たまには思い出話

2020年、開けたばかりの時は、多くの人が「今年はどんな年になるだろうか」と期待したり、前年と同じでもいいから「まぁいい年になれば…」くらいのことは思っていただろう。

しかし、こういうことになろうとは。

そこでしばらくはじっとしていることになり、久しぶりに思い出したことでもまた書いてみようかな、なんていう気持ちになっている。

僕らの世代は生まれてこの方、大きな戦争には出会わなかった。

あんなにひどかったベトナム戦争ですら恩恵を授かった世代だったし、朝鮮戦争は生まれていたけれど知る由もない。

1989年10月17日のロマ・プリータ地震の時は驚いたが、その比ではなく驚いたのが、あの3月11日。

東京に居た僕でさえも、もしかしたら…と思ったくらいに全てのものが落下し、食器棚の扉が開いてあらゆるお皿は空飛ぶ円盤となり、本棚の奥から埃が舞って部屋の中が一瞬白く見えた。勿論立ち上がることは不可能で、揺れが収まってから、全てが床にたたきつけられた部屋をどのようにして出たのかもいまだに想い出せない。思い出話にもならない。

9月11日はさすがに広い国、アメリカでサン・フランシスコにいた僕にとって東海岸は遠かった。

それでも、一気に戦争モードになった感のあるアメリカではしばらくいろんなことがあったことも事実だ。

しかし。今回は別かも。

ある意味、これは見えない敵との戦争がどこかで見える敵を作りだしていくことに繋がっていくかもしれない。

ま、しばし忘れて。

最近ふと坂庭君のことを想い出すことがあった。と云いながらしょっちゅう想い出すことがあるのだが。それもほとんど面白かったことばかり。

僕等はツァーに出ても、まずお酒を呑みに出たことが無かった。二人ともほとんどといっていいほどお酒には興味が無かった。コップ1杯のビールで充分赤くなっていた。

そんな僕らがある日、赤坂でおしゃれな紅茶を飲んだ。まだオープンして間もない感じの、京都の田舎から出てきた僕らには、本当に目を見張るくらいのお店だった。

「レ・レモンティー」と注文してしばらくすると、これ見よがしに豪華なティー・ポットがおしゃれな服を着せられてやってきた。そしてこれまたおしゃれなカップ。そしてその横に砂時計。

「なんやろ、これ?」という顔をしていたのがばれたのだろうか。

ウエイターのお兄さんが「この砂が落ちるまでお待ちください」と云い残して去っていった。

「これ、ひっくり返したらおこられるやろうなぁ」「ウン、余計なことスナってな」

そんなこんなで、結論は「東京ってめんどくさいところやなぁ」だった。

ある日チョコレートパフェかなにか甘いものを求めて夜11時頃ホテルを出た。これも赤坂だった。

二人で歩いていると、遥か後方からアメリカ人の若者が酔っぱらって歌を唄いながら歩いてくる。

振り向いてみるとまだまだ遠い。3~4人は居るようだ。

でも遠いと言えどもあんまりいい感じはしなかったので、少し足早に歩き始めた。すると、敵も少し足早になったようだ。

その歌「カントリーロード」が段々近づいてくるのだ。

「やばい、省ちゃん。もう少し早く歩こう」徐々に近づいてくる「カントリーロ―ド」

結局すぐ後ろで曲がっていったが、それから「やばい!」と思うことは二人で「カントリーロ~♪」と唄うこととなった。

北海道に行くとローカル電車に乗ることが多く、二人でよく窓から外の景色を見ていた。

「なぁ、じゅんじ。こんなとこで殺されて埋められてもわからんなぁ」省悟は必ずそう云っていた。僕は「そうやなぁ…」としみじみ答えていた。

次に北海道を訪れた時は僕が「なぁ、しょうご。こんなとこで殺されて埋められてもわからんなぁ」彼は「そうやなぁ…」としみじみ答えた。

その次からは「なぁ、じゅんじ…」「そうやなぁ…」「なぁ、しょうご…」「そうやなぁ」それだけの会話に省略されていた。

思えば18歳の多感な頃から結構一緒に時を過ごしたせいもあってか、後年は、ほとんどの会話が省略されていても分かるものだった。

あれだけ趣味趣向が違ったのに、何故か「ゼリー、寒天、ババロア、白玉」ここに関しては全く同じで、夜中に突然二人で白玉を作って食べたこともあるくらいだ。

ゼリーや寒天をプールいっぱいに作ってそこで泳いでみたい、と二人で良く云っていた。ぜんざいのプールを白玉の浮き輪でプ~カプカとか。

「よかったなぁ、俺達の大好物が納豆でなくて」なんて云いながら。

お好み焼きの作り方は流石に関西人。それはそれは見事なものだった。

彼に関する想い出は限りなくあるが、まとまりのないものになってしまう。結局それくらい多くの時間を、そして空間を一緒に過ごした、ということなのだろうか。

いつかちゃんとまとめてみようかな。

今、彼がまだこの世に居たら、今回のこの世界が終わるかもしれない状況をどう見るだろうか。

ふたりで赤坂を歩きながら「なぁ、こんなんじゃぁ誰がかかっているかわからんなぁ」って言っているかな?