アイリッシュセッション

  今まで数多くのセッションを経験してきた。勿論ブルーグラスもだが、こちらの方は大体ジャムと云われるように、それぞれが腕前や感性を披露するような成り立ちだ。

 ここではアイリッシュのセッションについて書いてみる。

まず、僕の場合はサンフランシスコのプラウ・アンド・スターズのセッションがこの音楽に関わる最初の扉だった。

日曜から木曜まで毎夜行われるセッション。様々なホストが登場していたが、なんといっても地元の老舗バンド、ティプシー・ハウスのセッションは、30人ほどの人が集まり、ぴりぴりした緊張感一杯の上質のセッションだった。

僕もそんな中で若きアンドリュー・マクナマラと出会ったわけだ。やがて、ティプシー・ハウスのメンバーになった僕は日曜と水曜にはセッションホストとして、たまに月曜、火曜には他のメンバーとのセッションホストとして、木曜にはセット・ダンスのミュージシャンとして、金曜か土曜にはステージで、というような毎日をすごすようになった。

セッションをしているといろんな人に会う。グレイ・ラーソンがひょっこり現れたり、クレイ・バックナーもやってきたし。トニー・ファータードも。ピーター・モロイ、チャーリー・レノンなどが顔を出したりすることもあった。

フェスティバルの後は名うてのミュージシャンが大挙押し寄せるし、そんななかで自分なりに腕を磨いていくのだ。

パディ・キーナンやルナサのメンバーと親交を深めたのもそんなセッションに於ける出会いが始まりだった。

セッションでは曲を注意深く聴いて、聴いて聴きまくって、タイトルを訊ねたり、その曲の謂れを聞いたりしながら曲を覚えていき、リズムを叩き込んでいく。

ブルーグラスのプレイヤーが来ると悲惨なことになるのは、以前ジャズ・ギタリストがブルースのセッションに行ったら「帰れ」と云われた、という経験談によく似ている。

彼はアメリカ在住の素晴らしい日本人ジャズ・ギタリストだったが、黒人街のディープなブルース・セッションではそのテクニックは受け入れてもらえなかったようだ。心で弾くことの大切さを教わったよ、と言っていた彼はやっぱりいい音楽家だ。

アイリッシュのセッションでそこまで露骨ではないにせよ、曲をきちんと知らなければ険悪なムードになることがよくあった。いや、充分露骨な態度を取る人も沢山知っているが、みんな根はいいやつだ。

僕にしても、明らかに合わないコードなどを雰囲気だけで弾かれたら、その場から逃れたくなるし、露骨にやめろ!と…云わないが態度で示す時がある。

弾き始めたプレイヤーを制止してその曲のそのパートはこうだ!と言って自分で新たに始めてしまうやつもいる。

確かにセッションはみんなで楽しむものではあるが、そこには最低限のルールと礼儀が必要なセッションも存在する。

 そこをきちんと把握しておかないと、アイルランドでのセッションホストも務まらないだろう。

スタンダードな名曲は少なくとも数百知らないと務まらないし、タイトルを訊かれることもあるので、知らない、忘れた、ではまずい。

ボケている暇はないくらいに、いつもいつも考えていなければいけない。

ティプシー・ハウスのリーダーであるジャック・ギルダーは僕をギタリストに抱えてから、自分の和音感覚に合う人間がやっと現れた、と感じ、次から次へと曲を出してきた。

嫌われようが文句を言われようが、自分がホストのセッションでは自分の納得のいくセットを組み立て、納得のいくかたちで進めていく。

勿論彼は以前から、自宅でも一人こつこつと練習しているようなタイプだったのだが、やはりそんな彼とのセッション三昧が今の僕にもかなり影響を与えている。

しかし、いくら考えてもアイリッシュのセッションというのは独特だ。