2022年 アイルランドの旅 1

7月29日 金

ダブリン到着。気温16度、くもり。朝8時15分発ゴールウェイ行きのバスに乘る。景色は全くと言っていいほど変わっていない。

思えば70代になって初めての長旅。トータルで18時間ほどのフライトは少しこたえたかもしれない。

飛んでいる間にも、もう少し北のほうではバカが戦争なんていうものを始めて、それがまだ続いているんだなあ、と考えていた。

こうしていろんな民族と共にいて、いろんな国をまたいでいると、否応なしに僕らではどうしようもない事案が世界では起きている、ということを感じざるを得ない。

ところで懸案のマスクだが…やっぱり飛行機の中は一応それなりにみんなつけていたようだ。

だが、ダブリンに着くなり、僕だけになった。バスの中も僕だけ。ゴールウェイを歩いても僕だけ。

さて、買い物に行こうか、と考えた時、どうしようかな?と思ってしまう。そして一旦外へ出ると、やっぱり何か忘れ物をしたような感覚になるが、

誰もつけていないので、まぁいいか、という感覚さえ忘れてしまう。

そんな1日目。13時間も寝てしまった。

7月30日 土

朝から結構な雨。それらしい、アイルランドらしいと言えばそれまで。まだ眠たいような身体のだるさはあるけど、何かしなくてはだるいのを引っ張るだけになってしまう。

来週末のアンドリューとのギグに備えて弦でも交換しておこうか、などと考えながら、少し昼寝したほうがいいかもしれない、とも思う。

なんだかお腹も空かないし、やっぱり若い時の旅とは少しばかり違うのかな?

昼近くなると雨が止んだようにも見えるけど、日本と違って道行く人の状況を見てもわかりやしない。

なんせ、雨の中でも平気で傘もささずに何か食べながら歩く人たちだ。

外に出て見るとやっぱり普通に降っているが傘をさす人はいたって少ない。びしょぬれになった犬を連れて散歩する人もいる。

コーヒーショップの店先で座ってコーヒーを飲む人がいるが、コーヒーには間違いなく雨が入っている。

変わった人達だ。

とりあえず今日は一日雨のようだし、身体もまだだるいのでもう少し静かにしていよう。

7月31日 日

日本ではもう8月に突入している。ここ、アイルランドは8月になればもう秋だ。

4時には目が覚めたが、昨夜頑張って10時過ぎまで起きていたので、時間としてはそこそこ寝たのかな、と考えると時差ぼけによる早起きとは違うようだ。

今はもう5時過ぎているが外はまだ暗いのでこれからの天気はわからない。

この街はカモメの鳴き声と川のせせらぎがなんとも心地よい。もちろんロケーションによって多少の違いはあれど、やっぱり日本の都会とはかけ離れたものを感じる。

毎度思うことだが日本にはなんでもある。少なくとも物質的には。

だが、都会育ちの僕にはそれも当たり前になっている、ということも事実だ。

それにしてもテレビのない生活の心のゆとり、みたいなものをここ3日だけでも感じる事が出来るのは、自分にとっていいことのような気がする。

今頃日本では、芸能人と呼ばれる人たちが馬鹿騒ぎをし、大食いみたいなものを競い、有名どころを使うだけの医療ドラマ…などが腐る程放映されているのだろう。

お、そろそろ6時。まだどんよりしているけど東の空が明るくなってきたので今日は晴れそうだ。

午前7時、近所を散歩。マスクは要らないが上着は必要だ。日本の冬の入り口という感じ。

8月1日 月

今のところ晴れ。朝早くから目が覚めてしまうと、もうTシャツでは寒い。

ゴールウェイに来て最初に出くわすのは誰だろうとずっと考えていたが、そんな中、声をかけてきた人がいた。これは昨夜の事だが。

クレアのバンジョー弾き、ポラック・マクドナーだ。

なんでも今晩5時半からアコーディオン弾きのコナー・コノリーとセッションだから来い!と言う。コナーも良く知る人物だ。

セッションは珍しく時間通りに始まって、ポラックの落ち着いたバンジョープレイと、コナーの滑らかなボックスプレイがたまらなく気持ちいい。

久しぶりの感触だ。

パブはマスクも何も関係ない人たちで埋め尽くされ、雄叫びが聞こえ、次から次へとビールが運ばれてくる。流石に4パイント目はちょっときつい。

でもオーナーが嬉しそうに『店のおごりだ』と言いながら持って来たり、わざわざ買ってくれる人がいたり、そんな訳で飲まないのも失礼かな、と思ってしまう。

そんな風にして時間が過ぎ、さぁ、帰ろうかと思ったところにやって来たのが、ブライアン・マグラーとミック・ニーリー。

これでは帰ることは不可能だ。

それでも途中まで付き合って戻って来たのが10時頃。決して遅い時間ではないけれど、久々の人ごみ、久々の押し寄せるビール、久々の力強い音楽で疲れも頂点に達している。

もちろん久々の長いフライトが効いているんだろうけど。

今週末はフィークルなので、多分朝まで帰れないだろう。

これから先はこの様な日記形式ではなく、飛び飛びの更新になると思うけど、また、フィークルの報告や、珍しい人に会ったとか、おもしろいものを見たとか、

そういった事があったら、生きている証しとして書き続けていくのでよろしくお願いします。

現在13℃です。

2022年 アイルランドの旅 2

今は8月の3日、水曜日の午前5時少し前。といえども3時頃から眼が覚めてしまっている。ひたすら寒い。

こんな時間に眼が覚めたのには時差ボケとは無関係な理由がある。

昨日、希花さんのイギリスでの医師国家試験の結果発表があり、その様子を聞いて僕も興奮していたのかもしれない。

少なくともこの1年余りは朝8時から夜中の12時まで勉強に費やしていただろう。

なんせ日本生まれ、日本育ちの日本人と言う元々のハンディみたいなものがある。

そこにもって来て一発合格という快挙だ。

知らせを受けて泣き崩れた、という彼女にとってのこの1年、もしかしたら2年余りの血の滲むような努力の場面が走馬灯の様に蘇ったに違いない。

その間にもCDを作り、演奏をして来たのだから間違いなくこれは快挙だ。

その大きな知らせの後、僕のインスタグラムに、ある男からメッセージが入った。

2011年に約10年ぶりにフィークルで再会したフランシス・ダガンだ。

ゴールウェイに住む音楽一家。家はグローサリーストアーで家族全員が楽器を演奏する一家の次男坊。

この夏はアイルランドに来るのか?と訊ねて来た彼に、今ゴールウェイに居るよ、と返信したら、明日の朝セッションしよう、なんていう返事が来た。

偶然にも彼の実家は車で10分ほどのところだ。話は早いはず。

そんな二つの事柄が重なったせいかな。3時間ほどしか眠れていない。

帰って来たらよく寝ないと…と言いながらなかなか昼寝もできなかったりする。

希花さんのおめでとうパーティも企画しなくちゃなぁ。

フィークルでもやるか。

何と言っても、ここゴールウェイとフィークルは彼女にとってそれぞれ2人の人命を救った場所。

そんなことを考えているうちに少し明るくなって来た。5時45分か。ちょっとだけ横になるかな。

2022年 アイルランドの旅 3

約一週間前に日本を出た時はゾッとするくらい暑かった。今日は8月4日。

ここゴールウェイはなかなかの天気だ。良い天気という意味で。気温は13℃ということ。

風が冷たくて日差しが暖かい、という理想的な気候だ。

昨夜は、昼に一旦別れたフランシスとちょっと一杯飲むか、ということで待ち合わせをした。

一応フィドルとパイプを持って、バスで街まで出て来たので、近くの有名なパブに行ってみた。

もちろん、オーナーも昔からよく知っているところだが。

2階ではアンダース(アコーディオン奏者)が7~8人のミュージシャンに囲まれてセッションも佳境に入っていた。

ちょっと眼で合図をしてから下の階にいくと、フランシスがバーテンダーと何か話している。

そこの空いている席で演奏してもいいか?と訊いて来たらしい。

これが、なかなかアイルランド人でないと出来ないことだ。

そしてバーテンダーが快く承諾してくれ、驚くことにパイントを買いに行ったら「店のおごりだ」という。

これでは下手な演奏は出来ない。

さぁ始めようとした時、隣の席にいた集団の中からおじさんが立ち上がり話しかけて来た。

「何ということだろうか。あんた知ってるよ!俺シカゴから来ているんだけど、20年くらい前にパディとフランキーとシカゴに来ただろう」

世の中狭いもんだ。

僕らが演奏を始めると多くのオーディエンスが寄って来た。そしてフランシスがもう一杯いくか?と立ち上がり、バーテンダーの方に向かい、

戻ってくると「これもおごりだそうだ」と嬉々として言う。

こんな風に奢って店の方は大丈夫かな、と心配になるが、隣のおじさんのグループ6人くらいは一体何杯目なんだろ。

そんなグループや、1人でフラフラしながら飲んでいる人がワンサといるパブにとって、大切なミュージシャン達に酒を出すのは当たり前な事なのかもしれない。

結局、2時間ほど演奏して店を出ると、まだビールにうしろ髪を引かれている様なおじさんがヘロヘロになって話しかけてくる。

めんどくさいので「帰りは気をつけて運転して帰れよ」と言っておいた。

もちろん近所の常連さんだろう。もう自転車にも乗れないくらいフラフラだった。

こちらもフランシスのおかげで気持ちのよい晩を過ごすことができた。

今は4日の午前10時半。日差しが降り注ぎ、冷たい風が吹き、緑一杯に囲まれて流れている川の堤防の様なところで、サギらしき鳥が佇んでいる。

昨夜も同じところにいた様な気がするが、まるで毎日朝と言わず晩と言わず、同じパブで見かけるおじさんのようだ。

2022年 アイルランドの旅 4 フィークル

3年越しのフィークル・フェスティバル。

8時半からペパーズでアンドリューとの演奏が控えている。

今年は珍しく信じられないくらいの好天気の中、

世界中から集まった人たちと「どうしてた?」と言うようなやり取りでのっけから盛り上がる。

アンドリューの家の周りも、この村も、ちっとも変わっていない。

各パブのオーナーの笑顔もちっとも変わっていない。

10年の間、夏には必ず訪れていたこの村とプツンと途切れてしまっていたけど、彼らの笑顔を見るとそれだけで気持ちが落ち着くようだ。

演奏はいつも通りアンドリューのかっ飛ばしで始まり、浴びるほどのビールでそのまま2時過ぎまですっ飛ばす。

さぁ帰るぞ、と言う段階になり、それでもしばらくはまだ騒いでいる人たちと歓談をし、家に着いたのはもう3時を回った頃。

キッチンでおもむろに紅茶を淹れてじっと飲み干す姿を見ると歳いったかな?と思うがこちらも同じだ。

この中で一番若いはずの希花さんも流石に久しぶりの大爆発で疲れているようだが、いつ倒れるかわからない2人の面倒は何となく観なくてはいけない使命感があるのだろう。

老人2人は大好きなブルースを聴きながらまだ生きている。

結局、眠りについたのがもう4時半近く。

フィークルに降り注ぐ星に思いを馳せて誰のいびきも聞こえてこない静かな夜。いびきをかく間も無く全員眠りに落ちたようだ。もちろん僕も。

次の日8月7日は夜、マナス・マグワイアーとのセッションホスト役。

世界中から集まるこの音楽の愛好家達を引っ張っていく仕事なので1人くらいアイルランド人がいなくちゃまずいだろう、と考えた末に、

希花さんが普段からお世話になっている医者兼プロフェッショナルミュージシャンの彼にお願いした。

セッションではノース・カロライナから来たと言うフィドラーが実に巧みな演奏を聴かせてくれたので、彼と共にオールドタイムチューンも

楽しんだ。

マナスもアメリカでブルーグラスの大御所、リッキー・スキャッグスやブライアン・サットンなどとCDをリリースしているので、そちらの方面にも明るい。

そんな彼らのおかげでとても質の高いセッションを保つことが出来た。

ホストがしっかりしていて、周りに集まる人がしっかりと聞く耳を持っていれば自然とセッションはいいものになる。

あまりに気を使いすぎてもだらだらしてしまうし、こちらだけが楽しんでもダメだし、その兼ね合いを心得ているとみんなが楽しめて、なおかつ高度な演奏を展開することが可能だ。

この日、実は午後3時からアンドリューと別な場所で演奏していたので、このセッションは4時間ほどにしておいた。

役割は12時までなのでそれで店側もちょうどいいはずだ。

それにしてもアンドリューと4時間、マナスと4時間。かなり疲れている。おまけに前日の就寝4時過ぎというのも効いている。

その上、浴びるほどのビールだ。

しばらくは体を休めなくては老体に鞭打つことになる。

2022年 アイルランドの旅 5

アイルランドに来てから早くも2週間が過ぎようとしている。フィークルの大爆発の後の疲れはもう飛んでいるかな。

このところどうやらヒートウェイブが来ているらしく、日向に出ると暑く感じるがそれでも25℃あるかないかくらいで、日陰は寒さを感じるくらい。

ただ珍しくこの上ない良い天気が続いている。しかも夜9時くらいではまだ明るいし、その頃には15℃くらいを行ったり来たりしているので、朝散歩に出ても

晩ごはんを食べたらまた散歩に出かけたくなる。

昨日は道でばったり出会ってしまったのがノエル・ヒル。

1時間ほどの散歩のつもりが、一緒にシャンペンやビールを飲んで話し込んでいる間に12時近くになってしまった。

ま、こう言うことは日本でも有り得るけど、アイルランド人の話し好きは格別かもしれない。

どんなに急いでいても誰かとばったり会ったら長々と話をする光景は今までに何度も見ている。それが例え明日にでも会える人、ともすれば数時間でまたすれ違うかもしれない人でもしっかりと話をして別れる。

ともすればそのままパブで一杯。

自分が急いでいたことなど忘れてしまうのか、あるいは人生そんなに急がなくても、と思うのか、いつも急いでいる僕には想像がつかないけど、もうそろそろ見習っても良いかもしれない。

今日は8月11日。広島も長崎も過ぎ、終戦記念日も近くなってきた。

ところで、北の国のバカはまだ駄々こねているのかな。

聞く耳を持つ、と豪語していた人は何も聞かずに国葬に突っ走るのかな。

パパ活とか言われてたやつ、まだ仕事もせず給料ふんだくっているのかな。

転じて、大谷の快挙は素晴らしい。彼が高校時代から注目していたので本当に嬉しい。素晴らしいことだ。

希花さんの一発合格もなかなかの快挙だ。今まで英語で生活してこなかった人間としてはまさに快挙と言うしかないだろう。

最近はアンドリューとの会話も成り立っている。確かにあんな患者さんが来たら、と思うと良いサンプルにはなっているかも。

メンタル的にもかなり変わったやつがミュージシャンの中には多いし。僕なんかいたって普通だ…と自分では思っている。

ところで昨夜に引き続き、またノエルに遭遇した。

カフェで優雅に朝食を食べていたところを通りかかってしまったのだ。もうコーヒーに移行していたところなので、まぁ座れ、と言われ、また30分ほど話し込んでしまった。

サンサンと降り注ぐ太陽の下、ちょっと日陰になったパティオでひんやりした風に当りながら、なんとも贅沢な時間だ。

2022年 アイルランドの旅 6

こちらでは8月15日の朝。終戦記念日のはずだが、日本ではもう過ぎている。

昨夜、一週間の天気が大逆転するように雷とともにかなりの雨が降った。

ひっきりなしに空が光り、電気を消していると時折部屋がものすごく明るくなり、しばらくしてゴロゴロと。思わずへその確認。

朝にはすっかり止んでいたが、アイルランドらしいどんよりした1日になりそう。

これからはランチを忘れても傘は忘れるな、という気候かな。いや、傘なんかこの国の人には必要なかったか。

恒例の散歩に出掛ける。

10分ほど歩いた大きな教会の敷地に公園があり、川が流れ、その川辺の広場にちょっとしたエクササイズマシンが並んでいる。

先日ノエルが「あそこにあるマシンは効くか?」と言っていた。

ちょうどばったりノエルと出会った時、その直前に見つけて少しトライしたばかりだったので「まぁ、子供も遊んでいたくらいだからそんなに大したことないけど」と言っておいたが、真剣にやると次の日は少し効いている。

そのうちまた遭遇するかもしれない。

川にはカモやカモメがいっぱいいる。

澄み渡った水と緑の芝生で遊ぶ鳥たち。あまりに美しい光景なのでついついスマホを出してしまう。

大量に撮った写真は、やはり空気が澄んでいるせいかスマホでも驚くくらい良い色合いに見えるが、やはりそれなりのカメラだったらもっと良い写真が撮れるだろう。

ところで、そのマシンがある公園の近くに気持ちの良さそうなカフェがある。

朝から多くの人が、と言ってもコメダのようなものではなく、ローカルの小さいカフェ。

とにかく多くの人がテイクアウトをしたり、少しのあいだ外のテーブルでまったりとしたり。大学病院の近くということもあり、多くの医療関係者なども利用しているんだと思う。

そんな中、カフェの入り口に救急車が止まっている。

ふと見ると、救急隊員が2人でコーヒーを飲みながらタバコを吸って談笑している。

これ、日本だったらアウトでしょ。

先日、土曜の夜、と言っても7時くらいか。電車に乗ってゴールウェイに戻る時だが、ゴールウェイの一つ手前の駅から若い女の子が大量に乗ってきた。

これから都会のクラブでブイブイ言わせるんだろうなぁ。

しかしその格好たるや日本だったら完全にアウト。ビーチじゃないんだから。ハロウィンでもないし。

いくら埼玉から東京に遊びに行くにしてもあれはアウトだ。

あ、いや。これ言ったらアウトかもしれない。

てなことを考えながら、やっぱり国の常識の違いというのはなかなかに埋めがたいところがあるし、政治家と国民の常識の違いも埋めがたいところがあるなぁ、と…そこに行くか?

ところで終戦記念日。毎年僕は何か書いているが、結局今だに庶民は「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぎ」そうして生きているように思えてならない。

2022年 アイルランドの旅 7

友人がパブの入り口でゆったりと椅子に座って飲んでいた。

時刻はお昼の12時をちょっと回ったところ。元々赤い顔が真っ赤になっている。

僕を見つけるなり「お、ジュンジ、ちょっと座れ。なに飲む?ギネスだな」

こうして買い物帰りだった僕にとっての予定になかった一杯とお話が始まる。

でも、やっぱり良いものだ。

ちなみにこの友人の名前はユジーン。いや、本当です。

同じ日、時は移って午後5時半頃。

別な用事で同じ道を歩いていると、驚いたことにまだユジーンが飲んでいるではないか。

同じパブ、同じ席で。

しかし今度は周りにたくさん飲んでいる人がいたので上手いこと気がつかれないようにして帰ってきた。

いったい何杯飲んでいるんだろう。

おそらく11時頃から18時くらい、いや、今はまだ暗くなるのが遅いのでひょっとすると、もっと長居するのかもしれない。

もうあそこ、うろうろできないなぁ。逆に飲みたい時、手ぶらで行ったらいいか。おいおい!

アイルランド人には心臓疾患とかが多いので、ペースメーカーなど埋め込む技術もかなりのものらしいけど、

やはりそれで死ぬ人も多い、と聞いている。

でも、結構長生きの人も多いのはストレスを抱えない生活によるものじゃないか、とユジーンが言っていた。

彼はもうリタイアしている人だけど、そうでない人も必要以上に仕事やお金のことは考えず、パブで楽しく飲んで一生を終えることができたらどんなに幸せだろうか、というのが基本的な考えなのかな。いや、決してそんなことはわざわざ考えないだろう。

「あなたにとって音楽とは?」「え~と…考えたことないな」マーク・ドネランの言葉そのものだ。

2022年 アイルランドの旅 8

非常に嬉しくて困ったことがある。

どういうことかというと、チーズが安過ぎるのだ。

同じグラム数のマスカルポーネ、日本で1000円となっているが、わずか1ユーロ。

こうなるとつい手が出てしまう。

ふと横を見ると、200グラムのチリチェダーの塊が1ユーロちょっとで売っている。

これもついつい手が出てしまう。

カマンベール、エメンタールもやはり日本の10分の1ほどの値段だ。

この国の乳製品の安さは分かっていた事なので何を今更、という感もあるが。

その他、聞いたこともない名前のものや、絶対買わない苦手なものまでそのコーナーは見ていて飽きない。

あまり期待はせず購入するが全て、まったく文句のつけようがない。

これだけ購入するとやはりそのままワインコーナーに走る。

そこでワインだが。

アイルランドでは比較的ワインは高いような気がする。

いや、ワインだけでなく、ウイスキーやビールもそんなに安いとは思わない。

因みに、ともすればJamesonなどは日本の通販の方が安く買えるみたいだ。

色々考えてみたが、もしかするとアルコールはパブやレストランで飲め、ということなのかな。

それ以外の理由は思いつかない。

そうしてこの国のパブ文化が守られているのかもしれない。

今日は8月16日。

京都では五山の送り火が盛大に催されたようだ。

友人たちが次々にそれぞれの家から見える画像や動画を送ってくれた。

その光景は、京都に長く住んだ僕にとって何とも説明がつかない感情を抱かせてくれる。

様々な催しがある中、この五山の送り火は格別だ。と言いながら、当時は毎年必ず拝ませていただいた記憶もない。

演奏に出かけていた事もあっただろう。あまりに近い存在で気にも止めていなかった年もあろう。

今、こうしてアイルランドに居ながらにしてその灯を見ると一層感慨深いものがある。

京都の友人たちに感謝だ。

2022年 アイルランドの旅 9

さて、いよいよアイルランドらしい天気になってきた。

これから先はどんどん季節が進んで行き、朝は9時でもまだ暗く、夕方にはもう4時にもなるとほとんど真っ暗。おまけに雨まで降る。

流石のユジーンも…いや、中で飲んでいるかも。

昨夜はまたフランシスのお誘いがあり、クレインバーで12時までセッションに興じた。

オーストラリアからのフルート、フィドル、マンドリンの3人組が加わって一層盛り上がった。

それより先に、ノクトンズという有名なパブで少しだけ飲んでいると、隣にきたグループのうちの1人が陽気に話かけてきた。

結構、音楽に詳しい人でフランキーのこともよく知っているらしく、ギターはDADGADか?なんて聞いてくるし、非常に盛り上がった。

困ったことに意気投合してくると必ず出る言葉が「もう一杯どうだ」

この後、和カフェ(現在は和すしに名前を変更している)のオーナーである早川さんと食事をするので、その前に軽く、というつもりが、こうなるとなかなか断りづらい。ハーフが結局1パイントになってしまう。

そして食事は希花さんの合格祝いと考えてくれた早川さんがシャンパンもオーダーしてくれたので3人でそれも1本飲み、そのままパブに向かった。

早川さんも朝からずっと働きっぱなしで疲れていたが、パブに入ると待ちかねたフランシスが「何飲む?」

これは例によってパブのおごり。もう半分寝かかっている早川さんも遠慮しながらジンジャーエール。

僕はギネス。希花さんもギネス。

オーストラリア人も加わって盛り上がった頃「もう一杯いこう」とフランシス。

バーテンダーが嬉々としてみんなの分を持ってきてくれる。

結局5時くらいから12時まで飲みっぱなし。ユジーンのことは言えないが、僕らなんてまだ可愛い方だろう。

でもそろそろアルコールを控える日を設定しないと。

いよいよアイルランドらしく…と書いたが、急にどえらくいい天気になってきた。風は冷たく、日差しは暖かい。

これでは晩御飯の後、一杯、ということに…三日坊主ならぬ3分坊主だ。

2022年 アイルランドの旅 10

本当に山の天気だ。娘さんよく聞けよ♪

娘さん、というと何故か昔の感じがする。

ナターシャーの頃、高石氏が「道しるべ」と言っていたが「今は道路標識ですよ」と言ってみんなで大笑いしたものだ。

同じく娘さんというと、どこかおさげ髪に赤いほっぺの…モンペをはいたようなイメージがある。

戦後、結婚してすぐアメリカに渡ったスージーさんが「写真機持ってきた?」と言って「カメラならあります」と言った奴もいた。

そんな風に言葉も時代とともに変化していく。

えーっと、何の話だったかな。

そうそう、晴れていると思ったら急に降ってくる雨。そしてまた急に止む。かと思えば瞬間的に激しい雨。そしてまた晴れる。

その晴れ間を狙ってフランシスが連絡をくれる。

すぐ近くのパブで午後4時半からセッションだ、と。

その時間ならそんなに悪くない。以前、希花さんが行ったら、僕もよく知っているケビン・ホークがいたよ、と言っていたセッションだ。

彼はアンドリューのバンドでサンフランシスコに来たギタリストで僕も大好きなおじさん…いや、僕より若い人。

何となく今日はセッションというより、少しギネスでも飲んでゆっくりしたいな。たまには聴くのもいいかな、と思い、

ギネスをオーダーして、パブの入り口近くの青空テーブルのところでまったりしていた。

気持ちのいい天気。音楽もいい。

と、そこへメッセージが入った。かなこちゃんだ。

バンジョーのブライアンがギタリストを探しているんだけど6時からできる?という内容だった。

すぐ近く。楽器を取りに戻って出かけても15分ほどで事は済む。

ケビンやフランシスや他のメンバーに「ちょっと行ってくる」と挨拶して現場に向かった。

パブは例の「チコリ」あれ、ユジーンは今日はもう帰ったらしい。

演奏者の席にはブライアン・マグラーが待っていた。後バウロンの大きなおじさん。

そこにフランスからの観光で来ている母と息子。その10歳くらいの息子はこの上なく可愛い顔をしてニコニコしてフィドルを持っている。

一生懸命流暢な英語でみんなに話かけている。

セッションが始まると一緒に弾くが、多分知っている曲はサリーガーデンズとジョー・クーリーズくらい。

こちらが何をやろうが一緒に弾いているが、さすがにこちらの音の方が大きいのでほとんど聞こえない。

いや、聞こえたら大変だ。多分何をやってもサリーかクーリーズを弾いているからだ。

みんなに聴け、聴け、と言われてもニコニコして頷くがすぐにサリーかクーリーズを弾き始める。

こちらは御構い無しに次の曲を始める。聞こえないがそこでも例の2曲を弾いているんだろう。

母親はこれまたニコニコして大満足の顔をしている。

この親子、ブライアン・マグラーがアイリッシュ・ミュージックの中でどれだけ重要な人物なのか知らないのだろう。

セッションはブライアンと希花さんが強烈に引っ張り、僕も強烈にビートを刻んで2時間ほどで終えた。

バウロンのおじさんは体はでかいし、声もめっちゃデカかったのにバウロンはすごくおとなしかった、けど、いいプレイヤーだった。

終わると、あれだけ嫌がっていた彼らは少年に「とっても良かったよ」と言って褒めていた。

これ、やっぱり文化の違いかなぁ。

日本と違って、アメリカでもそうだけど、基本的に子供は「褒めてのばしてあげる」という事なんだろうか。

親子はとても喜んで帰っていったが、2人ともいや~参ったな、という顔をしている…ように見えたのは僕ら、日本人だけだろうか。

またまたパブのおごりのギネスを飲まされた。その前にすでに一杯ひっかけていたのに。

休肝日はいつになるだろうか?

2022年 アイルランドの旅 11

昨日、希花さんとこんな話で盛り上がった。

人のつく嘘について。

というのが、あるアイルランド人。因みにミュージシャンではないし、ユジーンほどそんなに良く知っている人物でもないが、

まぁまぁ時々道でばったり会う人物。

全くちぐはぐな事を云う。

嘘ついてるの?それとも覚えていないの?それともかなりポジティブにそう思い込んでいるの?

そんなに重要なことを話すわけではないので、どうでもいいがこれは非常に面白い。

嘘もつき続ければ本当に聞こえてくる場合もあるし、本人もその気になってしまう、と云うことの典型だろうか。

それで思い出されるのが、やはり国会での虚偽答弁だ。嘘をつき過ぎて本人の中では本当のことを言っているつもりになっていたんだろうな。

そしてそれを見習うがごとく周りの政治家も平気で嘘をつくようになる。

ある記事によると彼の場合、子供の頃から嘘をつくのが得意な少年だった、という。

子どもの頃「嘘は泥棒の始まりだ」という言葉を聞いたが、もはや「嘘は政治家の始まり」だ。

ここ最近でも日本のニュースを見ていると、また嘘ついてるよ、と思う政治家の発言ばかりだ。

こんな話で盛り上がるのは無駄な事だし、それに、僕らの世間話の中の事だったらいいが、彼らの嘘は本当にタチが悪い。

タチが悪い事に関わっても何の得にもならない。

しかしながら、希花さんもここしばらくの間、その頭脳をフル回転させたのでたまにはこんな不毛な会話もいいだろう。

さて、8月も半ば過ぎた。

日本は少しぐらい暑さが収まっているみたいに見えるけど、どうだろうか。

ここではもう朝起きると寒くて上着が必要だ。

でも、何年か前のコラムで9月に数日間だけインディアンサマーがやってきたと書いている。(2014年9月3日~)

2018年8月のちょうど今頃にもそれらしいことを書いているが、いつやってくるかわからないからインディアンサマーと呼ぶ説もあるし、

他には、移住者が先住民との取引で自国とは違うものをつかまされたので、それを偽物だとした事による「偽物の夏」という説もあるそうな。

日本では小春日和という表記がなされるようで、もっと「ほんわか」したようなイメージ。

しかし、そこには移住者による先住民の大虐殺など、とても小春日和とは程遠い歴史がありそうだ。

ところでインディアンというとほとんどの日本人はアメリカインディアンを連想するだろう。インドの人はインド人だ。びっくりする人。

ここしばらく希花さんの周りはインドから来た医療関係者がかなりの人数いたみたいだ。

彼らをインディアンと呼ぶか、これは一般的日本人にとっては難しい。インディアン・ネイションあるいはアジアン・インディアン…あんまり言わないか。

先住民の場合はネイティブアメリカンとか、アメリカインディアン?これもなんか西部劇のイメージがある。

He is from Indiaと言われたら分かるけど He is an Indianと言われたらどうしても鳥の羽根と皮のパンツが頭に浮かんでしまう。

これ決して差別ではなく、僕ら日本人のほとんどがその程度の国際感覚だ、ということなんだろう。いや、僕だけ?

とにかくこんな事一つでもいろいろ勉強になるし、幅広く世界を見ることができるようになっていく。

そろそろ話をまとめなくちゃ。

最後に言いたいのはこれだ。よく聞け政治家!「インディアン嘘つかない」

2022年 アイルランドの旅 12

前回11では、別にアイルランドで書かんでもいいようなことを書いてしまったのでしきりに反省しながらも、やっぱり日本を出ないと気がつかない点や、新たに思う事柄などが出てくるもんだ、と自己判断しています。

以前、8月になると、ここアイルランドではもう夏は終わり、というようなことをさんざん言ってきたが、どうもこの頃はまだ夏かもしれない、という日がよくある。

今朝も歩いていて思わず上着を脱いだ。多分20℃に近かったんじゃないかな。少なくとも太陽の下では。

やっぱり地球規模の温暖化かなぁ。

朝も10時半くらいになるとすでに開いているパブの外のテーブルでもう何人もの人が飲んでいる。

本当に酒ありきの国だ。

酒の好きな人には本当にいい国かもしれないが、美味しいものを食べたい人には決して薦められる国ではない。

しかし、アイスクリームは薦められる。

初めてこの地を訪れて、アンドリューとツアーをした時の事。

夜中の2時頃、アンドリューが「ジュンジ、そこで99(ナインティナイン)買ってきてくれ」と言って車を止めた。

訳がわからなかったが「そう言えば分かる」と言われて「99二つ」と言ったら日本でいうソフトクリームにチョコフレークのスティックが刺さっていた。

クリームも日本のように綺麗に渦をまいているものではなく、これでもか!と言わんばかりにゴテゴテに積み上げたものだった。

さんざん演奏して、さんざん飲んできた帰りのアイスクリーム。

いや、それでなくてもかなり美味しい物だったので、それからは必ずこの99を買う事にしている。

もともとアイスクリームなる物、あまり好きではないがここは何度も言うように乳製品は美味しい。

北海道と似ているかもしれないけど、日本人の持ち合わせているきめ細かさとは程遠いものがあるので、どちらかと言うと僕は満足だ。

この歳になってもまだそこそこ食べられる僕としては。

そこで「酒」だが。

ウイスキーは嫌いでもないけど好きでもない。ウイスキーはお好きでしょ♪と言うcmを思い出した。僕はいつでも「いえ、別に」と答え、エリカ様になっていた。

日本酒もあまり好きではないし、焼酎も大して好きではない。

あ、そう言えば大関のcm出ていたなぁ。関係ないか。

かろうじてビールくらいなら最初の一杯は美味しい、と感じる。そう、美味しいと感じるかどうか、で言えばビールくらいだ。

それは発泡酒でもいいくらいなので、本当に好きな人に言わせれば邪道きわまりないのかもしれない。

また、そう言えばだが、日本で、ものすごく大きな焼酎のボトルを見たアイルランド人が「こんなのあるんだ。実に危険だ。アイルランド人だったら一晩で飲んでしまうぞ。これは驚きだ」と言っていた。

それ、5000mlくらい入っていると思うけど、確かに彼らだったら2人くらい寄れば一晩で終わるかも。

あんまり驚いて過去にも書いたかもしれないが、パイント8杯の後、ワインを2本ほとんど1人で空けて平然としている奴がいた。しかもそいつ、朝早く起きて普通に車すっ飛ばして歯医者に行くくらいなので、あり得る話ではある。

歯医者はたまったもんじゃない。

デシ・ウイルキンソンの曲でGentle Dentistというのがあったけど、誰かが「親切な歯医者なんてアイルランドには居ない」と言っていた。

方向を変えれば、酒臭くない患者なんてこの国には居ないのかもしれない。子供以外は。

今回は少しくらいアイルランドらしい話になったかな?

と思っていた矢先にぶち壊しのニュースを見てしまった。

せっかくアイルランドらしく締めくくれると思ったのに、また2階だか3階だかから国民を見下す老人が余計な事を吐いて胸くそが悪くなってきた。

仕方がない。いっぱい飲んで寝るか。

2022年 アイルランドの旅 13

8月26日(金)カーロウへの旅路。ゴールウエイを出て3時間でカーロウのバグナルスタウンに着く。今回の目的は二つあった。

一つにはキアラン君に会う事。そしてもう一つはまれかさんがノエル・バークに弓の毛の張替えをお願いする事。

あ、もう一つあった。キアラン君の猫、ペンギンに会う事だ。

あの「おコメとコムギ」はもう独立して何処かへ旅立ってしまったので、キアラン君の生徒さんたちが彼にプレゼントしてくれた子猫だ。

でも、もうすでにちょっと前の話。それに最近7匹も子供を産んで、それぞれもらわれていったらしい。

なので僕らが会えるのはすっかり大人になったペンギン。

今朝のゴールウエイはというと、正面から心地よく吹いてくる風は冷たく、背中に当たる陽の光はかなり暖かい。

川の水は美しく澄んでいて青空と流れてゆく雲を写しているし、鳥も気持ち良さそうに佇んでいる。

こちらがいい天気だと、東の方は悪かったりするが、どうだろうか。天気予報は…あてにならない。

2022年 アイルランドの旅 14 バグナルスタウン

電車は少しの遅れでバグナルスタウンに着いた。こちらも快晴。

仕事先から直接迎えにきてくれたネクタイ姿のキアラン君と再会。

希花さんはこちらに住み始めてから一度来ているが、僕は3年目の再会だ。

一旦家に戻り、さて、ペンギンは?と探すが、どこかへ出かけているらしい。

しばし、変わっていない景色を眺めながらの相談が決まり、ここで有名なホテル、ロードバグナルスで食事をすることになった。

おれが払う、おれが払う、と何度も嬉しそうに言うキアラン君。そこそこ高くつくだろうが、お言葉に甘えることにした。

この辺の人がなにかお祝い事があったり、ちょっとオシャレに食事、なんて言う時に出かけて行くところだが、考えてみたらここぐらいしか無いかも。

僕らはずいぶん前にここでの演奏の仕事をレギュラーでいただいたことがあるので、オーナーもバーテンダーも顔見知りだ。

もちろん、キアラン君も来ているお客さんとあっちこっちで挨拶を交わしている。

ここも2年間、大変だったんだろうな。

僕はハンバーガーをオーダーしたが、その肉の厚さは想像をはるかに超えていた。と言うよりも、前にも食べた記憶はあるが、もうしばらくは日本サイズに慣れてしまっていたのかな。

どうやって食べたらいいんだろう、と言うくらいのものに、これ全部食べるのは不可能、と思われるフライドポテト(こちらではチップスと言う)が山のように付いてくる。

こんなもの小さい時から食べているから、キアラン君のようにケアーして細い体を保っていても、出てくるフルートの音色はそこはかとなく太く、また深い音になるのだろう。

希花さんのフィッシュ&チップスも皿からはみ出しているし、これでもか、のチップスが付いている。

お腹いっぱいになってコーヒーをいただいて家に戻ると、ペンギンがうろちょろしていた。

これで7匹も子供を産んだのか、と思うくらい小ぶりな猫だ。

日本の猫ではあまり経験しないが、僕のように初めて会う人にもすぐ近づいてきて周りでじゃれている。

おコメとコムギもそうだったのは、この広い空間で緑に囲まれた生活をしていると怖いもんなんかないのかな。

しばし、ペンギンの相手をしながら白ワインを3人で2本開けたところで、キアラン君、嬉しそうに今度は赤ワインを持ってくる。

そして3人でしばし演奏を楽しみ、また話をしながら、ビール飲むか?と言うキアラン君。

結局、1時半ごろみんな眠りについた。その間、ペンギンはソファの上でずっと寝ていた。

2022年 アイルランドの旅 15

朝起きると、今日も快晴。サンサンと降り注ぐ太陽の下、ウサギがピョンピョン跳ねている。ペンギンはもうお出かけのようだ。

多分、早くにコケコッコ~があったのかもしれないが、あ、いや、そういえばもう居ないとキアラン君が言っていたか…。隣のアンドリュー、喰ったかな?

昼から今回の目的の最たるもの、ノエル・バークの工房に行くため、カーロウに出かけた。

ノックすると出てきた彼は、髪の毛をほとんど刈り上げて以前とは全く違う印象だったが、人の好さそうな笑顔は変わらない。

ここでまたアイリッシュ特有の1時間ほどの世間話が始まり、いよいよ弓を診て、じゃぁ、1時間ほどで戻ってきてくれ、と言うので、僕らは市内の青空マーケットに出かけた。

その後、カーロウの有名なドルメン(支石墓)を見学。以前、ここに住むれいこさんに連れてきてもらったことがあったけど、何度見ても不思議で、スピリチュアルなものだ。一体どうやってあの巨大な石を積んだんだろう。

1時間で戻ると、弓は出来上がっていて色々説明を聞いているうちにまた世間話が始まった。今度はそれでも30分ほどで終えて帰路についた。

夕食後、張り替えてもらった弓でご満悦の希花さんを中心に少し演奏をして、またワインとギネスで歓談。

12時消灯。

2022年 アイルランドの旅 16

日曜日。曇っているが雨は降りそうにない。

近所のカフェ、と言うか、洋服も園芸用品も家具も売っていて、食事もできて、スウィーツも楽しめる、それでいてちょっぴりオシャレな場所でお昼を済ませて

今日は特に出かけずにゆっくりすることにした。

夕食は地元のチャイニーズレストランでテイクアウト。

受付に入って行くと隣のアンドリューもテイクアウトを待っていた。なんともバグナルスタウンらしい光景だ。

大体、外を歩いている人はキアラン君もほとんど知っている。「あいつ酔っ払い。あ、あいつも酔っ払い」なんてよく言っているが、向こうもキアラン君を見て「あいつ酔っ払い」って言っているだろう。小さな街だ。

2022年 アイルランドの旅 17 ゴールウェイに戻る

さて、最終日。と言うか今朝はこれからゴールウエイに戻ることになっている。天気も良さそう。

仕事に出かけるキアラン君に駅まで乗せてもらって7時45分発のダブリン行きの電車に乗る。

すぐ隣の4人掛けの席には高校生か大学に今度入るくらいの男の子が4人座っている。どこから乗ってきているのか、やたらと純朴そうな少年たち。

あちらの方で誰かが大声で電話をかけている。子供が騒いでいる。

4人はお互いに笑いながら参ったなぁ、と言う顔をしているが、本当に良い子たちなのか、嫌そうな顔をしない。でもきっと早起きしてきたんだろうな。眠たそうにはしている。

バグナルスタウンを出てから40分ほどしてからかな。電車が止まったまま一向に動く気配がない。やがて車掌が来て、メディカルイマージェンシーだと言う。

誰か倒れたらしい。

もうすでに救急車が到着しているが、ここでタラタラしているのはいかにもアイルランド。

つい先日も長蛇の列ができている1車線の通りの先のど真ん中に救急車が止まっていた。

希花さん曰く「ここで処置するんだったら車を動かせ。そうでなければとっとと病院に行け」確かに中で何かしているみたいけど、後方には20台ほどの車が連なっている。それを気にも止めないのがアイルランド人。まさか世間話?

普段待つ事をあまり気にしないアイルランド 人も、この時は流石に何人かは車を降りて、一体どうなっているんだ、と言う表情を見せていた。

それはさておき、僕らの乗った電車はかなり遅れてダブリンに着いた。

次の乗り換えには、時間通りに着けば25分あったがこれは渋い。隣の少年たちに「ゴールウエイに行くのか?」と聞いたら「そう」と言うので「間に合うのかな?」

と言ったら笑いながら「さぁ?」と言っていた。

電車はかなり微妙な時間、次の電車まで1分と言うところでダブリン駅に着いた。

僕が「走ったら間に合うかも」と言うと希花さんが「待っているはずだから大丈夫」と言う。

少年たちも4人で談笑しながら後ろを歩いてきた。

同じホームの向かい側、かなり向こうの方にゴールウエイ行きの電車が見える。向かっているとベルが鳴った。

あれ、動いているけど…あ、通り過ぎたけど…あれ~…?

少年たち、ニコニコしながら去ってゆく電車を見ている。

「あれだった?」「うん。あれだったみたいね」あっけにとられている僕らと少年たちの落ち着いた様子は正に日本人とアイルランド 人の違いか?

2時間後にまたあるから飯でも食べに行く、と少年たちは駅を出て行った。

時間通りにことが進む、なんて言うことは珍しいこの国で、よりによってこんな時に限って時間通りって一体どう言うことよ!

そんなこんなで色々あったが無事2時間ほど遅れてゴールウエイに着いた。

まぁ、何とかなるんだろうけど、それにしてもあの、乗るはずだった電車が目前を去っていく光景は忘れがたい。

乗るはずだった電車を苦笑いで見送る少年たちの姿もなかなかに忘れ難い。

2022年 アイルランドの旅 18

もう9月だ。

やっぱり温暖化のせいで、普段の8月とは比べものにならないくらい好天に恵まれて暑いと感じる日があった。

ここも25℃なんていうのが当たり前になって、日本は40℃が当たり前の国になるだろう。

かなり前、天気のことばかり言うのは年寄りになった証拠なんて言う話を聞いたことがある。

確かに年寄りが集まると「今日は暑いでんなぁ」「寒おますなぁ」なんて言う感じかな。

さて、丸々1ヶ月が過ぎて、決して忙しかったわけではないが、思えばバタバタと過ぎて行ったような気もする。

この辺の道も歩き慣れてきて、何と、緑が多く空気が軽くて美しいところだろうと感じる気持ちが毎日のように湧いてくる。

比較的安全と言われているアイルランド だが、そりゃいろんな事も起こる。

僕は多くの国には行ったことはないが、アメリカや、ここアイルランド を歩いていてふと気がつくのは、やっぱり日本と違う歩き方をしているな、という事。

いや、足は右と左を交互に出しているが、そんなことではなく、周りへの注意である。

ここも結構狭い道がある。

田舎の、例えばアンドリューの住む辺りなどは、あの狭い道を80㎞くらいで飛ばしてそのまますれ違っている。

道脇の木々をバリバリいわせながら。

もし子供でも人でも出てきたらどうするの、と訊けば「神の思し召し。仕方ない」と普通に言っている。

ゴールウエイの街を歩いていればそんな事もないけど、やっぱり結構危険な感じもする。

9月に入り、学校も始まると朝方などは子どもを学校に送り届ける親の車で休みの時の倍ほどの交通量になる。

それに、夜などはこの国に来て酔っ払い運転に轢かれて人生を終わるのも情けない。

アメリカでは夢を追いかけて勉強をしていた若者があっけなく銃で撃たれて死ぬ。別に日本人に限ったことではないにせよ、もったいない。

とにかく道を歩いていて、アイルランドでは車社会、アメリカではそれに加えて銃社会、ということは常に頭に置いておかなくてはならない。

それでも気の抜けるときはあるし、歳のことも考えると、たまには気を張って生きるのは悪いことではないと思う。

年取ればとるほど周りにアンテナを張る訓練はしておきたいものだ。

それでなくとも思わぬところで引っかかってこけそうになったりするし。

2022年 アイルランドの旅 19

今回は少し音楽のことでも書いてみようかな。

先日、ある曲をマナス・マグワイアーと一緒に演奏していて、Bパートの途中1小節だけ僕の知っているバージョンとは違っていた。

ほとんどの人は僕の知っているバージョンで演奏するので初めて聴いたパターンだな、と思いつつも、大ベテランだし、それでずっとやってきているのだろうし、

このバージョンも探せば出てくるか、と思い、魔の検索が始まった。

まずこの曲「Miss Thornton」を検索する。

最初に出てくるのが僕の知るバージョン。2つ目もそう。3つ目。あ、あった。因みに4つ目以降はまた僕の知っているバージョン。

してみるとこのバージョンはマナスの録音だけか?

そこで100ほどの録音物の中から聴けるものをかたっぱしから聴く。

そこで見つけたのがJames Morrisonの1921~1936に録音されたもの。

少しのバリエーションも非常に近いものがある。

また、以前のコラムの中でTom morrisonに関するこの曲の解説を書いた事があった。

1928年の彼の録音では、Ballinasloe Fair とこの曲をRoscommon Reelとして録音している、と書いてあった。

 こうして調べ上げていくことは、オールド楽器の出処を調べるのと同じように面白い。

発見した時の喜びに加え、例え一つの曲でも様々な観点から知ることができるいい機会になるからだ。

2022年 アイルランドの旅 20

9月4日、日曜日、今日も涼しくていい天気だ。

夕方、ブライアン・マグラーから連絡があり、ギタリストを探しているけど空いているか?ということだった。

時間は夜の9時から。

場所はすぐ近く、歩いて5分ほどのチ・コリ。

フィドラーにミック・ニーリー。フランキーと分裂した後のディ・ダナンで弾いていた人で希花さんと同じ職場の人物。

ちょうどアメリカからダーシー・ヌーナンというフィドラーが来ていたが、彼女はサンフランシスコ、いや、オークランドかな。

とにかくジャック・ギルダー等と一緒に演奏することも多い、と聞いた。

なぜか僕もかなり前から名前だけは聞いていたかも知れないが、会うのは初めてだった。

後もう1人。カウンターで飲んではちょっとだけ座って、どえらい大きな声で話すおばさん。

時々コンサーティナを出してスライドなどを勢いよく弾く。知らない曲だと弾かないので全然邪魔にはならないが、

一旦弾きだすと声と同じく大きな音で勢いに乗る。そしてまた飲みに戻る。ケリーから来ているのかな、と思わせる勢いだ。

パブはこの上なくうるさかったが、多くの人が周りに集まって聴いていた。

その中で1人、若い東洋系の男の子がガールフレンドらしき(こちらはみるからにアイルランド人)女性と飲みに来ていて、僕はその見かけから絶対ハワイから来ているサーフィン関係の男の子かな?と思っていた。

演奏が終わり、外へ出ると彼らが話しかけてきた。

彼は純粋な日本人(神奈川県人)だった。彼女の方も流暢な日本語を話す人だったが、これから2人でダブリンに住んで仕事を始めるので、その前に少しの間ゴールウエイに遊びに行こう、と考えたらしい。

そうして僕らと出会ったのでなんだか嬉しくなって話しかけてきた、ということだった。

とても感じのいいカップルで、これからの生活も上手くいくことを祈っている。

そんな彼らと別れた後、ポツリポツリと雨が空から降ってきた。いや、小室等ではない。

この曲を聴いて「当たり前だろう。雨は空から降るんだ」と言っていたこともあったなぁ…。

夜中には一転して激しい雨音が響いていたが、パブの喧騒からは解放されて深い眠りに落ちた。

2022年 アイルランドの旅 21

久しぶりに虹を見た。というか、今回ここに来て初めてだったかも知れない。

もちろん出ているのに見なかった、ということもあるかも知れないが、今朝はいかにも虹のできそうな天気だった。

そういえばそんな感じの天気がここのところ少なく、よく晴れていることの方が多かったし、急に降り出しては晴れる、という天気があまりなかったようだ。

今朝は15℃くらいのちょっと肌寒い空で、昨夜から降っていたらしい雨で道が濡れていて、どんよりした雲の間から時折太陽が顔を見せる、それはそれは絵に描いたような虹チャンスだったかも知れない。

と言っていた矢先に急な雨。

なんか風が冷たくなってきたなぁ、と思っていたところに急な土砂降りというのは、自分でも予測がつく。

むかし、デルス・ウザーラという映画をナターシャーのスタッフとみんなで観に行ったことがあった。

自然と共存するデルス・ウザーラが、天候の移り変わりを語るシーンなど、美しい映像とともによく覚えている。

1975年の映画だったらしい。

ありゃ、すごく晴れてきた。驚き!これじゃぁデルス・ウザーラのようにはなれないなぁ。

2022年 アイルランドの旅 22

また面白い光景を見た。

いや、こちらにいたら決して稀な光景ではないが。

近くのタルト屋さんに救急車が止まっていた。

そこは僕の散歩コースで、僕はその救急車の後方から歩いていた。

また、こんなところで油売っているな、と思い、外に出ているテーブルに目をやると、そこでは数人の人がお茶を飲んだり、タルトを食べている。

因みにここのタルトはとても美味しい。

日本の某タルト屋さんのようにきめ細かく作られていないが、値段は半分以下で味もかなりのもの。

そんな人気店で、中をのぞいてみると、中で何か買っている様子もないし、中で座って食べている姿も見受けられない。

こりゃ失礼しました。お仕事かな?と思いながら運転席の横を通り過ぎたら…居ました。

中で2人仲良くアイスクリームを食べていました。

やっぱりなぁ。

日本も救急車はそろそろ有料化したらいいと思うが、それでは金のない人は助からない、という考えもあるだろう。

確かに、全ての人を助ける、という主旨の日本の医療からすればそういう理論になってしまう。

アメリカで一緒に働いていたメキシコ人の子供が2人、火傷をして救急車を呼んだら1人600ドル、計1200ドル取られて嘆いていた。

なんか今ではそれどころではないらしいけど。

これでは貧乏人は救われないということも事実だが、これも前出のように神の思し召し。神のなされることに何故?どうして?は言ってはいけない。

宗教は人を強くするのかひん曲げるのか…よくわからないですね。

宗教と政治はセットらしいのでやっぱりひん曲げるか。宗教とは関係のない僕もだいぶひん曲がってきたかな?

ま、日本とそれぞれの国の考え方の違いもあるのでしょう。

近頃、日本の救急隊員があろうことか、頻繁に被害を被っている、という話をよく聞くので、ついこんなことを考えてしまっています。

2022年 アイルランドの旅 23

毎日、朝は7時から1時間、昼は3時から1時間、晩は7時から1時間(日によっては2時間)知っているだけでもそれくらいラジオからトラディショナルが流れてくる。

日本ではほとんどラジオなるものを聴くことがなくなったが、僕らの子供の頃、まだテレビが登場する前は娯楽はラジオだけだった。

「1丁目1番地」や「にあんちゃん」なんていう暗いものまで、そんなものを聞きながら食卓を囲んでいたなぁ。

あの頃の日本の首相は岸信介だった。国会を初めて「はだし」で歩いたのだ~れだ、なんていうなぞなぞがあったなぁ。

結局、この一族は国民のことを考えてきたんだろうか。疑問である。

今調べてみたら去年の9月のほぼ同じ日に、コロナを発端に政治家に対する不信感を書いている。

ありゃ、前の年にも同じ時期に政治家に対する不満を書いている。

結局、2年間はずっとそんなことに明け暮れていたのかな。

コロナをきっかけに彼らの無気力さを知り、それ以前からの嘘ばっかりつく姿勢にうんざりしていたので相当憤慨していたようだ。

今でも日本のニュースを見る度に、なんだかんだ言ってもこいつら平和な国でおとなしい国民相手で良かったよなぁ、と思ってしまう。

今は夜7時45分。ラジオからフランキー・ギャビンとポール・ブロック、チャーリー・レノンが流れている。

外はどうやら弱い雨が降っているようだ。

まだそこそこ明るいが、あと1ヶ月もしたらこの時間は真っ暗になるだろう。

そしたらパブにでも行かなけりゃ寂しくてたまらない人が増えるだろう。

天気が良ければ飲みに出かけるし、天気が悪くても飲みに出かけるし。

キアラン君、どうしているだろう。

2022年 アイルランドの旅 24

9月8日(木)歴史的な日になった。エリザベス女王の死去。

こちらの国葬は頷ける。

ちょうどマナス・マグワイアーが来ていて練習をしている最中でした。

少しは近いだけにこりゃ大変!と言う雰囲気がひしひしと伝わってきます。

そんな中、ミック・ニーリーからの突然のメール。

明日、チコリで6時から3人でできるか?と言うことだった。

希花さん、仕事場でミックと顔を合わせて、また今度はパブでミックと演奏をする。

かなりの腕前のフィドラーなので(ブズーキ奏者としても有名)これぞアイルランド生活だ。

因みにこのミック、漫画のTintinによく似ている、とみんなから言われているが、ゴールウェイ大学病院には無くてはならない存在であるらしい。

フランキーやショーン・マグワイヤースタイルのかっ飛ばしフィドラーで、結構すっとぼけたキャラなのでとてもそんな風には見えないが。

2013年の8月8日に初めて彼と演奏した、と記録にはある。

あの時、かなり僕らの演奏に食いついてきた彼のもう一つの職場に、いま希花さんが勤務しているとは…そんなこと想像もしていなかった。

2022年 アイルランドの旅 25

ミックとのセッションはパブも比較的静かでとてもいい感じだった。

6時の方がみんな出来上がる前で少しはまだ大人しいのかな。

終わってから、希花さんの仕事場の同僚たちがパーティーをしている、と言うのでそのまま出向いた。

目的は「月見」

満月の一日前、と言うことだったが、ちょうどいい時間、ゴールウエイ・ベイに昇る月は見事なものだった。

そう言えば、随分前、85年頃だったかな。イェール大学を卒業したあと、京都大学に留学していたアメリカ人の若者がいた。

その彼が、日本語ペラペラどころじゃないくらいに喋るのに満月を見て「あ、まんつきだ」と言ったので、初めて彼に「あれはマンゲツだよ」と教えてあげた。

そんな彼も今や国際政治学者として名を馳せているようだ。

話は戻って、これは日本人だけの集まりであったが全員職場では全て英語で仕事をしなければいけない。

そんな彼らもここでは日本語でのやり取り。

お月見、と言うことだったので、僕は前日から用意しておいた餡子を炊いて持っていった。

月見だんごも要る。

苦肉の策でご飯を柔らかく炊いてすりつぶし、片栗粉と混ぜて作った。

ネットというものは便利だ。

他にも彼らが用意してくれた唐揚げやお好み焼きなど、盛りだくさんのメニューがあったが、やっぱり昔ほどは食べられない。

しかし、ワインはさすが医者仲間なので、しかもヨーロッパ生活の長い人もいるので出してくるものがちょっと違う。

いや、多分ちょっとどころではない。

話をしながらいっぱい飲んだ。

気がついたら3時。

ここの住民(彼は若くして世界に名を馳せるほどの循環器系の医師・医学博士)はもっと飲みたそうにしていたが、おいとまする事にした。

彼は3時間ほどしたらまた仕事を始める、と言っていた。

アンドリューとはまた違うタフさだ。

2022年 アイルランドの旅 26

やっと日本がオープンするようだ。

ただ単に国葬をやりたいがため、支持率を上げたいがためという感じはするが。

マスクはどうなるだろう。まだまだつけていないと変な感じなんだろうなぁ。

この2ヶ月間ですっかり忘れてしまったけど。

話変わって、今朝買い物に出かけたら、いつも行くスーパーの入り口に若者が倒れていた。

倒れていたというよりも、ひょっとしたら死んでいるんではないか?と思うくらいの倒れ方だった。

数人が取り囲み、やがて警察官が来たが、どうやら彼は生きていたようだ。

顔が真っ赤になり、飲み過ぎか、それとも傷だらけなんかよく分からない。

あんまりジロジロ見るわけにもいかないし、遠巻きに見ていたが、水を飲まされていた。

もし酔っ払っているとしたら、アイリッシュだし一升瓶5本くらい一気飲みしないとあんな風にはならないはずだ。

その後救急車に運び込まれたみたいけど、あんな感じの若者がストレッチャーに乗せられたり、床に転がされたりして何時間も唸っているのを2015年のあの日に見た。

こちらは病院に連れて行かれてからが大変だ。

緊急性がなければ、扱いは牛、馬、豚と変わりない。ならば、最初から動物病院に行けばいいのに。

日本はその点幸せなのに、救急隊員に暴力を振るう奴がいるらしい。医者に恨みを持つ奴もいる。

あんまりこちらではそんな話聞かないような気もするが、知らないだけだろうか。

いや、彼らにもっと権限が与えられているのかもしれない。

アメリカでは、バスの運転手が乗客に「出て行け!」と怒鳴って蹴っ飛ばしていたことがよくあった。

中国人に絡んでくる黒人。バスの中で物乞いする奴。騒がしいガキなど、みんな運転手に追い出されていた。

日本は親切な国だなぁ、と感じることがよくある。

アメリカなんかで救急隊員に暴力なんて振るったら逆に袋叩きにあってその場に置いていかれそう。

日本がオープンするらしい、という話からとんでもない方向に向かったが、さぁ、これからまた外国人がいっぱい入ってくるかな。

2022年 アイルランドの旅 27

9月11日が過ぎた。

時の流れと共に記憶も薄れていく。

国葬もやったもん勝ちで、終われば「素晴らしかった!」などという報道がたくさん流れるんだろうなぁ。

僕はこの件で彼の死亡が伝えられたと同時に「こりゃ絶対に国葬やるぞ」とテレビに向かって言っていました。

決して彼の生前を評価しているのではなく、ただなんとなくそう思っただけです。

僕ごときに手の内を読まれてしまう政治家なんてやっぱり頭すっからかんなんだろうな、と思ってしまう。

今になって「やっぱりやーめた」って言ったらどうなるんだろう。

エリザベス女王の葬儀とかぶったら面白かったのになぁ、なんていう不埒なことも思ってしまう。

反対派の多くはそう思っているだろうけど、僕は反対でも賛成でもない。こういうのコウモリっていうのかな。

反対派の人も無下に反対しているわけではなく、いつもやり口が汚く、あるいは本当に成すべきことをやらない政権にうんざりしているんだろうなぁ。

アイルランド、ゴールウエイ、現在16℃、今日は朝から雨。梅田から難波までは何キロくらいだろう?

2022年 アイルランドの旅 28

寒くなってきた。

流石に外でコーヒーを飲んでいる救急隊員には出会わない。

今朝は気温10℃で曇っていたのでなおさら寒く感じる。

手が悴んでいる。へぇ、こう書くんだ。

ところで、この悴むというのは方言かどうか気になったのでちょっと調べてみたら、元々は北海道あたりの方言だった、という説や、

古い言葉で今や季語として扱われる、などと言う記述があった。

それにしても実に言い当てた表現だと思うが、長年使っているからそう思うだけだろうか。

そこでこの表現は英語では?と思い、調べてみた。

numbというのがそれに当たるらしいが、指を挟んだりして腫れたり痺れたりするのもこの言葉を使うのでややこしい。

もう一つ関連としてShiverという言葉もあったが、これは寒気と同時に恐怖でちぢこまっているような時に使われるらしい。

そう言えばIn the Pinesという歌を歌った時にこの言葉が出てきた。

I would shiver the whole night throughという最後の行が繰り返されていた。

とにかく今日は一日中肌寒い天気になりそうだ。こんな日はやっぱり温かい紅茶が合うのかもしれない。少なくともお昼は。

お昼といえば、今週末京都でまた昼下がりコンサートが開催される。

ナターシャーセブンのスタッフ達が主催するコンサートだが、天気が心配だ。

見たところ、台風の影響が出るのはコンサート当日を過ぎてからのようだし、その通りになってくれたらいいな、と思っている。

彼らの心意気にはアイルランドからも感謝の意を示したい。

2022年 アイルランドの旅 29

ふと考えた。

お酒の中で、比較的身体に害が少ないのはなんだろう。

もちろん、ハードリカーのようなきついのは別としてだ。

普段よく飲むのはビールと赤、あるいは白ワインだ。

以前、赤と白を混ぜてロゼ、と言って飲んでいたらスペイン人に怒られた。

トニー・マクマホンはサンフランシスコの普通のカフェで赤ワインをオーダーしたら普通のコップを出されて、激怒して店を後にした。

ヨーロッパではやっぱりワインだろうか。

僕はあまり飲めないせいか、日本酒、焼酎、ウイスキーの類は苦手だ。

かろうじて、冷酒のキンキンに冷えたものだったら少し飲むかな。でもせいぜい1合くらいだろう。

酒類は家で飲むに限る。もちろん僕の場合は。そのまま寝れるからだ。

先日、こんな話を聞いた。

「酒の強さは母親から遺伝する」つまり母親が強かったら大体子供は強いらしい。

本人があまり飲まなくても先天的に持っている強さはあるようだ。どうも父親からではなさそうだ。

これがアイリッシュに当てはまるのかどうかは知らないが。

昔の話になるが、僕が初めて酒類なるものを飲んだのは…もう時効だろうから言うけど、高校の修学旅行の時だった。

安芸の宮島に着いた時、みんなで学帽の中にお金を出し合って資金にした。

こういう時、買いに行かされる奴が必ずクラスには1人くらいは居る。流石に学生服は着替えたと思うけど。

そして、ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎、流石にワインはなかったかな、とにかく酒という酒はしこたまあった。

今ではあり得ないことだろう。みんな夜通し飲みまくった。僕もそれなりに飲んだけど気持ち悪くなった。

さて、次の日はバスで観光。しかも僕らのバスには校長先生が乗っていた。

校長なんて修学旅行について来ていたんだなぁ。でも、確かに「あ、ヤベェ校長だ」って誰かが言っていたのを覚えている。

それでもバスに乗り込むなり、みんなガアガアいびきをかいて寝た。共学だったが、女の子も数人はよだれを垂らして寝込んでいた。男は全員高いびき。

バスの中はかなり酒臭かったが、先生たちはもう分かっているせいか何も言わなかった。

ガイドさんだけが一生懸命「名所案内」をしていたが、みんなのいびきの方がうるさかった。ちょっと大袈裟か。

修学旅行から戻ってからも何かお咎めがあったような記憶もない。なんと平和でおおらかな時代だったんだろう。

アイルランドと酒とは密接なつながりがあるのでついついこんな告白をしてしまった。

2022年 アイルランドの旅 30

どう考えてもこの国の不思議な当たり前が、おおらかなのかあまり考えていないのか、大した事ではないのかよく分からない部分がある。

ずっと前にも書いたけど、パンの売り場に吊り下がっていたトング。どちら方向にも届かない。

ちょっと考えれば分かるはずなのに、結局みんな手で掴むしかない。

先日、瓶詰めのチリペパーを買おうと思い、売り場を見たらパウダーはあったが、僕が欲しかったフレイクの物がない。

ふと後方を見ると、さっきまで誰か店の人が働いていただろうワゴンのところに乱雑に、見るからにやりっぱなしの物が置いてあった。

それらの中に僕の欲しいフレイクの物があったので、これは多分これから棚に並べるんだろうな、と思い、しばらく誰かが来るのを待っていた。

が、一向に来る気配がない。

えい、ここから搾取してしまえ、と思い、10個ほどが一緒になっているパーケージを破って一つ手にとってみた。

すると蓋がちゃんと閉まらない。プラスティックのパカっとなるやつ。他のも手にとってみた。これもダメ。全部ダメ。

さては、それで置いてあるのかな、と思いきや、次の日、そのまま陳列されていた。

ところで、僕は使いかけの容器でちゃんとしたものを持っているので、そこから一つ拝借したが、決して「あ、一つ足りない」なんていう番長皿屋敷みたいなことにはならないだろう。

また、よくあるのが値段表。ずらっと並んでいるものの中から僕の買おうとするものだけが何故か値段が書いてない。

いくつかそのために値段を調べる機械が置いてあるが、みてみるとどれも故障中。

希花さん怒る「これ、意味無くね」

レジなどでもやたらと要領が悪い。

店員がアホなのか客がアホなのか、システムが悪いのか…いや、働いている人に対してあまり失礼なことは言えないが、どうみても一生懸命働いている様子はこれっぽちも見えないことが多い。

日本のコンビニのように、ちょっとでもレジが混みそうな気配が見えただけでも店員さんがすっ飛んでくるようなことは一切と言っていいほど無い。

結局それでも誰1人なんとも思わないことでこの国は成り立っているのかもしれない。

アメリカも「我が道を行く」だが、流石にそこまででも無いような…いや、南部とか行ったらそんな感じもあるかな?しかし、この国は全体的にそんな感じ。

2022年 アイルランドの旅 31

9月17日の土曜日は、同じCo.GalwayのPortumnaという小さな町のフェスティバルに出演するため朝からゴールウエイを出発。

コンサートは、マナスとのトリオで90分。

素晴らしい教会、小さくもなく大きすぎるわけでもない、理想的な古い教会。

到着すると音響機材の前に、にこやかな男が座っていた。今日の音響係のアイバンという人。

既に全て用意されていて、やっぱり慣れているせいか、3人がお互いを観る事ができるように、真ん中の椅子を少し後ろに、両端は少し内側に向いている。

細かい話だが、これが理想的な配置。

僕らはただ座っただけでそのまま音を出してみた。

案の定なんの問題もない。

教会の空間と、彼の作り出す音が絶妙にマッチして文句なしの素晴らしい音響だ。

コンサートは休憩なしの90分だが、70人ほどのお客さんは食い入るように楽しんでくれたようだ。

僕はそんな中、1人デューリングバンジョーを演奏。途中でMother’s Love is a BlessingとDanny Boyを挿入。

思った通り、どちらもアイルランド人の心の故郷のような歌なので、みんなが僕のバンジョーに合わせて歌っていた。

それも、教会の壁に響き渡ってこの上なくいい雰囲気に包まれた。

マナスと希花さんのツインフィドルも美しい。何もかも、僕らもお客さんも大満足のコンサートだったと確信している。

さて、終了後、主催者がこの町のどこのレストランでも使える食事券を用意してくれたので、少し寄り道してみることにした。

ここでまたアイルランドらしいことが起きる。

マナスはスープとサンドウイッチ、僕はファラフェル、希花さんはチーズバーガーを頼んだ。勿論チップスも。

飲み物は何にする?と聞かれたので僕はコーヒーを、と言ったら、、希花さんが「何か冷たいものがいいな」とつぶやいた。

お姉さん、すかさず張り切って「アイスコーヒーがあるわよ」と云う。

そこで希花さんが「あ、それにする」と言ったので「じゃ、僕もコーヒーじゃなくてアイスコーヒーにします」と言ってしばらく待っていた。

やがてアイスコーヒーが運ばれて来た。僕はちょっとトイレに行っている間に来たのだが、戻ってくると希花さんが不思議そうな顔をしている。

開口一番「火傷するからストローで飲まない方がいいよ」「え?」アイスコーヒーじゃなかったっけ。

それはなんとストローが刺さった温かいラテのような物だった。

「これ、アイスコーヒーじゃないよね」と言いながら先ほどのお姉さんをみるが、忙しそうにお客さんと話をしたり動き回ったりしている。

面白いからいつ気がつくかこのままにしておこう、と云うことになり、やがてフードが運ばれて来た。

マナスのは頼んだものズバリ。僕のはファラフェルと言えども少しスタイルの違ったラップのようなものだったが中身を見る限りファラフェルに間違いない。

そして希花さんのバーガーもラップのような形状をしている。

「これ、どう見てもバーガーじゃなくね?」と希花さん。これは言わにゃ、と「これ、バーガー?」と訊くと「あら、ごめんなさい」と言って別なテーブルに持って行き、既に出来上がっているバーガーが運ばれて来た。今度はどこから見てもれっきとしたバーガー。ま、これはレストランではたまにある事。驚きやしない。

しかし、僕らはその時点でコーヒーについて何かあるかな?と思っていたが案の定何もない。

さぁ、これはどの時点で間違えたのだろうか。興味をそそられる事案である。

氷を入れるつもりならこんなに並々作らないだろう。温かいコーヒーにストローを刺したのはなぜだろう。コップを持った時、変だと思わなかったのか?

アイルランド人の謎は深まるばかり。

どこかに「このお店のアイスコーヒーは熱いです」とか書いていないか探すがどこにも書いてはない。

結局お姉さん、最後まで気がつかなかった。しかし、感じのいいお姉さんだったし、お店もアットホームな素晴らしいところだったし、町も綺麗だったし、天気も良かったし、コンサートも素晴らしかったので、あ、それと食べ物も美味しかったので、また、ここに来ることがあったら今度はコーヒーを頼んでみよう。

何が出てくるかお楽しみだ。

2022年 アイルランドの旅 32

昨夜、大聖堂で日本からの高校生たちのブラスバンド演奏がある、と云うので出かけていった。

北海道の東川高校。調べてみると旭川から美瑛のあたりに存在するようだ。

僕らもよく行ったあたりかもしれない。

7時半からのコンサート。どうせ時間通りには始まらないだろう、と、ゆっくりピザを食べてから出かけたが、もう一杯の人で既に始まっていた。

やっぱり日本人が関わっていたからだろうか。

最初はどうやら地元の高校生、もっと小さい子もいたかな、とにかく彼らのオーケストラ。

そして、次が地元のちょっとお年寄りたちのブラスバンド。

最後が東川高校、と云う流れだったが、彼らの演奏が圧倒的に素晴らしかった。

フィナーレでダニー・ボーイの合同演奏。

先ず、お年寄りたちの演奏で入ったが、結構ホニョホニョしている。そこにサビから高校生たちが入る。

すると、それが本当に素晴らしいものになった。

元々2020年に来るはずだったと思うが、もしそうだとしたら、その夢を叶えられなかった先輩たちの分も頑張って練習して来たんだろう

比較的新しく、1965年に完成したと言われる大聖堂。そこに響き渡る彼らの演奏で気持ちの良い夜を過ごすことができた。

2022年 アイルランドの旅 33

今日は朝、歩いていて何気なしに空気の重さが違うことに気がついた。

もちろん、今日は湿気が多いとか、カラッとしているとかそういった感じは普通に分かるが、今朝の感じはとても微妙。

曇っていても少し晴れ間が出ているような天気だったが、何が違うと感じたかというと「風」だ。

決して風が吹いている天候ではなかったが、肌に当たるほんのわずかな風の重さが少し違ったような気がした。

これ、きっと雨になる、と思わずつぶやいてしまった。

それから約1時間後、しとしとと雨が降り出した。少し濡れるかな?程度の雨だったが、2時間ほどでまた曇り空に戻った。

段々デルス・ウザーラみたいになってきたかな。

この国は本当に自然豊かだし、そういう所にいると神経が研ぎ澄まされるのかもしれない。

そういえば、日本に呼んだアイルランドのミュージシャンたちは、誰もが方向感覚に異常に優れていた。

太陽の位置とか風向きで分かるんだろうか。もう船乗りの世界。

大自然の中で生まれ育った人々にとっては当たり前のことなんだろうか。

大自然の息吹を聞く力というものに優れているのかな。

聞く力といえば、恥ずかしげもなく国連本部で「聞く力」をアピールした、という我が国の首相。

ここまで来るともう………????世界の恥さらし?横でヘラヘラしていた奴も、爆睡していた奴も。

あ、いやあんまり他人のことをとやかく言うのは止めておいて、聞く耳でも持ってみようか。

2022年 アイルランドの旅 34

アイルランドに居ながらにして、どうしても日本の箸にも棒にもかからない政治家の恥さらしの記事ばかりが目につく。

いや、離れているから尚更のことかもしれないな。

大谷くんのニュースを見ている方がよっぽど身体にも心にも良い。

野球は子供の頃好きだった。父親の影響かな。ちなみに彼は大の巨人ファン。

そのせいで僕も、キャッチャーは森か藤尾、ピッチャーは高橋や伊藤、ファーストは王、セカンドは土屋、ショートは広岡、サードは長嶋、

外野は宮本や与那嶺…蚊取り線香の香り、蚊帳、トランジスターラジオから流れる中継が懐かしい。

スポーツで言えば、どうもサッカーというのはあまり好きではない。多分高校の授業で走っても走ってもなかなかゴールに届かない、なんか疲れるスポーツだなぁ、と感じたことに発するのかも知れない。

ラグビーの授業もあった。全然覚えていなかったが、ワールドカップの仕事をした頃から、お、なかなか面白いな、と思うようになった。

でもサッカーは足だけというのがなんともまどろっこしい。

バスケットもやった。こちらはスピードがあってなかなか面白いと感じた。

アメリカの3大スポーツはフットボールとバスケットと野球だろう。野球は一時期ストライキで人気を落としたが。

僕がいた頃は何と言っても49ersのジョー・モンタナだ。あちらこちらにモンタナを大統領に!などという落書きがあった。

後釜のスティーブ・ヤングも相当な人気だった。

バスケットではシャキール、ジョーダン、ジョンソン、少し後でコービーなどをよく見ていた。他にもラリー・バード、アイゼア・トーマス、ジョン・ストックトン等、そうしてみるとやっぱりスピード感あふれるバスケットをよく見ていたのかも知れない。

アメフトはルールがよくわからなくて。

プロレスは良く観ていたかな。あれ、完全にショーという感じ。

ハルク・ホーガンとかアンダーテイカー、トリプルH、ロック…挙げればきりがない。

そう言えば、中学の頃は何故かバレーボール部だった。まだ9人制の時代。

バレーボールというのも、東洋の魔女以来、女子の方が認知度が高い。少なくとも僕にとっては。

男子の方はあまりにスピードがありすぎる上に、彼らの見かけではコートが狭すぎる感がある。

もちろん女子でも2メートル近い選手、いや海外だったら2メートル超える選手もいるし、同じことかも知れないけど。

高校生になって、陸上部という選択肢もあったが、美術部に入り、それからはスポーツではなくフォークソングに打ち込んだ。

秋の夜長、大谷くんの明るいニュースから昔のことをちょっとだけ思い出してしまった。

2022年 アイルランドの旅 35

今日は珍しい人と立ち話をした。

僕がゴールウエイに頻繁に来るようになったのは2011年から。

その頃からパブ「チコリ」の前で毎日のように見かけるおじさん。

どこか、ダブリナーズのルーク・ケリーのような風貌でいつも同じところに立っていた。

一度だけ「あんたルーク・ケリーかと思ったよ」と話しかけたことがあったが、それも7~8年前かな。

そのおじさんが今日は正面から歩いてきた。

とても細い道だったので、お互い顔を合わせて何気なしに立ち止まって会話が始まった。

驚いたことにおじさん、僕よりも4歳若かった。

カーリーのかなり少ない白髪、真っ白なモジャモジャの髭。赤ら顔の、でもよくみると酔いどれおじさんではない。

それに、何かユニホームみたいなのを着て、道路に落ちたゴミを集めていた。ボランティアではなくれっきとした仕事のようだ。

70まで働いた方が年金がいいはずだ、と言いながら。

また、早くに仕事を終えるのもいいけど、せいぜい最初の1年は楽しく暮らせても、2年目からは何もやることがなくなって、3年目からはまた飲み始めて人生終わるかも知れないので、出来るだけ長く働きたい、と言っていた。

今までただの暇な飲んだくれかと思っていたが、とてもしっかり話をする人で少々驚いた。

とてもわかりやすい英語を話す人で、こういう人は外国人と話をするのが慣れている、とか、そこそこ学のある人という印象だ。

しまった。名前を訊き忘れた。

ま、どうせまた明日会うかも知れない。いや、今夜かも。

2022年 アイルランドの旅 36

ゴールウエイは今、オイスターフェスティバルの真っ最中。

街は大変なことになっている。

いつでも人で溢れているが、こういう時はもう歩くのが困難、と言えるほどの人で溢れかえる。

もうコロナの事なんかすっかり忘れてしまっている。

どこのパブも黒山の人だかり。ブラック・マウンテン・ラグだ。

通りもあちらこちら歩行者天国になっていて、道路にいっぱいテーブルが並んで、多くの人は外でビール三昧だ。

結構寒いのに。多分10度以下。

でもあちらこちらに涼しげな格好をした女の子もいるし、おしゃれした青年たちもいる。

みんなビール片手にご機嫌さんだ。

この人たちの血液はビールなんだろう。

バンドの演奏もあった。

かなりうまいアコーディオンとその姉だか妹だかのフィドル、イケイケバウロンとキーボードの女性、ギターが何故か2人。

1人の方を見てみると、シェーン・マッガンだ。いや、ポーグスではない。

確か、ミック・モロニーとフィラデルフィアかどこかで演奏した時に一緒にステージに上がっていた、結構ギタリストとして名の通っている奴だ。

彼らのご機嫌なアイリッシュチューンを聴いて、少しシェーンと話をして、夜道を歩いて帰った。

夜道、という感じではない。人がいっぱい溢れている街を後にした。

2022年 アイルランドの旅 37

9月24日。クレインバーでフランキー・ギャビンのショーを観る。

フランキーについてはここ最近、健康状態が芳しくなく、気にはなっていたが、そっとしておいてあげた方がいいかな、と思っていた。

それでも彼が精力的にあちらこちらで演奏していることを知っていたので安心していた。

そんな折、彼がすぐ近くで演奏すると聞いて、やっぱり行ってみようと思った。

会場であるクレインバーに歩いていく途中、道端でばったりフランキーと出会った。

かなり痩せていたが元気そうだった。

しばし話をして、固くハグをして「今からいくからね」と伝えたら嬉しそうに「ありがとう」と言っていた。

僕と希花は会場に入り、一番前、フランキーの正面に座った。

演奏が始まるとこれぞフランキーの世界。

健在だ。

限りなく力強い。

全く衰えていない。

フルートプレイも涙が出てくるほど美しい。

会場にはアン・コンロイ・バークも来ていた。サーカ・コステロもコーナー・コノリーも、そして勿論ショーン・ギャビンも。

横に座った3人の若者と一緒に盛り上がってギネスの奢り合いもしてしまった。

それもこれもフランキーの鬼気迫る演奏のせいだ。

最後にステージ上から「ジュンジとマレカも来てくれている」なんていうアナウンスもしてくれた。

2度のアンコールに応えての終了後、また固くハグをして別れた。

本当に来てよかった。

フランキーはまだまだ元気だ。そしてまだまだこの世界の頂点に立つ人物だ。

2022年 アイルランドの旅 38

寒い。ひたすら寒い。気温をみると11℃ということだが、風が冷たい。

朝7時半ということもあろうが、これからあと数週間したらこの時間は真っ暗でもっと寒くなるのかもしれない。

その上、雨が降ったりしたら、オノマトペで表現したら「ドヨ~ン」とした空気感、ということになるんだろうなぁ。

その寒い中、川でスイスイ泳ぐカモを見て、塀の上を歩く猫を見て、飛び回るカモメの声を聴きながら歩く。

カモメはよく空中戦を繰り広げている。

下手したら巻き込まれそうな低空までやってきて戦っている。

餌の取り合いだと思うが、始まったらしばし立ち止まっていないと危険だ。

ヒチコックの世界。

東京にいたらカラスやムクドリというのがやたらとはびこっているが、特にカラスも怖い。

カラスの撃退法で、一説によると「毎日カラスの目を見てこんにちわ、と言うと来なくなる」らしいが、調べてみるといろんなグッズが出ている。

その昔、ロンドンかどこかの空港で鳩が大量発生し、色々試した結果、シャーリー・バッシーの「Gold Finger」を大音量で流したら一目散に逃げまわり、大成功を収めた、と言う記事が新聞に載っていた。

どうやら他の音や歌ではダメだったらしい。

鳩ではうまくいったみたいけど、カラスと言うのは学習能力が日本の政治家よりも数段上だと言うことなので結構難しいらしいですね。

ところで、カラスにも効果があるのではないかと、彼女の歌を(特にシャウトの部分)収録したアルバムが発売されている、と言う話があるみたいですが、

それもカラス撃退グッズの一つなのかな。

と言うことで、今回は寒い朝に見かけた鳥たちの光景から何だか訳のわからない文章になってしまった。

今日はチキンでも食べようかな。

2022年 アイルランドの旅 39

さて、9月もとうとう終盤に差し掛かった。

日本では国葬があった。賛成でも反対でもなかったが、強行することで誰か得したんだろうか?

後の言い訳が楽しみではあるが、どうせまた爺さんが悪態をついたり、都合のいいことを言ってごまかすんだろうなぁ。

それが見え見えなのでどちらかと言うと反対、と言うことになってしまう。

普段から正直で謙虚な、且つ、透明性のある、それでいて強い姿勢の政治を行ってきたら決して…まぁ国葬までいかんでも、厳かに見送ってしかるべき事案だろう。

しかし菅さん、コロナの時も今日くらいの立派な演説をしてくれたら良かったのに。

それよりも気になるのが、毎日同じところで同じ体勢で何かを見つめているサギ。

朝ということは決まっているが、たまにはお昼近くになって現れることがある。本当にたまには、だが。

そして約3時間ほど動かない。

清流からちょっとだけ頭を出している石の上で。

時々、こちらを見るような姿勢になることもあるが、その時は首を傾げている。目が横についているせいだろうか。

試しに残り物のパンを投げてみたが、ピクリとも動かない。

しかも、パンは時々奴の頭に当たったりしているのに。

今日はほんの少しだが、冷たい雨も落ちてきている。

まるで修行僧だ。

そしていつの間にかいなくなる。

飛んでいってしまうのは仕方がないが、どのようにしてそこに現れるのかをみてみたい気がするが、それは難しい。

また、何を見ているのか、何を考えているのか、知って何になるわけでもないだろうが、知りたい気もする。

きっと何も考えていないだろう、と考えるのは楽だけど。

さぁ、あと1時間ほどで国葬とやらが終わるはずだが、どういう評価が飛び交うだろうか。

そしてサギも同じくらいの時間に何処かへ飛んでいくだろう。

2022年 アイルランドの旅 40

朝7時半。今頃はアパートの下を流れる川も水嵩がだいぶあるので、いつもサギが止まっている石も水の中。

それでも一応どんな様子か見てみようとベランダに出てみて驚いた!

初めてここでみる白鳥。それも子供連れ。優雅に2羽の大人と3羽の子供が佇んでいる、というよりも流されている。

結構水も多く、流れがあるのでスイスイと流れていった。

この街にいたら白鳥は決して珍しくないが、こんなに身近にいると、やっぱり「でかいな」と感心してしまう。

以前、北海道でお世話になった国柄さんという人が白鳥に追いかけられて必死に逃げていたけど、あれ、よく分かる。

さて、昨夜はちょっとした変化があった。

希花さんの勤め先、以前自宅にお邪魔させていただいた医学博士が取り仕切る、循環器系のカンファレンスで演奏する、という話。

世界中からその権威が集まり、中にはノーベル賞受賞者も数人。正に頭脳集団と言えるだろう。

会場はお城のようなホテル。

ちょっと嫌だなぁ、と思ったが希花さんが日頃お世話になっている人からの要望なので、僕も少しだけマシな格好をして出かけた。

午前9時頃から会議が始まったらしいが、僕らが演奏するのは、予定では7時半頃だったのが10時を回ってからになってしまった。

それだけ会議にみんな集中して止まるところを知らないくらいの意見交換がなされたんだろうな。

なのに、みんな元気に飲んでいる。

流石にパブの酔っ払いとは違う。

いろいろ予定が変わって僕らはディナーの後20分ほどの演奏を頼まれた。

希花さんは知っている人がたくさんいるけど、僕はまるで借りてきた猫だ。

昔は猫の貸し借りなんてあったんだろうか?ネズミ退治のためだったのかな。

いやいや、まぁそんな感じだったが幸運にも仕切り役の医学博士が気を使ってくれて、僕らはみんなを見渡せる少し余裕のあるテーブルにつかせてくれた。

これは非常に助かった。

みんなの様子を見ながら、彼らがいくら酔っていても、もしここで誰かが倒れたら絶対に助かるな、と思っていた。

60~70人ほど、いやそれ以上いたかな。それだけの専門医に囲まれることはあまりない。

美味しいディナーをいただいて、さて、僕が知っている医学博士ともう1人、世界のトップに君臨する75歳のプロフェッサーが希花さんを紹介し、やんやの拍手の中、

借りてきた猫も準備して演奏を始めた。

当初もうちょっと早い時間から、それもディナーの前、という予定で、僕らも「ガヤガヤしていてどうせみんな聴いていないよ」なんて思っていた。

ところがどっこい。みんな嬉しそうに足踏みし、手拍子もあって、それでも真剣に聴いている。

これってやっぱり学のある人たちだからかなぁ。

ワルツやジグ、リールなどを演奏してアンコールまでいただいて「じゃぁ希花さんが生まれる前にヒットした名曲から」と僕が、少しだけ頂いた極上のワインの勢いでアナウンスをして、エルビスのCan’t Help Falling in Love With Youから入るジグ/リールセット。

思った通りCan’t Help~ではみんなの大合唱。そして大喝采。

終わってからもいろんな人が挨拶に来てくれて、それはそれで希花さんの存在を彼らに知っていただくいい機会になっただろう。

ひとり、アメリカ生まれの女性がカーター・ファミリーやジョニー・キャッシュを知っていて、僕がカーター達と住んでいたことがあったと話したらとても喜んで、その女性とはいっぱいカントリーやブルーグラスの話をして盛り上がった。

その後、いかにも権威のありそうな博士が「これからバーで飲むぞ。行くか?」なんていってくれたけど、借りて来た猫としては早く帰りたい気持ちもあったので丁重に断った。

しかしこの人たち、朝9時から会議して、今はもう11時にもなろうとしている。それに明日だって会議があるみたいだけど。

いったいいつ寝るんだろう。貸し出された猫は早々と寝かせていただいた。

2022年 アイルランドの旅 41

もう10月だ。

9月の最終日は朝から雨と風が激しく、まるで嵐のようだったが、これぞゴールウエイの冬だ。

以前1月に来ていた時、早川さんが言っていた。「これぞ冬のゴールウエイ。今こそ外に出て思い切りアイルランドを満喫しなくちゃ」

こんな日はパブで飲むのが一番かもしれない。

そうして人々が集まって酒と会話と音楽とでこの国が成り立っている。

さて、日本のニュースを見ていたら、やっぱり値上げのことが大きく取り上げられている。

どうでもいい議員の数を減らして、残った議員の給料を少し下げれば、かなり使わなくてもいいお金が戻ってくると思うけどなぁ。

煙草吸いながら咳き込んでいる人に「煙草やめたら?」っていうくらい難しくて、なおかつ簡単な理論…なのかな。

そういえば省ちゃん、入院先でも屋上に出ては吸っていたみたいだなぁ。もちろん最初の頃。

ヨーロッパでは煙草を吸う人はかなり多いみたいけど、ここではその煙があまり気にならないのはやっぱり空気や空間のせいだろう。

日本は狭い国土に建物や人が密集している上に、あのなんともいえない重い空気で煙が必要以上にどんよりするのかもしれない。

こんな雨の日に外へ出てパブの前を歩くと、知った顔達が外で煙草を吸っているのに出くわすんだろうな。

そして「お、どうだ一杯飲むか」なんてね。

2022年 アイルランドの旅 42

昨夜、前出のフランシスからメールが入った。

すごく嬉しそうに「俺、コーラス隊に入っているんだけど、来年の5月にそれで日本に行く!初めてで、すごく楽しみ」という内容だった。

僕もすぐに「5月か、いい季節だな。もう少し早いと桜に出会えるチャンスがあったかもしれないけど、それでもいい季節だ。ところでどこへ行くのか決まったら教えてくれ。多分東京には寄るんだろうなぁ」というような返事を出した。

それからしばらくして「どうやらここに行くみたい」と言って地図を送ってきた。

それを見てすご~く驚いた。

この旅の32で書いた東川高校のある町、東川ではないか。

「え~!そんなところに行くの。それっていつもアイルランドに入国する際、どこへ行くのか聞かれるけど、Why Carlow?という言葉が返ってくる。君も試しに東川に行く、って言ってみ。きっとWhy Higashikawaって言われるよ」

と返信した。

そして大聖堂で彼らの演奏を見たことも話した。

するとフランシスはそのちょっと前に大聖堂でコーラス隊の一員として歌っていたらしい。

その時になんだかしらないけどパンフレットをもらった。そこに東川の地図が載っていた、ということ。

なんだ。多分「東川=北海道=日本」というのが彼の認識だったのかもしれない。

それくらいに初めての日本で興奮していたのかな。

でももしかしたら、先日の繋がりで東川にも行くのかもしれないし、まだディテイルは出ていないそうなのでどうなるか楽しみだ。

まさか、東川だけで帰ることもなかろう。

それならば、アイルランド国内を行くのとちっとも変わらない…ような気もする。

いや、絶対東京には寄るんだろうな。もしそうだったら人間の多さに耐えられるかなぁ。

あのパット・オコーナーはサンフランシスコで満員のバスに乗っただけで「ジュンジ、ちょっと降りたい。気持ち悪くなった」と言っていたし、

ジャックもラッシュの京浜東北線で気持ち悪くなった。

あんまりそんないらん情報は与えないほうがいいだろうなぁ。

楽しんで帰ってもらえたらそれが一番。

2022年 アイルランドの旅 43

朝からすごく良い天気の10月2日、日曜日。

今日は、アコーディオンとフィドルの夫婦デュオ、アンダースとまよさんの家に午後のひと時を過ごしに行く予定がある。

歩いても20分ほど。

2016年頃、彼らの家を訪れているが、このコラムの2015年8月、彼らに子供が産まれた、と書いている。

確かその子がまだヨチヨチ歩きだったので、それはやっぱり一年後くらいだろう。

もうすっかり大きくなって、あの時はまだいなかった下の男の子も部屋の中を元気に走り回っている。

アンダースはデンマークの産まれ。

そこで、北欧でしか手に入らない、美味しいゴートチーズを食べるか?と勧めてくれた。

チーズは好きだけど、全くの初心者でブルーチーズやゴートチーズはかなり苦手だが、彼が「ちょっとだけ」と言ってスライスしてくれた。

それが、なんというかまるで生キャラメル。

茶色いチーズで、ゴートチーズをベースにしてキャラメルを混ぜてあるらしい。これは危険なくらい美味しい。

が、デンマーク以外の土地ではまず手に入らないというから、残念やら喜んで良いのやら。(なお、最近は日本にも入ってきているらしいという噂も聞いた)

そして今度は彼が焼いたクルミのパンにそのチーズをのせて…これがまた絶品。

まよさんは美味しい緑茶を淹れてくれて「もったいないから良いよ」と言うと「いや、こういうものは分かる人に飲んでもらわないと」と言いながら、

次は彼女の作ったヨーグルトムースタルト(これ、正式な名前じゃないと思うけど、勝手に名付けました)これがまた、見かけも味も絶品。

そんな楽しいひと時に時間も忘れて4時間以上が過ぎてしまった。

ちなみに僕は、小豆を炊いて白玉粉代わりの米粉を持って行ったら、帰った後早速ぜんざいを作った、と言って写真を送ってきてくれた。

子供達とアンダースのぜんざいを前にした嬉しそうな顔がなんとも言えない写真だった。

夜になると、ブライアン・マグラーからホストの仕事が入った。

パブに向かう途中、見たことのある顔が通りの向こう側を歩いている。

マリー・マクナマラの旦那さんのケビンだ。

ちょっと立ち話をすると「マリーさんも娘のサーカもみんないるよ」と言う。

僕らは9時から。その前にアコーディオンのコナー・コノリーも交えてやっていたらしい。

しかして、みんなと顔を合わせたが、中に1人、タラケイリバンドのドラムのおじさんがいた。

僕は今までに顔を合わせて話したことはなかったが、絶対にどこかで会っているんだろう。すぐ僕の横に来て話し始めた。

「ずっと前に日本から大きな体のフィドラーがきたなぁ。知ってるか?髪の毛がモジャモジャの」

葉加瀬太郎だ。そう言えばなんかタラまで行って彼らと交流したフィルムを見たなぁ。

結局、この音楽はかなり手強い、というような結論だったのを覚えている。

おじさんは盛んに「ちょっとうるさ過ぎるか?」と言っていたが、やっぱりベテランのいい演奏家だ。周りを気にしているし、もう多分70年くらいケイリをやっているのだろう。いかにも曲の成り立ちが分かっているようで、確かにドラムというのはちょっと音が大きいけど「はい、うるさいです」なんて言えない。

アンドリューの事や、彼の家族のこと、あのエリアのミュージシャンの事などを話し合うとおじさん一言「あんた、俺より詳しいな」

今年78歳ということ。まだまだ元気で満面の笑顔が素晴らしかった。

11時にお開きになって、それから少しまた話をしながら飲んで、いや~充実した1日だった。

2022年 アイルランドの旅 44

今日はなんとなくノスタルジックな気候なので、ついつい京都の学生時代にタイムスリップしてしまった。

とは言えども、もう50数年前。10年ひと昔からすれば、5昔だ。

当時、18歳の頃、もちろん産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズでブイブイ言わせていたが、他の大学の友人も数多くいた。

中には無類のジャズ好きもかなりいた。

そこで、よく行ったジャズ喫茶を想い出してしまった。

まず、何と言っても「シアンクレール」かな。

立命館大学のすぐ近く、河原町荒神口のあたりにあったが、ここは僕の親戚(父方)の家も数軒存在していたのでよく行っていたところだ。

ここで初めてウエス・モンゴメリーの、大量の煙草の吸い殻が写真に収められたジャケットのレコードを見た気がする。

記憶が定かではない。調べれば分かることかもしれないが、覚え間違いでも迷惑のかかることでもないし、大勢に影響ないと思うので、思い出は思い出としてモヤモヤさせておくのも悪くないだろう。

マイルスのスケッチ・オブ・スペインもここだったような気がする。

音楽を聴きながら、友人たちと静かに時が流れていくのを眺めていた。

そう言えば百万遍のあたりに「カルコ」っていう店もあった。

ここはどちらかと言えば、ジャンゴなどを筆頭に30年代のスウィングなどがよくかかっていたと思う。

入った途端に別世界に来たような気がした、ということもなんとなく覚えていることの一つだ。

「やまとや」というところもあったなぁ。確か熊野神社のあたりだった。

そんなジャズ喫茶への出入りもさることながら、入り浸りという意味ではやっぱり「琥珀」かな。

ここはフォーク喫茶と言えるんだろうか。

大学時代からナターシャー初期、中期に至るまで、マスターの藤井さん夫婦に会いによく行ったものだ。

省ちゃんと楽器を持って行って弾いたり、そうだ。デビッド・グリスマンたちとジャムをしたりしたのもここだ。

アメリカンフォーク、ブリティッシュなど、フェアーポート・コンベンションやペンタングルなんかここでよく聴いていたと思う。

ブルーグラスもいっぱいあった。

あの頃はフットワークも軽く、河原町までバンジョーを持って出掛けるなんて苦でもなかった。

当時、フォークソングをやっていて「琥珀」に行かなかった人っていなかったんじゃないかな。

思い出せばもっとたくさんの事柄が出てくるのだろうけど、怒涛のごとく過ぎていった60年代後半から70年代後半まで。

良くも悪くも情報源が限られていた時代、自分の足で見つけたもの、風の噂で知ったもの、その全てが本当に価値のあるものだったような気がする。

2022年 アイルランドの旅 45

今夜、近くのパブでラテンパーティがあるらしい。

毎週水曜日ということなので、何か特別なイベントではなさそうだが、希花さんがラテン系の友人に誘われて行ってくるらしい。

きっと「テキ~ラ!」なんて言いながら大騒ぎするんだろう。

ラテン系はとことん陽気だ。ヒスパニックもそうだ。

僕はメキシコ人とは良く行動を共にしたが、あ、チリ人もペルー人もいたか。ブラジル人はあまりいなかったかな。

僕がいた頃は「ラ・バンバ」が大流行りでどこにいっても「ラ・バンバ」だった。

映画館にも観に行ったが、その時、ラテン系やヒスパニックの生徒たちを連れた先生、多分映画鑑賞会だったのか、そんな子供たちと一緒になった。

小学生だったと思う。

映画の終盤、主人公のリッチー・バレンスが死んで、その兄貴が大きな声で泣くシーンになると、女の子の大きな泣き声が響いた。

アメリカの映画館は面白い。観客の反応が少し日本とは違う。

「Platoon」を観に行った時には、いかにもベトナム人のティーンエイジャーが数人いて、あらゆるシーンで「Fu…you!」と、それも立ち上がっての大騒ぎ。

「Casualties of war」も同じく、ベトナム人の子供たちが大騒ぎしていた。

こんな映画が上映されるなんて、もうベトナムも過去の話になっているのかな、と感じたものだ。

どうだろう。さすがに命からがら家族を連れて逃げてきた世代はあんまり見かけなかったかな。

ベトナム人の同僚はいっぱい居たのでベトナム戦争の話は沢山聞いたが、それらについてはすでに「アー・ユー・オープン?」で書いているので、それはさておき、なぜこんな話になったんだろう。

あーそうだ。ラテンパーティからだ。

日本人は基本的にパーティとかあまりやらない民族ではないかと思う。もしかしたら最近は変わったかもしれないけど。

アメリカではいろんなパーティがあった。

クレズマー音楽のパーティではみんなが輪になって踊り、さしずめ盆踊りのような光景が室内で繰り広げられていた。

近くにロシアンレストランがあって、そこでも聴いたことのあるロシア民謡が流れ、年老いたカップルが沢山踊っていた。

ユダヤ教のパーティでは僕までヤマカを被らされた。簡易的な白いものだったが。

とにかく海外にいるといろんな人種との交流が盛んに行われ、そこでは興味深い話が色々聞けてそれはそれでいい経験になる。

またラテンパーティでのみんなの飲みっぷり、踊りっぷりの話を聞いてみよう。

2022年 アイルランドの旅 46

今日はめちゃアイルランドらしい天気。

気温は10℃ほどだが、体感温度は5℃ということだ。

冷たい雨が降ったと思ったら止んで、また降ってくる。かと思えば3秒ほどで止んで、まばゆいばかりの太陽が顔を出す。

その数秒後にはまた雨。

そんなことの繰り返し。

天気予報を見ると、曇り時々晴れ、時々雨、となっているがそれ以外何かありましたっけ?

どれか当たるだろう、という天気予報。

そんな中、いつもの道を歩いているとよく見かける猫が雨宿りをしている。

といえども、道端から直接ドアになっているところで見事にびしょびしょになってニャーニャー言っている。

ちょっと立ち止まるとすぐに近寄ってきて、びしょびしょの体をスリスリしてくる。

アイルランドの猫はあまり人間を怖がらない。

日本では、サッと逃げる猫の方が圧倒的に多いような気がする。

少し景色を楽しんで戻る頃には呆れるほどの青空で、また猫のいる道を通ったら今度は気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。

どうやら乾いたようだ。

しばらくしたらあれよあれよの土砂降りになった。

今、僕は室内だが、あいつどうしてるだろうか…。ありゃ、また晴れてきた。

2022年 アイルランドの旅 47

ラテンパーティはなかなかのものだったようだ。

みんなと一緒に戻ったのはもう2時半を回った頃だったらしい。

さて、素直な感想として「あれはスポーツだ」と言っていた。

わかるような気がする。

日本人以外には、スポーツも遊びも同じだ。歯を喰いしばる必要はない。

かと言って、オリンピックの選手くらいになるとそんなことはないだろうけど。

他にも、ラテン系とヒスパニックの違いなどについては、多分、日本と韓国、あるいは中国がよく区別できない外国人と同じかも、と言っていた。

確かにメキシコが北米ということも僕らの意識の中にはない。

ついつい中南米の国の一つだと思いがちだ。ただ、北米というのは地理的な区分としてなので、文化的には中南米からの影響の方が遥かに強い。

もうこの辺になるとそれなりの書物が必要になってくるが、友人たちからそんな話を聞くのも楽しいし、書物では得られない発見もあるだろう。

踊りのステップも曲調によって違うのは当たり前。

友人たちは「ほれ、サンバだ!今度はボサノバ!お、来た!タンゴだ!」というように次から次へと変わってゆくステップを教えてくれたらしい。

きっと友人たちのスパルタ教育も含めてスポーツを感じたのかもしれない。

2022年 アイルランドの旅 48

昨夜、小さなパブでユジーンと彼の奥さんに会った。

奥さんはれっきとした日本人だが、もう日本よりも海外暮らしの方が長い。

6~7年前、いつもいつも1人だった彼が「日本人のガールフレンドができた」と言っていたが、どうやらそのすぐ後に結婚したらしい。

その時の写真が傑作だ。

ゴールウェイの街を沢山の人に囲まれて練り歩く2人。

奥さんはフランス暮らしが長いらしく、今でもフランスに仕事でしょっちゅう出かけるらしい。

そうするとユジーンは1人でパブの飲み歩き。多くの場合はチコリの前で過ごす。

昨夜は奥さんが面白いことを言っていた。

寺尾聡のファンらしく「嬉しい。寺尾聡世代の人とお話しできる」もちろん彼女はそれ、ルビーの指環を聴いて育った世代、ということだ。

そこで思い出したのが「道連れは南風」のレコーディング。

当時、ルビーの指輪でブレイクした編曲家の井上鑑を迎えたレコーディングは鬼気迫るもので、あっという間に終わったものだった。

渡された楽譜はほとんど、よく政府が出してくる黒塗り状態。それくらいに音の嵐。

僕と省ちゃんとで「これ、どないなっとんのや?」と眺めていると、彼が「アコースティック・ギターは今まで通りやってください」と言う。

さて、レコーディングが始まると、独特な井上鑑の世界。ギタリストの今剛がご機嫌なリフを弾く。ドラムはずっとポン太だと思っていたが、どうやら林立夫だったらしい。パーカッションに斉藤ノブがいた、と記憶している。彼とは京都時代からなぜかよく知った仲だった。

とにかく、あっと言う間に終わったレコーディングだった。みんなが滞在した時間はセッテイング含めてせいぜい30分程度だったかと思うが。

当時の凄腕たちの恐ろしいレコーディング風景を目の当たりにした感じだ。

ところでユジーンはもうすでに出来上がっていて、同じ話をずっとしていた。約40分くらい。

例によって「一杯やるか」と言ってちゃっかり自分の分も。横から奥さんが「あんた、まだやるか!」と言いながら自分もちゃっかり一杯。

そんな風にして流石にあまり同じ話を繰り返すユジーンに「あんた、そろそろ帰るよ」

すると、残っていたビールを豪快にあおったユジーンは観念したらしく、奥さんに抱えられてフラフラ出て行った。

僕らもその後すぐ出たが、帰る方向が同じなので、少し後ろの方から気がつかれないように歩いていたら、通りの先にパブがある。

驚くことにそこへフラフラ入って行くではないか。

面白いので僕らも入ってみると、奥さんがビールを注文している「あんたがた、まだやるか!」と言うと、振り向いた奥さんが「いや、ユジーンがおしっこ我慢できなくて」と言う。

パブはちょっと大人が集まる所、と言う感じで空いていて静かだったが、中にはユジーンの知り合いが5~6人で飲んでいる。

トイレから戻ってきたユジーンが僕らを見つけると「おい、一杯どうだ」

いやいや、僕らはもう無理。

奥さん、あと1週間ほどで日本に行くので、留守の間ユジーンは「ホームアローンだ」と寂しそうに(嬉しそうに?)言っている。

どこまでも微笑ましい夫婦だ。

2022年 アイルランドの旅 49

とてつもないほどの美しい朝焼けに思わず「俺が昔、朝焼けだった頃、親父は霜焼けだった」なんて呟いてしまった。

省ちゃんと新幹線に乗った時、前の座席に松鶴家千とせさんがいたなぁ、なんてまた想い出にふけってしまったが、なんか雨が降る予感。

昼前に街へ出て買い物を済まさないと、と思い、まだ晴れている街に出た。

しばらくすると雲行きが怪しくなってポツリポツリと落ちてきた。

まぁ、これは大したことはないだろう、なんて思っていたら大間違い。

突然の豪雨になる。

それでも平気で歩いている人がいる。普通は無理。

しばし雨宿りをするが、約2~3分で雨が上がる。そして強烈な太陽が顔を出す。

そうすると見事な虹が青空にかかる。

ぽかんとして眺めているとまたポツリポツリと降ってくる。そして土砂降り。

これもすぐ止んで太陽が出る。

そしてまた素晴らしい虹だ。

その様子は「ファンの集い」のページに写真と共に掲載させてもらったが、それはそれは素晴らしい光景だった。

その昔、高中正義の「Rainbow Goblins」というのを聴いて、本まで買ったことがあったけど、やっぱり虹にはロマンがある。

この国にかかる虹は本当に美しい。

美しい虹を堪能したあと帰ってきて思わず「3時のあなた~♩」なんて口ずさんでしまった。

2022年 アイルランドの旅 50

前回の虹の話でもう一つ強烈に想い出されるものがあった。

トラボルタとニコラス・ケージの「フェイス・オフ」という映画で、Over the Rainbowが流れたシーン。

どうやらオリビア・ニュートン=ジョンの歌だったらしいが、この映画の中での最も印象深いシーンだった。

子供の頃から映画同様、映画音楽というものは相当好きだったように記憶している。

古くは、ブラザース・フォアの歌をラジオで聴いた「遥かなるアラモ」の主題歌「Green Leaves of Summer」これには深く感銘を受け、この映画を観に単身で東京まで出て行った。新幹線もない頃。まだ小学生だったかも…。

それからしばらくしてギターを手に入れ、DマイナーからDにいく独特なイントロに憧れたものだ。

映画音楽をギターで弾いてみる、という試みを盛んにやっていたのもその頃から。

「北京の55日」「酒とバラの日々」「鉄道員」「ウエスト・サイド物語」(当時は「…ストーリー」ではなかったようだ。挿入曲の「Somewhere」がギターでのお気に入りだった)

もちろんビートルズに関しては何度も何度も映画を観に行った。

「Help!」のあのタカタカタカタカっていうところ、どうやっているんだろう、なんて期待して喰い入るように観ていると、何故かそこのところだけぼかされているんだなぁ、これが。確かそんな記憶があるけど定かではない。

多くの映画音楽はかなり大規模なオーケストラで演奏されているものが多く、著名な映画音楽作曲家などの素晴らしい楽曲とアレンジだったので、それらをギターで弾く、ということにかなりの喜びを感じていた。

「禁じられた遊び」というのはすでに映画音楽というよりもギター曲だったのかな。

そういえば「栄光への脱出」という映画の音楽も素晴らしかった。

「ティファニーで朝食を」はもちろんムーン・リバーだ。

まだまだ思い出してみるといろんな素晴らしい作品があるはずだ。

しかし、邦画というものはほとんど観なかった。山本五十六の映画を子供の頃父と行ったくらいか。

あとは「銀座の恋の物語」っていうの観たな。

あれでオクターブの音が出ない卓上ピアノが売れた?って…そんな話はないよね。

多分、洋画=音楽、というつながりで必然的に洋画に惹かれていったんだと思う。

2022年 アイルランドの旅 51

さて、あと2週間になった。

今年は音楽、というよりも生活をゆっくり楽しんだ感がある。

もちろん、フィークルではまたまたアンドリューとお揃いのシャツで盛り上がったし、新しい出会いもあり、素晴らしい音楽とも巡り会えた。

ラジオでは朝も夕方も夜もゲール語の放送局でいろんなものが流れる。

マイケル・コールマンのバリナスロー・フェアのセットが始まりの合図で、あらゆるアイリッシュ・ミュージックを新旧おりまぜて聴く事ができる。

中には思わず一緒になって木曽節を歌いたくなるくらいによく似た歌もあるし…あ、今、まるで「あんたがたどこさ」にそっくりなのが流れている。

それはともかく、今の誰だったんだろう?という疑問が湧くと解説をよく聞く。

ゲール語なのでわからないが、人の名前は分かる。もちろん分からないこともある。

もう一度聴きたくなったら、すぐに探す。

今、ケビン・バークって言ったよなぁ。じゃ、ケビン・バークのアルバムを探ってみたら入っているんじゃないか、とか、曲目からも探す事ができる。

どの楽器がメインだったか、という事からも探しだす事ができる。

そうして、いろんな人のいろんなスタイルの演奏を聴いたり、新しい曲を聴いたり…これは日本ではなかなかできない事だ。

勿論、ユーチューブで見たり、CDをかけたり、ということはできるが、普通に生活の中に入ってくる形ではなかなかない事だ。

もし仮に、終戦くらいからずっと、一日の家庭の団欒には必ず、日本民謡や童謡などが何時間も流れていたら、そういう文化が日本の至る所に残っていただろうか。

やっぱり敗戦とともに、日本は独自の文化に目を背けてきたのかな。

コロナの最中(いや、まだ終わったわけではないけど)100年も続いた三味線屋さんが閉めた、とかいう話を聞いた時、なぜ、政府がこういうところを大切にしないのかなぁ、と思ったものだ。

アイルランドではミュージシャンに対しての補助がすごく良かったらしいが、ま、確かに人口も違うしな。

僕も貰うものはもらったし、あまり政府を批判できないけど、それにしても彼らがあまりに贅沢しているみたいだし、それならもらわにゃ損だ、と考えただけだ。

その上で、やっぱり日本古来の文化などにはもうちょっと目を向けてもいいんではないかな、と素朴に思ったりする。

少なくとも、音楽という文化をこの国では非常に大切にしているようだ。

さて、あと2週間という事で2週間後、世界はどうなっているだろう。

ロシアはさらなる恐怖を駆り立てるような攻撃をするんだろうか。東京の上を北のミサイルが飛ぶようになるんだろうか。

誠に遺憾で決して許される行為ではなく、最も強い言葉で非難する…って僕にも言えますが。

国連でもワークしない位だから、名もなき日本の「聞く耳を持っているらしい人」が何か言ったところで、この人の言うことには誰も聞く耳を持てないだろう。

コロナのあとは戦争って予想もつかなかったけど、またノストラダムスの研究者が何か言ってくるかな。

あ、そうだ。日本は地震も怖い。

ここにいたらその心配は全くないので、また日本で揺れたら怖いだろうな。

マスクも3ヶ月間つけていないので付け方を忘れたんじゃないかな。確か、あの紐は耳に引っ掛けるはずだった、なんてね。

そうか。あの人のは「聞く耳」ではなく、単にマスクを引っ掛ける為の耳か。納得。

2022年 アイルランドの旅 52

今晩は5時くらいから10時くらいまで、2カ所のパブでセッションが入っている。

晩御飯を食べる時間がないので、パンを焼くことにした。

4時頃にでも済ませば健康的なんだろうが、ギネスを飲みながらの演奏だと戻ってきてから何か食べたくなる。

これが健康に良くない、ということはわかっていても「分かっちゃいるけどやめられない」スーダラ節だ。

パンといえばこちらでポピュラーなソーダブレッドは安いものだったら、毎食パンにしても食べきるのに5日ほどかかるくらいの大きさで100円前後。

日本のように「フワフワモチモチ」で少し甘いパンは無い。

僕は結構、ゴツゴツとした、それでいて中はちょっとしっとりしているソーダブレッドが好きだ。

やっぱりパン文化だし、味も安定している。

それならば苦労して自分で作るより買ってきた方が早いかもしれないし、ある程度の味は保証できるし…と思いつつも、作る工程というものも楽しい。

ところで、陳列してあるパンの賞味期限が意外と短い。これ明日までだけど?なんていうのがいっぱいある。

賞味期限というものにあまり興味がないのもアイルランド人の特徴かも。

手に取ったものを何も躊躇せずカゴに入れている。その横で一生懸命に賞味期限を見るのが変に感じる。

牛乳もそうだ。

日本は食料品が高いので、ある程度持たせないと、という感覚からどうしても賞味期限の長いものを求めてしまう…のかな?

付け合わせにチーズも購入しておいた。

珍しく目についたフェタチーズを買ってみた。200グラムで1ユーロ。

ならば「やっぱりあかん」ということになっても損では無いか、と考えたが、まだ食べていないので分からない。

本当にチーズを始め、乳製品の安さは驚愕だ。

日本に帰ったら少し控えなくては。どっちみち、そうおいそれと買える値段でもないし大丈夫か。

2022年 アイルランドの旅 53

セッションはどちらも比較的静かなバーで充分音楽を楽しむことができた。

先ずはこちらでずっとセッションホストを務めているアンダースとまよさんと共に。

アンダースのアコーディオンは力強く、エンターティメント性に満ち溢れたものだ。

マヨさんのフィドルも長年ここでやっているだけに力強い。

2人の息はぴったりだ。

偶然、横に座ったグループはアメリカからの人達なので、僕も持っていったバンジョーで少しブルーグラスやオールドタイムをサービスした。

知らないおじさんがギネスをおごってくれたのでありがたく頂戴した。

希花さんもハーフパイントをご馳走になっていた。

そして、次なるセッションは、バンジョーのブライアン・マグラーとバウロンのダミアン・クイン。

ダミアンはリバーダンスで2000年に日本に来ているらしい。

ブライアンについてはもう散々語っているので必要ないが、アイルランドでもトップクラスのバンジョー弾きで、ピアニストだ。

ダミアンの奥さんかな?女性が歌も歌ってくれた。

サリーガーデンやシューラルーなど、僕がギターで伴奏をつけた。

ダミアンが喜んでパイントをご馳走してくれる。

さらに盛り上がって、またもう一杯どうだ、とやっぱりアイリッシュだ。

希花さんの前にもハーフパイントが運ばれている。

これはもう断りようがないが、ブライアンもこれから車で帰るはずなのに、みたところ相当飲んでいるようだ。でもなんら変わりない。

素晴らしいバンジョープレイを聴かせてくれる。

一体、どんな肝臓をしているんだろう。

希花さんは、今のところ心臓をメインに見ているが、是非彼らの肝臓を見てもらいたいものだ。

ところで、フェタチーズを食べてみた。

感想としては、わざわざ買わなくてもいいかな、というところ。チーズに詳しい人からみればもっての外の感想だろうが。

そんなに食べにくくもなかったけど、日本ではこのサイズのものが2000円もするらしいし、こちらで100円くらいのものを絶対に買うことはない。

帰ったらこちらで高額な納豆でも食べておこう。

2022年 アイルランドの旅 54

10月15(土)と次の日16日は怒涛のごとく忙しかった2日間だった。

先ず、マナス・マグワイアーと落ち合い、ギャリー・オブリエンのスタジオへ。

ここへは7年前(2015年1月)にエアージャパンの録音で来ている。

ギャリーはベテランのミュージシャン。スカイラークやボタンズ・アンド・ボウズのメンバーとしてもかなり名の通った人だ。

ちょっとの間体調を崩していたので心配していたが、以前に比べて少し痩せているだけで健康そうに見えた。

ギャリーとマナスとは長年一緒にやってきているので、気心も知れているし、最近では希花さんもこのトリオでステージをこなしているので、

あれよあれよというまに済んでいく。

5時間ほどで6トラックが終了。そう悪くないペースだ。

また来週集まってあと5~6曲入れてみる。それからギャリーが色々味付けをしてくれることになっている。

終了後、マナスの家に宿泊することになっているが、その前に腹ごしらえ。

マナスの家の近所でパブフードを食べることにした。

3人とも同じもの、ハンバーガーでグレイビーソース付きというものにしたが、注文したものが運ばれてきて驚愕だった。

ハンバーガーというよりはとことん分厚いハンバーグステーキ。そこに大量のマッシュポテトがこれでもかというくらいのグレイビーソースをまとって乗っかっているが、それだけではない。

別なお皿にまたまたこれでもかというくらいのマッシュポテトと、多分冷凍物のコーンと人参のよくあるものがどっさり。

またまたそれだけではない。

別なお皿に山盛りのフライドポテト。おいおい、だ。これ、間違いなく一人分?

こんなの無理だろう、と思っていたらマナスが全部平らげていた。

しかも、近所なので大丈夫だと言ってパイントのギネスまで飲んだ後だ。

あ、忘れていた。僕は事もあろうにクラムチャウダーまで頼んでいたんだっけ。そこについてきたソーダブレッドのでかいこと。いや、分厚かったこと。

これ、多分日本だったら一切れ1000円くらい、なんて思いながら食べていた矢先に運ばれてきたハンバーガーだったのでなおさら驚いたのだ。

マナスもなんかシュリンプのアペタイザーを頼んでいたっけ。

あ~それなのに、それなのに、というところだ。

やはり体の作りが違うのだろうか。

後ろの席にいた、まだ小学校にも通っていない子供達もキッズメニューからハンバーガーを食べている。

正直、僕と希花さんはあれでじゅうぶん。特に希花さんは。

流石の僕も分厚いソーダブレッド一枚と(2枚付きだった)フライドポテトを半分くらい箱に入れてもらった。

2022年 アイルランドの旅 55

16日の日曜日。

この日はマリー・マクナマラの本が出版されたことを祝って、フィークルで地元のミュージシャンみんなで集まろう、という催しものがあった。

マリーさんの娘でフィドラーのサーカ・コステロから「ぜひあんた達も来てよ。マナスも連れてきて」というノリで言われていたので、マナスの家からも近いフィークルに3人で出かけていった。

もちろんお姉ちゃんのマリーさんはアンドリューにも「あんたも来なさい」と言っているんだろうなぁ。

セッションは驚くほど静かで、マリーさんの横にはアイリーン・オブライエンがいて、本当に落ち着いた音楽だった。

そこでしばし張り詰めた素晴らしい音楽を聴いて、マリーさんが「今から大部屋に移ってみんなで楽しみましょう」とアナウンス。

いつものフェスティバルとは違って、地元の人たちの寄り集まり。

ジョン・ノクトンの孫娘達もコンサーティナを弾く。

そんな風に誰それの孫とか息子、娘達がまだまだ10代前半だが、こういう演奏を聴いて育っていく。

これは下手に日本人が「アイリッシュミュージック、楽しい」なんてやっていられない、というシーンだ。

ここまでのものを見てしまうと、これが生活そのものだということがわかってしまう。もちろんわかっていたことなので、あらためて、という方がいいのかな。

たまにこういう世界を垣間見ないと、この音楽をやる意味がないかも知れない。

4時間ほどみんなとお喋りしたり、演奏を楽しんだ後、エニスに向かった。マナスとはまた来週。

今晩はアンドリューと3人でセッション。

これがまた、運よく、と言っていいのか、終始3人だけだったのでとことん好きにできた。

僕らの周りに、本当にこの音楽、そしてギネスで育ったらしいそこそこのお年寄りが集まってきて、みんな嬉しそうに聴いている。

アンドリューもフェスティバルのような大爆発はしなかったが、なんか気心が知れているからか、いつもより演奏が早いような感じがした。

大きなセッションではあれだけ爆発していても多少はみんなのペースに合わせているのかも知れない。

そこにきてこの3人なら全然お構いなし、なんだろう。いかに好きにやっても問題なく合わせてくれる、という感じだ。

とてもいいセッションを展開することができたし、とても意義深い1日だった。

2022年 アイルランドの旅 56

ゴールウェイに戻る朝、またしてもエニスの駅に素晴らしい虹がかかった。

かなり寒い。小雨というか雫が風に吹かれて飛んでくるような、それでいて時折青空が出る絶好の虹日和だ。

それにしても風が強い。

ここに来て始めてくらいの風の強さだ。

ゴールウェイについてからもそれは変わりなく、さらに凍えるほどの寒さだ。

少し買い物をしなくちゃ、と思い、街へ出た。

ここは観光客が多く、通称、ショップストリートと呼ばれるところはいつでも人がいっぱいだ。

みんなすごく寒そうにしている。

そんな中、正面から見たことがあるような顔が歩いてきた。

すれ違いながら、エンダ・スカヒルじゃないかな?という疑問が湧いたが、いや、よくいる顔でもあるかな?という思いで通り過ぎた。

20分ほどで買い物を済ませて歩いていると、さっきの男がクロワッサンか何かを食べながら歩いてくる。

今度は人通りも少なかったので、思い切って声をかけてみた。

「もし間違っていたら申し訳ないけど、エンダ・スカヒル?」すると彼は「Yes,I am」と言った。

やっぱりそうだった。

彼とは2001年か2年か、ロングフォードのバンジョーフェスティバルで出会っているが、確かその時ぐらいがWe Banjo 3の初お目見えくらいだったかも知れない。

そしてその時はアリソン・ブラウンやピート・ワーニック、ビル・キースなど、錚々たるブルーグラス・バンジョープレイヤー達と一緒だったので、ほとんど話はしていなかった。

彼はまたマナス・マグワイアーとも組んでやっていたこともあるし、向こうも「そうか。マナスも長いこと会っていないからよろしく伝えてくれ」と言って

去っていった。

エンダ・スカヒル。素晴らしいバンジョー弾きで、なかなかの好青年だ。

2022年 アイルランドの旅 57

寒い、ひたすら寒い。それに朝8時近くになってもまだ暗い。

後、数日でサマータイムも終わるが、こんな時間は日本の真夜中のようになるし、もっと寒くなるだろう。

今頃、日本は秋かな?

そんな中、昨夜は近くのバーでスパニッシュのグループが演奏をする、というので聴きに行った。

夜9時。かなり寒くて少し雨も降っているかな?という天気の中、またしても若い女の子たちが「これから泳ぎに行くんか?」みたいな格好でたむろしている。

一体、身体の造りはどうなっているんだろう。

それはともかく、ただ、バーに入り、ギネスをオーダーして空いているところに座ればいい。別に何も飲まなくてもいいのだが、やっぱりなんか飲みながら聴きたい。

でもこれ、はたしてギネスだろうか。

因みにここでは木曜日にアイリッシュのセッションがあり、僕らもたまにホストを務めている。

飲むだけの客たちと少し離れた小部屋でなかなかいい音楽スポットだ。

今日のバンドは、ギター2人、クラリネットとフルートがそれぞれ1人ずつ。そこに歌と手拍子の男がいる。

驚きなのが、その手拍子だ。パルマというのかな。

カスタネットのような音がしているが、手の中には何も持っていない。それでもやたらといい音がしている。

手の造りが違うんだろうか?練習したらあんな音になるんだろうか?

ギターの人たちもパコ・デ・ルシアなんかを散々聴いて育っているんだろうな。

バンドとしてのレベルもなかなかのものだ。

後ろに立って飲んでいるグループはスペイン語で話している。

たまにはこういう場所でゆっくり飲みながらこういう音楽に浸るのもいいかも知れない。

日本でこういう感じの場所ってあるのかな。

まず、ビールが安い。バンドのチャージも取らない。音楽はかなりレベルが高い。

3~4軒先のバーではアイリッシュのセッション。その先では弾き語り。その先ではカントリー。ブルースも聞こえてくる。

それがほとんど毎日。

フラッと入ってビールを飲みながら、周りにいる連中を観察しながら音楽を楽しむ。

これがまた面白い。

あいつら、どこの国の言葉で話しているんだろう、とか、あいつビン・ディーゼルにそっくり、とか。

みんなそれぞれに楽しんでいる。

そんな人々の笑顔に囲まれていると、戦争なんかが起きていることが本当に馬鹿馬鹿しいことだと改めて思ってしまう。

この小さなバーのように多くの民族が喜びを分かち合える世の中になってほしいものだ。

2022年 アイルランドの旅 58

昨夜は7時頃から急に雨が降り出したかと思ったら、空が急に明るくなった。雷だ。

しばらくの間とてつもない強さの雨と雷。雷は割と早く済んだが、雨は結構勢いが良く2~3時間は続いたようだ。

こんな日に外に出る用事がなくてラッキーだった。

なんか恵那山の夜行登山を想い出す。

しかしめちゃくちゃな事をやらされていたもんだ。初めて稲妻が横に走るのを見た(と思う)

慌てて金属系のものを体から離して雷が遠ざかるのを土砂降りの雨の中で待った(と思う)

あんまり記憶も定かでないけど、とても怖かったのはよく覚えている。

それはまるでブレンダン・べグリーの小舟による大西洋夜行航海に似ている。めちゃくちゃな事をやらされている、という意味では。

さて、一夜明けて今日はものすごくいい天気。

夜にはブライアン・マグラーと、先日出会った静かなバウロンのおじさん(多分僕より全然若い)との4人で演奏がある。

先日、スパニッシュを聴きに行ったバー、天気は持ちそうだ。

ブライアンのバンジョーは流石だ。

静かな場所で、4人だけだったので素晴らしいバンジョープレイがとてもよく聞こえる。

バウロンもとてもいい。

このバウロンのおじさん。すごく大きな声で喋る。体もデカいしそういうもんかな?と思いきや、ジャックは声が小さい。

おじさん(因みに名前はダミアン・クイン)に「デカい声だね」と言ったら面白い答えが返ってきた。

「俺の生まれ育ったところは周りに何にもないところで、隣の家とも何百メートルも離れているから自然と声がデカくなる」

というような事。

ダミアンは酔う前なら比較的わかりやすいが、酔ってくると何を言っているのかさっぱり解らない。

しかし、希花さんはこんな患者の相手をいっぱいしてきたのでだんだん解るようになってきたらしい。

彼のバウロンプレイは実にいい。

あれだけの声を持って、あのデカい体なのに、なぜあんなに静かに叩けるんだろう。

飲みっぷりも流石なもの。

彼と一緒にいると「もう結構です」ときっぱり断らないと嬉しそうな顔をしていくらでもギネスを運んでくる。

その表情はまるで子供のようだ。100kgくらいの子供。

なんとか2パイントで抑えることができたが、これから帰るまでの間にまた彼に会うことになっている。

くわばらくわばら。

2022年 アイルランドの旅 59

いよいよゴールウェイ最終日。

明日はダブリンに向かう。

そんな中、すごいニュースが飛び込んできた。

チコリの22周年記念イベントで、なんとあの伝説のバンド(僕にとっての)At The Racket が3時から演奏をするらしい。

しかも入場無料。

ギネスを飲みながらダミアンと聴いていれば良いのだろうけど、すごい人だろうなぁ。

しかもパブだし。

このバンドはサキソフォンの入ったとてもユニークなもので、よくデイル・ラスの家で聴いていた。

ギャリー・オブリエンも参加していたことがあった。

また知った顔にいっぱい会うんだろうな。

そういえば、昨日、夕方に通りかかったパブからアコーディオンの音が聞こえてきたので、ちょっとのぞいてみたら、ダーモットがいた。

もうかれこれ8年も前によくつるんでいた、ロングネックバンジョーで歌を歌い、アンドリューからアコーディオンを習っている、という奴だ。

向こうもびっくりしていた。8年だ。

元気そうにしていたので、今回はもう帰るし、また次に来た時会おう、という約束をして別れた。

ゴールウェイは小さな街だ。その小さな街にかなりの数のミュージシャン、そして凄腕のミュージシャンがひしめき合っている。

2022年 アイルランドの旅 60 最終回

3ヶ月、今までで一番長かったのか、いや、2014年に6月の半ばから9月半ばまで約3ヶ月来ている。

この年は晴れて医師免許を獲得した希花さんが本気ではじけた年だったのかも。

僕の方は今思うとここまでの10年、まだ身体は若かったような気もするが、ここ数年で移動がしんどいと感じるようになってきた。

どこかが痛いとか、本当に疲れがひどい、とかそういうのではなく、やっぱり気分的なことかも。

この2年、もう3年と言えるくらいの間、みなさんもそうだと思うけどいろんなことを考えさせられた。

そしてここにきて世界がこんな状態。

ほとんどの国のトップが利己主義で、あるやつはミサイルのことしか頭にない素っ頓狂だし、あるやつは自分のところが一番、と思って侵略の機会を北京ダックかなんか喰いながら狙っているし、あるやつに至っては自分の犯した罪を全て人のせいにしているし、もう亡くなってしまった人の名前を呼んでいた大統領もいたし、彼らの低レベルな思考回路のせいで一体これから世界はどうなっていくんだろう。

そういえば、俺がいたら世界はこんな風にならなかった、と豪語する元大統領もいるなぁ。

そこにきて日本だが。

昭和初期からの考え方しか持てない年寄りが幅を利かせているようでは未来はあったもんじゃない。

他人の未来まで平気で無視しているような奴らが全てを頭打ちにしている。

見ざる言わざる聞かざる政権ではどうしようもない。

おかしなYouTuberなんか立候補させている制度もいい加減にしてほしいものだ。

考えりゃわかるだろう!という事柄が多すぎる。

見ざる言わざる聞かざる、に加えて「考えざる」というのが…ありゃ、これじゃぁ猿が考えているみたい。でもその程度だから良いのか。

あ、そんなに他人の事ばかり言っていても自分はどうなんだ、というところに返ってきそうなので、そろそろやめておかなくちゃ。

3年ぶりのアイルランド。

空気が相変わらず澄んでいた。

毎日、川の流れる音を聞き、飛び交う鳥を見て、雨と晴れの合間にかかる大きな虹を見て、緑に囲まれていた生活。

それは一旦2019年を境に途切れてしまったけど、今回もそんなに変わりなかったように思う。

ところでAt The Racket はやっぱり素晴らしかった。彼らの音楽はとことん楽しい。

そしていろんな人に会えたし、ユジーンに嫌という程飲まされたし、ダミアンも相変わらず大きな声だったし、ジョニー・オグ・コノリーもいたし、かなこちゃんと子供達も元気だったし、ゴールウェイ最後にふさわしい夜になった。

みんなしばしの別れ。もうヘロヘロで何を書いているのかわからない状態だけど、とにかくこの旅も素晴らしいものになった。

また来年、今度こそは2023年アイルランドの旅というものが普通に書けるといいな。