16日の日曜日。
この日はマリー・マクナマラの本が出版されたことを祝って、フィークルで地元のミュージシャンみんなで集まろう、という催しものがあった。
マリーさんの娘でフィドラーのサーカ・コステロから「ぜひあんた達も来てよ。マナスも連れてきて」というノリで言われていたので、マナスの家からも近いフィークルに3人で出かけていった。
もちろんお姉ちゃんのマリーさんはアンドリューにも「あんたも来なさい」と言っているんだろうなぁ。
セッションは驚くほど静かで、マリーさんの横にはアイリーン・オブライエンがいて、本当に落ち着いた音楽だった。
そこでしばし張り詰めた素晴らしい音楽を聴いて、マリーさんが「今から大部屋に移ってみんなで楽しみましょう」とアナウンス。
いつものフェスティバルとは違って、地元の人たちの寄り集まり。
ジョン・ノクトンの孫娘達もコンサーティナを弾く。
そんな風に誰それの孫とか息子、娘達がまだまだ10代前半だが、こういう演奏を聴いて育っていく。
これは下手に日本人が「アイリッシュミュージック、楽しい」なんてやっていられない、というシーンだ。
ここまでのものを見てしまうと、これが生活そのものだということがわかってしまう。もちろんわかっていたことなので、あらためて、という方がいいのかな。
たまにこういう世界を垣間見ないと、この音楽をやる意味がないかも知れない。
4時間ほどみんなとお喋りしたり、演奏を楽しんだ後、エニスに向かった。マナスとはまた来週。
今晩はアンドリューと3人でセッション。
これがまた、運よく、と言っていいのか、終始3人だけだったのでとことん好きにできた。
僕らの周りに、本当にこの音楽、そしてギネスで育ったらしいそこそこのお年寄りが集まってきて、みんな嬉しそうに聴いている。
アンドリューもフェスティバルのような大爆発はしなかったが、なんか気心が知れているからか、いつもより演奏が早いような感じがした。
大きなセッションではあれだけ爆発していても多少はみんなのペースに合わせているのかも知れない。
そこにきてこの3人なら全然お構いなし、なんだろう。いかに好きにやっても問題なく合わせてくれる、という感じだ。
とてもいいセッションを展開することができたし、とても意義深い1日だった。