2025年

もう早10日も過ぎてしまう。

本当に早いもんですね。

Back to Banjoも嬉しい事に完売となり、Just a Little Memoryも順調な滑り出しを見せており、皆さんには感謝の言葉しか有りません。

2月に入ると、鶴ヶ峰の「陽の当たる道」でソロライブを行います。

かなり久しぶりにお邪魔します。

そして2月22日にはサウンドタムでソロライブ。

今回は全く一人で頑張ってみようかと思っています。

今年は、やっぱりなんか一人になってしまったなぁ、という気持ちが強く、ナターシャー色の濃いものが出来たら良いかな、と。

71年に高石氏と出会って、金海君を紹介して、73年からは省悟を引きずり込んで、そして木田ちゃんが来て…もちろん進藤君、兼松君等、まだ健在だが、84年に僕が抜けてからの事はあまりよく知らない。

僕個人としては、やはり71年からマネージャーの榊原氏の件、までの感じかな。

高石氏も榊原氏も僕を育ててくれた恩人だと言える。

それだけに、榊原氏はずいぶん前だったけど、高石氏がいなくなる、と言うのは衝撃だった。

フォークソングを唄っていた人達のほとんどが、売れ筋路線に突入していった中、よくあんなことをやりながら全国を動き回っていたなぁ、と今更ながらに不思議に思ってしまう。

高石氏の才能は大したものだった。

間違いなく唯一無二、そしてバンドも唯一無二だっただろう。

ナッシュビルのステーション・インの入り口で、ベラ・フレックと立ち話をした時、自分のバンドは、日本語で歌ってブルーグラススタイルの…と話をしたら「それでそんな大手のレコード会社からそんなにレコードを出していたのか!」と驚いていた。

84年、まだ彼も若かったなぁ。

想い出話なんかしたら、何時間あっても足りないだろうけど、出来ればみなさんと思い出に浸り、今を楽しみ、そんなに長くないはずの将来を見据えた会などを今年は考えてみてもいいかな、と思っている。

あ、そして5月24日、サウンドタムの35周年という事で、河合徹三、松田アリちゃんと僕が行きます。

考えたらこの二人も高石氏とは縁が深かったんだなぁ。

僕は今年、またタムちゃんにお世話になって、ナターシャー・セブンに捧げるものを作ってみてもいいかな、と思っている。

生き残りとして、また、生きているうちに。

そのためにもJust a Little Memoryにもう少し頑張ってもらわないと。