26年目

今朝、阪神淡路大震災から26年になる、というニュースをやっていた。

もうそんなに経ったんだ、という感想。

あの日は確かアメリカでテレビを観ていて、あれ、これって神戸?と、眼を疑ってしまった。

大学時代、よく行っていたあの街が、まるで空襲にでもあったかのようになっていた。

そして何よりも外国にいたせいか、同じ日本人があんなに沢山死んでしまう事が驚きと悲しみでいっぱいになった。

3月11日の後、全く他人事のようにしている政府の対応に、今ほど政治家と云うものがいい加減な存在だと思ったことは無い、と書いていたが、今は更にひどくなっているようだ。

どこまで確かな情報かは分からないけど、26年前も真っ先に動いたのは一般の人達だったり、普段は少し怖い人達だったり…という話だ。

先日誰かが「人は長く生きていると1回くらい戦争を経験する可能性がある。今は戦争、有事なんだ」と言っていた。

国のトップは机の上で作られた文章からゆっくり時間をかけて判断するようだが、庶民はそんなわけにもいかない。

そこには現場を知る国民と、知らないし見ようともしない政治家たちの大きな違いが生じているとしか思えない。

26年前の人々の心の叫びを聴いていて、なんか、政治家って全く進歩しない人たちなんだなぁ、と感じてしまった。

政府のことばかりではなく、ずっと前からちょっと驚いていることがある。

ロマプリータ地震といういわゆるサンフランシスコのものは89年の10月17日だった。

ノースリッジ地震というロスアンゼルスでのものは94年の1月17日だった。

阪神淡路大震災は95年の1月17日だった。

体験としてはロマプリータだけだが、あれ、また17日?と思ったりしたものだ。

やっぱり地震は怖い。

絶対に今は起きて欲しくない…けどこればかりは何とも言えない。

でも、これ以上、鈍感でろくでもない政治家の姿をみるのはもううんざりだ。

今日は朝早く起きて、テレビに向かって思わず合掌してしまった。