1960年中頃にブルーグラスと出会い、同年後半からブルーグラスを始め、90年代からはほとんどといっていいほど遠ざかっていた。
最初にフォギーマウンテン・ブレイクダウンにノックアウトされたが、そういう人は多いだろう。
バンジョーの音はすでに「ワシントン広場の夜は更けて」や「ほほにかかる涙」などでお馴染みだったし、他にも聴いたことがあったかもしれないが、それが何故バンジョーという楽器だと認識していたかは謎だ。
フォークソングを高校生で始めた頃も何故バンジョーを担当したいと思ったかは覚えていないが、その音色が好きだったのだろう。
初めて手に入れたピアレスで500マイル、MTAなどを弾いていたが、ブラザース・フォアの「ダーリン・コリー」は良く分からなかった。何となくそれらしくコピーして弾いていたが、今聴いても非常に面白い弾き方をしている。
フォークともブルーグラスともとれる不思議な感じだ。
大学に入って更にひたすらコピーに明け暮れ、やがてニューグラスなるものが登場した。日本では時に1971~2年くらいだろうか。
バンジョーからもマンドリンからも聴き慣れないリックが飛び出して来ていた。フィドルはその当時そんなでもなかったような記憶がある。
それは多分にそれまで聴いてきたジャン・リュック・ポンティやホット・クラブ・オブ・フランスなどに代表される音づかいに聴き慣れていたからだろうか。
とに角80年代にかけてブルーグラスは飛躍的な進展を見せていた。
84年にナッシュビルでまだ20代前半のマーク・オコーナーを見てぶっ飛んだ。そしてそこにいたベラ・フレックやジム・ルーニー等と立ち話をした。
ジェームス・マッキニ―とつるんでよくバンジョーを弾いていたのもその頃だったが、それ以後、特に80年代後半からアイリッシュの方に趣が変わってきたのは、やはりブルーグラスがかなり先に進んできたおかげで、自分が目指してきたのとは少しかけ離れてきたからだろう。
別な言い方をすれば付いていけなくなった、とも云えるかな。一方でテクニックばかりが強調されると2曲ほど聴けば充分。曲が終わると「へぇ、それで?」というものも増えてきた。が、しかしこれはあくまでも僕にとって、だ。
そんなころ、昔買ったボシー・バンドやディ・ダナンを聴くと妙に心の中に入って来る。
やがてアイリッシュを始めるようになったら全くブルーグラスに興味がなくなってきた。
初期に感激した曲ではアルタンの演奏した「The Curlews」だ。このメロディラインとコード進行には心が躍った。
ひょっとすると、ある意味最初に聴いた時のフォギーマウンテン・ブレイクダウンに匹敵するものだったかも。
僕はブルーグラスでも、アイリッシュでも美しい展開をする音楽が好きだ。と同時にブルーグラスではスタンレー・ブラザースのようにとことん景色をみせてくれるもの。強いて言うと力強い生活感を漂わせているもの。アイリッシュで言うとそれプラス、メロディの美しいもの、和声の美しいものに魅かれる。
オールドタイムはメロディラインや和声というところではなく、多分、その人生の喜怒哀楽というのだろうか…リズムのうねりに魅かれてしまう。
これはおそらくこの手の音楽に向き合って55年という歳月に来ておもうところなんだろう。
最近、全然関係ないが「中川家」のふたりが面白いことを言っていた。
長いことやっていると“どうにでもなる”気がする。どうにもならんことは“どうにもならん”。でも他の方法を取ってでもどうにかする面白さがそこにある。
多分もうちょっと違う表現だったと思うけど、そんな感じだった。
特に最近の彼等に技術以上、或いは技術以外のものを感じるのはその辺の“何かを越えてしまった”ところなのかもしれない。
僕にとってのブルーグラスもアイリッシュもまたそんなところに来ているのかもしれないし、そうだといいなと思う。
但し、日々、上を目指さなくてはならないことも忘れずに。