数日前にもあったけど、やっぱり地震は本当に怖い。
今迄にも沢山の地震を経験したけど、自分が避難する立場になった、という経験は無い。
ただ、いつそういう事になっても不思議なことではない。
そんな事はだれにもわかっていることだろうけど、日々それを恐れて生きていくわけにもいかない。
そんな中、突然警報か鳴っても「ありゃ?」と思うしかなくてそわそわして、もし火でも使っていたら即刻消す。
家屋の条件によっては外へ出た方が良いだろうけど、右往左往しているうちにグラグラっとくる。
中には突然来る迷惑なやつもある。
どちらにせよ、右往左往しながら「いつまで続くんだろう。このままもっと揺れたら…」なんていうことを考えてしまう。
僕にとってのよく覚えている地震は、サンフランシスコで経験した1989年のもの。
既に、最近ちょっと触れたが。
あの日はちょうどワールドシリーズでサンフランシスコ・ジャイアンツとオークランド・アスレティックスの試合がある、というベイエリアでは持って来い、の盛り上がりをみせるはずの日だった。
まだ小さかった息子がテレビの前にバットとグローブとヘルメット(多分ジャイアンツ)を置いて、今か今かと待ち構えていた時だった。
運よくヘルメットがあったので、すぐ被ったらしい。そしてあっという間にテーブルの下にもぐった、という。
それというのも、学校でそのように教わっていたらしいのだ。ヘルメットはおまけだったが。
サンフランシスコは1906年のマグニチュード7.8の地震で壊滅状態になったので、それ以後、建物の建築方法などに大きな影響を与えたようだ。
アメリカだなぁと感じたのは、すぐに住民たちが外に繰り出して、信号の止まった交差点に立ち、懐中電灯を照らしながら交通整理を始めたこと。
それと、驚いたことに翌日Tシャツが売られていた事。胸に大きく書かれていたのは
「M’7.1 I Survived」という文字。
これは、恥ずかしかったがすぐ購入して永六輔氏に送ってあげた。
しかし、地震の怖さのもう一つは、数日後でもなんか身体が揺れている感じがすることだ。
そう感じた途端、思考が止まってしまう。
なんとなく周りを見つめ、自分以外になにか揺れていないか確認してしまう。そして勘違いだったことを知る。
下手すると一日のうち数回、そんな感覚に襲われる。
しかし、今回の揺れも長く感じたなぁ。
東京でこれだったら震源に近い人達、特に今回はあの東日本を連想させるものだっただけに、本当に怖かっただろうなぁ。
実際に10年経っているのにあの余震だ、という話があったし、今後1週間くらいの間に同クラスのものが来る可能性がある、なんていう恐ろしいことも云われている。
また津波なんてあったら…。
どちらにせよ、地震は自然のことだし、どうしようもないのかな。
1週間にいちどくらいでいいから小さいのが決まった時間に来てくれてエネルギーを放出してくれたら嬉しい。
出来れば、溜まったエネルギーを爆発させないでほしい。
なんだか、また身体が揺れてきた。歳かな?