最後の晩餐


高校生の頃、ダビンチの「最後の晩餐」に心を奪われ、贋作を描いたことがあった。

全ての線がキリストに向かっているという描写で、そこそこ上手く描けたと思うが。

ま、ほとんど遊びではあったが。

ところで、最後の晩餐には何を選ぶか、と言うのは時折話題に上る。

とても難しい。

僕の場合、食に対してそれほどのこだわりはないが、最後に「アジの開き」なんていうものはちょっと…。

どちらかと言えば洋食派だが、サンドウィッチというのもなぁ…。

アンドーナツは好きだが、それしかなかったらそれもちょっと…。

小話で、グルメのおばあさんが、食事をしていて、急に容体が悪くなって「は、早くデザートを!」と言った、という話があった。

僕は寿司とかも、生魚がそんなに好きでもないし…なにが良いんだろう。

そろそろ考えておいた方が良いかも。

でも、その時になったら、そんなことどうでもいいんだろうな。

無理に選ぶとしたら、ビーフシチューなんか良いかも。

でもあの世に行く直前にうまいことビーフシチューに出会うとも思えないし。

もし、そんな時に先日食べたトルコ料理のような見たこともないものが出てきたら、どうしたらいいんだろう…なんてあり得ない事を考える必要もない。

神聖なる絵画の事からとんでもない話題になってしまったが、先日のネパールのニュースを観ると、あんなことが突然起きるんだ、と驚かざるを得ない。

もちろん、その前から日本でもいろいろ起きているが、十分気を付けていても限界がある。

災害もそうだけど、何が起きるか分からないのでそれなりの心構えが必要だが、それにも限界がある。

そんなことを考えていると、人生最後に何を食べたいか、なんて、なんと能天気なんだろう。

しかし「最後の晩餐」は素晴らしい絵だ。

そう言えばユトリロの贋作も描いた事があった。

また、心にユトリが出来たら描いてみたいが、やっぱりそれだけの根気がないかな。

さぁ、なんか作って食べようかな。

これが最後になる、とも思えないし、暑いからソーメンでいいか。

揺れた

久しぶりによく揺れた。

それも夜中の2時。

不思議なもんで、それによって起こされたわけでもなく、何となくその前くらいから「うつらうつら」していたんだと思う。

ぶら下げてあったオタマさんとか、ちびフライパンなどか、カタカタ言い出した。

ありゃ?と思った次の瞬間グラグラ、ミシミシ、ユ~ラユラと。

僕は携帯のアラームは鳴らないようにしている。

あれ意外と怖いし、あれが鳴ったところで右往左往するだけだし。

防空頭巾…そんなもの無いか今は、ヘルメット被ったりすることである程度用意は出来るんだろうけど、ヘルメットも持っていないし。

ま、もうある程度あきらめているけど、今の熊本とか、今までの災害による避難生活を見ていると、自分は果たしてあんなに頑張れるんだろうか…と思ってしまう。

そんな中であの福岡の県議会のニュースなんかが飛び込んでくると、お前、辞めて逃げればそれで終わりか?今までにくすねた金、贅沢三昧した金、全部被災地に渡せや!と言いたくなる。

今、日本で最もヘドの出る顔を持った奴だ。

そんな奴、沢山いるなぁ。

それ、ほとんど全部政治家ということなので、なかなか凄い。

選挙に行って引きずり下ろすべきなんだろうけど、選挙に行っても結局、消去法しか思いつかないから困ったものだ。

いっそのこと、国民誰一人選挙に行かず、ボイコットしたら、ある政党はそれでも「勝った!」というんだろうなぁ。なんとおめでたいやつらなんだろう。

どうせ国民の方に目を向けたりしないんだし…ポーズを取るのは演説の時だけ。

あれ、なんで地震の話からこうなってしまうんだろう。

避難生活になっても、あいつらはあてにはならん、ということから派生しているんだろうな。

一昨夜の地震と同じ時間に眼が覚めてしまった。

あの時と同じように、もう一度寝ようと思ったが、なかなか寝れない。

仕方がないので、小さな音でギターを練習して、コーヒーを飲んで4時半からウォーキングに出かけた。

曇っているのに汗が吹き出てくる。

温度は27℃、湿度を調べたら90%と出ていた。

ほとんど風呂場。

一時間半、思い切り汗かいてシャワーして、7時半くらいから朝食を取る。

出来ればそんな日が毎日保障されれば良いけどなぁ。

政治家のバカさ加減は…ま、虫けらみたいなもんだし、地震や台風、豪雨、雷…あ、富士山も怖い。

なんとかしばらくは持ちこたえてほしい。

さぁ、次なるアルバムの構想を更に練らなくちゃ。

他人に文句言っている場合ではない。

あれ、外、ゴロゴロいってる?

いや、違った。旅行者がスーツケース引っ張っている音だった。

2026年9月5日(土曜日)


久しぶりに秩父のホンキートンクに出かけます。

今回は脇山えりかとの音楽会。

彼女の澄んだ歌声が秩父の空気に溶け込んで、良い時間を過ごすことができるでしょう。

2012年4月、2013年6月にはありちゃんと、そして確かもう一度イサトさんと行った記憶がある。

うんと昔では省悟と、ピアニストの小倉超の3人という事もあったんじゃないかな。

店主の鈴木まーちゃん、相変わらずだろうなぁ。

それに近くの皆野駅の信じられない事が書いてある看板、あれも…おそらくもうないだろうけど、

是非チェックしてみたいものだ。

あ、駅自体があるかな…?

ま、それはともかく、みなさん楽しみにしていてください。

僕も、まーちゃん始め、みなさんに会えるのがとても楽しみです。

そして、新人の脇山えりかの歌声をお楽しみに。

暑い!


まだまだ暑い日が続く。

地球温暖化とか気候変動に懐疑的な見方をする人も多々いるだろう。

ま、はっきり言って僕にもわからないが、とにかく暑い。

この暑さをなんとか乗り切って生き延びなければ、と考える今日この頃。

これは自然現象だ、と言っている人たちはきっとクーラーの効いた部屋でのんびり過ごせる金持ちだけかもしれない。

庶民はとにかく暑い。

勿体ないのでクーラーは極力使わないが、それで熱中症にでもなったら、もっと勿体ない。

日本は救急車タダらしいので良いが。(料金を取られるケースもあるらしい)

昔、一緒に働いていた、あれはペルーの奴だったかな…メキシカンだったかな。

彼の二人の子供がやけどを負って救急車呼んだら「ひとり600ドル、二人で1200ドル取られたぜ、アミーゴ」え?一台じゃないんだ…と思った記憶がある。

それか差別的にぼったくられたのかな?…子供二人という事で2台来たのかな?

とにかく今は1200ドルとかするらしい。

日本円にすると、最低でも15万円位はかかるみたい。

走行距離とかにもよるらしいが、4000ドルとか取られたケースもあるらしい。

いや、話が逸れたが、この暑さ、まだまだしばらく続きそうだ。

小さい秋を見つけるのはいつになるだろうか。

夕方に歩くのは好きだが、6時とかでも30℃あったらやめておいた方が無難だ。

でもなぜ夕方がいいかと言うと、その後のビールが、いや発泡酒が美味しいからだ。

けっこう本物のビールよりも発泡酒の方が飲みやすい気がする。

やっぱり酒の味がよく分からないんだろうなぁ。

凍る直前まで冷やしたものが美味しいと思うのだから。

ともや氏はビールだったら冷えてなくても全然大丈夫、と言っていたが、そういう人は本当に好きなんだろうなぁ。

ナターシャーセブン初期の頃、ドン佐野さんの家で、奥さんが「これ以上冷えたビールが無いんで…」と言ったらともや氏「あ、冷えてなくても僕、頂きます」といって美味しそうに呑んでいた。

彼、確かにかなりの本数を呑んでいた…が、全く変わらなかった。

あれじゃぁ、いくらあっても足りないわけだ。

すぐに補充しようにも1971年頃、まだコンビニが無かったんだろうか…。

あ、今日のお題は「暑い!」という事だった。

暑ければ、やっぱり日本人はソーメン。

そして、むかしあったビヤガーデン。吞めもしないのに時々行ったなぁ。

あれもまだまだ30℃が暑いと感じていた夜の夕涼み感覚だっただろうから、今のように35℃とかが当たり前になってきたら、なかなか厳しいもんがあるだろう。

とにかく、喜んでミサイル打ち上げて海に落としてみたり、あっちこっちに爆弾を落としているようなバカな連中が居なくなれば、良いことづくめだろうけどなぁ。

楽しい時はいつでも


楽しい時はいつでも、過ぎてゆくもの…。

All the Good Times are Past and Goneの高石さんが書いた日本訳だ。

楽しい時は過ぎていってしまい、想い出だけが残るけど、その想い出を胸にまた、新しい日々を過ごして、楽しいことを見つけていこう。

Lily of the Valley の続編はそんな気持ちで作っている。

後、何年こうして生きていられるか、それは誰にもわからない。

あの高石さんでさえも意外だったのだし。

2年、3年と過ぎてゆくのは早いなぁ。つくづくそう思う。

来年の夏、また何か書いていたいが…。

8月15日 前日


昨夜、千葉県でものすごい雨が降った。

ここも少しは覚悟していたが、全く大したことはなく、ドクターサウンドの小林君が千葉の船橋から通っているので「帰れるか?」とメールしたが、最終的に「なんとか帰れました」というメールがきた。

この日、ちょうど息子がフィリピンのマニラにいて、夜中のフライトで成田に向かう、という事。

到着が14日の朝、という事でどうなるかと思っていたが、2時間半ほどの遅れで、成田に着いたらしい。

凄い人でパニック状態。まるで「Die Hard」映画のようだ、と言っている。

そりゃそうだ。

昨夜から成田空港で動きが取れなくなった人が何千人もスタックしている、という事を僕もニュースで見ていた。

しかし、彼の利点は非常に旅慣れている事となんだかんだ言って日本語には困らない事だ。

ちゃっかり電車に乗って、さほど苦労せずにやってきた。

電車の中は、よく分からずにとにかく乗り込んだ観光客でパニック状態で、降りていく人がいっぱいいる、と言っていた。

日本はよく出来た国で、あまり困らない、と言うので「良く出来て困らないけどそれだけに困ることに遭遇すると、パニックになる。よその国は困って当たり前なので、それなりに構えてでかける」

と言ったら笑っていた。

さて、またまた特攻隊員の残した声、というのをテレビで見てしまった。

息子のフライト情報を見るために遅くまで起きていたせいで。

というか、何といっても終戦記念日だ。

日本の未来を支えていくために命をかけた人達の事は決して忘れてはいけない。

その多くは10代から20代の若者だ。

それを思うと、これからの日本はいったいどうなっていくんだろうと危惧してしまう。

来年の同じ時期、また同じことを思っているんだろうか。

今日も、飲み過ぎて路上で大騒ぎしている若者たちのバカげた大声が聞こえてくる。

あんな連中のために若い子たちが命を懸けてきたんだろうか…。

レコーディング


考えてみれば、レコーディングというものに携わってからもう55年にもなる。

そのせいか最近、いろいろなことを思い出す。

ま、今回のサウンドタムでの録音でしばらくお休みしようかと考えているので尚更かな?

よく思い出すのがやっぱり省ちゃんとのやりとり。

ナターシャーで「今風の中」を録音した時、皆さんも知っていると思うが、あの「あ~ん」みたいな高い声。

あれ、僕のリクエスト。

省ちゃんに「こんなん入れてみて」と言ったらやってくれたが、後で「あれ、めちゃ恥ずかしかったわ」と言っていた。

「疲れた靴」のあの高い声も僕のリクエスト。

あれだけの声を出せるのは彼しかいない。といえども、あれをやったのは実際には木田ちゃんだったかな。

省ちゃん、恥ずかしいから嫌やって言ったかもしれない。

「Midnight Special」でGからG#に転調する時、その最初の音がE♭に突然飛ぶのだが、その役割が僕だった。

省ちゃん「お前、よく急にE♭出せるなぁ」と感心していたが僕は「簡単だよ。花嫁を唄ったらいい」と答えた。

実際E♭で花嫁を唄ったら、出だしのメロディーはGからE♭。

そんな想い出は数えきれないほどあるんだろうな。

それによくあれだけの録音をやってきたなぁ、とも思う。

アメリカで録音した時には、エンジニアのデイブ・ウエルハウゼンという男が「お前、相当レコーディングに慣れているなぁ」と感心してくれた。

サンタ・クルーズでのジョディース・ヘブンではエンジニアでギタリストのウイリアム・コルターが「お前、途中でカポ動かしたのか?気がつかなかったなぁ」と驚いていた。

確かにアイリッシュではキーチェンジをするので、僕にとっては必須事項だった。

アイリッシュの連中はあれだけ多くの曲をまずやり直すという事がない。

なので12~3曲でもほとんど一日で録り終えてしまう。ほとんどがメドレー形式なので実際には数十曲と言えるが。

まれかさんもそうだった。

あの人の場合「他に類を見ない集中力」と言えるかな。

手術と同じでやり直し、という観念がなかったのかもしれない。うん?…。

僕はタムちゃんにいっぱい助けてもらっている。

ま、昔のようにスムーズにはいかない、という事だ。

レコーディングは演ずるほうも大変だが、エンジニアの方はもっと大変だと思う。

様々なミュージシャンの様々な音楽を扱っているのだから。

そんな意味でもここ2年の間にこれだけ多くの録音をしてきているので、お互いがよく分かっていてとても楽だ。

タムちゃんの方も僕の「くせ」みたいなものが分かっていてやり易いと思う。

前作の「Lily of the Valley」の「君かげ草」ではとても控え目ではあったがベースを弾いてくれた。

それは録音しながら僕も心の中で、これはベースが入ったらいいな、と思っていたので、正に同じことを考えていた、と言えるだろう。

そうして進めてきたレコーディング。

それもいよいよ大詰めに入りつつあるが、今回もナターシャーやヒューマン・ズーの懐かしいものが入る予定。

僕自身、懐かしいとかあの頃をもう一度とか、そういうのは自分の主義ではないので、充分懐かしさはあっても、どこか独特のアレンジというところを目標にしている。

「街」しかり「君かげ草」しかり、自分にしか思いつかないアレンジというものを常に意識していたいのです。それにしてもレコーディングはかなり疲れる…歳かな?

情報


世の中には「知らなくてはいけない情報」「知っていて損はない情報」「知らなくてもいい情報」

いろいろあると思うが、僕が最も知らなくていい情報だなぁ、と感じたのが、飛行機に乗っている時、

スクリーンに外気温というのが表示される、あれ。

今もあるのかどうか分からないけど、あれ見ると必ず「なんで知る必要があるの?外に出ないし。出たら間違いなく死ぬし」と思っていたもんだ。

「誰か外に出て寒いかどうか確かめてくれるか?」なんてね。

新幹線でむかし、スピードが今何キロとか出ていたと思うが、今では見ないかな?

あれ、調べてみようかな、なんて思ったら、リアルタイムに端末で調べることが出来ます、なんて書いてあった。

やっぱり知りたい人もいるんだなぁ。

窓の外見れば、このスピードで脱線したら間違いなく死ぬくらいのスピードだということくらい誰にでも分かるが…。シートベルトもしていないし。

死んでしまったら「あ~、あと20キロほど遅ければ助かったかも」なんて思わないだろう。

やっぱり飛行中の外気温と同様、知りたい人っていうのもいるんだなぁ。

僕、相当ひねくれているのかなぁ。

もうひとつ、僕が大嫌いなもの。

テレビで情報番組にある、あれ、なんていうんだろう、画面の隅にスタジオのコメンテーターの顔が出るやつ。

なんか他人の顔色を伺っているような…。大変なニュースを読み上げている時にタレントの顔なんて写さなくてもいいだろう、と思ってしまう。

あれも、どんな悲惨なニュースが報じられていても、タレントの顔見て喜んでいる人って少なからずいるんだろうなぁ。

ほとんどの日本人は喜んでいるのか…?どうなんだろう。

大食い、とかも含めてテレビ局はやっぱり無能な人間が無能な人間を育てる為の存在なんだろうな、と思わざるを得ない。

何やかや言って一日2時間ほどしか点いていないし、全く点いていない日も多々ある。

やっぱり僕がひねくれているだけか。

しかし、どんな情報でも飛び交う今の世の中。

「信じてはいけない情報」の方が多いのかもしれない。

もちろん「鵜呑みにしてはいけない」という事だが。

どんどん人間の「自身で考える能力、想像力」というものが欠落してきているようだ。

それも情報過多のせいだろうと思う。

もちろん、有難い情報が存在することも認めるうえで、だが…。

81年


昨日で広島の日から81年。

絶対に忘れてはいけない日だ。

しかし、学ぶことができない人間が世界には沢山いるもんだ。

もはや、人間とは言い難いが。

人によっては「人間とはそういうもんだ」という人もいるだろう。

その辺はもう哲学みたいな分野になるし何も言えない。

81年前、たった一つの爆弾でどれだけ多くの人が消えてしまい、

そしてどれだけ多くの人がどれだけ長い間苦しんできただろう。

世界に存在する、人間とはほど遠い●●を止める事は出来ないのだろうか。

あいつらが存在する限り、地球はそんなに長く持たないかもしれない。

そう言っているうちに、長崎の日もやってくる。

そして終戦の日も。

全て絶対に忘れてはいけない、語り継がれなければいけない日だと僕は思っている。

秋?


数日前、多摩川沿いを歩いているとおびただしい数の赤とんぼが飛んでいた。

それも低いところにいっぱい。

確かに湿気をかなり感じる日であったが。

この頃は体感で、今何度くらいかな?とかこれくらいの湿気だろうな、というのが分かるようになってきた。

赤とんぼが飛ぶっていうことは秋が近いのかな…。

秋か…よく省ちゃんと「返して~」と叫んだもんだ。

理由は多分もうすでに何処かで書いたり言ったりしていると思うし、大したことではないので省く。

そういう大した事でもないことで大笑いするのが僕らだ。

くりちゃんという友人と待ち合わせをしたら、それもちょうど秋だったと思うけど、

彼があるお店の前に立っていたがそこに大きな看板があった。

松茸入荷!とかなんとか。

僕らは早速「くり、まったけ?」と声をかけた。

しょうもないことだけど、常になにか考えることは大切だ。

秋がやってきたら、夏と違ってもう少し頭の回転が良くなりそう。

夏はどうも苦手だ。

寒いくらいの方が身体も脳もシャキ!っとするような気がする。

今年は秋が少し早く来そうだという話も聞いたけど、そんな理由であの赤とんぼの集団もとんでいたのかなぁ。

夕焼け小焼けの赤とんぼ~♪壊れて見たのは…だと思っていた子供の頃。

アルプス一万尺は、何故、子ヤギの上でダンス?

おお牧場は緑…よくしげったものだ…って上から目線でお前に言われたくない…とか。

包丁一本さらしに巻いて~♪って包丁みたいな固いものさらしに巻けるか!さらしで、だろう、なんて。

極めつけ。高石さんの詩で「帰るところは山ふところ」を僕が省ちゃんに訊いたことがある。

「なぁ、省悟、山ふ、所ってどんな所?」

彼、めんたま、まん丸くして言った。

「お前、おもろいやっちゃなぁ。山ふところやで」って。

秋が本格的にやってきたら、秋の夜長でまたいろいろ思い出すんだろうなぁ。

やっぱり怖い


先日、やっぱり地震が一番怖いかも、って書いたけど、また来てしまった。

九州の議員、お前らの肥やした私腹、出せよ!

少しは人間らしさを見せてもいいと思うが。

そして、無能な議員の誰かが言っていた「貧しい家庭の子供たち」が身を粉にして汗まみれになって頑張ってくれている。

こんなこと書いていると、俺もけっこうしつこいな、と思うが、ひとりとして信頼できる政治家というものがいないので仕方がない。

地震は決して政治家のせいではないが。

被災した人たちの事を考えると、何もできないが胸が痛む。

富士山だっていつ爆発するか誰にも分からないし、地震も雷も…自然現象には太刀打ちできない。

台風も。

でも、怖がっていても…って、どうやって生きていけばいいんだろう。

家にいるのが一番安全だと言っても、その家が潰れるかもしれないし。

あ~、もう堂々巡りだ。

明後日からまた安中のサウンドタムに出かけます。

群馬県も暑いだろうな。

でも、もう34℃とか超えたら同じかな。

暑さにも少々慣れてきたが、物価の上がり具合はじわじわと、慣れてきたと思ったらさらに値上げ。

消費税下げるのも結構だけど、元に戻るまで2年?

まだ生きている可能性はあるので、その時が怖い。

そんなことより、自分らの給料を下げんかい!

ボーナスも、大した仕事していないのに、普段美味しいもん沢山食べているんだから、そんなに要らんだろう!

毎日3時間しか寝ていなかったら、もうちょっとやつれていても良さそうだが。

あの笑顔がなんか嘘っぽくて。

あんなにニコニコしていなければもうちょっと、頑張っているのかな?と思えるのだが…。

結局、こんな話に戻ってしまう。

今回、多分最後のレコーディングになるかもしれない。

80まで生きていたら、その頃もう一回やっても良いかな。

生きていても、果たして出来るんだろうか?

タムちゃんにも元気でいてもらわなくちゃ。

僕より10歳ほど若いから大丈夫か…と言えどもこればかりは順番というわけではないので何とも言えないが。

何といっても身体だけは鍛えておかなくちゃ。

ウォーキングで汗をかく事に慣れるようにして、足腰はちゃんと動くようにして。

とりあえずこの夏も乗り越えましょう。

希望


今、何気なしに2022年頃、コロナがなんとなく収束に向かっていたころ書いた自分のコラムを読み返していた。

アイルランドから帰国したばかりのその日、日本人から将来への希望が全く感じられない、という事を書いていた。

あれからもう4年。

同じことが続いているように感じる。

やっぱりこれは政治のせいだろうな。

国民から「あ~あ、またかよ!」と思わせることの連発では無理もないだろう。

いくら大谷が、山本が頑張ってくれてもどうしようもない。

公約ではなく口約。

失言ではなく本音。

面白かったなぁ。よくあんなこと堂々と言えたもんだなぁ。

貧しいから自衛隊?

いっそのこと「私の子供は自衛隊に行きたいなんて言わなかったですよ。私は金持ちだから」

って言えばよかったのに。

こいつら何の為に、誰の為に必要なんだろう。

世界を見回してみると、この程度の低レベルの悪どころか、もっともっと、いっそのこと消えていなくなってくれたらどれだけ有難いか、と思う奴らが沢山いる。

やっぱりそんな連中がこぞって人々の希望を失わせているんだろうなぁ。

日本に目を戻すと、こんなに整理整頓されているような綺麗な国、電車は1分遅れただけでも「遅れて申し訳ありません」なんて言うし、公共のトイレだって綺麗だし、女の子同士でも平気で夜遅くまで呑み歩いたりしているし、ま、細かいところではいろいろあっても、おしなべて素晴らしい国だといえるのに、なんか将来に希望が持てない人っていっぱいいるんじゃないかな。

やっぱりどう考えても政治家のせいだと思う。

でもそれを言ったら確かに日本だけではないのかも。

ただ少なくとも、国民はそのあおりを食らっているのだから、もう少し金まみれの生活から脱却してくれてもいいのではないかと思うが。

全然関係ないが、土用丑の日とかあるんですね。

鰻って別に好きでも嫌いでもないけど、あれもなんかタレの美味しさだと思う。

もちろん本体のクオリティーもある、という事は認める…。

とにかく高いのと、どちらでも良いのとで今回も食べそうにない。

政治家はたらふく国民の税金で食べるんだろうなぁ。

金無いし、自衛隊でも行こうかしら…ってもう77歳になろうとしています。

鶴ヶ峰 陽の当たる道 7/18 2026

本来6月27日に開催されるはずだった小さな音楽会。

雨(嵐)に消えた音楽会のリベンジだった。

またそんな事になったらいよいよ「晴れ男返上」という話になるだろうと、ずっと天気予報を気にして見ていた。

依田さんがなんて言っているんだろう、天達は?今井春花は?って全部ほとんど一緒。

とりあえず、台風は来ていない。

だが、前日はめちゃ凄い雨が、一時的にではあったが降ったし、雷も鳴っていた。

そんなこんなで心配していたが、とりあえず今日は何とかなりそうだ。

と思ったが、やっぱり少し早い目に出てしまった方が良いだろう、と思い、4時には起きた。

いやいや、それからすぐ出たわけではない。

恒例のウォーキングに出かけるためだ。

この時期、朝早いか、夕暮れ時でないと危険なので、5時から歩きに出た。

歩きながら歌詞の確認などをして戻ってシャワー、ベトナムコーヒーとバインミーで朝食を済ませ、

もう一度少し横になって…と思うが性格上、やっぱり横になることが出来ない。

なんやかや、右の物を左に動かし、左の物を右に動かしている間に出かける時間になる。

さて、今日も犬飼さん夫妻が「あれ?早いですね」と笑顔で出迎えてくれた。

予定より30分ほど早く着いたので、それから貸し切り時間になるまで数人のお客さんがコーヒーを楽しみに来た。

そのうちの一人の女性も今日のコンサートのお客さんになってくれた。

全く知らない人だったのに。

多分僕よりもだいぶ年上かな?なかなか行動力のある、元気で素敵な女性だった。

そして本当に有難いことだが今日も満員御礼。

いつも思う。毎回同じような事をやるわけにもいかない、かといって違う曲をやればいいっていうもんでもない。

自分一人だと出来ることは限られるが、その限られた中で今日という日を特別なものにしなければいけない、などというプレッシャーに襲われる。

今日は1部を全てDadgadで、2部はスタンダードかドロップDで、と分けてみた。

Lily of the Valleyで久しぶりにDadgadを復活させたのでそこから数曲。

歌も、普段スタンダードで歌うものもDadgadのままで。

そして初めてみんなの前でCavatinaも弾いた。

美しく大好きな曲だがこれをこのチューニングで弾く人は居ないだろう。

これはカッタウエイのギターでないと届かないハイポジションを使う。

2部はみなさん良く知っている歌や、ちょっとしたオリジナルなどを交えて今日のメインである

「雨に消えた音楽会」を。

ドンべさんがハーモニーをかなり真剣に練習してくれたようだったので、こちらも真剣にやらなくちゃというプレッシャー。

本当に久しぶりに歌ったこの歌。ドンべさんのおかげで良い感じに唄えたかもしれない。

約2時間、初めての女性も終始にこやかに聴いてくれて、沢山の人達が一緒に歌ってくれて、みんな楽しんでくれたと勝手に思っております。

終わってからネパール料理のお店に連れて行っていただき、そこでも様々な話題で盛り上がった。

とても美味しかったし、話も尽きず、楽しい時間をありがとうございました。

帰りは大森の「風に吹かれて」の黒幕?キリンさんが僕の近所なので一緒に電車に乗った。

というか、何線に乗ったらいいかよく分からなかったので、キリンさんに付いて行けば帰れるだろうと、それに人ごみの中でもキリンさんならすぐ見つかるだろうと…おいおい、ジャングルじゃないんだから。

ともあれ、みなさんどうもありがとう。遠いところからも駆けつけてくれた方もいました。

そして今回もまたワンさん、ドンべさんのお人柄が惜しみなく出ていて、始まる前に思わず訊いてしまった。

「喧嘩することってあるんですか?」

もちろんありますよ、という答えが返ってきたが考えたら野暮な質問だったかも。

でも見てみたいな、喧嘩しているところ。

どこでも奥さんは強いもんだし、ワンさん「困ってしまってわんわんわんわん、わんわんわんわん♪」かな?

しょうもないこと言っていないで、またこれからもよろしくお願いします。

みなさん、本格的に危険な暑さがやってきそうです。

朝ごはん食べて、少しは身体を動かして汗いっぱいかいて、よく寝て、しっかり体調管理して乗り切ってください。

早く「寒い寒い」と言いたいですね。

僕のダジャレで寒くなる人も沢山いると思いますが…。

いよいよ


さぁ、いよいよやってきそうな気配が…。

常夏の島国、ニッポン!

涼しい国会の席で居眠りして給料もらっている議員たち。

ちっとも建設的なことを話し合わず、重箱の隅をつついているだけの議員たち。

国民の負担を増やすことよりも、自分らの給料を減らせよ!

何かにつけ、この暑いのにイライラすることばかり。

ちょっと真面目に仕事しようかな、と思い、その前になにか目新しいニュースでもあるかな?

と思い、テレビをつけてみた。

あの県の県議会のニュースが流れていた。

あ~あ、見なければよかった。

嘘つき野郎どもの嘘の連発!

せっかくの仕事…というか練習でもしようかという気持ちが萎えてしまう。

こんな●●みたいな連中が高い飯食ってのうのうとしているかと思うと…。

国旗に関しての事も面白い。

その判断基準が。

新しい靴で良ければ、新車で不慣れだったので轢いちゃった。ごめんごめん…てな感じ。

ちょっと屁理屈か。

まぁ、なんにせよ公共の物を損壊することは良くない。

愛国心がどうのこの、という前に、その愛国心って…?

僕は愛国心なんていうものが自分に有るとは思えないけど、それでも国旗を傷つけようとは思わない。

そして、見回してみると部屋に日の丸はひとつもない。

そのうち物価高が高じて給食も全部、ご飯と梅干しだけになったりして。

自宅から持ってくるものも強制的に、日の丸弁当になったりして。

それで愛国心に目覚める、なんて喜ぶ奴が出てくる…?

正直、あんな野郎どもが日本という国の、また、ある県のトップに居座っている、などという現実が存在する以上、愛国心を持つことは無理だろう。

これから危険な夏本番というときに、なんとも暑苦しい嘘を涼しい顔してつきまくる連中をみていると、いよいよ日本もお終いかな?なんて思ってしまう。

九州の人達、気を付けてください。

38℃とか39℃とか言っていたし。

でも、東京だって少ししたらそんな気温になるでしょう。

しかし、またつまらないこと書いてしまった。申し訳ない。

地震 雷 火事……物価

もうおやじは怖くない。

あれよあれよと知らぬうちに上がっていく物価の方が怖い。

しかし、地震は怖い。

気を付けてください、と言われても…。

あの何とも言えない、あれ?なんか音がする…あれ?揺れているかな?あ!来た~!という瞬間。

それから右へ行き、左へ行って、窓を開け、玄関を開け、少し収まったかな、というところでテレビをつけてみる。

どこだったんだろう…? 震度は? 

そして完全に収まっても自分の身体がなんか揺れている感じがする。

いつまで続くんだろう、というのも怖い。

このまま続いてもっと大きく揺れだしたら、という考えが頭をよぎる。

今、ここでキーボードを叩いていても、あれ?揺れたかな?なんて思ってしまう。

いやいや、この机が古いだけ。

そういえば最近のゲリラ豪雨というのも、決してあなどれない。

これでミサイルなんかがしょっちゅう飛んで来たらもうこの世の終わりだ。

相変わらずバカどもは何も学ばずにやっているが。

ところで、

今日、本当は「陽の当たる道」で音楽会の予定だったけど、木曜日くらいから犬飼さんと相談していて、結論として延期を決めました。

晴れ男伝説を破ったのは誰だろう、なんて他人のせいにしちゃ駄目だろう!

ダブル台風ということでさぞ凄い事になるかな、と思っていたが大したことがない午後だった。

しかし、場所によってはえらいことになった所もあっただろうし、交通機関の心配をするよりも次は盛大に「雨に消えた音楽会」でも唄えばいいかな、と思っている。

あれ「いこまいか」で台風に襲われた前日の夜、北山氏が書いた詩に僕と平井氏が曲を付けたものだ。

彼はピアニスト、僕も元々ピアノから音楽に入ったので、僕らの作り出したコード進行は独特なものだった。

多分、普通のギタリストでは思いつかないものだろう。その辺の解説もいつかやってみたいと思っていたけど、いいチャンスかも。

ところで、なんか揺れているような気がするのは、このところ続けて起こった地震のせいで三半規管に影響が出ているのかもしれない。

今夜、また起こされるのは嫌だなぁ。

また呑み直してしまうではないか。

みなさんもどうか無事でありますように。

それにしても、子供の頃、台風がくるのはけっこう楽しかったような想い出がある。

近所から、窓に板を打ち付ける「トンテンカンテン」という音が響き、懐中電灯や、ろうそくを用意して、わくわくしていた。それでもやっぱり大変な被害に遭ってしまう場所も少なからずあるので、子供の頃の気持ちとして許してください。

そうして考えるとやっぱり地震が一番怖いかも…ですね。予測不可能という意味で。


読書はほとんどしない。

かといって、中学生の頃はパール・バックの「大地」(結構な大作で聞き慣れない人物の名前を覚えるだけでも苦労した)や、スタインベックの「怒りの葡萄」ヘミングウェイの「老人と海」など、ま、数えきれるほどの読書は経験した。

後年、立花隆の書いた「宇宙からの帰還」これは、常に持ち歩いていたくらい好きな本だった。

なぜ、急に本のことを書き出したのかというと、ある人…いや、別に「ある人」という必要はない、

フリージャーナリストの土屋康夫さんから一冊の本をいただいたからだ。

これは、彼、土屋氏が3年余りをついやして作り上げたもの。

タイトルは「うたは心のパンである」

他ならぬ、高石ともやの生涯をあらゆる側面から取材を、繰り返し繰り返し、書き綴ったものだ。

詳しい内容に関してはここでは書かないが、是非みなさん手に取って読んでほしい一冊。

もう3年目にもなろうとしている。

時の流れは歳と共に早くなっていくようだ。

何故なんだろう、同じ24時間、360日余り…なのに。

桜を楽しんでいたかと思えば、近頃は生存が難しいほどの夏になり、せっかくの秋はあっという間に去っていき、そして凍えるほどの冬が来る。その繰り返し。

そんな繰り返しの中でどれほどの出会いと別れがあったのだろうか。

この本は、そんなみなさんと高石氏を再びつなぎ合わせてくれるであろう。

値段


マウスウォッシュを買おうと思って薬局に行ったら、前の倍ほどの値段になっていた。

これは…吐き出したら損や!飲むしかない…って、なんでやねん。

とにかく全ての物が、あれよあれよという間に値上がっている。

消費税0とか1とかケチなこと言っていないで、自分らの給料を減らせよ!

たいした仕事もしていないやつ大勢いるんだろうに。

2年経ったらもっと物の値段が上がっていて、消費税20%とかになったら、もう何も買えなくなる。

近所のマーケットに行っても先ず見るのは「おつとめ品コーナー」

昔、新聞で先ず見るのは「死亡欄」そんなようなもんだ。

政治家は高級料亭で、たらふく飲んで食べ、僕らは水を飲んでもやしを食べている。

もやしも値上がりするらしいが…。

とにかく、もうみんな知っていることで、何を今更!と思うでしょうが、マウスウォッシュは勿体ないから飲みましょう、と提案したくてこんなくだらないことを書いてしまった。

何を買っても、なんだか中身が減ったなぁ…なんていうこともしょっちゅう。

自分の中身まで減ってしまいそう。

物価高なんて他人事という顔している連中を見るたびに胸糞が悪くなる。

さ、豆腐でも食べて気をとり直そう。

梅雨本番


どことなく身体がだるいような…やっぱり湿気のせいかな。

それでも身体は動かさなければ、と思い夕方には少し外に出るようにしている。

今の時期はそれでも朝のウォーキングは可能だが、これから先、朝が駄目になるとなおさら少しは身体を動かすために夕方には外に出たい。

先日、またサウンドタムにお邪魔した。

いよいよ休息に入る前の録音物をあとひとつ作っておこうかな、と考えたからだ。

2003年以降、バンジョーアルバムを2枚作ったが、かなりのリハビリが必要だった。

それにアレンジに関する考えでもかなり頭を使った。

それでもなんとか勢いで乗り切ることが出来たのは、ほかならぬタムちゃんのおかげだ。

そしてサポートのベースマン、てっちゃんのおかげでもある。

それからナターシャートリビュート。

これは比較的スムーズに録音が進んだような気がするのは、始まるまでに沢山悩んだからかな。

悩みながらもこれは作らなければいけない、と強く思っていた。

そのプレッシャーは自分なりにかなり感じていた。

何と言ってもオリジナルメンバー最後の生き残りなので。

そして今現在のギターアルバム。

これについてもさんざん悩んだが、なんとか録音にこぎつけた。

ほとんどがギターアンサンブルでありながら最後に「君かげ草」を入れたのは、やっぱり高石さんへのお礼も兼てだった。

前作の「そして秋」につぐ彼の名作ではないか、と思っているし、アルバムタイトルにもちょうど良く当てはまったし。

そして、今回サウンドタムにお邪魔したのは次のアルバム、おそらくこれでしばらくは休もう、と思っている、まぁ最後ではないかもしれないが、それくらいの気持ち。

聞くところによると、CDのプレスやカバーを作るコストも相当上がるようだし、そのうちCDというものも無くなるのではないか、という話。

その前に作っておかなくちゃ。

というわけでもないが、とにかく4枚のアルバムを作って神経を使い果たしたかも、って考えた。

でも、音楽を続け、あと一つ作るとしたらどんなものになるだろうか…などと、だんだん考えがまとまってきたのでまたお邪魔したわけだ。

そうして第1回目のセッションが終わり、東京に戻ってきた。

冬だとそんなに疲れを感じないが、そこで今回お題にある「梅雨」だ。

なんかだるい。

戻って片づけをして、少し食べて、相当疲れていたので少し横になろうかな、と思ったが、いやいや、それではいけないと思い、歩きに出た。

無理せず1時間ほど考え事をしながら歩いた。

シャワーを例によって1分ほど浴びて(お湯)8時には就寝。ハッとして起きたら9時半。

「ありゃ、もう朝か?」いやいや、そうではなかった。

そしてすぐ寝てしまった。

そのまま4時にトイレに起き、それで十分だったのに次に気がついたら5時半だった。

いったい何時間寝たんだろう…なんて思い、やっぱり相当疲れていたんだな、と感じた。

もちろん、録音も疲れるものだが、それプラスこのジメッとした湿気だろうな。

これからはしばらくそんな体調を抱えながら動かなければならない。

よく省ちゃんが言っていた。

「この湿気は失敬だなぁ」

おあとがよろしいようで…。

看板


僕は日ごろから歩きながら様々な看板を見るのが好きだ。

別に看板フェチでも宣伝オタクでもない。

しかし、なかなか面白いものもある。

その多くは忘れてしまうものだが。

もう50年にもなるだろうか…大阪で見た看板はよく覚えている。

というか、これは交通安全標語だったが。

「100キロ出して50で死ぬより、50キロで100まで生きよう」

正確ではないかもしれないが、こんな文言だった。

これ作った人、やった!と思っただろうなぁ。

僕も特に文句はないし、なかなか面白いと思う。

これはつい先日だったが「親も止まろう、子供も止まる赤信号」みたいなけったいなものを見つけた。

これにはちょっぴり異論がある。

今の世の中、大体からして「赤は止まれ。青は渡れ」とは言いにくい。

赤で止まることは分かるが、青でも危険な時がある。

僕は常に青でも右と左を交互に見ながら渡る。でないと自転車やらが突っ込んでくる可能性があるからだ。

時と場合によっては車が突っ込んでくるかもしれない。

なので、スマホに目を落としながら悠々と渡っている奴はよっぽど危機管理能力に欠けているんだろうな、と思わざるを得ない。

誰も信じてはならない世の中、というのも困ったもんだが、危機管理能力は身につけておいた方が良い。

賃貸かなにかのキャッチコピーで「席はゆずっても、夢はゆずらないで」みたいな文言があったが、そのままだと、席はゆずってもゆずらんでもいいけど、夢はゆずらないように、みたいな感じ。

ちょっと理屈っぽいか。

「席は進んでゆずりましょう。でも、夢はゆずらないで」

では長すぎるのかなぁ。

まだまだ沢山あるけど、ほとんど忘れてしまっている。

あんなもんにどれだけのお金がかかっているんだろう。

看板のはなしに戻るが、アメリカで「Tariyaki」というのもあって笑ったなぁ。

あれ、アメリカ人だったら結構「てりやき」に近い発音で読むから、かなぁ…?

Teriyakiだと「ティリヤキ」みたいになるからかなぁ…?

「Togo」というお店。テイクアウト専門かと思ったら「トーゴー」という店だった。

「Old Clam House」という、シーフードレストランがあったが、あれ、OldがHouseにかかっているので問題ないがClamにかかっていたら腹こわすでぇ、てなことを言って笑っていた。

1800年代創業の有名なお店だ。

全く関係ないが、たった今ニュースを小耳にはさんでかなり驚いた!

「住宅街にひょう!」え?クマの次は豹か、と思ったら「雹」だった。

なんか看板や標語の事をもっと思い出そうと思っていたが、先日もニュースで、何とかは「数%」と言ったのを「スーパー銭湯」と勘違いした。

こうして、ちょっとした言葉の聞き間違いとか、看板の文言などに気がつくとなかなか面白いことがあるもんだ。

日々のウォーキング


今は朝5時前後くらいが最適な時間だが、これからはそうもいかなくなってくる。

やっぱり夕方、それも6時過ぎないと無理だ。

それも少しは風が出てきた時。

やっぱり汗が相当出るので、そこに風が当たると気持ちいい。

多摩川の河川敷は気持ちいいが、汗でなくクマが出たら困る。

ま、この辺はまだ大丈夫だと思うが、何とも言えない。

そのうち渋谷のスクランブル交差点をクマが歩く…なんて…それは無いか。

東京はカラスも結構怖い。

不用心に歩いていると頭すれすれに飛んでいく。

あれ、近くに巣があるせいで威嚇しているんだろう。

まるでヒッチコックだ。

あいつら、鳥肉として食えたら食糧難になっても大丈夫だろうな、なんて…考えもしないが。

とにかく夕方5時になると、あちこちから「夕焼け小焼けで~♪」というのが流れてくる。

しかし、カラスと一緒に帰りましょう…なんていうほど友好的ではない。

あれ、防災行政無線チャイムとかいうらしいけど、この辺のは「カラスと一緒に~」の所で+5の音が入る。

ついついそのまま半音上がってまた半音下がるように思ってしまうのだが…そんなことはどうでもいい。

試しに他の所の同じ放送を聴いてみたら、それぞれ少しずつ違うんだなぁ、これが。

因みに、厚木市のはキーはG#で最後は「帰りましょう~」の「しょ~」のところが、C#mになっているではないか。ちょっと考え過ぎ?

こればっかり集めている人もいるみたいなので、世の中には変わった人がいるなぁ、なんて思ってしまうが、おかげでいろんな「夕焼け小焼け」が聴けた。

中にはめちゃ音程の悪い、なんか何十年も使い古したカセットテープがビロンビロンにのびたようなものもあって、あれ毎日聴かされたら音程悪くなるだろうな、なんていう余計な心配をしてしまうものまである。

「俺がむかし夕焼けだったころ…」亡くなったんだよね、あの人。

サインもらったなぁ。省ちゃんと新幹線で一緒になって。

あれ、今日はウォーキングについて書こうと思ったんじゃなかったっけ。

雨などで一日すっ飛ばしてしまうとやっぱり不安になってしまう。

楽器の練習と一緒だろうか。

一日休むと1週間分くらいを取り戻さなくてはならないような…。

ま、運動の場合はそんな訳にはいかないが、取りあえず少しでもチャンスがあれば外に出て歩き始める。

そうするといろんな事が考えられるから。

それに景色も楽しめるし、近所になんかコミカルなおばあちゃんが居て、聞いたところによると伊勢崎の出身、という事だ。

あれ?省ちゃんのお父さん、伊勢崎じゃなかったかな?おもろい人が多いのかな?なんて…。

幸いにも膝も腰も痛くならないし、15000歩くらいは歩くようにしている。

いつまで続けられるかな?

台風が近づいている

なんとなくジメッとしてどんよりとした空。

風が、少し冷たいような生暖かいようなよく分からない感じで吹いている。

早朝のウォーキングも済ませ、台風がいよいよやってくるだろうし、明日のために残り野菜でタイカレーを作り、それから少しやるべきことをやって、天気の情報でも、と思い、テレビをつけた。

そこで、また観てしまった。

なんと「Killing Field」を。

この映画85年公開、となっているので、多分日本で一度観ているのだろう。

アメリカでも観た記憶がある。

カンボジアの事は何一つ知らない。

ベトナムの事だって何一つ知らない、といってもいいだろう。

また映画を観て泣いてしまった。

この映画でアメリカ人記者の助手を演じた人は、元々カンボジアの医師で演技の経験は全くなかったのに、アカデミー助演男優賞を取ったというから驚きだが、確かに自然でありながら迫真の演技だった。

4年もの間ポル・ポト政権の下で強制労働に就かされた、というから迫真の「演技」とは言えない。

特に彼が強制労働から逃げ出して森や畑を歩くシーンでは、観ているこっちまでぞーっとするようなシーンがあった。

彼のその一瞬にして地獄を垣間見たような身震いがとても演技(映画)とは思えないものがあったからだ。

彼のことは凄く印象に残っていて、そんなある日、これはアメリカでニュースを観ていた時、耳に飛び込んできた。

彼がロスアンゼルスの自宅近くで射殺された、というニュースだった。

1996年のことだった。

台風とは全く関係ない事を書いたが、久々のこの映画をまた思い出しながら外の雨と風を眺めようかな。ジンのロックかなんかと。

5月30日 サウンドタㇺ

素晴らしい天気に恵まれて一路群馬県を目指す。

この暑さはまだまだ許せる範囲。

後2週間もすれば地獄の窯の入口に差し掛かるだろう。

台風も沖縄に接近しつつあるようだし。

そんなことを考えながらサウンドタㇺに向かう。

今日も脇山えりかとのコラボ…というよりCD同時発売ライブ。

今回は一部にたっぷり「脇山えりかワールド」を聴かせていただいた。

一週間前よりも落ち着いていたように見えるが、本人は結構あがっていたようだ。

いや、どれだけ経験を重ねてもあがるもんだ。

それでもスムーズに話も進み…あ、いや、途中で曲順を間違えて、ぜんぜん違う話をしてしまったが、それもひとつのご愛嬌。

そしてやっぱりそういうこともライブの醍醐味のひとつだ。

2部はまた僕がギターソロから入った。

タムちゃんはこれでもか!というくらいのギターサウンドを作り出してくれる。

あまりに素晴らしい音でちょっぴり萎縮してしまいそうになるくらいだ。

それでも珠玉のアイリッシュ、スコティッシュのエアーを思い切り弾いた。

ほぼ内容は前回のグッドストックと同じだったが、今回は「ダッチマン」を歌わせてもらった。

本当に高石さんの訳詞が素晴らしいこの歌は、ベルギーでのハウスコンサートを思い出す。

サビの部分は英語でみんなと一緒に歌った。

なんか他人事ではないこの歌、とても心に沁みるものがある。

そして「街」

間奏はえりかさんの今回のアルバムタイトル曲「Home」を入れて、それもよく合うようだ。

強制アンコールは「川のほとり」

彼女の声はこういった自然を歌うようなものにとてもよく合う。

みなさんもそんなことを感じてくれたと思います。

終了後、タムちゃんと久しぶりに遅くまで飲んでお話をしたので朝は5時半までぐっすり。

トイレに行って結局また7時まで寝てしまった。

トータルで6時間くらい寝ているので大丈夫だろう。

それでも、これからは睡眠をよく取らなければならない。

きちんと朝食を食べて、適度な運動もして汗をかき、水もちゃんと飲んで、そして良く寝る。

これが暑さを乗り切る唯一の方法かもしれない。

みなさんも良い夏をお迎えください。

明日から6月。日本の6月はもう夏です。

グッドストック東京 5月24日


なんか少し雨も降るかも、という予報だったが曇り空の一日だった。

おかげで暑くもなく寒くもなく、じめじめもしていなく、ちょうどよい日和になったと思う。

今日は福岡出身の「脇山えりか」とのCD同時発売コンサート。

彼女の歌声は素晴らしい。

ウクレレ片手にシンプルに歌うその姿も良いし、これからが楽しみな歌い手だ。

500マイルから始まった彼女のソロ。

曲目のリストに「1,500マイル」とあったので僕は1500マイルかと思い、えらい遠くなったなぁと思ってしまった。なんていうのは冗談で…。

彼女のコーナーに於ける僕の呼び出しは、甘いもの大好きな僕のために一節だけ歌ってくれたが、なかなかどうして、彼女もよく食べる。

もちろん甘いものに限らず、小さな体でとてもよく食べる。

でも、やっぱりよく食べる人は気持ちがいい。それも、なんでも美味しそうに食べるし。人間の基本、あるべき姿だろうな。

そして僕のギターに美しい歌声を乗せていただいて、あといくつかソロで歌ってもらって休憩。

二部は僕が今回のアルバムからのスローエアーでスタート。

PAのマンドリン弾き兼靴屋さん…いや、やっぱり靴屋さんがメインかな?その吉田さんが素晴らしい音を作ってくれた。

そして数曲スタンダードチューニングで歌い、そうそう、野ばらと鳩を歌ったが、前回もこのグッドストックで歌ったとき歌詞が出てこなかった。

お客さんに教えてもらったが「あんたそれ、次の歌詞や」とか言って笑った。

今回もそんな感じで、ひょっとすると、この場所とこの歌の作り出すひとつのミステリースポットか…次回もやってみよう。

冗談はさておき、僕のコーナーの最後はやっぱり「街」

こうして一緒に音楽会をやるきっかけになった歌だ。

そして、用意したアンコールは「川のほとり」

やっぱり彼女の澄んだ声がこの歌にもぴったりだった。

九州から聴きに来てくれた人もいたし、会場は満席だったし、みんな良いお顔で聴いてくれたし、オーナーの新見さんもつかみどころのない良いおじさん(因みに年下)だし、申しぶんない一日を過ごすことができた。

帰りに電車の駅で声をかけてくれた武蔵小杉からのご夫婦(勝手にそう思っています)も有難うございました。

武蔵小杉というと、ウォーキング中、考え事をしながら何気なし武蔵小杉の駅まで歩いてしまった経験があるのです。

往復で3時間以上も…さすがに疲れましたって、そんな話をして別れました。

みなさんもえりかさんの歌声に癒されたことでしょう。

考えてみれば、全く接点のないこんなコラボも珍しい。第2弾は今週土曜日サウンドタㇺで。

彼女のCD「Home」は好評発売中。

僕のCD「Lily of the Valley」も好評発売中です。

摩訶不思議


ここ最近、ちょっと不思議な光景を二つほど見た。

先ず、朝早い時間のウォーキング中。

6時ころかな、もう朝日がまぶしくてサングラスがないと厳しい感じ。

ただ、空気はまだ日陰ならひんやり感じる、そんな朝。

少し下り坂になっている所を歩いていると、正面から見慣れない光景が出現した。

年の頃は30代半ばくらいの男の人。

そこそこランニングとか、そういった運動には慣れている感じだった。

彼は傾斜の軽い登坂。

ランニングショーツにタンクトップの彼の手には日傘。

その日傘を片手に結構なスピードで走ってくるではないか。

思わず2度見してしまった。

確かにUV対策としては一理あるが、これからこの季節のマラソン大会などは日傘必須になるんだろうか…。

なんかそこまでして走らんでも…と思うが。

彼の場合、明日は雨っぽいからなんとしても今日中に、と思ったのだろうか。

また会うかもしれないので訊いてみようか…って、余計なことに首を突っ込まない方が良い。

しかし、日傘片手に一生懸命走っている姿はちょっぴり滑稽だった。

そしてもう一つ。

たしか数年前にも見かけた光景だが、また久しぶりにお目見えした。

近くの商店街を行き来している、見たところ僕とそう変りない年齢のおじさん(おじいさん?)がいる。

そして、一目瞭然だが、限りなくホームレスっぽい。

大量の荷物をビニール袋に入れたものをリヤカーに括り付け、あちこちに出没している。

それだけでは別に不思議でも何でもないが、僕にとってなんとも腑に落ちない事柄がある。

その人、閉まっている商店の前に腰かけ、なんと「i Pad」らしきものを操作しているではないか。

大量の荷物に埋もれて大谷君の結果でも見ているんだろうか?

株価のことが気がかりなんだろうか?

ひょっとしたらフリーランチの情報なんていうのが…?

いや、それはそれで良いのだが、問題は、どういう契約をしているんだろう。

月々の支払いとか…これは摩訶不思議。

ひょっとしたら趣味でそのようなライフスタイルを持っていて、ちゃんと何処かに住んでいる財閥みたいな人かも。

向こうは向こうで「なんかいつも同じ格好して歩き回っているじいさんがいるな」と思っているかもしれない。

しかし、あのi Pad…?

今度訊いてみよう…って、それこそ余計なお世話だ。

ま、ウォーキングもちょっとした外出も、いろんな人間模様を見ることが出来てなかなかに面白いもんだ。

5月 2026

一昨年の5月は下旬から9月の中ごろまでずっと水シャワーだったようだが、

去年の記録を見てみると、去年は5月下旬ではまだ水が冷たかったようだ。

今年は下旬からもう夏、と言えそうな感じだけど。

しかし、この時期、朝晩は涼しくてまだ掛け布団の必要性を感じる時がある。

朝5時過ぎからのウォーキングもまだまだ涼しさを感じて気持ちがいい。

汗もそんなにかかず、タオルで拭く程度で済む時があるけど、そろそろ水シャワーの出番かな。

今日は5月18日。

ドクターサウンドに出向き、「道」「愛の小舟」「コットンフィールズ」など、木田ちゃんがメインで歌った歌を唄ってきた。

お店のギターをあれやこれや弾いて「お客様~!」

その手には乗らんぞ、と言いながら2時間ほど。

こうしていると、来年の昼下がりにはこれで行こうか、という話にも繋がる。

おっと、その前に、僕には月末のライブが控えているんだった。

新人の脇山えりかとのCD同時発売ライブ。

僕の方は少しフライングして5月初頭には世に出してしまったが…何と言っても5月1日はすずらんの日、という事だったので。

とにかく、彼女の声は青空のように澄んでいて、その上とても良いメロディを作り出している。

僕の方は久々のDadgadによるスローエアーなどを中心に、何曲か歌も歌うつもりでいるが、メインは新人の紹介だと思っている。

もちろん、数曲は一緒にやるが、全く異なる音楽形態なので、俗にいう「コラボ」なるものとは一味違う会になるはずだ。

乞うご期待、というところ。

さて、いよいよ分からなくなってきた世界情勢。

僕らは何をどうして生きていけばいいのだろうか…。

これから作るCDのジャケットはやっぱり白黒だろうか。

これはまだ良いけど、お菓子の袋とか、やっぱりあまり美味しそうに見えないかも。

物は足りている、なんて言っているのは政府の奴だけ。

現場を見ようともしなければそういうことになるんだろうな。

さぁ、水シャワーで節約しようっと。

Lily of the Valley ライナーノーツ後編

7 O’Carolam’s Ramble to Cashel / Sheep in the Boat

90年代初頭からもっとも好きだったハープ曲をギター用にアレンジしてよく演奏してきた。

ある時、サンフランシスコでアイルランド移民の為のコンサートがあり、僕らティプシーハウスのメンバーに加え、ストーリーテラー、ダンサーやシンガー総勢10人ほどがステージに上がった。確かその時初めてこの曲をソロで弾いたのだと思うが、会が終わると80代と思われる女性が二人涙を浮かべて「素晴らしかった。あなたのギターを聴いて故郷を思い出した」といたく感動してくれている様子だった。この人たちもいろんな事情で故郷を離れて暮らしてきたんだなぁ。

それにしても美しいメロディだ。続けたのはJunior Crehanの作になるジグ。このメロディも大好きなものだ。

ギターソロから二つのギターを合わせてみた。

8 The Night in that Land

Johnny Cunninghamの美しいワルツ。彼とは一度だけステージを共にしたことがあるが、こんなにも自由自在にフィドルを操る人も珍しい。言い方が難しいし、他にも考えられないくらい素晴らしいプレイを目の当たりにしてきたが、彼の場合、まるで子供が無心にお気に入りのおもちゃで遊んでいるようだった。とても気さくで人懐っこくて陽気な彼がこの世を去った後、NYでの追悼コンサートにも参加したが、兄のPhilの後姿は本当に寂しそうだったのが忘れられない。

ギターを少しだけ重ねて。

9 Declan / The Butterfly

これもひたすら美しいエアーだ。Donal Lunnyの作だが、この人の作曲能力、アレンジ能力にはいつも感動させられてしまう。本来フルートやローホイスル、そしてイーリアンパイプスなどが活躍する曲なので、ギターだけというのもなぁ、と思っていたが、かのJeff Beckもやっているしそれも有りかな、と考えた。そして続く曲は、1970年中ごろからのお気に入りだったもの。

京都の、とあるレコード店で何気なくジャケ買いしたボシー・バンドのアルバムで、衝撃を受けた。その中でも最も気に入ったのがこの曲だった。元々Tommy Pottsの曲とされているが、この辺はその基になっているものがあるなど、多くのコメントが寄せられている。中でもNoel Hillの演奏によるSonny McDonagh’s Flingsはそのものずばりだとしか思えない。こんなことを考えだすと一生かけても時間が足りない。

ギターソロから少しにぎやかに沢山のギターを重ねてみた。

10 Opus24

 ライナーノーツにある通り、これは24歳の時に創ったもの。何気なしピアノ練習曲なるイメージを持って、バンジョーをオープンCに合わせてみたらできあがった曲。

11 君かげ草 / Leaving of Liverpool

この歌は高石氏の作曲したものの中でも特に好きなもののひとつだったが、何故か前作には入れなかった。理由はないが多分アレンジが思い浮かばなかったのだろう。

そんな中、ふと思い浮かんだのがLeaving of Liverpoolのメロディだった。

前作の「街」のように、僕にしか浮かばないアイディア(であろう…)を、と常に考えているのは音楽を奏でる者にとって大切なことだと思っている。

もちろんオリジナル作品というものもそうだが、僕にとってこういう音楽をやっている以上、古き良き時代のものを多く知ることは重要な事柄だ。そんな中でこのようなアイディアが浮かんでくる。

ギターと少しだけマンドリン、最後にバンジョー、それになんと、エンジニアのタムちゃんがベースを弾いてくれた。元々ベース無しで録音したが、全体のバランスや、曲に入った時の感じなどによって、ベースが入った方が…と考えていたら、なんと彼が心を読んでいたように、彼自身が弾いたものと、そのままのデータの両方を送ってきた。二つ返事でOKを出した。

12 Melodies of Scotlamd

 あえて「メドレー」とはしなかったことに特に理由はない。

 それに、特に各曲の説明も必要ないと思っているし、ボーナストラックのようなもの   として聴いてください。ギターひとつだけで音も重ねず、皆さんの居間で弾いているような雰囲気を味わっていただけたら嬉しいです。                                                                     

 しかし、世の中には美しいメロディが存在している。こんなに美しいメロディが存在する人間界をわがもの顔に破壊する各国の指導者がこの世から消えてしまうことを願ってやまない。

 今回のアルバムの曲は、その多くが1700~1800年代に作られたものだ。

追記; このアルバムを坂庭省悟に捧げたのには訳がある。 

よくツアーの宿泊先で彼がリクエストしたものだ。「じゅんじ、ギター弾いてくれ、きれいなやつ。わし、それ聴いて寝るわ」

僕が弾き始めると、ほどなくしてスヤスヤと眠りに落ちていた。

いつになるか分からないけど、そんなに遠くない将来、また聴かせてあげることができる…かな?それまでとりあえずこれ聴いててくれ。

君を愛した人、ナターシャーを愛した人、みんなが君と一緒に聴いてくれると信じている。

補足: アルバムカバーについて

このシリーズ「Back to Banjo」については、道端で拾った子猫、これしかない!

と決めて、過去の写真を探した。確か、バンジョーに無理やり乗せて撮った写真があったなぁ、と。なんで猫?という意見もあったが「猫ブーム、なんでも猫を使えば売れると思って…」なんていう、いつもいろんな商店で販売している猫グッズを観ていたのでこのアイディアを思いついた。

ま、2作目は自分の姿でも良いのではないか、と考えたころから次はちょっと違うものを…と考えていた。そんな時、かなり前から気になっていたアルバムカバーの事をふと思い出した。

うん、こんな感じで行こう…。

それはTony MacMahon&Noel Hillのアルバムで女性が塀に寄りかかっている、多分それは絵であったと思うが、とても印象に残ったものがあった。

中身が想像できない、というのかな。

そして、なんかこんな感じにしたいな、と思っていた。

そんな中でも、ナターシャー・セブンのトリビュートを考え出してしまい、急に京都の風景を描きたくなった。

元来、絵を描くことは好きなのだが、構図のアイデアがなかなか浮かばない。

そこで京の街角というとあの「犬矢来」だ。ここはこれしかないでしょう、と制作に取り掛かった。あのアイディアは次に使えばいいか、と。

そしてトリビュート録音の最中に見つけたのがこの一枚の写真。

元々、何故か僕の頭の中に例の「女性が塀に寄りかかっている…」というイメージがあり、こちらは「女の子が空を見上げている」というような構図はどうだろうか?などという構想があったので正にビンゴ!だった。

いろいろなデフォルメを試してみたりしたが、なにも細工しない方が良いだろう、という事に落ち着いた。

そしてタイトルも今までに使わなかった字体にしてみたい、と、お願いした。

まさにこの感じが求めていたものだった。

裏には僕が描いたスズランの花。

君かげ草を挿入曲に考えていたので、いっそのこと、これをタイトルに…と思った。

どこか「フェミニン」なものを全面に押し出したい、というイメージがあったが、全てに的中した、と感じた。

元々、アニメっぽいとか、少女漫画っぽいとか、今までとは違う全く想像が付かないものにしたかった、という考えがあったことも事実だ。

さて、実はすでに次作の構想を練っているが、まだアルバムカバーのアイディアはない。

そんなに早まっていいのだろうか。

先ず、このアルバムがある程度出ていかないと「次」というのは難しいのに。

そんなこんなで思いをめぐらせている毎日。

しかし考えるべきことが沢山ある、というのは素晴らしいことだ。

今日は何を食べようか、でも良い。それは何を使って何を作るか…ということだ。

少なくともぼくにとっては。

音楽も人生もそういうものかもしれない。

世界があらぬ方向に向かっているような今日この頃。

このアルバムが皆さんに安らぎをもたらしてくれることを祈っています。

Lily of the Valley ライナーノーツ前編


1 Planxty Joe Burke

Charlie Lennon 作のこの曲はアコーディオン奏者のJoe Burkeに捧げたと言われるも   の。著作権は何故かLiz Doherty となっている。

Joe Burkeはいつも奥さんのAnne Conroy と一緒によくお会いしていた。どちらもと    ても温厚で大好きなミュージシャンだった。

彼女はアコーディオン奏者でもあるが、ギターも弾いていた。そのギターは「00ー18」ではなかったかと思う。訊いた事があるが年代までは訊かなかった。見た感じ、50年代のもの?

Joe Burkeもいつもニコニコして話かけてくれたが、2021年に亡くなった。

同じくCharlie Lennonも2024年にこの世を去ったが、偉大なミュージシャン達だった。

  マンドリン、バンジョー、ギターはレギュラーチューニングを2つ重ねてみた。

2 Swan LK 243

1900年にShetlandで造られたという船の名称。曲はハープ奏者のCatriona Mckey。あまりの美形に眼を奪われてしまうほどの奏者だが、曲も負けじと美しい。

これは聴いたとたんに胸が締め付けられるほどのものだった。ギター曲としても十分成立している。

  Dadgadならではの響きを生かし、今回はセコンドギターも加えてみた。

3 Hornpipe Selection

勝手に好きなホーンパイプを連ねてみたが、最後の曲は正確に言えばバーンダンスだ。

Galway Bay Hornpipeは数多いホーンパイプの中でも特にすきなメロディ。特に後半は気に入っている。

同じくこれもけっこう好きなホーンパイプBrown Coffin(別名Factory Smoke)もしかしたらこの逆かもしれないが、僕は93年のMartin Hayesのアルバム以来この名前で呼んでいる。

ここで終わるつもりだったが、なんとなくメジャーのキーに行きたくなってこの曲を選んだ。 バーンダンスだがこれも親しみやすく可愛らしいメロディだと思う。タイトルも可愛い。作者はGian Marco本名だろうか?

ギター2本に最後バンジョーを重ねてみた。

4 Roslin Castle / Planxty Fanny Power

なんとも悲しげなこの曲は18世紀のスコットランド曲だが僕にはどうしても「花嫁人形」に聴こえてしまう。Roslyn と書かれている文書もあるが、William McGibbonという人物によって書かれ、James Oswaldによって採譜されたという説がある。

これで終わるとあまりにも悲しいので、メジャーの曲でこれも美しく大好きなO’Carolanの名曲をつなげてみた。コード進行は僕の解釈によるもの。特にBパートはこれしかないでしょ!と言いたくなるくらいのものだと思う。

ギターソロから2本のギターアンサンブルであっさりと仕上げてみた。

5 Shetland Air

これはうんと昔にも録音したことがある曲。Paul Machlisはカリフォルニアのピアニストでなかなか素晴らしいアルバムを沢山リリースしているので、僕も何曲かギター用にアレンジさせてもらっている。

これはギターソロ。Dadgadならでは、という響きだと思う。

6 An Dro / The Wren

独特なブレットンチューン。何も書くことがないくらいに単純だがくせになる曲調だ。2曲とも同じことが言える。でも、本当はこういう曲がいちばん難しいのかな。これらの曲を僕はKornogの演奏から覚えたのかもしれない。良いグループだった。

  2本のギターで。

5月3日 ドクターサウンド

この日、お茶の水ドクターサウンドで久しぶりに高橋創とのコラボでミニライブを行った。

ライブと言えども、コンセプトはあくまでお店にある楽器をみなさんに手に取っていただく、というものだと勝手に解釈して始めた。

出口はもう鍵がかかっているので、お買い上げの方から順番に外に出れるようにして、なんてめちゃくちゃなホルムズ海峡のような説明をした。

もちろんそんなことはないが、とりあえず、お店の楽器を沢山用意していただいたので、後ろにならんでいても「あれ、どれ弾くんだっけ?」なんて迷ってしまった。

曲はほぼ打ち合わせなし。

しかし楽だ。

ちょっとした会話で「じゃぁやってみようか」となる。

これがトラッドのいいところだ。

それに創も百戦錬磨。

大体の事は理解してくれる。

そして今回の特別な事は、何と言っても広島から来てくれたシャーンノス・シンガーの「とあさん」

彼女はシンガーとしてアイルランドでも一目置かれているほどの人で、僕はちょっと前にここで出会ってどぎもを抜かれたほどだった。

その時は1階でなんとなく遊んでいて、歌を歌ってもらったら、あまりの素晴らしさに2階の店員さんが何事か、と聴きに来たくらいだった。

今日も素晴らしい歌声を披露してくれた。

そしてフィドルも創のバンジョーと共にいい感じで弾いてくれた。

今日はアイリッシュがメインの音楽会だったが、ここでやっぱり小林君に登場してもらわないといけない。

僕がドクターサウンドによく来るきっかけになった人なのだから。

そしてやっぱりフォギー・マウンテン・BD

約一時間の間スローなギターデュオあり、オールドタイムソングあり、なかなかバラエティに富んでいたかも。

全く打ち合わせなし、というのはこの音楽ではよくあることなので、また機会があったら…今度はもう少し長い時間やることもできるかな…なんていう気持ちも沸いてきた。

天気も上々だったし、やっぱり今年も晴れ男でいけそうだ。

ドクターサウンドのスタッフのみなさん、早くからいろいろな作業を有難うございました。

時間

夕方6時過ぎてもまだ明るくてなんだか時間が分からなくなってきた。

毎日のように決まった時間にお勤めに出ているような人達にはそんなこともないのかな?

でもおかげで早朝にウォーキング出来るようになった。

要するに気温もあるが。

夕方でもちょっとウォーキングに出るか、とか考えてしまう。

普通、飲みに行こうかって考えるのかな。

確かに、アイルランドの夏はそうだった。

夜10時でも明るいし、さぁこれからだ!という感じ。

10時というとトイレでいったん起きる時間だ。僕にとっては。(そうでもないか)

その代わり冬なんか夕方の4時くらいになるともうかなり暗いし、朝はいつまで待ってもやってこないような憂鬱な気分になる。

日本は南北に長いから北海道と沖縄ではずいぶん違うだろうなぁ。

しかし、キアラン君の家の庭でワインを飲んでいた夜11時ころ、向こうの空がまだ明るかったことをよく覚えている。

それなら確かに「飲みに行こうか」という事になるんだろうなぁ。

「おいおい、今飲んでるじゃん」と言っても飲みに出かける。

やっぱり友人たちと会って話をする文化なんだな。

僕なんか、もったいない、が先立ってしまう。

大して飲めない酒をわざわざ外で飲もうとは思わない。

すぐ寝れる態勢を整え、家で飲んだ方がよっぽど気楽だ。

でも、それ以上に、会って話をする、というのも彼らにとって大切なことなんだろう。

僕がよく飲んで話をするのはレコーディングスタジオのタムちゃんのとこくらいかな。

考えてみりゃそこもすぐ寝れるし。

時間も気にしなくていいし、気がついたら12時をまわっていることもよくある。

しかし、人生は長いんだろうか?短いんだろうか?

76年ってけっこう長い。

気分的にはあと4年くらいで十分だと思っているが、4年後まだ元気でいたら、後3年くらいで…なんて言っているだろうなぁ。

そんなことを考えていながら、1分1秒が過ぎ去ってゆく。

時間はいくら気にしても一日は24時間と決まっているのに。

睡眠

友人が電話をよこした。

正直なところ僕は完璧に寝ていた。

時刻は21時を大幅にまわっていたが、何故無視しなかったかというと…その友人はいつもうんと早く寝る、と豪語していたので、何かあったかと。

最初の言葉が「じゅんじさん、寝てるんか?」

僕はすぐに「なんかあったか?」と尋ねたが彼の返答はこうだった。

「今日、面白い話を聞いた。本当にいいのは遅寝早起きだって」

僕は道連れに遭ったわけだ。

「なんじゃそりゃ!」だ。

その日、僕はずいぶんと疲れていた。

ちょっと運動しすぎて2日間で30キロ以上歩いたのと、友人の買い物に付き合って人ごみを歩いたのとで、今日はいつもより早く寝てしまおう、と決心していた。

なので先ずメールをくれたら良かったのに、と思ったが後の祭りだ。

結局15分ほどその「遅寝早起き」なる講釈を聞かされて「はな、わし寝るわ」と。

こっちはそれから寝れなくなった。

まぁ、確かにあまり早く寝ると、下手すると3時とかに起きてしまう。

スパっと起きてしまえばいいが、その時間だとまだ身体がだるい。

理想的には23時から2時の間にしっかり寝ていれば良いらしい。

なのでおそらく22時~5時というのがベストだろう。常にそんなに上手くはいかないが。

食事は16~17時くらいに済ませて、夜中に目が覚めても絶対になにか食べたりしない。

よもやワインやウイスキーなどを少し飲んでも絶対に固形物は入れない。

そうしておくと、朝をさわやかな気持ちで迎えることができる。

若い時にはどんな時間でも平気だった。

夜中に天下一品のラーメン、ピザ、なんでもござれだったが、今そんなことをすると次の日一日がつぶれてしまう。

睡眠の話に戻るが、昼寝も30分くらいはした方がいい、とか昼寝の前に、なんと、コーヒーを飲んだらいい、とか逆説のようなものを唱える学者もいる。

言えることは寝ようと思って寝付けない時は無理に寝ず、布団から出る。

これは大切な事だと思う。

なんかすれば良いのだ。

遅かったらバンジョーを弾くわけにも、掃除機をかけるわけにもいかないが。

なんかすることをみつければいいのだ。そのうち眠くなる。

スマホ、パソコン、テレビは駄目だな。

とにかく睡眠は大切だ。大谷君に言われなくても分かっている。

ところで、この野郎!と思って昨夜の友人に7時半ころ電話してみた。

果たして…起きていた。

「あかん!いつもと一緒や。今晩は早う寝よう」だって。

ま、なんだかんだ言って個人個人違うものだ。

少なくとも今日は変な時間に電話してこないだろう。

アルバム「Lily of the Valley」について

多くの方に先行予約をいただき、感謝、また感謝です。

ところで発売日ですがオーダーフォームの方で明記しなかったこちらのミスで、数名の方から「まだ届かない」というご指摘がありました。

HP コラムの項目で5月、または5月半ば、と記載したので、それでいいかなと思っていました。

混乱を招いたようで申し訳ありません。

様々な事情でそうさせていただいたのですが、コラム4月9日の項目で「当初より早くお届け出来るかも」と記載した通り、4月の最終週には発送できそうです。

10strings CDsのご案内のところで5月発売を明記しなかったので申し訳ありませんでした。

そんなことで、今しばらくお待ちください。

なお、ライナーに書ききれなかった、曲目に関する更なる解説も追って記載いたします。

余韻

あまりに楽しかった昼下がりコンサート。

その余韻で身体が重い。

筋肉痛もさることながら、頭も痛いのかボーっとしてしまっているのか、よく分からない。

これではいかん!と思い立ち、歩きに出たが、なんか空からポツポツと…いや、晴れているし大した雨にはなりそうになかったが、怖いので近所を徘徊して6000歩くらいで終わらせてしまった。

戻ってしばらくしたら友人から採れたてのタケノコが届いた。

開けてみると、その大きさにびっくり。しかも3本。

本当に「採れたて」らしく土も多少ついている。

さて、どうしよう。

そんなに大きな鍋もないし、ここはカットして湯がくしかない。

それにカットすればガス代も少し短い時間で抑えられるかも…などと考えながら仕込みを始めた。

かくして、確かに時短でいけたようだ。

それから、カットしてタッパに水を張って保存…いや、待てよ。少し土佐煮にしようと思いたち、それも作ってみた。

レシピは必要ない。

勘だ。でも美味しくできた。大体味は分かるので。

残りでタケノコご飯を作ろうかと思っている。

タケノコのおかげで身体が元に戻ったようだ。

やっぱりやるべきことがある、というのは素晴らしい。

昼下がりコンサートでも様々な課題があったし。

それを考えて前々日からほとんど寝ることが出来なかった。

ま、年取ると睡眠時間も少なくなるのは当たり前なので多少寝れなくても何とかなる。

しかし、我ながらよく動いている。

単にじっとしていられないだけなのだが。

横になろうと思っても、ふとゴミが目に入ってしまったら(この場合、見えてしまったら)コロコロで掃除を始めてしまい、その範囲はどんどん広がってしまう。

結局、夜以外は横にもなれない性格だ。

そんなこんなで余韻に浸る、とかいうことはあまりないが、素晴らしい昼下がりコンサートだった。

スタッフに感謝だ。

昼下がりコンサート2026

天気は上々。

寒くはなく、暑くもなく、湿度は比較的低そう。

アマチュアバンドの皆さんも益々いい演奏を聴かせてくれるようになってきたし、時間は守ってくれるし、言う事ありません。

今年も実行委員会の面々が、様々な意見を持ち寄って何度も何度も打ち合わせをしてくれました。

皆様に伝える文章の文言についてもかなり気を使って練りに練って作ってくれたようだし。

慣れてきたと言えども徐々に規模が大きくなってきているので大変な作業も増えてくる。

何と言っても今回の一番の呼び物はあのフォーククルセダーズのナンバーだ。

こういうものを手がけるうえで、僕の考えでは「懐かしい」だけでは収まり切れないものにしなければいけない、と常に思っている。

なんか「懐かしのフォークソング大会」とかいうものが好きではない。

もちろん懐かしいことは当たり前田のクラッカーだ…ってこれも懐かしい、か。

そういう意味でも今回の歌と演奏はとても満足がいくものだったと実感している。

そして今年も東さんが素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

僕もブルーグラスのテナーを頑張ってみた。

元々、大学生の頃も、もちろんナターシャーでも(意味分かるよね)バリトンだったので。

ケンタッキーワルツを、と言っていたが直前にテネシーワルツに変更。

省ちゃんがいたら芸者ワルツになっていたかも…?

さて、もういろんなことを書いていたらきりがないので、とにかくスタッフ達には足を向けて寝れない。

様々な所に住んでいるので何本足があっても足りない。

「虫さんのホテル」という小話で「ムカデさんの靴を脱ぐ音が一晩中うるさくて苦情が…」なんでいうのがあったなぁ。

話を元に戻して…。

みなさん本当にお疲れ様でした。

遠路はるばる、またご近所から足を運んでいただいたみなさんも本当にありがとうございました。

また来年も会えるといいな。

棚に上げて

なんだかみんな自分の事を棚に上げてるなぁ。

世界中の偉い(?)人達。

いやぁ、大したもんだ。

あれだけ嘘がつけて、あれだけ「お前がいうか?」という事を平気で言えるって。

どこの国とは言わないが「冷静に、節度をもって…」なんて報道官とかいう偉い(?)人(?)動物が言っていた。

全く笑かしてくれる。

ところで、先日キッチンの棚の上を掃除した。

まぁまぁ隅の方にはほこりもあったし、どうしても脂っこくなっている。

油汚れクリーナーなどというシートを100均で買ってきたが、どうもようわからん。

なんだか、フロアー用とか電子レンジ用とかテーブル用とか、いろんなもんがあるけど、どれも変わりないんじゃないかな、と思う。

パッケージだけ変えられても僕らには分からない。

棚の上の嘘や自画自賛、しょうもない言い訳を落とすシートがあればいいのに。

しかし、彼らの棚の上はそういったもんでもう手が付けられない状態なんだろうな。

もう洗い落とす手段はないだろうな。

彼らがこの地球上に居る間は。

棚の上の掃除をしていてそんなことを考えてしまった。

老化

今朝は老化について、これは予防できる、なんていうのを朝のコーヒータイムで観ていた。

全く僕が普通にやっていることが、これ見よがしに語られていた。

あれ?この日本語おかしいかな?

実しやかに、のほうがいいのかな?

いや、けっして適当な学説ではなかったので…まぁどうでもいいけど、言いたいことは重々承知の事柄だった。

なかでも「腹八分目」という事が言われていたが、どうせ以前のようには食べることができない。

甘いものは別として。

しかし、これも常に実践していることだ。

普通に仕事をしている人には無理難題だが、要するに14時間ほどは胃袋を休ませてあげるべきだと常々思っている。

理想的には16時ころには食べるものを全て済ませてしまい、次の朝7時か8時くらいに朝食を取る。

仕事をしている人は帰宅が20時21時にはなるのでそれから何も食うな、というのは酷だ。

でも、若い時はそれでもいいと思う。

僕らも若い時は際限なく食えたし…ありゃ?僕だけ?

確かに他の誰よりも食べたかもしれない。

ウエイターが「本当にいいんですか?」というくらい注文したこともある。

余談だが、先日息子が「結構多いですけど、大丈夫ですか?」と訊かれていた。

話を戻して…しかし僕の場合、食べなければ食べないで全然平気だったので、適当な食生活であったとも云える。

だが、ここ数年、例の「腹八分目」は実行している。

確かにちょっと多めに食べてしまうとなんだかしんどい。

ま、本当はだれでも、ある程度年とったら分かっていることなんだろうけど。

粗食と適度な運動。

これしかないと思う。

他の健康状態に関しては、遺伝もあるだろうし、元々の体質もあるだろうし、誰だって病気になりたいわけではないし。

過度の飲酒、日々のたばこ、これらは僕には無縁だ。無煙だ(?)

究極、いかに死ぬまで動き回るか…に尽きるな。

身体は無理しない程度に動かし、無理にでも休ませる。

胃袋も必ず12時間以上休ませる。あんまり食べない(これは自分への戒め)

常に考え事をする。

面白いと思うことを見つける。

観察力を養う。

これくらいしかないかな。

さて、昼下がりコンサート、いよいよ今週末になりました。

皆さんの元気なお顔を見るのが楽しみです。

何気なしに


今朝、恒例のウォーキングから戻ってコーヒータイムに何気なしにテレビをつけた。

そこでふと目に留まった番組が「ふたつの祖国を生きて」確かそんなタイトルのドキュメンタリーだった。

父親がハワイに移住。そこで生まれた男の子が小さい時、日本の教育を受けるため、広島の親戚を訪ね、単身広島で住むことになる。

やがて真珠湾攻撃が起こり、ハワイに残った家族は収容所に送られる。

そうして彼は広島で原爆の被害にあう。

幸い命は助かったが、後にアメリカに戻り、今度は朝鮮戦争のためにアメリカ軍人として派兵される。

原爆で殺されかけたのに、なんでアメリカ兵になるんだろう、と思った、と回想していた。

もっともっと深い内容だったので短く書いてしまって申し訳ないが、

こういうものを見ていると堪らなく涙が出てしまう。

僕の息子も以前、自身のアイデンティティについて何か言っていたような気がする。

クリントンが大統領だった時、US Marine海兵隊に入ろうかな、などと言っていた。

ブッシュになってからは言わなくなったが、今だったらどうなんだろう。

なんか現地の日本語学校の卒業写真とか見ると面白いことに、ほとんどの子が、たかだか数年アメリカにいただけで顔つきが違う。

何と言っていいのか分からないけど、ひとことでいうなれば「東洋人」だ。

今、日本の若い男の子とか、何故かみんな韓国ドラマに出てくるような顔に見える。

いや、それとはまた違うんだろうけど、それはきっとこちらも年とって若い子の顔が判別できない、というところのものかもしれない。

卒業写真だが、もしかしたら写真の撮り方にもよるのかなぁ。

よくアメリカ映画なんかで家族の写真とかが暖炉の上に飾られているのを見るが、あれって日本の写真と一味違うような感じがする。

以前、日本人の子とアメリカ人の子にカメラを渡して好きなものを撮りなさい、と言ったら、日本人は「風景」を撮り、アメリカ人は「人物」を撮った、という話を聞いた。

人物はあくまで、友人や家族だったらしいが。

そういう感覚の違いもあるのかなぁ。

それとも言語の違いからか…。ほとんどの子はほとんどの時間英語だけ話し、家に帰れば日本語を話し、友達と出かければ英語を話し、土曜日になれば日本語で授業を受ける。

そりゃ顔つきも変わるかなぁ。

ま、なにはともあれ、アイデンティティの話に戻るが、そのドキュメンタリーの彼も自身のアイデンティティについては相当悩むことがあったんだろうな、と思う。

僕らには想像出来ない大きなテーマだ。

今度、何気なし息子に聞いてみよう。

自分は日本人だと思うかアメリカ人だと思うか。

去ってゆく春

もう桜も終わりだろうなぁ。この頃やたらと風が強いし。

などと思いながら、早朝のウォーキングに出かける。

昨日は、もういいだろうと思い、手袋を置いて出たらとんでもなく寒い。

いや、寒いというのではなく風が冷たかった。

ちょっと調べてみたら、気温7℃そして体感が2℃と出ているではないか。

こりゃ寒いはずだ。手も冷たいはずだ。

桜もかなり散ってしまったかな?と思っていた。ところがどっこい、なかなかしぶとかった。

緑もところどころ見えていたが、まだまだ満開といえるほどの桜を楽しみながら歩くことが出来た。

といえども、今朝は緑の部分が良く目立つようになっていた。

一日違うとこんなに違うんだなぁ。

春は駆け足で去って行ってしまう…という実感。

春を象徴するものはやっぱり桜だが、菜の花も捨て難い。

一面に黄色の絨毯を敷き詰めたような菜の花畑というものは僕にとって印象深いものがある。

それはまだ小学校の低学年だったころ。

母親の入院先が、見事な菜の花畑に面したところにあった…記憶では。

なんせ70年も前の事。

でも、そこを歩いた記憶はしっかりある。

まだ小さかったので、菜の花が意外に大きかったような記憶もある。

あれはいったいどこだったんだろう。

僕にとっては、春=菜の花=病院、かな。

さて、New Album 「Lily of the Valley」君影草ともすずらんとも呼ばれるこの花。

5月に北海道に行ったとき、すずらんの香水というのを買った記憶がある。

初めて北海道に行ったのは1971年の11月になっている。

僕は確か初めての飛行機。「あ~もしかしたら人生もこれで終わりかも…北の大地の果てに散る…」なんて密かに思っていた。

割と薄手のウインドブレーカーを着ていた僕に「あなたそんなんじゃ死にますよ」と、高石さんが言っていたことはいまでも鮮明に覚えている。

5月は2回目の北海道だったんだろうなぁ。

僕にとっては、5月=すずらん=北海道、かな。

アルバムでは「君かげ草」を前作の「街」と同じコンセプトで収録しています。

このアルバムの先行予約を始めました。

当初より少し前倒しして、5月の早い段階で皆様にお届けできると思います。

世の中が…

先日、エレベーターに乗ったら、すぐ後から普通の大人、年の頃は30台後半くらいの男が乗ってきた。

僕は10階を押し「何階ですか?」と訪ねたら、何も言わず4階を押した。

感じ悪いやつだなぁ、と思ってふと見ると、耳になんか突っ込んでいる。

なるほど、聴こえないのか…いや、もともとそういう奴なんだろうな、と分析した。

本当に自己中心的な人間が増えているような気がする。

スマホにしか目がいっていない奴。

周りの音は聞こえない方が楽だと考える奴。

頭の中ってどうなっているんだろう。

ちょっと話は飛躍するが、朝、小学校の周りで学童を見守っている黄色い旗を持っている先生たち。

口々に子供たちに「おはようございます」と言っている。

僕は「おはよう!」でいいんではないか、と思う。

そのかわり「おはようございます」は子供たちが大人に言うべきではないか。

案の定、返事をする子もいるが、素通りしていく子の方が多い。

なんかデパートの開店直後、店員さんがズラ~っとならんでお辞儀をしているの嫌いだ。

頭を下げていく大人は少ない。

子供もそれを見て成長していくんだろう。

自転車は降りて歩いてください、という商店街を子供連れの自転車が走行していく。

駅前はある意味通学路でもあるのに、平然と喫煙所を設ける役所。

臭くて堪らない。

そのせいで町全体が臭い。

まるであれやこれや文句の多い老人のようだけど、本当に文句を言いたくなるような事柄が多い。

さて、もう4月だ。

驚くほどに早く過ぎてゆく。

2025年の4月にこんなことを書いていた。

「いまだにスマホ見ながら自転車に乗っている奴がいる。罰金取れば…」

やっとその制度が始まるようだが、罰金は3万円くらいでいいと思う。

4月1日初日の罰金徴収額が全国で100億円とか…面白いなぁ。

そういえばエイプリルフール。

普段から嘘をついている政治家はこの日くらい本当の事を言わないだろうか。

嘘もつき続ければ…などという言葉もあったなぁ。

しかし、保身のための嘘で翻弄され続けた市町村、され続けている国民、広くは世界中の普通の人達。

どうなっちゃっているんだろう、世の中は。

雨桜…?桜雨…?

どちらにせよ、今日の東京はしとしとと雨が降っている。

良かった。風はない。

しかし、やっぱりいいもんだ。

春になれば桜が咲き、そして生存困難な夏がやってくる。

一番好きな小さい秋は…本当に小さい秋になってしまった。別な意味で。

冬は冬で場所によっては生存困難な寒さになる。

そして多くの人が待ち焦がれる春…。

おそらく花粉症の人以外だろうけど。

僕は未だに経験していない。

一説によると、現代病の一種で古代人に近い人は、かかりにくいとか…ほんとうか?

そう言えば、足の指がとてもよく開く。誰かが靴を履く前の人類はそうだったらしい、と言っていたが…ほんとうか?

急に話が変わって、先日、久々に「最高の人生の見つけ方」を観てしまった。

もちろん「Bucket List」の方だ。

ジャック・ニコルソンもモーガン・フリーマンも流石だ。

そうだなぁ、そろそろ考えなくちゃ。

いや、もうこのまま朽ち果ててもいいか…わしゃ錆びる、命も腐る~♪か。

良い映画だったなぁ。

映画館というものにもとんとご無沙汰だ。

もう何年も前に行ったとき、チケットの買い方がよく分からなくて苦労した。それから行っていない。

マックというものも、以前ダブリンの空港でマシンの前でくじけてしまった。

それ以後一度も行っていない。特に食べたいわけでもないし。

先日、静岡のスーパーで自動レジを使い、東京に戻った際、いつもの店の自動レジが違うシステムで

ぼ~っとしていたせいもあるが、もうちょっとで支払いを忘れるところだった。

危ない危ない。

万引き老人になってしまうところだった。

世の中が便利になってきたのか、いろいろ尾びれ背びれがついて…クーポンやらポイントやら、本当にめんどくさい。

やたらとカードばかりで財布は膨らむ一方で(現金では一向に膨らまない)とは言えども、やっぱり支払いは現金派。

「お支払いは?」「はい、よく現金な奴って言われるんで」

さて、新譜につて。

「Lily of the Valley」

4月の早い段階で先行予約を受け付けようかと思っております。

当初の予定では5月13日発売としましたが、出来れば5月の連休明けにでもお届けできたらいいな、と思っております。

ひたすら美しいアルバムに出来上がったと感じております。

懐かしい曲も入っています。

詳細につきましては近日中に10strings CDsの項目に掲載いたします。

あ、雲が途切れてきている。

桜でも見にいくか。お金を持つと桜餅なんて買っちゃうかも知れないので手ぶらで…。

ああいえば…


世の中には、ああ言えばこう言う、とか、こう言えばどうなる、とか、いろいろあるなぁ。

最近ではやっぱり一番驚いたのが「世界の繁栄と平和を…」という言葉だったなぁ。

あの言葉、そのまま受け取ったら絶対、閻魔様に舌を抜かれる事案だろうなぁ。

しかし、上手いことおだてたかもしれない。

言った本人の本心はどうなんだろう。

脳が赤面したんじゃないかな?

いや、ああいう人種はそんなことにいちいち反応しないようにできているんだろう。

それに、確かに聞いている僕たちにも外交の難しさは分かる。

特に話の通じない相手には。

でも、ある意味、庶民にしてみれば政治家だって話の通じない連中なので…人間って何だろうね。

「わたしたちは世界中の子供たちと共にいます」

これには流石に驚いた。

あまりにひどすぎてマスコミさえも口をつぐんでしまったように思える。

これは1万人のバンジョー弾きがそれぞれ違うブレークダウンを弾いている地獄に落ちるべきだ。

「おばさん、と言ったのは、特定の人物のことではなく…」

お前、笑かしてくれるやないか!

苦しい言いわけ、というにもほどがある。急に話が小さくなったが。

ま、政治家の発する言葉ってだいたいそのようなものだ。

「メンタルの強さ」

といったやつもいたなぁ。

おいおい、なんにも気にしない、他人なんてどうでもいい、と思って生きてきただけなんだろう!

でも、確かにメンタル強いかも。だって入院していないようだし。

こんな小さな存在よりも、世界がどうなっていくのかが気がかりだ。

なんとか我が人生が終わるまではこのままで行きたい、と思うが、それじゃぁその後はどうでもいいんかい?という話になってくる。

そういえば、中国のロボットのことで「ロボットが自分で判断して行動する…」という開発が進んでいる…って、自国民には自分で判断することを禁じているのに、なんて思ってしまった。

ターミネーターの世界も近いのかな。

世界はいつ滅びるんだろう。地球はいつ無くなるんだろう。

2027年はやってくるんだろうか?

今のうち桜を堪能しておこうかな。桜餅も…。


グリーン・ゾーン

久々にこの映画を観た。

イラクの大量破壊兵器に関する15~6年前の映画だ。

主役はマット・デイモン、僕はこの俳優、結構好きだ。

それはともかく、やっぱり見ごたえのある映画で、引き込まれ方が半端ではない、と感じた。

ラスト近くで「イラクの事はイラク人が決める。アメリカ人ではない!」と言うセリフ。

9・11の時、息子たちが「起こるべくして起こった」と言ったのと同じだった。

マイケル・ムーアは高評価を示したが、アメリカ国内では苦々しく思った人が沢山いたのだろう。

捏造された大量破壊兵器に関する資料をジョージ・ブッシュが、嬉々としてKinko’sでコピーしていた、

なんて…もちろんそれは無いにしてもなかなか面白い。

湾岸戦争で多くの友人の子供たちが派兵され、街では多くの市民が拘束され…そんなシーンをいっぱいみてきた。

9・11の翌日、ニューヨーカーの友人が「子供のころあのビルが出来上がっていくのを毎日のように眺めて楽しみにしていたよ」なんて言っていたっけ。

ベトナム人のおばちゃんは「アメリカはいったい何をしたいのか。これから何をするんだろうね」と。

さて、これから先、世界はどうなっていくんだろう。

この映画を観ていてまたそう思ってしまったが…。

どうなるんだろうか?

以前、トランプは世界をどのように変えてくれるのだろう…変えてしまうのだろう、

と書いた事があったが、あれは2024年の年末だった。

早くも、というか思った通り好き勝手にやっている。

そしてとうとう戦争だ。

中東は誰にもどうにもできない。

例えそれが全能といわれる神でも。

トランプは自分を神以上の存在だと思っているんじゃないかな?

中東に関しては、あの土地のあの空気、景色に触れると、あ~これは人知を超えた場所だなぁと、そんな感じにさえ思える。

ましてや、その国で生まれ育っていれば、感じるどころか…というところだろう。

でも、なんとなくベトナム人のヴィンさんの言葉を思い出してしまった。

「戦争は悪いことと決まっている。でもあの戦争のおかげで多くのベトナム人は、何事にも屈しない強さと民族の結束力を身につけたんだ」

また、別なイスラエルの友人は「例え、首を落とされようが、両腕をもぎ取られようが私たち、ユダヤ人は決して屈しない!」

この人、今どうしているのかな?

ヴィンさんもどうしているんだろうか。

4人も子供を連れて何日も小さなボートに揺られ、最終的にアメリカにやってきた。

僕らが自由気ままに大学生活を謳歌していた頃か、或いはナターシャーで日本全国をまわっていた頃だったろうか。

それにしても日本はとりあえずなんとなくずっと平和だ。

ありがたいことに。

金の事以外には無気力、世界に対しては無力な政治家のおかげだろうか…おっと。

やっぱり日本も徴兵制になればいい、と今も思っている。

ある人は今の戦争には役に立たないというが、そんなことは重々承知の上で、この災害大国においては被災した土地の復興には少しくらい役立つかもしれない。

猫の手も借りたいとき、猫よりは役に立ちそう。

時間を問わず、飲み屋の前で煙草を吸いながら、暇そうにたむろしている若者を見ると本当にそう思う。

世界はこれからどうなっていくんだろうか…って考えたってどうしようもないんだろうか。

三月です

ひな祭りも終え、全く雨が降らなかった日々が続いたと思ったら、一日中雨が降り、そして春の嵐が来て、もうすぐ耐えがたい暑さがやってくる。

なんか桜を楽しむ間もないくらいに春は駆け足で過ぎてゆくんだろうなぁ。

そんな中、とうとうやりやがったか!とイラン攻撃。

詳しいことは分からないけど、またまたトイレットペーパーを買わなくてはならない…かもしれない。

人間が生きている以上仕方がないのかな。いや、トイレットペーパーの事ではなくて。

ちょうどチャップリンのドキュメンタリーをやっていた。

ま、今だからだろうけど、その中でとても興味深い言葉があった。

「彼は成功を収めるたびにふさぎこんでいた。それは、次どうするか、という悩みにとりつかれていたからだ」

分かるような気がする。

ものを作る、というのはそういう事だろう。

規模は小さいけど、結局、僕もずっとそんな事ばかり考えてきた。

最初のBack to Banjoの時にはすでに2作目の着想はあったが、2作目を終えた後、考えた。

しかし、それほど悩むこともなかった。

それは高石氏が亡くなるという俄かに信じられない事柄が起きたことで、考える時間が短縮されたのかもしれない。

今、作るべきものはこれだ!という思いでKeep on the Sunny Sideを作った。

選曲には多少迷ったが、それでも比較的スムーズに事は進んだと思う。

さて、そうなると。

そう。次だ。

そうして取り組んだのが今回のアルバム。

なんとか形になったので5月には皆さんのお手元に届くと思うが、もう次の事を考えなくてはならない。

でもその前に今回のアルバムを宣伝しなくては。

今しばらくお待ちください。

そんな風に常に次 次と考えてしまう。究極のせっかちなのかな?

前にも書いたかもしれないけど、せっかちの人の方が人生が短いような気もする。

あ~のんびり生きられたらなぁ…と思うけど、ゆっくり座ってものを食べることもできない。

自分の部屋でも気が付いたら立って食べている。

洗い物しながら食べている。こりゃ駄目だ。

なので、この3月もあっという間に過ぎていくんだろうなぁ。

中東はどうなるんだろう。

ミサイルは飛んでこないだろうけど、とばっちりは間違いなくやってくる。

とばっちりと言うのもちょっとおかしいが、僕らには何も出来ないので仕方ないかな。

春の夜長

普通、「秋の夜長」なのだが、ひょんなことからある記事を見つけ、それをフォローしてみた。

4秒間鼻から息を吸って、7秒間息を止め、8秒間で口から息を吐く…これを繰り返すこと3~4回。

すると、あら不思議、1分で眠りに落ちる。

やってみた。…眠れない。さっぱり眠れない。

医学的にも、交感神経がどうのこうのと立証されているらしいが、そういう暗示みたいなものには一切引っかからない性質なのでこれはどうにもならない。

そうなるといろいろ考え事が頭の中でグルグルとまわり始める。

先ずCDの事。

ここ2年間作り続けてきてずっと思っていたこと。

次は前作を越えなければ意味がない、という当たり前の事。

ただ、自分が出来る事というものにも限界があるし、それは聴く側に判断してもらうしかないか…と思いつつ、なんとか前作とはまた一味違うもの、などと考え出したら4秒、7秒、8秒どころではなくなってくる。

いつまで作れるかも分からないし、最後はどう締めくくろうか、とか。

その「最後」というのはいつ訪れるものなんだろうか…とか。

そうこうしているうちに夜も更けてきてお腹も空いてくる。

6時までには食べるものを済ませているので、かれこれ7時間、いや、もう8時間か。

しかし、若い時ならここでラーメンとかなるんだろうが、ここで食べたらしんどいだけだ、ということも分かっているし、そんなに食べたいとも思わない。

よく思うが、もし人間が食べなくて済む生き物だったら、楽だろうなぁ。

トイレだって必要ないし、紙も要らない、水も流さなくていい。

宿泊先のトイレ事情とかめちゃ気になるタイプなので、そんなことも気にしなくていいし。

食事の事も考えなくていい。

あそこのスーパーよりもこっちのほうが安いけどポイントがつかないし…なんて考える必要もない。

でも、もしそうだったら、友人や家族が集まった時、何するんだろう?なんていうしょうもないことを考えながら時間がどんどん過ぎてゆく。

もうちょっと建設的なことは考えられないのだろうか。

そしてまた音楽の事を考え始める。

そんな風にしてまた鼻から息を吸ってみる。

堂々巡り。

春の夜長、まだしばらく続きそうだ。

冬も終わるかな…?


いよいよ冬も終わりそう…ってまだ2月なんですけど。

今日は歩いていて汗かきました。

冷や汗くらいはよくかくけど……。

この調子でいくと日本も4月から夏という事になるかも。

そして10月いっぱいはまだ夏。

もう一年の半分以上は夏、という事になるかも。

ま、その時にはもう居ないだろうけど。

これから生まれてくる人たち、どうするんだろう。

東京も当たり前のように45℃なんていう日が60日も70日も続くのかな。

かとおもえば、何メートルもの雪が降って…もうめちゃくちゃです…ってトランプ関税?

2年したら消費税は30%…?

いろいろ大変だなぁ。

自転車の罰則なんて、どこまで取り締まれるのかな?

ながらスマホ5万円、信号無視10万円、逆走15万円…これくらいが妥当ではないかと思うけど。

そうすれば税収なんてあまり気にしなくてもガッツリ入りそう。

全国で一日に何億円という罰金が取れそう。なんて、こういうの「捕らぬ狸の皮算用」って言うのかな。

全然関係ないが、連休の駅でとんでもない光景を目撃した。

凄く混んでいる中、バタン!という音がした。

少し離れていたが、見ると人ごみの中で白い杖の人が転んでいた。

正面から来た若い男が何も気づかず、まともにぶつかったらしい。

そして何も言わず人ごみの中に消えていったようだった。

このような動物がいなくなれば二酸化炭素の排出量も少し減るのになぁ、なんて思ってしまう。

冬も終わりになって暖かくなってくるとまたいろいろ変なやつ出てくるんだろうなぁ。

それ考えると家にいるのが一番。

でも、もうじき桜を見に行くことになるだろう。

あと何回?とか言いながら。

梅はもう散々見た。ところで、僕は梅と桃の違いが相変わらずよく分からない。

とりあえず、春はもう来たのかな…?

北九州

2月14日のバレンタインデーに10年ぶりの北九州。

飛行機が苦手な僕は…(ま、海外だったらあきらめもつくが)新幹線で行くことを決めた。

すると、旧知の友である小田原氏が13日に一緒に新幹線で行きましょう、と言ってくれた。

その少し前から仕事で東京に出てきて、この度の会の首謀者でもある彼なので、間違いなく僕を連れて行きたい、逃がしてなるものか!という事だったのだろう。

おかげで退屈することもなく約5時間の旅を無事に終え、小倉まで。

小倉というと、その昔、高石敏子さんが「おぐら一枚」と言って切符を買った、という話を思い出す。

さて、前日の13日からそんなこんなで盛り上がる兆しを見せていた当日の会。

小田原氏とその仲間たち(全員のお名前を書いておきたいところですが、ちょっとごちゃごちゃするかな、と思い、一応代表者として彼の名前だけを記しておきます)が全て機材を用意してくれて、歳も歳なのによく動き回ってくれた。小田原一座のみなさん、本当に気持ちのいい人たちで再会できたことがとても嬉しかったです。

それに演奏も素晴らしく…いえ、スーパーではないが、みんなかなり若い時から研究してきたんだな、という事がよく分かる演奏だった。

ただ、好き、というだけでなくとても熱心な人たちだ。

そして、いろんな人たちと僕も一緒になって演奏した。

フォークソング、オールドタイム、ブルーグラス…僕も次回のアルバムからスローエアーなど、久々に沢山弾いた。

九州、本当に久しぶりだった。

良い仲間と再会できた、というのが素直な感想だ。

美味しいものをいっぱい食べさせていただいて、少しだけ飲んで、けっこう目いっぱい演奏した。

終えてからも小田原氏の家で目いっぱい演奏。

帰りも新幹線は少し余裕を持っていたので、朝からまた演奏。

みんな本当に目が輝いていたし、また真剣にやりたくなった、とも言っていたし、そんな気持ちになる手助けができたと思うと僕も嬉しい。

気持ちのいい仲間に囲まれて小倉駅で食事。鉄板餃子というとても美味しいものをいただき、そして新幹線に乗った。今度は一人で…。

今、とても心地のいい疲れを感じて少し眠くなってきた。

今晩は良い夢を見れるかもしれない。

みんなの顔が浮かんでくるかもしれない。

是非、また会って一緒に演奏しましょう。お互いに刺激しあって。

アルバム発売コンサートのお知らせ

Back to Banjo 、Just a Little Memory 、Keep on the Sunny Sideに続く第4作目

「Lily of the Valley」が5月半ばに発売になります。

渾身のギター演奏を中心に美しいメロディを集めたもの。

そして今回、時を同じくして一人の新人女性シンガーのデビューアルバムも発売になります。

前回の僕のアルバムKeep on the Sunny Sideでの「街」にコーラスで参加し、その澄んだ歌声で華を添えてくれた脇山えりかさんのオリジナル作品集。

僕も2曲参加しています。

とても優雅なメロディラインと彼女の詩の世界、そして何と言っても澄んだ歌声が堪能できる良いアルバムになっています。

という事で、ならば一緒にアルバムリリースをやりましょうか、というコンセプトで5月に2か所、歌と演奏を楽しんでいただこうと計画しました。

あまりないパターンだと思います。

演奏者自身、お互いに未知の世界です。

おやじギャグ、通じるだろうか。スルーされるんだろうな。

ま、その辺は多少慣れているけど…。

スケジュールは下記の通りです。

是非お聞き逃しなきように。

CD同時発売記念ライブ  城田純二・脇山えりか

Lily of the Valley(城田純二)

Home(脇山えりか)

5月24日 (SUN) Goodstock Tokyo / グッドストック東京

Tel 03-6451-7396 東京都 大田区 北千束 3-20-8 スターバレーⅡB1

Open 15:30 / Start 16:00

予約・前売り ;¥3,500 / 当日¥4,000 (ドリンク別途)

配信視聴 ¥3,500 (一週間のアーカイブ配信)

5月30日 (SAT) Sound Tam / サウンドタㇺ

Tel 027-385-3220 群馬県 安中市 下磯部 542-1

Open 16:30 / Start 17:00

¥3,500 (ソフトドリンク 酒類持ち込み可)

なお、城田純二のアルバムについてはこちらからまたご案内させていただきます。

2026年 昼下がりコンサート

今年も昼下がりコンサートが開催されます。

4月19日(日)14:00開演。

これについての「ぶらさがり会見」はありません。

しょうもないことを言っていないで、みなさん楽しみにしていてください。

スタッフはハードワークをものともせず、そこに楽しみを見つけながら、それぞれが助け合い、手分けして推し進めてくれています。

ミーテイングも複数回開き、意見を出し合って知恵を絞っています。

時折感じてしまうのです。演ずる者が一番楽だと。

どうか皆さん、是非、そんな彼らの情熱を共有してみてください。

どんな政党よりも「やることはやる」「やると言ったことはやる」という誠意を感じる彼らです。

なお、自分の事ですが、ここで完売になりました「keep on the Sunny Side」ほんの少し京都に残っております。10枚もないと思いますが、これが無くなったら本当にもうありません。

そして「Just a Little Memory」もほんの少しだけあります。どちらも再プレスはいたしません。

更に、どちらもこの昼下がりコンサートで最後のお目見えになるのではないか、と思っております。

という、こちらの方もついでにお知らせしておきます。

この混沌とした世界の中で、ありきたりな音楽イベントとは一味違うこの昼下がりコンサートを是非楽しんでください。

僕らもみなさんの笑顔に会えることを楽しみにしております。

正義のゆくえ

ハリソン・フォードの映画のタイトルだ。

原題はCrossing Over

ずっと前にも観たことがあって、なんか「ずしん」と来た覚えがあった。

アメリカのいろんな不法移民、すでに法的に認められている移民、そしてその家族、友人などの人生を描いた、とても重い内容の映画だったが、何故いまこれだったんだろう。

ひょっとすると最近アメリカで起きている移民局の強制捜査が関係しているのかな。

副題にICE特別捜査官、とあるし、正にそれだ。

もしこのタイミングでこれを放映したとしたら、アホなTV界にも少しはまともな人がいるのかな?

しかし、この映画はほとんどの日本人にはピンとこないだろう。

2009年の映画らしいが、アメリカでもあまり評価されなかったようだ。

9・11のことも絡んでいたし、もちろんイスラムの家族もずたずたに引き裂かれ、韓国人の家族の悩みも、そしてメキシコ人の家族も登場する。

それぞれは全く無関係なままドラマは進んでゆくが、これはアメリカで暮らした経験が無いと、少し理解に苦しむ映画かもしれない。

映画の終わりは、冒頭に登場したメキシコ人の若い母親がアメリカとの国境近くで…おっとネタバラシになってしまうのでやめておこう。

沢山のメキシコ人と仲良くしていて一日中一緒に働いていたので、彼らの事もよく分かる。

何度も何度も懲りずに国境をすりぬけてくる。

そのたくましさには本当に驚かされた。

この映画では韓国系の少年も出てくるが、あ~一歩間違えばこういうやつもいたなぁ、というものだった。

ベトナム人はみんな難民だったが、メキシコ人はそのほとんどは不法だったんだろうなぁ。

ホセ…ホセ…ホセ…部屋の奥から次々に出てくる若いメキシコ人、ほとんどがホセだった。

日本人では「マサ」というのが圧倒的に多かったが、今では「ショウ」かな。

僕が居たころはベトナムから10年とちょっと。

ちょうどアメリカのベトナム介入について、いろいろとその悪い部分が語り始められたころかもしれない。いや、もうちょっと前からかな。

ベトナム戦争の映画はとても多かった。

そしてそのほとんどが、ソンミ村のことからヒントを得たようなアメリカ軍の悪行を映し出したものだった。

また最近のICEの悪行が取りざたされるのは何年先になるのだろう。

しかし、普通に忘れ去られていくんだろうな。

2026年1月20日

年が明けたと思っていたらあっという間にもう3週間も経ってしまう。

そして今年もまた誕生日がやってきた。

そして、シマエナガの日。

今日の甘いものは何がいいだろうか。

このごろ甘いものを食べ過ぎている自覚があるので君の分だけ…ってな具合にはいかない。

とにかくなんか考えよう。

お茶はパックでいいか。

君が逝ってからも世の中ではいろんなことが起きている。

なかなか面白いことから、全く困った問題まで。

この地球はいちどリセットしないとやばいかもしれない、というところまで来ている…と感じる。

政治家や金持ちだけが生き残るのはシャクだし、いっそのこと全部無くなってしまったほうがすっきりするのかも。

なんて考えながらも明日に希望を持たなければ、と思ったりもしている。

この日が来るたびに君が生きていたらなんて言うだろうな、という事を考えてしまう。

よく言っていたなぁ、「如何ともしがたい」って。

「おしなべて…」という言葉もよく使っていた。

ま、普通に健康に過ごせて、普通に美味しいものを食べて、普通に仕事もして、等々、それで「おしなべて良し」という事になるのかな。

僕の場合はまだ少しそうして生きている可能性がある。

なのでやっぱり我慢せずに、せっかくの日なので甘いものを買って来よう。

いや、作るか。

くちなしの実もまだ残っているし、きんとんか。

いや、餅もあんこもきな粉もあるし安倍川餅か。

生きている、ということはやっぱり幸せなんかなぁ…。

完売のお知らせ

皆さん、有難うございました。

この度CD「 Keep on the Sunny Side」をこのHP上での完売、とさせていただきます。

そこで、去年の12月より前にご注文されて、そのままになっておられる方々には申し訳ありませんが、キャンセルという判断をいたします。

それ以後の方々に関しては今月(1月)中にお振込をよろしくお願いいたします。

再プレスの予定はありません。

お買い上げいただいた皆さんには本当に感謝いたします。

力不足ではありましたが、それなりに過去のメンバー達、そして長きにわたって支えていただいた皆様に喜んでいただけたと思っております。

なお、ただいま次のアルバムの制作中です。

ギターのアンサンブルをメインにしたものになりますが、こちらの方は5月中ごろの発売を目標にしております。

世間はもうCDの時代ではない、ということを感じながらも、こうして皆様にあたたかく迎えていただけることを重ねて感謝いたします。

また「Just a Little Memory」においても近日中の完売となる可能性があることもお伝えさせていただきます。

Keep on the Sunny Sideに関して

皆様、有難うございます。

もう少ししたらここでの販売が終了いたします。

今現在、すでにご注文されている中で、まだご入金の無い方も多くおられますが、

後からのご注文でも先にご入金された方が優先となりますので、売り切れとさせていただくこともご了承ください。

このトリビュートアルバムは自分にとっても有意義なものとなりました。

今、また新たな録音に向かっていることはもうお知らせしておりますが、次は「音楽の持つ美しさ」

を追求したもの、という取り組みをしております。

メインはギターのアンサンブルで、今までに出会った曲の中からそのひとつひとつの音使いの繊細な部分を大切にしようかと思っております。

さて、ここからはタイトルとは全く関係ない話。

2026年になったかと思ったら、早くも1か月の半分が過ぎてしまいました。

新年早々、面白かったことは、あの市長の再選かな。

僕はあの市長、元市長か…に比べればかわいいもんだと思っていたので選ばれてしまうんだろうな、とは予測していました。

あの元市長は態度が悪すぎる。

嘘のつき方が度を超して気持ち悪かったし、面構えも気持ち悪かったし…そんな風に思ったのは僕だけではないと思うけど。

片やこちらの市長は嘘をついているんだろうけど「みえみえ」という感もあってどうでもいい、と…

もちろん他県の事だし、ま、自分のところでも特に影響はないし、なんて考えてしまった。

本当にどうでもいいことですね。

どうしても政治に携わっている輩で支持してもいい、と思える人物は一人として居ない。

なんだろうね、これは。

山火事も困ったものだし、雪も大変、クマに関してはどうなんだろう。

また少し暖かくなったら大変になってくるのかも。

そしてまた、ひたすら耐えなくてはならない中東も東南アジアも顔負けの暑さがやってくる。

果たしてこのまま2027年というものを迎えることは出来るんだろうか…。

寒い!!!2026年1月

比較的寒さに強い僕でもさすがに寒い。風がかなり冷たいようです。

そんな中、皆様のおかげでそろそろJust a Little Memory & Keep on the Sunny Side

ともに完売が見えてきました。

再プレスは行わない予定でいます。

それよりも次!と考えるほうが妥当ではないか、という判断です。

本当に皆様には感謝あるのみです。

3日間ほどまたサウンドタㇺに行ってまいりました。

いろいろ考え、いろいろ相談して方向性を探りました。

そして、今回は、珠玉のインストルメンタルをメインにとにかく美しいメロディーを集めてみようかという結論に達しました。

と言えども、今やCDの時代でもない、という風潮もある中、しつこく制作に取り掛かかったわけです。

そして、前3作とはまた違った味わいのものができると確信しております。

5月の連休の後には出来上がることを目指しております。

当初の話題に戻って…とにかく寒いですね。

みなさん風邪ひかないように。

2026年 1月1日

やれ誕生日だ、やれ大晦日だ!と言っている間にもう年が明けてしまった。

そうこうしている間に1月が終わり、2月はあっという間に過ぎ、春かと思えばやたらと暑い日が続き、そうしていよいよこのまま死ぬのではないかと思わせる猛暑、酷暑の長い長い夏を生き延び、秋の気配を少しだけ感じた後、また一年が終わってしまう。

ま、考えようによってはそうして無事1年が過ぎてしまえば、それはそれでそれに越したことはない。

政治の世界はなにか変わって、国民目線で考える人がひとりくらい出るだろうか?

米の値段がいくら上がっても、物の値段が軒並み上がっても、結局は他人事でしかないんだろうな。彼らにとっては。

国民はそんな彼らに美味しい飯を食べさせてあげるためにあくせく働いている。

この構図にはもう慣れっこになってしまった。

スポーツや芸術の世界では尊敬できる人はいっぱい出てくるけど、政治の世界には誰一人として出てこないのは何故だろう。不思議だ…?

さて、よく今年の抱負は?とか言うことを聞くが。

ま、このままとりあえず健康体を保って過ごすことができればいいかな、と思っている。

無理のない程度に身体を動かして。

音楽では一昨年から立て続けにアルバムをリリースして、さぁこれで終わり、というわけにいかなくなってきた。

なぜならば、まだ生きていかなくてはならないので。

いや、それだけではない。

今まで支えてくれた人たちのためにも。

そんな意味ではナターシャーのトリビュートアルバムは大きな意義があった。

正直、録音に関してはそんなに苦労はなかったが、そこにたどり着くまではずいぶん試行錯誤を繰り返した感がある。

頭もだいぶ使った。

料理もけっこう頭を使うけど、音楽も頭を使う。良いことだ。

いやいや、自画自賛している場合ではない。

そこで次を考えている。いや、すでに動き始めている。

因みに、トリビュートアルバムはもうすぐ完売になるだろう。

本当に皆さんには感謝しかない。

そしてナターシャー・セブンのメンバーに。

今年は進ちゃんも時間が出来たようだし、ちょっと一緒にやろうか、なんていうことも彼と話し合っている。

ナターシャー・セブンの残した功績はまだまだ色あせることなく、それどころか更に濃くなっているようだ。

昼下がりコンサートがいい例だ。今年は更に盛り上がりそうだし。

この会のスタッフたちには足を向けて寝ることができない…ってどうやって寝たらいいんだろう。

さてさて、みなさん良い一年にしてください。

良い一年になることを願っています。

2025年12月28,30日 静岡、京都

今回の静岡は28日、日曜日のお昼。

27日に静岡入りして旧友の家へ。

昔だったら夜に何処かへ出かけて、ちょっと飲んだり食べたり…だが二人とも年取ったのかな?

家が一番、ということで近所のスーパーで買い物。

因みに彼とは中学、高校と同じ学校。

高校時代にもうひとりの、彼は一学年上だったが、その彼と3人でThe Roversというフォークグループを結成していた。

当時はフォークブーム。といえども静岡では先陣を切っていたかも。

ま、そんな感じでたくさんの昔話をして、早い目に休んだ。

いつものセレンディピティで今回はお客さんの中でもナターシャー・セブンの歌を歌いたい人にも歌ってもらい、みんなでそれなりに演奏する、などという企画で進めていった。

みんな好きなんだなぁ、音楽が。そしてナターシャーが。

この土地に生まれ、この土地でフォークソングを始めた僕にとっては何とも言えない感情がこみあげてくるのは当然の事だろう。

そして、こちらは第2の故郷。いや、もう此処も同等だろう。

京都。

前日入りして昔からの仲間と食事。こちらはまだパワー全開。少し僕らより若いから…だろうか。

みんな新たに始めた昼下がりコンサートの強力なスタッフだ。

沢山飲んで、沢山食べて、沢山お話して、いつものNさんの家に着くと、100歳のお母さんが出迎えてくれる。

今回も同じ話を何回も聞いたが、その中で「まぁ、良い人生やった…」というフレーズに誰もかなわぬ説得力を感じた。

是非150くらいまでいってほしいが、そうなったらほぼ間違いなく僕らがいないだろう。

200まで…モーゼもびっくり!

そして当日は僕の76歳誕生日コンサート。

もちろん今回はナターシャー・セブン、トリビュートアルバム記念コンサートだ。

そして嬉しいことに進ちゃんがベースを持ってきて一緒に演奏してくれる。

僕も勝手に「これやろう、あれやろう」と注文つけて大変だったかもしれないけど、改めて彼の素晴らしいミュージシャンシップを垣間見ることができた。

やったことのないものでも実に上手くツボを抑えてくれるし、なんといっても寄り添ってくれるのだ。

僕はこれが最も大事なことだと思っている。

シンガーの、あるいはリードしていく相手にどれだけ寄り添った演奏が出来るかは、普段の生活の中でも生かされているんだろう。

彼の音楽に対する姿勢からそんなことも感じることができた。

僕も気持ちよく歌えたし、バンジョーを貸してくれた猪間君にも感謝。

素晴らしい音を作り出してくれた澤くんにも感謝。

僕の京都入りからCD販売、その他なんでも面倒を見てくれる、もうかれこれ50数年にもなる仲間たち、七人の会の元スタッフ、そして都雅都雅の広瀬さんとそのスタッフ。

ここもやっぱり静岡と同じ故郷だ。

打ち上げはいつものラティーノ。

ほぼ毎年、隣のテーブルにやはり12月30日の誕生パーティをする人たちがいて、なんと今年は67歳だったらしく、ちょうど良かったので僕のために使った76のローソクをあげた。

オーナーの川端さんも元気いっぱい。

また来年同じ仲間と同じ場所で会えるだろうか。

1年か…いや、すぐ来るよ、きっと。

それまで皆さん元気で。

静岡のお客さんもスタッフも旧友も、京都のお客さんも家族のようなスタッフも、そして101歳を迎えるお母ちゃんも、みんなみんな元気でいますように。

良いお年を。

あと3時間ちょっとで新年。

クリスマス

子供のころ、クリスマスになると聖歌隊がやってきて玄関先で歌って行った。

あれは、母がよく近くのルーテル教会に行っていたからだろう。

それにお隣さんはカナダ人の宣教師さんだったし。

母は、仏教のあの暗い雰囲気が嫌だ、と言っていた。

確かに教会に比べてお寺って暗い感じはする。

讃美歌とお経を(比べるものではないが)どちらがより音楽として捉えられるか…なんて。

ピアノは母の影響だったし。

そんなんで、僕も訳の分からぬままに近所の聖母幼稚園という所に行っていた。

入り口にマリア様の像があったことは覚えている。

そのほかの事はほとんど覚えていない。

でも、あの聖歌隊は母が通っていたルーテル教会から来ていた人たちなんだろうなぁ。

起床ラッパと消灯ラッパの区別がつかなかった父も聴いていたんだろうか。

以前書いた、渡辺さんのクリスマスケーキも想い出深いものだが。

さて、でも子供心に不思議に思ったことがある。

母が亡くなった時、お坊さんが来ていた。

父は、というか家はどうやら浄土真宗だったようで、母の教会通いはあくまで好みの範ちゅうだったようだ。

それで僕は、なんか一生懸命教会に通っていたのに、死んだらお経で…ってどうよ?

と思ったわけだ。

その時、10歳にしてすでに、結局、宗教って死んだときに何で送られるかだけ考えておけば良いのかな。なんか不本意だったんじゃないか?なんて思ったりもした。

でも、東京から大阪に行くのに、新幹線を使うか、飛行機で行くか、車か、在来線か、バスか…いろんな手段があるように、人間死んだら全て同じところに行くのかもしれないし、それぞれ方法が違うだけの話かな、とも思った。

なんか10歳のころの疑問だけど、いまだによくわからない。

母は棺の中で「違うんだなぁ~」と思ったかもしれない。

僕と省ちゃんみたいにハモっていたかもしれない…アホな!

あれは12月の中ごろ。すぐにクリスマスがやってきたが、聖歌隊は来なかったような気がする。

覚えていない。

12月は自分の生まれた月でもあるし、そんな事も経験した月だ。

クリスマスが過ぎるともう今年も終わりですね。

あ~忙しくもいないのに、忙しい…???

パンダ

日本からパンダが居なくなるらしい。

いつだったか上野動物園に見に行ったことがあった。

いや、特に興味があったわけでもなく、ただ単に時代の波に流されていただけだが。

万博もそうだったと思う。もちろんあの70年代の。

まだ行動力も世間一般の出来事にも興味を持つ意欲が有り余っていたころだ。

しかし、今回のパンダのニュースを見ると、老若男女、泣いている人もいる。

それはそれで素晴らしいことだ。

パンダが居なくなったって…なんて思っているが、悲しむ人も沢山いるんだなぁ。

僕にとっては餃子が無くなるほうが悲しい。

あれは中国の生み出した物としては最高傑作だと思う。

焼売もしかり。

街から中華料理店が消えたらそれはそれでパンダより困る。僕としては。

街中華、なんて言っている場合ではない。

家でこっそり餃子作っていたらスパイだと思われるかも。

僕は酢をいっぱい入れて結構「スッパイ」タレが好きだ。なんじゃそりゃ。

パンダのぬいぐるみはどうなるんだろう。

日本から撤退、なんて。

以後、パンダのデザインがついたものは一切売ることが出来なくなったりして。

クマがかわいそうって言っている人にとっては、クマもパンダも一緒なんだろうな。

確かに熊猫なんだが。

ところで、レッサーパンダも居なくなったりして。

ドジャースのバンダは最初パンダだと思った。なんちゅう名前や!と。

だんだん話がまとまらなくなってきたのでこれで失礼。

2025年12月15日

またこの日がやってきた。

この日を「饅頭の日」と定めようか。

しかし、このごろ甘いもんオンパレードで少々危険を感じている。

君が居れば手伝ってもらえたのになぁ。

歯は悪かったけど、饅頭やお団子、ゼリーやババロアだったら食えるだろう。

僕は若い時には絶対ケーキ(洋菓子)だったけど、彼は絶対和菓子だった。

もし今居たら逆転しているかも。

「げんをかついでケーキがええで!」なんて言いながら。

京都ではよく清水さんに食べに行った。

あの有名なかさぎ屋さんだ。

亀山をいとおしげに楽しむ様はいまだによく覚えている。

話変わって、

今年のトリビュートアルバムで、多くの人が君の声が聴こえた、と言っている。

確かに僕自身も驚いた。

なにも意識はしていないし、質も高さも全く違うのに、ふとした拍子に「あれ?」と、いまだに感じている。

不思議なもんだ。

今日はまたそれでも聴きながら饅頭でも食べるか…。

饅頭にはお茶だよな。

むかし、静岡生まれの僕が一発入魂の緑茶を淹れてあげたら、口に含んで「ブクブクブク」と。

「お前!」

なんていう事もあったなぁ。

よし、饅頭買いに行こう。

美味しいお茶を淹れて、君にはパックのお茶だ。

またまたゴールデンレトリバー

驚いた。

今朝ウォーキングをしていたら、見たところまだ子犬という領域のゴールデンレトリバーに遭遇した。

そして、示し合わせたようにすごく喜んで飛びついてきた。

飼い主さんが申し訳なさそうに「すみません」と言っていたが、なぜかこの種の犬は僕には限りなく相性がいいのかもしれない。

2013年の6月に同じくゴールデンレトリバーのことを書いたが、今回のはまだ子犬であり、あの時のとは違うはずだ。

なんか前世にあったのかなぁ。

僕がゴールデンレトリバーだったのかも。

ゴールデンレトリバーが僕だったのかも…同じか。

しかし、あの時、アメリカでの犬は明らかにニコニコしていた。

それは、ともすれば人間に見えるくらいクリアーにニコニコしていた。

それも僕を見るなり。

それまで普通に歩いていたのに突然僕に向かって走ってきたのだ。

今日の子犬もそれに近かった。

前世は決して信じないわけではないが、そう信じているわけでもない。

しかし、こんなことがあると、やっぱりそれってあるのかな、と思わざるを得ない。

ずいぶん前に、これもアメリカでの話だが、えらく長いことリスについてこられたこともあった。

あのリスもなんか不思議だった。

さすがにニコニコしていたかどうかは分からないが、止まって振り向くとむこうも止まり、また歩き出すとついてくる。

しばらく続いてどこかへ行ってしまったが。

こういうことってよくあることなんかな?

それにしても不思議だ。

2025年12月7日 サウンドタㇺ

お馴染みのサウンドタㇺ。

今回はお馴染み、河合徹三氏に加え、歌い手の脇山えりかも登場する。

そう、トリビュートアルバムの「街」にコーラスで花を添えてくれた人だ。

朝から抜けるような青空が広がり、またしても天気は上々。

スタジオに着くと、甘いもの好きの僕のために大きなおはぎが用意されている。

更に、えりかさんが僕の大好物「アンドーナツ」の絶品を購入してきてくれた。

更に、誰かが持ってきてくれた赤福…どうする?

僕の父も確かに甘いものが好きだった。

朝から大福なんか食べていたし。

お昼ご飯にパンを買って来る、と出て行って、袋にこれでもか!というくらいのアンパンを買っていたっけ。

その血を引いているんだろうなぁ。

さて、リハも3人で順調に終わり、いよいよ本番。

今回もありがたいことに席は全て埋まっている。

久しぶりに「別れの歌」なんか歌って、それも1部の頭の方。

もう終わり、みたいけど、皆さんのお顔を見たらこれを歌いたくなったのだ。

事前に用意してはいたのだが、ちょっと最初の方からじゃなぁ…と危惧していた。でもみんなも歌ってくれて良かったと思う。

てっちゃんと数曲やって、そうそう、「君眠る丘」はGでやるはずが、なんとなくFで入ってしまって、一番を歌ってハーモニーに来ると、なんかてっちゃんが歌いにくそうだったので、何故かなぁ?と思いながら「あ、FじゃなくてGじゃん」と言ってパッとカポをずらしてGに行った。

しかし、流石だ。

突然のFにもベースはしっかり対応していた。大したもんだ。

ま、ナターシャーでもたまにはあったことだが。

そしていよいよえりかさんの登場!

要望により僕は久々のDADGADで伴奏をする。

透きとおった声はやはり場を変えてくれる。天使が舞い降りたように。

彼女のオリジナル「サンフラワー」と「海原」で素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

現在、アルバムを製作中だが、良いものを作ってくれるだろう。期待している。

あとはてっちゃんと僕とで、ほとんどフォークデュオ。

てっちゃんの「Rambling Boy」は、これから彼の18番になるかも。

「街」に達すると、多くの人が涙…また涙で、一層みんなの歌声が響く。

若いえりかさんにとってはまた別な世界だが、このレコーディングで、しかも「街」一曲だけに彼女を起用したことは大成功だったと思うし、Mountains of Pomeroyと組み合わせたことも他に類を見ないかたちで大成功だったと確信している。

そういえばえりかさんの「サンフラワー」には間奏にスコットランド民謡の「Loch Lomond」を挿入した。

これも僕でなければ出ないアイディアだろう。

そして、最後は「陽気に行こう」をみんなで。そしてフォギー。

今回は明るく終わってみた。

いままでのコンサートの中でも一味違った、そして落ち着いた中でみんなも歌い、そして泣き、そして笑い…なんかとても良いコンサートだったような気がする。

てっちゃん、えりかさん、たむちゃん夫妻、そして寒い中を駆けつけていただいた皆さんに感謝。

京都や大阪、そして三重県からも…遠いところ有難う。

歌で恩返しができたかもしれない…と勝手に思っております。

どうかみなさん、体に気をつけて良い年の瀬を迎えてください。

2025年11月29日 グッドストック東京

良く晴れた、11月の終わりにしては暖かく、それでいて空気はひんやりとした理想的な日和になった。

良かった。まだ晴れ男健在だ。

今日もベースのてっちゃんと一緒だ。

ナターシャー・セブン、トリビュートアルバムの発売記念。

実はこの場所、グッドストックがこのアルバムを作るきっかけのひとつになっている。

それというのが…。

ここは受付のスペースに多くのLPレコードが置いてある。

いろんな分野のアーティストのものが。

前回お邪魔させていただいた時、始まる前になんとなくそれらを一枚一枚見ていた。

山崎ハコ…お~懐かしい。けっこう好きだったなぁ…。

かぐや姫の最初のアルバム…。

浅川マキ…。昔、省ちゃんと楽屋に行ったら「あたしが化粧落とした顔を見たのはあんたたちが初めてよ」と言われてビビったことがある。にっこりしていたが、ビビった。

そんな中、沢山のナターシャー・セブンのアルバムも出てきた。

それらを見ていた時、ふと「想い出の赤いヤッケ」のジャケットが眼に入った。

いや、そんなものは眼に入るわけがない。

つまらないことは言っていないで、そのジャケットをしばらく見ていた。

それは、ぼくらメンバーがそれぞれの自画像を自分なりの手法で描いたものだった。

ずっと見ていた時、すでに分かっていることなのに何故か「あれ、みんないなくなっちゃったじゃん…」と心の中で呟いてしまった。

そんな気持ちがこのアルバムをつくる決心を固めさせたような気がする。

してみると、このグッドストックは重要な位置にあると言えるだろう。

事実、ここのオーナーである新見さんは、若かりし頃、ナターシャー・セブンコンサートのお客さんであった、という人だ。

そんな意味でも今日のコンサートでナターシャー・セブンを歌う、というのはひとつの使命、とも言えるだろう…って大袈裟か。

ギターソロから入って、歌って、ちょっとバンジョーを弾いて、てっちゃんを呼んで、一緒に歌って、2部ではてっちゃんのソロから僕が是非彼に歌ってほしかった「ランブリングボーイ」

これ、凄く彼が歌うのに良い、と思ったが、ぴったりハマったし、新たなフォークデュオ、とも言える感じに仕上がったような気がしたが…どうだっただろうか。

「朝の雨」も「山と川」もすべてハモってくれて、新曲もきっちり安心感のあふれるベースを弾いてくれてとても良い音楽会になったような気がする。

集まってくれた人たちも沢山歌ってくれてとても嬉しかったし。

てっちゃんの専属整体師の女性も僕の「甘いもん好き」を良く知っていて、すばらしい大福と栗羊羹を持ってきてくれたし…もちろん始まる前にペロッといただきました。

美味しゅうございました。有難う。

音響の吉田さんはブルーグラスマンドリンプレイヤーで本職は靴屋さんだそうだ。

今では下駄や草履などトラッドなものを作っている、と言っていた。

良い音を有難う。

足を運んでいただいたみなさん、有難う。

もう12月です。

暖かくしてあと少しの2025年を楽しくお過ごしください。

トラディショナルとコンテンポラリーの狭間に

たまには音楽の事も書いてみようかな。

政治に対する疑問をぶつけても仕方ないし。

何が「メンタルの強さ」だ。ただ、悪いことをしても悪いと感じないだけだろう。

恐ろしい動物が市の長になっていたもんだ。

そういう意味では、クマと変わらない。

おっと、また始まってしまいそう。

仕切り直して。

なぜか急に自分の音楽の原点を考え出してしまった。

もちろんわかっていることだが。

多分、バンジョーの2作品、そしてナターシャーのトリビュート、この3作品を作ったことで、なお深く様々な事を思い出したり考えたりしたんだろう。

とにかく、かなりの神経を使ってきたことは確かだ。

楽曲に関する記憶を辿り、指使いに関する記憶を辿り、そして新たな指使いを創り出し…。

そんな中で自分の音楽として歩んできた道を考えていた。

ピアノは本当に好きだったようだ。シュローダーみたいに。

高石さんと出会ったのも必然的だったのだと思う。

さぁ、ヒット曲を作って…というものではなく、原点から自分たちなりのものを創り出していく、という姿勢は僕にとってぴったりだった。

そして、省悟が加わり、ここにナターシャーサウンドの基本が生まれた。

コーラスも楽器の絡みも、その基となるものは僕と省ちゃんによって作られたものだ、といっても過言ではない。

そこにきて、僕の、特にトラッドをより深く知ろうという姿勢が高石さんと酷似していたのかもしれない。

それは僕がアイリッシュを始めたころのジャックとの出会いと同じものがある。これも必然だったのだろう。

音楽はただ好きでやっていても決して悪くはないが、僕らのような音楽をやっているのならば、そのもととなるところに最低限のリスペクトは必要になってくる。

そのうえで、常に思っていることだが、バッハからロバート・ジョンソン、果てはブラックピンクまで聴くことを常に心がけている。

しかし、あの「アーパツアパツ…」というのはよ~分からん??が、ひたすらキャッチーであることは確かだ。

常に若い人の意見も尊重し、古いものに対するリスペクトを忘れたくない。

音楽に限らず、全てに言えることかもしれないけど…。

大森 風に吹かれて 2025年11月22日

ほぼ一年前 11月2日だったが、あれからもう1年。早いもんだ。

あの時は少しだけ雨が降っていたようだ。

今回は素晴らしく良い天気だった。

あれ、曇っていたかなぁ…昨日の事を忘れる、というのは…。

いや、でもとりあえず雨は降らなかったし、何を食べたかも覚えている。

キリンさんの企画で、また沢山の人が参加してくれた。

お顔は覚えていま~すが♪

いつも長丁場で金谷さんはじめ、お店の人が一番大変だろう。

ここは料理もなかなかに美味しい。

とはいいながら、ゲストとして呼んでもらっているので、みんなの前で食べるのもなぁ、と思ってしまうが、もちろん以前にも個人的には来たことがあるので知っている。

お料理のスタッフに感謝。

終了後もちょっとしたレクチャーも含めセッションで盛り上がり…と、いつもの事だが。

これがなかなか終われないのだ。スタッフに申し訳ないが。

いや、終わらないのだ。

みんな終わりたくないし、僕も終わりたくない気分にさせられてしまうのはみんなのおかげだ。

そして更に、ナターシャーセブンのトリビュートアルバムを出して間がないので今回は特別な気持ちもあった。

このアルバムは本当に作って良かったと思っている。

この日のように、こんなに多くの人がナターシャーサウンドを愛してくれている、ということを再認識させられるし。

一人で歌っていてもみんなが一緒に歌ってくれるし、歌詞を忘れたら教えてくれるし、ありがたいの一言に尽きる。

幾人かの方とはまた来年の昼下がりコンサートでお会いできるだろう。

みなさん、お疲れさまでした。


外交

中国との会談で、あのポケット外交(正式な呼び名ではないので是非ここは突っ込まないように)

を見て、ちょっと思い出してしまったことがある。

レストランにいたころは本当に多くの民族と一緒に居た。

それもほとんど一日中といっていいくらい。

その中でもベトナム人、中国人、メキシコ人とは、すぐやめたやつも含め、かなり仲良くしていた。

やっぱりベトナム人がいちばん分かり合えたかもしれない。

いや、他があまりにも違ったのでそう感じたのかも。

何が悪いわけでもなく、ただそのように生まれ、そのように育てられてきたのだろう。

それだけの話だ。

ある日中国人のおばちゃん、ハリーさんが言った。

「日本人はペコペコお辞儀ばっかりする。みっともない」

確かにハリーさんはいつも、なにがあっても頭を下に下げることはなかった。

中国何千年かの歴史に誇りを持っているようだった。

時には鼻につくくらいに自信にあふれていた…ように見えた。

あのポケットに手を突っ込んでいたやつのおばちゃん版だ。

そして僕らはあの日本から出向いて行った人のようだった。

聞くところによると、偶然、通訳の言葉を注意深く聴いていたところを切り取られたようだが、日本人のそういった、ある種、きちんと相手を立てる仕草なんておおよそ関係ないのだ。

中国人はある意味、非常にアメリカ的だ。

日本人には良くも悪くも「恥」とか「外聞」とか、そういうものがある。

なので多くの中国人は平気で「ハウ・ヨー・ドーイン!」といった中国アクセントで大声であいさつする。

「881」なるスラングはサヨナラの意味。

「ババイ~」聞こえようによってはあの爆発音のごとく「パパイ~」に聞こえるので、中国語の「8」と「1」でそうなっているのだろう。

ま、とにかくこれからどうなっていくのだろう。

すぐ収まるだろう、と思っていた日本政府はちょっと甘いのかも。

しかし、それにしてもかなり子供じみている、という印象だ。

北のあの国も、やれ汚物だ、大音量だ、ってまるでピンポンダッシュ。小学生以下。

どちらにせよ、国民の中にはそれなりの分別がつく人間も沢山いるとは思うが、政治に関わっている連中にはそんなものはまるっきしなさそうだ。

どの国もそうだが。

そのうち中国から黄砂に混じってなんか飛んでくるかも…。

日々の天気予報にも新たな注意報が流れるかも。

ところで、あのポケットの中。

殴りかかりたい感情を抑えるべく、固くこぶしを握りしめていたんだろうか?

外交も難しいもんだなぁ。

小さなレストランでさえ、多民族の考えの相違が日々発生しているんだから。

朝のウオーキング

やっぱり季節は大きく変化している。

そろそろ手袋の準備をしなくては…「手袋さんよ、手袋さん~♪」

汗もかかなくなってきているのでシャワーも必要ない。

そんな中、今朝、いつものコースで病院の前を通りかかった時の事。

救急車が今まさに到着。病院の前に停車しようとしている。

とても丁寧なアナウンスで「右側に寄せて停車いたします」と言っている。

ゆっくりと入口に近づいている。ピーポーピーポーは鳴っている。

その前を普通のOLっぽい子が歩いている。

ゆっくりと。

あれ、気が付いていないのかな、と耳元を見るが、なにも耳には装着していない。

ならば、気が付いているけどお構いなしなのか。

僕は心の中で「轢いてしまえ!」と叫んでしまった。

アメリカのレストランにいつも魚のデリバリーに来ていた、どこからみても普通のアメリカの若者という感じの子がいた。

「What’up Dude! Sushi Dude!」と、いつもニコニコして、ロックスターのような風貌の若者だった。

そんな彼がある日言った。

「俺、救急車のドライバーになりたいんだ。そうすりゃ駐禁とられることもないし、邪魔なやつはバンバン当てていけばいいんだし。気持ちいいぞ、どけどけ!この野郎ども!ってサイレン鳴らして走るんだ」

しょっちゅう何枚もの駐禁チケットを持って裁判所に出向いていたらしい彼は、今頃どうしているのかな。

今、読み返してみたら、2021年に「緊急車両」という項目で彼について書いていた。

話を戻して、

どうもいろいろ見ていると人間の感覚が鈍ってきているようにしか思えない。

なんでも世の中が便利になって、自ら考えなくても、自ら足を運ばなくても良くなってきて、周りも気にしなくてもいいように常になにか聴きながら歩き…等々。

街を歩いていると本当にそういったことが目につく。

なんとか党の党首が逮捕されたが、あの動物は世の中に要らんやろ、と僕は思っている。

ま、地球以外の星に行ってギャアギャア言っていれば良いのではないか、と。

急に話が飛んだようにも思えるが、結局、ああいう動物が増えてくると、人間として本来あるべき姿というものがだんだん薄れてくるような気がしてならない。

せめて自分としては、いろいろ周りに眼をくばりたいものだが、それだから気になってしまうのかな?

でも、せめて疑わしいものには引っかからないように、よく考えるようには心がけている…なんて、そういう人間が引っかかったりしたら笑い者になってしまう。

あ~、面倒くさい世の中になってきたもんだ。

11月も1週間…

このところ、毎回こんな風に始まっているような気がする。

そんな中、突然、電子レンジが壊れたみたい。

いろいろ試したが、どうも寿命かもしれない。

あんまり使わないが、やっぱり無いと不便な事も分かっている。

出費がかさむなぁ、と思いながらも、幸いすぐ近くに大手の量販店があるので出かけてみた。

立派な機能がいろいろ付いているものはかなり高額だが、どうせそんなものは要らない。

最低、物が温まればいい。

なので、最高の値段の物には眼もくれず、最低の物から当たってみた。

そういえば、こんなことがあった。

昔、東芝でレコーディングの最中「ウナギでも食べよう」とディレクターやエンジニアー、そしてスタッフたちと有名店に出かけた。

あれは箱根のスタジオにいた時だった。

なので、三島まで出かけ、僕でも知っているくらいの有名店に入った。

みんなでメニューを眺め、それぞれ「僕、最高のやつ!」なんて張り切って言いながら、一番高いやつを意中に収めた。レコード会社の支払いなので…。

そこで、あまりウナギが好きでない省ちゃんが言った。

「僕、最低なやつ」

後ろの席で、その「最低なやつ」を食べていたおばちゃんがずっこけていた。

ま、そんな話はともかく、僕は最低から2番目のものを買った。

機能的にもそれで十分だったし。

それで、若い店員の男の子に「すぐ近所だし、持って帰りますよ」と言ったら「え?大丈夫ですか?14㎏ありますよ」とちょっと驚いていた。

が、彼の手厚い梱包のおかげで、こりゃ行ける、と思った。

が、言われた通りなかなかに重い。

電子レンジってこんなに重かったっけ、と…こりゃバンジョーどころではない、と。

結局、歩いて3~4分の距離、なんとか無事持って帰ったが、どうやら古いものも引き取ってくれる、という話だったので、空いた箱に入れた。

そこで不思議に思ったのが、古い物のほうが少し大きくて機能もそこそこ付いていたのに、こちらのほうが軽い。

15年も使ったからかな?いや、なんでやねん!

ま、とにかくそれを持ってまたすぐに出かけて行った。

先ほどの若い男の子が「あ、もう持ってきてくれたんですか?きれいに箱に入れて。ありがとうございます」などと言って、にこにこ応対してくれた。

疲れたが彼のおかげで気持ちのいい疲れで済んだ。

結局はこれから先、何年使うかわからないし、いろんな機能は使いこなせないし、スマホもPCも自分の度量に合わせたもので十分。

なんて言いながら100まで生きてしまったら、あと2回くらい電子レンジを買わなくてはいけないかも。

そしてもう持って帰るのは不可能になるかも。

なんて思いながら新しい電子レンジを眺めている秋の夜長です…にしてはちょっと寒い。

因みに、オーブンレンジだ。

11月

さぁ、11月だ。

ついこの間まであんなに暑かったのに。

今日は10月の最終日。ハロウィーンだ。

アメリカではバスのドライバーとかも、いつもと違うコスチュームだった。

僕は家の灯を全部消して誰も来ないようにしていた。

そして、9、11の年のハロウィーンは静まり返っていた。

いったい、いつごろから日本でバカ騒ぎをするようになったんだろう。

まぁとにかくこれで10月も終わり。なんか早かったなぁ。

まだ総括するには気が早いけど、これ、ひょっとすると、あっという間に年末、そして正月がやってくるだろう。

毎日毎日、普通に暮らせていることは本当に有り難い。

ウクライナとかガザとか、他にもとんでもないことが続いている所があるかと思うと、そろそろ地球自体リセットが必要なのかな、と思ってしまう。

たかが数人のバカのせいで。

今年はあんまり台風も来なかったような気がする。

もちろん、僕にとってなので、東京では、ということだが。

たまに大雨の危険を感じたり…それも1回だったか?

ミサイルも飛んでこないし、蚊も飛んでこなかった。

今の脅威は「熊」か。

あれ見ていると、あんなのが出てきたらもう何にもできないだろうな、というのがよく分かる。

いまだに役所に「熊がかわいそう」という電話があるんだろうか。

住所と名前訊いて、捕まえたやつ宅急便で送ってあげたら、って、宅急便の人嫌だろうな。

そのうち渋谷のスクランブル交差点に熊出没なんて…いうことはないか。

それにしても、なんとかその辺りに住んでいる人たちの身の安全を確保してあげたいものだ。

いくら考えてもどうしようも出来ないようなことが多すぎる。

そうして一生が終わるのかな。

とりあえずこのまま平穏無事に終わってほしい。

いや、まだ終わりそうもないが。

今朝は調子が良かったし、天気もそれほど寒くなくそこそこ良かったので朝っぱらから20000歩も歩いてしまった。

正直なところ「しまった」と思ったが、特に疲れてはいないし、明日は雨っぽいので今日のうちにこれだけ歩いておいて正解かな?

正解は省ちゃんとよく「三好青海入道」と言ったものだった。

11月、というタイトルには沿っていないが、なんか気ぜわしくなってきた。

そんな気がするのは僕だけだろうか。

実はもう次のアルバムを考え始めています。

Keep on the Sunny Sideがおかげさまでかなり少なくなってきたので…というか、すでに計画にはあったのですが、もう次で最後かな?なんて思って…。

指も身体も動くうち、頭もなんとか考える力があるうちに。

ウォーキングは様々な事を考えられてとても良い。

思い起こすこと。想い出すこと。今現在の事。そしてこれから先の事。

1時間半も歩いているとたまにはいいアイデアも浮かんでくるし。

11月はさすがに少し寒くなってくるので防寒対策はしっかりしなくちゃ。

それではみなさん、Happy Halloween !!

ヤジ

見ても聞いてもいなかったので、何とも言えないが、前々から気にはなっていた。

国会のやじの話。おやじではない。

今回の首相所信表明というもの。

その際の「ヤジ」というのが酷かったらしく…いや、何度か見たこともあるが、結果、こいつらは勘違い集団、脳無し集団…他に言い当てる言葉があるだろうか…という風にしか見えない事が多々あった。

誰だか「聞く耳を持つ」とか言って全く聞かなかった奴がいたけど、別にわざわざ言わなくても基本的なことだろう。

いつも同じことを思うが、肉声で動物愛護を訴えている人のすぐ横で、マイク片手にギャアギャア言っている政治家。

騒げば良いって言うもんじゃないことくらい考えなくても分かるはずだと思うが。

「ヤジは国会の華」とか言う言葉があるらしいが「ヤジは国会の恥」だ。

これを擁護する低俗な考えが僕にはよく分からない。

そりゃあ、いろんな考え方があることは分かるが「他人の話を聞くよりも自分の言いたいことのほうが大事」という考え方は、どう考えてもよく分からない。

音楽をやっていると、音楽は対話だ、ということがよく分かる。

それは他者との対話でもあり、聴く人との対話でもあり、そして音楽そのものとの対話でもある、と感じる。

こういうのってわざわざ言葉で書くと薄っぺらく感じるが、本当にそう思っている。

なので、なおさら人が話しているときにギャアギャア言う政治家というものに辟易してしまう。

そんなことより、大きなレタスが安かったので買ってきてテーブルの上に鎮座していた。

さて、これどうしようかな、と、ふと考えた。

お、冷凍庫にチキンがあった。人参も冷蔵庫にあった。なんかはるさめの残りもあったかも…。

ショウガもあったし、これ鍋に入れて、先ずごま油で炒めたら中華だしで味付けしてスープにして、そこにレタスでも思い切り入れてみようかな。これだったら沢山使えるんじゃないか、と。

むかし、一緒に働いていた日本人のシェフが、白菜のかわりにレタスをすき焼きに入れていた。

白菜が無かったので仕方なしだったが「レタスのすき焼きかぁ…まじいだろうなぁ」と宮崎弁で言い放ち、クッククック笑いながらレタスを切っていた。

「どうせアメリカ人には分かりませんよ。でも…まじいだろうなぁ」とも言っていた。

しかしながら、この中華味スープとはかなり相性が良かった。

レタスは見事にこの料理と対話していた…って無理やりそこに持っていくか?

これまた全然関係ないが、子供のころ父親が「耳なし芳一」という紙芝居をよくやってくれて、それが滅法怖かったのを想い出した。

サンドイッチのパンを「芳一パン」と呼んでいたのは僕と省ちゃん。

寒くなってきました。

いえ、本当に寒くなってきました。風邪ひかないように。

テレビ

ほとんど見ることはない。

ニュース、ドジャース、良い映画、興味のあるドキュメンタリー。

なので朝、起きたときに天気予報を見て、たまにBSのワールドニュース。夜はほとんど点いていない。

点けても、なんか芸能人とやらのバカ騒ぎの声がするのですぐ消すが、最近、別にもすぐ消す番組が現れた。

政治に関することだ。

政治家の顔が出てくると不愉快になって慌てて消す。

チャンネル変えても出ているし。

しかし、国民の政治離れというよりも、政治家の国民離れと言ったほうが当たっている。

映画では久々にETをやっていたので見始めたが、あまりに短く編集されているので興味を削がれてしまって途中でやめて寝た。

Field of Dreamsは何度見ても良い映画だ。また泣いてしまった。

American Sniperも最近やっていた。

民放はコマーシャルの多さに驚くことがある。

今、トイレ行ったら始まっちゃうかな…と考え、待っても待っても始まらないし、えい!行ってしまおう、とトイレから帰ってきてもまだコマーシャル、ということがよくある。

なんだ、悩むことはなかったじゃん、と。

ドジャースは久々にしびれた。

ドジャースの試合の後はほとんど必ずと言っていいほど、こーちゃん(ロッキード)と電話で話をする。彼の野球に関する眼力は凄いものがある。

佐々木、全然だなぁ、と言うと「いや、あんなもんじゃないで。そのうちやるで!」

大谷も当たらんなぁ「ダメやなぁ、確かに。それでもなんかやってくれるで、きっと。ピッチャーであんだけ投げていたら大したもんやで。手術までして」

「ベシアもスネルも、ホンマはトライネンかて、ええピチャーや」

大体、彼の言っていることは当たる。

むかし、脚立から落ちて、手を捻った時の医者に対する第一声が「野球できますか?」だったそうだ。

僕と同じ歳の兄がいたが、兄弟で凄かったようだ。

こーちゃんに言わせると「わしなんか問題外や」というほどの兄。

ある時、みんなで野球やっていて彼がセンターを守っていた。そこへライナーが行き、バックホームのために思い切り投げた。

ちょうどセカンドに高石さんがいた。

おもいきり投げた球が思い切り高石さんの頭に当たって思い切り天高く跳ね上がった。

みんな驚いた。

硬球だったらえらいことだったが、高石さん苦笑いして立っていた。

こーちゃんが「そんなとこに立っているからや。センターに球が飛んだらしゃがまにゃいかん」

あれ、テレビの話がいつの間にか野球の話に…。

ま、しばらくの間はまたドジャースでテレビにはお世話になるかもしれない。

それ以外はほとんど静かに鎮座しているが。

記録

ドクターサウンドの小林氏からこんなメールが送られてきた。

「10月14日は重要な日だったようです」と。

記録によると、カーターファミリー最後のレコーディングが行われたのが、1941年10月14日。

それから34年後の10月14日に、ナターシャーセブンは録音のために箱根のロックウェルスタジオに移動。

それも、107ソングブックシリーズの最初、オリジナル・カーターファミリーをお手本に、だった。

因みに1941年は高石氏の生まれ年。

様々な記録を調べてみると35年後の1976年だったのではないか、という疑問も生まれてきたが、その辺は今、ここではどうでもいい。

今日は10月15日。「わたしを待つ人がいる」を録音したのが10月15日となっている。

またまた因みに、Foggy Mountain BDが録音されたのは1949年12月11日。

この年の19日後に僕が生まれた。

記録というのは見返してみると面白い。

あ~そうだったんだ!とか計算が合わないなぁ…とか。これ写植ミスじゃねぇ?とか。

どちらか、小林氏を上まわるナターシャー記録係の方がいらっしゃたら、また興味深い記事を送ってください。

検証すべき事柄がいろいろ出てくるかもしれません。

そしてまた秋

何だか西の方は今日でも30℃くらいのところが多くあったようだ。

東京も蒸し暑さは少し感じたけど、半袖のTシャツで涼しさを満喫できる、もってこいの日和だった。

さすがの僕も、もう水浴びではちょっと寒い。

でも、朝早くに歩いた後は思い切って水を浴びている。でもあと数日だろうな。そんなこと出来るの。

なんかシャキッとするのだ。

そしてコーヒーを飲む。

秋はコーヒーの香りが増すような気がする。

空気の中を漂う香りが夏と違って軽いんだろうなぁ。爽やかなんだろうなぁ。

そして、流石に今日から薄い掛け布団を用意しようかと思っている。

ここ数日、夜中に目が覚めて、おや?なんか寒いかも…と感じたからだ。

寒いのは平気だが、やっぱり寝ている間は冷えるのかな。

夏は暑さで寝ている間の危険度はアップするけど、冬も危険度は高いんだろうな。

気が付けばもう10月も半ば。

気が付けば米を食べたのは一回だけ。

やっぱりパンが好きなようだ。って自分で言うのもおかしいが。

でも、昨日友人が畑でとれた里芋を送ってくれた。

そこで、先日安く買ったごぼうがあり、人参があり、冷凍室にシイタケと鶏さん、レンコンはないけど、筑前煮?がめ煮?ま、そんなものを作ろうと思い立って朝から作った。

普通もう少し時間がかかるのかもしれないけど、あ、こんにゃくだけ買ってきた。

こんにゃくのあく抜きをしている間に全ての野菜を用意し…僕にとっては至って簡単。

そして味もいいものができたが、これで白米とも思わない。

さすがに、パン、とも思わないが。

お茶を淹れて、それで十分。

コーヒーとパンも良いが、たまには和食も良い。

とにかく、やっぱり秋は何気なし何か食べたくなる季節なのかも。

夏には絶対に作りたくなかったシュウマイも再開しようかな。

来週あたりからもう少し秋が深まってくるかも。

もう少し長い間大好きな秋を堪能させてほしい。

皆さんも、束の間かもしれないけど、秋を楽しんでください。

そして、すぐに寒い寒いと言う季節がやってくるでしょう。

秋の夜長に

一日中雨だった。シトシトと冷たい雨。

子連れ狼が出そうな雨。

寒いというほどでもなく、冷たい雨はやっぱり秋を感じさせる。

ほんの少しの間…。

何気なし、ここしばらくのアルバムを聴いてみた。

Back to Banjo けっこう練習したなぁ。

約30年近く、ほとんどこういったものは弾いていなかったので。

それでも最後の方、フォギーのセットなんかは鬼気迫るものを自分でも感じる。

産業大学のあの坂道をバンジョーを持って歩いた事。

暗くなってから二軒茶屋の駅までバンジョーを持って歩いた事。

あの頃はまだ軽かったなぁ。

いや、バンジョーも安物で軽かったのかも。

そしてJust a Little Memoryもついでに聴いてみた。

最初のトラックで、よくこんなものバンジョーでやってみようと思ったな、と今更ながらに感じる。

でもやっぱり、多くの移民に囲まれていろんな人生をみてきたこと、苦しかったこと、楽しかったこと、その全てが後押ししていることも感じる。

僕はなぜ日本に生まれたんだろう。

マイクはなぜベトナムだったんだろう…なんて答えのない疑問が頭の中に湧いてくる。

そして、アルバムの最後、疲れた靴を聴いていて、なんだかとても感傷的になってきた。

71年、ともや氏との出会い、名田庄村、その前にマネージャーだった榊原氏。

まだ21歳、大学には行っていたけど、本当に行っているだけだったかも。

バンジョーを弾きに行っていたのかも。

下宿先の、最初は下鴨だったかな、そして一乗寺?その後、岡崎?そんな事も想い出し、感傷に浸ってしまった。

出会いがあり、別れがあり…疲れた靴の後のヘイヘイヘイを聴いていたら、今度は無性に次へ進みたくなった。

Keep on the Sunny Sideへ。

我ながら、なんかすごいストーリーを感じている

いや、ストーリーがすごいのではなく、すごく感じているのだ。

あのヘイヘイヘイは予定になかった。

でも、高石さんと最後に一緒にやったとき、アンコールで「僕バンジョー弾くからあなた歌だけ歌ってください」と、ステージのそでで言ってそのまま出て行った事を想い出していた。

なんか、秋の夜長かなぁ。

こういうの、俗に言う「夜中のラブレター」って言うのかな。

夏なんか暑すぎてちっとも感傷的にはならないのに…。

ノーベル賞

トラがノーベル平和賞を自分が取れなかったら、なんといってノーベル賞委員会を攻撃(口撃)するんだろう。

まるで、ダダをこねてプレゼントをねだっている子供のようだ。

もし取ったりしたら…。

今までに取った人すべてが返還したら面白いのになぁ。

もうこの世界の政治に関わる人間の程度が地に落ちていることを感じる。

いったいいつからこうなってしまったんだろう。

今まで気が付かなかっただけかなぁ。

これが当たり前だったのかなぁ。

とにかく、困った世の中になったもんだ。

素晴らしい!と感動するような話(人間性)は政治の世界からは100%見受けることはできない。

全世界でその現象が起きているような気がする。

話変わって、先日、友人がブルーベリーをたくさん送ってくれた。

こりゃ、ジャムでも作るか、と早速用意。

適当に作ったが、これがまた絶品だった。

ジャムってあんまり食べないが、ブルーベリージャムがこんなに美味しいものとは…と感動。

マーマレードもずいぶん作ったが。

そういえば、アイルランドでブラックベリージャムを作った。

アンドリューのお母ちゃんが美味しいと褒めてくれた。

ブルーベリーは眼に良いらしいけど、すごく沢山あったので、もしかしたら千里眼になったかもしれない。

因みにまだ眼鏡をかけなくてもそこそこ見える。

早朝のスマホはちょっと厳しいかな。

えーと、今日のタイトルはなんだっけ…あ、ノーベル賞か。

最後に一言。

トラよ、ノーベル賞なめたらあかんでぇ!飴でもなめとき!

やっと秋

店頭に柿や栗が並ぶと、あ~やっぱり秋なんだなぁ…と感じる。

もう35年ほどまえの話だろうか。

ナッシュビルからカリフォルニアに遊びに来た友人が「柔らかくなった柿を冷凍にしたら美味しいよ」と教えてくれたが、確かに柿シャーベットという感じでとても美味しかった。

今は結構ポピュラーなものになっているみたいだけど。

柿は固めのほうが好きという人と、グジュグジュに柔らかくなったのが好き、という人と2極に別れるようですね。

梨も美味しいけど、果物も高くて買えたもんじゃない。

この物価高はどうなっていくんだろう。

さて、話変わって、おかげさまでナターシャー・セブン・トリビュートも順調に皆さんのお手元に届いているようです。

なので今年中にはほぼ完売というところまでこぎつけそうです。

本当は皆さんの街に出かけて行って、直接お手元に届けたくもありますが、なかなか出不精になってきて、そういうわけにもいきません。

でもいくつか音楽会は有ります。

11月22日には大森の「風に吹かれて」そこでナターシャー・セブンを歌おう、という皆さんの会に誘われておりますが、こちらはもう満席かな。

同じく11月の29日には、東京のグッドストック・トウキョウ。

12月7日にはサウンドタㇺ。

あと12月は今年も年末に静岡のセレンディピティと京都の都雅都雅。

来春は昼下がりコンサートも4月にあるし、ナターシャー・セブン発足から55年。

そんな意味でも今回のトリビュートアルバムは作るべき時が来ていたんだなぁ、と感じています。

最近、美味しい日本茶が本当に美味しい、と感じ、月見団子を買ってきて、トリビュートアルバムを聴きながらゆったりと秋を楽しんでいます。

というようなこともないか。

相変わらずせかせかと動き回っています。

やっと早朝にウォーキングができる気候になってきたし、今ならまだ朝から水浴びできるし、結局落ち着いてゆっくりできない秋を過ごしているうちに冬が来るんだろうなぁ。

やっと秋、なのに。

ベトナムカレー

作ってみました。

チキン、サツマイモ、玉ねぎなど…オクラとかパプリカを入れたら綺麗。

う~ん、でもタイカレーとどこが違う?ココナツミルクも入るしなぁ…。

これはバインミーと食べる、と言われた。

そこで謎…。

これはかなりリッチな食事になる。

バインミーとカレー、日本でいえばかつ丼とすきやき…?おー、何と言おうか。

そしたら、どうやらバインミーはパンのこと。

ベトナム語ではバインミーがパン…おいおい、ちょっと待って!じゃぁあのサンドウイッチはなんていうんだ?

訊くと、バインミーだと答える。

近くのベトナム食品の男の子が一生懸命サンドウイッチの中身を教えてくれる。

いや、それは知ってる。僕も良く知っているから。

だからそれに使うパンはなんていうんだ?と訊くと「バインミー」

ということは、バインミー買ってきて、と頼まれたら僕だったらあのサンドウイッチを買って来るが、かれらはそういう間違いはしないのだろうか。

寒天買ってきて、と言われたらみつ豆買ってきて、いやそれじゃなくて…というような。

他にあるだろうか、日本語でそういうの。

インド料理店に行って注文したら「ナンにしますか?」「あれ、今オーダーしたけど」…とはまた違うか。

今調べたらやっぱりバインミーの後に短い言葉で「挟む」とか「肉」とかいうのが本場では付くらしいです。

なのでサンドウイッチが欲しかったら「バインミーなんたら」と言うんだ、ということが分かった。

ま、話の成り行きで分かるのかも。

どちらにせよ、タイカレーとのちがいはよくわからなかった。

タイのグリーンカレーはまたちょっと違うか。

あれ、結構好きだなぁ。

10月

ひとつ前に魚について書いたが、本当は「もう10月?」ということを書きたかった。

でも、なぜか今朝ちらっと耳にしたサンマの豊漁というニュースを想い出したとたんに「魚」と書いてしまったのだ。

そう、驚くべきことにもう10月だ。

すぐに年末がやってくる。なんと短い人生なんだろうか…。

いやいや、そんなこともないが。

しかし、市長ってそんなに美味しい仕事なんだろうか。

市民からどれだけ苦情が来ようが、嘘八百を並べ続けようが、どうしてもしがみつきたい仕事なんだろうか。

結局、金だろうな、ということは100パーセント明確だ、と思わざるを得ない。

伊東に比べれば前橋なんかかわいいもんだ、という気もするし、沖縄は、また昭和のおやじがやっちゃったよ、くらいの程度だ。

本当に日本ってこれからどうなっちゃうんだろうね。

日本沈没は地理的な問題だけではなさそうだ。

世界沈没もありそうだし。

トラとネタのツーショット、キムと習とプーのスリーショット。

おぞましすぎて…。

次は日本の誰とトランプのツーショットが見れるだろう。

ま、それもどうでもいいか、という、僕にはどうしようもないことだし、生きている間、元気な間にもう一作品作っておこうかな、と考えている。

僕は止まっていられないのだ。マグロのようだ、とよく言われる。

そうこうしている間に10月も終わるんだろうなぁ。

毎年作り続けている手描きのカレンダー。

また描かなくてはならない季節がやってくる。

サンマが豊漁とか言う話を聞くが、それほど安いとは思えない。

なんでも高くなっているのでこちらもマヒしてしまって訳が分からなくなっているのだろうか。

ちょっと前はイワシが豊漁、とか言っていたけど、その時も「あ、めちゃ安い」とは思わなかった記憶がある。

なんだか騙されているような…年寄りのひがみっていうやつかな。

このところ魚離れになっている。

やっぱり値段かな。

サバも美味しい魚なのにほとんど食べていない。

寿司屋のころ、ノルウエー産のサバでしめさばをいっぱい作ったが、どちらかというと魚派ではない僕も「こりゃ美味い!」と唸ったものだ。

ところで肉にしても牛さんなるものはほとんど買わない。買えない…か。

豚か鳥だ。

むかし省ちゃんは豚の生姜焼きが大好きで、どこへ行っても「豚の生姜焼き!」と、いの一番に注文していた。

「わし、しまいに牛になりそう」てな、訳の分からないことを言っていた。

確かに豚の生姜焼きは美味しい。

あの生姜醬油というのはなんと美味しいものだろうか。

これ、日本人だから、だろうな。

話変わって久々にタイカレーを作った。

僕にはスープカレーというものの良さが今一つ理解できない。なんかぬれせんべいに共通するような。

銚子電鉄さんには申し訳ないが、しけた煎餅とどこが違う?なんて。

そうそう、スープカレーだが、どうしても「ルーの量を間違った物」としてとらえてしまう。

なのでタイカレーもシャバシャバに感じてしまうが、多分ココナツの味が好きなんだろう。

そうしているうちにベトナムカレーというものも見つけた。

基本的には同じシャバシャバのもので、入っているものもほぼ同じ。

道理でベトナム人の嫌いなものが日本のカレーだ、というのがよくわかる。

ついでに羊羹とか駄目なようだ。あんなに美味しいものなのに。

話は飛んだが、たまには魚も食べなくちゃ。

かといって、寿司を食べても魚を食べた気がしないのはなぜだろう。

やっぱり、いわしの丸干しとか目刺しとか焼きサバとかそういったものがいいなぁ。

焼きサバといえば面白い話があった。

定食のお供にちょっとだけ焼きそばを付けよう、という話になったとき、マイクが「え、なんで焼サバ?」と言っていた。

サバの文化干しの塩焼…う~ん、これに勝るものはない。

そして秋…?まるで夏?


朝晩はめっきり涼しくなってきたと思っていたら、お昼には30℃にとどくほどの暑さ。

ま、一時期のような酷さはないけど。

久々に朝のウォーキングをしました。

どっちがいいんだろう。

実際には夕方がいい、とされるようだが。

夏だと18時過ぎくらいでないと無理だし、汗びっしょりになるし、それからのビールは最高だし…。

でも、もう今からはそんなこともないし。

この季節は朝がいいかな。

未だに給湯器は点けず、水浴びだけど、さすがにちょっと冷たく感じるようになってきた。

風邪ひかないようにしなくちゃ。

そういえばここ数年風邪もひいていない…と思う。

去年だったか、一昨年だったか、これが熱中症かな?と思った症状はあったが、一日で回復してしまった。

相変わらず歯も痛くならないし、これだけ歩いていても膝が痛い、とか無いし。

腰も痛くないし、眼もちゃんと見えているし、耳も聞こえている…と思う。

記憶力もそんなに落ちていないようだし(自己診断)…。

あ、最近初めて「ばね指」というものを経験した。

事なきを得たが、こういうのって癖になるのかな、と思うとちょっと怖い。

確かにバンジョーアルバムからこの3作のためにはかなり練習したが、やっぱり歳なのかな…?

そんな今日この頃、おかげさまで今回のアルバムも好調なすべり出しです。

高石さん、省ちゃん、木田ちゃん、七人の会のみんな、円山公園に何日も並んでくれた君たち、

みんなのおかげで出来たアルバム。

ある人は、友也さんが最後に残っても様々な理由でナターシャーのトリビュートアルバムは作れなかったでしょう…と言っていましたが、確かにそうかもしれない。

省ちゃん、木田ちゃん、友也さんが天国から城田さんにこのミッションを託したのでしょう、と。

そんなこと思いもしなかったけど。

なんか秋の夜長にもってこいのアルバムに仕上がったような気がする。

少しだけひんやりと感じる風に当たりながら、そうだな、ウイスキーでも…お好きでしょう♪なんて、関係ないか。

僕はジンが良いかも。どうせ弱いので氷をいっぱい入れて、小さな小さなグラスで、最後は氷水飲んでいるくらいで。

秋は一番好きな季節なのにめちゃ短い。

もう少し秋を堪能してみたいものだ。

この街がすきさ~♪なんて一緒に歌いながら…。

質問


この場を借りて質問をするしか方法がないので申し訳ありませんが、

もしお心当たりがありましたらお知らせください。

9月23日に¥3150円をご注文時と違うお名前でご入金された方。

カタカナで〇〇〇〇ファミリーです。

一応、くまなくメールアドレスなども調べましたが、手がかりがありません。

ご入金時にはご注文された時と同じ名前でご入金ください。

もしくは事前に連絡してください。

とにかくこのままではどこに送ったらいいのか分かりませんので。

もしこれを読んでいたら、ということですが。

皆さん、ありがとう。

皆さんのおかげで順調なすべり出しです。

生きている間にこのアルバムを作ることができて良かったなぁ、なんて思っています。

さて、秋らしくなってきましたね。

でも、天気予報では10月にも30℃になる可能性がある、とも言っていますが…ま、それが何日も続かなければ耐えられるかな。

冬はかなり寒くなる、とも言っていました。

なかなかに忍耐力の必要な国になってきました。

面白いですね。一日2時間のスマホ条例。

あんなこと、いい大人が税金使ってみんなで涼しいところに集まって真剣に(でもないのかな)話し合うんですね。

一日一度は笑おう、という条例もありました。

笑かせてくれました。そしてスマホ条例でも。

そのうち一日一度は〇便をしよう、とか、一日一度は鏡を見よう、とか、一日一度はコメを食べようとかいう条例も出てきそう。

罰則はありませんって…。

ところで、総理大臣のこともあるんですね。

全く興味がないのですっかり忘れていますが、あれが嫌い、これが嫌い、とか言う以前に興味がないのです。

どうせ数か月たったら何もしないうちに変わるんじゃぁないの?とか思ってしまうんです。

国民の暮らしなどには全く無関心で、金と権力にしか興味がないんだから仕方ない、と思ってしまうんです。

一日一度は総理大臣のことを考えよう条例。罰則あり。どうやって調べるんだろう。

調べる、といえば国勢調査ってあるんですね。

友人の一人が調査員というのをやらされている(?)らしく、お宅にもだれか行くかもしれないのでよろしく、なんて言っていました。

僕はこう答える、と言いました「国の勢いなどまるで感じない」

Keep on the Sunny Sideの勢いは感じます。

ナターシャー・セブン、そしてみなさんありがとう。

一日一度はナターシャー・セブンを聴こう、という罰則付きの条例でも発しようかな…。失礼!

ライナーKeep on the Sunny Side

1 陽気に行こう

ナターシャーのテーマ、というのも有りましたが、この歌もある意味、テーマソングみたいなものでしたね。

人生は長いものなんでしょうか。短いのでしょうか。

この歳まで生きてきたら、けっこう長かったのかな?と思いますが。

この歌、なんかステージ上で飛び跳ねているともや氏の姿を想い出します。

やっぱりマンドリン、バンジョーの音色。当時のマスメディアにとっては「なんじゃこりゃ?」だったのでしょうね。

高石さんの眼の付け所、冴えていたなぁ。

ギター、マンドリン、バンジョー、それぞれシンプルなメロディを弾いてみました。

やっぱり基本に忠実に、というのは良いですね。

2 朝の雨

僕と省悟の18番、と言えるでしょう。

このアレンジ想い出せば特に相談もせず、こんな風にしようか?と僕が弾き始め、省悟  

が「それならわしはこう行くわ」という感じであっという間に決まった覚えが有ります。

お互い高校生の頃からフォークソングにぞっこんだったので、そう言う意味ではいわゆ  る、ツーカー、だったんだろう。

コーラスも「じゃぁこう行って」とか全く言う必要が無かった。それが僕らの強みだったのかもしれない。

なんか思い出すなぁ。

コンサートの中でも比較的モダンなスタイルだったので、これが出ると雰囲気がガラッと変わったことを。

その辺もこのグループの強みだったのかも。

3 土の中のビリー

まだ「グループを!」というところまでいっていなかった頃の、これだ!と思った名盤

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドのアンクルチャーリーの中から。

擦り切れるほど聴いたものだ。僕らの時代では「A面聴いていたらB面も聞こえてくるでぇ~、」というほどによく聴いた。確か当時、山科に住んでいたわたるちゃん(高田渡)の処でも聴いていたなぁ。

ニッティ・グリッティ・ダート・バンドは僕らの目標のグループだった。とことんトラッドもやり、新しいものにも挑戦する、といった…。

4 海の嵐

いつ頃だったか、かなり初期の頃という事は覚えているが「あなた、これ唄ったらいいですよ」と高石さんから勧められた歌。

非常に単純な歌なのでかえって難しい。

少しのアレンジも考えたが、この手のものは元歌に忠実か、かなり近くか、どちらにしてもシンプルに徹した方がいい、と思う。

5 柳の木の下に

本来、省悟の「し~だれ柳が~♪」という声が必要だが、それももう叶わない。

そして、今回はこのメロディーラインを採用してみた。

リッキー・スキャッグスとトニー・ライスが1980年に残した録音で、省悟がかなり気に入っていたものだ。

しかし、あいつ、声高かったなぁ。

自分でも良く言っていた「し~だれ…♪と歌い出すと脳天がプツンといきそうや」

6 兵士と娘

これは大好きな歌。メロディがなんとも言えない。

「兵士と娘に会ったのは~♪」というところでA7th のメロディ、そこに当てはまっているコーラスパートが9thにいく。

これでA9thの…こんな細かいところ、当時の人って別に考えなかったんだろうけど、こんなところが僕にとっては非常に大事。

ここでGのコードに行く人もいるけど、その感覚は僕には無い。

おそらく省悟にもその感覚は無かっただろう。

昔の録音では高石さんとのデュオだった。

7 レッドヘアード・ボーイ~ジューン・アップル

1曲目は元々アイルランドの歌。演奏ではホーンパイプとして扱われることが多いが、ブルーグラスではホーンパイプというものは極めて速く演奏される。

今回、ブルーグラススタイルではあるが、少しテンポを落としてみた。というか、もうあんなに速くは弾けない…かな。

ジューン・アップルの方はおそらくアメリカン・チューン。ノース・カロライナともバージニアの南西部あたりの曲だろうとも言われているが、こちらもとてもポピュラーなもので、こういった曲は楽器を持てば必ずと言っていいほど、始まってしまうものだった。

8 今宵恋に泣く

これは大学時代から慣れ親しんだ歌だ。

スタンレー・ブラザースのえも言われん絶妙なコーラスが大好きだった。

少し、カントリーチックなギターブレイクを考えたので、本来はカントリーバンドと一緒に歌ったりしたら気持ちいいのかな。

9 君眠る丘

カーターファミリーの中でもとても好きな歌だし、また高石さんの訳詩が素晴らしい。

僕も少しアレンジしてみた。

しかし、考えてみると彼、お墓の歌がけっこう多かったような気がする。

この録音ではマンドリンの音色で風を表現してみたかった。

それでもあくまでシンプルをモットーに構成してみた。

10 そして秋~この世の果てまで

この歌はやっぱり高石さんならでは、というところだろう。

なので、インストとして演奏してみたが、メロディが美しく、これが良いかな、と感じた。

このイントロも当時僕が考えたものだが、イントロとかはとても大事だ。

あ、それそれ!みたいな、最初の数小節で世界を作ってしまうような…。

そして、この曲を弾いていて、突然次の曲が思い浮かんだ。

こんな遊び、とも言えることをよく二人で演奏したもんだ。

11山と川

これは笠木さんの詩で、ナターシャーセブンを知る人は誰しもが口ずさみたくなる歌だと思う。

このイントロは録音の数時間前に突然頭に浮かんだもの。

12

さぁ、いよいよ出ました。これがないと始まらないし、終わらない、というほどの名作だと思うし、でも、今までに自身で歌ったことはないし、さて、どうしたもんかと考えている最中に何となく浮かんだのが、マウンテンズ・オブ・ポメロイのメロディ。

学生時代から住んでいた京都の街を想い出しながら、そこにアイルランドのメロディを重ねていく。ひょっとしたら、これは僕にしか出来ない事ではないか、と感じるが、いかがなものだろうか。

そういうことがある意味最も大切な部分かもしれない。

ここでは、イメージ的にみんなで歌う、プラス、女の子の声と言うものが必要だな、と考え、スタジオの近く(比較的)に住み、薬剤師の仕事をしながら、歌っているエリカさんにお願いしてみた。

一番が終わった直後のコーラスではなんか省悟の声が…というか、この録音の随所で省悟の声が聞こえてくるような気がする。

そして、13 として街をブルーグラススタイルで。ここでは敢えてライブ感を出すために非常にラフに録音。緊張と熱気の中、チューニングを直す暇もなかったような、どこか、宵々山コンサート終了後の興奮冷めやらぬ中「さぁ、みんな気を付けて帰ってください!また来年会いましょう!」という永さんの声が聞こえてくるような…。

そして、みんなの笑顔が見えてくるような…。

この街が好きさ~君がいるから~

  この街が好きさ、君の微笑あるから~♪

みんな有難う!!

2025年 9月20日 豊川 「街」

その名前からも分かるように、かなり以前からあるナターシャー基盤のお店。

今日もナターシャー大会、とでも言おうか、そんな会に呼ばれて出かけた。

早朝の、いや、普通そうでもないか…新幹線に乗ったが満席ということ。

そうか、なんか休みがあるのか…そうか、秋分の日か、と納得。

そう言えば指定席を取るとき、混んでいると言っていた。

それにしても「やっと秋」「そして秋」だ。

雨にも降られず、風にも吹かれず豊橋に着くと、オーナーの戸狩さんが迎えに来てくれた。

お店に着き、あれやこれや話をして、あの曲のあの部分はこうやって弾いている、とか、ずいぶん昔の曲についての話などに花が咲いた。

僕も記憶を頼りに、というか、中にはそんなのやりましたっけ…なんていうのもある。

ソーラン節のイントロなどはもう何十年も弾いていない。

ナターシャーの時もジョディス・ヘブンの時もイントロを考えるのは僕だった。

イントロって、出たとたん「あー!それそれ!」みたいな重要なものだ。

三々五々、まだ早いのにみんなが集まってきて、僕はちょっと早いお昼ご飯にお寿司をいただき、

さて、帰ろうか、と言ったところで、おでんが出てきて、サンドウィッチまで出てきて、フルーツまでいただいて、さぁ帰ろうか、というところで会の始まり始まり。

皆さん、本当にナターシャー・セブンを愛してくれているな、ということがよく分かる。

ちょっと難しい曲にも挑戦しているし、お馴染みカーターファミリーソングもブルーグラスも、いっぱい登場。

普段、ナターシャーソングを特にレパートリーに加えていないだろう人も、この日のために歌ってくれていた。

僕は2年位前から、全国に広がるナターシャーチルドレンのために、出向いて行ってみんなと交流する、というようなことを、ま、たまにはしてもいいかな、と考えていた。

そこにきて高石さんまで逝ってしまったので、もうこれはやるしかないかな、という気持ちになっていることも確かだ。

そんなことも今回のアルバム「Keep on the Sunny Side」をつくるきっかけにはなっている。

この日、アルバムが間に合うかどうか微妙だったが、持っていけて良かった。

みなさんいいお顔で歌ってくれていい時間を過ごせました。

そうそう本当に帰る前にカレーライスもいただきました。

これぞ「ザ・日本のカレー」という、今どきはなんだか欧風とかキーマとかタイとかスープカレーとか、いろいろあるが、こういう日本人にとっての「ザ・カレー」もやっぱり美味しい。

ありがとうございました。

結局いただいてからもまだ時間があったので、いろいろ弾きました。

リクエストに答えて想い出しながら。

皆さんもいい時間を過ごせたでしょうか。

戸狩さんとお世話役の女性陣、みなさんありがとうございました。

戻ってから昨夜はぐっすり眠りました。

またお会いしましょう。

発送の転換

いえ、決して変換間違いではありません。

当初、大事をとって10月1日発売を見込んでおりましたが、

CDが到着いたしました。

多くの方にお申込み、そしてご入金をいただいているので、

できる限り早く作業に取り掛かりたいと思います。

なので、うまくいけば近々発送できると思います。

北海道、九州、そして沖縄からもご注文いただいております。

遠方の方には少し時間をいただかなければならないと思いますが、

しばらくお待ちください。

取り急ぎ連絡まで。

遅れるよりはいいかな、と思います。

ドジャースの試合を見て、なんだよ!また後続のピッチャーが台無しにするのか…

と、ため息をつき、空を見上げて、また今日も暑いなァ、土砂降り、来るのかなぁ…

秋はどこへ行ったんだろう…

等々いろいろ思うところある今日この頃。

それでも朝晩、決定的に涼しくはありませんが、少しは過ごしやすくなって来たような気もします。

そんな折、久々にナターシャーセブンを想い出してください。

とても当時のナターシャーサウンドに近い音を体感できると確信しています。

僕自身、最後の「街」で何度か涙が出てしまいました。

暑かった宵々山コンサートや、みんなのこと、そして皆さんのことを想い出しています。

9月  陽気に行こう

9月というのは、秋が近いといえども、まだ多少暑さが残る月、という、今まではそんな感じでしたが、それをはるかに上回る暑さが襲ってきています。

これから蚊が出てくるのかもしれないし、台風だってこれからシーズンになるのかな?

さて、Keep on the Sunny Side順調にすべり出しました。

10月1日発売という事ですが、少し早い目に発送できるかもしれません。

お支払いをしていただいたみなさまをあまりお待たせしたくないし、少し余裕を持たせたのですが、もしCDの到着が早かったら発送を開始いたします。

ご注文まだの方はお早目にどうぞ。

ナターシャーセブンを知る方にとっては貴重な一枚になると確信しております。

また、後日、ライナーに書き切れなかった詳しい情報などをこのページに公開致します。

ついでに、ひとつ前の作品、Just a Little Memoryがまだ少しだけ残っております。

スティングのEnglishman in NYに始まり、録音中に亡くなった高石氏に捧げての歌も収録されております。Back to Banjoが売り切れになった後の、バンジョー第2弾です。

もうすぐ絶版になりますので、こちらの方も合わせてご検討ください。

かなり練りに練った渾身の一枚でした…と自分なりに思っています。

ところで、先日の雨は凄かった。

怒涛の如く、というのはああいうものを指して言うのでしょう。

東京の話ですが、午後3時頃からでしたか、窓を開けて外を見てみたら、なにも見えない。

見えるのは滝のように降り注いで風に煽られている水の塊。

もしかしたら生まれて初めて見たくらいの強い雨でした。

案の定、あちこちで停電と河川の氾濫、道路の冠水…いやぁ参りました。

ちょうど帰宅の時とかで外から高校生の叫び声。雷も凄かったし。

会社務めの人達は電車など、大変だっただろうなぁ。

配達の人も1時間くらいは外に出ることは出来なかっただろう危険な状態でした。

CDの配送も頃を見計らって天気とも相談しなければいけないですね。

出来るだけ配送業の方に負担がかからないように。

それではみなさん、まだ確約は出来ませんが、少し早い目に発送できるかも知れないので、そのことだけお知らせしておきます。

Keep on the Sunny Side 受付

アルバムの先行予約が始まりました。

皆さん、どうかよろしくお願い致します。

ジャケットの絵は、京都の特徴的な「犬矢来」という物を描きました。

こういう呼び名である事、恥ずかしながら初めて知りました。

考えて考えた挙句ではなく、ちょっとしたひらめきで描いてみました。

でも、何枚も何枚も描いてみました。

ライナーには懐かしの写真(進藤了彦提供)も有ります。

きっと気に入ってもらえると思います。

音楽的にも…って一番大事なところですが。

どうか楽しんで、ナターシャーセブンを想い出して一緒に歌ってください。

時折、省悟の声も聴こえてくるような気がします。

辞任

またまた総理大臣が辞任した。

ま、どっちでもいい。

「石破氏を叩いて笑うアホ集団」

それよりも、女子バレーが気になり、山本があんなに良い内容だったのに、おいおい!後から出てきたピッチャー、ひょっとして八百長にでも加担しているんじゃないか、さもなくばふざけているのか、何やってんだ!みたいな、そんな事の方が気がかりだ。

アメリカに居た時、やっぱり総理大臣がコロコロ変わっていて、お客さんから訊かれた。

「日本の総理大臣ってなんであんなにコロコロ変わるんだ?」

正直、こちらも前は誰だっけ?その前は?そして今は誰?

なので、答えることが出来なかったなぁ。

それって、今訊かれても答えられないだろう。

次はだれなのかも興味はないし、勿論、期待もない。

何か月もつだろうか。

不愉快な顔か、知らない顔しか出てこないし。

O J シンプソンの時は、寿司バーでカリフォルニアロールにオレンジジュースをサービスした。O Jだ。

クリントンの時は、カリフォルニアロールをモニカロールとし、別名Arkansas Troubler  とか言って。

クリントンはアーカンソーの出身、モニカはサンフランシスコだった。

伊東市でもそろそろそれなりのメニューが出てきそうだ。

注文したら19.2秒で出てくる、とか。おー忙しい!

やっと涼しくなってきたかな。とはいえども30℃は超えているけど。

水シャワーが少し冷たく感じる時もあるので、やっぱり秋に近づいているのかな。

夏もそろそろ辞任かな。しかししぶとい夏だ。

もう少しの辛抱ですね。

CD Keep on the Sunny Side 発売

Keep on the Sunny Side 2025年10月1日発売

Back to Banjo, Just a Little Memoryと立て続けにアルバム制作に邁進した2024年。
そして2025年、ついに決心してこのアルバム制作に着手しました。
1971年の高石氏との出会い。京都の小さな場所でひっそりと始まったセッション。
それがやがては全国に広がってゆき、僕自身の人生を豊かなものへと導いてくれました。
そして、すでに50年余りの年月が経ち、オリジナルメンバーはこの世を去ってしまいました。
今、僕に出来る事、それだけを考えてのこのアルバム.
Keep on the Sunny Side Tribute to The Natarsher Seven「ナターシャーセブンに捧げる」
どうか僕らと共に歩んでいただいた半世紀を想い、また皆様の明日からの活力へと繋げていっていただけたら幸いです。

Tribute to The Natarsher Seven
1 陽気に行こう
2 朝の雨
3 土の中のビリー
4 海の嵐
5 柳の木の下に
6 兵士と娘
7 レッド・ヘアード・ボーイ/ジューン・アップル
8 今宵恋に泣く
9 君眠る丘
10 そして秋/ The End of the World
11 山と川
12 街
13 街(インストゥルメンタル)
¥3,150 (消費税、送料込み)

※ 先行予約は9月10日から受付いたします。
お申し込みはこちらから
10 strings CDs
※ これまで送料をこちらで負担しておりましたが、いかんせん
この物価高で対応が困難になりました。なので、送料として¥150をいただく事に
しました。どうかご理解のほど、よろしくお願いいたします。
※ 複数枚のご注文の場合3枚までは¥150(まとめて)4枚以上は¥200となります。

New Albumのお知らせ

Back to Banjo , Just a Little Memoryと,

立て続けにバンジョー・アルバムをリリースした2024年。

その最中に、絶対に最後まで残ると思っていた高石さんが逝ってしまった。

そして、それはひとつの時代が終わった事を意味していた。少なくとも僕にとって。

1971年、京都の、とあるマンションの一室で始まった物語、いや、音楽…。

当時の日本に於けるフォークソングとは全く違ったアプローチで、特に音楽評論家などからは冷ややかな眼で見られていた。

しかし、そんな中、やはりフォークミュージックの源流を追求したいという人たちにとっては、ある意味、待ち望んでいた存在だったのかもしれない。

事実、フォークソングの原点を探す旅から戻ったばかりの高石氏にとって、日本の音楽シーン、特にフォークソングの在りかたは疑問だらけだったはずだ。

僕は元々、大学を出てからのことは何も考えていなかった。

ひとつだけあるとしたら、当時おしゃれな仕事と感じていたグラフィックデザイナーになりたいな、と思っていたくらいのことかもしれない。

ただ、もうその日から「あの子のひざまくら~♪」と唄う高石氏の歌に合わせてバンジョーを弾いていた。

そんな風にして始まったザ・ナターシャーセブン。

初代メンバーの金海孝寛はナターシャーセブンの音楽を決定づけるマンドリンのイントロを「わたしを待つ人がいる」でスタジオを歩いてマイクに向かい、見事に弾いた。

そんな彼が逝ってからもう5年?時の経つのは早い。

そして、坂庭省悟。

これはもう説明の必要がない一心同体の存在。

正直、様々な事に於いて趣味趣向がことごとく違うのに、なぜ音楽にも生活にも言葉が要らなかったのかが、いまだによく分からない。

金海氏脱退後、僕ら二人の創り出す音がナターシャーサウンドを決定づけて行った、といっても過言ではないだろう。

そんな坂庭省悟が逝ってからもう早22年?時の経つのは早すぎる。

そして、ひょんなことから加わった大物、木田たかすけ。

ある意味、天才だったのだろう。

しかし、そのキャラクターは3人で充分過ぎるほどに成り立っていたと思われていたグループに見事に溶け込み、そして見事にステップアップを施した。

木田たかすけが逝ってからもうかれこれ45年?本当?

そして高石氏が逝ってからも、もう1年。時はどんどん過ぎていく。

今回、僕がこのアルバムを作る決心をしたのは、そんなメンバーの想い出をひとつの形にしたかったからだ。

か、と言って簡単なことではない。

ただ、自分の出来る範囲で皆さんにナターシャーサウンドを想い出して感じていただけたら、という気持ちだ。

木田氏亡き後のベースマン、進藤了彦が昔の写真を引っ張り出して来てくれた。

彼も最初の頃は僕と省悟に「進藤、あれもってこい!」「はい。進藤、行って参ります!」

なんて使い走りばかりさせられていたが、素晴らしいベースマンとして成長していった。

僕自身は、ザ・ナターシャーセブンといえばこの4人+進藤、迄だと思っている。

実際、僕は84年には抜けてしまったのでその後の事は知らないが、少なくとも高石氏の歌を最大限に生かし、グループのサウンドを不動のものにしたのはこのメンバーだと言えるだろう。

アルバム発売に関する情報はもう少ししたら、城田純二HPの10strings CDsの項目に掲載いたします。

ようこそ常夏の島、日本へ!

こんなキャンペーンが出るのもそう遠くはない将来かな。

道を歩いていると、電光掲示板などに表示されている気温よりは4~5℃高く感じる。

アスファルトからの照り返しだろうな。

猛暑、酷暑、危険な暑さ、災害級…次は何だろう。というか、もうなにも言わなくなるか。

先日、息子がベトナム、カンボジア、韓国と旅をして帰りに3日だけ日本に寄って帰って行った。

カンボジアで食事している、と言って電話してきたが36℃と言うので「暑いだろう」と言ったら「ハノイから来たら寒く感じる」という答えが返ってきた。

マシだ、という言葉が出てこなかったんだろうか。

また、「日本人って暑さに弱いの?」と言うので、何故かな、と思ったら、ハノイで日本人の観光客集団が「暑い!暑い!」とヒーヒー言っていたらしい。

西海岸に戻ってから17℃というメールが来た。同じ日、東京は34℃だった。2倍!

エアコンを使わない爺さんばあさんがよく、自慢している、みたいなことを言われているが、確かに自慢げに言う人もいる。

僕は我慢している。

いやいや、昼はさほど必要性を感じないだけだ。

水を浴びれば良いし、幸いにもこの近くには多くの商業施設、商店が存在している。

なので…いや、流石に夜は使っている。

寝ている時も危ないらしいので。

夕方は必ず、よっぽどでない限りは少なくとも1時間から1時間半はウォーキングをしている。

5時半とか過ぎると少し風も出てくるし、その風が汗に当たるとなんとも気持ちが良いのだ。

持論ではあるが、こうして定期的に身体を動かしていれば、熱中症に襲われることもないんじゃないかな、と思う。

基本的にしっかり食べて、よく寝て、適度な運動、ということが大切だと言われるが、これ、結構すべて当てはまっているかもしれない。

しかし、そんな事も言っていられないほどの気候になってくるんだろうなぁ。

ま、その頃にはもう居ないか。

来年はどうなるだろうか。来年くらいの事はまだ気になるけど…。

80年

終戦から80年。

この日には必ず何か書き残しておかなければ、と思ってしまう。

終戦から4年後には産まれているが、もちろん記憶は全く無い。

物心ついたころにはもう既にかなり復興していたんだろうなぁ。

しかし、凄いもんだ。あれだけボロボロになっても立ち直れるんだ。

個人レベルでは考えられない事だけど、勿論、個人でもそれぞれどんな事が有っても立ち直ることは出来るんだろうけど。

原爆まで落とされても素晴らしく発展していく力を持てるなんて、僕にはなかなか考えられるものではない。

ヴィンさんの言っていた、戦争のある側面「民族の団結力」なんだろうか。

それにしても、いまだに他国を攻撃して嬉々としている脳〇その腐っている奴がうようよ居るんだからたまったものじゃない。

ひとつ間違えば、という綱渡りのような生活を僕らはしているんではないかな、と感じる。

大谷翔平、チャック少年になってくれないかな…なんて。

とに角、今日ぐらいは静かに戦没者に祈りを捧げよう。

嬉々として国旗を立てていた父の事も思い出しながら。

追加:90年目、もしかしたら…いやいや…どちらにせよ100年目は絶対に無いはずだ。なので僕が終戦の日について書くのはこれが最後か最後から2番目か…。

2025年8月9日(土)陽のあたる道

次は8月、と聞いた時、「うわ~、暑いだろうなぁ!」と思ってしまった。

事実、ここ数日の暑さときたら、いくら夕方でも歩くのは危険だ、という判断を下していたほどだった。

しかし、そうなると体が鈍る。かと言って危険は避けたい。

そんな数日間だったが、運よく少し気温が下がった。

もう30℃はマシだと思えるようになってきた。

身体が慣れてきたのか、鈍感になってきたのかよく分からないが。

さて、天気も上々。明日から雨になるかもしれない…らしい。

今回はワンさんにお願いして30分ほど早くスタートさせてもらった。

終わってから少しゆっくりみんなともお話したかったので。

皆さん間違う事もなしに時間には集まっていただいたので、更に少し早い目に始めさせていただいた。

ギターは最近気に入っているマーチンの000ジュニアサイズのカッタウエイ。

バンジョーはゴールドトーンの羽毛のように軽いもの。これが意外といい音だった。

朝の雨も久々に歌った。

ドックス・ギターも3段階に分けて速く弾いた。

省悟の唄も歌い、バンジョーは普通のチューニングではなく、ちょっと風変わりなサウンドを、自分自身も楽しんだ。

そして今日はこの近くに住んでいるという、バンジョー弾きの原さとし君が来てくれたので、せっかくのチャンス。ダブルバンジョーで2部をスタート。

弾いていて気持ちよかったのは、彼のセンスと聴く耳の成せる業だ。

いいミュージシャンというのは上手く弾くだけでなく、合わせ上手であることが条件だ、という事を地で言っている人だ、と感じた。

原君に感謝だ。

そして今日は久々にdadgadを数曲弾いた。

ジョン・ウイリアムスのカヴァティーナは僕のアレンジではカッタウエイでないと無理なポジションを使うので、今日はこのギターにしたのだ。

しかし、美しいメロディだ。あの戦争映画を更に感慨深いものにしてくれた大好きな曲。

あと何曲かそのまま弾いて、今日のハイライト。

あの日も今日のように、とHello Vietnamをどちらもアイルランドのメロディをイントロにして歌った。

Hello Vietnamはベトナム難民2世の、未だ訪れたことのない故郷に対する郷愁を歌ったもので、自分の知っている故郷は、コッポラの戦争映画、ヘリコプターの爆音、破壊される村…それだけ、と唄う。僕は、こんなものが歌詞になっていることにとても感動して、ついついウォーキングの最中にも口ずさんでしまっている。

そして、みんなで「街」を唄って、「陽気に行こう」で原君にまた素晴らしいバンジョーを弾いていただいて、リクエストのあった「チャップリン…」でおひらき。

少し早い目に終わったので、多くの方達とゆっくりお話しも出来たと思う。

ワンさん、どんべぇさん、いつもありがとう。

今日は80年前、長崎に原爆が落とされた日。

昨夜は、何気なしにつけたテレビのほとんどがあの太平洋戦争絡みのものだった…というか僕がそればかり選んでいたのだが。

結局4時ころまで寝られなかった。

人類が存続する以上、戦争はいつどこでも起こりうる。

ナパーム弾だって、枯葉剤だって、原爆だって、みんな同じだ。

この暑さで、世界中の戦争に使う道具が全部溶けてしまえばいいのに。

そんな事を考えながら、南の島にいた自分の父の事を考え、ベトナムの友人たちの事を考え、

そうこうしている間に外が明るくなってきてしまった。

そんな一日をこの「陽のあたる道」で過ごさせていただいたことはとても有意義だったといえる。

今現在、進行中のナターシャーセブンのトリビュートアルバムが出来上がったら、またみんなで歌いましょう。

今日、足を運んでいただいた皆さんに感謝します。

そして、犬飼さんご夫妻、いつもありがとうございます。

人種の壁

あー、またまた解決できない問題を考えさせられてしまった。

100%解決できないであろう事柄については考えない方が良いのだろうが…。

これをまた考えてしまったのは、先日九州の方だったかで起きた事件。

ベトナム人の若い子が犯人だった。

「またベトナム人みんなが悪者になっちゃう」とはニャンちゃんの弁。

でも、こんなことを言っていた。

「日本に来ていろんなところで働いたけど、すごくいじめられたよ。ずいぶん泣いたことも有ったけど、負けちゃいけないと思って日本語を一生懸命勉強した。技能実習で来ている子たちは日本語分からないまま仕事に就く子も多いし、よく怒鳴られたりいじめられたり、という話を聞く。帰りたい、と言っている子もいる…。それでも頑張れる子はいいけど」

多分、帰ることも考えられないんだろうなぁ。兵役もあるし。

言葉の壁もあるけど、ここでの生活は母国に比べると楽なのかもしれない。

アメリカでは朝6時から夜10時まで働いていた中国人のおばちゃんがいた。それも週6日。

ご主人は元学校の先生。英語の本を持っていただけで投獄された、と言っていた。

おばちゃん、「毛沢東大嫌い!」と言っていた。

僕にしても週5日は一日12時間ほど働いた。

でも、それは日本社会みたいな場所だったので、欧米人との繋がりも勿論多く有ったけど、普通に過ごすことが出来た。

前出の話だが、どうも日本人の多くは世界の事を知らなすぎる、と感じる

旅行ではいろんなところに行く人は増えているだろうけど。

先日の選挙の時、一躍話題に登ったのが「外国人問題」外国人受け入れに関することとは充分理解した上だが。

駅前を歩いた時、公然と「中国人を締め出せ」という主旨でわめいている候補者がいた。

これってヘイトスピーチ?と感じた。

子どもの耳を塞ぎながら足早に去っていった中国人の母親がいたそうだ。

確かに観光で来ている人も、住みついている人も、ある一定数は問題行動を起こす人がいるのは日本人でも同じだ。

ここはやっぱり政府にも考えてもらわなければならないだろう。

僕らにはどうしようもできない。

ただやっぱり、多くの子はいじめられて大変、というような話を聞くと、日本人って「いじわる」なんかなぁ、とも思ってしまう。

それに、多分白人だったらいじめられないだろうなぁ、と考えると、やっぱりある種の人種差別意識なんだろう。

文化的な違い…「遅れ」と言っていいのだろうか。文化的に進歩している、というのがどう言う事かもよく分からないけど。

少なくともいろんな話を聞く限りでは50年前の日本、という感じがする。

特に東南アジア辺りは。

日本人が彼らに対して一種の優越感を持っているのは、年寄りの政治家などみれば容易に分かることだ。

かく云う僕だって、愛国心も全くないのに、中国人だけには間違われたくない、なんて思っているのだ。

アメリカでは十把一絡げ、米を食う民族は劣っている、などという考えを持った奴も居る。

でも、中国人の友達も、韓国人の友達も、アラブ人の友達も、僕にはいっぱいいたなぁ。

ベトナム人達はもう家族みたいだったし。

ロシア人の子も居たし、イスラエル人の家族とも親しかったし、そんな意味では人種と言うものは越えられない壁であることも分かったし、全然関係なく付き合えることも分かった。

宗教の違い、文化の違い、風習の違い、そんな事も分かったうえでお構いなしに。

先日、スーパーでアラブ系の子供が二人、客の合間を追いかけっこして走り回っていた。

僕は「走るな!」と言ったが聞きやしない。なので、何語を話すか分からないけど今度は「Hey! Do Not Running! OK?」と怒鳴ってやった。ハッとして止まった。

親がバツ悪そうな顔をしていたが、子どもたちも日本人から怒られたことは初めてかもしれない。

どこの国の人であろうが、悪い事は悪いと正し、良いところは思い切り褒めてあげる。最初から先入観を持ってはいけないのだ。

結局のところ、日本人は他民族と関わるのが下手なんだろうな。

話変わって、このところ異常に暑かった。

ドバイ以来の熱風を肌に感じたが、調べてみると、あちらの湿度は30%程度、こちらは60%ほどもあった。共に40℃という事だが。

ドバイでは、これは神にでも頼らないと生きていけない世界だな、と思ったものだ。

ところで、まだ「デカ盛り」なんていうのやっているんだな。平和というかバカというか。

全然関係のない結末になってきたが、日本、これからどうなるんだろうね。

自民党が選挙での敗北について検証するとかなんとか、そんな事でいちいち涼しい部屋に集まっているらしい…てか、そんな簡単な事が分かっていないのは当人達だけだ。

もっと世界を見て、そして国民に寄り添って欲しいものだ。

金だけが目当てでは大事なことはわからないだろうなぁ。

そんな連中が言葉遊びのように、外国人問題なんて言っていても所詮無理な事なんだろう。

人種の壁どころか、この狭い日本の中でも国民との間に高い壁を作っているのだから。

今日は広島の日。

子どもたちのスピーチは素晴らしかったよ!それにひきかえ…。

プロレス

子どもの頃、野球とプロレスはよく観ていた。

なんで急に?というところだが、それは、ハルク・ホーガンが亡くなった、という記事を読んだからだ。

子どもの頃のプロレスといえば「あ、また吉村みちあきがつかまっちゃったよ」「あ、沖しきな。また下敷きになっちゃった」その他、グレート東郷とか…いろいろ居たなぁ。

ブラッシーとか。そうそうデストロイヤーも。

ある日、アメリカで飛行機に乗っていた時の事。

隣に座っていた若い白人の女の子数人が「デストロイヤーって知ってる?あたしたちの学校の体育の先生だったの」

と言っていたことは衝撃だった。

関西では、トイレに行きたい時、特に大きい方だが、子供たちは「猪木ピンチ!」と言ったそうだ。

猪木がピンチになると馬場(ババ)が出る。これ以上の説明は止めておこう。

プロレスはアメリカでも良く観ていた。

いかにもザ・エンターテインメントという感じで結果に一喜一憂するわけではなく、ただ面白くて観ていただけだ。

毎週木曜日。仕事は木曜日が休みだったと記憶している。

だが、ある時、その日の試合が無くなった。

そう、あの9.11だ。

場面にはそれでもリングが写っていた。

そして、各レスラーのコメントを流す。

それは、さしずめ映画スターが語っているように見え、そしてとてもプロレスラーが発している言葉とは思えないものだった。

何処かの国の政治家の原稿棒読みとは雲泥の差であった。

ハルク・ホーガン、トリプルH、アンダーテイカ―、カート・アングル、ザ・ロック…

みんな素晴らしかった。

ハルク・ホーガンの死去、という記事を読んで想い出してしまった。

そう言えば、シアトルの空港で荷物が出てくるのを待っていたら、同じく荷物を待っている人の中にヴィンス・マクマホンが居た。

当時WWEのトップだった人…かな。

思わずサインをもらおうかと思ったが、辞めておいた。

それでもう一つ想い出した。

トニー・マクマホンとツアーしている時「アメリカ人はバカだ!俺の事をマクメンと発音しやがる。俺はマクマホンだ!」と言った。

確かにアメリカでは、ヴィンス・マクメンという発音に近いようだ。

今やもう、プロレスは観ないが、あの頃は木曜日が待ち遠しかった。

いかにも「やらせ」「あ、これ痛いだろうな」いろんな憶測と共に、各レスラーの表情豊かなパフォーマンスも充分楽しめたものだ。

全然関係ないけど、〇〇の市長、そろそろ真剣に入院先を吟味しているかな…。診断書、今度は誰が作ってくれるのかな?

いっそのこと女子プロレスに転向したら…って余計なお世話でした。

リングでの名前だが、英語の剣闘士Gladiatorと、卒業のGraduateをかけあわせて、全くの和製造語だが「グラジュエイター」うん、これで決まりだ…って大きな大きなお世話だ。

それにしても、もうダメか!と思わせておいて、1,2,3で思い切り天井に向かって腕を振り上げる、とか、あのTシャツ破りとか、また観たかったなぁ。トランプの友達っていうのはさておいて…。

コーヒー

コーヒーの値上がりが凄い事になっている。

僕は朝起きると必ず一杯は飲む。

その時は安物のインスタントコーヒー。

少しだけミルクを入れて苦いやつを飲む。

決して美味しいとは思わないが、なんとなく癖になっている。

そして、時間はまちまちだが、必ずベトナムコーヒーも一度は淹れる。

それで最近気がついたのだが、結構上手になってきたような気がする。

というよりも、その時間のかかり方に対してあまり気にならなくなってきたのかも知れない。

以前はせっかちな僕としては、あれが悪いんじゃないか、これが悪いんじゃないかと、いろいろ気になったが、どうやら慣れてきたのかも。

最近、練乳も自分で作っていたが、よく考えると手間もかかるし、時間だってそれなりにかかるし、なんといってもその間すごく暑いのだ。

夏に焼売なんて作りたくない、と思うのと同じだ。

全然関係ないが、餃子とビールというのは何故あんなに美味しいのだろうか。

もちろん、人にも寄るだろうが。

絶対的に言えるのがやっぱり、コロナビールとメキシコ料理。テカテでもいいか。

これは餃子には当てはまらないだろうな。別に青島でなくてもビールならなんでも美味しい。

テキサスではよく、コルト45を飲んでいた。雰囲気もあるんだろうなぁ。

ピザには絶対赤ワイン。白ではないような気がする。

それにしても、すしバーで寿司を食べながらコーラを飲むアメリカ人の感覚には信じ難いものが有る。

話が飛んだが、ベトナムコーヒーを淹れる事に何もストレスを感じなくなってきたことは大きな収穫だ。

考えたらコーヒーを淹れるのにストレスを感じていたら本末転倒かも。

でも、なんだかんだ言ってやっぱり日本茶は美味しいな。

騒音

最近、やけに騒音が気になるようになってきた。

あ、いや、選挙の事ではない。

あれは一時的なもので、嘘八百でもなんでも今だけ良い事を言っていれば、あわよくば…

で、終われば静かになるのだが。

今一番うるさく感じるのが、とある駅の、なんだかキャンペーンだか何だかの男女の会話をひっきりなしに流しているもの。

それも結構な大音量。

ただでさえも利用客が多く、雑然としている構内にしょっちゅう鳴り響いている。

僕はここを通らなければならないことが多いので耳を塞いで通る。

以前にも100円ショップで買い物をしていたら、なんだかでかい声でしゃべっている奴がいるなぁ、と思ったらお店の宣伝だった。

会話方式でとてつもなくうるさい。

まるで電車の中、携帯電話を手に大声で喋っているような感じだ。

僕らはまだ一時の事なのだが、お店の人ってどうなんだろう。

先ほどの駅の構内を抜けると、ロータリーの向う側に商店街が有って、その入り口に最近、大きなスクリーンが設営された。

見上げると、その商店街のお店の宣伝や、テレビなどで流れているコマーシャルが映し出されている。

ものによって、飛び上がるくらいの大音量。

昔から、日本人の脳は雑音と音楽とが聴き分けられない、ということを言われてきた。

どちらも一緒、というか聴き分ける脳の構造になっていない、という事らしい。

もちろん諸説あることだが。

そこに来て、本当に五感の鈍い人も多くなってきているんだろうな、と思う。

確かにこちらが年寄りになってきていることも有るだろうが。

それならばもうちょっと聞こえにくくなってもいいはずだし…。

取りあえず、都会と言うものは余計な雑音が多い、

じゃぁ田舎に住んだら?と言われればそれまでだが。

あれも電気代がかかっているんだろうなぁ…出演者にはそれなりのギャラが支払われているんだろうなぁ…なんて余計な事を考えてしまう。

暑い!

今年も、というか、年々暑くなっていくようだ。

そりゃぁ、あっちこっちでドンパチドンパチやっていれば暑くもなるだろう。

もちろんそれだけではないことも分かっているが。

そしてこの暑いのに、また暑苦しいのがあちこちで都合のいい事ばかり喋り出した。

当選したらぬるま湯に浸かれる、とでも思っているのだろうか。

それにしても、どこかの市長なんか見ていると、猿以下という振る舞いに呆れてしまう。

ま、そんな奴があっちこっちに居るので…。

トランプにも困ったものだが、面白い話がある。

アメリカ車が売れない、とか言っていたけど、僕らがアメリカ中をまわっていた時、こんな話が有った。

「Fordってどんな意味か知ってる?あれってFix Or Repair Dailyの略だぜ」これなんか日常で使われているポピュラーなフレーズだが、確かにフリーウェイで故障して止まっている車のほとんどはアメ車だった。

それに、アメ車の新車を買った人がボンネットを開けたら中からマリ〇〇ナの吸殻が出てきた、なんていう話。知らんけど!

さて、こんな事ばかりほざいていないで、自分のやるべきことを考えよう。

そんな中、去年からのバンジョー2作品の後、何をやるべきかが見えてきたので、

いつものタムちゃんに相談して、また新たなアルバム作りを提案してみた。

今回は、ナターシャーセブンのトリビュート、というコンセプトで。

1971年の高石氏との出会い、そして木田ちゃん、省悟、高石氏と、僕にとっては最も多感な時期を共に過ごした仲間が逝ってしまった。

1971年2月にザ・ナターシャーセブンとなってからは怒涛の如く過ぎて行った日々だった。

そんな日々の事を想い出しながら、今、僕に出来る事をやってみようと、いくつかのレパートリーを選び出し、第1回目のセッションが終わった。

自分としては、10月の少し涼しくなってきた頃に皆さんに届けられたら良いかな、と思っている。

世界が混沌として来て、自分もいつ終わるか分からない年齢になってきて、急ぐことはないけど、あんまりゆったりしてもいられないな、と感じる。

あまり肩を張らず、良い想い出を皆さんと共有出来たらいいな、と思っています。

また追々…。

トイレットペーパー

また無くなるかもしれない。

アメリカがイランを攻撃した。

これは、いくらその筋の学者やコメンテーターが日本の常識を語っても、国連安保理などがテーブル上で言葉を吐いても何の意味もない。

僕にとって、あのジェイミー・フォックスの映画のラストシーンは強烈に残っているが、全くその通りである。

トイレットペーパーが無くなるかも…なんて言っている自分が情けない。

いつミサイルが直撃するか分からないほうが、トイレットペーパーよりも恐怖だ。

話は変わるが、先日スーパーで備蓄米が山積みになっていて、聞いた話では一日に、いや、午前中に400袋も売り切ってしまったそうだ。

レジの子が「腰が痛いよ。明日は200袋来るんだって」と言っていたが、その200も午前中にあっという間に売り切ってしまったようだ。

その次の日も、次の日も…。

でも、見たところ、この界隈に住む外国人がほとんど。

店の前が黒山の人だかり(ブラックマウンテンラグ)と化して、続々と待ち合わせた人が現れ、山のように買っていく。

このスーパー、肉が売り物で「肉の〇〇〇〇」というが、既に「米の〇〇〇〇」と言っても過言ではない。

しかし不思議なのは、この備蓄米、かなり安かったのに、日本人で買っていく人はあまりいない。安かったから?

近所で銘柄米が、それでも今までよりは安いようだったが、この備蓄米の倍ほどの値段で売っている。そして、日本人はそちらに行くようだ。

今は「米の〇〇〇〇」も落ち着いて平和が戻ったようだが、今度は「紙の〇〇〇〇」になるかもしれない。

トイレットペーパーは多少品質が落ちても、日本人は買うだろう。

いや、結論(けつろん)としてはここでも品質に関して…あ、あらぬ方向に向かいそうなのでここらで。

しかし、平和ほど尊いものはない。

米の話題

アメリカではなく米だ。

日本人って贅沢だなぁ。古いコメでも有難くいただけばいいのに。

味がどうのこうの…とか。

ガザで食料を求めている人たちの事を考えろ!なんて日々思ってしまう。

何だか「動物の餌」とか言った奴がいたが、めちゃくちゃ腹が立った。

小泉君、別に好きではないがあの時ばかりは僕も腹が立った。

案の定「ムッ」とした顔をしていた。

あんな事いうやつ、動物園につないでおけばいい。

なんて政治家ってバカなんだろう。

自分の家には売るほど米がある…って、少しでも「脳〇そ」が有ったら言うか?少なくともこの現状で。

もうみんな忘れてしまっただろうけど、それって結局、あんな奴の言う事よりも、自分たちが日々どうして生きていこうかみんな一生懸命考えている、という証拠なんかな。

国民の政治離れがどうのこうの…ってその状況を作りだしている張本人が言うか?

オー、だんだん自分がみじめになってくる。

いかんいかん!

蒸し暑くなってきた。

でも、確か去年はもう今頃、水シャワーだったが今年はまだ冷たい。

これ、急にあの信じられない暑さが襲ってくるのだろうか。

今、振り返ってみると確かに、去年は5月下旬から水を浴びていたようだ。

それも9月終わりころまで。

米の話題から飛躍してしまったが、この米騒動、いつになったら収束するのか。

因みに、カリフォルニア米は普通に美味しかったけどなぁ。

カリフォルニア米って因みに、米国米と言うんだろうか。

あれじゃぁ米を食べた気にならない、という人もいるんだろうなぁ。

日本人って贅沢だなぁ…と言いながら、新潟から送っていただいたお米はよく分からない僕でも美味しい!と思わず叫んでしまったのだ。

ちょうど帰国中の息子も「美味い!」とのけぞったくらい。

でも、無い時ぐらいは有難くなんでもいただきましょう。

そして、新たな録音へと向かおうかな。

苦楽を共にしたザ・ナターシャーセブンのメンバーを偲んで。

今年も半分に差し掛かる

5月が過ぎ、6月に入っている。

あっという間にこんなに時が過ぎ、また暑い暑いと言っている間に寒い寒いというようになる。

先日リック・デリンジャーが亡くなったという記事を見た。77歳か…歳取ったなぁ。

Johnny Winter andのライブでのIt’s my own Faultの白熱したプレイは擦り切れるほど聴いた。

Johnny Winterも大好きなギタリストだったので、特にフォローはしていなくても自然と好きなギタリストの一人になっていた。

さて、また政治家が喋り始めた。というより、大声でわめき出した。

そしてまたしても、肉声で動物愛護を訴えている人の横で嬉々としてスピーカーを用意している。

その無神経さに呆れてしまうが、どうにもできない。関わらないのが一番。

しばらく忙しくしていて、少し余裕が生まれたので、次なる企画を考えている。

もう残り少ない人生。ある程度の計画は立てておかなくちゃ。

いよいよ水シャワーの季節だ、と思いきや、急に寒いくらいの日々が続いている。

もう既に何度か水をかぶったが、やはりちょっと寒かった。

気をつけないと心臓が…いや、毛が生えているかもしれないので大丈夫かも。

とに角、来るべきジメジメした梅雨と人類存続の危機に迫る暑さに備えなくてはならない。

皆さんも心の準備を…いや、心だけでは乗り越えられない。

身体もそれなりに鍛えておいてください。

2025年5月24日 サウンドタム35周年

素晴らしい一日だった。

サウンドタム35年、そして40年を見据えた素晴らしい会になったと思う。

僕は朝、5時に起き、空を眺めた。

予報は雨…降ってないじゃん…。

今日は、アリさん、僕、中村哲さん、河合のてっちゃん、そして一際若い一晃君。

一応歳の順に並べてみた。

みんな素晴らしいミュージシャンだ。

僕の方向性とはまた違うが、百戦錬磨の素晴らしい感性と、技術と、知識と、奥の深さを感じさせる4人だった。

サウンドタムはその35年の歴史の中で彼らの様なミュージシャンと、そしてなんといっても、坂庭省悟との関わりがとても深い。

僕自身、エンジニアのタムちゃんは省ちゃんに紹介してもらったと記憶している。

以来、特にここ数年は本当に助けてもらっている。

「あれ、もう俺たち要らないんじゃない?」「いや、あなた達が居ないと、この仕事成り立たないから」

なんて云う会話をしょっちゅうスタジオで交わしている。

僕も迷いが生じると必ず彼に意見を求めるようにしているし、彼は時折、それを察して的確な指導をしてくれる。

そんなタムちゃんの手綱を引っ張っている夏子さんにも、録音中の食事から、カバーデザインの事から、全てお任せしている。

35年、文字通り二人三脚でやってきたサウンドタムが、必ず40周年を迎えられるように祈っている。

その後は…僕らも居なくなるし。あ、一晃は居るか…。

そう言えば、アンコールの花嫁。

これは省ちゃんに捧げる、というか「何故ここに居ないのか、生きていればここに居ないわけがない」という感情がこみ上げてきたうえに、素晴らしいサポートミュージシャンのおかげで、2番が歌えなくなってしまった。不覚だったが、みんなが歌ってくれていたので助かった。

素晴らしい企画を有難う。タムちゃん、そして夏子さん。

集まっていただいた皆さんも極上のひと時を過ごせたことと思います。

また、See You at Tam’s

2025年5月17、18日 七色の池コンサート 新潟

朝から雨模様。

晴れ男伝説、またしても…と思われたが、ところがどっこい。

東京を出た時にはほとんど感じない程度の雨。

新潟へ着いてもちょっと晴れ間が見えるんではないか、と思わせるような天気。

主催の佐藤さんと、彼のお店に向かう途中、ふと思い浮かんだ大切な事が有って二人共びっくり。そのことは後で書くことにして、なんか新潟って秘境みたいだ。

ありゃ、こんなところに素敵な店が、とか、宿泊施設も素敵な処だし、集まってくれた方達も「あっと驚く為五郎」だ。

現に佐藤さんが率いる(と言っていいのか分かりませんが)バンドの各人の素晴らしい事。

これはCDを聴かせていただいたのだが、佐藤さんのフィドラーとしての腕前もなかなかのものだ。

音楽に関しての知識も豊富なので話は弾み、会自体も和気あいあい…と言いたいところだったが、やっぱり一人は緊張する。

初めてバンジョーを目にする人、ナターシャーセブンにどっぷりつかって半生を過ごしてきた人、いつもの事ながら、それでもみんなの真剣な眼差しに圧倒されてしまう。

それでも、緑に囲まれた空間で素晴らしい時を過ごすことが出来た。

ところで、先の「びっくり」の話だが。

5月18日は木田高介の命日に当たる日だ。

そして、それだけではなく、彼は新潟のしかも、すぐその辺で生まれている、という話。

なんでよりによってその日になったのか、とても不思議だった。

僕も行くまで気がつかなかったことは不覚だったが。

そんな新潟の2日間、とても良い想い出になった。

お店の安藤さん、お母さんまで連れてきてくれて、お母さんとも話が盛り上がり楽しかったです。

魚沼からはホワイティ白井一派がギターを持ってきてくれたり、歌も一緒に歌ってくれたり。

柴田さんは相変わらずの美声だし、ホワイティのチャップリン・イン・ニューシューズは、まるで自分自身の演奏を聴いているようだったし。

17日もギターをお借りした山田さんご夫妻。そういえば彼ら、昼下がりコンサートにも遠路はるばる来てくれたようだった。

そして、ボタンアコーディオンを演奏してくれた、波多野彩子さん。いい伴奏者を見つけてください。

みんなが素晴らしい演奏を聴かせてくれて、素敵な笑顔を見せてくれて、会話も弾んで本当に幸せなひと時でした。

帰り、新潟駅まで送っていただいたお茶の先生、小川聡子さんは、なんと、素晴らしいバンジョーを持ってきてくれたし「いやいや、ちょっと持って帰るのは重いし…」なんて最後まで冗談を言ってしまったが、素晴らしいバンジョーで、また素晴らしいキャラクター。失礼ながら僕より年上。それも割と…。でも、すごく輝いていました。是非またお会いしたい姉御?です。

本当に皆さんに感謝いたします。有難うございました。

2025年5月10日 伊豆 夕鶴記念館

僕にとってはかなり珍しく、雨の一日となった。

それでも予報によると、もっと激しく降るような感じだったが、時折薄日がさすような変わりやすい天気だった。

しかし、この夕鶴記念館は緑いっぱいで少しの雨だったら何となく爽やかさを感じる。

その辺は都会の雨と違うところだ。

今日も遠方から駆けつけてくれた人、京都から、山梨から…有難いことだ。

今回は、今まで唄って来なかった唄や、新たなアレンジのものを中心に構成してみた。

下田から櫻井航君が来てくれて、サウンド面で大いに力を貸してくれた。

そのおかげで落ち着いた気持ちのいい音が得られた。

そしてバンジョー。

修善寺の有名なDr.コト―、ことうさんが重いのに2台も持ってきてくれて「どちらでもお好きな方を」と…いやいや、お持ち帰りください、というわけではない。

彼の様な上品なサウンドのバンジョーを使わせてもらった。

と、言いながら、今回はギターと歌、という方が多かったので、ギターは育さんのマーチンを借りて弾かせていただいた。

僕が持っていったのはマンドリン。

これで2曲のメロディーを弾かせていただいた。メドレーというべきだろうか。

育さんのギターをバックにつけてもらい、ちょっとコンサートに花を添えた感じになったかも。

最後に歌わせていただいた「疲れた靴」

そしてアルマジロのリクエストによる「チャプリン・イン・ニュー・シューズ」まで、

今回は懐かしい歌、そして今まで歌ったことのない歌。

ステージの上から見て涙をぬぐっている方が何人か見えて、花粉症かな?なんて思っていたが、いくつかの唄でとても感動した、というコメントをいただいた。

有難うございます。

沢山の人に助けていただいて本当に感謝です。

まだまだ元気であることは確かですが、ま、歳より並といいますか、だんだん移動するのも大変…というか面倒にもなるんだろうなぁ、良くない事だけど、こうして多くの人に支えられている以上、頑張って練習して、今日よりは明日、明日よりは明後日、とそんな風に貪欲に高みを目指して行かなければ、と感じる一日になりました。

それも今日、雨の中を集まっていただいた方達のおかげです。

有難うございました。

またお会いしましょう。

2025年4月19日 円山音楽堂 昼下がりコンサート

さぁ、今日も良く晴れたぞ!

おまけに暑いし。

なんでもすでにもう夏日らしい。

まだ4月だぞ!7月、8月には間違いなく連日の40℃超えとなるだろう。

そんなこんなで、取りあえず少し前に京都へ。

友人のお母さんがとうとう100歳を迎えて…また同じ話を聞きに行ったのだ。

そして、夜にはこのコンサートの実行委員会の会合にも出させていただいた。

和気あいあいの中にもみんなの本気度が伝わってくる。

こんなにもナターシャーセブンを愛し、その存在した価値を評価し、そしてその灯が消えないように願っている人たちがいることに感銘を受ける。

そして本番の日。良く晴れて更に暑くなった。

これは7月、8月には50℃目前、と書きかえなくてはならないだろうか。

去年も寄せてもらったが、今年はまた更に円山音楽堂での想い出が深く深く突き刺さってくるような気がした。

それというのも、楽屋には去年にも増して懐かしい顔が一杯現れたからかな。

東さんは益々素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

ギターもブルーグラスのツボをとことん得ている。思わず「やっぱりほんまもんや」と言いたくなるような…。

そして何といってもその語りが素晴らしい。

ブルーグラスの成り立ちについて、非常に簡潔に分かり易く語ってくれる彼の存在は貴重なものだ。

今迄知り得なかった…いや知っていたがそこまでの感性と知性を持ちつつ、本物のブルーグラスを魂から歌ってくれた東さん。

もう、かれこれ40年ぶりくらいだったのかな…。

そして、二郎ちゃん。

「じゅんじ、さむウないか…?」と、あの美声がよみがえってくる。

あれは、おぎゃ~と生まれた時からだろうか。

もしそうなら、ご両親、びっくりしただろうなぁ。

楽しいなぁ…楽しいなぁ…と言いながら「なぁ、みんなでやろうや」と、本当に嬉しそうにしていた。

本当にフォークソングが好きなんだろうなぁ。この人。

そんなレジェンドの姿を見ていた小林君に「君が一緒にやったらいいよ」と勧めて、なんとか引っ張り出した。

内心、すごく緊張したことだろう。

しかし、彼の様な若さでナターシャーの唄を、そして歴史を知るような人物は貴重であり、そんな彼と二郎ちゃんが同じ処に立つことは素晴らしいことだと感じる。

それは東さんしかり。

やはりブルーグラスを愛した彼が、また違った意味でのレジェンド東と共に登場することはそれなりに意義があることだ。

今回はそんな事も含めて、また次につながるような素晴らしい会になったような気がする。

アマチュアバンド、といえどもみなさんレベルが高く、こちらも来年呼ばれるように頑張らなくてはいけないな、と感じるほどだった。

みんな、有難う。

そして、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。

みんな結構な歳なので、筋肉痛など数日してから出てくるかもしれません。

そう言う僕もかなり疲れていると思いますが、甘いもん沢山もらったし、また明日からウォーキングを始めます。

また来年会いましょう、という事はほとんど生存確認…か?

4月

あれよあれよと云う間に4月になってしまった。

僕が言うまでもなく、ほとんどの皆さんはそう思っているだろう。

「あれ、人生ってこんなに短かったのか」なんて。

外では桜がほぼ満開。あと何回見ることができるだろう…なんて、かつては絶対に考えなかったことが頭をよぎる。

これ、正しく日本人。

富士山を見て感動し、桜を見て人生を考える。

正月には思い切り伊達巻を食べる…って、これ、僕だけか。

さて、大して仕事もしない議員を3分の1くらいに減らしたら、国民の生活がもう少し楽になるだろうなぁ。

いまだにスマホ見ながら自転車で走っている奴、日本全国で一斉につかまえて罰金3万円くらい取ったら、凄い金額になるんだろうなぁ…なんて日々のウォーキングの最中に考えてしまう。

なんでもかんでも高くなって、もやし、豆腐、納豆くらいしか買えなくなってしまった。

先日アメリカのスーパーの棚の写真が送られてきたが、卵の値段に驚愕。

アメリカでは12個入りが普通だが、安いもので$7.99 オーガニックだと$9.99

それと比べたら日本の卵はまだ安いか。

ま、物の値段は他とのバランスもあるし、一概には言えないが。

外食をすると、少し安い目のランチでも$30くらいは当たり前という事なので、日本の労働賃金がいかに低いかが分かるような気がする。

しかし、本当に食べ物には恵まれた国だなぁ。美味しいもんいっぱいあるもんなぁ。

甘いもの大好きな僕だが、今まで糖質で引っかかったことがない。

体質もあるかもしれないが、それなりに身体を動かしているからだろうか。せっかちだから?

4月はまた京都に行かせていただく。

昼下がりコンサートだ。

少なからず人生の長きに渡ってナターシャーセブンが、どこか心の片隅にあった人達、計らずも、どっぷりつかってしまった人達。

そんな人達と共にこれからも人生をふくよかに、力強く生きていこう、と語りかける「七人の会スタッフ」による昼下がりコンサート。

いい天気になると良いけどなぁ。

春の天気は気まぐれだけど、晴れ男は今年も健在だと、自分にいいきかせて参ります。

円山音楽堂で会いましょう。

ジョージ・フォアマン

ジョージ・フォアマンが亡くなったと聞いた。

エディ・アドコックに引き続きだ。

だが、全然違うのは、ボクシングには何も興味が無い、というところだ。

では、何故かというと…。

アメリカでテレビを観ているとよく「インフォマーシャル」なるものが目に付いた。

その中で、買おうかな…といつも思っていたのが「フォアマンズグリル」というもの。

肉を焼くハンディなグリルで、傾斜がついているので、そこに余計な脂が落ちる、という一見、健康に良さそうなもの。

ずっと見ていたが結局買わなかった。

ま、こういうものはほとんどの場合、長くて2~3か月もてばいいかな。結局クローゼットにしまい込んで忘れられてしまう運命にありそうな…。

実際、正直なところ、いくつかある。

中には返却したものも有る。

それもやり方が分からなくて、息子に電話してもらって、えらく手間取った。

なので、ジョージ・フォアマンもずっと迷いながら手に入れなかった。

今調べてみるとAmazonとかに出ているなぁ。

でも、もうあんまり肉は食べないしなぁ。

チキンもフライパンで焼いて、キッチンペーパーで油をふき取ればいいし。

なんか話が飛んでいるが、ジョージ・フォアマンというと僕はこのグリルをどうしても思い出してしまう。

結構、欲しかったんだろうなぁ、あの頃は。

エディ・アドコック

エディ・アドコックが亡くなった。

多くの人が僕に知らせてくれた。

大学時代の僕は「北白川のアドコック」と呼ばれていたくらい、彼のプレイに惚れ込んでいたからだ。

初めて彼らのライブ盤を聴いた時はぶっ飛んでしまった。

そのライブ盤のジャケットは同じものがドクターサウンドに飾られている。

Goin’ Back to The Blue Ridge Mountain  Goin’ to the Races  中でも特に気に入って弾いていたのがBlue Bell

これには完全にノックアウトされてしまった。

あれだけのプレイをする人なので、さぞ変わった人だったんだろう。

もんつ君が、座頭市を見るとソニー・オズボーンを想い出してしまうらしいが、僕はバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクを見るとエディ・アドコックを想い出してしまう。

またひとり消えてしまった。

でも、何故だろう…ここ最近やたらともう一度Blue Bellを弾いてみたくなっていたのだ。

友あり遠方より来る NY編

NYからディナがやって来た。

正確に言うと台湾からのフライトだったが。

どうやら今年93歳になる父上の具合が芳しくなく、台湾に里帰りしていたらしい。

彼は本当に僕に良くしてくれたし、台湾にも連れて行ってくれた。

もうそんなに歳取ったんだな、とビックリしたが、もう一つ、ディナがもう50にもなるっていうことも聞いてびっくりした。(この際いいか)

2人で演奏していた頃25歳だったので…そりゃそうか、僕もまだ50歳だった。

Up She Flewをリリースしたのが2000年だったので、あれから25年。

今回は父上のお見舞いと、せっかくなので日本にも、という気持ちで、随分前から「日本に行くけど会える?」と訊かれていた。

久しぶりに会ったが…といえども2017年の8月にキルケニーで会った時が本当に久しぶりだった。

それでももうあれから8年にもなるのか。

ボーフレンドと一緒だったが、二人ともベジタリアン。

前回日本に来た時もディナは肉も魚も食べなかったので、あの当時、日本ではなかなか「それもんのレストラン」を探すのが大変だった。

居酒屋でキャベツでも食べさせておけばいいか、なんて思ったりもした。

今回、二人ともそんな事なのでちょっと僕の処で日本茶を飲んで話をして、少し音楽をやって、苺を食べて。

結局コーヒーもミルクは入れないし、まぁ、それは良いとしても、味噌汁もうどんも蕎麦も出汁に魚が入っているし、本当に困る。

パンは美味しいと言って食べていたが、ミルク使っているんじゃないかな…?

取りあえず、種類豊富な日本のパン屋さんにはほとほと感心していたようだ。

そして、外人あるあるの「渋谷スクランブル交差点を見たい」と意気揚々と出掛けて行った。

「安全な国だけど、人が多いし、スリには気を付けるように」とメールを送ったら

「うん、気を付ける。今ベジタリアンレストランを探している」という返事が返ってきた。

ディナの方は2度目の日本(と言ってもほとんど25年ぶりか)彼の方は初めての日本。

そりゃ、渋谷には行ってみたいかな?

明日から京都に行く、と言っていたが、思い切り楽しんでほしいもんだ。

おかげで、25年来の友人にこうしてまた会えるというのはとてもいいもんだ、という実感が湧いた素晴らしい一日になった。

しかし、日本に来て美味しいとんかつもダメ。美味しい寿司もダメ。美味しいラーメンもダメ、となると、なかなかにリミテッドだ。

埼玉県人と一緒に「その辺の草でも食っておけ!」てか?

マラソン

先日のぐんじ君主催のコンサートで「京都産業大学トリオ」として一緒に演奏した

櫛谷さんから、琵琶湖マラソンを走ってきた、という便りが届いた。

え?フルマラソン?42・195キロ?

そんな風に見えなかったし、そんな話題も出なかったので全く知らなかったが(いや、少しは話をしたかな。音楽談義の方が盛り上がっていたのかな)おかげでいろんなことを想い出させていただいた。

僕は中学の頃、異様に長距離が得意だったようだ。

駅伝も経験したし、高校では陸上部に入ろうかな、と思いながらも美術部に入った。

そんなことも有り、走ることは苦ではなかった。

省ちゃんなんかは「なんでやねん」と言いながら走っていた。後のタバコの為に…。

ホノルルに行く前に、それぞれの酸素摂取量を計る、という名目で、群馬大の山西先生を訪ね、なんやら酸素マスクみたいなものがついた自転車みたいなもの(固定された機械)に乗せられて、そのペダルを思い切り漕いだ。

省ちゃんは「あのマスクの中に思い切り吐いたら、ハイ、やめー!ってなるんちゃうか」とか言いながら、いやいや漕いでいた。後のタバコの為に…。

そんなこんなでいざ、ホノルルへ。

最初は1978年だったと記憶している。

まだ全然大した人数ではなかったが、確かフランク・ショーターが居たのはその年かな。

僕がまだまだ折り返し地点に程遠いところを走っていたら、向かい方の、言うなれば帰り道を、彼は颯爽と駆け抜けて行った。

太陽が上がると「ハワイ良いとこ、一度はおいで」みたいな流石に美しい景色が広がった。

それはそれで気持ちよかったが、最初のその年は頑張り過ぎた。

確か4時間少し超えるくらいのタイムだったかもしれない。

おかげで、次の日はアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けなかった。

無駄に頑張らなかった省ちゃんは美味しそうにタバコを吸いながら買い物を楽しんでいた。

足を引きずっている僕に多くの人が「どうしたんだ?」と訊くくらい、まだホノルルマラソンがそれほど浸透していなかった。

次の年はその経験を踏まえて、6時間かけて走った。途中で歩いたりして。

そのおかげでアラモアナ・ショッピングセンターをニコニコして歩けた。

42キロはやっぱり長い。

途中で白人の海兵隊員みたいのが「This is crazy!」とブツブツ言いながら走っていた。

確かに35キロ位を越えると膝から笑い声が聞こえてきた。

そんな事はないやろ~。

目から鱗は出ないし、耳にタコは出来ないだろう。

耳にタコが出来たら、今はタコ高いし、良いのになぁ、としょうもない事を言っていないで、

今度、また産業大学トリオが有ったら、マラソンの話をしてみよう。

ホノルルマラソン、一応5回走っているので。

でもしょうもないことしか覚えていないかな。

櫛谷さんは2年くらい前から走り始めたようだが、なにかきっかけが有ったんだろうか。

まだ若いし、間違いなく高石ともやの影響ではないだろう。

それでもぐんじ君から教わった「孤独のマラソンランナー」を口ずさんでいたらしい。

とに角42キロを5時間ほどで走り抜けた、というから大したもんだ。

因みに42キロ、フルで歩いたら約8時間とか…。

あ、もう先も長くないし、それ時間の無駄だ。

サウンドタム ソロライブ

何という気候だろうか。

春がやってきたと思ったら、震えるほど寒い日になった。

そんな訳の分からない中で、前後するが、そう言えばサウンドタムでもライブがあったんだ、という事を想い出した。

恐らく、ここしばらく、特に去年いっぱいは、まるで普通の通いのように行っていた処なので、自分の中で当たり前のような感じになっていたのかもしれない。

事実、今年はまたお願いしようかと思っている。

内容に関してはまだまだ練らなくてはならないが、そんな相談も兼ねて考えていたことも有ったのだろう。

すっかりライブの事に触れるのを忘れていた。

今の自分のスタイルとしては1部でバンジョー、2部は歌とギター、というスタイルでとてもシンプルだが、ここではやはりタムちゃんの素晴らしいサウンドとのコラボを楽しめる。

思えば、ここで全くのソロは初めてのことだ。

Englishman in New Yorkも、今日は素晴らしいベースのサポートは無い。

それだけに緊張する。

しかし、たまに緊張するのも良いことだ。

歌う事も緊張するが、僕は譜面台を置くのが嫌いだ。

歌詞カードとか置いていると、せっかちなせいか、先の方を見てしまう。

それに僕の場合全てが歌というわけではないので、できる限り覚えておきたい。

そのためにウォーキングはとても役に立つ。

ブツブツ言いながら、反復しながら2時間近く歩くと、なんとなく覚える…がすぐ忘れることも有る。

そんな日々の連続で歌詞を見なくても何とかなる事もあるし、聴きに来てくれる人にも助けてもらうことも有る。

まだしばらくはそれで行けそうだ。

一応ウォーキングの最中にこけないように、という事だけには留意しておかないと。

歌詞どころか、わたしはだ~れ?とならないとも限らない。

何はともあれ、サウンドタムの日も寒かった。

あの寒さの中、タムちゃんは外で受付をやってくれた。

そして本番が始まると素晴らしい音を提供してくれた。有難う。

夏子さん、お手伝いの田村さん、そして寒い中、足を運んでいただいた皆さん、どうもありがとう。

次は5月24日に会いましょう。

2025年3月1日

栃木の川俣ぐんじ君に会いに行った。

いや、正確には川俣卓也君だ。

そして更に正確には、彼の主催による2つの会に寄せてもらったわけだ。

午前、10時頃に向かえばよかったものを、例によって早起きして6時頃からそわそわ。

結局、予定よりも一時間近く早く着いてしまった。

ま、遅れるよりはいい。世の中何が起こるか分からないし。

それでも歳と共にその辺の考え方が極端になってくるようだ。

小山に到着して駅前のコンビニでドーナツとコーヒー。

この組み合わせは限りなくグレイハウンドのバスディーポを想い出させる。

この駅では…あれは1972~3年頃だろうか…。

マネージャーの榊原氏と二人、電車に乗り遅れて、駅前のさびれた商店が並ぶ街並みをぶらりぶらり、すし屋に入った覚えがある。

それ以外のストーリーは何も覚えていないが小山というとそのシーンが蘇ってくる。

が、しかし、駅前はかなり変わっていた。

コーヒーを飲み終えると川俣君が迎えに来てくれた。

小山の想い出や、京都産業大学の想い出等を話しながら会場に向かう。

そう、彼もまた京都産業大学ブルーリッジマウンテン・ボーイズの出身だ。

何を間違ったかバンジョーを弾きたくて…いや、勉強も、だろうな。彼の場合は。

省悟と同じ経営学部だったそうだ。

ま、そんな事はともかく、今日は彼のお母さんの1周忌だという事で、お母さんにまつわる様々な思い出の展示の中でコンサートを、という企画。

そうなればやっぱり「母のお墓」だろう。

これをメインにしてほとんど川俣君と二人で演奏させていただいた。

お母さんも宵々山のジャケット写真に写っている(カーターファミリーの時)くらいにナターシャーの事もよくご存知だったようだ。

バンジョー弾きのアリソン・ブラウンとも親交が深かったと聞いた。

川俣君の影響だろうか、はたまたお母さんの芸術的なセンスが彼に影響を与えたのだろうか。

お母さんの様々な作品を見ていると、ふと思い出した。

僕の母親のお母さん、おばあちゃんか…、彼女は草月流の師匠で、なんやらガラスのかけらを固めた綺麗なオブジェのようなものを良く作っていた。

そして母親の影響でピアノを弾き始めた僕だが、川俣君のところもそんな風につながっていたんだろうな、という思いでナターシャーセブンの歌をいくつか唄わせていただいた。

彼のバンジョーもいい感じでサポートにまわってくれて、流石!京都産業大ブルーリッジの後輩!という感じだった。

きっと彼のお母さんも喜んでくれたと思う。

さて、第2部は増茂米店というところだそうだ。

こちらは普通にコンサート形式。

マスターに無理を言って生音でやらせていただいた。

ちょっと難しいかな、と思いながらもギリギリ行けそうなところはやっぱり生音が好きだ。

それでもかなり響いてくれたようだ。

マスターも初めて生音で聴かせてくれたミュージシャン、というような事をコメントしてくれた。

こちらも懐かしい人が一杯で、僕もナターシャーセブンの最後の生き残りとして精いっぱい歌わせていただいたし、多くの人が一緒に歌ってくれた。

そしてこの日、もう一人の京都産業大出身者が登場。

北欧音楽でフィドルを弾いている、という櫛谷結実枝さんという方が一緒に演奏してくれた。

産業大学トリオの演奏もほとんど打ち合わせ無しにしては…って、ことアイリッシュに関しては打ち合わせなど無いといえるかもしれない。

レコーディングでさえ、急に違う曲をやったりすることが良く有ったので。

でも川俣君も櫛谷さんも良いミュージシャンで、そして何よりも素晴らしい人だった。

米屋のマスターも、1部の会場の方達も、みんな川俣君を、そして彼のお母さんを慕っているようだった。

とても良い想い出を有難う。

集まっていただいた皆さんに感謝します。

寒波

最強最長寒波というのが来ていたらしい。

確かに寒かった。

歳のせい?とも思ったが、若い人にとっても寒い日々だったようだ。

懐だけではなく、確かに寒かった。

来てほしいのは寒波ではなく、カンパだった…ってもっと寒いですか?

ところが、今年は暖房器具を使いそうにない。

今迄、この最強といわれた寒波の間も一切の暖房器具は使って来なかった。

むかしから寒いのは平気だったので、友人が遊びに来ても「寒い」と言ってすぐ帰る。

それくらいに家の中の温度は低かったようだ。

実際にはある程度の温かさを保った方が体にもいいし長生きする、という話だが、もう充分長生きしている。

「じゅんじ、さむうないか?」という杉田二郎氏の声が聞こえてくるようだ。

省ちゃんも寒がりだったなぁ。

「指先がめちゃ冷えるんや。これタバコのせいやで」と言いながら美味しそうにタバコを吸っていた。

手は確かに冷えるので、鍋にお湯を沸かし、そのお湯で温める。

そうするとけっこう身体も温まるもんだ。

それに室内運動をすればもう暖房は要らない。

しかし、これ、夏になったらそれはそれで死にそうなくらい暑い。

それでも、去年の夏は寝る時以外は冷房も使わなかったなぁ。さすがに寝ている間に死ぬのもなぁ…と思って点けたけど。

そうして考えるとこの国の夏と冬の気温差は50℃にもなるのかな?

人間にも酷だが生身の楽器にも悪影響を及ぼしているんだろう。

食中毒にも気をつけなくちゃ。ま、一年中だが。

幸い、僕はそこにも強いらしい。

以前、同じものを食べたピアニストの小倉超が「城田さん、あんたどういう胃袋しとるん」と言いながら吐いていた。

とにかく、最強寒波というのもなんとなく通り過ぎたようだが、まだまだ2月半ば。

油断大敵だ。

手洗いうがいをしっかりして、沢山着こんで、沢山運動をして、朝と昼はしっかり食べて、早寝早起き…理想的だなぁ。

最強最長カンパというの、どこかから来ないかなぁ…って、まだ言うか!

不眠

ある歌が最近僕を不眠にさせている。

いやいや、歳のせいもあるかもしれないが、あらぬ時間に眼が覚めて朝まで眠れない。

毎日ではないのでそう大変ではないが。

前置きはともかく、その歌のタイトルは「Hello Vietnam」という。

これはニャンちゃんに教えてもらった歌。

ベトナム行きの飛行機の中でこの歌が流れるそうだ。

特に降り立つ時、この歌を聴くと涙が止まらなくなる、という。

どこかで聞いた話だな…と思ったが、そうだ!スージーさんだ。

何十年も離れていた日本に帰った時、富士山を見て涙が止まらなかった、という話。

彼女の場合は懐かしさと、もうここは自分の帰る処ではない、という寂しさが入り混じっていたのだろう。

さて、この歌はベルギー生まれのベトナム人歌手Pham Quynh Anhという女性が歌っている。( 因みに Johnny Wrightというシンガーが、‘65年に同じタイトルの歌を唄っているが全くの別物 )

内容はこんな感じだ。

「私が生まれた時につけられたこの難しい名前の事を教えてください」というくだりから始まる。

「あなたについて知っていることは、コッポラの映画で飛び交うヘリコプターの轟音。そんな戦争の事だけ」

「いつの日かあなたの土に触れよう。いつの日かあなたの魂を知ろう。いつかあなたに会いに行って言おう。ハローベトナム」

両親の生まれ故郷を知らない難民2世、或いは追われてきた世界中のベトナム人の間で歌われている歌らしい。

どうしても思い出してしまう。

コロンバスデイのお祝いで飛び交うブルーエンジェルスの爆音に、大声をあげ、耳を押さえて震えながら机の下に隠れていた若い男の子。

俺、何のために産まれてきたんだろう、と言い残して死んでいったマイク。少なくとも、故郷で死ねて幸せだったと思う。

ボートでの過酷な思い出を話してくれたヴィンさん。何よりも教育が大切だ、と言っていた。

「I Love You」と「新年おめでとう」のベトナム語を教えてくれたミセズ・ホート。海賊から我が子を守るためには、自らの手で子供たちを殺して海に飛び込む覚悟をもってやって来たという。

スイカだったら、いくらでも食べられる、と言っていたルオンは多分アメリカ生まれ。

映画館で「プラトゥーン」を見ていた時、立ち上がって画面に怒号を浴びせていた若い男の子の集団。

因みに、マイクと喧嘩した時に僕が発した言葉なので何と言っていたのか分かる。

とりわけベトナム人との付き合いが多かった僕にとっては、どうしてもふと思い出してしまって眠れなくなるのも無理ないかな。

なんか羨ましくもある。

故郷を想って涙する。そして、帰りたいという気持ちが一杯湧いてくる。

僕はアメリカに居た時、そんな気持ちになった事が無かった…と思う。

多分それは、いつでも帰れる恵まれた環境に育っていたせいもあるんだろうなぁ。ここでダメだったらもどりゃいいや、みたいな。

「俺はベトナムに産まれた事、後悔していない。どうせ死ぬんだったらベトナムで死にたい。美しい国だぞ」

別れの時そう言った彼の事をどうしても忘れることができない。

今、彼は故郷の土に帰り、この歌を聴いているかもしれない。

今、僕は日本でこの歌を聴いている。

鶴ヶ峰 陽の当たる道

2月1日 土曜日、5年ぶりの陽の当たる道。

横浜からどうやって行くんだったかな?なんて迷いながらも無事着いた。

天気の事は心配だったが、全然心配する必要もないくらいの上々の天気。

まだまだ晴れ男として君臨できそうだ。

少し早い目に着いてコーヒーをいただいた。

あ、これは美味しい!と、久々に外で頂いたコーヒーに感激した。

そして近くのスーパーを散策。

食べる気のなかったアンドーナツがやけにおいしそうだったので買ってペロリと平らげてしまった。

なんという意思の弱さか…。

コンサートは和気あいあいでスタート。

一部はバンジョーだけで、ブルーグラスチューン、ジャズ曲、コンパクトな世界巡り、

などを経て、やっぱりラストはJust a Little Memory

この曲はDouble Cチューニングなので、ここでWCタイム。

皆さんおかわりのコーヒーなどをいただいて、僕もみなさんと少し歓談して、2部に突入。

この2部はたっぷりやりたかったので1部は少し短め。

先ず「海に向かって」で犬飼さん夫妻にも声を出していただいた。

ナターシャーの想い出が蘇ってくるような雰囲気を味わうことが出来た。

後は諸々。ヒューマンズーの曲からフィールドフォーク、そして最近歌っている「今またヒーローが…」

この歌も歌詞がなかなか定まらずにいたけど、少し固まってきたかな。

今の時代にどんな歌を唄えるのだろう。

歌ではこの混沌とした世の中を変えることは出来ない、と思うが、60年代にはいろんな反戦歌を唄っていた。

そしてアメリカで出会った難民たちの壮絶な経験を知り、僕たちはなんと呑気に反戦歌なんか唄っていたのだろう、などと思い、そして911が起こり、アメリカが戦争ムードになってきたとき、また、歌で世界は変わらないけど…と思いながらの葛藤と共に作った歌だった。

これからこの世界はどうなってゆくのだろうか。

アメリカファーストよりも地球ファーストにしてほしいものだ。

話は飛躍したが、高石氏の詩の中でも大好きな「ダッチマン」と「ミー&ボビー・マギー」そしてお決まりの「チャップリン・イン・ニュー・シューズ」

トータルで1時間40分ほどだったと思うけど、ちょうどいい感じだと僕は思っている。

終わってからも少し皆さんとお話しできるし。

そう言えば、もう一杯コーヒーをいただこうと思っていたが忘れてしまった。

その気持ちは次に行った時にとっておこう。

陽の当たる道、5年ぶりでしたが、少しも変わらないあたたかい雰囲気がなんとも素晴らしい。

ひとえに犬飼さん夫妻の人となりの成せる業なんだろう。

誰からも愛されるであろうこのご夫妻。

いつまでも人々に幸せを届けてあげてください。

アメリカ文化センター

今日は急に想い出したことがある。

その理由は後ほど出てきますが、烏丸三条の辺りにあったアメリカ文化センター。

通称「アメセン」あれ?僕らがそう呼んでいただけかな?

確か毎月第3土曜日とかにブルーグラスやカントリーのコンサートをやっていた。

僕ら、ブルーリッジマウンテン・ボーイズも必ず出演していた。

立命館のサニーマウンテン・ボーイズ、同志社のマリースロック・マウンテ二アーズ。

テネシーシャンティ―・ボーイズやテネシー・ファイブも、ここの会場でよく聴いていたんじゃないかなぁ。

聴きに来ていた人も毎回沢山いたなぁ。

とに角ブルーグラスは各大学の腕試し、みたいな雰囲気が有って、しかもしっかりした交流が有ってなかなか素晴らしかった覚えがある。

アメセンを想い出した理由というのはその時おそらく初めて生で観たジョッシュ大塚さんだ。

何故かそのシーンはかなりよく覚えている。

とにかくかっこよかった。

どのようなメンバーで来ていたのかの記憶はないが、彼がバンジョーを弾いていた。

曲はFlint Hill Specialだった。

バンジョーはボウタイのRB-250だった…ような。

でもそれは定かではない。ただあの頃の憧れのバンジョーだったので、有無を言わせずそう見えただけかも。

もちろん、その他にも彼はリードボーカルではなく、バンジョーを弾いていた、と記憶しているので…いや、ギターとボーカルもやっていたかな。

とに角そのFlint Hill…がかっこよすぎてほかの記憶がない。

彼が逝ってしまったというニュースを聞いて驚きとともにそんな事を想い出してしまった。

けったいな人だったが、その明るさと、元気いっぱいの人懐っこい様は正にJoshだった、と感じている。

しかし、あのバンジョープレイ、かっこよかった。

昼下がりコンサート2025

12月はバタバタと過ぎ、1月は何故かそこそこ長く感じる。

2月は…28日までか。これまた短いだろう(そんな風に感じるのは僕だけだろうか?)

そして春を感じさせる3月…何やかやして4月もすぐ来てしまう。

今年は4月19日の土曜日、七人の会スタッフの主催による昼下がりコンサート。

東理夫氏がやってくる。

高石氏の盟友であり、ブルーグラススタイルを擁したザ・ナターシャーセブンの原点と言える一人だ。

僕も高校時代、彼の教則本を手に取って「この人の名前…う~ん、なんて読むんだろうか…あずまりお?」なんて思った覚えがある。

ドクターサウンドの小林君も興奮している。どんどんルーツが掘り下げられていくようだ、と。

彼も歴史の1ページとしてこれは会っておかなくては、と感じている一人だ。

そして、少なくとも1971年以降のザ・ナターシャーセブン、そして髙石ともや、これを論じるためには、七人の会スタッフ及び、ずっと支えてくれている昼下がりコンサート実行委員会のメンバーの存在が不可欠だ。

彼らは本当の意味で、長きにわたり僕らに寄り添ってくれている。

そんな意味でもこの昼下がりコンサートは重要なポジションにある、と僕は感じている。

4月19日(土)14:00~

京都市 円山音楽堂

この場所だっていつまであるか分からない。

僕らもいつまで元気でいられるか分からない。

しかし、髙石氏やザ・ナターシャーセブンの軌跡を辿りながら懐かしさに浸るも良し、歴史の深さを感じるも良し、その中からもこれからの生き方を探るも良し、そんな会になったらいいと思っている。

七人の会のスタッフ&実行委員会のメンバー達は古き良き時代を大切にし、そして、これからの時代をどう生き抜いていくか思いを巡らせながら、ひたすら前を向いて皆さんの参加を心待ちにしているはずです。

誕生日

明日はお前の誕生日やなぁ、省悟。

生きてりゃ75歳だぞ!

木田ちゃんもおっさんも(高石さんのこと)元気にしているか?

そっちにアメ横あるか?

アラミス売っているか?

使いすぎると気持ち悪くなるぞ!

よく三宮の高架下にコンバース買いに一緒に行ったけど、あんな店あるかな?

そっちでも靴必要か?

裸足で行ったみたいだし、もう手に入れているか。

それに饅頭屋だ!

ババロアもだ。

ジジイになってもババロアとはこれいかに、なんてしょうもないこと言っていたけど、そちらではやっぱりジジイになるのかな?

こちらではジジイになる前に逝ってしまったからな。

誕生日はやっぱりケーキか?

それよりもお好み焼きの方が好きかも…って、全然違うやないか。

お好み焼き作るのは流石やったなぁ。

泰輔相手に「たいぼー、おいちゃんの手の動きをよ~見とれや!」なんて言って、右京さんの紅茶みたいに生地を垂らしてきれいにま~るくしていたっけ。

もうあれから20うん年。

産業大学で出会ってから60年近く。

「あのぅ、すいません。バンジョーについてですが…」

忘れもせんぞ。

「カポして合わせたらどうしても5弦が切れるんですが…」

「それ当たり前あるよ。ここにこうして釘を打って…」

「ところで、何回生ですか?」

「なんや、同級生かいな」

こんな会話を今でも鮮明に覚えている…いや、昔の事だから覚えているんだろうか。

さっき何食べたっけ…?

けむり

先日、何気なしに餃子が食べたくなり、ここは自分で作っても良いけど、たまには外食してもいいか、と思い、看板をみた事のある店に出向いてみた。

居酒屋っぽい感じで、まずいことに喫煙可という貼り紙が見えた。

ま、普通、分煙にでもなっているだろうと、期待して階段を降りてみた。

駅に近い、ビルの地下だ。

入り口で店長らしき若者が「いらっしゃい!」と大きな声で出迎えた。

「禁煙席でお願いできますか?」と訊くと「全席喫煙可です」と言うので「え、禁煙席ってないんですか?」というと驚くべき答えが返ってきた。

「うち、タバコがメインなんで」

おいおい、メインは餃子ではなかったのか…とは言わなかったが驚いた。

今どき、こんな店があることに。

料理人、味分かるのかな?舌を疑ってしまう。

タバコの煙モクモクの中で食事できる人の神経と味覚は、理解しがたいものが有る。

中は見えなかったが、ひょっとして従業員はガスマスクをしているのかも。

話は変わるが、地方のホテルなどでも喫煙ルームという階がある。あんまり変わらないか…。

そんな部屋に当たったら不運だ。

たまに禁煙ルームが一杯で、先方の主催者の方が自らも煙草を吸う人だったりすると、大きな問題だとは感じないのだろう。

以前、フロントでファブリーズをもらってふりまいたが一向に改善しないという事があった。一本を使い切っても効果なし。窓を開けても効果なし。

壁、ベッド、机、いす、カーテン、カーペット、ハンガーから電気コードに至るまで、全てが臭い。トイレットペーパーまでもが臭い。

この部屋では寝むれないが他にないのなら選択肢はないのか。

本当にタバコは困る。

今、僕の住んでいる処の駅前は、ここ数か月前から大きな工事をしていて、駅から少し離れていた喫煙所が駅のすぐ横に来ている。

そこは常に煙草臭い。

そこから出てくる人が前を歩くと…臭い。

やっぱり煙草を吸う人のアイデァなんだろうな。こんな駅の入り口、出口に近いところに、例えテンポラリーであっても喫煙所を持って来るっていうのは。

僕はそこを通らないと帰ることができない。

その辺りに「なんとかの証人」商人ではないですよ。彼らがニコニコして立っている。

非常に面白いことに、その仲間が道を隔てて立っている。

あれ、見張っているのかな。ちゃんと布教するかを。

或いは誰かに絡まれた時の用心か。或いはだれか引っかかったら、ハイエナのように群がってくるつもりなのか。

よく分からないが、面白いことにニコニコして立っている人達は寒空の下。

タバコの匂いがするようなところで…平気なんだろうか。

そして、見張りだか何だかわからない人達は、向かいの暖房が効いた建物の中に居ることが多々ある。

けむりとは関係ない話に飛んでしまったが、ま、あれも他人を煙に巻くような…、あ、いや、これ以上は止めた方が良いかも。

人それぞれ。

何はともあれ、キャベツ1000円もするんだったら、タバコ一箱1万円にしたらいいのに。

Cat nap~うたたね~

今回はお知らせです。

2020年のアルバム、Cat napについてです。

素晴らしく可愛い猫の写真や、アイルランドの風景を収めたものでしたが、

その写真集が絶版となりました。

元々CDに対して、嵩張ることも有り、少しずつの印刷をお願いしていたものです。

なので、ここにきてCDの残りが多少ではありますが出てしまいました。

しかし、僕個人としては、10数年間作ってきたアルバムの中でも、最も気に入っているものです。

曲目に於いても演奏においても、とても気に入っています。

なので、少し考えました。いや、いっぱい考えました。

これはもっと多くの方に聴いてほしいので、写真集なしで販売が可能だろうかと。

そこで今回、自家製の袋を作ってその中にCDを収めて販売させていただく決断をしました。

お値段ですが、写真集共々¥3000だったので¥1500ということで考えました。

なお、袋については城田純二の手作業、かなりの手作り感が有ります。

袋のカラーに関しては何種類かありますが、届いてからのお楽しみ、とさせていただきます。

なお、このアルバムに関しての情報は、当HP、コラムの2020年11月24日付の記事に掲載しております。

世界が閉塞感に包まれていた頃、城田、内藤共にそっと世間の状況を見ながら、それでも自分たちの「心の音楽」を表現することに気持ちを向けていた…そんな情景が感じられるアルバムだと、僕は確信しております。

2025年

もう早10日も過ぎてしまう。

本当に早いもんですね。

Back to Banjoも嬉しい事に完売となり、Just a Little Memoryも順調な滑り出しを見せており、皆さんには感謝の言葉しか有りません。

2月に入ると、鶴ヶ峰の「陽の当たる道」でソロライブを行います。

かなり久しぶりにお邪魔します。

そして2月22日にはサウンドタムでソロライブ。

今回は全く一人で頑張ってみようかと思っています。

今年は、やっぱりなんか一人になってしまったなぁ、という気持ちが強く、ナターシャー色の濃いものが出来たら良いかな、と。

71年に高石氏と出会って、金海君を紹介して、73年からは省悟を引きずり込んで、そして木田ちゃんが来て…もちろん進藤君、兼松君等、まだ健在だが、84年に僕が抜けてからの事はあまりよく知らない。

僕個人としては、やはり71年からマネージャーの榊原氏の件、までの感じかな。

高石氏も榊原氏も僕を育ててくれた恩人だと言える。

それだけに、榊原氏はずいぶん前だったけど、高石氏がいなくなる、と言うのは衝撃だった。

フォークソングを唄っていた人達のほとんどが、売れ筋路線に突入していった中、よくあんなことをやりながら全国を動き回っていたなぁ、と今更ながらに不思議に思ってしまう。

高石氏の才能は大したものだった。

間違いなく唯一無二、そしてバンドも唯一無二だっただろう。

ナッシュビルのステーション・インの入り口で、ベラ・フレックと立ち話をした時、自分のバンドは、日本語で歌ってブルーグラススタイルの…と話をしたら「それでそんな大手のレコード会社からそんなにレコードを出していたのか!」と驚いていた。

84年、まだ彼も若かったなぁ。

想い出話なんかしたら、何時間あっても足りないだろうけど、出来ればみなさんと思い出に浸り、今を楽しみ、そんなに長くないはずの将来を見据えた会などを今年は考えてみてもいいかな、と思っている。

あ、そして5月24日、サウンドタムの35周年という事で、河合徹三、松田アリちゃんと僕が行きます。

考えたらこの二人も高石氏とは縁が深かったんだなぁ。

僕は今年、またタムちゃんにお世話になって、ナターシャー・セブンに捧げるものを作ってみてもいいかな、と思っている。

生き残りとして、また、生きているうちに。

そのためにもJust a Little Memoryにもう少し頑張ってもらわないと。

さらば伊達巻

正月もあっという間に過ぎてしまった。

考えてみるに、今年は6本も伊達巻を食べてしまった。

3本は自分で作った物。3本はいただいた市販の物。

市販の物を食べるまでは自分で作った物で充分だと思っていた。

形良し、味よし、食感良し…。

ところが、やはり市販の物は良く出来ている。

察するところ、はんぺんで作るものと、本当にすり身の魚を使うものの違いだろうか。

それに、いい加減な粉末の出汁とちゃんとした出汁の違いだろうか。

あと、やはり自分では砂糖を控えめにしてしまうから、だろうか。

それにしても6本は多いんでないかい?

おまけに、プラス栗きんとんだ。

これはもうじっとしているわけにはいかない。

なので正月早々、ほぼ毎日2万歩も歩いている。

初詣も2万歩は軽く超えていた。

餅はあまり食べない。そろそろ危険な歳になっているし…てなわけではない。

それでも今年は丸餅をいただいたので、京都から西京みそを買ってきて、京風のお雑煮を作ってみた。

子どもの頃のお雑煮はおすましだったが、大学で京都に出てからはもっぱらこのスタイルが気に入っていた。

結局、そのお雑煮と紅白のかまぼこ、栗きんとんに主役の伊達巻。

僕の正月はそれだけだった。

だが、大満足だった。

おせちも時代とともに随分と変化してきているんだろうけど、伝統というものはいいもんだ。

そうして思うと、黒豆くらいは煮ても良かったかな。なんて、全部甘いものではないか!

今、気になるのは、あちこちの店で余っただろう伊達巻はどうなっているんだろう。

街から伊達巻が消えて、今は七草粥のパックが鎮座している。

春はそこまで…にしては寒い!

余談だが、こどものころはイタチマキだと思っていた。これ、前にも書いたなぁ。

でも、ジョン・ウェインの西部劇の看板を見て「西部のいたち男」って何だろうと思っていた事を想い出した。

初詣

1月3日、友人に初詣に行こう!と誘われたので、たまには良いかと重い腰を上げてみた。

その前に友人の私用により原宿で待ち合わせたが、もうその時点で挫折しそうになった。

明治神宮に出掛ける人、原宿にショッピングに出掛ける人、人、人…。

ずっと昔、北海道から出てきた平塚研太郎君が「まるで無数のニワトリが歩いているようだった」と原宿、竹下通りなどを表していたっけ。

この後浅草に出掛けるつもりだったので、明治神宮はいいかな、と思っていたがせっかくなのでちょっと行ってみたところ、やっぱり挫折。

このままこの行列に付いていったら何時間かかることやら。

同じ時間を費やすなら、目的地、浅草に向かった方が得だ、と判断。

迷わず電車に乗っていざ浅草へ。

お、結構遠いんだな、と思いながらも、久々の浅草に少しの期待を持っていた。

でも、感慨にふける間もなく、電車を降りた途端、ほとんど歩ける状態にない。

やっとの思いで外に出ると、こりゃまた人、人、人…。

あたり前のことだが。

雷門を通過して、お参りを済ませるまでに30分近くかかったと思う。

友人が、おみくじをひきたい、と言うので「こんなもん100円で判断されてたまるか」と、ひねくれつつもひいてみた。

僕は見事「大吉」をひいた。

友人は見事「凶」をひいた。

「だから止めときって言っただろ。俺の大吉あげようか?」

なんて言いながら、その場を去り、なにか食べる事にした。

友人は「食べる気がしない」としょげていたせいか、なかなかこれ!という店も見つからない。

その辺の屋台で食べても、立ち食いでもいいか、と思いつつ、少し座って、と思っていたところ、怪しげなタイ料理を見つけた。

よし、そこに入ってみよう、と狭い階段を上がり、中に入って「しまった」と思いつつ、店も狭くて、すぐに店主が居て眼が合ってしまったので時すでに遅し。

もちろん期待もせずに待っていたらその通りのものが出てきた。味が悪いわけではないが、「これ、自分で作れる。なんか店主の余り物喰わされているんかも」

なんて思いつつ、友人のガパオライスもそんな感じ。

そこで「そうか、このご飯は君のおみくじのせいだ。ならばこれでチャラだ」とポジティブな考えを伝えた。

友人は微妙な反応を示していた。

僕はあまり宗教と言うものには興味が無い。

あれだけ教会に通っていた母親にも、亡くなった時、お坊さんが来ていた。10歳の僕にとっても不思議な事だった。

でも、飛行機が揺れ出すと何故か「神さま、御助けを」と言いたくなる。

結局、友人は自分から張り切って「浅草でお参りする」と言っていたが、帰りは少しげんなりしていた。

僕は余りの人ごみでげんなりした。

そう言えば、帰りにアメ横も寄って来た。この際だからいいか…と思い。

懐かしいアメ横。

省悟、好きだったなぁ。二人でよく来ては、僕はいつも店の外で待っていたなぁ、なんて想い出しながら人々の列に埋もれていた。

結局、昨夜は10時間も寝てしまった。

やっぱり家でじっとしているのが一番いい。

ボケない程度にいろんな人に会い、一生懸命身体を動かし、一生懸命練習して、出来れば空いている時に外出して…等々。

今年も普通に生きる事が出来たら良いかな?と思う。

何といっても「大吉」

おいおい!信じなかったんじゃないのか?

2025年1月2日

あれよあれよと言う間に正月も過去の話になってしまう。

なにかニュースでもあれば見てみるか、とテレビをつけたら途端に聞こえる芸能人のバカ騒ぎの声。

慌ててチャンネルを変えると、芸能人が食べつくす!とか言ってワイワイやっている。

慌てて再びチャンネルを変えると、また芸能人の笑い声。

ま、嫌なニュースがない分良しとするか、ということで消してしまう。

しかし、よくもあんなくだらない番組を企画出来るもんだ。

いや~、恐れイリヤノクリアキンだ!

去年は大変だった記憶があるので、今年はもうこりごりだ。

だからかな?あんなくだらない企画を考えれば、みんな忘れてくれる、と思うのかな?

いや、企画している側は「素晴らしい!」と思っているんだろうなぁ、きっと。

それにしても、なんか日本人をふぬけにするような、芸能人と食べる事にしか興味を抱かない民族にするためにテレビは一役買っているような気がする。

僕もかなりひねくれてきたもんだ。

さて、ちょっとお知らせです。

全ての方達に、ではありませんが。

何故か、僕が数日間演奏で出かける時になると、CDのご注文やご入金をされる方が必ず数名いらっしゃいます。

以前のようにアイルランドに3か月、とかいう場合はそれなりに告知して、その間は業務をストップするのですが、今回は3日ほどだったので特にそれはしませんでした。

ところがその後、お正月という事で今年は6日まで郵便局が開かないのですね。

なので少し発送が遅れます。

この場をかりて、で申し訳ありませんが。

本当に、出かけると、その前何日も音沙汰がなかったのに急に注文が入ったり、ご入金があったり、本当に有難いことですが、ツァー中には対処できないので申し訳ありません。

これ、僕は一種の「マーフィーの法則」ではないかと思っています。

あの、トーストが落ちる時、必ずバターの側が下になって落ちる、という…。

これは絨毯の値段に比例する、とかいう冗談も有りますが、テーブルの高さにもよる、と分析した人もいるようです。

3メートル以上のテーブルを使い、必ずバターの面を上にして…ほんまかいな!

よくアメリカのすしバーでも使っていました。

閉店間際、ほとんど片付けが済んでいるのに、お客さんが入ってくる。しかも、片付けたものばかり注文する。

そんな時必ず「Oh!This is Japanese Murphy’s Law」と言っては笑ったものです。

お正月にはなんの関係もないことで呟いてしまい、申し訳ありませんでした。

2024年12月29,30日 静岡、京都 

いよいよ後期高齢者の仲間入り。

まさか自分がこんな歳になるなんて…。

静岡はいつものセレンディピティ。

同級生たちも後期高齢者…当たり前か。いや、まだなっていない奴もいるかも…。

どうでもいい事か。

取りあえずこの街は僕のフォークの原点。

例によって天気も上々。

前日入りして高校時代の盟友と共にしばしの時を過ごす。

あいつ、どうしてる? あ、随分前に亡くなったよ。

あいつは? なんか圧迫骨折とかで今回来られないかもしれない。

そうか…、あ、あいつは? あいつは奥さんと来るって言っていた。

なんていう話をしながら少しビールを飲んで…これがメインかな?なんて思ってしまう。

コンサートは本当にラフな形で進行させてもらった。

知った顔ばかり、そしてみんなの顔が良く見える場所だし、なんか同窓会で演奏している様な感じ。

そうそう、その前に店主の岩堀さんを含んだメンバーによるご機嫌なブルーグラスが前座としていい感じで盛り上げてくれる。

これで帰っても良いかな?なんて思わせる歌と演奏を聴かせてくれた。

と言うわけにはいかないので、僕も今回はバンジョーと歌。

同級生が娘さんを連れて来てくれたのが驚きだった。

名前を言われた時、本当にあの頃の顔が蘇ってきた。あまり大きく変わっていなかったのかな、彼は。

とに角みんな元気でいてくれるといいな。

次の日には京都に向かう。

東京を出てきた28日。品川駅は「何事だ!」と思うくらいの黒山の人だかり。

きっと居酒屋ぴんも今晩はこんな感じなんだろうなぁ、なんて思いながら人々を眺めてしまった。

外国人、親子連れ、カップル、なにかの団体…なにもこんな時に動かなくても。あ、いや、そんな事はないか。

例によって天気は心配だったが、今のところ雪による遅れもなさそうだし、ここは晴れ男の自分を信じて。

そう言えば関ケ原にも白いものは見えなかったし。

そして京都。いや~!凄い人だ!いろんな言葉が飛び交っている。

中学生の頃からずっとコンサートに来てくれている京都の仲間の一人Nさん、としておこうかな。

ピックアップしてもらって、ひとまず彼女の家に向かう。

黒豆の仕込みを仕掛けてきたので、という事案もさる事ながら、今度の春に100歳を迎えるお母さんのお顔を拝見しに行くのも僕にとっては大きな目的だ。

元気に動いて同じ話を10回くらいする。

僕も10回頷いて同じ返事を10回する。勿論5回の時もあれば15回の時もある。

さて、京都はいつもの都雅都雅。

ここにも懐かしい顔、顔、顔。

あっと云う間の2時間だった…ような気がしたのは僕だけだったろうか。

大変な幕開けだった2024年、もうすぐ終わってしまう。2025年は素晴らしい幕開けであってほしい。勿論一年を通じてそうであれば尚更いい。

今願う事は…沢山、いや、少しはあるけど、いちばん願う事は、お母さんが101歳を迎えることができる、という事。

110歳まで行けばもう一頑張り行けるかもしれないよ、と耳元でかなり大きな声で言っているが、ニコニコして聴いている。

20回でも30回でも聞くので、元気にお話してください。

そして今回の静岡、京都の会に足を運んでくれた方達に感謝します。

セレンディピティの岩堀さん、奥さん、同級生たち、仲間たち、そして、都雅都雅の広瀬さん、PAの沢さん(澤さんかな?)スタッフのお二人、友人達、すべての方に感謝。

素晴らしい大晦日を。そして良いお年を。

年末

あ~忙しや…忙しや。

師でもないのに走り回っている。

今年は衝撃的な話題がここ数ヶ月の間か、数週間の間かに。

居酒屋ぴんが閉店という、とんでもないニュース。

あらゆる分野の音楽ファン、そしてスポーツファンにとって聖地のひとつ。

とても残念だ。

年末に京都に行くことが多かったので、どうも日程が合わず、別な機会にはよく白波瀬さんの元気なお顔を拝見しに行ったものだ。

今年もこれから静岡、京都と出掛けるが、毎年この時期には行けないことは分かっているので、またの機会に…と思っていたが。

本当にちょっと衝撃的!

ま、彼も若くて勢いのある人だし、またみんなのためになにか考えてくれるだろう。

本当にみんなに愛されている人だ。

ひょっとして今日(28日)が最終日?

とんでもない黒山の人だかり、Black Mountain Rag(?)となる事だろう。

警察や自衛隊、SWATが出動して交通整理にあたるかも。

みなさん、良いお年を。

白波瀬さん、お疲れ様。ありがとう。

またお会いしましょう。

ダマスカス

最近、想い出した曲があった。

1990年くらいに書き下ろしたバンジョー曲で「ダマスカスへの道」というもの。

何故想い出したかと言うと、このところのアサド政権崩壊のニュース。

ダマスカスがいきなりフューチャーされてきたからだ。

90年というと湾岸戦争の頃。

ダマスカスは当時あまりその名が挙がっていなかったが、ではなぜこの曲を思いついたかと言うと、それは聖書からだった。

新約聖書の使徒行伝第9章に起因する。

僕にとってその章はまるで大好きな映画「未知との遭遇」そのものだった。

サウロと言う人物が空から眼が見えなくなるほどの光を浴びせられるそのいきさつは正にあの映画そのものだった。

そのサウロなる人物(後にパウロと改名する)の向かっていた先がダマスコ、今のダマスカスだ。

そしてついでに「デザートストーム」という曲も書いた。

これは「砂漠の嵐作戦」という湾岸戦争の代名詞ともなった作戦をヒントにした。

中東というとやはり日本からはかなり遠い存在に感じる。

が、2003年になるとイラク戦争が始まり(これは第二次湾岸戦争と呼べるのかな)サン・フランシスコでも多くの人が戦争に反対するデモを起こし、僕の目の前でも結束バンドで手を縛り上げられて連行されていく人が一杯居た。

中東が身近に感じられた。

そして、アイルランドに出掛ける途中に立ち寄ったアブダビやドバイ。

ここじゃぁ神の存在を信じなければ生きていけないな、なんて感じてしまった。

今、またダマスカスの映像を見たりしていると、そんな事を感じてしまう。

これからこの土地はどうなっていくんだろう。

最近、面白い記事を目にした。

海外で、偽の日本米ブランドが横行している、というもの。

そんなこと、40年も前から知っていたけどなぁ。

記事ではこう言っていた。

「数年前までボストンで暮らしていた女性。ある時、スーパーで日本ブランドのお米を買っていたら、友人に、カリフォルニア米食べているのね、といわれて驚いた」

こんな事が今更記事になる事に驚いたが、時はめぐっているんだなぁ、

僕はあまり米にこだわりはない。

といえども、先日、新潟のギターリペア職人の白井さん(通称ホワイティ―)が新米を送ってくれたが、これは流石にお米の味がよく分からない僕も唸ってしまった。

ちょうどアメリカから来ていた息子に炊いてあげたら「米が光っている。立っている」と感激していた。

彼は普段カリフォルニア米だろう。

しかし、カリフォルニア米も決して美味しくないわけではない。…と思う。

そういえば、ずいぶん前に日本でお米が足りなくなったという話があって、アメリカから一時帰国する友人がカリフォルニア米を持って帰っていたなぁ。

タイ米より美味しい、と言っていたような気がする。

ひょっとしたら、その地の味に慣れてしまって以前のことを忘れてしまう、というのが正しいのかもしれない。

そして、量にしてもそれが言えるのかも。

日本の物で2人前とか、何皿分というパッケージのものを見るが、この基準は幼稚園児を想定しているのではないか、と思われるものがよくある。

さて、米の話に戻るが、最近は電気代節約のため、いっぺんにたくさん炊いて小分けして冷凍しておく。

どうせお米はそんなに食べることはないし、これならお粥にしても、チャーハンにしてもいいし。3合も炊けば2ヶ月か3か月くらいもつ。

お米の値上がりも僕にはまるきりダメージが無い。

それでも流石にいただいた新米でそんな野暮なことはしない。

そういえばパンも値上がりするらしいですね。

これも今更いう事ではないか。

それよりも煙草を一箱1万円にした方がいいと思うが…。

話は飛躍するが(思い立った時に書かなければ忘れるかもしれないので)コンニャクを作る人達の苦労話を聞いた。

金銭的にも体力的にも相当大変なようだ。

結局、消費してもらってなんぼ、というものらしい。

確かに、おでんならばコンニャクが一番、と言う人でもそれ以外、なんでもかんでもコンニャクを一品、というわけでもないだろうし。

そういえば、省悟はコンニャクが苦手だった。

「味せんやろ」と言っていた。彼の場合、もう一つの理由は歯に有ったようだが、

取りあえず、彼の残したコンニャクは僕が食べていた。

味噌田楽は美味しいと思うが、確かにあれは味噌が美味しいのだろう。

コンニャク芋の農家の人が「コンニャクステーキ」なるものを紹介していたが、作ってみると、ニンニク、醤油、バターという美味しいに決まっているソースがかかっていても、やっぱりコンニャクはコンニャクだった。

シンプルなきんぴら風コンニャクが一番美味しいし、また米には良く合う、と思う。

米からコンニャク、そして米に上手い事戻った。

しかし、そういうものを食べた後は必ずパンを食べたくなる。

その逆は…無いかな?

2024年まとめ

今年はとに角CDの制作に明け暮れた一年であった、と言えるかな?

Back to Banjoを発案してから、こりゃ練習しなくてはいかん!と心に決めてみたけど、

いかんせんそれだけの気力と体力が圧倒的に衰えていることを感じる。

ここ、こうだったかな?こっちの方がいいか?などフレーズの確認や右指のフィンガーリング、左の運指…頭が混乱してくる。

こんなにもうるさい楽器なのに、弾いていると眠たくなる。

なんということを考えてしまったんだろう、なんて思いながら、それでも徐々に思い出していく。

進ちゃんと電話で話をしていた時、彼が後押ししてくれた。

「素晴らしい!じゅんじさんならいけますよ!それに、気に入らなかった処はレコーディングなら直しも出来るし。」

自分でも分かっていた事なのに、あ~そうか!という気持ちにさせてくれた彼には感謝だ。

ジャケットも発案と同時にすでに決まっていた。

近所で拾ったあの猫をバンジョーの上に乗せた写真、あれだ!

まだ生まれたての子猫だったので、何もわからず、グレートレイクス・ヴァンガードの上にチョコンと乗ってくれた。若干「これの皮にされるんじゃないか…」という不安げな表情はしていたが。

その猫も今や8キロ。もうバンジョーに乗せるわけにはいかない、と飼い主のアルマジロが言っていた。

主人と同じくお腹が出過ぎているようだが、本人(本猫?)も嫌がるし、バンジョーも壊れるかもしれない。

何で猫?という疑問には「今や猫をモチーフにした作品をつくればなんでもかんでも売れる」と言っておいた。

そんなこんなで、おかげさま、それなりのバンジョーアルバムにはなったようだったし、売れ行きも上々、というか、すでに完売というところまで半年で到達した。

それもこれも皆さんのおかげです。

それに気を良くして、というかBack to Banjo制作中にすでに頭には浮かんでいたが、次のものを作らなくちゃ、と考えた。

#2という事で良いか…と思っていたところに、フッと浮かんだタイトルがJust a Little Memoryだった。

これならBack…に対してもなんとなく繋がりを持たせることができるんではないか、と感じて、すぐにそう決めてしまった。

しかし、前作とはまた違った感じのものでないといけない、ということも考えた。

そんな時、ふと思い出した曲がEnglishman in New Yorkだった。

この頃、毎日のように顔を合わせるスーパーのアジア人クヮルテットが、アメリカで働いていた時の同僚たちを想い出させ、登場する歌詞のI’m an Alienというところや、何といっても曲調が大好きだったので、これで行こうと考えた。

そして何気なしバンジョーで弾き始めてみたところ、結構うまくハマったように感じている。

そんな中、高石さんが亡くなる、という前代未聞の…いや人間、誰でも死ぬが、あの人だけは何が起ころうと生き抜くんではないか、と思っていた。なので、そんな事もあるんだなぁ、

もうみんないなくなったなぁ、ひとつの時代が終わったなぁ、俺もあと何年だろう…などと考え始めた。

生きて、まだ余力が残っている間に残すものは残しておいた方が良いかな、等と考えて、一層このアルバムに力を注いだ。が、なにか言葉では言い表せない喪失感と言うものを感じていたことも事実だ。

1971年の出会い以来、僕をこの道で最大限に生かしてくれた張本人なのだからそれは仕方のないことだろう。

大学時代から共に歩んで来た省悟とはまた違った喪失感だった。

省悟に関してはまともに食らったフックみたいな…高石さんは徐々に効いているボディブローのような…ボクシングの事はよく分からないが、そんな感じ。

そしてこのアルバムでは何年か前に書いた、その当時はMemoryというタイトルを付けていたものだったが、そのオリジナル曲を少し書きかえてJust a Little Memory として収録することにした。

なんか出来過ぎた感じだ、と思うのは僕だけかもしれないが。

そして、高石さんの詩の中でも特に印象深い「疲れた靴」も、何となく彼の死という事がおこる前から録音してもいいかな?と感じていたが、もうこれはやるしかない、と録音に踏み切った。

録音が終えて僕がタムちゃんに「ねぇ、このあとバンジョー弾いていい?」というと「もちろん!」とにっこり答えてくれた。

何も予定していなかった。でも何故か「ヘイヘイヘイ」を弾きたくなった。

何も言わなかったがタムちゃんが、どこかへ遠ざかるように、でも消えていくのではなく、ちゃんと終わるようにこの曲を終わらせてくれた。

これは頭の曲Englishman…でも同じ手法が取られているが、こちらの方は僕の要望だった。

かくして出来上がった2枚のアルバムが今年の自分が生きてきた(まだ生きている)証拠となって残った。

2024年はこんなことに尽きるかな。

2025年はどんな年になるのだろうか。

トランプは世界をどのように変えてしまうのだろうか。変えてくれるのだろうか。

バカが狂って核爆弾など使っても、日本のテレビは「大食いハンター!」とかやっているのだろうか。

日本の総理大臣はなにか仕事らしいことをするのだろうか。

極端な話し、あまり関係ないことかも。

それよりも日々、普通に幸せに生きていくことを考えたほうが建設的なのかも。

今年は静岡と京都に参ります。

去年は74歳という中途半端な年齢だったのでスキップさせてもらったが、いよいよ後期高齢者。

ますます清潔にしていなくちゃ、と思う。年寄りほど身の回りをすっきりさせたいと思う。

来年もそこのところは気を付けて過ごしたい。

質素に簡素に清潔に、そして何事にも謙虚に、色んな事に興味を持って(僕にとっては特に音楽)…他にあるかな?…。

そんな風に人生を全うしていこうかな。

総括としては、まだ早いような気がするけど、取りあえず、と言う感じで記しておこうかな、などと思った次第です。

まだ2週間ちょっとあるのでなにか起こるかな?

出来れば平和に、平穏に、穏やかに…って同じ事ばっかりか。でもそれが一番!

12月も半ば

しかし12月というのは早く過ぎてしまう。

世の中がせわしなく動くからそう感じるのだろうか。

省悟の命日もやって来るが、今年はどんな甘いものを用意しようかな。

小豆は買ってあるので、今年はぜんざいでも作るか…。

いや、また団子か饅頭でも買ってくるか。

それに静岡の緑茶。

最高の組み合わせだが、省悟にそのようなお茶を出してあげてもあまり感激しなかったなぁ。

静岡生まれの僕としては「この味が分からんか?」というところだったが、これって不思議だなぁ。あんなに和ものが好きだったのに。

番茶でじゅうぶんだったみたい。

蕎麦、うどんはいつも省ちゃん、パスタやパンは僕。饅頭の省悟、ケーキの僕。

それにしても甘いものとなると二人とも眼が無かった。

さんざん書いてきたので、もういいが、この15日が来ると「何か甘いもの用意しなくちゃ」と思ってしまう。

ところで僕はこんなに甘いものが好きなのに、血糖値とかで引っかかったことがない。

昔から饅頭ひとつ、ケーキひとつで御所1周とか、糖質にはそれなりに気を付けてきたからだろうか。

省悟はどうだったんだろう。あいつ煙草も吸っていたしなぁ。

散歩しようか、と言っても「石に蹴躓いたら困る」なんて言っていたしなぁ。

辛いもんも結構好きだったし、晩年は酒もそこそこ強くなっていたし。

そう言えば、これ以上卵が値上がりする前に伊達巻をつくろうかな。

15日に合わせて伊達巻を作る、というのも良いかもしれない。

と言っても、彼が伊達巻を好んでいたかどうかはあまり定かではない。もしかしたら「お前は魚か卵か!おかずかお菓子か!はっきりせい!」と言っていたかもしれない。

まぁいいや、またお正月に作っても良いし。

饅頭買ってきた方が楽か…。

言語

先日、面白い会話のやり取りがあった。

例のニャンちゃんが「ジージュ―に行く」と言ったので僕は「G-10」とかいうお店の事かと思って聞いていると、どうやら洋服屋さんの「GU」の事らしい。

「それはジーユーだよ」と言っても「ジージュー」

なので、「ユー」と言ってごらん、というと、はっきり「ユー」と言う。

それを何度か言わせて、よし「じゃぁジーユーと言ってごらん」と言うと「ジージュ―」

更に「じゃぁ、英語のSee Youは言える?」と訊くとはっきり「シーユー」と言う。その要領で「ジーユー」を言わせてみるとまたしても「ジージュ―」

この会話で思い出したことがある。

レストランに居た時、タイ人のウエイターが居た。

その彼が「トンカチュ」と言うので「それはトンカツだよ」と言っても「トンカチュ」

では「ツって言ってごらん」すると「ツ」とはっきり発音する。何度も言ったあと、

満を持して「じゃぁトンカツって言ってごらん」すると「トンカチュ」

どうやら単独では言えても文字が重なってくるとダメみたいだ。

多分、僕らの英語なんかでもそういうのがあるんだろうなぁ。

通じないわけではないものとか、通じないものとか。

人名にしてもなかなか発音できないものがある。

僕が苦手なものに女性の名前でAnneとか。これ不用意に発してしまうとUnのようになってしまう。

Theoとかいう名前も…これはそこそこThの発音には慣れているのでいいが、これをカタカナで書け、と云われると困る。テオと表記するしかないのだろうか。

言葉ではやっぱりアメリカという人種のるつぼに於いて非常に面白い経験はいっぱいあるが、多くは忘れてしまったなぁ。

中国人のシェフに、チキンは?と訊くと「チー」おへそは?と訊くと「チー」紙は?と訊くと「チー」地面は?と訊くと「チー」

全部「チー」上下左右、あ、いや、左右という事はないか。ともかくそれぞれの上がり下がりが違うようだし、実際には「ディー」とか「ズィー」なのだが僕らには全部「チー」に聞こえたようだ。

「トンカチュ」も「ジージュ―」もそんな風に聞こえるんだろうか。

全てはバベルの塔を作った奴らが悪い。

追加ライナー Just a Little Memory

例によって、ライナーで書き切れなかった事をここに記しておきます。

★ Englishman in New York / Jordu

長い間聴いてきたスティングの大好きな曲を、いつかバンジョーで等とは考えていなかったが、ある時ふとバンジョーを手に取った時、突然弾き始めてみた。

お、なんかいい感じ!と思いながらも、これを形にするにはもうひとひねり何か必要だな、と感じ、Jorduを挿入することにしてみた。アイディアは、原曲の途中でブランフォード・マルサリスのサックスが入るのをヒントにして。これは結構ハマったような気がする。

思い入れがあったこの曲には、アメリカでの経験が大きく左右している。多くの移民に囲まれて過ごした想い出がこのアルバムのタイトルとしても、最初の曲としてピッタリだと感じた。

★ Count on Me

特によく聴いていたわけではないが、ブルーノ・マースの、僕にとっては名曲という感じ。

どことなくOver the Rainbowを連想させるこのメロディはとても印象に残った。

これ、バンジョーで、と思った瞬間に曲終わりまでの構想が成り立った。

詩の内容もYou’ve got a Friendを思い出させるほのぼのとしたものだ。

バンジョーのチューニングはダブルC、クローハンマーで演奏している。

★ Margaret’s / The Grey Owl

Aly Bainの演奏でよく知られている曲。とても親しみやすいメロディだと感じる。

2曲目のGrey Owlは実際にはDで演奏されるものだが、ふとバンジョーを手に取ってGフォームで弾いてみたらうまくハマったので、これでキーをAにしてみたら…と思い、それならばMargaret’sと良く合うんではないかと考えた。

★ The Boys of Ballycastle / The Pride of Petravore

ここらでごく普通のアイリッシュチューンを。

多くのホーンパイプは5弦バンジョーにとって比較的アレンジしやすいものだと感じている。この曲はKevin Burkeの演奏でよく聴いていた。コード進行についてはいろいろ試行錯誤したが、これが自分にとってのイメージ。少しテキサス・スウィングからヒントを得てみたが、僕は多くのホーンパイプでそんな手法を取っている。

2曲目はEileen Ogというタイトルでも(この場合は歌)知られているがDe DannanがRights of Menに続いて演奏したものがとても有名で、セッションではその2曲はほとんど必ずといっていいほどメドレーとして演奏されることが多い。

Rights…はすでに録音しているのでここではこの形にしてみた。

★ Mr.O’Connor

出た!という感じのオキャロランによる訳の分からない曲。しかし、このメロディは大好きだ。こういう曲に接すると何故か想像以上にハマってしまうのは何故だろう?

僕は常日頃から思っているが、本人は間違えて演奏したものが採譜されてそのまま現代に伝えられているものなんていうのもあるんではないか、なんて。

これもそのひとつで、どういう感覚で作られたものか見当がつかない。しかし、なんとも美しい。初めて聴いた時には、おいおい!という感じ。これを伴奏者に伝えるのは…勿論コード譜などを書けばいいのだが、そういうものでもないような気がする。究極、メロディを身体に入れなければどうしようもないものなのかもしれない。

★ The Bold Fenian Men / Sally in the Garden

1曲目はアイルランドの美しいメロディを持った歌唱曲。カリフォルニアのギタリスト兼シンガーで、名前は忘れたけど、彼の歌うこの歌が好きで、僕はよく彼にリクエストしたものだ。プロのミュージシャンではないけど、この歌はとても味わい深く歌ってくれた。

キアランも大好きでよく歌っていた。本当に美しい曲だと思う。

Sally…は過去にも録音しているが、ここではクローハンマーとスリーフィンガーのダブルバンジョーにしてみた。

★ Lost Lula

ジェイソン・ロメロの大好きな曲。過去にも録音したことがあるので、ここではあっさりと。

★ Flatbush / Clinch Mountain Backstep

最初はアンディ・スタットマン作のマンドリン曲。これは様々な分野で人気の高い曲だ。

この曲を聴くと何故か「山ネズミ ロッキーチャック」のテーマソングを思い出してしまう。

もし興味が湧いたら聴いてみてください。共感する人って居るかなぁ。

Clinch…も過去に録音しているが、ここではマイナーのメロディに敢えて正面からメジャーのコードをぶつけてみた。モーダルサウンド炸裂というところだ。更にダブルバンジョーにすることによって、ちょっとうるさ目の祭囃子のようになったかもしれない。

それもひとつの狙いではあったが…。

★ The Shadow of Your Smile / The Bluemont

Back to BanjoでもMistyを収録したが、このような曲をバンジョーの為にアレンジするのが大好きだ。暇さえあれば(いつも暇といえば暇だが)こういったものをポロンポロンと爪弾いては最適なコード選びを楽しんでいる。

Bluemontも過去に録音しているが、なんと美しい曲だろう。そしてまた、前曲にバッチリ合うような気がしてならない。

★ The Monaghan / Waterman’s

最初の曲は最も好きなジグのひとつ。この美しいメロディに最適なギターコードを乗せていく時がたまらなく好きだった。続いては限りなく現代的な曲。マイク・マゴ―ドリックのフルート演奏によるエキサイティングな、スリリングな曲。バンジョーでどんな味が出るか分からなかったが、ベースの河合徹三がここでも大活躍してくれた。そのおかげで少しは形になったようだ。

★ Just a Little Memory

この曲は数年前に書いたものだが、今回のアルバム用に更に書き加えてみた。アルバムはここからMemoryの域に入る。Englishman in NYに始まり多くの(全てではない)想い出がこの曲に、そしてこのアルバムに詰められている。

★ Blackberry Blossom

フィドルチューンとして、またバンジョーチューンとしても有名なこの曲。ナターシャー・セブン最初のアルバム、通称「お地蔵さん」でも弾いたもの。当時はギター無しでバンジョーだけだった。多分ヴェガのスクラッグスモデルを使っていたと思う。今聴いてみると、確かに若い!という感じが満載だ。でも、今回もそれなりに元気いっぱい弾いているように聞こえる…なんて思うのは僕だけだろうか?とても好きな曲。E マイナーになるところがたまらないが、アイリッシュでは全く違うメロディのBlackberry Blossomが存在するので、当初二つの曲をメドレーで、と考えたが、ここではMemoryという意味も含めて単独で録音した方が良いかな、と考えた。

★ Thirsty Boots

疲れた靴は高石氏の唄の中でもとても好きなものだ。

初期の頃、高石さんのボーカルと僕のギターだけで録音したことがあったけど、あれってレコードに入っていたっけ?だんだん記憶が…。

ナターシャー・セブンの録音では確か僕が12弦ギターを弾いたような気がするけど…あれ?省悟だったかなぁ。この辺はドクターサウンドの小林君に訊くと、彼は何故か知っている。とに角、高石氏の訳詩には素晴らしい感性を見出すことができる。

ライナーにも書いたけど、そのうち笑い話でもしに行くんで、また「あの子の膝まくら」から始めてみましょうか。

ところで…何気なし突然、ヘイヘイヘイを弾いてしまいました。自分の中のひとつの時代の締め括りなのか、イメージなのか、やっぱりJust a Little Memoryなのか…。

思ったよりも

Just a Little Memory 当初、12月8日発売開始を予定しておりましたが、思ったよりも早く皆様のお手元に届けられそうです。

来週早々にはお振込みを頂いた方々に順次、純二が発送いたします。

皆様がろくろ首になる前に…今や行燈の油なんて無いか…。

Just a Little Memory

先行予約受付を始めます。

Back to Banjoに続くバンジョーアルバムですが、おそらく聴いた途端、今までとは違った世界を感じることができるものと確信しています。

発売予定日も決まりました。

12月8日を予定しています。

皆様、よろしくお願い致します。

Just a Little Memory            リリース予告

いよいよ人生も最終章に差しかかるか…いやいや、もうちょっとあるか…などと思いつつ、Back to Banjoをリリースしてから半年余り。

正直Back…ではそこまで思ってはいなかった。

まぁ、アルバム作りもこれで最後かな?くらいの感じ。

それどころか、久々に弾くバンジョー、上手くいくかどうか、その方が気がかりだった。

しかし、自分としてはそこそこの出来だっただろうと自負している。

そこで次なるアルバムを、と考えたが、これだけ短い期間で作って果たしていいのだろうか…という考えもよぎった。

しかしながらタイトルだけは決めていた。次はこれだ!と。

突然、ふっと浮かんだタイトルだった。

何事も直感というものは大事だと思う。取りあえず直感で決めて後から考える。

そして他にいいアイディアが出ればまた考えればいいのだし。

でも、今回はかなり強い意志でこのタイトルが良いと思っていた。

試行錯誤して曲も出そろい、テンポも決まり、アレンジも大体こんな感じ、ということを決め、いよいよ録音に入ろうか、と言う時に高石さんの事があった。

思えば、木田高介が、そして省悟が逝き、今度は高石さん。

この不動の黄金時代のメンバーは僕だけになってしまった。勿論、他にも素晴らしいメンバーは在籍していたが。

とに角、それを感じたのは107ソングブックシリーズ11(想い出の赤いヤッケ)の4人がそれぞれの手法で描いた自画像を見た時。

「あれ、みんないなくなっちゃったじゃん…」と思わず呟いてしまった。

彼等と過ごした時間の中には沢山の小さな想い出がひしめいている。

木田ちゃんとはわずか数年間だったが非常に濃いものだったし、省悟とは18歳からだったし、高石さんはあの時、まだ29歳か30歳だった。

そんなみんなの事を思いながらも、今回のアルバムのコンセプトは当初からあくまでもBack to Banjo #2というところにあった。

それでもなにか副題として、或いは本題として何か無いかな?と思った瞬間に思いついたのがこれだった。

しかし、それにしてもJust a Little Memoryとは…なぜこのタイトルが思いついたのか自分でも分からない。

ただ、彼等の事もさることながら、アメリカで共に働いた人達の事もかなり自分の心を占めていた。トータルで18年くらいだったし、労働時間も長かったし、必然的に一緒に居る時間は相当なものだった。

いろんな国の人がいた。

特に多かったのはベトナムから来た難民たちだった。

僕らが何の苦労もなく、見よう見まねで反戦歌など呑気に歌っていた時、彼等は僕らの想像をはるかに超える過酷な状況を経験していた。

この辺のことは「アー・ユー・オープン」で「聞くも涙、語るも涙の物語」として書いてきた。

そんな風に状況は違ったが、僕らはみんなAlienだった。

これって映画のAlienと一緒だが、異邦人という意味で正式名称だ。宇宙人だけではない。

そして僕はアルバムの最初にAlienという歌詞が入ったスティングの名曲を持ってきた。

確かにこの歌はよく聴いていた。

でもいつかバンジョーでやってみよう、等とは思った事もなかった。

僕はもしかしたらこのタイトル(Just a Little Memory)に引きずられて突然このアイディアを思いついたのかもしれない。

今のところ、このアルバムは12月中旬迄には皆さんに聴いていただけると思います。

ベースには前作と同じ、河合徹三氏に参加していただきました。

今回は最初から素晴らしいサポートをしていただきました。

昔ならこう言うのかな「お、針を落とした瞬間、何かが違う」そんなアルバムに仕上がったのも徹三氏のおかげです。

Back to Banjoが売り切れ、という現状に於いて、このアルバムはBack to Banjo#2としても、Just a Little Memoryとしても、それなりに価値のあるものになると確信しています。

そしてあらためて、皆さんに感謝いたします。

発売予定日などに関しては改めてこのHP上でお知らせします。

渾身の1作、どうかご期待ください。

2024年11月16日 伊豆、夕鶴記念館

なんだか寒いのか暖かいのかよく分からない気候が続く東京を後にして、熱海に向かう。

当初、在来線で向かおうと思っていたが、お金は倍ほどかかってもやっぱり新幹線で行った方が仕事モードになるだろうなぁ、などと勝手に考えて…やっぱり「新幹線はうんと早い♪」だった。

アルマジロ君が仕事帰りに熱海でピックアップしてくれる。

僕は降りる時、自動改札機に切符を入れたが、出てこなかったのでそういうもんか、と思って出口に向かったら、もう一つ改札口があった。

「あれ?」と思い、その窓口に居た駅員さんに、(女性二人だった)切符が出てこなかった旨を伝えたが「いや、絶対に出てきたはずですからもう一度戻ってください」と強い口調で言われた。

仕方がないので戻ると、今度は男の人で「あ~そうですか。そんなことも有りますよね。どこから来ましたか?」と柔らかい口調、先ほどの二人とは全然違う口調で同意してくれた。

「どこからですか?」と訊かれたので「〇〇です」と言ったら「あ、僕もそこの出身です」と言ってニコニコして手続きしてくれた。

僕はその証明を持って、先の出口に行き「やっぱり出てこなかったってよ!」と強い口調で吐き捨ててきた。

大人げなかったかな、なんて思いながら。

さて、夕鶴会館はコンパクトでとても良い会場だったと思う。

しかし、バンジョーの音はでかい。

僕のグレートレイクスはガンガン響いていた。

RE TAKESもいつも通りの感じで、脱退した福嶋さんも駆けつけてくれて2曲ほど。

僕も久々に「朝の雨」なんかのリクエストに応えて歌わせていただいた。

そう言えば、楽屋には櫻井航君が自作のアイリッシュハープを持ってきてくれた。

すぐに撮影して希花さんに送ったら「素晴らしい出来。パキスタン製よりも全然良い」という返事が返ってきた。

制作にはかなりのコストがかかりそうだが、その分素晴らしい音がしていたし、作りも流石のものだった。

他にも沢山の方から甘いものや果物をもらったりと、やっぱりちゃんとした音楽をやらなきゃなぁ、と思わざるを得ない…いや、貰わなくてもちゃんとしなくてはいけないが…。

また訪れてみたい会場だったし、何といってもみんなの顔が見えて、表情を感じることができて、そしてちゃんとしたコンパクトなホールで、というところが良かった。

アルマジロ君が見つけてきた場所。でかした!という感じだ。

みなさん、有難う。

皆さんのおかげでいい音楽会になったと思います。

今年も終わりに近づいてきました

先日、町で見かけた光景。

流行りの電動キックボード、LUUPというものに乗った若い奴が、横断歩道を結構なスピードで横切った。

そこでは歳の頃は僕と変わらないか、或いはもう少し上の人が数人渡っていた。

そしてその乗り物に乗った奴はその間をすり抜けて、接触するかと思うくらい近くを走り抜けた。

おじいさん(やっぱり僕より上か…)は驚いてよけていた。

するとバカは通り過ぎて一瞬止まっておじいさんを睨みつけて去っていった。

一体どれほどの利権が絡んで、こんなものをこういうバカが我がもの顔で走れるようにしたんだろう。

危険極まりない。

それで思い出した。テレビのCM、車の自動制御システムを謳っているもので雨の日に横道から自転車が飛び出してくる、というシチュエーション。

これを見た時、明らかに自転車の方が悪いだろう、と思っていたが、ネットでもどうやらそう思っている人が多数いるみたいだった。

アンサーではこう言っていた「どのような状況でも車の不利益になり得ることを想定している」と。実際にはもっと長い文章だったが。

しかし、僕が思った事はそこではない。それは充分理解している。

問題は、その自転車の奴が全然悪びれていないように見える。車の前にとまったまま、先のLUUPの奴のように車の運転手を睨みつけているように見える。

「あ、すみません。大丈夫ですか?自動制御システムが有って僕も助かりました!」てなオチが有ったら…って、そこまで考えられないし、時間も足りないのかな。

とに角、問題になっている「闇バイト」の件でも、結局は便利になり過ぎた世の中で、スマホの小さな画面にしか世界のない人達が多くて、そういう人達の想像力の欠如というのもひとつにはあるんじゃないかと思っている。

また思い出してしまったが、先日、駅で友人と待ち合わせをしていて、ふと目についた光景。

普通のOL然とした女の子がスマホに眼を落として歩いている処に、白い杖をカンカンと鳴らしながら目の見えない人。

あっ!と思った瞬間にはもう遅かった。

見事に杖につまずいて、おまけに本人にまで当たっていた。が、そのOLはすぐにその場をまたスマホを見ながら立ち去っていった。

ま、それでこけたりしたら少しは対応したのだろうけど。これも想像力の欠如をおもわせる光景だった。

さて、トランプが当選してしまった。

やりたい放題、自分に都合のいい事ばかり打ち出してくるんだろうな。

ま、赤ん坊のように駄々をこねるところは、今現在戦争を始めた処のトップ、加担している処のトップとほとんど同じ。

そして、彼を支持している人達とほぼ同じ。

この4年の間に世界はどうなるんだろう。

意外や意外、色んなことが好転していけばいいが、それにしても彼に都合のいいように全てを持って行くのだろうし、それはそれでその成り行きを見ていくのも面白いかも。

ハリスの旋風は吹かなかった。

有名な予言者とか何か言い残していないだろうか。

ところで、日本の政治の事は…なんかありましたっけ?くらいのしらけ模様。あ、僕だけかな?

11月も中旬に差し掛かり、グッと冷え込んできた。

先日、焼そばを作ろうと思って、キャベツを買うつもりで出かけたら、その値段にのけぞってしまった。

そう言えば一時すごく高くて1000円くらいの時が有ったが、またしてもその再来だ。

何でも高くなってきましたね。

去年、よく作った伊達巻、今年はせいぜい1本かな?

11月2日(土) 大森 風に吹かれて

だいぶ遅くなってしまったが、その日のレポートを少しだけ。

ナターシャー祭り、とでも言おうか、全員がナターシャー・セブンの唄を歌いまくるというコンセプトで沢山のナターシャーソングを堪能した。

関西からも、そして新潟からも…そう雨が降って大変だっただろうに、ギター、バンジョー等を担いでみんながやって来た。

そう言えば、関西組はかわいそうに、新幹線が途中でとまってしまったそうだ。

1時間55分の遅れ…う~ん、出来すぎているなぁ。

僕はやはり晴れ男なんだろうか。

家を出るとそれまで降っていた雨が傘要らずの天気になっていた。

みんなの唄声を聴いて、僕が1時間ほど歌と演奏をして、さて、それからみんなで楽しくセッション。

最後はヘイヘイヘイで締めくくり。

長い時間を感じることなく、楽しく過ごせたのもみんなのおかげだろう。

みんな本当にナターシャー・セブンを愛しているんだなぁ。

企画部長のキリンさんに感謝。

お店の金谷さんにも感謝。

そしてバンドのみなさん、近場から、遠いところから本当に有難う。

良い時間を有難う。

みんなが中に居た時にはかなりの雨だったようだが、またしても帰り道では雨に降られることは無かった。

11月

あれよあれよと言う間に11月。

寒いな、と感じる日も出てきたので、それなりに一歩一歩冬が近づいているのかな、という感じがする。

ウォーキングをしていると秋も感じ取ることができるが、それは比較的緩やかに涼しさがやってきているから、だろうか。

松茸とか栗とかにはあまり興味が無いし、果物もそんなに…というか高くて買えないのか。

ま、あまり食欲の秋というキャッチフレーズは僕には関係ない。

と言えども、最近、初めて生春巻きというものを作ってみた。

中華の春巻きは作ったことがある。省悟と「春ま来た~春ま来た~♪」とか歌ったものだ。

しかし、生春巻きはなかなか難しかった。

ライスペーパーの戻し具合、それに巻く時の、巻きずしとは違った感触。

しかし、訊いてみるものだ。

ライスペーパーはぬるま湯に、あるいは水に少しだけ浸す、と書いてあったが、レタスの葉っぱを濡らして、それで表面をサッと濡らすのがいい、という事だ。

確かにそれでやってみたら上手くいった。

中身は豚、エビ、レタス、キュウリ、春雨、それに人参とシソを入れた。

ニラも入れるらしいが、シソが入っているし、それでいいかな。

でも、結局はソースの勝負かな。生春巻き自体はほとんど味がしない。

それはうな丼にも感じる。

もちろん、クオリティの全く違うウナギならその違いは歴然としているが、そこそこのウナギだったらタレ勝負ではないかと思ってしまう。

そういうまでもなく、高いのでまず食べることはないし、

大ご馳走という感は否めないが、なくても生きていける…って、大袈裟か。

むかし、寿司を作っていた時、結局はシャリ勝負だよな、とよく言っていた。

エビやたまごは別として、どこの店も同じ魚屋から来ているからだが、それもアメリカだから、かな?

やっぱり秋だなぁ。食べ物の話になってしまった。

今日はまだ10月の最終日。

ハロウィーンという事だが、これは日本にはあまり関係のない、似合わないという方が妥当か、と思えるイベントだ。

思えば9・11の後のハロウィーンは静まり返っていて良かった。

毎年、子供たちが来ないように灯りを全部消して、静かにしていたものだ。

あ、そうだ。

今日はドジャースの優勝だけはしっかり観ていた。

あれ、最後はみんな胃が痛かっただろうなぁ。

政治家の動向よりも気になるドジャースの試合。

日本の総理大臣よりも気になるアメリカの大統領選。

北のミサイルも飛んだらしいが、気にもならなくなってきた。でも、気にしてほしいんだろうな。

あと数時間で11月。そしてすぐ12月が来るんだろうなぁ。

秋の夜長。バンジョーでも弾くか。うるさいかな…。

巷では…

またコロナが流行っているらしいですね。

コロナだけではなく、マイコプラズマ何とか、や、その他諸々。

最近ではすっかり忘れていた手洗いうがいも再開しましたが、溢れるほどにあまっているマスクの付け方なんか忘れてしまいました。

岸田元首相の「聞く耳」とやらが、あれはマスクのひもを引っかけるためだけに付いていた事を想い出し、そうかあそこに引っかければいいんだ、と…。

ま、冗談はさておき、友人がかかってえらい目に遭った、というところからこんな話になっているのですが。

やっぱり流行真っ最中の時よりこちらの警戒心もうすれているし、一旦かかってしまったら大変なのかもしれませんね。

蚊も全盛期の真夏より秋口の方が子孫継続のために必死になるようです。

でもこの頃は暑すぎて蚊も飛べないみたいですね。

良い季節になってきました。

どこもかしこも人でいっぱい。

家に居るのがいちばん。

なんてこと言ってるとボケてしまう可能性が高いので要注意。

ところでまた選挙が始まるのか。

しばらくは気が狂ったように「嘘八百」を並べる政治家の雄叫びに耳を塞がなくてはならない。聞く耳どころではない。

今年の流行語に「嘘八百」って出るかな?

そんな事より、明日またちょっと出かけるので人は多いだろうし、多分マスクは付けないと思うけど、手洗いと、うがいは帰ってきてちゃんとしておこう。

みなさんも気を付けて。

10月9日 2024年

新たなレコーディングも佳境に入り、世の中は随分ひんやりとしてきて、政治の世界も相変わらずしらけた事をやっていますね。

そして、今年の夏は暑かった!と来年もまた言っているでしょう。

そんな暑いさ中から始めた録音。

始める直前に高石さんの訃報。

ひとつの時代が、そして僕にとってのひとつの時代も終わった感覚が有りました。

今回のアルバムのタイトルは「Just a Little Memory」

随分前から考えていたタイトルでしたが、なんだかあまりに意味のあることになってしまいました。

これは前回リリースした「Back to Banjo」の第2弾。前回漏れた曲や、こんなものもやってみたい、と思うものがいくつかあったので制作を決心しました。

これで終わりかも…とか言っておきながら。

でも、もう歳も歳だし、いつ逝くか分からないし、なんて思いながら、お金もかかるし

いい加減にしろ!と云われるかもしれないし…いろいろ考えながらの録音でした。

タイトルの「ほんのちょっぴりの想い出、或いは、小さな想い出」そんな思いが自分を後押ししてくれました。

今回もベースで河合徹三氏が参加してくれました。

やっぱりこの人、単なる酒飲みの音楽家とは違う、実に的を得た演奏を展開する人です。それも短い時間で的確に出来る事を考えに考える人です。

おかげで自分なりにもかなり気に入ったものになりそうです。

発売日などに関してはまた後日公表できると思います。

言えることは、これでしばらくは無いかな?また1年先かな?いやいや、あんまりそういう事は言わないようにしよう。

我が国の総理大臣みたいに、ボクやっと総理大臣になれたし、嬉しくて仕方ないので今まで言っていた事、全部忘れちゃった…みたい、な。

あ~いやだいやだ。

アルバムの話に戻りましょう。

これ、Back to Banjoとセットで持っていたらいいと思います。似ているようで、似ていない絶妙な出来だと自負しております。

ところでサラッと言っちゃいますが、Back to Banjoかなり品薄になってきました。

唯々、皆様に感謝です。

クリス・クリストファソン

クリス・クリストファソンが亡くなった。

彼の名前、アメリカではクリストオファソンと云わなければ通じない。

通じないわけでもないのかな?日本人に慣れている人なら分かるかもしれないが、かなりはっきりとクリスト・オファソンみたいに言わないといけない。

何はともあれ、僕は誰かが「カントリーシンガーで好きな人は?」と尋ねたら、迷うことなく彼の名前を言っていた。

といえども、彼の作品や歌を良く知っているわけではない。

映画俳優としての彼が大好きなのだ。

Convoyなんかめちゃくちゃかっこ良かった。

さて、京都から戻ってきて友人が教えてくれたことだったが、ふと、一昨日の昼下がりコンサートを思い出してしまった。

僕はドクターサウンドの小林君と二人で進ちゃんにギターを弾いてもらって、恒例の「フォギー・マウンテン・ブレークダウン」をやり、その後「コーちゃん」を呼んで「川下りブラックジャック」を演奏し、そしてその後、僕が選んだ歌は「ミー・アンド・ボビーマギー」だったのだ。

これは高石さんの素晴らしい訳詞の中でも1位2位を争うくらいに好きなものだった。

そこでクリストファソンの話をした。

この歌の出来た経緯などの話もした。

なんという偶然だろうか。

今は亡き高石さんの素晴らしい詩とクリストファソンの素晴らしいメロディと…。

時差があるのでアメリカではまだ27日だったのかなぁ。その辺、深く考えると頭が痛くなるので、取りあえず、そんな時にこの歌を選んで歌った事に我ながら驚いてしまった。

そしてボビー・マギーなる人物はある作曲家の秘書であった、という事。

その作曲家が作ったと云われる彼の名曲を最後に演奏して終わった。

偉大なシンガーだった。

Highwaymenも凄かったなぁ。

また一人逝ってしまった。

昼下がりコンサート 2024年9月28日

元、七人の会スタッフのプロデュースによる昼下がりコンサート。

今年は行かせていただくことが決まっていた。

そうなると先ず、円山音楽堂ということで、天気が心配だ。

「まかしゃんかい!」と大見栄を張った手前、少なくとも雨だけは困る。曇っていても良い。

雨だけは困る。

それは集まってくれる人全員の心からの願いだ。

予報を見る限り、なんだか台風も発生しているようだけど、幸い、関東には多少の影響があるが、関西には行かないようだ。

出来ればもう能登には絶対に行って欲しくない。

そんなことを考えながら新幹線に乗った。

やはり京都なのでちょっぴり気持ち的にはゆっくりしたい感もあり、2日ほど早く出た。

こーちゃん(ロッキードではなく元のスタッフ)が彼の生まれ故郷である舞鶴に連れて行ってくれた。

天然キャラ炸裂のこーちゃんはほとんど一日中あらゆる事柄で笑かせてくれた。

本人は至って真面目なんだろうけど…。

舞鶴から帰ってきて居酒屋ぴんの白波瀬さんにも久しぶりにお会い出来た。

コンサートもさることながら、いろんな友人に会う事もとても大切なひと時となる。

さて、コンサートだが。

早くからスタッフとともに会場に入った。

みんなで一緒に荷物を運び、お客さんがのぼる階段の掃き掃除をし、そしてみんなが様々なセッテイングを手際よくやってくれている。

見たところ百戦錬磨の集団だ。

これを生業にしている人、全然関係ない仕事をしている人、みんなが同じ方向を向いてみんなが本当に楽しみにしていることが僕の心にビシビシと伝わってくる。

今回も楽器は借りることにした。

僕が初期の頃使っていたギブソンRB-500を所有している猪間君。

省ちゃんが花嫁で購入したギブソンRB-800は今日PAを担当する、てっつんが所有している。

2台のバンジョーの必然性は、というと、今回僕はドクターサウンドの小林君に来てもらう事にしたからだ。

今の僕のバンジョー熱を呼び起してくれた彼、そして父親の影響でバンジョーを持って産まれてきた、と言っても過言ではない永遠のバンジョー少年、そんな彼とのダブルバンジョーを是非やりたかったから。

そんな彼、お父さんと二人で現れて、なんとなくお父さんの方は興奮しているが息子の方は落ち着いているように見える…が、実はとうとう聖地にやって来ることが出来た、と感慨にふけっていたらしい。

やがて我夢土下座のみんなも現れて、楽屋は当時の昼下がりコンサート、宵々山コンサートを彷彿とさせる雰囲気が漂ってきた。

そこへ「まいど!」と茶木みやこさんも現れて京都色はさらに濃くなる。

当時の女の人、女の子はみんな関西のおばちゃんになっている。

さて、ライブのことを書き始めるときりがないのでコメントは控えさせていただきますが

(ありゃ?政治家みたい)

とに角素晴らしい一日を過ごさせていただいた。

案の定、雨は一滴も降らず、太陽も照りつけることなく、少しの蒸し暑さだけがあったけど、まぁまぁ晴れ男の面目が立った。

しかし、一人一人がそれぞれの役割を、実に見事に楽しそうに、こなしている姿を見ていると、本当にナターシャー・セブンはみんなに愛されてきたんだな、という事がよく分かる。

お互いに育て、育てられて今日まで来ているんだな、という事がよく分かる。

スタッフ、というのかな?実行委員会というのかな?みんなお疲れ様。

ほんとうにありがとう。

いい会に呼んでもらって。

今、つくづく思う。木田高介、坂庭省悟、そして高石ともや、みんな逝ってしまった。

でも、この3人は昼下がりコンサートに出演しているよ。

だって、これだけ素晴らしい実行委員会の人達がいて、そしてお客さんも楽しみに集まってくれて意義のある楽しい会になって、それはいろんな「しがらみ」を越えてみんなが一つになっている姿を彼等が見ているように感じるからだ。そして「おー俺達も寄せてくれ!」と言っているように感じるからだ。間違いないよ。

お疲れ様でした。ただひたすら感謝です。

ところで今日もやっぱり一番受けたのはこーちゃんでした。

夜中の番組

またまた夜中に目が覚め、何気なしにテレビをつけてみた。

今夜はやはりBSで興味深いものをやっていた。

あれ、BSだったかな?普通の総合テレビだったかな。

9,11以後のアメリカの状況。

僕はあの当時、もろに影響を受けたし、それ以後のアメリカもずいぶん見てきた。

中東には知り合いの息子さんも行ったし。

その中で伝説のスナイパー、クリス・カイルの話も出ていた。

映画「アメリカン・スナイパー」のモデルとなった人物だ。

そして9,11で犠牲になった日本の家族の事。

ある人はビン・ラディンに会うために中東に出掛けて行ったという。

なぜ、自分の息子があのワールドトレードセンターで死ななければならなかったのか、そんな気持ちを、疑問を押さえられなくなり中東に出向いたのだと。

そして、ビン・ラディンに会うことは叶わなかったが、多くの人達と素晴らしい交流を持ったという。

中にはアメリカ軍の攻撃でひどいけがを負った少年もいた。

必ず報復してやる!と言っていたその少年も日本から来た見も知らぬ人と徐々に打ち解けてきた。

そして見た目だけでも穏やかな青年へと変化していったが、ある日あるテロの記事で(テロと云えるか戦いと云えるか分からないが)首謀者で殺害されたメンバーの中に彼と同じ名前の人物を見つけたが、本人がどうか分かる術もなかったという。

またまたあのジェイミー・フォックスの映画のラストシーンを思い出してしまった。

この連鎖は止めることは出来ないだろう。

出来ないから何もしなくていいのか、と云われればそれまでだが、スー・チーさんがいくら頑張っても周堤さんがいくら頑張っても、バカは自分の事しか考えないことは明らかになってきた。

これ、そろそろ人類は一度滅亡してリセットしないとダメかな、なんて思いつつ、地球はいつまで存在するんだろう…てなことまで考えてしまう。

そんな中、中国で痛ましい事件が起きた。

ふと思い出したのが、アメリカに渡ってすぐの頃、カリフォルニアの比較的近いところの学校で、5人ものアジア系の子供が自動小銃を持った男に殺された事件だ。

確かにどこにいても起こりうることではあるが。

あの中国の報道官の平然とした(一見)態度では納得できるものではないが、少し前の、身を呈して子供を守って亡くなった中国人の女性のことも有ったし、こういう事も変わらず起こり続けるんだろうな、と思ってしまう。

9,11以前でも人種の壁みたいなものは充分感じていたが、ヘイトの連鎖はいつまでも続くものなんだろう。

9,11からもう20年以上経つんだなぁ。

America Open Business 、 America Stands!などの看板、至る所で見た、銃を持った民兵。

そんな光景を思い出しながら番組を観ていた。

河合徹三プロデュース Back to Banjo 9月15日、日曜日

9月も半ばだというのにとても秋とは程遠い気候だ。

それでも、雨だけは免れているので、ま、晴れ男ここにあり、かな?

徹三氏には随分前からCD制作に関わってもらっている。

僕が思うに「至高のベース弾き」もちろんベースだけではなく「至高の音楽家」の一人だと云える。

この日、一部は僕一人でやらせていただいた。

紹介では「いつもは若手をプロデュースしていますが、今日は…大ベテランを…」

と言う話だったが、考えてみれば敬老の日?いや、一日後がそうなのかな?2003年から第3月曜日となったそうですね…ま、いいや。とに角そんな感じではじまり、僕は一部、バンジョーのいろんなスタイルを演奏してみた。

群馬から田村さんがわざわざ出向いてくれて、素晴らしい音をプロデュースしてくれる。

何もストレスを感じない音づくりは流石だ。

世界巡りでは「アルハンブラの想い出」などをやってみた。

なかなかこれは弦の数が足りない分苦労したが、もう少し研究したらいいかもしれない。

そして2部。

徹三氏のベースプレイが冴えわたる。

特に僕が感じたのは「疲れた靴」をやった時だった。

実はこれ、ふたりでやったこと無いのです。

僕は簡単なコード譜(いい加減なコード譜)だけ渡し、しかもキーをワンステップ上げて歌った。そして間奏ではそれまでのスリーフィンガーを捨てて、メロディだけを弾いてみた。

イメージとしてはデビッド・ブロムバーグのミスター・ボージャングルのライブ録音。

これも徹三氏ならではの、僕のイメージそのもののバックアップを見せてくれた。

これには脱帽…いや、分かっていたのだが…今更ながら、かな。

ショーは少し短い目だったかもしれないが、やはりそれなりに疲れた。

この日も滋賀県から、京都から、と、遠くからも来ていただいた。

終了後、京都からの友人と、久しぶりに遅い時間にビールを飲んで餃子なんか食べてしまったが、もう50年来の友人、高石さんのことも含め、いろんな良い話が出来た。

こうして、たまにはライブで多くの友人に会い、あまり近しくなくてもずっと応援してくれている人達に会い、そして昔ばなしにも花が咲き、これからもずっと応援してくれることを知り、やっぱり素晴らしい世界に生かされていることを感じる。

なんて、幸せなことだろう。

河合徹三氏に感謝。なんか、鼻歌で「どうせがらくた~♪」なんて口ずさんでしまっています。

スタッフの方達に感謝。

そして皆さんに感謝の一日だった。

残暑

よく省悟と「な~んざんしょ!」といっていたものだ。

この残暑は本当にそう言いたくなる。

朝晩が少しの風も有り、ちょっぴりマシになってきたせいか、昼の暑さが身体にこたえる。

それは自然体で生きていると、なおさら良く分かるような気がする。

それでもこの頃、早朝でも日差しが強く、ウォーキングには適さないようだし、気温を見ながら日暮れ前くらいから歩き始める。

1時間も歩くと汗びっしょりだ。

気温は27℃とか出ていても、湿度は90%とかになっている。

こりゃ、汗もかくはずだ。

それで、戻ってから水シャワーを浴びる。

もう5月下旬から一度も湯沸かし器は使っていない。

水シャワーだけで1分半ほど。湯船に浸かる習慣もないので、一日に数回、その程度のシャワーを浴びる。

すると、季節の移り変わりを感じることができる。

この9月に入ってから、水がめっきり冷たくなってきた。

やっぱり秋って来るんだなぁ、と感じるが、それはウォーキングの最中にも、トンボが増えたり、雲の感じや空の高さなどからも感じることができる。

そうなると、何気なくあの暑さが懐かしい、なんて思えるようになるんだろうか。

しかし、あの暑さの中、外で働いている人もいる。そういう人達をみると、この温暖化は何とかしないと大変な事になるんだろうなぁ、と思わざるを得ない。

2100年には人間が住めなくなる、とも言われているが、ミサイルなんか撃ちあげて、手を叩いて喜んでいる場合じゃァないだろう。

さて、次の総理大臣って誰なんだろう。

絶対にこの人、単なる賑やかし、とか、こいつは世界に出すべき顔じゃァないな、とか…でも今までにも居たなぁ、そんな人。

案の定、何も出来ない、何もしないうちにすぐ辞めたけど。

ま、あまり自分の生活に関係ないのか、大ありなんかもよく分からない。それくらいに解離したことがらなのかも。

それよりもこの残暑を何とか乗り切りたいものだ。

あと、半月くらいは水シャワーでいけそうだし。

年寄りの冷や水だ。

ところで、外れていた小学校の時計の針。まだそのままのノッペラボウ。これもいつ針が付くのか楽しみだ。暑すぎて作業をする業者が見つからないんだろうか…時はどんどん過ぎてゆく。

ちょっとだけノスタルジック

この夏、高石さんが亡くなった事は多くの方達にとってショックだったろう。

今、あれから2週間が過ぎている。

僕にとってはどうだろうか。

自分では想像ができなかったけど…どこから来るんだろうか、言葉では言い表せない喪失感を感じている。

やっぱり自分にとって大きな大きな人生の1ページが終息を迎えたような気持ち。

言葉ではなかなか言い表せないけど、また省悟の時とは違うのは、70歳も中盤に入り、やっぱりみんないなくなるんだなぁ、という気持ちがもっと顕著に現れるからなのかな。

僕は母親を自分が10歳の時に亡くしているが、その時「なんで死ぬのに産まれてくるんだろう」なんて思ったりした。

どうせ死ぬのなら生まれてくる必要は無いんではないか、と思ったものだ。

それが自分では選べない道ということも知らなかったし。

話はちょっとあらぬ方向に飛んだが、あの高石さんでも死ぬんだなぁ、と言うのが僕の素直な気持ち。

この前のコラムでも書いたが、絶対に最後まで生き残るのは彼だと思っていたので。

それだけになんか、心に穴が空いたような…。

別にそんなに親しかったわけでもない。

省悟のように説明がつかないくらいに分かり合える仲でもない。

なのに、この喪失感はいったい何なのだろう。

やっぱり先に言ったように、最も多感で、身も心も軽々と、なんでも出来る、なんて思っていた時代を共に過ごしたからだろうか。

そんな時代が終わった。

もちろん時は過ぎてゆき、どんどん新たな時代がやってくることは当たり前なのだが。

その辺のジレンマなのかな。少なくとも少しの間は。

先に進まなくてはいけないし、また、いやがおうでも先に進まざるを得ない状況が生きている限り続く。

そんな時、やっぱり一番頼りになるのはナターシャー・セブンを愛してくれた人達の存在だろうな。

本当にそれはつくづく感じる。

今、ビールの後にちょっぴりのウイスキーを飲んでいるので、勝手な事を書いていますが、どうせそんなに飲める方ではないのでこれで寝てしまうと思います。それでも最終的には皆さんに感謝の気持ちを伝えたくて…。

高石さんもステージ上ではあんな感じですが、本当に恥ずかしがり屋、悪く言えば気の小さい人だった。良く言えばすごく思慮深く軽はずみなことが言えない人だった。

でも、本当に皆さんには感謝していると思います。僕はそんな彼を知っています。

I am 総理

やっぱりこいつら全員クズだなぁ。

そんなに隠し持っている金を返したくないのか。

また、返せ、と言っている奴もいざトップに立ったら「そんな事言いましたっけ」くらいの態度になるんだろう。(想像の域ですみませんが)

もう全てが見え見えで面を見るのも時間の無駄、こんなことを考えるのも時間の無駄。

それよりも台風や地震の心配をした方が良さそうだ。

一昨日、あれは夜中の2時頃だっただろうか?

何気なし眼が覚めてじっとしていたら、ユラユラと感じたので「あれ?地震かな」と思っていたらドシン!とひと揺れ。

本当に、これが続いたらやばい!と思う余裕もないくらいの一発だった。

それにしても地震、雷、火事、親父とはよく言ったものだが、ま、親父はもう要らないかも。

アメリカでの友人に地質学者で地震専門の奴がいた。

ちょうど阪神淡路地震の時、地震に関するシンポジウムがあって大阪に宿泊していた彼だが「めちゃ怖くて何もできなかった」と言っていた。

ところで今現在も史上最強クラスの台風が九州に近づいているという。(上陸!)

段々地球も古代に戻りつつあるのかなぁ。

滝で遊んでいてウイルスに感染なんて、段々人間が弱くなってきたのか、ウイルスが強靭になって来たのか、暑さで想定外の事が起きているのか。

これからも庶民は様々なことで苦しみ続ける可能性があるけど、やっぱり自分たちの肥やした私腹は減らしたくないんだろうな。

備蓄米のことも、奴らが最終的に生き残るためではないか、なんて余計な勘ぐりをしてしまうほど信用は地に落ちている。

誰が総理大臣になろうが変わりはしないと思っているのは僕だけだろうか?

一人として「この人なら」というのも、どんなに消去法を用いても無理がある。

ま、仲間内で選ぶんだからとやかく言っても仕方ないが。

面白いだろうなぁ。

あと10年くらいして大谷翔平が、突然立候補して最終的に総理大臣なんかになったら。

どの政権か知らんけど支持率100%…なんて。

つまらないこと言ってI am sorryだが、彼なら胸を張ってI am 総理と言ってくれるだろう。

台風、長居するようです。みなさん気を付けて。

高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

1971年の出会いから半世紀も過ぎた。

ナターシャー・セブン…何ちゅう名前や?

変だなぁ、日本語で歌うって…。

僕にとってはそんな風に始まったこのグループも、その黄金時代(自分で言うのもおかしいが)のメンバーは僕だけになってしまった。

予定では高石ともやが最後に残るメンバーであったはずだが…ってそんな予定あるか!

でも、自分で言っていた。

「わたしには蛇年のしぶとさがあるんです」なんて。

ずっと「私はB型です!」なんて言っていたのにある日「A型でした」なんていうすっとぼけた部分も有った。

あまりA型のイメージは無いけどなぁ。

青森か何処かの駅で汽車が止まっている時、ホームを駅員さんが歩いていた。

それを眺めていた僕が「ねぇねぇ、ともやさん。獅子てんや、瀬戸わんやって、どっちがてんやで、どっちがわんやだったっけ?」

と問うと、ただひとこと「うん、似ていましたねぇ」と言った。

このあたりの受け応えは流石に詩人、という感じがする、なんて思うのは僕だけだろうか?

思えば旅ばかりだった。

彼の言葉でひとつ印象深かったものがある。

「あなたと僕はもう家の奥さんがやきもちを焼くくらいなんですよ」

それくらいの旅、また旅だったのだろう。

それくらいお互いを理解することに必死だったんだろう。

僕は彼の歌にギターを乗せるのが好きだった。

そしてそれはどこで音楽を演奏していても、彼のために伴奏をしている時と同じ次元のものとなっていったはずだ。

僕は今でも、彼は日本に於ける至高のフォークシンガー、筋金入りのフォークシンガー、唯一無二のフォークシンガー、そして類まれな才能を持った詩人、だと信じている。

なので、少しだけ、ひとつの時代が終わったかな?という思いは持っている。

そして少しだけまた心に穴が空いたかな?という思いも持っている。

榊原氏は僕と高石さんを結び付けてくれた人。

あの頃、僕は彼の期待に少しは応えることが出来たはずだ。

木田ちゃんは、本当に良い時のグループを更にワンランク持ち上げてくれた人。

僕らは彼のほとばしる才能に対し、少なくとも多少応えることが出来たはずだ。

省悟は…もう言う事ないかな。

僕らは唯一無二のコンビとして皆さんの期待に応えることが出来ていたと思う。

そして高石氏。

もしもまだ元気に歌っていたら、横でギターを弾きたかったことも事実だ。

勿論バンジョーも。

彼の紡ぎ出す詩を聴きながら、どんな音を創っていくか、そんな事を考えながら。

多分、彼の想いが詰まった詩に対して、まだまだ応えることが出来ただろう。

ひとり残され、この世の旅の終わりに

あいつに会ったなら あの世で二人また旅に出よう…

いやいや、もう旅はいいかな。

でも、あなたのためにギターもバンジョーも弾くよ。

暑いけど…その2

暑い暑いと言っているうちにも、何かが少し変わってきたように感じる。

それは朝、晩のウォーキングの時。

空の感じが少し変わってきたようだ。

でも、蒸し暑さはしっかり残っている。

そんな中、やはり最後と思えるアルバム作りを始めようと考えました。

Back to Banjoの続編、そしてもう少しナターシャーセブンを思わせるものも含めて、

と考えております。

本当にこれでしばらくはお休みにしたいと思っています。

ライブも全然やっていないので、次のアルバムが出来たら、少し動いてみてもいいかな?

という考えも有りますが、こう暑くちゃ…。

何でも2100年の東京の予想気温は46℃らしいですよ。

これは日本だけの問題ではありません。

世界では50℃を超えるところが沢山出てきそうです。

段々、地球も人間の住むところではなくなるかもしれませんね。

喜んで戦争なんかしている場合ではないですよ、あなた達。

少しは環境の事でも考えればいいのに、バカはいつまでもバカなんですね。

日本の総理大臣って変わったらなにか変るんでしょうか。

話し合うのに高い料亭に行くスタイルは変わらないでしょうね。

さてさて、そんなこんなで、また田村さんのところ「サウンドタム」にしばらくの間出かけます。

皆さんも季節の移り変わりを感じながら、元気に活動してください。

皆さんが元気でいてくれてこそのアルバム作りなので。

時は過ぎてゆく

広島の日も、長崎の日も、そして御巣鷹山の日も過ぎてしまった。

2018年のフィークルで、ちょうどその日「上を向いて歩こう」を演奏したシェーマス・ベグリーも、もはやこの世に居ない。

そしてまた終戦記念日がやって来る。

「暑い暑い」と言ってもまた「寒い寒い」という日がやって来る。

なんかこの暑さにも慣れてきた。

湿気が多いのには相変わらず参ってしまうが。

面白いことに最近ベトナム語で「すごく暑い」と言うのを教わったが、それを言ってもあまり暑く感じない。

むかし、マイクとキッチンで大きなごみ箱を持ち上げる時、ベトナム語で「モッ、ハイ、バー!」1、2、3だがそう言って持ち上げた。彼はそれで一番力が出るようだった。

フェルナンドとは「ウノ、ドス、トレス!」

彼は「アミーゴ、いち、にー、さん、じゃ力が出ない」と言っていた。

ハリーさんはやっぱり「イー、アル、サン、アイヤー!」

いちばん困ったのはフランス語しか話せないモロッコの奴が来た時。

「アン、ドゥ、トゥワ」では…バレーじゃないんだから。

言語と言うのは面白い。

話は横道に逸れたが、とに角、暑い暑い1日が過ぎてゆく。

いつまで続くんだろう。

また台風なんかが次から次へと押し寄せるのだろう。

何とか無事に暑さを乗り越え、更に色んな事柄からも無事に1年を終わりたいと思うが。

まだ来年もあるんだなぁ。

そして時はどんどん過ぎてゆくんだなぁ。