言葉

今までに聞いた言葉の中には、相当前のことでも、そのシーンまで想い出すくらいクリアに残っているものが有る。

感動した言葉とか、人生を変えたかもしれない言葉とか、偉人の言葉とかいろいろあるだろうが、今回は、ある動作をするたびに想い出すような、大したことではない、それでも何故か忘れられない言葉について書いてみようかな。

まず、僕は朝必ず一杯のコーヒーを淹れる。

それはほとんどの場合顆粒状のインスタントコーヒー。

そこにホイップしたミルクを入れて飲む。

そこで、想い出すのが京都産業大ブルーリッジマウンテンボーイズの合宿でのこと。

僕が先輩の細谷さんにコーヒーを淹れた時の事である。

同じく顆粒状のコーヒーをスプーン2杯入れたその時、細谷さんが言った。

「あ、お前、それけっこう濃いぞ!」

何故かその口調から声から全て物凄く残っている。

なので、今でも朝、スプーンに取ったコーヒーを見つめて独り言「あ、お前、それけっこう濃いぞ!」なんて自分自身に呟いてしまう。

省ちゃんの言葉なんか数えたらきりがないかもしれないけど、僕にはシャワーを浴びる時必ず想い出す言葉がある。

省ちゃんが嬉しそうに「お前、人間の身体でいちばん汚いところどこか知ってるか?」と言ったが、恐らく彼は僕が「股か?尻か?」と答えると期待していたんだろう。

「どこ?」と言うとまたもや嬉しそうに「わきの下や」と言った。

再び僕はシャワーの時「わきの下や」と呟いてしまう。

うんと昔に見た西部劇の映画で、主人公が男の子に「耳の後ろを良く洗え」と言っていたこともついでに想い出すが、あの省ちゃんの嬉しそうな顔はよく覚えている。

沢山の人に出会って、もちろん覚えている言葉は沢山あるけど、なんか自分でも同じ言葉を呟いて見たくなるなんておかしいな、と思ってしまう。

そう言えば、同じく省ちゃんが言っていた。

「髭は朝7時から伸び始めるんや」

本当かな?でも、それ以来僕は7時過ぎないと髭は剃らない。

ま、あまり4時や5時に剃ることもないけど…。

なんというタイトルだろうか、と思う人もいるだろう。

僕自身、もう少し良いタイトルが無いか、と迷ったが、ま、いいか。

実を言うと、先日、朝早く高齢の(お~なんでこんな風に変換されるんだ)恒例のウォーキングに出て、いつものお寺の階段(大人の階段ではない)を駆け上がり、ぐるっと一回りして、もう一度階段を…と思っていたところに、ふと奇妙な物体を発見した。

まるでヒモか糸のように細いもの。色は黒。

「うん?ミミズ?」と思ったがよく見ると頭が三角形で大きい。

子どもの蛇だ。

長さは15㎝ほど。いや、ピンと伸ばせば20㎝はあったかも。

胴回りは多分5㎜もなさそう。

本当に小さい蛇がじっとしていた。

このままでは踏まれてしまう、と思い、落ちていた葉っぱでつついて脇に寄せてみた。

通りかかったジョギング中の若者が「お、蛇ですね。可愛い!」と言った。

確かに僕も可愛いと思ったが、蛇を見てそんな風に思ったのは初めてだ。

勿論、子蛇(こんな言い方あるんだろうか)だからだろうが、大きかったら思わず逃げただろう。

そう言えば、まだ小さかったころ、家の大掃除をしていた父が脚立から飛び降りて「棚から蛇(牡丹餅ではない)が出て来てペロッとなめられた」と言った。

そしてその蛇は困ったことに雨戸のレールの処に入っていってしまった。

そこで近くの農家の知り合いを呼んでつかまえてもらったが、それは1mほどもあるアオダイショウだった。

父も驚いたが、多分蛇も驚いただろう。

足が沢山ある奴も苦手だが、ツルツルと胴体で這うのも苦手だ。

しかし、今回の蛇は連れて帰りたかったくらいに可愛かった。

でも、あれって将来どれくらいの大きさになるんだろうか?

何を食べさせたらいいんだろうか?

なんて考えると、取りあえず無事に生きていてくれたらいいかな、と思うだけだ。

コミュニケーション

先日、あるコンビニでこういうことがあった。

コーヒーをレジでお願いして、ちょっとしたウオークインというのかな、座るスペースが奥の方にあり、少しそこに座るか、とその時に思っていた。

そしてそのスペースに背を向けるところにコーヒーのマシンがある。

コーヒーがカップに注がれていく様子をみながら、ふと、そのスペースに眼をやると、こう書いてある。

「このスペースをご利用の方はご購入時にお声がけください」

そうか、と思い、先ほどコーヒーを買ったのと同じ店員さんに「すみません、ここに座っても良いですか?」と尋ねたところ、帰ってきた答えが

「購入時に申告していただくことになっております。まぁ、今日は空いているし構いません」

その時はそんなに嫌な気はしなかったが、徐々に煮え切らない気持ちになった。

その理由は、

レジのところにはそれが明記されていない事。

入り口からレジに立てばそのスペースは見えるがそのような但し書きはそこからは見えない。

これはシステムの誤りではないか。

そしてもう一点。

店員さんの言葉不足、というかコミュニケーション能力だ。僕だったら、

「あ、どうぞ使ってください。次からご購入時に申し出てくださいね」と、まず、自分の方の理論をつき出すのではなく、相手を立ててから実はこう言う事になっております、という説明をする。

そうなれば当然「あ、そうなんだ。有難う。次はそこで言うよ」となる。

細かい話だが、コミュニケーション能力に欠けているのか、自分の状況を先ず言い放つ人と言うのは増えてきたのかもしれないし、そういう人は増えてきているので、みんなそれで当たり前だと思っているのか、よくわからない。

但し、これを指摘すると、今流行りの「カスハラ」と思われてしまうのだろうか。

春夏秋冬

この言葉も消えつつあるような…。

昔は絶妙な配分だったような気がするが、このところ日本の夏は長い。

もう5~10月は夏だという感じがする。

一年の半分は夏。まだ常夏の島というわけではないが、そのうちそうなるかも。

だが、冬は冬でとんでもない量の雪が降る。

そして、温暖化という事が問題になってからもう何年になるのだろう。

確かに文明の進歩とともにある程度は仕方のないことかもしれない。

その「ある程度」というのはどの程度かよく分からないが。

しかし、僕が思うには、世界に点在しているバカ共がミサイルを撃ちあげては悦に浸り、また別なバカ共は爆弾をあっちこっちに落として破壊しまくっているが、こういったことも温暖化に一役買っているんではないかなぁ。

そりゃあ誰が考えても暑くなるはずだ。

爆弾って多分熱いと思うので。

それだけではない。ほとんどの武器は使えば多分熱を発するだろう。

あのバカ共がいなくなったらそれこそ「ある程度」で推移していけるんじゃないかな。

来年にはまた大規模な太陽フレアが…という噂もある。

あれ、破裂したらもう有無を言わせず終わりだ。

楽で良いだろうけど。

さて、地球っていつまで持つだろう。

いろんなことで終焉に近づいているような気もする。

俺が先か、地球が先か…なんてことはないか。

こんな壮大なスケール、言ってみればどうにも対処できない事柄を考えながら、逮捕された「なんとかの党」の連中を見ているとほとんど「蚤の糞以下」だ。

あれを政党として認める選挙管理体制っていったいどうなっているんだろう。

ただ騒ぎたい連中、有名になりたい奴を政界に送り出す無能さはいったい何なんだろう。

壮大な宇宙の危機感と蚤の糞みたいな連中を並べている自分も嫌になってくる。

今回の題目「春夏秋冬」はいったいどこへいったんだろう。

やっぱり消えつつあるんだろうか…。

5月

偉大なキダタローが亡くなったと聞いた。

直接的な接点はなかったが、その名前を聞くと同じように才気あふれる木田ちゃんを思い出す。

考えてみれば5月18日。

当時31歳だった?若かったなぁ。驚くことに44年前?

僕も省悟も30歳だった。

3人で夜のすすきのをふらふらと歩いてホテルに戻ったことをよく思い出す。

神戸国際会館の帰り、木田ちゃんが借りてきたフェアレディ―Zで3人ワイワイ言いながら帰ってきたなぁ。

石川さん(鷹彦さん)と4人でつまらない遊びを考えだしたこともよく覚えている。

いや、僕ら4人は結構楽しんだが。

木田ちゃんは僕や省悟よりもひとつ年上。

でも、いつもにこやかに一歩引いているようなところがある人だったなぁ。

そして、どこかすっとぼけた人だった。

俗にいう天才ってあんな感じかな?

しつこいようだが….あれから44年?

近所

いつもウオーキングをしているコースに風変わりな家がある。

アパート然としているが、その玄関には無数の靴が重なり合うように置かれている。

いや、脱ぎ捨てられている。

ある靴は廊下まで、ある靴は外にまで飛び出している。

推定50~60足。

因みに玄関はいつも開いている。暗くなっても、だ。

作りが普通のちょっと大きめの家、といった見かけなので、もしかしたら何かの教室で多くの人が集まっているのかな?と、最初は思っていた。

が、どうやらそこには外国人が一杯住んでいるようだ。

アパートだったわけだ。

そして横の方の軒下にはおよそ4~50着の洗濯ものがいつもかかっている。

勿論、僕も雨の日には通らないが、曇った日でも必ず大量の洗濯ものがぶら下がっている。

あまり人を見かけないのでみんな仕事に行っているのだろう。

数回、インド系の人を見たので、そうか外国人向けのアパートだと分かったわけだ。

どれだけの人数が居るか分からないが、靴の数を見るに15人以上は住んでいるのかな?

同じ国の人かな?

アメリカに居る時、メキシコ人のアパートに行った。

出て来るわ、出て来るわ、7~8人の同居人。2ベッドルームくらいのそれほど大きくない部屋にみんなで住んでいるらしい。

5人くらいが「ホセ」だった。

マイクの所も彼以外は家族のメンバーだったが7人くらいで住んでいたな。

どこもみんな仕事に出掛けるし昼はがら空きになる。

ハリーさんも言っていた「誰か一人が先に来て、仕事をしながらリサーチを重ね、みんなを呼んで、それ!とばかりに仕事に繰り出す」

凄いパワーだな。

この日本でもみんながんばっているんだなぁ。

円安はかなり痛いだろうなぁ。

なんていうことを考えながら、今日も乱雑に脱ぎ捨てられている靴を横目で見ながら歩く。

今度、数を数えてみようかな…て、そんなことをして何になる?

いや、いっそのこと綺麗に揃えておいてあげるか…て、単なる怪しいおじさんだ。

テレビ

ここ最近、テレビをつけることがほとんどなくなった。

勿論、電気代の節約もあるが、あまりに馬鹿げている企画が多すぎるからだ。

それでもニュースは見るが、ある一定の時間を過ぎるとほとんどが食レポになるので、よっぽど興味が湧かない限り消してしまう。

あ、それとドジャースやっているかな?と思ってつけてみることはある。

また山本が打たれている。大谷、今日は全然だめだなぁ。観るの止めよう…とか。

後はBSなどで時々興味深いドキュメンタリーを観たり。

中にはとてもためになる企画もあるし。

知らなかったことや、あらためて確認できることなど、たまには良いものだ。

しかし、もう何度もおなじことを書いているかもしれないが、飢えた子供たちや、血まみれで運ばれている人たちの映像の後で、芸能人が食べて食べて食べつくす!なんていう番組の宣伝を見てしまうと、正直「バカか、こいつら」とか思ってしまう。

あの大食いの企画だけはもう止めてほしい。

別に観なければ問題ないか。

しかし、日本人の7~8割は芸能人が美味しいもの食べているのを観るのが好きなのかなぁ。

それに、一般の人にしても自分がなにか食べているところを動画に撮って他人に見せている神経がよくわからない。

ま、世の中の動きと共に人間の感性も変わってきているのだろうし、一概に毛嫌いもできないのだが。

小学生の頃、初めて家にテレビが来た時のワクワク感はよく覚えている。

それまでは街頭テレビで…いや、何を見ていたのかは覚えていない。

近所のお米屋さんの軒先で相撲をみたような覚えもあるような、無いような…。

ビートルズの来日時は数人の友達が僕の家に集まって食い入るように画面を観ていた。

あんまりよく見えなかったが。

アポロ11号、月面着陸の時も興奮してみていたなぁ。

そう言えばこんなジョークが有った「アポロ13号はフォレスト・ガンプが操縦してたんだ!じゃぁ問題が起きても仕方ない」

話がそれたけど、以後、中東の戦争はテレビでオンエアーされるまでになったし、9・11は日本の人達が映画の宣伝かと思ったらしい。

これからも日本のテレビ業界は今の様な感じでいくのかなぁ。

まぁ、何も考えなくていい、というコンセプトなら今のままでいいか。

Back to Banjo 詳細 後編

9   Steam Powered Aereo Plane

スティーム・パワード・エアロプレイン、John Hartfordの素晴らしいアルバムAereo Plainから。アルバムタイトルはPlainそして曲はPlaneよく分からない。とに角名曲中の名曲といえるだろう。そして彼の、彼等の(タット・テイラー、ノーマン・ブレイク、ヴァッサー・クレメンツ、ランディ・スクラッグス)演奏も素晴らしく、このアルバムはある意味ブルーグラス音楽のバイブルのひとつ、と云えるかもしれない。

因みに彼は12月30日生まれ。1937年というから丁度一回り違いだ。

この曲からベースの河合徹三氏が音に厚みを、そして小気味よいリズムを加えてくれた。

10   Misty / Sleepwalk

超有名なジャズ・スタンダード。何も言う事はないが、こういう曲をバンジョーで考えるのは大好きだ。2曲目のスリープウォークも、バンジョーで演奏すること自体普通では考えられない事だ。元々スティールギターの曲で、リッチー・ヴァレンスの伝記映画「ラ・バンバ」で冒頭から使われていたのが凄く印象的だった。アメリカで観た映画で、映画館の中はヒスパニック系の子供たちが(小学生だろうか)先生に連れられて、映画鑑賞の時間を過ごしていた。そして映画が終わった途端、女の子の大きな泣き声が聞こえたことをよく覚えている。

11   Irish Washerwoman / Morrison’s

アイルランドの洗濯女というこの曲は、恐らく世界で最も知られているアイリッシュ・ジグだろう。なので,ほとんど演奏したことはない。ここにきて何故か5弦バンジョーを使ってみたら意外とマッチした。敢えて少しストレート気味に弾いてみた。

同じく2曲目のモリソンズもよく知られている、言うなれば初心者曲である。敢えてその二つをつなげてみたら、なかなかうまくいったような気がする。何となくこれを録音するのは恥ずかしいかな?と感じていたが、出来上がりを聴いてみると、どうしてどうして、どちらもなかなかいい曲じゃないか!と思えるようにもなってきたから不思議だ。  

12 Tribute to Peadar O’Donnell

トリビュート・トゥ・パダー・オドンネル。この曲を初めて聴いたのは随分昔だ。多分1985年のMoving Heartsのアルバムで。その時から何故か頭から離れることはなかった。特に最初のエアーの部分はいつかギターで弾きたいと思っていたので、それは既に録音済みだが。今回はバンジョーで、と考えた。どうしてもギターの様なふくらみを持った音にはならないが、何とかなるかな?とおもいながら作ってみた。これは音の延びる楽器向きだとは思うがこの際、好きな曲という事で。続くジグはいかにもドーナル・ラニーの好みだ。ひたすらややこしく作られている。こういうものにハマってしまうと大変だ。

13  Time After Time

タイム・アフター・タイムは僕がポップスの中でも最も好きな歌の1つ。このアルバムShe’s So Unusualは僕の愛聴盤だった。この手のものではJanis JoplinのCheap Thrills以来の興奮だったかもしれない。

14  Back to Banjo

敢えてこのタイトルにしてみた。メドレーでロンサムロード・ブルース、シャッキン・ザ・コーン、グランド・スピード、ディア・オールド・ディキシー、そしてフォギー・マウンテン・ブレイクダウン、これは練習が必要だった。これらの曲はもうほとんど弾いていなかったからだ。フォギー…は別格だったが。スリーフィンガースタイル、正確にはスクラッグス・スタイル。一筋縄ではいかない。1964年頃、初めてバンジョーの音色を聴いた時の衝撃を、そして興奮を思い出して何度も何度も弾いてみたが、あの頃のようにはいかない。100回弾いても飽きなかったあの頃。今も飽きてしまうわけではないが、そこまでの根気が続かない。他にしたいことがあるわけでもないのに。他にしなければいけないことがあるわけでもないのに。それでもBack to Banjoと謳った以上頑張らなくては、と久々にすっ飛ばしを決め込み、少しは頑張った…と思う。

15 Shenandoah

この曲に初めて出会ったのはミッチ・ミラー合唱団によるEP盤だったと記憶している。調べてみると1963年だそうだ。西部開拓史という映画のサウンドトラック。それにシェナンドーを歌っていたのはノーマン・ルボフ合唱団だそうだ。裏面の「ジョニーが凱旋するとき」がミッチ・ミラー合唱団だったようだ。実際にはそちらを聴きたくて購入したレコードだったのだろうか。あまりよく覚えていないが、A面のシェナンドーもいたく気に入ったものだった。そしてその頃からギターではよく弾いていたが、後に手に入れたバンジョーでもポロポロと弾いていた。Back in the Day…..

Back to Banjo 詳細 前編

ライナー・ノーツに書き切れなかった解説をここに掲載します。

Back to Banjo このタイトルに決めたストーリーについては、既にアルバムで書いたのですが、もう一つ候補が有りました。それは「Return to Banjo」

これを教えてくれたのはTaisukeでした。彼曰くBack to Banjoはそのストーリーが有れば変ではないけど、そのストーリーを知らなければ少し変。変というか、ワイドな意味合いが無くなる。おそらくその状況下にあって、バンジョーに戻ろう、という解釈と、さぁ、またバンジョーに戻ってみるか、というニュアンスの違い、という事。

おー、そうか、なるほど。難しいもんだ。でもここはその状況下に於いてその言葉から発したことなのでBack… で行っても大丈夫だろう、という結論に達しました。タイトルを決めるのもなかなか大変です。

ところで、表紙の写真についてここに書かせていただきます。

よく、あちらこちらの店で猫のキャラクター付きの商品を見かけては「何でも猫を使えば売れると思いやがって!」なんて文句を言っていた僕ですが、とうとうその波に遅ればせながら乗ってしまいました。

でも、ストーリーはこんな風に始まったのです。

2019年、夏の早朝、ウォーキングからの帰り道、近くの駐輪場あたりから子猫の鳴き声が聞こえてきました。

何気なしに覗いてみると、生後間もない子猫がじっとこちらを見ています。

ちょっと腕を伸ばしてみたら、すんなりと手の中に納まってしまいました。

困ってしまってワンワンワワンではなく、ニャンニャンニャニャンです。

取りあえず連れて帰り、ぬるま湯で身体を洗ってみました。

まっちゃ色の水がしたたり落ちて、血尿が出たかとビビリましたが、どうやらかなり汚れていたようでした。

すぐ希花さんに連絡をいれました。

「こんなのが落ちていたんだけど、どうしたらいい?」と。

そして取りあえず、動物病院で何かしらの処理をしていただきました。

その後、連れて帰ったのですが、かなりよくできた子猫で、泣かないし、用意したトイレでちゃんと用を足すし、とても大人しく、借りてきた猫のような猫です。

そこで何気なし、置いてあったグレートレイクスのヴァンガードの上に乗せてみました。

ライナーの表紙、白黒の写真が最初のショット。

少し恐れおののいている表情が伺われるのは、これの皮にされるんではないか?と思ったからでしょうか…てなわけないか。

表紙のショットは少し落ち着いて周りを見回すような仕草。

このCDのことを考え始めたのとほぼ同時に「そうだ!あの時の写真」と思ったのでした。

なお、現在この子は友人のアルマジロ君の伴侶となっています。

相変わらずとても大人しく、人当たりもよく、どこへ何時間連れて行っても何一つ文句も言わず、巷の噂では「飼い主より良くできた猫」と云われております。Got Banjo?

1 Got Banjo?

  Cripple Creek / Devil’s Dream / Cherokee Shuffle

クリプル・クリークはバンジョーの基本的チューンとでも云おうか、あまりマジに弾くこともないくらいに知られ過ぎてしまっていると感じるこの曲から敢えてスタートしてみた。久しぶりに弾くと、あ、やっぱりいい曲だな、なんて思ってしまう。デビルス・ドリームは、敬愛する故ビル・キースのスタイル。この曲はアイリッシュ・チューンのMason’s Apronと同系列のものと思われる。1984年にワシントンDCのグループ、Grazz Matazzのフィドラー、マイクと、二人でよくこの2曲を交互に演奏したものだった。チェロキー・シャッフルはアイルランドでも人気のある曲でジャムでも何故かたまに出てくる。美しいメロディーをもった曲だと思う。ロスト・インディアンというイースト・ケンタッキーに伝わる古いフィドル・チューンと同系列の曲。なお、このひとくくりのタイトルはCMの「Got Milk?」から取ったものです。この表現もちょっと古いな、と言われましたが、ま、古い人間ですから仕方ないかな。言葉も時代時代で変化するものですね。

2 Good Time Charlie’s Got the Blues

グッドタイム・チャーリー・ゴット・ザ・ブルース、日本語タイトルで「オールのない舟」というのもあるらしい。ダニー・オキーフ1967年の作品。グッドタイム・チャーリーとは一般的には「放蕩者」とか「気楽な男」とかそんな意味で使われるらしい。古い言葉だろうけど。この街に暮らすのは時間の無駄だと、多くの友人が街を出て行った。ある者は貨物列車で、ある者は飛行機で。確かに彼らは正しい。そこで勝者になる奴もいるし、敗者になる奴もいる。俺だっていつまでもこうしてはいられない、と思う事もあるけど、このままでも気楽でいいか。閉塞感と将来への不安。面白いことに歌詞の中では「もう俺も33にもなるし…」という部分が出てくる。33歳、僕はソフト・シューズを出した少し後だったか…。人生半ば。いろいろ考え始める頃か。そしてあきらめと自己肯定の中でまた歳をかさねていく。

3 Few Bob / The Harp and the Shamrock

ヒュー・ボブはあまりポピュラーな曲ではないが、綺麗なメロディーだと思う。ひょんなことからこんな曲を見つけるのは非常に面白いことだ。ハープ・アンド・シャムロックはとてもポピュラーな曲。これも綺麗なメロディーを持った曲だと思う。このようなGのホーンパイプは5弦バンジョーにとてもよく合うものだと感じる。

4 My Love She’s But a Lassie Yet / Mississippi Sawyer

マイラブ・シーズ・バット・ア・ラッシー・イェット、これは古いスコットランドの曲だが、ここではビル・キースの演奏から学んだメロディーをクロウハンマーで演奏してみた。かなり難易度が高く、小林氏は「頭のてっぺんが焦げそう」という実に的を得た表現をした。確かにそれくらいに複雑な右手と左手の組み合わせになっているかもしれないが、僕自身がメロディックスタイルからアレンジしたものなので仕方がない。原曲はかなりシンプルだ。ミシシッピー・ソウヤ―はかなりポピュラーなフィドル・チューン。これも一見シンプルそうに感じるがそこそこ難易度は高い。

5  Boyne Water / A Minor Breakdown

ボイン・ウォーターはAllison De Grootの演奏から学んだ。いろいろ調べてみると結構有名な曲で歌詞も付いているようだ。なかなかいいメロディーだな、と思う。マイナー・ブレークダウンはGreen Brier BoysのBob Yellinが書いた、とても東洋的、或いは中東的な曲。それもそのはず、彼は作曲当初まだタイトルを決めかねていて「The Mount Sinai Breakdown」と呼んでいたそうだ。実際はもう少し、というか「かなり」ともいえるくらいに早く、そして高いキーで演奏されているが、ここでは前曲とのかみ合わせを考えて少しペースを落としてみた。長年お気に入りの曲のひとつだ。

余談だが、彼の使用していたバンジョーはGibson RB-4であり、同じくバンジョープレイヤーのRoger Sprungのアドバイスで1958年に$125で購入したもの、という事らしい。

6  La Bruxa

ラ・ブルハ、これは「魔女」というとても官能的な曲だ。ガリシアのバンドMilladoiroのメンバーAnton Seoaneの作品。初めてこの曲に出会ったのはJody’s Heavenのレコーディングの時だった。まさか僕自身、この曲をバンジョーで演奏するとは思っていなかったが、何気なく弾いてみたところ「なかなかいいかな?」と思い、今回録音することにした。

7  Gold Ring

大好きなジグ。初めて聴いたのは多分Boys of the Loughのレコーディングだっただろう。アイリッシュミュージックを始めるよりもかなり前から知っていたものだ。いくつかのバージョンがあるがこのバージョンが弾きやすかった。2弦をCにしたマウンテンマイナーチューニングで試したところしっかりハマってくれたようだ。どこもかしこも同じようなところを行ったり来たりする、こういったチューンを何百曲も覚えることがこの音楽の醍醐味でもある。また、そのような曲を如何に盛り上げるかを考えながら伴奏をするのも同じくこの音楽の醍醐味である。

8   Calum’s Road / Planxty Fitzgerald

カルムス・ロード、Donald Shawの作品。これはバンジョー弾きのBrian McGrathから学んだ。最初聴いた時はなんかちょっとダサイ曲だな…なんて思っていたが徐々にハマってきた。そういう曲って結構あるかもしれない。プランクスティ・フィッツジェラルドはハープ奏者のMichael Rooneyの曲。この人いい曲を一杯書いている。アイリッシュ・ハープの代名詞ともいえる人だ。これもつい最近East West Fiddlesで録音したが、ここではバンジョーで、また違ったいい味が出たと思う。コード進行も結構きれいな感じ。

後編に続く…

発送

Back to Banjo 予想よりも早く出来上がったので、連休明けと共に、ご入金された方から順次、発送を開始させていただきました。

因みに、ニュースなどでも順次という言葉が出るとついつい返事をしてしまいそうになりますが、それはともかく、今週中(5月9~10日)くらいにはほとんどの方に届くと思います。

遠方の方にも来週早々届くと思います。郵便局の方々に感謝!

さて、ここでひとつお知らせしておきます。

言ってみれば個人的なお知らせなので、ここに書く必要があるかどうかは疑問ですが。

今回、ご入金された方の中に「城田純二」としてお振込みされた方がいらっしゃいます。

僕には身に覚えがないので、おそらく焦って僕の名前を入力してしまったと思いますが、

お振り込みのお知らせには名前しか表示されないので全く手がかりが有りません。

「入金は済ませたのにCDが届きません」という問い合わせまで待っても良いのですが、

もし、身に覚えのある方、或いはいくら待っても届かない、という方がいらっしゃったら、

何月なん日にお振込みされたかを明記の上、10strings迄、メールを頂けたら幸いです。

このコラムを読まれている方であることを祈って。

ところで、暑くなってきましたね。

冷麺が食べたくなる季節。

ベトナムサンドイッチ作りに凝っているのですが、当地で500人超の食中毒が発生した、というニュースが飛び込んできました。

夏に限ったことではありませんが、これからの季節、特に気を付けましょう。

通常の衛生観念ではこの気候変動には追い付かないと感じます。

2024年

とうとうアメリカの大学でまた学生運動が起こった。

しかし、ベトナム戦争当時のそれとは明らかに違う。

当時のアメリカは、そして徴兵を控えていた学生たちにはもっと深刻な状況だっただろう。

今回のデモは、間接的(と言ってしまえば確かにそうである)な戦争への加担に対するものである、という部分が大きい。

しかし日本は平和だ。

政治家は我が身の懐を肥やすことくらいしか考えていないし、一般の人は芸能人が食事をしているのを見るのが好きみたいだし、本当に平和だなぁと思ってしまう。

僕が本当にそれを感じたのは、やはりアメリカに居た時だったろうか。

人種差別的なことも多くのシーンで感じたし、ベトナムからの帰還兵も沢山知っていたし。

コロンバスデー(コロンバスが最初の航海を始めた日)にビルの谷間をぬって飛ぶブルーエンゼルスの爆音に、耳を塞いで叫び声をあげ、キッチンの隅に隠れたベトナム人の若い子。

当時はもうベトナム戦争から随分と時は経っていたが、周りのほとんどはボート・ピープルだった。

ひょっとしたら彼らにとってはもう過去の事になりつつあったのかな。それでも心の傷はそう簡単に癒えることはないだろう。

初めて聞いた話なんかも含めて、僕自身は時代を引き戻されたように感じていたのかもしれない。

UCバークレーのキャンパスを歩いていた時も「サークルゲーム」が頭の中をクルクル回っていた覚えがある。

今起きている出来事を見て、少しばかり思い出してしまった。

世界はどんどん悪い方向に向かっている様な気もするが、僕が体験した9・11当時の静まり返ったアメリカ、その後のイラク戦争…全てが繫がっている…と感じる。

僕らがこの世を去った後、いったいどうなっているんだろうか。

母親、ピアノ、ウイスキー

2023年の6月に、フジコ・ヘミングをテレビ番組で観ながら、ウイスキーを呑み、昔を想い出した、と云うようなことを書いた。

幼少期の自分と母親とピアノの関係が、とてもよく似ていたことも有ったのだろうか。

そして心に沁みるピアノ演奏に乾杯でもしたかったのだろうか。

なぜあんなにも打ち込んでいた(だろう)ピアノを僕は止めたんだろうか。

それほどまでに母親の死はショックだったのだろうか。

ちょうどまだよく分からない年齢から、少しずついろんなことが分かってくる、というか自己が形成されていく年齢だったんだろうな。

自分の意識と無意識が交錯するような…。

一旦は手放してしまった音楽と、結局は人生を共に歩んで来た。

年齢のせいかそんな昔の事などをよく想い出したりするが、フジコ・ヘミングのドキュメンタリーは刺さるものがあった。

92歳か…。

また今晩はウイスキーでも…って、あ、なかったんだ。

もう5月になってしまった

今日気がついたのだが、1975年の4月30日がベトナム戦争終結の日という事らしい。

僕らの世代、最も身近な出来事のひとつだったであろうベトナム戦争。

何も知らずに呑気に反戦歌なんか歌ったりしていた。

後に多くのベトナム人との接点があった僕としては考えることが多々あった。

それはそれで自己を責めることではないし、他者を責めることでもないと思うが。

何をしたところでバカは止められない。

政治的、宗教的な関わりがあるのでひとくくりにして「バカ」とは言えないが、単純に考えてもバカであることに間違いはない。

この世に人類が誕生してからは仕方のないことだろうか。

日本でもいまだに原爆の影響で苦しむ人がいるように、ベトナムでもいまだに枯葉剤の影響で苦しんでいる人が一杯いる。

分かりきっていることなのに忘れられていく。

忘れて次に進むことは大切だが、忘れて繰り返すのはダメだろう。

今起きていることはその連続だ。

今朝、ニュース番組で、戦争終結から49年のベトナムという特集をやっていて、ふと、こんなことを感じてしまった。

人類は進化しているのかもしれないが、進歩しているのだろうか。

しかし、進化と進歩の定義は難しい。

大谷は進化している人類の姿だろうか?

いや、あれは日ごろの努力で進歩している結果なんだろう。

そしてそれが進化へと繋がっていくんだろう。

人類が進化したら5秒台で100m走る奴なんて出てくるだろうか?

200㎞のボールを投げるピッチャーなんて出てきたら、バッターボックスには危なくて立てないだろうなぁ…なんてしょうもないことを考えてしまう。

あ~僕ももう少し進歩しなければ…。

なんだかわけが分からなくなってきたのでこの辺で後退しますが、ベトナム戦争終結から49年。

約半世紀前、ナターシャーセブンは日本全国を旅していました。

双子

最近よく行っているスーパーのアジア人トリオ、ニャン、テー、オウの3人組の内、オウさんが双子だという事が判明した。

トリオではなくクヮルテットだったわけだ。

「なんか今日は雰囲気が違うね」と言ったら「あたしたち双子です」という答えが返ってきた。

僕は今迄どちらとよく話をしていたんだろう。

どちらも、だったんだろうけど全然気がつかなかった。

むかし、アメリカで勤めていたレストランに同じく双子のウエイトレスがいた。

シャーニーとシャーレットという姉妹だったが、時々お客さんが戸惑いを見せていた。

この二人は割と分かり易く、性格も全く正反対だった。

シャーレットは見た感じ地味だったけど、かなり行動的だったが、シャーニーは派手な見た目のわりに大人しかったようだった。

2人が一緒に働いている時が良く有ったのでこちらは分かり易かったが、オウさんの場合、次回スーパーに行ったらシフトの事など知らないし、多分どっちだか分からない。

取りあえずオウさん、と言っておけばいいか。

ずいぶん前、僕らは、おすぎとピーコのふたりと、時々永さん繋がりで一緒になる事があったが、その時も「あ、久しぶり」と言うと「さっき会ったじゃない」とか言われたものだ。

省ちゃんにはその違いが分かったようだが、僕にはさっぱりだった。

僕の周りにはそれくらいだったかな。

ところで今回の「双子」というコラムには関係ない話を思い出した。

といえども、シャーニーから聞いた話。

ある時、彼女の友人がラス・ベガスに行っていて、夜そこそこ遅い時間にホテルのエレベーターに乗った。

その時は一人で、早く扉が閉まらないかなぁ、と思っていたそうだが、案の定、閉まる直前に屈強そうな黒人が二人乗ってきた。

彼女は一瞬固まったそうだが、その時彼らが発した言葉で一層恐怖に襲われた。

「Hit the Floor」「床に伏せろ」彼女は、命ばかりは御助けを、とばかり床に伏せたそうだ。

それを見た黒人の二人はポカンとして「What are you doin’ lady?」と。

なんと彼らの発した言葉は「Hit Fourth」「4階を押してくれ」と言うものだった。

状況が状況だっただけに分からないことはないが、ネイティブスピーカーでもそんなことがあるんだなぁ、と感心してしまった。だが、話はそれで終わらない。

翌朝、チェックアウトの為にフロントに行った彼女。また驚いた。

「料金は支払われております。はい、エディ・マーフィー様で」

なんと彼等、エディ・マーフィーのセキュリティだったのだ。

床に伏せた彼女、よっぽど哀れに見えたんだろうなぁ。

暑くなってきました

さて、ここしばらくはBack to Banjoに関することばかりでした。

録音ではさすがに少々疲れたようでしたが、これを調整するエンジニアの田村さんはもっと疲れるんじゃないかな。

僕は自分の事だし、あーだのこーだの要望を出せばいいけど、それをことごとく聞きながら、ずっとコンピューターの画面を見ながら、そして音を聴きながら答えていくわけなので、エンジニアは疲れると思う。

それに、常に別な顧客も抱えているのだろうし。

やっぱり本当に貴重な存在はどんなことにせよそれを支えてくれる人だ。

なので宅配の人やスーパーのレジなどで文句を言う人の神経がよく分からない。

明らかに「これは許せん」というような状況でない限りは普通に振る舞うべきだ。

その尺度は人それぞれかもしれないが、それを差し引いても、と思う事もある。

近所のコンビニに、もう10年も働いている、それもこの人、寝る時間あるのだろうか?と思うくらいにいつでも働いている女の子がいる。

しかもよく動く。すごく仕事ができそう。

ところが愛想がまるでない。

けっして態度が悪いわけではない。

ただただ余計なことは一切言わず、マニュアル通りの対応をするが、確かに仕事は出来そう。

一度だけ、ちょっとひょろっとしていて本田翼的なところがあるので「あんた本田翼みたいだね」と言ったら突然顔が真っ赤になって「あたしあんなに可愛くないです!」と言った。

10年でその時だけだ。余分な話をしたのは。

最近友人が、道路工事の場でよく立っている警備員の仕事を始めたが、話を聞く限りあれもかなり大変そうな仕事だ。

友人が始めたことがきっかけで、僕は必ず彼らに「お疲れ様です」と声をかけるようにしている。

何故ならば、今まではもう少し誰でも出来そうな仕事だと勘違いしていたからだ。

話は飛ぶが、よくスーパーなどで奥の部屋から売り場に出入りする従業員たちがお辞儀をしているのを見かけるが、あれ、要らないんじゃないかな、と僕は思う。

別にふんぞり返って出てくるようなこともないし、普通に出入りしたらいいんじゃないかなと思ってしまう。

眼鏡屋さんでお客さんの後ろ姿にいつまでも深々とお辞儀をする従業員たち。

新幹線で車両ごとにお辞儀をする乗務員たち。

スーパー開店時にズラッと並んでお辞儀。あれ、苦手だ。1分くらいなのかな。

駅にはスーパーの中を抜けて行くのでその時間は避けたい。

逆に「あなたたちのおかげで僕らの生活が成り立っているのです。なにもそこまで…」と言いたい。

「お客様は神様」を勘違いした昭和の名残、というのもあるんだろうな。

だいぶ暑くなってきました。

疲れはそれもあるのかもしれません。

僕はどちらかと言えば寒い方が好き。なんか気持ちがシャキッとするし。

なので冬も温かい部屋が苦手。

これからは今どころじゃないだろうな。

ドバイか東京か、どちらが暑いか、なんていう日が来るんだろうなぁ。

思い出す。あの口から吐く息が熱かったドバイのお昼時。

アラビアのロレンスを彷彿とさせる、砂漠にしずむぼんやりした太陽。

黄砂のせいもあるかもしれないが、よく似ている。

とりとめもない文章になったけど、疲れているという云い訳で……ダメか!

ご注文有難うございます

続々とご注文いただいております。

残りわずか、、、嘘です!嘘は政治の世界だけで充分です。

1か月先の発売ですが、早速ご注文いただき感謝です。

とか言うのも、僕はご存知のように古い人間で、ちゃんと注文が入っているだろうか?なんて自分だったら気になってしまうのです。

ツアー先の宿泊も僕が電話で予約を入れようとすると希花さんが言ったこと「ネットの方が記録が残る。電話じゃァ、聞いてない、と云われりゃハイそれまでよ(とは言わなかったが)」

それは確かに一理ある。

でも、なんか相手の声を聞く安心感というものに囚われてしまっていた。

今ではネットの方が安くなるということも分かってきたが。

他にはずっと前、サンフランシスコからニューヨークに行くとき、HISでチケットを買ったら「イーチケット」と云われて心の中で「悪いチケットってあるのかな」と思ったもんだ。

E ticket なるものを初めて使ったのもその時だった。

やっぱりなんか自分でチケットを持っていないと心配だった記憶がある。

世の中の変化になかなかついて行けない。

バーコードなるものを初めてみた時、省ちゃんと二人で「なんやろこれ?」といろんな角度から見たものだ。

今ではあのQRコードというやつ。あれいったいどうなっているんだろう。

しかし、これ、逆もまた真なり。

初めてカセットテープを見た希花さんが躊躇することなく耳に当てていたことを思うと、世の中面白いものだ。

結局何を言いたいかというと「安心してください(ご注文は)入ってます」

皆さん、有難うございます。

だいぶ首が伸びると思いますがしばらくお待ちください。

Back to Banjoご注文について

コラムで紹介させていただいた新たなアルバム「Back to Banjo」についてのご注文はこちらへどうぞ! よろしくお願い致します。

先行予約を開始いたします。

https://tenstrings.easy-myshop.jp

New Albumのお知らせ

4月って結構長く感じます。

それまでの、特に2月、3月あたりはどうしてか分かりませんが、あっという間に過ぎていったような気がしますが。

これも自分次第でしょうね。

さて、その4月に入ってからレコーディングをしておりました。

去年の夏頃から考えていたことですが。

人生も終わりに近づいて、ここらで今一度バンジョーをフィーチャーしたアルバムを、と思った事からでした。

これが城田純二名義の最後のアルバムになるのか、はたまた終わりの始まりなのか(バカボンパパみたいですね)それはまだ分かりませんが、いままでこの60年あまりを共に過ごしてきたバンジョーと、その演奏に活力を与えてくれた皆さんに感謝の気持ちを込めて作ったアルバムです。

タイトルは「Back to Banjo」

約54分、全編バンジョーが鳴りっぱなし。

速いブルーグラスチューンから、あまり5弦バンジョーでは弾かれてこなかったアイリッシュチューン、ポピュラーな曲からジャジーな曲まで、盛り沢山のこのアルバムはきっと皆さんに満足いただけると勝手に信じております。

本当に久しぶりのバンジョーに明け暮れた日々でした。

エンジニアの田村氏、ジャケットデザインを担当していただいた夏子さん、そしてアルバム後半にベースで参加していただいた河合氏。

彼等に支えられて良いアルバムになったと確信しております。

そしてなにより、皆さんの今までの支えが必要不可欠でした。

多分5月の中旬か後半にはリリースできると思います。

(今の処5月23日発売の予定)

ご注文方法や先行予約に関する情報は近々HPのCD案内に掲載いたします。

皆さん、どうかよろしくお願い致します。

我夢土下座と共に 2024年4月13日 西尾市

久しぶりの遠征は、言わずと知れた我夢土下座とのジョイント。

僕の大好きな人達だ。

1971年の頃から…記録によると9月くらいからの付き合いらしい。

とんでもない連中に関わってしまった、と言うのが最初の印象…だったと思う。

その辺のことは確か別な項目ですでに書いているはずだが。

みんな若かった。もちろん、僕なんか21歳?だったかな?計算すればすぐ分かるが、まぁいいだろう。とに角みんな若かった。

若い時からたぐさんは渋かった。無表情ともいえる淡々と歌うその様、歌声は心打つものがあった。

今回もじっくり聴かせてもらったし、もしかしたら初めてだったかもしれないが、まともにハモッていただいて一緒に唄った。

もちろん進ちゃんにも手伝ってもらったし、なんやかやメンバー全員の名前が出てこないし、顔と名前が一致しなかったりで申し訳ない。

僕は省ちゃんや進ちゃんほど彼等と繋がっていなかったので、無理もないと思うが。

彼等グループの織りなすサウンドはとても真面目で清らかな自然のイメージがある。

ブレンダン・ベグリーに連れて行かれた、大西洋を見下ろす崖。

そこで大自然の織りなすそのすべての音、音として聞こえてこない「なにか」までが音楽だ、と感じ、彼らの織りなすサウンドが僕の心の中でひとつになっていた。

そんな彼等との音楽会は僕にとっても至福のひとときとなったし、おそらく集まっていただいた皆さんにも喜んでいただいたことだろう。

数か月前、西尾の「て―さん」から「よー!我夢土下座と一緒にやらんか?どうやろか?」みたいなお話をいただいて、喜んで参加させていただくことにしたのは正解だった。

あんまりやり過ぎると飽きられてしまうかもしれないが、彼等もそうしょっちゅう出かけられないだろうし、お互い歳も取るし、またいつ出来るか分からないけど、またやりたいと思っている。

こんな機会を与えてくれた「てーさん」とその仲間たちに感謝だ。

そして我夢土下座も今のまま、歌を作り続け、歌い続けて、この大自然の中で生きていってほしい。

折しも今日、西尾から戻ってきたら、イランがイスラエルを攻撃した、というニュースが流れてきた。

せっかくの大自然を破壊することしか頭にない最低のバカどもはいつまでそんなことを続けるつもりなんだろう。

僕はジェイミー・フォックスの出ていた2007年の映画「The Kingdom」のラスト・シーンを思い出してしまうのだ。

それでも、我夢土下座との余韻に浸れる僕は幸せだと感じている。

あれよあれよと云う間に

光陰矢の如し、あれよあれよと云う間に…本当に気がついたらもうすぐ4月。

つい最近まで、ウオーキングをしていると「ホー…ホー…ホゲギョ」と、ぎこちない鳴き方をしているうぐいすがいた。

しばらくするとそれは「ホー、ホゲキョ」と変わっていた。

そろそろ「ホーホケキョ!」と変化を見せてくれるだろう。

ところで、ここのところ世間の風当たりがきつい。

僕はこう言うのだが、要するに風の強い日がやけに多いような気がする。

窓ガラスがピューピュー鳴ったり、ゴウゴウという風の音が聴こえたり、なんかが吹き飛んでいくような音も聞こえたりする。

毎回「春の嵐」のようだ。恋人よさようなら…♪は海の嵐…か。

世間では今、大谷、水原の事で大変。

どちらも珍しい苗字ではないので、こんな時に大谷家と水原家の結婚式なんてあったらとても面白いのになぁ、なんてあまり公には言えないことを考えてしまう。

しょうもないうそつき議員どもの裏金問題もかすむ位のビッグニュースだ。

あれも何だかうやむやになって、そのうち忘れられるんだろうなぁ。

嘘つきが嘘つきに密室で「嘘ついてないだろうな?」と問い合わせても無理がある、と思うのは僕だけだろうか。

さて、アメリカはまたトランプなんだろうか。

ネタニヤフとプーチンは現代のヒットラーのまま突き進むのだろうか。

挙げればきりがないほどあっちこっちでいろんな事が起き、また起きつつある。

願わくば、良い春になってほしい。

なんとなく、最近多い地震も怖いけど。

3月

あの地震からもう13年にもなる。

いまだに復興とは程遠い場所もあるだろうし、戻れない所もあるだろう。

その間に多くの議員は自身の懐を満たすことばかりを考えてきた。

挙句の果てに「覚えていない」「公金として使用した」などの逃げ口上や、白々しい嘘の連発を繰り返している。

とに角13年。

あの時は本当に怖かった。

立ち上がることもできなかったし、全てが壁から落ちた廊下をどのようにして外まで出たのか、すら…それこそ「記憶にございません」

薄々思い出すのが、近くのオフィスビルから沢山の人が出て来て、みんなが公園に集まったこと。

その公園の前にあるアパートの室外機が、余震が起こるたびに激しく揺れていたこと。

その時はまだ津波という情報は入ってこなかった、と思う。

しかし、やっぱり地震というのは怖い。

あれ?と思ったらもうアタフタしてしまう。

それに揺れが収まった後もなんか揺れている様な気がする。

皆さんもそれぞれに怖い思いをしたでしょうね。

あの地震の次の日だったか、いや、少したってからか僕は電車に乗って何処かに向かっていた。

何処かの駅でドアが開き、一見労務者風(この文言、大丈夫かな)のおじさんが丸めた新聞を持って入って来た。

さほど混んでいなかったので僕のすぐ近く、向かい側に座った。

すぐに新聞を拡げ、食い入るように見つめていた。

やがて彼は大きな声で「勝てねぇもんだなぁ!」と呟きにしては大きな独り言を発した。

僕は咄嗟に「おじさん、また競馬でスッたか」と心の中で思ってしまった。

するとしばらくして引き続きおじさんが大きな声で言った。

「いや~、自然の力とは恐ろしいもんだなぁ…勝てねぇもんだなぁ」

東北の地震の頃になると必ずおじさんを想い出すが、あの日、本当に辛い思いをした人達、そして今も辛い思いをしている人たちがなんとか幸せに生きていけるように願っている。

見つけた!

なんとキャッチ―なタイトルだろう。

先日、京都からナターシャーの元スタッフ、西田君がやって来た。

ここらではロッキードと呼ばれている彼。

通称名が「コーちゃん」なので、何故そう呼ばれているかはお分かりだろう。

因みに、越路吹雪も「コーちゃん」か…。

彼は、いつもSuicaを探している。

電車に乗る時、電車から降りる時、ポケットからありとあらゆるものを出しては、おかしいなぁ…と。

「さっき財布の中に入れていたけど」と言うと「ほんまか?」と言って今度は財布を探す。

世の中で探し物をすることほど無駄なことはないと思う。

「あれどこいったかな?」とハンガーにかけた上着のポケットを探る時。

絶対にありえない引き出しを開けてみる時。

しまいには冷蔵庫まで開けて財布を探したり…ま、あんまりないか。

僕は割と置き場所を決めている方だが、それでも急いでいたりすると想像もつかないところに置いてしまう事がある。

ロッキードコーちゃんだが、今回も見せてくれた。それも一日に何回も。

アメ横、皮製品の店でベルトを購入した彼。

省ちゃんの買い物の時のように僕は何を見るわけでもなく、店の中を眺めていたら、ふと目に入ったのが古びた皮の財布。

ショーウインドーの上に売り物のようにして置いてあったそれを、僕は「これも売り物?」

と、店の親父さんに訊いたら「それ、わしのや。そんなとこに…」と、コーちゃん。

そのアメ横に出掛けた時も改札口に入る時、出る時、やたらと時間がかかった。

そのおかげで僕はある物を見つけた。

仙台物産展。

なんと「萩の月」と堂々と書いた旗がたなびいているではないか。

まだ探し物に躍起になっているコーちゃんを無視して、僕はそちらの方に吸い寄せられてしまっていた。

つい先日、友人が送ってくれたばかりなのに、そうそう買えないので、また買ってしまおうと、甘いものに本当に目が無い自分を反省しながらも、何といっても萩の月だし、と言い訳をして購入。

やっぱり美味い、お、これはいつものスーパーのアジア人トリオ、ニャンちゃんと王さんとテ―さんにあげようと思い、持って行った。

僕もアメリカで働いていた経験上、よその国で働くのは大変だろうな、と思うので、この子達とはよく会話を楽しんだり、ちょっとしたお菓子を持って行ってあげたりしている。

そしたらテ―さんが、驚いたことに「あ、これ美味しいですよね。仙台のお菓子ですよね」と流暢な日本語で言った。

「おぬし、できるな!」というところだ。

しかし、美味しいお菓子は心を落ち着かせてくれる。

ところでロッキードコーちゃんだが、別れ際「それじゃぁね」と言いながら改札口まで来て、僕が中に入るとまたしても、後ろの方でポケットのものを全部出しながら首をかしげている。

しばらく待ったが一向に見つからないらしい。

ま、帰る方向も逆だし、先に行けばいいか、と手を振って階段を下りた。

戻ってから、立ち寄ったドクターサウンドの小林君に今日のお礼と、結局そういうわけでコーちゃんは置いてきてしまった、とメールしたらこう返事が来た。

「さっきお店で財布出した時、中にSuicaありましたよ」

※なお、コーちゃんは他に類をみないほどに気が利くし、動きも機敏だし、話も頓珍漢なことは無いので、いわゆる「天然」というところなんだろう。

「甘いもの」に関して

前回の「甘いもの」に関して、友人からコメントをもらった。

1人目は酒のみの人。

彼に甘いものは無縁のようだ。

血糖値に気を付けてください、と言っていたが彼曰く「今更高血糖になってもいろんな症状が出るのは10年くらい先」という事。

彼、お医者さんのお得意さんなのでやたらと詳しい。

因みに僕はこんなにも甘いものを好んで食べているが、いままでに血糖値とかで引っかかった事がない。

虫歯も65過ぎてから一回だけ。しかも一日で、一本だけなんかかぶせて終わりという簡単なものだった。

今ではそんなことも無いが、若い時はホールのチョコレートケーキをペロッと食べるくらいだったのに。

これ読んでいる彼はきっと吐きそうになっているだろう。

もう一人、萩の月を送ってくれた友人から。

「萩の月には省悟さんとの想い出もあるのですね」というコメント。

そうです。

彼も好きだったなぁ。

どちらも酒のみではなかったので、コンサート終了後もチョコレートパフェとか食べに行ったりした。

省悟はババロアもかなり好きだったようだ。

「ジジイになってもババロアとはこれ如何に」なんて言っていたかも。でもジジイにならなかった彼だった。

省悟とは絶対に二人でしか成立しない会話が有った。

省悟がめちゃくちゃトイレに行きたいときに「あ~もれそう。モレシャン先生や!」と言うと僕らのPAをやってくれていた人が決まって「旦那、友達やねん!」と言った。

それからはトイレに行きたいとき「あ~旦那友達や!」と言うようになった。

これ、絶対他の人には分からない。

因みに、モレシャン先生とはフランソア・モレシャンの事。

また、サインなどしている時、終わってからマジックのキャップを探して必ず交わす言葉があった。

「キャップはどこや」「ひさごやろ」

これ「事件記者」という50年代後半から60年代半ばまでのテレビ番組で、主役の相沢キャップが必ず「ひさご」という小料理屋に行っていたからだ。

そのうち「ひさごはどこや」ということになり、これまた他の人には絶対にわからない会話となる。

急須は「バンジ」これは分かるかな?

でも関係ない人に突然「すみません。バンジはどこですか?」と訊いても無理だろう。

「甘いもの」を書いたおかげでまた思い出してしまった。

甘いもの

最近また甘いものをよく食べるようになった、と感じている。

自分で「感じている」というのもおかしな話だが。

お正月の伊達巻も今年は自分で作ってみた。

非常に簡単で、しかも市販のものとあまり変わらない見かけのものが出来た。

ま、高級なものと比べると味はフラットかも知れないけど、ああいうものは多分良い魚のすり身と厳選された卵。出汁も厳選されたもの、とか、そういった感じだろう。

僕はスーパーで買ったはんぺん、安い卵。出汁もその辺で売っているものを使うけど、充分満足できるものになった。

伊達巻の違いが分かる男、なんて…。

ホットケーキも100均でリングみたいなやつを買ってきて、そこに流し込んで蓋をして15分位待って背の高い真ん丸のホットケーキにする。

これがまたおしゃれなお店で出している様な感じに出来るんだなぁ。

自分で作ることも好きだけど、最近のコンビニのスイーツはあなどれない。

洋菓子も和菓子もちょっと食べたくなったら手軽に買うことが出来るし、値段だって比較的安い。

日本はたいしたものだ。

でも、やっぱり東京で言えば、大國屋のおだんご、谷口商店の甘納豆、ポルトガル菓子ド―ス・イスピーガのプリン、京都は出町双葉の豆大福などは絶品。

静岡発祥のキルフェボンのタルトとか、言い始めたらきりがない。

八天堂のクリームパンとか…饅頭好きの省悟も好きだろうなぁ。

東芝で107ソングブックシリーズの録音が終わったら、プールに寒天やプリンを作って飛び込みたいとか二人で言っていたなぁ。

最近想い出したもので、萩の月、というお菓子がある。

仙台のお菓子だが、僕はこんなことをよく覚えている。

ナターシャーで東北をまわっていた時、汽車の窓から…ハンカチは振っていない…何気なく、流れていく外の景色を見ていた。

見渡す限りの田んぼだった。

その前の晩だったか、前の前の晩だったか、省悟と二人でホテルの部屋でテレビを観ていた。

なんかUFOに連れ去られたという農家のおじさんが出ていた。

おじさん、こう言っていた。

「なんか訳の分かんねーうちに光さ浴びせられただ。どれくらいの時間が経ったのか分かんねーけど、ふっと気がついたら地上に立っていた。辺りを見回してみたら、田んぼだなぁ。おら驚いた。田んぼだなぁ」

それを見て二人で笑い転げて「田んぼだなぁ」といいながら寝た。

汽車の窓から二人で「田んぼだなぁ」と何回言っただろうか。

そんな中、ある看板が目に付いた。

仙台銘菓萩の月、と書かれていた看板に超美味しそうなものの写真がドカーンと。

まるで月に初めて降り立った宇宙飛行士が、月の石に呼ばれたようだった、という逸話にも似た感覚でその看板を凝視してしまった。

「省悟!寝ている場合ではない。あれを見ろ!」「なんだ。あ、田んぼだなぁ」

「いや、田んぼじゃなくてあの看板」

汽車はそれほど早くなかったので二人でよだれこそたらさなかったが見つめてしまった。

恐らく、松任谷由実よりも早く僕らが見つけたかもしれない。

その萩の月、東京ではなかなか手に入らないが、つい先日、友人が送ってくれた。

埼玉の人で、仙台物産展みたいなのがやっていてそこで手に入れました、とわざわざ送ってくれたのだ。

開けてびっくり。思わず歌ってしまった。

「月が~出た出た、月がぁ出た~あよいよい♪」…これは福岡か…。

2月でまたまた

2月で想い出したことがあった。

薄々ではあるが、想い出してきた。

明日になると「記憶にない」という、何とか大臣のような事になりかねないので、今のうちに。

確か初めて渡米したのが79年の2月だったと思う。

チケットが安かったのだが、そのせいで関空からソウルに飛んで、また羽田に戻って、ハワイに飛び、そしてロスに着いた。

トータルで24時間くらいかかったんじゃないかな。知らんけど…。

その飛行機の中で知り合ったのが、何故か桑名晴子だ。

そして、今は亡き塩次伸二もいた。

ちょっと調べてみると、79年にサンフランシスコ・ブルース・フェスティバル参加のため、渡米、とあるのでその時だったんだろうか?いや、フェスが8月だったはずなので、そのための渡米ではなかったのだろう。

とに角、彼等と意気投合した末に、着いたらすぐに兄貴の処へ行くから一緒に行こう、と誘われた。

兄貴。そう、桑名正博だ。

初めてのロスの街を歩いて、夜の8時頃にアパートに行った。

数人の仲間とともにもうかなり出来上がっていたようだった。

そして奥の部屋から出てきたのがアン・ルイスだった。

訳の分からぬままに数時間過ごしてホテルに戻ったことを薄々ではあるが、覚えている。

そして確か次の日にサンフランシスコに向かった。

ロスはあまり好きな感じの街ではなかったのですぐに向かったのだった。

前日のパーティの疲れか、あまりの太陽のまぶしさに眼が開けられなかったサンフランシスコの青空をよく覚えている。

それからどのように過ごしたのかはよく覚えていない。確か2週間ほど。

この時かな。グレートレイクスのオープンバックを手に入れたのは。

その翌年にも行っているし、その時だっただろうか。

またもしかしたら記憶が蘇ってくるかもしれないので、突然なにか書き始めるかも…。

あの大臣も早く記憶が戻ればいいのに…って知ってて知らんふりしているのは見え見えだが。

2月9日

今日は2024年2月9日。

昨夜、いや、正確に云うと7日の夜11時頃就寝して、8日になり、何故か1時半ごろ目が覚めた。

それはそれで良くあることだが、それから全く眠れなくなった。

そしてあんなにクリアーに眠れないと感じたことは珍しいかも。

考えてみたら、いや、想い出してみたら1982年のニュージャパンはその日だったのだ。

単にこじつけともいえるかもしれないし、一度眼が覚めてなかなか寝付けない、ということも無いことではない。

結局、再び少し眠ったのが5時過ぎだった。

以前にも書いたが、あれでバンドの運命が変わったことは否めない。

あれからしばらくの間は、どこに宿泊する時も避難経路や消火器の場所とか、念入りに確認したが、そんなことももう忘れている。

それに、いまだに喫煙室の或るホテルが存在することも不思議だ。

急に、あの眠れなかった、それもいつもとは少し違った感覚はなんだったのだろうか、ということを思い出してこんなことを書いてしまった。

信じるか信じないかはあなた次第…。

春節

このワードを聞くと思い出すことがいっぱいある。

レストランに居た頃、周りにチャイニーズ、ヴェトナミーズが多かったので、この時期には仕事終わりによく出かけたものだ。

春節のチャイナタウンはかなり賑わっていた。

屋台の夜店みたいなところでゲームをしたり、いろんなものを食べたり飲んだり。

定番の爆竹が鳴り響く中、みんなと歩き回った。

別な日にはハリーさんとハリーさんのご主人、何故か彼らの娘さんまで一緒になってレストランに出掛けて行ったり。

また、ヴェトナミーズの家族と一緒に訳の分からないままに春節を祝ったり。

あれは確かミセズ・ホートが家に招待してくれたのかな。

居候のマイクも居たし、子供たちは4人。

そのうちの一人はアメリカ兵とヴェトナム人の間に生まれた孤児。

確かジュリーと云う名前の、リンダ・ロンシュタットによく似た綺麗な子だった。

ミセズ・ホート曰く「この子を引き取ったのでボートに乗ってアメリカに来ることができた」そうだ。

まだ若い女の子だったが、ある日働いていたレストランでシェフが誤って肉のスライサーで指を落としてしまったらしい。

彼女は躊躇することなく落ちた指を拾い集め、すぐ病院に連れて行ったそうだ。

話が飛んでしまったが春節なんていう言葉はそんなことまで想い出させてしまう。

食事は見慣れないものばかりだったので、生春巻きくらいしか覚えていないが、日本のお正月のように豪華だった。

なんか、近所の人も来ていて10人くらいのヴェトナム人に囲まれて、ほとんど、いや、さっぱり何を言っているのか分からなかった。

ミセズ・ホートから「新年おめでとう」のヴェトナム語を教わったがすっかり忘れていた。

だが、ネットで調べたら、彼女のあの甲高い声がよみがえってきたので、さっぱり分からないはずなのに読めた。

これは試してみなくては、と思いスーパーのニャンちゃんのところへ行って読んでみた。

「わ!凄い」と云われてホッとしたが、この子達けっこう日本語喋るのだ。

あ~恥ずかしや。

春節でもうひとつ想い出すのは、あのコロナ禍が始まった時。

ちょうど春節の頃、そう僕の70歳バースデイコンサートの直後だったか、街から人々が消え、春節で移動してくる中国人が居なくなった。

明らかに街の様子が変わっていた。

それはそれで静かで良かったが、なんとなくあのチャイナタウンの喧騒、飛び交う爆発音(会話と爆竹)ヴェトナム語の響き…懐かしくもある。

レッド・ツェッペリン

昨夜、あまり点けないテレビを何気なく点けたら「お宝鑑定団」をやっていて、その中でとても面白いことに遭遇してしまった。

ある人が、レッド・ツェッペリンのサイン入りアルバムを出してきた。

特に興味があるわけではなかったが、どんなものだろうと思い、そのまま見ていた。

彼はまだ若かったので、彼曰く「僕の親父さんが彼らの来日時に彼らの宿泊先まで押し寄せていってもらったものらしいです」と。

そこで僕は身体を乗り出してしまった。

2017年に「ザ・ナターシャー・セブン最初のレコーディング」という記事を書いたが、その時のことが書かれている。

宿泊先はヒルトンホテル。録音は1971年の9月24日からのスタートだった。

多分、前日か前々日にホテル入りしていたと思われるが、ヒッピー然とした外人がウロウロしていた。

僕がロビーにいた時、周りを歩いていたのだが、その時の事。

以前のコラムで「まだそれほどのビッグネームではなかった日本では押し寄せるファンもいなかった」というような事を書いたが、わずかに一人か二人、明らかにアルバムにサインをしてもらっている日本人が居たのを記憶している。

そのことについては書かなかったが、彼の親父さんの話を聞いていて鮮明によみがえってきた。

確かにいた。彼らの処に駆け寄ってサインをもらっている人が。

僕自身、彼等のことを知らなかったのだから考えたら非常に残念なことをしたものだ。

なぜならばそのサイン、160万!という値段が付いたのだから。

光陰矢の如し

早いなぁ…明日でもう1年経つ?

シマエナガの日、というのを知ってから1年。

生きていればお前も74歳か、と、ついつい呟いてしまう。

でも教えてあげたい。

74になってもあんまり変わらないぞ、ということを。

もちろん、身体はしんどい部分があるけど、気持ちは、心はあまり変わらない。

まぁ人によって違うんだろうけど。

相変わらず甘いものが好きだ。

今年は何がいい?

やっぱり団子かな。

省悟の物凄く好きだったのは「亀山」だったかな。

水無月も。この辺は京都の人でないと分からないかもしれない。

よく二人で清水のかさぎ屋さんに行って、彼は必ず亀山。僕は汁粉だった。

まぁ、この辺で亀山は無理だし、水無月も季節ではないし、コンビニスイーツで我慢してもらおうか。

いや、一年に一回だ。なんか饅頭の美味しそうなものを探してきてあげよう。

1月16~17日 サウンドタム訪問

この日、ひたすら寒かった。

風はどこまでも冷たく、風花が舞ってこの上なく寒かった。

群馬とは何と寒い所だろうか、と僕が言うと、タムちゃんが「いや、今日は特別です」と言った。

ちょっとした打ち合わせでやってきたのですが、ひとつ大事なお知らせです。

少し前に発売になった「See You at Tam’s」がそろそろ完売になりそうです。

サウンドタムで繰り広げた各人、各グループの素晴らしい演奏が集結したアルバムです。

僕らも1曲メドレーをやっておりますが、やはりライブの緊張感と、素晴らしいサウンドエンジニアーとしてのタムちゃんの技術と心が入り混じった、僕としてはなかなか気に入ったものになっています。

他の方達の歌、演奏も素晴らしく、サウンドタムを訪れたことのない方にも、何度も訪れている方にもその臨場感が伝わってくる素晴らしいアルバムだと思います。

僕の一押し。ご注文は、お早い目にこちらへお願いします

https://soundtam.jp/live-cd.html

これは決して宣伝ではありません…ってか、宣伝か…。

寒い!

僕は比較的寒さには強い方だが、やっぱり歳だろうか、少しは寒さが身に沁みるようになってきた。

それでも何故か、今年はまだストーブをつけていない。

勿論、節約もあるが、それなりに着込んでいれば何とかなるし、時々温かいものでも飲んだりしていたら何とかなる。

それでも、いままででこれは我慢できない!と思った寒さはどんな時だっただろう。

想い出すに、2003年初頭のニューヨークだったかもしれない。

摩天楼を歩いていた時、これは死ぬかもしれない、と思ったことがある。

いや、普通に皮のジャンパーを着ていたと思う。中はアロハだったかもしれないが…。

そこで目の前に見えてきた1ドルショップに飛び込んだ。

そして帽子とマフラーと手袋を買った。

勿体ないけど3ドルなら死ぬよりましか、と思いながら…。

本当に寒かった。

その昔、初めてのナターシャー北海道ツアーに出掛けた時の事。確か9月の終わりころ?

いや、記録によると72年の11月後半に初めて北海道に出掛けているようだ。

その時、僕は薄手のウインドブレーカーを着ていたら、髙石さんが「あなた、そんな格好じゃ死にますよ」と言ったのを覚えている。

結果、そんなにもまだ寒くはなかったが。

パディ・キーナンと二人でカナダのカルガリーに出掛けた時も雪が降っていて結構寒かったし、ミネソタも寒かった。

ミネソタでは道端で犬の糞が凍っている、という漫談を聴いたことがあるが(前にも書いたかな)アメリカでも最も寒いところだ、と云われている。

しかしながら摩天楼のあの寒さに匹敵するものは今までになかったかもしれない。

日本ではこれ、夏になったら40℃とかが当たり前になってきて、冬にはマイナスになるってすごい温度差。まるで国民と議員の金銭感覚くらいに違う。

最近では、あきれてしまってもう何か言うのもバカバカしい、バカは放っておくしかない、と思えるような裏金問題。

被災地では人々が大変な思いをしているのに、今までの裏金はもう使ってしまったんだろうからあいつらの預金を全部引き出して被災地の為に使えないだろうか?なんて現実味の無いことを考えてしまう。

しかし、そうでもして奴らに懐の寒さを、あの摩天楼の寒さと同じように味あわせてみたいものだ。

寒い、という話からまたとんでもないところに結論がいってしまった。

急に想い出した

最近、近所のスーパーで働いているベトナム人のニャンちゃんとよく話をする。

ほとんど毎日のように10時頃から夕方の5時まで働いているようだ。

その子と話をしていてなんだか急にマイクを想い出した。

そして、久々に「アー・ユー・オープン?」を読んでみた。

彼とは10年近く朝から晩まで一緒に働いたものだ。

喧嘩もしたし、飲みにも行ったし、ベトナムの旧正月に招待されて、訳の分からないままに大勢の家族(本当の家族では無いが)に囲まれていろんなものを食べさせてもらった。

2人ともまだ若かったし、といえども、マイクに関しては推定年齢でしかないが。

とに角前にも書いたようにとんでもない、想像を絶する人生を歩んで来たことは確かだ。

戦争当時、僕らは散々恩恵を授かりながら反戦歌を呑気に歌っていた。

毎日の彼等との付き合いからはそんなことを感じざるを得なかった。

ベトナムとは関係ないが、89年に天安門事件が起こり90年に入ってからアメリカで制作されたテレビドラマが放映されていた。

天安門で軍に抵抗した若い兄弟がアメリカに渡る話で、兄は真面目に仕事をしながら、天安門の事を世界に知ってもらおうとしていた。

弟の方はマフィア(多分中国系)の一員となり、最後には兄を追い詰める。

天安門事件を境に仲の良かった兄弟が壮絶な最期を遂げる、というようなストーリーだった。

連続ドラマだったので僕は毎週食い入るように観てしまっていた。明らかに傍観者だ。

ベトナム戦争しかり。

マイクだけでなく僕の周りでは多くのベトナム人がボートピープルだった。

その壮絶な体験は筆舌に尽くしがたいものがある。

ニャンちゃんはまだ推定20代後半。おそらく両親は子供の頃戦争に巻き込まれただろうか。

いやいや、両親も戦後の生まれかもしれない。チャンスがあったら一度訊いてみようかな。

それにしても、なんと愚かな人間が世の中に存在しているんだろうか。

いまだに眼の色を変えて戦争、戦争と躍起になって破壊、殺戮を繰り返すバカが世界中至る所に居る。

人間が居る以上これは無くならない事だろうな。

なんかニャンちゃんから、マイク、そして天安門事件まで想い出してしまった。

暗くなってきたので面白い話を。

マイクは誰から教わったのか「気持ちの良いことしよう」なんていう日本語だけ知っていた。

ある時、日本町を歩いていたらある看板が目に入ったが、そこにはこう書かれてあった。

Kimochi Home マイクは鼻息を荒げて「ジュンジさん、あれ、なにをするところ?」

僕はあきれて答えた「アホかお前!あれは老人のケアーセンターだ」

誕生日

この歳での誕生日というものは、一歩一歩終わりに近づいている、という事実に気づかされる。

先日、誕生日とは関係なく、クリスマスでキアラン、お兄ちゃんのデクラン夫妻と子供、

あとデクランの仕事仲間のご夫妻とで、後楽園の辺りのイタリアンレストランで集まった。

折しもSexy Zoneかなんかのコンサートが有ったらしく、若い女の子がわんさと押し寄せていたが、場所がよく分からず、ウロウロしている姿はちょっとばかり怪しいおじさんに見えたかもしれない。

やっとの思いでレストランを見つけるとキアランが立っていた。ふたりで「分かりにくい場所だったなぁ」と話したがデクランは「すぐ見つかりますよ」と言っていた。さすがアイルランド人。

そのさすがアイルランド人だが、レストランに入ると赤ワインを立て続けに3本オーダーした。デクランの奥さんはポーランド人なのでそこそこ飲む。

日本人ご夫妻はそんなに飲まない。僕も。

多分2本はキアランとデクランで飲んだだろう。

そのワインだが、ここでも流石ヨーロッパ人と言う出来事があった。

赤ワインがキンキンに冷えているので、彼等が、これ、こんなに冷やしたら駄目だし、ちょっとあたためてくれる?と訊くと、意味が分からない様子で「そのようなサービスはいたしておりません」ときたもんだ。

トニー・マクマホンなら間違いなく店を後にするだろう。

ところで、僕もまぁまぁ飲んだかな。

レストランを出るとデクランの息子(8歳くらいかな)が得意な「太鼓の達人」をやって帰るというが、僕は先に失礼した。

そこで、僕は結構危険なことをしてしまった。

家に着くと急に寒くなって、あまり入らないバスタブに熱いお湯を半分くらい溜めたが、その間にも身体が硬直したままガタガタと震えている。

やっとの思いで入り、かなり熱いお湯だったが、中でもガタガタ震えていた。

これ、良くないんじゃないかな、と思いつつも、中で10分位寝てしまったようだ。

このまま逝ってしまったら素っ裸だしマズいなぁと思っていたことは確かだが。

その次の日はそれでも朝9時から2時間くらいウォーキングをした。

昔からそうだが、調子が悪いと必ず御所の周りを2周位したものだ。寝ていたらどんどん悪くなるような気がするので、無理の無い範囲で身体を動かすようにしている。

今日は二日酔いから二日たったが、身体が痛い。ガタガタ震えた時、相当力が入っていたんだろうなぁ。ま、少し風邪気味かな。

その上、後楽園で若い女の子をいっぱい見て血圧が上がったかな…。

20年

2023年。12月がまたやって来た。

大学の時から、考えてみるに18歳からの親友、省悟が亡くなってもう20年が過ぎる。

美空ひばりも石原裕次郎も大体同じくらいの歳で亡くなっている。

省ちゃん、どちらも好きだったなぁ。

10年ひと昔、と言うけど、もうふた昔だ。

考えてみれば僕とは正反対といってもいいくらいの性格の違いがあった。

唯一の共通点は音楽のセンスだったかもしれない。

音楽という全体像ではなく、そこにある「センス」というところだ。

ひとつの音、コード、リズムを聴いて、これだ!と感じるような感覚。

こればかりは生まれつき、というところに左右されるのかも知れないが、これが本当に大切なことだと感じる。

いくら気が合っても、いくら同じタイプの音楽を好んでいても、えも言われんセンスと言うものが合致しないとなかなか難しいものがある。

音楽では本当に大切だが、最近、息子がこう言っていた。

「省ちゃんはいつもびしっと決めたファッションだったけど、親父は適当だったなぁ」

小さい時からよく見ていたもんだ。

本当にあらゆる面で違っていた、ともいえる二人だった。

ホテルの朝食はいつも和食だった彼。僕は洋食。

服屋、靴屋には必ず入っていく彼。僕は外で待つ。

虫歯だらけだった彼。歯医者に行ったことがない僕。

髪の毛が薄くなってきた、と悩んだ彼。髪の毛が多すぎて困る、と言った僕。

「いやなやっちゃなぁ!」とよく言っていた。

それでも、二人の共通点は甘いもの好き、かな…いや、そこでも和ものが省ちゃん、洋ものが僕だったか。

煎餅が好きだった省ちゃん「バリバリっと硬い煎餅食べたいなぁ」とよく言っていた。

ケーキだったら柔らかいのに。

今でこそ、僕も饅頭は大好きだけど、あの頃は饅頭の省ちゃん、ケーキの僕だった。

「お前、そんなにケーキが好きだったらケーキ屋になったら?毎日お店のケーキ食べて、今月はけーき(景気)が悪いで!ってなことになるで」なんて言っていた。

僕がダメで彼が好きなものってあったかなぁ。

基本的に僕にはダメなものがあまりない。省ちゃん、エビとか蟹、怖がったなぁ。

それとコンニャク。「味せんやろ」と言っていたが確かに一理あるかも。

あ、そういえば僕は若い時、そば屋さんの出汁の匂いが苦手だった。省ちゃんが「お前、変わったやっちゃなぁ。このええ匂い分からんか?」と言っていたなぁ。

そんな事をしょっちゅう想い出すが、僕もそろそろ終活に入らねば、と最近つくづく考えるようになった。唐突かもしれないが彼よりも20年も余計に生きているので。

健康状態は至って良好だが、これをキープしていくことを考えなければいけない。

また、息子との会話だが、彼ももう45歳。少しはそういう話を…というか、トレーナーである彼にとって、高齢者の顧客も多いせいか、如何に健康体を保ったまま最期を迎えるか、という話に於いても少しは真剣に語り合えるようになってきた。

ついでに死後の世界は僕には分からないが、そんなものが存在するかどうか疑問である。

しかし、彼は「そうでもないらしい。あるみたいよ」と言う。

前に書いたが、彼の友人のモン族の人からの言い伝えだが、僕ら凡人は、何とでも云える、と思ってしまう。

しかし、どうやら、会ったこともない故人の容姿から服装まで全て見えてしまうらしい。そこにいる、と明言する相手は息子の古くからの知り合いで5年ほど前に亡くなった知る由もないはずの人だというが。

過去500年の生まれ変わりも分かるという。

そこら辺はどこまで信用していいのか分からないけど、かなりの信ぴょう性がありそうだ、とも言っていた。

信じるか信じないかはあなた次第、の世界かな。

だとしたら省ちゃん、どうしているだろう。

まだ歯医者さんに行っているかなぁ。それか、もうバリバリと煎餅を食べているかも。

さて、世界情勢に眼を向けてみると…まるで救いようのない世の中になってきた。

いつも想い出してしまうのが「アメイジング・グレイス&チャック」だ。

今、大谷が「世界が平和になるまで野球はや~めた!」と言い、トラウトもジャッジもやめて、レブロン・ジェイムスも八村も…あの悪名高きバッハも、平和のための祭典だからや~めた!と言い、KポップもJポップも、テイラー・スウィフトもみんな何もしなくなったらどうなるんだろう。

温暖化対策なんかも取沙汰されているが、いくら頑張ってもあっちこっちで爆弾なんか落としたり、ミサイルをアホみたいに打ち上げたりしていたら、それだけでも無意味だろう。

そんな事を考えている間に、今年も終わってしまい、また変わり映えのしない一年がやって来るだろう。

ある意味大きく変わらない、というのは平和な事ではあるが、もういい加減、大食いとかいうのはみっともないから止めた方がいい、と思う。少なくとも世界が平和になり、ちゃんと子供たちに食糧が行きわたるようになるまで。

政治家は相変わらず金に眼がくらんで、挙句の果てに白々しい嘘をつくか、なにも言わないか…そりゃ「はい。やりました」なんて言うわけがない。

やっぱり「嘘つきは泥棒の始まり」ではなく「嘘つきは政治家の始まり」だ。

そんな中、最近のニュースで嬉しかったのは周庭さんがカナダに居る、という事。良かった、良かった。

結局、何をやってもどれだけ頑張っても、どれだけ自分を犠牲にしてもバカには通じない、という事だろうか。

良かった、と喜んでばかりはいられないが、とに角、周庭さんの安全と幸せを祈るだけだ。少なくともそれくらいしか僕らに出来ることはない。何とか無事に生活できるようになる方法はないのだろうか。

世界中、こんなところに産まれさえしなければ、と思える場所が至る所にあるように見えるが、それって単なる運だろうか…。

忙しくもないのに、何となく心情だけは忙しいような気がする12月。

母を失ったのも12月。省ちゃんも12月。そして僕が産まれたのも12月。ありゃ、周庭さんも12月生まれだ…関係ないか。そんなこと言えば高石さんだって12月。

自分のことを思うと、来年は生きているだろうか?なんて、段々そんな事を考えるような歳にもなってきた。

それでもまだまだ健康ではあるので、このままの状態で最期を迎えられたらいいかな?と思っている今日この頃。

あまり長生きはしたくないのも事実。

ところで、お気に入りのGold Tone12インチのバンジョーはかなり優れもの。

これが出てきてからは重いバンジョーはケースの中で眠ったまま、という困った状況だ。

久々に重いギブソンを引っ張り出してみたけど、音もでかいし、重いのでどうしても軽いものに手が行ってしまう。

それでも満足する音なので、時代は変わったなぁとつくづく感じる。

軽いバンジョー、省ちゃんに見せてあげたいけど、あいつ金が好きだし、これで金色のものがあったら…なんて言うだろうか。値段上がるでぇ。

いろいろ想い出したり考えたりしているうちに12月も走り去ってゆく。

そして、また1年、また1年…20年もあっという間かな。

イスラエル

アメリカにいた頃、お隣さんがオーソドックスジュ―、いわゆるかなり敬けんなユダヤ教の家族だった。

親しくしていてお互いの家にも行き来があったが、その生活パターンの違いには驚かされたものだ。

土日は安息日。郵便が来ても決して開かない。

外食は一切なし。今日、美味しいものが有るけど一緒にどう?と言うと「匂いだけかがせてね」と言って玄関先でそれだけで満足して帰って行った。

コンサートなどにも決して行かない。

よく、僕が練習していると、嬉しそうに聴いていて、聞こえてくるものは決して拒否しないけれど、自分から出かけて聴きに行くことは無い、と言っていた。

ご主人はフォトグラファーで、僕がアメリカでリリースしたアルバム「サリー・ガーデンズ」のジャケット写真、それとバンジョーアルバムのライナーノーツの「Tree of Israel」というのも彼の作品。

彼のお葬式は僕にとって初めてのユダヤ教のもの。棺に土もかけた。もう何年も前のことだ。

今回の事が勃発した直後、彼の奥さんからの話を聞いた。

アメリカに住む多くのユダヤ人は歳取るとイスラエルに帰るらしい。その辺は日本人にも共通したところがあるのかもしれない。

彼女も今はイスラエルに住んでいるらしい。確か娘さんがいたよね。どうしてる?と訊くと、もう5人も子供がいる、と言うから驚きだ。

僕が知っていた頃は15~16歳くらいだったかな。そして彼らもイスラエルに住んでいる。そして、ご主人は兵役に取られたが、情報収集の部署なので今のところ前線には行っていないそうだ。

もう一人の友人の息子は兵隊として出向いていたが、5人ずつのグループに分けられて前線に送られるそうだ。

彼はちょうど期間的な理由でイスラエルに戻って来たらしいが、その直後、彼の5人のグループ、多分一人補充されたのかもしれないが、彼らが前線に送られたらしい。

そして全員がすでに戦死。いったい何を言ったらいいのだろう。

余りにも長い歴史の、僕らには理解できない世界の事なので何も言う事が出来ないが、本当に無駄なことだし、世の中の指導者たちは本物のバカだな、と思うしかない。

他に考えなくてはならないことがあるだろうに。

彼女の話を聞いて、本当に心が痛んだ。どちらが悪いのかもよく分からない。でも、彼女は言っていた「首を切られても手足を切られてもユダヤ人は屈することはない。ユダヤ人は強い!」

もしかしたら「それでも神風は吹く」というのと変わりないのかも。そしてイスラム社会はまた別な強さも持っているのだろう。

どちらにせよ、それらの精神を,、強さを何とか地球存続のために活用してほしいものだ。

Al Petteway

日本では知る人ぞ知る、と言うギタリスト、アル・ペタウェイ(日本語表記が分かりません)が9月25日に亡くなったという記事を見かけました。

この人、僕にとっては結構縁の深い人でした。

長年会っていなかったのですが、1984年、ワシントンDCに滞在していた時によく一緒に演奏していました。

当時は大塚章さんのお宅でお世話になったのですが、彼等のバンドがGrazz Matazz という、ブルーグラ スジャズのようなバンド。

そのギタリスト兼ヴォーカルがアルだったのです。

なのでアルの家にも宿泊して夜通しジャムを繰り返していたこともありました。

バンドのヴォーカルのパティさん、フィドラーのマイクも交えていろんなジャンルの曲を一緒に練習しました。

マイクは海兵隊員の特権、海兵隊割引でステーキを買ってきてくれたり…それはとてつもなく大きく、バンド全員がお腹いっぱいになるくらいの肉でした。

日本円で300~400円くらいだった記憶がありますが、何せ昔のことで。

初めてそのままの形の豚が串に刺されて火にあぶられてクルクル回っているのを見たのもワシントンDCで…あれ、これは他の人のパーティだったかな。

とに角アル達とはよくステージでも演奏しました。

セルダム・シーンの本拠地としても有名なバーチメアで。       

当時の彼はスタンダ―ドチューニングで独特なフラットピッキングを演奏していたと記憶しています。

かなりジャジーなスタイルだったと思います。         

ここ最近、10年ほど前にひょんなことから彼の映像を見つけたら、DADGADでのものが非常に多く「へぇ~」と思っていました。

2~3回メールでやり取りしたような記憶もありますが、これもこの10年ほどの間。
なんだか色んな人と出会い、再会し、色んなところに行って、よく覚えていないのですが 、彼の落ち着いた優しい眼はよく覚えています。

それに、とてもツボを得た気持ちのいいギタープレイも。

すみません。記憶も定かでないのにこんなところに書いてしまって。

でも、1984年、アメリカ大陸を横断した時、最もよく一緒に演奏した仲間の一人でした。

またしても時の流れを感じてしまいました。

デヴィッド・マッカラム

この名前を見てピンとくる人も少ないだろう。

ならば、イリヤ・クリヤキンではどうだろうか。

つい先日彼が亡くなったという記事を読んだ。

僕らの世代には有名だった「ナポレオン・ソロ」というテレビ番組。0011だったかな?

主演はロバート・ヴォ―ン。共演がデヴィッド・マッカラムだった。その彼の役名だ。

でも、どちらかと言えば彼の俳優としての名前よりも、イリヤ・クリヤキンの方が僕らにははまった名前だった。

それくらいに彼にとっては「はまり役」であった…らしい。

僕らはよく「恐れ入りました」と云う時「おそれイリヤのクリヤキン」と言っていたものだ。

ま、これもほとんど僕と省悟との間だけだったかも。

恐れ入谷の鬼子母神、と言うのが一般的なようだが。

とに角僕らの世代にはとても馴染み深かった名優がまたひとり消えてしまった。

90歳だったということ。

そんなに時が経ったんだなぁ…。

East West Fiddles

2022年にアイルランドで録音したアルバム。もうじき日本でも発売になります。

メンバーは僕と希花に加えて珠玉のミュージシャン二人。

マナス・マグワイアーは元医師。現在は退職していますが、現役中から様々な音楽シーンで活躍。僕も2012年にリムリックで初めて彼の演奏に接した時、興奮して「あ、マナス・マグワイアーだ!」と思わず叫んでしまったことがあります。

Buttons & Bows, Moving Cloud はアイルランドでもベストバンドのひとつです。

一方、マンドラとギターを巧みに操るギャリー・オブリエンもベテラン中のベテラン。

僕は90年代にサンフランシスコで会っていますが、その頃から素晴らしいミュージシャンであることを認識しておりました。

古いジャズなどにも精通している彼の渋いプレイとボーカルは一聴の価値があります。

こちらもSkylark, Buttons &Bowsを始め、多くのバンドで活躍してきた人です。

希花はノエル・ヒルをして「最もアイリッシュ・フィーリング溢れる、アイルランド人以外のアイリッシュ・フィドラー」と言わしめています。

このコラボによるツイン・フィドルをどうかお楽しみください。

そしてそこに絡まるギャリーと僕の同世代、円熟味溢れる音にも注目してください。

発売に関しては、近くご案内します。

なお、日本発売は数に限りがあるので、売り切れごめんという事でよろしくお願い致します。

夢グループからの発売は考えておりません。

帰ってきました

帰ってきて早速、ザ・ニッポンという出来事に遭遇。

オーバーサイズで預けた荷物が、航空会社によってそれ専用の処から出てきたり、また、そうでない場合もある。

手荷物係りの、見た感じスリランカ人の男性職員が、ちょっとたどたどしい日本語だったけど親切に説明してくれた。

そこに通りかかった日本人の女性職員がこれまた親切に対応してくれた。

その係りではなく偶然通りかかっただけなのに。

これには恐れイリヤのクリアキンだ。

さて、到着が成田。荷物も多いし、重いし、羽田までバス、と考えチケットをゲットしに行った。

デイパックから財布を出そうと、背中に背負っていた12キロのバックパックを、降ろせばよかったのだがそのまましゃがみこんだら、見事にその重さに引っ張られ、転がってしまった。

亀さんのように、だ。

その時、後ろにも列ができていた。

ここがザ・ニッポンだ。誰一人動かないで見ている。

これアイルランドだったら小学生の男の子でも駆けつけて声をかけるだろう。

流石に日本人。他人に関わるのを極端に避けているようだ。

苦労して起き上がり、カウンターに行って無事チケットを購入。

乗り場の説明を受け、ぐるっと回った所に12番と云うのが有ります。すぐそこです、と言う感じだった。

ところが、すぐそこではなかった。

アイルランドを出た時には12℃、ここは今日はそれでも30℃くらいだろうが、物凄く遠かった。

ちょっと一言、その荷物だとカート使った方が良いかも、とか結構遠いですよ、とか言って欲しかったなぁ。マニュアルには無いんだろうなぁ、そう言う事。

さて、バス乗り場に這う這うの体で着いたら、一組、見るからにアメリカ人のどでかい身体の夫婦がベビーカーとスーツケースで並んでいた。

その後ろに並ぶと係りの若い男の子が現れ、アメリカ人夫婦に対応。

荷物を一旦列から外し、積み込むためのスペースに置いた。

僕の処に来て、手続きを済ませたので「この荷物あっちに置いた方が良い?」と尋ねると「あ、あとでこちらがやります」と言った。

さて、荷物はまだ僕の足元にあるが、もう乗車の時間だ。

このままでは後ろに並んでいる人たちに迷惑だろう、と思い、仕方なしに僕が積み込みスペースまで運んだ。

そして一言「君、あとでやるって言ってたよね。でもやらなかったから俺がやったよ」と言うと、その応えは「はぁ」だった。

彼、特別仕事が出来ないわけではないだろう。

しかし、なんかボーっとしているのだ。

日本の若者に多いタイプ。

仕事はそこそこ普通に、そつなくこなすが、どこか覇気がなく、ボーっとしているのだ。

やっぱり、戻ってくるとみんなが幸せそうに見えない。

ニュースで総理大臣が「女性ならではの…」と言ったことに批判が、とか言っていたが、僕の感じでは、これ批判するような事か?

一般的に見て、男性に向いている事柄もあれば女性に向いている事柄もあるのは当然だ、と思うが。批判されるだろうか…。

これで差別意識がある、とか言って噛みついてる方が差別意識の塊のような気がする。

僕も今の総理大臣は嫌いだ。聞く耳とか言うのはどこに行った!とほとんどのケース、突っ込みどころ満載だが、これに関しては別にそう言ってもいいんじゃないかな、と思った。

しょうもないことに反応してSNSとか訳の分からない場所で匿名を使って批判なんかしているから、普段の仕事でボーっとしてしまうんではないか、なんて思ってしまうが、あんまり関係ないか。

取りあえず、また眠れません。

変な時間に眼が覚め、変な時間に眠たくなり、少しでも動くと汗がにじみ出てくる。

それでも一番暑い盛りは経験しなかったんだなぁ。

文句言ってる場合じゃないか。

2023年アイルランドの旅 補足

もう少しで日本。

何気なく見ていたニュース。

大阪の選挙区で、ある党の候補者のポスターだけ残して、後は見えないようにした議員。

単純に考えて、とうとうここまで落ちてしまったのか、と、もう既に修正不可能なその頭の中身にただただ驚くばかり。

大あくびして居眠りする奴。公金をちょろまかす奴。偉そうにふんぞり返る奴。

もういらねぇんじゃね、と思うが注意されるだけで終わってしまう。

電動キックボードの事故もあった。

ジャニーズ問題もあったし、処理水の問題も…なんかオイシそうに食べてたけど、一回食べただけでニュースにしたところで…と思ってしまう。

僕は、とりあえずそろそろ魚が食べたい。

肉の安さから、というか魚の値段とクオリティからどうしても食べるとしたら、フィッシュアンドチップスになってしまう。

帰ったら「東京一美味しい本場の味」というのでも…いやいや、要らんなぁ。

また人々の顔の輝きが違って見えるんだろうなぁ。

良いのか悪いのか分からないけど、力いっぱい一生懸命働いて、必要以上にお金を貯めるでもなく、仲間と話をしながら陽気に飲む。

週末は朝から晩まで飲む。音楽を楽しむ。アウトドアを楽しむ。日曜大工を楽しむ。

もちろん、そういう人ばかりではないが、それぞれが幸せそうに見える。

道を歩いていてすれ違っただけで、軽く会釈をし、ドアは開けたら必ず後ろに人が来ないか確認する。

どんなに遅くまで飲み明かしても道端で吐く奴なんていない。たまに寝ている奴はいるけど。

日本に帰ったらまだマスクしないと非国民かなぁ。

いや、そう考える自分が悪いのかも。僕も日本人だなぁ。

でもなんとなく迷惑だったらマスクしてもいいかも。他人に迷惑かけてまでも自分の主張は押し通したくないので。

いろいろ面倒くさいなぁ。まぁ、どこの国に居てもそれなりに面倒くさいこともある。

総理大臣もそろそろ「貧乏人はかすみでも喰っておけ」と…いや、もうそう言っているようなもんか。

かすみ、か…どこで売っているんだろう。霞が関?なら結構高いぞ…?

霞ヶ浦? あー、いかん。予科練の歌を想い出してしまった。

2023年アイルランドの旅 40

いよいよEast West Fiddlesのツアーも終わりを迎えて、日本が近づいてきた。

どこのコンサートもサウンドエンジニアが素晴らしく、音に関してはなんのストレスも感じることがない。

僕らのサウンドもかなり決まってきたように感じるし、お客さんの反応もかなりいい。

主催してくれる人たちのリスペクトも素晴らしく、みんながこの音楽に慣れ親しんで、どこまでもサポートしていこうと考えているのがよくわかる。

そうしてみると本当にこの音楽ってこの人たちのものなんだな、受け継がれている文化なんだな、ということを実感してしまう。

そこに異文化を紹介することも大事。

但し、本当に僕らは、いや少なくとも僕は日本の何を知っているんだろう、と思ってしまう。

戦後間もなくの生まれで、ほとんどが西洋化されたもので育ってきたし、日本の古来の音楽についても良く知らない。

その方面の学者になるよりは、やっぱり西洋音楽に慣れ親しんで、それを演奏することに喜びを感じてしまった。

子供のころの音楽の授業ってなんのためだったんだろうな、と、つくずく考えてしまう。

音楽を楽しむのではなく、こんな作曲家が居ました、こんなひとも居ました、こんな曲があります、という学問とも言えないその程度のものだったんじゃないかな。

これは正に日本の教育に関する事だと思うので、あんまり適当なことは言えないが。

昔から何かにつけ、決められた方法で決められた事を学ぶ、という感じがせんでもない。

日本人の多くが自由と身勝手の違いが分からないようになっているのは、戦後の歪んだ教育制度にも多少影響されているんではないか、とも思ってしまう。

いやいや、こんなことは僕ごときが言うことでもないか。

とにかくあと数日で日本だ。

食べ物はおいしいだろうなぁ。

また地震に怯えなくちゃならないのかなぁ。

いつになったらすずしくなるんだろうなぁ。

いろいろ考えてしまうが、とりあえず今回の旅のレポートはここで終わり。

途中、コロナで途切れたが、2011年から続いてきたアイルランドの旅、その間、アイルランドの、少なくとも景色は全然と言っていいほど変わっていなかった。

音楽は新旧交じってさらに盛んになっているように見えるけど、そこもあまり変わっていないのかも。ずっと長きにわたって、その素晴らしさを世界中に発信してきていることも確かだ。。

今回、ダブリンのSeamus Ennis Arts Centreで演奏できたことはとても有意義なことだった。

アイリッシュミュージックの代名詞ともいえる人物の名前を冠した会場。

小さなコテージのような作りで、レストランもあり、極上の食事も楽しめる(僕はアイルランドに於いて、かなり美味しい所だと思った)スタッフもとてもフレンドリー。

ここで演奏するEaster Snowは格別なものであった。

マナス・マグワイヤー、アイルランドを代表するスライゴースタイルのフィドラー、そしてギャリー・オブリエン、数々のグループを経て今なお活躍する、僕が思うに最も渋い音楽家の一人。

そんな二人との共演アルバムは、近々日本でも販売のご案内をさせていただきます。

どうか楽しみに待っていてください。

2023年アイルランドの旅 39

店頭に芽キャベツが並び始めた。

大きな粒が20個ほど入って日本円で200円ほど。まだ旬ではないせいか、少し高め。

日本ではあんまり食べる人いないから高いんだろうけど、8個で300円などという東京、なかなか買おうと思わない。しかしここではついつい手が出てしまう。

ここの食材の安さに慣れてしまうと、日本のチマチマした量でそこそこの値段をみて、また手が出なくなってしまうだろう。

しばらくは豆腐、納豆、モヤシくらいが主食になるかな。

厚揚げなんかも買っておくとけっこう便利かもしれない。

焼いてしょうが醬油だけで食べても「あ~、日本人で良かった」などと思ってしまう。

基本的にはパンやミュースリなどは大好きだが、やっぱり醤油味には敵わない。

だんだん、そんな味が懐かしくなってきた。

もうしばらくじゃがいもはいいかな?

ビールもいいかな、と思いつつ日本の天気を見ると、なに!34℃?体感42℃?おいおい、ふざけるなよ。やっぱりビールじゃないか!

ということになってしまうだろう。

今年はビールが売れただろうなぁ。暑すぎて蚊も飛べなかった、という話も聞いた。

海水浴も暑すぎて、浜辺の砂で足の裏火傷とか。

犬とか猫とか、かわいそう。

もちろん人間もかわいそう。

僕が帰る頃にもまだ30℃以上の日が続くようだし、気を引き締めて帰らなくては。

昨日はユジーンが、知り合いの漁師さんから大量のムール貝をゲットしてきたので、彼らの家で大ムール貝パーティ。

多分、一生分のムール貝をいただきました。

ムール貝とビールで早くから爆睡していたところにノエルが戻ってきた音がしたので、しばし、川のせせらぎを聴きながら歓談。

街ゆく若者たちが陽気に歌いながら次のパブへと橋を渡って行く。

彼らの歌っていたのはI’ll Tell Me Maだった。

涼しい海風、若者たちの幸せそうな歌声、川のせせらぎ、緑一杯の庭でノエルはビール、僕は冷たい水。

そして爆睡の続き…Zzzz……。

2023年アイルランドの旅 38

今日はもう9月3日。あと10日程で帰国だ。

ジモピーのあゆ子さんが連絡をくれたので、いろいろ連れて行ってもらうことにした。

天気もまずまず。雨は降る様子もない。

先ず、選んだのはCoole Park ここには以前ジョニー・リンゴと来たことがあったが、うっそうとした森と広い芝生、湖もあって大好きだった素晴らしい国立公園。

有名なAutograph Tree の有る所。

しばし森林浴を楽しんで、この周りをドライブ。

バレン高原は石灰石の山が広がる、とても有名な観光スポットでもある。カルスト地形というのかな。

途中Temple Cronanという誰も行かないような12世紀の教会跡に寄った。

ここ、本当に入っていいの?と思えるところを牛の糞に気を付けながら進むと、朽ち果てた小さな教会にたどり着く。

多分来る人もほとんど居ないだろう。その証拠に人の糞は落ちていない…なんじゃそりゃ。

その後、今度はCorcomroe Abby という所へ向かった。

ここは比較的有名らしく、何台かの車も止まっていて数人の旅人たちも見受けられた。

いろんな人のお墓、古くは1500何年とか、もうすでに読み取ることもできないくらい古いものもあるが、比較的新しいものもある。

Abbyというからにはもともと修道院だったのだろう。

ここはそこそこの大きさがあり、中をゆっくり歩いていたら、ふと目に入った墓石があった。Droneyという名前。

「うん?もしかして、もしかすると」と思い、よく見ると墓石にコンサーティナが書き込まれているではないか。Chris Droneyのお墓だ。

East Clareコンサーティナの大御所Chris Droneyではないか!

2020年の9月9日に95歳で亡くなっている。

彼のアルバムDown From Bell Harbourはとても好きなアルバムだ。

ここは僕も全く知らなかったところで、あゆ子さんが行ってみたいところの一つ、ということで付いていったのだが、僕にとっての思わぬ偶然の大感激に彼女もとても喜んでくれた。

まだまだ知らないところに多くの先人が眠っている。

そんなことを感じた、ここに呼び寄せてくれたChris Droneyとあゆ子さんに大感謝の一日となった。

2023年アイルランドの旅 37

こちらのいい天気の日は、これだったら外でいっぱいやりたくなって当然だな、とおもわせるような気候。

空気は澄んでいるし、夏でも気温は20℃前後,後、になることはほとんどないけど、昼の日差しは日向に居れば少し暑いかな、と思う程度。

日本の秋のめちゃくちゃいい天気の日といった感じ。

またこちらの悪い天気の日では、寂し気な雨がしとしとと降る、これまた家で飲んでいたら憂鬱になってしまうので、外へ行ってみんなと飲みたくなるような気候。

これやっぱり酒飲みにはたまらない国だろうな。お金も溜まらないだろうな。

昨日、近場のパブでギネスを一杯のんでいたら、お店の姉ちゃんが「これ余ったからあげる」といってもう一杯持ってきた。

普通、一杯で十分だが、もらっておいて悪いので飲み干したら完全に酔ってしまった。

外はまだ明るい8時頃。

戻ってきてそのまま爆睡してしまった。

ユジーンに訊いてみた。どれくらいで「飲んだ!」といえるのか、と。

するとキアランと同じ答えが返ってきた。8パイントだそうだ。

500mlの缶ビール大体8~9本?無理!

僕は1本で十分。してみると2パイントではやっぱり酔うわけだ。

しかし、不経済な連中だ。

アイルランド人の数に対する答えで面白いのがかならず「2ミニッツ」という答えだ。

それ言われた時には、あーこいつどれくらいかかるか分からないんだな、と思って間違いない。

してみると8パイントと答えるのは6,7,8,9,10くらいの感じなんだろう。

そんなに適当なのにほぼ廃屋と言えるものを、全部自分で電気、ガス、水道も壁をぶち抜いて通して立派な家にしてしまうんだから驚きだ。

いろんな事柄が適当なアイルランド人。

飛行機がどえらい遅れでカウンターに行って訊いても「あたしのせいじゃないわよ」というアイルランド人。1分でも電車が遅れると「まことに申し訳ありません」とアナウンスが流れることが当たり前だと思っている日本人。

どんなにレジで人が並んでいようが、一向にお構いなしに世間話に興じる店員。

二人ほど並んでいると、どこからともなくサッとあらわれる日本のコンビニ店員。

一長一短あるだろうが、お国違えば…というところを毎日のように感じる。 

2023年アイルランドの旅 36

1979年の9月2日に省ちゃんとロンドンデリー・エアーを録音した。

何故そんなことを急に言うかというと、またしても小林氏から「44年前」という珍しい記事が送られてきたからだ。

ナターシャーファン歴30年という(ほとんど産まれてすぐ聴かされた)…ちょっと待てよ。

30年前はほとんど僕がアンドリューと出会ってこの音楽に没頭し始めたころではないか。

とにかくそんな彼は僕よりも歌詞は良く知っているし、歴史にも詳しい。

送られてきたのは、シングル文庫のライナー。

ライ・クーダー大好きだった僕がレニー・カールソンとのアルバムを見つけて「こんなんしよう!」と省ちゃんに詰め寄って無理やり録音したものだ。

チェット・アトキンスのアレンジも好きだったが、特にFirst Nashville Guitar Quartetに於けるアレンジが相当好きだった。

そのアルバムは1979年。レニー・カールソンのものは1978年だったらしい。

チェットの演奏はかなりまっとうにツボを得たものだったが、一方でレニーのものはかなりジャジーな作りだったので「ほほう、こんなんも有りか」という思いで一生懸命コピーしたものだ。

確かこれ、始まってすぐ木田ちゃんから電話がかかってくる、というコント形式のものだったかな。コントでもないか。

僕はコラムのIrish Musicその174でこの曲に関してかなり詳しく書いている。どこまで信頼がおけるかわからないのだが…。

44年前の今日。まだまだ体力も気力も溢れんばかりの頃だったのかな。

そして、ライナーの最後にはこう記されてあった。

9月2日、上野タカラホテル317号室にて録音。ホテルの窓からは夏の暑さと、秋を告げる夕暮れ。

2023年アイルランドの旅 35

とうとう9月になった。

今朝もどんよりしていてなかなかに寒そうだけど、日本はまだ30℃以上だと聞く。

半ばくらいからでも少し涼しくなるといいが、秋は10月までおあずけかな?

昨夜はエンダ・スカヒルとのセッション。

9時半からというのは、なかなかに遅いので…といえども普通にあることだが。

ちょうど一日前にニッケル・クリークがダブリンに来ていたらしい。

その話で盛り上がり、2メートルくらいの身長の若者がマンドリンを持っていて、興奮気味に話していた。

エンダの音はひたすらでかい。

その上にあのテクニックだ。

でかい身長のマンドリンの若者も良い音を出している。

2時間ほどのセッションでオールドタイムやブルーグラス・チューンも飛び出し、歯切れのいいバンジョーの音色に包まれたひと時だった。

こういうセッションが毎日いたるところで昼夜問わず行われているのだから、それは日本とは環境が違う。

でもやっぱり少しばかり体力の衰えは感じる。

特に若者が相手のセッションでは。

それでも、そのパワーを受けながらの演奏はそれなりに価値を感じることも事実。

相手に不足はない、と相手にも思わせることができるならば、それがまた成長へとつながっていくと思うし。そういうのを切磋琢磨というのか…。

何はともあれ、次のツアーまで少し休むかな。

今、天気予報をみると今週は暑くなりそう。週末に25℃とかいう予想がたてられている。

これ、アイルランドの人、溶けちゃうかも。

2023年アイルランドの旅 34

ドクター・サウンドの小林君から懐かしい映像が送られてきた。

普通にYouTubeで見ることができるものだが、ダン・クレイリーの映像だった。

この人のLady’s Fancyというアルバムはどれほど聴いただろうか。

このタイトル曲はSay old man, Can you play a Fiddle?としても知られているし、1976年だったかPoor Richard’s Almanacでサム・ブッシュがフィドルで弾いていたものだ。

ダン・クレイリーのアルバムは、確かこの曲も含めて多くの曲を省ちゃんと二人でコピーして、電話であれやこれや情報を出し合って…そういえば彼、モスマンのギターも買ったなぁ。あのウッディ・ガスリーの映画で僕らだけの間で話題になったギターだ。

こうして、ブルーグラスやフォークソングを聴いていると昔を想い出す。

みんなそうなんだろうな。歌は世につれ人につれ…だったかな。

その想い出は僕の場合、ほとんど省ちゃん絡みのものかもしれない。

青函連絡船の甲板で、新幹線の連結部で、今だったらさしずめ迷惑系ユーチューバーかな。

ふと考えたけど省ちゃんの絶対的存在って誰だったんだろう。

僕はビル・キースとエディ・アドコックだったのかな。

彼はもしかしたらクラレンス・ホワイトだったかも。いや、ドック・ワトソンかな。

今度会ったら訊いてみよう。(大丈夫。僕まだ正常です)

ダン・クレイリー、今回送られてきた映像では、テイラーのシグネチャーモデルを使っていたが、突っ込みどころがいかにも楽器屋さんらしく「ずっと昔からヤマハのカポ使ってます」

細かいところまで良くみているなぁ。

全くアイルランドの旅とは無関係な記事でした。

午前7時、気温13℃、晴れ。このままお昼になっても17℃以上にならないようだ。

そしてこのところ定番の雨が少ない。

少し曇り気味の空にめちゃくちゃでかい太陽が見える。

あれがポトッと落ちてきたら終わりだなぁ…。

2023年アイルランドの旅 33

差し出し人不明のメールが入った。

31日の木曜日空いてるか?もし空いていたらWood Quayのパブに9時半に来てくれ。

というそのメッセージ。

それどこ?あんた誰?

とりあえずあんた誰?だけメッセージしてみた。返事はこれだった。

Enda Scahill Sorry!

なんだ、去年の10月17日に道で会ったエンダ・スカヒルじゃないか。

実は僕らの今回のCDリリースコンサート初日のゴールウェイに来ていたらしい。

マナスとは旧知の仲、僕も別なサンフランシスコ時代の知り合いなど、けっこう人も多く、

その時は話はできなかったが、マナスに「すごく良かった」といって帰っていったらしい。

なので彼に連絡先を聞いたのかもしれない。

マナスには他にも、僕の昔の友人という数人が連絡先を知りたいと言ってきたらしく、律儀な彼はその都度、僕に「教えてもいいか?」と尋ねて来ていたが、エンダなら僕も知っているし問題なし、と思ったのだろう。

マナスはいろんな人に今回のプロジェクトの話をして、メンバーの事を言うと、ほとんどの奴がジュンジを知っているんでびっくりしている、と言っていた。

エンダ・スカヒルは今やすっかり売れっ子になっているWe Banjo 3のバンジョー弾き。

20年前には若い兄ちゃんという感じだったが今やすっかり大人だ。

その20年前にはまだ基本3人編成だったと思うが、僕の記憶ではまだFergal Scahillが居なかったんじゃないかな、アメリカ人のドブロバンジョーの人を入れての4人だった。

「俺たち数学が苦手なんで」と言ってお客さんを笑かせていた。

日本にも確か来ていたはずだ。その時はエンダとファーガルの兄弟、デビッドとマーティンの兄弟という4人編成がすでに固まっていたはずだ。

その辺のことも今度訊いてみよう。

しかし、9時半からは遅いなぁ…。

おじいちゃんはもう寝る時間なのに。

子供もそうだよなぁ「子供は寝たか、もう8時だよ~♪」

2023年アイルランドの旅 32

この3日間ほど風邪をひいて寝込んでしまった。

今頃風邪をひくとCOVIDの疑いがあるのだが、そんな事もう誰も気にはしない。

症状は普通にひく風邪と変わりなかったが、これで検査に行ったら、もしかしたら陽性だったかもしれないし、全然普通の風邪だったかもしれない。

4日目になるが、もう何事もなかったかのように回復している。

なんとなくカレーが食べたくなって作ってみた。

それというのも、あまり食欲がなかったせいと疲れからか、甘いものが食べたくて甘いものばかり食べていたからかも。

さて、アイルランドのカレーパウダーを使ってみるか、と…いや、数回使った経験はあるが、そのたびに日本のカレールウはこの上なくよくできている、と感じてきた。

だが、今回は近場で手に入るカレーパウダーで済ますことにした。

作りながら味見をする。なんか味に輪郭を感じない。ひょっとしてやっぱり…と思い他の物を口にしてみるといつもと変わらずしっかり味がわかる。

ならばやっぱりこいつのせいか、と思い、手持ちのチリを加え、コーヒーを作ってそれも加え、そうだ!チョコレートもあった、とそれも加え、さらにりんごをすりおろし「りごとはちみつとろ~り溶けてる」なんて歌いながら味を調整。

定番のターメリックとクミンも大量に投入。

昔アミンというグループがいたな、トップガンはマーベリックだったかな?なんて思い、リンゴのすりおろしの時は「比叡おろし」ってたしか小林けいことかいう人だったかも、高石さんお気に入りのシンガーだったな、なんて。

それよりも前、玉ねぎを切りながら木田ちゃんを想い出し…なぜかというと、新幹線移動中「お客様のきったたかすけ様、きったたかすけ様」という呼び出しが僕と省ちゃんのつぼにはまり、それ以来ものを切るときには「たかすけ」と言っていたものだ、なんてことを想い出しながら。

しょうもないことのように思えるが、すべての事になにか関連付けて面白かったことを想い出すのも脳のトレーニングにはいいことではないかと思う。

どうしても想い出せないこともできる限り検索することをせず、それは最終的手段として、とにかく手を動かしながら想い出す。

確かにそう考えると楽器なんかはとても良いものかもしれない。

さて懸案のカレーだが、いろんなものを入れてみたおかげで少しは味に輪郭が出た。

この「味の輪郭」とは日本人がいちばん得意とする分野、しいていうならば白人が最も不得意とする分野…いや、根本的に美味しいというものの観念がちがうので、この言い方は却下。

アイルランド人も日本でギネスを飲んで「なんだかなぁ」と思っているかもしれない。

とにかく少し辛い物を食べたくなっていた僕には満足のいくものに仕上がった。

風邪も峠をこえたようだし。

ところで小林けいこのけいこってどんな字だったかなって、これも必死になって考えた。

確か「啓子」だったよな、と思い、そこで初めて検索してみた。当たり。

一生懸命考えて良かった。脳トレ脳トレ…。

2023年アイルランドの旅 31

今回は「友あり、遠方より来たる」編とでもいおうか、伊豆のギター制作家、櫻井航くんが僕らを訪ねてきてくれたことを中心に。

その日僕らは演奏のためにウォーターフォードに来ていた。

トラモアにある、ラフカディオ・ハーン日本庭園、言わずと知れた小泉八雲ゆかりの地。

航くんは数日間のアイルランドの旅、最初に選んでくれたのが僕らとの再会。

ちょうど初めて出会ってから10年になる、という。

以来、様々な場所で音響を担当してくれ、またギター制作に関する多くの知識を聞かせてくれた人。

今回の演奏もマナス、ギャリーとのクワルテット。

庭園は美しく、天候にも恵まれたが、前日はすごい雨だったらしい。ひょっとしてまたもや晴れ男全開だったのか。

お客さんも沢山来てくれたし、中にはこちらに住む日本人の方もいた。

まれかさんが「君が代やろうか」と言ったので急遽君が代も演奏。

その日本人の方が「まさかここで君が代を聴くとは思わなかった」と感激していた。

マナスとギャリーも満足そうにポカンとしていた。

サンフランシスコ時代の知り合いも偶然近くに住んでいて駆けつけてくれたけど、当時小さな女の子だった娘さんがあれから30年ほどになるのかな、面影といのは分からなかったけど居たことは覚えていた。

そして、コークからわざわざリズとマットのクラニッチ夫妻、カーローからは1時間ほど、ということでキアラン君も。

帰りはマナスとギャリーとは別れてキアラン君の所へ。

夜10時に、れいこさんとも合流。いつものカーローの夜が始まった。

キアラン君は嬉しそうにチーズ、ガーリックブレッド、ハムそしてワインも開けて、いつもの面白さ全開。

フルートも出してきて数曲。

これには日本から到着したばかりでくたくたのはずの航くんも「凄い肺活量」と感心していた。

それでも1時ころには寝床について、僕はまた早起きで6時には裏庭のウサギを鑑賞して、あ、そう言えば4時ころだったかな、それから僕が起きるまで猫のペンギンが僕の上で寝ていた。ゴロゴロという音がしばらく聴こえていたっけ。

次の日にはゴールウェイに戻るので、航くんを含めた僕らをキアラン君がキルデアまで送ってくれた。

そこで観た光景はまた違ったもの。なにが面白かったかというと、羊たちが道のわきにいっぱい居たのだが、どこにも柵がない。

なので道路を勝手に歩いていたりする。これには驚かされた。

考えてみれば、これなら車はスピードを出せないし、周りの住宅にとってもいいのかもしれない。

そんなキルデアを後にして昼過ぎにゴールウェイに着いた。

疲れている航くんをパブに連れていき、先ずいっぱい。更にダニエルのドーナツを食べ、そしてパブフードを食べに出かけ、また一杯飲んで、9時半からチコリでミック・ニーリーがやっているのでそれまでにワインとチーズを少々。

さすがの航くんもミックたちの演奏を聴きながらパイント半分くらい飲んで「あ、僕もうだめかも。帰って寝ます」ということでその日は沈没。

次の日にはダブリンに戻るという弾丸ツアーなのでせっかくだからジモピーのあゆ子さんにモハーの断崖まで連れて行ってもらった。

天気も上々。またしても晴れ男の面目が立った。

崖を見ながら歩いていたら、オーイン・オニールがアコーディオンの人とバンジョーを弾いてバスキングしていた。

いつもはエニスで歩いていると出会ったりしていたが、今回エニスには立ち寄っていなかった。それがまさかこんな所で出会うとは…。旅は時として驚きの連続だ。

モハーを堪能した航くん、帰りはドゥーランに寄って、僕らがよく演奏していたガス・オコーナーというパブでいっぱい。それからゴールウェイに戻り「いっぱいいくか」と誘ってみようと思ったがアイスクリームにしておいた。

ダブリンに着いてから寝る前にちょっとどこかで飲んだらいいし。

夕方、5時15分、航くんはダブリン行きのバスに乗って行った。多分バスの中で爆睡したことだろう。

なんと2日間でダブリン~キルケニー~トラモア~カーロー~キルデア~ゴールウェイ~モハー~ドゥーランを巡り、ビールとワイン攻めにあったとんでもない弾丸ツアーだったはずだ。

そういえばゴールウェイで楽器製作者のポール・ドイルの工房も訪ね、かなり話も弾んだようだった。

アイルランドの後も数か所寄って楽器制作の現場などを見て帰る予定だと言う。

修行のためにイギリスに住んでいたのはずいぶん前だったらしいが、また本人の中で胸騒ぎが起こっているかも。

そんな充実した旅になったと思う。

今日のゴールウェイは15℃で晴れたり曇ったり。

だんだん日も短くなってきた。

2023年アイルランドの旅 30

僕はつくづく自分で自分がケチだと思う。

先日、少し甘いものが食べたいな、と思いスーパーの甘いもの売り場に立った。

こちらにはどぎつい色をしたいろんな甘いもんが並んでいる。

アップルパイやクランベリーパイ、各種マフィン、ロールケーキ、タルト等々、さすがに大福はないが、それでもチョイスはいっぱい。

そんな時でもまず、値段から先にみてしまう。

ケチでない人はそのルックスから入るんだろうなぁ。

いやいや、そもそもそういう人はあんまりこんなところで買おうとしないか。

気を取り直して、

ふと目に入ったのが、わずか2ユーロ程で小さなマフィンが12個も入っているもの。

同じ値段で同じだけ入っていてレーズン入りもある。

なんとなく、下手になんか入っているよりもシンプルな方がいいかな、と考える。

いや、この際アップルパイかな、と、また売り場を動く。

これもピンからきりまで。

目いっぱいリンゴが入っているものは5ユーロくらいしている。

日本では2000円くらいするだろうか。その大きさから見ても。

安いのは3ユーロ程で…でもこれ、ほとんどパイだろうなぁ。先っちょのほうに申し訳ない程度のリンゴが入っていそうな気がするなぁ。

などと考え、横にあるどぎつい赤い色をしたロールケーキも見てみる。

安いけどちょっとこれはないかな。

またマフィンの売り場に戻って3~4ユーロのものには目もくれず、やっぱり2ユーロのものを購入。

そこでいろいろ考えた。

12個あれば5~6日楽しめる。紅茶のお供に、コーヒーのお供に、なんなら緑茶だっていい。

高いもので4つしか入っていなかったら2日しか持たないかもしれない。

ならば6日に渡って楽しめたほうがいいのではないか。

高いものは美味しいと思ってまた買いに行ってしまう可能性があるし。

おー、なんとケチなんだろう。

このままではケチな人生で終わってしまうかもしれないので、たまにはフランス菓子の店でも覗いてみるか。

でもきっと覗くだけで出てくるんだろうなぁ。

それでも、京都出町ふたばの豆大福、キルフェボンのタルト、ラパンの食パンなどは…ありゃ、けっこう贅沢じゃん。

2023年アイルランドの旅 29

ここらで休肝日を設けないといけないと思いつつも、少し街へ出てみれば朝からみんな楽しそうに飲んでいるし、気温も15℃くらい、風もなく穏やかな日差しに包まれて飲むには絶好のシチュエーション。

だからと言って朝からはちょっと無理。知った顔がいたら観光客に混じって身を隠し、そっと通り過ぎる。彼らのテーブルにはまだお昼前なのに空のグラスがズラリと並んでいる。

マナスの家では一本だけあったビールを分け合って、一度だけワインを開けたが、さすがに医者夫婦、節度をわきまえて飲む。

外へ繰り出したりもしない。

フェスティバルではみんなから「もう結構」というまで飲まされる。

ゴールウェイに帰ってきたらすぐまたお誘いが来る。

ありがたいことです。

そんなこんなで、ちょっと調べごとをしていたら面白い記事を見つけた。

経済学者の森嶋通夫、この人が25年ほど前に書いた「なぜ日本は没落するか」の中からの引用である。

国際的評価を得られない「哲学なき政治家」

政治家は国を代表して対外折衝をするがゆえに、自ずと国際的評価の対象となる。

しかし、日本の政治家の中に国際的評価を得るレベルの政治家は少ない。

政治、産業、教育、金融、あらゆる部門にわたって日本を、そして政治家の様子を見てみると日本の荒廃のおよその見当はつく。

今のような政治家があふれている日本に豊かな未来はないだろう。

政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれる。

こういう状態は後50年は続くだろう。そうして私たちが引き出さなくてはならない結論は残念ながら日本の没落である。

偏差値型ロボット教育、価値判断を欠いた無機的教育を一刻も早く無くさなければならない。

とりわけ海外、欧米諸国偏重ではない、アジアとの交流をにらんだ教育体の確率が必要であろう。

日本はアジアから孤立しているばかりではなく、憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか相手にされない。

かいつまんで書いてしまったが、やっぱりちゃんとした人はきちんとしたことを言うなぁ、と感心しきり。

僕みたいに日本の政治家は「○みそが腐ってる」なんて言わないなぁ。

さて、ちょっとたかりにでも行ってみるか。

2023年アイルランドの旅 28

ゴールウェイ午後8時。

まだ太陽はサンサンと輝いている。

そんな太陽の下、またギネスを片手に友人たちと語り合う。

本当にここの人たちは人生を謳歌しているように感じる。

友人たちと飲んでいると、その友人たちが現れる。

まぁ一杯、と、散々飲んできた仲間にまたビールを勧める。

たわいもない会話がまた始まる。

結局、さっきまで一緒に飲んでいたはずなのに、それぞれが別なバーで飲んで、いつしかまた合流している。

今晩は流星群が見えるらしい。そんな話もしている。

特に明け方あたりがいいらしいが、それまで飲み続けるのだろうか。

恐るべきアルコールの消費量。

2023年アイルランドの旅 27

8月15日、事あるごとにこの日についての思いを今までにも書いてきた。

そのほとんどが、あまりにも情けない政治家の言動にがっかりしたものばかり。

僕の父がサイパンに居て、運よくトラック島に配属が変わって、生きて帰ってきたのは何歳くらいの時だったんだろう。

毎日毎日戦友が死んでいって、全てを火炎放射器で焼き尽くされて、降伏しかない、という英断を下した時の心情たるや、想像できるものでもない。

そんな青春時代を送ってきた彼らにとって、今の日本は一体どういった価値のあるものなんだろう。

本当に昨今の政治家のいい加減な言動を見るたびに、一応この国の成り立ちを形成するためにある存在にしては、あまりにお粗末だと感じてしまう。

人間としてお粗末だ。お粗末どころか終末だ。

なので、国民までやたらとSNSとやらで要らんことを言っては嬉々としている。

全然関係ない話だが、先日YouTubeを見ていて「聴き比べ」というのが目に入った。

もちろん、ある歌の元をたどることには大賛成だが、そこにコメントしてくる輩がバカ丸出しなのであきれてしまう。

何も知らないくせにかなり失礼なコメントも見受けられるが、頭が悪すぎる。

政治家になったらいいのに。

あ、そんな人ばかりではないことも伝えなくてはならないですね。

もともとこれを嬉々としてあげるのも、音楽を演じたことがない人なんでしょう。

大体、音楽に携わっていると「聴き比べよう」なんていう意識は生まれてこない。

あくまで、もと歌を「聴いておこう」ということだ。

アイリッシュでの曲もそうだ。

ケヴィン・バークのこの演奏、やっぱりマイケル・コールマンから聴いてみよう。

ほほー、なるほど。ここはこうしているのか。ならば僕らはどっちをとるか。

一つの曲の一つの音遣いが気になり、10人超の演奏を聴く。多数決を取りたい。そして、どうにかして作者の古い録音を見つける。

「聴く」というのは僕にとってそういう作業だ。

まあ、「聴き比べ」というのも言葉のあやかもしれないので、目くじら立てるほどのことではないが、あまり好きな感じはしない。

結局、何を言いたいかというと、今を生きる人間としては、古い時代のことを幅広く知るという事が大切なんかな、ということだ。

命を賭けてこの国を守ろうとしてきた人たちに失礼のないように生きたいものだ。

かなり無理に異次元な終わり方をしてしまったようで反省。

2023年アイルランドの旅 26

8月12日 土曜日 ゴールウェイの窓越しに見る光景は、ただ一言「めっちゃ寒そう」

お隣さんの煙突から出ている暖炉の煙がすごい勢いで横に流れている。

少し雨も降っているのだろうか。

道行く人もみんなコートを着て背を丸めて震えあがるようにして歩いている。

ちょっと日本の天気を確認すると、時間の違いはあれど、東京34℃となっていた。

今現在ここは16℃、恐らく東京の同じ時間になっても20℃以上にはならないだろう。

そんなゴールウェイも久しぶり。

6日から今までフィークルフェスティバルのため、クレアーに居た。

ゴールウェイ市内とは一変して深い緑に囲まれた生活。

マナス・マグアイヤーの家で朝のコーヒーとグラノラ、昼の各種サラダ、夜のチキンや野菜、全て緑一杯の庭での食事。

別にゆっくりしに行ったわけではないが、これも含めて全てこの音楽。

本当に時々しか聴こえない車の音と牛の鳴声を背に話が弾む。

この民族は本当に話好きだ。

食事はそれぞれが持ち寄った話を聞き、沢山の質問をし、ジョークを言い、時間をかけて楽しむものだ、ということがよくわかる。

少し遅くなったときには、暖炉の前でチーズとワインでまた語り合う。

よくこんなに話すことがあるな、と思うくらいに話す。そしてまた話す。

音楽シーンでも同じかもしれない。

今回僕らはEast West Fiddlesとしての比較的短いセットのコンサートでの演奏と、セッションを担当していた。

ここでも「アイルランドあるある」が炸裂。急に出演順が変わるなんて…さっきまでの、いや、1か月前までのあれはいったいなんだったのだろう、みたいな。

また「あるある」の一つとして、サウンドエンジニアのこの音楽に精通した音の作り方だろう。

いろんなグループが演奏するので、いろんな楽器が登場する。ボーカルもある。しかし、決してハウリングなどは起こさないし、めっちゃバランスがいい。モニターにもなにか注文することはほとんどない。

出演順がわずか数秒の間で変わってもなんの問題もない。これも不思議な「あるある」だ。

加えてお客さん。一杯のお客さんの反応もこちらの気持ちを高揚させてくれる。

ステージが終わってから、一杯飲むためにバーに出かけるとそこでは大きなセッションがあちこちで行われている。見た顔が一杯。

久しぶりにランダル・ベイズにも会った。ジェリー・ハリントンがまた大きな声で笑っていた。コーマック・ベグリーもマリーさん(アンドリューのお姉ちゃん)そしてアンドリュー。

しばし、ピート・クインとカレン・ライアン夫妻、アンドリューと語り合い、ギネスとハイネッケンを飲み干し、その日は帰路に就いた。

いろんな人に会ってそれぞれにいろんな話をするのもけっこう疲れるもんだ。そのうえビールも一杯飲むし。半分くらいになると必ず誰かか「もういっぱいいくか」というので、もしいくらでも飲める人だったら大喜びだろう。

僕は断るのに大変「本当にいいのか?」なんて念を押されてしまう。変な奴だな、と思われるのかな?

2日目は、バーの一角を借りてのCDラウンチとセッション。

マーティン・ヘイズが僕らのことをアナウンスしてくれる。

そして僕らのCDから数曲の演奏を聴いてもらった後で、集まった人たちとのセッション。

いろんな人が現れる。

キャサリン・マカボイとマリーさんも来てくれて、久しぶりにデュオの演奏も聴けた。

そして、中でも驚いたのがサンフランシスコ時代の友人たち。

数年前に再会したサラ・コリーと、こちらはもう30年ちかくになるだろうか、弟のデイブ。

彼とは彼がまだ15歳くらいの時以来だ。

そしてもう一人。同じく20年は会っていなかっただろうか。グロリア・グレッグ。彼女はハンマーダルシマー奏者でサンフランシスコのセッションではいつも一緒だった。

一見怖そうな顔をして真剣にダルシマーに向かっている姿は、最初かなり近寄り難かったが、後年は家に招待してくれるなど交流を深めたものだ。

マーティン・ヘイズがバンジョーを弾くのを初めて観たのも彼女の家だった。

そんな風に今回はアンドリューとのセッションはなかったが、会っていろいろ話をすることはできたし、いろんな人との再会もあったし、それなりにフェスティバルの意味合いは大きなものと確信している。

今、こうしてこの文章を書いている最中、とんでもない雨が屋根を叩きつける音が聴こえたがいつのまにか静かになっている。

こういう日が続くと外へ飲みに行かなければノイローゼになってしまうかもしれない。そろそろ朝晩は10℃を切りそうだし。

パブが大流行なのもよくわかる。そして重要な存在なのもよくわかる。そして音楽も大切な命の源なのもよくわかる。

あれ、晴れてきた。ちょっと久しぶりに町の様子でも見に行ってみるかな。

帰りには濡れネズミになっていないことを祈って。

2023年アイルランドの旅 25

ゴールウェイのレースウイークというのが始まった。

良く知らないし、興味もないが、競馬かな。

とにかく凄いのは街の人出。

ATMの前には行列ができ、どこのパブも溢れんばかりの人、また人。

今日も例のユジーンとあゆこさん、ユジーンの友人たちと飲みに出かけた。

といえども彼らはもうすでに3杯目くらい、というところに呼ばれて行ったのだが、隙間のないくらいの人がパブにぎっしり。

向かいのパブも隣のパブもぎっしり。

道路を歩いている人たちもぎっしり。

何10軒あるか知らないが、この街のほとんどのパブはどこもぎっしりで、それぞれひとり10パイントくらいは行きそうだ。

そんなぎっしりのお客さんが入れ替わり立ち替わり。

すごい光景だ。

そして、誰もがにこやかで本当に楽しそうにしていて、隣同士すぐ仲良くなってしまう。

飲み過ぎで気持ち悪くなる人など、いないようだ。

幸せいっぱい夢いっぱい、ギネスもいっぱい、という感じだ。

日は少し短くなってきたが、現在8時。まだまだ明るい。

本当の週末の夜はこれから始まる。

本心から幸せに友人たちと語り合い、知らない者同士がともに飲んで、歌なんか歌って。

これはこれで愛すべき民族だ。

明日からはフィークル。

マナスの家でしばらく過ごすことになるので、しばしお休みします。

彼も、リタイアしているがもともとは医者、奥さんも医者なので、健康的には留意して暮らせそうだ。

飲み過ぎでヘロヘロになるようなことはないでしょう。

2023年アイルランドの旅 24

毎年アイルランドでセッションに参加してきたが、ここ数年は本当にそういった場に立ち寄らなくなった。

多分、ギタリストの立場というのもあるかと思う。

リード楽器はそれでも大勢で弾いて楽しい、というのがあるだろうが、ギタリストの場合、特に僕の場合かもしれないけど、決して楽しくない場面に遭遇することも多い。

先日もセッションを聴いていて、ある曲のある部分、ブズーキが二人いたが、僕が思うことと違うことをしていた。

決して間違っていたわけではないが、この曲の持っている魅力を引き出すにはそこでこの和音を使ったほうがより効果的、ということを考えてしまう。

メロディーから考えるに、こういうベースノートで進行させてここに落ち着かせるみたいな、こうでなくてはいけない、というものでもないので、感覚勝負だがこれは分かる人にはたまらない魅力につながると思う。

もし、僕がその場にいたらその場に合わせなくてはならない。

それは単に時間を費やす、という事になってしまう。

みんなはそれでじゅうぶん楽しそうなので、僕がひねくれているだけなんだろうけど。

多分、リード楽器のほとんどの人もそんな事には気が付かないだろう。

カレン・ライアンが「ワオ、今のそれ!それが欲しかった」と叫んだり、僕はそのような感覚を持ち合わせた人とやりたい、と思ってしまう。

なのでセッションに参加することは、時として苦痛にもつながることがある。

考えてみるに、セッションというのは、曲を覚える、牽引する人からそのグルーブを体得する、などが大きな目的だが、どうしても各曲の持つテキスチャーという部分には、特に人数が多いと到達しない。

でも、それが僕にとってかなり大事な部分だ。

それにしても、もっと音楽を楽しめたらいいのに、と我ながらに思う。

少人数で音を大切にするセッションが好きだ。

急に変わりますが、台風が迷走しているようですね。

いろんなところでまた災害が起きなければいいけど。

今年はまた、暑さだけでも災害級といわれているようですが、今や30℃に到達しないと「比較的涼しい」ということになるのでしょうね。

本当にここは天変地異とは縁遠いような、飲んでいれば忘れてしまうような、もし、空からギネスが降ってきたら誰も働かなくなるからそれはひとつの災害かも。

2023年アイルランドの旅 23

今日は、初めてジェームスという凄くでかい声で歌っているシンガーと話をした。

彼はVegaのロングネックを弾きながら街角で歌うストリートミュージシャンの一人。

前出のロビンと二人でなにやら話をしていた。

ピート・シーガーがこうやって弾いていた、なんていう会話を耳にして僕もなにか話をしたくなったのだ。

一度立ち止まって仲良くなってしまうと、彼、いつもいるから必ず顔を合わせることになる。

まるで商店街の「カレ~トテモオイシ~!ゴ~ヒャクゴジュウエン」みたいなもんだ。

でも、持っているバンジョーにちょっと興味があったので取りあえず話してみることにした。

「Vega?ピート・シーガーモデル?トラスロッドは金属?それとも木?」と訊くと気さくに「2本入っていて金属。これ、ディーリングなんだ」と嬉しそうに話す。

「そうか。僕もディーリングのVega持っているよ」

「ロングネックか?」「いやいや、ロングネックはペグに手が届かない」

なんていう話をした。

彼もそんなに大きい男ではないが、歌がメインなのでキーがE やFにするにはやっぱりロングネックだ。

しかし、そんなにでかくないのに声はとてつもなくでかい。

歌は往年のフォークソングからアイリッシュ・バラッドなど、ちょうどクランシー・ブラザースのような、ウィーバースのような、そういった雰囲気のものを歌う。

マイクロフォンなんか要らない深い声だ。

ちょっと調べてみたら、そのバンジョーもけっこう良い値段するのに、彼も少々の雨だったら平気で歌っている。

でも、さすがにかなり降っているときはいないかな。

先日はロビンが土砂降りの雨の中、マンドリンで歌っていた。

いかにアイルランド人といえども傘をさして歩くくらいの雨の中。

ジェームスのほうが少し常識人なのかな?

2023年アイルランドの旅 22

日本のニュースを見ていると、あまりにしょうもない芸能界の話とかがやっぱりみんないちばん興味がある事柄なんだろうな、ということがよく分かる。

相変わらず「大食い」とかやっているんだろうか。

相変わらず芸能リポーターなる商売がいろんなところに首を突っ込んで、みんなそれを喜んでSNSとやらで論争を巻き起こしているのだろうか。

全く、平和ボケというか、自由と身勝手をはき違えている国民性になり下がってしまったような気がする。

もちろんみんながみんなそうではない、ということは重々分かっている。

しかし、先日もなんか30何人だかでフランス旅行をした議員。

これを甘えさせている以上、日本は世界レベルから見ても最低の政治体制国家だと言える。

これも、中心人物はもともと芸能界から出てきている奴だった?

もしそうだったらやっぱりみんな芸能界って好きなんだろうなぁ。

暑い日本を抜け出したかっただけかと思いきや、あの人たちは涼しいところで過ごしているのだから関係ないだろう。

嘘でもいいから、もう少し仕事モードの写真を載せたらよかったのに、その辺はやっぱり浮かれていて気が回らなかったんだろうな。

そのうえ、何だか自分に対する批判みたいなものを論点をすり替えてかわそうとしているようだが、少し頭を使って考えればなぜみんなが怒っているのかが分かるはずだ。

頭を使う頭があるんだろうか?疑問だ。

本当に日本人は大人しいというか、興味ないんだろうな。やっぱり。

投票率が0%でも自民党の老人たちは自分たちが勝った!というんだろうな。

ま、こんなことをとやかく言っていても仕方ないが、そう考えている以上、僕もあまり興味がなく、どっちでもいいけど、いい加減にしろ!という程度かな。

では、言うな、と思うだろうけど、年寄りだから仕方がないと思ってください。

とにかく、ちゃんと政策に生かせていただくことを願うだけかな。100年かけてでも。

さて、日本では熱中症で若い子まで死んでいる。

健康の度合とか、暑さに弱い強いはあるだろうし、運が悪かったこともあろうが、かわいそうだ。

しかし、学校側も認識しなければいけないとは思う。

水を定期的に飲ませたり、休憩を取らせたり、いろんな配慮はあっただろうが、それに合わせて個人差もあるのだから、その辺を考えたら、リスクを背負ってまで部活はしなくてもいいと思うが。

そのうち、アスファルトの上で目玉焼きが焼けるくらいの温度になるだろう日本。

いやぁ、生きていくのは大変だ。

そりゃ、海外にでも出たくなる。しかも公金ならばなおさら美味しい。

2023年アイルランドの旅 21

昨日は珍しく飲みに出かけた。

いや、珍しくないか。シチュエーションとして珍しかったかな。

去年、よく出会ったユジーン、実際にはユージーンのほうが近い仮名表記なのかな?

でも友人のユージーンというのが変で、ユジーンとした覚えがある。

その彼の奥さん、日本人でアユコさんという人から連絡があった。

彼女とは去年、顔だけは合わせた程度に知り合いになっていたが、先日、8時をすこし過ぎたころ、和カフェ(現、和すし)のよしみさんから「今シェリダンズのワインバーでアユコさんと飲んでいるけど来る?」という連絡が入り、出かけて行った。

シェリダンズは有名なチーズ屋さんで、入るなり強烈なチーズの香りが漂うところ。

お店はもうクローズしていて、2階のワインバーだけは開いている。

なので、お店ほどその香りが強くはないが、開いている時間のお店には僕は入れないほどのなかなかのチーズの香りだ。

ほんのりと香り漂う2階なので慣れてしまえば大丈夫。

よしみさんの方は2015年以来の深いつながりで、なかなかのバイタリティの人ということは承知していたが、アユコさんはその上をいくかもしれない。

ちょっとヌートバーのお母さんを彷彿とさせる。

フランスが長いので、英語よりもフランス語のほうが通じやすい、という神奈川県の人。

話が世界中に飛ぶので、しかもヌートバーのお母さん然としているので、めまぐるしい。

面白かったのが、コロナ禍の直前にアイルランドから、ダイビングの免許を取りたくて、エジプトに行って、そこでコロナということになり、7か月間エジプトにスタックしてしまった、ということ。

国籍が日本なので、アイルランドにも戻れず、という状況だったらしいが、なかなか聞けない話をいっぱい聞いた。

さて、ここまでは先日の話。今日は何が珍しかったかというと、セッションをやっているバーで飲む、ということだったかな。

普通、静かなところでしか飲まないが、アユコさんが「4時からフォークミュージックをやっているところ」なんていうので「それ毎週やっているセッションだよ」と返信して、ちょっと出かけてみた。

ユジーンはもうすでに何杯目だろうか。

「この人とまともに付き合って飲んだら死ぬよ。だから適当に帰りたくなったら帰っていいよ」というアユコさん。

重々ご存じです。

奥の方で、フィドラーのマイケル・チャンを中心に10人ほどだろうか。中の数人は良く知った顔だ。

日本人の女の子も数人来ていた。

そのうちの一人はもしかしたら、数年前フィークルでのアンドリューとのセッションの時に会っているかもしれない。

でも、若い女の子に「前にどこかでお会いしましたっけ?」って、なんとなく訊きにくい。

演奏を聴きながら僕もギネスで話が弾む。

やがて、グラスが空きかけると、ユジーンが立ち上がり、新しいギネスが目の前に置かれる。これだ!

アユコさんとも話が弾む。

3人姉妹の末らしいが。2人の姉はあたしどころではない、という。

なぜ「2代目かしまし娘」としてデビューしなかったのかと思うが、曰く、方向性が全く違う3人、ということだ。

このバイタリティで3人三様の方向性、しかも2人の姉のほうが輪をかけて凄い、という。なんとも想像を絶する家族かもしれない。

いや、上の2人は一番下の妹が強烈で、と、きっと言っているだろう。

世界にはいろんな人がいるもんだ。

ユジーンが立ち上がった。

「いや、もうけっこう」と言って逃れる。

逃げるタイミングというのもなかなか難しいが、どうやらそんなことはあまり考える必要がないようだ。

7時。セッションはまだ続いていた。

街がにぎやかになっていくのはこれから数時間後だ。

別なバーからもセッションの音が聴こえてくる。

2023年アイルランドの旅 20

さて、外を見ると、お、なかなかいい天気じゃぁござんせんか。

洗面所に行って、歯を磨いて顔を洗って、今一度外を見る。

なんと、かなり激しく雨が降っている。油断も隙もあったもんじゃない。

でも空は明るい。

申し合わせたように傘もささずに歩く人。

仕方がないので、コーヒーを飲みながら外を眺める。

やっぱりだ。急に太陽が顔を出した。

一番初め、今日はTシャツで十分、と思ったがこれでは羽織るものを用意しないと大変な事になるかもしれない。

雨に濡れることが大変でないのは、空気が比較的乾燥しているからだろうが、その辺がよくわからない。

こんなにしょっちゅう雨がふるのに…。人口密度も関係するのかなぁ。

みんなが二酸化炭素を吐き出すから湿度も温度もあがるのかなぁ。

もしそうだとしたら、アイルランドで100人居るような所に、日本では10000人の人が居れば当然湿度も高くなるはずだ。

アメリカ、特にサンフランシスコ辺りでは、ジーンズの洗濯なんて1か月に一回くらいで十分だったような記憶があるが、僕だけだろうか。

雨に降られてもすぐ乾くし。

アイルランドでも、すぐ乾くというほどではないが、あまり気にならない。

濡れた後にまとわりつく湿気というものがあまり感じられないんだろうなぁ。

想い出すなぁ。

キアランの家のお隣さんの洗濯ものが何日も雨に降られたり、太陽に当たったりを繰り返していた光景を。

でも、やっぱり生乾きになるだろう。

さて、ちょっと外へ出てみるか。

う~ん、雲が低い。こりゃ雨の匂いがする。

2023年アイルランドの旅 19

毎日、日本のニュースで日本列島が真っ赤になっているのを見る。

これから先、いったいどうなっていくんだろう。

毎年毎年「今年の暑さは異常だ」という話が出るが、涼しい顔しているのは政治家だけだ。

彼らが守られていて、大したことをしていなければ、国民が苦しむのは当然、という構図が出来上がっている。

政治家も熱中症で倒れたりするんだろうか。いや、聞いたことがないけど…どうなんだろうか?

嘘がばれて都合が悪くなって入院、という話はしょっちゅう聞くが。

7月の日本は快適でスポーツに向いている、とか日本には打ち水という文化がある、だとか、涼しい顔して良く言ったもんだ。

友人が「ダニは50℃で死滅する」と言っていたが、40℃越が当たり前になってきて、50℃にも達するようになれば、もはや人間は住めなくなる。

ダニどころか人間も死滅する。

日本にもそんな日がやってくるのではないかと危惧しているが、とりあえずここ数年の間に40℃ということは当たり前になってくるだろう。

そうなったらあのガンドゥーラなるものを着るしかない。

面白いだろうな。役所とかみんなあの格好していたら。どこの国に来たかわからなくなるだろうなぁ。

でも、涼しいから着ているわけではないだろう。これ以上は宗教上の問題なので考えない方が無難だ。

さてさて、午前7時。14℃だ。

昨日、昼間にカッパを着て歩いたら少し暑いな、と感じた。どうやら18℃くらいあったようだ。

東京の半分か…。しかし、じめじめした空気と人が一杯のあの感じでは、体感温度は40℃を優に超えているかもしれない。

四季折々の日本は確かにいい。でも夏の暑さだけはちょっと異常だ。

といえども、夏の暑さが好き、とか、夏が待ち遠しい、とかいう人も沢山いるだろうし、それで商売が成り立つ人もいるだろうし、一概には言えないけど、せめて30℃までにしてほしいものだ。

2023年アイルランドの旅 18

アイルランドの国民的歌手、いや、世界にその名を轟かせた人物がこの世を去った。

シネイド・オコーナー

特にフォローしていたわけでもないので、有名な曲とかあまり知らないが、よく好んで聴いていたのは「フォギー・デュー」だった。

なんとも力強い歌声に心を奪われたものだ。

そんな関係で、映画「マイケル・コリンズ」も何度観たことだろうか。

ジュリア・ロバーツが「She Moved Through the Fair」を歌うシーンは一般的にどこでもアイルランド人が集まれば当たり前の光景だった。

家族で、友人同士で。

演奏を楽しみ、ダンスを楽しみ、そして歌を歌う。

多分、アイルランド人にとってシネイド・オコーナーの死はけっこう大きな出来事だろう。

去年は9月の初めころ、やっぱりアイルランドでエリザベス女王が亡くなったことを知った。

僕にとってはそれに匹敵するくらい、いや、彼女がまだ若かったから尚更かもしれない。

56歳。精神的にも色々あったみたいだ。

あれだけのシンガーだったし、社会に対する思いも半端ではなかったし、なかなかに濃い人生だったんだろうなぁ。

2023年アイルランドの旅 17

今日は一転して寒々とした、しとしと雨模様。子連れ狼のような天気。

ちょっと外へ出てみると、まぁ大したことはない。

フードさえかぶっておけば大丈夫だ。

ストリートミュージシャンのロビンが、今日はバンジョーでなくマンドリンを弾いて歌っている。

けっこう安物のようなマンドリン。やっぱりワイルドウッドのバンジョーをびしょぬれにするのは気が引けたか。

あるいは修理にでも出しているのか。

いや、アイルランド人、たいがいの修理は自分でやってしまう。

先日、ギャリーがマンドラの指板を自分で取り替えた、と言っていた。

そういえばイデル・フォックスがコンサーティナをばらばらにして世間話をしながら直していた。

笑い声がコンサーティナくらいうるさかった。

アメリカで、なんか個人で楽器を販売しているようなおじさんがいて、よく出入りしていたころ、テナーバンジョーをそのおじさんから買った。

そこそこ1000ドル位したんじゃないかな。

「ここ、ちょっとフレット浮いてるみたい」と言ったら「あ、ほんとだ」と、言って、やにわに金槌を持ち出し、思い切り3~4回叩いた。

「これでどうだ」満足そうな顔をしてそう言った。

ま、確かに直っているようには見えるが、なかなか日本ではあり得ない経験だ。

煙をもくもく出しながらゆっくり走ってくるポンコツ車から、ふにゃふにゃの髪の毛をしたおじさんが出てきて、やにわにボンネットを開けてレンチみたいなもので、思い切りガンガン叩いている。

そしてすぐ乗り込んでそのまま走り去っていった。

ところがどっこい、3ブロック先で同じことをして、また走り去っていった。

僕もティプシーハウス時代、フィドラーのポールの車が発進するときはいつも押していた。

下り坂がある時には必ずそこに止めて「これなら楽にスタートできる」なんて言っていた。

ところで、その車も自分でエンジンを積みかえたらしい。

ノエル・ヒルなんか古い古い枠組みだけしかない家を購入して、3年くらいかけて見事な家に作り上げた。

ガスも電気も水道も壁に穴を開けて自分でひいたらしい。

ここは電圧が非常に高い。220~240下手すると大変なことになる。

先日も新しいライトを壁に取り付ける時「ジュンジ、スィッチオンにしてくれ」見るとドライバーかなんかの先っぽで火花が飛ぶ。

「よし、今度はオフにしてくれ。そのままいじるなよ。フランキー・ギャビンが来たらオンにしてもいいぞ」なんて笑って言いながら見事にライトの完成。

どうりでカーリーヘアーの奴が多いと思った…って冗談いっている場合ではないのだ。

今日は一日中雨のようだ。こんな天気のほうがアイルランドらしい。

2023年アイルランドの旅 16

美味しい「やぶきた茶」をいただいたので朝から飲むことにした。

いつもはコーヒーだが、日本茶もたまに飲みたくなる。

そんな中でも「やぶきた茶」は力を込めて淹れたい一杯だ。

調べてみると、生みの親として、杉山彦三郎という人物の名前が出ていた。

もちろん静岡の人。

杉山姓は静岡に多いと思う。小学校の頃からクラスに2人や3人は杉山が居た、と記憶している。

「やぶきた茶」…ま、日本茶としておこうかな。日本茶は偉大だ。

それは多分に、僕が日本人であるのと、静岡人であるからだろうが。

それにしても、大福相手にコーヒー、みたらし団子相手に紅茶、なんて考えられないけど、ケーキに渋い日本茶は…それは僕だけだろうか。

余談だが、醤油も偉大だ。

前にも書いたかもしれないが、寿司はソースでは喰えたもんじゃない。でも、ハンバーグだって大根おろしと少しの醤油で、とんかつだって、ステーキだって、残りの天ぷらだって、コロッケだって、醤油で食べられないものはない、と、これも日本人だからかも知れないな。

さて、「やぶきた茶」やっぱり美味しい。

ここは硬水なので比較的風味が出にくい感はあるが、それでもこれだけ美味しいのだから大したものだ。

ただ、惜しむらくは、僕がコーヒーカップしか持っていないこと。これは何とかせねば。

以前、トニー・マクマホンがサンフランシスコで、ちょっと安価なメニューの並ぶリーズナブルなレストランに入ってワインをオーダーしたらワイングラスではなく、コップで出てきたらしい。

彼は怒り心頭ですぐ店を出たそうだ。

ワインはヨーロッパの人間にとっては、何で飲んでもいい、というものではない。

ギネスを紙コップで出されたようなもんかな。それ、僕でも嫌だな。

ざるそばを頼んだらフォークが出てきて、箸はない、と言われたようなもんかな。

食文化はなかなかに奥の深いものがある。

ずっと昔、テキサスで友人と飲みに行って、よくわからなかったので適当にオーダーしたら、毛虫(芋虫?)入りのテキーラが出てきた。

これなんかは、そういうものだったのだが、予想もしていなかったのでぶったまげたもんだ。

友人が「前にどこかで、フレンチフライにマルボロの吸い殻が混じっていて、ウェイターを呼び、悪いけど俺、マルボロは吸わないんだ、って言ったら、そのウェイター、すみません。すぐセイラムとお取替えします。ってなかなか面白いやつだった」

これなんか良い話だなぁ。そんな風にしてその日初めてあった人とのコミュニケーションが取れたらあんまりしょうもないトラブルなんて起きないだろうな。

なんのはなしだったっけ。

あ、そうだ、後で湯のみ茶碗として使えそうなものを見に行ってみようかな。

もしかしたら、ジャスミン茶とかウーロン茶を飲むような、ドラゴンが描かれた蓋付きのケバイ色の物はあるかもしれない…って。う~ん…?それもちょっと…。

2023年アイルランドの旅 15

今日はこちらに来て一番いい天気だったかもしれない。

全く雨の気配もなく、一日中穏やかな晴天に恵まれて、気温は17℃という日本の皆さんには申し訳ないような気候だ。

今は夜7時過ぎだが、まだまだこれからが本番のこの町。

太陽はまだサンサンと輝いている。

こちらもついついつられて、フラフラと飲みに出かけてしまう。

途中で知った顔に出会うが、名前が出てこない。いや、これは仕方がない。多分名前も知らない人。

どこかのパブで演奏していた時によく話をした人…だと思う。

そういう人、沢山いるので、まぁ良しとしよう。

先日、静かなパブを見つけてそこに入った。

と、言えども、そこそこ遅くなってきたらやかましくなってくるのだろうけど。

5時とか6時ならまだまだ静かで、ゆっくりギネスを楽しむことができる。

やっぱり静かなほうが良い。

人がいっぱい居てにぎやかで楽しい、とかあまり思わない性質なので、どうしてもそういうことになってしまう。

ここを最初に見つけた時も、入り口にいるセキュリティーのガタイのいい兄ちゃんに「静かなパブを探しているんだけど」と言ったら「今は静かだよ」と言われたので入ってみた。

そして今日も静かだった。やっぱり静かな方が良い。

酔っているせいか、同じことを書いている気がする。

たまにはこんな文章も自然体でいいかな。

2023年アイルランドの旅 14

今日はちょっと驚いたことがあったので、短いけど書いておこうかな。

さっきまで降っていた雨も止んで、何気なくどうしようかな、と思い窓際に行って外を覗いてみたら、屋根のところに、かもめの子供がいる。

屋根が滑るせいか、足元がおぼついていない。

一生懸命足を踏ん張っている。

そのうち意を決したか歩き始めた。

すると、ツルツルと滑って下のほうまで落ちていった。

ほどなくしてバタバタとすごい音が聞こえた。

慌てて見てみると、なんと、大人のカモメがそのこどものカモメをつついている。

それも、とても遊んでいるようには見えない。

まさに襲っているのだと思われる。

僕はとりあえず窓を激しく叩いてみた。

すると、効果あったのだろうか。なんとか逃げ出すことができたようだ。

自然界とは恐ろしいものだ。

多分、いわゆる田舎に住んでいたら、けっこうよくあることかもしれないが、シティ・ボーイの(これ死語?)僕にはなかなかにすごい光景だった。

2023年アイルランドの旅 13

ずいぶん疲れていたせいだろうか、9時間くらい寝てしまったようだ。

それでも、この歳になると「あるある」だが、3回くらいトイレに起きている。

ま、起きれない(正しい日本語ではない)よりはましか…。

午前8時。コーヒーを飲んで、シリアルを食べて。

さて、気温は…15℃

天気は曇り。いや、よく見ると霧のような雨が降っているようにも見える。

向こうのほうから女の子がランニングして来るのが見える。

短パンにTシャツでしっかりとした走りだ。

なんだ、窓越しに降っているように見えたのは目の錯覚か、と思って今一度よく見てみると、やっぱり降っている。

それもけっこう降っている。

これでは普通、ちょっと散歩などとも考えられない。

毎日のルーティンといえどもこの中で走るって…いや、今日は日曜日。多分普段は仕事で、土曜と日曜のこの時間に走ることを決めている人なんだろう。

ほかにも傘をさす、でもなく、普通に紙袋持ってゆっくり歩いている人…まったく彼らの行動から物事をはかり知ることはできない。

他人は他人。自分は自分だ。

この雨の中、もし日本で傘をさしていなかったら、あいつは井上陽水か、と思われてしまう。「傘がない~♪」って、コンビニで買えよ!と突っ込んだものだ。

「雨が空から降れば~♪」って、当たり前だろう。そんなもん足元から降るわけないだろう、なんて。

仕方がないので上がるまで待つか、いや、アイルランドあるあるを甘く見てはいけない。

少し晴れてきたのでダニエルのドーナツでも、と思い、外に出てみた。

やっぱり気が向かなかったのか、いや、朝は雨だったからか、居なかった。

甘いものを売っているダニエルだが、甘く見てはいけない。

2023年アイルランドの旅 12

今日は小雨が降る土曜日。

これくらいの雨だったら傘は要らない。

ほとんどの人はそのまま歩いているし、アイルランドあるあるの光景だ。

今、ゴールウエイは「アートフェスティバル」の真っ最中。

その中の一つとして今日はランチタイムコンサートで1時間ほど演奏することになっている。

ちゃんとした会場でPAもきちんとしていて、やたらと音がいい。

といえども、僕らが到着した時、それと同時にサウンドエンジニアーがやってきて、そこからセッテインング。

いつもながら、その手際のいいこと。音決めの早いこと。

やっぱりこの音に、このバランスに慣れているとしか思えない。

母親の胎内で聴いてきた音がもう、身体にしみついているとしか思えない。

お客さんも立ち見がいるくらい大勢入っている。

4人で合わせた最初の演奏としては、そのショーの進行もなかなか良かったのではないかな。

また、やっぱりお客さんの反応も聴きなれている人達、という感がある。

調子の良い曲では身体を揺らし、スローな曲ではあちらこちらからため息が漏れている。

100人近く入っていても、そんな反応を肌で感じることができる。

後ろのほうは見えないが、前の方の人たちの表情がとてもいい。

僕らも1時間ほどをみんなと楽しむことができて、気持ちのいい疲れが残った。

お腹が空いたので、その会場の下になっているパブで何か、と思ったが、先日書いたように、ここではちょっと前に食べたし、結構にぎやかでうるさかったので、近くのハンバーガー屋さんに行った。

ハンバーガーといってもファストフードではなく、それなりの店だ。

とても美味しかったが、死ぬ前に食べたいものとは違うなぁ、なんて言いながら、それでもチップスとチキンバーガーとビールで大満足して帰った来た。

人生最期に食べたいもの、何かなぁ?

アイルランド人はイモだろうか、。いや、食べるものはいいから飲ませてくれ、というだろうなぁ。

2023年アイルランドの旅 11

いったい、いつごろから日本でもシリアルなるものが食されるようになったんだろう。

僕の記憶としては、中学くらいの時にシスコーンシュガーとかいうものを食べていたと思う。

ちょっと調べてみると1963年に発売になった、とあるので、やっぱり記憶は正しいのだろうか。

それ以来、日本ではあまり食べていなかった。

ひとつには需要が少ないせいか値段が高い、というのもあった。

やっぱりアメリカでは結構食べた。種類も豊富で、売り場などは日本の10倍ほどのスペースを確保していた。

ここ、アイルランドでもそうだ。

僕はこういったものがかなり好きなので、選択肢はいっぱいあると嬉しい。

ともすれば1日2回ほどこれを食べればそれで満足、なんていうこともある。

この類のいわゆるシリアルとはまた別に、最近ますます気に入ってきたものでミュースリがある。

まるきり「鳥の餌」なんて思いながらも、そこにヨーグルトとはちみつ、それから牛乳を入れて食べるとかなり美味しい。

噛み応えもあり、しっかり食べた感もある。

たまに晩御飯として食べたりもするくらい気に入っている。

キアラン君も立ったままそんなものを食べて「いってらっしゃい」と言って出かけていく。

帰ってくると「おかえり」と言う。???

ともかく、こういったものがいたって好きな僕はどこに行っても不自由しないから便利だ。

そういう意味ではアンドリューとよく似ているかも。

ちょっと余談だが、ポリッジって食べすぎると便秘するらしい。

食物繊維=おなかに優しい…ようだが、そうとばかりは言えないようだ。

経験者は語る。

一時、3食ポリッジで数日間、これでおなかの調子はバッチリ、と思っていたら、そんなことになって身に覚えのある事柄として、検索してみた。

やっぱり何事も度を超えたらいけません、という事ですね。

2023年アイルランドの旅 10

ギターのブリッジが少し浮きかけているようだ。

これはやばい。このまま放っておいたら飛ぶなぁ、と思い、応急処置で仕方ないから誰かいないかな。これはいくら何でも自分では無理だし。

そんなことを思いながらいろいろ検索してみると、工具もいるし、やっぱり楽器店か、と考え、あ、そうか近くに2軒あるな、ということを想い出した。

ひとつはキーラン・モロニーズ。

フルート奏者のパディ・モロニーの息子の店だ。

パディ・モロニーズ・フェイバリットといういい曲を僕らもレパートリーに取り入れている。

すぐ近くだが、それよりももっと近くに一軒あったのを想い出した。

ポール・ドイルだ。通りに出たらほとんど見えるようなところ。

こりゃ幸い、と持って行った。

使う予定があったので一応状態だけ見せに行って、次は明々後日だけど、という相談を持ちかけるつもりだった。

対応してくれたのが若いフィドラーの女の子。

見るなり「あーこれだったらまだそう悪くないし、1時間くらいでできる」と言っていた。

ほんまかいな?と思いつつ「明日居る?」と訊くと「うん、1時には来ているからあたしがやるし大丈夫」と太鼓判。

「じゃぁ明日の1時に持ってくる」と言って店を出た。

そして1日経ち、1時に店に行ってみた。

アイルランドあるある。ピタっとドアに鍵がかかっていてなんやら張り紙がしてある。

HPには10時オープンと書いてある。

それでも一応その張り紙には「そんなに遠くへは行っていないからここに電話してくれ」と書いてあるので、早速電話した。

するとポールが出た。事情を話してここで待っているから、という事になり、しばらく…そうだなぁ、20分程だったかな。

以前にも会ったポールとはちょっと違う感じのポールが「俺を待っているのは君か?」と言って歩いてきた。

どうやら病気を患ったようだ。

とりあえず昨日のことを話して「彼女来ている?」と訊くと、アイルランドあるあるだ。

多分もうすぐ来る、という返事。

そりゃそうだな。中にいるのにきっちり鍵がかかっているわけがない。

そして待つこと10分。普通の顔をして現れた彼女の最初の一言「あら、あんた早いわね」アイルランドあるある。

ま、それでもすぐに取り掛かるから1時間して戻ってきて、と言われた。

果たして1時間というのは本当だったが、そんなんで大丈夫なんだろうか。

ポールは身体の具合がかなり悪そうだし、女の子はどうみてもリペアーマンには見えないし。でもノーチョイスだ。

恐らくキーランの所に持っていったら何日か預けてくれ、と言われていつ仕事を始めるか分からない。その危険は十分にある。

そのうえチャージもそれなりにされそうだし。

そんなわけでとりあえず、応急処置で良いので彼女にまかせることにしたのだ。

そして1時間経って行ってみたら今度は「あら、あんた早いわね」とは言われなかった。

「弦、もう張ってもだいじょうぶかな?」と訊くと「多分大丈夫」という返事。

その「多分」は90パーセントくらいの自信のようだ。

ご飯粒で貼り付けたわけではなさそうだ。アイルランドだし、イモか。

とりあえず今日1日くらいは休ませておこうかな。

因みに25ユーロの出費だった。

なんとなく彼女の小遣い稼ぎに一役買ってあげた気持ち。

2023年アイルランドの旅 9

ずっと雨予想だったのがそこそこ良い天気が続いている。

でも歩いていると、時々「あれ、雨かな?」と思う時があるので、一応雨、としておけばいいとでも思っているんだろうか。

確かに、晴れるよ、と言っておいて雨よりは、雨、と言っておいて晴れたほうが人々の喜びは大きいかもしれない。

昔は運動会なんて面倒で、雨降らないかなぁ、と思ったこともあったな。

ところで、例のサワードウブレッド、最後の二切れはとうとうゴミ箱に旅立ちました。

そりゃそうだよな。

推定10日も経っていれば罰もあたらないだろう。

これ以上挑戦すると口の中が傷だらけになるし。

昨日はキンバラにあるギャリーのスタジオに出かけ、久々にみんなで音合わせ。

楽譜も置くわけでもなく、誰かが始めれば自然と音が重なって一つの完成した世界が出来上がっていく。

とてもリラックスできる瞬間だ。

外はゴールウェイよりも暖かく、きらきらとした入り江に緑の山が写りこんでいる。

やっぱりこの音楽、これだよな!と感じてしまう。

1週間経ってまだどことなく時差ボケが抜け切れていない僕にとって、この景色とこの音楽はとても心地が良い。

ひょっとしたらこんなぼーっとした感覚が最も人間にとって自然体なのかもしれない。

いや、ちょっと言い方が悪いかな。

要するに、余計なことに惑わされず、余計なことを考えず、全てお任せ!みたいな。

やっぱり人間は自然体で生きていけるのが一番かな。

アイルランド人って自然体なのかな…。

2023年アイルランドの旅 8

人間の許容範囲や対応力などについて考えている。

というのも、先日のサワードウ、石みたいなやつ。

どでかかったのでまだいっぱい残っているが、さらに磨きがかかって、岩石といえる感じで鎮座している。

もちろんその前に切り分けておいたが、その時ですらナイフが折れるのではないか、と思ったくらいだ。ジェイソンには連絡がつかなかった。

しょうもないことを言っていないで、今朝、それをオーブンに突っ込んで、少し焼いて食べた。

これ、普通の人なら捨てるんだろうな、とも思えるその岩石は省ちゃんだったら絶対に無理。

そんなことを考えながらハムとチーズを乗せ、気を付けながら口に入れた。

そうしないと口の中が傷だらけになるかもしれないからだ。

僕はこの数日間で極めて顎が丈夫になった気がする。

なんでそこまでして食べるのかと思うだろうが、なかなかに好きなのだ。

もちろん、日本の匠の技に裏付けされた素晴らしい食パンも好きだが、ライ麦パンとかソーダブレッドの類も好きだ。

しかし、こんなに固くなった「元パン」は普通の人だったら、やっぱりもうゴミ箱に入れるかもしれない。

そこには僕の「もったいない」という考えと「まだいける。悪くない」という思いと、そこそここういったものが好きだ、という感覚がある。

食べながら外の朝焼けを眺め、コーヒーを飲みながら(飲み物がないととても大変)美味しいなぁ、とつぶやく。

そう。美味しいなぁと思うことは大事だ。

もちろん、美味しいものを食べたときには、中には言葉で表現できないくらい美味しいものもあるし、普通に美味しいものもある。

僕はあまり「あ、これ不味い」とか思ったことがない。これって料理をする者にとってあまりよくないことかもしれない、と時々思う。

どんなものでも美味しいと思っていたら、なかなかちゃんとした評価ができないのではないか、とも感じるからだ。

そんな僕にとってやっぱり「これダメ!」というもの、いや、好き嫌いは別として、そんなものが今までにどれくらい存在しただろうか。

今、想い出してみると…そうそう、バグナルスタウンの、とあるパブでまれかさんがオーダーした、タラかなんかのソテー(?)だったかな。

彼女が一口食べて首を傾げた。「あ、無理」と顔に書いてあった。

僕は「もったいないから全部食べなさい」と言いながら、一口ほおばってみた。

次の瞬間「あ、これ無理!」と僕もつい言ってしまった。

その辺の排水溝から釣り上げたんではないか、と思われるその料理はいったい何だったのだろう。

しかも排水溝から釣り上げて1週間ほど忘れ去られていたんではないだろうか…。

たまにレストランでまったく味のしないスープなどが提供されるが、そのためにテーブルに塩とか胡椒とかが置いてあるのだ。

しかし、そのタラの何とかは…。

そういえば、大学時代、友人の家で出されたお茶が異常に不味かった記憶がある。

その辺の草か!と静岡育ちの僕は京都人に新たな疑念を抱いたほどだった。

いわゆる番茶だったのだが、敢えて言わないが銘柄まで覚えている。そうしないと間違って買ってしまうかもしれないからだ。

一生懸命岩石と格闘しながら、またいろんなことを想い出してしまった。

時間をかけて食べることは良いことだ。

2023年アイルランドの旅 7

久しぶりにアール・スクラッグスのアルバムを聴いている。

もちろんフォギー・マウンテン・ボーイズだ。

想い出すなぁ。

ニューヨークに居たときの、どことなくブルーグラスが似合わない感覚。

あの町はやっぱりジャズだ。

バスがバージニアに入った途端フィドルやバンジョーの音色がやけにマッチして、テネシーに入るとそこにスティールギターが加わったり、そのサウンドが周りの景色にこれでもかというくらいにマッチしている。

山々、丘、空、そして流れゆく雲でさえも。

果たしてフォギー・マウンテン・ボーイズの音色は…どこかよそものの感じがする。ここでは。

面白いもんだなぁ。

音楽は世界共通言語なのに。

何かが悪いわけではないが、空気感かなぁ。

ここでは日本食よりもやっぱりフィッシュ&チップス。

ま、決定的に水の違いで出汁が出にくいとかそういうことはさておいて。

なまじ両方の音楽を手がけてきたせいもあるだろうし、普通の感覚とはまた違うのかもしれない。。

それにしても最初の録音のフォギー・マウンテン・ブレイクダウン、素晴らしいなぁ。

1949年12月11日の録音なので、僕がおぎゃ~といった(知らんけど)少し前。

これ、やっぱりすべてのブルーグラスバンジョー曲の基本なんだろうなぁ。

2023年アイルランドの旅 6

ここまでほとんどアイルランドでなくてもいいようなことばかり書いてきた。

それというのも今回はマナス・マグワイヤーとギャリーオブリエンとのクワルテット

East West FiddlesのCDリリースがこの先10ヶ所ほど控えている。それがメイン。

なのでセッションなどにはあまり顔を出さないようにしている。

もともとフラッとセッションにでかけたりはしない性質だし。

ちょっといつもと違って仕事モード。あんまり大きな声では言えないが。

まれかさんも仕事が忙しいし、ギャリーも僕も良い歳だし…まぁ、医者が二人いるのでその辺は何とかなるかもしれないが、無理は禁物。

今日は来て初めてパブフードが食べたくなって近くのパブに出かけた。

多少、晩御飯には時間が早かったので静かで人も少なかったし落ち着いて食べることができた。

僕はハイネケン、まれかさんはグラスのギネス。

のはずが、なぜかグラスのハイネケンが来た。アイルランドあるある。

ギネスに変えてもらって一件落着。

あとは僕がクラムチャウダー、まれかさんがムール貝、そしてシェアできるサイズのフィッシュ&チップス。定番だ。

テーブルには今日のスペシャル「チキンカレー」とあったが、アイルランドあるある感があるある。一瞬考えたがこれはパス。

フィッシュ&チップス頼んでおけば、ほぼ間違いないはずだし、ここはよく来ていたところだし、チャウダーの味も覚えている。

このパブではこの土曜日に演奏することになっている。

ということは、ひょっとしてまた同じもの食べなくてはいけないかもしれない。しまった。

今、京都の友人たちから続々とメールが届いて、その中に温度計の写真があった。40℃と表示されている。

アブダビと変わらないではないか。

早速、こちらの13℃という表示を送ってあげた。お昼には19℃くらいまで上がるようだが、明日の朝は10℃に満たないようだ。

なんかどこかに書いてあったけど、世界の中で天変地異に縁がない国としてアイルランドが挙がっていた。

フランスやスペインに熱波が来てもアイルランドはすり抜けていくようだ。

日本のみなさん、おつかれ生です、どころじゃないなぁ。

2023年アイルランドの旅 5

またまた2時に起きてしまった。

でも、夕べ眠りについたのが9時頃なので5時間は寝ている。

大谷君ではないので、ましてや年寄りなのでそれくらいで…十分というわけではないが、そんなもんだろう。

普段でも6時間くらいで目が覚めるので、こういう時は思い切って起きてコーヒーでも飲めばなにか新たな発見があるかもしれないし。

そうでなくても、布団(ベッド)の中でコロコロできないタイプなのだ。

昨日買った世界一美味しいダニエルのドーナツとコーヒー、ってか2時だぜ。

日本はまだお昼前、朝の10時ころなので良いだろう、と決めつけているがこんなことをしているといつまでも時差ボケがおさまらないかもしれない。

まぁ自然にまかせよう。

ところでドーナツは一日経っても異常に美味しい。全然油っこくないから不思議だ。

でも、このダニエルという伊達男、気が向いた時しか店を出さないので皆に勧めることができない。

本職はテーラーということだけあって、街で見かけると、自前のどえらく格好のいいしゃれた服を着ている。

2014年の8月にこのダニエルのドーナツについてはすでに書いている。

当時は6つ買うと4ユーロだったらしいが、前回からかな、5ユーロに値上がっている。

ドーナツではよく覚えている話があるが…すでに書いたかなぁ。まぁ、いいか。

アメリカでもよくドーナツ屋に出かけて行った。仕事場の近くにもあったし。

ドーナツ屋は警察官の休憩所としてもよく知られている。

そんなドーナツ屋で、ふと見かけたのがYesterday Bakeと表示され、大きな箱に75個のドーナツが入っていてそれを5ドルで売っている。

そんなにしょっちゅうあるわけではないが、その日は75個という大量のドーナツ。

どうしようかな、と思いつつ、今はレストランの昼休み。従業員は5人ほどいるし、あとからウエイトレスもやってくる。

全部食べなくても大損はしないだろう、と考え思い切って買ってしまった。

僕が3個、ほかの連中は1個か2個。結局60個以上捨てたかな。

まさかデザートとしてお客さんに配るわけにもいかないし。

さて、ちょっと天気予報を見てみよう。

お、水曜日に19℃まで上がる。この10日間で最も暑い日だ。

2023年アイルランドの旅 4

なんだかすごくいい天気になったけど、時々サーっと雨が降るので、一応雨の予報は当たっている、ということなんだろう。

楽器の鳴りが良いので、バンジョーでSanto&JohnnyのSleep Walkなんかを弾いていたら眠くなってしまった。

夜中の2時ころ目が覚めて作った曲ということなので、無理もないだろう。

さて、今日はサワードウブレッドを買った。

スーパーで4日前に見て、買おうかな、と思っていたが、その時は買わず、今日買ったのだが結局、あの時の残りに違いないということは買ってみて判明した。

電動のこぎりが必要なくらい。ジェイソンでも呼ぶか。

恐らく、僕が最初に見たのが3~4日経ったものだとすればあの固さは納得がいく。

今頃きっと処分するのを忘れていた店員が「おかしいなぁ、もうひとつあったとおもったけどなぁ」なんて…思わないか。

しかし、サワードウブレッドはもともと保存食。

サンフランシスコでは1849年のゴールドラッシュ以来のものだが、当地のものはかなり酸っぱい。

ともかくそのサワードウブレッドを苦労して切ってオーブンに突っ込んで食べると、どことなく懐かしい香りと味に包まれた。

日本のフワフワもっちりとは全然違う、いうなれば粗雑な感があるが、一生懸命食べている感じがする。

このひと切れとコーヒーでもあれば十分晩御飯になる。

もうそろそろ8時になるがまだまだ明るく、日本の午後4時くらいの感じだ。

昨夜はノエル・ヒルから飲みに行くお誘いが来ていたが、気づかずに寝てしまっていた。

時差ボケのせいで早くに寝てしまったので悪いことをした。

夜に出没してもヒルとはこれ如何に。

昼に出没してもナイトというが如し。

あまりにしょうもないので今回はこれにて失礼します。

寝たほうがいいかもしれないので…。

あ、その前にサワードウブレッドは先に切っておいたほうがいいかもしれない。明日になったらジェイソンでも無理かもしれないし。

2023年アイルランドの旅 3

日本で言う「夏、本番」というのはやっぱり7月8月の2か月間のことだろうか。

それでも今や、6月から、下手すると10月くらいまではとんでもなく暑い日があったりする。

ともすれば5月に入った途端30℃とか、11月に台風とか…やっぱり地球の悲鳴をきちんと受け止めなければいけないんだろう。

それなのに嬉々としてミサイルで遊んでいるアホとか、自己満足で破壊を繰り返すバカとか、地球上に要らん奴が多すぎる。

原発の汚染水を海に流すんだったら、原子力開発委員会の連中は、1か月くらいは家族とともにその海で泳ぎまくって安全を自ら示せばいいのに。

そしたら絶対断るんだろうな。

たったの1回でもやらないんだろうなぁ。

そんなことを考えているうちに、気が付けば京都では祇園祭だったのかな?

想い出すあの宵々山コンサート。

始めたとき永さんはまだ30代だったと記憶している。間違っていたらごめんなさい。

僕もまだ23か4か、そんな頃だった。

あの時も暑かったし、サウンドチェックもままならないほどのすごい蝉の鳴声だった。

楽屋でのやかんの麦茶とか、アイスキャンディーとかが懐かしい。

そして、早くから並んでくれた人達の輝く笑顔が懐かしい。

四季折々の記憶というのはやっぱりいいもんだ。

光景としては、青い空とオレンジ色の柿がたわわになっている秋が最も好きかも。

菜の花がいっぱいなっている光景とか。

人生の終わりにはそういうものが走馬灯のように流れていくのかな。

多分、宵々山コンサートもそのうちの一つだろう。

7月も中旬に差し掛かってふとあの暑い夏の京都を想い出してしまった。

時計を合わせなくてはと思い、腕時計を操作しながらふとスマホを見ると、いつの間にかちゃんとアイルランド時間になっている。

アブダビに着いたとき、すでにアブダビ時間になっていたので、いったいどの時点でパッと変わるのかダブリンに着く前に見てみよう、と思いつつ、気が付いたらもう変わっていた。恐るべしスマホの威力。

今現在のあなたの時差ぼけ指数は何パーセント、なんていう機能があったら…って、なんの役にも立たないか。

2023年アイルランドの旅 2

朝の4時。なかなか寝付けないのはやっぱり時差ボケのせいだろうか。

普通、逆向きのほうがきついはずだが、これでは帰ってからが心配だ。

そして、今はダウンを着ている。気温は14℃ということだが、寒く感じることからも時差ボケであることは明確だ。

因みに東京は昼ではあるが31℃となっている。

ここしばらくはこちらは雨予報の連発。

少しだけ街に出ると、びしょぬれになってバンジョーを弾きながら歌っている奴がいる。

この界隈では有名なうちの一人。ちょっとマット・デイモンに似ているロビンという奴だ。

バンジョーだって、見たところワイルドウッドのロングネック。

あまり濡らしたくはない代物だ。

もう一人ヴェガのピート・シーガーモデルを弾いて5ブロック先まで聞こえる太い声で歌う男もいるが、今はいない。

雨だからだろうか。いやいや、あいつも土砂降りでもない限り歌うはずだ。

時間交代制なんだろうな。

この雨続きではストリートミュージシャンも大変だ。

さてさて、しばらくは美味しいものともお別れだが、僕の場合はシリアルやミュースリなどがいたって好きなので、あ、オートミールもだ…あまり気にはならない。

日本食でないと、とか、全然酒が飲めない、とか、そういう人は来ても仕方ない国かも。

しかし、自然の美しさと空気の美味しさ…おっと、空気が美味しいというのはとりあえず素晴らしいことだ。

そういったことを大切にしている国なので、そこら辺が日本との違いかな。

でも、最初に書いたように、なんだか解せない事柄にもよく遭遇するし…でもそれはどこに行ってもあることかもしれない。

今ちょっと天気予報を見てみたら、体感は12℃だそうだ。

風邪ひくかもしれないし、もう少し寝てみたほうが良いかな。

2023年アイルランドの旅 1

アブダビ空港、午前一時。こちらの方面の人が圧倒的に多い。

僕の隣で黒ずくめのヒジャブを着た年配の女性がスープを飲んでいる。

ちょっと見ると顔もほとんどおおわれていて、その顔をおおっている布をいちいちめくりあげ、ひとスプーンごとにまた顔をおおっている。

大変だなぁ…なんて余計なお世話だが、さらに純白のガンドゥーラというのかな、あの中東の衣装、それもさっき注文の物が出来上がりました、というくらいパリパリに糊が効いているような輝くばかりの白で、この人、何だかケチャップのパスタみたいのを食べている。

よせばいいのに。おとしゃしないかなぁ、とこちらも大きなお世話だが、慣れているのか 

全然こぼさない。大したものだ。

ところで、外の気温はこの時間で37度。昼は40度くらいあったらしいが、ま、東京とあまり変わらない。こちらのほうがカラッとしていていくらかましかも。

そしてダブリンに着いたら10度。

これは年寄りにはきつい。

夜はノエル・ヒル宅でビールと彼の調理したムール貝。締めに赤ワインで語らいながら、意識が朦朧としてきてまだ明るい9時には爆睡。

長いフライトと気温の差で…おっと、ひとつアイルランドあるある、ということがあったんだっけ。

空港で荷物受け取りの際、アブダビからのフライトは2番、という表示があり、ずっと2番のところで流れてくる荷物を見ていたが一向に出てこないので、ふと周りを見るとなんだか同じ飛行機に乗っていた人たちが1番にもたまっている。

そればかりではなく、3番にも見たことがある人達。

ちょうど空港職員らしき若い女の子がいたので、どこから出てくるの?と訊いたら「アブダビだったら1番か2番」というではないか。「じゃぁこの人ごみの中、両方見なくてはならないの?」と訊くと「ま、そういうことね。ところであなたのチケット見せて。あ、これは3番から出てくるわ」「え~聞いてないよ」

てなわけで3番で待っていたが一向に出てこない。そんな中一緒に乗っていたインド人の家族の大量の荷物のいくつかがまだでてこないらしく、二人の7~8歳の女の子と15~6際の女の子がしびれをきらして遊んでいた。すると大きいほうの女の子が「お父さん、あれ私たちの荷物じゃない?」と2番の方を指さした。

僕もつられて何気なく2番の方を見ると、なんと僕の荷物も流れているではないか。

あきれて引き揚げてから先ほどの若い女の子に「2番で出てきたよ」と言ったら大笑いでおわってしまった。

おおらかな、といえば聞こえがいいが、あまり信用もできないアイルランドあるある。

また、これからゴールウェイに向かうバスのチケットが一時間後のものだったが、目の前にそのひとつ前のバスらしきものが止まっていてちょうどドライバーが最後の確認をしていたので「これ一時間後のチケットなんだけど…」と言って見せたら「あ、荷物入れておけ。俺がこのバスに乗れるようにしてあげるから」と、早速手続きを済ませてくれた。

日本ではなかなかこんな具合にはいかないだろう。

どちらもその、適当な曖昧さがいかにもこの国らしく、うれしい時もあれば悲しい時もある。

言い換えれば、先が思いやられる感と何とかなる感が入り混じっている、そんな国だ。

サウンドタム See You at Tam’s

僕らがかねてからお世話になっている群馬県安中市のサウンドタムがこの度、素晴らしいCDをプロデュースした。

過去に出演したアーティストの録音の中から抜粋したサウンドタムでのライブアルバムだ。

全てのアーティストというわけにもいかなかったが、かなりの内容であると確信している。

長年に渡る膨大な録音が存在するので、第2弾とかあったらいいな、とも思っているが、まずは今回のこのCDを通じて是非サウンドタムのサポートをお願いしたい。

数量に限りがあるようなので早い目に注文を入れたほうが良いと思う。

僕はタムちゃんの創り出す音と素晴らしいアーティスト達によるこのアルバムに大いに期待している。

僕らもCrabs in the Skillet / Rolling Barmaidというセットで参加している。

因みにCrabs in the Skilletは、オニールの1907年に出版されたDance Music of Irelandに掲載されている曲だが、多くの人によって演奏されているため、様々なバージョンが存在する。僕らはTara Breenの演奏から学んだ。

Rolling Barmaidはマンチェスター(?)のバンジョー弾きTony Sullivanによって書かれた、とされるとてもキャッチ―な曲だ。

この音楽を始めた初期の頃、彼のチューンブックを2冊オーダーしたことがあった。

確かこの人、Sullyという銘柄のバンジョーも作っているんじゃないかな。

CDに関してのお問合せはサウンドタムまで。

善は急げ、です!

ゴールデンレトリバー

この表記でいいと思うが、決して「ゆりやん」ではない。

今朝、ウォーキングをしていると、ゴールデンレトリバーを連れた人に出会った。

そのゴールデンレトリバーが、飼い主を思い切り引っ張って、僕の方に近づこうとしていた。

見た感じ、かなり一生懸命な雰囲気だった。

ニコニコしていたようにも見えた。

そこで、忘れもしないアメリカでの出来事を想い出した。

もうすでにどこかで書いているかもしれないのだが、それはある週末の昼下がり。

近くの公園を散歩していた時の事。

飼い主の若い男性に連れられたゴールデンレトリバーが、多分20メートルほど先に見えた。

繋がれているわけでもなく、二人で気持ちのいい気候を楽しんでいる、という典型的アメリカ的な光景であった。

ところが、そのゴールデンレトリバーが僕を見つけるなり、一目散に駆け寄ってきた。

その時の彼の(彼女?)顔は限りなく「知り合いに会った」という顔をしていた。

犬の顔の違いを語るのは難しいが、明らかに嬉しそうに「あ、この人よく知っている。久しぶり。会いたかった」と言っているようにニコニコしていたのだ。

僕も思わず「どこかで会ったかな?昔からの知り合い?」と訊いてしまったくらいのものだった。

あまり信じてはいないが、生前どこかで繋がりがあったのだろうか。

そうとしか思えないほどの出会いだったので、鮮明に覚えている。

息子の友人で、過去500年の生まれ変わりや、関係の極めて深かった人の事などを観ることが出来る人がいるらしい。

その人が知るはずもないことをことごとく言い当て、知るはずもない亡くなった人についても、着ているものから何から何まで言い当てるらしい。

そこまで来ると信じざるを得ないが、あのゴールデンレトリバーの喜びようは一体何だったのだろうか。

チワワとかポメラニアンではまだ経験が無い。

シェパードはあまりニコニコしないだろう。

柴犬だったら有り得るかもしれないが、あの日のゴールデンレトリバーは格別だった、と云えよう。

やはり、多分、過去に何らかの繋がりがあったのだろうと今も思っている。

小芝風花

先日、そろそろ寝ようかと思っていた時間、なにか特別なニュースでもあるかな、と何気なしにテレビを点けてみた。

すると、なんだかとてつもなく早口でまくしたてている女の子が現れた。

それが小芝風花だった。

あまりにあっぱれな喋りに圧倒されてしまい、見入ってしまった。

ラジオのパーソナリティを演じているドラマだったが、あまりドラマなるものには興味が無いのでこれはあくまで僕にとって事故みたいなものだ。

しかし、何度も言うようだが、見事なもので、あれはアドリブ?

いや、大体の原稿はあるんだろうが、あれだけの文章を覚えることが、しかもあれだけ早口で言う事が普通できるのだろうか。

昨今のいろんな局のアナウンサーでも、短い文章でよく噛んでいるが。

政治家なんて書いてもらったものを見ながらタラタラ喋っていてもしょっちゅう間違える。

唯々感心してしまったのでついついここに書いてしまったが、俳優というのは凄いものだ。

いや、彼女が特別なのか。

勿論、やかましいと感じる人もいるんだろうが、少なくとも僕は感動した。

そして凄いものを見せられて小さな幸せと希望が生まれた。

無題

あえて無題としたのは、もうあまりにも情けなくて言葉もでないものを先日観てしまったからだ。

こんな事書くのも嫌だが、あまりに情けなくて何か言わないと自分の気持ちが収まらない。

観てしまったものは、元東京都知事の輩が会議の席で大あくびをしているシーン。

その後で使用禁止のはずの携帯が鳴った。

本人は、自分が使ったものじゃない、という表情で「あ、ごめん、ごめん」と言って、また偉そうに椅子に深々と寄りかかっていた。

しかし、大あくびはこの上なくみっともなかった。

この人、もうちょっとましだったはず…?いや、結局こんなもんだったのか。

あまりに長い間ぬるま湯に浸かっているとこういう事になるのか…。

その辺はよく分からないが。

これも注意だけで済ませているような政治集団なので、若者に見放されるわけだ。

また、あれが「恥ずかしい」と感じない本人の脳みそは完全にメルトダウンしているとしか思えない。

そんな連中に国の様々な事柄を決めさせていいのだろうか。

将来に希望が持てないこの国はあのような連中が作りだしているとしか思えない。

誰でも平等に出馬できるというモットーは分からないでもないが、迷惑ユーチューバ―とか、仕事もせず中東で豪遊する奴とか、選挙ごっこをして遊ぶ奴とか、管理する側もなめられたものだ。

ちょっと前は首相の息子と云うのもあったし。

あれ、本当にボーナス辞退?文書だけ?僕らには知る術もない。

しかし、あまりにも馬鹿げたものを次から次へと見せられるので、テレビに向かって文句ばかり言っていてもなぁ、という感情が湧いてくる。

バカバカしいから読まなくても良いですよ。

なら書くなよ、という批判が来そう。

しかし「いや~素晴らしい」というような政治の世界の事を一度くらい書いてみたいものですね。

ちょっと追加;

先日ウォーキングの最中、想い出したことがあった。

そういえば、大谷君もダグアウトであくびをしていたことがあったが、同じあくびでも、多くの人に夢や希望を与えている人のあくびと、わが身の保身しか考えず、他人のことなんか屁とも思っていない奴のあくびでは、やっぱり差が出るもんだなぁ。

ジョージ・ウインストン

ジョージ・ウインストンが亡くなった。

彼の最初のアルバムは1972年のBallads and Bluesというものだったというが、何故かこれ持っていた。

多分、彼の演奏がしょっちゅうラジオで流れていて、近所のセコンドハンドストアーで見つけたのだと思う。

ラジオで流れているものと少し変わった雰囲気で、ほほ~こんなところにルーツがあるんだなぁ、と思った記憶がある。

コンサートも聴きに行った。

場所はサンフランシスコシンフォニーホール。

老若男女、みな正装してばっちり決めていた。僕も一応スーツにネクタイというパリッとした格好で出かけた。

取りあえず、シンフォニーホールなので。

そこで登場したジョージ・ウインストンは、なんとよれよれのシャツに色褪せたジーンズ。

それに今思い出すに裸足だった。

昨日、慌てて友人に(例のお酒の好きな人)ジョージ・ウインストンが…とメールして、僕が観た時、運動靴で出てきました、と、裸足の印象があったのに何故かそう書いてしまったら、早速「裸足じゃなかったでしたっけ」と指摘を受けた。

いや~ありがたいことで、ありゃ、ボケたかな?と思い、昨日の朝ごはんは何を食べたかな?なんて考えてしまった。

フルグラにヨーグルトを入れて豆乳をかけて、コーヒーと…ばっちり覚えている。

って、ほとんど朝はそれ。忘れようがない。

晩はというと、これがピーナツバターバナナサンドイッチ。俗にいうプレスリースペシャル。

実際はこれにカリカリのベーコンを挟むのだが、僕にはそれはなくてもいい。

日本のピーナツバターでは作れない。これが絶妙に美味い。

しかし、こんなものを晩御飯にしている僕はちょっと変わっているかも。

何だっけ?そうそう、ジョージ・ウインストンの話ではないか。

アメリカでは15分に一度くらいは彼の曲が流れていた。

僕も母親があんなに早く亡くならなければ、ずっとピアノを弾いていたんだろうな、と思ったものだ。

とに角、素晴らしく語りかけて来るような演奏に耳を奪われた。

そこへ、シンフォニーホールでのコンサートのお知らせが新聞に出ていたのですぐチケットを手に入れた。

シンフォニーホールには五嶋みどりの演奏も聴きに行ったし、ケニーGも聴きに行った。

ケニーG も当時Songbirdが大流行でやはり15分に一回くらい流れていた。

彼は客席の後ろのドアから演奏しながら出てきた。

ジョージ・ウインストンは一部の最後に客席から数人のお客さんを呼び出し、何をするのかと思ったら、ちょっとスローなブルースからご機嫌なブギウギを弾き出した。

さぁ、踊れ踊れ!とみんなに促して盛り上げた。

やっぱり彼のルーツなのだ。

いろんな音楽を聴いていると、その人のルーツを垣間見るのがとても面白い。

ノラ・ジョーンズがDon’t Know Whyでヒットし始めた頃、多くの人がジャズの要素を語っていたが、僕はカントリーを感じていた。この人、ルーツはカントリーじゃないかな?と思っていた。

まさかラビ・シャンカールの娘だとは思わなかったが。

ジョージ・ウインストンは最もよく耳にしたピアニストだったかもしれない。

1949年12月26日生まれ。僕と4日しか違わない。

またひとり消えてしまった。

ショパンの面影を探して

これはフジコ・ヘミングのマヨルカ島でのコンサートに関するドキュメンタリーのタイトル。

既に再放送ではあったが、何気なしにつけたテレビからついつい観入ってしまったものだ。

夜中だったので、先日知り合いから頂いた高いウイスキーを少しだけ飲みながら。

普段からあまり飲める方ではないので、ウイスキーなんて味もよく分からないけど、何となく飲みたいような気持になった。

そして、この番組を観ていていろいろ想い出してしまった。

僕がピアノを始めたのは多分4歳くらいの時。

もう既に書いているが、母親の影響だった。そこはフジコ・ヘミングと同じように。

その母親と云えば、僕にはあまり記憶にないくらい、病におかされて、おそらく僕が5歳くらいの頃から入退院を繰り返していた。

父親が「どうも癌という病気らしい」と言ったのをよく覚えている。

「そういえば、写真を撮るといつも身体が少し傾いていたなぁ」なんて言っていたのもよく覚えている。

誰かに入れ知恵をされて、食用ガエルを手に入れてきて、知り合いの料理屋さんに持って行く最中に逃げられてみんなで追いかけたこともあった。

家の庭に小さな池があって「あの池が奥さんの病気に悪い」などと、まことしやかに言った人がいたせいで池を埋めたこともあった。

それを提案した人は「中西さん」と言う人で、当時、中西と云えば「太」だったので、母が亡くなった後、父が「あんなこと言ってふてーやろうだ!」と言ったのもよく覚えている。

それでなくても最近、中西太氏が亡くなって少し想い出していたが、まさかフジコ・ヘミングからそこに繋がるとは…。

よく病院にお見舞いに行った記憶はある。

コバルト療法というのをやっていて「コバルトという言葉を聞いただけで辛い」と言っていた。

どこだったのかは覚えていないが病院から出ると菜の花がいっぱい咲いていて、そこを散歩したこともあった。

菜の花だから春だったんだろうな。その年の冬に亡くなった覚えがある。

母親の想い出というのは、僕には多分2年か3年分くらいしかない。

しかし、音楽に関しては本当に感謝している。

もし、母が僕にピアノを勧めなかったら、父同様、消灯ラッパと起床ラッパの区別がつかなかったかもしれない。

それを危惧してピアノを習わせた、ということを後に祖母から聞いた。

母は39歳という若さだった。

祖母は草月流のお花のお師匠さん。母は幼少の頃からピアノを弾いていたらしい。

そんな家庭に育って、こともあろうに結婚した相手がとんでもない音痴だったので、こりゃ大変!と思ったのだろう。

そんな僕も母が亡くなってピアノから離れてしまった。10歳の時だった。

音楽から離れ、プラモデルに夢中になっていた頃、ギターという物が世の中に流行りだし、手にしてみれば「お、こりゃ面白い」という事になり、やがてはバンジョーの音にも魅かれていく。

そんな事を想い出しながら90歳にもなるフジコ・ヘミングの演奏に聴き入ってしまって、ウイスキーも少し多めに飲んでしまった。

このところ、お酒絡みの話が多いけど、今回はあくまで素晴らしいフジコ・ヘミングの演奏から昔を想い出して、という事なので、そこんとこよろしく!

引き続き、酒

決して二日酔いではありません。

早速友人からメールをいただきました。よっぽどお酒が好きなのかな?

彼は与論に住んでいたことがあるそうで、その当時のお話を沢山聞かせていただきました。

与論というと、ナターシャーの初期、ジーンズの会社の「青年の船」だったか、そういった名目でクルーズ船に乗り込み、数日間与論島目がけて航行する、という演奏を兼ねた旅のお供をしたことが有ります。

確かもう省悟だったので1973年頃か。

その当時、その会社のCMで使われていたのがジョン・デンバーの「サンシャイン~♪」というもの。

起床時、毎食事、何かイベントが始まる時、大きな音で最初の8小節くらいが流れるのです。

全日程が何日間だったか覚えていないけど、一日に何度も同じ曲を聴いて、しばらく頭から離れませんでした。

僕と省悟はトイレに行くときも「サンシャイン~♪」と歌って立ち上がるようになり、お互い「サンシャイン~♪」と発したら何かを始める、という風になっていました。

友人はワインの事も聞かせてくれました。

彼の友人で、断捨離の一環としてどえらく高いワインを処分した人がいたらしく、中には一本50万もするようなものがあったらしい。

彼は「僕だったら10万のワインを飲むより5000円のワインを20本飲みたい」と言っておりました。

僕だったら1000円のもの100本かな?多分死ぬまで大丈夫。いや、残るかも…。

キアラン君じゃあるまいし。

彼等ヨーロッパ人のワインに対する愛情は格別なものがある。

僕が安物を買ってくると「こんなクソみたいなワインを飲んじゃだめだ!」と言って、自分の保管してある物を開けてくれる。

彼の覚えている日本語は「飲み放題」「生大」「フツカヨイ」「いらっしゃいませ」「ゴメンナサイ」なんか全て飲むことに関するような言葉ばっかり。

そういえば、あのコーマックも僕のアパートで騒いで管理人に怒られ、後日「ゴメンナサイ」と管理人室を訪れていた。

お詫びに持って行ったのがなんと「日本酒」だった。

なんじゃそりゃ?

最近、友人とのメールで、お酒について少しだけやり取りした。

とは言っても、僕自身お酒がそんなに好きでも飲めるわけでもないので相手にもなれないのだが。

話のきっかけは、僕が最近安物のウイスキーを買って、寝る前にちょっとだけ飲んでいる、という事。

そして先日、ある人からちょっと高いウイスキーを頂いてその違いが何となく分かった(あくまでなんとなく)という事。

それはアルコールに弱い僕にとっては、本当にちょっとだけで眠たくなるのでちょうどいいのです、という事などから。

友人は、蒸留酒は全く飲まず、ワインかビール、或いは日本酒です、と言っていた。

僕もビールとワインは少しなら割と好きだ。

日本酒はいまいち、かな。飲まないこともないけど。

だいぶ前にホテルカリフォルニアの歌詞に出てくる1969年のスピリットに関することを書いたが、僕自身、蒸留酒とか醸造酒とかよく分かっていなかった。

いまだにそんなによく分かっていないのだが、確かに暑くなってくるとビールは美味しい。

と言いながら、安いし発泡酒で充分だが。

ピザには赤ワイン。

ボンゴレには間違いなく白ワイン。

刺身にはあまり飲めないけど雰囲気で日本酒。それもどちらかというと冷酒。

いずれにせよ、すぐ眠たくなるので出来ることなら家で飲みたい。

外に飲みに行くことはまず皆無。

アイルランド人のように家で散々飲んだ後、パブに繰り出すような真似は絶対に出来ない。

それでも、僕ももう少し飲めたらいいけどな、と思わないこともない。

さて、電気代も値上がりしたことだし、早い目に高いウイスキーでも飲んで寝るかな。

バンジョーは重いで。いや、バンジョーの想い出。

つまらないダジャレのタイトルで始めてみたが、いろんなバンジョーのことを想い出している。

何度か書いたかもしれないが、ピアレスを手に入れたのが14歳か15歳の頃。

それは京都産業大学まで持って行った。

カスガを手に入れたのは多分2回生のころだっただろう。

当時、関西では多くの人がフラムスを使っていたと記憶している。

東京での主流はなんだったのだろう。ケイを使用していた人を数人見た、かもしれない…かな?

もちろん、当時でもギブソン、ヴェガあたりを使用していた人もいただろうが…。

僕がヴェガのスクラッグスモデルを手に入れたのはナターシャーセブンに入ってから。

あれ、最初はカスガを使っていたんだろうか…?

1周年記念のシルクホールでのコンサートでイーグルを使っている写真が有った。

ニッティ・グリティ・ダート・バンドが来日した時、近畿放送のエレベーター前で、ジョン・マキューエンをつかまえ、opus36を弾いて聴いてもらった時はイーグルを使っていた。

後に彼が「あいつはもっといいバンジョーを使うべきだ」と言っていたらしい。

それって初来日の時かな?

イーグルは、確かまだヴェガを手に入れる前にケイを探していて出会ったものだ。

その後でヴェガだったので、恐らくナターシャーでは大きく分けると、カスガ~イーグル~ヴェガ~ギブソンRB500~グレートレイクスとなるんだろう。

ピアレスは散々プラカラーで塗りたくって、最終的にはトゥリーオブライフにしてみたり、と安物ならではの遊びの道具となってしまった。

しかし、ヘッドストックには、楽器屋さんでも見抜けなかったくらいに見事なフィドルシェープの形状が描かれていた。

カスガは流石に(シャレではない)4万円もしたのでそのまま使っていたが、もしかすると、ナターシャーの初期にはもうイーグルだったのかな。

イーグルは後にテナーのネックを京都の職人さんに作ってもらい、それをコンバート物としてテナー仕様になった。

その京都の職人さんは、ここ数年、ウクレレ製作で有名になっている占部さんだったが、銀杏の葉っぱをデザインした綺麗なネックを作ってくれた。

後のヴェガ、ギブソン、グレートレイクス、どれをとっても素晴らしい楽器だった。

今、僕はほとんどゴールドトーンばかり弾いている。

これは軽くていい音がして本当に優れものだ。

もちろん、高価な物を持った多くのバンジョー弾きに交じって弾けば、その音量や深みなど、大きく差が出るだろうが、数人で楽しむには充分過ぎるくらいだ。

そしてその軽さは年寄りにはかなり有難い。

これも軽くて「軽いでぇ」と言いながら良い想い出となり、ゆくゆくはもっと軽いものが出るんだろうか…?

いや、もうこれ以上は無理だろう。

リバティ・バランスを射った男

また懐かしい映画だが、今回は映画の話ではなく、音楽。

このシングル盤はよく覚えている。

映画を観た後だったか前だったかは定かではないが、近所の「うぐいすや」という小さなレコード店で買った。

そこではビートルズもよく手に入れたし…もうおやじさんこの世に居ないだろうなぁ…。

いや、このリバティ・バランスのシングル盤だが、その裏面(B面)が興味深い。

元々、リバティ…の唄と云えばジーン・ピット二―のものが有名らしいが、僕が手に入れたのは、フェアモント・シンガーズが歌っていたもの。

そのB面が変なタイトルだったのです。

結局、A面のリバティ…よりもこの変なタイトルの唄の方が気に入ってしまった。

そして後年、この歌が有名なアイリッシュパブソング「Molly Malone」だという事を知った。

この映画は1962年公開だったので、少なくともその頃から「あ、いいな」と思う歌がアイリッシュソングだったことはいくつか例にあったかもしれない。

フォークソングを歌っていた時も気に入った歌の多くはアイルランドやイングランドからのものだった。

しかし一体誰が「悲しきむらさき貝」なんていうタイトルを付けたんだろう。

そういえば、当時「悲しき…」というタイトルのもの、結構あったかもしれない。

「悲しき街角」「悲しき少年兵」「悲しき雨音」「悲しき北風」「悲しき天使」

日本人は悲しいのが好きなんだろうなぁ。

映画繋がりで…

2019年の9月に僕はAmazing Grace & Chuckについて書いていた。

さしずめ今だったら大谷君かな。

レブロン・ジェームスも…今のフットボールは知らないけど、あの当時だったらジョー・モンタナかな。

なかなか有り得ないことだけど、もしそうなったら何かが変わるだろうか?

いや、ロシア相手では無理か。

そもそも共産国では有り得ない事なのかな?

と云えども、日本でも有り得ない感がある。

「不当な差別はあってはならない」と「差別は許されない」どんな違いがあるのかよく分からない。

正当な差別って? そういう記者の質問に「それは屁理屈だ」と言って逃げていた奴がいた。

元々差別意識が強い奴らがあの党にはうようよしているんだろう。

政治に携わっている人間たちの頭の中身は真から腐っているとしか思えない。

努力義務っていったい何だ?

2時間ほどウォーキングをしていてすれ違う数百台にも及ぶ自転車。

努力義務とやらは一人か多くて二人くらい。

日本人ってこんなに努力しなかったのかなぁ?なんて思ってしまう。

こういう事を張り切って決める奴は、先に一度街に出て状況を見てみないとダメだ。

時々、後ろからギリギリのところを走り抜けていく自転車を見ると、あいつの頭は守ってあげなくてもいいだろう、と思ってしまう。

勝手にこければ…なんてね。おまけにスマホなんか見たりしているし。

他にも、どうでもいいことに金と時間をかけて出来るだけ長いこと美味しい生活をしようという魂胆が透けて見える議員たち。

脱線しまくりだが、大谷君の活躍を観ていて、あの映画を想い出してしまった。

世界中の政治家たちの脳みそが腐ってきた今、頼りになるのは大谷君だけだ。

彼は正にChuckだ。

映画のことを書いていたらまた次々と…。

僕が映画に夢中になったのは、多分母親の他界でピアノから離れてしばらくしてから。

洋画に夢中になり、ジョン・ウエインに夢中になって、コアなところではオーディ・マーフィーやランドルフ・スコットにも憧れ、そのほとんどの西部劇や戦争映画に足を運んでいた。

もちろんまだ子供だったのでシリアスな内容のものはよく分からなかったのは仕方がない。

日本映画はほとんど観なかったが、東宝の怪物ものなんかは沢山見たと記憶している。

マタンゴなどというキノコの化け物の映画はそれなりに怖かった。

あれを見てキノコが嫌いになった子供も結構いただろう。

怖い映画と云えば、これも省悟と二人で観に行った「シャイニング」

思い起こせば、赤坂の例のホテル、ニュージャパンに泊まっていた時、数日間空きが有ったので、映画でも行こうか?というノリで意気揚々と出掛けて行った。

この時も目的のものが有ったわけでもなく、何となく新聞か何かで「お、これ、面白そうじゃん」と言って出かけただけだった。

ところがこれがかなり怖かった。

その怖さはホテルに泊まっている僕らにとって特別なものだった。

暗くなってから赤坂に戻り、エレベーターを降りると、どちらが云い始めたかは覚えていないが「なぁ……」と。

それだけで僕らには分かる。

お互い1人部屋なのだ。

結局、そこそこ広い部屋だったので一つの部屋に枕とかけ布団を持って泊まった。

多分、僕が省悟の部屋に行ったと思う。

しかし、そのことを決めたホテルの廊下が怖かったのだ。

廊下の向う側に双子の女の子が立っている様な気がして。

それにバスタブから誰か出てきそうな気もして。

あの映画を観た人だったら分かるだろうなぁ。

後年になって観た中では「シックスセンス」

あの映画からやたらと家の引き出しが気になったりした。

いや~、映画って面白いですね。

それでは、さよなら…さよなら。

ついでに、また映画

先日、久々にイージ―ライダーを観ていろんな映画を想い出した。

その中のひとつ「未知との遭遇」は最も好きだった映画。

僕は兼ねてからUFOなるものにはとても興味があった。

特にそれらしきものを見たり、そんな場面に遭遇したこともないが、絶対にいる(ある)と思っている。

たしか、高石敏子さんが四条通りか何処かで見た、と言っていたなぁ。

「あ、円盤!」と呟いた途端に、周りの人は空ではなく敏子さんの顔を見た…らしい。

なんか分かるような気がする。

僕はこの映画を観て、即座に想い出したのが、新約聖書の使徒行伝 第9章だった。

天から突然光を受けるサウロ。

それは正にこの映画の全ての始まりに合致した。

そんな意味で非常に宗教観に満ちた映画だったような気がするし、あの5音のメロディを使ったところも非常に興味深い。

でも、あんなもんが実際に目の前に現れたら腰抜かしちゃうかもしれない。

僕はテレビをあまり観ないが、UFOに関するものは観てしまう。

だが、ついでに幽霊のようなものをやり始めると見ないようにしている。

消せばいいのだが興味ないこともない。

やばそうなシーンになると眼を背けたりしたまま、またUFOに戻らないか期待するが、その気配が無ければ消す。

どうも霊と云うのは苦手だ。

UFOには夢がある。ま、宇宙人が攻撃してくる可能性は低いと思うし。

そういえば、エイリアンと云う映画は省悟と二人で観に行った。

映画目的ではなかったが、お、面白そう!と二人で入り、観終わったら飯でも食おうか、と相談して、観終わった後二人ともげんなりして「今日はなんとなくスパゲティの気分じゃない」と…結局何を食べたか覚えていないが。

とに角あれも衝撃的な映画だった。

まだまだ想い出しそうだ。

あ、食べたもの想い出した。ハマムラの中華だった。省悟は肉団子だったと思う。何故なら、あいつどこへ行っても肉団子は食べていたから。定食屋では豚の生姜焼き。よく「しまいに牛になるでぇ」と言っていた。

イージ―・ライダー

衝撃的な映画だった。

しかし、これが公開された時点では(70年)若かった僕らにとって、それほどの衝撃は無かったはずだ。

それが年齢を重ね、更にアメリカと云う国を体感するにしたがってその奥深い内容が身に染みて分かってきていた。

因みに「今風の中」のメロディはこの映画のシーンを想い出して書いたものだ。

何度観てもいたたまれないエンディング。

南部で彼らに向けられた視線は、僕らにも覚えがあるものだ。

ヒッピーのコミューンに立ち寄るシーンにも見慣れた感があった。

70年代はアメリカにとって空白の時代だった、とも言われているが、あまりにも多くの、いわゆるサブカルチャーの出現を追う事が出来なかっただけではないだろうか。

70年代というのはすでに68年頃から始まっていた、とも言われている。

そして現代のアメリカを形成している基でもある。

好きな映画のひとつとしてトップに挙げられるのが「未知との遭遇」これも70年代後半だった。

宇宙人(?)と共に旅立っていく彼が羨ましくも思えた。

ディア・ハンターも70年代後半だった。

そういえばベトナムから来ていたマイクが「あんなロシアンルーレットなんか誰もやっていなかった!」と言っていたが、だいぶ年上の同じくベトナム人のおばちゃんが「あんたみたいなガキに何がわかるんだ!」と怒鳴っていた。

確かにあれは映画上の作り話だという説も多くある…が、しかしかなりのインパクトはあった。

とても観ていられないほどのシーンを持った何度も観たくなる映画だ。

同じように、イージ―ライダーのラストシーンは、参ったなぁ、観てしまったよ、と思いながらモヤモヤ感でいてもたってもいられなくなるくらいの映画だ。

そしてまた観たくなってしまう、

映画も、時をまたいで観るとなかなか面白いものだ。

久しぶりに…

あれよあれよと云う間に月日が流れてしまった。

身体の調子が悪かったわけでもないし、書きたくなくなったわけでもない。

しかし、やっぱりしばしのコロナ疲れだったのだろうか…。

特に何もしない事に慣れてしまったのか。いや、思いつくことはどうせ役に立たない政治家に対する愚痴くらい、そんなことに終始してしまう恐れもあった。

そして思い立って数か月ぶりに書いてもやっぱり「うな丼」はないだろう、なんて思ってしまうが、もうすっかり忘れられているのだろうか。

そういえば「捏造」と言い張った奴も相変わらず知らんふりして給料泥棒を平然とやってのけている。

こういう訳の分からない議員の数を減らして、要らん支出を押さえればなにも国民に増税を押し付けなくても暫くはいけるんじゃないかな。

もちろん素人考えだが、結構そう思っている人いるんじゃないかな。

さて、2023年も少しすれば半分過ぎてしまうが、世の中一向にいい方向に向かっているとは思えない。

地球と云う限られた環境の中でしか生きていけないはずなのに何故、破壊することばかりを考えるのかもよく分からないし。

本当に頭が腐っているとしか思えない。

僕はちょっと前に中、ロ、北〇鮮を地図上から排除してみたが、非常にすっきりしている。

また、一応この3つの国だけの地図も書いてみた。

これが意外と上手いこと引っ付いているんだなぁ。

ならばいっそのこと、この3つだけ出来得る限り地球から遠い星にでも引っ越してもらえればいいのになぁ。

そこでそれぞれが原爆でも水爆でも何でも落とし合って競いでもらえれば何も問題ないのに。

ま、他にもややこしいところは色々あるけど、考えれば考えるほど人類の終焉に近づいている様な気がしてならない。

さてさて、健康面に関しては相変わらず問題は起きていない。

一日15000から20000歩ほどハードに歩き、遅い時間には物を食べないようにしていたらジーンズがゆるくなってきた。

去年の夏からは8キロほど減っているが、腕立てや腹筋などは欠かさずやっているし、多分お腹周りがすっきりしただけなのだろう。

先日、息子と話していて、結論としては、長生きするための健康づくりではなく、死ぬまで健康体でいるために身体を鍛えておこう、という話に落ち着いた。

誰だって明日まだ生きているか分からないし、その時に大きな声で「はい、さいなら」と言えたら、そんなに良いことはない。

こんなことを息子と話すようになったか、と驚いてはいるが、パーソナルトレーナーとして生きている彼には当然のことのようだ。

プラス、そろそろ終活に入らなければならない自分としてもいいタイミングの話し合いだったかもしれない。

とは言え、食べ物に誘われてまたやって来ると思うので、次はもう少し詳しくトレーニングのやり方などを指導してもらおうかな。

そんな事を考えている時、ふと目に入ったのが、どや顔で「こどもまんなか社会」などと寝ぼけたことを言っている国のトップだ。

まず、自分たちの行いを振り返ってみたほうがいいのではないのかな?

結局はこんなことを書いてしまっているが、以前から思っていた、何故か日本人が幸せそうに見えないという事に関しては、やっぱり政治のせいもある、いや、大いにあると感じざるを得ない。

そんな社会を作り上げてきた政治の責任は重いはずだ。まずそこを考え直してからの話ではないか。

また言っていた「こどもの声を聞く」…らしいが、?だ。

2月後半の独り言

先日、バカがまた立て続けにミサイルを撃ってきた。

まるでガキのピンポンダッシュだ。

まだピンポンなるものが各家庭に無かったころ、僕らは、あぜ道のあちこちにある「肥溜」に大きな石を投げて遊んでいた。

友人と一緒に大きな石を抱え「せ~の!」と放り投げて一目散に逃げる。

これも一種のピンポンダッシュみたいなものだ。

楽しかったなぁ。でもこんなものの存在を希花さんは知らない。

今、北のバカがやっているのもすでに僕らが65年ほど前にやっていたことと同じような事だ。

男やったら国会議事堂にでも落としてみ!

お前、〇玉あるんか!苗字には付いているけど。

してみるとお前の頭の中身は〇玉か!

なんてテレビに向かってありとあらゆる暴言を放つ老人となっている。

全く、ほとんどの国の指導者が役立たずのアホになってきたようだ。

してみると指導者だけでなく、そこに張り付いている側近もあまり変わらないんだろうな。

ぼくら庶民はそんな奴らの暮らしを支えているんだなぁ。

ウクライナ侵攻からもう1年。

世界を見つめていかなくちゃ、いや、それだけではなく地球だって危なくなってきている。

洪水、地震、竜巻、豪雨、自然災害があまりにも多すぎる。

その上、気球。「あ、そう言えばあんたのとこも我が国に向かって去年だったか、とばしていたけど…」なかなか笑かしてくれる。

すし屋、うどん屋、至る所に現れる低能動物。

いったい世の中はどうなっていくんだろう。

2月も半ば過ぎた

この月の初頭から息子が来ていた。

既に国籍もアメリカなので、今回のコロナ禍にあって入国が叶わなかったが、彼の来日目的は美味しい日本の食にある。

そのために3年間じっと我慢していた…ようだがその間ヨーロッパに何度も出掛けて行ったり、東海岸にも出向いていた。

どこへ行ってもその土地の食べ物を食する姿勢は見上げたものだ。

コロナ前、フィリピンでの友人の結婚式に出席するので、その時日本に立ち寄ろう、と考えたそうだ。

そしてそのようにスケジュールを立てたが、いや、待てよ、先にフィリピンに行って腹をこわしたら日本で美味しいものが喰えない。

ならば先に日本で美味しいものを一杯食べてフィリピンで腹をこわしてアメリカに戻ればいいか、とスケジュールを組み直した。

彼曰く、フィリピンの食べ物は少し合わないみたい。でも、その土地に行ってその土地のものを食べないことはない…らしい。

ヨーロッパの、特にイタリアはお気に入りの様で、美味しいパスタを食べた時には、意を決して厨房に出向き、シェフに指導をあおったほどだ。

今回の日本ツァーではトンカツがお気に入りだったようだ。

もちろん以前にも食べていたが、やはり3年ぶり。こんなにも美味しかったのか、と再認識したようだ。2回食べた日もあった。

寿司も高級なところにはとても連れて行けないのだが、クオリティはそこそこの回転寿司だったら満足して20皿は食べる。

今、サンフランシスコですしを食べようとしたらとんでもないことになるそうだ。

マグロ一皿で7ドルとか8ドルとかするらしい。僕の頃は4ドルだったが、それでも高い。

日本の食パンにも感激。1斤買っても5分と持たない。

情緒も何もない、と言えばそれまでだが、本人は至って感激しているのでただ単に止まらないのだろう。

ラーメンもやはり美味しいようだが、アメリカではラーメン1杯20ドルとか当たり前田のクラッカー?のようだ。それでいて日本のものとは雲泥の差がある。それは僕にも分かる。

しかし、本人曰く、食欲は落ちたそうだ。笑かすやないか!というところだが。

食べ物の話はこれ位で、しかし綺麗な国だなぁ、とつくづく言っていたのが印象的だ。

僕もアイルランドから戻ると本当にそう思う。

日本では商店の棚は常に美しく並べてあるが、アイルランドのいわゆるデパートなどは床に商品が散乱している。店員も別に気にはしていない。

フードコートで家族が食事をした後は「おい、犬でももうちょっと綺麗に食べるぞ!」と言いたくなるくらいありとあらゆる残飯がところ狭しとばらまかれている。

もちろん皆がそうではないが、そんな光景は日常茶飯事、よく見かける。

しかしながらこの国の未来に関しては少し気になったようだ。

それは地球規模で起こっている現象かもしれない。

例えば、トランプのような人間が大統領になる。この時代にあって戦争を起こす奴がいる。

そればかりではなく至る所で人間は馬鹿な事をやっている。

アメリカも最低な国になってきたけど、世界中どこを見てもそんなに変わりはない。

ただ日本だけはこんなに綺麗にまとまっている国なのに、何故か将来に希望が見えない、と先日アイルランドから帰ってきたときに僕が感じたことと同じことを言っていた。

そして、さすがアメリカに居るだけに中国や韓国にもかなり関心があるようだ。

日本は近いだけにもっともっとこれらの国に若者が関心を持ってもいいのではないか、とも言っていた。もちろん政治的に、という事だろうけど、自分の国の政治にも無関心なのだから仕方がない。

しかし、あの役に立ちそうにもない面々を見せられたらだれでも「あんたらのお好きなようにどうぞ。こっちはこっちで適当にやっていくし」とでも言いたくなる。

久しぶりに会話が弾んだ。

彼の親しい友人の中のモン族の女性のシックスセンスの事など。だいたいモン族という人達のことも僕は良く知らない。

かなり広範囲に世界を見てきているので、ちょっと理屈っぽくはあるかもしれないが、それなりに説得力はある。

しかし、込み入った話になると英語になってしまうのでこちらも大変。それでも日本語はほぼ完ぺきに通じるのでその辺は楽だ。

すし屋で「炙りの、どぐろって何?」と訊いていたが。

2023年1月もそろそろ終り

寒い。どこもかしこもかなりの寒さのようだ。

そんな中、僕はエアコンなるものは一切使っていない。

ガスストーブもあるが、使っていない。

こんなことを張り切って言っていたら、先日テレビで誰かが言っていた。

「室温を18℃から20℃に保つのが将来様々な病に犯されない秘訣だ」と。

しかし、20℃は僕にとって暑い。自分なりにちょうどいいと感じるのは15℃くらいだ。

今、これを書いている部屋は14℃だしそう悪くない。

どうも暑い、または暖かい部屋、というのが苦手だ。

僕と一緒に居るとほとんどの人が寒い、と言った。

杉田二郎さんは同じ部屋で寝ていた時、僕が窓際で窓を開けて足を出していたら「じゅんじ、寒い。寒うないけ~?」としっかり布団をかぶっていた。

そしてその声は歌同様、素晴らしい声だった。

しょうちゃんも「お前と同じ部屋にいるとかじぇひくでぇ~」と良く言っていた。

そしてその声は…もともとかすれていた。

そんな想い出はともかくとして、僕は東京でも1、2を争うくらい電気もガスも使っていないだろう。

先ほどテレビで、と言ったがテレビも一日の内3時間くらいしか点いていない。

電気は暗くなってほとんどのものが見えなくなるまで、トイレ、洗面所で4~5分使うくらいか。風呂は3か月に一度くらいしか溜めたことがない。

シャワーで長くて2分から、シャンプーしても3分。夏は水。冬は2日か3日に1度。

けっして無理しているわけでもないが、それで十分だと思う。

なのに電気代、ガス代というのが今までよりも高くなっている。

これ、普通に使っている人のところはどんだけ請求が行っているんだろう。

その上、増税なんて言っているんだから呑気なものだ。

役に立たない変な議員の数を減らして、その金を回したらいいのに。

歳とり過ぎて訳の分からないボケた発言をしている何人かを政界から追い出さないとこの国は救われない気がする。

「最初のひと粒ももらえない子がいます」と言った矢先に「デカ盛りハンター」などと放映するテレビ局。

おかしなことばかりが続いているが、将来この国はどうなっていくんだろうか。

ま、どこかから攻撃さえ受けなければこのままでいいか。

なんてことを、普通の人ならふるえているだろう部屋で、普通に過ごして考えている今日この頃です。

1月20日

省悟の誕生日だ。

生前には特に誕生日を祝った記憶は…お互いに無い。

でも、ナターシャーセブン時代、高石氏を始め、3人の誕生日がとても近かったせいか、よく彼らの誕生日は覚えている。

高石氏が12月9日、僕が30日、省悟が1月20日。

なんか急にみんな1歳ずつ歳取っていった記憶がある。

誕生日がこんなにも近いのにみんな星座が違う。射手座、山羊座、水瓶座。これも面白い。

とに角、彼も生きていれば73歳。

全然関係ないが、今朝の朝日新聞を見ていたら、シマエナガという鳥の写真が載っていた。

全く知らないものだったが、その可愛らしさに魅かれていろいろ調べてしまった。

すると1月20日はなんと「シマエナガの日」となっているではないか。

それで新聞記事になっていたのだと思うが、北海道に生息するすずめ目エナガ科の鳥という事で(よくわからないが)寒ければ寒いほど真ん丸な姿になることから、1年で最も寒いとされる大寒の1月20日がシマエナガの日と制定された、という事だ。

省悟の誕生日、という事を考えていて、偶然にもまたひとつ、今まで知らなかったことを教えてもらった。

やっぱり先日の命日同様、餡子でも一緒に食べるか。

おから

近所の豆腐屋さんでおからを買って、卯の花を作った。

一般的には調理前はおからと呼び、調理後を卯の花と呼ぶらしい。

たしかにおからを買ってきておからを作った、とは言わないか。

ただ、単におからが食べたくなったのだが、そのまま食べるはずがない。

僕はシイタケ、コンニャク、にんじん、ちくわ、最後にねぎをいれてシンプルに作ったが、沢山作り過ぎたので、少しだけ丸めてパン粉をつけて揚げ焼にした。

油も相当値上がりしているので、それで十分だろう。

味と食感はかなり良かった。

おから、というと思い出すのが「花山大吉」だ。

「素浪人、月影兵庫」の時代から僕が唯一楽しみに観ていた時代劇だ。

どうだったろうか。

彼は兵庫の時からおからが大好物だったのか大吉になってからだったのかよく覚えていない。

猫が苦手なのは兵庫だったかな。

焼津の半次は蜘蛛が苦手だったがこれはよく分かる。

昔のトイレなどにはやたらと大きな蜘蛛が居た。

それで入ることができなかった子供の頃を思い出すが、大きな蜘蛛は今でも怖い。

小さなピョンピョン跳ねる「ハエ取りグモ」みたいなのは可愛いので追っかけたりするが、その親蜘蛛が出てきたら…あ、いや、あれは子供ではないのか。

たかがおから、されどおから。そのおからでいろんなことを想い出したが、今日から3日ほどはおから生活になりそうだ。

シェィマス・ベグリー

シェィマスが逝った。

そんな衝撃的なニュースがアイルランドから飛び込んできた。

弟のブレンダンとの繋がりで、随分…いや、お世話になったわけでもないが、ことあるごとに顔を合わせては訳の分からない冗談を真顔で言っていた。

2011年には彼らの地元でのコンサートに出演させてもらっている。

シェィマスの娘さんやブレンダンの子供たちも一緒だった。

シェィマスの歌声が教会に響き渡り、ケリーの夕焼けの中に溶け込んでいった。

2014年には庭先に止めてあった彼のヴァンのラジオから流れてきたJoshua’s Dreamも僕らの大切なレパートリーとなった。

2018年、フィークルで帰りがけにつかまって、彼と「上を向いて歩こう」を演奏したのは、ちょうど御巣鷹山の日だった。

そして2022年、3年ぶりのフィークルで出会った時は元気そうにまた訳の分からない冗談を言っていた。

そんな彼もまたアイルランドの国宝級のミュージシャンであった。

73歳。同じ歳だね、と語り合ったこともあった。

2022年 歳の終わりに

アイルランドから戻ってすぐ11月になり、そしてもう12月も中盤に差し掛かってしまった。

何故か11月はとても長く感じたが、12月は面白いくらいに時間が飛んでゆく。

気がついたら真珠湾攻撃も終わっていた。

もうすでに書いてしまったことだが、日本に戻ってすぐその日、伸びてしまった髪の毛を切りに街に出た時のことは忘れない。

こんなにも輝きのない国だったか、こんなにも将来の見えない国だったか、と…なんだろうこの違和感は。

これは多分にコロナを引きずっているせいだろうな。

何となくオープンになれない、何となく自分のためにも他人のためにもマスクをしていなくちゃ、なんとなく屁のツッパリにもならない政府のいう事を守っていなくちゃならないし、先週の同じ曜日より増えました、なんていう感染者の情報を何となく気にして、何だかぼやっとした中で毎日が過ぎていくような…そんな国に見えてしまった。

近所の汚い川で泳いでいる鳥たち。つい昨日までは、川底まで透けて見えるところで泳いでいる鳥たちをみていた。人々にもそれくらいの差を感じてしまった。

日本ではほとんどの野良猫はサッと逃げるのに、アイルランドの野良猫は寄ってくる。

この差は一体なんだろう。

3か月の間、テレビと云うものは全く見なかった。

毎日ラジオから流れて来る音楽を聴いていた。

その音楽に関しても思うところがいっぱいあった。

僕がこの国の音楽に入っていったのが1991年頃。あれから30年余り。

前々から感じていた事だが、やっぱりこれはアイルランド人の音楽だ。

特に10月の半ば、クレアに出掛けて行って、マリーさんやアイリーンたちと静かに音楽を奏でていた時にそれを強く感じてしまった。

それでもマリーさんが僕と希花に「ねぇ、あれやってよ」なんてDe Danannで知られている曲をリクエストしてくれる。

僕らはこの音楽の上澄みだけを掬い上げることだけは避けてきた。

この音楽に対するリスペクトだけは忘れないように努めてきた。

このセッションでも当初、僕は少しの間、遠慮して遠くに居たら、アイリーンが「こっちに来なさいよ」と呼びに来てくれた。

そうして僕も希花も彼等と同じ立場に立つことが出来てきたと思うが、それでもやっぱりこの音楽の深い歴史は体の中に入っていない。

そう深く考えずに楽しむことができたらいいのだが、取りあえず今のこの状況に上手いこと乗っかって、この音楽を演奏するのはアイルランドに於いて、という事でいいかな?と思うようになってきた。

希花さんが帰国する時にもし、チャンスがあればどこかで演奏させてもらうかもしれないが、基本、もうほぼ日本で活動を、ということは考えていない。

そんな中でも昔のナターシャーセブンのスタッフ達が集まって「みんなで一生懸命創り上げてきたものを絶やしてはいけない」と立ち上がり、毎年コンサート(と言っていいのかわからないが)を開催している。

コンサートと言っていいのかわからない、というのは、この会が同窓会でもあり、日本全国に撒いてきただろう種が育ってきた姿を見たい、という会でもあり、そして彼等にもまた後に続く人達を育ててもらいたいと願う…そんな会だと感じるからだ。

ナターシャーセブンは高石氏のアイディアによるグループだったが、それを形にしていったのが僕と坂庭君だった。

そう言えば坂庭君の命日というのも気がついたらもう過ぎている。来年で20年かな?

気がついたら、と言ったが、もちろん少し前から考えていたことがあった。

近くの和菓子屋さんで、彼も僕も好きだった、みたらし団子と餡子の団子を買って、お茶を2杯淹れて…僕にはそれくらいしかできない。よく二人で甘いもの食べに行ったなぁ。

それはともかく、坂庭君が居ない中、真のナターシャーサウンドを作りだせるのは僕しかいないと思っている。

そんな意味では来年あたり、もしどこかからの希望があれば、時を越えてナターシャーセブンを愛してくださる皆さんとの交流を少し持ってみてもいいかな、とも考えている。

アイルランドには来年も行って希花さんと動き回ってくるつもりでいる。

この年末には、日本に生まれて日本で育った日本人として、イギリスの医師国家試験に合格、という快挙をどのようにして成し遂げたのかをコンサートの中でも訊いてみたいものだ。

とても他では聞けない話を聞けるかもしれない良い機会だと思う。

僕の73歳は…ま、どうでもいいかな。

誰だって取りあえず生きていれば73歳という年は迎える可能性はあるし。

生きていれば、だが。

ところで、お約束通りのみたらし団子と餡子のお団子はとても美味しかった。

すまないなぁ、僕一人で食べてしまって…。

2022年12月4日 修善寺にて

世の中がワールドサッカーで盛り上がる中、修善寺に出掛けました。

修善寺に住むアルマジロ君の声掛けで、彼のバンド「RE Take Ramblers」とのジョイント・コンサート。

僕は久々にブルーグラスタイプのバンジョーを弾くためにGibsonTB-4のコンバージョンを用意し、ナターシャーセブン・ソングを歌い演奏するためにMartin o-21 1899まで持って行きました。

ものすごく久しぶりの「涙色の星」最も初期のナターシャーセブン・ソング…ということは、ほぼ50年ぶり?

メンバーの中でとても安定したギターを弾く、僕が尊敬する育さんとのデュエットで「別れの恋歌」

東海楽器でオートハープ制作にも関わっていた福嶋さんとは「Blind Mary/ Victory Rag」これもまた、50年ぶりくらいに弾いた気がします。

そして僕からの希望で彼にギターを弾いていただいた「Sally in the Garden / Darlin’ Corey」さすがにベテラン、というサイドギターを聴かせていただきました。

更に、この街で喫茶店を経営するドクターコト―の「ことうさん」

彼とは定番ソング「Across the Great Divide」

それからは、アルマジロ君を中心にナターシャーセブン・ソングのオンパレード。

ダブルバンジョーあり、ドブロあり、ダルシマーあり、スプーンやフィドルあり。

次は何だっけ、何の楽器だっけ…なんていう確認をしながら、昔を想い出してしまいました。

足を運んでいただいた方達にも、普段とは違う空気を味わっていただけたかと思います。

天気も良く、青い空と山や川が見渡せる素晴らしい会場で歌った「山と川~わが大地の唄」

アルマジロ君、感極まっていたようです。

彼にとっても、メンバーたちにとっても、そして僕にとっても有意義な一日になったことは間違いありません。

そしておそらく、皆さんにとっても予想のつかない場面もあり、様々な懐かしい歌もありの楽しい音楽会になったと思います。

僕も楽しめました。バンドっていいな、と今更ながらに思っています。

みなさん、どうもありがとうございました。

羽田空港にて2022年11月

友人がアイルランドから一時帰国するので、会うために羽田空港へ行った。

僕は先日、到着したのが成田だったので、やっぱり羽田はなんか静かでいいなぁ、と思ってしまった。

随分前、乗り合わせた中国人の団体が、成田空港に到着した途端、口々に「トーキョー!トーキョー!」と騒いでいたが、ひねくれた僕は「てめえら、ここは千葉だ!」と心の中で言っていた。

ま、それはそうと、友人はANAの系列で帰ってきた。

僕は中東のエアーラインだった。

「フライトはどうだった?みんなマスクなんか飛行機の中ではしていなかったでしょ?」

と僕が訊いたところ友人はこう答えた。

「いや、搭乗と同時に皆さんマスクを付けてください。就寝中も外すこと無く、外すのは食事中だけにしてください」と言っていたらしい。

そして、夜通し見回りに来ていたそうだ。外していると例え寝ていても「お客様…」だったらしい。

僕の方では搭乗時にそんなアナウンスはなかったし、CAさんも付けていたかなぁ…いや、どうだっかなぁ。

もし付けていたら、結構近づいて言葉も交わすし、こちらもその時だけは付けたんじゃないかな?やっぱり付けていなかったと思う。

そして日本到着と同時に乗務員、客、全員がマスク姿になった。

まるで警察官がいなくなったら、すぐ2人のりを再開する自転車みたいなものだ。

僕が解せないのは、そうしてやって来る飛行機と、そうでない飛行機が一緒に到着することだ。

なんか意味ある?

アメリカ軍関係者は何も検査なしに入ってきて、基地周辺でどんちゃん騒ぎ。

日本人はびくびくしながら…なんて言う事がよくあったけど、それと同じようなことがいまだに続いている。

クロウハンマーバンジョー

このところ、クロウハンマー用のバンジョーが売れているらしい。

売れていると言ってもたかだかバンジョーなので、なんていうこともないが。

ひとつにはブルーグラスでは人数が要るし、ひとりでもなんとなく楽しめる、と言ったところだろう。

それと勿論、リゾネーター付きは重い、というのが大きな理由のひとつだ。

そこに来て、今、密かに、いや密かではないがオールドタイムが見直されてきている感がある。

若手の演奏家が続々と登場し、またかなり質の良いオープンバックバンジョーの製造も盛んになってきている。

先日、川瀬さんから嬉しいお話があった。

そろそろ教室をまた始めてみる?という事だ。

確かにこの奏法は(なんでもそうだが)一筋縄ではいかぬものだ。

先ず、チューニングからして何種類も存在している。

これはかなり面倒な事だ。

それぞれの楽曲に最適なチューニングを見つけなければならない。

チューニングは最も大切な作業だ。

ドクターサウンドの小林君も言っていたように、バンジョーはすっきり合わない楽器だ。

12フレットで合わせたうえに19フレットでも様子を探らなければいけない、と。

ギターでもそうだが、チューニングメーターというものは基音のみ使い、後は和音で合わせていく。これが相対音感だ。

どちらにせよギターもバンジョーもバッチリは合わない楽器だと思っていい。

その上、特にバンジョーの場合チューニングを変えることで他の弦がかなり微妙だが上がったり下がったりしてしまう。

それと、フィドルチューンなどはキーも一応決まっている。

そんなことも含め、やはり目の前で見て聴いて覚え、そしてみんなで切磋琢磨して先に進んでいけたらいいと思っている。

伴奏があったりするとやっぱり気持ちいいので、ある程度弾けるようになったら僕が伴奏を付けたりしたら楽しいと思う。

そんなワークショップの場所を提供してくれる川瀬さんに感謝。

まだいつから始めるか決めていませんが、近いうちに発表致します。

2022年10月、帰国初日

フライトはいままでの中でも指折りの静けさのなか、順調に日本に到着した。

面白かったのが、それまで機内ではマスクに関しての話は全くなく、ほとんどの人が付けていなかったが、いざ到着という皆が立ち上がった瞬間に周りを見たら、一人残らずマスクを付けていた。

この国がおそらく世界でたった一つのマスクカントリーだということは皆知っているようだ。

いままでのようにPCR検査は必要なくなったが、なんだか訳の分からないアプリを入れさせられてそれを見せて…という話。

希花さんが厚生労働省のホームページからそれを入れてくれて、後は見せるだけ。係りの人が操作してくれるから大丈夫、と云われた。

係りの人はほとんどが中国人でちゃんとやってくれるから、と、年寄りでもなんとかなる、と云われた。が、これがなんともならなかった。

「おかしいなぁ」を連発する係りの人。「一度Wi-Fiを切ってください」と云われたがやはり登録時の証明のページが開かない。

仕方がないのでQRコードの読み込みからやり直して、やっとのことで、と思ったら、いらないだろうと云われていたワクチン3回接種の証明書が要る、と云われた。

念のために持ってきていたので問題なく出られたが、もういい加減このシステムは止めた方が良い。

デジタル化と言いながら誤作動ばかりの厚生労働省の考えることなど、迷惑なはなしばかりだ。

3か月間でマスクを付けている人は数人程度しか見なかったのが、これだけ全員が付けていると奇妙な感じがする。

もう先に進んだほうがいいんじゃないかな。

さて、髪の毛が伸びたので、取り急ぎ荷物を置いてすぐ散髪、と思い、商店街に出た。

そこでふと感じることがあった。

なんか、日本人、みんな幸せそうじゃない。表情が暗い。何だろうこの感じ。

いや、もちろん友達と楽しそうに話しながら歩いている人もいるけど、そういう問題じゃないし、それでもなんか表情が暗く見える。

希望を失ってきている日本と云う国のこれが真の姿なのかもしれない。

だとしたらとても怖い。

先ず、もう3年近くにもなるだろうか。コロナを引きずって、まだ、今日の感染者は何人…先週の同じ曜日から何人増えました…なんて、なんの意味があるのだろうかわからないけどそんな情報を未だに流していることが不思議でならない。

なにが正しいのか僕にもよく分からないが、これも日本人が希望を失っている要因のひとつなんだろう。

それに、やっぱり政治の力が無さすぎ。ほとんど全ての事に於いて未来が全く見えない場当たり的なやり方しか考え付かないのかもしれない。

公共料金の値上がり、物価の上昇など、そんな事には関係ない人達に未来を託してもそれは希望が生まれないのは当たり前だ。

しかし、僕もあと数日でこの光景にもなれてしまうだろうけど、今のうちにこの感覚をメモしておいた方がいいかな、と思った。

それくらいに今回のギャップが大きいのは、日本だけが何かが止まったまま、人々…いや、というか、国の心が元にも戻れず、先にも進めない状態にあるのではないかと感じたからだろう。

2022年 アイルランドの旅 60 最終回

3ヶ月、今までで一番長かったのか、いや、2014年に6月の半ばから9月半ばまで約3ヶ月来ている。

この年は晴れて医師免許を獲得した希花さんが本気ではじけた年だったのかも。

僕の方は今思うとここまでの10年、まだ身体は若かったような気もするが、ここ数年で移動がしんどいと感じるようになってきた。

どこかが痛いとか、本当に疲れがひどい、とかそういうのではなく、やっぱり気分的なことかも。

この2年、もう3年と言えるくらいの間、みなさんもそうだと思うけどいろんなことを考えさせられた。

そしてここにきて世界がこんな状態。

ほとんどの国のトップが利己主義で、あるやつはミサイルのことしか頭にない素っ頓狂だし、あるやつは自分のところが一番、と思って侵略の機会を北京ダックかなんか喰いながら狙っているし、あるやつに至っては自分の犯した罪を全て人のせいにしているし、もう亡くなってしまった人の名前を呼んでいた大統領もいたし、彼らの低レベルな思考回路のせいで一体これから世界はどうなっていくんだろう。

そういえば、俺がいたら世界はこんな風にならなかった、と豪語する元大統領もいるなぁ。

そこにきて日本だが。

昭和初期からの考え方しか持てない年寄りが幅を利かせているようでは未来はあったもんじゃない。

他人の未来まで平気で無視しているような奴らが全てを頭打ちにしている。

見ざる言わざる聞かざる政権ではどうしようもない。

おかしなYouTuberなんか立候補させている制度もいい加減にしてほしいものだ。

考えりゃわかるだろう!という事柄が多すぎる。

見ざる言わざる聞かざる、に加えて「考えざる」というのが…ありゃ、これじゃぁ猿が考えているみたい。でもその程度だから良いのか。

あ、そんなに他人の事ばかり言っていても自分はどうなんだ、というところに返ってきそうなので、そろそろやめておかなくちゃ。

3年ぶりのアイルランド。

空気が相変わらず澄んでいた。

毎日、川の流れる音を聞き、飛び交う鳥を見て、雨と晴れの合間にかかる大きな虹を見て、緑に囲まれていた生活。

それは一旦2019年を境に途切れてしまったけど、今回もそんなに変わりなかったように思う。

ところでAt The Racket はやっぱり素晴らしかった。彼らの音楽はとことん楽しい。

そしていろんな人に会えたし、ユジーンに嫌という程飲まされたし、ダミアンも相変わらず大きな声だったし、ジョニー・オグ・コノリーもいたし、かなこちゃんと子供達も元気だったし、ゴールウェイ最後にふさわしい夜になった。

みんなしばしの別れ。もうヘロヘロで何を書いているのかわからない状態だけど、とにかくこの旅も素晴らしいものになった。

また来年、今度こそは2023年アイルランドの旅というものが普通に書けるといいな。

2022年 アイルランドの旅 59

いよいよゴールウェイ最終日。

明日はダブリンに向かう。

そんな中、すごいニュースが飛び込んできた。

チコリの22周年記念イベントで、なんとあの伝説のバンド(僕にとっての)At The Racket が3時から演奏をするらしい。

しかも入場無料。

ギネスを飲みながらダミアンと聴いていれば良いのだろうけど、すごい人だろうなぁ。

しかもパブだし。

このバンドはサキソフォンの入ったとてもユニークなもので、よくデイル・ラスの家で聴いていた。

ギャリー・オブリエンも参加していたことがあった。

また知った顔にいっぱい会うんだろうな。

そういえば、昨日、夕方に通りかかったパブからアコーディオンの音が聞こえてきたので、ちょっとのぞいてみたら、ダーモットがいた。

もうかれこれ8年も前によくつるんでいた、ロングネックバンジョーで歌を歌い、アンドリューからアコーディオンを習っている、という奴だ。

向こうもびっくりしていた。8年だ。

元気そうにしていたので、今回はもう帰るし、また次に来た時会おう、という約束をして別れた。

ゴールウェイは小さな街だ。その小さな街にかなりの数のミュージシャン、そして凄腕のミュージシャンがひしめき合っている。

2022年 アイルランドの旅 58

昨夜は7時頃から急に雨が降り出したかと思ったら、空が急に明るくなった。雷だ。

しばらくの間とてつもない強さの雨と雷。雷は割と早く済んだが、雨は結構勢いが良く2~3時間は続いたようだ。

こんな日に外に出る用事がなくてラッキーだった。

なんか恵那山の夜行登山を想い出す。

しかしめちゃくちゃな事をやらされていたもんだ。初めて稲妻が横に走るのを見た(と思う)

慌てて金属系のものを体から離して雷が遠ざかるのを土砂降りの雨の中で待った(と思う)

あんまり記憶も定かでないけど、とても怖かったのはよく覚えている。

それはまるでブレンダン・べグリーの小舟による大西洋夜行航海に似ている。めちゃくちゃな事をやらされている、という意味では。

さて、一夜明けて今日はものすごくいい天気。

夜にはブライアン・マグラーと、先日出会った静かなバウロンのおじさん(多分僕より全然若い)との4人で演奏がある。

先日、スパニッシュを聴きに行ったバー、天気は持ちそうだ。

ブライアンのバンジョーは流石だ。

静かな場所で、4人だけだったので素晴らしいバンジョープレイがとてもよく聞こえる。

バウロンもとてもいい。

このバウロンのおじさん。すごく大きな声で喋る。体もデカいしそういうもんかな?と思いきや、ジャックは声が小さい。

おじさん(因みに名前はダミアン・クイン)に「デカい声だね」と言ったら面白い答えが返ってきた。

「俺の生まれ育ったところは周りに何にもないところで、隣の家とも何百メートルも離れているから自然と声がデカくなる」

というような事。

ダミアンは酔う前なら比較的わかりやすいが、酔ってくると何を言っているのかさっぱり解らない。

しかし、希花さんはこんな患者の相手をいっぱいしてきたのでだんだん解るようになってきたらしい。

彼のバウロンプレイは実にいい。

あれだけの声を持って、あのデカい体なのに、なぜあんなに静かに叩けるんだろう。

飲みっぷりも流石なもの。

彼と一緒にいると「もう結構です」ときっぱり断らないと嬉しそうな顔をしていくらでもギネスを運んでくる。

その表情はまるで子供のようだ。100kgくらいの子供。

なんとか2パイントで抑えることができたが、これから帰るまでの間にまた彼に会うことになっている。

くわばらくわばら。

2022年 アイルランドの旅 57

寒い、ひたすら寒い。それに朝8時近くになってもまだ暗い。

後、数日でサマータイムも終わるが、こんな時間は日本の真夜中のようになるし、もっと寒くなるだろう。

今頃、日本は秋かな?

そんな中、昨夜は近くのバーでスパニッシュのグループが演奏をする、というので聴きに行った。

夜9時。かなり寒くて少し雨も降っているかな?という天気の中、またしても若い女の子たちが「これから泳ぎに行くんか?」みたいな格好でたむろしている。

一体、身体の造りはどうなっているんだろう。

それはともかく、ただ、バーに入り、ギネスをオーダーして空いているところに座ればいい。別に何も飲まなくてもいいのだが、やっぱりなんか飲みながら聴きたい。

でもこれ、はたしてギネスだろうか。

因みにここでは木曜日にアイリッシュのセッションがあり、僕らもたまにホストを務めている。

飲むだけの客たちと少し離れた小部屋でなかなかいい音楽スポットだ。

今日のバンドは、ギター2人、クラリネットとフルートがそれぞれ1人ずつ。そこに歌と手拍子の男がいる。

驚きなのが、その手拍子だ。パルマというのかな。

カスタネットのような音がしているが、手の中には何も持っていない。それでもやたらといい音がしている。

手の造りが違うんだろうか?練習したらあんな音になるんだろうか?

ギターの人たちもパコ・デ・ルシアなんかを散々聴いて育っているんだろうな。

バンドとしてのレベルもなかなかのものだ。

後ろに立って飲んでいるグループはスペイン語で話している。

たまにはこういう場所でゆっくり飲みながらこういう音楽に浸るのもいいかも知れない。

日本でこういう感じの場所ってあるのかな。

まず、ビールが安い。バンドのチャージも取らない。音楽はかなりレベルが高い。

3~4軒先のバーではアイリッシュのセッション。その先では弾き語り。その先ではカントリー。ブルースも聞こえてくる。

それがほとんど毎日。

フラッと入ってビールを飲みながら、周りにいる連中を観察しながら音楽を楽しむ。

これがまた面白い。

あいつら、どこの国の言葉で話しているんだろう、とか、あいつビン・ディーゼルにそっくり、とか。

みんなそれぞれに楽しんでいる。

そんな人々の笑顔に囲まれていると、戦争なんかが起きていることが本当に馬鹿馬鹿しいことだと改めて思ってしまう。

この小さなバーのように多くの民族が喜びを分かち合える世の中になってほしいものだ。

2022年 アイルランドの旅 56

ゴールウェイに戻る朝、またしてもエニスの駅に素晴らしい虹がかかった。

かなり寒い。小雨というか雫が風に吹かれて飛んでくるような、それでいて時折青空が出る絶好の虹日和だ。

それにしても風が強い。

ここに来て始めてくらいの風の強さだ。

ゴールウェイについてからもそれは変わりなく、さらに凍えるほどの寒さだ。

少し買い物をしなくちゃ、と思い、街へ出た。

ここは観光客が多く、通称、ショップストリートと呼ばれるところはいつでも人がいっぱいだ。

みんなすごく寒そうにしている。

そんな中、正面から見たことがあるような顔が歩いてきた。

すれ違いながら、エンダ・スカヒルじゃないかな?という疑問が湧いたが、いや、よくいる顔でもあるかな?という思いで通り過ぎた。

20分ほどで買い物を済ませて歩いていると、さっきの男がクロワッサンか何かを食べながら歩いてくる。

今度は人通りも少なかったので、思い切って声をかけてみた。

「もし間違っていたら申し訳ないけど、エンダ・スカヒル?」すると彼は「Yes,I am」と言った。

やっぱりそうだった。

彼とは2001年か2年か、ロングフォードのバンジョーフェスティバルで出会っているが、確かその時ぐらいがWe Banjo 3の初お目見えくらいだったかも知れない。

そしてその時はアリソン・ブラウンやピート・ワーニック、ビル・キースなど、錚々たるブルーグラス・バンジョープレイヤー達と一緒だったので、ほとんど話はしていなかった。

彼はまたマナス・マグワイアーとも組んでやっていたこともあるし、向こうも「そうか。マナスも長いこと会っていないからよろしく伝えてくれ」と言って

去っていった。

エンダ・スカヒル。素晴らしいバンジョー弾きで、なかなかの好青年だ。

2022年 アイルランドの旅 55

16日の日曜日。

この日はマリー・マクナマラの本が出版されたことを祝って、フィークルで地元のミュージシャンみんなで集まろう、という催しものがあった。

マリーさんの娘でフィドラーのサーカ・コステロから「ぜひあんた達も来てよ。マナスも連れてきて」というノリで言われていたので、マナスの家からも近いフィークルに3人で出かけていった。

もちろんお姉ちゃんのマリーさんはアンドリューにも「あんたも来なさい」と言っているんだろうなぁ。

セッションは驚くほど静かで、マリーさんの横にはアイリーン・オブライエンがいて、本当に落ち着いた音楽だった。

そこでしばし張り詰めた素晴らしい音楽を聴いて、マリーさんが「今から大部屋に移ってみんなで楽しみましょう」とアナウンス。

いつものフェスティバルとは違って、地元の人たちの寄り集まり。

ジョン・ノクトンの孫娘達もコンサーティナを弾く。

そんな風に誰それの孫とか息子、娘達がまだまだ10代前半だが、こういう演奏を聴いて育っていく。

これは下手に日本人が「アイリッシュミュージック、楽しい」なんてやっていられない、というシーンだ。

ここまでのものを見てしまうと、これが生活そのものだということがわかってしまう。もちろんわかっていたことなので、あらためて、という方がいいのかな。

たまにこういう世界を垣間見ないと、この音楽をやる意味がないかも知れない。

4時間ほどみんなとお喋りしたり、演奏を楽しんだ後、エニスに向かった。マナスとはまた来週。

今晩はアンドリューと3人でセッション。

これがまた、運よく、と言っていいのか、終始3人だけだったのでとことん好きにできた。

僕らの周りに、本当にこの音楽、そしてギネスで育ったらしいそこそこのお年寄りが集まってきて、みんな嬉しそうに聴いている。

アンドリューもフェスティバルのような大爆発はしなかったが、なんか気心が知れているからか、いつもより演奏が早いような感じがした。

大きなセッションではあれだけ爆発していても多少はみんなのペースに合わせているのかも知れない。

そこにきてこの3人なら全然お構いなし、なんだろう。いかに好きにやっても問題なく合わせてくれる、という感じだ。

とてもいいセッションを展開することができたし、とても意義深い1日だった。

2022年 アイルランドの旅 54

10月15(土)と次の日16日は怒涛のごとく忙しかった2日間だった。

先ず、マナス・マグワイアーと落ち合い、ギャリー・オブリエンのスタジオへ。

ここへは7年前(2015年1月)にエアージャパンの録音で来ている。

ギャリーはベテランのミュージシャン。スカイラークやボタンズ・アンド・ボウズのメンバーとしてもかなり名の通った人だ。

ちょっとの間体調を崩していたので心配していたが、以前に比べて少し痩せているだけで健康そうに見えた。

ギャリーとマナスとは長年一緒にやってきているので、気心も知れているし、最近では希花さんもこのトリオでステージをこなしているので、

あれよあれよというまに済んでいく。

5時間ほどで6トラックが終了。そう悪くないペースだ。

また来週集まってあと5~6曲入れてみる。それからギャリーが色々味付けをしてくれることになっている。

終了後、マナスの家に宿泊することになっているが、その前に腹ごしらえ。

マナスの家の近所でパブフードを食べることにした。

3人とも同じもの、ハンバーガーでグレイビーソース付きというものにしたが、注文したものが運ばれてきて驚愕だった。

ハンバーガーというよりはとことん分厚いハンバーグステーキ。そこに大量のマッシュポテトがこれでもかというくらいのグレイビーソースをまとって乗っかっているが、それだけではない。

別なお皿にまたまたこれでもかというくらいのマッシュポテトと、多分冷凍物のコーンと人参のよくあるものがどっさり。

またまたそれだけではない。

別なお皿に山盛りのフライドポテト。おいおい、だ。これ、間違いなく一人分?

こんなの無理だろう、と思っていたらマナスが全部平らげていた。

しかも、近所なので大丈夫だと言ってパイントのギネスまで飲んだ後だ。

あ、忘れていた。僕は事もあろうにクラムチャウダーまで頼んでいたんだっけ。そこについてきたソーダブレッドのでかいこと。いや、分厚かったこと。

これ、多分日本だったら一切れ1000円くらい、なんて思いながら食べていた矢先に運ばれてきたハンバーガーだったのでなおさら驚いたのだ。

マナスもなんかシュリンプのアペタイザーを頼んでいたっけ。

あ~それなのに、それなのに、というところだ。

やはり体の作りが違うのだろうか。

後ろの席にいた、まだ小学校にも通っていない子供達もキッズメニューからハンバーガーを食べている。

正直、僕と希花さんはあれでじゅうぶん。特に希花さんは。

流石の僕も分厚いソーダブレッド一枚と(2枚付きだった)フライドポテトを半分くらい箱に入れてもらった。

2022年 アイルランドの旅 53

セッションはどちらも比較的静かなバーで充分音楽を楽しむことができた。

先ずはこちらでずっとセッションホストを務めているアンダースとまよさんと共に。

アンダースのアコーディオンは力強く、エンターティメント性に満ち溢れたものだ。

マヨさんのフィドルも長年ここでやっているだけに力強い。

2人の息はぴったりだ。

偶然、横に座ったグループはアメリカからの人達なので、僕も持っていったバンジョーで少しブルーグラスやオールドタイムをサービスした。

知らないおじさんがギネスをおごってくれたのでありがたく頂戴した。

希花さんもハーフパイントをご馳走になっていた。

そして、次なるセッションは、バンジョーのブライアン・マグラーとバウロンのダミアン・クイン。

ダミアンはリバーダンスで2000年に日本に来ているらしい。

ブライアンについてはもう散々語っているので必要ないが、アイルランドでもトップクラスのバンジョー弾きで、ピアニストだ。

ダミアンの奥さんかな?女性が歌も歌ってくれた。

サリーガーデンやシューラルーなど、僕がギターで伴奏をつけた。

ダミアンが喜んでパイントをご馳走してくれる。

さらに盛り上がって、またもう一杯どうだ、とやっぱりアイリッシュだ。

希花さんの前にもハーフパイントが運ばれている。

これはもう断りようがないが、ブライアンもこれから車で帰るはずなのに、みたところ相当飲んでいるようだ。でもなんら変わりない。

素晴らしいバンジョープレイを聴かせてくれる。

一体、どんな肝臓をしているんだろう。

希花さんは、今のところ心臓をメインに見ているが、是非彼らの肝臓を見てもらいたいものだ。

ところで、フェタチーズを食べてみた。

感想としては、わざわざ買わなくてもいいかな、というところ。チーズに詳しい人からみればもっての外の感想だろうが。

そんなに食べにくくもなかったけど、日本ではこのサイズのものが2000円もするらしいし、こちらで100円くらいのものを絶対に買うことはない。

帰ったらこちらで高額な納豆でも食べておこう。

2022年 アイルランドの旅 52

今晩は5時くらいから10時くらいまで、2カ所のパブでセッションが入っている。

晩御飯を食べる時間がないので、パンを焼くことにした。

4時頃にでも済ませば健康的なんだろうが、ギネスを飲みながらの演奏だと戻ってきてから何か食べたくなる。

これが健康に良くない、ということはわかっていても「分かっちゃいるけどやめられない」スーダラ節だ。

パンといえばこちらでポピュラーなソーダブレッドは安いものだったら、毎食パンにしても食べきるのに5日ほどかかるくらいの大きさで100円前後。

日本のように「フワフワモチモチ」で少し甘いパンは無い。

僕は結構、ゴツゴツとした、それでいて中はちょっとしっとりしているソーダブレッドが好きだ。

やっぱりパン文化だし、味も安定している。

それならば苦労して自分で作るより買ってきた方が早いかもしれないし、ある程度の味は保証できるし…と思いつつも、作る工程というものも楽しい。

ところで、陳列してあるパンの賞味期限が意外と短い。これ明日までだけど?なんていうのがいっぱいある。

賞味期限というものにあまり興味がないのもアイルランド人の特徴かも。

手に取ったものを何も躊躇せずカゴに入れている。その横で一生懸命に賞味期限を見るのが変に感じる。

牛乳もそうだ。

日本は食料品が高いので、ある程度持たせないと、という感覚からどうしても賞味期限の長いものを求めてしまう…のかな?

付け合わせにチーズも購入しておいた。

珍しく目についたフェタチーズを買ってみた。200グラムで1ユーロ。

ならば「やっぱりあかん」ということになっても損では無いか、と考えたが、まだ食べていないので分からない。

本当にチーズを始め、乳製品の安さは驚愕だ。

日本に帰ったら少し控えなくては。どっちみち、そうおいそれと買える値段でもないし大丈夫か。

2022年 アイルランドの旅 51

さて、あと2週間になった。

今年は音楽、というよりも生活をゆっくり楽しんだ感がある。

もちろん、フィークルではまたまたアンドリューとお揃いのシャツで盛り上がったし、新しい出会いもあり、素晴らしい音楽とも巡り会えた。

ラジオでは朝も夕方も夜もゲール語の放送局でいろんなものが流れる。

マイケル・コールマンのバリナスロー・フェアのセットが始まりの合図で、あらゆるアイリッシュ・ミュージックを新旧おりまぜて聴く事ができる。

中には思わず一緒になって木曽節を歌いたくなるくらいによく似た歌もあるし…あ、今、まるで「あんたがたどこさ」にそっくりなのが流れている。

それはともかく、今の誰だったんだろう?という疑問が湧くと解説をよく聞く。

ゲール語なのでわからないが、人の名前は分かる。もちろん分からないこともある。

もう一度聴きたくなったら、すぐに探す。

今、ケビン・バークって言ったよなぁ。じゃ、ケビン・バークのアルバムを探ってみたら入っているんじゃないか、とか、曲目からも探す事ができる。

どの楽器がメインだったか、という事からも探しだす事ができる。

そうして、いろんな人のいろんなスタイルの演奏を聴いたり、新しい曲を聴いたり…これは日本ではなかなかできない事だ。

勿論、ユーチューブで見たり、CDをかけたり、ということはできるが、普通に生活の中に入ってくる形ではなかなかない事だ。

もし仮に、終戦くらいからずっと、一日の家庭の団欒には必ず、日本民謡や童謡などが何時間も流れていたら、そういう文化が日本の至る所に残っていただろうか。

やっぱり敗戦とともに、日本は独自の文化に目を背けてきたのかな。

コロナの最中(いや、まだ終わったわけではないけど)100年も続いた三味線屋さんが閉めた、とかいう話を聞いた時、なぜ、政府がこういうところを大切にしないのかなぁ、と思ったものだ。

アイルランドではミュージシャンに対しての補助がすごく良かったらしいが、ま、確かに人口も違うしな。

僕も貰うものはもらったし、あまり政府を批判できないけど、それにしても彼らがあまりに贅沢しているみたいだし、それならもらわにゃ損だ、と考えただけだ。

その上で、やっぱり日本古来の文化などにはもうちょっと目を向けてもいいんではないかな、と素朴に思ったりする。

少なくとも、音楽という文化をこの国では非常に大切にしているようだ。

さて、あと2週間という事で2週間後、世界はどうなっているだろう。

ロシアはさらなる恐怖を駆り立てるような攻撃をするんだろうか。東京の上を北のミサイルが飛ぶようになるんだろうか。

誠に遺憾で決して許される行為ではなく、最も強い言葉で非難する…って僕にも言えますが。

国連でもワークしない位だから、名もなき日本の「聞く耳を持っているらしい人」が何か言ったところで、この人の言うことには誰も聞く耳を持てないだろう。

コロナのあとは戦争って予想もつかなかったけど、またノストラダムスの研究者が何か言ってくるかな。

あ、そうだ。日本は地震も怖い。

ここにいたらその心配は全くないので、また日本で揺れたら怖いだろうな。

マスクも3ヶ月間つけていないので付け方を忘れたんじゃないかな。確か、あの紐は耳に引っ掛けるはずだった、なんてね。

そうか。あの人のは「聞く耳」ではなく、単にマスクを引っ掛ける為の耳か。納得。

2022年 アイルランドの旅 50

前回の虹の話でもう一つ強烈に想い出されるものがあった。

トラボルタとニコラス・ケージの「フェイス・オフ」という映画で、Over the Rainbowが流れたシーン。

どうやらオリビア・ニュートン=ジョンの歌だったらしいが、この映画の中での最も印象深いシーンだった。

子供の頃から映画同様、映画音楽というものは相当好きだったように記憶している。

古くは、ブラザース・フォアの歌をラジオで聴いた「遥かなるアラモ」の主題歌「Green Leaves of Summer」これには深く感銘を受け、この映画を観に単身で東京まで出て行った。新幹線もない頃。まだ小学生だったかも…。

それからしばらくしてギターを手に入れ、DマイナーからDにいく独特なイントロに憧れたものだ。

映画音楽をギターで弾いてみる、という試みを盛んにやっていたのもその頃から。

「北京の55日」「酒とバラの日々」「鉄道員」「ウエスト・サイド物語」(当時は「…ストーリー」ではなかったようだ。挿入曲の「Somewhere」がギターでのお気に入りだった)

もちろんビートルズに関しては何度も何度も映画を観に行った。

「Help!」のあのタカタカタカタカっていうところ、どうやっているんだろう、なんて期待して喰い入るように観ていると、何故かそこのところだけぼかされているんだなぁ、これが。確かそんな記憶があるけど定かではない。

多くの映画音楽はかなり大規模なオーケストラで演奏されているものが多く、著名な映画音楽作曲家などの素晴らしい楽曲とアレンジだったので、それらをギターで弾く、ということにかなりの喜びを感じていた。

「禁じられた遊び」というのはすでに映画音楽というよりもギター曲だったのかな。

そういえば「栄光への脱出」という映画の音楽も素晴らしかった。

「ティファニーで朝食を」はもちろんムーン・リバーだ。

まだまだ思い出してみるといろんな素晴らしい作品があるはずだ。

しかし、邦画というものはほとんど観なかった。山本五十六の映画を子供の頃父と行ったくらいか。

あとは「銀座の恋の物語」っていうの観たな。

あれでオクターブの音が出ない卓上ピアノが売れた?って…そんな話はないよね。

多分、洋画=音楽、というつながりで必然的に洋画に惹かれていったんだと思う。

2022年 アイルランドの旅 49

とてつもないほどの美しい朝焼けに思わず「俺が昔、朝焼けだった頃、親父は霜焼けだった」なんて呟いてしまった。

省ちゃんと新幹線に乗った時、前の座席に松鶴家千とせさんがいたなぁ、なんてまた想い出にふけってしまったが、なんか雨が降る予感。

昼前に街へ出て買い物を済まさないと、と思い、まだ晴れている街に出た。

しばらくすると雲行きが怪しくなってポツリポツリと落ちてきた。

まぁ、これは大したことはないだろう、なんて思っていたら大間違い。

突然の豪雨になる。

それでも平気で歩いている人がいる。普通は無理。

しばし雨宿りをするが、約2~3分で雨が上がる。そして強烈な太陽が顔を出す。

そうすると見事な虹が青空にかかる。

ぽかんとして眺めているとまたポツリポツリと降ってくる。そして土砂降り。

これもすぐ止んで太陽が出る。

そしてまた素晴らしい虹だ。

その様子は「ファンの集い」のページに写真と共に掲載させてもらったが、それはそれは素晴らしい光景だった。

その昔、高中正義の「Rainbow Goblins」というのを聴いて、本まで買ったことがあったけど、やっぱり虹にはロマンがある。

この国にかかる虹は本当に美しい。

美しい虹を堪能したあと帰ってきて思わず「3時のあなた~♩」なんて口ずさんでしまった。

2022年 アイルランドの旅 48

昨夜、小さなパブでユジーンと彼の奥さんに会った。

奥さんはれっきとした日本人だが、もう日本よりも海外暮らしの方が長い。

6~7年前、いつもいつも1人だった彼が「日本人のガールフレンドができた」と言っていたが、どうやらそのすぐ後に結婚したらしい。

その時の写真が傑作だ。

ゴールウェイの街を沢山の人に囲まれて練り歩く2人。

奥さんはフランス暮らしが長いらしく、今でもフランスに仕事でしょっちゅう出かけるらしい。

そうするとユジーンは1人でパブの飲み歩き。多くの場合はチコリの前で過ごす。

昨夜は奥さんが面白いことを言っていた。

寺尾聡のファンらしく「嬉しい。寺尾聡世代の人とお話しできる」もちろん彼女はそれ、ルビーの指環を聴いて育った世代、ということだ。

そこで思い出したのが「道連れは南風」のレコーディング。

当時、ルビーの指輪でブレイクした編曲家の井上鑑を迎えたレコーディングは鬼気迫るもので、あっという間に終わったものだった。

渡された楽譜はほとんど、よく政府が出してくる黒塗り状態。それくらいに音の嵐。

僕と省ちゃんとで「これ、どないなっとんのや?」と眺めていると、彼が「アコースティック・ギターは今まで通りやってください」と言う。

さて、レコーディングが始まると、独特な井上鑑の世界。ギタリストの今剛がご機嫌なリフを弾く。ドラムはずっとポン太だと思っていたが、どうやら林立夫だったらしい。パーカッションに斉藤ノブがいた、と記憶している。彼とは京都時代からなぜかよく知った仲だった。

とにかく、あっと言う間に終わったレコーディングだった。みんなが滞在した時間はセッテイング含めてせいぜい30分程度だったかと思うが。

当時の凄腕たちの恐ろしいレコーディング風景を目の当たりにした感じだ。

ところでユジーンはもうすでに出来上がっていて、同じ話をずっとしていた。約40分くらい。

例によって「一杯やるか」と言ってちゃっかり自分の分も。横から奥さんが「あんた、まだやるか!」と言いながら自分もちゃっかり一杯。

そんな風にして流石にあまり同じ話を繰り返すユジーンに「あんた、そろそろ帰るよ」

すると、残っていたビールを豪快にあおったユジーンは観念したらしく、奥さんに抱えられてフラフラ出て行った。

僕らもその後すぐ出たが、帰る方向が同じなので、少し後ろの方から気がつかれないように歩いていたら、通りの先にパブがある。

驚くことにそこへフラフラ入って行くではないか。

面白いので僕らも入ってみると、奥さんがビールを注文している「あんたがた、まだやるか!」と言うと、振り向いた奥さんが「いや、ユジーンがおしっこ我慢できなくて」と言う。

パブはちょっと大人が集まる所、と言う感じで空いていて静かだったが、中にはユジーンの知り合いが5~6人で飲んでいる。

トイレから戻ってきたユジーンが僕らを見つけると「おい、一杯どうだ」

いやいや、僕らはもう無理。

奥さん、あと1週間ほどで日本に行くので、留守の間ユジーンは「ホームアローンだ」と寂しそうに(嬉しそうに?)言っている。

どこまでも微笑ましい夫婦だ。

2022年 アイルランドの旅 47

ラテンパーティはなかなかのものだったようだ。

みんなと一緒に戻ったのはもう2時半を回った頃だったらしい。

さて、素直な感想として「あれはスポーツだ」と言っていた。

わかるような気がする。

日本人以外には、スポーツも遊びも同じだ。歯を喰いしばる必要はない。

かと言って、オリンピックの選手くらいになるとそんなことはないだろうけど。

他にも、ラテン系とヒスパニックの違いなどについては、多分、日本と韓国、あるいは中国がよく区別できない外国人と同じかも、と言っていた。

確かにメキシコが北米ということも僕らの意識の中にはない。

ついつい中南米の国の一つだと思いがちだ。ただ、北米というのは地理的な区分としてなので、文化的には中南米からの影響の方が遥かに強い。

もうこの辺になるとそれなりの書物が必要になってくるが、友人たちからそんな話を聞くのも楽しいし、書物では得られない発見もあるだろう。

踊りのステップも曲調によって違うのは当たり前。

友人たちは「ほれ、サンバだ!今度はボサノバ!お、来た!タンゴだ!」というように次から次へと変わってゆくステップを教えてくれたらしい。

きっと友人たちのスパルタ教育も含めてスポーツを感じたのかもしれない。

2022年 アイルランドの旅 46

今日はめちゃアイルランドらしい天気。

気温は10℃ほどだが、体感温度は5℃ということだ。

冷たい雨が降ったと思ったら止んで、また降ってくる。かと思えば3秒ほどで止んで、まばゆいばかりの太陽が顔を出す。

その数秒後にはまた雨。

そんなことの繰り返し。

天気予報を見ると、曇り時々晴れ、時々雨、となっているがそれ以外何かありましたっけ?

どれか当たるだろう、という天気予報。

そんな中、いつもの道を歩いているとよく見かける猫が雨宿りをしている。

といえども、道端から直接ドアになっているところで見事にびしょびしょになってニャーニャー言っている。

ちょっと立ち止まるとすぐに近寄ってきて、びしょびしょの体をスリスリしてくる。

アイルランドの猫はあまり人間を怖がらない。

日本では、サッと逃げる猫の方が圧倒的に多いような気がする。

少し景色を楽しんで戻る頃には呆れるほどの青空で、また猫のいる道を通ったら今度は気持ち良さそうに日向ぼっこをしていた。

どうやら乾いたようだ。

しばらくしたらあれよあれよの土砂降りになった。

今、僕は室内だが、あいつどうしてるだろうか…。ありゃ、また晴れてきた。

2022年 アイルランドの旅 45

今夜、近くのパブでラテンパーティがあるらしい。

毎週水曜日ということなので、何か特別なイベントではなさそうだが、希花さんがラテン系の友人に誘われて行ってくるらしい。

きっと「テキ~ラ!」なんて言いながら大騒ぎするんだろう。

ラテン系はとことん陽気だ。ヒスパニックもそうだ。

僕はメキシコ人とは良く行動を共にしたが、あ、チリ人もペルー人もいたか。ブラジル人はあまりいなかったかな。

僕がいた頃は「ラ・バンバ」が大流行りでどこにいっても「ラ・バンバ」だった。

映画館にも観に行ったが、その時、ラテン系やヒスパニックの生徒たちを連れた先生、多分映画鑑賞会だったのか、そんな子供たちと一緒になった。

小学生だったと思う。

映画の終盤、主人公のリッチー・バレンスが死んで、その兄貴が大きな声で泣くシーンになると、女の子の大きな泣き声が響いた。

アメリカの映画館は面白い。観客の反応が少し日本とは違う。

「Platoon」を観に行った時には、いかにもベトナム人のティーンエイジャーが数人いて、あらゆるシーンで「Fu…you!」と、それも立ち上がっての大騒ぎ。

「Casualties of war」も同じく、ベトナム人の子供たちが大騒ぎしていた。

こんな映画が上映されるなんて、もうベトナムも過去の話になっているのかな、と感じたものだ。

どうだろう。さすがに命からがら家族を連れて逃げてきた世代はあんまり見かけなかったかな。

ベトナム人の同僚はいっぱい居たのでベトナム戦争の話は沢山聞いたが、それらについてはすでに「アー・ユー・オープン?」で書いているので、それはさておき、なぜこんな話になったんだろう。

あーそうだ。ラテンパーティからだ。

日本人は基本的にパーティとかあまりやらない民族ではないかと思う。もしかしたら最近は変わったかもしれないけど。

アメリカではいろんなパーティがあった。

クレズマー音楽のパーティではみんなが輪になって踊り、さしずめ盆踊りのような光景が室内で繰り広げられていた。

近くにロシアンレストランがあって、そこでも聴いたことのあるロシア民謡が流れ、年老いたカップルが沢山踊っていた。

ユダヤ教のパーティでは僕までヤマカを被らされた。簡易的な白いものだったが。

とにかく海外にいるといろんな人種との交流が盛んに行われ、そこでは興味深い話が色々聞けてそれはそれでいい経験になる。

またラテンパーティでのみんなの飲みっぷり、踊りっぷりの話を聞いてみよう。

2022年 アイルランドの旅 44

今日はなんとなくノスタルジックな気候なので、ついつい京都の学生時代にタイムスリップしてしまった。

とは言えども、もう50数年前。10年ひと昔からすれば、5昔だ。

当時、18歳の頃、もちろん産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズでブイブイ言わせていたが、他の大学の友人も数多くいた。

中には無類のジャズ好きもかなりいた。

そこで、よく行ったジャズ喫茶を想い出してしまった。

まず、何と言っても「シアンクレール」かな。

立命館大学のすぐ近く、河原町荒神口のあたりにあったが、ここは僕の親戚(父方)の家も数軒存在していたのでよく行っていたところだ。

ここで初めてウエス・モンゴメリーの、大量の煙草の吸い殻が写真に収められたジャケットのレコードを見た気がする。

記憶が定かではない。調べれば分かることかもしれないが、覚え間違いでも迷惑のかかることでもないし、大勢に影響ないと思うので、思い出は思い出としてモヤモヤさせておくのも悪くないだろう。

マイルスのスケッチ・オブ・スペインもここだったような気がする。

音楽を聴きながら、友人たちと静かに時が流れていくのを眺めていた。

そう言えば百万遍のあたりに「カルコ」っていう店もあった。

ここはどちらかと言えば、ジャンゴなどを筆頭に30年代のスウィングなどがよくかかっていたと思う。

入った途端に別世界に来たような気がした、ということもなんとなく覚えていることの一つだ。

「やまとや」というところもあったなぁ。確か熊野神社のあたりだった。

そんなジャズ喫茶への出入りもさることながら、入り浸りという意味ではやっぱり「琥珀」かな。

ここはフォーク喫茶と言えるんだろうか。

大学時代からナターシャー初期、中期に至るまで、マスターの藤井さん夫婦に会いによく行ったものだ。

省ちゃんと楽器を持って行って弾いたり、そうだ。デビッド・グリスマンたちとジャムをしたりしたのもここだ。

アメリカンフォーク、ブリティッシュなど、フェアーポート・コンベンションやペンタングルなんかここでよく聴いていたと思う。

ブルーグラスもいっぱいあった。

あの頃はフットワークも軽く、河原町までバンジョーを持って出掛けるなんて苦でもなかった。

当時、フォークソングをやっていて「琥珀」に行かなかった人っていなかったんじゃないかな。

思い出せばもっとたくさんの事柄が出てくるのだろうけど、怒涛のごとく過ぎていった60年代後半から70年代後半まで。

良くも悪くも情報源が限られていた時代、自分の足で見つけたもの、風の噂で知ったもの、その全てが本当に価値のあるものだったような気がする。

2022年 アイルランドの旅 43

朝からすごく良い天気の10月2日、日曜日。

今日は、アコーディオンとフィドルの夫婦デュオ、アンダースとまよさんの家に午後のひと時を過ごしに行く予定がある。

歩いても20分ほど。

2016年頃、彼らの家を訪れているが、このコラムの2015年8月、彼らに子供が産まれた、と書いている。

確かその子がまだヨチヨチ歩きだったので、それはやっぱり一年後くらいだろう。

もうすっかり大きくなって、あの時はまだいなかった下の男の子も部屋の中を元気に走り回っている。

アンダースはデンマークの産まれ。

そこで、北欧でしか手に入らない、美味しいゴートチーズを食べるか?と勧めてくれた。

チーズは好きだけど、全くの初心者でブルーチーズやゴートチーズはかなり苦手だが、彼が「ちょっとだけ」と言ってスライスしてくれた。

それが、なんというかまるで生キャラメル。

茶色いチーズで、ゴートチーズをベースにしてキャラメルを混ぜてあるらしい。これは危険なくらい美味しい。

が、デンマーク以外の土地ではまず手に入らないというから、残念やら喜んで良いのやら。(なお、最近は日本にも入ってきているらしいという噂も聞いた)

そして今度は彼が焼いたクルミのパンにそのチーズをのせて…これがまた絶品。

まよさんは美味しい緑茶を淹れてくれて「もったいないから良いよ」と言うと「いや、こういうものは分かる人に飲んでもらわないと」と言いながら、

次は彼女の作ったヨーグルトムースタルト(これ、正式な名前じゃないと思うけど、勝手に名付けました)これがまた、見かけも味も絶品。

そんな楽しいひと時に時間も忘れて4時間以上が過ぎてしまった。

ちなみに僕は、小豆を炊いて白玉粉代わりの米粉を持って行ったら、帰った後早速ぜんざいを作った、と言って写真を送ってきてくれた。

子供達とアンダースのぜんざいを前にした嬉しそうな顔がなんとも言えない写真だった。

夜になると、ブライアン・マグラーからホストの仕事が入った。

パブに向かう途中、見たことのある顔が通りの向こう側を歩いている。

マリー・マクナマラの旦那さんのケビンだ。

ちょっと立ち話をすると「マリーさんも娘のサーカもみんないるよ」と言う。

僕らは9時から。その前にアコーディオンのコナー・コノリーも交えてやっていたらしい。

しかして、みんなと顔を合わせたが、中に1人、タラケイリバンドのドラムのおじさんがいた。

僕は今までに顔を合わせて話したことはなかったが、絶対にどこかで会っているんだろう。すぐ僕の横に来て話し始めた。

「ずっと前に日本から大きな体のフィドラーがきたなぁ。知ってるか?髪の毛がモジャモジャの」

葉加瀬太郎だ。そう言えばなんかタラまで行って彼らと交流したフィルムを見たなぁ。

結局、この音楽はかなり手強い、というような結論だったのを覚えている。

おじさんは盛んに「ちょっとうるさ過ぎるか?」と言っていたが、やっぱりベテランのいい演奏家だ。周りを気にしているし、もう多分70年くらいケイリをやっているのだろう。いかにも曲の成り立ちが分かっているようで、確かにドラムというのはちょっと音が大きいけど「はい、うるさいです」なんて言えない。

アンドリューの事や、彼の家族のこと、あのエリアのミュージシャンの事などを話し合うとおじさん一言「あんた、俺より詳しいな」

今年78歳ということ。まだまだ元気で満面の笑顔が素晴らしかった。

11時にお開きになって、それから少しまた話をしながら飲んで、いや~充実した1日だった。

2022年 アイルランドの旅 42

昨夜、前出のフランシスからメールが入った。

すごく嬉しそうに「俺、コーラス隊に入っているんだけど、来年の5月にそれで日本に行く!初めてで、すごく楽しみ」という内容だった。

僕もすぐに「5月か、いい季節だな。もう少し早いと桜に出会えるチャンスがあったかもしれないけど、それでもいい季節だ。ところでどこへ行くのか決まったら教えてくれ。多分東京には寄るんだろうなぁ」というような返事を出した。

それからしばらくして「どうやらここに行くみたい」と言って地図を送ってきた。

それを見てすご~く驚いた。

この旅の32で書いた東川高校のある町、東川ではないか。

「え~!そんなところに行くの。それっていつもアイルランドに入国する際、どこへ行くのか聞かれるけど、Why Carlow?という言葉が返ってくる。君も試しに東川に行く、って言ってみ。きっとWhy Higashikawaって言われるよ」

と返信した。

そして大聖堂で彼らの演奏を見たことも話した。

するとフランシスはそのちょっと前に大聖堂でコーラス隊の一員として歌っていたらしい。

その時になんだかしらないけどパンフレットをもらった。そこに東川の地図が載っていた、ということ。

なんだ。多分「東川=北海道=日本」というのが彼の認識だったのかもしれない。

それくらいに初めての日本で興奮していたのかな。

でももしかしたら、先日の繋がりで東川にも行くのかもしれないし、まだディテイルは出ていないそうなのでどうなるか楽しみだ。

まさか、東川だけで帰ることもなかろう。

それならば、アイルランド国内を行くのとちっとも変わらない…ような気もする。

いや、絶対東京には寄るんだろうな。もしそうだったら人間の多さに耐えられるかなぁ。

あのパット・オコーナーはサンフランシスコで満員のバスに乗っただけで「ジュンジ、ちょっと降りたい。気持ち悪くなった」と言っていたし、

ジャックもラッシュの京浜東北線で気持ち悪くなった。

あんまりそんないらん情報は与えないほうがいいだろうなぁ。

楽しんで帰ってもらえたらそれが一番。

2022年 アイルランドの旅 41

もう10月だ。

9月の最終日は朝から雨と風が激しく、まるで嵐のようだったが、これぞゴールウエイの冬だ。

以前1月に来ていた時、早川さんが言っていた。「これぞ冬のゴールウエイ。今こそ外に出て思い切りアイルランドを満喫しなくちゃ」

こんな日はパブで飲むのが一番かもしれない。

そうして人々が集まって酒と会話と音楽とでこの国が成り立っている。

さて、日本のニュースを見ていたら、やっぱり値上げのことが大きく取り上げられている。

どうでもいい議員の数を減らして、残った議員の給料を少し下げれば、かなり使わなくてもいいお金が戻ってくると思うけどなぁ。

煙草吸いながら咳き込んでいる人に「煙草やめたら?」っていうくらい難しくて、なおかつ簡単な理論…なのかな。

そういえば省ちゃん、入院先でも屋上に出ては吸っていたみたいだなぁ。もちろん最初の頃。

ヨーロッパでは煙草を吸う人はかなり多いみたいけど、ここではその煙があまり気にならないのはやっぱり空気や空間のせいだろう。

日本は狭い国土に建物や人が密集している上に、あのなんともいえない重い空気で煙が必要以上にどんよりするのかもしれない。

こんな雨の日に外へ出てパブの前を歩くと、知った顔達が外で煙草を吸っているのに出くわすんだろうな。

そして「お、どうだ一杯飲むか」なんてね。

2022年 アイルランドの旅 40

朝7時半。今頃はアパートの下を流れる川も水嵩がだいぶあるので、いつもサギが止まっている石も水の中。

それでも一応どんな様子か見てみようとベランダに出てみて驚いた!

初めてここでみる白鳥。それも子供連れ。優雅に2羽の大人と3羽の子供が佇んでいる、というよりも流されている。

結構水も多く、流れがあるのでスイスイと流れていった。

この街にいたら白鳥は決して珍しくないが、こんなに身近にいると、やっぱり「でかいな」と感心してしまう。

以前、北海道でお世話になった国柄さんという人が白鳥に追いかけられて必死に逃げていたけど、あれ、よく分かる。

さて、昨夜はちょっとした変化があった。

希花さんの勤め先、以前自宅にお邪魔させていただいた医学博士が取り仕切る、循環器系のカンファレンスで演奏する、という話。

世界中からその権威が集まり、中にはノーベル賞受賞者も数人。正に頭脳集団と言えるだろう。

会場はお城のようなホテル。

ちょっと嫌だなぁ、と思ったが希花さんが日頃お世話になっている人からの要望なので、僕も少しだけマシな格好をして出かけた。

午前9時頃から会議が始まったらしいが、僕らが演奏するのは、予定では7時半頃だったのが10時を回ってからになってしまった。

それだけ会議にみんな集中して止まるところを知らないくらいの意見交換がなされたんだろうな。

なのに、みんな元気に飲んでいる。

流石にパブの酔っ払いとは違う。

いろいろ予定が変わって僕らはディナーの後20分ほどの演奏を頼まれた。

希花さんは知っている人がたくさんいるけど、僕はまるで借りてきた猫だ。

昔は猫の貸し借りなんてあったんだろうか?ネズミ退治のためだったのかな。

いやいや、まぁそんな感じだったが幸運にも仕切り役の医学博士が気を使ってくれて、僕らはみんなを見渡せる少し余裕のあるテーブルにつかせてくれた。

これは非常に助かった。

みんなの様子を見ながら、彼らがいくら酔っていても、もしここで誰かが倒れたら絶対に助かるな、と思っていた。

60~70人ほど、いやそれ以上いたかな。それだけの専門医に囲まれることはあまりない。

美味しいディナーをいただいて、さて、僕が知っている医学博士ともう1人、世界のトップに君臨する75歳のプロフェッサーが希花さんを紹介し、やんやの拍手の中、

借りてきた猫も準備して演奏を始めた。

当初もうちょっと早い時間から、それもディナーの前、という予定で、僕らも「ガヤガヤしていてどうせみんな聴いていないよ」なんて思っていた。

ところがどっこい。みんな嬉しそうに足踏みし、手拍子もあって、それでも真剣に聴いている。

これってやっぱり学のある人たちだからかなぁ。

ワルツやジグ、リールなどを演奏してアンコールまでいただいて「じゃぁ希花さんが生まれる前にヒットした名曲から」と僕が、少しだけ頂いた極上のワインの勢いでアナウンスをして、エルビスのCan’t Help Falling in Love With Youから入るジグ/リールセット。

思った通りCan’t Help~ではみんなの大合唱。そして大喝采。

終わってからもいろんな人が挨拶に来てくれて、それはそれで希花さんの存在を彼らに知っていただくいい機会になっただろう。

ひとり、アメリカ生まれの女性がカーター・ファミリーやジョニー・キャッシュを知っていて、僕がカーター達と住んでいたことがあったと話したらとても喜んで、その女性とはいっぱいカントリーやブルーグラスの話をして盛り上がった。

その後、いかにも権威のありそうな博士が「これからバーで飲むぞ。行くか?」なんていってくれたけど、借りて来た猫としては早く帰りたい気持ちもあったので丁重に断った。

しかしこの人たち、朝9時から会議して、今はもう11時にもなろうとしている。それに明日だって会議があるみたいだけど。

いったいいつ寝るんだろう。貸し出された猫は早々と寝かせていただいた。

2022年 アイルランドの旅 39

さて、9月もとうとう終盤に差し掛かった。

日本では国葬があった。賛成でも反対でもなかったが、強行することで誰か得したんだろうか?

後の言い訳が楽しみではあるが、どうせまた爺さんが悪態をついたり、都合のいいことを言ってごまかすんだろうなぁ。

それが見え見えなのでどちらかと言うと反対、と言うことになってしまう。

普段から正直で謙虚な、且つ、透明性のある、それでいて強い姿勢の政治を行ってきたら決して…まぁ国葬までいかんでも、厳かに見送ってしかるべき事案だろう。

しかし菅さん、コロナの時も今日くらいの立派な演説をしてくれたら良かったのに。

それよりも気になるのが、毎日同じところで同じ体勢で何かを見つめているサギ。

朝ということは決まっているが、たまにはお昼近くになって現れることがある。本当にたまには、だが。

そして約3時間ほど動かない。

清流からちょっとだけ頭を出している石の上で。

時々、こちらを見るような姿勢になることもあるが、その時は首を傾げている。目が横についているせいだろうか。

試しに残り物のパンを投げてみたが、ピクリとも動かない。

しかも、パンは時々奴の頭に当たったりしているのに。

今日はほんの少しだが、冷たい雨も落ちてきている。

まるで修行僧だ。

そしていつの間にかいなくなる。

飛んでいってしまうのは仕方がないが、どのようにしてそこに現れるのかをみてみたい気がするが、それは難しい。

また、何を見ているのか、何を考えているのか、知って何になるわけでもないだろうが、知りたい気もする。

きっと何も考えていないだろう、と考えるのは楽だけど。

さぁ、あと1時間ほどで国葬とやらが終わるはずだが、どういう評価が飛び交うだろうか。

そしてサギも同じくらいの時間に何処かへ飛んでいくだろう。

2022年 アイルランドの旅 38

寒い。ひたすら寒い。気温をみると11℃ということだが、風が冷たい。

朝7時半ということもあろうが、これからあと数週間したらこの時間は真っ暗でもっと寒くなるのかもしれない。

その上、雨が降ったりしたら、オノマトペで表現したら「ドヨ~ン」とした空気感、ということになるんだろうなぁ。

その寒い中、川でスイスイ泳ぐカモを見て、塀の上を歩く猫を見て、飛び回るカモメの声を聴きながら歩く。

カモメはよく空中戦を繰り広げている。

下手したら巻き込まれそうな低空までやってきて戦っている。

餌の取り合いだと思うが、始まったらしばし立ち止まっていないと危険だ。

ヒチコックの世界。

東京にいたらカラスやムクドリというのがやたらとはびこっているが、特にカラスも怖い。

カラスの撃退法で、一説によると「毎日カラスの目を見てこんにちわ、と言うと来なくなる」らしいが、調べてみるといろんなグッズが出ている。

その昔、ロンドンかどこかの空港で鳩が大量発生し、色々試した結果、シャーリー・バッシーの「Gold Finger」を大音量で流したら一目散に逃げまわり、大成功を収めた、と言う記事が新聞に載っていた。

どうやら他の音や歌ではダメだったらしい。

鳩ではうまくいったみたいけど、カラスと言うのは学習能力が日本の政治家よりも数段上だと言うことなので結構難しいらしいですね。

ところで、カラスにも効果があるのではないかと、彼女の歌を(特にシャウトの部分)収録したアルバムが発売されている、と言う話があるみたいですが、

それもカラス撃退グッズの一つなのかな。

と言うことで、今回は寒い朝に見かけた鳥たちの光景から何だか訳のわからない文章になってしまった。

今日はチキンでも食べようかな。

2022年 アイルランドの旅 37

9月24日。クレインバーでフランキー・ギャビンのショーを観る。

フランキーについてはここ最近、健康状態が芳しくなく、気にはなっていたが、そっとしておいてあげた方がいいかな、と思っていた。

それでも彼が精力的にあちらこちらで演奏していることを知っていたので安心していた。

そんな折、彼がすぐ近くで演奏すると聞いて、やっぱり行ってみようと思った。

会場であるクレインバーに歩いていく途中、道端でばったりフランキーと出会った。

かなり痩せていたが元気そうだった。

しばし話をして、固くハグをして「今からいくからね」と伝えたら嬉しそうに「ありがとう」と言っていた。

僕と希花は会場に入り、一番前、フランキーの正面に座った。

演奏が始まるとこれぞフランキーの世界。

健在だ。

限りなく力強い。

全く衰えていない。

フルートプレイも涙が出てくるほど美しい。

会場にはアン・コンロイ・バークも来ていた。サーカ・コステロもコーナー・コノリーも、そして勿論ショーン・ギャビンも。

横に座った3人の若者と一緒に盛り上がってギネスの奢り合いもしてしまった。

それもこれもフランキーの鬼気迫る演奏のせいだ。

最後にステージ上から「ジュンジとマレカも来てくれている」なんていうアナウンスもしてくれた。

2度のアンコールに応えての終了後、また固くハグをして別れた。

本当に来てよかった。

フランキーはまだまだ元気だ。そしてまだまだこの世界の頂点に立つ人物だ。

2022年 アイルランドの旅 36

ゴールウエイは今、オイスターフェスティバルの真っ最中。

街は大変なことになっている。

いつでも人で溢れているが、こういう時はもう歩くのが困難、と言えるほどの人で溢れかえる。

もうコロナの事なんかすっかり忘れてしまっている。

どこのパブも黒山の人だかり。ブラック・マウンテン・ラグだ。

通りもあちらこちら歩行者天国になっていて、道路にいっぱいテーブルが並んで、多くの人は外でビール三昧だ。

結構寒いのに。多分10度以下。

でもあちらこちらに涼しげな格好をした女の子もいるし、おしゃれした青年たちもいる。

みんなビール片手にご機嫌さんだ。

この人たちの血液はビールなんだろう。

バンドの演奏もあった。

かなりうまいアコーディオンとその姉だか妹だかのフィドル、イケイケバウロンとキーボードの女性、ギターが何故か2人。

1人の方を見てみると、シェーン・マッガンだ。いや、ポーグスではない。

確か、ミック・モロニーとフィラデルフィアかどこかで演奏した時に一緒にステージに上がっていた、結構ギタリストとして名の通っている奴だ。

彼らのご機嫌なアイリッシュチューンを聴いて、少しシェーンと話をして、夜道を歩いて帰った。

夜道、という感じではない。人がいっぱい溢れている街を後にした。

2022年 アイルランドの旅 35

今日は珍しい人と立ち話をした。

僕がゴールウエイに頻繁に来るようになったのは2011年から。

その頃からパブ「チコリ」の前で毎日のように見かけるおじさん。

どこか、ダブリナーズのルーク・ケリーのような風貌でいつも同じところに立っていた。

一度だけ「あんたルーク・ケリーかと思ったよ」と話しかけたことがあったが、それも7~8年前かな。

そのおじさんが今日は正面から歩いてきた。

とても細い道だったので、お互い顔を合わせて何気なしに立ち止まって会話が始まった。

驚いたことにおじさん、僕よりも4歳若かった。

カーリーのかなり少ない白髪、真っ白なモジャモジャの髭。赤ら顔の、でもよくみると酔いどれおじさんではない。

それに、何かユニホームみたいなのを着て、道路に落ちたゴミを集めていた。ボランティアではなくれっきとした仕事のようだ。

70まで働いた方が年金がいいはずだ、と言いながら。

また、早くに仕事を終えるのもいいけど、せいぜい最初の1年は楽しく暮らせても、2年目からは何もやることがなくなって、3年目からはまた飲み始めて人生終わるかも知れないので、出来るだけ長く働きたい、と言っていた。

今までただの暇な飲んだくれかと思っていたが、とてもしっかり話をする人で少々驚いた。

とてもわかりやすい英語を話す人で、こういう人は外国人と話をするのが慣れている、とか、そこそこ学のある人という印象だ。

しまった。名前を訊き忘れた。

ま、どうせまた明日会うかも知れない。いや、今夜かも。

2022年 アイルランドの旅 34

アイルランドに居ながらにして、どうしても日本の箸にも棒にもかからない政治家の恥さらしの記事ばかりが目につく。

いや、離れているから尚更のことかもしれないな。

大谷くんのニュースを見ている方がよっぽど身体にも心にも良い。

野球は子供の頃好きだった。父親の影響かな。ちなみに彼は大の巨人ファン。

そのせいで僕も、キャッチャーは森か藤尾、ピッチャーは高橋や伊藤、ファーストは王、セカンドは土屋、ショートは広岡、サードは長嶋、

外野は宮本や与那嶺…蚊取り線香の香り、蚊帳、トランジスターラジオから流れる中継が懐かしい。

スポーツで言えば、どうもサッカーというのはあまり好きではない。多分高校の授業で走っても走ってもなかなかゴールに届かない、なんか疲れるスポーツだなぁ、と感じたことに発するのかも知れない。

ラグビーの授業もあった。全然覚えていなかったが、ワールドカップの仕事をした頃から、お、なかなか面白いな、と思うようになった。

でもサッカーは足だけというのがなんともまどろっこしい。

バスケットもやった。こちらはスピードがあってなかなか面白いと感じた。

アメリカの3大スポーツはフットボールとバスケットと野球だろう。野球は一時期ストライキで人気を落としたが。

僕がいた頃は何と言っても49ersのジョー・モンタナだ。あちらこちらにモンタナを大統領に!などという落書きがあった。

後釜のスティーブ・ヤングも相当な人気だった。

バスケットではシャキール、ジョーダン、ジョンソン、少し後でコービーなどをよく見ていた。他にもラリー・バード、アイゼア・トーマス、ジョン・ストックトン等、そうしてみるとやっぱりスピード感あふれるバスケットをよく見ていたのかも知れない。

アメフトはルールがよくわからなくて。

プロレスは良く観ていたかな。あれ、完全にショーという感じ。

ハルク・ホーガンとかアンダーテイカー、トリプルH、ロック…挙げればきりがない。

そう言えば、中学の頃は何故かバレーボール部だった。まだ9人制の時代。

バレーボールというのも、東洋の魔女以来、女子の方が認知度が高い。少なくとも僕にとっては。

男子の方はあまりにスピードがありすぎる上に、彼らの見かけではコートが狭すぎる感がある。

もちろん女子でも2メートル近い選手、いや海外だったら2メートル超える選手もいるし、同じことかも知れないけど。

高校生になって、陸上部という選択肢もあったが、美術部に入り、それからはスポーツではなくフォークソングに打ち込んだ。

秋の夜長、大谷くんの明るいニュースから昔のことをちょっとだけ思い出してしまった。

2022年 アイルランドの旅 33

今日は朝、歩いていて何気なしに空気の重さが違うことに気がついた。

もちろん、今日は湿気が多いとか、カラッとしているとかそういった感じは普通に分かるが、今朝の感じはとても微妙。

曇っていても少し晴れ間が出ているような天気だったが、何が違うと感じたかというと「風」だ。

決して風が吹いている天候ではなかったが、肌に当たるほんのわずかな風の重さが少し違ったような気がした。

これ、きっと雨になる、と思わずつぶやいてしまった。

それから約1時間後、しとしとと雨が降り出した。少し濡れるかな?程度の雨だったが、2時間ほどでまた曇り空に戻った。

段々デルス・ウザーラみたいになってきたかな。

この国は本当に自然豊かだし、そういう所にいると神経が研ぎ澄まされるのかもしれない。

そういえば、日本に呼んだアイルランドのミュージシャンたちは、誰もが方向感覚に異常に優れていた。

太陽の位置とか風向きで分かるんだろうか。もう船乗りの世界。

大自然の中で生まれ育った人々にとっては当たり前のことなんだろうか。

大自然の息吹を聞く力というものに優れているのかな。

聞く力といえば、恥ずかしげもなく国連本部で「聞く力」をアピールした、という我が国の首相。

ここまで来るともう………????世界の恥さらし?横でヘラヘラしていた奴も、爆睡していた奴も。

あ、いやあんまり他人のことをとやかく言うのは止めておいて、聞く耳でも持ってみようか。

2022年 アイルランドの旅 32

昨夜、大聖堂で日本からの高校生たちのブラスバンド演奏がある、と云うので出かけていった。

北海道の東川高校。調べてみると旭川から美瑛のあたりに存在するようだ。

僕らもよく行ったあたりかもしれない。

7時半からのコンサート。どうせ時間通りには始まらないだろう、と、ゆっくりピザを食べてから出かけたが、もう一杯の人で既に始まっていた。

やっぱり日本人が関わっていたからだろうか。

最初はどうやら地元の高校生、もっと小さい子もいたかな、とにかく彼らのオーケストラ。

そして、次が地元のちょっとお年寄りたちのブラスバンド。

最後が東川高校、と云う流れだったが、彼らの演奏が圧倒的に素晴らしかった。

フィナーレでダニー・ボーイの合同演奏。

先ず、お年寄りたちの演奏で入ったが、結構ホニョホニョしている。そこにサビから高校生たちが入る。

すると、それが本当に素晴らしいものになった。

元々2020年に来るはずだったと思うが、もしそうだとしたら、その夢を叶えられなかった先輩たちの分も頑張って練習して来たんだろう

比較的新しく、1965年に完成したと言われる大聖堂。そこに響き渡る彼らの演奏で気持ちの良い夜を過ごすことができた。

2022年 アイルランドの旅 31

9月17日の土曜日は、同じCo.GalwayのPortumnaという小さな町のフェスティバルに出演するため朝からゴールウエイを出発。

コンサートは、マナスとのトリオで90分。

素晴らしい教会、小さくもなく大きすぎるわけでもない、理想的な古い教会。

到着すると音響機材の前に、にこやかな男が座っていた。今日の音響係のアイバンという人。

既に全て用意されていて、やっぱり慣れているせいか、3人がお互いを観る事ができるように、真ん中の椅子を少し後ろに、両端は少し内側に向いている。

細かい話だが、これが理想的な配置。

僕らはただ座っただけでそのまま音を出してみた。

案の定なんの問題もない。

教会の空間と、彼の作り出す音が絶妙にマッチして文句なしの素晴らしい音響だ。

コンサートは休憩なしの90分だが、70人ほどのお客さんは食い入るように楽しんでくれたようだ。

僕はそんな中、1人デューリングバンジョーを演奏。途中でMother’s Love is a BlessingとDanny Boyを挿入。

思った通り、どちらもアイルランド人の心の故郷のような歌なので、みんなが僕のバンジョーに合わせて歌っていた。

それも、教会の壁に響き渡ってこの上なくいい雰囲気に包まれた。

マナスと希花さんのツインフィドルも美しい。何もかも、僕らもお客さんも大満足のコンサートだったと確信している。

さて、終了後、主催者がこの町のどこのレストランでも使える食事券を用意してくれたので、少し寄り道してみることにした。

ここでまたアイルランドらしいことが起きる。

マナスはスープとサンドウイッチ、僕はファラフェル、希花さんはチーズバーガーを頼んだ。勿論チップスも。

飲み物は何にする?と聞かれたので僕はコーヒーを、と言ったら、、希花さんが「何か冷たいものがいいな」とつぶやいた。

お姉さん、すかさず張り切って「アイスコーヒーがあるわよ」と云う。

そこで希花さんが「あ、それにする」と言ったので「じゃ、僕もコーヒーじゃなくてアイスコーヒーにします」と言ってしばらく待っていた。

やがてアイスコーヒーが運ばれて来た。僕はちょっとトイレに行っている間に来たのだが、戻ってくると希花さんが不思議そうな顔をしている。

開口一番「火傷するからストローで飲まない方がいいよ」「え?」アイスコーヒーじゃなかったっけ。

それはなんとストローが刺さった温かいラテのような物だった。

「これ、アイスコーヒーじゃないよね」と言いながら先ほどのお姉さんをみるが、忙しそうにお客さんと話をしたり動き回ったりしている。

面白いからいつ気がつくかこのままにしておこう、と云うことになり、やがてフードが運ばれて来た。

マナスのは頼んだものズバリ。僕のはファラフェルと言えども少しスタイルの違ったラップのようなものだったが中身を見る限りファラフェルに間違いない。

そして希花さんのバーガーもラップのような形状をしている。

「これ、どう見てもバーガーじゃなくね?」と希花さん。これは言わにゃ、と「これ、バーガー?」と訊くと「あら、ごめんなさい」と言って別なテーブルに持って行き、既に出来上がっているバーガーが運ばれて来た。今度はどこから見てもれっきとしたバーガー。ま、これはレストランではたまにある事。驚きやしない。

しかし、僕らはその時点でコーヒーについて何かあるかな?と思っていたが案の定何もない。

さぁ、これはどの時点で間違えたのだろうか。興味をそそられる事案である。

氷を入れるつもりならこんなに並々作らないだろう。温かいコーヒーにストローを刺したのはなぜだろう。コップを持った時、変だと思わなかったのか?

アイルランド人の謎は深まるばかり。

どこかに「このお店のアイスコーヒーは熱いです」とか書いていないか探すがどこにも書いてはない。

結局お姉さん、最後まで気がつかなかった。しかし、感じのいいお姉さんだったし、お店もアットホームな素晴らしいところだったし、町も綺麗だったし、天気も良かったし、コンサートも素晴らしかったので、あ、それと食べ物も美味しかったので、また、ここに来ることがあったら今度はコーヒーを頼んでみよう。

何が出てくるかお楽しみだ。

2022年 アイルランドの旅 30

どう考えてもこの国の不思議な当たり前が、おおらかなのかあまり考えていないのか、大した事ではないのかよく分からない部分がある。

ずっと前にも書いたけど、パンの売り場に吊り下がっていたトング。どちら方向にも届かない。

ちょっと考えれば分かるはずなのに、結局みんな手で掴むしかない。

先日、瓶詰めのチリペパーを買おうと思い、売り場を見たらパウダーはあったが、僕が欲しかったフレイクの物がない。

ふと後方を見ると、さっきまで誰か店の人が働いていただろうワゴンのところに乱雑に、見るからにやりっぱなしの物が置いてあった。

それらの中に僕の欲しいフレイクの物があったので、これは多分これから棚に並べるんだろうな、と思い、しばらく誰かが来るのを待っていた。

が、一向に来る気配がない。

えい、ここから搾取してしまえ、と思い、10個ほどが一緒になっているパーケージを破って一つ手にとってみた。

すると蓋がちゃんと閉まらない。プラスティックのパカっとなるやつ。他のも手にとってみた。これもダメ。全部ダメ。

さては、それで置いてあるのかな、と思いきや、次の日、そのまま陳列されていた。

ところで、僕は使いかけの容器でちゃんとしたものを持っているので、そこから一つ拝借したが、決して「あ、一つ足りない」なんていう番長皿屋敷みたいなことにはならないだろう。

また、よくあるのが値段表。ずらっと並んでいるものの中から僕の買おうとするものだけが何故か値段が書いてない。

いくつかそのために値段を調べる機械が置いてあるが、みてみるとどれも故障中。

希花さん怒る「これ、意味無くね」

レジなどでもやたらと要領が悪い。

店員がアホなのか客がアホなのか、システムが悪いのか…いや、働いている人に対してあまり失礼なことは言えないが、どうみても一生懸命働いている様子はこれっぽちも見えないことが多い。

日本のコンビニのように、ちょっとでもレジが混みそうな気配が見えただけでも店員さんがすっ飛んでくるようなことは一切と言っていいほど無い。

結局それでも誰1人なんとも思わないことでこの国は成り立っているのかもしれない。

アメリカも「我が道を行く」だが、流石にそこまででも無いような…いや、南部とか行ったらそんな感じもあるかな?しかし、この国は全体的にそんな感じ。

2022年 アイルランドの旅 29

ふと考えた。

お酒の中で、比較的身体に害が少ないのはなんだろう。

もちろん、ハードリカーのようなきついのは別としてだ。

普段よく飲むのはビールと赤、あるいは白ワインだ。

以前、赤と白を混ぜてロゼ、と言って飲んでいたらスペイン人に怒られた。

トニー・マクマホンはサンフランシスコの普通のカフェで赤ワインをオーダーしたら普通のコップを出されて、激怒して店を後にした。

ヨーロッパではやっぱりワインだろうか。

僕はあまり飲めないせいか、日本酒、焼酎、ウイスキーの類は苦手だ。

かろうじて、冷酒のキンキンに冷えたものだったら少し飲むかな。でもせいぜい1合くらいだろう。

酒類は家で飲むに限る。もちろん僕の場合は。そのまま寝れるからだ。

先日、こんな話を聞いた。

「酒の強さは母親から遺伝する」つまり母親が強かったら大体子供は強いらしい。

本人があまり飲まなくても先天的に持っている強さはあるようだ。どうも父親からではなさそうだ。

これがアイリッシュに当てはまるのかどうかは知らないが。

昔の話になるが、僕が初めて酒類なるものを飲んだのは…もう時効だろうから言うけど、高校の修学旅行の時だった。

安芸の宮島に着いた時、みんなで学帽の中にお金を出し合って資金にした。

こういう時、買いに行かされる奴が必ずクラスには1人くらいは居る。流石に学生服は着替えたと思うけど。

そして、ビール、日本酒、ウイスキー、焼酎、流石にワインはなかったかな、とにかく酒という酒はしこたまあった。

今ではあり得ないことだろう。みんな夜通し飲みまくった。僕もそれなりに飲んだけど気持ち悪くなった。

さて、次の日はバスで観光。しかも僕らのバスには校長先生が乗っていた。

校長なんて修学旅行について来ていたんだなぁ。でも、確かに「あ、ヤベェ校長だ」って誰かが言っていたのを覚えている。

それでもバスに乗り込むなり、みんなガアガアいびきをかいて寝た。共学だったが、女の子も数人はよだれを垂らして寝込んでいた。男は全員高いびき。

バスの中はかなり酒臭かったが、先生たちはもう分かっているせいか何も言わなかった。

ガイドさんだけが一生懸命「名所案内」をしていたが、みんなのいびきの方がうるさかった。ちょっと大袈裟か。

修学旅行から戻ってからも何かお咎めがあったような記憶もない。なんと平和でおおらかな時代だったんだろう。

アイルランドと酒とは密接なつながりがあるのでついついこんな告白をしてしまった。

2022年 アイルランドの旅 28

寒くなってきた。

流石に外でコーヒーを飲んでいる救急隊員には出会わない。

今朝は気温10℃で曇っていたのでなおさら寒く感じる。

手が悴んでいる。へぇ、こう書くんだ。

ところで、この悴むというのは方言かどうか気になったのでちょっと調べてみたら、元々は北海道あたりの方言だった、という説や、

古い言葉で今や季語として扱われる、などと言う記述があった。

それにしても実に言い当てた表現だと思うが、長年使っているからそう思うだけだろうか。

そこでこの表現は英語では?と思い、調べてみた。

numbというのがそれに当たるらしいが、指を挟んだりして腫れたり痺れたりするのもこの言葉を使うのでややこしい。

もう一つ関連としてShiverという言葉もあったが、これは寒気と同時に恐怖でちぢこまっているような時に使われるらしい。

そう言えばIn the Pinesという歌を歌った時にこの言葉が出てきた。

I would shiver the whole night throughという最後の行が繰り返されていた。

とにかく今日は一日中肌寒い天気になりそうだ。こんな日はやっぱり温かい紅茶が合うのかもしれない。少なくともお昼は。

お昼といえば、今週末京都でまた昼下がりコンサートが開催される。

ナターシャーセブンのスタッフ達が主催するコンサートだが、天気が心配だ。

見たところ、台風の影響が出るのはコンサート当日を過ぎてからのようだし、その通りになってくれたらいいな、と思っている。

彼らの心意気にはアイルランドからも感謝の意を示したい。

2022年 アイルランドの旅 27

9月11日が過ぎた。

時の流れと共に記憶も薄れていく。

国葬もやったもん勝ちで、終われば「素晴らしかった!」などという報道がたくさん流れるんだろうなぁ。

僕はこの件で彼の死亡が伝えられたと同時に「こりゃ絶対に国葬やるぞ」とテレビに向かって言っていました。

決して彼の生前を評価しているのではなく、ただなんとなくそう思っただけです。

僕ごときに手の内を読まれてしまう政治家なんてやっぱり頭すっからかんなんだろうな、と思ってしまう。

今になって「やっぱりやーめた」って言ったらどうなるんだろう。

エリザベス女王の葬儀とかぶったら面白かったのになぁ、なんていう不埒なことも思ってしまう。

反対派の多くはそう思っているだろうけど、僕は反対でも賛成でもない。こういうのコウモリっていうのかな。

反対派の人も無下に反対しているわけではなく、いつもやり口が汚く、あるいは本当に成すべきことをやらない政権にうんざりしているんだろうなぁ。

アイルランド、ゴールウエイ、現在16℃、今日は朝から雨。梅田から難波までは何キロくらいだろう?

2022年 アイルランドの旅 26

やっと日本がオープンするようだ。

ただ単に国葬をやりたいがため、支持率を上げたいがためという感じはするが。

マスクはどうなるだろう。まだまだつけていないと変な感じなんだろうなぁ。

この2ヶ月間ですっかり忘れてしまったけど。

話変わって、今朝買い物に出かけたら、いつも行くスーパーの入り口に若者が倒れていた。

倒れていたというよりも、ひょっとしたら死んでいるんではないか?と思うくらいの倒れ方だった。

数人が取り囲み、やがて警察官が来たが、どうやら彼は生きていたようだ。

顔が真っ赤になり、飲み過ぎか、それとも傷だらけなんかよく分からない。

あんまりジロジロ見るわけにもいかないし、遠巻きに見ていたが、水を飲まされていた。

もし酔っ払っているとしたら、アイリッシュだし一升瓶5本くらい一気飲みしないとあんな風にはならないはずだ。

その後救急車に運び込まれたみたいけど、あんな感じの若者がストレッチャーに乗せられたり、床に転がされたりして何時間も唸っているのを2015年のあの日に見た。

こちらは病院に連れて行かれてからが大変だ。

緊急性がなければ、扱いは牛、馬、豚と変わりない。ならば、最初から動物病院に行けばいいのに。

日本はその点幸せなのに、救急隊員に暴力を振るう奴がいるらしい。医者に恨みを持つ奴もいる。

あんまりこちらではそんな話聞かないような気もするが、知らないだけだろうか。

いや、彼らにもっと権限が与えられているのかもしれない。

アメリカでは、バスの運転手が乗客に「出て行け!」と怒鳴って蹴っ飛ばしていたことがよくあった。

中国人に絡んでくる黒人。バスの中で物乞いする奴。騒がしいガキなど、みんな運転手に追い出されていた。

日本は親切な国だなぁ、と感じることがよくある。

アメリカなんかで救急隊員に暴力なんて振るったら逆に袋叩きにあってその場に置いていかれそう。

日本がオープンするらしい、という話からとんでもない方向に向かったが、さぁ、これからまた外国人がいっぱい入ってくるかな。

2022年 アイルランドの旅 25

ミックとのセッションはパブも比較的静かでとてもいい感じだった。

6時の方がみんな出来上がる前で少しはまだ大人しいのかな。

終わってから、希花さんの仕事場の同僚たちがパーティーをしている、と言うのでそのまま出向いた。

目的は「月見」

満月の一日前、と言うことだったが、ちょうどいい時間、ゴールウエイ・ベイに昇る月は見事なものだった。

そう言えば、随分前、85年頃だったかな。イェール大学を卒業したあと、京都大学に留学していたアメリカ人の若者がいた。

その彼が、日本語ペラペラどころじゃないくらいに喋るのに満月を見て「あ、まんつきだ」と言ったので、初めて彼に「あれはマンゲツだよ」と教えてあげた。

そんな彼も今や国際政治学者として名を馳せているようだ。

話は戻って、これは日本人だけの集まりであったが全員職場では全て英語で仕事をしなければいけない。

そんな彼らもここでは日本語でのやり取り。

お月見、と言うことだったので、僕は前日から用意しておいた餡子を炊いて持っていった。

月見だんごも要る。

苦肉の策でご飯を柔らかく炊いてすりつぶし、片栗粉と混ぜて作った。

ネットというものは便利だ。

他にも彼らが用意してくれた唐揚げやお好み焼きなど、盛りだくさんのメニューがあったが、やっぱり昔ほどは食べられない。

しかし、ワインはさすが医者仲間なので、しかもヨーロッパ生活の長い人もいるので出してくるものがちょっと違う。

いや、多分ちょっとどころではない。

話をしながらいっぱい飲んだ。

気がついたら3時。

ここの住民(彼は若くして世界に名を馳せるほどの循環器系の医師・医学博士)はもっと飲みたそうにしていたが、おいとまする事にした。

彼は3時間ほどしたらまた仕事を始める、と言っていた。

アンドリューとはまた違うタフさだ。

2022年 アイルランドの旅 24

9月8日(木)歴史的な日になった。エリザベス女王の死去。

こちらの国葬は頷ける。

ちょうどマナス・マグワイアーが来ていて練習をしている最中でした。

少しは近いだけにこりゃ大変!と言う雰囲気がひしひしと伝わってきます。

そんな中、ミック・ニーリーからの突然のメール。

明日、チコリで6時から3人でできるか?と言うことだった。

希花さん、仕事場でミックと顔を合わせて、また今度はパブでミックと演奏をする。

かなりの腕前のフィドラーなので(ブズーキ奏者としても有名)これぞアイルランド生活だ。

因みにこのミック、漫画のTintinによく似ている、とみんなから言われているが、ゴールウェイ大学病院には無くてはならない存在であるらしい。

フランキーやショーン・マグワイヤースタイルのかっ飛ばしフィドラーで、結構すっとぼけたキャラなのでとてもそんな風には見えないが。

2013年の8月8日に初めて彼と演奏した、と記録にはある。

あの時、かなり僕らの演奏に食いついてきた彼のもう一つの職場に、いま希花さんが勤務しているとは…そんなこと想像もしていなかった。

2022年 アイルランドの旅 23

毎日、朝は7時から1時間、昼は3時から1時間、晩は7時から1時間(日によっては2時間)知っているだけでもそれくらいラジオからトラディショナルが流れてくる。

日本ではほとんどラジオなるものを聴くことがなくなったが、僕らの子供の頃、まだテレビが登場する前は娯楽はラジオだけだった。

「1丁目1番地」や「にあんちゃん」なんていう暗いものまで、そんなものを聞きながら食卓を囲んでいたなぁ。

あの頃の日本の首相は岸信介だった。国会を初めて「はだし」で歩いたのだ~れだ、なんていうなぞなぞがあったなぁ。

結局、この一族は国民のことを考えてきたんだろうか。疑問である。

今調べてみたら去年の9月のほぼ同じ日に、コロナを発端に政治家に対する不信感を書いている。

ありゃ、前の年にも同じ時期に政治家に対する不満を書いている。

結局、2年間はずっとそんなことに明け暮れていたのかな。

コロナをきっかけに彼らの無気力さを知り、それ以前からの嘘ばっかりつく姿勢にうんざりしていたので相当憤慨していたようだ。

今でも日本のニュースを見る度に、なんだかんだ言ってもこいつら平和な国でおとなしい国民相手で良かったよなぁ、と思ってしまう。

今は夜7時45分。ラジオからフランキー・ギャビンとポール・ブロック、チャーリー・レノンが流れている。

外はどうやら弱い雨が降っているようだ。

まだそこそこ明るいが、あと1ヶ月もしたらこの時間は真っ暗になるだろう。

そしたらパブにでも行かなけりゃ寂しくてたまらない人が増えるだろう。

天気が良ければ飲みに出かけるし、天気が悪くても飲みに出かけるし。

キアラン君、どうしているだろう。

2022年 アイルランドの旅 22

また面白い光景を見た。

いや、こちらにいたら決して稀な光景ではないが。

近くのタルト屋さんに救急車が止まっていた。

そこは僕の散歩コースで、僕はその救急車の後方から歩いていた。

また、こんなところで油売っているな、と思い、外に出ているテーブルに目をやると、そこでは数人の人がお茶を飲んだり、タルトを食べている。

因みにここのタルトはとても美味しい。

日本の某タルト屋さんのようにきめ細かく作られていないが、値段は半分以下で味もかなりのもの。

そんな人気店で、中をのぞいてみると、中で何か買っている様子もないし、中で座って食べている姿も見受けられない。

こりゃ失礼しました。お仕事かな?と思いながら運転席の横を通り過ぎたら…居ました。

中で2人仲良くアイスクリームを食べていました。

やっぱりなぁ。

日本も救急車はそろそろ有料化したらいいと思うが、それでは金のない人は助からない、という考えもあるだろう。

確かに、全ての人を助ける、という主旨の日本の医療からすればそういう理論になってしまう。

アメリカで一緒に働いていたメキシコ人の子供が2人、火傷をして救急車を呼んだら1人600ドル、計1200ドル取られて嘆いていた。

なんか今ではそれどころではないらしいけど。

これでは貧乏人は救われないということも事実だが、これも前出のように神の思し召し。神のなされることに何故?どうして?は言ってはいけない。

宗教は人を強くするのかひん曲げるのか…よくわからないですね。

宗教と政治はセットらしいのでやっぱりひん曲げるか。宗教とは関係のない僕もだいぶひん曲がってきたかな?

ま、日本とそれぞれの国の考え方の違いもあるのでしょう。

近頃、日本の救急隊員があろうことか、頻繁に被害を被っている、という話をよく聞くので、ついこんなことを考えてしまっています。

2022年 アイルランドの旅 21

久しぶりに虹を見た。というか、今回ここに来て初めてだったかも知れない。

もちろん出ているのに見なかった、ということもあるかも知れないが、今朝はいかにも虹のできそうな天気だった。

そういえばそんな感じの天気がここのところ少なく、よく晴れていることの方が多かったし、急に降り出しては晴れる、という天気があまりなかったようだ。

今朝は15℃くらいのちょっと肌寒い空で、昨夜から降っていたらしい雨で道が濡れていて、どんよりした雲の間から時折太陽が顔を見せる、それはそれは絵に描いたような虹チャンスだったかも知れない。

と言っていた矢先に急な雨。

なんか風が冷たくなってきたなぁ、と思っていたところに急な土砂降りというのは、自分でも予測がつく。

むかし、デルス・ウザーラという映画をナターシャーのスタッフとみんなで観に行ったことがあった。

自然と共存するデルス・ウザーラが、天候の移り変わりを語るシーンなど、美しい映像とともによく覚えている。

1975年の映画だったらしい。

ありゃ、すごく晴れてきた。驚き!これじゃぁデルス・ウザーラのようにはなれないなぁ。

2022年 アイルランドの旅 20

9月4日、日曜日、今日も涼しくていい天気だ。

夕方、ブライアン・マグラーから連絡があり、ギタリストを探しているけど空いているか?ということだった。

時間は夜の9時から。

場所はすぐ近く、歩いて5分ほどのチ・コリ。

フィドラーにミック・ニーリー。フランキーと分裂した後のディ・ダナンで弾いていた人で希花さんと同じ職場の人物。

ちょうどアメリカからダーシー・ヌーナンというフィドラーが来ていたが、彼女はサンフランシスコ、いや、オークランドかな。

とにかくジャック・ギルダー等と一緒に演奏することも多い、と聞いた。

なぜか僕もかなり前から名前だけは聞いていたかも知れないが、会うのは初めてだった。

後もう1人。カウンターで飲んではちょっとだけ座って、どえらい大きな声で話すおばさん。

時々コンサーティナを出してスライドなどを勢いよく弾く。知らない曲だと弾かないので全然邪魔にはならないが、

一旦弾きだすと声と同じく大きな音で勢いに乗る。そしてまた飲みに戻る。ケリーから来ているのかな、と思わせる勢いだ。

パブはこの上なくうるさかったが、多くの人が周りに集まって聴いていた。

その中で1人、若い東洋系の男の子がガールフレンドらしき(こちらはみるからにアイルランド人)女性と飲みに来ていて、僕はその見かけから絶対ハワイから来ているサーフィン関係の男の子かな?と思っていた。

演奏が終わり、外へ出ると彼らが話しかけてきた。

彼は純粋な日本人(神奈川県人)だった。彼女の方も流暢な日本語を話す人だったが、これから2人でダブリンに住んで仕事を始めるので、その前に少しの間ゴールウエイに遊びに行こう、と考えたらしい。

そうして僕らと出会ったのでなんだか嬉しくなって話しかけてきた、ということだった。

とても感じのいいカップルで、これからの生活も上手くいくことを祈っている。

そんな彼らと別れた後、ポツリポツリと雨が空から降ってきた。いや、小室等ではない。

この曲を聴いて「当たり前だろう。雨は空から降るんだ」と言っていたこともあったなぁ…。

夜中には一転して激しい雨音が響いていたが、パブの喧騒からは解放されて深い眠りに落ちた。

2022年 アイルランドの旅 19

今回は少し音楽のことでも書いてみようかな。

先日、ある曲をマナス・マグワイアーと一緒に演奏していて、Bパートの途中1小節だけ僕の知っているバージョンとは違っていた。

ほとんどの人は僕の知っているバージョンで演奏するので初めて聴いたパターンだな、と思いつつも、大ベテランだし、それでずっとやってきているのだろうし、

このバージョンも探せば出てくるか、と思い、魔の検索が始まった。

まずこの曲「Miss Thornton」を検索する。

最初に出てくるのが僕の知るバージョン。2つ目もそう。3つ目。あ、あった。因みに4つ目以降はまた僕の知っているバージョン。

してみるとこのバージョンはマナスの録音だけか?

そこで100ほどの録音物の中から聴けるものをかたっぱしから聴く。

そこで見つけたのがJames Morrisonの1921~1936に録音されたもの。

少しのバリエーションも非常に近いものがある。

また、以前のコラムの中でTom morrisonに関するこの曲の解説を書いた事があった。

1928年の彼の録音では、Ballinasloe Fair とこの曲をRoscommon Reelとして録音している、と書いてあった。

 こうして調べ上げていくことは、オールド楽器の出処を調べるのと同じように面白い。

発見した時の喜びに加え、例え一つの曲でも様々な観点から知ることができるいい機会になるからだ。

2022年 アイルランドの旅 18

もう9月だ。

やっぱり温暖化のせいで、普段の8月とは比べものにならないくらい好天に恵まれて暑いと感じる日があった。

ここも25℃なんていうのが当たり前になって、日本は40℃が当たり前の国になるだろう。

かなり前、天気のことばかり言うのは年寄りになった証拠なんて言う話を聞いたことがある。

確かに年寄りが集まると「今日は暑いでんなぁ」「寒おますなぁ」なんて言う感じかな。

さて、丸々1ヶ月が過ぎて、決して忙しかったわけではないが、思えばバタバタと過ぎて行ったような気もする。

この辺の道も歩き慣れてきて、何と、緑が多く空気が軽くて美しいところだろうと感じる気持ちが毎日のように湧いてくる。

比較的安全と言われているアイルランド だが、そりゃいろんな事も起こる。

僕は多くの国には行ったことはないが、アメリカや、ここアイルランド を歩いていてふと気がつくのは、やっぱり日本と違う歩き方をしているな、という事。

いや、足は右と左を交互に出しているが、そんなことではなく、周りへの注意である。

ここも結構狭い道がある。

田舎の、例えばアンドリューの住む辺りなどは、あの狭い道を80㎞くらいで飛ばしてそのまますれ違っている。

道脇の木々をバリバリいわせながら。

もし子供でも人でも出てきたらどうするの、と訊けば「神の思し召し。仕方ない」と普通に言っている。

ゴールウエイの街を歩いていればそんな事もないけど、やっぱり結構危険な感じもする。

9月に入り、学校も始まると朝方などは子どもを学校に送り届ける親の車で休みの時の倍ほどの交通量になる。

それに、夜などはこの国に来て酔っ払い運転に轢かれて人生を終わるのも情けない。

アメリカでは夢を追いかけて勉強をしていた若者があっけなく銃で撃たれて死ぬ。別に日本人に限ったことではないにせよ、もったいない。

とにかく道を歩いていて、アイルランドでは車社会、アメリカではそれに加えて銃社会、ということは常に頭に置いておかなくてはならない。

それでも気の抜けるときはあるし、歳のことも考えると、たまには気を張って生きるのは悪いことではないと思う。

年取ればとるほど周りにアンテナを張る訓練はしておきたいものだ。

それでなくとも思わぬところで引っかかってこけそうになったりするし。

2022年 アイルランドの旅 17 ゴールウェイに戻る

さて、最終日。と言うか今朝はこれからゴールウエイに戻ることになっている。天気も良さそう。

仕事に出かけるキアラン君に駅まで乗せてもらって7時45分発のダブリン行きの電車に乗る。

すぐ隣の4人掛けの席には高校生か大学に今度入るくらいの男の子が4人座っている。どこから乗ってきているのか、やたらと純朴そうな少年たち。

あちらの方で誰かが大声で電話をかけている。子供が騒いでいる。

4人はお互いに笑いながら参ったなぁ、と言う顔をしているが、本当に良い子たちなのか、嫌そうな顔をしない。でもきっと早起きしてきたんだろうな。眠たそうにはしている。

バグナルスタウンを出てから40分ほどしてからかな。電車が止まったまま一向に動く気配がない。やがて車掌が来て、メディカルイマージェンシーだと言う。

誰か倒れたらしい。

もうすでに救急車が到着しているが、ここでタラタラしているのはいかにもアイルランド。

つい先日も長蛇の列ができている1車線の通りの先のど真ん中に救急車が止まっていた。

希花さん曰く「ここで処置するんだったら車を動かせ。そうでなければとっとと病院に行け」確かに中で何かしているみたいけど、後方には20台ほどの車が連なっている。それを気にも止めないのがアイルランド人。まさか世間話?

普段待つ事をあまり気にしないアイルランド 人も、この時は流石に何人かは車を降りて、一体どうなっているんだ、と言う表情を見せていた。

それはさておき、僕らの乗った電車はかなり遅れてダブリンに着いた。

次の乗り換えには、時間通りに着けば25分あったがこれは渋い。隣の少年たちに「ゴールウエイに行くのか?」と聞いたら「そう」と言うので「間に合うのかな?」

と言ったら笑いながら「さぁ?」と言っていた。

電車はかなり微妙な時間、次の電車まで1分と言うところでダブリン駅に着いた。

僕が「走ったら間に合うかも」と言うと希花さんが「待っているはずだから大丈夫」と言う。

少年たちも4人で談笑しながら後ろを歩いてきた。

同じホームの向かい側、かなり向こうの方にゴールウエイ行きの電車が見える。向かっているとベルが鳴った。

あれ、動いているけど…あ、通り過ぎたけど…あれ~…?

少年たち、ニコニコしながら去ってゆく電車を見ている。

「あれだった?」「うん。あれだったみたいね」あっけにとられている僕らと少年たちの落ち着いた様子は正に日本人とアイルランド 人の違いか?

2時間後にまたあるから飯でも食べに行く、と少年たちは駅を出て行った。

時間通りにことが進む、なんて言うことは珍しいこの国で、よりによってこんな時に限って時間通りって一体どう言うことよ!

そんなこんなで色々あったが無事2時間ほど遅れてゴールウエイに着いた。

まぁ、何とかなるんだろうけど、それにしてもあの、乗るはずだった電車が目前を去っていく光景は忘れがたい。

乗るはずだった電車を苦笑いで見送る少年たちの姿もなかなかに忘れ難い。