2026年1月20日

年が明けたと思っていたらあっという間にもう3週間も経ってしまう。

そして今年もまた誕生日がやってきた。

そして、シマエナガの日。

今日の甘いものは何がいいだろうか。

このごろ甘いものを食べ過ぎている自覚があるので君の分だけ…ってな具合にはいかない。

とにかくなんか考えよう。

お茶はパックでいいか。

君が逝ってからも世の中ではいろんなことが起きている。

なかなか面白いことから、全く困った問題まで。

この地球はいちどリセットしないとやばいかもしれない、というところまで来ている…と感じる。

政治家や金持ちだけが生き残るのはシャクだし、いっそのこと全部無くなってしまったほうがすっきりするのかも。

なんて考えながらも明日に希望を持たなければ、と思ったりもしている。

この日が来るたびに君が生きていたらなんて言うだろうな、という事を考えてしまう。

よく言っていたなぁ、「如何ともしがたい」って。

「おしなべて…」という言葉もよく使っていた。

ま、普通に健康に過ごせて、普通に美味しいものを食べて、普通に仕事もして、等々、それで「おしなべて良し」という事になるのかな。

僕の場合はまだ少しそうして生きている可能性がある。

なのでやっぱり我慢せずに、せっかくの日なので甘いものを買って来よう。

いや、作るか。

くちなしの実もまだ残っているし、きんとんか。

いや、餅もあんこもきな粉もあるし安倍川餅か。

生きている、ということはやっぱり幸せなんかなぁ…。

完売のお知らせ

皆さん、有難うございました。

この度CD「 Keep on the Sunny Side」をこのHP上での完売、とさせていただきます。

そこで、去年の12月より前にご注文されて、そのままになっておられる方々には申し訳ありませんが、キャンセルという判断をいたします。

それ以後の方々に関しては今月(1月)中にお振込をよろしくお願いいたします。

再プレスの予定はありません。

お買い上げいただいた皆さんには本当に感謝いたします。

力不足ではありましたが、それなりに過去のメンバー達、そして長きにわたって支えていただいた皆様に喜んでいただけたと思っております。

なお、ただいま次のアルバムの制作中です。

ギターのアンサンブルをメインにしたものになりますが、こちらの方は5月中ごろの発売を目標にしております。

世間はもうCDの時代ではない、ということを感じながらも、こうして皆様にあたたかく迎えていただけることを重ねて感謝いたします。

また「Just a Little Memory」においても近日中の完売となる可能性があることもお伝えさせていただきます。

Keep on the Sunny Sideに関して

皆様、有難うございます。

もう少ししたらここでの販売が終了いたします。

今現在、すでにご注文されている中で、まだご入金の無い方も多くおられますが、

後からのご注文でも先にご入金された方が優先となりますので、売り切れとさせていただくこともご了承ください。

このトリビュートアルバムは自分にとっても有意義なものとなりました。

今、また新たな録音に向かっていることはもうお知らせしておりますが、次は「音楽の持つ美しさ」

を追求したもの、という取り組みをしております。

メインはギターのアンサンブルで、今までに出会った曲の中からそのひとつひとつの音使いの繊細な部分を大切にしようかと思っております。

さて、ここからはタイトルとは全く関係ない話。

2026年になったかと思ったら、早くも1か月の半分が過ぎてしまいました。

新年早々、面白かったことは、あの市長の再選かな。

僕はあの市長、元市長か…に比べればかわいいもんだと思っていたので選ばれてしまうんだろうな、とは予測していました。

あの元市長は態度が悪すぎる。

嘘のつき方が度を超して気持ち悪かったし、面構えも気持ち悪かったし…そんな風に思ったのは僕だけではないと思うけど。

片やこちらの市長は嘘をついているんだろうけど「みえみえ」という感もあってどうでもいい、と…

もちろん他県の事だし、ま、自分のところでも特に影響はないし、なんて考えてしまった。

本当にどうでもいいことですね。

どうしても政治に携わっている輩で支持してもいい、と思える人物は一人として居ない。

なんだろうね、これは。

山火事も困ったものだし、雪も大変、クマに関してはどうなんだろう。

また少し暖かくなったら大変になってくるのかも。

そしてまた、ひたすら耐えなくてはならない中東も東南アジアも顔負けの暑さがやってくる。

果たしてこのまま2027年というものを迎えることは出来るんだろうか…。

寒い!!!2026年1月

比較的寒さに強い僕でもさすがに寒い。風がかなり冷たいようです。

そんな中、皆様のおかげでそろそろJust a Little Memory & Keep on the Sunny Side

ともに完売が見えてきました。

再プレスは行わない予定でいます。

それよりも次!と考えるほうが妥当ではないか、という判断です。

本当に皆様には感謝あるのみです。

3日間ほどまたサウンドタㇺに行ってまいりました。

いろいろ考え、いろいろ相談して方向性を探りました。

そして、今回は、珠玉のインストルメンタルをメインにとにかく美しいメロディーを集めてみようかという結論に達しました。

と言えども、今やCDの時代でもない、という風潮もある中、しつこく制作に取り掛かかったわけです。

そして、前3作とはまた違った味わいのものができると確信しております。

5月の連休の後には出来上がることを目指しております。

当初の話題に戻って…とにかく寒いですね。

みなさん風邪ひかないように。

2026年 1月1日

やれ誕生日だ、やれ大晦日だ!と言っている間にもう年が明けてしまった。

そうこうしている間に1月が終わり、2月はあっという間に過ぎ、春かと思えばやたらと暑い日が続き、そうしていよいよこのまま死ぬのではないかと思わせる猛暑、酷暑の長い長い夏を生き延び、秋の気配を少しだけ感じた後、また一年が終わってしまう。

ま、考えようによってはそうして無事1年が過ぎてしまえば、それはそれでそれに越したことはない。

政治の世界はなにか変わって、国民目線で考える人がひとりくらい出るだろうか?

米の値段がいくら上がっても、物の値段が軒並み上がっても、結局は他人事でしかないんだろうな。彼らにとっては。

国民はそんな彼らに美味しい飯を食べさせてあげるためにあくせく働いている。

この構図にはもう慣れっこになってしまった。

スポーツや芸術の世界では尊敬できる人はいっぱい出てくるけど、政治の世界には誰一人として出てこないのは何故だろう。不思議だ…?

さて、よく今年の抱負は?とか言うことを聞くが。

ま、このままとりあえず健康体を保って過ごすことができればいいかな、と思っている。

無理のない程度に身体を動かして。

音楽では一昨年から立て続けにアルバムをリリースして、さぁこれで終わり、というわけにいかなくなってきた。

なぜならば、まだ生きていかなくてはならないので。

いや、それだけではない。

今まで支えてくれた人たちのためにも。

そんな意味ではナターシャーのトリビュートアルバムは大きな意義があった。

正直、録音に関してはそんなに苦労はなかったが、そこにたどり着くまではずいぶん試行錯誤を繰り返した感がある。

頭もだいぶ使った。

料理もけっこう頭を使うけど、音楽も頭を使う。良いことだ。

いやいや、自画自賛している場合ではない。

そこで次を考えている。いや、すでに動き始めている。

因みに、トリビュートアルバムはもうすぐ完売になるだろう。

本当に皆さんには感謝しかない。

そしてナターシャー・セブンのメンバーに。

今年は進ちゃんも時間が出来たようだし、ちょっと一緒にやろうか、なんていうことも彼と話し合っている。

ナターシャー・セブンの残した功績はまだまだ色あせることなく、それどころか更に濃くなっているようだ。

昼下がりコンサートがいい例だ。今年は更に盛り上がりそうだし。

この会のスタッフたちには足を向けて寝ることができない…ってどうやって寝たらいいんだろう。

さてさて、みなさん良い一年にしてください。

良い一年になることを願っています。

2025年12月28,30日 静岡、京都

今回の静岡は28日、日曜日のお昼。

27日に静岡入りして旧友の家へ。

昔だったら夜に何処かへ出かけて、ちょっと飲んだり食べたり…だが二人とも年取ったのかな?

家が一番、ということで近所のスーパーで買い物。

因みに彼とは中学、高校と同じ学校。

高校時代にもうひとりの、彼は一学年上だったが、その彼と3人でThe Roversというフォークグループを結成していた。

当時はフォークブーム。といえども静岡では先陣を切っていたかも。

ま、そんな感じでたくさんの昔話をして、早い目に休んだ。

いつものセレンディピティで今回はお客さんの中でもナターシャー・セブンの歌を歌いたい人にも歌ってもらい、みんなでそれなりに演奏する、などという企画で進めていった。

みんな好きなんだなぁ、音楽が。そしてナターシャーが。

この土地に生まれ、この土地でフォークソングを始めた僕にとっては何とも言えない感情がこみあげてくるのは当然の事だろう。

そして、こちらは第2の故郷。いや、もう此処も同等だろう。

京都。

前日入りして昔からの仲間と食事。こちらはまだパワー全開。少し僕らより若いから…だろうか。

みんな新たに始めた昼下がりコンサートの強力なスタッフだ。

沢山飲んで、沢山食べて、沢山お話して、いつものNさんの家に着くと、100歳のお母さんが出迎えてくれる。

今回も同じ話を何回も聞いたが、その中で「まぁ、良い人生やった…」というフレーズに誰もかなわぬ説得力を感じた。

是非150くらいまでいってほしいが、そうなったらほぼ間違いなく僕らがいないだろう。

200まで…モーゼもびっくり!

そして当日は僕の76歳誕生日コンサート。

もちろん今回はナターシャー・セブン、トリビュートアルバム記念コンサートだ。

そして嬉しいことに進ちゃんがベースを持ってきて一緒に演奏してくれる。

僕も勝手に「これやろう、あれやろう」と注文つけて大変だったかもしれないけど、改めて彼の素晴らしいミュージシャンシップを垣間見ることができた。

やったことのないものでも実に上手くツボを抑えてくれるし、なんといっても寄り添ってくれるのだ。

僕はこれが最も大事なことだと思っている。

シンガーの、あるいはリードしていく相手にどれだけ寄り添った演奏が出来るかは、普段の生活の中でも生かされているんだろう。

彼の音楽に対する姿勢からそんなことも感じることができた。

僕も気持ちよく歌えたし、バンジョーを貸してくれた猪間君にも感謝。

素晴らしい音を作り出してくれた澤くんにも感謝。

僕の京都入りからCD販売、その他なんでも面倒を見てくれる、もうかれこれ50数年にもなる仲間たち、七人の会の元スタッフ、そして都雅都雅の広瀬さんとそのスタッフ。

ここもやっぱり静岡と同じ故郷だ。

打ち上げはいつものラティーノ。

ほぼ毎年、隣のテーブルにやはり12月30日の誕生パーティをする人たちがいて、なんと今年は67歳だったらしく、ちょうど良かったので僕のために使った76のローソクをあげた。

オーナーの川端さんも元気いっぱい。

また来年同じ仲間と同じ場所で会えるだろうか。

1年か…いや、すぐ来るよ、きっと。

それまで皆さん元気で。

静岡のお客さんもスタッフも旧友も、京都のお客さんも家族のようなスタッフも、そして101歳を迎えるお母ちゃんも、みんなみんな元気でいますように。

良いお年を。

あと3時間ちょっとで新年。

クリスマス

子供のころ、クリスマスになると聖歌隊がやってきて玄関先で歌って行った。

あれは、母がよく近くのルーテル教会に行っていたからだろう。

それにお隣さんはカナダ人の宣教師さんだったし。

母は、仏教のあの暗い雰囲気が嫌だ、と言っていた。

確かに教会に比べてお寺って暗い感じはする。

讃美歌とお経を(比べるものではないが)どちらがより音楽として捉えられるか…なんて。

ピアノは母の影響だったし。

そんなんで、僕も訳の分からぬままに近所の聖母幼稚園という所に行っていた。

入り口にマリア様の像があったことは覚えている。

そのほかの事はほとんど覚えていない。

でも、あの聖歌隊は母が通っていたルーテル教会から来ていた人たちなんだろうなぁ。

起床ラッパと消灯ラッパの区別がつかなかった父も聴いていたんだろうか。

以前書いた、渡辺さんのクリスマスケーキも想い出深いものだが。

さて、でも子供心に不思議に思ったことがある。

母が亡くなった時、お坊さんが来ていた。

父は、というか家はどうやら浄土真宗だったようで、母の教会通いはあくまで好みの範ちゅうだったようだ。

それで僕は、なんか一生懸命教会に通っていたのに、死んだらお経で…ってどうよ?

と思ったわけだ。

その時、10歳にしてすでに、結局、宗教って死んだときに何で送られるかだけ考えておけば良いのかな。なんか不本意だったんじゃないか?なんて思ったりもした。

でも、東京から大阪に行くのに、新幹線を使うか、飛行機で行くか、車か、在来線か、バスか…いろんな手段があるように、人間死んだら全て同じところに行くのかもしれないし、それぞれ方法が違うだけの話かな、とも思った。

なんか10歳のころの疑問だけど、いまだによくわからない。

母は棺の中で「違うんだなぁ~」と思ったかもしれない。

僕と省ちゃんみたいにハモっていたかもしれない…アホな!

あれは12月の中ごろ。すぐにクリスマスがやってきたが、聖歌隊は来なかったような気がする。

覚えていない。

12月は自分の生まれた月でもあるし、そんな事も経験した月だ。

クリスマスが過ぎるともう今年も終わりですね。

あ~忙しくもいないのに、忙しい…???

パンダ

日本からパンダが居なくなるらしい。

いつだったか上野動物園に見に行ったことがあった。

いや、特に興味があったわけでもなく、ただ単に時代の波に流されていただけだが。

万博もそうだったと思う。もちろんあの70年代の。

まだ行動力も世間一般の出来事にも興味を持つ意欲が有り余っていたころだ。

しかし、今回のパンダのニュースを見ると、老若男女、泣いている人もいる。

それはそれで素晴らしいことだ。

パンダが居なくなったって…なんて思っているが、悲しむ人も沢山いるんだなぁ。

僕にとっては餃子が無くなるほうが悲しい。

あれは中国の生み出した物としては最高傑作だと思う。

焼売もしかり。

街から中華料理店が消えたらそれはそれでパンダより困る。僕としては。

街中華、なんて言っている場合ではない。

家でこっそり餃子作っていたらスパイだと思われるかも。

僕は酢をいっぱい入れて結構「スッパイ」タレが好きだ。なんじゃそりゃ。

パンダのぬいぐるみはどうなるんだろう。

日本から撤退、なんて。

以後、パンダのデザインがついたものは一切売ることが出来なくなったりして。

クマがかわいそうって言っている人にとっては、クマもパンダも一緒なんだろうな。

確かに熊猫なんだが。

ところで、レッサーパンダも居なくなったりして。

ドジャースのバンダは最初パンダだと思った。なんちゅう名前や!と。

だんだん話がまとまらなくなってきたのでこれで失礼。

2025年12月15日

またこの日がやってきた。

この日を「饅頭の日」と定めようか。

しかし、このごろ甘いもんオンパレードで少々危険を感じている。

君が居れば手伝ってもらえたのになぁ。

歯は悪かったけど、饅頭やお団子、ゼリーやババロアだったら食えるだろう。

僕は若い時には絶対ケーキ(洋菓子)だったけど、彼は絶対和菓子だった。

もし今居たら逆転しているかも。

「げんをかついでケーキがええで!」なんて言いながら。

京都ではよく清水さんに食べに行った。

あの有名なかさぎ屋さんだ。

亀山をいとおしげに楽しむ様はいまだによく覚えている。

話変わって、

今年のトリビュートアルバムで、多くの人が君の声が聴こえた、と言っている。

確かに僕自身も驚いた。

なにも意識はしていないし、質も高さも全く違うのに、ふとした拍子に「あれ?」と、いまだに感じている。

不思議なもんだ。

今日はまたそれでも聴きながら饅頭でも食べるか…。

饅頭にはお茶だよな。

むかし、静岡生まれの僕が一発入魂の緑茶を淹れてあげたら、口に含んで「ブクブクブク」と。

「お前!」

なんていう事もあったなぁ。

よし、饅頭買いに行こう。

美味しいお茶を淹れて、君にはパックのお茶だ。

またまたゴールデンレトリバー

驚いた。

今朝ウォーキングをしていたら、見たところまだ子犬という領域のゴールデンレトリバーに遭遇した。

そして、示し合わせたようにすごく喜んで飛びついてきた。

飼い主さんが申し訳なさそうに「すみません」と言っていたが、なぜかこの種の犬は僕には限りなく相性がいいのかもしれない。

2013年の6月に同じくゴールデンレトリバーのことを書いたが、今回のはまだ子犬であり、あの時のとは違うはずだ。

なんか前世にあったのかなぁ。

僕がゴールデンレトリバーだったのかも。

ゴールデンレトリバーが僕だったのかも…同じか。

しかし、あの時、アメリカでの犬は明らかにニコニコしていた。

それは、ともすれば人間に見えるくらいクリアーにニコニコしていた。

それも僕を見るなり。

それまで普通に歩いていたのに突然僕に向かって走ってきたのだ。

今日の子犬もそれに近かった。

前世は決して信じないわけではないが、そう信じているわけでもない。

しかし、こんなことがあると、やっぱりそれってあるのかな、と思わざるを得ない。

ずいぶん前に、これもアメリカでの話だが、えらく長いことリスについてこられたこともあった。

あのリスもなんか不思議だった。

さすがにニコニコしていたかどうかは分からないが、止まって振り向くとむこうも止まり、また歩き出すとついてくる。

しばらく続いてどこかへ行ってしまったが。

こういうことってよくあることなんかな?

それにしても不思議だ。

2025年12月7日 サウンドタㇺ

お馴染みのサウンドタㇺ。

今回はお馴染み、河合徹三氏に加え、歌い手の脇山えりかも登場する。

そう、トリビュートアルバムの「街」にコーラスで花を添えてくれた人だ。

朝から抜けるような青空が広がり、またしても天気は上々。

スタジオに着くと、甘いもの好きの僕のために大きなおはぎが用意されている。

更に、えりかさんが僕の大好物「アンドーナツ」の絶品を購入してきてくれた。

更に、誰かが持ってきてくれた赤福…どうする?

僕の父も確かに甘いものが好きだった。

朝から大福なんか食べていたし。

お昼ご飯にパンを買って来る、と出て行って、袋にこれでもか!というくらいのアンパンを買っていたっけ。

その血を引いているんだろうなぁ。

さて、リハも3人で順調に終わり、いよいよ本番。

今回もありがたいことに席は全て埋まっている。

久しぶりに「別れの歌」なんか歌って、それも1部の頭の方。

もう終わり、みたいけど、皆さんのお顔を見たらこれを歌いたくなったのだ。

事前に用意してはいたのだが、ちょっと最初の方からじゃなぁ…と危惧していた。でもみんなも歌ってくれて良かったと思う。

てっちゃんと数曲やって、そうそう、「君眠る丘」はGでやるはずが、なんとなくFで入ってしまって、一番を歌ってハーモニーに来ると、なんかてっちゃんが歌いにくそうだったので、何故かなぁ?と思いながら「あ、FじゃなくてGじゃん」と言ってパッとカポをずらしてGに行った。

しかし、流石だ。

突然のFにもベースはしっかり対応していた。大したもんだ。

ま、ナターシャーでもたまにはあったことだが。

そしていよいよえりかさんの登場!

要望により僕は久々のDADGADで伴奏をする。

透きとおった声はやはり場を変えてくれる。天使が舞い降りたように。

彼女のオリジナル「サンフラワー」と「海原」で素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

現在、アルバムを製作中だが、良いものを作ってくれるだろう。期待している。

あとはてっちゃんと僕とで、ほとんどフォークデュオ。

てっちゃんの「Rambling Boy」は、これから彼の18番になるかも。

「街」に達すると、多くの人が涙…また涙で、一層みんなの歌声が響く。

若いえりかさんにとってはまた別な世界だが、このレコーディングで、しかも「街」一曲だけに彼女を起用したことは大成功だったと思うし、Mountains of Pomeroyと組み合わせたことも他に類を見ないかたちで大成功だったと確信している。

そういえばえりかさんの「サンフラワー」には間奏にスコットランド民謡の「Loch Lomond」を挿入した。

これも僕でなければ出ないアイディアだろう。

そして、最後は「陽気に行こう」をみんなで。そしてフォギー。

今回は明るく終わってみた。

いままでのコンサートの中でも一味違った、そして落ち着いた中でみんなも歌い、そして泣き、そして笑い…なんかとても良いコンサートだったような気がする。

てっちゃん、えりかさん、たむちゃん夫妻、そして寒い中を駆けつけていただいた皆さんに感謝。

京都や大阪、そして三重県からも…遠いところ有難う。

歌で恩返しができたかもしれない…と勝手に思っております。

どうかみなさん、体に気をつけて良い年の瀬を迎えてください。

2025年11月29日 グッドストック東京

良く晴れた、11月の終わりにしては暖かく、それでいて空気はひんやりとした理想的な日和になった。

良かった。まだ晴れ男健在だ。

今日もベースのてっちゃんと一緒だ。

ナターシャー・セブン、トリビュートアルバムの発売記念。

実はこの場所、グッドストックがこのアルバムを作るきっかけのひとつになっている。

それというのが…。

ここは受付のスペースに多くのLPレコードが置いてある。

いろんな分野のアーティストのものが。

前回お邪魔させていただいた時、始まる前になんとなくそれらを一枚一枚見ていた。

山崎ハコ…お~懐かしい。けっこう好きだったなぁ…。

かぐや姫の最初のアルバム…。

浅川マキ…。昔、省ちゃんと楽屋に行ったら「あたしが化粧落とした顔を見たのはあんたたちが初めてよ」と言われてビビったことがある。にっこりしていたが、ビビった。

そんな中、沢山のナターシャー・セブンのアルバムも出てきた。

それらを見ていた時、ふと「想い出の赤いヤッケ」のジャケットが眼に入った。

いや、そんなものは眼に入るわけがない。

つまらないことは言っていないで、そのジャケットをしばらく見ていた。

それは、ぼくらメンバーがそれぞれの自画像を自分なりの手法で描いたものだった。

ずっと見ていた時、すでに分かっていることなのに何故か「あれ、みんないなくなっちゃったじゃん…」と心の中で呟いてしまった。

そんな気持ちがこのアルバムをつくる決心を固めさせたような気がする。

してみると、このグッドストックは重要な位置にあると言えるだろう。

事実、ここのオーナーである新見さんは、若かりし頃、ナターシャー・セブンコンサートのお客さんであった、という人だ。

そんな意味でも今日のコンサートでナターシャー・セブンを歌う、というのはひとつの使命、とも言えるだろう…って大袈裟か。

ギターソロから入って、歌って、ちょっとバンジョーを弾いて、てっちゃんを呼んで、一緒に歌って、2部ではてっちゃんのソロから僕が是非彼に歌ってほしかった「ランブリングボーイ」

これ、凄く彼が歌うのに良い、と思ったが、ぴったりハマったし、新たなフォークデュオ、とも言える感じに仕上がったような気がしたが…どうだっただろうか。

「朝の雨」も「山と川」もすべてハモってくれて、新曲もきっちり安心感のあふれるベースを弾いてくれてとても良い音楽会になったような気がする。

集まってくれた人たちも沢山歌ってくれてとても嬉しかったし。

てっちゃんの専属整体師の女性も僕の「甘いもん好き」を良く知っていて、すばらしい大福と栗羊羹を持ってきてくれたし…もちろん始まる前にペロッといただきました。

美味しゅうございました。有難う。

音響の吉田さんはブルーグラスマンドリンプレイヤーで本職は靴屋さんだそうだ。

今では下駄や草履などトラッドなものを作っている、と言っていた。

良い音を有難う。

足を運んでいただいたみなさん、有難う。

もう12月です。

暖かくしてあと少しの2025年を楽しくお過ごしください。

トラディショナルとコンテンポラリーの狭間に

たまには音楽の事も書いてみようかな。

政治に対する疑問をぶつけても仕方ないし。

何が「メンタルの強さ」だ。ただ、悪いことをしても悪いと感じないだけだろう。

恐ろしい動物が市の長になっていたもんだ。

そういう意味では、クマと変わらない。

おっと、また始まってしまいそう。

仕切り直して。

なぜか急に自分の音楽の原点を考え出してしまった。

もちろんわかっていることだが。

多分、バンジョーの2作品、そしてナターシャーのトリビュート、この3作品を作ったことで、なお深く様々な事を思い出したり考えたりしたんだろう。

とにかく、かなりの神経を使ってきたことは確かだ。

楽曲に関する記憶を辿り、指使いに関する記憶を辿り、そして新たな指使いを創り出し…。

そんな中で自分の音楽として歩んできた道を考えていた。

ピアノは本当に好きだったようだ。シュローダーみたいに。

高石さんと出会ったのも必然的だったのだと思う。

さぁ、ヒット曲を作って…というものではなく、原点から自分たちなりのものを創り出していく、という姿勢は僕にとってぴったりだった。

そして、省悟が加わり、ここにナターシャーサウンドの基本が生まれた。

コーラスも楽器の絡みも、その基となるものは僕と省ちゃんによって作られたものだ、といっても過言ではない。

そこにきて、僕の、特にトラッドをより深く知ろうという姿勢が高石さんと酷似していたのかもしれない。

それは僕がアイリッシュを始めたころのジャックとの出会いと同じものがある。これも必然だったのだろう。

音楽はただ好きでやっていても決して悪くはないが、僕らのような音楽をやっているのならば、そのもととなるところに最低限のリスペクトは必要になってくる。

そのうえで、常に思っていることだが、バッハからロバート・ジョンソン、果てはブラックピンクまで聴くことを常に心がけている。

しかし、あの「アーパツアパツ…」というのはよ~分からん??が、ひたすらキャッチーであることは確かだ。

常に若い人の意見も尊重し、古いものに対するリスペクトを忘れたくない。

音楽に限らず、全てに言えることかもしれないけど…。

大森 風に吹かれて 2025年11月22日

ほぼ一年前 11月2日だったが、あれからもう1年。早いもんだ。

あの時は少しだけ雨が降っていたようだ。

今回は素晴らしく良い天気だった。

あれ、曇っていたかなぁ…昨日の事を忘れる、というのは…。

いや、でもとりあえず雨は降らなかったし、何を食べたかも覚えている。

キリンさんの企画で、また沢山の人が参加してくれた。

お顔は覚えていま~すが♪

いつも長丁場で金谷さんはじめ、お店の人が一番大変だろう。

ここは料理もなかなかに美味しい。

とはいいながら、ゲストとして呼んでもらっているので、みんなの前で食べるのもなぁ、と思ってしまうが、もちろん以前にも個人的には来たことがあるので知っている。

お料理のスタッフに感謝。

終了後もちょっとしたレクチャーも含めセッションで盛り上がり…と、いつもの事だが。

これがなかなか終われないのだ。スタッフに申し訳ないが。

いや、終わらないのだ。

みんな終わりたくないし、僕も終わりたくない気分にさせられてしまうのはみんなのおかげだ。

そして更に、ナターシャーセブンのトリビュートアルバムを出して間がないので今回は特別な気持ちもあった。

このアルバムは本当に作って良かったと思っている。

この日のように、こんなに多くの人がナターシャーサウンドを愛してくれている、ということを再認識させられるし。

一人で歌っていてもみんなが一緒に歌ってくれるし、歌詞を忘れたら教えてくれるし、ありがたいの一言に尽きる。

幾人かの方とはまた来年の昼下がりコンサートでお会いできるだろう。

みなさん、お疲れさまでした。


外交

中国との会談で、あのポケット外交(正式な呼び名ではないので是非ここは突っ込まないように)

を見て、ちょっと思い出してしまったことがある。

レストランにいたころは本当に多くの民族と一緒に居た。

それもほとんど一日中といっていいくらい。

その中でもベトナム人、中国人、メキシコ人とは、すぐやめたやつも含め、かなり仲良くしていた。

やっぱりベトナム人がいちばん分かり合えたかもしれない。

いや、他があまりにも違ったのでそう感じたのかも。

何が悪いわけでもなく、ただそのように生まれ、そのように育てられてきたのだろう。

それだけの話だ。

ある日中国人のおばちゃん、ハリーさんが言った。

「日本人はペコペコお辞儀ばっかりする。みっともない」

確かにハリーさんはいつも、なにがあっても頭を下に下げることはなかった。

中国何千年かの歴史に誇りを持っているようだった。

時には鼻につくくらいに自信にあふれていた…ように見えた。

あのポケットに手を突っ込んでいたやつのおばちゃん版だ。

そして僕らはあの日本から出向いて行った人のようだった。

聞くところによると、偶然、通訳の言葉を注意深く聴いていたところを切り取られたようだが、日本人のそういった、ある種、きちんと相手を立てる仕草なんておおよそ関係ないのだ。

中国人はある意味、非常にアメリカ的だ。

日本人には良くも悪くも「恥」とか「外聞」とか、そういうものがある。

なので多くの中国人は平気で「ハウ・ヨー・ドーイン!」といった中国アクセントで大声であいさつする。

「881」なるスラングはサヨナラの意味。

「ババイ~」聞こえようによってはあの爆発音のごとく「パパイ~」に聞こえるので、中国語の「8」と「1」でそうなっているのだろう。

ま、とにかくこれからどうなっていくのだろう。

すぐ収まるだろう、と思っていた日本政府はちょっと甘いのかも。

しかし、それにしてもかなり子供じみている、という印象だ。

北のあの国も、やれ汚物だ、大音量だ、ってまるでピンポンダッシュ。小学生以下。

どちらにせよ、国民の中にはそれなりの分別がつく人間も沢山いるとは思うが、政治に関わっている連中にはそんなものはまるっきしなさそうだ。

どの国もそうだが。

そのうち中国から黄砂に混じってなんか飛んでくるかも…。

日々の天気予報にも新たな注意報が流れるかも。

ところで、あのポケットの中。

殴りかかりたい感情を抑えるべく、固くこぶしを握りしめていたんだろうか?

外交も難しいもんだなぁ。

小さなレストランでさえ、多民族の考えの相違が日々発生しているんだから。

朝のウオーキング

やっぱり季節は大きく変化している。

そろそろ手袋の準備をしなくては…「手袋さんよ、手袋さん~♪」

汗もかかなくなってきているのでシャワーも必要ない。

そんな中、今朝、いつものコースで病院の前を通りかかった時の事。

救急車が今まさに到着。病院の前に停車しようとしている。

とても丁寧なアナウンスで「右側に寄せて停車いたします」と言っている。

ゆっくりと入口に近づいている。ピーポーピーポーは鳴っている。

その前を普通のOLっぽい子が歩いている。

ゆっくりと。

あれ、気が付いていないのかな、と耳元を見るが、なにも耳には装着していない。

ならば、気が付いているけどお構いなしなのか。

僕は心の中で「轢いてしまえ!」と叫んでしまった。

アメリカのレストランにいつも魚のデリバリーに来ていた、どこからみても普通のアメリカの若者という感じの子がいた。

「What’up Dude! Sushi Dude!」と、いつもニコニコして、ロックスターのような風貌の若者だった。

そんな彼がある日言った。

「俺、救急車のドライバーになりたいんだ。そうすりゃ駐禁とられることもないし、邪魔なやつはバンバン当てていけばいいんだし。気持ちいいぞ、どけどけ!この野郎ども!ってサイレン鳴らして走るんだ」

しょっちゅう何枚もの駐禁チケットを持って裁判所に出向いていたらしい彼は、今頃どうしているのかな。

今、読み返してみたら、2021年に「緊急車両」という項目で彼について書いていた。

話を戻して、

どうもいろいろ見ていると人間の感覚が鈍ってきているようにしか思えない。

なんでも世の中が便利になって、自ら考えなくても、自ら足を運ばなくても良くなってきて、周りも気にしなくてもいいように常になにか聴きながら歩き…等々。

街を歩いていると本当にそういったことが目につく。

なんとか党の党首が逮捕されたが、あの動物は世の中に要らんやろ、と僕は思っている。

ま、地球以外の星に行ってギャアギャア言っていれば良いのではないか、と。

急に話が飛んだようにも思えるが、結局、ああいう動物が増えてくると、人間として本来あるべき姿というものがだんだん薄れてくるような気がしてならない。

せめて自分としては、いろいろ周りに眼をくばりたいものだが、それだから気になってしまうのかな?

でも、せめて疑わしいものには引っかからないように、よく考えるようには心がけている…なんて、そういう人間が引っかかったりしたら笑い者になってしまう。

あ~、面倒くさい世の中になってきたもんだ。

11月も1週間…

このところ、毎回こんな風に始まっているような気がする。

そんな中、突然、電子レンジが壊れたみたい。

いろいろ試したが、どうも寿命かもしれない。

あんまり使わないが、やっぱり無いと不便な事も分かっている。

出費がかさむなぁ、と思いながらも、幸いすぐ近くに大手の量販店があるので出かけてみた。

立派な機能がいろいろ付いているものはかなり高額だが、どうせそんなものは要らない。

最低、物が温まればいい。

なので、最高の値段の物には眼もくれず、最低の物から当たってみた。

そういえば、こんなことがあった。

昔、東芝でレコーディングの最中「ウナギでも食べよう」とディレクターやエンジニアー、そしてスタッフたちと有名店に出かけた。

あれは箱根のスタジオにいた時だった。

なので、三島まで出かけ、僕でも知っているくらいの有名店に入った。

みんなでメニューを眺め、それぞれ「僕、最高のやつ!」なんて張り切って言いながら、一番高いやつを意中に収めた。レコード会社の支払いなので…。

そこで、あまりウナギが好きでない省ちゃんが言った。

「僕、最低なやつ」

後ろの席で、その「最低なやつ」を食べていたおばちゃんがずっこけていた。

ま、そんな話はともかく、僕は最低から2番目のものを買った。

機能的にもそれで十分だったし。

それで、若い店員の男の子に「すぐ近所だし、持って帰りますよ」と言ったら「え?大丈夫ですか?14㎏ありますよ」とちょっと驚いていた。

が、彼の手厚い梱包のおかげで、こりゃ行ける、と思った。

が、言われた通りなかなかに重い。

電子レンジってこんなに重かったっけ、と…こりゃバンジョーどころではない、と。

結局、歩いて3~4分の距離、なんとか無事持って帰ったが、どうやら古いものも引き取ってくれる、という話だったので、空いた箱に入れた。

そこで不思議に思ったのが、古い物のほうが少し大きくて機能もそこそこ付いていたのに、こちらのほうが軽い。

15年も使ったからかな?いや、なんでやねん!

ま、とにかくそれを持ってまたすぐに出かけて行った。

先ほどの若い男の子が「あ、もう持ってきてくれたんですか?きれいに箱に入れて。ありがとうございます」などと言って、にこにこ応対してくれた。

疲れたが彼のおかげで気持ちのいい疲れで済んだ。

結局はこれから先、何年使うかわからないし、いろんな機能は使いこなせないし、スマホもPCも自分の度量に合わせたもので十分。

なんて言いながら100まで生きてしまったら、あと2回くらい電子レンジを買わなくてはいけないかも。

そしてもう持って帰るのは不可能になるかも。

なんて思いながら新しい電子レンジを眺めている秋の夜長です…にしてはちょっと寒い。

因みに、オーブンレンジだ。

11月

さぁ、11月だ。

ついこの間まであんなに暑かったのに。

今日は10月の最終日。ハロウィーンだ。

アメリカではバスのドライバーとかも、いつもと違うコスチュームだった。

僕は家の灯を全部消して誰も来ないようにしていた。

そして、9、11の年のハロウィーンは静まり返っていた。

いったい、いつごろから日本でバカ騒ぎをするようになったんだろう。

まぁとにかくこれで10月も終わり。なんか早かったなぁ。

まだ総括するには気が早いけど、これ、ひょっとすると、あっという間に年末、そして正月がやってくるだろう。

毎日毎日、普通に暮らせていることは本当に有り難い。

ウクライナとかガザとか、他にもとんでもないことが続いている所があるかと思うと、そろそろ地球自体リセットが必要なのかな、と思ってしまう。

たかが数人のバカのせいで。

今年はあんまり台風も来なかったような気がする。

もちろん、僕にとってなので、東京では、ということだが。

たまに大雨の危険を感じたり…それも1回だったか?

ミサイルも飛んでこないし、蚊も飛んでこなかった。

今の脅威は「熊」か。

あれ見ていると、あんなのが出てきたらもう何にもできないだろうな、というのがよく分かる。

いまだに役所に「熊がかわいそう」という電話があるんだろうか。

住所と名前訊いて、捕まえたやつ宅急便で送ってあげたら、って、宅急便の人嫌だろうな。

そのうち渋谷のスクランブル交差点に熊出没なんて…いうことはないか。

それにしても、なんとかその辺りに住んでいる人たちの身の安全を確保してあげたいものだ。

いくら考えてもどうしようも出来ないようなことが多すぎる。

そうして一生が終わるのかな。

とりあえずこのまま平穏無事に終わってほしい。

いや、まだ終わりそうもないが。

今朝は調子が良かったし、天気もそれほど寒くなくそこそこ良かったので朝っぱらから20000歩も歩いてしまった。

正直なところ「しまった」と思ったが、特に疲れてはいないし、明日は雨っぽいので今日のうちにこれだけ歩いておいて正解かな?

正解は省ちゃんとよく「三好青海入道」と言ったものだった。

11月、というタイトルには沿っていないが、なんか気ぜわしくなってきた。

そんな気がするのは僕だけだろうか。

実はもう次のアルバムを考え始めています。

Keep on the Sunny Sideがおかげさまでかなり少なくなってきたので…というか、すでに計画にはあったのですが、もう次で最後かな?なんて思って…。

指も身体も動くうち、頭もなんとか考える力があるうちに。

ウォーキングは様々な事を考えられてとても良い。

思い起こすこと。想い出すこと。今現在の事。そしてこれから先の事。

1時間半も歩いているとたまにはいいアイデアも浮かんでくるし。

11月はさすがに少し寒くなってくるので防寒対策はしっかりしなくちゃ。

それではみなさん、Happy Halloween !!

ヤジ

見ても聞いてもいなかったので、何とも言えないが、前々から気にはなっていた。

国会のやじの話。おやじではない。

今回の首相所信表明というもの。

その際の「ヤジ」というのが酷かったらしく…いや、何度か見たこともあるが、結果、こいつらは勘違い集団、脳無し集団…他に言い当てる言葉があるだろうか…という風にしか見えない事が多々あった。

誰だか「聞く耳を持つ」とか言って全く聞かなかった奴がいたけど、別にわざわざ言わなくても基本的なことだろう。

いつも同じことを思うが、肉声で動物愛護を訴えている人のすぐ横で、マイク片手にギャアギャア言っている政治家。

騒げば良いって言うもんじゃないことくらい考えなくても分かるはずだと思うが。

「ヤジは国会の華」とか言う言葉があるらしいが「ヤジは国会の恥」だ。

これを擁護する低俗な考えが僕にはよく分からない。

そりゃあ、いろんな考え方があることは分かるが「他人の話を聞くよりも自分の言いたいことのほうが大事」という考え方は、どう考えてもよく分からない。

音楽をやっていると、音楽は対話だ、ということがよく分かる。

それは他者との対話でもあり、聴く人との対話でもあり、そして音楽そのものとの対話でもある、と感じる。

こういうのってわざわざ言葉で書くと薄っぺらく感じるが、本当にそう思っている。

なので、なおさら人が話しているときにギャアギャア言う政治家というものに辟易してしまう。

そんなことより、大きなレタスが安かったので買ってきてテーブルの上に鎮座していた。

さて、これどうしようかな、と、ふと考えた。

お、冷凍庫にチキンがあった。人参も冷蔵庫にあった。なんかはるさめの残りもあったかも…。

ショウガもあったし、これ鍋に入れて、先ずごま油で炒めたら中華だしで味付けしてスープにして、そこにレタスでも思い切り入れてみようかな。これだったら沢山使えるんじゃないか、と。

むかし、一緒に働いていた日本人のシェフが、白菜のかわりにレタスをすき焼きに入れていた。

白菜が無かったので仕方なしだったが「レタスのすき焼きかぁ…まじいだろうなぁ」と宮崎弁で言い放ち、クッククック笑いながらレタスを切っていた。

「どうせアメリカ人には分かりませんよ。でも…まじいだろうなぁ」とも言っていた。

しかしながら、この中華味スープとはかなり相性が良かった。

レタスは見事にこの料理と対話していた…って無理やりそこに持っていくか?

これまた全然関係ないが、子供のころ父親が「耳なし芳一」という紙芝居をよくやってくれて、それが滅法怖かったのを想い出した。

サンドイッチのパンを「芳一パン」と呼んでいたのは僕と省ちゃん。

寒くなってきました。

いえ、本当に寒くなってきました。風邪ひかないように。

テレビ

ほとんど見ることはない。

ニュース、ドジャース、良い映画、興味のあるドキュメンタリー。

なので朝、起きたときに天気予報を見て、たまにBSのワールドニュース。夜はほとんど点いていない。

点けても、なんか芸能人とやらのバカ騒ぎの声がするのですぐ消すが、最近、別にもすぐ消す番組が現れた。

政治に関することだ。

政治家の顔が出てくると不愉快になって慌てて消す。

チャンネル変えても出ているし。

しかし、国民の政治離れというよりも、政治家の国民離れと言ったほうが当たっている。

映画では久々にETをやっていたので見始めたが、あまりに短く編集されているので興味を削がれてしまって途中でやめて寝た。

Field of Dreamsは何度見ても良い映画だ。また泣いてしまった。

American Sniperも最近やっていた。

民放はコマーシャルの多さに驚くことがある。

今、トイレ行ったら始まっちゃうかな…と考え、待っても待っても始まらないし、えい!行ってしまおう、とトイレから帰ってきてもまだコマーシャル、ということがよくある。

なんだ、悩むことはなかったじゃん、と。

ドジャースは久々にしびれた。

ドジャースの試合の後はほとんど必ずと言っていいほど、こーちゃん(ロッキード)と電話で話をする。彼の野球に関する眼力は凄いものがある。

佐々木、全然だなぁ、と言うと「いや、あんなもんじゃないで。そのうちやるで!」

大谷も当たらんなぁ「ダメやなぁ、確かに。それでもなんかやってくれるで、きっと。ピッチャーであんだけ投げていたら大したもんやで。手術までして」

「ベシアもスネルも、ホンマはトライネンかて、ええピチャーや」

大体、彼の言っていることは当たる。

むかし、脚立から落ちて、手を捻った時の医者に対する第一声が「野球できますか?」だったそうだ。

僕と同じ歳の兄がいたが、兄弟で凄かったようだ。

こーちゃんに言わせると「わしなんか問題外や」というほどの兄。

ある時、みんなで野球やっていて彼がセンターを守っていた。そこへライナーが行き、バックホームのために思い切り投げた。

ちょうどセカンドに高石さんがいた。

おもいきり投げた球が思い切り高石さんの頭に当たって思い切り天高く跳ね上がった。

みんな驚いた。

硬球だったらえらいことだったが、高石さん苦笑いして立っていた。

こーちゃんが「そんなとこに立っているからや。センターに球が飛んだらしゃがまにゃいかん」

あれ、テレビの話がいつの間にか野球の話に…。

ま、しばらくの間はまたドジャースでテレビにはお世話になるかもしれない。

それ以外はほとんど静かに鎮座しているが。

記録

ドクターサウンドの小林氏からこんなメールが送られてきた。

「10月14日は重要な日だったようです」と。

記録によると、カーターファミリー最後のレコーディングが行われたのが、1941年10月14日。

それから34年後の10月14日に、ナターシャーセブンは録音のために箱根のロックウェルスタジオに移動。

それも、107ソングブックシリーズの最初、オリジナル・カーターファミリーをお手本に、だった。

因みに1941年は高石氏の生まれ年。

様々な記録を調べてみると35年後の1976年だったのではないか、という疑問も生まれてきたが、その辺は今、ここではどうでもいい。

今日は10月15日。「わたしを待つ人がいる」を録音したのが10月15日となっている。

またまた因みに、Foggy Mountain BDが録音されたのは1949年12月11日。

この年の19日後に僕が生まれた。

記録というのは見返してみると面白い。

あ~そうだったんだ!とか計算が合わないなぁ…とか。これ写植ミスじゃねぇ?とか。

どちらか、小林氏を上まわるナターシャー記録係の方がいらっしゃたら、また興味深い記事を送ってください。

検証すべき事柄がいろいろ出てくるかもしれません。

そしてまた秋

何だか西の方は今日でも30℃くらいのところが多くあったようだ。

東京も蒸し暑さは少し感じたけど、半袖のTシャツで涼しさを満喫できる、もってこいの日和だった。

さすがの僕も、もう水浴びではちょっと寒い。

でも、朝早くに歩いた後は思い切って水を浴びている。でもあと数日だろうな。そんなこと出来るの。

なんかシャキッとするのだ。

そしてコーヒーを飲む。

秋はコーヒーの香りが増すような気がする。

空気の中を漂う香りが夏と違って軽いんだろうなぁ。爽やかなんだろうなぁ。

そして、流石に今日から薄い掛け布団を用意しようかと思っている。

ここ数日、夜中に目が覚めて、おや?なんか寒いかも…と感じたからだ。

寒いのは平気だが、やっぱり寝ている間は冷えるのかな。

夏は暑さで寝ている間の危険度はアップするけど、冬も危険度は高いんだろうな。

気が付けばもう10月も半ば。

気が付けば米を食べたのは一回だけ。

やっぱりパンが好きなようだ。って自分で言うのもおかしいが。

でも、昨日友人が畑でとれた里芋を送ってくれた。

そこで、先日安く買ったごぼうがあり、人参があり、冷凍室にシイタケと鶏さん、レンコンはないけど、筑前煮?がめ煮?ま、そんなものを作ろうと思い立って朝から作った。

普通もう少し時間がかかるのかもしれないけど、あ、こんにゃくだけ買ってきた。

こんにゃくのあく抜きをしている間に全ての野菜を用意し…僕にとっては至って簡単。

そして味もいいものができたが、これで白米とも思わない。

さすがに、パン、とも思わないが。

お茶を淹れて、それで十分。

コーヒーとパンも良いが、たまには和食も良い。

とにかく、やっぱり秋は何気なし何か食べたくなる季節なのかも。

夏には絶対に作りたくなかったシュウマイも再開しようかな。

来週あたりからもう少し秋が深まってくるかも。

もう少し長い間大好きな秋を堪能させてほしい。

皆さんも、束の間かもしれないけど、秋を楽しんでください。

そして、すぐに寒い寒いと言う季節がやってくるでしょう。

秋の夜長に

一日中雨だった。シトシトと冷たい雨。

子連れ狼が出そうな雨。

寒いというほどでもなく、冷たい雨はやっぱり秋を感じさせる。

ほんの少しの間…。

何気なし、ここしばらくのアルバムを聴いてみた。

Back to Banjo けっこう練習したなぁ。

約30年近く、ほとんどこういったものは弾いていなかったので。

それでも最後の方、フォギーのセットなんかは鬼気迫るものを自分でも感じる。

産業大学のあの坂道をバンジョーを持って歩いた事。

暗くなってから二軒茶屋の駅までバンジョーを持って歩いた事。

あの頃はまだ軽かったなぁ。

いや、バンジョーも安物で軽かったのかも。

そしてJust a Little Memoryもついでに聴いてみた。

最初のトラックで、よくこんなものバンジョーでやってみようと思ったな、と今更ながらに感じる。

でもやっぱり、多くの移民に囲まれていろんな人生をみてきたこと、苦しかったこと、楽しかったこと、その全てが後押ししていることも感じる。

僕はなぜ日本に生まれたんだろう。

マイクはなぜベトナムだったんだろう…なんて答えのない疑問が頭の中に湧いてくる。

そして、アルバムの最後、疲れた靴を聴いていて、なんだかとても感傷的になってきた。

71年、ともや氏との出会い、名田庄村、その前にマネージャーだった榊原氏。

まだ21歳、大学には行っていたけど、本当に行っているだけだったかも。

バンジョーを弾きに行っていたのかも。

下宿先の、最初は下鴨だったかな、そして一乗寺?その後、岡崎?そんな事も想い出し、感傷に浸ってしまった。

出会いがあり、別れがあり…疲れた靴の後のヘイヘイヘイを聴いていたら、今度は無性に次へ進みたくなった。

Keep on the Sunny Sideへ。

我ながら、なんかすごいストーリーを感じている

いや、ストーリーがすごいのではなく、すごく感じているのだ。

あのヘイヘイヘイは予定になかった。

でも、高石さんと最後に一緒にやったとき、アンコールで「僕バンジョー弾くからあなた歌だけ歌ってください」と、ステージのそでで言ってそのまま出て行った事を想い出していた。

なんか、秋の夜長かなぁ。

こういうの、俗に言う「夜中のラブレター」って言うのかな。

夏なんか暑すぎてちっとも感傷的にはならないのに…。

ノーベル賞

トラがノーベル平和賞を自分が取れなかったら、なんといってノーベル賞委員会を攻撃(口撃)するんだろう。

まるで、ダダをこねてプレゼントをねだっている子供のようだ。

もし取ったりしたら…。

今までに取った人すべてが返還したら面白いのになぁ。

もうこの世界の政治に関わる人間の程度が地に落ちていることを感じる。

いったいいつからこうなってしまったんだろう。

今まで気が付かなかっただけかなぁ。

これが当たり前だったのかなぁ。

とにかく、困った世の中になったもんだ。

素晴らしい!と感動するような話(人間性)は政治の世界からは100%見受けることはできない。

全世界でその現象が起きているような気がする。

話変わって、先日、友人がブルーベリーをたくさん送ってくれた。

こりゃ、ジャムでも作るか、と早速用意。

適当に作ったが、これがまた絶品だった。

ジャムってあんまり食べないが、ブルーベリージャムがこんなに美味しいものとは…と感動。

マーマレードもずいぶん作ったが。

そういえば、アイルランドでブラックベリージャムを作った。

アンドリューのお母ちゃんが美味しいと褒めてくれた。

ブルーベリーは眼に良いらしいけど、すごく沢山あったので、もしかしたら千里眼になったかもしれない。

因みにまだ眼鏡をかけなくてもそこそこ見える。

早朝のスマホはちょっと厳しいかな。

えーと、今日のタイトルはなんだっけ…あ、ノーベル賞か。

最後に一言。

トラよ、ノーベル賞なめたらあかんでぇ!飴でもなめとき!

やっと秋

店頭に柿や栗が並ぶと、あ~やっぱり秋なんだなぁ…と感じる。

もう35年ほどまえの話だろうか。

ナッシュビルからカリフォルニアに遊びに来た友人が「柔らかくなった柿を冷凍にしたら美味しいよ」と教えてくれたが、確かに柿シャーベットという感じでとても美味しかった。

今は結構ポピュラーなものになっているみたいだけど。

柿は固めのほうが好きという人と、グジュグジュに柔らかくなったのが好き、という人と2極に別れるようですね。

梨も美味しいけど、果物も高くて買えたもんじゃない。

この物価高はどうなっていくんだろう。

さて、話変わって、おかげさまでナターシャー・セブン・トリビュートも順調に皆さんのお手元に届いているようです。

なので今年中にはほぼ完売というところまでこぎつけそうです。

本当は皆さんの街に出かけて行って、直接お手元に届けたくもありますが、なかなか出不精になってきて、そういうわけにもいきません。

でもいくつか音楽会は有ります。

11月22日には大森の「風に吹かれて」そこでナターシャー・セブンを歌おう、という皆さんの会に誘われておりますが、こちらはもう満席かな。

同じく11月の29日には、東京のグッドストック・トウキョウ。

12月7日にはサウンドタㇺ。

あと12月は今年も年末に静岡のセレンディピティと京都の都雅都雅。

来春は昼下がりコンサートも4月にあるし、ナターシャー・セブン発足から55年。

そんな意味でも今回のトリビュートアルバムは作るべき時が来ていたんだなぁ、と感じています。

最近、美味しい日本茶が本当に美味しい、と感じ、月見団子を買ってきて、トリビュートアルバムを聴きながらゆったりと秋を楽しんでいます。

というようなこともないか。

相変わらずせかせかと動き回っています。

やっと早朝にウォーキングができる気候になってきたし、今ならまだ朝から水浴びできるし、結局落ち着いてゆっくりできない秋を過ごしているうちに冬が来るんだろうなぁ。

やっと秋、なのに。

ベトナムカレー

作ってみました。

チキン、サツマイモ、玉ねぎなど…オクラとかパプリカを入れたら綺麗。

う~ん、でもタイカレーとどこが違う?ココナツミルクも入るしなぁ…。

これはバインミーと食べる、と言われた。

そこで謎…。

これはかなりリッチな食事になる。

バインミーとカレー、日本でいえばかつ丼とすきやき…?おー、何と言おうか。

そしたら、どうやらバインミーはパンのこと。

ベトナム語ではバインミーがパン…おいおい、ちょっと待って!じゃぁあのサンドウイッチはなんていうんだ?

訊くと、バインミーだと答える。

近くのベトナム食品の男の子が一生懸命サンドウイッチの中身を教えてくれる。

いや、それは知ってる。僕も良く知っているから。

だからそれに使うパンはなんていうんだ?と訊くと「バインミー」

ということは、バインミー買ってきて、と頼まれたら僕だったらあのサンドウイッチを買って来るが、かれらはそういう間違いはしないのだろうか。

寒天買ってきて、と言われたらみつ豆買ってきて、いやそれじゃなくて…というような。

他にあるだろうか、日本語でそういうの。

インド料理店に行って注文したら「ナンにしますか?」「あれ、今オーダーしたけど」…とはまた違うか。

今調べたらやっぱりバインミーの後に短い言葉で「挟む」とか「肉」とかいうのが本場では付くらしいです。

なのでサンドウイッチが欲しかったら「バインミーなんたら」と言うんだ、ということが分かった。

ま、話の成り行きで分かるのかも。

どちらにせよ、タイカレーとのちがいはよくわからなかった。

タイのグリーンカレーはまたちょっと違うか。

あれ、結構好きだなぁ。

10月

ひとつ前に魚について書いたが、本当は「もう10月?」ということを書きたかった。

でも、なぜか今朝ちらっと耳にしたサンマの豊漁というニュースを想い出したとたんに「魚」と書いてしまったのだ。

そう、驚くべきことにもう10月だ。

すぐに年末がやってくる。なんと短い人生なんだろうか…。

いやいや、そんなこともないが。

しかし、市長ってそんなに美味しい仕事なんだろうか。

市民からどれだけ苦情が来ようが、嘘八百を並べ続けようが、どうしてもしがみつきたい仕事なんだろうか。

結局、金だろうな、ということは100パーセント明確だ、と思わざるを得ない。

伊東に比べれば前橋なんかかわいいもんだ、という気もするし、沖縄は、また昭和のおやじがやっちゃったよ、くらいの程度だ。

本当に日本ってこれからどうなっちゃうんだろうね。

日本沈没は地理的な問題だけではなさそうだ。

世界沈没もありそうだし。

トラとネタのツーショット、キムと習とプーのスリーショット。

おぞましすぎて…。

次は日本の誰とトランプのツーショットが見れるだろう。

ま、それもどうでもいいか、という、僕にはどうしようもないことだし、生きている間、元気な間にもう一作品作っておこうかな、と考えている。

僕は止まっていられないのだ。マグロのようだ、とよく言われる。

そうこうしている間に10月も終わるんだろうなぁ。

毎年作り続けている手描きのカレンダー。

また描かなくてはならない季節がやってくる。

サンマが豊漁とか言う話を聞くが、それほど安いとは思えない。

なんでも高くなっているのでこちらもマヒしてしまって訳が分からなくなっているのだろうか。

ちょっと前はイワシが豊漁、とか言っていたけど、その時も「あ、めちゃ安い」とは思わなかった記憶がある。

なんだか騙されているような…年寄りのひがみっていうやつかな。

このところ魚離れになっている。

やっぱり値段かな。

サバも美味しい魚なのにほとんど食べていない。

寿司屋のころ、ノルウエー産のサバでしめさばをいっぱい作ったが、どちらかというと魚派ではない僕も「こりゃ美味い!」と唸ったものだ。

ところで肉にしても牛さんなるものはほとんど買わない。買えない…か。

豚か鳥だ。

むかし省ちゃんは豚の生姜焼きが大好きで、どこへ行っても「豚の生姜焼き!」と、いの一番に注文していた。

「わし、しまいに牛になりそう」てな、訳の分からないことを言っていた。

確かに豚の生姜焼きは美味しい。

あの生姜醬油というのはなんと美味しいものだろうか。

これ、日本人だから、だろうな。

話変わって久々にタイカレーを作った。

僕にはスープカレーというものの良さが今一つ理解できない。なんかぬれせんべいに共通するような。

銚子電鉄さんには申し訳ないが、しけた煎餅とどこが違う?なんて。

そうそう、スープカレーだが、どうしても「ルーの量を間違った物」としてとらえてしまう。

なのでタイカレーもシャバシャバに感じてしまうが、多分ココナツの味が好きなんだろう。

そうしているうちにベトナムカレーというものも見つけた。

基本的には同じシャバシャバのもので、入っているものもほぼ同じ。

道理でベトナム人の嫌いなものが日本のカレーだ、というのがよくわかる。

ついでに羊羹とか駄目なようだ。あんなに美味しいものなのに。

話は飛んだが、たまには魚も食べなくちゃ。

かといって、寿司を食べても魚を食べた気がしないのはなぜだろう。

やっぱり、いわしの丸干しとか目刺しとか焼きサバとかそういったものがいいなぁ。

焼きサバといえば面白い話があった。

定食のお供にちょっとだけ焼きそばを付けよう、という話になったとき、マイクが「え、なんで焼サバ?」と言っていた。

サバの文化干しの塩焼…う~ん、これに勝るものはない。

そして秋…?まるで夏?


朝晩はめっきり涼しくなってきたと思っていたら、お昼には30℃にとどくほどの暑さ。

ま、一時期のような酷さはないけど。

久々に朝のウォーキングをしました。

どっちがいいんだろう。

実際には夕方がいい、とされるようだが。

夏だと18時過ぎくらいでないと無理だし、汗びっしょりになるし、それからのビールは最高だし…。

でも、もう今からはそんなこともないし。

この季節は朝がいいかな。

未だに給湯器は点けず、水浴びだけど、さすがにちょっと冷たく感じるようになってきた。

風邪ひかないようにしなくちゃ。

そういえばここ数年風邪もひいていない…と思う。

去年だったか、一昨年だったか、これが熱中症かな?と思った症状はあったが、一日で回復してしまった。

相変わらず歯も痛くならないし、これだけ歩いていても膝が痛い、とか無いし。

腰も痛くないし、眼もちゃんと見えているし、耳も聞こえている…と思う。

記憶力もそんなに落ちていないようだし(自己診断)…。

あ、最近初めて「ばね指」というものを経験した。

事なきを得たが、こういうのって癖になるのかな、と思うとちょっと怖い。

確かにバンジョーアルバムからこの3作のためにはかなり練習したが、やっぱり歳なのかな…?

そんな今日この頃、おかげさまで今回のアルバムも好調なすべり出しです。

高石さん、省ちゃん、木田ちゃん、七人の会のみんな、円山公園に何日も並んでくれた君たち、

みんなのおかげで出来たアルバム。

ある人は、友也さんが最後に残っても様々な理由でナターシャーのトリビュートアルバムは作れなかったでしょう…と言っていましたが、確かにそうかもしれない。

省ちゃん、木田ちゃん、友也さんが天国から城田さんにこのミッションを託したのでしょう、と。

そんなこと思いもしなかったけど。

なんか秋の夜長にもってこいのアルバムに仕上がったような気がする。

少しだけひんやりと感じる風に当たりながら、そうだな、ウイスキーでも…お好きでしょう♪なんて、関係ないか。

僕はジンが良いかも。どうせ弱いので氷をいっぱい入れて、小さな小さなグラスで、最後は氷水飲んでいるくらいで。

秋は一番好きな季節なのにめちゃ短い。

もう少し秋を堪能してみたいものだ。

この街がすきさ~♪なんて一緒に歌いながら…。

質問


この場を借りて質問をするしか方法がないので申し訳ありませんが、

もしお心当たりがありましたらお知らせください。

9月23日に¥3150円をご注文時と違うお名前でご入金された方。

カタカナで〇〇〇〇ファミリーです。

一応、くまなくメールアドレスなども調べましたが、手がかりがありません。

ご入金時にはご注文された時と同じ名前でご入金ください。

もしくは事前に連絡してください。

とにかくこのままではどこに送ったらいいのか分かりませんので。

もしこれを読んでいたら、ということですが。

皆さん、ありがとう。

皆さんのおかげで順調なすべり出しです。

生きている間にこのアルバムを作ることができて良かったなぁ、なんて思っています。

さて、秋らしくなってきましたね。

でも、天気予報では10月にも30℃になる可能性がある、とも言っていますが…ま、それが何日も続かなければ耐えられるかな。

冬はかなり寒くなる、とも言っていました。

なかなかに忍耐力の必要な国になってきました。

面白いですね。一日2時間のスマホ条例。

あんなこと、いい大人が税金使ってみんなで涼しいところに集まって真剣に(でもないのかな)話し合うんですね。

一日一度は笑おう、という条例もありました。

笑かせてくれました。そしてスマホ条例でも。

そのうち一日一度は〇便をしよう、とか、一日一度は鏡を見よう、とか、一日一度はコメを食べようとかいう条例も出てきそう。

罰則はありませんって…。

ところで、総理大臣のこともあるんですね。

全く興味がないのですっかり忘れていますが、あれが嫌い、これが嫌い、とか言う以前に興味がないのです。

どうせ数か月たったら何もしないうちに変わるんじゃぁないの?とか思ってしまうんです。

国民の暮らしなどには全く無関心で、金と権力にしか興味がないんだから仕方ない、と思ってしまうんです。

一日一度は総理大臣のことを考えよう条例。罰則あり。どうやって調べるんだろう。

調べる、といえば国勢調査ってあるんですね。

友人の一人が調査員というのをやらされている(?)らしく、お宅にもだれか行くかもしれないのでよろしく、なんて言っていました。

僕はこう答える、と言いました「国の勢いなどまるで感じない」

Keep on the Sunny Sideの勢いは感じます。

ナターシャー・セブン、そしてみなさんありがとう。

一日一度はナターシャー・セブンを聴こう、という罰則付きの条例でも発しようかな…。失礼!

ライナーKeep on the Sunny Side

1 陽気に行こう

ナターシャーのテーマ、というのも有りましたが、この歌もある意味、テーマソングみたいなものでしたね。

人生は長いものなんでしょうか。短いのでしょうか。

この歳まで生きてきたら、けっこう長かったのかな?と思いますが。

この歌、なんかステージ上で飛び跳ねているともや氏の姿を想い出します。

やっぱりマンドリン、バンジョーの音色。当時のマスメディアにとっては「なんじゃこりゃ?」だったのでしょうね。

高石さんの眼の付け所、冴えていたなぁ。

ギター、マンドリン、バンジョー、それぞれシンプルなメロディを弾いてみました。

やっぱり基本に忠実に、というのは良いですね。

2 朝の雨

僕と省悟の18番、と言えるでしょう。

このアレンジ想い出せば特に相談もせず、こんな風にしようか?と僕が弾き始め、省悟  

が「それならわしはこう行くわ」という感じであっという間に決まった覚えが有ります。

お互い高校生の頃からフォークソングにぞっこんだったので、そう言う意味ではいわゆ  る、ツーカー、だったんだろう。

コーラスも「じゃぁこう行って」とか全く言う必要が無かった。それが僕らの強みだったのかもしれない。

なんか思い出すなぁ。

コンサートの中でも比較的モダンなスタイルだったので、これが出ると雰囲気がガラッと変わったことを。

その辺もこのグループの強みだったのかも。

3 土の中のビリー

まだ「グループを!」というところまでいっていなかった頃の、これだ!と思った名盤

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのアンクルチャーリーの中から。

擦り切れるほど聴いたものだ。僕らの時代では「A面聴いていたらB面も聞こえてくるでぇ~、」というほどによく聴いた。確か当時、山科に住んでいたわたるちゃん(高田渡)の処でも聴いていたなぁ。

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドは僕らの目標のグループだった。とことんトラッドもやり、新しいものにも挑戦する、といった…。

4 海の嵐

いつ頃だったか、かなり初期の頃という事は覚えているが「あなた、これ唄ったらいいですよ」と高石さんから勧められた歌。

非常に単純な歌なのでかえって難しい。

少しのアレンジも考えたが、この手のものは元歌に忠実か、かなり近くか、どちらにしてもシンプルに徹した方がいい、と思う。

5 柳の木の下に

本来、省悟の「し~だれ柳が~♪」という声が必要だが、それももう叶わない。

そして、今回はこのメロディーラインを採用してみた。

リッキー・スキャッグスとトニー・ライスが1980年に残した録音で、省悟がかなり気に入っていたものだ。

しかし、あいつ、声高かったなぁ。

自分でも良く言っていた「し~だれ…♪と歌い出すと脳天がプツンといきそうや」

6 兵士と娘

これは大好きな歌。メロディがなんとも言えない。

「兵士と娘に会ったのは~♪」というところでA7th のメロディ、そこに当てはまっているコーラスパートが9thにいく。

これでA9thの…こんな細かいところ、当時の人って別に考えなかったんだろうけど、こんなところが僕にとっては非常に大事。

ここでGのコードに行く人もいるけど、その感覚は僕には無い。

おそらく省悟にもその感覚は無かっただろう。

昔の録音では高石さんとのデュオだった。

7 レッドヘアード・ボーイ~ジューン・アップル

1曲目は元々アイルランドの歌。演奏ではホーンパイプとして扱われることが多いが、ブルーグラスではホーンパイプというものは極めて速く演奏される。

今回、ブルーグラススタイルではあるが、少しテンポを落としてみた。というか、もうあんなに速くは弾けない…かな。

ジューン・アップルの方はおそらくアメリカン・チューン。ノース・カロライナともバージニアの南西部あたりの曲だろうとも言われているが、こちらもとてもポピュラーなもので、こういった曲は楽器を持てば必ずと言っていいほど、始まってしまうものだった。

8 今宵恋に泣く

これは大学時代から慣れ親しんだ歌だ。

スタンレー・ブラザースのえも言われん絶妙なコーラスが大好きだった。

少し、カントリーチックなギターブレイクを考えたので、本来はカントリーバンドと一緒に歌ったりしたら気持ちいいのかな。

9 君眠る丘

カーターファミリーの中でもとても好きな歌だし、また高石さんの訳詩が素晴らしい。

僕も少しアレンジしてみた。

しかし、考えてみると彼、お墓の歌がけっこう多かったような気がする。

この録音ではマンドリンの音色で風を表現してみたかった。

それでもあくまでシンプルをモットーに構成してみた。

10 そして秋~この世の果てまで

この歌はやっぱり高石さんならでは、というところだろう。

なので、インストとして演奏してみたが、メロディが美しく、これが良いかな、と感じた。

このイントロも当時僕が考えたものだが、イントロとかはとても大事だ。

あ、それそれ!みたいな、最初の数小節で世界を作ってしまうような…。

そして、この曲を弾いていて、突然次の曲が思い浮かんだ。

こんな遊び、とも言えることをよく二人で演奏したもんだ。

11山と川

これは笠木さんの詩で、ナターシャーセブンを知る人は誰しもが口ずさみたくなる歌だと思う。

このイントロは録音の数時間前に突然頭に浮かんだもの。

12

さぁ、いよいよ出ました。これがないと始まらないし、終わらない、というほどの名作だと思うし、でも、今までに自身で歌ったことはないし、さて、どうしたもんかと考えている最中に何となく浮かんだのが、マウンテンズ・オブ・ポメロイのメロディ。

学生時代から住んでいた京都の街を想い出しながら、そこにアイルランドのメロディを重ねていく。ひょっとしたら、これは僕にしか出来ない事ではないか、と感じるが、いかがなものだろうか。

そういうことがある意味最も大切な部分かもしれない。

ここでは、イメージ的にみんなで歌う、プラス、女の子の声と言うものが必要だな、と考え、スタジオの近く(比較的)に住み、薬剤師の仕事をしながら、歌っているエリカさんにお願いしてみた。

一番が終わった直後のコーラスではなんか省悟の声が…というか、この録音の随所で省悟の声が聞こえてくるような気がする。

そして、13 として街をブルーグラススタイルで。ここでは敢えてライブ感を出すために非常にラフに録音。緊張と熱気の中、チューニングを直す暇もなかったような、どこか、宵々山コンサート終了後の興奮冷めやらぬ中「さぁ、みんな気を付けて帰ってください!また来年会いましょう!」という永さんの声が聞こえてくるような…。

そして、みんなの笑顔が見えてくるような…。

この街が好きさ~君がいるから~

  この街が好きさ、君の微笑あるから~♪

みんな有難う!!

2025年 9月20日 豊川 「街」

その名前からも分かるように、かなり以前からあるナターシャー基盤のお店。

今日もナターシャー大会、とでも言おうか、そんな会に呼ばれて出かけた。

早朝の、いや、普通そうでもないか…新幹線に乗ったが満席ということ。

そうか、なんか休みがあるのか…そうか、秋分の日か、と納得。

そう言えば指定席を取るとき、混んでいると言っていた。

それにしても「やっと秋」「そして秋」だ。

雨にも降られず、風にも吹かれず豊橋に着くと、オーナーの戸狩さんが迎えに来てくれた。

お店に着き、あれやこれや話をして、あの曲のあの部分はこうやって弾いている、とか、ずいぶん昔の曲についての話などに花が咲いた。

僕も記憶を頼りに、というか、中にはそんなのやりましたっけ…なんていうのもある。

ソーラン節のイントロなどはもう何十年も弾いていない。

ナターシャーの時もジョディス・ヘブンの時もイントロを考えるのは僕だった。

イントロって、出たとたん「あー!それそれ!」みたいな重要なものだ。

三々五々、まだ早いのにみんなが集まってきて、僕はちょっと早いお昼ご飯にお寿司をいただき、

さて、帰ろうか、と言ったところで、おでんが出てきて、サンドウィッチまで出てきて、フルーツまでいただいて、さぁ帰ろうか、というところで会の始まり始まり。

皆さん、本当にナターシャー・セブンを愛してくれているな、ということがよく分かる。

ちょっと難しい曲にも挑戦しているし、お馴染みカーターファミリーソングもブルーグラスも、いっぱい登場。

普段、ナターシャーソングを特にレパートリーに加えていないだろう人も、この日のために歌ってくれていた。

僕は2年位前から、全国に広がるナターシャーチルドレンのために、出向いて行ってみんなと交流する、というようなことを、ま、たまにはしてもいいかな、と考えていた。

そこにきて高石さんまで逝ってしまったので、もうこれはやるしかないかな、という気持ちになっていることも確かだ。

そんなことも今回のアルバム「Keep on the Sunny Side」をつくるきっかけにはなっている。

この日、アルバムが間に合うかどうか微妙だったが、持っていけて良かった。

みなさんいいお顔で歌ってくれていい時間を過ごせました。

そうそう本当に帰る前にカレーライスもいただきました。

これぞ「ザ・日本のカレー」という、今どきはなんだか欧風とかキーマとかタイとかスープカレーとか、いろいろあるが、こういう日本人にとっての「ザ・カレー」もやっぱり美味しい。

ありがとうございました。

結局いただいてからもまだ時間があったので、いろいろ弾きました。

リクエストに答えて想い出しながら。

皆さんもいい時間を過ごせたでしょうか。

戸狩さんとお世話役の女性陣、みなさんありがとうございました。

戻ってから昨夜はぐっすり眠りました。

またお会いしましょう。

発送の転換

いえ、決して変換間違いではありません。

当初、大事をとって10月1日発売を見込んでおりましたが、

CDが到着いたしました。

多くの方にお申込み、そしてご入金をいただいているので、

できる限り早く作業に取り掛かりたいと思います。

なので、うまくいけば近々発送できると思います。

北海道、九州、そして沖縄からもご注文いただいております。

遠方の方には少し時間をいただかなければならないと思いますが、

しばらくお待ちください。

取り急ぎ連絡まで。

遅れるよりはいいかな、と思います。

ドジャースの試合を見て、なんだよ!また後続のピッチャーが台無しにするのか…

と、ため息をつき、空を見上げて、また今日も暑いなァ、土砂降り、来るのかなぁ…

秋はどこへ行ったんだろう…

等々いろいろ思うところある今日この頃。

それでも朝晩、決定的に涼しくはありませんが、少しは過ごしやすくなって来たような気もします。

そんな折、久々にナターシャーセブンを想い出してください。

とても当時のナターシャーサウンドに近い音を体感できると確信しています。

僕自身、最後の「街」で何度か涙が出てしまいました。

暑かった宵々山コンサートや、みんなのこと、そして皆さんのことを想い出しています。

9月  陽気に行こう

9月というのは、秋が近いといえども、まだ多少暑さが残る月、という、今まではそんな感じでしたが、それをはるかに上回る暑さが襲ってきています。

これから蚊が出てくるのかもしれないし、台風だってこれからシーズンになるのかな?

さて、Keep on the Sunny Side順調にすべり出しました。

10月1日発売という事ですが、少し早い目に発送できるかもしれません。

お支払いをしていただいたみなさまをあまりお待たせしたくないし、少し余裕を持たせたのですが、もしCDの到着が早かったら発送を開始いたします。

ご注文まだの方はお早目にどうぞ。

ナターシャーセブンを知る方にとっては貴重な一枚になると確信しております。

また、後日、ライナーに書き切れなかった詳しい情報などをこのページに公開致します。

ついでに、ひとつ前の作品、Just a Little Memoryがまだ少しだけ残っております。

スティングのEnglishman in NYに始まり、録音中に亡くなった高石氏に捧げての歌も収録されております。Back to Banjoが売り切れになった後の、バンジョー第2弾です。

もうすぐ絶版になりますので、こちらの方も合わせてご検討ください。

かなり練りに練った渾身の一枚でした…と自分なりに思っています。

ところで、先日の雨は凄かった。

怒涛の如く、というのはああいうものを指して言うのでしょう。

東京の話ですが、午後3時頃からでしたか、窓を開けて外を見てみたら、なにも見えない。

見えるのは滝のように降り注いで風に煽られている水の塊。

もしかしたら生まれて初めて見たくらいの強い雨でした。

案の定、あちこちで停電と河川の氾濫、道路の冠水…いやぁ参りました。

ちょうど帰宅の時とかで外から高校生の叫び声。雷も凄かったし。

会社務めの人達は電車など、大変だっただろうなぁ。

配達の人も1時間くらいは外に出ることは出来なかっただろう危険な状態でした。

CDの配送も頃を見計らって天気とも相談しなければいけないですね。

出来るだけ配送業の方に負担がかからないように。

それではみなさん、まだ確約は出来ませんが、少し早い目に発送できるかも知れないので、そのことだけお知らせしておきます。

Keep on the Sunny Side 受付

アルバムの先行予約が始まりました。

皆さん、どうかよろしくお願い致します。

ジャケットの絵は、京都の特徴的な「犬矢来」という物を描きました。

こういう呼び名である事、恥ずかしながら初めて知りました。

考えて考えた挙句ではなく、ちょっとしたひらめきで描いてみました。

でも、何枚も何枚も描いてみました。

ライナーには懐かしの写真(進藤了彦提供)も有ります。

きっと気に入ってもらえると思います。

音楽的にも…って一番大事なところですが。

どうか楽しんで、ナターシャーセブンを想い出して一緒に歌ってください。

時折、省悟の声も聴こえてくるような気がします。

辞任

またまた総理大臣が辞任した。

ま、どっちでもいい。

「石破氏を叩いて笑うアホ集団」

それよりも、女子バレーが気になり、山本があんなに良い内容だったのに、おいおい!後から出てきたピッチャー、ひょっとして八百長にでも加担しているんじゃないか、さもなくばふざけているのか、何やってんだ!みたいな、そんな事の方が気がかりだ。

アメリカに居た時、やっぱり総理大臣がコロコロ変わっていて、お客さんから訊かれた。

「日本の総理大臣ってなんであんなにコロコロ変わるんだ?」

正直、こちらも前は誰だっけ?その前は?そして今は誰?

なので、答えることが出来なかったなぁ。

それって、今訊かれても答えられないだろう。

次はだれなのかも興味はないし、勿論、期待もない。

何か月もつだろうか。

不愉快な顔か、知らない顔しか出てこないし。

O J シンプソンの時は、寿司バーでカリフォルニアロールにオレンジジュースをサービスした。O Jだ。

クリントンの時は、カリフォルニアロールをモニカロールとし、別名Arkansas Troubler  とか言って。

クリントンはアーカンソーの出身、モニカはサンフランシスコだった。

伊東市でもそろそろそれなりのメニューが出てきそうだ。

注文したら19.2秒で出てくる、とか。おー忙しい!

やっと涼しくなってきたかな。とはいえども30℃は超えているけど。

水シャワーが少し冷たく感じる時もあるので、やっぱり秋に近づいているのかな。

夏もそろそろ辞任かな。しかししぶとい夏だ。

もう少しの辛抱ですね。

CD Keep on the Sunny Side 発売

Keep on the Sunny Side 2025年10月1日発売

Back to Banjo, Just a Little Memoryと立て続けにアルバム制作に邁進した2024年。
そして2025年、ついに決心してこのアルバム制作に着手しました。
1971年の高石氏との出会い。京都の小さな場所でひっそりと始まったセッション。
それがやがては全国に広がってゆき、僕自身の人生を豊かなものへと導いてくれました。
そして、すでに50年余りの年月が経ち、オリジナルメンバーはこの世を去ってしまいました。
今、僕に出来る事、それだけを考えてのこのアルバム.
Keep on the Sunny Side Tribute to The Natarsher Seven「ナターシャーセブンに捧げる」
どうか僕らと共に歩んでいただいた半世紀を想い、また皆様の明日からの活力へと繋げていっていただけたら幸いです。

Tribute to The Natarsher Seven
1 陽気に行こう
2 朝の雨
3 土の中のビリー
4 海の嵐
5 柳の木の下に
6 兵士と娘
7 レッド・ヘアード・ボーイ/ジューン・アップル
8 今宵恋に泣く
9 君眠る丘
10 そして秋/ The End of the World
11 山と川
12 街
13 街(インストゥルメンタル)
¥3,150 (消費税、送料込み)

※ 先行予約は9月10日から受付いたします。
お申し込みはこちらから
10 strings CDs
※ これまで送料をこちらで負担しておりましたが、いかんせん
この物価高で対応が困難になりました。なので、送料として¥150をいただく事に
しました。どうかご理解のほど、よろしくお願いいたします。
※ 複数枚のご注文の場合3枚までは¥150(まとめて)4枚以上は¥200となります。

New Albumのお知らせ

Back to Banjo , Just a Little Memoryと,

立て続けにバンジョー・アルバムをリリースした2024年。

その最中に、絶対に最後まで残ると思っていた高石さんが逝ってしまった。

そして、それはひとつの時代が終わった事を意味していた。少なくとも僕にとって。

1971年、京都の、とあるマンションの一室で始まった物語、いや、音楽…。

当時の日本に於けるフォークソングとは全く違ったアプローチで、特に音楽評論家などからは冷ややかな眼で見られていた。

しかし、そんな中、やはりフォークミュージックの源流を追求したいという人たちにとっては、ある意味、待ち望んでいた存在だったのかもしれない。

事実、フォークソングの原点を探す旅から戻ったばかりの高石氏にとって、日本の音楽シーン、特にフォークソングの在りかたは疑問だらけだったはずだ。

僕は元々、大学を出てからのことは何も考えていなかった。

ひとつだけあるとしたら、当時おしゃれな仕事と感じていたグラフィックデザイナーになりたいな、と思っていたくらいのことかもしれない。

ただ、もうその日から「あの子のひざまくら~♪」と唄う高石氏の歌に合わせてバンジョーを弾いていた。

そんな風にして始まったザ・ナターシャーセブン。

初代メンバーの金海孝寛はナターシャーセブンの音楽を決定づけるマンドリンのイントロを「わたしを待つ人がいる」でスタジオを歩いてマイクに向かい、見事に弾いた。

そんな彼が逝ってからもう5年?時の経つのは早い。

そして、坂庭省悟。

これはもう説明の必要がない一心同体の存在。

正直、様々な事に於いて趣味趣向がことごとく違うのに、なぜ音楽にも生活にも言葉が要らなかったのかが、いまだによく分からない。

金海氏脱退後、僕ら二人の創り出す音がナターシャーサウンドを決定づけて行った、といっても過言ではないだろう。

そんな坂庭省悟が逝ってからもう早22年?時の経つのは早すぎる。

そして、ひょんなことから加わった大物、木田たかすけ。

ある意味、天才だったのだろう。

しかし、そのキャラクターは3人で充分過ぎるほどに成り立っていたと思われていたグループに見事に溶け込み、そして見事にステップアップを施した。

木田たかすけが逝ってからもうかれこれ45年?本当?

そして高石氏が逝ってからも、もう1年。時はどんどん過ぎていく。

今回、僕がこのアルバムを作る決心をしたのは、そんなメンバーの想い出をひとつの形にしたかったからだ。

か、と言って簡単なことではない。

ただ、自分の出来る範囲で皆さんにナターシャーサウンドを想い出して感じていただけたら、という気持ちだ。

木田氏亡き後のベースマン、進藤了彦が昔の写真を引っ張り出して来てくれた。

彼も最初の頃は僕と省悟に「進藤、あれもってこい!」「はい。進藤、行って参ります!」

なんて使い走りばかりさせられていたが、素晴らしいベースマンとして成長していった。

僕自身は、ザ・ナターシャーセブンといえばこの4人+進藤、迄だと思っている。

実際、僕は84年には抜けてしまったのでその後の事は知らないが、少なくとも高石氏の歌を最大限に生かし、グループのサウンドを不動のものにしたのはこのメンバーだと言えるだろう。

アルバム発売に関する情報はもう少ししたら、城田純二HPの10strings CDsの項目に掲載いたします。

ようこそ常夏の島、日本へ!

こんなキャンペーンが出るのもそう遠くはない将来かな。

道を歩いていると、電光掲示板などに表示されている気温よりは4~5℃高く感じる。

アスファルトからの照り返しだろうな。

猛暑、酷暑、危険な暑さ、災害級…次は何だろう。というか、もうなにも言わなくなるか。

先日、息子がベトナム、カンボジア、韓国と旅をして帰りに3日だけ日本に寄って帰って行った。

カンボジアで食事している、と言って電話してきたが36℃と言うので「暑いだろう」と言ったら「ハノイから来たら寒く感じる」という答えが返ってきた。

マシだ、という言葉が出てこなかったんだろうか。

また、「日本人って暑さに弱いの?」と言うので、何故かな、と思ったら、ハノイで日本人の観光客集団が「暑い!暑い!」とヒーヒー言っていたらしい。

西海岸に戻ってから17℃というメールが来た。同じ日、東京は34℃だった。2倍!

エアコンを使わない爺さんばあさんがよく、自慢している、みたいなことを言われているが、確かに自慢げに言う人もいる。

僕は我慢している。

いやいや、昼はさほど必要性を感じないだけだ。

水を浴びれば良いし、幸いにもこの近くには多くの商業施設、商店が存在している。

なので…いや、流石に夜は使っている。

寝ている時も危ないらしいので。

夕方は必ず、よっぽどでない限りは少なくとも1時間から1時間半はウォーキングをしている。

5時半とか過ぎると少し風も出てくるし、その風が汗に当たるとなんとも気持ちが良いのだ。

持論ではあるが、こうして定期的に身体を動かしていれば、熱中症に襲われることもないんじゃないかな、と思う。

基本的にしっかり食べて、よく寝て、適度な運動、ということが大切だと言われるが、これ、結構すべて当てはまっているかもしれない。

しかし、そんな事も言っていられないほどの気候になってくるんだろうなぁ。

ま、その頃にはもう居ないか。

来年はどうなるだろうか。来年くらいの事はまだ気になるけど…。

80年

終戦から80年。

この日には必ず何か書き残しておかなければ、と思ってしまう。

終戦から4年後には産まれているが、もちろん記憶は全く無い。

物心ついたころにはもう既にかなり復興していたんだろうなぁ。

しかし、凄いもんだ。あれだけボロボロになっても立ち直れるんだ。

個人レベルでは考えられない事だけど、勿論、個人でもそれぞれどんな事が有っても立ち直ることは出来るんだろうけど。

原爆まで落とされても素晴らしく発展していく力を持てるなんて、僕にはなかなか考えられるものではない。

ヴィンさんの言っていた、戦争のある側面「民族の団結力」なんだろうか。

それにしても、いまだに他国を攻撃して嬉々としている脳〇その腐っている奴がうようよ居るんだからたまったものじゃない。

ひとつ間違えば、という綱渡りのような生活を僕らはしているんではないかな、と感じる。

大谷翔平、チャック少年になってくれないかな…なんて。

とに角、今日ぐらいは静かに戦没者に祈りを捧げよう。

嬉々として国旗を立てていた父の事も思い出しながら。

追加:90年目、もしかしたら…いやいや…どちらにせよ100年目は絶対に無いはずだ。なので僕が終戦の日について書くのはこれが最後か最後から2番目か…。

2025年8月9日(土)陽のあたる道

次は8月、と聞いた時、「うわ~、暑いだろうなぁ!」と思ってしまった。

事実、ここ数日の暑さときたら、いくら夕方でも歩くのは危険だ、という判断を下していたほどだった。

しかし、そうなると体が鈍る。かと言って危険は避けたい。

そんな数日間だったが、運よく少し気温が下がった。

もう30℃はマシだと思えるようになってきた。

身体が慣れてきたのか、鈍感になってきたのかよく分からないが。

さて、天気も上々。明日から雨になるかもしれない…らしい。

今回はワンさんにお願いして30分ほど早くスタートさせてもらった。

終わってから少しゆっくりみんなともお話したかったので。

皆さん間違う事もなしに時間には集まっていただいたので、更に少し早い目に始めさせていただいた。

ギターは最近気に入っているマーチンの000ジュニアサイズのカッタウエイ。

バンジョーはゴールドトーンの羽毛のように軽いもの。これが意外といい音だった。

朝の雨も久々に歌った。

ドックス・ギターも3段階に分けて速く弾いた。

省悟の唄も歌い、バンジョーは普通のチューニングではなく、ちょっと風変わりなサウンドを、自分自身も楽しんだ。

そして今日はこの近くに住んでいるという、バンジョー弾きの原さとし君が来てくれたので、せっかくのチャンス。ダブルバンジョーで2部をスタート。

弾いていて気持ちよかったのは、彼のセンスと聴く耳の成せる業だ。

いいミュージシャンというのは上手く弾くだけでなく、合わせ上手であることが条件だ、という事を地で言っている人だ、と感じた。

原君に感謝だ。

そして今日は久々にdadgadを数曲弾いた。

ジョン・ウイリアムスのカヴァティーナは僕のアレンジではカッタウエイでないと無理なポジションを使うので、今日はこのギターにしたのだ。

しかし、美しいメロディだ。あの戦争映画を更に感慨深いものにしてくれた大好きな曲。

あと何曲かそのまま弾いて、今日のハイライト。

あの日も今日のように、とHello Vietnamをどちらもアイルランドのメロディをイントロにして歌った。

Hello Vietnamはベトナム難民2世の、未だ訪れたことのない故郷に対する郷愁を歌ったもので、自分の知っている故郷は、コッポラの戦争映画、ヘリコプターの爆音、破壊される村…それだけ、と唄う。僕は、こんなものが歌詞になっていることにとても感動して、ついついウォーキングの最中にも口ずさんでしまっている。

そして、みんなで「街」を唄って、「陽気に行こう」で原君にまた素晴らしいバンジョーを弾いていただいて、リクエストのあった「チャップリン…」でおひらき。

少し早い目に終わったので、多くの方達とゆっくりお話しも出来たと思う。

ワンさん、どんべぇさん、いつもありがとう。

今日は80年前、長崎に原爆が落とされた日。

昨夜は、何気なしにつけたテレビのほとんどがあの太平洋戦争絡みのものだった…というか僕がそればかり選んでいたのだが。

結局4時ころまで寝られなかった。

人類が存続する以上、戦争はいつどこでも起こりうる。

ナパーム弾だって、枯葉剤だって、原爆だって、みんな同じだ。

この暑さで、世界中の戦争に使う道具が全部溶けてしまえばいいのに。

そんな事を考えながら、南の島にいた自分の父の事を考え、ベトナムの友人たちの事を考え、

そうこうしている間に外が明るくなってきてしまった。

そんな一日をこの「陽のあたる道」で過ごさせていただいたことはとても有意義だったといえる。

今現在、進行中のナターシャーセブンのトリビュートアルバムが出来上がったら、またみんなで歌いましょう。

今日、足を運んでいただいた皆さんに感謝します。

そして、犬飼さんご夫妻、いつもありがとうございます。

人種の壁

あー、またまた解決できない問題を考えさせられてしまった。

100%解決できないであろう事柄については考えない方が良いのだろうが…。

これをまた考えてしまったのは、先日九州の方だったかで起きた事件。

ベトナム人の若い子が犯人だった。

「またベトナム人みんなが悪者になっちゃう」とはニャンちゃんの弁。

でも、こんなことを言っていた。

「日本に来ていろんなところで働いたけど、すごくいじめられたよ。ずいぶん泣いたことも有ったけど、負けちゃいけないと思って日本語を一生懸命勉強した。技能実習で来ている子たちは日本語分からないまま仕事に就く子も多いし、よく怒鳴られたりいじめられたり、という話を聞く。帰りたい、と言っている子もいる…。それでも頑張れる子はいいけど」

多分、帰ることも考えられないんだろうなぁ。兵役もあるし。

言葉の壁もあるけど、ここでの生活は母国に比べると楽なのかもしれない。

アメリカでは朝6時から夜10時まで働いていた中国人のおばちゃんがいた。それも週6日。

ご主人は元学校の先生。英語の本を持っていただけで投獄された、と言っていた。

おばちゃん、「毛沢東大嫌い!」と言っていた。

僕にしても週5日は一日12時間ほど働いた。

でも、それは日本社会みたいな場所だったので、欧米人との繋がりも勿論多く有ったけど、普通に過ごすことが出来た。

前出の話だが、どうも日本人の多くは世界の事を知らなすぎる、と感じる

旅行ではいろんなところに行く人は増えているだろうけど。

先日の選挙の時、一躍話題に登ったのが「外国人問題」外国人受け入れに関することとは充分理解した上だが。

駅前を歩いた時、公然と「中国人を締め出せ」という主旨でわめいている候補者がいた。

これってヘイトスピーチ?と感じた。

子どもの耳を塞ぎながら足早に去っていった中国人の母親がいたそうだ。

確かに観光で来ている人も、住みついている人も、ある一定数は問題行動を起こす人がいるのは日本人でも同じだ。

ここはやっぱり政府にも考えてもらわなければならないだろう。

僕らにはどうしようもできない。

ただやっぱり、多くの子はいじめられて大変、というような話を聞くと、日本人って「いじわる」なんかなぁ、とも思ってしまう。

それに、多分白人だったらいじめられないだろうなぁ、と考えると、やっぱりある種の人種差別意識なんだろう。

文化的な違い…「遅れ」と言っていいのだろうか。文化的に進歩している、というのがどう言う事かもよく分からないけど。

少なくともいろんな話を聞く限りでは50年前の日本、という感じがする。

特に東南アジア辺りは。

日本人が彼らに対して一種の優越感を持っているのは、年寄りの政治家などみれば容易に分かることだ。

かく云う僕だって、愛国心も全くないのに、中国人だけには間違われたくない、なんて思っているのだ。

アメリカでは十把一絡げ、米を食う民族は劣っている、などという考えを持った奴も居る。

でも、中国人の友達も、韓国人の友達も、アラブ人の友達も、僕にはいっぱいいたなぁ。

ベトナム人達はもう家族みたいだったし。

ロシア人の子も居たし、イスラエル人の家族とも親しかったし、そんな意味では人種と言うものは越えられない壁であることも分かったし、全然関係なく付き合えることも分かった。

宗教の違い、文化の違い、風習の違い、そんな事も分かったうえでお構いなしに。

先日、スーパーでアラブ系の子供が二人、客の合間を追いかけっこして走り回っていた。

僕は「走るな!」と言ったが聞きやしない。なので、何語を話すか分からないけど今度は「Hey! Do Not Running! OK?」と怒鳴ってやった。ハッとして止まった。

親がバツ悪そうな顔をしていたが、子どもたちも日本人から怒られたことは初めてかもしれない。

どこの国の人であろうが、悪い事は悪いと正し、良いところは思い切り褒めてあげる。最初から先入観を持ってはいけないのだ。

結局のところ、日本人は他民族と関わるのが下手なんだろうな。

話変わって、このところ異常に暑かった。

ドバイ以来の熱風を肌に感じたが、調べてみると、あちらの湿度は30%程度、こちらは60%ほどもあった。共に40℃という事だが。

ドバイでは、これは神にでも頼らないと生きていけない世界だな、と思ったものだ。

ところで、まだ「デカ盛り」なんていうのやっているんだな。平和というかバカというか。

全然関係のない結末になってきたが、日本、これからどうなるんだろうね。

自民党が選挙での敗北について検証するとかなんとか、そんな事でいちいち涼しい部屋に集まっているらしい…てか、そんな簡単な事が分かっていないのは当人達だけだ。

もっと世界を見て、そして国民に寄り添って欲しいものだ。

金だけが目当てでは大事なことはわからないだろうなぁ。

そんな連中が言葉遊びのように、外国人問題なんて言っていても所詮無理な事なんだろう。

人種の壁どころか、この狭い日本の中でも国民との間に高い壁を作っているのだから。

今日は広島の日。

子どもたちのスピーチは素晴らしかったよ!それにひきかえ…。

プロレス

子どもの頃、野球とプロレスはよく観ていた。

なんで急に?というところだが、それは、ハルク・ホーガンが亡くなった、という記事を読んだからだ。

子どもの頃のプロレスといえば「あ、また吉村みちあきがつかまっちゃったよ」「あ、沖しきな。また下敷きになっちゃった」その他、グレート東郷とか…いろいろ居たなぁ。

ブラッシーとか。そうそうデストロイヤーも。

ある日、アメリカで飛行機に乗っていた時の事。

隣に座っていた若い白人の女の子数人が「デストロイヤーって知ってる?あたしたちの学校の体育の先生だったの」

と言っていたことは衝撃だった。

関西では、トイレに行きたい時、特に大きい方だが、子供たちは「猪木ピンチ!」と言ったそうだ。

猪木がピンチになると馬場(ババ)が出る。これ以上の説明は止めておこう。

プロレスはアメリカでも良く観ていた。

いかにもザ・エンターテインメントという感じで結果に一喜一憂するわけではなく、ただ面白くて観ていただけだ。

毎週木曜日。仕事は木曜日が休みだったと記憶している。

だが、ある時、その日の試合が無くなった。

そう、あの9.11だ。

場面にはそれでもリングが写っていた。

そして、各レスラーのコメントを流す。

それは、さしずめ映画スターが語っているように見え、そしてとてもプロレスラーが発している言葉とは思えないものだった。

何処かの国の政治家の原稿棒読みとは雲泥の差であった。

ハルク・ホーガン、トリプルH、アンダーテイカ―、カート・アングル、ザ・ロック…

みんな素晴らしかった。

ハルク・ホーガンの死去、という記事を読んで想い出してしまった。

そう言えば、シアトルの空港で荷物が出てくるのを待っていたら、同じく荷物を待っている人の中にヴィンス・マクマホンが居た。

当時WWEのトップだった人…かな。

思わずサインをもらおうかと思ったが、辞めておいた。

それでもう一つ想い出した。

トニー・マクマホンとツアーしている時「アメリカ人はバカだ!俺の事をマクメンと発音しやがる。俺はマクマホンだ!」と言った。

確かにアメリカでは、ヴィンス・マクメンという発音に近いようだ。

今やもう、プロレスは観ないが、あの頃は木曜日が待ち遠しかった。

いかにも「やらせ」「あ、これ痛いだろうな」いろんな憶測と共に、各レスラーの表情豊かなパフォーマンスも充分楽しめたものだ。

全然関係ないけど、〇〇の市長、そろそろ真剣に入院先を吟味しているかな…。診断書、今度は誰が作ってくれるのかな?

いっそのこと女子プロレスに転向したら…って余計なお世話でした。

リングでの名前だが、英語の剣闘士Gladiatorと、卒業のGraduateをかけあわせて、全くの和製造語だが「グラジュエイター」うん、これで決まりだ…って大きな大きなお世話だ。

それにしても、もうダメか!と思わせておいて、1,2,3で思い切り天井に向かって腕を振り上げる、とか、あのTシャツ破りとか、また観たかったなぁ。トランプの友達っていうのはさておいて…。

コーヒー

コーヒーの値上がりが凄い事になっている。

僕は朝起きると必ず一杯は飲む。

その時は安物のインスタントコーヒー。

少しだけミルクを入れて苦いやつを飲む。

決して美味しいとは思わないが、なんとなく癖になっている。

そして、時間はまちまちだが、必ずベトナムコーヒーも一度は淹れる。

それで最近気がついたのだが、結構上手になってきたような気がする。

というよりも、その時間のかかり方に対してあまり気にならなくなってきたのかも知れない。

以前はせっかちな僕としては、あれが悪いんじゃないか、これが悪いんじゃないかと、いろいろ気になったが、どうやら慣れてきたのかも。

最近、練乳も自分で作っていたが、よく考えると手間もかかるし、時間だってそれなりにかかるし、なんといってもその間すごく暑いのだ。

夏に焼売なんて作りたくない、と思うのと同じだ。

全然関係ないが、餃子とビールというのは何故あんなに美味しいのだろうか。

もちろん、人にも寄るだろうが。

絶対的に言えるのがやっぱり、コロナビールとメキシコ料理。テカテでもいいか。

これは餃子には当てはまらないだろうな。別に青島でなくてもビールならなんでも美味しい。

テキサスではよく、コルト45を飲んでいた。雰囲気もあるんだろうなぁ。

ピザには絶対赤ワイン。白ではないような気がする。

それにしても、すしバーで寿司を食べながらコーラを飲むアメリカ人の感覚には信じ難いものが有る。

話が飛んだが、ベトナムコーヒーを淹れる事に何もストレスを感じなくなってきたことは大きな収穫だ。

考えたらコーヒーを淹れるのにストレスを感じていたら本末転倒かも。

でも、なんだかんだ言ってやっぱり日本茶は美味しいな。

騒音

最近、やけに騒音が気になるようになってきた。

あ、いや、選挙の事ではない。

あれは一時的なもので、嘘八百でもなんでも今だけ良い事を言っていれば、あわよくば…

で、終われば静かになるのだが。

今一番うるさく感じるのが、とある駅の、なんだかキャンペーンだか何だかの男女の会話をひっきりなしに流しているもの。

それも結構な大音量。

ただでさえも利用客が多く、雑然としている構内にしょっちゅう鳴り響いている。

僕はここを通らなければならないことが多いので耳を塞いで通る。

以前にも100円ショップで買い物をしていたら、なんだかでかい声でしゃべっている奴がいるなぁ、と思ったらお店の宣伝だった。

会話方式でとてつもなくうるさい。

まるで電車の中、携帯電話を手に大声で喋っているような感じだ。

僕らはまだ一時の事なのだが、お店の人ってどうなんだろう。

先ほどの駅の構内を抜けると、ロータリーの向う側に商店街が有って、その入り口に最近、大きなスクリーンが設営された。

見上げると、その商店街のお店の宣伝や、テレビなどで流れているコマーシャルが映し出されている。

ものによって、飛び上がるくらいの大音量。

昔から、日本人の脳は雑音と音楽とが聴き分けられない、ということを言われてきた。

どちらも一緒、というか聴き分ける脳の構造になっていない、という事らしい。

もちろん諸説あることだが。

そこに来て、本当に五感の鈍い人も多くなってきているんだろうな、と思う。

確かにこちらが年寄りになってきていることも有るだろうが。

それならばもうちょっと聞こえにくくなってもいいはずだし…。

取りあえず、都会と言うものは余計な雑音が多い、

じゃぁ田舎に住んだら?と言われればそれまでだが。

あれも電気代がかかっているんだろうなぁ…出演者にはそれなりのギャラが支払われているんだろうなぁ…なんて余計な事を考えてしまう。

暑い!

今年も、というか、年々暑くなっていくようだ。

そりゃぁ、あっちこっちでドンパチドンパチやっていれば暑くもなるだろう。

もちろんそれだけではないことも分かっているが。

そしてこの暑いのに、また暑苦しいのがあちこちで都合のいい事ばかり喋り出した。

当選したらぬるま湯に浸かれる、とでも思っているのだろうか。

それにしても、どこかの市長なんか見ていると、猿以下という振る舞いに呆れてしまう。

ま、そんな奴があっちこっちに居るので…。

トランプにも困ったものだが、面白い話がある。

アメリカ車が売れない、とか言っていたけど、僕らがアメリカ中をまわっていた時、こんな話が有った。

「Fordってどんな意味か知ってる?あれってFix Or Repair Dailyの略だぜ」これなんか日常で使われているポピュラーなフレーズだが、確かにフリーウェイで故障して止まっている車のほとんどはアメ車だった。

それに、アメ車の新車を買った人がボンネットを開けたら中からマリ〇〇ナの吸殻が出てきた、なんていう話。知らんけど!

さて、こんな事ばかりほざいていないで、自分のやるべきことを考えよう。

そんな中、去年からのバンジョー2作品の後、何をやるべきかが見えてきたので、

いつものタムちゃんに相談して、また新たなアルバム作りを提案してみた。

今回は、ナターシャーセブンのトリビュート、というコンセプトで。

1971年の高石氏との出会い、そして木田ちゃん、省悟、高石氏と、僕にとっては最も多感な時期を共に過ごした仲間が逝ってしまった。

1971年2月にザ・ナターシャーセブンとなってからは怒涛の如く過ぎて行った日々だった。

そんな日々の事を想い出しながら、今、僕に出来る事をやってみようと、いくつかのレパートリーを選び出し、第1回目のセッションが終わった。

自分としては、10月の少し涼しくなってきた頃に皆さんに届けられたら良いかな、と思っている。

世界が混沌として来て、自分もいつ終わるか分からない年齢になってきて、急ぐことはないけど、あんまりゆったりしてもいられないな、と感じる。

あまり肩を張らず、良い想い出を皆さんと共有出来たらいいな、と思っています。

また追々…。

トイレットペーパー

また無くなるかもしれない。

アメリカがイランを攻撃した。

これは、いくらその筋の学者やコメンテーターが日本の常識を語っても、国連安保理などがテーブル上で言葉を吐いても何の意味もない。

僕にとって、あのジェイミー・フォックスの映画のラストシーンは強烈に残っているが、全くその通りである。

トイレットペーパーが無くなるかも…なんて言っている自分が情けない。

いつミサイルが直撃するか分からないほうが、トイレットペーパーよりも恐怖だ。

話は変わるが、先日スーパーで備蓄米が山積みになっていて、聞いた話では一日に、いや、午前中に400袋も売り切ってしまったそうだ。

レジの子が「腰が痛いよ。明日は200袋来るんだって」と言っていたが、その200も午前中にあっという間に売り切ってしまったようだ。

その次の日も、次の日も…。

でも、見たところ、この界隈に住む外国人がほとんど。

店の前が黒山の人だかり(ブラックマウンテンラグ)と化して、続々と待ち合わせた人が現れ、山のように買っていく。

このスーパー、肉が売り物で「肉の〇〇〇〇」というが、既に「米の〇〇〇〇」と言っても過言ではない。

しかし不思議なのは、この備蓄米、かなり安かったのに、日本人で買っていく人はあまりいない。安かったから?

近所で銘柄米が、それでも今までよりは安いようだったが、この備蓄米の倍ほどの値段で売っている。そして、日本人はそちらに行くようだ。

今は「米の〇〇〇〇」も落ち着いて平和が戻ったようだが、今度は「紙の〇〇〇〇」になるかもしれない。

トイレットペーパーは多少品質が落ちても、日本人は買うだろう。

いや、結論(けつろん)としてはここでも品質に関して…あ、あらぬ方向に向かいそうなのでここらで。

しかし、平和ほど尊いものはない。

米の話題

アメリカではなく米だ。

日本人って贅沢だなぁ。古いコメでも有難くいただけばいいのに。

味がどうのこうの…とか。

ガザで食料を求めている人たちの事を考えろ!なんて日々思ってしまう。

何だか「動物の餌」とか言った奴がいたが、めちゃくちゃ腹が立った。

小泉君、別に好きではないがあの時ばかりは僕も腹が立った。

案の定「ムッ」とした顔をしていた。

あんな事いうやつ、動物園につないでおけばいい。

なんて政治家ってバカなんだろう。

自分の家には売るほど米がある…って、少しでも「脳〇そ」が有ったら言うか?少なくともこの現状で。

もうみんな忘れてしまっただろうけど、それって結局、あんな奴の言う事よりも、自分たちが日々どうして生きていこうかみんな一生懸命考えている、という証拠なんかな。

国民の政治離れがどうのこうの…ってその状況を作りだしている張本人が言うか?

オー、だんだん自分がみじめになってくる。

いかんいかん!

蒸し暑くなってきた。

でも、確か去年はもう今頃、水シャワーだったが今年はまだ冷たい。

これ、急にあの信じられない暑さが襲ってくるのだろうか。

今、振り返ってみると確かに、去年は5月下旬から水を浴びていたようだ。

それも9月終わりころまで。

米の話題から飛躍してしまったが、この米騒動、いつになったら収束するのか。

因みに、カリフォルニア米は普通に美味しかったけどなぁ。

カリフォルニア米って因みに、米国米と言うんだろうか。

あれじゃぁ米を食べた気にならない、という人もいるんだろうなぁ。

日本人って贅沢だなぁ…と言いながら、新潟から送っていただいたお米はよく分からない僕でも美味しい!と思わず叫んでしまったのだ。

ちょうど帰国中の息子も「美味い!」とのけぞったくらい。

でも、無い時ぐらいは有難くなんでもいただきましょう。

そして、新たな録音へと向かおうかな。

苦楽を共にしたザ・ナターシャーセブンのメンバーを偲んで。

今年も半分に差し掛かる

5月が過ぎ、6月に入っている。

あっという間にこんなに時が過ぎ、また暑い暑いと言っている間に寒い寒いというようになる。

先日リック・デリンジャーが亡くなったという記事を見た。77歳か…歳取ったなぁ。

Johnny Winter andのライブでのIt’s my own Faultの白熱したプレイは擦り切れるほど聴いた。

Johnny Winterも大好きなギタリストだったので、特にフォローはしていなくても自然と好きなギタリストの一人になっていた。

さて、また政治家が喋り始めた。というより、大声でわめき出した。

そしてまたしても、肉声で動物愛護を訴えている人の横で嬉々としてスピーカーを用意している。

その無神経さに呆れてしまうが、どうにもできない。関わらないのが一番。

しばらく忙しくしていて、少し余裕が生まれたので、次なる企画を考えている。

もう残り少ない人生。ある程度の計画は立てておかなくちゃ。

いよいよ水シャワーの季節だ、と思いきや、急に寒いくらいの日々が続いている。

もう既に何度か水をかぶったが、やはりちょっと寒かった。

気をつけないと心臓が…いや、毛が生えているかもしれないので大丈夫かも。

とに角、来るべきジメジメした梅雨と人類存続の危機に迫る暑さに備えなくてはならない。

皆さんも心の準備を…いや、心だけでは乗り越えられない。

身体もそれなりに鍛えておいてください。

2025年5月24日 サウンドタム35周年

素晴らしい一日だった。

サウンドタム35年、そして40年を見据えた素晴らしい会になったと思う。

僕は朝、5時に起き、空を眺めた。

予報は雨…降ってないじゃん…。

今日は、アリさん、僕、中村哲さん、河合のてっちゃん、そして一際若い一晃君。

一応歳の順に並べてみた。

みんな素晴らしいミュージシャンだ。

僕の方向性とはまた違うが、百戦錬磨の素晴らしい感性と、技術と、知識と、奥の深さを感じさせる4人だった。

サウンドタムはその35年の歴史の中で彼らの様なミュージシャンと、そしてなんといっても、坂庭省悟との関わりがとても深い。

僕自身、エンジニアのタムちゃんは省ちゃんに紹介してもらったと記憶している。

以来、特にここ数年は本当に助けてもらっている。

「あれ、もう俺たち要らないんじゃない?」「いや、あなた達が居ないと、この仕事成り立たないから」

なんて云う会話をしょっちゅうスタジオで交わしている。

僕も迷いが生じると必ず彼に意見を求めるようにしているし、彼は時折、それを察して的確な指導をしてくれる。

そんなタムちゃんの手綱を引っ張っている夏子さんにも、録音中の食事から、カバーデザインの事から、全てお任せしている。

35年、文字通り二人三脚でやってきたサウンドタムが、必ず40周年を迎えられるように祈っている。

その後は…僕らも居なくなるし。あ、一晃は居るか…。

そう言えば、アンコールの花嫁。

これは省ちゃんに捧げる、というか「何故ここに居ないのか、生きていればここに居ないわけがない」という感情がこみ上げてきたうえに、素晴らしいサポートミュージシャンのおかげで、2番が歌えなくなってしまった。不覚だったが、みんなが歌ってくれていたので助かった。

素晴らしい企画を有難う。タムちゃん、そして夏子さん。

集まっていただいた皆さんも極上のひと時を過ごせたことと思います。

また、See You at Tam’s

2025年5月17、18日 七色の池コンサート 新潟

朝から雨模様。

晴れ男伝説、またしても…と思われたが、ところがどっこい。

東京を出た時にはほとんど感じない程度の雨。

新潟へ着いてもちょっと晴れ間が見えるんではないか、と思わせるような天気。

主催の佐藤さんと、彼のお店に向かう途中、ふと思い浮かんだ大切な事が有って二人共びっくり。そのことは後で書くことにして、なんか新潟って秘境みたいだ。

ありゃ、こんなところに素敵な店が、とか、宿泊施設も素敵な処だし、集まってくれた方達も「あっと驚く為五郎」だ。

現に佐藤さんが率いる(と言っていいのか分かりませんが)バンドの各人の素晴らしい事。

これはCDを聴かせていただいたのだが、佐藤さんのフィドラーとしての腕前もなかなかのものだ。

音楽に関しての知識も豊富なので話は弾み、会自体も和気あいあい…と言いたいところだったが、やっぱり一人は緊張する。

初めてバンジョーを目にする人、ナターシャーセブンにどっぷりつかって半生を過ごしてきた人、いつもの事ながら、それでもみんなの真剣な眼差しに圧倒されてしまう。

それでも、緑に囲まれた空間で素晴らしい時を過ごすことが出来た。

ところで、先の「びっくり」の話だが。

5月18日は木田高介の命日に当たる日だ。

そして、それだけではなく、彼は新潟のしかも、すぐその辺で生まれている、という話。

なんでよりによってその日になったのか、とても不思議だった。

僕も行くまで気がつかなかったことは不覚だったが。

そんな新潟の2日間、とても良い想い出になった。

お店の安藤さん、お母さんまで連れてきてくれて、お母さんとも話が盛り上がり楽しかったです。

魚沼からはホワイティ白井一派がギターを持ってきてくれたり、歌も一緒に歌ってくれたり。

柴田さんは相変わらずの美声だし、ホワイティのチャップリン・イン・ニューシューズは、まるで自分自身の演奏を聴いているようだったし。

17日もギターをお借りした山田さんご夫妻。そういえば彼ら、昼下がりコンサートにも遠路はるばる来てくれたようだった。

そして、ボタンアコーディオンを演奏してくれた、波多野彩子さん。いい伴奏者を見つけてください。

みんなが素晴らしい演奏を聴かせてくれて、素敵な笑顔を見せてくれて、会話も弾んで本当に幸せなひと時でした。

帰り、新潟駅まで送っていただいたお茶の先生、小川聡子さんは、なんと、素晴らしいバンジョーを持ってきてくれたし「いやいや、ちょっと持って帰るのは重いし…」なんて最後まで冗談を言ってしまったが、素晴らしいバンジョーで、また素晴らしいキャラクター。失礼ながら僕より年上。それも割と…。でも、すごく輝いていました。是非またお会いしたい姉御?です。

本当に皆さんに感謝いたします。有難うございました。

2025年5月10日 伊豆 夕鶴記念館

僕にとってはかなり珍しく、雨の一日となった。

それでも予報によると、もっと激しく降るような感じだったが、時折薄日がさすような変わりやすい天気だった。

しかし、この夕鶴記念館は緑いっぱいで少しの雨だったら何となく爽やかさを感じる。

その辺は都会の雨と違うところだ。

今日も遠方から駆けつけてくれた人、京都から、山梨から…有難いことだ。

今回は、今まで唄って来なかった唄や、新たなアレンジのものを中心に構成してみた。

下田から櫻井航君が来てくれて、サウンド面で大いに力を貸してくれた。

そのおかげで落ち着いた気持ちのいい音が得られた。

そしてバンジョー。

修善寺の有名なDr.コト―、ことうさんが重いのに2台も持ってきてくれて「どちらでもお好きな方を」と…いやいや、お持ち帰りください、というわけではない。

彼の様な上品なサウンドのバンジョーを使わせてもらった。

と、言いながら、今回はギターと歌、という方が多かったので、ギターは育さんのマーチンを借りて弾かせていただいた。

僕が持っていったのはマンドリン。

これで2曲のメロディーを弾かせていただいた。メドレーというべきだろうか。

育さんのギターをバックにつけてもらい、ちょっとコンサートに花を添えた感じになったかも。

最後に歌わせていただいた「疲れた靴」

そしてアルマジロのリクエストによる「チャプリン・イン・ニュー・シューズ」まで、

今回は懐かしい歌、そして今まで歌ったことのない歌。

ステージの上から見て涙をぬぐっている方が何人か見えて、花粉症かな?なんて思っていたが、いくつかの唄でとても感動した、というコメントをいただいた。

有難うございます。

沢山の人に助けていただいて本当に感謝です。

まだまだ元気であることは確かですが、ま、歳より並といいますか、だんだん移動するのも大変…というか面倒にもなるんだろうなぁ、良くない事だけど、こうして多くの人に支えられている以上、頑張って練習して、今日よりは明日、明日よりは明後日、とそんな風に貪欲に高みを目指して行かなければ、と感じる一日になりました。

それも今日、雨の中を集まっていただいた方達のおかげです。

有難うございました。

またお会いしましょう。

2025年4月19日 円山音楽堂 昼下がりコンサート

さぁ、今日も良く晴れたぞ!

おまけに暑いし。

なんでもすでにもう夏日らしい。

まだ4月だぞ!7月、8月には間違いなく連日の40℃超えとなるだろう。

そんなこんなで、取りあえず少し前に京都へ。

友人のお母さんがとうとう100歳を迎えて…また同じ話を聞きに行ったのだ。

そして、夜にはこのコンサートの実行委員会の会合にも出させていただいた。

和気あいあいの中にもみんなの本気度が伝わってくる。

こんなにもナターシャーセブンを愛し、その存在した価値を評価し、そしてその灯が消えないように願っている人たちがいることに感銘を受ける。

そして本番の日。良く晴れて更に暑くなった。

これは7月、8月には50℃目前、と書きかえなくてはならないだろうか。

去年も寄せてもらったが、今年はまた更に円山音楽堂での想い出が深く深く突き刺さってくるような気がした。

それというのも、楽屋には去年にも増して懐かしい顔が一杯現れたからかな。

東さんは益々素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

ギターもブルーグラスのツボをとことん得ている。思わず「やっぱりほんまもんや」と言いたくなるような…。

そして何といってもその語りが素晴らしい。

ブルーグラスの成り立ちについて、非常に簡潔に分かり易く語ってくれる彼の存在は貴重なものだ。

今迄知り得なかった…いや知っていたがそこまでの感性と知性を持ちつつ、本物のブルーグラスを魂から歌ってくれた東さん。

もう、かれこれ40年ぶりくらいだったのかな…。

そして、二郎ちゃん。

「じゅんじ、さむウないか…?」と、あの美声がよみがえってくる。

あれは、おぎゃ~と生まれた時からだろうか。

もしそうなら、ご両親、びっくりしただろうなぁ。

楽しいなぁ…楽しいなぁ…と言いながら「なぁ、みんなでやろうや」と、本当に嬉しそうにしていた。

本当にフォークソングが好きなんだろうなぁ。この人。

そんなレジェンドの姿を見ていた小林君に「君が一緒にやったらいいよ」と勧めて、なんとか引っ張り出した。

内心、すごく緊張したことだろう。

しかし、彼の様な若さでナターシャーの唄を、そして歴史を知るような人物は貴重であり、そんな彼と二郎ちゃんが同じ処に立つことは素晴らしいことだと感じる。

それは東さんしかり。

やはりブルーグラスを愛した彼が、また違った意味でのレジェンド東と共に登場することはそれなりに意義があることだ。

今回はそんな事も含めて、また次につながるような素晴らしい会になったような気がする。

アマチュアバンド、といえどもみなさんレベルが高く、こちらも来年呼ばれるように頑張らなくてはいけないな、と感じるほどだった。

みんな、有難う。

そして、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

みんな結構な歳なので、筋肉痛など数日してから出てくるかもしれません。

そう言う僕もかなり疲れていると思いますが、甘いもん沢山もらったし、また明日からウォーキングを始めます。

また来年会いましょう、という事はほとんど生存確認…か?

4月

あれよあれよと云う間に4月になってしまった。

僕が言うまでもなく、ほとんどの皆さんはそう思っているだろう。

「あれ、人生ってこんなに短かったのか」なんて。

外では桜がほぼ満開。あと何回見ることができるだろう…なんて、かつては絶対に考えなかったことが頭をよぎる。

これ、正しく日本人。

富士山を見て感動し、桜を見て人生を考える。

正月には思い切り伊達巻を食べる…って、これ、僕だけか。

さて、大して仕事もしない議員を3分の1くらいに減らしたら、国民の生活がもう少し楽になるだろうなぁ。

いまだにスマホ見ながら自転車で走っている奴、日本全国で一斉につかまえて罰金3万円くらい取ったら、凄い金額になるんだろうなぁ…なんて日々のウォーキングの最中に考えてしまう。

なんでもかんでも高くなって、もやし、豆腐、納豆くらいしか買えなくなってしまった。

先日アメリカのスーパーの棚の写真が送られてきたが、卵の値段に驚愕。

アメリカでは12個入りが普通だが、安いもので$7.99 オーガニックだと$9.99

それと比べたら日本の卵はまだ安いか。

ま、物の値段は他とのバランスもあるし、一概には言えないが。

外食をすると、少し安い目のランチでも$30くらいは当たり前という事なので、日本の労働賃金がいかに低いかが分かるような気がする。

しかし、本当に食べ物には恵まれた国だなぁ。美味しいもんいっぱいあるもんなぁ。

甘いもの大好きな僕だが、今まで糖質で引っかかったことがない。

体質もあるかもしれないが、それなりに身体を動かしているからだろうか。せっかちだから?

4月はまた京都に行かせていただく。

昼下がりコンサートだ。

少なからず人生の長きに渡ってナターシャーセブンが、どこか心の片隅にあった人達、計らずも、どっぷりつかってしまった人達。

そんな人達と共にこれからも人生をふくよかに、力強く生きていこう、と語りかける「七人の会スタッフ」による昼下がりコンサート。

いい天気になると良いけどなぁ。

春の天気は気まぐれだけど、晴れ男は今年も健在だと、自分にいいきかせて参ります。

円山音楽堂で会いましょう。

ジョージ・フォアマン

ジョージ・フォアマンが亡くなったと聞いた。

エディ・アドコックに引き続きだ。

だが、全然違うのは、ボクシングには何も興味が無い、というところだ。

では、何故かというと…。

アメリカでテレビを観ているとよく「インフォマーシャル」なるものが目に付いた。

その中で、買おうかな…といつも思っていたのが「フォアマンズグリル」というもの。

肉を焼くハンディなグリルで、傾斜がついているので、そこに余計な脂が落ちる、という一見、健康に良さそうなもの。

ずっと見ていたが結局買わなかった。

ま、こういうものはほとんどの場合、長くて2~3か月もてばいいかな。結局クローゼットにしまい込んで忘れられてしまう運命にありそうな…。

実際、正直なところ、いくつかある。

中には返却したものも有る。

それもやり方が分からなくて、息子に電話してもらって、えらく手間取った。

なので、ジョージ・フォアマンもずっと迷いながら手に入れなかった。

今調べてみるとAmazonとかに出ているなぁ。

でも、もうあんまり肉は食べないしなぁ。

チキンもフライパンで焼いて、キッチンペーパーで油をふき取ればいいし。

なんか話が飛んでいるが、ジョージ・フォアマンというと僕はこのグリルをどうしても思い出してしまう。

結構、欲しかったんだろうなぁ、あの頃は。

エディ・アドコック

エディ・アドコックが亡くなった。

多くの人が僕に知らせてくれた。

大学時代の僕は「北白川のアドコック」と呼ばれていたくらい、彼のプレイに惚れ込んでいたからだ。

初めて彼らのライブ盤を聴いた時はぶっ飛んでしまった。

そのライブ盤のジャケットは同じものがドクターサウンドに飾られている。

Goin’ Back to The Blue Ridge Mountain  Goin’ to the Races  中でも特に気に入って弾いていたのがBlue Bell

これには完全にノックアウトされてしまった。

あれだけのプレイをする人なので、さぞ変わった人だったんだろう。

もんつ君が、座頭市を見るとソニー・オズボーンを想い出してしまうらしいが、僕はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクを見るとエディ・アドコックを想い出してしまう。

またひとり消えてしまった。

でも、何故だろう…ここ最近やたらともう一度Blue Bellを弾いてみたくなっていたのだ。

友あり遠方より来る NY編

NYからディナがやって来た。

正確に言うと台湾からのフライトだったが。

どうやら今年93歳になる父上の具合が芳しくなく、台湾に里帰りしていたらしい。

彼は本当に僕に良くしてくれたし、台湾にも連れて行ってくれた。

もうそんなに歳取ったんだな、とビックリしたが、もう一つ、ディナがもう50にもなるっていうことも聞いてびっくりした。(この際いいか)

2人で演奏していた頃25歳だったので…そりゃそうか、僕もまだ50歳だった。

Up She Flewをリリースしたのが2000年だったので、あれから25年。

今回は父上のお見舞いと、せっかくなので日本にも、という気持ちで、随分前から「日本に行くけど会える?」と訊かれていた。

久しぶりに会ったが…といえども2017年の8月にキルケニーで会った時が本当に久しぶりだった。

それでももうあれから8年にもなるのか。

ボーフレンドと一緒だったが、二人ともベジタリアン。

前回日本に来た時もディナは肉も魚も食べなかったので、あの当時、日本ではなかなか「それもんのレストラン」を探すのが大変だった。

居酒屋でキャベツでも食べさせておけばいいか、なんて思ったりもした。

今回、二人ともそんな事なのでちょっと僕の処で日本茶を飲んで話をして、少し音楽をやって、苺を食べて。

結局コーヒーもミルクは入れないし、まぁ、それは良いとしても、味噌汁もうどんも蕎麦も出汁に魚が入っているし、本当に困る。

パンは美味しいと言って食べていたが、ミルク使っているんじゃないかな…?

取りあえず、種類豊富な日本のパン屋さんにはほとほと感心していたようだ。

そして、外人あるあるの「渋谷スクランブル交差点を見たい」と意気揚々と出掛けて行った。

「安全な国だけど、人が多いし、スリには気を付けるように」とメールを送ったら

「うん、気を付ける。今ベジタリアンレストランを探している」という返事が返ってきた。

ディナの方は2度目の日本(と言ってもほとんど25年ぶりか)彼の方は初めての日本。

そりゃ、渋谷には行ってみたいかな?

明日から京都に行く、と言っていたが、思い切り楽しんでほしいもんだ。

おかげで、25年来の友人にこうしてまた会えるというのはとてもいいもんだ、という実感が湧いた素晴らしい一日になった。

しかし、日本に来て美味しいとんかつもダメ。美味しい寿司もダメ。美味しいラーメンもダメ、となると、なかなかにリミテッドだ。

埼玉県人と一緒に「その辺の草でも食っておけ!」てか?

マラソン

先日のぐんじ君主催のコンサートで「京都産業大学トリオ」として一緒に演奏した

櫛谷さんから、琵琶湖マラソンを走ってきた、という便りが届いた。

え?フルマラソン?42・195キロ?

そんな風に見えなかったし、そんな話題も出なかったので全く知らなかったが(いや、少しは話をしたかな。音楽談義の方が盛り上がっていたのかな)おかげでいろんなことを想い出させていただいた。

僕は中学の頃、異様に長距離が得意だったようだ。

駅伝も経験したし、高校では陸上部に入ろうかな、と思いながらも美術部に入った。

そんなことも有り、走ることは苦ではなかった。

省ちゃんなんかは「なんでやねん」と言いながら走っていた。後のタバコの為に…。

ホノルルに行く前に、それぞれの酸素摂取量を計る、という名目で、群馬大の山西先生を訪ね、なんやら酸素マスクみたいなものがついた自転車みたいなもの(固定された機械)に乗せられて、そのペダルを思い切り漕いだ。

省ちゃんは「あのマスクの中に思い切り吐いたら、ハイ、やめー!ってなるんちゃうか」とか言いながら、いやいや漕いでいた。後のタバコの為に…。

そんなこんなでいざ、ホノルルへ。

最初は1978年だったと記憶している。

まだ全然大した人数ではなかったが、確かフランク・ショーターが居たのはその年かな。

僕がまだまだ折り返し地点に程遠いところを走っていたら、向かい方の、言うなれば帰り道を、彼は颯爽と駆け抜けて行った。

太陽が上がると「ハワイ良いとこ、一度はおいで」みたいな流石に美しい景色が広がった。

それはそれで気持ちよかったが、最初のその年は頑張り過ぎた。

確か4時間少し超えるくらいのタイムだったかもしれない。

おかげで、次の日はアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けなかった。

無駄に頑張らなかった省ちゃんは美味しそうにタバコを吸いながら買い物を楽しんでいた。

足を引きずっている僕に多くの人が「どうしたんだ?」と訊くくらい、まだホノルルマラソンがそれほど浸透していなかった。

次の年はその経験を踏まえて、6時間かけて走った。途中で歩いたりして。

そのおかげでアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けた。

42キロはやっぱり長い。

途中で白人の海兵隊員みたいのが「This is crazy!」とブツブツ言いながら走っていた。

確かに35キロ位を越えると膝から笑い声が聞こえてきた。

そんな事はないやろ~。

目から鱗は出ないし、耳にタコは出来ないだろう。

耳にタコが出来たら、今はタコ高いし、良いのになぁ、としょうもない事を言っていないで、

今度、また産業大学トリオが有ったら、マラソンの話をしてみよう。

ホノルルマラソン、一応5回走っているので。

でもしょうもないことしか覚えていないかな。

櫛谷さんは2年くらい前から走り始めたようだが、なにかきっかけが有ったんだろうか。

まだ若いし、間違いなく高石ともやの影響ではないだろう。

それでもぐんじ君から教わった「孤独のマラソンランナー」を口ずさんでいたらしい。

とに角42キロを5時間ほどで走り抜けた、というから大したもんだ。

因みに42キロ、フルで歩いたら約8時間とか…。

あ、もう先も長くないし、それ時間の無駄だ。

サウンドタム ソロライブ

何という気候だろうか。

春がやってきたと思ったら、震えるほど寒い日になった。

そんな訳の分からない中で、前後するが、そう言えばサウンドタムでもライブがあったんだ、という事を想い出した。

恐らく、ここしばらく、特に去年いっぱいは、まるで普通の通いのように行っていた処なので、自分の中で当たり前のような感じになっていたのかもしれない。

事実、今年はまたお願いしようかと思っている。

内容に関してはまだまだ練らなくてはならないが、そんな相談も兼ねて考えていたことも有ったのだろう。

すっかりライブの事に触れるのを忘れていた。

今の自分のスタイルとしては1部でバンジョー、2部は歌とギター、というスタイルでとてもシンプルだが、ここではやはりタムちゃんの素晴らしいサウンドとのコラボを楽しめる。

思えば、ここで全くのソロは初めてのことだ。

Englishman in New Yorkも、今日は素晴らしいベースのサポートは無い。

それだけに緊張する。

しかし、たまに緊張するのも良いことだ。

歌う事も緊張するが、僕は譜面台を置くのが嫌いだ。

歌詞カードとか置いていると、せっかちなせいか、先の方を見てしまう。

それに僕の場合全てが歌というわけではないので、できる限り覚えておきたい。

そのためにウォーキングはとても役に立つ。

ブツブツ言いながら、反復しながら2時間近く歩くと、なんとなく覚える…がすぐ忘れることも有る。

そんな日々の連続で歌詞を見なくても何とかなる事もあるし、聴きに来てくれる人にも助けてもらうことも有る。

まだしばらくはそれで行けそうだ。

一応ウォーキングの最中にこけないように、という事だけには留意しておかないと。

歌詞どころか、わたしはだ~れ?とならないとも限らない。

何はともあれ、サウンドタムの日も寒かった。

あの寒さの中、タムちゃんは外で受付をやってくれた。

そして本番が始まると素晴らしい音を提供してくれた。有難う。

夏子さん、お手伝いの田村さん、そして寒い中、足を運んでいただいた皆さん、どうもありがとう。

次は5月24日に会いましょう。

2025年3月1日

栃木の川俣ぐんじ君に会いに行った。

いや、正確には川俣卓也君だ。

そして更に正確には、彼の主催による2つの会に寄せてもらったわけだ。

午前、10時頃に向かえばよかったものを、例によって早起きして6時頃からそわそわ。

結局、予定よりも一時間近く早く着いてしまった。

ま、遅れるよりはいい。世の中何が起こるか分からないし。

それでも歳と共にその辺の考え方が極端になってくるようだ。

小山に到着して駅前のコンビニでドーナツとコーヒー。

この組み合わせは限りなくグレイハウンドのバスディーポを想い出させる。

この駅では…あれは1972~3年頃だろうか…。

マネージャーの榊原氏と二人、電車に乗り遅れて、駅前のさびれた商店が並ぶ街並みをぶらりぶらり、すし屋に入った覚えがある。

それ以外のストーリーは何も覚えていないが小山というとそのシーンが蘇ってくる。

が、しかし、駅前はかなり変わっていた。

コーヒーを飲み終えると川俣君が迎えに来てくれた。

小山の想い出や、京都産業大学の想い出等を話しながら会場に向かう。

そう、彼もまた京都産業大学ブルーリッジマウンテン・ボーイズの出身だ。

何を間違ったかバンジョーを弾きたくて…いや、勉強も、だろうな。彼の場合は。

省悟と同じ経営学部だったそうだ。

ま、そんな事はともかく、今日は彼のお母さんの1周忌だという事で、お母さんにまつわる様々な思い出の展示の中でコンサートを、という企画。

そうなればやっぱり「母のお墓」だろう。

これをメインにしてほとんど川俣君と二人で演奏させていただいた。

お母さんも宵々山のジャケット写真に写っている(カーターファミリーの時)くらいにナターシャーの事もよくご存知だったようだ。

バンジョー弾きのアリソン・ブラウンとも親交が深かったと聞いた。

川俣君の影響だろうか、はたまたお母さんの芸術的なセンスが彼に影響を与えたのだろうか。

お母さんの様々な作品を見ていると、ふと思い出した。

僕の母親のお母さん、おばあちゃんか…、彼女は草月流の師匠で、なんやらガラスのかけらを固めた綺麗なオブジェのようなものを良く作っていた。

そして母親の影響でピアノを弾き始めた僕だが、川俣君のところもそんな風につながっていたんだろうな、という思いでナターシャーセブンの歌をいくつか唄わせていただいた。

彼のバンジョーもいい感じでサポートにまわってくれて、流石!京都産業大ブルーリッジの後輩!という感じだった。

きっと彼のお母さんも喜んでくれたと思う。

さて、第2部は増茂米店というところだそうだ。

こちらは普通にコンサート形式。

マスターに無理を言って生音でやらせていただいた。

ちょっと難しいかな、と思いながらもギリギリ行けそうなところはやっぱり生音が好きだ。

それでもかなり響いてくれたようだ。

マスターも初めて生音で聴かせてくれたミュージシャン、というような事をコメントしてくれた。

こちらも懐かしい人が一杯で、僕もナターシャーセブンの最後の生き残りとして精いっぱい歌わせていただいたし、多くの人が一緒に歌ってくれた。

そしてこの日、もう一人の京都産業大出身者が登場。

北欧音楽でフィドルを弾いている、という櫛谷結実枝さんという方が一緒に演奏してくれた。

産業大学トリオの演奏もほとんど打ち合わせ無しにしては…って、ことアイリッシュに関しては打ち合わせなど無いといえるかもしれない。

レコーディングでさえ、急に違う曲をやったりすることが良く有ったので。

でも川俣君も櫛谷さんも良いミュージシャンで、そして何よりも素晴らしい人だった。

米屋のマスターも、1部の会場の方達も、みんな川俣君を、そして彼のお母さんを慕っているようだった。

とても良い想い出を有難う。

集まっていただいた皆さんに感謝します。

寒波

最強最長寒波というのが来ていたらしい。

確かに寒かった。

歳のせい?とも思ったが、若い人にとっても寒い日々だったようだ。

懐だけではなく、確かに寒かった。

来てほしいのは寒波ではなく、カンパだった…ってもっと寒いですか?

ところが、今年は暖房器具を使いそうにない。

今迄、この最強といわれた寒波の間も一切の暖房器具は使って来なかった。

むかしから寒いのは平気だったので、友人が遊びに来ても「寒い」と言ってすぐ帰る。

それくらいに家の中の温度は低かったようだ。

実際にはある程度の温かさを保った方が体にもいいし長生きする、という話だが、もう充分長生きしている。

「じゅんじ、さむうないか?」という杉田二郎氏の声が聞こえてくるようだ。

省ちゃんも寒がりだったなぁ。

「指先がめちゃ冷えるんや。これタバコのせいやで」と言いながら美味しそうにタバコを吸っていた。

手は確かに冷えるので、鍋にお湯を沸かし、そのお湯で温める。

そうするとけっこう身体も温まるもんだ。

それに室内運動をすればもう暖房は要らない。

しかし、これ、夏になったらそれはそれで死にそうなくらい暑い。

それでも、去年の夏は寝る時以外は冷房も使わなかったなぁ。さすがに寝ている間に死ぬのもなぁ…と思って点けたけど。

そうして考えるとこの国の夏と冬の気温差は50℃にもなるのかな?

人間にも酷だが生身の楽器にも悪影響を及ぼしているんだろう。

食中毒にも気をつけなくちゃ。ま、一年中だが。

幸い、僕はそこにも強いらしい。

以前、同じものを食べたピアニストの小倉超が「城田さん、あんたどういう胃袋しとるん」と言いながら吐いていた。

とにかく、最強寒波というのもなんとなく通り過ぎたようだが、まだまだ2月半ば。

油断大敵だ。

手洗いうがいをしっかりして、沢山着こんで、沢山運動をして、朝と昼はしっかり食べて、早寝早起き…理想的だなぁ。

最強最長カンパというの、どこかから来ないかなぁ…って、まだ言うか!

不眠

ある歌が最近僕を不眠にさせている。

いやいや、歳のせいもあるかもしれないが、あらぬ時間に眼が覚めて朝まで眠れない。

毎日ではないのでそう大変ではないが。

前置きはともかく、その歌のタイトルは「Hello Vietnam」という。

これはニャンちゃんに教えてもらった歌。

ベトナム行きの飛行機の中でこの歌が流れるそうだ。

特に降り立つ時、この歌を聴くと涙が止まらなくなる、という。

どこかで聞いた話だな…と思ったが、そうだ!スージーさんだ。

何十年も離れていた日本に帰った時、富士山を見て涙が止まらなかった、という話。

彼女の場合は懐かしさと、もうここは自分の帰る処ではない、という寂しさが入り混じっていたのだろう。

さて、この歌はベルギー生まれのベトナム人歌手Pham Quynh Anhという女性が歌っている。( 因みに Johnny Wrightというシンガーが、‘65年に同じタイトルの歌を唄っているが全くの別物 )

内容はこんな感じだ。

「私が生まれた時につけられたこの難しい名前の事を教えてください」というくだりから始まる。

「あなたについて知っていることは、コッポラの映画で飛び交うヘリコプターの轟音。そんな戦争の事だけ」

「いつの日かあなたの土に触れよう。いつの日かあなたの魂を知ろう。いつかあなたに会いに行って言おう。ハローベトナム」

両親の生まれ故郷を知らない難民2世、或いは追われてきた世界中のベトナム人の間で歌われている歌らしい。

どうしても思い出してしまう。

コロンバスデイのお祝いで飛び交うブルーエンジェルスの爆音に、大声をあげ、耳を押さえて震えながら机の下に隠れていた若い男の子。

俺、何のために産まれてきたんだろう、と言い残して死んでいったマイク。少なくとも、故郷で死ねて幸せだったと思う。

ボートでの過酷な思い出を話してくれたヴィンさん。何よりも教育が大切だ、と言っていた。

「I Love You」と「新年おめでとう」のベトナム語を教えてくれたミセズ・ホート。海賊から我が子を守るためには、自らの手で子供たちを殺して海に飛び込む覚悟をもってやって来たという。

スイカだったら、いくらでも食べられる、と言っていたルオンは多分アメリカ生まれ。

映画館で「プラトゥーン」を見ていた時、立ち上がって画面に怒号を浴びせていた若い男の子の集団。

因みに、マイクと喧嘩した時に僕が発した言葉なので何と言っていたのか分かる。

とりわけベトナム人との付き合いが多かった僕にとっては、どうしてもふと思い出してしまって眠れなくなるのも無理ないかな。

なんか羨ましくもある。

故郷を想って涙する。そして、帰りたいという気持ちが一杯湧いてくる。

僕はアメリカに居た時、そんな気持ちになった事が無かった…と思う。

多分それは、いつでも帰れる恵まれた環境に育っていたせいもあるんだろうなぁ。ここでダメだったらもどりゃいいや、みたいな。

「俺はベトナムに産まれた事、後悔していない。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。美しい国だぞ」

別れの時そう言った彼の事をどうしても忘れることができない。

今、彼は故郷の土に帰り、この歌を聴いているかもしれない。

今、僕は日本でこの歌を聴いている。

鶴ヶ峰 陽の当たる道

2月1日 土曜日、5年ぶりの陽の当たる道。

横浜からどうやって行くんだったかな?なんて迷いながらも無事着いた。

天気の事は心配だったが、全然心配する必要もないくらいの上々の天気。

まだまだ晴れ男として君臨できそうだ。

少し早い目に着いてコーヒーをいただいた。

あ、これは美味しい!と、久々に外で頂いたコーヒーに感激した。

そして近くのスーパーを散策。

食べる気のなかったアンドーナツがやけにおいしそうだったので買ってペロリと平らげてしまった。

なんという意思の弱さか…。

コンサートは和気あいあいでスタート。

一部はバンジョーだけで、ブルーグラスチューン、ジャズ曲、コンパクトな世界巡り、

などを経て、やっぱりラストはJust a Little Memory

この曲はDouble Cチューニングなので、ここでWCタイム。

皆さんおかわりのコーヒーなどをいただいて、僕もみなさんと少し歓談して、2部に突入。

この2部はたっぷりやりたかったので1部は少し短め。

先ず「海に向かって」で犬飼さん夫妻にも声を出していただいた。

ナターシャーの想い出が蘇ってくるような雰囲気を味わうことが出来た。

後は諸々。ヒューマンズーの曲からフィールドフォーク、そして最近歌っている「今またヒーローが…」

この歌も歌詞がなかなか定まらずにいたけど、少し固まってきたかな。

今の時代にどんな歌を唄えるのだろう。

歌ではこの混沌とした世の中を変えることは出来ない、と思うが、60年代にはいろんな反戦歌を唄っていた。

そしてアメリカで出会った難民たちの壮絶な経験を知り、僕たちはなんと呑気に反戦歌なんか唄っていたのだろう、などと思い、そして911が起こり、アメリカが戦争ムードになってきたとき、また、歌で世界は変わらないけど…と思いながらの葛藤と共に作った歌だった。

これからこの世界はどうなってゆくのだろうか。

アメリカファーストよりも地球ファーストにしてほしいものだ。

話は飛躍したが、高石氏の詩の中でも大好きな「ダッチマン」と「ミー&ボビー・マギー」そしてお決まりの「チャップリン・イン・ニュー・シューズ」

トータルで1時間40分ほどだったと思うけど、ちょうどいい感じだと僕は思っている。

終わってからも少し皆さんとお話しできるし。

そう言えば、もう一杯コーヒーをいただこうと思っていたが忘れてしまった。

その気持ちは次に行った時にとっておこう。

陽の当たる道、5年ぶりでしたが、少しも変わらないあたたかい雰囲気がなんとも素晴らしい。

ひとえに犬飼さん夫妻の人となりの成せる業なんだろう。

誰からも愛されるであろうこのご夫妻。

いつまでも人々に幸せを届けてあげてください。

アメリカ文化センター

今日は急に想い出したことがある。

その理由は後ほど出てきますが、烏丸三条の辺りにあったアメリカ文化センター。

通称「アメセン」あれ?僕らがそう呼んでいただけかな?

確か毎月第3土曜日とかにブルーグラスやカントリーのコンサートをやっていた。

僕ら、ブルーリッジマウンテン・ボーイズも必ず出演していた。

立命館のサニーマウンテン・ボーイズ、同志社のマリースロック・マウンテ二アーズ。

テネシーシャンティ―・ボーイズやテネシー・ファイブも、ここの会場でよく聴いていたんじゃないかなぁ。

聴きに来ていた人も毎回沢山いたなぁ。

とに角ブルーグラスは各大学の腕試し、みたいな雰囲気が有って、しかもしっかりした交流が有ってなかなか素晴らしかった覚えがある。

アメセンを想い出した理由というのはその時おそらく初めて生で観たジョッシュ大塚さんだ。

何故かそのシーンはかなりよく覚えている。

とにかくかっこよかった。

どのようなメンバーで来ていたのかの記憶はないが、彼がバンジョーを弾いていた。

曲はFlint Hill Specialだった。

バンジョーはボウタイのRB-250だった…ような。

でもそれは定かではない。ただあの頃の憧れのバンジョーだったので、有無を言わせずそう見えただけかも。

もちろん、その他にも彼はリードボーカルではなく、バンジョーを弾いていた、と記憶しているので…いや、ギターとボーカルもやっていたかな。

とに角そのFlint Hill…がかっこよすぎてほかの記憶がない。

彼が逝ってしまったというニュースを聞いて驚きとともにそんな事を想い出してしまった。

けったいな人だったが、その明るさと、元気いっぱいの人懐っこい様は正にJoshだった、と感じている。

しかし、あのバンジョープレイ、かっこよかった。

昼下がりコンサート2025

12月はバタバタと過ぎ、1月は何故かそこそこ長く感じる。

2月は…28日までか。これまた短いだろう(そんな風に感じるのは僕だけだろうか?)

そして春を感じさせる3月…何やかやして4月もすぐ来てしまう。

今年は4月19日の土曜日、七人の会スタッフの主催による昼下がりコンサート。

東理夫氏がやってくる。

高石氏の盟友であり、ブルーグラススタイルを擁したザ・ナターシャーセブンの原点と言える一人だ。

僕も高校時代、彼の教則本を手に取って「この人の名前…う~ん、なんて読むんだろうか…あずまりお?」なんて思った覚えがある。

ドクターサウンドの小林君も興奮している。どんどんルーツが掘り下げられていくようだ、と。

彼も歴史の1ページとしてこれは会っておかなくては、と感じている一人だ。

そして、少なくとも1971年以降のザ・ナターシャーセブン、そして髙石ともや、これを論じるためには、七人の会スタッフ及び、ずっと支えてくれている昼下がりコンサート実行委員会のメンバーの存在が不可欠だ。

彼らは本当の意味で、長きにわたり僕らに寄り添ってくれている。

そんな意味でもこの昼下がりコンサートは重要なポジションにある、と僕は感じている。

4月19日(土)14:00~

京都市 円山音楽堂

この場所だっていつまであるか分からない。

僕らもいつまで元気でいられるか分からない。

しかし、髙石氏やザ・ナターシャーセブンの軌跡を辿りながら懐かしさに浸るも良し、歴史の深さを感じるも良し、その中からもこれからの生き方を探るも良し、そんな会になったらいいと思っている。

七人の会のスタッフ&実行委員会のメンバー達は古き良き時代を大切にし、そして、これからの時代をどう生き抜いていくか思いを巡らせながら、ひたすら前を向いて皆さんの参加を心待ちにしているはずです。

誕生日

明日はお前の誕生日やなぁ、省悟。

生きてりゃ75歳だぞ!

木田ちゃんもおっさんも(高石さんのこと)元気にしているか?

そっちにアメ横あるか?

アラミス売っているか?

使いすぎると気持ち悪くなるぞ!

よく三宮の高架下にコンバース買いに一緒に行ったけど、あんな店あるかな?

そっちでも靴必要か?

裸足で行ったみたいだし、もう手に入れているか。

それに饅頭屋だ!

ババロアもだ。

ジジイになってもババロアとはこれいかに、なんてしょうもないこと言っていたけど、そちらではやっぱりジジイになるのかな?

こちらではジジイになる前に逝ってしまったからな。

誕生日はやっぱりケーキか?

それよりもお好み焼きの方が好きかも…って、全然違うやないか。

お好み焼き作るのは流石やったなぁ。

泰輔相手に「たいぼー、おいちゃんの手の動きをよ~見とれや!」なんて言って、右京さんの紅茶みたいに生地を垂らしてきれいにま~るくしていたっけ。

もうあれから20うん年。

産業大学で出会ってから60年近く。

「あのぅ、すいません。バンジョーについてですが…」

忘れもせんぞ。

「カポして合わせたらどうしても5弦が切れるんですが…」

「それ当たり前あるよ。ここにこうして釘を打って…」

「ところで、何回生ですか?」

「なんや、同級生かいな」

こんな会話を今でも鮮明に覚えている…いや、昔の事だから覚えているんだろうか。

さっき何食べたっけ…?

けむり

先日、何気なしに餃子が食べたくなり、ここは自分で作っても良いけど、たまには外食してもいいか、と思い、看板をみた事のある店に出向いてみた。

居酒屋っぽい感じで、まずいことに喫煙可という貼り紙が見えた。

ま、普通、分煙にでもなっているだろうと、期待して階段を降りてみた。

駅に近い、ビルの地下だ。

入り口で店長らしき若者が「いらっしゃい!」と大きな声で出迎えた。

「禁煙席でお願いできますか?」と訊くと「全席喫煙可です」と言うので「え、禁煙席ってないんですか?」というと驚くべき答えが返ってきた。

「うち、タバコがメインなんで」

おいおい、メインは餃子ではなかったのか…とは言わなかったが驚いた。

今どき、こんな店があることに。

料理人、味分かるのかな?舌を疑ってしまう。

タバコの煙モクモクの中で食事できる人の神経と味覚は、理解しがたいものが有る。

中は見えなかったが、ひょっとして従業員はガスマスクをしているのかも。

話は変わるが、地方のホテルなどでも喫煙ルームという階がある。あんまり変わらないか…。

そんな部屋に当たったら不運だ。

たまに禁煙ルームが一杯で、先方の主催者の方が自らも煙草を吸う人だったりすると、大きな問題だとは感じないのだろう。

以前、フロントでファブリーズをもらってふりまいたが一向に改善しないという事があった。一本を使い切っても効果なし。窓を開けても効果なし。

壁、ベッド、机、いす、カーテン、カーペット、ハンガーから電気コードに至るまで、全てが臭い。トイレットペーパーまでもが臭い。

この部屋では寝むれないが他にないのなら選択肢はないのか。

本当にタバコは困る。

今、僕の住んでいる処の駅前は、ここ数か月前から大きな工事をしていて、駅から少し離れていた喫煙所が駅のすぐ横に来ている。

そこは常に煙草臭い。

そこから出てくる人が前を歩くと…臭い。

やっぱり煙草を吸う人のアイデァなんだろうな。こんな駅の入り口、出口に近いところに、例えテンポラリーであっても喫煙所を持って来るっていうのは。

僕はそこを通らないと帰ることができない。

その辺りに「なんとかの証人」商人ではないですよ。彼らがニコニコして立っている。

非常に面白いことに、その仲間が道を隔てて立っている。

あれ、見張っているのかな。ちゃんと布教するかを。

或いは誰かに絡まれた時の用心か。或いはだれか引っかかったら、ハイエナのように群がってくるつもりなのか。

よく分からないが、面白いことにニコニコして立っている人達は寒空の下。

タバコの匂いがするようなところで…平気なんだろうか。

そして、見張りだか何だかわからない人達は、向かいの暖房が効いた建物の中に居ることが多々ある。

けむりとは関係ない話に飛んでしまったが、ま、あれも他人を煙に巻くような…、あ、いや、これ以上は止めた方が良いかも。

人それぞれ。

何はともあれ、キャベツ1000円もするんだったら、タバコ一箱1万円にしたらいいのに。

Cat nap~うたたね~

今回はお知らせです。

2020年のアルバム、Cat napについてです。

素晴らしく可愛い猫の写真や、アイルランドの風景を収めたものでしたが、

その写真集が絶版となりました。

元々CDに対して、嵩張ることも有り、少しずつの印刷をお願いしていたものです。

なので、ここにきてCDの残りが多少ではありますが出てしまいました。

しかし、僕個人としては、10数年間作ってきたアルバムの中でも、最も気に入っているものです。

曲目に於いても演奏においても、とても気に入っています。

なので、少し考えました。いや、いっぱい考えました。

これはもっと多くの方に聴いてほしいので、写真集なしで販売が可能だろうかと。

そこで今回、自家製の袋を作ってその中にCDを収めて販売させていただく決断をしました。

お値段ですが、写真集共々¥3000だったので¥1500ということで考えました。

なお、袋については城田純二の手作業、かなりの手作り感が有ります。

袋のカラーに関しては何種類かありますが、届いてからのお楽しみ、とさせていただきます。

なお、このアルバムに関しての情報は、当HP、コラムの2020年11月24日付の記事に掲載しております。

世界が閉塞感に包まれていた頃、城田、内藤共にそっと世間の状況を見ながら、それでも自分たちの「心の音楽」を表現することに気持ちを向けていた…そんな情景が感じられるアルバムだと、僕は確信しております。

2025年

もう早10日も過ぎてしまう。

本当に早いもんですね。

Back to Banjoも嬉しい事に完売となり、Just a Little Memoryも順調な滑り出しを見せており、皆さんには感謝の言葉しか有りません。

2月に入ると、鶴ヶ峰の「陽の当たる道」でソロライブを行います。

かなり久しぶりにお邪魔します。

そして2月22日にはサウンドタムでソロライブ。

今回は全く一人で頑張ってみようかと思っています。

今年は、やっぱりなんか一人になってしまったなぁ、という気持ちが強く、ナターシャー色の濃いものが出来たら良いかな、と。

71年に高石氏と出会って、金海君を紹介して、73年からは省悟を引きずり込んで、そして木田ちゃんが来て…もちろん進藤君、兼松君等、まだ健在だが、84年に僕が抜けてからの事はあまりよく知らない。

僕個人としては、やはり71年からマネージャーの榊原氏の件、までの感じかな。

高石氏も榊原氏も僕を育ててくれた恩人だと言える。

それだけに、榊原氏はずいぶん前だったけど、高石氏がいなくなる、と言うのは衝撃だった。

フォークソングを唄っていた人達のほとんどが、売れ筋路線に突入していった中、よくあんなことをやりながら全国を動き回っていたなぁ、と今更ながらに不思議に思ってしまう。

高石氏の才能は大したものだった。

間違いなく唯一無二、そしてバンドも唯一無二だっただろう。

ナッシュビルのステーション・インの入り口で、ベラ・フレックと立ち話をした時、自分のバンドは、日本語で歌ってブルーグラススタイルの…と話をしたら「それでそんな大手のレコード会社からそんなにレコードを出していたのか!」と驚いていた。

84年、まだ彼も若かったなぁ。

想い出話なんかしたら、何時間あっても足りないだろうけど、出来ればみなさんと思い出に浸り、今を楽しみ、そんなに長くないはずの将来を見据えた会などを今年は考えてみてもいいかな、と思っている。

あ、そして5月24日、サウンドタムの35周年という事で、河合徹三、松田アリちゃんと僕が行きます。

考えたらこの二人も高石氏とは縁が深かったんだなぁ。

僕は今年、またタムちゃんにお世話になって、ナターシャー・セブンに捧げるものを作ってみてもいいかな、と思っている。

生き残りとして、また、生きているうちに。

そのためにもJust a Little Memoryにもう少し頑張ってもらわないと。

さらば伊達巻

正月もあっという間に過ぎてしまった。

考えてみるに、今年は6本も伊達巻を食べてしまった。

3本は自分で作った物。3本はいただいた市販の物。

市販の物を食べるまでは自分で作った物で充分だと思っていた。

形良し、味よし、食感良し…。

ところが、やはり市販の物は良く出来ている。

察するところ、はんぺんで作るものと、本当にすり身の魚を使うものの違いだろうか。

それに、いい加減な粉末の出汁とちゃんとした出汁の違いだろうか。

あと、やはり自分では砂糖を控えめにしてしまうから、だろうか。

それにしても6本は多いんでないかい?

おまけに、プラス栗きんとんだ。

これはもうじっとしているわけにはいかない。

なので正月早々、ほぼ毎日2万歩も歩いている。

初詣も2万歩は軽く超えていた。

餅はあまり食べない。そろそろ危険な歳になっているし…てなわけではない。

それでも今年は丸餅をいただいたので、京都から西京みそを買ってきて、京風のお雑煮を作ってみた。

子どもの頃のお雑煮はおすましだったが、大学で京都に出てからはもっぱらこのスタイルが気に入っていた。

結局、そのお雑煮と紅白のかまぼこ、栗きんとんに主役の伊達巻。

僕の正月はそれだけだった。

だが、大満足だった。

おせちも時代とともに随分と変化してきているんだろうけど、伝統というものはいいもんだ。

そうして思うと、黒豆くらいは煮ても良かったかな。なんて、全部甘いものではないか!

今、気になるのは、あちこちの店で余っただろう伊達巻はどうなっているんだろう。

街から伊達巻が消えて、今は七草粥のパックが鎮座している。

春はそこまで…にしては寒い!

余談だが、こどものころはイタチマキだと思っていた。これ、前にも書いたなぁ。

でも、ジョン・ウェインの西部劇の看板を見て「西部のいたち男」って何だろうと思っていた事を想い出した。

初詣

1月3日、友人に初詣に行こう!と誘われたので、たまには良いかと重い腰を上げてみた。

その前に友人の私用により原宿で待ち合わせたが、もうその時点で挫折しそうになった。

明治神宮に出掛ける人、原宿にショッピングに出掛ける人、人、人…。

ずっと昔、北海道から出てきた平塚研太郎君が「まるで無数のニワトリが歩いているようだった」と原宿、竹下通りなどを表していたっけ。

この後浅草に出掛けるつもりだったので、明治神宮はいいかな、と思っていたがせっかくなのでちょっと行ってみたところ、やっぱり挫折。

このままこの行列に付いていったら何時間かかることやら。

同じ時間を費やすなら、目的地、浅草に向かった方が得だ、と判断。

迷わず電車に乗っていざ浅草へ。

お、結構遠いんだな、と思いながらも、久々の浅草に少しの期待を持っていた。

でも、感慨にふける間もなく、電車を降りた途端、ほとんど歩ける状態にない。

やっとの思いで外に出ると、こりゃまた人、人、人…。

あたり前のことだが。

雷門を通過して、お参りを済ませるまでに30分近くかかったと思う。

友人が、おみくじをひきたい、と言うので「こんなもん100円で判断されてたまるか」と、ひねくれつつもひいてみた。

僕は見事「大吉」をひいた。

友人は見事「凶」をひいた。

「だから止めときって言っただろ。俺の大吉あげようか?」

なんて言いながら、その場を去り、なにか食べる事にした。

友人は「食べる気がしない」としょげていたせいか、なかなかこれ!という店も見つからない。

その辺の屋台で食べても、立ち食いでもいいか、と思いつつ、少し座って、と思っていたところ、怪しげなタイ料理を見つけた。

よし、そこに入ってみよう、と狭い階段を上がり、中に入って「しまった」と思いつつ、店も狭くて、すぐに店主が居て眼が合ってしまったので時すでに遅し。

もちろん期待もせずに待っていたらその通りのものが出てきた。味が悪いわけではないが、「これ、自分で作れる。なんか店主の余り物喰わされているんかも」

なんて思いつつ、友人のガパオライスもそんな感じ。

そこで「そうか、このご飯は君のおみくじのせいだ。ならばこれでチャラだ」とポジティブな考えを伝えた。

友人は微妙な反応を示していた。

僕はあまり宗教と言うものには興味が無い。

あれだけ教会に通っていた母親にも、亡くなった時、お坊さんが来ていた。10歳の僕にとっても不思議な事だった。

でも、飛行機が揺れ出すと何故か「神さま、御助けを」と言いたくなる。

結局、友人は自分から張り切って「浅草でお参りする」と言っていたが、帰りは少しげんなりしていた。

僕は余りの人ごみでげんなりした。

そう言えば、帰りにアメ横も寄って来た。この際だからいいか…と思い。

懐かしいアメ横。

省悟、好きだったなぁ。二人でよく来ては、僕はいつも店の外で待っていたなぁ、なんて想い出しながら人々の列に埋もれていた。

結局、昨夜は10時間も寝てしまった。

やっぱり家でじっとしているのが一番いい。

ボケない程度にいろんな人に会い、一生懸命身体を動かし、一生懸命練習して、出来れば空いている時に外出して…等々。

今年も普通に生きる事が出来たら良いかな?と思う。

何といっても「大吉」

おいおい!信じなかったんじゃないのか?

2025年1月2日

あれよあれよと言う間に正月も過去の話になってしまう。

なにかニュースでもあれば見てみるか、とテレビをつけたら途端に聞こえる芸能人のバカ騒ぎの声。

慌ててチャンネルを変えると、芸能人が食べつくす!とか言ってワイワイやっている。

慌てて再びチャンネルを変えると、また芸能人の笑い声。

ま、嫌なニュースがない分良しとするか、ということで消してしまう。

しかし、よくもあんなくだらない番組を企画出来るもんだ。

いや~、恐れイリヤノクリアキンだ!

去年は大変だった記憶があるので、今年はもうこりごりだ。

だからかな?あんなくだらない企画を考えれば、みんな忘れてくれる、と思うのかな?

いや、企画している側は「素晴らしい!」と思っているんだろうなぁ、きっと。

それにしても、なんか日本人をふぬけにするような、芸能人と食べる事にしか興味を抱かない民族にするためにテレビは一役買っているような気がする。

僕もかなりひねくれてきたもんだ。

さて、ちょっとお知らせです。

全ての方達に、ではありませんが。

何故か、僕が数日間演奏で出かける時になると、CDのご注文やご入金をされる方が必ず数名いらっしゃいます。

以前のようにアイルランドに3か月、とかいう場合はそれなりに告知して、その間は業務をストップするのですが、今回は3日ほどだったので特にそれはしませんでした。

ところがその後、お正月という事で今年は6日まで郵便局が開かないのですね。

なので少し発送が遅れます。

この場をかりて、で申し訳ありませんが。

本当に、出かけると、その前何日も音沙汰がなかったのに急に注文が入ったり、ご入金があったり、本当に有難いことですが、ツァー中には対処できないので申し訳ありません。

これ、僕は一種の「マーフィーの法則」ではないかと思っています。

あの、トーストが落ちる時、必ずバターの側が下になって落ちる、という…。

これは絨毯の値段に比例する、とかいう冗談も有りますが、テーブルの高さにもよる、と分析した人もいるようです。

3メートル以上のテーブルを使い、必ずバターの面を上にして…ほんまかいな!

よくアメリカのすしバーでも使っていました。

閉店間際、ほとんど片付けが済んでいるのに、お客さんが入ってくる。しかも、片付けたものばかり注文する。

そんな時必ず「Oh!This is Japanese Murphy’s Law」と言っては笑ったものです。

お正月にはなんの関係もないことで呟いてしまい、申し訳ありませんでした。

2024年12月29,30日 静岡、京都 

いよいよ後期高齢者の仲間入り。

まさか自分がこんな歳になるなんて…。

静岡はいつものセレンディピティ。

同級生たちも後期高齢者…当たり前か。いや、まだなっていない奴もいるかも…。

どうでもいい事か。

取りあえずこの街は僕のフォークの原点。

例によって天気も上々。

前日入りして高校時代の盟友と共にしばしの時を過ごす。

あいつ、どうしてる? あ、随分前に亡くなったよ。

あいつは? なんか圧迫骨折とかで今回来られないかもしれない。

そうか…、あ、あいつは? あいつは奥さんと来るって言っていた。

なんていう話をしながら少しビールを飲んで…これがメインかな?なんて思ってしまう。

コンサートは本当にラフな形で進行させてもらった。

知った顔ばかり、そしてみんなの顔が良く見える場所だし、なんか同窓会で演奏している様な感じ。

そうそう、その前に店主の岩堀さんを含んだメンバーによるご機嫌なブルーグラスが前座としていい感じで盛り上げてくれる。

これで帰っても良いかな?なんて思わせる歌と演奏を聴かせてくれた。

と言うわけにはいかないので、僕も今回はバンジョーと歌。

同級生が娘さんを連れて来てくれたのが驚きだった。

名前を言われた時、本当にあの頃の顔が蘇ってきた。あまり大きく変わっていなかったのかな、彼は。

とに角みんな元気でいてくれるといいな。

次の日には京都に向かう。

東京を出てきた28日。品川駅は「何事だ!」と思うくらいの黒山の人だかり。

きっと居酒屋ぴんも今晩はこんな感じなんだろうなぁ、なんて思いながら人々を眺めてしまった。

外国人、親子連れ、カップル、なにかの団体…なにもこんな時に動かなくても。あ、いや、そんな事はないか。

例によって天気は心配だったが、今のところ雪による遅れもなさそうだし、ここは晴れ男の自分を信じて。

そう言えば関ケ原にも白いものは見えなかったし。

そして京都。いや~!凄い人だ!いろんな言葉が飛び交っている。

中学生の頃からずっとコンサートに来てくれている京都の仲間の一人Nさん、としておこうかな。

ピックアップしてもらって、ひとまず彼女の家に向かう。

黒豆の仕込みを仕掛けてきたので、という事案もさる事ながら、今度の春に100歳を迎えるお母さんのお顔を拝見しに行くのも僕にとっては大きな目的だ。

元気に動いて同じ話を10回くらいする。

僕も10回頷いて同じ返事を10回する。勿論5回の時もあれば15回の時もある。

さて、京都はいつもの都雅都雅。

ここにも懐かしい顔、顔、顔。

あっと云う間の2時間だった…ような気がしたのは僕だけだったろうか。

大変な幕開けだった2024年、もうすぐ終わってしまう。2025年は素晴らしい幕開けであってほしい。勿論一年を通じてそうであれば尚更いい。

今願う事は…沢山、いや、少しはあるけど、いちばん願う事は、お母さんが101歳を迎えることができる、という事。

110歳まで行けばもう一頑張り行けるかもしれないよ、と耳元でかなり大きな声で言っているが、ニコニコして聴いている。

20回でも30回でも聞くので、元気にお話してください。

そして今回の静岡、京都の会に足を運んでくれた方達に感謝します。

セレンディピティの岩堀さん、奥さん、同級生たち、仲間たち、そして、都雅都雅の広瀬さん、PAの沢さん(澤さんかな?)スタッフのお二人、友人達、すべての方に感謝。

素晴らしい大晦日を。そして良いお年を。

年末

あ~忙しや…忙しや。

師でもないのに走り回っている。

今年は衝撃的な話題がここ数ヶ月の間か、数週間の間かに。

居酒屋ぴんが閉店という、とんでもないニュース。

あらゆる分野の音楽ファン、そしてスポーツファンにとって聖地のひとつ。

とても残念だ。

年末に京都に行くことが多かったので、どうも日程が合わず、別な機会にはよく白波瀬さんの元気なお顔を拝見しに行ったものだ。

今年もこれから静岡、京都と出掛けるが、毎年この時期には行けないことは分かっているので、またの機会に…と思っていたが。

本当にちょっと衝撃的!

ま、彼も若くて勢いのある人だし、またみんなのためになにか考えてくれるだろう。

本当にみんなに愛されている人だ。

ひょっとして今日(28日)が最終日?

とんでもない黒山の人だかり、Black Mountain Rag(?)となる事だろう。

警察や自衛隊、SWATが出動して交通整理にあたるかも。

みなさん、良いお年を。

白波瀬さん、お疲れ様。ありがとう。

またお会いしましょう。

ダマスカス

最近、想い出した曲があった。

1990年くらいに書き下ろしたバンジョー曲で「ダマスカスへの道」というもの。

何故想い出したかと言うと、このところのアサド政権崩壊のニュース。

ダマスカスがいきなりフューチャーされてきたからだ。

90年というと湾岸戦争の頃。

ダマスカスは当時あまりその名が挙がっていなかったが、ではなぜこの曲を思いついたかと言うと、それは聖書からだった。

新約聖書の使徒行伝第9章に起因する。

僕にとってその章はまるで大好きな映画「未知との遭遇」そのものだった。

サウロと言う人物が空から眼が見えなくなるほどの光を浴びせられるそのいきさつは正にあの映画そのものだった。

そのサウロなる人物(後にパウロと改名する)の向かっていた先がダマスコ、今のダマスカスだ。

そしてついでに「デザートストーム」という曲も書いた。

これは「砂漠の嵐作戦」という湾岸戦争の代名詞ともなった作戦をヒントにした。

中東というとやはり日本からはかなり遠い存在に感じる。

が、2003年になるとイラク戦争が始まり(これは第二次湾岸戦争と呼べるのかな)サン・フランシスコでも多くの人が戦争に反対するデモを起こし、僕の目の前でも結束バンドで手を縛り上げられて連行されていく人が一杯居た。

中東が身近に感じられた。

そして、アイルランドに出掛ける途中に立ち寄ったアブダビやドバイ。

ここじゃぁ神の存在を信じなければ生きていけないな、なんて感じてしまった。

今、またダマスカスの映像を見たりしていると、そんな事を感じてしまう。

これからこの土地はどうなっていくんだろう。

最近、面白い記事を目にした。

海外で、偽の日本米ブランドが横行している、というもの。

そんなこと、40年も前から知っていたけどなぁ。

記事ではこう言っていた。

「数年前までボストンで暮らしていた女性。ある時、スーパーで日本ブランドのお米を買っていたら、友人に、カリフォルニア米食べているのね、といわれて驚いた」

こんな事が今更記事になる事に驚いたが、時はめぐっているんだなぁ、

僕はあまり米にこだわりはない。

といえども、先日、新潟のギターリペア職人の白井さん(通称ホワイティ―)が新米を送ってくれたが、これは流石にお米の味がよく分からない僕も唸ってしまった。

ちょうどアメリカから来ていた息子に炊いてあげたら「米が光っている。立っている」と感激していた。

彼は普段カリフォルニア米だろう。

しかし、カリフォルニア米も決して美味しくないわけではない。…と思う。

そういえば、ずいぶん前に日本でお米が足りなくなったという話があって、アメリカから一時帰国する友人がカリフォルニア米を持って帰っていたなぁ。

タイ米より美味しい、と言っていたような気がする。

ひょっとしたら、その地の味に慣れてしまって以前のことを忘れてしまう、というのが正しいのかもしれない。

そして、量にしてもそれが言えるのかも。

日本の物で2人前とか、何皿分というパッケージのものを見るが、この基準は幼稚園児を想定しているのではないか、と思われるものがよくある。

さて、米の話に戻るが、最近は電気代節約のため、いっぺんにたくさん炊いて小分けして冷凍しておく。

どうせお米はそんなに食べることはないし、これならお粥にしても、チャーハンにしてもいいし。3合も炊けば2ヶ月か3か月くらいもつ。

お米の値上がりも僕にはまるきりダメージが無い。

それでも流石にいただいた新米でそんな野暮なことはしない。

そういえばパンも値上がりするらしいですね。

これも今更いう事ではないか。

それよりも煙草を一箱1万円にした方がいいと思うが…。

話は飛躍するが(思い立った時に書かなければ忘れるかもしれないので)コンニャクを作る人達の苦労話を聞いた。

金銭的にも体力的にも相当大変なようだ。

結局、消費してもらってなんぼ、というものらしい。

確かに、おでんならばコンニャクが一番、と言う人でもそれ以外、なんでもかんでもコンニャクを一品、というわけでもないだろうし。

そういえば、省悟はコンニャクが苦手だった。

「味せんやろ」と言っていた。彼の場合、もう一つの理由は歯に有ったようだが、

取りあえず、彼の残したコンニャクは僕が食べていた。

味噌田楽は美味しいと思うが、確かにあれは味噌が美味しいのだろう。

コンニャク芋の農家の人が「コンニャクステーキ」なるものを紹介していたが、作ってみると、ニンニク、醤油、バターという美味しいに決まっているソースがかかっていても、やっぱりコンニャクはコンニャクだった。

シンプルなきんぴら風コンニャクが一番美味しいし、また米には良く合う、と思う。

米からコンニャク、そして米に上手い事戻った。

しかし、そういうものを食べた後は必ずパンを食べたくなる。

その逆は…無いかな?

2024年まとめ

今年はとに角CDの制作に明け暮れた一年であった、と言えるかな?

Back to Banjoを発案してから、こりゃ練習しなくてはいかん!と心に決めてみたけど、

いかんせんそれだけの気力と体力が圧倒的に衰えていることを感じる。

ここ、こうだったかな?こっちの方がいいか?などフレーズの確認や右指のフィンガーリング、左の運指…頭が混乱してくる。

こんなにもうるさい楽器なのに、弾いていると眠たくなる。

なんということを考えてしまったんだろう、なんて思いながら、それでも徐々に思い出していく。

進ちゃんと電話で話をしていた時、彼が後押ししてくれた。

「素晴らしい!じゅんじさんならいけますよ!それに、気に入らなかった処はレコーディングなら直しも出来るし。」

自分でも分かっていた事なのに、あ~そうか!という気持ちにさせてくれた彼には感謝だ。

ジャケットも発案と同時にすでに決まっていた。

近所で拾ったあの猫をバンジョーの上に乗せた写真、あれだ!

まだ生まれたての子猫だったので、何もわからず、グレートレイクス・ヴァンガードの上にチョコンと乗ってくれた。若干「これの皮にされるんじゃないか…」という不安げな表情はしていたが。

その猫も今や8キロ。もうバンジョーに乗せるわけにはいかない、と飼い主のアルマジロが言っていた。

主人と同じくお腹が出過ぎているようだが、本人(本猫?)も嫌がるし、バンジョーも壊れるかもしれない。

何で猫?という疑問には「今や猫をモチーフにした作品をつくればなんでもかんでも売れる」と言っておいた。

そんなこんなで、おかげさま、それなりのバンジョーアルバムにはなったようだったし、売れ行きも上々、というか、すでに完売というところまで半年で到達した。

それもこれも皆さんのおかげです。

それに気を良くして、というかBack to Banjo制作中にすでに頭には浮かんでいたが、次のものを作らなくちゃ、と考えた。

#2という事で良いか…と思っていたところに、フッと浮かんだタイトルがJust a Little Memoryだった。

これならBack…に対してもなんとなく繋がりを持たせることができるんではないか、と感じて、すぐにそう決めてしまった。

しかし、前作とはまた違った感じのものでないといけない、ということも考えた。

そんな時、ふと思い出した曲がEnglishman in New Yorkだった。

この頃、毎日のように顔を合わせるスーパーのアジア人クヮルテットが、アメリカで働いていた時の同僚たちを想い出させ、登場する歌詞のI’m an Alienというところや、何といっても曲調が大好きだったので、これで行こうと考えた。

そして何気なしバンジョーで弾き始めてみたところ、結構うまくハマったように感じている。

そんな中、高石さんが亡くなる、という前代未聞の…いや人間、誰でも死ぬが、あの人だけは何が起ころうと生き抜くんではないか、と思っていた。なので、そんな事もあるんだなぁ、

もうみんないなくなったなぁ、ひとつの時代が終わったなぁ、俺もあと何年だろう…などと考え始めた。

生きて、まだ余力が残っている間に残すものは残しておいた方が良いかな、等と考えて、一層このアルバムに力を注いだ。が、なにか言葉では言い表せない喪失感と言うものを感じていたことも事実だ。

1971年の出会い以来、僕をこの道で最大限に生かしてくれた張本人なのだからそれは仕方のないことだろう。

大学時代から共に歩んで来た省悟とはまた違った喪失感だった。

省悟に関してはまともに食らったフックみたいな…高石さんは徐々に効いているボディブローのような…ボクシングの事はよく分からないが、そんな感じ。

そしてこのアルバムでは何年か前に書いた、その当時はMemoryというタイトルを付けていたものだったが、そのオリジナル曲を少し書きかえてJust a Little Memory として収録することにした。

なんか出来過ぎた感じだ、と思うのは僕だけかもしれないが。

そして、高石さんの詩の中でも特に印象深い「疲れた靴」も、何となく彼の死という事がおこる前から録音してもいいかな?と感じていたが、もうこれはやるしかない、と録音に踏み切った。

録音が終えて僕がタムちゃんに「ねぇ、このあとバンジョー弾いていい?」というと「もちろん!」とにっこり答えてくれた。

何も予定していなかった。でも何故か「ヘイヘイヘイ」を弾きたくなった。

何も言わなかったがタムちゃんが、どこかへ遠ざかるように、でも消えていくのではなく、ちゃんと終わるようにこの曲を終わらせてくれた。

これは頭の曲Englishman…でも同じ手法が取られているが、こちらの方は僕の要望だった。

かくして出来上がった2枚のアルバムが今年の自分が生きてきた(まだ生きている)証拠となって残った。

2024年はこんなことに尽きるかな。

2025年はどんな年になるのだろうか。

トランプは世界をどのように変えてしまうのだろうか。変えてくれるのだろうか。

バカが狂って核爆弾など使っても、日本のテレビは「大食いハンター!」とかやっているのだろうか。

日本の総理大臣はなにか仕事らしいことをするのだろうか。

極端な話し、あまり関係ないことかも。

それよりも日々、普通に幸せに生きていくことを考えたほうが建設的なのかも。

今年は静岡と京都に参ります。

去年は74歳という中途半端な年齢だったのでスキップさせてもらったが、いよいよ後期高齢者。

ますます清潔にしていなくちゃ、と思う。年寄りほど身の回りをすっきりさせたいと思う。

来年もそこのところは気を付けて過ごしたい。

質素に簡素に清潔に、そして何事にも謙虚に、色んな事に興味を持って(僕にとっては特に音楽)…他にあるかな?…。

そんな風に人生を全うしていこうかな。

総括としては、まだ早いような気がするけど、取りあえず、と言う感じで記しておこうかな、などと思った次第です。

まだ2週間ちょっとあるのでなにか起こるかな?

出来れば平和に、平穏に、穏やかに…って同じ事ばっかりか。でもそれが一番!

12月も半ば

しかし12月というのは早く過ぎてしまう。

世の中がせわしなく動くからそう感じるのだろうか。

省悟の命日もやって来るが、今年はどんな甘いものを用意しようかな。

小豆は買ってあるので、今年はぜんざいでも作るか…。

いや、また団子か饅頭でも買ってくるか。

それに静岡の緑茶。

最高の組み合わせだが、省悟にそのようなお茶を出してあげてもあまり感激しなかったなぁ。

静岡生まれの僕としては「この味が分からんか?」というところだったが、これって不思議だなぁ。あんなに和ものが好きだったのに。

番茶でじゅうぶんだったみたい。

蕎麦、うどんはいつも省ちゃん、パスタやパンは僕。饅頭の省悟、ケーキの僕。

それにしても甘いものとなると二人とも眼が無かった。

さんざん書いてきたので、もういいが、この15日が来ると「何か甘いもの用意しなくちゃ」と思ってしまう。

ところで僕はこんなに甘いものが好きなのに、血糖値とかで引っかかったことがない。

昔から饅頭ひとつ、ケーキひとつで御所1周とか、糖質にはそれなりに気を付けてきたからだろうか。

省悟はどうだったんだろう。あいつ煙草も吸っていたしなぁ。

散歩しようか、と言っても「石に蹴躓いたら困る」なんて言っていたしなぁ。

辛いもんも結構好きだったし、晩年は酒もそこそこ強くなっていたし。

そう言えば、これ以上卵が値上がりする前に伊達巻をつくろうかな。

15日に合わせて伊達巻を作る、というのも良いかもしれない。

と言っても、彼が伊達巻を好んでいたかどうかはあまり定かではない。もしかしたら「お前は魚か卵か!おかずかお菓子か!はっきりせい!」と言っていたかもしれない。

まぁいいや、またお正月に作っても良いし。

饅頭買ってきた方が楽か…。

言語

先日、面白い会話のやり取りがあった。

例のニャンちゃんが「ジージュ―に行く」と言ったので僕は「G-10」とかいうお店の事かと思って聞いていると、どうやら洋服屋さんの「GU」の事らしい。

「それはジーユーだよ」と言っても「ジージュー」

なので、「ユー」と言ってごらん、というと、はっきり「ユー」と言う。

それを何度か言わせて、よし「じゃぁジーユーと言ってごらん」と言うと「ジージュ―」

更に「じゃぁ、英語のSee Youは言える?」と訊くとはっきり「シーユー」と言う。その要領で「ジーユー」を言わせてみるとまたしても「ジージュ―」

この会話で思い出したことがある。

レストランに居た時、タイ人のウエイターが居た。

その彼が「トンカチュ」と言うので「それはトンカツだよ」と言っても「トンカチュ」

では「ツって言ってごらん」すると「ツ」とはっきり発音する。何度も言ったあと、

満を持して「じゃぁトンカツって言ってごらん」すると「トンカチュ」

どうやら単独では言えても文字が重なってくるとダメみたいだ。

多分、僕らの英語なんかでもそういうのがあるんだろうなぁ。

通じないわけではないものとか、通じないものとか。

人名にしてもなかなか発音できないものがある。

僕が苦手なものに女性の名前でAnneとか。これ不用意に発してしまうとUnのようになってしまう。

Theoとかいう名前も…これはそこそこThの発音には慣れているのでいいが、これをカタカナで書け、と云われると困る。テオと表記するしかないのだろうか。

言葉ではやっぱりアメリカという人種のるつぼに於いて非常に面白い経験はいっぱいあるが、多くは忘れてしまったなぁ。

中国人のシェフに、チキンは?と訊くと「チー」おへそは?と訊くと「チー」紙は?と訊くと「チー」地面は?と訊くと「チー」

全部「チー」上下左右、あ、いや、左右という事はないか。ともかくそれぞれの上がり下がりが違うようだし、実際には「ディー」とか「ズィー」なのだが僕らには全部「チー」に聞こえたようだ。

「トンカチュ」も「ジージュ―」もそんな風に聞こえるんだろうか。

全てはバベルの塔を作った奴らが悪い。

追加ライナー Just a Little Memory

例によって、ライナーで書き切れなかった事をここに記しておきます。

★ Englishman in New York / Jordu

長い間聴いてきたスティングの大好きな曲を、いつかバンジョーで等とは考えていなかったが、ある時ふとバンジョーを手に取った時、突然弾き始めてみた。

お、なんかいい感じ!と思いながらも、これを形にするにはもうひとひねり何か必要だな、と感じ、Jorduを挿入することにしてみた。アイディアは、原曲の途中でブランフォード・マルサリスのサックスが入るのをヒントにして。これは結構ハマったような気がする。

思い入れがあったこの曲には、アメリカでの経験が大きく左右している。多くの移民に囲まれて過ごした想い出がこのアルバムのタイトルとしても、最初の曲としてピッタリだと感じた。

★ Count on Me

特によく聴いていたわけではないが、ブルーノ・マースの、僕にとっては名曲という感じ。

どことなくOver the Rainbowを連想させるこのメロディはとても印象に残った。

これ、バンジョーで、と思った瞬間に曲終わりまでの構想が成り立った。

詩の内容もYou’ve got a Friendを思い出させるほのぼのとしたものだ。

バンジョーのチューニングはダブルC、クローハンマーで演奏している。

★ Margaret’s / The Grey Owl

Aly Bainの演奏でよく知られている曲。とても親しみやすいメロディだと感じる。

2曲目のGrey Owlは実際にはDで演奏されるものだが、ふとバンジョーを手に取ってGフォームで弾いてみたらうまくハマったので、これでキーをAにしてみたら…と思い、それならばMargaret’sと良く合うんではないかと考えた。

★ The Boys of Ballycastle / The Pride of Petravore

ここらでごく普通のアイリッシュチューンを。

多くのホーンパイプは5弦バンジョーにとって比較的アレンジしやすいものだと感じている。この曲はKevin Burkeの演奏でよく聴いていた。コード進行についてはいろいろ試行錯誤したが、これが自分にとってのイメージ。少しテキサス・スウィングからヒントを得てみたが、僕は多くのホーンパイプでそんな手法を取っている。

2曲目はEileen Ogというタイトルでも(この場合は歌)知られているがDe DannanがRights of Menに続いて演奏したものがとても有名で、セッションではその2曲はほとんど必ずといっていいほどメドレーとして演奏されることが多い。

Rights…はすでに録音しているのでここではこの形にしてみた。

★ Mr.O’Connor

出た!という感じのオキャロランによる訳の分からない曲。しかし、このメロディは大好きだ。こういう曲に接すると何故か想像以上にハマってしまうのは何故だろう?

僕は常日頃から思っているが、本人は間違えて演奏したものが採譜されてそのまま現代に伝えられているものなんていうのもあるんではないか、なんて。

これもそのひとつで、どういう感覚で作られたものか見当がつかない。しかし、なんとも美しい。初めて聴いた時には、おいおい!という感じ。これを伴奏者に伝えるのは…勿論コード譜などを書けばいいのだが、そういうものでもないような気がする。究極、メロディを身体に入れなければどうしようもないものなのかもしれない。

★ The Bold Fenian Men / Sally in the Garden

1曲目はアイルランドの美しいメロディを持った歌唱曲。カリフォルニアのギタリスト兼シンガーで、名前は忘れたけど、彼の歌うこの歌が好きで、僕はよく彼にリクエストしたものだ。プロのミュージシャンではないけど、この歌はとても味わい深く歌ってくれた。

キアランも大好きでよく歌っていた。本当に美しい曲だと思う。

Sally…は過去にも録音しているが、ここではクローハンマーとスリーフィンガーのダブルバンジョーにしてみた。

★ Lost Lula

ジェイソン・ロメロの大好きな曲。過去にも録音したことがあるので、ここではあっさりと。

★ Flatbush / Clinch Mountain Backstep

最初はアンディ・スタットマン作のマンドリン曲。これは様々な分野で人気の高い曲だ。

この曲を聴くと何故か「山ネズミ ロッキーチャック」のテーマソングを思い出してしまう。

もし興味が湧いたら聴いてみてください。共感する人って居るかなぁ。

Clinch…も過去に録音しているが、ここではマイナーのメロディに敢えて正面からメジャーのコードをぶつけてみた。モーダルサウンド炸裂というところだ。更にダブルバンジョーにすることによって、ちょっとうるさ目の祭囃子のようになったかもしれない。

それもひとつの狙いではあったが…。

★ The Shadow of Your Smile / The Bluemont

Back to BanjoでもMistyを収録したが、このような曲をバンジョーの為にアレンジするのが大好きだ。暇さえあれば(いつも暇といえば暇だが)こういったものをポロンポロンと爪弾いては最適なコード選びを楽しんでいる。

Bluemontも過去に録音しているが、なんと美しい曲だろう。そしてまた、前曲にバッチリ合うような気がしてならない。

★ The Monaghan / Waterman’s

最初の曲は最も好きなジグのひとつ。この美しいメロディに最適なギターコードを乗せていく時がたまらなく好きだった。続いては限りなく現代的な曲。マイク・マゴ―ドリックのフルート演奏によるエキサイティングな、スリリングな曲。バンジョーでどんな味が出るか分からなかったが、ベースの河合徹三がここでも大活躍してくれた。そのおかげで少しは形になったようだ。

★ Just a Little Memory

この曲は数年前に書いたものだが、今回のアルバム用に更に書き加えてみた。アルバムはここからMemoryの域に入る。Englishman in NYに始まり多くの(全てではない)想い出がこの曲に、そしてこのアルバムに詰められている。

★ Blackberry Blossom

フィドルチューンとして、またバンジョーチューンとしても有名なこの曲。ナターシャー・セブン最初のアルバム、通称「お地蔵さん」でも弾いたもの。当時はギター無しでバンジョーだけだった。多分ヴェガのスクラッグスモデルを使っていたと思う。今聴いてみると、確かに若い!という感じが満載だ。でも、今回もそれなりに元気いっぱい弾いているように聞こえる…なんて思うのは僕だけだろうか?とても好きな曲。E マイナーになるところがたまらないが、アイリッシュでは全く違うメロディのBlackberry Blossomが存在するので、当初二つの曲をメドレーで、と考えたが、ここではMemoryという意味も含めて単独で録音した方が良いかな、と考えた。

★ Thirsty Boots

疲れた靴は高石氏の唄の中でもとても好きなものだ。

初期の頃、高石さんのボーカルと僕のギターだけで録音したことがあったけど、あれってレコードに入っていたっけ?だんだん記憶が…。

ナターシャー・セブンの録音では確か僕が12弦ギターを弾いたような気がするけど…あれ?省悟だったかなぁ。この辺はドクターサウンドの小林君に訊くと、彼は何故か知っている。とに角、高石氏の訳詩には素晴らしい感性を見出すことができる。

ライナーにも書いたけど、そのうち笑い話でもしに行くんで、また「あの子の膝まくら」から始めてみましょうか。

ところで…何気なし突然、ヘイヘイヘイを弾いてしまいました。自分の中のひとつの時代の締め括りなのか、イメージなのか、やっぱりJust a Little Memoryなのか…。

思ったよりも

Just a Little Memory 当初、12月8日発売開始を予定しておりましたが、思ったよりも早く皆様のお手元に届けられそうです。

来週早々にはお振込みを頂いた方々に順次、純二が発送いたします。

皆様がろくろ首になる前に…今や行燈の油なんて無いか…。

Just a Little Memory

先行予約受付を始めます。

Back to Banjoに続くバンジョーアルバムですが、おそらく聴いた途端、今までとは違った世界を感じることができるものと確信しています。

発売予定日も決まりました。

12月8日を予定しています。

皆様、よろしくお願い致します。

Just a Little Memory            リリース予告

いよいよ人生も最終章に差しかかるか…いやいや、もうちょっとあるか…などと思いつつ、Back to Banjoをリリースしてから半年余り。

正直Back…ではそこまで思ってはいなかった。

まぁ、アルバム作りもこれで最後かな?くらいの感じ。

それどころか、久々に弾くバンジョー、上手くいくかどうか、その方が気がかりだった。

しかし、自分としてはそこそこの出来だっただろうと自負している。

そこで次なるアルバムを、と考えたが、これだけ短い期間で作って果たしていいのだろうか…という考えもよぎった。

しかしながらタイトルだけは決めていた。次はこれだ!と。

突然、ふっと浮かんだタイトルだった。

何事も直感というものは大事だと思う。取りあえず直感で決めて後から考える。

そして他にいいアイディアが出ればまた考えればいいのだし。

でも、今回はかなり強い意志でこのタイトルが良いと思っていた。

試行錯誤して曲も出そろい、テンポも決まり、アレンジも大体こんな感じ、ということを決め、いよいよ録音に入ろうか、と言う時に高石さんの事があった。

思えば、木田高介が、そして省悟が逝き、今度は高石さん。

この不動の黄金時代のメンバーは僕だけになってしまった。勿論、他にも素晴らしいメンバーは在籍していたが。

とに角、それを感じたのは107ソングブックシリーズ11(想い出の赤いヤッケ)の4人がそれぞれの手法で描いた自画像を見た時。

「あれ、みんないなくなっちゃったじゃん…」と思わず呟いてしまった。

彼等と過ごした時間の中には沢山の小さな想い出がひしめいている。

木田ちゃんとはわずか数年間だったが非常に濃いものだったし、省悟とは18歳からだったし、高石さんはあの時、まだ29歳か30歳だった。

そんなみんなの事を思いながらも、今回のアルバムのコンセプトは当初からあくまでもBack to Banjo #2というところにあった。

それでもなにか副題として、或いは本題として何か無いかな?と思った瞬間に思いついたのがこれだった。

しかし、それにしてもJust a Little Memoryとは…なぜこのタイトルが思いついたのか自分でも分からない。

ただ、彼等の事もさることながら、アメリカで共に働いた人達の事もかなり自分の心を占めていた。トータルで18年くらいだったし、労働時間も長かったし、必然的に一緒に居る時間は相当なものだった。

いろんな国の人がいた。

特に多かったのはベトナムから来た難民たちだった。

僕らが何の苦労もなく、見よう見まねで反戦歌など呑気に歌っていた時、彼等は僕らの想像をはるかに超える過酷な状況を経験していた。

この辺のことは「アー・ユー・オープン」で「聞くも涙、語るも涙の物語」として書いてきた。

そんな風に状況は違ったが、僕らはみんなAlienだった。

これって映画のAlienと一緒だが、異邦人という意味で正式名称だ。宇宙人だけではない。

そして僕はアルバムの最初にAlienという歌詞が入ったスティングの名曲を持ってきた。

確かにこの歌はよく聴いていた。

でもいつかバンジョーでやってみよう、等とは思った事もなかった。

僕はもしかしたらこのタイトル(Just a Little Memory)に引きずられて突然このアイディアを思いついたのかもしれない。

今のところ、このアルバムは12月中旬迄には皆さんに聴いていただけると思います。

ベースには前作と同じ、河合徹三氏に参加していただきました。

今回は最初から素晴らしいサポートをしていただきました。

昔ならこう言うのかな「お、針を落とした瞬間、何かが違う」そんなアルバムに仕上がったのも徹三氏のおかげです。

Back to Banjoが売り切れ、という現状に於いて、このアルバムはBack to Banjo#2としても、Just a Little Memoryとしても、それなりに価値のあるものになると確信しています。

そしてあらためて、皆さんに感謝いたします。

発売予定日などに関しては改めてこのHP上でお知らせします。

渾身の1作、どうかご期待ください。

2024年11月16日 伊豆、夕鶴記念館

なんだか寒いのか暖かいのかよく分からない気候が続く東京を後にして、熱海に向かう。

当初、在来線で向かおうと思っていたが、お金は倍ほどかかってもやっぱり新幹線で行った方が仕事モードになるだろうなぁ、などと勝手に考えて…やっぱり「新幹線はうんと早い♪」だった。

アルマジロ君が仕事帰りに熱海でピックアップしてくれる。

僕は降りる時、自動改札機に切符を入れたが、出てこなかったのでそういうもんか、と思って出口に向かったら、もう一つ改札口があった。

「あれ?」と思い、その窓口に居た駅員さんに、(女性二人だった)切符が出てこなかった旨を伝えたが「いや、絶対に出てきたはずですからもう一度戻ってください」と強い口調で言われた。

仕方がないので戻ると、今度は男の人で「あ~そうですか。そんなことも有りますよね。どこから来ましたか?」と柔らかい口調、先ほどの二人とは全然違う口調で同意してくれた。

「どこからですか?」と訊かれたので「〇〇です」と言ったら「あ、僕もそこの出身です」と言ってニコニコして手続きしてくれた。

僕はその証明を持って、先の出口に行き「やっぱり出てこなかったってよ!」と強い口調で吐き捨ててきた。

大人げなかったかな、なんて思いながら。

さて、夕鶴会館はコンパクトでとても良い会場だったと思う。

しかし、バンジョーの音はでかい。

僕のグレートレイクスはガンガン響いていた。

RE TAKESもいつも通りの感じで、脱退した福嶋さんも駆けつけてくれて2曲ほど。

僕も久々に「朝の雨」なんかのリクエストに応えて歌わせていただいた。

そう言えば、楽屋には櫻井航君が自作のアイリッシュハープを持ってきてくれた。

すぐに撮影して希花さんに送ったら「素晴らしい出来。パキスタン製よりも全然良い」という返事が返ってきた。

制作にはかなりのコストがかかりそうだが、その分素晴らしい音がしていたし、作りも流石のものだった。

他にも沢山の方から甘いものや果物をもらったりと、やっぱりちゃんとした音楽をやらなきゃなぁ、と思わざるを得ない…いや、貰わなくてもちゃんとしなくてはいけないが…。

また訪れてみたい会場だったし、何といってもみんなの顔が見えて、表情を感じることができて、そしてちゃんとしたコンパクトなホールで、というところが良かった。

アルマジロ君が見つけてきた場所。でかした!という感じだ。

みなさん、有難う。

皆さんのおかげでいい音楽会になったと思います。

今年も終わりに近づいてきました

先日、町で見かけた光景。

流行りの電動キックボード、LUUPというものに乗った若い奴が、横断歩道を結構なスピードで横切った。

そこでは歳の頃は僕と変わらないか、或いはもう少し上の人が数人渡っていた。

そしてその乗り物に乗った奴はその間をすり抜けて、接触するかと思うくらい近くを走り抜けた。

おじいさん(やっぱり僕より上か…)は驚いてよけていた。

するとバカは通り過ぎて一瞬止まっておじいさんを睨みつけて去っていった。

一体どれほどの利権が絡んで、こんなものをこういうバカが我がもの顔で走れるようにしたんだろう。

危険極まりない。

それで思い出した。テレビのCM、車の自動制御システムを謳っているもので雨の日に横道から自転車が飛び出してくる、というシチュエーション。

これを見た時、明らかに自転車の方が悪いだろう、と思っていたが、ネットでもどうやらそう思っている人が多数いるみたいだった。

アンサーではこう言っていた「どのような状況でも車の不利益になり得ることを想定している」と。実際にはもっと長い文章だったが。

しかし、僕が思った事はそこではない。それは充分理解している。

問題は、その自転車の奴が全然悪びれていないように見える。車の前にとまったまま、先のLUUPの奴のように車の運転手を睨みつけているように見える。

「あ、すみません。大丈夫ですか?自動制御システムが有って僕も助かりました!」てなオチが有ったら…って、そこまで考えられないし、時間も足りないのかな。

とに角、問題になっている「闇バイト」の件でも、結局は便利になり過ぎた世の中で、スマホの小さな画面にしか世界のない人達が多くて、そういう人達の想像力の欠如というのもひとつにはあるんじゃないかと思っている。

また思い出してしまったが、先日、駅で友人と待ち合わせをしていて、ふと目についた光景。

普通のOL然とした女の子がスマホに眼を落として歩いている処に、白い杖をカンカンと鳴らしながら目の見えない人。

あっ!と思った瞬間にはもう遅かった。

見事に杖につまずいて、おまけに本人にまで当たっていた。が、そのOLはすぐにその場をまたスマホを見ながら立ち去っていった。

ま、それでこけたりしたら少しは対応したのだろうけど。これも想像力の欠如をおもわせる光景だった。

さて、トランプが当選してしまった。

やりたい放題、自分に都合のいい事ばかり打ち出してくるんだろうな。

ま、赤ん坊のように駄々をこねるところは、今現在戦争を始めた処のトップ、加担している処のトップとほとんど同じ。

そして、彼を支持している人達とほぼ同じ。

この4年の間に世界はどうなるんだろう。

意外や意外、色んなことが好転していけばいいが、それにしても彼に都合のいいように全てを持って行くのだろうし、それはそれでその成り行きを見ていくのも面白いかも。

ハリスの旋風は吹かなかった。

有名な予言者とか何か言い残していないだろうか。

ところで、日本の政治の事は…なんかありましたっけ?くらいのしらけ模様。あ、僕だけかな?

11月も中旬に差し掛かり、グッと冷え込んできた。

先日、焼そばを作ろうと思って、キャベツを買うつもりで出かけたら、その値段にのけぞってしまった。

そう言えば一時すごく高くて1000円くらいの時が有ったが、またしてもその再来だ。

何でも高くなってきましたね。

去年、よく作った伊達巻、今年はせいぜい1本かな?

11月2日(土) 大森 風に吹かれて

だいぶ遅くなってしまったが、その日のレポートを少しだけ。

ナターシャー祭り、とでも言おうか、全員がナターシャー・セブンの唄を歌いまくるというコンセプトで沢山のナターシャーソングを堪能した。

関西からも、そして新潟からも…そう雨が降って大変だっただろうに、ギター、バンジョー等を担いでみんながやって来た。

そう言えば、関西組はかわいそうに、新幹線が途中でとまってしまったそうだ。

1時間55分の遅れ…う~ん、出来すぎているなぁ。

僕はやはり晴れ男なんだろうか。

家を出るとそれまで降っていた雨が傘要らずの天気になっていた。

みんなの唄声を聴いて、僕が1時間ほど歌と演奏をして、さて、それからみんなで楽しくセッション。

最後はヘイヘイヘイで締めくくり。

長い時間を感じることなく、楽しく過ごせたのもみんなのおかげだろう。

みんな本当にナターシャー・セブンを愛しているんだなぁ。

企画部長のキリンさんに感謝。

お店の金谷さんにも感謝。

そしてバンドのみなさん、近場から、遠いところから本当に有難う。

良い時間を有難う。

みんなが中に居た時にはかなりの雨だったようだが、またしても帰り道では雨に降られることは無かった。

11月

あれよあれよと言う間に11月。

寒いな、と感じる日も出てきたので、それなりに一歩一歩冬が近づいているのかな、という感じがする。

ウォーキングをしていると秋も感じ取ることができるが、それは比較的緩やかに涼しさがやってきているから、だろうか。

松茸とか栗とかにはあまり興味が無いし、果物もそんなに…というか高くて買えないのか。

ま、あまり食欲の秋というキャッチフレーズは僕には関係ない。

と言えども、最近、初めて生春巻きというものを作ってみた。

中華の春巻きは作ったことがある。省悟と「春ま来た~春ま来た~♪」とか歌ったものだ。

しかし、生春巻きはなかなか難しかった。

ライスペーパーの戻し具合、それに巻く時の、巻きずしとは違った感触。

しかし、訊いてみるものだ。

ライスペーパーはぬるま湯に、あるいは水に少しだけ浸す、と書いてあったが、レタスの葉っぱを濡らして、それで表面をサッと濡らすのがいい、という事だ。

確かにそれでやってみたら上手くいった。

中身は豚、エビ、レタス、キュウリ、春雨、それに人参とシソを入れた。

ニラも入れるらしいが、シソが入っているし、それでいいかな。

でも、結局はソースの勝負かな。生春巻き自体はほとんど味がしない。

それはうな丼にも感じる。

もちろん、クオリティの全く違うウナギならその違いは歴然としているが、そこそこのウナギだったらタレ勝負ではないかと思ってしまう。

そういうまでもなく、高いのでまず食べることはないし、

大ご馳走という感は否めないが、なくても生きていける…って、大袈裟か。

むかし、寿司を作っていた時、結局はシャリ勝負だよな、とよく言っていた。

エビやたまごは別として、どこの店も同じ魚屋から来ているからだが、それもアメリカだから、かな?

やっぱり秋だなぁ。食べ物の話になってしまった。

今日はまだ10月の最終日。

ハロウィーンという事だが、これは日本にはあまり関係のない、似合わないという方が妥当か、と思えるイベントだ。

思えば9・11の後のハロウィーンは静まり返っていて良かった。

毎年、子供たちが来ないように灯りを全部消して、静かにしていたものだ。

あ、そうだ。

今日はドジャースの優勝だけはしっかり観ていた。

あれ、最後はみんな胃が痛かっただろうなぁ。

政治家の動向よりも気になるドジャースの試合。

日本の総理大臣よりも気になるアメリカの大統領選。

北のミサイルも飛んだらしいが、気にもならなくなってきた。でも、気にしてほしいんだろうな。

あと数時間で11月。そしてすぐ12月が来るんだろうなぁ。

秋の夜長。バンジョーでも弾くか。うるさいかな…。

巷では…

またコロナが流行っているらしいですね。

コロナだけではなく、マイコプラズマ何とか、や、その他諸々。

最近ではすっかり忘れていた手洗いうがいも再開しましたが、溢れるほどにあまっているマスクの付け方なんか忘れてしまいました。

岸田元首相の「聞く耳」とやらが、あれはマスクのひもを引っかけるためだけに付いていた事を想い出し、そうかあそこに引っかければいいんだ、と…。

ま、冗談はさておき、友人がかかってえらい目に遭った、というところからこんな話になっているのですが。

やっぱり流行真っ最中の時よりこちらの警戒心もうすれているし、一旦かかってしまったら大変なのかもしれませんね。

蚊も全盛期の真夏より秋口の方が子孫継続のために必死になるようです。

でもこの頃は暑すぎて蚊も飛べないみたいですね。

良い季節になってきました。

どこもかしこも人でいっぱい。

家に居るのがいちばん。

なんてこと言ってるとボケてしまう可能性が高いので要注意。

ところでまた選挙が始まるのか。

しばらくは気が狂ったように「嘘八百」を並べる政治家の雄叫びに耳を塞がなくてはならない。聞く耳どころではない。

今年の流行語に「嘘八百」って出るかな?

そんな事より、明日またちょっと出かけるので人は多いだろうし、多分マスクは付けないと思うけど、手洗いと、うがいは帰ってきてちゃんとしておこう。

みなさんも気を付けて。

10月9日 2024年

新たなレコーディングも佳境に入り、世の中は随分ひんやりとしてきて、政治の世界も相変わらずしらけた事をやっていますね。

そして、今年の夏は暑かった!と来年もまた言っているでしょう。

そんな暑いさ中から始めた録音。

始める直前に高石さんの訃報。

ひとつの時代が、そして僕にとってのひとつの時代も終わった感覚が有りました。

今回のアルバムのタイトルは「Just a Little Memory」

随分前から考えていたタイトルでしたが、なんだかあまりに意味のあることになってしまいました。

これは前回リリースした「Back to Banjo」の第2弾。前回漏れた曲や、こんなものもやってみたい、と思うものがいくつかあったので制作を決心しました。

これで終わりかも…とか言っておきながら。

でも、もう歳も歳だし、いつ逝くか分からないし、なんて思いながら、お金もかかるし

いい加減にしろ!と云われるかもしれないし…いろいろ考えながらの録音でした。

タイトルの「ほんのちょっぴりの想い出、或いは、小さな想い出」そんな思いが自分を後押ししてくれました。

今回もベースで河合徹三氏が参加してくれました。

やっぱりこの人、単なる酒飲みの音楽家とは違う、実に的を得た演奏を展開する人です。それも短い時間で的確に出来る事を考えに考える人です。

おかげで自分なりにもかなり気に入ったものになりそうです。

発売日などに関してはまた後日公表できると思います。

言えることは、これでしばらくは無いかな?また1年先かな?いやいや、あんまりそういう事は言わないようにしよう。

我が国の総理大臣みたいに、ボクやっと総理大臣になれたし、嬉しくて仕方ないので今まで言っていた事、全部忘れちゃった…みたい、な。

あ~いやだいやだ。

アルバムの話に戻りましょう。

これ、Back to Banjoとセットで持っていたらいいと思います。似ているようで、似ていない絶妙な出来だと自負しております。

ところでサラッと言っちゃいますが、Back to Banjoかなり品薄になってきました。

唯々、皆様に感謝です。

クリス・クリストファソン

クリス・クリストファソンが亡くなった。

彼の名前、アメリカではクリストオファソンと云わなければ通じない。

通じないわけでもないのかな?日本人に慣れている人なら分かるかもしれないが、かなりはっきりとクリスト・オファソンみたいに言わないといけない。

何はともあれ、僕は誰かが「カントリーシンガーで好きな人は?」と尋ねたら、迷うことなく彼の名前を言っていた。

といえども、彼の作品や歌を良く知っているわけではない。

映画俳優としての彼が大好きなのだ。

Convoyなんかめちゃくちゃかっこ良かった。

さて、京都から戻ってきて友人が教えてくれたことだったが、ふと、一昨日の昼下がりコンサートを思い出してしまった。

僕はドクターサウンドの小林君と二人で進ちゃんにギターを弾いてもらって、恒例の「フォギー・マウンテン・ブレークダウン」をやり、その後「コーちゃん」を呼んで「川下りブラックジャック」を演奏し、そしてその後、僕が選んだ歌は「ミー・アンド・ボビーマギー」だったのだ。

これは高石さんの素晴らしい訳詞の中でも1位2位を争うくらいに好きなものだった。

そこでクリストファソンの話をした。

この歌の出来た経緯などの話もした。

なんという偶然だろうか。

今は亡き高石さんの素晴らしい詩とクリストファソンの素晴らしいメロディと…。

時差があるのでアメリカではまだ27日だったのかなぁ。その辺、深く考えると頭が痛くなるので、取りあえず、そんな時にこの歌を選んで歌った事に我ながら驚いてしまった。

そしてボビー・マギーなる人物はある作曲家の秘書であった、という事。

その作曲家が作ったと云われる彼の名曲を最後に演奏して終わった。

偉大なシンガーだった。

Highwaymenも凄かったなぁ。

また一人逝ってしまった。

昼下がりコンサート 2024年9月28日

元、七人の会スタッフのプロデュースによる昼下がりコンサート。

今年は行かせていただくことが決まっていた。

そうなると先ず、円山音楽堂ということで、天気が心配だ。

「まかしゃんかい!」と大見栄を張った手前、少なくとも雨だけは困る。曇っていても良い。

雨だけは困る。

それは集まってくれる人全員の心からの願いだ。

予報を見る限り、なんだか台風も発生しているようだけど、幸い、関東には多少の影響があるが、関西には行かないようだ。

出来ればもう能登には絶対に行って欲しくない。

そんなことを考えながら新幹線に乗った。

やはり京都なのでちょっぴり気持ち的にはゆっくりしたい感もあり、2日ほど早く出た。

こーちゃん(ロッキードではなく元のスタッフ)が彼の生まれ故郷である舞鶴に連れて行ってくれた。

天然キャラ炸裂のこーちゃんはほとんど一日中あらゆる事柄で笑かせてくれた。

本人は至って真面目なんだろうけど…。

舞鶴から帰ってきて居酒屋ぴんの白波瀬さんにも久しぶりにお会い出来た。

コンサートもさることながら、いろんな友人に会う事もとても大切なひと時となる。

さて、コンサートだが。

早くからスタッフとともに会場に入った。

みんなで一緒に荷物を運び、お客さんがのぼる階段の掃き掃除をし、そしてみんなが様々なセッテイングを手際よくやってくれている。

見たところ百戦錬磨の集団だ。

これを生業にしている人、全然関係ない仕事をしている人、みんなが同じ方向を向いてみんなが本当に楽しみにしていることが僕の心にビシビシと伝わってくる。

今回も楽器は借りることにした。

僕が初期の頃使っていたギブソンRB-500を所有している猪間君。

省ちゃんが花嫁で購入したギブソンRB-800は今日PAを担当する、てっつんが所有している。

2台のバンジョーの必然性は、というと、今回僕はドクターサウンドの小林君に来てもらう事にしたからだ。

今の僕のバンジョー熱を呼び起してくれた彼、そして父親の影響でバンジョーを持って産まれてきた、と言っても過言ではない永遠のバンジョー少年、そんな彼とのダブルバンジョーを是非やりたかったから。

そんな彼、お父さんと二人で現れて、なんとなくお父さんの方は興奮しているが息子の方は落ち着いているように見える…が、実はとうとう聖地にやって来ることが出来た、と感慨にふけっていたらしい。

やがて我夢土下座のみんなも現れて、楽屋は当時の昼下がりコンサート、宵々山コンサートを彷彿とさせる雰囲気が漂ってきた。

そこへ「まいど!」と茶木みやこさんも現れて京都色はさらに濃くなる。

当時の女の人、女の子はみんな関西のおばちゃんになっている。

さて、ライブのことを書き始めるときりがないのでコメントは控えさせていただきますが

(ありゃ?政治家みたい)

とに角素晴らしい一日を過ごさせていただいた。

案の定、雨は一滴も降らず、太陽も照りつけることなく、少しの蒸し暑さだけがあったけど、まぁまぁ晴れ男の面目が立った。

しかし、一人一人がそれぞれの役割を、実に見事に楽しそうに、こなしている姿を見ていると、本当にナターシャー・セブンはみんなに愛されてきたんだな、という事がよく分かる。

お互いに育て、育てられて今日まで来ているんだな、という事がよく分かる。

スタッフ、というのかな?実行委員会というのかな?みんなお疲れ様。

ほんとうにありがとう。

いい会に呼んでもらって。

今、つくづく思う。木田高介、坂庭省悟、そして高石ともや、みんな逝ってしまった。

でも、この3人は昼下がりコンサートに出演しているよ。

だって、これだけ素晴らしい実行委員会の人達がいて、そしてお客さんも楽しみに集まってくれて意義のある楽しい会になって、それはいろんな「しがらみ」を越えてみんなが一つになっている姿を彼等が見ているように感じるからだ。そして「おー俺達も寄せてくれ!」と言っているように感じるからだ。間違いないよ。

お疲れ様でした。ただひたすら感謝です。

ところで今日もやっぱり一番受けたのはこーちゃんでした。

夜中の番組

またまた夜中に目が覚め、何気なしにテレビをつけてみた。

今夜はやはりBSで興味深いものをやっていた。

あれ、BSだったかな?普通の総合テレビだったかな。

9,11以後のアメリカの状況。

僕はあの当時、もろに影響を受けたし、それ以後のアメリカもずいぶん見てきた。

中東には知り合いの息子さんも行ったし。

その中で伝説のスナイパー、クリス・カイルの話も出ていた。

映画「アメリカン・スナイパー」のモデルとなった人物だ。

そして9,11で犠牲になった日本の家族の事。

ある人はビン・ラディンに会うために中東に出掛けて行ったという。

なぜ、自分の息子があのワールドトレードセンターで死ななければならなかったのか、そんな気持ちを、疑問を押さえられなくなり中東に出向いたのだと。

そして、ビン・ラディンに会うことは叶わなかったが、多くの人達と素晴らしい交流を持ったという。

中にはアメリカ軍の攻撃でひどいけがを負った少年もいた。

必ず報復してやる!と言っていたその少年も日本から来た見も知らぬ人と徐々に打ち解けてきた。

そして見た目だけでも穏やかな青年へと変化していったが、ある日あるテロの記事で(テロと云えるか戦いと云えるか分からないが)首謀者で殺害されたメンバーの中に彼と同じ名前の人物を見つけたが、本人がどうか分かる術もなかったという。

またまたあのジェイミー・フォックスの映画のラストシーンを思い出してしまった。

この連鎖は止めることは出来ないだろう。

出来ないから何もしなくていいのか、と云われればそれまでだが、スー・チーさんがいくら頑張っても周堤さんがいくら頑張っても、バカは自分の事しか考えないことは明らかになってきた。

これ、そろそろ人類は一度滅亡してリセットしないとダメかな、なんて思いつつ、地球はいつまで存在するんだろう…てなことまで考えてしまう。

そんな中、中国で痛ましい事件が起きた。

ふと思い出したのが、アメリカに渡ってすぐの頃、カリフォルニアの比較的近いところの学校で、5人ものアジア系の子供が自動小銃を持った男に殺された事件だ。

確かにどこにいても起こりうることではあるが。

あの中国の報道官の平然とした(一見)態度では納得できるものではないが、少し前の、身を呈して子供を守って亡くなった中国人の女性のことも有ったし、こういう事も変わらず起こり続けるんだろうな、と思ってしまう。

9,11以前でも人種の壁みたいなものは充分感じていたが、ヘイトの連鎖はいつまでも続くものなんだろう。

9,11からもう20年以上経つんだなぁ。

America Open Business 、 America Stands!などの看板、至る所で見た、銃を持った民兵。

そんな光景を思い出しながら番組を観ていた。

河合徹三プロデュース Back to Banjo 9月15日、日曜日

9月も半ばだというのにとても秋とは程遠い気候だ。

それでも、雨だけは免れているので、ま、晴れ男ここにあり、かな?

徹三氏には随分前からCD制作に関わってもらっている。

僕が思うに「至高のベース弾き」もちろんベースだけではなく「至高の音楽家」の一人だと云える。

この日、一部は僕一人でやらせていただいた。

紹介では「いつもは若手をプロデュースしていますが、今日は…大ベテランを…」

と言う話だったが、考えてみれば敬老の日?いや、一日後がそうなのかな?2003年から第3月曜日となったそうですね…ま、いいや。とに角そんな感じではじまり、僕は一部、バンジョーのいろんなスタイルを演奏してみた。

群馬から田村さんがわざわざ出向いてくれて、素晴らしい音をプロデュースしてくれる。

何もストレスを感じない音づくりは流石だ。

世界巡りでは「アルハンブラの想い出」などをやってみた。

なかなかこれは弦の数が足りない分苦労したが、もう少し研究したらいいかもしれない。

そして2部。

徹三氏のベースプレイが冴えわたる。

特に僕が感じたのは「疲れた靴」をやった時だった。

実はこれ、ふたりでやったこと無いのです。

僕は簡単なコード譜(いい加減なコード譜)だけ渡し、しかもキーをワンステップ上げて歌った。そして間奏ではそれまでのスリーフィンガーを捨てて、メロディだけを弾いてみた。

イメージとしてはデビッド・ブロムバーグのミスター・ボージャングルのライブ録音。

これも徹三氏ならではの、僕のイメージそのもののバックアップを見せてくれた。

これには脱帽…いや、分かっていたのだが…今更ながら、かな。

ショーは少し短い目だったかもしれないが、やはりそれなりに疲れた。

この日も滋賀県から、京都から、と、遠くからも来ていただいた。

終了後、京都からの友人と、久しぶりに遅い時間にビールを飲んで餃子なんか食べてしまったが、もう50年来の友人、高石さんのことも含め、いろんな良い話が出来た。

こうして、たまにはライブで多くの友人に会い、あまり近しくなくてもずっと応援してくれている人達に会い、そして昔ばなしにも花が咲き、これからもずっと応援してくれることを知り、やっぱり素晴らしい世界に生かされていることを感じる。

なんて、幸せなことだろう。

河合徹三氏に感謝。なんか、鼻歌で「どうせがらくた~♪」なんて口ずさんでしまっています。

スタッフの方達に感謝。

そして皆さんに感謝の一日だった。

残暑

よく省悟と「な~んざんしょ!」といっていたものだ。

この残暑は本当にそう言いたくなる。

朝晩が少しの風も有り、ちょっぴりマシになってきたせいか、昼の暑さが身体にこたえる。

それは自然体で生きていると、なおさら良く分かるような気がする。

それでもこの頃、早朝でも日差しが強く、ウォーキングには適さないようだし、気温を見ながら日暮れ前くらいから歩き始める。

1時間も歩くと汗びっしょりだ。

気温は27℃とか出ていても、湿度は90%とかになっている。

こりゃ、汗もかくはずだ。

それで、戻ってから水シャワーを浴びる。

もう5月下旬から一度も湯沸かし器は使っていない。

水シャワーだけで1分半ほど。湯船に浸かる習慣もないので、一日に数回、その程度のシャワーを浴びる。

すると、季節の移り変わりを感じることができる。

この9月に入ってから、水がめっきり冷たくなってきた。

やっぱり秋って来るんだなぁ、と感じるが、それはウォーキングの最中にも、トンボが増えたり、雲の感じや空の高さなどからも感じることができる。

そうなると、何気なくあの暑さが懐かしい、なんて思えるようになるんだろうか。

しかし、あの暑さの中、外で働いている人もいる。そういう人達をみると、この温暖化は何とかしないと大変な事になるんだろうなぁ、と思わざるを得ない。

2100年には人間が住めなくなる、とも言われているが、ミサイルなんか撃ちあげて、手を叩いて喜んでいる場合じゃァないだろう。

さて、次の総理大臣って誰なんだろう。

絶対にこの人、単なる賑やかし、とか、こいつは世界に出すべき顔じゃァないな、とか…でも今までにも居たなぁ、そんな人。

案の定、何も出来ない、何もしないうちにすぐ辞めたけど。

ま、あまり自分の生活に関係ないのか、大ありなんかもよく分からない。それくらいに解離したことがらなのかも。

それよりもこの残暑を何とか乗り切りたいものだ。

あと、半月くらいは水シャワーでいけそうだし。

年寄りの冷や水だ。

ところで、外れていた小学校の時計の針。まだそのままのノッペラボウ。これもいつ針が付くのか楽しみだ。暑すぎて作業をする業者が見つからないんだろうか…時はどんどん過ぎてゆく。

ちょっとだけノスタルジック

この夏、高石さんが亡くなった事は多くの方達にとってショックだったろう。

今、あれから2週間が過ぎている。

僕にとってはどうだろうか。

自分では想像ができなかったけど…どこから来るんだろうか、言葉では言い表せない喪失感を感じている。

やっぱり自分にとって大きな大きな人生の1ページが終息を迎えたような気持ち。

言葉ではなかなか言い表せないけど、また省悟の時とは違うのは、70歳も中盤に入り、やっぱりみんないなくなるんだなぁ、という気持ちがもっと顕著に現れるからなのかな。

僕は母親を自分が10歳の時に亡くしているが、その時「なんで死ぬのに産まれてくるんだろう」なんて思ったりした。

どうせ死ぬのなら生まれてくる必要は無いんではないか、と思ったものだ。

それが自分では選べない道ということも知らなかったし。

話はちょっとあらぬ方向に飛んだが、あの高石さんでも死ぬんだなぁ、と言うのが僕の素直な気持ち。

この前のコラムでも書いたが、絶対に最後まで生き残るのは彼だと思っていたので。

それだけになんか、心に穴が空いたような…。

別にそんなに親しかったわけでもない。

省悟のように説明がつかないくらいに分かり合える仲でもない。

なのに、この喪失感はいったい何なのだろう。

やっぱり先に言ったように、最も多感で、身も心も軽々と、なんでも出来る、なんて思っていた時代を共に過ごしたからだろうか。

そんな時代が終わった。

もちろん時は過ぎてゆき、どんどん新たな時代がやってくることは当たり前なのだが。

その辺のジレンマなのかな。少なくとも少しの間は。

先に進まなくてはいけないし、また、いやがおうでも先に進まざるを得ない状況が生きている限り続く。

そんな時、やっぱり一番頼りになるのはナターシャー・セブンを愛してくれた人達の存在だろうな。

本当にそれはつくづく感じる。

今、ビールの後にちょっぴりのウイスキーを飲んでいるので、勝手な事を書いていますが、どうせそんなに飲める方ではないのでこれで寝てしまうと思います。それでも最終的には皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて…。

高石さんもステージ上ではあんな感じですが、本当に恥ずかしがり屋、悪く言えば気の小さい人だった。良く言えばすごく思慮深く軽はずみなことが言えない人だった。

でも、本当に皆さんには感謝していると思います。僕はそんな彼を知っています。

I am 総理

やっぱりこいつら全員クズだなぁ。

そんなに隠し持っている金を返したくないのか。

また、返せ、と言っている奴もいざトップに立ったら「そんな事言いましたっけ」くらいの態度になるんだろう。(想像の域ですみませんが)

もう全てが見え見えで面を見るのも時間の無駄、こんなことを考えるのも時間の無駄。

それよりも台風や地震の心配をした方が良さそうだ。

一昨日、あれは夜中の2時頃だっただろうか?

何気なし眼が覚めてじっとしていたら、ユラユラと感じたので「あれ?地震かな」と思っていたらドシン!とひと揺れ。

本当に、これが続いたらやばい!と思う余裕もないくらいの一発だった。

それにしても地震、雷、火事、親父とはよく言ったものだが、ま、親父はもう要らないかも。

アメリカでの友人に地質学者で地震専門の奴がいた。

ちょうど阪神淡路地震の時、地震に関するシンポジウムがあって大阪に宿泊していた彼だが「めちゃ怖くて何もできなかった」と言っていた。

ところで今現在も史上最強クラスの台風が九州に近づいているという。(上陸!)

段々地球も古代に戻りつつあるのかなぁ。

滝で遊んでいてウイルスに感染なんて、段々人間が弱くなってきたのか、ウイルスが強靭になって来たのか、暑さで想定外の事が起きているのか。

これからも庶民は様々なことで苦しみ続ける可能性があるけど、やっぱり自分たちの肥やした私腹は減らしたくないんだろうな。

備蓄米のことも、奴らが最終的に生き残るためではないか、なんて余計な勘ぐりをしてしまうほど信用は地に落ちている。

誰が総理大臣になろうが変わりはしないと思っているのは僕だけだろうか?

一人として「この人なら」というのも、どんなに消去法を用いても無理がある。

ま、仲間内で選ぶんだからとやかく言っても仕方ないが。

面白いだろうなぁ。

あと10年くらいして大谷翔平が、突然立候補して最終的に総理大臣なんかになったら。

どの政権か知らんけど支持率100%…なんて。

つまらないこと言ってI am sorryだが、彼なら胸を張ってI am 総理と言ってくれるだろう。

台風、長居するようです。みなさん気を付けて。

高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

1971年の出会いから半世紀も過ぎた。

ナターシャー・セブン…何ちゅう名前や?

変だなぁ、日本語で歌うって…。

僕にとってはそんな風に始まったこのグループも、その黄金時代(自分で言うのもおかしいが)のメンバーは僕だけになってしまった。

予定では高石ともやが最後に残るメンバーであったはずだが…ってそんな予定あるか!

でも、自分で言っていた。

「わたしには蛇年のしぶとさがあるんです」なんて。

ずっと「私はB型です!」なんて言っていたのにある日「A型でした」なんていうすっとぼけた部分も有った。

あまりA型のイメージは無いけどなぁ。

青森か何処かの駅で汽車が止まっている時、ホームを駅員さんが歩いていた。

それを眺めていた僕が「ねぇねぇ、ともやさん。獅子てんや、瀬戸わんやって、どっちがてんやで、どっちがわんやだったっけ?」

と問うと、ただひとこと「うん、似ていましたねぇ」と言った。

このあたりの受け応えは流石に詩人、という感じがする、なんて思うのは僕だけだろうか?

思えば旅ばかりだった。

彼の言葉でひとつ印象深かったものがある。

「あなたと僕はもう家の奥さんがやきもちを焼くくらいなんですよ」

それくらいの旅、また旅だったのだろう。

それくらいお互いを理解することに必死だったんだろう。

僕は彼の歌にギターを乗せるのが好きだった。

そしてそれはどこで音楽を演奏していても、彼のために伴奏をしている時と同じ次元のものとなっていったはずだ。

僕は今でも、彼は日本に於ける至高のフォークシンガー、筋金入りのフォークシンガー、唯一無二のフォークシンガー、そして類まれな才能を持った詩人、だと信じている。

なので、少しだけ、ひとつの時代が終わったかな?という思いは持っている。

そして少しだけまた心に穴が空いたかな?という思いも持っている。

榊原氏は僕と高石さんを結び付けてくれた人。

あの頃、僕は彼の期待に少しは応えることが出来たはずだ。

木田ちゃんは、本当に良い時のグループを更にワンランク持ち上げてくれた人。

僕らは彼のほとばしる才能に対し、少なくとも多少応えることが出来たはずだ。

省悟は…もう言う事ないかな。

僕らは唯一無二のコンビとして皆さんの期待に応えることが出来ていたと思う。

そして高石氏。

もしもまだ元気に歌っていたら、横でギターを弾きたかったことも事実だ。

勿論バンジョーも。

彼の紡ぎ出す詩を聴きながら、どんな音を創っていくか、そんな事を考えながら。

多分、彼の想いが詰まった詩に対して、まだまだ応えることが出来ただろう。

ひとり残され、この世の旅の終わりに

あいつに会ったなら あの世で二人また旅に出よう…

いやいや、もう旅はいいかな。

でも、あなたのためにギターもバンジョーも弾くよ。

暑いけど…その2

暑い暑いと言っているうちにも、何かが少し変わってきたように感じる。

それは朝、晩のウォーキングの時。

空の感じが少し変わってきたようだ。

でも、蒸し暑さはしっかり残っている。

そんな中、やはり最後と思えるアルバム作りを始めようと考えました。

Back to Banjoの続編、そしてもう少しナターシャーセブンを思わせるものも含めて、

と考えております。

本当にこれでしばらくはお休みにしたいと思っています。

ライブも全然やっていないので、次のアルバムが出来たら、少し動いてみてもいいかな?

という考えも有りますが、こう暑くちゃ…。

何でも2100年の東京の予想気温は46℃らしいですよ。

これは日本だけの問題ではありません。

世界では50℃を超えるところが沢山出てきそうです。

段々、地球も人間の住むところではなくなるかもしれませんね。

喜んで戦争なんかしている場合ではないですよ、あなた達。

少しは環境の事でも考えればいいのに、バカはいつまでもバカなんですね。

日本の総理大臣って変わったらなにか変るんでしょうか。

話し合うのに高い料亭に行くスタイルは変わらないでしょうね。

さてさて、そんなこんなで、また田村さんのところ「サウンドタム」にしばらくの間出かけます。

皆さんも季節の移り変わりを感じながら、元気に活動してください。

皆さんが元気でいてくれてこそのアルバム作りなので。

時は過ぎてゆく

広島の日も、長崎の日も、そして御巣鷹山の日も過ぎてしまった。

2018年のフィークルで、ちょうどその日「上を向いて歩こう」を演奏したシェーマス・ベグリーも、もはやこの世に居ない。

そしてまた終戦記念日がやって来る。

「暑い暑い」と言ってもまた「寒い寒い」という日がやって来る。

なんかこの暑さにも慣れてきた。

湿気が多いのには相変わらず参ってしまうが。

面白いことに最近ベトナム語で「すごく暑い」と言うのを教わったが、それを言ってもあまり暑く感じない。

むかし、マイクとキッチンで大きなごみ箱を持ち上げる時、ベトナム語で「モッ、ハイ、バー!」1、2、3だがそう言って持ち上げた。彼はそれで一番力が出るようだった。

フェルナンドとは「ウノ、ドス、トレス!」

彼は「アミーゴ、いち、にー、さん、じゃ力が出ない」と言っていた。

ハリーさんはやっぱり「イー、アル、サン、アイヤー!」

いちばん困ったのはフランス語しか話せないモロッコの奴が来た時。

「アン、ドゥ、トゥワ」では…バレーじゃないんだから。

言語と言うのは面白い。

話は横道に逸れたが、とに角、暑い暑い1日が過ぎてゆく。

いつまで続くんだろう。

また台風なんかが次から次へと押し寄せるのだろう。

何とか無事に暑さを乗り越え、更に色んな事柄からも無事に1年を終わりたいと思うが。

まだ来年もあるんだなぁ。

そして時はどんどん過ぎてゆくんだなぁ。

暑いけど…

ひたすら暑いけれど、この数日、夕方の風を感じるようになってきた。

今迄はその風も熱風だった気がするが、少しは気持ち良さを覚える感覚がある。

なので、夕方のウォーキングも少しは楽だ。

汗は相変わらず出るが、その分、風が当たると気持ちが良い。

こうして季節はどんどん変わっていくのかな。

その前に地震だ。

非常に日本沈没を彷彿とさせるような…。

ま、こればかりは恐れていてもどうしようもできない。

勝てねぇもんだなぁ!と言うしかない。

急に話題は変わるが、オリンピックもそろそろ終りかな。

セーヌ川で泳いだ人達、無事だろうか。

是非、バッハ会長には大田区を流れる「美しい呑川」で泳いでほしいもんだ。

そう言えば、小池知事、足を痛めたようだけど、運動不足と美味しいもんの食べ過ぎじゃないかな、なんて思ったりして。

突っ込みどころ満載。

先日、駅前を歩いていたらいつも居る「アフリカ、ガーナの貧しい子供たちのために小学校を…」と肉声で頑張っているガーナの人達。

その少し後ろの方で、思い切りスピーカーを使ってどこかの政治団体が何か言っている。

これってどうなんだろう。

他者の邪魔をしてまでも自分の云いたいことを言う。状況を読む能力が無い。

ガーナの人達に「すみません、ちょっと後ろで声を出しますので」などとお願いしたとは到底思えない。

結局、そういう人間が政治に関わりたいんだろうな。

またまた突っ込みどころ満載のウォーキング。

そう言えば、例の小学校の何ヶ月も4時を指していた時計の針が外れていた。

この夏休み期間中に直すつもりなんだろうな。

色んなことを考えている今日この頃ですが、ひとつ自分の事で。

やっぱり今年中にもう一つアルバムを作ろうかと考えています。

もうタイトルも決めました。発表は少し後にしますが、恐らくこれ以後は少なくともしばらくは無いだろう、と思います。

日本列島が沈没する前に、と言うわけでもありませんが、Back to Banjoもおかげさまで順調な売れ行き(もうちょっと…かな)決してそれで気を良くしているわけではありません。願わくばBack to Banjoの続編を感じてもらえる様なものにしたいと思っています。

只々、まだ止まっている、また、留まっている時ではないかな、と感じているので。

そんな事を考えながら今日も体力づくりに励んでいます。

剥離骨折を起こさないためにも。

辛いもの

甘いものの事はよく書いているので、たまには辛いもの。

基本的に甘いものは大好きだが、辛いものも決して食べられないわけではない。

担々麺など、辛さの度合いで選ぶ時はいちばん辛いのから二つくらい手前のものにする。

お腹痛くなったりしたら元も子もないので。

さて、こう暑いと辛いものが食べたくなる。勿論、ソーメンは別格だが。

そこで僕はタイやヴェトナムで使われるチリソースは常に用意しておく。

そして、バタールを買ってきてヴェトナムサンドウィッチ(バインミー)を作る。

よくマイクが買って来てくれたり、一緒に食べに行ったりしたものだ。

ここで必ず必要になるのがパクチー。

初めてこれを口にした時は「なんだ、このカメムシみたいな味は」と思ったものだ。

ほとんどの日本人には理解できる感覚だろう。

しかし、このパクチーがないとベトナムサンドウィッチも単なるサンドウィッチだ。

そして、本来はレバーペイストを使うらしいが、このために買うのも…それに、そういうの結構苦手だし…そうだ、ピーナツバターで代用しよう。

そう思い、スキッピーのピーナツバターにチリソースを混ぜ、肉は豚でも牛でも良いので、焼き肉のたれで味付けし…と自分なりにアレンジしてみた。

更にどうしても必要なのは人参の酢漬け、いわゆるナマスだ。

本来大根も使うそうだがここは人参だけでも良さそう。

さぁ、バタールを少しだけトーストして、全て挟んで、懸案のパクチーだ。

これが一度買うと量が結構ある。

割と高いし(変換では高石と出る)僕ら日本人の料理ではほとんど使うことがない。

かと言って鬼のように入れるわけにもいかない。

そこで僕はインスタントのフォーを買っておく。

これはいいアイディアだ。

このフォーにはレモン(本来ならライムだがこれも高石、いや高いし)あれば、もやし。それにチリソース。

そして大量のパクチー。これできちんと消費できる。

サンドウィッチにもフォーにも多めにチリソースを使う。

この辛さが蒸し暑い時にはバッチリだ。

マイクが山のようにかけていた。

そういえばまかないで「ざるそば」を作ったらメキシコ人が「アミーゴ、全然味がしない」とぼやいていた。

マイクはしょうゆベースのめんつゆに、これでもか!というくらいチリソースを入れていた。

話が飛んだが、暑い時のカレーもできるだけ辛い方がいい。

そう言う意味ではタイカレー、特にグリーンカレーは好きだ。

陳さんの麻婆豆腐なんかも良いなぁ。

あれと餃子とビールなんていう組み合わせは最強だ!

組み合わせの妙としては「冷たい麦茶とそうめん」そしてやっぱり「ヴェトナムコーヒーとバインミー」更に「インドカレーとマサラチャイ」夏だなぁ…。

でも、甘いものも辛いものも節度をわきまえないと。

余談だが、ヴェトナムにカメムシは居ないようだ。

オリンピック(パリ)

始まったようだが、なんか興味が湧かない。

また誰かが儲けるんじゃないか、とか、あの差別発言爺さんとか、会長の顔が浮かんできてしまう。

選手たちには何の文句もない。

大変な思いをして身体を鍛えているんだろうな、と、尊敬に値する。

それに群がる連中とのギャップで興味が湧かないのだろう。

素直に応援して楽しめればいいが。

僕としては平野美宇に頑張ってほしい。

あの、普通の時の感じとサーブを打つ時のこちらの「ギャップ」は可愛くてとても好きだ。

さて、暑い。

やっぱり湿気を思い切り含んだこの暑さは異常なものだが、これからはこれが当たり前になるんだろう。突然の雷と大雨。洪水。竜巻。

その上、トランプが大統領になったら、こりゃあ地球滅亡のサインかも。少し大げさか。

何とか「ハリスの旋風」を起こして欲しい。

色んなことが絶望的だが…と言っていたところにキアランからメールが届いた。

彼は1週間ほどの日本滞在を済ませて、一昨夜、帰っていったのだが、その前に二人でワインを一本開けた。

僕にとっては珍しく遅い時間だったが、彼のフライトが夜中だったので、その前にゆっくり話しながら飲んだわけだ。

彼は先ず、仁川に飛ぶ、と言っていたがその後はパリだと言っていた。

「今、パリはオリンピックで人が一杯だぞ」なんて僕も言ったが、その彼からのメール。

「鉄道が全てキャンセル…」

僕はすぐに「日本に戻るか?それともそこで「へ~」と言うか」と返信した。

それ以後の情報はないが、フランスにも友人が一杯いるし、自称フランス語も多少話すし(けっこう怪しい)「へ~」の要領で何とかするだろう。

僕はだから旅が嫌いだ。

予定通りにいかないと結構パ二クる方なので。

先日の新幹線の件など、見ていて「あ~、家に居て良かったな」なんて思ってしまう。

話は飛んだが、このオリンピックもなんとか無事終了してほしいものだ。

今から平野美宇の試合時間だけチェックしておこうかな。

いや、もし負けたら可哀そうだし…なんて考えるのはマイナス思考なんだろうなぁ。

大谷なんか「もし打てなかったら」なんて絶対に思わないんだろうなぁ。

その時点で、彼等とは全く思考回路が違うんだろうなぁ…なんて考えながら暑さをのり切っている。いや、のり切ろうとしている。

しゅうまい

僕たちはまるで焼売のようだ。

暑すぎて、湿度が高すぎて、まるで蒸されている焼売のようだ。

どうか「歩く崎陽軒」と呼んでください。

となると、しゅうまいではなく「シウマイ」か。

いっそのこと瓢箪型の入れ物に水を入れて歩くか…てな、しょうもない事を言っていないで、とにかく暑い。

急に話題は変わるが、もうトランプで決まりかな?

バイデンにも是非言って欲しかった「お前らもその歳になるんだ。ばかやろう!」って。

もしそう言ったら、これはほとんど全てが「お前のかぁちゃん出べそ」程度の言い合いが現実味を帯びてくる。

結局、これを言った日本の政治家も小学生にも劣る〇ミソの持ち主か。

小学生と言えば、議会でゲームをやっていたところを沢山の小学生に見られてしまった奴、どうしているのかな?

言い訳があまりにもみっともなくて、見ている方が恥ずかしくなった。

正に、こんな大人になってはダメだ、という見本だ。

テレビはほとんどつけないが、ニュースだけは見ていると、暑い暑いという話題の合間にこんな事ばかり出てくるし、相変わらず大食いなんていうバカげた企画で喜んでいるようだ。

食べるものがない子供たちに分けてあげればいいのに。

先日、夜中に眼が覚めて水を飲んだついでになんとなくテレビをつけてみた。

ちょうど、ベトナム横断の旅かなんかをやっていて、何気なしに観ていた。

最近、マイクやらと話していたほんの少しのベトナム語を思い出していたせいか、何となく分かる言葉が沢山出てきた。

そしてその後で今度はミャンマーのドキュメンタリーが始まった。

これは見入ってしまった。

少年が民兵として戦いたくて志願したいのを母親が困っていた。

でも、彼の意思は固く、ではその前に僧侶の修行をしろ、と母は言う。

僧侶になる、という事は得を積むことになるから、もしあんたがこの後、どうしても!という気持ちになっても、きっとあんたに弾は当たらないよ、と母は言うので、しばらく少年は僧侶としての生活をする。が、しかし、自分と同じ年齢の仲間たちが国軍と戦っているのに、という心の葛藤から、やはり民兵として志願する。

なんともやるせない気持ちになったまましばらくは眠れなかったが…。

しゅうまいから一転、こんな話題になってしまうのは暑さでだいぶ脳みそがやられてきたから、かな?いや、それでもあいつらよりはましだろう……。

しゅうまい。冬はよく作るが今はちょっと…。

しかし、シウマイ弁当は美味しい。平和だなぁ。

Back to Banjoライブのお知らせ

ちょっと先の話ですが、と言いながらそんな日はすぐ来てしまうのですが…。

来る9月15日(日)18:30開場 19:00開演

というスケジュールで、場所はグッドストック東京という会場。

今回はベースの巨匠、河合徹三氏のプロデュースで開催されます。

詳しいことは「グッドストック東京」のHPで。Godstock-tokyo.com

徹三氏は今年の僕のアルバム「Back to Banjo」で流石!と唸らせてくれるベースを聴かせてくれました。

最も演奏者に寄り添うことの出来る素晴らしいプレイヤーの一人だと思います。

僕もどちらかというと、歌い手や演者に寄り添う音作りに喜びを感じてきたほうなので、そこは自分なりに最も大切に思うところであります。

いつも一緒に音楽を演じているわけではないので、まだまだ未完成な部分はあると思いますが、それも含めてライブならではの緊張感も味わえると思います。

9月になってもまだまだ暑い日が続くでしょう。

みなさん、体調を整えて元気に秋を迎えましょう。

そしたらすぐ「寒い寒い」と云わなければならない日がやってきます。

マジ?

今日は大谷君、最後の打席の三振を見とどけて「やっぱり俺が観ていたからかなぁ」なんて思いながら何気なし、消す前に他を見てみた。

いや、別の局では打っているかも、等とは思っていない。

まだ脳の方は大丈夫。

そして、他の局の情報番組を観ていたら、マジですか?という事柄についてやっていた。

なんでも、どこかの県(覚えているが敢えて…)で「一日一度は笑おう」という条例が可決された、というものだった。

コメンテーターも多分あきれてものが言えなかったと思うが、これ「バカじゃないの」とは、テレビでは言えないのだろう。

そのような環境づくりを考えるのが行政の仕事ではないか、とお茶を濁していたが、心の中では「あんたたちバカじゃないの」というのが見え見えだった。

しかも、これ「努力義務で罰則は無い」だそうだ。

こういうのって、どうしたらいいんだろう。

これを考える人の頭の中ってどうなっているんだろう。

元気のない友人に「ちょっと笑おうよ」と言うのとはわけが違う。

こんなことを話し合うために会議でお金と時間を使っているのだろうか?

笑うどころかこれでは「笑いもの」になってしまう、とは思わないのだろうか。

本当に本心からマジで「素晴らしい条例が可決された」と大笑いしているのだろうか。

そんなことより、選挙のポスターの為のボードはもう必要ないだろう、という事を話し合った方が良いような気がする。

いまだにほとんど貼られていないか、訳の分からない広告が何十枚も貼られているものが放置されている。

また、僕の散歩コースにある小学校の時計はもう4ヶ月ほど4時を指したままだ。

(キアラン君の家の時計じゃァないんだから。彼はそれを見て「あ、いかん!遅れる」とか言っているが…)

それも校門の正面にドカ~ンと堂々といつでも4時だ。

なんか訳があるんだろうか。面倒くさいんだろうか。合わせるのが大変なんだろうか。

子どもたちは毎朝4時に登校している。

こんなことで、どうも行政に携わる人達、教育に携わる人達、そういう人達の感性と能力を疑ってしまう。

ま、その県の人達、一日に一度は笑う努力をして下さい。

そのうち罰則が付くかもしれませんよ。

いや、失礼。あまりにバカバカしかったのでついつい。

ブルーリッジマウンテンボーイズ同窓会

2年に一度、恒例の同窓会。

今年も声をかけてくれたことにひたすら感謝。

朝早く、4時に起きて(ま、いつもの事だが)コーヒーを飲み、いつもは歩きに出るが、今日は支度をして用意万端、忘れ物はないかチェックして、一応熱中症対策に朝のオートミールとバナナを朝食にして、いざ出かけた。

もう既に暑い。京都も暑いだろうなぁ、なんて考えながら電車に乗った。

品川から新幹線に乗るつもりで、もうすぐ品川と云う時にとんでもないことに気がついた。

スマホだ!スマホを忘れた!

これがないと「スマホを忘れた」という連絡すらできない。

待ち合わせの場所も、新幹線の中でやり取りすれば良い、と思っていたがそれも出来ない。

さて、一生懸命考えて、新幹線をひとつ遅らせて取りに戻るしかない、という決断を下し…

とまぁ、すったもんだあったがすべてスムーズに事が済んだ。

しかし、もはやスマホがないとなにも出来ないと分かっているのに、よりによって忘れるとは。

あれ良し!これ良し!とすべて声出し確認をするが、なんでそんなことになったんだろうか。

やっぱり同窓会でみんなと会えるのが楽しみでそのせいだったのか…。

それでもだれよりも早くホンキ―トンクに到着することが出来た。

せっかちな僕なので、全てを早い目早い目に考えていたことが功を奏したようだ。

やがて、皆が集まり、楽しい会話、昔ばなしに花が咲き、演奏も聴けて美味しい料理もいただいて、ホンキ―トンクの若い女の子たちも面白くて、何とも言えず良い時間を過ごすことが出来た。

今のところみんな元気だったが、やっぱり初代のメンバーは今回お休みだった。

2年後にまた計画してくれたら、その時はみんな来てくれるだろうか。

丸谷君を始め、みんながブルーグラス愛に溢れ、ブルーリッジ愛に溢れている様子が手に取るように分かる。

この歳になってもそんな刺激を受けさせてもらうのはとても嬉しいことだ。

本当に声をかけてくれて有難う。

京都は暑かったけど、ホンキ―トンクは特に熱かったです。

みんな元気で!また会おう!

食品と気候

昨日、スーパーに行って、ある料金表示に思わずのけぞった。

三つ葉 9円 一瞬間違いではないのか、と思い、いつも居る店員さんのSさんに訊ねたら、「あら、本当だ。ねえねえ、これ合っている?」と、他の人に訊いたら「ちょっと訳アリできょうはこの値段。沢山買っていってね」とにこにこして教えてくれた。

でも、訳アリと言いながら見たところ、すぐ使えば全然問題は無さそうだ。

それでも、何に使うか、親子丼ぶりでも作るか。いや、そのために作るのもちょっとなぁ、これだけ買ってレジで9円払うのも恥ずかしいしなぁ、と思い、その時は買わなかった。

夕方になって、ちょっと親子丼ぶりというのが頭をよぎって、いっそのこと「たっぷり三つ葉の親子丼ぶり」などと考え、まだあるか分からないけど又行ってみた。

そしたら、まだ大量に有ったので4束も購入。

ちょうど他の店員さんTさんが居たので立ち話。「わたしも買っちゃいました」と言っていた。

さて、レジに行くといつものニャンちゃんが「あ、これあたしパクチーだと思って間違って買ったことがあるけど食べられなかった」って言っていたので、マイクのホットドッグ事件の事を話してあげた。

僕らにとっては三つ葉だと思ってパクチーを買ってしまう方がよほどインパクトがあるが、彼女にとってはその真逆なんだろう。

また、食の違いというのも、結構その国々の気候に寄ったりするところがあるんだろうなぁ。

アイルランドでお茶漬けを食べるほど味気ないものはない。

なんだろう。あの気候に合わないのだ。

もちろん水の違いなど大きな要因はあるが。

気候と言う面から考えれば、いちばん顕著なのは夏のソーメンだろうなぁ。

僕は一日パン食でもいいが、さすがに夏になるとちょっとソーメンは食べたくなる。

それは多分にただ暑いから、と言うだけではなく、やはり湿気とか、えも言われん空の感じとか、空気感かな、そんなものがそういう気持ちにさせるのだろう。

アメリカ南部の景色にはグレイビービスケット。

インドだったらやっぱりカレーなんだろうか。あそこで肉じゃがなんて食べても美味しくなさそう。

それにしても日本人の食に対する意識と言うものは凄いものが有る。

食に関する番組の多さには慣れてしまっているが、「大食い何とか」だけは世界の恥みたいな感覚がある。

さて、日本も東南アジア化してきたんだろうか。

しかし、フォーとかベトナムサンドイッチとか美味しいと思うが、アドボとかはまだ食べたいとは思わない。そう考えると結局好みかな。

食と気候、または食と景色…なのかな。

いや、もっといいタイトルが有った。食と風土。Foodと風土…これは決まった!

7月

とうとう7月になってしまった。

今年はBack to Banjoの事も有るし、元々、アイルランド行は考えていなかったので、この暑い日本でなんとか生きていかなければならないが、先ず、その前に、この湿気たっぷりの梅雨を越えなければ夏に生きているかどうかも分からない。

先日、どんより曇っていて雨はすぐには降りそうもなかったので、朝の5時頃からウォーキングを開始した。

日差しもなく、風はそこそこあったが、やたらと汗をかいた。

これは湿度80%くらいかな、と思い、スマホを見てみると88%となっていた。

気温は20℃だったが、結局、湿気なんだろうな。

これで湿度が40%くらいだったら気持ちがいいんだろうな。

しかしながら、汗をかいた後の「年寄りの冷や水」は気持ちが良い。

勿論、夕方のウォーキングの後のビール、あ、いえ、発泡酒も美味い。

最近、近所で大幅な工事をやっているが、そこにいつも立っている警備員のおじさん…ひょっとして少し年下か、その人はすごくにこやかにみんなを誘導している、とても感じのいい人で、よく立ち止まって話をする。

雨が降っていたりすると「傘、入りますか」と相合い傘で話したりしている。

彼が「僕はもっぱらウイスキーです」と言ったので「山崎とか?」と訊いたら、すごく嬉しそうに「そうです。箱買いでいっぱいストックを持っています」と言っていた。

何故こんな話題になったかと言うと、その人が「発泡酒は絶対飲まない」と言っていたからだ。

本当にお酒の味が分かる人って発泡酒なんか飲まないんだろうなぁ。

僕はたまにビールを飲んでも苦いなぁ、と感じ、やっぱり発泡酒の方がいいや、なんて思ったりする。いや、ケチ、というのもあるんですが。

話変わって、年寄りになるとやたらと涙もろくなる、というけどみんなそうなのかな。

能登の地震からはや半年が過ぎ、色んなニュース番組で被災地の取材をしているのを見るだけで食べているものが出そうになってしまう。

もし自分だったら…と考えるとどうしたらいいのか分からなくなる。

何とかあの自民党の裏金を回せないだろうか、なんて非現実的なことを考えてしまう。

先だってのヴェトナム戦争終結から50年、というドキュメンタリーで、ナパーム少女と云われたあの有名な写真の人が出ていたが、それを見ていても食べ物が出そうになった。いえ、なにも食べていなかったが。

本当に運命のいたずらか、偶然にも自分の生きている時代に戦争しか頭にないバカが共存してしまったのか。

でも、結局のところ今でもそうなんかな。

取りあえずこの周りは平和だが、あっちこっちでバカが幅をきかせていることは確かだ。

先日の討論会も面白かったな。いや、面白くなかったのか。

というくらいにお互いの悪口を言い合っている「お前のかあちゃん出べそ!」だった。

さて、本題の7月。

これから少なくとも3か月は暑さと、もしかしたら強烈な台風なんかと闘わなければならないのかな。

みなさん、しっかり食べて、適度に身体を動かして、ちゃんと寝て、色んなことを考えて頭を働かせて…他に何かあるかな…。

とに角お元気で!

コーヒー

カリフォリニア大学でコーヒーの研究機関が(正式な名称は聞き逃したが)出来た、というニュースをたった今見た。

アメリカでは本屋さんの店内などで無料のコーヒーを飲みながら、本を読んだりしていたけど、今でもそうだろうか?

多分、そんなことももうないだろうけど。

録音スタジオなどにも常に沢山のコーヒーが用意されていて、一日録音していると気がついたら10杯以上のコーヒーを飲んでいた、なんて言う事がよくあった。

別に飲みたかったわけでもないだろうなぁ。

ただ単にコーヒーに手が伸びることが癖になっていただけだろう。

そしてそのコーヒーは決して美味しいものではなかったが、多分美味しいものだったらそんなにガブガブ飲まなかっただろう。

世の中そんなもんだ。

僕は余りコーヒーなるものは好きではなかったので、最もよく飲んでいたのが、グレイハウンドのバスディーポにあるような…なみなみと大きな紙コップに入っていて当時50セントほどのものだった。

僕にとってはこれぞコーヒーだった。その何とも言えない美味しくもなく、惜しげもなく飲める安物の味。

水では物足りないし、緑茶は無いし、紅茶でもないし…と思ったらコーヒーしかないのだ。

これとドーナツでしめて1ドル。充分お腹は満たされる。

やがて、スターバックスのようなファンシーなコーヒー屋さんがヨーロッパの影響で出現すると、ま、それはそれで美味しいかな、と思うようになってきた。

よくあんなもん夜中のバスディーポで飲んでいたなぁ、なんて思ったりもした。

働いていたレストランの向かいがスターバックスだった。

日本人のウエイターの子に「コーヒー買ってきて」と頼んで「ⅡCoffee」と書いた紙を渡したら「11個出て来て焦りました」なんて言う事があったなぁ。

レストランの隣はスターバックスが経営の一部を担っている「ノアズベーグル」というベーグル専門店が有った。

知りあいのジューイッシュは「外食もの」としてはここのベーグルしか食べなかった。

確かひとつ60セント。コーヒーをスターバックスで買い、ベーグルを買ってきて店にあるスモークサーモンを挟み、たっぷり山のようにクリームチーズを塗り、キューリをスライスして朝食。そりゃコレステロール値も上がるわな。

でも、そんなものとコーヒーはやっぱり絶妙だ。

緑茶でも紅茶でもない。

ここ最近は1日2~3杯、たまに4杯くらいは飲むし、そのうちの1杯はヴェトナムコーヒーだったり。

ちょっと控えたほうが良いかな…。

またまた散歩

最近気がついた。

例の、山のように靴があったアパート。

かなりの数の靴が減っている。

察するところ、続いている円安のせいで国へ帰った人が大勢いるのか。

見たところ洗濯物も半分くらいに減っている。

我ながら「なんちゅうところに気がついているんだろう」などと思うが…。

円安は、国の家族にお金を送っている人にとって確かに大変な事だろう。

考えたら昔は1ドル360円だった。

確か初めてハワイに行った時、250円だったような記憶があるが定かではない。

それでもウハウハ言っていた。

そのうち1ドル100円計算が成り立つようになったり、75円くらいになったり、いろいろ大変だ。

今、アメリカの都会でランチを食べると30ドルほどは当たり前らしいが、僕の近所の中華料理でランチを食べると750円、多分味はこちらの方が良いだろう。

量は圧倒的に向うの方が多いだろうが、それにしても4000円ほどのランチはなかなかのものである。

それだけに格差も激しくなり、サンフランシスコのダウンタウンなどは「こんなところに身を置くべきでない」と感じるとも言う。

30~40年前からしたら想像が付かない。コロナのせいだけでもないんだろうなぁ。

2時間ほど歩いているといろいろ考える。

看板も見るのが好きで「米屋不動産」というのを見ては「あんたんとこは米屋?それとも不動産?」なんて独り言を…、ほとんど老人。

近くに川が流れているが、その川はこの上なく汚く、僕は東京一汚い川と思っているのですが、ずいぶん前外国人向けの一時宿泊施設が「You Can See Beautiful River! from Your Room 」と書いていた。

これは嘘も方便ではなく詐欺だ。

なんていうことも思い出しながら早朝の散歩を楽しむが、やはり湿気と言うものは暑さを増長する。

同じ20℃でも湿度90%と40%とは全く違う。

汗びっしょり(省ちゃんの汗とは違う)になり、頭から水をかぶる。因みに5月からもうお湯のシャワーではなく水だ。

年寄りの冷や水、とか自分で言いながら。

ところで今朝もチャールズ・ブロンソンに会った。

そこで思いだしたのがまた省ちゃんだが、彼はあのマンダムのCMソングが大好きだった。

しょっちゅう「ウ~ン、マンダム」と言っていた。

勿論、こんな事ばかりではなく、ちゃんと建設的なことも考えているので「アホやなぁ」と思わないでくださいね。

来月7日に京都産業大ブルーリッジマウンテンボーイズの同窓会に出掛けます。

暑いだろうな、京都。

でも、ブルーグラス愛に溢れる産業大学の先輩や後輩たちの素晴らしい笑顔にまた会えると思うとそれだけで嬉しい。

素敵な仲間たちです。

それまで、またできる限り身体を動かして汗を沢山かいておこう。

素晴らしい後輩たちと演奏して冷や汗をかく前に…。

散歩

散歩という見出しだが、限りなくウォーキングである。

もう暑くなってきたので、朝4時には起床して4時半か、5時には家を出ないと、途中から暑くなってしまう。

全行程1時間半くらいなので帰る頃はもう太陽が照りつけている。

まだ風が気もち良いが、あと半月もしたらこの時間でも無理になってくるかもしれない。

カラオケ屋さんから飲み屋、コンビニなどが軒を連ねる通りを行くと、朝帰りの若者が男女でわーわー騒いでいる。

ほとんど毎日、色んな所で多くのこういった若者を見かける。

やっぱり徴兵制でも有ったらいいのに、と思ってしまう。

戦争では役に立たなくても、自然災害が起きた時くらいは猫の手よりはましかもしれない。

韓国でバンジョー教室をやった時の若者たちの事が蘇ってきた。

礼儀正しく、吸収したいことに対する目の輝きが素晴らしかった。

この子たちも兵役に行っていたんだなぁ、ということを感じさせてくれた。

更に進むと、選挙のポスターを貼るボードが乱立している。

こんなもの必要なんだろうか?

また、バカな迷惑ユーチューバーみたいな奴が立候補しているみたいだけど、一体どうなっているんだろう。

公約、公約と叫んでいるけど実は単なる口約束「口約」ではないだろうか。

蓮舫とか言う人が出てきたので、僕はあのちゃんに出て欲しかった。(?)年齢からすると無理なんだろうか?いやいや、そんなことを考えるほど真剣に思っているわけではない。

更に歩いていくとお寺の敷地に大木が有って、それが、このところの風や雨で、見たところ大きくえぐれている。

道にその木くずが大量に散らばっているが、結構危険なところまで来ていそうだ。

行政ってこれでだれか下敷きになって死んだりしないと動かないんだろうなぁ、とつくづく思いながら歩く。

ふと見ると、もう6~7年前になるだろうか、まだ僕も走っていた頃によく出会って立ち話をしたおじいさんが歩いていた。

向うも覚えていて、かなりしっかりしていた。確か僕より10歳くらい上だった。

またあの時のようにしばし話をしたが、こうして散歩の途中で懐かしい人に出会ったり、初めての人と会釈を交わしたり、それはなかなか良いことだ。

しかし、同じく何年も前から猫に餌を与えているおばあさん…おっと、同じ歳だった人は、入院していた、という話を近所の人から聞いていたけど、2年ほど前に会った時、声をかけたら「どちらさんでしたっけ?」と言っていた。

今では同じところで毎朝猫に餌をやっている別なおばあさんがいる。

いつも「おはようございます」と元気に言ってくれるが、顔がチャールズ・ブロンソンにそっくりだ。ほっとけ!と云われそうだが…よく似ている。

夕方は6時過ぎでないとこれまた無理だ。

そのうちそれでも無理になってくるんだろうなぁ。

ヴェトナムコーヒー

ヴェトナムコーヒーのフィルターをお土産にもらった。

マイクが自慢気によく飲みに連れて行ってくれたもんだ。

そんな事を想い出しながら、ゆっくりとドリップされていくコーヒーを眺めていた。

それでまたいろんなことを思い出した。

ある時、省ちゃんがコーヒーのミルを購入。

「この挽いている間がなんともええんや」と、本当に嬉しそうだった。

そして数ヶ月経ったある時、それは電動のものに変わっていた。

「面倒くさくなってきた」とあっさりそう言った。

イノダにもよく行ったなぁ。京都人の定番かな?

なんか、家から(東寺)意気揚々とバスに乗ってイノダに着いて、深々と椅子にもたれて、ふと見たらチャックが全開だった、なんて事が有ったらしい。

「わし、泣きそうでしたわ」と言っていた。

あいつ、結構そういうところが…まぁ、それも含めて英語で言えばHe is a so in Character!!と言ったところだ。

自分の事で言えば、コーヒーはあまり好きな飲み物ではなかったが、最近は毎日2~3杯は飲む。

アメリカの新聞で「コーヒーを一日2杯以上飲む人の自殺率は低い」なんていう記事を読んだ。

コーヒー屋さんのある意味、陰謀?(策略)だろうか。

そう言えば、別な新聞でアニサキスの拡大写真を記事にしていて、これは肉屋の陰謀、強いては日本人に対する差別か、と思われた。

事実、記事には生魚なんてとんでもない、とすし屋排除的な文言も見受けられた。

陰謀でそんなことも思い出したが、コーヒーはゆっくりゆっくりと落ちていく。

ヴェトナムではこの時間を楽しむ、という話だが、僕の様なせっかちには向かない。

しかしながら、放っておけばいいんだし、ま、その間に他の事をすればいいのか。

いや待てよ。

これはアイスコーヒーとして飲むんだったらいいけど、そのままだったらえらくぬるいな、なんて思っていろいろ調べたら、ヴェトナムは暑いのでほとんどアイスコーヒーとして飲む、と書いてあった。

あれ、マイクと飲みに行った時もそうだったかな?なんていう疑問もわいたが、確かにこのコーヒーは練乳を入れてもかなり濃い。

このフィルターをくれたニャンちゃんにもいろいろ詳しい事を訊こうと思ったら衝撃的な答えが返ってきた。

「あたしコーヒーが嫌いなので全然飲まないです」

なんじゃそりゃ…?

Back to Banjo 皆様へのお礼

今の時代、なかなかCDを手に入れたり、聴いたり、ということも無くなってきたかもしれませんが、皆様の温かいご支援のおかげで好調な売れ行きを呈しております。

2023年夏からの着想、それと同時にジャケット写真も決めてかかり、大体予想通りの期日で出来上がりました。

選曲にも苦労しましたが、とに角久々のブルーグラスバンジョーでスタート、そしてブルーグラスバンジョーで終わる、そして一息つく、なんていう事だけは決めていました。

僕にとっては、自分名義としてこれが最後の録音というつもりで取り掛かりました。

今になって更に第2弾ということも考えておりますが、やはりバンジョーをメインにした、それでも前作とはちょっと違うものでなくてはなりません。

今年75歳になります。

こうして考えているうちはまだ大丈夫かな?と思いつつ、あまりライブとかをやろうとは思っていません。

僕も出かけるのが億劫になっているし、皆様も様々な事情でなかなか足も運びにくいかと思ってしまいます。

でも、ライブをやらないと、ある一定のところでCDがお嫁にいかなくなってしまうことも分かっております。

ぶっちゃけた話、そうなると「次作」という考えを躊躇してしまう事も事実。

しかし、まだ生きています、という証に録音物を作る、と言うのは大切なことかもしれません。作り続ける、という事に関しては何とも言えませんが。

そんな意味でも75歳という節目に2作というのは有りかな?と考えています。

迷い続けるのも人生、そしてその迷いの中で決断を下していくのも人生。

何を言いたいかというと、結局のところ、突然第2弾を出したら「やめる辞める詐欺」と思われるかもしれない、と怖れているだけかもしれません。

本当に作らないかもしれません、作れないかもしれません(様々な事情で)

でも、作る意欲は湧いています。

正直、前回の録音はかなり疲れました。

久々の5弦バンジョーでしたから。

60年代、ピアレスかナルダンか迷い、ピアレスを手に入れ、様々なバンジョーを弾いてきて、やっぱり以前記事にも書いてみたけど、バンジョーの想い出みたいなものが蘇ってきました。しかし、重いでぇ…。

とに角、どんなことがあっても皆さんに支えられているな、と感じております。

僕は住所書きも下手な字でやっております。郵便ポストに出向き、収まり切れない数量の時は郵便局へ行き、おかげさまで窓口の人、みな友達ある。

そうして皆様にCDを送るのも楽しみのひとつ。

けっこう手間のかかることを一人で黙々とやるのが好きみたい。

でないと、趣味は掃除、洗濯、料理なんて言う事もないかもしれません。

また話がそれそうですが、暑中お見舞いというか…まだ早いのかな?皆様にお礼を申し上げたいのと、もう少しCDにお嫁に行って欲しいな、というお願いと、それが言いたかっただけかも。

あ、それと今年中の2作目…う~ん、有かな?

考えています。

2024年6月2日(日)サウンドタム

6月1日の土曜日に安中に向かう。

品川から乗った電車の中では鉄道オタクの熱い語りを約2時間、聞いていた。

いえ、決して面と向かって聞いていたのではなく、聞こえてきたのだ。

北は北海道から、南は九州まで、JRの路線にまつわる話や、電車の車両、座席の事など、

正にオタクの成せる業。

電車が高崎に着くと、他にもカメラの三脚を持ち、何台ものカメラを携えている若者が一杯降りていった。

なんか有ったのだろうか。いや、それともいつもの事なんだろうか。

とに角、安中に無事に着いた。

今回は河合徹三、通称「てっちゃん」とのライブ。

考えてみれば、てっちゃんに会う前に大量のてっちゃんに会ったわけだ。

こちらのてっちゃんは、3週間ほど前、人生初の骨折をしたらしく、痛々しい感じで足を引きずりながら大きなウッドベースと共に現れた。

本人曰く、もうリハビリの段階に入るらしいので、もうちょっと、という事だが、リハビリって結構大変なんだろうなぁ。

そんなこんなで、この日は夕方から雨。

明日の本番もぐずついた天気になり、雨は免れないだろう、ということを聞いたが、晴れ男としては何とかしたいものだ。

さて、リハーサルも済み…なんせ一緒にふたりだけでやるのは初めて、という事で一日前のりしたわけだが、目的は他にもある。

そちらもかなりメインに近いイベント、宴(うたげ)だ。

僕は12時で失礼したが、結局3時まで飲んでいたらしい。

そんな前置きはともかくとして、今回は初めてのデュオと言うことも有ったが、何といっても僕の「Back to Banjo」レコ発、という触れ込みだったので、僕は先ず、一人でバンジョーを弾いて始めてみた。

CDの一曲目「Got Banjo?」のセットから。緊張したが自分としては95点くらいだったかな?

そして、随分前に高石さんから詩をもらった「鉄道暮らし」いやいや「徹三暮らし」ではありません…それを歌って、杖を突いたてっちゃんを呼びだした。

そこからは彼の釣りに関する話題から、酒に関する話題までを曲に合わせて、例えば

「Fisher’s Hornpipe」「Whiskey Before Breakfast」などを演奏して、しっとりと「Misty」なども演奏。

彼のベースは、ベースと言う枠を超えている感がある。勿論、長年知った仲ではあるが、二人でやるのは初めて。それでもナターシャーや希花とのデュオでも手伝ってもらったり、今までに「あ、やっぱりいいなぁ」と思わされたことは何度もある。

なんかえも言われん「人間の出す音」を感じさせてくれるミュージシャンの一人なのかもしれない。

2部は、やはりウイスキー関連「Whiskey You are the Devil」なんて言う曲からスタートして、新しいアレンジの「3つの箱」そして、てっちゃんにも歌ってもらい、そこでも「Rye Whiskey」なんかが登場して盛り上がった。

後半には僕も「今またヒーローが」など歌わせてもらった。

この歌はアメリカに居た時9月11日からイラク戦争の当時書いたものだが、結局、いまだに歌詞を模索している。

60年代にのんびり反戦歌なんか歌っていた自分たちとはかけ離れた世界に居た人達、そんなかれらとの生活を経験したことにより、どんな形になっても唄っていっていいのかな、という思いが最近になって生じていた。

今迄よりも気持ちが入って歌えたが、これもてっちゃんのおかげかもしれない。

歌に引き続きの「Both Sides Now」も弾いていて気持ちよかったし、「Time After Time」も、そして最後の「Back to Banjo」セット。

全体を通して、ギターがいない、というのもひょっとして新しい形なのかな、ということを感じている。

何かが足りない分、出来得る限り二人で寄り添うことに集中するような緊張感も生まれるし、曲によっては二人だけで充分、という感覚にもなるし、そういう意味ではまたやりたい、とおもえるような気分を味わえた。

問題は集まってくれた人達が、また聴きたい、と思ってくれるか、だ。

だが正直、終了後のみなさんの顔を見る限り、お、またやってもいいのかな、という自信につながったかもしれない。

おかげさまでCDも予想を大幅に上回る売れ行き。みなさん、本当に有難う。

皆さんは僕の宝物です。宝者だろうか。

ところで雨。

僕は始まる時に言った「皆さんがお帰りになる頃には止んでいますよ」と。

事実、皆さんが集まってくれた頃には昼過ぎから降っていた雨も一時止み、、皆さんが中に入っている時少し雨の音が聴こえ、終了後はまた上がっていた。

何となく「晴れ男、多少は健在なり!」と云える程度にはなっていたと思う。

足を運んでくださった皆さんに感謝します。

タムちゃん、夏子さん、川端さん、そして前日から一緒に飲んでくれた佐々木君、そして、

何よりもレコーディングで散々骨を折ってくれた河合徹三氏。

今回は本当に骨を折って現れて、素晴らしい人間味あふれるプレイを聴かせてくれたことに感謝。

僕自身にとっても楽しい二日間、そして楽しい音楽会でした。

5月も終わります

先日、電動キックボードの事を朝の番組で取り上げていた。

テレビはその時間くらいしか観ないので、昼も夜も取り上げているんだろう。

事故が多発しているというが、もう最初から分かり切っていることだろうが。

ああいうものを軽い気持ちで承認する奴ってきっと、街に出たことがない奴なんだろうなぁ。

自転車の滅茶苦茶な走行状況を知っていれば、その上、別な危険なものまで歩道を走らせる、などという発想は生まれないだろう。

明らかに利権がらみか、自分たちはそんなところを歩かないから関係ないだろう、とふんぞり返っているか、全く世の中のことを知らないか、この3点だろう。

大体、この手のものを決める奴と言うのは現場を知らない奴、という事は決まっているようだ。

医療の現場を知らない、飲食の現場を知らない、或いは知っていても知ったことではない、というスタンスか。

いずれにせよ、どこの国でもその国を治めている連中と世間との溝はとてつもなく深いものなんだろう。

ずっと見ていて、あの日本の総理大臣は小学生が将来「総理大臣になりたい」と言った(今は違うのかな)そのままの感じがする。

要するに小学生レベルの総理大臣という感じだ。

小学生レベルというと、先日思わず笑ってしまったのが「北の汚物風船」だ。

これ、正に小学生のいたずら程度の事なので、本当に笑ってしまった。

僕らが子供のころ田んぼのあぜ道に点在する「肥溜」に石を投げては遊んでいた、あの70年も前のことを思い出す。

それをまじな顔をして張り切って正しい事をしている、などというような事を言う国のトップ。頭の中、どうなっているんだろう。

結局「お前のかあちゃんでべそ!」くらいの考えで人々が苦しんでいるのだったら、たまったもんじゃない。

やっぱりテクノロジーも進歩し、なんでも便利になり、とてつもない速さで東京から大阪まで行けるようになり、ミサイルはどんどん遠くまで飛ぶようになり、いろんなところで人間の人間たるところは確実に失われていくような気もする。

いや、決して不便が人間らしさを維持するとは言っていない。

僕らは常に進歩、進化の恩恵を受けてきたけど、何にせよ両面を知る、という事が大切な事なんだろうな、という事はつくづく感じる。

「書を捨てよ、町へ出よう」という有名な言葉もあるが、政治に携わるものには

「欲を捨てよ、町へ出よう」がぴったりだ。

でも残念ながら町でも欲のかたまりになるんだろうなぁ、あの人達。

明日から安中に出掛けます。

そこでニュース。安中の住宅にクマ出没。

お酒大好き、心臓を始めとする病のエキスパート、その上バイタリティ溢れる友人が注意喚起をしてくれました。

すかさず「ディズニーランドではクマがバンジョー弾いています」

と返しておきました。

言葉

今までに聞いた言葉の中には、相当前のことでも、そのシーンまで想い出すくらいクリアに残っているものが有る。

感動した言葉とか、人生を変えたかもしれない言葉とか、偉人の言葉とかいろいろあるだろうが、今回は、ある動作をするたびに想い出すような、大したことではない、それでも何故か忘れられない言葉について書いてみようかな。

まず、僕は朝必ず一杯のコーヒーを淹れる。

それはほとんどの場合顆粒状のインスタントコーヒー。

そこにホイップしたミルクを入れて飲む。

そこで、想い出すのが京都産業大ブルーリッジマウンテンボーイズの合宿でのこと。

僕が先輩の細谷さんにコーヒーを淹れた時の事である。

同じく顆粒状のコーヒーをスプーン2杯入れたその時、細谷さんが言った。

「あ、お前、それけっこう濃いぞ!」

何故かその口調から声から全て物凄く残っている。

なので、今でも朝、スプーンに取ったコーヒーを見つめて独り言「あ、お前、それけっこう濃いぞ!」なんて自分自身に呟いてしまう。

省ちゃんの言葉なんか数えたらきりがないかもしれないけど、僕にはシャワーを浴びる時必ず想い出す言葉がある。

省ちゃんが嬉しそうに「お前、人間の身体でいちばん汚いところどこか知ってるか?」と言ったが、恐らく彼は僕が「股か?尻か?」と答えると期待していたんだろう。

「どこ?」と言うとまたもや嬉しそうに「わきの下や」と言った。

再び僕はシャワーの時「わきの下や」と呟いてしまう。

うんと昔に見た西部劇の映画で、主人公が男の子に「耳の後ろを良く洗え」と言っていたこともついでに想い出すが、あの省ちゃんの嬉しそうな顔はよく覚えている。

沢山の人に出会って、もちろん覚えている言葉は沢山あるけど、なんか自分でも同じ言葉を呟いて見たくなるなんておかしいな、と思ってしまう。

そう言えば、同じく省ちゃんが言っていた。

「髭は朝7時から伸び始めるんや」

本当かな?でも、それ以来僕は7時過ぎないと髭は剃らない。

ま、あまり4時や5時に剃ることもないけど…。

なんというタイトルだろうか、と思う人もいるだろう。

僕自身、もう少し良いタイトルが無いか、と迷ったが、ま、いいか。

実を言うと、先日、朝早く高齢の(お~なんでこんな風に変換されるんだ)恒例のウォーキングに出て、いつものお寺の階段(大人の階段ではない)を駆け上がり、ぐるっと一回りして、もう一度階段を…と思っていたところに、ふと奇妙な物体を発見した。

まるでヒモか糸のように細いもの。色は黒。

「うん?ミミズ?」と思ったがよく見ると頭が三角形で大きい。

子どもの蛇だ。

長さは15㎝ほど。いや、ピンと伸ばせば20㎝はあったかも。

胴回りは多分5㎜もなさそう。

本当に小さい蛇がじっとしていた。

このままでは踏まれてしまう、と思い、落ちていた葉っぱでつついて脇に寄せてみた。

通りかかったジョギング中の若者が「お、蛇ですね。可愛い!」と言った。

確かに僕も可愛いと思ったが、蛇を見てそんな風に思ったのは初めてだ。

勿論、子蛇(こんな言い方あるんだろうか)だからだろうが、大きかったら思わず逃げただろう。

そう言えば、まだ小さかったころ、家の大掃除をしていた父が脚立から飛び降りて「棚から蛇(牡丹餅ではない)が出て来てペロッとなめられた」と言った。

そしてその蛇は困ったことに雨戸のレールの処に入っていってしまった。

そこで近くの農家の知り合いを呼んでつかまえてもらったが、それは1mほどもあるアオダイショウだった。

父も驚いたが、多分蛇も驚いただろう。

足が沢山ある奴も苦手だが、ツルツルと胴体で這うのも苦手だ。

しかし、今回の蛇は連れて帰りたかったくらいに可愛かった。

でも、あれって将来どれくらいの大きさになるんだろうか?

何を食べさせたらいいんだろうか?

なんて考えると、取りあえず無事に生きていてくれたらいいかな、と思うだけだ。

コミュニケーション

先日、あるコンビニでこういうことがあった。

コーヒーをレジでお願いして、ちょっとしたウオークインというのかな、座るスペースが奥の方にあり、少しそこに座るか、とその時に思っていた。

そしてそのスペースに背を向けるところにコーヒーのマシンがある。

コーヒーがカップに注がれていく様子をみながら、ふと、そのスペースに眼をやると、こう書いてある。

「このスペースをご利用の方はご購入時にお声がけください」

そうか、と思い、先ほどコーヒーを買ったのと同じ店員さんに「すみません、ここに座っても良いですか?」と尋ねたところ、帰ってきた答えが

「購入時に申告していただくことになっております。まぁ、今日は空いているし構いません」

その時はそんなに嫌な気はしなかったが、徐々に煮え切らない気持ちになった。

その理由は、

レジのところにはそれが明記されていない事。

入り口からレジに立てばそのスペースは見えるがそのような但し書きはそこからは見えない。

これはシステムの誤りではないか。

そしてもう一点。

店員さんの言葉不足、というかコミュニケーション能力だ。僕だったら、

「あ、どうぞ使ってください。次からご購入時に申し出てくださいね」と、まず、自分の方の理論をつき出すのではなく、相手を立ててから実はこう言う事になっております、という説明をする。

そうなれば当然「あ、そうなんだ。有難う。次はそこで言うよ」となる。

細かい話だが、コミュニケーション能力に欠けているのか、自分の状況を先ず言い放つ人と言うのは増えてきたのかもしれないし、そういう人は増えてきているので、みんなそれで当たり前だと思っているのか、よくわからない。

但し、これを指摘すると、今流行りの「カスハラ」と思われてしまうのだろうか。

春夏秋冬

この言葉も消えつつあるような…。

昔は絶妙な配分だったような気がするが、このところ日本の夏は長い。

もう5~10月は夏だという感じがする。

一年の半分は夏。まだ常夏の島というわけではないが、そのうちそうなるかも。

だが、冬は冬でとんでもない量の雪が降る。

そして、温暖化という事が問題になってからもう何年になるのだろう。

確かに文明の進歩とともにある程度は仕方のないことかもしれない。

その「ある程度」というのはどの程度かよく分からないが。

しかし、僕が思うには、世界に点在しているバカ共がミサイルを撃ちあげては悦に浸り、また別なバカ共は爆弾をあっちこっちに落として破壊しまくっているが、こういったことも温暖化に一役買っているんではないかなぁ。

そりゃあ誰が考えても暑くなるはずだ。

爆弾って多分熱いと思うので。

それだけではない。ほとんどの武器は使えば多分熱を発するだろう。

あのバカ共がいなくなったらそれこそ「ある程度」で推移していけるんじゃないかな。

来年にはまた大規模な太陽フレアが…という噂もある。

あれ、破裂したらもう有無を言わせず終わりだ。

楽で良いだろうけど。

さて、地球っていつまで持つだろう。

いろんなことで終焉に近づいているような気もする。

俺が先か、地球が先か…なんてことはないか。

こんな壮大なスケール、言ってみればどうにも対処できない事柄を考えながら、逮捕された「なんとかの党」の連中を見ているとほとんど「蚤の糞以下」だ。

あれを政党として認める選挙管理体制っていったいどうなっているんだろう。

ただ騒ぎたい連中、有名になりたい奴を政界に送り出す無能さはいったい何なんだろう。

壮大な宇宙の危機感と蚤の糞みたいな連中を並べている自分も嫌になってくる。

今回の題目「春夏秋冬」はいったいどこへいったんだろう。

やっぱり消えつつあるんだろうか…。

5月

偉大なキダタローが亡くなったと聞いた。

直接的な接点はなかったが、その名前を聞くと同じように才気あふれる木田ちゃんを思い出す。

考えてみれば5月18日。

当時31歳だった?若かったなぁ。驚くことに44年前?

僕も省悟も30歳だった。

3人で夜のすすきのをふらふらと歩いてホテルに戻ったことをよく思い出す。

神戸国際会館の帰り、木田ちゃんが借りてきたフェアレディ―Zで3人ワイワイ言いながら帰ってきたなぁ。

石川さん(鷹彦さん)と4人でつまらない遊びを考えだしたこともよく覚えている。

いや、僕ら4人は結構楽しんだが。

木田ちゃんは僕や省悟よりもひとつ年上。

でも、いつもにこやかに一歩引いているようなところがある人だったなぁ。

そして、どこかすっとぼけた人だった。

俗にいう天才ってあんな感じかな?

しつこいようだが….あれから44年?

近所

いつもウオーキングをしているコースに風変わりな家がある。

アパート然としているが、その玄関には無数の靴が重なり合うように置かれている。

いや、脱ぎ捨てられている。

ある靴は廊下まで、ある靴は外にまで飛び出している。

推定50~60足。

因みに玄関はいつも開いている。暗くなっても、だ。

作りが普通のちょっと大きめの家、といった見かけなので、もしかしたら何かの教室で多くの人が集まっているのかな?と、最初は思っていた。

が、どうやらそこには外国人が一杯住んでいるようだ。

アパートだったわけだ。

そして横の方の軒下にはおよそ4~50着の洗濯ものがいつもかかっている。

勿論、僕も雨の日には通らないが、曇った日でも必ず大量の洗濯ものがぶら下がっている。

あまり人を見かけないのでみんな仕事に行っているのだろう。

数回、インド系の人を見たので、そうか外国人向けのアパートだと分かったわけだ。

どれだけの人数が居るか分からないが、靴の数を見るに15人以上は住んでいるのかな?

同じ国の人かな?

アメリカに居る時、メキシコ人のアパートに行った。

出て来るわ、出て来るわ、7~8人の同居人。2ベッドルームくらいのそれほど大きくない部屋にみんなで住んでいるらしい。

5人くらいが「ホセ」だった。

マイクの所も彼以外は家族のメンバーだったが7人くらいで住んでいたな。

どこもみんな仕事に出掛けるし昼はがら空きになる。

ハリーさんも言っていた「誰か一人が先に来て、仕事をしながらリサーチを重ね、みんなを呼んで、それ!とばかりに仕事に繰り出す」

凄いパワーだな。

この日本でもみんながんばっているんだなぁ。

円安はかなり痛いだろうなぁ。

なんていうことを考えながら、今日も乱雑に脱ぎ捨てられている靴を横目で見ながら歩く。

今度、数を数えてみようかな…て、そんなことをして何になる?

いや、いっそのこと綺麗に揃えておいてあげるか…て、単なる怪しいおじさんだ。

テレビ

ここ最近、テレビをつけることがほとんどなくなった。

勿論、電気代の節約もあるが、あまりに馬鹿げている企画が多すぎるからだ。

それでもニュースは見るが、ある一定の時間を過ぎるとほとんどが食レポになるので、よっぽど興味が湧かない限り消してしまう。

あ、それとドジャースやっているかな?と思ってつけてみることはある。

また山本が打たれている。大谷、今日は全然だめだなぁ。観るの止めよう…とか。

後はBSなどで時々興味深いドキュメンタリーを観たり。

中にはとてもためになる企画もあるし。

知らなかったことや、あらためて確認できることなど、たまには良いものだ。

しかし、もう何度もおなじことを書いているかもしれないが、飢えた子供たちや、血まみれで運ばれている人たちの映像の後で、芸能人が食べて食べて食べつくす!なんていう番組の宣伝を見てしまうと、正直「バカか、こいつら」とか思ってしまう。

あの大食いの企画だけはもう止めてほしい。

別に観なければ問題ないか。

しかし、日本人の7~8割は芸能人が美味しいもの食べているのを観るのが好きなのかなぁ。

それに、一般の人にしても自分がなにか食べているところを動画に撮って他人に見せている神経がよくわからない。

ま、世の中の動きと共に人間の感性も変わってきているのだろうし、一概に毛嫌いもできないのだが。

小学生の頃、初めて家にテレビが来た時のワクワク感はよく覚えている。

それまでは街頭テレビで…いや、何を見ていたのかは覚えていない。

近所のお米屋さんの軒先で相撲をみたような覚えもあるような、無いような…。

ビートルズの来日時は数人の友達が僕の家に集まって食い入るように画面を観ていた。

あんまりよく見えなかったが。

アポロ11号、月面着陸の時も興奮してみていたなぁ。

そう言えばこんなジョークが有った「アポロ13号はフォレスト・ガンプが操縦してたんだ!じゃぁ問題が起きても仕方ない」

話がそれたけど、以後、中東の戦争はテレビでオンエアーされるまでになったし、9・11は日本の人達が映画の宣伝かと思ったらしい。

これからも日本のテレビ業界は今の様な感じでいくのかなぁ。

まぁ、何も考えなくていい、というコンセプトなら今のままでいいか。

Back to Banjo 詳細 後編

9   Steam Powered Aereo Plane

スティーム・パワード・エアロプレイン、John Hartfordの素晴らしいアルバムAereo Plainから。アルバムタイトルはPlainそして曲はPlaneよく分からない。とに角名曲中の名曲といえるだろう。そして彼の、彼等の(タット・テイラー、ノーマン・ブレイク、ヴァッサー・クレメンツ、ランディ・スクラッグス)演奏も素晴らしく、このアルバムはある意味ブルーグラス音楽のバイブルのひとつ、と云えるかもしれない。

因みに彼は12月30日生まれ。1937年というから丁度一回り違いだ。

この曲からベースの河合徹三氏が音に厚みを、そして小気味よいリズムを加えてくれた。

10   Misty / Sleepwalk

超有名なジャズ・スタンダード。何も言う事はないが、こういう曲をバンジョーで考えるのは大好きだ。2曲目のスリープウォークも、バンジョーで演奏すること自体普通では考えられない事だ。元々スティールギターの曲で、リッチー・ヴァレンスの伝記映画「ラ・バンバ」で冒頭から使われていたのが凄く印象的だった。アメリカで観た映画で、映画館の中はヒスパニック系の子供たちが(小学生だろうか)先生に連れられて、映画鑑賞の時間を過ごしていた。そして映画が終わった途端、女の子の大きな泣き声が聞こえたことをよく覚えている。

11   Irish Washerwoman / Morrison’s

アイルランドの洗濯女というこの曲は、恐らく世界で最も知られているアイリッシュ・ジグだろう。なので,ほとんど演奏したことはない。ここにきて何故か5弦バンジョーを使ってみたら意外とマッチした。敢えて少しストレート気味に弾いてみた。

同じく2曲目のモリソンズもよく知られている、言うなれば初心者曲である。敢えてその二つをつなげてみたら、なかなかうまくいったような気がする。何となくこれを録音するのは恥ずかしいかな?と感じていたが、出来上がりを聴いてみると、どうしてどうして、どちらもなかなかいい曲じゃないか!と思えるようにもなってきたから不思議だ。  

12 Tribute to Peadar O’Donnell

トリビュート・トゥ・パダー・オドンネル。この曲を初めて聴いたのは随分昔だ。多分1985年のMoving Heartsのアルバムで。その時から何故か頭から離れることはなかった。特に最初のエアーの部分はいつかギターで弾きたいと思っていたので、それは既に録音済みだが。今回はバンジョーで、と考えた。どうしてもギターの様なふくらみを持った音にはならないが、何とかなるかな?とおもいながら作ってみた。これは音の延びる楽器向きだとは思うがこの際、好きな曲という事で。続くジグはいかにもドーナル・ラニーの好みだ。ひたすらややこしく作られている。こういうものにハマってしまうと大変だ。

13  Time After Time

タイム・アフター・タイムは僕がポップスの中でも最も好きな歌の1つ。このアルバムShe’s So Unusualは僕の愛聴盤だった。この手のものではJanis JoplinのCheap Thrills以来の興奮だったかもしれない。

14  Back to Banjo

敢えてこのタイトルにしてみた。メドレーでロンサムロード・ブルース、シャッキン・ザ・コーン、グランド・スピード、ディア・オールド・ディキシー、そしてフォギー・マウンテン・ブレイクダウン、これは練習が必要だった。これらの曲はもうほとんど弾いていなかったからだ。フォギー…は別格だったが。スリーフィンガースタイル、正確にはスクラッグス・スタイル。一筋縄ではいかない。1964年頃、初めてバンジョーの音色を聴いた時の衝撃を、そして興奮を思い出して何度も何度も弾いてみたが、あの頃のようにはいかない。100回弾いても飽きなかったあの頃。今も飽きてしまうわけではないが、そこまでの根気が続かない。他にしたいことがあるわけでもないのに。他にしなければいけないことがあるわけでもないのに。それでもBack to Banjoと謳った以上頑張らなくては、と久々にすっ飛ばしを決め込み、少しは頑張った…と思う。

15 Shenandoah

この曲に初めて出会ったのはミッチ・ミラー合唱団によるEP盤だったと記憶している。調べてみると1963年だそうだ。西部開拓史という映画のサウンドトラック。それにシェナンドーを歌っていたのはノーマン・ルボフ合唱団だそうだ。裏面の「ジョニーが凱旋するとき」がミッチ・ミラー合唱団だったようだ。実際にはそちらを聴きたくて購入したレコードだったのだろうか。あまりよく覚えていないが、A面のシェナンドーもいたく気に入ったものだった。そしてその頃からギターではよく弾いていたが、後に手に入れたバンジョーでもポロポロと弾いていた。Back in the Day…..

Back to Banjo 詳細 前編

ライナー・ノーツに書き切れなかった解説をここに掲載します。

Back to Banjo このタイトルに決めたストーリーについては、既にアルバムで書いたのですが、もう一つ候補が有りました。それは「Return to Banjo」

これを教えてくれたのはTaisukeでした。彼曰くBack to Banjoはそのストーリーが有れば変ではないけど、そのストーリーを知らなければ少し変。変というか、ワイドな意味合いが無くなる。おそらくその状況下にあって、バンジョーに戻ろう、という解釈と、さぁ、またバンジョーに戻ってみるか、というニュアンスの違い、という事。

おー、そうか、なるほど。難しいもんだ。でもここはその状況下に於いてその言葉から発したことなのでBack… で行っても大丈夫だろう、という結論に達しました。タイトルを決めるのもなかなか大変です。

ところで、表紙の写真についてここに書かせていただきます。

よく、あちらこちらの店で猫のキャラクター付きの商品を見かけては「何でも猫を使えば売れると思いやがって!」なんて文句を言っていた僕ですが、とうとうその波に遅ればせながら乗ってしまいました。

でも、ストーリーはこんな風に始まったのです。

2019年、夏の早朝、ウォーキングからの帰り道、近くの駐輪場あたりから子猫の鳴き声が聞こえてきました。

何気なしに覗いてみると、生後間もない子猫がじっとこちらを見ています。

ちょっと腕を伸ばしてみたら、すんなりと手の中に納まってしまいました。

困ってしまってワンワンワワンではなく、ニャンニャンニャニャンです。

取りあえず連れて帰り、ぬるま湯で身体を洗ってみました。

まっちゃ色の水がしたたり落ちて、血尿が出たかとビビリましたが、どうやらかなり汚れていたようでした。

すぐ希花さんに連絡をいれました。

「こんなのが落ちていたんだけど、どうしたらいい?」と。

そして取りあえず、動物病院で何かしらの処理をしていただきました。

その後、連れて帰ったのですが、かなりよくできた子猫で、泣かないし、用意したトイレでちゃんと用を足すし、とても大人しく、借りてきた猫のような猫です。

そこで何気なし、置いてあったグレートレイクスのヴァンガードの上に乗せてみました。

ライナーの表紙、白黒の写真が最初のショット。

少し恐れおののいている表情が伺われるのは、これの皮にされるんではないか?と思ったからでしょうか…てなわけないか。

表紙のショットは少し落ち着いて周りを見回すような仕草。

このCDのことを考え始めたのとほぼ同時に「そうだ!あの時の写真」と思ったのでした。

なお、現在この子は友人のアルマジロ君の伴侶となっています。

相変わらずとても大人しく、人当たりもよく、どこへ何時間連れて行っても何一つ文句も言わず、巷の噂では「飼い主より良くできた猫」と云われております。Got Banjo?

1 Got Banjo?

  Cripple Creek / Devil’s Dream / Cherokee Shuffle

クリプル・クリークはバンジョーの基本的チューンとでも云おうか、あまりマジに弾くこともないくらいに知られ過ぎてしまっていると感じるこの曲から敢えてスタートしてみた。久しぶりに弾くと、あ、やっぱりいい曲だな、なんて思ってしまう。デビルス・ドリームは、敬愛する故ビル・キースのスタイル。この曲はアイリッシュ・チューンのMason’s Apronと同系列のものと思われる。1984年にワシントンDCのグループ、Grazz Matazzのフィドラー、マイクと、二人でよくこの2曲を交互に演奏したものだった。チェロキー・シャッフルはアイルランドでも人気のある曲でジャムでも何故かたまに出てくる。美しいメロディーをもった曲だと思う。ロスト・インディアンというイースト・ケンタッキーに伝わる古いフィドル・チューンと同系列の曲。なお、このひとくくりのタイトルはCMの「Got Milk?」から取ったものです。この表現もちょっと古いな、と言われましたが、ま、古い人間ですから仕方ないかな。言葉も時代時代で変化するものですね。

2 Good Time Charlie’s Got the Blues

グッドタイム・チャーリー・ゴット・ザ・ブルース、日本語タイトルで「オールのない舟」というのもあるらしい。ダニー・オキーフ1967年の作品。グッドタイム・チャーリーとは一般的には「放蕩者」とか「気楽な男」とかそんな意味で使われるらしい。古い言葉だろうけど。この街に暮らすのは時間の無駄だと、多くの友人が街を出て行った。ある者は貨物列車で、ある者は飛行機で。確かに彼らは正しい。そこで勝者になる奴もいるし、敗者になる奴もいる。俺だっていつまでもこうしてはいられない、と思う事もあるけど、このままでも気楽でいいか。閉塞感と将来への不安。面白いことに歌詞の中では「もう俺も33にもなるし…」という部分が出てくる。33歳、僕はソフト・シューズを出した少し後だったか…。人生半ば。いろいろ考え始める頃か。そしてあきらめと自己肯定の中でまた歳をかさねていく。

3 Few Bob / The Harp and the Shamrock

ヒュー・ボブはあまりポピュラーな曲ではないが、綺麗なメロディーだと思う。ひょんなことからこんな曲を見つけるのは非常に面白いことだ。ハープ・アンド・シャムロックはとてもポピュラーな曲。これも綺麗なメロディーを持った曲だと思う。このようなGのホーンパイプは5弦バンジョーにとてもよく合うものだと感じる。

4 My Love She’s But a Lassie Yet / Mississippi Sawyer

マイラブ・シーズ・バット・ア・ラッシー・イェット、これは古いスコットランドの曲だが、ここではビル・キースの演奏から学んだメロディーをクロウハンマーで演奏してみた。かなり難易度が高く、小林氏は「頭のてっぺんが焦げそう」という実に的を得た表現をした。確かにそれくらいに複雑な右手と左手の組み合わせになっているかもしれないが、僕自身がメロディックスタイルからアレンジしたものなので仕方がない。原曲はかなりシンプルだ。ミシシッピー・ソウヤ―はかなりポピュラーなフィドル・チューン。これも一見シンプルそうに感じるがそこそこ難易度は高い。

5  Boyne Water / A Minor Breakdown

ボイン・ウォーターはAllison De Grootの演奏から学んだ。いろいろ調べてみると結構有名な曲で歌詞も付いているようだ。なかなかいいメロディーだな、と思う。マイナー・ブレークダウンはGreen Brier BoysのBob Yellinが書いた、とても東洋的、或いは中東的な曲。それもそのはず、彼は作曲当初まだタイトルを決めかねていて「The Mount Sinai Breakdown」と呼んでいたそうだ。実際はもう少し、というか「かなり」ともいえるくらいに早く、そして高いキーで演奏されているが、ここでは前曲とのかみ合わせを考えて少しペースを落としてみた。長年お気に入りの曲のひとつだ。

余談だが、彼の使用していたバンジョーはGibson RB-4であり、同じくバンジョープレイヤーのRoger Sprungのアドバイスで1958年に$125で購入したもの、という事らしい。

6  La Bruxa

ラ・ブルハ、これは「魔女」というとても官能的な曲だ。ガリシアのバンドMilladoiroのメンバーAnton Seoaneの作品。初めてこの曲に出会ったのはJody’s Heavenのレコーディングの時だった。まさか僕自身、この曲をバンジョーで演奏するとは思っていなかったが、何気なく弾いてみたところ「なかなかいいかな?」と思い、今回録音することにした。

7  Gold Ring

大好きなジグ。初めて聴いたのは多分Boys of the Loughのレコーディングだっただろう。アイリッシュミュージックを始めるよりもかなり前から知っていたものだ。いくつかのバージョンがあるがこのバージョンが弾きやすかった。2弦をCにしたマウンテンマイナーチューニングで試したところしっかりハマってくれたようだ。どこもかしこも同じようなところを行ったり来たりする、こういったチューンを何百曲も覚えることがこの音楽の醍醐味でもある。また、そのような曲を如何に盛り上げるかを考えながら伴奏をするのも同じくこの音楽の醍醐味である。

8   Calum’s Road / Planxty Fitzgerald

カルムス・ロード、Donald Shawの作品。これはバンジョー弾きのBrian McGrathから学んだ。最初聴いた時はなんかちょっとダサイ曲だな…なんて思っていたが徐々にハマってきた。そういう曲って結構あるかもしれない。プランクスティ・フィッツジェラルドはハープ奏者のMichael Rooneyの曲。この人いい曲を一杯書いている。アイリッシュ・ハープの代名詞ともいえる人だ。これもつい最近East West Fiddlesで録音したが、ここではバンジョーで、また違ったいい味が出たと思う。コード進行も結構きれいな感じ。

後編に続く…

発送

Back to Banjo 予想よりも早く出来上がったので、連休明けと共に、ご入金された方から順次、発送を開始させていただきました。

因みに、ニュースなどでも順次という言葉が出るとついつい返事をしてしまいそうになりますが、それはともかく、今週中(5月9~10日)くらいにはほとんどの方に届くと思います。

遠方の方にも来週早々届くと思います。郵便局の方々に感謝!

さて、ここでひとつお知らせしておきます。

言ってみれば個人的なお知らせなので、ここに書く必要があるかどうかは疑問ですが。

今回、ご入金された方の中に「城田純二」としてお振込みされた方がいらっしゃいます。

僕には身に覚えがないので、おそらく焦って僕の名前を入力してしまったと思いますが、

お振り込みのお知らせには名前しか表示されないので全く手がかりが有りません。

「入金は済ませたのにCDが届きません」という問い合わせまで待っても良いのですが、

もし、身に覚えのある方、或いはいくら待っても届かない、という方がいらっしゃったら、

何月なん日にお振込みされたかを明記の上、10strings迄、メールを頂けたら幸いです。

このコラムを読まれている方であることを祈って。

ところで、暑くなってきましたね。

冷麺が食べたくなる季節。

ベトナムサンドイッチ作りに凝っているのですが、当地で500人超の食中毒が発生した、というニュースが飛び込んできました。

夏に限ったことではありませんが、これからの季節、特に気を付けましょう。

通常の衛生観念ではこの気候変動には追い付かないと感じます。

2024年

とうとうアメリカの大学でまた学生運動が起こった。

しかし、ベトナム戦争当時のそれとは明らかに違う。

当時のアメリカは、そして徴兵を控えていた学生たちにはもっと深刻な状況だっただろう。

今回のデモは、間接的(と言ってしまえば確かにそうである)な戦争への加担に対するものである、という部分が大きい。

しかし日本は平和だ。

政治家は我が身の懐を肥やすことくらいしか考えていないし、一般の人は芸能人が食事をしているのを見るのが好きみたいだし、本当に平和だなぁと思ってしまう。

僕が本当にそれを感じたのは、やはりアメリカに居た時だったろうか。

人種差別的なことも多くのシーンで感じたし、ベトナムからの帰還兵も沢山知っていたし。

コロンバスデー(コロンバスが最初の航海を始めた日)にビルの谷間をぬって飛ぶブルーエンゼルスの爆音に、耳を塞いで叫び声をあげ、キッチンの隅に隠れたベトナム人の若い子。

当時はもうベトナム戦争から随分と時は経っていたが、周りのほとんどはボート・ピープルだった。

ひょっとしたら彼らにとってはもう過去の事になりつつあったのかな。それでも心の傷はそう簡単に癒えることはないだろう。

初めて聞いた話なんかも含めて、僕自身は時代を引き戻されたように感じていたのかもしれない。

UCバークレーのキャンパスを歩いていた時も「サークルゲーム」が頭の中をクルクル回っていた覚えがある。

今起きている出来事を見て、少しばかり思い出してしまった。

世界はどんどん悪い方向に向かっている様な気もするが、僕が体験した9・11当時の静まり返ったアメリカ、その後のイラク戦争…全てが繫がっている…と感じる。

僕らがこの世を去った後、いったいどうなっているんだろうか。

母親、ピアノ、ウイスキー

2023年の6月に、フジコ・ヘミングをテレビ番組で観ながら、ウイスキーを呑み、昔を想い出した、と云うようなことを書いた。

幼少期の自分と母親とピアノの関係が、とてもよく似ていたことも有ったのだろうか。

そして心に沁みるピアノ演奏に乾杯でもしたかったのだろうか。

なぜあんなにも打ち込んでいた(だろう)ピアノを僕は止めたんだろうか。

それほどまでに母親の死はショックだったのだろうか。

ちょうどまだよく分からない年齢から、少しずついろんなことが分かってくる、というか自己が形成されていく年齢だったんだろうな。

自分の意識と無意識が交錯するような…。

一旦は手放してしまった音楽と、結局は人生を共に歩んで来た。

年齢のせいかそんな昔の事などをよく想い出したりするが、フジコ・ヘミングのドキュメンタリーは刺さるものがあった。

92歳か…。

また今晩はウイスキーでも…って、あ、なかったんだ。

もう5月になってしまった

今日気がついたのだが、1975年の4月30日がベトナム戦争終結の日という事らしい。

僕らの世代、最も身近な出来事のひとつだったであろうベトナム戦争。

何も知らずに呑気に反戦歌なんか歌ったりしていた。

後に多くのベトナム人との接点があった僕としては考えることが多々あった。

それはそれで自己を責めることではないし、他者を責めることでもないと思うが。

何をしたところでバカは止められない。

政治的、宗教的な関わりがあるのでひとくくりにして「バカ」とは言えないが、単純に考えてもバカであることに間違いはない。

この世に人類が誕生してからは仕方のないことだろうか。

日本でもいまだに原爆の影響で苦しむ人がいるように、ベトナムでもいまだに枯葉剤の影響で苦しんでいる人が一杯いる。

分かりきっていることなのに忘れられていく。

忘れて次に進むことは大切だが、忘れて繰り返すのはダメだろう。

今起きていることはその連続だ。

今朝、ニュース番組で、戦争終結から49年のベトナムという特集をやっていて、ふと、こんなことを感じてしまった。

人類は進化しているのかもしれないが、進歩しているのだろうか。

しかし、進化と進歩の定義は難しい。

大谷は進化している人類の姿だろうか?

いや、あれは日ごろの努力で進歩している結果なんだろう。

そしてそれが進化へと繋がっていくんだろう。

人類が進化したら5秒台で100m走る奴なんて出てくるだろうか?

200㎞のボールを投げるピッチャーなんて出てきたら、バッターボックスには危なくて立てないだろうなぁ…なんてしょうもないことを考えてしまう。

あ~僕ももう少し進歩しなければ…。

なんだかわけが分からなくなってきたのでこの辺で後退しますが、ベトナム戦争終結から49年。

約半世紀前、ナターシャーセブンは日本全国を旅していました。

双子

最近よく行っているスーパーのアジア人トリオ、ニャン、テー、オウの3人組の内、オウさんが双子だという事が判明した。

トリオではなくクヮルテットだったわけだ。

「なんか今日は雰囲気が違うね」と言ったら「あたしたち双子です」という答えが返ってきた。

僕は今迄どちらとよく話をしていたんだろう。

どちらも、だったんだろうけど全然気がつかなかった。

むかし、アメリカで勤めていたレストランに同じく双子のウエイトレスがいた。

シャーニーとシャーレットという姉妹だったが、時々お客さんが戸惑いを見せていた。

この二人は割と分かり易く、性格も全く正反対だった。

シャーレットは見た感じ地味だったけど、かなり行動的だったが、シャーニーは派手な見た目のわりに大人しかったようだった。

2人が一緒に働いている時が良く有ったのでこちらは分かり易かったが、オウさんの場合、次回スーパーに行ったらシフトの事など知らないし、多分どっちだか分からない。

取りあえずオウさん、と言っておけばいいか。

ずいぶん前、僕らは、おすぎとピーコのふたりと、時々永さん繋がりで一緒になる事があったが、その時も「あ、久しぶり」と言うと「さっき会ったじゃない」とか言われたものだ。

省ちゃんにはその違いが分かったようだが、僕にはさっぱりだった。

僕の周りにはそれくらいだったかな。

ところで今回の「双子」というコラムには関係ない話を思い出した。

といえども、シャーニーから聞いた話。

ある時、彼女の友人がラス・ベガスに行っていて、夜そこそこ遅い時間にホテルのエレベーターに乗った。

その時は一人で、早く扉が閉まらないかなぁ、と思っていたそうだが、案の定、閉まる直前に屈強そうな黒人が二人乗ってきた。

彼女は一瞬固まったそうだが、その時彼らが発した言葉で一層恐怖に襲われた。

「Hit the Floor」「床に伏せろ」彼女は、命ばかりは御助けを、とばかり床に伏せたそうだ。

それを見た黒人の二人はポカンとして「What are you doin’ lady?」と。

なんと彼らの発した言葉は「Hit Fourth」「4階を押してくれ」と言うものだった。

状況が状況だっただけに分からないことはないが、ネイティブスピーカーでもそんなことがあるんだなぁ、と感心してしまった。だが、話はそれで終わらない。

翌朝、チェックアウトの為にフロントに行った彼女。また驚いた。

「料金は支払われております。はい、エディ・マーフィー様で」

なんと彼等、エディ・マーフィーのセキュリティだったのだ。

床に伏せた彼女、よっぽど哀れに見えたんだろうなぁ。

暑くなってきました

さて、ここしばらくはBack to Banjoに関することばかりでした。

録音ではさすがに少々疲れたようでしたが、これを調整するエンジニアの田村さんはもっと疲れるんじゃないかな。

僕は自分の事だし、あーだのこーだの要望を出せばいいけど、それをことごとく聞きながら、ずっとコンピューターの画面を見ながら、そして音を聴きながら答えていくわけなので、エンジニアは疲れると思う。

それに、常に別な顧客も抱えているのだろうし。

やっぱり本当に貴重な存在はどんなことにせよそれを支えてくれる人だ。

なので宅配の人やスーパーのレジなどで文句を言う人の神経がよく分からない。

明らかに「これは許せん」というような状況でない限りは普通に振る舞うべきだ。

その尺度は人それぞれかもしれないが、それを差し引いても、と思う事もある。

近所のコンビニに、もう10年も働いている、それもこの人、寝る時間あるのだろうか?と思うくらいにいつでも働いている女の子がいる。

しかもよく動く。すごく仕事ができそう。

ところが愛想がまるでない。

けっして態度が悪いわけではない。

ただただ余計なことは一切言わず、マニュアル通りの対応をするが、確かに仕事は出来そう。

一度だけ、ちょっとひょろっとしていて本田翼的なところがあるので「あんた本田翼みたいだね」と言ったら突然顔が真っ赤になって「あたしあんなに可愛くないです!」と言った。

10年でその時だけだ。余分な話をしたのは。

最近友人が、道路工事の場でよく立っている警備員の仕事を始めたが、話を聞く限りあれもかなり大変そうな仕事だ。

友人が始めたことがきっかけで、僕は必ず彼らに「お疲れ様です」と声をかけるようにしている。

何故ならば、今まではもう少し誰でも出来そうな仕事だと勘違いしていたからだ。

話は飛ぶが、よくスーパーなどで奥の部屋から売り場に出入りする従業員たちがお辞儀をしているのを見かけるが、あれ、要らないんじゃないかな、と僕は思う。

別にふんぞり返って出てくるようなこともないし、普通に出入りしたらいいんじゃないかなと思ってしまう。

眼鏡屋さんでお客さんの後ろ姿にいつまでも深々とお辞儀をする従業員たち。

新幹線で車両ごとにお辞儀をする乗務員たち。

スーパー開店時にズラッと並んでお辞儀。あれ、苦手だ。1分くらいなのかな。

駅にはスーパーの中を抜けて行くのでその時間は避けたい。

逆に「あなたたちのおかげで僕らの生活が成り立っているのです。なにもそこまで…」と言いたい。

「お客様は神様」を勘違いした昭和の名残、というのもあるんだろうな。

だいぶ暑くなってきました。

疲れはそれもあるのかもしれません。

僕はどちらかと言えば寒い方が好き。なんか気持ちがシャキッとするし。

なので冬も温かい部屋が苦手。

これからは今どころじゃないだろうな。

ドバイか東京か、どちらが暑いか、なんていう日が来るんだろうなぁ。

思い出す。あの口から吐く息が熱かったドバイのお昼時。

アラビアのロレンスを彷彿とさせる、砂漠にしずむぼんやりした太陽。

黄砂のせいもあるかもしれないが、よく似ている。

とりとめもない文章になったけど、疲れているという云い訳で……ダメか!

ご注文有難うございます

続々とご注文いただいております。

残りわずか、、、嘘です!嘘は政治の世界だけで充分です。

1か月先の発売ですが、早速ご注文いただき感謝です。

とか言うのも、僕はご存知のように古い人間で、ちゃんと注文が入っているだろうか?なんて自分だったら気になってしまうのです。

ツアー先の宿泊も僕が電話で予約を入れようとすると希花さんが言ったこと「ネットの方が記録が残る。電話じゃァ、聞いてない、と云われりゃハイそれまでよ(とは言わなかったが)」

それは確かに一理ある。

でも、なんか相手の声を聞く安心感というものに囚われてしまっていた。

今ではネットの方が安くなるということも分かってきたが。

他にはずっと前、サンフランシスコからニューヨークに行くとき、HISでチケットを買ったら「イーチケット」と云われて心の中で「悪いチケットってあるのかな」と思ったもんだ。

E ticket なるものを初めて使ったのもその時だった。

やっぱりなんか自分でチケットを持っていないと心配だった記憶がある。

世の中の変化になかなかついて行けない。

バーコードなるものを初めてみた時、省ちゃんと二人で「なんやろこれ?」といろんな角度から見たものだ。

今ではあのQRコードというやつ。あれいったいどうなっているんだろう。

しかし、これ、逆もまた真なり。

初めてカセットテープを見た希花さんが躊躇することなく耳に当てていたことを思うと、世の中面白いものだ。

結局何を言いたいかというと「安心してください(ご注文は)入ってます」

皆さん、有難うございます。

だいぶ首が伸びると思いますがしばらくお待ちください。

Back to Banjoご注文について

コラムで紹介させていただいた新たなアルバム「Back to Banjo」についてのご注文はこちらへどうぞ! よろしくお願い致します。

先行予約を開始いたします。

https://tenstrings.easy-myshop.jp

New Albumのお知らせ

4月って結構長く感じます。

それまでの、特に2月、3月あたりはどうしてか分かりませんが、あっという間に過ぎていったような気がしますが。

これも自分次第でしょうね。

さて、その4月に入ってからレコーディングをしておりました。

去年の夏頃から考えていたことですが。

人生も終わりに近づいて、ここらで今一度バンジョーをフィーチャーしたアルバムを、と思った事からでした。

これが城田純二名義の最後のアルバムになるのか、はたまた終わりの始まりなのか(バカボンパパみたいですね)それはまだ分かりませんが、いままでこの60年あまりを共に過ごしてきたバンジョーと、その演奏に活力を与えてくれた皆さんに感謝の気持ちを込めて作ったアルバムです。

タイトルは「Back to Banjo」

約54分、全編バンジョーが鳴りっぱなし。

速いブルーグラスチューンから、あまり5弦バンジョーでは弾かれてこなかったアイリッシュチューン、ポピュラーな曲からジャジーな曲まで、盛り沢山のこのアルバムはきっと皆さんに満足いただけると勝手に信じております。

本当に久しぶりのバンジョーに明け暮れた日々でした。

エンジニアの田村氏、ジャケットデザインを担当していただいた夏子さん、そしてアルバム後半にベースで参加していただいた河合氏。

彼等に支えられて良いアルバムになったと確信しております。

そしてなにより、皆さんの今までの支えが必要不可欠でした。

多分5月の中旬か後半にはリリースできると思います。

(今の処5月23日発売の予定)

ご注文方法や先行予約に関する情報は近々HPのCD案内に掲載いたします。

皆さん、どうかよろしくお願い致します。

我夢土下座と共に 2024年4月13日 西尾市

久しぶりの遠征は、言わずと知れた我夢土下座とのジョイント。

僕の大好きな人達だ。

1971年の頃から…記録によると9月くらいからの付き合いらしい。

とんでもない連中に関わってしまった、と言うのが最初の印象…だったと思う。

その辺のことは確か別な項目ですでに書いているはずだが。

みんな若かった。もちろん、僕なんか21歳?だったかな?計算すればすぐ分かるが、まぁいいだろう。とに角みんな若かった。

若い時からたぐさんは渋かった。無表情ともいえる淡々と歌うその様、歌声は心打つものがあった。

今回もじっくり聴かせてもらったし、もしかしたら初めてだったかもしれないが、まともにハモッていただいて一緒に唄った。

もちろん進ちゃんにも手伝ってもらったし、なんやかやメンバー全員の名前が出てこないし、顔と名前が一致しなかったりで申し訳ない。

僕は省ちゃんや進ちゃんほど彼等と繋がっていなかったので、無理もないと思うが。

彼等グループの織りなすサウンドはとても真面目で清らかな自然のイメージがある。

ブレンダン・ベグリーに連れて行かれた、大西洋を見下ろす崖。

そこで大自然の織りなすそのすべての音、音として聞こえてこない「なにか」までが音楽だ、と感じ、彼らの織りなすサウンドが僕の心の中でひとつになっていた。

そんな彼等との音楽会は僕にとっても至福のひとときとなったし、おそらく集まっていただいた皆さんにも喜んでいただいたことだろう。

数か月前、西尾の「て―さん」から「よー!我夢土下座と一緒にやらんか?どうやろか?」みたいなお話をいただいて、喜んで参加させていただくことにしたのは正解だった。

あんまりやり過ぎると飽きられてしまうかもしれないが、彼等もそうしょっちゅう出かけられないだろうし、お互い歳も取るし、またいつ出来るか分からないけど、またやりたいと思っている。

こんな機会を与えてくれた「てーさん」とその仲間たちに感謝だ。

そして我夢土下座も今のまま、歌を作り続け、歌い続けて、この大自然の中で生きていってほしい。

折しも今日、西尾から戻ってきたら、イランがイスラエルを攻撃した、というニュースが流れてきた。

せっかくの大自然を破壊することしか頭にない最低のバカどもはいつまでそんなことを続けるつもりなんだろう。

僕はジェイミー・フォックスの出ていた2007年の映画「The Kingdom」のラスト・シーンを思い出してしまうのだ。

それでも、我夢土下座との余韻に浸れる僕は幸せだと感じている。

あれよあれよと云う間に

光陰矢の如し、あれよあれよと云う間に…本当に気がついたらもうすぐ4月。

つい最近まで、ウオーキングをしていると「ホー…ホー…ホゲギョ」と、ぎこちない鳴き方をしているうぐいすがいた。

しばらくするとそれは「ホー、ホゲキョ」と変わっていた。

そろそろ「ホーホケキョ!」と変化を見せてくれるだろう。

ところで、ここのところ世間の風当たりがきつい。

僕はこう言うのだが、要するに風の強い日がやけに多いような気がする。

窓ガラスがピューピュー鳴ったり、ゴウゴウという風の音が聴こえたり、なんかが吹き飛んでいくような音も聞こえたりする。

毎回「春の嵐」のようだ。恋人よさようなら…♪は海の嵐…か。

世間では今、大谷、水原の事で大変。

どちらも珍しい苗字ではないので、こんな時に大谷家と水原家の結婚式なんてあったらとても面白いのになぁ、なんてあまり公には言えないことを考えてしまう。

しょうもないうそつき議員どもの裏金問題もかすむ位のビッグニュースだ。

あれも何だかうやむやになって、そのうち忘れられるんだろうなぁ。

嘘つきが嘘つきに密室で「嘘ついてないだろうな?」と問い合わせても無理がある、と思うのは僕だけだろうか。

さて、アメリカはまたトランプなんだろうか。

ネタニヤフとプーチンは現代のヒットラーのまま突き進むのだろうか。

挙げればきりがないほどあっちこっちでいろんな事が起き、また起きつつある。

願わくば、良い春になってほしい。

なんとなく、最近多い地震も怖いけど。

3月

あの地震からもう13年にもなる。

いまだに復興とは程遠い場所もあるだろうし、戻れない所もあるだろう。

その間に多くの議員は自身の懐を満たすことばかりを考えてきた。

挙句の果てに「覚えていない」「公金として使用した」などの逃げ口上や、白々しい嘘の連発を繰り返している。

とに角13年。

あの時は本当に怖かった。

立ち上がることもできなかったし、全てが壁から落ちた廊下をどのようにして外まで出たのか、すら…それこそ「記憶にございません」

薄々思い出すのが、近くのオフィスビルから沢山の人が出て来て、みんなが公園に集まったこと。

その公園の前にあるアパートの室外機が、余震が起こるたびに激しく揺れていたこと。

その時はまだ津波という情報は入ってこなかった、と思う。

しかし、やっぱり地震というのは怖い。

あれ?と思ったらもうアタフタしてしまう。

それに揺れが収まった後もなんか揺れている様な気がする。

皆さんもそれぞれに怖い思いをしたでしょうね。

あの地震の次の日だったか、いや、少したってからか僕は電車に乗って何処かに向かっていた。

何処かの駅でドアが開き、一見労務者風(この文言、大丈夫かな)のおじさんが丸めた新聞を持って入って来た。

さほど混んでいなかったので僕のすぐ近く、向かい側に座った。

すぐに新聞を拡げ、食い入るように見つめていた。

やがて彼は大きな声で「勝てねぇもんだなぁ!」と呟きにしては大きな独り言を発した。

僕は咄嗟に「おじさん、また競馬でスッたか」と心の中で思ってしまった。

するとしばらくして引き続きおじさんが大きな声で言った。

「いや~、自然の力とは恐ろしいもんだなぁ…勝てねぇもんだなぁ」

東北の地震の頃になると必ずおじさんを想い出すが、あの日、本当に辛い思いをした人達、そして今も辛い思いをしている人たちがなんとか幸せに生きていけるように願っている。

見つけた!

なんとキャッチ―なタイトルだろう。

先日、京都からナターシャーの元スタッフ、西田君がやって来た。

ここらではロッキードと呼ばれている彼。

通称名が「コーちゃん」なので、何故そう呼ばれているかはお分かりだろう。

因みに、越路吹雪も「コーちゃん」か…。

彼は、いつもSuicaを探している。

電車に乗る時、電車から降りる時、ポケットからありとあらゆるものを出しては、おかしいなぁ…と。

「さっき財布の中に入れていたけど」と言うと「ほんまか?」と言って今度は財布を探す。

世の中で探し物をすることほど無駄なことはないと思う。

「あれどこいったかな?」とハンガーにかけた上着のポケットを探る時。

絶対にありえない引き出しを開けてみる時。

しまいには冷蔵庫まで開けて財布を探したり…ま、あんまりないか。

僕は割と置き場所を決めている方だが、それでも急いでいたりすると想像もつかないところに置いてしまう事がある。

ロッキードコーちゃんだが、今回も見せてくれた。それも一日に何回も。

アメ横、皮製品の店でベルトを購入した彼。

省ちゃんの買い物の時のように僕は何を見るわけでもなく、店の中を眺めていたら、ふと目に入ったのが古びた皮の財布。

ショーウインドーの上に売り物のようにして置いてあったそれを、僕は「これも売り物?」

と、店の親父さんに訊いたら「それ、わしのや。そんなとこに…」と、コーちゃん。

そのアメ横に出掛けた時も改札口に入る時、出る時、やたらと時間がかかった。

そのおかげで僕はある物を見つけた。

仙台物産展。

なんと「萩の月」と堂々と書いた旗がたなびいているではないか。

まだ探し物に躍起になっているコーちゃんを無視して、僕はそちらの方に吸い寄せられてしまっていた。

つい先日、友人が送ってくれたばかりなのに、そうそう買えないので、また買ってしまおうと、甘いものに本当に目が無い自分を反省しながらも、何といっても萩の月だし、と言い訳をして購入。

やっぱり美味い、お、これはいつものスーパーのアジア人トリオ、ニャンちゃんと王さんとテ―さんにあげようと思い、持って行った。

僕もアメリカで働いていた経験上、よその国で働くのは大変だろうな、と思うので、この子達とはよく会話を楽しんだり、ちょっとしたお菓子を持って行ってあげたりしている。

そしたらテ―さんが、驚いたことに「あ、これ美味しいですよね。仙台のお菓子ですよね」と流暢な日本語で言った。

「おぬし、できるな!」というところだ。

しかし、美味しいお菓子は心を落ち着かせてくれる。

ところでロッキードコーちゃんだが、別れ際「それじゃぁね」と言いながら改札口まで来て、僕が中に入るとまたしても、後ろの方でポケットのものを全部出しながら首をかしげている。

しばらく待ったが一向に見つからないらしい。

ま、帰る方向も逆だし、先に行けばいいか、と手を振って階段を下りた。

戻ってから、立ち寄ったドクターサウンドの小林君に今日のお礼と、結局そういうわけでコーちゃんは置いてきてしまった、とメールしたらこう返事が来た。

「さっきお店で財布出した時、中にSuicaありましたよ」

※なお、コーちゃんは他に類をみないほどに気が利くし、動きも機敏だし、話も頓珍漢なことは無いので、いわゆる「天然」というところなんだろう。

「甘いもの」に関して

前回の「甘いもの」に関して、友人からコメントをもらった。

1人目は酒のみの人。

彼に甘いものは無縁のようだ。

血糖値に気を付けてください、と言っていたが彼曰く「今更高血糖になってもいろんな症状が出るのは10年くらい先」という事。

彼、お医者さんのお得意さんなのでやたらと詳しい。

因みに僕はこんなにも甘いものを好んで食べているが、いままでに血糖値とかで引っかかった事がない。

虫歯も65過ぎてから一回だけ。しかも一日で、一本だけなんかかぶせて終わりという簡単なものだった。

今ではそんなことも無いが、若い時はホールのチョコレートケーキをペロッと食べるくらいだったのに。

これ読んでいる彼はきっと吐きそうになっているだろう。

もう一人、萩の月を送ってくれた友人から。

「萩の月には省悟さんとの想い出もあるのですね」というコメント。

そうです。

彼も好きだったなぁ。

どちらも酒のみではなかったので、コンサート終了後もチョコレートパフェとか食べに行ったりした。

省悟はババロアもかなり好きだったようだ。

「ジジイになってもババロアとはこれ如何に」なんて言っていたかも。でもジジイにならなかった彼だった。

省悟とは絶対に二人でしか成立しない会話が有った。

省悟がめちゃくちゃトイレに行きたいときに「あ~もれそう。モレシャン先生や!」と言うと僕らのPAをやってくれていた人が決まって「旦那、友達やねん!」と言った。

それからはトイレに行きたいとき「あ~旦那友達や!」と言うようになった。

これ、絶対他の人には分からない。

因みに、モレシャン先生とはフランソア・モレシャンの事。

また、サインなどしている時、終わってからマジックのキャップを探して必ず交わす言葉があった。

「キャップはどこや」「ひさごやろ」

これ「事件記者」という50年代後半から60年代半ばまでのテレビ番組で、主役の相沢キャップが必ず「ひさご」という小料理屋に行っていたからだ。

そのうち「ひさごはどこや」ということになり、これまた他の人には絶対にわからない会話となる。

急須は「バンジ」これは分かるかな?

でも関係ない人に突然「すみません。バンジはどこですか?」と訊いても無理だろう。

「甘いもの」を書いたおかげでまた思い出してしまった。

甘いもの

最近また甘いものをよく食べるようになった、と感じている。

自分で「感じている」というのもおかしな話だが。

お正月の伊達巻も今年は自分で作ってみた。

非常に簡単で、しかも市販のものとあまり変わらない見かけのものが出来た。

ま、高級なものと比べると味はフラットかも知れないけど、ああいうものは多分良い魚のすり身と厳選された卵。出汁も厳選されたもの、とか、そういった感じだろう。

僕はスーパーで買ったはんぺん、安い卵。出汁もその辺で売っているものを使うけど、充分満足できるものになった。

伊達巻の違いが分かる男、なんて…。

ホットケーキも100均でリングみたいなやつを買ってきて、そこに流し込んで蓋をして15分位待って背の高い真ん丸のホットケーキにする。

これがまたおしゃれなお店で出している様な感じに出来るんだなぁ。

自分で作ることも好きだけど、最近のコンビニのスイーツはあなどれない。

洋菓子も和菓子もちょっと食べたくなったら手軽に買うことが出来るし、値段だって比較的安い。

日本はたいしたものだ。

でも、やっぱり東京で言えば、大國屋のおだんご、谷口商店の甘納豆、ポルトガル菓子ド―ス・イスピーガのプリン、京都は出町双葉の豆大福などは絶品。

静岡発祥のキルフェボンのタルトとか、言い始めたらきりがない。

八天堂のクリームパンとか…饅頭好きの省悟も好きだろうなぁ。

東芝で107ソングブックシリーズの録音が終わったら、プールに寒天やプリンを作って飛び込みたいとか二人で言っていたなぁ。

最近想い出したもので、萩の月、というお菓子がある。

仙台のお菓子だが、僕はこんなことをよく覚えている。

ナターシャーで東北をまわっていた時、汽車の窓から…ハンカチは振っていない…何気なく、流れていく外の景色を見ていた。

見渡す限りの田んぼだった。

その前の晩だったか、前の前の晩だったか、省悟と二人でホテルの部屋でテレビを観ていた。

なんかUFOに連れ去られたという農家のおじさんが出ていた。

おじさん、こう言っていた。

「なんか訳の分かんねーうちに光さ浴びせられただ。どれくらいの時間が経ったのか分かんねーけど、ふっと気がついたら地上に立っていた。辺りを見回してみたら、田んぼだなぁ。おら驚いた。田んぼだなぁ」

それを見て二人で笑い転げて「田んぼだなぁ」といいながら寝た。

汽車の窓から二人で「田んぼだなぁ」と何回言っただろうか。

そんな中、ある看板が目に付いた。

仙台銘菓萩の月、と書かれていた看板に超美味しそうなものの写真がドカーンと。

まるで月に初めて降り立った宇宙飛行士が、月の石に呼ばれたようだった、という逸話にも似た感覚でその看板を凝視してしまった。

「省悟!寝ている場合ではない。あれを見ろ!」「なんだ。あ、田んぼだなぁ」

「いや、田んぼじゃなくてあの看板」

汽車はそれほど早くなかったので二人でよだれこそたらさなかったが見つめてしまった。

恐らく、松任谷由実よりも早く僕らが見つけたかもしれない。

その萩の月、東京ではなかなか手に入らないが、つい先日、友人が送ってくれた。

埼玉の人で、仙台物産展みたいなのがやっていてそこで手に入れました、とわざわざ送ってくれたのだ。

開けてびっくり。思わず歌ってしまった。

「月が~出た出た、月がぁ出た~あよいよい♪」…これは福岡か…。

2月でまたまた

2月で想い出したことがあった。

薄々ではあるが、想い出してきた。

明日になると「記憶にない」という、何とか大臣のような事になりかねないので、今のうちに。

確か初めて渡米したのが79年の2月だったと思う。

チケットが安かったのだが、そのせいで関空からソウルに飛んで、また羽田に戻って、ハワイに飛び、そしてロスに着いた。

トータルで24時間くらいかかったんじゃないかな。知らんけど…。

その飛行機の中で知り合ったのが、何故か桑名晴子だ。

そして、今は亡き塩次伸二もいた。

ちょっと調べてみると、79年にサンフランシスコ・ブルース・フェスティバル参加のため、渡米、とあるのでその時だったんだろうか?いや、フェスが8月だったはずなので、そのための渡米ではなかったのだろう。

とに角、彼等と意気投合した末に、着いたらすぐに兄貴の処へ行くから一緒に行こう、と誘われた。

兄貴。そう、桑名正博だ。

初めてのロスの街を歩いて、夜の8時頃にアパートに行った。

数人の仲間とともにもうかなり出来上がっていたようだった。

そして奥の部屋から出てきたのがアン・ルイスだった。

訳の分からぬままに数時間過ごしてホテルに戻ったことを薄々ではあるが、覚えている。

そして確か次の日にサンフランシスコに向かった。

ロスはあまり好きな感じの街ではなかったのですぐに向かったのだった。

前日のパーティの疲れか、あまりの太陽のまぶしさに眼が開けられなかったサンフランシスコの青空をよく覚えている。

それからどのように過ごしたのかはよく覚えていない。確か2週間ほど。

この時かな。グレートレイクスのオープンバックを手に入れたのは。

その翌年にも行っているし、その時だっただろうか。

またもしかしたら記憶が蘇ってくるかもしれないので、突然なにか書き始めるかも…。

あの大臣も早く記憶が戻ればいいのに…って知ってて知らんふりしているのは見え見えだが。

2月9日

今日は2024年2月9日。

昨夜、いや、正確に云うと7日の夜11時頃就寝して、8日になり、何故か1時半ごろ目が覚めた。

それはそれで良くあることだが、それから全く眠れなくなった。

そしてあんなにクリアーに眠れないと感じたことは珍しいかも。

考えてみたら、いや、想い出してみたら1982年のニュージャパンはその日だったのだ。

単にこじつけともいえるかもしれないし、一度眼が覚めてなかなか寝付けない、ということも無いことではない。

結局、再び少し眠ったのが5時過ぎだった。

以前にも書いたが、あれでバンドの運命が変わったことは否めない。

あれからしばらくの間は、どこに宿泊する時も避難経路や消火器の場所とか、念入りに確認したが、そんなことももう忘れている。

それに、いまだに喫煙室の或るホテルが存在することも不思議だ。

急に、あの眠れなかった、それもいつもとは少し違った感覚はなんだったのだろうか、ということを思い出してこんなことを書いてしまった。

信じるか信じないかはあなた次第…。

春節

このワードを聞くと思い出すことがいっぱいある。

レストランに居た頃、周りにチャイニーズ、ヴェトナミーズが多かったので、この時期には仕事終わりによく出かけたものだ。

春節のチャイナタウンはかなり賑わっていた。

屋台の夜店みたいなところでゲームをしたり、いろんなものを食べたり飲んだり。

定番の爆竹が鳴り響く中、みんなと歩き回った。

別な日にはハリーさんとハリーさんのご主人、何故か彼らの娘さんまで一緒になってレストランに出掛けて行ったり。

また、ヴェトナミーズの家族と一緒に訳の分からないままに春節を祝ったり。

あれは確かミセズ・ホートが家に招待してくれたのかな。

居候のマイクも居たし、子供たちは4人。

そのうちの一人はアメリカ兵とヴェトナム人の間に生まれた孤児。

確かジュリーと云う名前の、リンダ・ロンシュタットによく似た綺麗な子だった。

ミセズ・ホート曰く「この子を引き取ったのでボートに乗ってアメリカに来ることができた」そうだ。

まだ若い女の子だったが、ある日働いていたレストランでシェフが誤って肉のスライサーで指を落としてしまったらしい。

彼女は躊躇することなく落ちた指を拾い集め、すぐ病院に連れて行ったそうだ。

話が飛んでしまったが春節なんていう言葉はそんなことまで想い出させてしまう。

食事は見慣れないものばかりだったので、生春巻きくらいしか覚えていないが、日本のお正月のように豪華だった。

なんか、近所の人も来ていて10人くらいのヴェトナム人に囲まれて、ほとんど、いや、さっぱり何を言っているのか分からなかった。

ミセズ・ホートから「新年おめでとう」のヴェトナム語を教わったがすっかり忘れていた。

だが、ネットで調べたら、彼女のあの甲高い声がよみがえってきたので、さっぱり分からないはずなのに読めた。

これは試してみなくては、と思いスーパーのニャンちゃんのところへ行って読んでみた。

「わ!凄い」と云われてホッとしたが、この子達けっこう日本語喋るのだ。

あ~恥ずかしや。

春節でもうひとつ想い出すのは、あのコロナ禍が始まった時。

ちょうど春節の頃、そう僕の70歳バースデイコンサートの直後だったか、街から人々が消え、春節で移動してくる中国人が居なくなった。

明らかに街の様子が変わっていた。

それはそれで静かで良かったが、なんとなくあのチャイナタウンの喧騒、飛び交う爆発音(会話と爆竹)ヴェトナム語の響き…懐かしくもある。

レッド・ツェッペリン

昨夜、あまり点けないテレビを何気なく点けたら「お宝鑑定団」をやっていて、その中でとても面白いことに遭遇してしまった。

ある人が、レッド・ツェッペリンのサイン入りアルバムを出してきた。

特に興味があるわけではなかったが、どんなものだろうと思い、そのまま見ていた。

彼はまだ若かったので、彼曰く「僕の親父さんが彼らの来日時に彼らの宿泊先まで押し寄せていってもらったものらしいです」と。

そこで僕は身体を乗り出してしまった。

2017年に「ザ・ナターシャー・セブン最初のレコーディング」という記事を書いたが、その時のことが書かれている。

宿泊先はヒルトンホテル。録音は1971年の9月24日からのスタートだった。

多分、前日か前々日にホテル入りしていたと思われるが、ヒッピー然とした外人がウロウロしていた。

僕がロビーにいた時、周りを歩いていたのだが、その時の事。

以前のコラムで「まだそれほどのビッグネームではなかった日本では押し寄せるファンもいなかった」というような事を書いたが、わずかに一人か二人、明らかにアルバムにサインをしてもらっている日本人が居たのを記憶している。

そのことについては書かなかったが、彼の親父さんの話を聞いていて鮮明によみがえってきた。

確かにいた。彼らの処に駆け寄ってサインをもらっている人が。

僕自身、彼等のことを知らなかったのだから考えたら非常に残念なことをしたものだ。

なぜならばそのサイン、160万!という値段が付いたのだから。

光陰矢の如し

早いなぁ…明日でもう1年経つ?

シマエナガの日、というのを知ってから1年。

生きていればお前も74歳か、と、ついつい呟いてしまう。

でも教えてあげたい。

74になってもあんまり変わらないぞ、ということを。

もちろん、身体はしんどい部分があるけど、気持ちは、心はあまり変わらない。

まぁ人によって違うんだろうけど。

相変わらず甘いものが好きだ。

今年は何がいい?

やっぱり団子かな。

省悟の物凄く好きだったのは「亀山」だったかな。

水無月も。この辺は京都の人でないと分からないかもしれない。

よく二人で清水のかさぎ屋さんに行って、彼は必ず亀山。僕は汁粉だった。

まぁ、この辺で亀山は無理だし、水無月も季節ではないし、コンビニスイーツで我慢してもらおうか。

いや、一年に一回だ。なんか饅頭の美味しそうなものを探してきてあげよう。

1月16~17日 サウンドタム訪問

この日、ひたすら寒かった。

風はどこまでも冷たく、風花が舞ってこの上なく寒かった。

群馬とは何と寒い所だろうか、と僕が言うと、タムちゃんが「いや、今日は特別です」と言った。

ちょっとした打ち合わせでやってきたのですが、ひとつ大事なお知らせです。

少し前に発売になった「See You at Tam’s」がそろそろ完売になりそうです。

サウンドタムで繰り広げた各人、各グループの素晴らしい演奏が集結したアルバムです。

僕らも1曲メドレーをやっておりますが、やはりライブの緊張感と、素晴らしいサウンドエンジニアーとしてのタムちゃんの技術と心が入り混じった、僕としてはなかなか気に入ったものになっています。

他の方達の歌、演奏も素晴らしく、サウンドタムを訪れたことのない方にも、何度も訪れている方にもその臨場感が伝わってくる素晴らしいアルバムだと思います。

僕の一押し。ご注文は、お早い目にこちらへお願いします

https://soundtam.jp/live-cd.html

これは決して宣伝ではありません…ってか、宣伝か…。

寒い!

僕は比較的寒さには強い方だが、やっぱり歳だろうか、少しは寒さが身に沁みるようになってきた。

それでも何故か、今年はまだストーブをつけていない。

勿論、節約もあるが、それなりに着込んでいれば何とかなるし、時々温かいものでも飲んだりしていたら何とかなる。

それでも、いままででこれは我慢できない!と思った寒さはどんな時だっただろう。

想い出すに、2003年初頭のニューヨークだったかもしれない。

摩天楼を歩いていた時、これは死ぬかもしれない、と思ったことがある。

いや、普通に皮のジャンパーを着ていたと思う。中はアロハだったかもしれないが…。

そこで目の前に見えてきた1ドルショップに飛び込んだ。

そして帽子とマフラーと手袋を買った。

勿体ないけど3ドルなら死ぬよりましか、と思いながら…。

本当に寒かった。

その昔、初めてのナターシャー北海道ツアーに出掛けた時の事。確か9月の終わりころ?

いや、記録によると72年の11月後半に初めて北海道に出掛けているようだ。

その時、僕は薄手のウインドブレーカーを着ていたら、髙石さんが「あなた、そんな格好じゃ死にますよ」と言ったのを覚えている。

結果、そんなにもまだ寒くはなかったが。

パディ・キーナンと二人でカナダのカルガリーに出掛けた時も雪が降っていて結構寒かったし、ミネソタも寒かった。

ミネソタでは道端で犬の糞が凍っている、という漫談を聴いたことがあるが(前にも書いたかな)アメリカでも最も寒いところだ、と云われている。

しかしながら摩天楼のあの寒さに匹敵するものは今までになかったかもしれない。

日本ではこれ、夏になったら40℃とかが当たり前になってきて、冬にはマイナスになるってすごい温度差。まるで国民と議員の金銭感覚くらいに違う。

最近では、あきれてしまってもう何か言うのもバカバカしい、バカは放っておくしかない、と思えるような裏金問題。

被災地では人々が大変な思いをしているのに、今までの裏金はもう使ってしまったんだろうからあいつらの預金を全部引き出して被災地の為に使えないだろうか?なんて現実味の無いことを考えてしまう。

しかし、そうでもして奴らに懐の寒さを、あの摩天楼の寒さと同じように味あわせてみたいものだ。

寒い、という話からまたとんでもないところに結論がいってしまった。

急に想い出した

最近、近所のスーパーで働いているベトナム人のニャンちゃんとよく話をする。

ほとんど毎日のように8時から夕方の5時まで働いているようだ。

その子と話をしていてなんだか急にマイクを想い出した。

そして、久々に「アー・ユー・オープン?」を読んでみた。

彼とは10年近く朝から晩まで一緒に働いたものだ。

喧嘩もしたし、飲みにも行ったし、ベトナムの旧正月に招待されて、訳の分からないままに大勢の家族(本当の家族では無いが)に囲まれていろんなものを食べさせてもらった。

2人ともまだ若かったし、といえども、マイクに関しては推定年齢でしかないが。

とに角前にも書いたようにとんでもない、想像を絶する人生を歩んで来たことは確かだ。

戦争当時、僕らは散々恩恵を授かりながら反戦歌を呑気に歌っていた。

毎日の彼等との付き合いからはそんなことを感じざるを得なかった。

ベトナムとは関係ないが、89年に天安門事件が起こり90年に入ってからアメリカで制作されたテレビドラマが放映されていた。

天安門で軍に抵抗した若い兄弟がアメリカに渡る話で、兄は真面目に仕事をしながら、天安門の事を世界に知ってもらおうとしていた。

弟の方はマフィア(多分中国系)の一員となり、最後には兄を追い詰める。

天安門事件を境に仲の良かった兄弟が壮絶な最期を遂げる、というようなストーリーだった。

連続ドラマだったので僕は毎週食い入るように観てしまっていた。明らかに傍観者だ。

ベトナム戦争しかり。

マイクだけでなく僕の周りでは多くのベトナム人がボートピープルだった。

その壮絶な体験は筆舌に尽くしがたいものがある。

ニャンちゃんはまだ推定20代後半。おそらく両親は子供の頃戦争に巻き込まれただろうか。

いやいや、両親も戦後の生まれかもしれない。チャンスがあったら一度訊いてみようかな。

それにしても、なんと愚かな人間が世の中に存在しているんだろうか。

いまだに眼の色を変えて戦争、戦争と躍起になって破壊、殺戮を繰り返すバカが世界中至る所に居る。

人間が居る以上これは無くならない事だろうな。

なんかニャンちゃんから、マイク、そして天安門事件まで想い出してしまった。

暗くなってきたので面白い話を。

マイクは誰から教わったのか「気持ちの良いことしよう」なんていう日本語だけ知っていた。

ある時、日本町を歩いていたらある看板が目に入ったが、そこにはこう書かれてあった。

Kimochi Home マイクは鼻息を荒げて「ジュンジさん、あれ、なにをするところ?」

僕はあきれて答えた「アホかお前!あれは老人のケアーセンターだ」

誕生日

この歳での誕生日というものは、一歩一歩終わりに近づいている、という事実に気づかされる。

先日、誕生日とは関係なく、クリスマスでキアラン、お兄ちゃんのデクラン夫妻と子供、

あとデクランの仕事仲間のご夫妻とで、後楽園の辺りのイタリアンレストランで集まった。

折しもSexy Zoneかなんかのコンサートが有ったらしく、若い女の子がわんさと押し寄せていたが、場所がよく分からず、ウロウロしている姿はちょっとばかり怪しいおじさんに見えたかもしれない。

やっとの思いでレストランを見つけるとキアランが立っていた。ふたりで「分かりにくい場所だったなぁ」と話したがデクランは「すぐ見つかりますよ」と言っていた。さすがアイルランド人。

そのさすがアイルランド人だが、レストランに入ると赤ワインを立て続けに3本オーダーした。デクランの奥さんはポーランド人なのでそこそこ飲む。

日本人ご夫妻はそんなに飲まない。僕も。

多分2本はキアランとデクランで飲んだだろう。

そのワインだが、ここでも流石ヨーロッパ人と言う出来事があった。

赤ワインがキンキンに冷えているので、彼等が、これ、こんなに冷やしたら駄目だし、ちょっとあたためてくれる?と訊くと、意味が分からない様子で「そのようなサービスはいたしておりません」ときたもんだ。

トニー・マクマホンなら間違いなく店を後にするだろう。

ところで、僕もまぁまぁ飲んだかな。

レストランを出るとデクランの息子(8歳くらいかな)が得意な「太鼓の達人」をやって帰るというが、僕は先に失礼した。

そこで、僕は結構危険なことをしてしまった。

家に着くと急に寒くなって、あまり入らないバスタブに熱いお湯を半分くらい溜めたが、その間にも身体が硬直したままガタガタと震えている。

やっとの思いで入り、かなり熱いお湯だったが、中でもガタガタ震えていた。

これ、良くないんじゃないかな、と思いつつも、中で10分位寝てしまったようだ。

このまま逝ってしまったら素っ裸だしマズいなぁと思っていたことは確かだが。

その次の日はそれでも朝9時から2時間くらいウォーキングをした。

昔からそうだが、調子が悪いと必ず御所の周りを2周位したものだ。寝ていたらどんどん悪くなるような気がするので、無理の無い範囲で身体を動かすようにしている。

今日は二日酔いから二日たったが、身体が痛い。ガタガタ震えた時、相当力が入っていたんだろうなぁ。ま、少し風邪気味かな。

その上、後楽園で若い女の子をいっぱい見て血圧が上がったかな…。

20年

2023年。12月がまたやって来た。

大学の時から、考えてみるに18歳からの親友、省悟が亡くなってもう20年が過ぎる。

美空ひばりも石原裕次郎も大体同じくらいの歳で亡くなっている。

省ちゃん、どちらも好きだったなぁ。

10年ひと昔、と言うけど、もうふた昔だ。

考えてみれば僕とは正反対といってもいいくらいの性格の違いがあった。

唯一の共通点は音楽のセンスだったかもしれない。

音楽という全体像ではなく、そこにある「センス」というところだ。

ひとつの音、コード、リズムを聴いて、これだ!と感じるような感覚。

こればかりは生まれつき、というところに左右されるのかも知れないが、これが本当に大切なことだと感じる。

いくら気が合っても、いくら同じタイプの音楽を好んでいても、えも言われんセンスと言うものが合致しないとなかなか難しいものがある。

音楽では本当に大切だが、最近、息子がこう言っていた。

「省ちゃんはいつもびしっと決めたファッションだったけど、親父は適当だったなぁ」

小さい時からよく見ていたもんだ。

本当にあらゆる面で違っていた、ともいえる二人だった。

ホテルの朝食はいつも和食だった彼。僕は洋食。

服屋、靴屋には必ず入っていく彼。僕は外で待つ。

虫歯だらけだった彼。歯医者に行ったことがない僕。

髪の毛が薄くなってきた、と悩んだ彼。髪の毛が多すぎて困る、と言った僕。

「いやなやっちゃなぁ!」とよく言っていた。

それでも、二人の共通点は甘いもの好き、かな…いや、そこでも和ものが省ちゃん、洋ものが僕だったか。

煎餅が好きだった省ちゃん「バリバリっと硬い煎餅食べたいなぁ」とよく言っていた。

ケーキだったら柔らかいのに。

今でこそ、僕も饅頭は大好きだけど、あの頃は饅頭の省ちゃん、ケーキの僕だった。

「お前、そんなにケーキが好きだったらケーキ屋になったら?毎日お店のケーキ食べて、今月はけーき(景気)が悪いで!ってなことになるで」なんて言っていた。

僕がダメで彼が好きなものってあったかなぁ。

基本的に僕にはダメなものがあまりない。省ちゃん、エビとか蟹、怖がったなぁ。

それとコンニャク。「味せんやろ」と言っていたが確かに一理あるかも。

あ、そういえば僕は若い時、そば屋さんの出汁の匂いが苦手だった。省ちゃんが「お前、変わったやっちゃなぁ。このええ匂い分からんか?」と言っていたなぁ。

そんな事をしょっちゅう想い出すが、僕もそろそろ終活に入らねば、と最近つくづく考えるようになった。唐突かもしれないが彼よりも20年も余計に生きているので。

健康状態は至って良好だが、これをキープしていくことを考えなければいけない。

また、息子との会話だが、彼ももう45歳。少しはそういう話を…というか、トレーナーである彼にとって、高齢者の顧客も多いせいか、如何に健康体を保ったまま最期を迎えるか、という話に於いても少しは真剣に語り合えるようになってきた。

ついでに死後の世界は僕には分からないが、そんなものが存在するかどうか疑問である。

しかし、彼は「そうでもないらしい。あるみたいよ」と言う。

前に書いたが、彼の友人のモン族の人からの言い伝えだが、僕ら凡人は、何とでも云える、と思ってしまう。

しかし、どうやら、会ったこともない故人の容姿から服装まで全て見えてしまうらしい。そこにいる、と明言する相手は息子の古くからの知り合いで5年ほど前に亡くなった知る由もないはずの人だというが。

過去500年の生まれ変わりも分かるという。

そこら辺はどこまで信用していいのか分からないけど、かなりの信ぴょう性がありそうだ、とも言っていた。

信じるか信じないかはあなた次第、の世界かな。

だとしたら省ちゃん、どうしているだろう。

まだ歯医者さんに行っているかなぁ。それか、もうバリバリと煎餅を食べているかも。

さて、世界情勢に眼を向けてみると…まるで救いようのない世の中になってきた。

いつも想い出してしまうのが「アメイジング・グレイス&チャック」だ。

今、大谷が「世界が平和になるまで野球はや~めた!」と言い、トラウトもジャッジもやめて、レブロン・ジェイムスも八村も…あの悪名高きバッハも、平和のための祭典だからや~めた!と言い、KポップもJポップも、テイラー・スウィフトもみんな何もしなくなったらどうなるんだろう。

温暖化対策なんかも取沙汰されているが、いくら頑張ってもあっちこっちで爆弾なんか落としたり、ミサイルをアホみたいに打ち上げたりしていたら、それだけでも無意味だろう。

そんな事を考えている間に、今年も終わってしまい、また変わり映えのしない一年がやって来るだろう。

ある意味大きく変わらない、というのは平和な事ではあるが、もういい加減、大食いとかいうのはみっともないから止めた方がいい、と思う。少なくとも世界が平和になり、ちゃんと子供たちに食糧が行きわたるようになるまで。

政治家は相変わらず金に眼がくらんで、挙句の果てに白々しい嘘をつくか、なにも言わないか…そりゃ「はい。やりました」なんて言うわけがない。

やっぱり「嘘つきは泥棒の始まり」ではなく「嘘つきは政治家の始まり」だ。

そんな中、最近のニュースで嬉しかったのは周庭さんがカナダに居る、という事。良かった、良かった。

結局、何をやってもどれだけ頑張っても、どれだけ自分を犠牲にしてもバカには通じない、という事だろうか。

良かった、と喜んでばかりはいられないが、とに角、周庭さんの安全と幸せを祈るだけだ。少なくともそれくらいしか僕らに出来ることはない。何とか無事に生活できるようになる方法はないのだろうか。

世界中、こんなところに産まれさえしなければ、と思える場所が至る所にあるように見えるが、それって単なる運だろうか…。

忙しくもないのに、何となく心情だけは忙しいような気がする12月。

母を失ったのも12月。省ちゃんも12月。そして僕が産まれたのも12月。ありゃ、周庭さんも12月生まれだ…関係ないか。そんなこと言えば高石さんだって12月。

自分のことを思うと、来年は生きているだろうか?なんて、段々そんな事を考えるような歳にもなってきた。

それでもまだまだ健康ではあるので、このままの状態で最期を迎えられたらいいかな?と思っている今日この頃。

あまり長生きはしたくないのも事実。

ところで、お気に入りのGold Tone12インチのバンジョーはかなり優れもの。

これが出てきてからは重いバンジョーはケースの中で眠ったまま、という困った状況だ。

久々に重いギブソンを引っ張り出してみたけど、音もでかいし、重いのでどうしても軽いものに手が行ってしまう。

それでも満足する音なので、時代は変わったなぁとつくづく感じる。

軽いバンジョー、省ちゃんに見せてあげたいけど、あいつ金が好きだし、これで金色のものがあったら…なんて言うだろうか。値段上がるでぇ。

いろいろ想い出したり考えたりしているうちに12月も走り去ってゆく。

そして、また1年、また1年…20年もあっという間かな。