蒲田教会 CD リリース・パーティ

またまた、いい天気。でも風が冷たい。ようやく冬らしくなってきたが、お天気レポートなどでは、「真冬なみの寒さ」と言っている。12月はまだ真冬ではないのだ。

ともあれ、今日は東京でのCDリリースだ。

“Music In The Air”というタイトルの今回の録音は、その名の通りスローな美しい曲が中心になっている。

スローな曲の和声を考えながら弾くのはとても好きだ。時に分数コードはいい響きを与えてくれる。それらをリードに絡めていく時がギターを弾いていてとても気持ちのいい瞬間となる。

リードも瞬間的にそれを察知してアンサンブルを創っていく。

今回、CDリリースとは言っても、まだまだやりたい曲がいっぱいあるので、CD以外のレパートリーからも沢山やらせていただいた。

まず、僕らふたりとも大好きなバッハの名曲“主よ、ひとの望みの喜びよ”からオキャロランの“Loftus Jones”

そしてCDから2曲ほど演奏して、以前坂庭君とやっていた曲がブリタニーのものだと思っていたが、今回ジョン・ヒックスのコレクションにより、ブルガリアの曲だと言うことが判明した曲から、ブリタニーのグループ“コルノーグ”で覚えた曲へ。そして、シェーマス・イーガンのバンジョーで覚えた“The Guns of Magnificent Seven”へ。

そして、ローラ・リスクというフィドラーから覚えたスコットランドの古い古い曲。ローラは96年ころ“ティプシー・ハウス”のフィドラーだった。

まだUCバークレーで数学を専攻する学生だったが、スコティッシュ・スタイルの素晴らしいフィドラーでアラスデァ・フレイシャーを彷彿とさせる子だった。

頭の良さは希花さんと同格だが、顔かたちの整った男の子みたいだった。最近はユーチューブでも聴くことが出来る。

彼女のアルバムのなかの“She’s Sweetest When She’s Naked”というなんとも怪しげなタイトルの美しい曲。

それから、今回珍しい歌も唄ってみた。サイモンとガーファンクルで有名になった“スカボロー・フェア”原曲を知る人はあまりいないと思うが、よくぞあんなふうにアレンジしたものだ。ポール・サイモンという人はやはり天才だ。

そして希花さんのハープで“The Mountains of Pomeroy”

休憩を挟んで、2部はクリスマスメドレー。僕が10年ほど前にバンジョーでアレンジしたものだが、かなり忘れていたところ、ユーチューブで弾いている人がいた。臆面もなく参考にさせていただいた。誰かは知らねど、有難う。

希花さんのハープやフィドルがまた、それらしく絡んでくれる。やっぱりアンサンブルは好きだ。

そして、これまた大好きな曲。ビリー・ホリディを想いながら…。リールと絡ませたこのアレンジは自分たちの中では結構気に入っている。

ジャッキー・マクリーンのようにはいかないが、涙なくしては語れないストーリーを持ったメロディだ。

そして希花さんの大好きなマイケル・ルーニーの演奏で覚えたタイトルの読めない美しいエアー。

正直、このコンサートの3日ほど前に覚えた曲だ。コード進行などをふたりで念入りにチェックした。

そしてパブロ・ネルーダの詩による革命の唄へ。この曲と、アコーディオンやブズーキなどを弾く中村大史君が創ったジグとを合わせてみたところ、この上ない素晴らしい楽曲に仕上がった…と思う。

中村君に感謝。

そして、またまた美しい次回CD候補曲。“Coilsfield House”ケヴィン・クロフォードや、コンサルティーナ・プレイヤーの友人ではあるが名前(特に名字)が読めない(僕はゲロードと呼んでいる人でマーティン・ヘイズと3人でコンサートをやったことがある)人の演奏で覚えた曲だ。

最後にCDから“Fairy Dance set”ちょっとアレンジして実際の録音とは変えてみた。

僕らの信条は、もうすでに誰かがやっているようなサウンドではない音を生み出すこと。沢山の音楽家がいるわけだし、アイディアとしては誰かがやっていても、それを更に自分たちの音にしていく、それも、トラッドとしての味わいを生かして…そこが難しいところかもしれない。

聴いた時に「あっ、これ希花&純二だ」って言われること。それが音楽で生き残って行くのには最も大切なことだろう。

僕にしてみれば、フォークミュージックを演奏し始めてから、そろそろ50年にもなる。そんな僕が、まだその半分しか生きてきていない希花と組むというのは、とても新鮮なものがある。

希花さんにとっても、パブロ・ネルーダの詩や、ビリー・ホリディなる人物などは新鮮なものだろう。

いろんな音楽を深く知ることにより、またアイリッシュ・トラッドをさらに深く知ることにもなるだろう。

僕らは次のCDのことを考えなくてはならない。次はどんなものでいくか…やっぱりスローな美しい曲も好きだし、こんどはもっといろんな楽器を使って、力強い曲も入れてみようか、など夢はまだまだ先へ先へと進んでいる。

寒いなかを来ていただいた皆さんに深く感謝します。

暫くの間、僕らを見守っていてください。

 

大泉時遊空間 スペース結

 

言わずと知れた久保田さんのところでのレコ発ライブ。僕らは前日から前橋に行っておりました。

何故かと言うと、最も近しい知人のひとりである、佐々木幹郎氏が、第20回萩原朔太郎賞を受賞し、その授賞式に出席するためです。

その日の前橋はめっちゃ寒かった。

まず、屋外での除幕式。幸いにも短いものでありましたが、ブロンズ像の幕が外されるとそこには、萩原氏の所有しておられたらしい帽子とマンドリンを形取った像が静かにその時を待っていました。

瞬間的に気が付いたのですが、A線のペッグがひとつ無かったのは何故だろう。そのことに気が付いたのは僕だけだったようなので、敢えて伏せておくことにしよう。

そして、屋内での授賞式。詩人“佐々木幹郎”氏のスピーチは実に素晴らしかった。とても価値のある言葉のひとつひとつが心に響くようで、普段、個人的にたわいのない会話くらいしか交わさなかったのですが、改めて詩人としての存在の深さに気付かされたものでした。

その後、佐々木さんが講師を務めていた芸大の“ヴォイス・スペース”による演奏、そして谷川俊太郎さんとの対談などを楽しませていただき、僕らは前橋に住む友人の一人である佐藤“けんちゃん”の家に泊めていただきました。

奥さんとけんちゃん、希花と僕とで近くの温泉に行き、すっかり温まって家に戻り、またワインを飲みながら、2時近くまでおしゃべりに華が咲きました。

彼らは仕事で、イギリス、フランス、スペインと居住経験があり、今は殆ど中国人となっている。まさに国際人だ。

 看護婦である奥さんの話はとても楽しく的を得たもので、そこに時々割り込んでくるけんちゃんの話も興味深いものがある。

 スペインでフラメンコギターを習得し、今度は二胡をやってみようかと思っているらしい。

日本の政治家たちのおぞましいほどの恥さらしを、中国人があきれてみていることなどを聞くと、困ったものだな、という気持ちになってしまう。

朝は美味しいパンとコーヒーをいただき、一路久保田さんのもとへ。

天気にも恵まれ、また人脈にも恵まれている久保田さん。今回も沢山の人を集めていただいて感謝しています。

初めてここを訪れた時から、ここでやらせてもらいたい、と強く思い、それが実現してから今回でもう3度目になる。

この忙しい師走に、しかも少し前にお願いしても、快く引き受けてくれる久保田さん夫妻には足を向けて寝てはいけない。

レコ発、といえども、まだまだ他にやりたいことがいっぱいあって、CDは家でたっぷり聴いていただくことにして、なんて都合のいいことをいいながら曲目を決めていく。

これがなかなか大変である。これが決まれば音楽会の半分は終了したようなものだ。神経をすり減らすほどに考えるが、結局直前で、あるいはステージ上で変わることもある。それにしても200パーセントの準備をしていくのが常である。

それは、僕ら外国人がアイリッシュという音楽に携わる姿勢と同じことだ、と言えるかもしれない。

アイルランドの人はそんなことはどうでもいい。もう血の中にはいっているものなのだから。

ともあれ、アットホームな、いい音楽会が出来たんじゃないかな、と思います。秩父からはるばる坂本屋の定峰まんじゅうを持ってきてくれる高見さん。高見さんと書いて変換したら高見山と出た。いつもありがとうございます。

佐藤夫妻、そして床屋の中沢さん夫妻、おとさん、ハンマーダルシマーの高橋さん(夫妻?)名前は想い出せないけどいつも見る顔と顔。なんかどえらい礼儀正しい男の子。毎回成長してゆく様が見れてうれしいです。

久保田さん、何度も言いますが、本当にありがとうございます。そして足を運んで下さった全ての皆様に感謝いたします。

CD、ゆったりお茶でも飲みながら聴いてください。そして最後の曲では洗い物をしていただければ捗ると思います。

 

下田スパイス・ドッグ

 下田スパイス・ドッグ

 なんとも言えない素晴らしい行楽日和に恵まれてしまって、いや、普通は恵まれたことは感謝しなければいけないのだが、とんでもなく時間がかかってしまった。

往復で9時間は、もし次に行くことがあれば考えなくてはならないが、今回はジョン・ヒックスとのスケジュールのかみ合いもあり、日帰りということにした。

ただし、見渡す限りの青空の中に素晴らしい富士山がそびえたつ様は彼にとって必見だったかもしれない。

スパイス・ドッグはグレイトフル・デッド好きのマスターである“のぶさん”が経営している、いかにもそれらしいスポットだ。

古着やちょっとしたアクセサリーなども販売しているが、なかなかいいものがある。前回、友人である“あるまじろ”君に連れてきてもらった時も、そして今回も希花さんは、ちゃっかり洋服を購入していた。

最初のものは9月の蒲田教会で着ていたが、今回のものはどこで着用するのだろう。いずれにしてもそんなにべらぼーな値段ではないので、相談を持ちかけられても「いいんじゃないの」と軽く言う。

僕が払うのなら5回に4・5回位は「やめておきなさい」というが、自分で買うのだし…。

さて、店に着くなりコーヒーとビールを飲み始めるジョン。彼にとってはなかなかに居心地が良さそうな場所である。こちらは生涯、買いものという行為はしないようだが。

かなり長い滞在で、ゆっくりさせ過ぎたのか、それに英語で話す相手も限られるので、彼にとって、そこそこ英語で会話ができる人が沢山いて、また見なれたグレイトフル・デッドのポスターなどがいっぱいあるこの店は、ロケーションも含めてなんとなく落ち着くのだろう。

音楽の方は、ライブとして最後だったこともあり、いつにも増して爆発度は高かったようだ。

何度も続くアンコールの拍手。勢い余って2回も弦を切るが、切れた弦はそのまま又結び目を作り、あっという間に交換してしまう。なんともエコだ。

後ろの方で踊り出す人達もいて、音楽会としては大成功だったと思う。ジョンはやっぱりどこまでも強烈なギタリストだ。

この地にもアイリッシュ・ミュージックを演奏している人達がいるそうだが、やはりやってはこない。

聞いたところによると、日本でアイリッシュ・ミュージックをやっている人達の多くは本当のアイリッシュ・ミュージックに興味が無いらしい。

非常に面白い現象だ。

音響を担当してくれた桜井君はギター職人としてもかなり卓越した技術を持った人で、彼の作になるギターも見せてもらったが、素晴らしいものだった。

なんとかこういう人が商売に繋げていけるよう、手助けがしたいものだ。

初めてお会いした“ムロケン”さん。ハード・タイムスの日本語の歌詞をつくってくれた人だ。

彼の前でこの歌を唄うのには勇気がいりました。でも気持ちよく迎えてくれて有難うございました。

今回の会を企画してくれた旧友の“あるまじろ”君、お疲れ様。

なんと、奈良から7時間もドライブして見に来てくれた無謀な人もいる。いつも来てくれる彼はもう僕らの家族みたいなものだ。遠路はるばる有難う。

次回、ここに来る時はもうちょっと余裕を持ってスケジュールを組まないといけない、というのが僕らの反省点でした。

秩父ホンキー・トンク

 秩父ホンキー・トンク

紅葉にはまだ少し早い秩父。ひさしぶりのホンキー・トンクにお邪魔しました。おとさんと近藤君がセッティングをしてくれ、マスターも当日とても忙しく、またみんなには大変お世話になりました。

コンサートに来ていただいたみなさん、いかがでしたでしょうか?一押しのギタリスト、ジョン・ヒックスでしたが、こちらももっときっちりセットを決めて、とも考えたのですが、ステージ上でのハプニングもそれはそれで面白いかもしれません。

ということで非常にラフであったかもしれませんが、いかにもこの音楽の醍醐味は味わうことができたと思います。

彼はこの後いくつかの会を終えて、こんどはタイでしばらく過ごし、またどこかへ行きます。

彼のような、無名ではあるけれど、スーパー・ミュージシャンをみなさんに紹介したいのですが、個人ではなかなか大変なことです。

AKBと絡ませたら楽かも…?

またしても、大変な思いをさせてしまった鈴木まーちゃんに大感謝です。

とは言いながら、僕と希花は新しいCDをリリースします。その時にはまたお世話になるかもしれません。

みなさんにもお世話になります。

おとさん、ロングドライブ、有難うございました。またバンジョー談義に花を咲かせましょう。

南青山CAY ジョン・ヒックス

 南青山CAY ジョン・ヒックス

風が強く、素晴らしい天気に恵まれ、朝、空を見上げた時、雲の形がどことなくアイルランドで見たものと良く似ているような気がしました。

初めての来日、そして初めてのオフィシャルなコンサートを控えた彼は、全くいつもと変わらず、サウンド・チェックも5分ほどで終わり。

よっぽどなトラブルでもない限りは5分で充分。あとはコーヒーかギネスでも飲んでいたらいい、というなんとも気楽な男です。

15歳くらいで家を飛び出して、世界をみてまわっている彼です。ちょっとやそっとのことでは動じないのでしょう。

彼がまだ若い時に出会い、たんなるヒッピーかと思ったのですが、なかなかに博学で、世界史にもかなり詳しいところがあるし、コンピューター関係、音響関係にも非常に明るいようです。

デスクワークもかなり得意なようですが、ひとたびギターを弾かせれば…この日CAYに来ていただいた皆さんにはもうお分かりかと思います。

僕は彼をたくさんの人に紹介したかったのです。95年頃の出会い以来、多くの人に彼の話をしてきました。

そして今日という日を迎えることができて本当に嬉しかったです。

彼でしか弾けない超絶テクニックを事もなげに連発させるスタイルを持ちながら、トラッドをきちんと心得ている。そして相手に合わせるという術にも長けている。

このようなギタープレイを、日本でアイリッシュギターというカテゴリーに属している人達に目の当たりにしてほしかったのです。

僕が初めて彼を見た時、眠ることをやめて練習に励んだ時のような感覚を持ってほしかったのです。

彼は充分それだけのインパクトを人にあたえる要素をもっているミュージシャンだ、と

僕は思います。

月曜日、週が明けたばかりでお忙しい中をかけつけてくださった皆さんに感謝いたします。

そして、音響や、ドリンク、フードを作ってくれたり、運んでくれたスタッフの皆さんにも大感謝です。

彼らがいなければこのようなコンサートもできません。ジョンも皆さんにとても感謝しておりました。

ありがとうございました。

クロサワバイオリン&ギター・プラネット合同企画 ~アイリッシュの調べ~

 クロサワバイオリン&ギター・プラネット合同企画 ~アイリッシュの調べ~

今日の会はコンサートではなく、軽いレクチャーというものでした。音楽を、ましてやアイルランドの音楽を教える、などということはとてもできることではありませんが、基本的なテクニックを知った上での、自身のアイディアを語る、ということは大切かも知れません。

僕は“教える”ということが苦手です。70年代、5弦バンジョーを教えていた事もあったのですが、タブ譜がないと弾けないとか、やたらと先を急ぐ人とか、教える、ということにはなにか別な才能が必要かな、と思ったものです。根気強さも含めて。

そして、アイリッシュのギターも教えたことがありますが、これに関してはさんざんコラムにも書いています。

バッハからビル・モンロー、ビリー・ホリデイからロバートジョンソンに至るまで、あらゆる音楽を聴いて、そのうえでアイリッシュ・ミュージックを体で体験して、僕は自分のスタイルを創り上げました。

一方、フィドラーは大変です。どこの家にも転がっているような楽器。子供のころ、ふと手にして自分なりに弾いてみた、なんて言う人がアイルランドにはごろごろいます。

そして、ともすれば素晴らしいフィドラーに成長していきます。フラっと現れた酔っ払いのおじさんが素晴らしい演奏をして、またカウンターに戻って眠っていることもあります。

そんな国の音楽ですからテクニックがどうのとか言うのもおこがましい、と感じてしまいます。

希花も他人に教えたりすることは、自分自身の気持ちのなかではまだ出来るものでもない、と感じているようで、そんな簡単な事ではないということを良く知っているようです。

しかしながら、ひょんなことから再会したクロサワバイオリンお茶の水店の店長さんであります秋野氏が僕らを選んで頂いたことにはとても感謝しております。

彼は日本におけるバイオリンという観念を変えるかもしれません。クラシック音楽というものの世界は結局のところこの日本に於いて50年も60年も進歩していないと感じます。

多くの人達がクラシック畑から飛び立って様々な試みをするようですが、クラシックファンにはアピールできない、というのが現状のようです。

僕の古くからの友人であるサイモン・ラトル(ベルリン・フィル指揮者)のように広い心を持ったクラシック関係者が日本には少ないようです。

秋野氏は、フィドルという地位を日本の人々に認識して欲しい、と考えているようです。そしてその先にもっともっと大きな改革を目指しているようです。

僕らも今回だけではなく、そんな彼の思いに少しだけでも力になれれば嬉しく思います。

さて、ギター・プラネットのほうからは先日大阪のサウンドメッセでもお世話になった小山氏が登場。

ローデン・ギターを扱っているお店のマネージャーです。ローデンという北アイルランド製のこのギターは僕の中にあるアイリッシュ魂を20年の間支えてくれています。アイリッシュに興味のある人は是非ギター・プラネットを訪れてローデン・ギターを試して頂きたい。

秋野氏と小山氏は見た感じ、漫才コンビみたいなので、またお二人と仕事をしたいな、と思っております。

長野県 飯田市 キャンバス

長野県 飯田市 キャンバス

ここは僕としょうちゃんとの50/50のライブでお馴染みのところ。もう12年ぶりにもなるだろうか。

天気も最高に気持ち良くて、たくさんの懐かしいお顔も見れてとても嬉しかったです。そして何よりも、僕と希花の演奏をみなさんに聴いていただけたことが嬉しかったです。

昔懐かしい音楽だけではなく、新たな可能性を、本当にやりたい音楽に乗せて創り上げていく。そのことの価値を解っていただけるみなさんがいる、というのが僕にとって大きな励みになっています。

思えば水嶋“ZENBE”さんとの偶然の出会いからキャンバスの桑原さんとも再会できました。本当に道を歩いていて偶然出会ったのです。

桑原さんもさぞ驚かれたことでしょう。いや、あの人には結構、人生にはそんなことが付きものだ、というような卓越したなにかが具わっていそう。

飯田といえば“ヤイチ”という掛け声。ステージに上がると突然かかる“ヤイチ”という掛け声。僕としょうちゃんとが唄いながらはてなマーク満開だった“ヤイチ”という掛け声。それが飼い犬の名前と判明した今回。

それでもなぜ“ヤイチ”という掛け声を発しているのか本人たちにも分からない、という奇妙な集団。

“街”をリクエストして頂いた城下さん。一緒に唄って頂いたみなさん。ギター作りの職人さん。雑貨店の中島さん。終わってからも沢山の美味しい料理を作ってくれたお店のスタッフさん。

本当は中川イサトさんみたいに、お料理の写真を撮っておくべきなんだろうけど、ついつい食い意地が張って、気が付いたらほとんど食べ尽くしている、という状態でした。

みなさん、本当にありがとう。

写真提供 中島裕志さん

動物フェスティバル 2012年10月14日

動物フェスティバル 2012年10月14日

天気予報では晴れる予定だったけど、小雨がパラつくうっとうしい天気になった。

究極の晴れ男の伝説、やぶれたり、っていうか(若者みたい)最近の天気予報が当たる確立は昔にくらべて格段の差があったはずだが。

おかげで、動物と遊ぶことを楽しみにしていた希花さんも少々不機嫌気味。

コンサート自体は屋内だし問題はないけど。

さて、今日僕は95年から使っていたローデンを持ってきた。

このギターの製作家のジョージ・ローデン氏が、もう一度同じモデルを作るために僕のギターを貸し出していたものが戻ってきたからだ。

このギターがアイリッシュ・ミュージシャンとしての僕を育ててくれたんだと思う。

トップがスプルース、サイドとバックがインディアン・ローズウッドのとても甘い音がするギターだ。動物とは全く関係ないが。

ところで、僕も希花も都会育ち。あまりワイルドな生活には縁が無い。僕の親父は陸軍少佐だった頃、愛馬にまたがっていたらしい。そして無類の犬好きだった。そういえば猫も家には必ずいた。

都会暮らしだと動物というのはせいぜいそんなものだろう。そういえば、にわとりもいたなぁ。あれ、時には食べていたのかなぁ。それとも卵を得ていただけだったのかなぁ。そんないい加減な記憶しかない。

希花のほうは、転勤族の子供であったし、いわゆるペットというものが飼えなかったようだ。

それでも無類の猫好きで、あるときから触りすぎてアレルギーをもらってしまったそうだ。

また僕のほうの話に戻るが、親父は毎朝5時頃起きて、愛犬を連れ、自転車に乗ってテニスコートに出かけていた。

休みの日には川に連れて行き、洗濯石鹸でごしごし洗っていた。今では考えられないことだが、沢山の子供たちが見物していたものだ。

歴代の犬たちはそうして常に可愛がられていた。

親父の最後の犬はジャイアンと名づけられた柴犬だった。過去にいなかったほどのわんぱく犬だったが、2年ほど可愛がられたある晩、親父が亡くなった。

いつものように鎖に繋がれたジャイアンだったが、夜中にいなくなっていた。そして2度と戻ってこなかった。

動物に関するエピソードはいっぱいあったかもしれないけど、特にそういったことを強要することなく、僕らの音楽を後押ししてくれた、獣医の菊池さんをはじめ、コンサートのために一生懸命用意をしていただいた方たちに感謝します。

歯科大学という場所で、獣医さんに囲まれた医学生の内藤希花、なかなかに面白い組み合わせでした。

サウンドメッセ2012大阪

サウンドメッセ2012大阪

中川イサトさんとのジョイントコンサートを控えて、台風がもうすぐやってきそうな大阪に新幹線で向かう。

会場に着くとおびただしい数の楽器が並んでいた。僕は、長年使っているローデンの特約店であるギタープラネットのブースを目指していたが、入ってすぐシーガルギターの塩崎さんと再会。ちょっと前に四国にも行ったのだが、会えずじまいで、そっくりな息子さんとはじめてお会いする奥さんとも挨拶を交わし、また会場を進んでいった。

いろんな楽器に目移りしながらもやっとギタープラネットのブースに辿り着く。カントリー好きの(見た感じ)僕よりだいぶ年上の(見た感じ)おじさんがマーティンを試奏している。

少し話をするとやはり往年のカントリーファンで久々にマーティンを買おうかな、と思っているらしい。

ローデンもいいギターですよ、と暫く話をしながら軽く薦めておいた。でもあのおじさんはやっぱりマーティンだろうな。

僕と希花とでブースで30分ほど演奏をした。集まってきたギャラリーに楽器店のマネージャーである小山さんが流暢に話しかける。

演奏のあとは、しばし自由時間。あっちこっちのブースを見て回る。懐かしい人にもずいぶん再会した。

ナターシャーが始まったころ、愛知県に出かけて行った時に出会ったオールドタイミーバンド“チキンパイ”の斎藤君。70年代半ばからのカスガ楽器の良質のバンジョーやマンドリンはこの人の功績だ。

それに、京都でバンジョーのネックを作ってもらったり、インレイを作ってもらったりと、いろいろお世話になったギター製作家の占部さん。今はウクレレ製作家として世に名が知られている。

プー横町というレコード屋さんの松岡プーさん。僕はそこで、ボシーバンドのライブ盤を74年ころに買っているのだ。

つい先日、岡崎で出会ったノブギターの山本君とも出会った。

まだまだ懐かしいお顔と再会したが“お顔は覚えていますが、お名前だけが想い出せない”とはよく言ったもんだ。

有山じゅんじの家族とも再会。

懐かしんでばかりはいられない。イサトさんと打ち合わせをしなくては。ふと見るとイサトさんが外でディック・ボークと煙草を吸っている。

簡単に「こんなんしよう、あんなんしよう」と打ち合わせをしてからまたブラブラする。

さて、いよいよ本番だ。いねこさんとわたるくんも京都から駆け付けてくれている。

なにせギター好きの集まる場所だ。いつもとは少し雰囲気が違う。ローデンの宣伝もしなくては…などと思いながらもどうしても話は脱線してしまうが、ここは大阪だ、ということを忘れてはいけない。笑いのレベルは半端じゃない。でも、その辺はイサトさんがちゃんとフォローしてくれるだろう。

僕と希花はとことんアイリッシュ。イサトさんはいつもながらのしぶいフィンガーピッキングを聴かせてくれる。

客席では有山じゅんじがハープに食いついている。実は出番前にすでにハープに眼を付けていた有山が、最も似合わないこの楽器を抱えてにっこりしている写真がある。チョーキングするんじゃないかとびくびくしていたが、そうするまでもなく、ハープですら有山サウンドになってしまう。不思議な男だ。

 コンサートが終わってからは食事会というか、懇親会というか、おおきなパーティに参加。

ザビエル大村君や、中国でのイサトさんの活躍を支えた弱冠19歳の方矢君などと楽しい話しに花が咲いた。

アコースティックギターマガジンの相川さんや、日本屈指のバンジョー弾き、有田君や

クロサワ楽器の福岡さん、実行委員の家城さん、もうあげたらきりがないくらい、沢山の人との出会い、再会があった。

僕と希花とは夜行バスで戻るので(結果的に台風の影響を受けずに帰れることとなった)

よそで2次会に参加する中川一味(中川家ではない)と共にパーティを失礼させていただいた。

ザビエル大村君がツアーガイドよろしく、僕のバンジョーを背負ってみんなを先導してくれた。おかげで迷うことなくバスディーポまで辿り着けた。

沢山のミュージシャン、そしてそれを陰で支えてくれる人達、そして、今回のサウンドメッセのスタッフすべてに感謝いたします。

どうも有難う。

日曜日、台風で大変だっただろうけど、来てくれたお客さんにも、スタッフのみなさんにも、それはそれで想い出深いものとなってくれたらいいな、と願っています。

ツアーいろいろ

ツアーいろいろ

四国ツアー以来少しくたびれて、大阪、岡崎、東松山となにも書かずにきてしまいました。やっぱり日本の夏は暑い!温度差20℃以上のところから帰って来て、急激に動き回るとは、無謀だったかもしれないけど、無事、体もこわさず今日まできています。

四国では京都産業大学の後輩である木内君が全て僕らの面倒をみてくれて、感謝、感謝でした。

彼は今アメリカで“ブルーグラス旅行”をしています。

又、遥か秩父から全てのコンサートに付き合って頂いた高見さんにも、感謝、感謝です。

もちろん、四国ツアー総元締めのとらちゃんも、ありがとう。

大阪では、新しくできた中之島サン=ルイ アミューズというレストランでのディナーショー的なコンサート。

例によって40年来の友人たちも来てくれ、そのなかの“げらさん”には受付まで手伝って頂きました。

本当に持つべきものは友達です。

岡崎では、いつもの深谷君とそのスタッフのみなさんにお世話になりました。ギター職人の山本宣哉(のぶや)君が作ったNOB GUITARがとても素晴らしかった。もし機会があれば、ギター好きは是非一度手に取ってみてください。

岡崎終了後、いつもの“たけちゃん”が無謀にも東京まで送ってくれる、という快挙を達成してくれました。

話が弾みましたが、さすがのたけちゃんも疲れたことでしょう。有難う。

東松山(埼玉県)での小さな喫茶店におけるコンサートもかなりいい雰囲気で気持ちの良い音楽を奏でられた気がします。

主催の中原さんは、終了後、東京まで送ってくれて、いろいろ興味深い話を一杯聞かせてくれました。有難うございました。

東京に戻った僕らは恒例の蒲田教会でのアコースティックコンサートに臨みました。今回はアイルランド帰国コンサートということで、コラムとダブる話しもありましたが、生のアイルランド話しを沢山しました。

1カ月半、ほとんど毎日音楽に浸りっぱなしだったアイルランドの生活が抜けきれないまま、もっともっと音楽をやりたかったのですが、まぁ、みやげ話も聞いてもらった方がいいかな、と思いつつ、またついつい話が長くなってしまいました。

また僕らの取りとめのない話とアイリッシュミュージックを聴きに来てくれた皆さんに感謝いたします。

そして、9月15日は密かに楽しみにしていた京都府、宮津でのコンサート。世屋高原の素晴らしい景色に囲まれて過ごした珠玉の2日間。

音楽会のみならず、蕎麦打ちまで体験させて頂きました。自分たちで粉をこねて、伸ばして、切って、湯がいて、冷やして、厨房で用意してくれた野菜のテンプラと共にいただいたその味は格別でした。

椙谷さんをはじめ、暖かいスタッフに囲まれて幸せでした。また、遠方からもずいぶん多くの方たちが来ていただき、初めて僕らの音楽を聴いてくれた人も沢山いてくれて、ここでも感謝、感謝でした。

そして17日には、高石さんと僕による、ナターシャーセブンの会。

高石さんのお客さんを惹きつける天性の才能は、昔とちっとも変らないと感じました。僕は彼が歌いやすいように伴奏してあげられれば、それがナターシャーセブンらしさかな、と思います。

音楽的には、僕も昔のようにはいかない部分があり、高石さんも相変わらずの部分もあり、でもこの歳になってお互いがお互いの持ち味を生かしながら、ひとつひとつ丁寧にやっていけばそれが一番美しいのではないでしょうか。

早くから並んでいただいた人達、来ていただいた全ての人に感謝いたします。

22日は、希花さんの25歳の誕生日。

いつものコーヒーハウス“バードランド”と焙煎コーヒー“陽のあたる道”でのダブルヘッダー。

どちらのお店にもかなり無理を言ってお願いしてしまいました。でもどちらのお店も僕と希花さんのフェイヴァリッツ。

お肌の曲がり角にきてしまった、希花さんにとっては大好きなお店でみなさんと過ごせたことが大きな喜びとなっていました。

この日を一緒にお祝いしていただいた方たちに感謝いたします。

てな感じで、まとめてみなさんに報告いたしました。

どうも有難う。