という刻印が有った…ような、本当にいい加減な記憶です。

恐らく、グレートレイクスを手に入れるまでは僕のメインバンジョーだったと思います。

楽器を選ぶ

よく坂庭君と僕とは2人で楽器屋さんに行った。当たり前か。

そんな中でも神田のカワセ楽器はいちばん二人でよく出かけた場所だろう。

東京に何日か宿泊すると、必ずと言っていいほど行ったところはアメ横。

これは紛れもなく彼の趣味で、僕はただ付いて行っただけだが。

そして神田へ。

当時、エスワイルと云う名前のババロワがとても美味しい喫茶店があった。ケーキ屋さんだったかなぁ。

そこはカワセ楽器の近所で必ず寄ったものだ。

途中、路地の奥の方にいつも沢山の人が並んでいるラーメン屋さんがあったが、立ち寄ったことは無い。

横目で見ながら「席、ひとつだけやろか?」てな冗談を言ったものだ。

そう言えば万屋さんみたいなところがあって、いや、本屋さんだっかな?店先の箱の中に犬が座っていてその箱に「さわるのきらい」と書いてあった。

だれか見た事ある人いますか?

そしてそのままカワセ楽器へ行くともう一日が終わってしまう。

大体長居するからだ。

2階だったか、別室があって、そこであれやこれや弾かせていただく。

そんな時の僕らの会話は「お前、それよく似合うぞ」そんな観点で楽器を買うヤツ居ないだろう。

このフレーズ、今ではクロサワ楽器ドクターサウンドの小林君に引き継がれている。

「お客様、よくお似合いで」すかさず僕はこう返す「いやいや、店員様の方がよくお似合いですよ」

想い出のブルーグラス

想い出のグリーングラスという歌があるので、それにひっかけてこの題にしてみた。

もう周知の如く、僕にとっての初めてのブルーグラスはFoggy Mountain BDだった…かな。なにせ1964~1965年というとても昔の話なので鮮明には覚えていないが、あの衝撃に関してはよく覚えている。

バンジョーを弾き始めたのは高校1年の頃、と云うとやっぱり64~65年だ。

9500万人のポピュラーリクエストで聴いた「ワシントン広場の夜は更けて」とボビー・ソロの「ほほにかかる涙」で、すでにバンジョーの音は知っていたけど、確かにそれから思えば衝撃的なものだった。

そう言えば、ブラザース・フォーの「ダーリン・コリー」もあったけど、ブルーグラスではなかったし、あのピッキングはどちらかと言えばテクニカルなフォークバンジョーに近いものだった。が、しかし素晴らしいものだった。

どうやらエリック・ワイズバーグが弾いていたらしい。

高校時代はどこへ行くにもバンジョーを持って出かけた。

ピアレスの1万5000円くらいの物だったのでそんなに重くなかったけど、それでも今持ったら重く感じるかな?

大学に入ってすぐカスガの4万円の物を購入したが、これは今持ってもそこそこ重く感じるかもしれない。

バンジョーという楽器に於いてはその重さと云うことはけっこう重要な要素だ。

とに角、高校時代後半はブルーグラスバンジョーのプレイヤーになる、という事を自分の目標にしていた。

そんな意味でもフォギー・マウンテン・ボーイズの来日はベストタイミングだった。

何となくグラフィックデザイナーになりたかった自分の思いをまた、ブルーグラスバンジョー・プレイヤーの方に向かわせてしまった。

そんなこともあり、当時まだ使っていたピアレスでは物足りなくなり、カスガを、今思えば神田のカワセ楽器で手に入れた。

それはそれは興奮したものだ。当時としては良い買い物だった。

それからは怒涛の如く、ドン・レノ、ビル・キース、エディ・アドコック、勿論アールは当然、コピー、コピーに明け暮れる毎日だった。

法学部に出向いた日数よりは軽音の部室に出向いた日数の方が明らかに多くなった。

当時の京都産業大学ブルーリッジで一番レパートリーの多かったのはスタンレーブラザースからのものだったかな。

とに角、先輩たちの奏でるブルーグラスは僕にとって本当に新鮮なものだったし、一生懸命それについて行った。

フラムスのバンジョーを弾いていた酒井さん、ギターとボーカルの細谷さん、フィドルの松井さん、ベースの山本さん。今でも僕のヒーローだ。

カセットテープというものが出て来て、それまでのオープンリールのものとは違い、スピードを落とすことができなかったので、コピーには向いていない、とバンジョー弾きの酒井さんがテープを解体して中身を調べていた。

それでどうなったかは覚えていないが、どうにもならなかったのだろう。

最初は一乗寺に下宿していて…あ、その前に下鴨に少しだけ居たっけ。

そして北白川に移り、当時は「北白川のアドコック」と呼ばれるくらいにエディ・アドコックに憧れていた。

何はなくともブルーグラス、何はなくともバンジョー、という毎日だった。

2021年10月1日 (金) 徳島

日時:令和3年10月1日(金)午後7時開演(午後6時30分開場)

場所:藍住町総合文化ホール 大ホール 徳島県板野郡藍住町奥野矢上前32−1

出演:城田純二、内藤希花

チケット:
前売券 一般 2,000円 、小・中・高校生 1,500円
当日券 一般 2,500円 、小・中・高校生 2,000円
※小学生未満の方は入場不可
※新型コロナウイルス感染症拡大状況によって、座席を制限させていただく場合があります。

チケットの取り扱い
藍住町総合文化ホール、エミール・カルチャー、小山助学館本店、フクタレコード、音楽喫茶みき、アーロンズ、ジャクソンズ
電話予約可(080-6386-2946(小西)へお申し込みください。)

2021年9月の不思議

どうやら政治家にとってはもうコロナは収束したも同然らしい。

元々あの人達には関係ないのだろう。

金はある。買い物に行く必要もない。

美味しいものを食べて広々とした部屋で「先生、先生」と云われてふんぞり返っていればいいのだし。

みんなが苦しんでいようが、医療関係が逼迫しようが彼等には関係ないのだ。

それこそ「別な地平」と云うところだ。

悪態をついても、嘘をついても、逃げても何故そこにぶら下がっていれるのだろう。

不思議で仕方ない。

2021年8月も終わり

なんだかすごく暑かったようだけど、東京の猛暑日と云うのは意外と少なかったようだ、

そういえば、中旬にけっこう涼しい日が続いた記憶もある。

クーラーは勿体ない、という世代でも流石に我慢できないことが多かったけど、あの頃は5日間くらい全然つけなかった。

さて、今年後半はどういうことになるだろう。変わりないかな?

先日、渋谷で若者に接種を、ということでとんでもない行列が出来たニュースを見ていた。

小池さんが視察に行ったみたいだが、記者の問いかけには答えず、さっさと涼しそうな車の中に逃げていった。他の人でもよくみる光景だった。

いやいやそこではなく、なんかさすがにいまだにファックスでやりとりしている行政の物事の進め方が良く分かった状況だった。

いや、分からんでもない。

先日、スマホの充電コードがちょっとやばくなってきたので、新しいのを買おうかと思い、ま、100均でいいか、と出掛けて行った。因みにこの辺には徒歩5~6分の範囲に100均が4軒もある。

行ってみると意外と種類が多い。取りあえず、これかな?と思うものを購入したが、コードが短い。そこでもう一度、今度はもう少し長いものを購入した。

前回の物の番号、品番などを確認して…でも、スマホ側に入らない。

希花さんに電話で訊いたら「あんたのはスマホじゃなくてiPhone!」と云われた。

じゃ、歩きスマホだけじゃなくて、歩きiPhoneというのもアナウンスに入れないといけない。歩きiPadとか。

ま、これなんか言いがかりだが。

カッパ巻きを作るのに、同じキュウリでもアメリカンキュウカンバーではどうにもならない、というのと似ている。どちらもキュウリだが。

また先日、首相がオンラインとテレワークの言葉の違いが分からなくて、指摘され、云い直したという事があったが、結局まだわかっていないんだろうな。同情します。

未だに現金で買い物をするアナログ人間の僕は時代遅れかもしれないが、やっぱりその方が安心できる。

また、ワクチンの異物混入と云うのが今、問題になっているが、これなんか日本だから見つかったのかもしれない。

他の国みたいに1週間の講習で誰でも打てる、とか言っていたら見つかるわけがないし、本職の医師でも見つけることが出来なくて、或いは「なんか入っているけど大丈夫だろう」程度でもう既に数万の単位で終わっているのかもしれない。

希花さんはレストランで何か食べる時、穴のあくほど細部まで観ている。

ずっと前だが、オムライスで有名な店に行った時のこと。

メニューにはかなりの講釈が書かれてあった。それは、私たちはオムライスの卵作りに命を懸けています、的な表現と共に、かなりの自信ぶりだった。

ところが希花さんのオムライスには見事に小さな(本当に小さな)卵の殻が混入していた。

良く気がつくなぁ、と言ったらみんな気がつかずに食べているだけだよ、と言っていたが、さすがに、こういう人に医師になってほしいものだ。

8月も終わるのでなにか気がついたことを書き並べてみたが、なんかAKB程度の総裁選だそうだ。

そんなに魅力のある地位なのかな?

見ざる 言わざる 聞かざる 、金大好き、権力大好き、料亭大好きの人間には美味しいポジションなんだろうなぁ。

来年の8月もこんなことで文句ばかり言っている自分なんだろうか…。

世界

また世界が混沌としてきた。

コロナもさることながら、イスラム国、タリバン、ロシア、中国、アメリカ…。

中東の情勢を見ていると、コロナのことはどこかに飛んで行ってしまう。

イラク戦争が始まった時、多くの若者が警官に拘束されていくのを見ていた。

その前に9・11の静まり返ったアメリカ。

そして団結を誓ったアメリカ。

あんなことがまた起きなければいいがな、と思ってしまうが、バイデンの演説もなかなか凄かった。

We will not forgive.

We will not forget.

We will hunt you down and make you pay.

バイデンは僕にとって、どうしてもクリント・イーストウッドを連想させてしまう。

Make my dayとは云わなかったが。

日本ならさしずめ官房長官が、にやけた顔して(ごめんなさい、元々緊張感の無い顔なのかな?)

「誠に遺憾で許しがたい行為であり、断固として抗議する」っていう用意された文章を読むのかな。

そして首相が「しっかりと対応していく」と言って、さっさと逃げていくんだろうなぁ。

報復を宣言するか、お茶を濁すか、どっちがいいのか分からないけど、どちらにせよ説得力の欠如は否めない。

取り残された日本人が無事帰って来られるに越したことは無い。

北朝鮮や中国、ロシアなんかは、さぁ、アメリカとタリバンとイスラム国がどのように泥沼にはまっていくか楽しみだ、と思っているだろうな。

いっそのこと、それらの国のトップがどこか迷惑のかからないところで素手で一騎打ちでもしてくれたら…ってプーチンの勝ちかな?

しょうもないことを言っていないで、これからも世界の動きをしっかり見定めていかなければならない。

緊急車両

最近やけに緊急車両、多くは救急車の音を耳にすることが多い。

多分熱中症とか、やっぱりコロナ関係かもしれない。

救急車というとどうしてもある男を想い出してしまう。

2015年なら例の、一度あの世を見た青年。希花さんが居なければ彼はあれで終わっていただろうあの件。

救急隊員も「あ~コリャ駄目だ」と一瞬動きが止まったほどの緊迫した場面。

救急車の後をついて病院まで行ったっけ。

でも想い出すのは彼よりも先、僕がアメリカに居た時の話。

お店にはいろんな業者が出入りしていて、この曜日には八百屋、この曜日には魚屋、別な日には肉屋、という風に、アメリカ人、フィリピーノ、中国人、メキシコ人etc

ほとんど若者だったが、いつもいつも忙しそうに荷物を降ろしていた。

店の前は必ずと言っていいほどパーキングスペースがない。

なのでどうしてもダブルパーキングを強いられる。

彼等は必ずと言っていいほど、チケットを切られるが、程度を越すと自分で罰金を払わなければならない。

それに多くの店をまわるので急がなければならない。

そんな中に白人の若者が居た。歳の頃は25~6くらいか。必ず「Hey Dude!」とニコニコして軽快なステップを踏んで入ってくる典型的ヤンキー青年だ。

そう、彼の言っていたことを想い出すのだ。

「Dude、俺はいつか必ず救急車のドライバーになってやるんだ。そうすれば、駐禁取られることも無いし、スピード違反も取られない。信号無視も関係ない。どけどけ!と叫びながら、どかない奴はガンガン当てて突き進めばいいんだ。気持ちいいぞ!」

魚屋の彼は早く生臭い匂いから解放されたかったんだろうなぁ。

今頃思う存分走り回っているだろうか。でないとしても流石に魚屋には居ないだろうなぁ。

この文を書いている最中にも遠くに救急車のサイレンが聞こえる。それにしても日本の救急車は秩序ある走り方をしている。「申し訳ありません。通していただきます」的な…。

この数日間で

僕にとって一番の驚きはナンシ・グリフィスの記事だった。

80年代、僕が最もよく聴いていたシンガーだったナンシ。

僕が居る間にベイエリアにやってきた記憶は無いが、知らなかっただけだろうか。

いや、もし来ていたら気がついただろうな。

アルバムはほとんど持っていたし、ビデオも毎日のように観ていたし。

オースティン・シティ・リミッツに出演した時のもので、Mary Chapin Carpenter,

Indigo Girls, Julie Goldが共演していたものも擦り切れるくらいに観ていたものだ。

Lone Star State of MindやGoin’ gone, Once in a very Blue Moonなどをよく聴いてPat Algerのテープ(カセットです)も手に入れていた。

そのナンシが亡くなる、という事は何故か自分の中に少しだけど空洞ができてしまったような気持にすらなる。

そしてもう一つの記事を今日、見てしまった。

ビル・エマーソンに関してだ。

83歳という年齢から考えれば、ないことは無いが…カントリー・ジェントルメンの来日は衝撃的なものだった。

バンジョーを弾いていた僕にとって、彼の卓越したプレイに触れたことは天にも昇る気持ちだった。

勿論、ビル・キースやエディ・アドコック、ベン・エルドリッジ JDクロウなど、多くのバンジョー弾きを実際にこの眼で見、聴いてきたその中でも彼のプレイは突き刺さったものだった。

そんな、シンガー、バンジョー弾きの訃報に続き、笑福亭仁鶴氏の記事も飛び込んできた。

70年代、毎日放送に出入りしていた僕らは、よく月亭八方、林家小染、桂きん枝、文珍 等とも交流があり、そんな中で仁鶴師匠ともよくお話したものだ。

様々な人の訃報は、この歳になれば当たり前のことかもしれないが、そうでもないこともある。

CM

僕は昔からテレビのCMというものをいろいろ分析するのが好きだった。

今、家に居る機会が多くなり、何気なしにテレビを点けることも多くなった。

また、政治家がボロ出していないか、とか…でも顔が出たら一切見ないか、すぐ他のチャンネルに変えるか。

CMはなかなか楽しい。

ラクテンモバ~イルという耳障りなものには思わず「うるさい!」と怒鳴ってしまいたくなる。

「どうしたの?大丈夫?」「うん、大丈夫」「だったらシジミがいいわよ」これやり取りとして成立していないような気がする。しかし、これについては「朝からお弁当」というバージョンがあるので、ま、それにしても脈略のないところでカットしてしまうのもどうかな?

アメリカで観たCMでとても面白かったのは、ロックバンドのボーカルが最後の曲で「サンキューシカゴ!」と叫んだとたん客席が凍り付く。

シーンとした会場で後ろからベースマンが耳打ち「シカゴは昨日」

このCMは航空会社のもの。「Do You Wanna Get Out?」という一言だけが最後に入る。

ピーナツバターを犬にあげると、口中にひっついて犬がず~と困っている。それだけだが最後に「Got Milk」という字が入る。

汽車で出ていく女性。走り始めた汽車に「本当に行ってしまうのか?」と叫ぶ男。

女性は蒸気機関車の音がうるさくボードで返事を出す「行かなければいけないの」男は更にスピードを上げた汽車を追って彼女だけを見つめて走る。

女性が「Pole」というサインを送る。男は「?」と思いながらも女性を見つめたままひたすらホームを走る。

そして思い切り柱に正面衝突。これは保険会社のCMだった。

最近の日本で一番気に入っているのはIndeedの女性と斎藤工のやりとり。

「すごく順位とか気にするよね」というあの云い方がものすごく気に入っている。あの女性、かなり絶妙な演技をする人だ。

また斎藤工の表情がいい。フラフープ版も気に入っている。

もちろん、昔で言えば桃屋とか今でもやっているタケモトピアノとかは絶品だ。

想い出せばもっとあるだろうけど、こんなところにしておこう。

テレビに向かって文句を言ったり、話しかけたりっていうのはボケの第1歩という人も近くにいる。

でも、ワクチン2回打ったから大丈夫、と言って5人で会食したアホな政治家のことがさっきニュースで取り上げられていた。

どこまでアホなんだろう、あの人達。

おっと、テレビを消した方がいいかも。

終戦記念日

毎年この時期になると様々なドキュメンタリーフィルムをテレビで観ることができる。

去年もあったかもしれないが、元ヒトラーユーゲントの証言、というものを昨夜観ていた。

彼等の話すことが、とても興味深かった。

当時のドイツの状況と今の日本の政府の状況とあまりに酷似しているからだ。

彼等は現実から目を背けていた。現実を見ようともしなかった。

特に総統をはじめ、その側近たちがそうであった。

ナチスが滅びたら、それは国民のせいだ、とも言っていた。

若い兵士が沢山死んでいく中、総統は安全な場所で隠れていた。

まるで、今の日本の政治家たちのことみたいだ。

首相の眼は戦時中の特高と同じだ、と言った人がいるが、正にその通りだ。

結局、日本はあれだけの経験をしたのに、戦後、戦後と云いながら、いろんなものに眼をそむけてきてしまったのではないか、と思う。

コロナに関しても、どこまでこの1年半を真剣に検証しているんだろう。

休みなしで働いている、というポーズをみせる首相。

まるで、時間ばかりかけて効率の悪い勉強をしていてなかなか成果をだせない学生みたいなもんだ。

自分に置き換えてみるとよく分かるが、一国のリーダーがそれでは困る。

今日もまた素っ頓狂な演説をしなければいいが…。

またつまらないことを書いてしまったが、僕らはこの日をスルーしてしまうわけにはいかない。

プラン

人にはそれぞれプランがある。

その日一日のプランだったり、少し先のプランだったり、もっと大きく人生のプランもある。

僕も起きた時に何となく一日のプランを描いているがなかなか思うようにいかなかったり、また、実に見事にその日を終えることもある。

この感染症が始まってから多くの人のプランが丸つぶれになっているだろう。

仕事も遊びも、人生のプランも。

昨日、嫌なニュースを聞いた。

デルタ株の次、ラムダ株の感染者がオリンピック関係者だった、という事。

そしてそれが発覚したのはちょうど開会式の頃だったらしい。

これはまずい!と思ったのだろうか、厚生労働省は見事に隠ぺいしたという。

どうしてそういう事が今頃明るみに出るのか分からないけど、またか!と云う感じで別に驚きはしない。

日本の行政、政府は嘘と隠ぺいで成り立っていることは重々ご存知の事だ。

しかし、ここで僕のプランが壊れてしまった。

今日は早い目に何か簡単なものを食べておいて、お腹をすっきりさせて早い目に寝るか、と思っていたのだが、そのニュースを聞いて腹が立ってきた。

因みにこれはネット上ではなく、かなり信頼の於ける筋からのニュースだったので、多くの人は知っていると思う。

分かっているけど無性に腹が立ってきた。

ぬけぬけとオリンピックの成功を語っている姿も、どこか後ろめたそうに見えたのは、きっとこういう事も既に知っていたんだなぁ、あの首相は。

いつも大したことも云えず、云い間違いやすっ飛ばしなど、心ここにあらずという面構えはもう気持ち悪くてすぐテレビを消してしまう今日この頃。

そんな事も重なり、何気なしごみを出しに行ったついでにコンビニに寄ってしまった。

こんな近くにコンビニがあるのが悪い…なんて思いながら、カップ焼きそばを買ってしまった。無性に腹が立ってやけ食いしたくなったのだ。

購入してきて、少し罪の意識が芽生え、キャベツとねぎを一杯切って、フライパンで少しだけ炒め、それを入れてお湯を差し「まいったなぁ、予定狂っちゃったよ」なんて呟きながら3分ほど待った。

やっぱりこんなことすべきでなかったかな。いや、あいつらが悪い、なんて自分に言い聞かせたが、後悔するのは自分だ。朝起きた時には何となくお腹も重くて反省しきり。

大雨のニュースを見ながら牛乳を飲み、ナンシ・グリフィスが亡くなった事を知った。

このことは僕にとって大きな事柄だが、やけ食いはしない。

でもカリフォルニアワインでも買ってきて少し飲みながら、Lone Star State of Mindを聴こうかな。

このプランは狂わせたくないので嫌なニュースはもうごめんだ。

ぬか漬け

日本人のソウルフードのひとつでしょうか。

と云えども、僕はホテルに泊まった時の朝食は、ほぼ100%洋食、坂庭君はほぼ100%和食でした。

味噌汁と漬物とごはん、と云うよりもコーヒーとパン、ベーコンエッグと云う方が何故かしっくりくるのです。

ウドンや蕎麦を食べた後は少しでもいいのでパンを食べたくなります。

そんな僕も歳でしょうか?最近では3割くらい、和食を食べるようになりました。

そこで糠床を作りました。

希花さんに「糠床があるから好きな野菜を持って来たら漬けておいてあげる」と云ったら、

ニンジンが好きなようでした。

「じゃ、ニンジン、カブやキュウリはもうあるから」

という感じで待っていました。

意気揚々とニンジンを持ってきた希花さん。得意げに「細かく切っておいた」

おい!おい!だ。

「だって、こうやって出てくるじゃん」

「魚は切り身で泳いでいないだろう?」と云いながら、以前聞いたことを想い出しました。

高校生か中学生の頃、レシピを見ながら何かを作っていて、水溶き片栗粉と書いてあるので、お店に行って「水溶き片栗粉ください」と言ったそうだ。

お店の人唖然としただろうなぁ。

とに角そのニンジンはポテトサラダか何かに使った。そんなもんいちいち掘り出すのは嫌なので。

かく云う僕は糠漬けというのはあまり好きではないのです。

とくによく漬かったものが苦手。それとナスは苦手。

根本的にそんなに好きではないのかもしれない。

手をいれてかき混ぜるのも気が進まない。

フレンチフライやケンタッキーなども箸が要る。餃子もハンバーグもヘラでこねる。

どうも素手を使うのが苦手。

なので、糠漬けなんていうものには向いていないのかもしれない。

でも歳のせいか、たまに、あまり漬かっていないキュウ―リとか白菜の糠漬けが食べたくなることも無くは無い…です。

New Album「Collage」の紹介

2021年は録音に時間を費やしました。といえども、まだまだ続いております。

今回の作品「Collage」は、前作の「The Strings」とは全く違うコンセプトです。

希花さんは全ての楽器を駆使し、僕は5弦バンジョーを数曲、久々にスリーフィンガースタイルで弾いてみました。

ここではライナーに書き切れなかったことや、よもやま話を少しだけ書いておきます。

Horse Keane’と云う曲はMick Moloney Robbie O’Connell Jimmy Keaneのアルバムから覚えた曲です。最初はあまり好きな曲ではなかったのですが、何度か聴いているうちに、可愛らしい良い曲だな、と思えるようになりました。聴いていただいたら分かると思いますが、とても微笑ましい曲です。僕らはコンサーティナとバンジョーという編成で演奏しています。そしてそのままSally Annに入ります。ここはクローハンマースタイルのバンジョーとフィドル。お決まりのオールドタイムスタイルです。Sail Away Ladiesとしても良く知られているこの曲ですが、少しだけアレンジしております。

Stephen’sはNoel Hillの甥にあたる、同じくコンサーティナ奏者であるJack Taltyの曲。これは聞いた途端に希花さんに音源を送り、録音に踏み切りました。ちょっとだけ僕が創ったイントロをガットギターで付けています。牧歌的な雰囲気を持った曲なので、そんな景色が見えたらなぁ…と思っています。

Blackwater Sideは僕がアメリカで参加していたバンドCronanのシンガーであるRebeccaが歌っていたものをソースにしています。Bert Janschの演奏も有名ですが、元々は70年代のAnne Briggsの唄でよく聴いていたものです。なので、Rebeccaがこれを唄い出した時もごく自然の成り行きで僕のイントロと間奏を付けました。続いてVincent Broderickの名曲Crock of Gold. 普段はフィドル&ギターで演奏していますが、今回はマンドリンとギターに、オクターブマンドリンをかぶせてみました。レコーディングならでは、ですね。驚きなのは希花さん、この曲はマンドリンで弾いたことがありません。マンドリンでやったら可愛いんじゃない?という意見が出た直後、録音を済ませました。

The Coalminerは良く知られている曲ですが、ほとんどのケース、Gで演奏されるようです。僕らは今回Dで演奏しています。そうしていろいろ見てみると、結構Dで演奏している人もいることに気がつきました。シンプルな、いい曲だと思います。続くLucy Campbellは必ずといっていいほどDで演奏されます。Gで演奏することでとても落ち着いた曲に聴こえますがいかがでしょうか。これらの曲はイーストクレアでのセッションを想い出させてくれます。

Mr. O’Connorはジャッキー・デイリーとアレック・フィンの演奏で覚えたものです。とても分かりにくい曲ですが、慣れてくると癖になる魅力的な曲だと言えます。しかし、ここまでくると、もしかしたら間違えて採譜されているんではないか?と疑いたくなるような曲であることも否めません。Turlough O’Carolan13番目の作品と云われています。

Polly Put the Kettle On は古いチルドレンソングでマザーグースにも登場しますが、かなりメロディが違います。多くのバージョンが存在するので、どれが正しいというわけではなさそうです。僕はルーカス・プールの演奏から覚えましたが、その昔、ナターシャーセブンで「やかんを持ってきて♪」と歌ったのは同じ曲のまた別なバージョンです。この曲は収録リストには無かったのですが、ちょっとやってみようか、と相談して始め、1回だけ録音してみました。テイクワンOKです。そしてそのままBrian Finneganの今どきチューン、Donegal Lass. 何気なく5弦バンジョーのマウンテンマイナーチューニングで試してみたところ、お、なかなかいいな!と自己満足の録音をしてみました。典型的クローハンマースタイルから8分の6拍子のスリーフィンガースタイル。相反するような2曲ですがいかがなものでしょうか。僕はかなり気に入っています。

January Snowsはケビン・クロフォードのプレイから想い出したものです。初めて聴いた頃、Ann BriggsやDick Gaughanの唄が気に入って聴いていました。最近、Seamie O’Dowdが歌っているものも聴いたけど、どれも名演だと言えます。僕も大好きなメロディのひとつです。過去にも録音したことがありますが、今回はこの後、大好きなホーンパイプHumours of Tullycrineを持ってきました。初めて聴いたのはTerry Binghamのコンサーティナ演奏でアンドリューとのトリオで演奏した時。アンドリューが面倒くさかったのかTerry’s Hornpipeと言っていたのを想い出しました。

Out of Jointはずっと僕のヒーローであるビル・キースの作品です。彼の独特なコード感覚は音楽の成り立ちが良く分かっていないと生まれてこないものかもしれません。1977年にマッドエイカーズと共に来日した彼を家に呼んで音楽談義に花を咲かせ、その時にこの曲を教わりました。彼の残した1972年のレコーディングとは少し違うバージョンで、更に音の進行が複雑だったのを覚えております。以後、その時の記憶を基に時々弾いていましたが、今回の録音では久しぶりでした。ビル・キースの演奏にはどれも素晴らしい展開の音が含まれているのですが、長く弾いていないと頭が混乱して指が付いて行きません。気がついたときに、少しずつでもいいので彼の曲を弾いてみると「ボケ防止」になるかもしれません。

Crested HensはSolasの演奏で有名になった曲…かな?最初聴いたときには、なんか歌謡曲か演歌みたいな感じだなぁ、と思い、あまり好きにはなれなかったのですが、確かに美しいメロディではあります。いかにもフランス人が書いた、とも云えるかも。僕らの演奏はフランス人に評判のようで、フランスからのコメントも多かったりします。ひょっとして彼らも演歌とか好きなのかなぁ。僕はどうも…???だ。なお、作者の名前ですが、ライナーの日本語表記の部分ではGillies Chabanat作、とありますが、正しくはGillis Chabanatです。アメリカ人がeを入れていて、後から「ごめん、フランス人の名前でGillisだった」とコメントしていましたが、そのコメントに気がつかなかったのでそのまま載せてしまったのです。この場を借りて、彼にお詫びをしておきますが、どうか無駄にならないように。なお、英語表記ではちゃんとしているのでお許しを。Lusignacは偶然見つけたChris Wood & Andy Cuttingのライブ映像から学んだものです。この人達の演奏から学んだ曲、というものも今までにいくつかあります。

Limerick Lamentationはコメント不要なくらい有名な曲です。歴史的には、リムリック砦包囲戦(1689-1691)で戦死した兵士たちに対する哀歌でしょうか。Irish Lamentationとも呼ばれるこの曲、うる覚えのまま時々ギターで弾いていたものですが、好きな曲だったので今回収録してみました。

Waltz Mareka-sanは、アコーディオン奏者のJohnny Og Connollyが希花さんのために書き下ろした曲に僕がコードを付けて二人でアレンジしたものです。Johnny Og の作品には希花さんのお気に入りのものが多く、以前にも録音しているし、一緒に演奏したこともあるので彼女にとっては大変嬉しいことだったはずです。マンドリンの音色が可愛らしいと思いますが、さて、どの楽器で演奏してみようか、などと相談するのも楽しみのひとつではあります。

小さい秋みつけたについては…もうなにも言う事はありません。美味しいものを沢山食べて、良い旅行ができて、仲間たちと会えて…そんな秋になりますように。

オリンピックが終わった

素晴らしいシーンを見せてくれた選手たちに拍手と有難う、の言葉を送ろう。

貴方たちは本当に素晴らしかった。

僕が特に一生懸命見たのは平野美宇くらいか。あの真剣な怖いくらいの眼差しと、普段の勝負師とは思えないギャップが好きだ。

こちらも爽やかな気分になる。

8月6日、また世界レベルの恥さらし、という事態が起こってしまった。

例の原稿読み飛ばしだ。

コピペしたような原稿をその場で場当たり的に棒読みしたことが原因だろう。

何を書いてあったのか本人にも分からなかったのか、ステーキ会食のことばかり考えていたのか。

いずれにせよ、心ここにあらず、という事が暴露されてしまった。

長崎でも「他人ごと」と顔にはっきり書いてあった。

オリンピックの話に戻ろう。

確かに僕も、ほとんどの人も、オリンピックが感染拡大の原因とは考えていない…と思う。

しかし、きっかけのひとつになっていることは確かだ。

でも政府はそうは言えないだろうな。しばらく黙っていれば忘れるだろう、と考えているはずだ。

いつでも都合の悪いことには嘘をついてごまかしてきたので、今回も検証せずに黒塗り作業に取り掛かっているかな。

そうこうしている間に中国から大量に「ヒアリ」が来たようだ。また中国か!

いろんなものを世界にまき散らすなぁ。

しかし、問題噴出のまま過ぎていったオリンピック。

本当に頑張ったのは選手たちと、スタッフ。決して首相でも知事でもない。やっぱりバッハという奴は同じ穴の狢(へぇ、こう書くんだ)だ。

夏の想い出

皆さんにはどんな夏の想い出があるでしょうか。

僕は子供の頃、夏休みになると必ず母方の実家、長野県の上田市に行っていました。

それこそ煙突からモクモクと煙を吐く機関車に乗って。

トンネルに入ると慌てて窓を閉めたり、汽車は一旦戻って勢いをつけて坂を登るような、そんな旅でした。

冷凍ミカン、麦茶。麦茶はせとものに入っていたと記憶しています。

それに、塩分補給の為か、塩気があったような記憶もありますが…どうなんでしょう。

峠の釜めし、横川でしたっけ?

祖母は生け花の先生で森光子みたいな人だったなぁ。

よくおやきを作ってもらった覚えもあって、大人になってからも見様見真似の記憶を頼りに自分で作ったりしていた。

中身は味噌と砂糖で甘く調理したナスだったけど、それが絶品だった。

おこうせんという粉を砂糖と水で溶いて氷を入れて食べる(飲む?)これは別名、麦焦がしかな。多分「こうせん」というもので、静岡人は「お」をつけていう事があるので「こうせん」が正しいかも。

静岡人は、おしょうゆ、お砂糖と同時に、おソースと云います。

上田に戻って、みすず飴というのもよく覚えている。

何だか食べ物ばっかりだけど、省悟が良く言っていた「食べ物は大切だ。何を食べたか、ちゃんと覚えておかなければ食べなかったのと同じだ」

考えたら彼はスマホが普及する前に逝ってしまったかな。

今のようにスマホがあると、どこへ行ってもパシャパシャ。

最初の頃は「失礼な。早く食べろ」と思っていたけど、今ではおかげで「あの時のあれ、どこだっけ?確か5年前…」なんて言って探し出せている。

夏といえば、静岡と云う立地条件から海水浴というのも想い出のひとつかも知れない。

海の家で静岡おでん(勿論当時はそんな名前ではない。単なるおでん)鰹の粉末と青のりをたっぷりかけて、

今思えば不衛生極まりない、という感じだったけど、それでもこんな夏の想い出、この2年間、多くの子供たちが経験できていないことかもしれない。

僕らが生きている間に世界は元のようになるんだろうか。

羽田空港にて

用事があって羽田空港国際線に出向いた。

やっぱり結構な感じで閑散としていた。

ところが、数人のオリンピック関係者が帰国するのだろうか、いくつかのそれっぽいグループが現れた。

ボランティアらしい人達が周りを囲んでいる。

その他にも友人達、或いは滞在中にお世話をした人達(?)そういう人達が沢山押し寄せていた。

密もいいところだ。

去っていく彼らに大拍手。大声で声援を送っている。

酒こそは入っていないだろうが、なんとも異様な光景。

なんの問題もなく普通の状況ならどうってことないが、安心安全のオリンピックだ。

人流は抑えられているらしい。

バブルは完璧…とは云わなくてもかなり自信がありそうだ。

もう化けの皮は剥がれているけどなかなか笑わせてくれる。

おもて・なし、だけに、うら・だらけの感がある。

若者のワクチン接種率が少ないって…当たり前だろう。打たせてくれないんだから。

総理!眠っている場合じゃないですよ!起きてください、総理!

あれ?起きててそれですか?失礼しました。

メダル

やっぱりアスリート達の活躍を観るのはいいものだ。みんな素晴らしい。

まだ始まったばかりだが、僕にはあの日本のトップに言って欲しかった言葉がある。

その前に、田中均氏の分析を借りれば、説明しない、説得できない、責任を取らない。

この精神をずっと貫いてきたトップ。前の人からそうだったが…。

まず、説明しないのはいろいろ後ろめたいことを隠すためだろう。オリンピックに限っては利権のこととかいろいろあるのだろう。それにコロナだ。

反対する人がいるのも当然のことだ。

しかし、出来得る範囲でいいので、一生懸命説明をする、というような姿勢は全く見ることができない。常に逃げの態勢で、そこを突かれればキレる。

自分の子供の頃のオリンピックの想い出なんかどうでもいい。

ただ、一言こう説得して欲しかった。

「アスリート達の夢を叶えてあげるために皆さんの協力がどうしても必要です」

そんな事も云わず「私たちにとっての挑戦だ」みたいなぬるま湯につかっている奴には似合わない言葉を発する。

最後に「私が責任を取る」と言えばいい。

だからって「責任取れなかったじゃないか」とは云わない。もしそこまで強い意志が見受けられたら、のはなしだが。

ずっと責任を取らずにやってきたのはできるだけ長くぬるま湯に浸かっていたいからなんだろう。

そこまでくると彼らにアスリートの事を語る資格はないが、これでまた喜んで国民栄誉賞なんていう話になるのかな。

この大会の開催に感謝しています、と云うアスリート達、彼らの純粋な気持ちに水を差す気はない。

目標に向かって一生懸命な彼らの姿は、正座してでも見せていただく価値がある。

それに引き換え、今日も記者からの問いかけには一切答えず、うつむいて背中を丸め、足早に涼しい車に向かって逃げてゆく総理大臣をテレビで観る。

無責任を競ったら間違いなく金メダル確実だ。

1973年

この年の夏、7月15日に宵々山コンサートが始まったようだ。

ようだ…というのもおかしいが、半世紀も前のことになるんだなぁ。

まだ永さんが30台?或いは40歳になったばかりくらいだっただろうか。

勿論、よく覚えていないが、どうもこのすぐ後に坂庭君が参加しているらしい。

なぜ、今頃こんなことを書き始めたのかと云うと、セミの鳴き声だ。

セミの鳴き声を聞くと、あの暑かった円山公園を想い出す。僕だけではないだろうけど。

ひょっとしたら今より2~3度、気温は低かったのかもしれないが、それでも暑かったのはよく覚えている。

あの暑い中、若かったのでバンジョーの重さも全然気にならずに駆けずり回っていた。

1973年、僕がまだVegaのスクラッグス・モデルを弾いていた頃だろうか。

ゲストは渥美清、小坂一也、そこに木田ちゃんが参加していたようだ。

小坂一也が定番、ワゴンマスターを歌っていたことくらいしか覚えていないこのコンサートが、徐々に大きな京都の風物詩になるなんて想像もしていなかったが、それは確実に京都発信の重要な一コマとなるイベントだったのだろう。

一説によると、宵々山コンサートに出るか出ないかで芸能人の価値が決まる、なんていう嘘みたいなことも囁かれていたようだ。

僕らは(少なくとも僕は)そんな事とは知らず、単純に音楽を楽しんでいた。

当時、どんなレパートリーを演奏したのかは覚えていないが、多分何人かの人は、その時のテープを持っていたりするかもしれない。

元気いっぱいで、これでもか!というくらいのスピードで弾いていたんだろうなぁ。

雨は降らなかったんだろうか…。

多くの人が並んで待ってくれるようになったのは少し後の事だが、それにしても雨が降ったら客席は大変なことになる円山音楽堂。

楽屋では蚊取り線香が香り、やかんに入った冷たい麦茶。今ならコンビニで大量に購入するペットボトルのお茶か水だろう。

スタッフが汗だくになり、首からタオルをぶら下げて走り回る。

リハーサルの為の音チェックが音響スタッフによって始まると、それに負けるもんかと一段とセミの大きな鳴き声が響き渡る。

2021年、オリンピックをテレビで観ながら、急に想い出してしまったあの光景。

外からは50年前と同じようなセミの鳴き声が聞こえてくる…。

オリンピックが始まった

問題だらけのオリンピックが始まった。もう後戻りはないので、取りあえず邪魔するような行為は止めよう。

しかし、いろんなことが起きた上にコロナ…よく開催を決断したものだ。

いや、決断したわけではないだろう。IOCやアメリカのテレビ局に尻尾を振っただけかな。

首相をはじめ、日本のあのオリンピック関係者が決断を下すとは思えないからだ。

田中均氏が、説明しない、説得できない、責任を取らない、の3S政治だと言っているが、前首相から引き継がれている手法だ。

それに嘘が加わる。最悪だ。

最悪と言えば、今回解任された人の問題。

これ、世界をみた事の無い人がよく軽い気持ちで犯す大きな間違い。

僕はアメリカに住んでいた時、日本に帰ってくると「うわ!」と思うことが良くあった。

それはあからさまに「ヘイト」とか云うものでなくても、あ、それ、云わないほうがいいんじゃない?という事なんかがよく有った。

多分、アメリカなんていう多国籍の国では自然と身に付くことかもしれない。

日本人は広い意味での国際化をまだまだ考える必要があるだろう。

話変わって、ブルー・インパルスが飛ぶのを多くの人が詰めかけて観たようだが、ステイホーム、ソーシャルディスタンスはもう吹っ飛んでしまったようだった。

雲がかかってしまって、場所によってはよく見えなかったようだが、確かにあれは興奮する。

カリフォルニアではコロンバスデイにブルー・エンジェルスが飛ぶ。

大轟音と共にビルの谷間を低空飛行して、車のアラームをことごとく鳴らして、ゴールデンゲートブリッジをくぐる。

頭の上を轟音と共にブルーと黄色の機体が飛び去って行くとき、パイロットのヘルメットが良く見える。それほど低いのだ。

ベトナム人のシェフが叫び声をあげながら耳を塞いでうずくまっていたのを想い出す。

さて、開会式も一応少しだけテレビで観た。

選手たちには本当に気持ちよくプレイさせてあげたいが、とに角、仕切っている連中が良くない。

パンデミックの初期「中国が発生源とは考えられない」などと発言したテドロスに「石橋を叩いて渡る」なんて演説する資格があるのだろうか?

「私は主催者ではない」などと言って責任逃れするような奴に「言語道断」なんていう資格があるのだろうか?言語道断なのはあんただ!と突っ込みたくなる。

オリンピック期間は間違いなく、観戦しなくても感染が広がるだろうが、選手だけは(だけは、というわけではないが)少なくとも選手たちにはのびのび頑張ってほしいものだ。

平和ボケ

こんな言葉が生まれたのはいつ頃だっただろうか。1970年頃からだったろうか?

僕は少なくとも海外で長い間過ごしていて、日本は平和でいいな、と思っていた。

アメリカで日本人の若者が災難に遭うたびに、かわいそうに思い、それでも危機管理が甘かったのかな、とも思い、また運が悪かったんだ、とも思った。

そんな僕は今でも街を歩いていて、後ろにはかなり気を配っている。駅のホームでは絶対に線路に対して真っすぐには立たない。必ず後ろが見えるように半身になっている。

信号が青になっていても右も左もきょろきょろして歩く。

エレベーターの中でも他人の所作をかなり気にしている。

これって、アメリカでは当然のことで自然と身に付いていることだ。

一説によると、移動民族であった彼らは、いつ敵が現れるか分からないため、誰かに会ったら「ハイ」と取りあえず挨拶し、自分は敵ではない、というアピールと共に相手の事も確かめていたらしい。

平和ボケという言葉はあまりいい言葉ではないが、確かに平和になれてしまっていることは事実だ。いや、平和が悪いはずは無い。平和に越したことは無い。

だが、世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方があって、敵もいて味方もいて…とそんな事は充分わかっているはずだが、多くの人は自分のスマホの画面に夢中だ。

昨日テレビを観ていてこんなシーンがあった。

総理大臣が「安心安全な大会になる!」と言っている場面、ライブではなかったが、その場面の上に「速報。東京の感染者1400人」と出ていた。このギャップは何だろう。勿論、演説はライブではないし、偶然だったがなかなか面白かった。

本当は、確かに国民の大多数は平和を謳歌しているが、いちばんいわゆる平和ボケをしているのは政府だろう。危機管理能力にとことん欠けていた、というか。

正に、今回の感染症で暴露された形だ。

困っている人、今にも全てを失いかけている人、そんな事には全く無関心で、たまに顔を出せば悪態をつく数人の大臣。

僕らは最も醜い動物を国のトップにしてしまった。

このことは、僕らも反省しなければいけないことかもしれない。

人々は先ず、歩きながらのスマホを止めて自分の周りをよく見まわすことから始めないといけない。周りが見えない、というのは日本の政府と一緒になってしまうからだ。

そうしないと危機管理が出来なくなってしまう。残念だが政府と一緒だ。

今の政府の対応を見ていて、平和ボケ、という言葉を想い出してしまった。

どうも腑に落ちない

迎賓館での歓迎会に赴く人たちの映像が流れていた。遠くからまるでスナイパーが撮ったような映像だった。

差別発言で辞任したはずの人も嬉しそうにその場にいた。

もっと驚いたことに財務大臣はマスクを付けていなかった。しかも咳をしていた。

ほんの一瞬だったが、その前、或いはその後、マスクを付けたかどうかは分からない。

もともと自分以外はみんな下等だと思っている動物なので、今更言っても仕方ないことだが…誰も何も言えないのかなぁ。周りの烏合の衆たち。

このシーンなんかは渋谷の大スクリーンで一日中流せばいいのに。

これを観ていて思い出したことがある。

元総理のA氏が「こんな人たちに…」と言って問題になった時、その後ろでひょろっとしたI氏が明らかに「そうだ!」と言っていた。それは口の形で分かった。

このことはさっぱり話題に登らなかった。

発言に関しても「極めて常識的」と言い放った奴が今は国のトップだ。

全てがどうも腑に落ちない。

いい加減に突っ込みどころを作ることは止めて欲しいと思うが、まだまだ続きそうだ。

僕はバッハが好きだ

みんな驚いたかな?

勿論、ヨハン・セバスチャン・バッハの事だ。

今、話題のバッハではない。

先日、こともあろうに公の場で日本と中国を混同した男は、僕が思うに「さもありなん」だ。

結局、白人あるあるで、東洋人はどれも一緒だ。

無理もない。

僕らでもよその国では分からないことも多くある。

しかし、こともあろうに公の場で、しかもこれだけ問題を抱えたオリンピックの会見で、云い間違えるというのは、彼の胸のうちが良く分かる結果になってしまった。

ベトナム戦争直後の話で、東洋人を殺して何が悪いの?とワイングラス片手に云い放った女性がいた、という話も良く知っている。

彼等にとって有色人種は人間ではないのだ。

彼等にとっては自分のペットの方がよっぽど価値が高いはずだ。

少なからず今回の彼の失言にはそんなものを感じた。

最近

最近、町を歩いていて面白いものを見かけることがよくある。

と、云えども遠出をするわけでもなく、ただ日々の生活のためのものを手に入れるために出るだけなのだが…。

食料品に関しては、値段が安いもの、クオリティがその値段で許せるもの、どこの何が今日は安いか…等をさっと見にいく。

東京の下町はなかなか面白い。

いや、面白さでは大阪に負けるけど、別な意味で変な人も多い。

最近はこの辺にやたらと中国のマーケットができて、チャイナタウンを想い出させる。

そして、その多くは例にもれず、雑然としている。

おまけに何とも言えず果物が熟れすぎているようなにおいが漂っているし、店の前にはごみや段ボールをたたんだものが営業中にもかかわらず散乱している。

サンフランシスコのチャイナタウンも同じだった。

ジャパンタウンでは日系人たちが朝早くから道路を綺麗に掃いていた。

チャイナタウンはゴミだらけだった。

一緒に働いていた中国人のおばちゃんが言っていた「家の中は一生懸命綺麗にするけど、外はどんなに汚れていても気になりはしない」

なるほど。

話変わって、これまた近所に仏具を売っている店がある。古い仏具屋さんではなく、新しい感覚の店だ。セレモニーなんとかみたいな…。綺麗な灯篭とかも置いてある。

最近、そのお店が何故か外で弁当を売り出した。

あまり買う気がしないのは僕だけだろうか?デザートに葬式饅頭が付いていたりして…?無いか。

ここのところ、その製造に関わっているらしいシェフの恰好(本物か?)をしたおじさんも一緒に立っている。

そこから1ブロックほど歩いたところにインドカレーのレストランがあるが、最近はもっぱら外でお弁当を売っている。例の「何と、あ、いや、ナンとカレーで500円」だ。

お兄さんだかおじさんだかが、最近は声高らかに「カレーカレーカレー、美味しい美味しい美味しい、ご~ひゃくえん、ご~ひゃくえん、ご~ひゃくえん」と叫んでいるがこのおじさんだかお兄さん、もう3か月くらいシャツが変わっていない。

ブルーのTシャツ。同じものを沢山持っているのか洗濯しないのか…?謎だ。

あ…いや、向うも、あいついつも同じ格好で歩いているって思ってるかも。

これまた話変わって、最近、駅の構内のお店がごっそりとリニューアルされて、それまで並んでいた店もいろいろ変わった。

もとシュークリーム屋さんだったところに中華総菜のお店が出来、隣のタピオカ屋さんがアイスクリームか何かのスイーツになり、その横がたい焼き屋さん、そして驚くことに奥がカウンターだけの手軽な寿司屋さんになった。

それはそれは便利でなんでも食べられるが、大きな問題がそこにはある。

匂いだ。

中華から思い切り、ギョーザや焼売の香りが香辛料の香りと共に流てくるし、寿司屋からは酢飯と生魚の香りが流れて来るし、それらの香り…というか匂いが、たい焼き屋さんにもアイスクリーム屋さんにも漂っているのだ。

食の大事な要素にかかわる臭覚、というものが脳の中で大変なことになっている。

このビルの経営者とか、そういう人達はあまり考えないのだろうか?

お客さんの側もあまり気になる人がいないのだろうか。

とにかく便利でなんでもあればいい、という考えが横行しているような気もする。

この辺は責任を取りたくない政府と知らぬうちに責任を取らされる国民という構図、雲隠れして、安心安全と謳う政府と、矢面に立たされて心配危険と思いながらも流されることを余儀なくされている国民…なんか似ているなぁ。

少しこの辺を歩いているだけでもそんなことを感じてしまう今日この頃。だいぶひねくれてきたかな?

選挙

あんまりうるさいので、一番静かな奴で現嘘つき政党から遠い奴に入れるしかないか。

そんなことを考えていたら、大した策もなさそうでほとんど「あ~、え~…」しか言わない、しかもめっちゃ声が小さいおっさんがいた。聞いたこともない党を名乗って。

よし、こいつだ!誰一人として信頼に値しないけど、行かずに嘘つき党に俺の分が入ってしまってもしゃくだし。

その程度だが、この数日の狂ったような大騒ぎに悩まされた僕としては、少しでも静かな奴の方がいい。一応いろいろ検索してみたが、毒にも薬にもなりそうではないのでいいだろう。

ま、絶対に当選しないだろうことは分かっているし…。

しかし、本当に彼らは仕事をしているのだろうか。

当選!ばんざ~い!で終わっている奴が多いのではないだろうか。

大学に受かった途端に疲れてしまって、本来やるべきことよりも、さぁ遊ぶぞ、みたいなことに夢中になるような…。

いえいえ、僕の場合はそれほど入試勉強をしなかったので、最初から大学で勉強しようとは思っていなかった。ブルーグラスをやろうと思っていたので。

政治家は金がからんでいるのでもっとたちが悪い。

ま、取りあえず行ってくるか。

梅雨

いよいよやってきました。楽器が鳴らなくなる季節。

やっぱり楽器はあんまり沢山持っていないほうがいいのかもしれない。

全部引っ張り出して調整するわけにもいかないし、たまには弦も替えたりして弾きまくってあげないと腐ってしまうかも。

でもすぐ腐ってしまうかもしれないので替えるのももったいない気がする。

僕なんか少ししか持っていないほうだけど、それでも何日もほったらかしている物もある。

沢山持っている人は大変だ。

それにしても、あれだけよく雨が降るアイルランドであんなに楽器が良く鳴るのは何故だろう。

人間が少ない、というのもあるのかもしれない。圧倒的に音を塞がれる要素が少ないのかな。

それにしては日本での選挙演説の声はめっちゃ響いている。

本人も耳栓でもしていなければとても耐えることができないだろう。

ただでさえもムシムシしたこの日本で楽器も鳴らなくて困っているのに、余計なわめき声ばかり鳴っているのはなかなか堪え難いことだ。

結局何が云いたいのか分からなくなってきたが、取りあえず選挙演説はうるさい。

ワクチン接種#2

いよいよ2回目のワクチン。

前回同様、沢山のお年寄りに囲まれてスムーズに終わりました。

隣のブースの看護師さんが前回の人で「あ、このあいだの人」とお互い反応してしまいました。

今回も全く痛くなく、15分の待機の間も何も無かったかのようでした。

戻ると少し腕が痛い、と感じます。

「もう一人で行けるでしょ!」と希花さんに言われていたので、取りあえず、何事もない旨の報告を済ませ、夕方位になってきたらちょっと腕が筋肉痛。

良かった。これも出なかったらなかなかの年寄り。

しかし、夜は前回のようなことも無し、すんなり寝てしまいました。

問題は朝起きてから。

これが倦怠感というものでしょうか。

決定的に調子が悪いわけでもないけど、なにもやる気が起きない。

横になりたいような感じ。念のため熱を測ったら37・4度。

普段35~36の間なので、これはやっぱり副反応だと思い、腕を挙げてみると昨日より痛い。まわりもほんのり赤くなっている。

これは確かに予防接種を打たれた、という感じ…子供の頃もそんなことがあったような記憶が蘇ってきました。

さすがにその日はもう何もせず、倦怠感に浸っておりましたが、次の日はケロッと治りました。体温も36度まで下がりましたが、まだ腕は痛い。

そしてその痛みは3日ほど続きました。

これが僕の経験した副反応。ま、常識的な予防接種後の反応でした。

映画

ミッドウェーという1976年の映画をBSで観た。これは劇場で観た覚えがあるが、もっと前の映画かと思っていた。

三船敏郎やヘンリー・フォンダ、チャールトン・ヘストンなど錚々たるスターが出ていたものだ。

懐かしさもさることながら、度々出てくる作戦会議の様は、現政権の何が何でもオリンピックに突き進んでいく姿を見ているようだった。

いかにして国民をだまし、説明もせずに突撃させていくか。

ちょっとした違いとしては、今は全員ほとんど判断力がなくなった年寄りばかり、というところかな?

オリンピックに関しては、もう決まっているので特に反対はしない。

もうやりたいようにやったらいい、と思っているが、医療機関は守ってあげて欲しい。

国民のことはどうせ考えていないのだからもういい。結局、何を言ったって突き進んでいくことは間違いないのだから。

戦争映画を観ていてなんか妙に重なってくるのは困ったもんだ。

駅前#2

去年の6月23日に書いたことと同じことが今起きている。

ただひたすら騒がしい。

またしても想像力に欠けた政治家が、がなり立てている。

このやり方はもう止めた方が良いと思うが、みんなあまり気にならないのかな?

ある脳科学の先生が「日本人は工事現場の音も、音楽の音も同じところで聴いている」という恐ろしいことを言っていた。

究極、日本人には「静寂」というものが一番似合っているはずだろうか。

あ~あいつらが速く居なくなってほしいと思うが、しばらく続くはずだ。

駅前で「ガーナの子供たちのために…」と言って頑張っているガーナ人。

肉声だ。

「ワンちゃん、ネコちゃん達を助けてあげてください」と言っている若者たち。

やっぱり肉声だ。

スピーカーをガーガーピーピーいわせて、思い切り叫んでいる政治家は…。

貴方たちの大音量は健康被害を招きます。

アイリッシュハープ日本上陸

とうとうやってきました。

遠くミネソタ州、レッドウイングから、ストーニーエンド社の制作するアイリッシュハープ。

御茶ノ水クロサワ楽器のバンジョー、マンドリン、アコースティックギター、ウクレレ、クラシックギターなどと共に昨日から粛々と鎮座しております。

見るからに素朴で上品な芸術品といういでたち。

そして音は様々なハープメーカーの中でも秀一といえるでしょう。

弾きやすさと云う点に於いても、また値段とのつり合いも良く、今まで日本では手に入りにくかったのが不思議なこのストーニーエンド社のハープ。

是非、お店の方でチェックしてみてください。

遠方の方は下記に連絡すると詳しいことを教えていただけると思います。

クロサワ楽器ドクターサウンド 担当 小林

小林氏は僕よりもナターシャーセブンの唄をよく覚えているのですが何故か30歳。

まだ生まれていなかったはずなのに。

それにバンジョーもかなりの腕前。加えてとてもよく勉強しているらしく、その歴史や構造に関してもかなり詳しいです。

そんな彼が昨日、希花さんの指導を受け、調弦からスタートいたしました。

ミネソタから遠路はるばる届いたばかりのハープ。

まだケースの中身も確認していないような状況でしたが、ちゃんとハープは入っていました。

非常に親切なガイドブックも、交換のための弦も全て付いています。勿論持ち運びに便利なソフトケース(結構しっかりクッションが入っている)は綺麗な緑色。

これは忖度なしに云わせていただきますが「いい物」です。

オリンピック

待ち遠しく思っている人もいっぱいいるんだろうなぁ。僕は元々あまり興味が無かったので、何にもなかったら2020年は日本に居ないつもりでいた。

嘘ばかりついて招致したオリンピックだと感じていたので、スポーツを観戦するのは決して嫌いでもないし、素晴らしい選手たちを応援することに変わりはないが、なんか今回のオリンピックに関してはそっぽを向きたくなっていた。

7月の日本は温暖でスポーツに適しているって、7月に外でスポーツしたことあるのかなぁ。

原発はアンダーコントロールだって、ど…ど…どこが?

そして遂にこれだ。

本人は今頃涼しい部屋で犬を抱いてコーヒーでも飲んでいるのだろう。

嘘もほうべん(方便)とはよく言ったものだ。便でも拭いたり流したりするのに、何もしないで逃げるように去っていくって…ありゃ、あんまり関係ないか。

でも沢山嘘をついて逃げていったなぁ。

思えば、1964年のオリンピックの事もあまりよく覚えていない。

女子バレーが強かったこと、マラソンの円谷の事、ウエイトリフティングの三宅、それくらいだろうか。体操の男子も少し記憶にあるかな?

今回のオリンピック、もしやったとして(もう開催は、眼を堅く閉じて、耳も堅く閉じて決まっているようですが)世の中の人にとってはどういった記憶が残るものになるのだろう。

もう後何日もないのに、別な地平って何なんだろう。

自主的な研究成果の発表?

ワクチンを頑張っているってお前たちの功績のような言い方をいとも簡単に言ってのける。

政治と金の問題はきれいになった?お前が居る以上それはあり得ない!

政治家になる条件として、自分に否定的な意見には耳を閉ざす。嘘をついてでも自分の存在を誇示する。金はどんな汚い手を使ってでも手に入れる。何かがばれたら入院するか辞職して放っておく。

究極、国民のことは考えなくていい、というところだろう。

2020年からのコロナ、オリンピック騒動ではっきりした。

ま、頑張っていることは認めよう。しかし、一生懸命頑張っているようにはみえない。

よく「しっかりと」などと言っているが、その「しっかりと」も死んだ魚のような眼を上目使いにして、他人事のような口調なので、どうしても「しっかり」と聞く気にはなれない。

オリンピックを心待ちにしているみなさん、ごめんなさい。

そして何よりも、こんな状況の中、一生懸命練習をし、調整を怠らない選手の方達が本当に祝福されることを願っている。

僕のように政治の事もスポーツの事も良く知らない人間まで懐疑的になってしまう事が本当に気の毒だ。

ワクチン接種

5月28日にコロナワクチン接種を受けました。別にこんなところに書くことではありませんが、自分の日記だと思って書いています。

接種券がきてから4日目の予約開始日。

電話とかネットとか書いてあったけど、やっぱりネットの方が良いだろうと思い、希花さんに相談すると「任しゃんかい!」とばかりに、全ての資料を手元に置いて、朝8時半の受付と同時にパソコンを打ち始めました。

そのスピードの速いこと速いこと。僕ならまだ自分の名前を打ち込んでいる最中くらいのところですでに全ての必要事項の書き込み終了。

気がついたら3分ほどで2回分の予約が取れてしまいました。

念のためにもう一度15分ほどしてからサイトを覗いてみたところ、もうほとんど埋まっていました。

やれやれでした。

3週間後は6月18日。

近所の僕より8歳くらい上の女性が自慢げに「あたしは根気よく電話をして30分で取れたわよ!と言っていたので「ネットで3分」と言っても頑固な人なので、「電話で30分」とまくし立てていた。

おまけに2回目は6月〇日に取った、と云うので「〇日なら3週間後は〇日じゃないはずだよ」と言っても「私はちゃんとカレンダーを置いていたから間違っていないわよ!カレンダー見てみなさいよ」と云い張っている。

あまりにしつこいので僕はおもむろにスマホを取り出し、カレンダーを表示して「あんたは△日。これ見てごらん」と言ったが「あー△日ね」と言っただけだった。

それまでの〇日と云うのがすごい剣幕だったのに、あら間違ってたのね、の一言も無かったので後で思えばそのままにしておけばよかった…なんて…思っても…いたか。

こうして日程を間違える人っていっぱいいるんだろうなぁ。

年寄りは頑固になり過ぎてもいけないな、という反面教師。

さて、接種当日。

沢山の年寄りに囲まれて(向うもそう思っているだろうが)待合室へ。

一応希花さんにも付いて行ってもらったが、受付の人が番号札をもっているか希花さんにも訊ねていた。

おいおい、見りゃ付き添いって分かるだろう。全くお役所仕事と云うか…なんと申しましょうか、小西さん。

まぁ、そんなこんなで何の混乱もなくめでたく接種が始まりました。

看護師さんが名前を確認。「痛いですか?」と尋ねると「大丈夫。数でも数えていてください」と云われた途端、「はい終わり」「え?」というくらいのあっという間でした。

痛くも痒くもない、とはこのことだろうか。素晴らしいテクニックだ!

採血はけっこう痛いですよね。

そして15分ほど体調を整えて、会場を後に。

やがて少し腕が重くなってきてちょっとだけ痛みも出て来て、と通常の予防接種くらいの感覚が生まれてきました。

年寄りほどあまり症状は出ない、と聞いていたので若い人は、もうここらあたりでもっと、ずしんと来ているのかな?と思いつつもなんとか時を過ごしていましたが、流石に夜中には寒気と微熱がありました。

朝には普通の体調に戻っていましたが、腕はすこしまだ筋肉痛。

2回目の後がかなりきつい、という話も聞きますがそれも若い人にとっては、というところもあるし、どうでしょうか。

調子悪くなったら若い証拠かなぁ。

The Strings好評発売中

皆様、いかがお過ごしですか?

新しいアルバムThe Strings販売開始のお知らせです。

ハープをメインにして、ギターソロあり、デュエットありで、なかなか僕ららしいサウンドのこのアルバム、多くの方の心の支えになっていただければ幸いです。

ご注文はこちらから 10strings CDs

その他のCDもまとめてご覧いただけますので、見逃していた作品等ありましたらぜひ。

どうか皆様がご健康で、そして、このアルバムを手に取っていただき、ちょっとだけでもリラックスされることを願っています。

The Strings収録曲よもやま話4

O’Carolan’s Ramble to Cashel

最も美しいハープ曲のひとつだ。

僕はジョディースヘブン時代から好んで弾いていた。

初めて聴いた時から、これ、ギターで美しく演奏してみたいな、と思ったものだ。

ある時、どこだったかな。サンノゼのどこかだと思ったが、アイリッシュ系の人達を集めたストーリーテリングとダンスと音楽の会があって、お客さんは300人くらい。お歳よりも随分いて、タイタニックに出ていたような人がいっぱい来ていた。

その中でギターソロとしてこの曲を弾いたら、終了後2人の歳の頃は90くらいだろうか…おばあさんが「いたく感動して国を想い出して涙が止まらなかった」と言ってくれた。

多分に曲の美しさもある。

これも僕らはMusic in the Airという2作目のアルバムで、すでにハープとギターで録音しているが、今回は敢えてハープのソロにしてみた。

Derry Air

恐らく世界で最もカバーされている曲のひとつだろう。

僕自身も最も好きな曲のひとつにあげることが出来る。

ただ、日本人にとっての「さくら」と同様、アイルランド人なら誰しも好きで歌ったり演奏したりするような曲ではない。

パブのセッションでこんな曲をリクエストしたら、ほとんどのケースいやがられるだろう。

ミュージシャンもだいぶ時間が経って酔いもかなり回ってきたら冗談のように演奏しだしたりすることもないではない。

ただ、ほとんど「しゃれ」だ。

この曲に関してはライナーでも少しだけ触れているし、コラム(カテゴリーでいうと、Irish Musicその174)でもかなり細かく書いた。

そのストーリーは日本で言えば、まるっきり「日本昔ばなし」だ。常田富士男と市原悦子の声が浮かんでくる。

ライナーではRory Dal O’Cahanという作者の名前が出ているが、彼の生まれは1580年とも1570年とも云われている。どちらにせよかなり昔の話だ。

名前もRolly だったりRoryだったりするが、どうやらRoryが正しいかもしれない。

春よ、来い

この曲についても、ほぼ日本では知らない人がいないのではないか、と思うくらいの名曲だ。

もともと、ハープで演奏するのがいいんじゃないかな、と思っていたところに、ちょっと真逆とも思えるバンジョーを合わせてみたらこんな風になった。

本家ではベースはリーランド・スクラ―が弾いていたんですね。

ダニー・クーチマーやラス・カンケルなどと共によく聴いていたものです。

みんなが知っている曲だけに結構演奏するのは難しい部分も否めない。

そこそこ長いこと二人で演奏しているが、春にならないとやらないので、ついつい忘れてしまう。

バンジョーのチューニングはどうだったかな?なんて想い出しながら…。やり始めた時にはスタンダードチューニングだったかもしれないけど今回はマウンテンマイナーを使ったかな。春も過ぎて暑くなってきたのでもう忘れたかな。

また練習しなくちゃ。

希花さんもいくつかのキーで演奏しているようだ。

The Strings収録曲よもやま話3

Sean O’Dwyer of the Glen

この曲は以前にもギターソロで録音したことがあるが、多くのギタリストにカバーされているものだ。

勿論、John O’Dwyer of the Glenというタイトルでもある。

自分なりにアレンジしたものだが、Dadgadの特性を生かしている、と思う。

まことにややこしいが、全く同じタイトルでセットダンスがあるが、聴いてみると全く違うように聞こえるが、何故かどちらかが基になっているんじゃないかと思わせる部分もあるから不思議だ。

この手のことはこの音楽を聴いていると結構な頻度で起こりうることだ。

悲しくてやりきれない / Her Long Hair

1曲目は、フォーク世代にはお馴染みの曲。なにも言う事はない。フォーク・クルセダーズと云うのは、思えば僕らがまだ高校生だったころ、1967年頃に初めて聴いたグループだった。高校生最後の年だったのかな。そろそろ進路を決めていて、京都に行くことを待ちわびていた頃だ。

ブルーグラスをやるぞ!と心に決めていながらも、京都にはこんな面白い人達がいるんだなぁ、と思ったものだ。

静岡と云う立地からどうしても東京に出ることが多く、関西よりも関東のフォークシーンの方が馴染み深かった。なのに何故京都を選んだのか。

それは多分父親が立命館の出身でなんとなく京都、だったのだろう。

立命、同志社はちょっと厳しいかな、と思っていたところに京都産業大学というところを見つけた。そして坂庭君と出会った。

2曲目のHer Long Hairというのは実際のタイトルはこうだ。

Her Long Dark Hair Flowing Down Her Back

これだけ長いと一行では収まらないので省略したが、このように表記する人も多くいる。

また、Flowing down her back and the colour of her golden hair was blackと云うのが作者が提示しているタイトルだという話もあるが、ほとんど冗談だ。

でも多分そう言ったんだろう。

美しいメロディのホーンパイプで、Junior Crehanのコンポジションということだ。

なお、1894年にFelix McGlennonが書き1944年にSong of Nevadaという映画でDale EvansとSons of the pioneersが歌った歌からヒントを得たのではないか、と云われてもいる。イントロはちょっと似ているかも。

歌のタイトルはHer Golden Hair was hanging down her back というものだ。

非常に興味深い。

The Strings収録曲よもやま話2

Niel Gow’s Lament for his Second Wife / The Humours of Trim

美しいフィドル曲を今回はハープソロで。この曲は多くの人に取り上げられている。それだけに難しい曲でもあるので、かえって奇をてらわずに淡々としたペースがいいだろうという事で敢えてハープ一つにしてみた。

1800年代前半に書かれたこの曲に関してはすでにコラムの方で詳しく書いているのでここでは省略するが、明治時代以前からこんなメロディが存在したのかと思ってしまう。

因みに彼は2度結婚しているが、どちらもマーガレットという名の女性だったという。ここにあるセカンドワイフは Margaret Urquhart と云う人で1768年に結婚したという記事が残っている。彼女は1807年に亡くなり、その2年後の3月1日に彼は80歳で亡くなっている。当時としては長生きだったかな。

続く曲は別名Rolling Wavesとも云われているが、これについてもよくわからないが、アイルランド音楽に於いてはよくあることなのであまり追求しないほうがいいかもしれない。

単純だがとても美しい曲だと思っている。そのくらいに留めておいて、誰かが「Rolling Wavesをやろうか」と言った時、どちらかな?と考える余裕があるといい。

なので僕は常にいくつかのタイトルを知るようにしている。その方がセッションなどでは対処しやすい。

なお、これではないRolling WavesはThrough the Woodというアルバムで収録している。

Sakura / The Butterfly

1曲目は、云わずと知れた「さくら~さくら~」だ。アメリカでダウンタウンを歩いている時、黒人のバイオリン弾きが「日本人か?これ知ってるか?」と言ってやにわに弾き始めた。

アイルランドではブレンダン・ベグリーが夜中の1時過ぎに近所の酔っ払いお姉さんの家に連れて行ってくれて、ワイン片手のお姉さんが「あたし日本に行ったことがあるのよ。それでこの唄良く知っているの」と唄い出したのがこの歌。とてつもなく上手かったがそれもそのはず、その酔っ払い姉さん、メアリー・ブラックだったのだ。

日本人なら誰でも知っているこの名曲だが、酔っぱらって歌ったり、感極まって歌ったりすることはまず無い…だろう。

そして続くは、これも名曲。誰もが知る、というものではないが、僕がこの曲に出会ったのは1970年代中ごろ。ボシーバンドのライブ盤でなんと悲し気な美しい曲だろうと思ったものだ。

彼等のアレンジが素晴らしく、同じアルバムに入っていたThe Maids of Michelstown と共に僕のお気に入りだったので、後年パディ・キーナンに誰のアレンジか訊いてみたところ、やはりドーナル・ラニーだったようだ。

あまり記憶が定かではなさそうだが、僕もそう思う。

いろんな和音の付け方があると思うけど、僕にとってはこれがベスト。

ハープもいいです。蝶が舞うようなイメージがありますね。

The Strings収録曲よもやま話1

各楽曲についての詳しい説明はライナーノーツにあるのだが、ここではそれ以外の裏話や書ききれなかったストーリーをここに書いてみる。

長くなりそうなので少しづつ。

Diarmuid’s March

ハープのイントロから始まったこの曲は、以前Listening to the Outside Worldというアルバムで一度録音したことがあるが、その時はメインの楽器がコンサーティナであった。

この曲を初めて聴いたのは…と云えども、初めてではなかったのだが…。

アイルランド、フィークルのフェスティバル会場で多くの人達と飲んで話をしながら、ふと建物の中を覗くと、5~6人の若者たちがステージの上で演奏していた。

文句のつけようのない素晴らしいトラッド精神に裏付けされ、その上強烈なテクニックを持った10代後半と思われる彼等。

そんな彼らが演奏していたこの曲。希花女史がどえらい気に入ったものだった。

良い曲だけど、どこかで聴いたことがあるような気がする。

そんな思いを抱いたまま、自分たちの演奏もあるのでその場を後にした。

そうなると気になって仕方がない。

さて、何の楽器で聴いたかな?多分アコーディオン。

若者たちもアコーディオンをリーダーとするバンドであったので、比較的聞き覚えのあるサウンドだった。

そして、朝から晩まで知っている限りのアコーディオン奏者のアルバムのそれらしい曲を聴いてみる。

ワルツかスリップジグかマーチだということは分かっている。

やがてシャロン・シャノンの演奏に行きついた。結構有名なアルバムのタイトル曲になっていたものなので、もう忘れていたんだろう。

シャロン・シャノンと言えば、僕がよくサンフランシスコで一緒に演奏していた、アシ―ナというフィドラーが彼女のバンドに入っていて、ある時「このバンドでギターを探しているんだけどジュンジやる?」という電話がかかってきた。

有難い話だったけど、確か当時、フランキーやパディとのトリオが発足したばかりだったかな。それで忙しくて断った覚えがある。

シャロン・シャノンにはそんな想い出がある。

Vincent

ドン・マクリーンはアメリカのフォークシンガーの中でもかなり有名だが、日本ではどうだろうか。来日はしていないようだ。

1971年から2年にかけてアメリカンパイと、このビンセントが立て続けにヒットして有名になった。

この人はヴェガのロングネックを弾くし、ある写真ではリゾネーター付きのバンジョー(機種は何だったか忘れたが、インレイはハーツ&フラワーだったと思う)を横に置いた写真もあったので、興味を持ったものだ。

因みに、ロバータ・フラックのKilling me Softly with his Songについて、作者のロリ・リーバーマン曰く、ドン・マクリーンがロスの小さなクラブで歌っている姿に感動して作ったものらしい。

以前、ドキュメンタリーで観た時、彼女が「自分の作った曲が素晴らしいアレンジでラジオから流れて来て、思わずフリーウエイで車を止めて聴き入ってしまった」という話をしていた。

ここではチェット・アトキンスの演奏からヒントを得ているが、彼の演奏はスタンダードチューニングだったのに対して、僕はあくまでDadgadで演奏している。

ネットニュース?テレビ?新聞?

以前は新聞をとっていた。あまり目につかない小さなニュース、というか話題というか、そんなものを見つけるのが結構面白くて…。

アメリカではこんな小さな記事を見つけることが出来た。

「蒙古班をみた事の無いベビーシッターが、虐待と勘違いして両親を訴えた」

「メキシコからの不法移民がアメリカの高速道路のスピードに不慣れで、必ず列の最後尾の奴がはねられて死亡する、というケースが毎年数件ある」

「コーヒーを一日2杯以上飲む人の自殺率は低い」

など、本当かな?と思う事から、もしかしたら…と思うことまで様々だ。

今ではネットで新聞を読むこともできるが、こんな小さな記事に気がつくかどうか分からない。

今やテレビでニュースを観ることが多い。

朝は必ずいくつかの番組(ニュースではないが)を観ているが、腹が立って仕方がない。

これはひょっとして新聞や、その他の文章で読むより腹が立つものだろうか。

やはり人の声で伝えられた方がこちらも反応しやすいという側面があるのだろう。

他人の命など自分の給料の次の次だと思っている内閣官房参与。それを何とも思わずにスルーしてしまう今の政権。

改ざんした資料を更に黒塗りして裁判所に提出しようとしている財務省。

その財務省に助けてもらった元首相から現首相まで。

むかし「悪いやつほど良く眠る」という映画があったが(1960年、何故か観たなぁ)国会で寝ている奴らを見ると自然とそのタイトルを想い出す。

話変わって(ま、あんまり変わっていないけど)大嘘をついてまでも招致したオリンピックは決して選手の事を考えていないことは最初から分かっていた。

こういう云い方は良くないのかもしれないけど、大嘘のつけがまわってきたような気もする。

7月の日本は温暖でスポーツに最適だとか、アンダーコントロールだとか…。

国民はコントロールされている、という意味だったんだろうか?

また話変わって、中国は、最初からこのウイルスに対抗できるワクチンなどを用意していたんではないか、と勘ぐってしまう。

これは中国が起した地球規模のテロではないか、とも勘ぐってしまう。それを手助けしたテドロスはいまだに涼しい顔をしている。

2022年の北京冬季オリンピックは彼等にとって美味しいものとなりそうだ。

これらはテレビのニュースや情報番組で得ることなので、ちょっと極端な、独断と偏見というものも含まれるかもしれない。

そういう事もあるので、やはり新聞などで情報を得たほうが冷静になれるのかもしれない。

それにしても水泳選手のコメントは突き刺さった。素晴らしかった。テレビでもネットでも。

CD ” The Strings ” 近日発売

このアルバムはハープとギターの演奏をメインにしたものです。

使用楽器であるアイリッシュ・ハープについては、アメリカ、ミネソタのレッドウイングにある小さな工房で作られているもので、約2年前、希花さんが工房を訪れた際、制作者とお話したことで、更にこの楽器が世の中に普及してほしいという思いが強くなりました。

使用しているのは、ラップハープと呼ばれている比較的小型のモデル名Brittany-22

というものでフルレバー(全ての弦にレバーが対応し、様々なキーで演奏可能)です。

比較的小型であることは素晴らしく、様々なキーとは言えども、リミテッドな部分も否めませんが、この音を実際に耳にすると、多くの方が「欲しいな、弾きたいな」と思うようになるという、不思議な楽器です。

ギターに関してはもう書くことはありませんが、使用楽器はローデン。北アイルランド製です。

長年マーチンギターを使用していましたが92年頃、このローデンギターに出会ってからはずっとこれです。

このアルバムでも全てDADGADチューニングでO-32cというモデルを使用しています。

ここまではアルバムの概要。

それぞれの楽曲についての解説はライナーに書き記しております。

ジャケットデザインについては、今までとはかなり違う印象を持たれるかもしれません。

これは是非楽しみにしていてください。

さて、僕らは既に次のアルバムに向かっていますが、今のこの状況ではいつコンサートを再開できるか分かりません。それどころかもう無いかもしれません。

既に小さな音楽会を開催している方達もいますし、それを否定する気もありません。

勿論、感染防止対策はきちんとなされているのだろうし、様々な意見を出し合った結果のことだと思うので。

ただ、僕の考えではやはりそれはなかなか出来ません。慎重すぎるくらい慎重にならざるを得ません。慎重すぎるのかもしれませんが…。

そんなわけで、ライブの予定が立てられない中、今年はすでに2枚のCDを計画しております。もしかしたら3枚になるかもしれません。

それで何とか皆さんとの間をつないでいきたいと思っております。

聴いていただいて、本当に僕等らしい演奏だと感じていただけるだろう音づくりに専念いたしました。

The stringsは5月半ばには出来上がってきます。

どうかよろしくお願い致します。

またしても

2011年の12月から書き始めたこのコラムも、最近はなんか文句ばかりになってきてしまったが、それもこれもほとんどが嘘つき政治のせいだろう。

長いこと続いている。

文句を言うのだったらアイディアを出せ、と云われたら僕はこんなアイディアを出す。

緊急事態宣言は政治家に向かって出すべきものだ。

ボーナスは無し。それは彼等にとって緊急事態だろう。

でも、もしそうだったら彼らは緊急事態宣言は発出しないだろう。彼等にとってはその程度のものだ。取りあえず生活がかかっていないのだから。

最近友人からこんな話を聞いた。

「先日、本当に頭に来たことがある」彼は医者で、多くのコロナ患者を診ている。

「居酒屋を5軒はしごして、酔っぱらって道で倒れて救急車で運ばれてきた若い奴が、検査をしたら見事に感染していた。こんなアホを助けるために自分の命をかけなくちゃならないってどうよ!」

給料もボーナスもしっかりもらってほとんど隠れて、たまに出てきたと思ったら国民をバカにしている政治家でも助けたほうがいいのかなぁ?これは僕の心の声。

さて、ワクチンは?

なんか9月には全国民の分、とか言っているけど、決して全国民が打てるとは言っていないし、どうせ見通しの甘い嘘だろうと、今まで通り勘ぐってしまう。

アメリカやイギリス、アイルランドの友人たちがこぞって、もう2回打ったけど君は?なんて聞いてくる。恥ずかしくて何も言えない。

とに角、またしても緊急事態宣言などと称して国民ではなく、自分たちを守ろうとしている政府は本当の意味での緊急事態を自ら知るべきだ。

馬鹿も休み休み…

この言葉は誰でもが知っている言葉であろう。

散々休んでいる政治家が「あの水は飲んでも大丈夫だ」と言っていた。

この時の国民の反応は「だったらお前が真っ先に飲め!」か「馬鹿も休み休み言え!」だっただろう。ほぼ100%の割で。

まぁ、確かに休みが多すぎて馬鹿も休み過ぎた結果だろうけど。

「うちわ会食」というのにも「おいおい、遊んでいる場合じゃないだろう」

これも国民のほぼ100%がそう思っただろうが、これ考えた人ってどういう頭の中身をしているんだろう。

「まだ、大きなうねりとはなっていない」と言っている国のトップ。

この男の云う「うねり」とは…国民の半分以上が感染するくらいの状態の事なのだろうか?

一体、頭の中はどうなっているんだろう。馬鹿も休み休み言え!だ。

ほぼ、このまま3年目に突入していくんじゃないか、という疑念が湧いてきた。

頼みの綱であるワクチンよりも、やれマンボ―だ、やれうちわだ、やれマスク会食だなんて、その上、早期解散という仕事放棄まで来てしまっては、もはや救いようがない。

馬鹿も休み休み言え!だ。

Irish Musicその177

Penny Candle / Red Tom of the Hills (Reels)

最初の曲はPaddy O’Brien次がEd Reavyという2大コンポーザーのメドレー。

これは、サンフランシスコのPlough and Starsの為に世界のアイリッシュミュージシャンが作ってきた映像のうちのジョディース・ヘブンが担当した曲。

ちょっと前に僕がアンドリューから受け継いでEaster Snowを弾いたが、その後、ジャック・ギルダーに渡して、それならばジョディース・ヘブンで、ということになり、デイル・ラスにも参加してもらった。

基本Plough,,,に出演していたミュージシャンが、これからもPlough,,,を応援し続けよう、と発足したもの。

僕にとってもホームグラウンドであった、そしてアイリッシュミュージックとの出会いの場所でもあったPlough and Starsがいつまでも継続してくれることを願うばかりだ。

爆発音

昨日、東京の京浜東北線という電車に乗って埼玉の大宮から戻ってきたときの事。

時刻は夜の9時をまわった頃でしたが、

日曜日ということもあり、混み様は大したことなく、それでもそこそこの乗車率でした。

僕は一番隅っこの3人掛けの処、壁際に座っていたのですが、やがて中国語が聞こえてきました。

それは僕が座っている処から結構離れている、でも同じ車両の端の方でした。

そこに親子らしき中国人の家族が居たのですが、なにを興奮しているのか、やがて声が尋常でなく車両に響き渡り始めました。

日本人だったら間違いなく大喧嘩の怒鳴り合いですが、もしかしたら家族愛を語っているのかもしれません。

ただ面白かったのが、ちょっと身体を乗り出してみると、その辺だけガラガラです。

だ~れも座っていないのです。

多くの人が避難してきて、それでも興味津々、同じ車両のこちら側に立っているのです。

そんなことにはお構いなく強烈な爆発音で叫び続ける家族。

ま、ここからこのパンデミックが始まったんだろうな、と、改めて感じました。

白人種は声がでかいし家も外も一緒、フランス人やイタリア人はすぐハグをし、キスをする、

中国人は飛ぶものは飛行機以外、4つ足は机以外何でも食べ、世界中どこにいても聞こえるくらいの爆発音で喋る…等々、確かに日本人とはよくできた民族だと感じざるを得ない。

中にはいまだにマスクを拒否するミミズみたいな奴も居るけど。

おっと、ミミズさんごめんなさい。

その昔、アメリカのスタジオで録音していた時のこと。

そのスタジオがチャイナタウンの近くにあり、ま、それでもスタジオなので防音もしっかりできているはずなのに、ヘッドフォンから僅かになにか音が漏れているのを感じ、表を見て見ると、2人の中国人のおばちゃんがスタジオの前で世間話(だと思う)をしていたのです。

エンジニアのデイブに「外に中国人が二人いる」と伝えると彼が「本当か?100人は居るんじゃないか?」と言ったほどだった。

ま、おばちゃんと云うのは大阪人に代表されるようにうるさいものではあるが。

しかし、アメリカでもヨーロッパでも多くのシーンで遭遇しているはずの中国人でも、昨夜の家族には正直驚かされました。

あー、今でも耳鳴りが…って大袈裟か…。

そろそろ

そろそろ本気になってくれてもいいんじゃないかな?

マンボ―なんて言っているより、こう言ってほしい。

「国民すべてがオリンピックまでにワクチンを打てるように全業務、責任をもって行う」

しかし、もうすでに手遅れになっていることが全く分かっていないのだろう。

なぜ、ワクチンの研究にもっと、お金も精力も費やす努力を政治の力で真剣に考えて取り組んでこなかったのだろう。

どう考えても「自分たちは守られているから大丈夫」という甘い考えを持ったまま、2年目に突入しているように見える。

もういい加減、嘘で固めた政治、金と権力だけで固めた政治からはおさらばしても良い時にきているのではないだろうか。

どの政権にもウイルスと戦うことが出来ないだろう事は分かっている。

しかし、闘う姿勢とそのための努力を見せて欲しいのだ。

嘘ばかりついて金と権力に胡坐をかいている場合ではない。特に今の政権は。

我々は何をどうすべきか

壮大なテーマだが、最近、コロナ患者を受け入れている病院で働いている友人から興味深い話を聞いた。

「重症になっているのはほとんど年寄り。それも昼カラオケの奴ら。大体煙草を吸う連中か不健康に太っているやつ。そんな奴がなにも考えずにカラオケに行って運ばれてくるのを僕たちが面倒みなければならない。正直、自業自得。もちろん、中には家庭内感染も居るけど、圧倒的に昼カラオケが多い。こんな奴の為に死に物狂いになって働かなくちゃならないのは正直頭にくる。ナースはもっと大変。ナースコールが来るとすぐに出来るだけ急いで防護服を完璧に着こなして出かける。それはそれは大変な作業の1つ。やっと戻ってきて防護服を脱いで捨てた途端にまたナースコール。一体何人の看護師が辞めていったのか、もうすでに分からない。若い奴は若い奴で、大騒ぎした挙句に苦しくてたまらないと言って運ばれてくるし。でもそんなに重症化せずに帰っていくと、もう忘れちゃうんだろうな」

また、彼はこうも言っていた。

「みんなちゃんと予防をしようよ。身体によく無いこと…たばことか、食べ物とか、少し気を付けて、世の中でこうした方が感染は防げるよ、と云われている事、例えばマスクとか手洗いとか、食事の時のこととか、ちゃんと守っていれば感染はある程度防げる可能性があるし、重症化も防げる可能性もある。それでも感染してしまう事はあるし、でも自分が後悔しないためにもできるだけ規則を守ったり、少し自制心を強めに持ってくれると僕らも助かるんだけど」

とても説得力がある話だった。

「ここ1年以上、飯食いに行こうか、なんていう事をいうやつは医者の中にはいないよ。誰かを誘うなんてもってのほか。ま、そんな暇もないしね」

最近はそんな感じだそうだ。

国会で嘘ばっかりついて、何の展望も示さずに国民をバカにしている政治家って生きている必要があるんだろうか?

学習能力の無さに於いては、繰り返しあおり運転をする奴、震災の後に泥棒に入る奴、平気でカラオケに行って医者に面倒をかけるやつ、飲み過ぎ、騒ぎ過ぎて倒れて病院に運ばれる奴、そんな奴らと政治家はほぼ変わりが無いんじゃないか、と僕は思っている。

しかしながら、友人は政治家に関してはなにも言わなかった。多分、もう人間以下の存在としか捉えていないのだろうか。

取りあえず、次から次へと運ばれてくる人たちの面倒をみることしかないのだろう。

こんな文章を随分前に書いたのだが、こんな事、もうみんな分かっていることだろうし、バカバカしいので掲載するのは辞めておこうと思っていたが、厚労相の大宴会のニュースを聞いて愕然として、ま、いいかと思ってしまった。

やっぱり一番危機感の無いのは官僚であり、役人であり、政治家であった、という事だ。

我々が何をどうすべきかはさっぱり分からなくなってきた。

青春の光と影

先日、とある人の勧めで、ある映画の試写会に行った。

タイトルは「君が死んだあとで」

1967年10月8日、羽田闘争の際、山崎博昭さんが弁天橋で死亡した。映画は、彼のお兄さん、そして当時の仲間たち、友人たちに話を聞くドキュメンタリーだ。

僕が京都産業大学に入ったのは1968年だったが、そこは学生運動が無い大学として知られていたので学内はとても静かだった。

一方で、たまに同志社や立命といったところに出掛けて行くと、そこにはヘルメットをかぶり、角棒を持った学生達がうようよ居た。

そんな彼らを横目で見ながらバンジョーを持って歩いた。

高校時代にはフォークソングを歌い、その中にも反戦歌はあったにせよ、そのための集会などには興味が無かった。

そうはいえども、そういった運動を否定する気持ちもなかったので、彼等にはある意味一目置いていた感がある。

そんな僕なので、これは観に行ったらもっと深いところを知ることができるかな?と思い、何と休憩を挟んで3時間20分もあるものだったが、希花さんを誘って行ってみた。

3時間かぁ…と思いつつ、はっきり言って“寝ちゃうかなぁ”と思っていたが、最後まで寝ずに観ることが出来た。

ただ、あとちょっとの編集で30分位短くしたら、もう少し多くの人に観てもらえるのかな、とも思った。

それはそうとして、僕には“あの時代はみんな熱かったなぁ。中には山崎さんのように命を懸けてでも政治の悪の部分に(悪ばかりではないのかもしれないのであくまで“部分”ということで)立ち向かう勇気と知性を持っていた人達がいたけど、彼にしてもそこで死ぬとは思わなかっただろう。でも、死をもっても抵抗するくらいの思いを持っていた大学生がいたんだ”という、一種の自分には無かった才能を持ち合わせた同世代が近くにいたような親近感をおぼえ、なにか懐かしさと虚しさ、そして悲しさを感じた。

さて、希花さんの反応はどうであったか。

実はその辺りが一番知りたいところだった、というのも事実だ。

周りを見ても僕くらいか、その少し下、或いはその少し上という世代がほとんどだったので、それに内容も内容だし寝るのかな、と思っていたらしっかり観ていた。

そこで曰く「あれだけの熱い思いを持って突き進んでいった人達、行動力だけではなく、頭脳も優れた人達が、いま、どうしてそのまま日本を良くしていく仕事に就いていないんだろう。なぜ、ある時を境にみんな止めてしまったんだろう。そこには偉大な達成感があったんだろうか。それともこれ以上は無理、という敗北感だろうか。とにかくあれだけの人達がそのまま世の中を引っ張って行ければ今、少しは変わった世界になったかもしれないのに」

というようなことを言っていた。

勿論、ぼくらのように同世代の仲間意識みたいなものは無いし、熱き時代を語ることとは縁が遠い。しかし、希花さんにも彼らの熱い思いと、抵抗する力と頭脳を強く感じたドキュメンタリー映画だったのだろう。

弁天橋の事件も、首相のベトナム訪問を阻止する目的だったが、彼らの描いていた成功例は羽田空港に突入して飛行機を飛べなくすることだったのか、あるいはそれが出来なくても、強く反対の意思を表すことが目的だったのか…いや、やっぱり阻止が最終的に描いていたものだろう。

彼の死は結局のところ、うやむやにされてしまうのだが、それが政府、国家権力のありかたで、今もそこは全く変わりない。

同じように、彼らの運動は無かったものとして捉えているのが国家権力なんだろう。

存在すらも消してしまうような。

学生運動をやめた人達の中には、考えに考えた末、或いはずっと“もやもや”しながら、ある日突然、やめた、という人もいたようだ。

それは、まるでフォレストガンプが突然「家に帰る」といって足を止めたあのシーンと全く同じだった。

達成感と敗北感の挾間で何かがフッとふっきれたのだろうか。はたまた、次なる活動のビジョンが見えなくなったのか。

とに角、それまでとは全く違う世界が見えた、という話もあった。

この映画であの時代、60~70年代の事を語ってくれた人達は間違いなく、熱い心を持って力強く生きてきた人達だ。

そしてその中で仲間の死、それも権力の下に蓋をされてしまった死に対してはこのような形で語り継いでいくしかないのだろう。

Irish Musicその176

Bonaparte Crossing the Rhine    (March)

この曲に関しては完全に違うメロディが2種類存在している。

僕がよく聴いていたのは別名Battle Called of the Fianna或いはThe Battle of Waterlooともいわれるものでマイナー調のもの。トニー・マクマホンの素晴らしく力強い演奏で覚えた。

もうひとつのDメジャーで演奏されるものはオールドタイムの人達に馴染みが深いかもしれない。別名The Braes of Dungevan March或いはDurham Rangersというバーンダンスとも云われている。これはどちらも完全にスコットランド音楽の形式だ。

その昔、Foggy Mt, BoysのPaul WarrenがDurham’s Bull という勢いの良いフィドルチューンを弾いていたがそのDurhamはノース・キャロライナの土地名だろう。イギリスにもあるようだが。

Irish Musicその175

Catherine Ogie  (Air)

ひとつ前のDerry Airの作者Rory Dall O’Cahanの作品。

彼の作品はしばしばO’Carolanの作品と思われていることが多い。

93に登場したGive Me Your HandはいまだにO’Carolanの作として認識されているようだが実際はO’Cahan,アイリッシュではO’Cathainと表記されている彼の作品だ。

O’Carolanは彼O’Cathainの死後17年の1670年に生まれている。

Irish Musicその174

Londonderry Air    (Air)

今回は、このあまりにも有名な曲に付いて書いてみる。Danny Boyと云う方が人々には知られているタイトルだろう。

また、イギリス嫌いの人達にとっては、Londonとついているのが気に入らず、Derry Airと云う人も多い。実際、元々はDerryが正式名称(1613年まで)だったのをイングランドがLondonを引っ付けたらしいのでそれは許せない人も多く居て当たり前だろう。

さて、曲について面白い話がある。作者と云うのは不明、となっていることが多いようだが、あるストーリーを読んでみると Rory Dall O’Cahanの作ではないか、ということだ。

彼が飲み過ぎて川のほとりでこけて、持っていたハープを落としてしまってからそこで寝込んでいる間に妖精が彼のハープを弾いていて、目を覚ましてからそのメロディの美しさを想い出した。そしてすぐに彼のパトロンの下に行き、まだ誰も聴いたことのないそれを弾いた。その時点ではO’Cahan’s Lamentと呼んでいたらしい。

彼が生まれたのはアイルランドCo.Antrimで1580年頃、1653年頃にスコットランドで亡くなっている。

そのだいぶ後、1800年代中ごろに人々に知られるようになったという事だ。

それは、Jane Ross という女性が北アイルランドで聴いたハープ奏者の演奏を楽譜に起し、アイルランド音楽を研究する人物Dr George Petrieに送ったことに始まった。

彼がその曲をLondonderry Airと名付けたようだ。

そして最終的には1910年、弁護士であるFred Weatherlyという人物が詩を書いた。

それがDanny Boyだ。

なお、Jane Rossにその曲を聴かせた人物は盲目のフィドラーJimmy McCurryということだが、よくそんな記録が残っているものだ。

ただ、Jane Rossが聴いたのはハープによる演奏だったという記事もあり、良く分からないことも多いはずだ。

たまには音楽の話

たまには誠意のない連中の事から頭を離して、音楽のことでも書かないといけないな、と思っています。

もう1年以上動きが取れないような状況が続いています。

そんな中でも、いくつかの場所には行かせていただきましたが、そのたびに主催していただいた方達、集まっていただいた方達の熱意に感謝するのみでした。

幸い、僕の則近には医療関係者が居るので、そんな意味でもこの状況下に音楽会を開くことにはかなり慎重になることが出来たと思います。

さて、こういう状況になる前から少し思うところがありました。

僕等はこの10年間、アイリッシュミュージックというカテゴリーで演奏を重ねてきました。

ですが、僕は常日頃から、この音楽に付いていろいろ思うことがありました。

30年前、アンドリュー・マクナマラと出会って以来、深く関わってきて、それより7年ほど前、84年のカーターファミリーとの暮らしと重なる生活を体験してきました。

山に登り、先住民の残した矢じりや石器を掘り出したり、南北戦争の弾丸の残りを拾ったりしながら、太陽に照らされたアメリカでも最も貧しいと云われるプアーヴァレイを眺め、ジョー・カーターの唄を聴く。

同じような体験を何度も何度もアイルランドで繰り返していると、ことさら、アイリッシュミュージックなどと言っている事自体がナンセンスに思えてきてしまいました。

アンドリューは皮肉交じりで「俺はアイリッシュミュージックが大嫌いだ!」とよく言っていました。

僕と彼とで、どこかアイルランドの小さな町へ出掛けた時、朝ごはんで席につくと家主が嬉々としてパブソングのテープをかけました。

僕の方は仕方ないけど、彼はどう見てもアイリッシュだ。夜な夜なパブを飲み歩いてこんな歌を唄っている人だと思ってサービスしたのかな。

アンドリューは盛んにFを呟いていました。

通常、世の中ではパブソングやエンヤなどがいわゆるアイリッシュミュージックなのかもしれません。

特にこの日本では、イベント音楽のようなイメージか、妖精の国のヒーリングミュージックという認識の方が多いようです。

アメリカの方に眼を向けてみると、アメリカはやっぱり移民の国です。

ユダヤ教会ではクレズマーのコンサートを聴くことが出来るし、ギリシャ人街にいけばブズーキ音楽もたっぷり聴けます。

メキシコ人街に行けば危険と隣り合わせてもラ・バンバを聴くことが出来るし、同じ危険と隣り合わせとしては黒人街のブルースも熱い。

よく、なぜ自分はここにいるんだろう、というような場所に居合わせたこともありました。

その中でもアイルランド人と、或いはアイルランド系の人達と過ごすことが圧倒的に多かったのかな。

友人達の中には物凄くイギリスが嫌いな人も多く、ロンドンデリーなんていう土地名のロンドンを黒く塗りつぶす人もいるし、フェスティバル会場では、これは見ず知らずの人だったけど「その昔は俺達こういう所にはよく爆弾を仕掛けたもんだ」みたいな会話を耳にしたこともあります。

この音楽はそういう歴史のなかにも存在してきたものだという事がよくわかります。

そんなアイリッシュミュージックを演奏して30年。

そして希花さんはそれまでやってきたアイリッシュミュージックでは到底感じることが出来なかったであろう、奥深いところまで関わってしまった。

そんな中で僕らは、少なくとも僕はことさらアイリッシュミュージックという意識がなくなってきているのです。

でも、僕らがやっているのはアイリッシュミュージック。それも、ほとんどが古いもの。

ただ、もういろんなものが僕らの音になりつつあるような気もします。

それは本当に僕が描いていたものかもしれません。

アメリカでこの音楽を始めた時に、誰でもない自分の音を出すことを目指し、それでも多くの先人たちの演奏を注意深く聴く。そんな当たり前のことをずっと繰り返してきたからこそ、もうアイリッシュミュージックというカテゴリーに囚われなくなってきているのかな、と思うのです。

今年、またアイルランドに行く予定でいます。あくまでも予定。

そして自分たちの音を彼らの音楽に乗せていく。そんな気持ちでまたこの音楽を演奏していきたいものです。

あくまで僕等の中から湧き出てくるものと、数百年の歴史あるものを大事にしつつ、この音楽に取り組んでいく姿勢に変わりはないように思います。

入院?

いや、僕ではありません。今のところ。

また、政府の人間が都合悪くなって病院に逃げ込んだ。

本当に体調が悪いのなら責めやしないが、つい先日まで、飲み会(会食?)は絶対に断らない、などと言って高額な飯を食っていた奴が、そんなに急に体調を崩すはずがない。

食べるものもままならず、厳しい状況の中で一生懸命生きている人のことを少しでも考えたことがあるのだろうか?

それに、今この状況が医療に与えている影響のこと。

この状況下、入院して医療関係者に負担をかけることをなんとも思わないのだろうか?正直、迷惑なはなしだ。

感染しても入院できない人を踏み越えてさっさと病院に駆け込んで、ほとぼりがさめるのを待つ。

辞職願は出したようだが、そんなことでちっとも可哀そうだとは思わない。

あんな連中の入院費や給料や退職金を捻出するために僕らは税金を払い続けるのだろうか?

とに角、政府の人間に云いたい。

逃げるな。

相変わらずの日々

何だか知らないが、ぬくぬくと気持ちの良さそうな椅子でほとんど眠っている大臣や、嘘ばっかりついて、記憶にございません、なんて言う決まり文句を言っている人達。

嘘がばれたらまるきり他人事のように、そんなことがあったのか、みたいな云い方をして逃げようとする。

世の中の人達は本当に大変な日々を過ごしているのに、高級な飯をご馳走してもらって、先生、先生と云われていい気になってふんぞり返っている。

こんな大変な時に子供みたいな嘘をついて引き延ばそうとする奴らは正直もう政界どころか、世の中に居てはいけない存在だと僕は思う。

また、いつまで追求しても逃げられてしまうんだろうな。

取りあえずポジションを動かして、雀の涙ほどを給料から引いて、ほとぼりがさめたら目立たない程度に戻すんだろうな。

なんと楽な商売だ。

下っ端は下っ端で最低だが、上の方は最悪ときている。

もうほとんど自分の発言に責任が持てないのか、何を言っているのか自分でも分からないのだろう、それをまた下っ端がカバーして同じようにふるまっている。

結局その下っ端も同じ道を歩むことになるのだろう。

国の進むべき道を決めるところがそんな人間たちの嘘偽りの温床になっているなんて、救いようがない。

先日、アイルランドの友人と話をした。

政府はよくやっているそうだ。ただ、国民の意識が低い、とその人は言っていた。

日本の逆かな。

ただ、以前から気にはなっていたが、感染者に対する差別みたいなものは聞いたことがないそうだ。

日本はその点、遅れているのか、元々そういう民族なのか、同じ島国のアイルランドとは違うようだ。

友人は、とに角政府はきちんとしたメッセージを出しているし、取りあえず国民のサポートは素早くやるし、彼らの云う事はきちんと理解しようと思う、と言っていた。

因みに友人は日本人。

日本の国会の様子なんかもテレビで観たりするらしいが、ほとんど記憶のとんでしまった老人の集まりにしかみえないようだ。

残念ながら若い人を育てる能力のない(その気もない)人たちが日々国会で寝ているか、会見で悪態をついているだけにしか思えない。

そんなことばかり目につく相変わらずの日々です。

テクノロジー ♯2

最近やっとスマホが分かりかけてきた。

と云えども、何もインストールしているわけではなし、写真を撮って少し編集したり、ラインをして、電話して…くらいか?分かってきた、とは到底云い難いか。

よく、CDを注文してきてくれる人の中でも、こちらからの自動返信メールが届かなかったりする人がいるが、その多くは携帯メールから送られてくるものだったり、ちょっとしたメールアドレスの打ち間違いだったりと、多様だ。

間違いを見分けることが出来る場合はまだいいのだが、どうしても返信メールが届かなかったらもうお手上げだ。

ブロックされている場合もある。迷惑メールに入っているのか、最初から跳ねているのか。

先日ある人から、そちらからのメールをブロックしているようで、それを解除するのでもう一度自動返信メールを送ってください、とご丁寧なメールが来たのでそちらに送ってみたがやっぱり届かない。

多分ブロックを解除したつもりでまだできていないのかも?僕にも無理かも。

ちょっと前に外国の裁判かなんかオンラインでやっているもので、弁護士の顔がネコになっていて直し方が分からない、という話があったが、もし僕だったらやっぱり分からないだろう。その場合、希花さんを呼ぶしかない。

なんでも便利になってかえってややこしいが、若い人にとっては何ともないのだろう。

希花さんは取扱説明書を読むのが好きなようだ。

食い入るように見てはチェックポイントを探すことに情熱を燃やすらしい。

ま、それでないと医学部なんて無理か。だが、人体だけではなく機械も充分こなしているところをみると、取説を読むことは大事なんだな、というのが良く分かる。

が、そこに書いてあることの意味が解らなかったり(根本的な問題)字が小さくてハズキルーペでもないと読めなかったりすると、もう無理だ。

ワクチンを打つことで、しばらく様子をみて、っていう人がいるけど、別に日本人が最初に受けるわけではないし、人体なんて中身は一緒だ。もう外国でみんな打っているんだし、他人の様子なんて気にするよりとっとと打って、外へ出ていったほうがいい、と言っている。

僕も同じ考えなのですぐにでも打ちたいし、その方が他人に移さずに済む可能性が高いはずだ。

僕はワクチンだけにワクワクしている。あ、冷たい視線を感じた。

テクノロジーについて書いていたつもりがこんなことになってしまった。

しかし、日本ほどいろんな意味で技術力の優れている国のワクチンがいち早くできなかったのは何故だろう。

やっぱり、つぎ込むお金のあり方を政府が分かっていないのかな。彼らの給料が高すぎるんじゃないのかな?

それで本当に大事なところが手薄になっているのかもしれない。

何となく無理やり、これからの事も含めてのテクノロジーというところに話を落ち着かせた感はあるなぁ。

地震

数日前にもあったけど、やっぱり地震は本当に怖い。

今迄にも沢山の地震を経験したけど、自分が避難する立場になった、という経験は無い。

ただ、いつそういう事になっても不思議なことではない。

そんな事はだれにもわかっていることだろうけど、日々それを恐れて生きていくわけにもいかない。

そんな中、突然警報か鳴っても「ありゃ?」と思うしかなくてそわそわして、もし火でも使っていたら即刻消す。

家屋の条件によっては外へ出た方が良いだろうけど、右往左往しているうちにグラグラっとくる。

中には突然来る迷惑なやつもある。

どちらにせよ、右往左往しながら「いつまで続くんだろう。このままもっと揺れたら…」なんていうことを考えてしまう。

僕にとってのよく覚えている地震は、サンフランシスコで経験した1989年のもの。

既に、最近ちょっと触れたが。

あの日はちょうどワールドシリーズでサンフランシスコ・ジャイアンツとオークランド・アスレティックスの試合がある、というベイエリアでは持って来い、の盛り上がりをみせるはずの日だった。

まだ小さかった息子がテレビの前にバットとグローブとヘルメット(多分ジャイアンツ)を置いて、今か今かと待ち構えていた時だった。

運よくヘルメットがあったので、すぐ被ったらしい。そしてあっという間にテーブルの下にもぐった、という。

それというのも、学校でそのように教わっていたらしいのだ。ヘルメットはおまけだったが。

サンフランシスコは1906年のマグニチュード7.8の地震で壊滅状態になったので、それ以後、建物の建築方法などに大きな影響を与えたようだ。

アメリカだなぁと感じたのは、すぐに住民たちが外に繰り出して、信号の止まった交差点に立ち、懐中電灯を照らしながら交通整理を始めたこと。

それと、驚いたことに翌日Tシャツが売られていた事。胸に大きく書かれていたのは

「M’7.1  I Survived」という文字。

これは、恥ずかしかったがすぐ購入して永六輔氏に送ってあげた。

しかし、地震の怖さのもう一つは、数日後でもなんか身体が揺れている感じがすることだ。

そう感じた途端、思考が止まってしまう。

なんとなく周りを見つめ、自分以外になにか揺れていないか確認してしまう。そして勘違いだったことを知る。

下手すると一日のうち数回、そんな感覚に襲われる。

しかし、今回の揺れも長く感じたなぁ。

東京でこれだったら震源に近い人達、特に今回はあの東日本を連想させるものだっただけに、本当に怖かっただろうなぁ。

実際に10年経っているのにあの余震だ、という話があったし、今後1週間くらいの間に同クラスのものが来る可能性がある、なんていう恐ろしいことも云われている。

また津波なんてあったら…。

どちらにせよ、地震は自然のことだし、どうしようもないのかな。

1週間にいちどくらいでいいから小さいのが決まった時間に来てくれてエネルギーを放出してくれたら嬉しい。

出来れば、溜まったエネルギーを爆発させないでほしい。

なんだか、また身体が揺れてきた。歳かな?