ショパン国際コンクールで2位を獲得した反田氏がなかなか面白い。
初めて顔を見た時は、なんかパンク町田の若い時みたいだなぁ(若い時知らないので、若くしたみたいだ、と云うのが正しいのかな)と思った。
その彼がとても共感できることを言っていた。
「海外で演奏するのに必要なのは体力」といった主旨のこと。
これは本当だ。
アメリカでもアイルランドでも、身体がしっかりしていないと貧弱な演奏になってしまう。
パディが日本のアイリッシュミュージシャンの事を言っていた、みんな上手いけどパッションが感じられない、というのはそういうところもあるのかもしれない。
キアラン君は一見スリムなのだが、彼から出てくるフルートの音には地響きのようなものを感じる。
身体全体が響いている、と云えるのだろうか。
その昔、ジムに通っていた頃、日本人の若い男の子が「以前、学生としてテキサスに居た時思ったんですよ。ひょろひょろして歩いてるの日本人だけだな」
そんな彼は、なにを成し遂げるにも体力が必要だと感じ、ジムに通い始めたと言っていた。
欧米の人間はやはり、良い悪いは別として食い物が違うのかな、というのはかなり昔から言われていた事だが、とても面白い話も聞いたことがある。
それは僕の父親からだった。
「捕虜になってアメリカの空母に乗せられた時、アメリカ兵と腕相撲をして楽しんだけど、驚くことに日本の少年兵がどでかいアメリカ兵をバッタバッタとやっつけるんだ」
これは面白いことだが、何だろう…大和魂か、或いは神風が吹いたか…でも、もう戦争は負けていたんだし…よく分からない。
もしかしたら、戦後の日本人がかなりひ弱になってきたのかもしれない。細い方が見た目がいい、とか、そういった理由も含めて。
しかし、やっぱり体力、と云うのは基本的にはあった方がいい。勿論、そこには筋力というものも付いてくるのだし。
きっとその頃の少年兵たちも、ろくなもの喰わされていなかったにせよ、かなり苛酷に身体を鍛えていたんだろうな。御国の為に。(国民の命と財産を守るために…?)
さて、音楽の話に戻るが、反田氏の考えと同じことを僕はアメリカで感じていた。
2週間もアメリカをツアーすると、とんでもない移動を強いられる。それは体力勝負だ。
そしてついた土地での演奏。終わってからのセッションを朝までやって、昼にはもう違う州に居なくてはならない。
そこでまた朝まで演奏。こんなことの連続に堪え、またパフォーミングでは力強い演奏をしなければならない。
自分の体を楽器にしなければならない。
反田氏もそう感じたのだろう。
楽器の音が身体に入り、それが増幅されて力強い音となって聴衆に響く。そこには限りなく力強い繊細さ、というものも存在する。
それこそが音楽のひとつのかたちかもしれない。音楽に必要な要素の一つかも知れない。