春はそこまで?

あちらこちら梅が咲き、所によっては少しだけ桜も咲き始めた2月。

驚きのニュースが飛び込んできました。

やぎたこのやなぎ君のことです。

こうして文章にするほど深い繋がりがあるわけでもない僕が、何故ここに彼のことを書こうと思ったのかは、同じトラディショナル音楽に真剣に携わってきた一人の男として、彼のことを見てきたからです。

一度だけ、三島で共演させていただいたり、あれはどこだったか…小さなお店でライブを聴きにいかせていただいたり、本当にその程度だったのですが、彼と貴子さんの、この音楽に真剣に取り組んでいる姿には感動したものです。

自分たちの愛する音楽に正面から向き合って、真剣に取り組んでいくことは、この国では難しいです。特にそれで生計を立てて行くという意味で。

彼等は地道ながらそれをずっと同じペースで続けてきました。

一方僕らはここ数年、その活動をアイルランドに向ける方向で取り組んできました。

確かにアイルランドで演奏した時の血液や脳から出るドーパミンについては解明できないところでは有り、ここは一概に言えない本当に難しい問題です。

アイルランドの音楽は特殊かもしれません。そこには長い歴史の中で非常に過酷な運命を背負った影が見え隠れする…なんて言葉で言えば薄っぺらいのですが、そういうところを感じます。

一方、アメリカの音楽は「なんでもあり」という感は否めません。

そう言った意味ではアメリカの音楽に焦点を当てることは、少しだけこの日本と云う国に於いて生きていきやすいかもしれません。

自分の事で言えば、アメリカ西海岸でのアイリッシュミュージックとブルーグラス、南部に於けるオールドタイムとブルーグラス、東部に於けるアイリッシュミュージックとブルーグラス、そしてアイルランドに於けるアイリッシュミュージック…そんなものをここ40年ほどの間に経験してきました。

やなぎ君たちはあの音楽をやりながらそこまで経験してはいない、と彼等から聞きました。

しかしながら、そのスピリッツは素晴らしく、よほど研究を重ねているんだろうな、と感じることが出来ました。

勿論、貴子さんからもその意気込みは伝わってきていました。

こういう事はあまり長くダラダラと書くことでもないと思うのでこの辺で結論を。

日本に於ける稀有な存在であったやなぎ君の残した功績は目立たずとも偉大なものであったと云えるし、貴子さんのこれからの人生の中でも永遠に語り継がれていける存在であると思います。

もうすぐ春です。みんなで前を向いて彼の分も長生きしましょう。