毎年アイルランドでセッションに参加してきたが、ここ数年は本当にそういった場に立ち寄らなくなった。
多分、ギタリストの立場というのもあるかと思う。
リード楽器はそれでも大勢で弾いて楽しい、というのがあるだろうが、ギタリストの場合、特に僕の場合かもしれないけど、決して楽しくない場面に遭遇することも多い。
先日もセッションを聴いていて、ある曲のある部分、ブズーキが二人いたが、僕が思うことと違うことをしていた。
決して間違っていたわけではないが、この曲の持っている魅力を引き出すにはそこでこの和音を使ったほうがより効果的、ということを考えてしまう。
メロディーから考えるに、こういうベースノートで進行させてここに落ち着かせるみたいな、こうでなくてはいけない、というものでもないので、感覚勝負だがこれは分かる人にはたまらない魅力につながると思う。
もし、僕がその場にいたらその場に合わせなくてはならない。
それは単に時間を費やす、という事になってしまう。
みんなはそれでじゅうぶん楽しそうなので、僕がひねくれているだけなんだろうけど。
多分、リード楽器のほとんどの人もそんな事には気が付かないだろう。
カレン・ライアンが「ワオ、今のそれ!それが欲しかった」と叫んだり、僕はそのような感覚を持ち合わせた人とやりたい、と思ってしまう。
なのでセッションに参加することは、時として苦痛にもつながることがある。
考えてみるに、セッションというのは、曲を覚える、牽引する人からそのグルーブを体得する、などが大きな目的だが、どうしても各曲の持つテキスチャーという部分には、特に人数が多いと到達しない。
でも、それが僕にとってかなり大事な部分だ。
それにしても、もっと音楽を楽しめたらいいのに、と我ながらに思う。
少人数で音を大切にするセッションが好きだ。
急に変わりますが、台風が迷走しているようですね。
いろんなところでまた災害が起きなければいいけど。
今年はまた、暑さだけでも災害級といわれているようですが、今や30℃に到達しないと「比較的涼しい」ということになるのでしょうね。
本当にここは天変地異とは縁遠いような、飲んでいれば忘れてしまうような、もし、空からギネスが降ってきたら誰も働かなくなるからそれはひとつの災害かも。