グレイトフル・デッドについても、ジェリー・ガルシアについても今更何の説明もいらないだろうが、最近、何人かの熱狂的なグレイトフル・デッド・ファンの若者や、そこ迄でもないが、彼らに興味を示す若者に出会った。みんな20代だ。
僕は何度も何度も彼らのコンサートを観に行ったが、彼ら、若者たちは生で観たことが無い、という。
無理もない。ジェリー・ガルシアは1995年の8月に亡くなっている。
当時サンフランシスコに居た僕はその日のことをよく覚えている。
ヘイト・アシュベリーには多くの人が集まり、道端に座り込んで蝋燭を立て、花を飾ってお祈りを捧げていた。
どこまでも真っ青に澄み渡った空の下、街全体が失意のどん底に突き落とされたような光景だった。
8月13日にゴールデンゲート・パークのポロ・フィールドでメモリアルセレモニーが行われた、とあるが、25000の人の中に確かに僕も居た。
遡ること、僕が彼らの存在を意識し出したのは、特にジェリー・ガルシアの、あるいはグレイトフル・デッドの音楽に興味があったわけではないが、それはジェリーのバンジョープレイによるものだったかもしれない。
オールド・アンド・イン・ザ・ウエイで聴くことが出来る絶妙なタイミングのバンジョーは、まさに彼ならではの感がある。
また、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのヒット曲で演奏されたスティール・ギターも絶妙だ。
それくらいの知識と、サンフランシスコという土地に住んでいるというだけの流れに乗っかって彼らのコンサートには何十回も足を運んだ。
曲間に話すことはなく、前の曲が終わると同時に自然と次のイントロに入っていく。3時間もそのままだ。
前の方では5~600人のヒッピーたちが踊っている。座席には2000人もいるだろうか。そして、数百人が後ろの芝生でフリスビーをしたり犬と戯れたりして楽しんでいる。
そして会場の外には数千人のヒッピーたちがキャンプをしている。
ほとんどのコンサートで毎回そんな光景が繰り広げられていた。
会場には入れなくても、彼らの近くにいればもうそれでいい、という人達が世界中から集まってくるのだ。
僕がその文化の中心、ヘイト・アシュベリーのすぐ近くに住んでいたことは非常に幸運だったかもしれない。
近くのコーヒー・ショップでまだ始めたばかりのアイリッシュを演奏していると、グレイトフル・デッドのメンバーであったフィル・レッシュが聴きに来たりしていた。そんな日常もこの地区に住んでいたからこそ、だろう。
また、若いデッド・ヘッズたちにそんな話を聞かせてあげたいものだ。
だが、多分グレイトフル・デッドについても、ジェリー・ガルシアについても彼らの方が詳しいだろうな。