今、思い出しても結構鮮明に覚えている事柄があり、念のために調べてみた。
1971年9月24日から東芝EMIのスタジオで数日間行われたわけだが、その時の宿泊先が、赤坂にあったヒルトンホテル。
ヒルトンは、あのビートルズが宿泊したことでも当時、超有名なホテルだった。
さて、想い出すことのトップにくるのが、録音のことよりもフロントをうろうろしていたヒッピー然とした外人たち。
彼等こそ初来日していたLed Zeppelinのメンバーだったのだ。
ちょうど武道館の最初の公演が終えた日だったろうか。記録によると9月23、24日と2公演あったようだが、当時フォークやブルーグラス分野に居た僕らにはあまり馴染みがなかった。
しかし、彼らはマンドリンを使ったり、トラッド志向もかなりあったようだし、やっぱりそういう意味でも幼いころから民族音楽シーンに触れることが多いような環境にいたのだろう。それは非常に羨ましいことだ。
また、もし、僕らがもっともっとそちらの方面(ロック分野)にも明るかったら大変な騒ぎになったかもしれないが、彼らが真に評価され出したのはこの来日以後のことかもしれない。
事実、宿泊先に押し寄せるファンのような人は見かけなかったし、彼らも比較的自由にウロウロしていた。
ビートルズの時には分刻みでスケジュールが組まれていたそうだが。
ところで、そんな世の中とは隔離されたようなレコーディングは、あの伝説的な「私を待つ人がいる」のイントロで始まった。
金海君が、大きなスタジオの部屋の隅からマイクに向かって歩きながら「チャンチャンチャンチャカチャカチャカチャン」と弾いて、ちょうど良いところでマイクに近いところまでやってくるというシーン。あの時はまだ僕がプラカラーで巧みに書き上げたギブソンという文字がヘッドに光るジャンボのマンドリンだったろうか…。
みんなが、途中でこけないか心配したが、あの時はまだ若かったのでそれほど本気で心配したわけではない。
それでも、もし本物のギブソンだったら歩かせなかったかもしれない。
そんな風に始まったレコーディングのことを秋の夜長に想い出してしまった。