2023年アイルランドの旅 8

人間の許容範囲や対応力などについて考えている。

というのも、先日のサワードウ、石みたいなやつ。

どでかかったのでまだいっぱい残っているが、さらに磨きがかかって、岩石といえる感じで鎮座している。

もちろんその前に切り分けておいたが、その時ですらナイフが折れるのではないか、と思ったくらいだ。ジェイソンには連絡がつかなかった。

しょうもないことを言っていないで、今朝、それをオーブンに突っ込んで、少し焼いて食べた。

これ、普通の人なら捨てるんだろうな、とも思えるその岩石は省ちゃんだったら絶対に無理。

そんなことを考えながらハムとチーズを乗せ、気を付けながら口に入れた。

そうしないと口の中が傷だらけになるかもしれないからだ。

僕はこの数日間で極めて顎が丈夫になった気がする。

なんでそこまでして食べるのかと思うだろうが、なかなかに好きなのだ。

もちろん、日本の匠の技に裏付けされた素晴らしい食パンも好きだが、ライ麦パンとかソーダブレッドの類も好きだ。

しかし、こんなに固くなった「元パン」は普通の人だったら、やっぱりもうゴミ箱に入れるかもしれない。

そこには僕の「もったいない」という考えと「まだいける。悪くない」という思いと、そこそここういったものが好きだ、という感覚がある。

食べながら外の朝焼けを眺め、コーヒーを飲みながら(飲み物がないととても大変)美味しいなぁ、とつぶやく。

そう。美味しいなぁと思うことは大事だ。

もちろん、美味しいものを食べたときには、中には言葉で表現できないくらい美味しいものもあるし、普通に美味しいものもある。

僕はあまり「あ、これ不味い」とか思ったことがない。これって料理をする者にとってあまりよくないことかもしれない、と時々思う。

どんなものでも美味しいと思っていたら、なかなかちゃんとした評価ができないのではないか、とも感じるからだ。

そんな僕にとってやっぱり「これダメ!」というもの、いや、好き嫌いは別として、そんなものが今までにどれくらい存在しただろうか。

今、想い出してみると…そうそう、バグナルスタウンの、とあるパブでまれかさんがオーダーした、タラかなんかのソテー(?)だったかな。

彼女が一口食べて首を傾げた。「あ、無理」と顔に書いてあった。

僕は「もったいないから全部食べなさい」と言いながら、一口ほおばってみた。

次の瞬間「あ、これ無理!」と僕もつい言ってしまった。

その辺の排水溝から釣り上げたんではないか、と思われるその料理はいったい何だったのだろう。

しかも排水溝から釣り上げて1週間ほど忘れ去られていたんではないだろうか…。

たまにレストランでまったく味のしないスープなどが提供されるが、そのためにテーブルに塩とか胡椒とかが置いてあるのだ。

しかし、そのタラの何とかは…。

そういえば、大学時代、友人の家で出されたお茶が異常に不味かった記憶がある。

その辺の草か!と静岡育ちの僕は京都人に新たな疑念を抱いたほどだった。

いわゆる番茶だったのだが、敢えて言わないが銘柄まで覚えている。そうしないと間違って買ってしまうかもしれないからだ。

一生懸命岩石と格闘しながら、またいろんなことを想い出してしまった。

時間をかけて食べることは良いことだ。