ジョン・ヒックス 次の土地へ

火曜日の夜、厳密には水曜日になったばかりのフライトで無事、タイに向けて飛んでいきました。

全く嵐のような男でした。

過去に、ジャック・ギルダーのアパートに居候していたことがあったので、今、僕の所にジョンがいるぞ、とメールしたところ、壊れそうなもの、大切なものは帰るまで別な処に保管しておけ、という返事が返ってきた。

まだ20代前半だった彼は破天荒の駆け出しだったのかもしれないが、今ではその破天荒ぶりにも磨きがかかり、なかなかの人間に成長していた。

10歳のころ「おれはヴァン・モリソンのギタリストになりたい」と母親に話したら、こう言われたそうだ。

「ジョン。あなたは誰のためのミュージシャンになってもいけない。あなたはあなた自身のために音楽をやりなさい。あなた自身になりなさい」

そうして15歳で家を飛び出し、世界各地で自分を磨いていったのだ。

だが、あまりに多くの納得がいかない事柄に接してきたせいか、語り出すと止まるところを知らない。結構理屈っぽくて面倒な男ではある。

多分、スケジュールがあまりタイトではなく、時間を持て余していたのだろう。とにかく毎日でもステージ上で音楽がやりたいのだ。

彼を呼ぼう、と決めた時、本当にちゃんとやってくるかな、ということがいちばん心配だった。

イタリアからやってきて、タイに帰る、というのも非常に面倒くさい。見た感じ、なんかやばいもの持っていても不思議ではなさそうだし。

そんなこともあり、スケジュールをあまり詰めなかった。そして、もうひとつの大きな理由が交通費と集客の兼ね合いだ。

いくら、素晴らしいミュージシャンでも大手の呼び屋さんがやるようにはいかない。おまけに、アイリッシュ・ミュージックに関わっている人達の動員が全く望めない、という考えられない状況。

さんざん言ってきたので、もうやめておこう。

来てくれた人達は、一様に度肝を抜かれたに違いない。熱い男がまだ少年の頃から探し求めてきた彼でしか聴くことのできない音だ。

希花に彼を紹介した時「呼ぼうよ」と強く求められた。他にも彼女が押している人物がいる。

僕はそうして、彼女に多くの凄腕ミュージシャンを紹介しているが、つい昨日、フランキー・ギャビンからオファーのメールがきた。

彼のフィドル・オーケストラの初代日本人フィドラーとして希花を起用したい、ということだ。

ジョンがそのメールをみて、「やれよ」というが、どうだろう。まだ勉学があるし。僕とジョンでメールをした。

「とてもありがたいが、まだ大学でのやるべきことが残っているので、今すぐにはできないけど、将来のために場所をのこしておいてくれるか?」という趣旨。

ジョンがいたおかげで、素晴らしい文章が送れたらしい。すぐにフランキーから返事がきた。「勿論、彼女の席は置いておく。時期をズラスかもしれないし」

いい話を受けるにはいいタイミングというのも必要である。

ジョンは言う。「アイリッシュ・ミュージックにおいてギタリストはどこまでも脇役だ。どんなに素晴らしくても、人々が相手にするのはリード楽器だ。だから俺はアイリッシュ・ミュージックからある意味さよならした。毎日まいにち同じような曲をやってはいられない。そしてアイリッシュ・チューンであってもギター一本で勝負するスタイルを創ったんだ」

彼の生き方の中では一理ある。

僕は言う「アンサンブルというのがとても好きで、アイリッシュ・ミュージックの中で独特なアンサンブルを創り出すこと、それを素材として自分なりの解釈を広げていくこと、そんなやり方に今は興味がある。希花との出会いでそれが実現している。少なくとも今は」

将来、彼女がミュージシャンとして大きく成長していけるよう、ジョンにも協力をお願いした。

語り出すと面倒くさいが、かなりインテリで、経験豊富な男だ。そしてギタリストとして飛び抜けていることも事実だ。

そうこう言っているうちにタイからメールがきた。

「いろいろありがとう。俺はいま短パンとTシャツに着替えたぞ」

だって。