Mareka&Junji with Edel Fox

11月4日、名古屋に向かう。今日から3日間、アイルランド大使館の招聘による若手コンサルティーナ奏者、イデル・フォックスと行動を共にする。

彼女とは2012年の7月18日から19日にかけて、リムリックで会っている。あの時はフィドラーのジェリー・オコーナーやゾーイ・コンウェイ等と共に演奏した。彼女はほとんど喋っていたが。

果たして、今回も本当によく喋った。非常に明るくて周りの人をうきうきさせる好人物だ。

名古屋ではワーク・ショップをやってもらったが、名古屋在住のギタリスト兼フィドラーの山内さんにお世話になり主催していただいた。

おかげさまで10人ほどの人達がコンサルティーナやフィドル、フルートなどを持って足を運んでくれて、いいセッションもできた。

会場として使わせていただいたアイリッシュ・パブ「シャムロック」の皆さん、そしてお忙しい中を来ていただいた皆さんに感謝します。

 

11月5日、お馴染みのたけちゃんと岡崎に向かう。例の「手風琴のしらべ」の備前屋にイデルを連れて行った。

ここにはコーマックも来ているんだ、と説明しながらひとつ試食してもらったら、すごく美味しいと言って喜んでくれた。

多くの場合、白人種はあんこというものが苦手なはずだが、この人は性格的にもとても明るくて、いろんなものを受け入れる器があるのかも知れない。

岡崎は深谷君と彼の仲間たちが主催してくれた。

会場いっぱいにイデルのコンサルティーナと話し声が響く。

今回はアイリッシュ・ミュージックとしての会だが、僕もバンジョーを弾き、イデルにも日本民謡に参加してもらった。ダブル・コンサルティーナによる“サンディズ・ウェル”も美しい音色でイデルも楽しんでいたようだ。

岡崎のコンサートに来ていただいたみなさん、どうもありがとうございました。イデル・フォックスは間違いなくこれからアイリッシュ・ミュージックの伝統を引き継いでいく一人となっていくことでしょう。

いや、アイルランドではすでに高名な演奏家です。そんな彼女の演奏を生で聴いていただいたことを嬉しく思います。

 

11月6日、大阪は今富君のお店「オッピドム」に向かう。たけちゃんとイデルとは全く話が通じていないのに、もうすっかり打ち解けている。

刈谷のインターで「デラックス・トイレ」なるものを見せてもらったイデルも「今晩ここに泊まれる!」と感激していた。

例によって道中喋りっぱなし。いい英語の訓練にはなる。

それでも、フランキーとアレックのアルバムの話や、パディ・オブライエン、ジェームス・ケリー、ダヒ・スプロールのアルバムの話に華が咲き、それぞれが僕らにとってバイブルだ、というようなこと、その他のトラッド録音の話など、いい話がいっぱいできた。日本で自称アイリッシュ・ミュージシャンとしてあちこちで演奏している一部の人たちとは決して成り立たない会話だ。

オッピドムに到着すると“オッピー”今富君がいつもの笑顔で出迎えてくれる。サウンド・チェックもすぐに終わり木内君がバンジョーを持って駆けつけてくれ、いつものようにスタート。

もうイデルともサウンドがタイトになってきたようで、この次アイルランドに行ったら、また一緒に仕事ができそうだ。

また、この日の大きな収穫のひとつに、大谷大学と京都大学、あと神戸大学の人もいたと思うが、彼らのブルーグラスが聴けたことがある。そして彼らと一緒に演奏できたこと。(ケンタッキー食う寝ルズだったかな)なんと、イデルまでのりに乗ってブルーグラス・チューンを演奏する。

僕は本当にブルーグラス畑の若者たちが大好きだ。一生懸命になって他の人の演奏に聴き入るその姿は、アイリッシュもやります、あるいはアイリッシュをやっています、という人達からは感じることができないくらい、真剣で大らかなのだ。

もしかしたら今富君の人徳かもしれない。ここに集まる人たちの中には金子鉄心さんのような素晴らしい人もいるし。

オッピドムは僕らにとっても貴重な場所だ。いつも台所で働いてくれる平岩さんも、超貴重な人だ。

来ていただいた皆さんにも感謝します。

イデルとはここでお別れ。彼女は京都へ、僕らは四国へ行く。彼女はどこへ行ってもみんなから好かれ、交通費出すからまた来てよ、という人まで現れた。

また、実現させたいと思っている。

 

2014年10月25日(土) 阿佐ヶ谷 バルト

この日の阿佐ヶ谷では、ジャズ・フェスティバルなるものが開催されており、あちこちからジャズが流れていた。

人通りも多く、大変な日に来てしまったなぁ、と思ったが、なんとなく町自体が盛り上がっている雰囲気で、それはそれで悪くはないし、天気も上々だし、そういえばLast Guitarの店主である小山さん(長い知り合いでギターのことではいろいろお世話になっている)も、どこかで演奏しているはずだ、などと思いながらバルトへの道を歩いた。

お店では横澤さんが音響の用意をしてくれていた。森谷君は今夜の料理作りに没頭している。この人、本当に料理が好きなんだろう。

さて、今日はいつものアイリッシュと趣向を変えて、フォークソング中心の会を考えていた。

しかも1部は全てバンジョーで。

自作Opus24から青春の光と影、そしてグッド・タイム・チャーリー。さらにジョン・ヘンリーまで。オープンCチューニングで音の深みを得るように弾いてみた。

初めてバンジョーを持って弾いた曲はブラザース・フォァー・バージョンの500マイルだった。なんてことないフレーズだが、当時の僕にとってはバンジョーの音色の代名詞のようなフレーズだった。そこで500マイルを。続いて3つの箱。もともとキングストン・トリオのI’m Going HomeやThis Little Lightなどをソースにして作った曲なので、これもバンジョーで歌った。

そして、少しだけアイルランドの話から希花さんに登場していただいて、どだればち。今回は有名な歌Foggy Dewを挿入させるパターンで歌った。これはアイルランドでパディ・キーナンとやったバージョンだ。

そして最後に自作曲「メモリー」

2部はハープのイントロから「山と川」をみんなと一緒に。そして「初恋/Down By the Sally Gardens」

そして「力を合わせて」今回は坂庭君の作曲ということを考慮に入れて高めのキーで歌った。そのままDa Slocket Lightへ。作者はTom Anderson 聞いた話によると、彼の生まれた村の灯りが彼の妻の死、そして時代と共に少しづつ消えていく…そんな淋しい光景から創り出された曲、と言われている。

そして珍しく「イムジン川」を歌った。希花さんがこういう歌をみんな一緒になって歌った時代があった、などということを知らないので、この際みんなで一緒に歌ってもらった。

それでも彼女の弟が少し変わった人物で、なぜか高石ともや、ピート・シーガーなる名前からグレイトフル・デッドまで知っている若者なのだ。

多分に大学の先生の影響らしいが、ベトナム語学科というところも非常に変わっている。そんなこんなで少し当時の反戦歌の話などで盛り上がったが、僕はどちらかというと、そういった運動よりも音楽のほうに傾倒していたので、あの時代に“共に闘おう”というような意識はさほどなかったかもしれない。それでも熱い時代だったことはよく覚えている。

そして北山さん繋がりで「雨に消えた音楽会」そのままJim Donoghue/ Road to Cashel/Neck Berryのリール・セットへ。

突然の僕からのリクエストで希花さんのコンサルティーナで、Boys of Ballysodare/Sean Sa Ceoを。不思議なことに日本でコンサルティーナを弾いている人たちの中から、こういったご機嫌なリールを聴けるシーンに出会ったことはまず無い。

その後はGoin’ Gone/Sunday’s Well/海の嵐/Water is Wideまで、歌と演奏をメドレーでつなげてみた。

その後Jim CroceのTime in a Bottle。 人生の切なさ、そして共に過ごす人の大切さをしみじみと歌った名曲だ。

最後に「朝の雨」そして、そのままThrough The Wood/Mamma’s Petで静かに。

アンコールにお応えして「疲れた靴」をみんなで一緒に歌っておわり。

打ち上げではいつものように森谷君の美味しいお料理が盛り沢山。楽しいお話も盛り沢山。

気持ちのいい一日を過ごさせていただきました。

一緒に歌っていただいたみなさん、どうもありがとう。森谷君、横澤さん、どうもありがとう。

2014年10月18日 三島

三島はいつもの有馬次郎君の主催で行われたコンサート。静岡に近い、ということで、静岡でのコンサートの主催者、岩堀君も駆けつけてくれた。

それに今回は初代ナターシャ・セブンのマンドリン弾き、金海たかひろ君もマンドリン片手に来てくれた。

マンドリンはいいなぁ。小さくて。

PAはいつもの櫻井君。音響は大変だなぁ。重たくて。いや、金海君は重たいが…。何はともあれ、いつものように沢山の人がお手伝いをしてくれて無事開演。

先ずいつもの三島Giggleの村松君率いるメンバーがポルカで会場をわかせてくれた。そしてジグのセット。真面目に音楽に取り組んでいる彼らの姿がとても好きだ。

僕らはその後を継いでIsland of Woods/Coccinelleのアイルランドでも人気の高かったセットでスタート。

櫻井君はさすがにギター作りの名職人だけあって、音に対してかなり繊細な神経を持っている。良質のアコースティック・ギターを作る鋭い感性で音響を担当してくれるので、とても信頼がおける。

1部の最後はFather O’Flynn(Top of the Cork Road)/Crankin’ Out(JerryHolland)/Tommy’s Tarbukas(Alasdair Fraiser)/Crooked Road to Dublin(Coleman)のセットで希花さんに爆発していただいた。

若くなければ到底弾けないくらいのすごい爆発だが、こういう曲をよく若い人たちが、飛び跳ねて手拍子を強要しながら見るからに楽しく見せかけて弾くことがある。

それはそれでイベント好きにはいいのかもしれないが、そういう人たちはトラッドでもなんでもイベントにしてしまう。

僕にとってはとても恥ずべきことにしか思えない。

2部に入って、ここで金海君の登場となる。Day Break In Dixieで往年のプレイを堪能させてくれる。僕もバンジョーで必死に頑張った…つもり。

そしてそのまま「陽の当たる道」を唄う。更に懐かしい人にはたまらないだろう名曲Night Walkを2人とも久しぶりに弾いた。彼も、僕が突然お願いしたので、一生懸命練習してきたそうだ。

大学時代から、いや高校時代からの彼ともナターシャー時代の彼ともまた違った、渋いプレイを聞かせてくれた金海君に感謝だ。

そして希花さんも加わって3人でフォギー・マウンテン・ブレークダウン。

そのまま希花さんのハープ・ソロ。数曲やって最後にまたギグルの面々とセッション。アンコールはEaster Snow/Road to Errogie(Adam Sutherland)のセットで静かに終えた。

コンサートが終えて、多くの初めて聴いた方たちから涙がこぼれた、なんていうお話をいただいたのはとても嬉しかった。

僕も有馬君も高齢になってきたが、三島も恒例になってきたのでまだまだ元気でいなければいけない。

お手伝いしていただいた全ての方たち、遠くから駆けつけてくれた方たち、初めて足をはこんでくれた方たち、勿論、近いので来てくれた方たち、その全ての方たちに感謝いたします。

どうもありがとうございました。

Mareka&Junji  大泉生活文化研究所 スペース結

アイルランドから久保田さんに相談して決めていただいた今日この日、10月5日、台風18号が徐々に近づいていた。

晴れ男としてはなんとかしたかったが、前日からニュースを見る限り、幸いにもなんとか当日の直撃は避けられそうだった。それでも雨はかなり降るようなので、だれか強烈な雨男か雨女のせいにするしかない。

果たして大泉も雨。それでも多くの人が来てくれた。テレビでは「できる限り不要な外出は避けるように」と言っていたが。こうなったら楽しんで帰ってもらわなければ“不要だった外出”になってしまう。

久保田さんの短い挨拶に続いて、Island of Woods/Coccinelleのセットでスタート。アイルランド各地のコンサートでも人気の高かったセットだ。続いてHer Golden Hair Was Hanging Down Her Back/Golden Castle。これはブレンダン・ベグリーお気に入りのホーン・パイプ・セット。どちらもミルタウン・マルベイ出身のフィドラー・コンサルティーナ奏者Junior Crehanの作と言われている。

そして、希花さんのコンサルティーナでSunday’s Well,ギター・ソロでRamble to Cashel。Cashelという地名はアイルランドに幾つかあるが、多分これはカウンティ・ティペラリーのCashelだろう、と僕は思う。

そのままMorrison’s/Drowsy Maggie/Farewell to Irelandのセット。とりわけ最初の2曲はアイリッシュ・ミュージックをやり始めた頃の人達には人気の高い曲だが、最近はほとんど演奏したことがなかった。

Drowsy Maggieは普通2パートだが、僕らは1931年のFrank O’Higginsによる3パートバージョンで演奏した。これは多くの人がジョー・クーリーの創ったバージョンと言っていたが、最近の資料によると、10歳でアコーディオンを始めた彼が生まれたのが1924年。すでに31年には3パートで録音されているので彼の創作ではない、ということ。それでもその3パート目がどこからきたのかはいまだに分からないらしい。そんなこともあるせいか、ほとんどこのバージョンは知られていない。

そして、僕らはもう一つのDrowsy Maggieを演奏。これはDonegalバージョン。Farewell to IrelandはThe Maid in the Cherryとも呼ばれる、これもよく演奏されるFarewell to Ireland又はFarewell to Erinとは違うメロディーを持った曲だ。

一部の最後は、やはりアイルランドでも人気のあったLover’s Waltzで休憩。外は相変わらずの雨。

2部は90年代よく聴いていたイギリスのグループBlowzabellaのアコーディオン奏者であるAndy Cuttingの曲。The Continental Mood/Flat Worldでスタート。最近の僕らのお気に入りのセットだ。

そして、希花さんのコンサルティーナで、いまだタイトルの分からないワルツ。ケリーの山奥でラジオから流れてくるのを聴いて覚えた曲だ。

あの時の光景は忘れることが出来ない。

目の前に広がる大草原と深い緑の山々。すぐそこに羊たちが佇み、遠くに海が見え、気持ちの良いそよ風が吹いていた。

そんな時、止めてあった、あれは多分シェーマス・ベグリーのトラックのラジオから流れていた曲だった。

すぐに希花を呼んで録音してもらったが誰が演奏しているかも分からなかった。それでも今最もお気に入りの曲のひとつになっている。

そしてそのままコーマック・ベグリー、テリー・ビンガム直伝のThe Boys of Ballysadare/Sean Sa Ceoのリール・セットへ。

バンジョーでGrandfather’s Clock, Foggy Mt.BDを経て、アイルランドで最も人気の高かった「どだればち」そして、みんなも良く知っている秋の童謡。そのままハープのソロ。

スコットランドの古い曲Through the WoodからMama’s Petへ。最後はプレスリーの有名な曲のジグ・アレンジからHumours of Tullyknockbrine/Dinky’sへ。

アンコールに今日選んだのは「雨に消えた音楽会」北山さんの作詞に僕がメロディーを付けた思い出深い曲だ。

浅間山のコンサートの前日から強烈な台風に遭遇。台風はそのままこちらに向かっていたので徐々に強まる雨、風の音を聞きながら北山さんが書いた詩に曲を付けたものだ。

そして、Jim Donoghue/Road to Cashel/Neck Berryのセットにつないで終了。

Road to Cashelは僕らも今回の旅で良くしてもらった伝説のフィドラー、チャーリー・レノンが初めて書いた曲と言われる。

来年また会えたらこのCashelとはどこのことか訊いてみよう。

僕らはこんな風にしてアイルランドでいろんな人たちと出会い、いろんな景色を見て、様々な人々の生活を経験している。

こうして久保田さんのお顔を見ていると彼もまたそのうちの一人に思えてならない。ご家族も含めて久保田家そのものがアイルランドとつながっている。

こんな僕らの旅の経験を発表できる場所を提供していただいて、ほんとうに感謝しています。

カレーライスもパスタも美味しかったです。

それに、台風にもめげず足をはこんでいただいた方々、本当にありがとうございました。

Mareka&Junji  2014年9月27日(土)根津教会

今日もいい天気。だんだん秋らしくなって嬉しい限りだ。もちろん夏が大好き、という人もいっぱいいるだろうが…。それにしても50年前の夏とはかなり違うような気もする。

根津という土地は僕にとってあまり馴染みがない。美味しいたい焼き屋さんがあるらしい、という認識くらいだ。

築90年というこの教会はスケッチに、あるいは写真に納める人々が後を絶たない、しっとりと落ち着いた建物だ。

僕らはConnaughtman’s Ramblesのジグ・セットでスタート。僕らが長く滞在したゴルウェイはコノート(コナハトという読み方もある)地方。詳しくはゴルウェイ、レイトリム,メイヨー、ロスコモン、スライゴの5つのカウンティで形成される地方の呼び名である。

2曲目はLetterkenny Blacksmith/GneeveguillaというEileen O’Brienから絶賛を受けたリール・セット。

去年まではEileenを怖いおばさん、と思っていた希花さんもフィドラーとしての認知度を高め、彼女からも一目置かれる存在となったようだ。

次にコンサルティーナのCaitlin Nic Gabhann本人の前で弾いた、本人作のSunday’s Well。そして久しぶりに弾いたShetland Air。

1部の終わりはアイルランドでもよく演奏したCoccinelle。

2部はAndy Cuttingの演奏から覚えたContinental Mood/Flat Worldのセット。彼は僕が90年代に好んで聴いていたバンドBlowzabellaのアコーディオン奏者だ。

そして希花さんのコンサルティーナで、ワルツとリールのセット。バンジョーで向うでも人気のあった日本民謡。

ハープとバンジョーで季節の名曲、小さい秋見つけた。そのあと、本当に久しぶりにハープのソロ。3か月間、暑い日本でお留守番、ありがとう。

そして、ローラ・リスクの演奏で覚えたThrough The WoodにMama’s Petをくっつけて、最後にプレスリーの名曲をジグにアレンジしたもの。実はフランキー・ギャビンの家で早起きしてみんなが起きてくるのを待っている間に思いついたもので、起きてきたフランキーが「お、ディ・ダナンでも使えそう」と言っていたものだ。それからリールのセットに。

アンコールは静かにMountains of Pomeroyから、おなじみSi Bheag Si Mhor。

3か月間ゴルウェイを拠点に様々な土地を駆け巡った思い出話を沢山聞いていただこうと思ったが、なかなか時間が足りるものではない。

写真も多少展示させていただき、説明もすこしさせていただいたが、楽しんでもらえただろうか。

終わってから見よう、と考えていた方もおられたようだが、なにせ終わり次第すぐに撤収開始をしなければならなかったので、2部の間に片付けさせていただいた。

またいつか写真集でも出そうかな、なんていう野望も生まれるくらいの写真もあった、と思うので(本人たち談)乞うご期待。

今回、希花さんはコンサルティーナ奏者としての腕前も披露。やはり目の前でテリー・ビンガムが、コーマック・ベグリーが「ここ、この指使いのほうが…いや、待てよ。マレカの方がいいかな?」なんていいながら気さくに弾いてくれるので、とてもためになったようだ。これからますます楽しみだ。

沢山のミュージシャンとの出会いがあり、沢山のヒツジとの出会いがあり、そして山々を渡る風、打ち寄せる大西洋の荒波。そんなアイルランドからの帰朝報告になっただろうか。

終わってから多くの方に撤収の手伝いをしていただきました。皆さんに感謝いたします。

そして、お忙しい中、足を運んでいただいたすべての皆さんに感謝です。

Mareka&Junji 宮津 世屋高原 2014年9月20日(土)

アイルランドから帰国してわずか2日。京都は宮津に向かう。無謀なスケジュールかと思ったが、ある意味すぐに仕事ができるというのはいいことだ。

なんとか体調も崩さず健康体でいけたが、如何せん時差ボケはどうにもならない。

3か月という間に体内時計は確実にアイルランド時間になっている。

1年ぶりの世屋高原。

椙谷さんも相変わらず元気そうだった。彼のお母さんもとてもご高齢とは思えない頭の回転と身のこなしで笑いを取る。

今回も遠方から沢山の人達が来てくれた。本当にありがたいことだ。

ここでの音楽は文字通り森の中の音楽会だ。

この日も素晴らしい天気に恵まれて皆さんのお役に立てたようだ。

アイルランドで覚えたいくつかの新曲も交えての約2時間。久しぶりに「別れの唄」も歌った。希花さんはコンサルティーナも数曲披露。

アイルランドではフィドルに集中することが多く、コンサルティーナを練習する暇がなかったが、最後の数週間でやっとケースから出す機会に恵まれた。

この辺の集中力は国家試験並だ。

そして素晴らしいお料理が並ぶ席で皆さんと会話が弾む。

僕らは飲んでしまったら数分でダウンしそうだったので…とはいっても普段でもあまり飲めないのでやっぱり食事に集中してしまう。

そして、やっぱりここの料理は絶品だ。厨房で働いてくれる皆さんに感謝だ。

しかし、この場所も今年で営業を終わりにしてしまうそうだ。

いろんな事情があるので仕方ないことだがとても残念でならない。

3年にわたって僕らをここに呼んでくれた椙谷さんに感謝。

 

世屋高原の緑はアイルランドの緑とはまた違うけど、僕らの気持ちを豊かにさせてくれました。

星空も美しく、また一夜明けた陽の出の美しさは椙谷さんのお母さんのように輝いていました。いつまでもお元気で。

また来年、ここではないけれど、どこかで会いましょう。

そして遠いところまで駆けつけてくれた皆さん、僕らはちゃんと起きていたでしょうか…。

ありがとうございました。

以下のいーポート世屋のサイトで写真がたくさん見られます。
http://www.eportseya.jp/concert/2014.9.20marekajunji/1.html

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6月18日 妙安寺ライブ

いつもは宮崎勝之がいた。というよりも、彼が主役だった。彼の長年の友人たちが彼を通していろんなミュージシャンをよび、音楽会を開く、ということだが、いつでもみんなが熱い想いをこの音楽会に寄せてきた。

それなのに彼は突然逝ってしまった。住職の九条さん、そして佐藤後輩をはじめとする九条さん言うところの“連れ”のみなさんはどれほど残念な想いをしたことだろう。

この日集まった出演者である僕と希花、イサトさん、緒川ヒロタカ君と辻村結貴子さん、僕らは宮崎君の思いを皆さんに伝えることができただろうか。それだけが気がかりだ。

九条さん、そして“連れ”のみなさん、元気で宮崎君の分も長生きしましょう。そして出来ることならば1年に一度、お顔を合わせましょう。それがなにかの事情で叶わなくても、お声だけでもきかせてください。

そんな仲間(連れ)たちを紹介していただいた宮崎君に感謝です。

Mareka&Junji 法然院、そして「よいよいよい祭り」

6月14日、この時期の京都にしては涼しい。それに、雨も降っていない。またまたしつこいようだが、晴れ男全開だ。

今日は多くの人達が集まってくれるということなので、音響も用意してもらうことにした。古くからの友人、そして多くのミュージシャンの音響を手掛けてきた、京都が誇る男、とくたけ君(とくさん)にお願いした。

売れっ子の彼にとっては少しばかり急過ぎたが、無理やりスケジュールを調整していただいて素晴らしい音を作ってくれた。法然院2

Si Bheag Si Mhorから入り、Acrobat HornpipeとBoys of Ballysadareまでいくと、もう、とくさんらしい音が会場を包む。

演奏する側にとって、自分の出した音のいいところを最大限に引き出してくれる音響屋さんがいることは本当にありがたいことだ。
(写真提供:谷口眞樹さん)

「この想い」を唄って、ハープにのって「悲しくてやりきれない」を唄う。後、数曲演奏してから休憩へ。

前回は2月。みなさんも寒さやらトイレやら、正直音楽を聴くような気持になれなかったかもしれないが、今回は実に気持ちのいい日になった。

鹿威しの音が時々聞こえて(約31秒ごと)カエルの声が聞こえ、白い蛾が時々飛んで、心地よい風が入り上々だ。

今日は、珍しく自分で持って行ったGibson RB-250も弾いた。先日亡くなった宮崎君にはDeclanとOctober Rainを捧げた。法然院

驚いたことに、終わり近くになってTime in a Bottleを唄おうとした時、雨の音が聞こえてきた。それも割と激しい雨だ。

僕は自信を持って言った「皆さんが帰る頃にはあがっていますから」そして、その言葉通り、雨はあがった。

気象予報士になろうかな。いや、偶然はそう続かないことは分かっているが、それにしてもこの日も晴れ男の面目が保たれた。

最後にFor Ireland I Won’t Tell Her Nameを演奏して、みなさんとお別れ。こんな素晴らしい場所をミュージシャンのために開放していただける法然院に感謝。そして、足を運んでいただいたみなさんにも感謝します。

 

次の日は大きなホールでの「よいよいよい祭り」ゲストの山本コータローさんは、随分昔からいろんな会場でご一緒したことがあったが、ステージ上、一緒に立つのは初めてかもしれない。

こちらのコンサートについてはどこかで紹介されるだろうし詳しくは書かないが、北山さんのお話しに感動することは毎度ながら、今回は特に素晴らしかった。

それと、終わってからの食事の席で山本コータローさんとゆっくりお話しできたことはとても印象に残っている。やっぱり熱い心を持った少年のような人だった。

 

後、18日に中川イサトさんと前橋の妙安寺に行ってから、僕らはアイルランドに向かう。

Mareka&Junji 岡山~愛媛~香川~徳島

またまた晴れ男全開の旅。と言いながら、いろいろ助けていただいた皆さんのおかげであることも確かだ。

今回は京都産業大ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズが誇る後輩バンジョー弾きである木内君が一肌も二肌も脱いでくれた。

彼の計らいで、こちらも岡山を代表するブルーグラッサー、磯山さん夫妻を紹介していただき、とてもいい時間を過ごすことが出来た。

お昼はセルフの定食屋で、あまり美味しそうだったのでついつい軽く千円を超えてしまった。このお店の常連である木内君曰く「素人は必ず千円こえてしまう」そうだ。

コンサートでは岡山のアイリッシュ演奏家たちとの楽しいセッションも実現した。これも磯山さんの心憎い計らいのひとつだった。
山本さん、桐山さん、宮尾さんを始め、バウロン、ティン・ホイスルの方(すみません。お名前を聞いたのですが)みなさんありがとうございました。

遠くからもいっぱいの人に来ていただいて本当にありがとうございました。

あたらし屋のみなさんもありがとうございました。

 

木内君の、一見顔に似合わないおとなしいドライブで、いざ愛媛県の松山市へ。ここには星野監督によく似た清水さんがいる。バンジョー弾きであり、気象予報士であり、その他多くの肩書を持ち合わせた、バイタリティーの持ち主としても星野監督を思わせる人だ。

彼は自身の奥さんのことを講釈夫人と呼ぶ。僕が呼び始めたという噂もあるが、僕としては彼から聞いたような気がする。

いずれにせよ、講釈の夫人だから彼が講釈なんだろうか。ま、いいや。とに角彼が、この音楽を聴いたことのない人達にも是非聴いてほしい、と云うことで多くの人を集めてくれた。

常日頃彼は言う「むかしはむかしでいい。でも、今の、Mareka&Junjiとしての音楽をみんなに聴いてほしい」それは本当に嬉しいことだ。勿論音楽会のなかでは昔のものを全くやらないわけではない。しかし、「今」を大切に感じてもらえる人を増やしたい、という彼の思いは僕らにとっては幸せこの上ないことなのだ。初めての僕らのために、騙されながらもやってきていただいたみなさん、ありがとうございました。

OWLのマスターである高橋さんにも感謝です。

終わってから清水さんが張り切って「希花さんに美味しいものを食べていただきたい」ということで連れて行っていただいたお店は、もう言葉が出ないくらいのお魚料理で、スペアーのほっぺたが必要だったくらい。次から次へと見たこともないほどの新鮮なお魚が登場。そのたびに講釈炸裂で本当に楽しい時間でした。写真 (5)写真は宴の後。

講釈ご夫妻、いや、清水ご夫妻に感謝。

 

またまたいい天気で、一路木内家へ。今日は木内君の家に泊めてもらう。香川の志度というところに位置する彼の家は、昔ながらのおおきな家で2階からすぐそこの港が見えて、思わずマドロス気分に浸れそう。

窓越しにそよぐ風が気持ちよく、畳の間でコロンとするが、希花さんが散歩に行く、と言って出て行った。しかし、3分ほどで戻ってきたので「本当に3歩か」と言ったら「大きなゴキブリがいたから怖くてかえってきた」という。写真 (3)

木内君と二人で「それはフナ虫じゃぁ!」

そんなこんなで、今日は高松のSO NICEというジャズ・バーでの演奏だ。バンジョー弾きの淀屋さんがいろいろPAのこととか考えてくれたが、彼も生音でできるんじゃないかな、と言ってくれたのでアコースティックでやらせてもらった。

結局それはとても良かったように思う。来ていただいたみなさん、噛みつきそうな位置で聴いていただいたみなさん、ありがとうございました。

オーナーの河西さん、ありがとうございました。

 

朝、目が覚めると木内君もごそごそとしていた。7時くらいから二人でセッションが始まった。

バンジョーの音のなかで寝られる希花さんはやはりまだ若い。

9ポンド・ハンマー、ブラックベリー・ブロッサム、ダーク・ホロウ…次から次へと出てくるがやっぱりブルーグラスはスポーツだ。

ちょっと間が空いて話していると突然木内君のいびきが聞こえてくる。ほんの1分ほどだが。可哀そうに、相当疲れているのだろう。

それでも、ハッと起き上がって、ハート・エイクスなんかを弾き出す。

そうこうしているうちに希花さんも起きてきて、今日は時間があるのでフナ虫ツァーに行こう、という話がまとまった。

3人でフナ虫や鳥や、魚を見て、心地よい風に当たり、お昼ご飯に木内君御用達のローカルな海鮮屋さんに行った。写真 (4)

港を眺めながら、絶品のお刺身をつまみ、リラックスしてから一路徳島へ。

徳島はおなじみ「とら家」この土地でずっとミュージシャンのサポートをしてくれているとらちゃんのお店だ。

いつでも、自分のできることを精いっぱいやって生きてゆこうという姿勢が見えて、とても心の大きいひとだ。

沢山の仲間に囲まれて、今日も多くの人に集まっていただいた。随分懐かしい人にもお会いした。徳島に「とら家」がある限りこの町は大丈夫だ。とらちゃん、よろしくお願いします。

そんなこんなで、今回の岡山、四国ツアー、とらちゃんの企画と、木内君のメインサポートに大感謝でした。

各地のみなさん、本当にありがとうございました。

Mareka&Junji In静岡

1年ぶりの故郷、静岡。例によって前日入り。昔の仲間と楽しく美味しいものを食べて、お話に興じた。

ラジオにも出演させていただいた。最初の生番組のパーソナリティは希花さんとほとんど同年代だったが、二つ目の収録では僕と同世代の方がパーソナリティで、打ち合わせの段階から希花さんがキョトンとするようなお話が飛び交った。

結論としては、アイルランド音楽は世代を越え、国を越え、永遠に伝承されていくもの、ということだ。

局のみんなが、僕らの演奏に鳥肌が…と言っていたがそんなに冷房が効いていただろうか。

さて、当日は午前中に、主催者である岩堀さんが静岡観光に連れて行ってくれた。写真 (2)もう時期的に富士山は霞がかかって見えないが、三保の松原が一望できる日本平の名所から、久能山東照宮まで。

そして美味しいソフトクリームから戸隠そばまで。至れり尽くせり、というのはこういうことなのだ。(左:城田 右:岩堀)

午後からのコンサートでは地元のバンドPicking Timeや草薙マウンテンボーイズが、去年よりも一段と素晴らしい演奏を聴かせてくれた。驚きだ。

僕らも新曲を交えて1時間10分くらい。新曲は彼ら静岡の仲間に捧げたバンジョー・チューンだ。

この町で生まれ、この町でバンジョーを弾き始め、その時からの仲間がこうして1年に一度呼んでくれる。

みんなが希花さんに「この町で開業してくれたら全員患者になるからよろしく」と診察を予約していた。

本当に、お世話になった人たちの名前を挙げればきりがないので、代表者の岩堀さんに感謝の言葉を述べておきます。

ありがとうございました。聴きにきていただいた人達にも是非よろしくお伝えください。

末永くよろしくお願いします。