もう僕が書くほどのことではないが、最近は素晴らしい若手のバンジョー弾きがアメリカでもヨーロッパでも日本でも数多くいる。
僕はどうしても5弦に限って書いてしまうが、4弦バンジョーは5弦とは全く異なる楽器と言えるので、そういう意味でご勘弁願えたら幸いです。
僕がこの楽器に出会ったのが、今から55年以上も前のこと。
勿論ギブソンもヴェガも知らなかったし、最初はどんな形をしている楽器かも知らなかったくらいだ。
ただ、やたらと早く弾く楽器か、よってたかって多くの人が弾いているのかな?という程度の認識しかなかったのだから驚いてしまう。
だが、それは静岡という土地に居たからかもしれない。東京や関西方面ではもうすでに何人かの人がブルーグラスなる音楽を演奏していただろう。
写真を頼りに、見よう見まねで作った、なんていう話をその昔ドン佐野さんから聞いたもんだ。
高校に入りフォークソングに夢中になって、大学に入ってブルーグラスに夢中になって、とごく一般的な道を歩んで来た。
幸いにも3歳からのピアノ教育がまだ身体に残っていたので、すぐそれなりには様になっていた(と思う)
大学のブルーグラス生活では(普通、大学生活なのだが)渡辺三郎君、三ツ谷君、清水さん
野崎さん、を始め立命館、同志社などのバンジョー弾きとしょっちゅう行き来していた。
産業大学では、かの坂庭君と寝ても覚めても意見交換をしたものだ。
当時資料なるものはちっとも無かったので、レコードを聴きまくって、ライブに行きまくって勉学に励んだものだ(ここでも大学の、ではない)
そしてナターシャーセブンに繋がっていくわけだが、故高橋竹山師匠との交流から始まった津軽三味線風バンジョーや、マラゲーニアからヒントを得た世界巡り、日本の童歌など、様々なアイディアをバンジョーに乗せたりしてみたものだ。
時は移り、アイリッシュの世界にどっぷりつかるようになると、もうほとんどバンジョーは弾かなくなった。
先に出た4弦もセッションなどではよく弾いたが、ブルーグラスなどで親しんだピッキングとは全く違うのでこれは難解ホークス。それよりも当時はまわりにほとんど居なかったこの音楽でのギタリストを目指そうと考えたわけだ。
ピアノで培った和音感覚とブルーグラスのベースランを基に、他の誰のスタイルでもないものを築き上げていくために日夜努力したものだ。
それでもたまにはブルーグラスバンドの手伝いもしたが、ほとんどの時間はアイリッシュで過ごしていた。
やがて、アイルランドのロングフォードでバンジョー・フェスティバルなるものが開催されるようになり、僕は5弦を持って、パディ・キーナンと共に行った。そこにはかのジョン・カーティやエンダ・スカヒル、イーモン・コイン、ジェリー・オコーナーという錚々たる4弦バンジョー奏者、そしてピート・ワーニック、ビル・キース、トニー・トリシュカ、アリソン・ブラウンといった5弦バンジョー奏者。
そんな中に混じってパディとはこれでもか!くらいのアイリッシュを、そしてフィナーレではブルーグラス・チューンを演奏した。
何やかや云っても僕にとって5弦バンジョーはまだまだ魅力的な楽器だ。ただ、もう既にその重さがこたえる歳になってきたことは確かだ。
若いバンジョー弾きが、いつでも得ることのできる有り余るほどの資料や情報を鋭く掴み、また、気楽に海外にも出かけていけるそんな環境になって、その重さをものともせずに弾きまくる姿は素晴らしい、の一言に尽きる。
また、様々な形態の音楽から得るリズムの切れの良さなども彼らの特徴だ。
そんな中で、ストレートなブルーグラス、5弦バンジョーらしい演奏を聴くことの嬉しさも格別なこととなる。
僕はいろんな意味で最近はクロウハンマーにはまっている。ナターシャーセブンでも多くの曲をそのスタイルで弾いてきたが、今はそれを更に発展させるように努力している。
最近はアメリカでも若手のクロウハンマー奏者が軒並み目白押しだ。
一体どれだけ進歩していくのだろう、と思わせる若者も多くいるし、ひたすら渋い演奏を聴かせてくれる中堅どころも数多くいる。
僕もまだまだこのスタイルを研究していこうかな、と思っている。