2013年 アイルランドの旅 7月23日~24日 ダブリン~エニス

7月23日、くもり。気温16度。今ごろ日本はとんでもない暑さだろう。こうして時間はかかれども空を飛んで海外に来れるなんて、ライト兄弟に感謝だ。

ダブリン空港に着くと示し合わせた様にギターが出てこない。

去年と同じようにケース全面に大きく「DUBLIN」という紙を、ごていねいに裏にも表にも貼っておいた。

チェックイン・カウンターでも、乗り換えがあるので充分気を付けるように言っておいた。ただ、日本人相手なら間違いない事は分かっている。

飛行機の中では、さすがJAL系列だ。CAの人に事情を話すと、パリのドゴール空港に電話して乗り換え便を間違えないよう、パイロットから連絡を入れてくれる、という。

ここまでは日本人相手だ。

ここから先はもう人間相手ではない。

そこまでしてくれたのにやっぱり僕等と同じ飛行機には乗っていなかったのだ。猿なみだ。

だがダブリンの空港の荷物係の女性がとても熱心になってくれて、結局、僕らが移動するエニスに10時間ほど後にタクシーで届いた。

取りあえず、そんなこんなで疲れたのでその日は爆睡してしまった。

 

7月24日 エニス。雨。気温15度。

明日からDoolinに行くつもりでTerryと電話で話したが、彼は今Kinvaraというもう少し北のCo.Galwayに住んでいるという事だ。でもDoolinにはセッションで必ず出て行くから会えるらしい。

少し仕切り直しを、と考えていると誰かから電話だ。「おーい、じゅんじ。仕事だ。Kerryまで明日来い」ブレンダン・ベグリーだ。

ちょうどいい。今日が水曜日。テリーがDoolinで誘ってくれたのが月曜、火曜だ。それまでブレンダンのところに居ればいい。上手い具合に予定が立った。

こうなったら、少し楽器もひいておかなくちゃ、と思い、近所を見渡すと、むかしアンドリューと何度か一緒にやったキーランズというパブがある。たしか去年ジョン・キングとやったのもここだ。その時オーナーがぼくのことを覚えてくれていた。

よし、ここでやらせてもらえないか頼んでみよう、と思ったところ「おー、来たか。二人で好きなだけ飲んでいいぞ。そこのテーブルでやってくれ」

日本のアイリッシュ・パブの迷惑そうな対応とは違う。大体、飲み客にとって訳の分からないトラッド・アイリッシュが日本の場合迷惑なんだろう。アイリッシュ・パブなのに。

店に勤めている人もほとんどが“いけいけ、いぇいいぇい音楽”がいいのだろう。アイリッシュ・パブなのに。

8時から2時間ほどやらせてもらい、少しだけ飲ませてもらい(まだ時差ボケなのでご勘弁を、といって限りなく出てきそうなギネスを断った)そのままブローガンズにいくと、大きなセッションの中にオーイン・オニールとイボンヌ・ケーシーがいてにっこりここに入れよ、と合図をくれるが、あまりに沢山の人なのでひとまず挨拶だけにしておいた。

通りを歩いていると軽快なバンジョーの音が聴こえて来た。

窓越しに中をのぞくとこちらに気が付いたマーカス・モロニーが入ってこい、と首を振る。5~6人の質のいいセッションだ。

なんともうひとりのバンジョー弾きは前々から観たかったデシ・ケリハーではないか。それにフィドラーはシボーン・ピープルだ。こちらは希花のアイドルの一人。

それにサラ・コリーもいた。

1時過ぎまで一緒にやって、戻った。

みんな、いい友達だ。

旅の初めにふさわしい、いい音楽といい出会いがあった。

明日からCo.Kerryだ。

2013年 アイルランドの旅 7月25日~ Co.Kerry

7月25日 よく晴れていて涼しい。エニスを出て一路ディングルへ。“テスコ”というスーパーでブレンダンと待ち合わせている。

相変わらずパワー全開のブレンダンが「家にサーモンがあるからみんなで食べよう。みんなといっても、もう子供たちもそれぞれ違うところに住んでいるし、俺しかいないけど」と言う。

じゃあご飯でも炊いて久々に塩ジャケでも食べるか。すでに日本食が恋しくなっている。「内緒だけど、海で釣ってきたやつだ」と自慢げに話すブレンダンも、ずっと前からだが結構日本食には興味を示している。

寿司も作ってくれという彼の要望に応えたいが、まず安全性から確かめなくては。一応冷凍はしたようだし、見たところ大丈夫そうだ。後は購入してきた醤油と米酢。のりは彼が前に買ったものがあるといってだしてきたものが、“のり”とは言い難いものだったが、仕方ないだろう。これを使って得意のサーモン・スキン・ロールでも作ってあげよう。

しかし、問題は包丁だ。アイルランドのどの家庭でも、切れる包丁に当たったことは無い。それから最も大事な衛生面だ。

泥んこの靴のまま家の中に入ってダンスをする人達だ。

一応、まな板と呼べそうなものを熱湯消毒し、洗剤で洗って、さらに熱湯消毒し、サラも包丁も洗い直してからでないと病気にでもなったら 大変だ。

まぁ、彼らなら大丈夫だろうけど、なにせ食べつけない食材だし。P7270242

白身のチキンのピーナツソース和えと、じゃがいもとアボカドのサラダを添えて、それでも豪華な食事ができた。P7270256

今日7時半からDingleの楽器屋さんでコンサートをやるのだ。ダンスもあり、ブレンダンと長男ブリアーンとのデュオあり、店のおやじのアコーディオンあり、僕と希花の演奏ありで、約2時間。

30人ほどのお客さんだが、さすがに地元だ。拍手の大きさが日本での100人規模のコンサートくらいで、みんなにこにこして体を乗り出して、リズムを刻みながら聴いている。

ところで、店のおやじと一緒にフィドルを弾いたのが、かの有名なるフィドラー兼コンポーザーであるMaire Breatnachだと知ったのは次の日になってからだ。そのあとセッションにまで一緒に行ったのに。

12時頃、真っ暗なブレンダン家に到着。山に囲まれた牧草地のあちこちから羊の鳴き声がときおり聞こえてくる。家のあかり以外は辺り一面真っ暗闇だ。

外からブレンダンの大声が聞こえた。「おーい、ふたりとも出て来いよ。ドラゴンがいるぞ」

何事かと思って外に出てみると、つい2時間ほど前に暗くなった空に月があがり、浮かんでいる雲がドラゴンのような形をしているのだ。それでも段々崩れていくその雲を観て大笑いする彼はまるで無邪気な子供のようだ。

しばし、静寂と暗闇の中、空を見上げる3人。時計は1時をまわっていた。

 

7月26日 晴れ時々雨

8時半に起きてブレンダンが1時間ほど走ろうというので、勿論!と言ってついて行った。希花さんはまだ夢の中だ。

羊の糞を踏みながら、大西洋を見下ろす丘を越え、山を目指す彼はこのコースを走り慣れているのだろう。こちらにとっては山登りという感じだ。P7270239

よく晴れている大空と広大な大地。人ひとりいない草原とそびえたつ山。眼下には大西洋の波が岩肌にしぶきを当てている。

僕らの愛してやまない音楽が生まれたところだ。

 

戻ってきてシャワーをあびると、半ズボン一枚になったブレンダンが「さぁ、山に音楽を捧げるぞ」と言って、やにわにアコーディオンをかついで裏庭に座った。

ちょうど正面に山がある。そこに向かってエアーやポルカを弾くブレンダン。こんなシーンを見てしまうと、やっぱり生半可にこの音楽は出来ないな、と思ってしまう。

その騒ぎに希花さんも起きてきた。ちょうどよい。このシーンは絶対に見ておくべきだ。日本から来るアイルランド音楽を目指す人達の多くが触れることのできないシーンかもしれない。そしてもっとも大切なシーンのひとつだ。brendan

昼から3人でディングルへ出かける。コーヒー・ショップで地元の人達と会話に興じて家に戻り、晩ごはんの最中にとんでもない計画が持ち上がった。

3人でボートにのって海に出ようというのだ。ボートは庭に置いてある。よく観光地で湖に浮かんでいるくらいのおおきさの、もっと頑丈そうだがボロボロのやつだ。

どうやらそれにのって大西洋に出るらしい。P7270263

「ここに二人分ライフジャケットがあるから着けたらいい。じゃいくぞ」ちょいちょいと車に接続していざ出発。希花さん恐怖。

船着き場でウエットスーツを来た彼の友人が写真を撮りたいから一緒に乗せてくれるか、と尋ねる。プロのカメラマンらしく、水平線の写真を撮りたい、と言うのだ。

「3人乗りで4人乗った試しは無いけど…」といいながら小さくて細い希花を見て「大丈夫だろう。そのかわり絶対に立ちあがらないこと、重心は常に真ん中だぞ」と言って船を出す。

希花さんぴゃーぴゃー。ブレンダンは物凄い腕力で沖を目指す。「ブレンダン!もういい!ここで充分!もういい!」とひたすら叫び続ける声を無視して沖へ沖へと。そろそろ海も暗くなりかけているが、まだまだ美しい空と水平線がきれいに見える。波はそれなりにある。僕のうしろからぴゃーぴゃー声が聞こえる。

ブレンダンが糸を垂らすと、あっという間に30センチほどのたらが釣れた。慣れたものだ。さぁもっと行ってみよう、とブレンダン。ぴゃーぴゃーはさらに大きくなる。P7270278

カメラマンが希花に水平線を見れば絶対に酔わない、と教えてくれる。遠くに見える岩肌なんか見てると酔うから、とにかく水平線を見ていなさい、と。少しぴゃーぴゃーが治まった。

段々暗くなってきた。雨も少し落ちてきた。やっと帰る気になったブレンダン。船着き場に到着すると先ほど釣れた魚を不器用に3枚におろしアイスボックスに入れた。明日、娘のクリーナに会うからこれをクックして食べさせると言うのだ。良かった。これで寿司を作ってくれと言われなくて。

しかしこれもいい思い出になった。希花さんにもそうだろう。ここからも力強い音楽が生まれているのだ。

アンドリューからメッセージが入った。8月11日、フィークルのペパーズでギグらしい。彼のメッセージはいつも短い。

じゃ、その日か前の日に会おうぜ、と僕も短いメッセージを送って眠りに就いたが、まだ体が揺れているようだ。

 

7月27日 晴れ時々雨

11時からレコード店(前日とは違う所)でちょっとした店の宣伝を兼ねた演奏を3曲やってそれを撮影させて欲しいという店主のおばちゃんの要望があり、出かけて行った。

ちょうどエニスのカスティーズでの撮影のような、もうちょっとそれよりも店の宣伝ぽい感じだが。

11時からと張り切って言っていたおばちゃんは11時半になっても現れない。「いつもこうなんだよ」とブレンダン。そういえば彼は時間には正確だ。

やっと来たおばちゃん。「さぁ、始めましょう。タイム・イズ・マネーよ」ここはつっこむところだ。「あんたが言うか!」

無事終了のあと、今日は4時からシェーマス・ベグリーの息子でコンサルティーナ奏者のオーインとの演奏がSmall Bridgeというパブである。

そのあとはブレンダンの長男ブリアーンとオーインがシェアーしているアパートに泊めてもらうのだ。

コンサルティーナ、フィドル、ギターの三人の演奏は心地よい。オーインもかなりの腕前だ。3時間ほど演奏していい気持になり、戻ってから豚の生姜焼きを作って「トンとご無沙汰」なんていいながら食べて、気持ちよく寝ていたら、11時ちょっと前にブリアーンから電話。慌てた様子で「Mighty Sessionというパブに今から行って希花とふたりで演奏してくれ。今日オーインとやったところの隣だ。金はちゃんと出る。いますぐ行ってくれるか?」

慌てて「なんだかよく分からないけどギグらしい」と希花を起こした。歩いて10分ほどのところだ。雨が結構降っているがなんとかなる。

行ったパブは結婚式のアフターパーティでもしていたのか、30人ほどの若者が思い思いのコスチュームで大騒ぎしている。

バーテンダーに「おい、まさかここでやれっていうんじゃないだろうな」と聞くと「ま、ここでだ」と向こうも悪そうに言う。

「状況を見てから早く帰ってもいいぞ」というので「金は出るんだろうな」と確かめて取りあえずスタートする。

奥の30人程は大騒ぎしているが、手前の人達は興味を示してくれている。しかしこんな状況なのでオーナーが1時間で開放してくれた。それでもお金はちゃんともらえた。Co.Kerry最後の夜、またまたあまり出来ない経験ではあった。

2013年 アイルランドの旅 7月28、29日、30日 Ennis~Doolin

7月28日 晴 Dingleを12:20のバスで、まずTra-leeに着く。そのころにはすごい雨。待合室のすぐ近くでコーヒーを買い、昨日買ったチョコレート・ファッジ・ケーキと一緒に食べる。あー、コレステロールが…。

ちょっとバスの乗り継ぎが悪く、6時過ぎにエニスに着く。

少しは休むつもりだったが、近くでジョセフィン・マーシュがセッションをしている。そこで、Brogansというパブだが、出かけてみよう。

ジョセフィンとイボンヌ・ケーシーが「あ、来た来た」と出迎えてくれる。15人ほどの質のいいセッションだ。

コンサルティ-ナを弾く小学生くらいの女の子も二人いる。ふたりとも、どこからみてもクレアー・スタイルをきっちり教わっている子だ。

そのうちの一人がディッパーというメーカーの素晴らしいコンサルティーナを持っていた。希花さん、早くも興味津々。なんでも、タッチが軽く、今彼女が使っているものより弾きやすいそうだ。もちろん彼女が使っているサットナーも超一流品だが、かなりパワーが必要な楽器らしい。

こうなるとマーチンを持っていた人がローデンを弾いてみて、これも欲しいな、と思うある種病気みたいなものだ。

でもその病気がどんどん上達していく結果を産むこともあり得る。そうでない人もいるが、彼女の場合、機会があったらどんどんアプローチしていけばいいと思う。

赤嶺君がブズーキを持って現れた。もう長くアイルランドに住む人だ。しばし楽しい話しに華が咲く。とても熱心で一途なひとだ。

結局、彼と別れたのが12時半頃。ジョセフィンもイボンヌもほかのメンバーもすっかり帰った後まで赤嶺君と話し、またフィークルでの再会を約束して別れた。

 

7月29日 晴れ後雨

Doolinに行く時は何故かいつも雨が降っている。それでも出るころにはあがったので、ラッキー。

お昼すぎに目指すMcGanne’sというパブ兼B&Bに到着。テリーが8時過ぎに寄ってくれるので、まず腹ごしらえ。

このパブのシチューは美味しい。パスタも。アイルランドでも数少ない“美味しい”と言える所だ。

夜はO’Connorsというパブで、クリスティ・バリー、ジェイムス(ラストネイム訊き忘れた)とテリー、という去年と同じメンバーによるセッションに参加。doolin

3人とも素晴らしいトラッド・ミュージシャンだ。

テリーはよくこう言う。「この世で本当のトラッド・アイリッシュをやる人間は数少ない。みんなすぐにかたちを変えたがる。今そこら中で聴かれるアイリッシュ・ミュージックは決して本物ではない」

そんな頑固な彼が、必ず僕等を呼んでくれると言うのは本当に嬉しい事だ。若い希花も、見せかけではない本物のアイリッシュ・ミュージックにどっぷりつかることができるのだ。

比較的早く、1時頃帰る。

 

7月30日 晴れたり雨だったり。

しかし、午前9時には晴れる。どうせまた降るかもしれない。晴れているうちに、テリーが薦めてくれたウォーキング・コースを歩いてみよう。P7300293

遠くにモハーの断崖が見渡せるパノラP7300289マのような風景をひたすら歩く。ゆったりした風を体に受け、彼らの音楽を生み出した全ての景色を見ながらのウォーキングは、本当にこの音楽が心の中に染みわたるような、そんな気がする。

1時間ほど歩き、少し休んでからまた同じメンバーでセッションだ。テリ-には本当に感謝している。

 

素晴らしい音楽を、体で感じることの大切さを、そして本当のトラッド・アイリッシュ・ミュージックを教えてくれる彼にまたフィークルで会う約束をして1時頃戻った。

明日からゴールウェイだ。

2013年 アイルランドの旅 7月31日~ ゴルウェイ

7月31日 雨 肌寒い

朝、B&Bで少し音を出させてもらった。雨が降っているにも関わらず、乾いた張りのある音がするのはとても不思議だ。

11時45分のバスで2時頃ゴルウェイに着いた。これからしばらくはコーマック・ベグリーのアパートに泊めてもらう。

なめくじはいないだろう。一応、町のど真ん中だし。コーマックとも久しぶりの再会だ。日本でお世話になった、と感じているのだろう。いろいろ細かく面倒をみてくれる。その辺りもアイルランド人と日本人は似ているような気がする。

しばらくすると妹のクリーナが帰ってきた。僕等と入れちがいに出て行ったので、どこに行くのか訊いたら、泳ぎに行くと言っていた。雨の中を、だ。どうせ濡れるから、それに海の方が暖かいし、と言って出て行ったのだ。限りなくパワフルだ。いちばんブレンダンの血をひいているかもしれない。男ばかりのなかの兄弟のなかで唯一の女の子なのに。

次は一緒に行こうよ、と希花がさそわれたが、なめくじがいるかもしれないし、と訳の分からないことを言って断っていた。

夕方、パブを覗くとデクラン・コリーがやっていた。偶然入ってきたフランキー・ギャビンとも出会った。トイレを借りに来ただけだ。連絡をくれ。また一緒にやろう、と言って出て行った。

僕らも、このパブの裏にあるセント・ニコラス・チャーチで今晩演奏を頼まれている。正式には一週間後の水曜日に、僕等とメアリー・バーガンとのコンサートがあるのだ。

メアリー・バーガンはティン・ホイッスルの代名詞のような人だ。僕等にとっても共演できることは限りなく嬉しいことだ。

これもコーマックが設定してくれた。今晩はコーマックとクリーナの会にゲストとして演奏する。

素晴らしい音の響き。ステンド・グラスからこぼれる光。歴史のある建物の中で、観光客や地元のひとを対象に、夏の間、週3回、各地の有名なミュージシャンが演奏する。ここの牧師さんは、もとディ・ダナンとのツァーにも参加していた凄腕フルート吹きだが、全然そんなことを感じさせない。P8010350

おー、君たちか。よろしくね、と巨体で満面の笑みを浮かべてあっさりと挨拶してくれた。

ここではまた来週やるので詳しくはそのレポートの中で。

とりあえず、ゴルウェイ一日目はゆっくり過ごすことができた。

2013年 アイルランドの旅 8月1日、2日、3日 ゴルウエィ

8月1日 曇り

珍しく早起きしたコーマックがキッチンでコンサルティーナの練習をしている。

「いいリールだね。なんて言うタイトル?」「多分、Kit O’sheaだと思う」「次の曲は?」「これはJohn Brossnanだ」

そんな感じで2時間ほどがあっというまにすぎて行く。

少し降っていた雨もやんだようなので、外に出てみる。今日は特に予定もないので町の様子を見に行くが、この時期のゴルウェイは人でごった返している。

有名なゴルウェイ・レースもあるし、なんやかやフェスティバルが目白押しだ。

町は観光客や、大騒ぎの大好きな若者達でいっぱいだ。こんな日は部屋でゆっくり過ごすのが一番。

パディ・キーナンやジョニー”リンゴ”マクドナーからメールが入った。また忙しくなるかもしれない。

 

8月2日 晴れ

洗濯ものを持って、コーマックと一緒にランドリーに出かける。その後、妹と日本食を食べに行くけど一緒に行くか?と訊かれるが、

僕らはマックでいい、と、そこで別れる。

ついでにちょっとバスキングでもして洗濯代を稼ごう。ここでは20~30分やれば洗濯代くらいには十分なるし、その気になれば晩ご飯代にもなるが、

そこまでの気もないし、早々に引き上げてマックへ。

Wi-Fiがいちばんつながりやすくて長居できるのはマックだ。いろいろ調べなくちゃならないこともあるし。

今晩もゆっくりして今後の計画を練ろう。しかし、すぐ近くにCrainsというよく知られたパブもあるし、今日くらいは行ってみるか、と外に出る。

Crainsは町の喧噪とは少し離れたところにあるので、行きやすい。

店の前につくと2階からブルーグラスのようなサウンドが聴こえて来た。一杯の人をかき分けてのぞいてみると、見た顔がベースを弾いている。

ずっと前にロハウンズでアメリカに来て、その後デシャールやジョセフィン・マーシュ・バンドでも活躍していたベース・マン、ポール・オドリスコだ。

アイリッシュは勿論のこと、ブルース、ジャズ、ブルーグラス、それに渋いボーカルも聴かせるベテラン・ミュージシャンだ。

バンドも女性二人、男性二人、ギター、マンドリン、クラリネットなどを使い、コーラスがばっちり決まった、なんとも独特な音楽を聴かせてくれる。

みんながよく知っている曲などを、いっぱいのお客さんと一緒に歌い、やんやの喝采を浴びている。素晴らしいグループだった。

ポールとは12~3年ぶりの再会を祝して12時半頃帰宅するが、3時頃ブレンダンが来るらしい。くわばらくわばら、早く寝たふりを決め込もう。

 

8月3日 晴れ

夜中にブレンダンが来た形跡はなかった。ゆっくり眠れたようだ。それでも予定を変えた彼が現れたのが11時頃。そのままケリーへ向けて車を飛ばすらしい。彼の場合、すっ飛ばすという表現がピッタリかも。

僕らは今日、リンゴとのギグが6時からTi Coilisである。その前に昼飯でも一緒に食べよう、という話になり、Monroesという、ちょうどコーマックのアパートの隣にあるパブで待ち合わせる。

リンゴはとても面倒見がよく、日本人の多くはアイルランドに行ったら、まずリンゴに連絡したらなんとかしてくれると思っているらしい。

また日本の巷では、初めてアイルランドを訪れる若い人たちに、簡単に「リンゴとコンタクトを取ったらいい」という話まで出ているらしい。

実際には彼にとって少し重荷になりつつあるようだ。「なんとかしてあげたいが、見も知らず人に、今ダブリンに着いたけど迎えに来てほしい、などと急にいわれても困惑してしまうんだよ」

お人好しのリンゴだからこそ抱える悩みなんだろう。

そんな話をしている最中にフランキーが、これから会おう、とメールしてきた。

リンゴにその旨を伝え、6時にTi Coiliで会う約束をして、僕らはフランキーの指定したCrainsに向かった。

現ディ・ダナンのアコーディオン奏者も加わっての2時間ほどのセッションに興じ、6時からリンゴとのギグ。

カレーを食べて別れてから、帰り道にあるアイルランド語パブというコアなパブに寄る。今晩はここでもいいセッションがあるらしい。

若者たちのセッションだが、どうもアコーディオン奏者とブズーキ奏者とは12~3年前に一緒にやったことがあるということだ。

そんなに前だったら彼らはまだ少年だったのだろう。「日本人でこれだけのギターを弾く人はそんなにいないだろう。だから覚えているのさ」

確かにアイルランド人で信じられないくらいの演奏をする子供達はごろごろしている。

しばし、若者のパワーを体に感じて、12時半ころ帰宅。どっと疲れて爆睡。

2013年 アイルランドの旅 8月4日 快晴

今日はリンゴが僕等をコネマラに連れて行ってくれる、ということだ。「コネマラってどんなところ?」と希花が訊く。「うーん、何にもないところ」

実際、荒涼とした土地が広がり、奥へ奥へ行くとアイルランド語しか通じなくなってくる。P8050424

僕は10年ほど前に訪れたことがある。その時は、雨が降ったかと思ったら、瞬く間に陽の光が差し、そしてまた雨が降る。パノラマのような景色の中には人っ子一人見当たらない。

羊が道路わきにまで出てきて「バァァァ~」と鳴く。そんなところだったが、P8040388きょうは珍しいくらいの快晴だ。でも、おそらく景色は何一つ変わっていないだろう。

車の中でリンゴお気に入りの音楽を聴く。驚いたことに“ライ・クーダー”あり、“ザ・バンド”あり、オールドタイミーからブルーグラスまで、ほとんどぼくが聴いてきた音楽と一緒のものを好んで聴いているようだ。

若い人達とはなかなか盛り上がれない話題も、僕とならいっこうにとどまるところを知らない。P8040389

何故か去年、初めて会った時から僕と希花のデュオをえらく気にいってくれていた。多分、トラッドをリスペクトしている姿をわかってくれたのだろう。

「最近のバウロン奏者は曲も知らないで叩いている。そんなのはひとつの音でわかってしまうんだ。あ、こいつ他人の音聴いてないなって。お前のソロじゃないぞ。お前はなんでここにいるんだ。やめてしまえっていいたくなるよ」

バウロンという楽器で、その名を世界に轟かしている人だ。さすがに見る目が鋭い。やっぱり、リード楽器の人と同じように曲を知っている。P8050430

僕のやりかた(考え方)と一緒だ。

だいたい、曲を知らずに伴奏なんか出来るわけがない。希花も出来るだけたくさんの曲を覚えて、僕がどういう伴奏をつけるか聴きながら弾いたらいい、と僕は思っている。

 

そしてアイルランドに来たらその道のトップの人達からリズムを覚えたらいい。もちろんユー・チューブでもCDでも聴けるけど、生活と密着したリズムだ。

この厳しい自然の中から生まれた音とリズムをいっぱい体に受けて僕等は5時間ほどもコネマラに滞在した。P8050439P8040415

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日はゴルウェイに戻ってアンドリューとセッションだ。僕がゴルウェイに来ているのでリンゴが呼んでくれたらしい。

そういえば彼のメールに“See u on Sunday”と書いてあった。だから今度の日曜日はまだクレアーにはいかないのに、って思っていたけどこの事だったんだ。

彼の文章はいつも短すぎて難解(南海)ホークスだ。

途中、リンゴが「そうだメアリー・バーガンの家がすぐそこだ。寄ってみよう」という。「こんど教会で一緒にやるし、挨拶できるからちょうどいい」と僕も大賛成。

ティン・ホイスルというとメアリー・バーガンだ。彼女も「最近の若い人は基本を知らずにやっているから、私たちがきちんとトラッドを教えてあげなくちゃいけない」と盛んに言っていた。

教会ではリンゴも一緒に出てくれることになった。

さて、8時。場所はいつものTi Coiliだ。「Andrew!」「Junji!」といつものように大声で呼び合う。

それから先はまた大爆発だ。僕と希花でアンドリューを挟み、希花の横でリンゴがバウロンを叩く。

とどまるところを知らない音の嵐が続く。

アンドリューと演奏するのはすごく好きだ。リズムがたまらない。リンゴは着実にバウロンを叩く。いい伴奏、いい音楽、まさにそのものズバリだ。

興奮もさめやらないうちに1時近くになってしまった。帰りにチキン・バーガーとガーリック・マッシュルーム・フライをテイクアウトしてしまった。

僕のコレステロールは?…先生。

それにしても最高の天気にコネマラ観光ができて、やっぱり僕は晴れ男かなぁ。因みにコネマラになめくじはいなかったので、今日は静かだった。

2013年 アイルランドの旅 まだゴルウェイ

8月5日 晴れ

バンク・ホリデイということで、町のあちこちが休んでいる。もちろんパブは開いている。

夜は教会でLaoise KellyとKathleen Maclnnesのコンサートがある。素晴らしいハーピストとシンガーのコンビだ。

僕らもビラ配りに参加。

そのかいあってか(?)会場はいっぱいの人で埋め尽くされた。ほとんどが観光客だろう。しかし名前のある人達だ。地元っ子も来ているにちがいない。

素晴らしくプロフェッショナルなふたりだ。聴いていて寒気がするような演奏と歌をたっぷり聴かせてもらった。

今晩はもうどこにも寄らずに帰ろう。気持ちのいい音楽の後はワインでも飲んでサッと寝るのが良い。

 

8月6日 晴れ

今日はフランキーの兄である、ショーン・ギャビンと待ち合わせをしている。

「フランキーにフィドルを弾くように薦めて、最初にあなたが持ってきた曲がBroken Pledgeだった、という話しは本当なの?」と訊くと、「あー、そんなこともあったなぁ」と、懐かしそうに微笑んだ。

ショーンもかなり話し好きだ。そして他のアイルランド人と同じ、次から次へとよく飲む。

そして「今からどこかセッションができるところに行こう」と僕等を彼の知り合いのパブに連れていってくれた。

彼は弟のようにスーパー・スターではないが、いいアコーディオン弾きだ。僕は2002年だったかな。トニー・マクマホンと一緒にツアーをしていた時会ったことがある。

その時彼はDe Danannのアコーディオン奏者だった。

想い出話しやこれからの話し等に華が咲き、午前1時半頃帰宅。もっとも待ち合わせたのが9時ころだから、そんなもんか。

明日はいよいよ教会でのコンサートだ。Mareka&Junjiという名の知れない東洋人のコンサートにどれだけ集まるだろうか。

それでも、メアリー・バーガンもいるし、いい経験になるに違いない。

2013年 アイルランドの旅 まだまだゴルウェイ

8月7日 晴れ

妹のクリーナの友人がふたりほど泊まっている。コーマックはコンサルティーナ講師として、昨夜一足先にフィークルに向かった。

2日ほど前から考えていたことだが、今日が水曜日、一日おいて金曜日にJohn Cartyのコンサートが同じ教会である。アンドリューとのギグが日曜だし、それまでに行けばいいだろう。唯、それにはホステルをキャンセルせねばならない。

しかし、この時期フィークルには沢山の人が行くので、ホステルも引く手あまた状態だろうし、そんなに問題はないだろう。

そんなことを考えながら顔を洗い、歯を磨いているとみんながおきてきたようだ。ふとみると、僕は個人的にはあまり知らないが、希花がよく話していたアンドレアという若者が布団の中で携帯を見ていた。

確か、3年前にフィークルで会った時にはまだ子供という感じだったが、わずか3年くらいで、もう立派な青年だ。いちばん変わる時期だろう。

マーティン・ヘイズ命、というようにマーティンそっくりに弾く少年だった。しばらく話していると希花も起きてきた。

そして…やっぱり誰だか分かっていないようだ。「アンドレアだってさ」というと「えっ、こんなに小さかったのに」と言って驚いた様子で腰のところに目安を置いた。

そんなわけはないが、それくらいにまだ子供というイメージだったのだ。彼女にとっては弟と変わりないくらいの年齢の男の子で、そんな感じがするのだろう。

しばし一緒に弾いたり、話しをしたりして時間を過ごした。

そして、今晩の教会でのコンサートの計画を練るために、ぼくらはまたMacに向かった。いや、それだけではない。

Wi-Fiをつないで、フィークルの宿をキャンセルせねばならない。悪いなぁと思いながら、明日から2日間だけのキャンセルを申し出ると、なんの問題も無くオーケーの返事が出た。        去年と同じ、そう、ぼくらの横で、オーダーしたものと同じ食事を2匹の犬が美味しそうに食べていたところだ。

犬もきっと「美味しいなぁ、彼らにもこの味が、この喜びが分かるかなぁ」と僕等をみていたに違いない。

さて、コンサートの時間だ。驚いたことに結構人が入ってきた。教会はすごく大きいが、コンサートをやるスペースは80人くらいがいいところだろう。それでもすでに60人は超えているようだ。

みたことのある男が入ってきた。そのむかしアンドリューのバンドでギターを弾いていたKevin Hughだ。見るからに、とてもいい人、という感じのおじさんで(といっても、ぼくよりかなり年下だろう)よく色々なことを話したものだ。

お互い15年ぶりくらいなので、再会を楽しんだ。もっとも彼はこの近くに住んでいて、僕の名前をみて来てくれたようだった。

僕らがファーストセットを担当。25分ほどで、美しいエアーあり、日本民謡あり、典型的なトラッドありで、やんやの喝采を浴びた。

休憩の間は、クリスというこのコンサートの世話係の人がみんなを連れて教会の歴史や、展示物などを見せるミニツアーを行う。

そしていよいよセカンド・セット。メアリー・バーガンとリンゴの登場だ。ティン・ホイスルとバウロンという組み合わせ。もちろんここは常にノー・マイクロフォンだ。

リンゴのバウロンは素晴らしい。彼が言うようにバウロン奏者は常に影の功労者でなければならない。それが本当によくわかるプレイだ。

メアリーのティン・ホイスルもさすがなものだ。コンサートは大盛況のもとに、最後は僕等4人でクリーナのダンスのバックを演奏。そして、無事終了。

リンゴもメアリーも僕等の演奏を、超一流のミュージックであり、本物のトラッド・アイリッシュだ、と評価してくれた。

とてもいい一日だった。

2013年 アイルランドの旅 結局まだゴルウェイ

8月8日 晴れ

今日はOranmoreでMick Conneelyとセッションだ。この辺でも全アイルランドでも高名なフィドラーである彼も僕等とは初めて会う。

最初、希花に「君が曲を出してくれたらいい」と言っていた。初めて会う人がどれだけのレパートリーを持っているか分からないし、自分が出した曲についてこれなかったらつまらないからである。

Ringo,Mickそして僕と希花の4人だ。希花がキックオフをする。Mickが追う。Mickが始める。希花が追う。

そうこうしている間に「この二人は他の東洋人とは違う。アイルランド人よりもよく知っている」と、彼は矢継ぎ早に曲を出してくる。

そしてセッションが終わって、11時頃、「今からリンゴの家に寄るから少し俺のアイディアを希花に伝授したい」と申し出てきた。

チャンスだ。よっぽどの相手でない限りそんなことも無いはずだ。

1時間ほど、とても嬉しそうに希花にいろいろ教えてくれていた。こんなにいい経験はなかなか無いだろう。

有意義な一日だった。

 

8月9日 晴れ

今日はJohn Cartyのコンサートを見に行くのだ。その前に教会のすぐ隣にある、いつものパブTi CoiliでRingoとRonan(フィドラー)とのセッションがある。

John Cartyとも久しぶりに会う。そして彼のプレイはどこをとってもとことんJohn Cartyなのだ。

僕にとっても希花にとってもフェイバリット・プレイヤーの一人だ。

 

8月10日 晴れ

Ti CoiliでまたRonanとセッション。彼もいいフィドラーだ。

夜、フィークルへ様子を見に行く。いろんな人に挨拶だけして帰ることにした。すこし秋になったのだろうか。寒いと感じるようになってきた。

12時頃Ringoの家に戻ってきた。今日でゴルウェイとお別れだ。明日はフィークルに行ってそのままタラのアンドリューの家に泊まる。

そういえば、ゴルウェイでは昔の友達と会った。Kyleという奴で、サン・フランシスコで一緒にバンドをやっていた。彼はギターとブズーキとボーカルで、二人のフィドラーと、計4人で“Gnarly Pilgrims”というバンドだった。

もう15年ぶりにもなるだろうか。お互い驚きのあまり声も出なかったくらいだ。

なので、僕も日記に書き忘れていたが、衝撃的な再会だった。

こうして、音楽をやり続けていれば懐かしい友人たちと再会できる。日本でもアイルランドでも…。

2013年 アイルランドの旅 フィークル~タラ(最終回)

8月11日 晴れ

今日こそはフィークルに行かなくてはいけない。もともとフィークルも大きな目的の一つだったのだが、他で沢山の仕事を得たので、結局最終日だけになってしまった。でも今日はアンドリューと一緒だ。きっといい一日になるだろう。P8110457

昼からRingoがCoole Parkに連れて行ってくれた。クールパーク(日本語表記)は自然保護地区に指定されている、素晴らしく広い公園だ。

元はグレゴリー邸と呼ばれていた個人の持ちものだった。W.Bイエィツや、ショーのサインが刻まれている「署名の木」は有名だ。P8110461

しばし、深い緑に囲まれる。サーッと雨が降り、そしてまた止む。全てがゆっくりと大自然の営みを楽しんでいるように感じる。

僕らも、マフィンと紅茶で時を過ごした。

 

 

そしていざ、アンドリューの待つフィークルへ。セッションは3時からだが、どうせそんな時間には始まらない。

アンドリューを探す。ちょうど日本人の女の人が二人歩いていたので「すみません、アンドリュー・マクナマラ見ませんでしたか?」と尋ねたが、なに、この人、というような顔をされた。彼女達何しにここまできているんだろう。

でも考えたら知っている可能性はごくわずかだ。無理もない。

僕らが演奏するPeppersというパブは、人、人、そしてまた人でごった返している。もちろん、このフェスティバルの間じゅうフィークルに4つしかないパブは大賑わいだ。

この1週間でこの村はもっているのかもしれない。

去年まで、僕等はフィークルでのフェス参加をメインにしていた。ここに来れば長年の友人達とも会えるし、クレアーという、音楽の聖地の伝承者たちとも演奏ができる。

しかし、今年は毎日のように演奏をお金にすることができた。これは正直素晴らしい事だと思う。お金をもらって演奏する、ということがどういうことなのかを40年の間学んできたのかもしれない。

セッションに出て、みんなと一緒に知っている曲を弾き、知らない曲を学び、というのもこの音楽の基本だ。

そんななかでも多くの人達、バンドなどがアイリッシュ・ミュージックを世に広めるために、或いは商売としながら世界の様々な場所に出て行っている。

どちらにせよ、基本、この音楽は伝承であり、伝統をきちっと守らなくてはいけない。そのうえで独自の音を提供するのだ。

それを心がけていると今回のように“トラッド・ミュージシャン”としてあちこちから声がかかる可能性が生まれてくる。

僕らもこの国でそんな存在になりつつあるのかも知れない。

アンドリューも一時期より更に激しく(いい意味で)なってきたようだ。やりたくないことを頑なに拒んできて、その結果爆発しているのだろうか。彼のプレイはおもしろい。ブルース好きのアンドリューはB.B Kingが顔でギターを弾いているのと同じように顔でアコーディオンをかき鳴らす。P8120472

まるでいたずらっ子のように「見てろよ、いくぞ!」というような合図を送り、強烈な不協和音を破裂させる。

そんなアンドリューの横でRingoがひたすら正確にリズムを刻む。時としてあまりに同化していて聞こえず、はっとした瞬間に“ドスン”とお腹に響く。P8120473

まさにDavid Lindleyと一緒に演奏した時のWally Ingramもそうだった。決して出しゃばらず、的確に音楽のハートを掴むのだ。

Ringoは7時くらいにGalwayに戻った。今年は彼にだいぶお世話になった。できれば、彼とアンドリューを一緒に日本に呼んでやりたいが、いいギグを見つけてやれることができるだろうか。

セッションが終わってもアンドリューは暫くここで飲んでいくようだ。僕等は彼の家の鍵をもらい、赤嶺君と一緒にフィークルを出た。

真っ暗な田舎道をひたすら走ると、タラのメイン・ストリートに出る。赤嶺君とも再会を約束してアンドリューの家に入って、暫しソファーで落ち着いてまわりを見回した。すると、不思議な感覚におちいった。

まるで故郷に帰ってきたようだ。1991年、この家から出てきた男と知り合いになり、2000年、この家で2週間過ごしながら、2人でアイルランド・ツアーをし、それから事あるごとにここに寝泊まりしている。

僕のアイリッシュ・ミュージックのルーツがここにある。

そして、今晩、ここに泊まることを決めたのにはもうひとつの理由があるのだ。それは、フランのパブに行くことだ。(2012年 アイルランドの旅 8月7日 タラ 参照)

彼も、もう13年来の顔見知りだ。必ず顔を見に行くことにしている。85歳にもなるし、いつまでお店があるかもわからない。

10時半、正装したフランが店を開ける。僕等が入っていくと「やぁ、よく来たね」とギネスをご馳走してくれるが、僕等はそんなに強くないので、これが限度だしお金は払うから、と言っても受け取らない。

遠く日本から来て、必ず健康でいるかチェックしにくることが彼にも嬉しいのかもしれない。

あと10年くらい続けて欲しい。そしたら、立派なお医者さんになった希花さんが付いてくれるだろう。

2013年のアイルランドの旅はこれでおしまい。明日ダブリンに戻って、それから日本に帰るのだ。

心の故郷、そして音楽の故郷、タラの夜空に星が光っていた。P8120474