2015年 アイルランドの旅 4

日曜日。いい天気だ。今日はパディ・キーナンが会いにくると言っていたが、遠路はるばるなのか、近場から来るのかよくわからないので、時間もわからない。

アンドリューもそうだが、彼らには予定などあってないようなものだ。いや、予定はあくまで「予」なのだから狂うこともあって当然なのかも。A型の僕にとっては時として非常に難解(ホークス)な感覚に陥る事がある。が、しかし、僕にもO型の血がはいっているらしく、甚だ気楽に考える時もある。

こんなことを書くと、決まって「血液型なんて気にするのは日本人だけですよ」と、上から目線で述べる人が出てくるが、そんなこと百も承知。環境や経験も加味される事など百も、いや、千も承知だ。

今日は腕立て伏せを百回やりました、などと言うと、必ず「いや、回数は問題ではない」と言う人が出てくるが、そういった場合は単なる目安と考えているだけで、決して百回やったから素晴らしいと思っているわけではない。

何の話からこうなったんだろう。そうか、一般的アイルランド人の事か。いや、彼らミュージシャンは一般的アイルランド人ともかけ離れているのだろう。

ところで、今日は足の不自由な鳥とロビンがなかよくパンを食べている。そこにロビンの子供らしいのも現れた。とびきり小さくてちょんちょん跳ねている。

この鳥たちにもアイルランド気質というものが備わっているのだろうか。この鳥たちもアイリッシュ・ミュージックを聴いて育っているのだろうか。

話は急に変わって、最近特に思うのだが、僕がタイトルやレパートリーにこだわるのは、この音楽に対する敬意なのだ。

かたくなにトラッドにこだわったり、新しいものを拒絶したりするわけではない。

クラシックの時期も含めて音楽との付き合いも60年を越えた。バッハに憧れ、ナルシソ・イエペスに聴き入り、ラジオで50年代のポップスに照準を合わせ、フォークソングと出会い、ブルーグラスに真剣に取り組み、そのかたわらビリー・ホリデイに耳を傾け、ブルースにのめり込み、いいな、と思うものには見境も無く傾倒してきた。

そんな中で自分が生きてゆく道として何故か深く関わりを持ったのがアイリッシュ・ミュージックだ。

僕らのこの音楽に関しての知識なんて微々たるものだ。こうでなければいけない、などと思ったところで屁のつっぱりにもならない。

が、やはり大切に思い、敬意を忘れてはいけないことは確かだ。少なくとも僕にとっては。

それを単なるこだわり、とみるかどうかは個人の自由だが。