ライブ盤のお知らせ

今年2月8日に東京で行われた、僕の70歳記念のライブ盤が出来上がります。

発売は9月1日。それまで日本は存在しているかな…?

とに角、今回は限定もので数はかなり少ないです。

楽しい会話も収録されているし、スタジオ録音並みのサウンドクオリティです。

僕は前回のin New Shoesでも収録した「青春の光と影」をこのアルバムの最後に持ってきましたが、少しだけライブとは違います。

それは、このライブを最後にこの世を去った旧友、金海たかひろに思いをよせて、あとからマンドリンを加えたことです。

彼の歌声も聴くことが出来ます。

そして、進ちゃんのドブロとボーカル、希花さんのフィドル、アイリッシュハープ、コンサーティナも生き生きとした音で楽しんでいただけると思います。

いつもは10stringsからの発売ですが、今回はTry Recordsからの発売になります。

詳しくはこちらをご覧ください。

http://soundtam.jp/junjishirotacd.html

テクノロジー

未だにスマホの使い方が良く分からない。あれ、電話しちゃったよ、とか、これどうしたら見れるの?とか。それでも最近はWiFiの無いところではラインをしない方が良い、くらいのことがやっと分かってきた。

でもバイトだかギガだかなんだかよく分からない。

何だったか、あのムニャムニャとしたやつ、QRコードか…あれも何だかよく分からない。

むかし、バーコードと云うものが出てきた頃、いろんな商品に張られているのを見て省ちゃんと「コリャなんじゃろカイ」と首をひねったものだ。最初に見つけたのは確かファミレスでのタバスコだった覚えがある。

思えば僕の場合、コンピューターですら10年くらい前に初めていじったものだ。

自分は理数系が苦手なので良く分からない、と最初から思っているので、細かい作業は希花さん任せだ。

アメリカでは1986年ころ、既に小学校にパソコンが置いてあって、生徒たちはそれを使っていた、と記憶している。

特にカリフォルニア州はシリコンバレーを擁しているだけに当たり前のことだったかもしれない。

そうして子供たちは高校生くらいになると、自分でタワーを分解して友人たちと集まってなんだか何かをインストールするとか言ってはバラバラにしていた。

車も、エンジンのないフォルクスワーゲンビートルかなんかを300ドルくらいで買ってきて、毎日のようにガレージにこもって走れるようにしていた。

その辺はDIYの国なのでほとんどの子供たちはそうして物事を覚えていくようだ。

コンピューターに関しては、物心つくかつかないかくらいから操作している、というのは今の時代の子供たちには当たり前のことだろう。

そこには多くの弊害もあると思うが。

また、今やスマホが無いと普通の社会生活も送れないくらいの勢いになっている。

今迄はポイントカードを出せばよかった店でもスマホにポイントが加算されていくようなシステムになると、もうインストールのやり方が分からなかったりするので、ま、いいか、ということになってしまう。それこそQRコードっていうやつで。

なのでいまだにキャッシュレス決済なることはやっていない。なんかよく知らないけど損しているんだろうなぁ。

そういえば、初めて飛行機にEチケットなるものが登場した時には戸惑ったものだ。やっぱり昔の感覚で、チケットは自分で持っていないと気が気ではない。

空港に行ってマシンのパネルをタッチして…なんて怖くてしかたなかったのを覚えている。

今や当たり前のことでも20年25年前はドキドキしたものだ。

ホテルの予約もネットだといざ行ったら予約が入っていなかったり、とか考えるのだが、これも希花さん曰く「電話だと聞いていない、ということがあり得るかもしれないけど、ネットだったら記録が残るからその方が安心」という事だ。

確かに一理あるが、どうも相手の声を聞かないと…と思うのはやはり時代的な感覚の違いかもしれない。

Suicaをチャージするときに新しいタイプのマシンがあって、ポンと上に置いてチャージするもの。あれが良く分からなくて希花さんに「あ、まだ動かしちゃダメ」と怒られた直後にとなりでチャージしていたおばあさんが同じことをしていた。ついでにそのおばあさんも希花さんに怒られていた。

宗教と音楽

これはなかなか触れることのできない壮大なテーマだと思うが、時間が沢山あるのでついつい考えてしまう事柄のひとつだ。

僕は特定の宗教観を持っていない。だが、どれも否定しない。

それぞれが違う方法で結局同じところを目指しているような…大阪に行くのに新幹線で行くか、飛行機で行くか、バスか車か、というような…ちょっと違う?

先ず、宗教と言うものを意識したのは母親が亡くなった時だっただろう。10歳の時だ。

母親はクリスチャンとして生きたくて、実際にどこまで関わっていたのかは良く知らなかったが、仏教のこの上ない暗さが嫌いだ、と言っていた。

それ、なんとなくわかる。お寺と教会を比較してもそれは感じる。

家には普通に仏壇があったが、母は教会に普通に出入りしていて、クリスマスになると聖歌隊なるものが来ていた。

しかし、家は浄土真宗。なのでお葬式にはお坊さんが来ていた。それを観ていた僕は、何だかなぁ、と感じていた。

そんなこともあり、宗教って結局、死んだとき何で送られるかだけ決めておいたらいいんじゃないか、と子供心に思ったものだ。

そんな母親の勧めもあって僕はカトリック系の幼稚園に行っていた。勿論、自分でここに行きたい、と言った覚えはない。

父親は何を思っていただろうか。

でも彼は南方諸島で激戦地をくぐり抜けてきた人なので、誰でも死ぬときにゃ死ぬし、それでおしまい、と考えながら毎日塹壕の中で暮らしていたらしい。

そんな父親は消灯ラッパと起床ラッパの区別がつかないくらいの音痴で、ピアノを嗜んでいた母にとってはその部分はかなりの苦痛だったのかもしれない。

僕は4歳にもなるとピアノを習いはじめた。それが僕の音楽への入り口だった。

そうしてフォークソングと出会い、今に至っている。

ブルーグラスに目覚め、オールドタイムを演奏し、アメリカ南部を旅すると、それらの音楽と宗教と言うものは特に考えることもなく同じ場所に、同じ時間に存在するもので、なにも特別なことではなく、日々のお祈りと音楽は同次元のものだという事が良く分かる。

僕も母の影響か、旧約も新約もどこに何が書いてあるのか覚えるくらいに読んだ。因みにもう忘れたが…。

でも、未知との遭遇は大好きな映画で、正に新約の使徒行伝の中のストーリーそのままだ、という事は今も信じている。

それでも「初めに神は天と地とを創造された」と言われると、その神ってどういう格好をした人?なんていう質問をしたくなるが、そんなことを訊いてはいけないようだ。ま、云いかえれば無意味な質問のようだ。

スティービー・ワンダーは「神の成されることに対して、何故?と思ってはいけない」と言ったそうだ。

とに角信じることから始めていかないといけないらしいが、疑い深い普通の人間はそういうわけにはいかない。

眼に見えるものだけが全てではない、と言われてしまいそう。

アメリカのレストランで、ある時、勝手に中に入ってきて花を売り歩くやつがいるので「君、誰かの許可は得ているのか?」と訊くと「ここは神のプロパティだ」と言うではないか。

店のドアは中からでもロックできるので僕はすかさずロックしてしまった。すると彼は一生懸命ドアを開けようとしている。開く訳が無い。

僕は「今、君に必要なのは神ではなくカギだろ?」 と質問した。

(お、日本語だと上手いダジャレになるなぁ。でもこれは英語でのやり取り)

「君たちにとってはどこも神のプロパティかもしれないが、ここはここのオーナーが毎月5000ドルの家賃を払っている。次に来るときはその家賃を持って来たら中のお客さんに花を売っていい」というと何も返事をしない。

更に「神の事ばかり考えていないで、隣の人がなにを思うのかをもっと考えるべきだ」とたたみかけてカギを開けて外へ追い出した。

彼は、何言ってるんだろう、という顔をしてそのまま黙って出ていった。

日曜の朝、黒人街に行くと、いかにもミサの帰りのガキたちが、チェーンを振り回しながら集団で道の真ん中で車の往来の邪魔をしている。何を祈ってきたんだろう。

世界ではいろんなところで宗教色というものを感じることがある。

ドバイの砂漠に夕陽が落ちていくのを眺めていた時にも、ここには何らかの存在が必要なんだろうな、と改めて感じてしまった。

アイルランド人はなかなかに面白い。

教会でのコンサートに遅れてきたシンガーが、しきりに交通機関の遅れにFのつく言葉を連発しながら悪態をついていた。その上に、くわえたばこをその場で踏みつぶしていた。

そこは、司祭が説教をする壇上だ。因みに彼もカトリック。

ま、僕の付き合いはそのほとんどがミュージシャンなので一概には言えないが。

ブレンダン・ベグリーの、自然界と音楽と神の三位一体はなかなかに感動ものだった。

泳ぎから帰ってきてびしょびしょの体のままアコーディオンを抱え「さぁ、山の神様のために演奏するぞ。じゅんじ、ギターを持ってこい」と言って弾き始める。

この光景は以前、トニー・マクマホンが「私たちはアイルランドの自然の中に住む妖精たちに向けて音楽を演奏している」と言ったことの裏付けだ。

宗教は良く分からないけど、音楽は通称「神」とも言われる自然の摂理と共に存在する、ということはアメリカ南部でもアイルランドでも同じことのようだ。

Gibson RB-500

先日ある方から(お名前は書いていいのか分からないので)お便りをいただきました。

僕が70年代初頭使用していたギブソンのRB-500について、もっとよく知りたい、という事でした。

彼は当時、友人と「やっぱり金は良いなぁ」という事で持っていたバンジョーを金色に塗った、とか。

僕もいろいろやったけど金に塗ったことはなかった。凄いなぁ。

さて、例のバンジョーRB-500と云うのは結構レアかもしれません。

当時はRB-100  RB-250 の上はRB-800という観念でした。余り情報も無かった時代です。

なので、手に入れてしばらくはRB-800 だと思っていました。

あれは神田のカワセ楽器だったと思いますが、ひょっとすると売った方もそう思っていたんではないかな。500という話は全く聞かなかったし…。

インレイはフライング・イーグルでしたが、後でよくよく見ると、確かに800のそれとは少し違ってシンプルな形だったかもしれません。

ヘッドストックは普通のイカみたいな形の少し大きめだったので僕と省ちゃんは「スルメ」と呼んでいました。

詳しくはイカが「ダブルカット」と呼ぶようですが、僕のは「Huber」という形に近かった、かと思います。

アーチトップ仕様のパキパキした音でした。

それまで使っていたヴェガのスクラッグスモデルとは全く違う音でした。

重さもそこそこありました。

ネックは比較的肉厚で幅も狭くなく、いい感じの弾き心地です。

調べてみると結構ボウタイインレイのものが多いようです。ゴールドでない物もあるみたいです。

とに角、何故500だという事が発覚したかは…記憶によるとヘッドを交換しようとバラした時、中にRB-500という刻印が有った…ような、本当にいい加減な記憶です。

恐らく、グレートレイクスを手に入れるまでは僕のメインバンジョーだったと思います。