5弦バンジョーあれこれ  (グレイト・レイクスに溺れるまで)

初めてバンジョーの音を聴いたのは、ブルーグラスをブルーグラスとは知らずに聴いた時よりも、もう少し前になる。

1960年代初期、ヴィレッジ・ストンパーズの“ワシントン広場の夜は更けて”という曲、それとボビー・ソロというイタリアのシンガーが歌った“ほほにかかる涙”という曲の間奏部分での音だ。

どちらもテナーバンジョーだった。ヴィレッジ・ストンパーズの方はディキシーランド・ジャズのバンドなので、もしかしたら、プレクトラム・バンジョーかもしれないが…。

どちらも弾んだ心地よいサウンドだった。でも、その楽器自体に心を奪われることはなかった。それから1年か2年経った頃、アクシデンタルにブルーグラスを聴くまでは…。

それは、明らかにバンジョーの音であった。でも、それまでに聴いた音とは全く違う音だったのだ。

“フォギー・マウンテン・ブレークダウン”とクレジットされていたその曲。限りない衝撃が体を突き抜けた。もう半世紀ほども前のことだ。

まず、ピアレス社のバンジョーを手に入れる。それから暫くしてフォークソングには最適である“アリア”のロングネック・バンジョーを手に入れる。

どちらも当時としては満足のいくものだった。

ある時、どこかの大学のグループがブルーグラスを演奏している場面に偶然出くわした。その時のバンジョー弾きは“ケイ”というアメリカ製の物を持っており、そのヘッドストックには、今の人は知らないかもしれないが、カムタイプのチューナーが付いていた。

少し説明すると、ヘッドストックの1弦と2弦の間に新たに穴をあけてペッグを付ける。回すとT字型のその先が2弦を押し上げる構造になっている。同じように4弦と3弦の間にも同じものをセットする。

アール・スクラッグスのアイディアによるものだが、初期にはその部分にカバーがかけてあり、秘密が漏れないようにしていたのだ。

そのチューナー、正確には“D-チューナー”に憧れて、ある日、ピアレスバンジョーを持って遠路はるばる東京のカワセ楽器まで出かけて行った。

僕のピアレスはヘッドストックがかまぼこ板のように四角(ちょっと極端な表現だが)でカッコ悪かったので、“ギブソン”の写真をみながら実に綺麗にくびれたヘッドストックの形を白いプラカラーで描いてあった。

ケースを開けた当時の店員さんの鈴木さん。「あ、これじゃ付かないよ」

福島県の白河出身で、ちょっと訛りのある口調。そういえば福島だった。元気にしておられるといいが…。

「これ、描いてあるだけなんですけど」と、僕。「ありゃー。すごく良く描けてるねぇ」

鼻先にまでヘッドストックを持っていって穴のあくほど見つめる鈴木さん。

それだけで、充分穴があきそうだった。

そのピアレスは京都産業大学の1回生の時も使っていた。

立命館大学には“サニー・マウンテン・ボーイズ”というグループがいて、参考のために見に行くと、“フラムス”というドイツ製のトップテンション(ドラムのように上方からヘッドを締めるタイプ)のバンジョーを使っていた。

同じころよく使われていたバンジョーで、前出の“ケイ”があったが、どちらかといえば、次に手に入れるものとして“ケイ”を考えていた。

が、ある日、またカワセ楽器に行ってみると(春休み東京見物)なんと“ギブソン”によく似たバンジョーがあるではないか。

しかも4万円。決して安くはないが、なんとか切り詰めれば買えるし、格段にかっこいいし。

かくして3台目のバンジョーは“カスガ”という日本製の優れものに収まった。この“カスガ”は大学の2年間使いに使いまくった。おいおい、普通4年だろう。

そう、あの高石ともやと出会ってしまったから…。

そして、とうとう、また登場するが、カワセ楽器で“ヴェガ”のアール・スクラッグス・モデル“に出会ってしまう。

これが事実上、僕にとっての初めてのアメリカ製バンジョーだった。

そして次に手に入れたのが、“ギブソン RB-500”金色の、それはそれは美しいバンジョーだったが、長いことRB-800だと思っていた。

何故かと言うと、500というシリーズの存在を知らなかったからだ。金色は全て800だと思っていたあの時代。

インレイのパターンはフライング・イーグル。好きなインレイは、ハーツ&フラワーと呼ばれるものだったが、フライング・イーグルも悪くない。

他にも、僕らが“はてなマーク”と呼んでいた、リース。RB-250というモデルに代表される、ボウ・タイなど。

バンジョーの場合、ギターとはまた違う、派手さを強調した趣がある。なのでインレイというのは結構重要な要素を持っている。

あんまり地味だと、物足りない感があるが、オールド・タイミーなんかやるんだったら出来るだけ地味なほうがいいかも知れない。

これは、あくまで個人的な趣味趣向の問題だが。

その他にもいろいろなバンジョーに出会った。“フェンダー”“ステリング”。だが大好きだったエディ・アドコックという人が使っていた“グレッチ”の5弦バンジョーには未だ出会ったことが無い。

“ステリング”というバンジョーもかなりの優れものではあったが、その重さといったら並みではなかった。

“フェンダー”には2種類の良質なモデルがあった。“アーティスト”と“コンサート・トーン”だ。

アーティストはビル・エマーソンが持っていたのをレコードジャケットで見た。コンサート・トーンの方はジョン・ハートフォードが使っていたようだ。

だが、それらもとんでもなく重かった。大体からして重たい楽器ではあるが。

以後は、日本製の“トーカイ”と“カスガ”の2大メーカーのものを弾いたり、また、アメリカ製ではあるが、比較的安価な“SS・スチュアート”なども使用していた。

その頃、ある音楽雑誌で某演奏家兼コレクターの方の信じられないほどのコレクションを見たが、その殆ど全てが4弦バンジョーだった。

記事には“…これはとてもいいバンジョーだが、残念なことに5弦に改造されてしまっている”というようなことも書いてあり、僕とは正反対の趣味だな、などと思ったりもしたほど、4弦バンジョーには興味がなかった。

事実、ブルーグラスの演奏家たちの間では、‘30年代の良質の4弦バンジョーのボディを見つけて、5弦のネックをそれに装着する、というのが、最も素晴らしい音が得られる、という話まで浸透していたのだ。

さて、暫くして、あるレコードジャケットの写真から、当時、エディ・アドコックと並んで好きだったバンジョー弾きのビル・キースが持っているバンジョーに興味を持った。

それがミシガンで作られた“グレイト・レイクス”というバンジョーだった。その時、すでにその会社はなかった、と記憶するが…。一説によると5年ほどで250本位作られた後、会社が閉鎖された、とか。間違っていたらごめんなさい。

そして、ビル・キースが来日した時、多分‘75年か、あるいは‘76年頃、直接彼に会い“グレイト・レイクス”について情報がなにかあるか問い合わせたが、今では殆ど手に入らない、ということだった。

しかし、ある神戸の楽器屋さんが手にいれてくれたのだ。“グレイト・レイクス、ビル・キース・スペシャル”。その楽器が自分にとってのメイン楽器となった。

以後は、同じ“グレイト・レイクス”のヴァンガードというオープンバックをみつけたり、“メイベル”という古いものをみつけたりした。

そして、“ギブソン”が戦前のリイシュー物を作り始めた時、アール・スクラッグス・シグネチュアー・モデルを手に入れた。

もうひとつ、‘84年にニュー・ヨークで“アリソン”という美しいバンジョーに出会った。が、しかし、その時は手に入れることはせず、それからは忘れていたが、カリフォルニアの楽器屋さんで、その珍しい“アリソン”を再びみつけることとなった。‘92年頃のことだ。

そうして様々なバンジョーに出会ったが、自分にとってその音色からデザインまで、その全てを総合してもやっぱり“グレイト・レイクス”が一番かもしれない。

最後に“グレイト・レイクス”についてひとつ感動した話をしよう。

時は移り、2002年冬、パディ・キーナンと僕はミシガンのアン・アーバーという都市に来ていた。

その時僕は“グレイト・レイクス”を持っていった。何故かと言うと、アン・アーバーは“グレイト・レイクス”が造られた場所だったから。

そして、ステージで僕はバンジョー演奏の前にこう言った。

「このバンジョーは“グレイト・レイクス”といって、このアン・アーバーで造られたものです。恐らく30年ほど前のものだと思いますが、素晴らしいバンジョーです。残念なことに今はもう造られていません。しかし、これは名器のひとつとして、後世にまで語り継がれるでしょう。それではこのバンジョーの里帰りということで一曲」

コンサートが終わると、楽屋に初老の男性がやってきた。そして僕の手を固く握りしめてこう言った。

「あのバンジョーは私が造りました。どうも有難う」