8月15日、事あるごとにこの日についての思いを今までにも書いてきた。
そのほとんどが、あまりにも情けない政治家の言動にがっかりしたものばかり。
僕の父がサイパンに居て、運よくトラック島に配属が変わって、生きて帰ってきたのは何歳くらいの時だったんだろう。
毎日毎日戦友が死んでいって、全てを火炎放射器で焼き尽くされて、降伏しかない、という英断を下した時の心情たるや、想像できるものでもない。
そんな青春時代を送ってきた彼らにとって、今の日本は一体どういった価値のあるものなんだろう。
本当に昨今の政治家のいい加減な言動を見るたびに、一応この国の成り立ちを形成するためにある存在にしては、あまりにお粗末だと感じてしまう。
人間としてお粗末だ。お粗末どころか終末だ。
なので、国民までやたらとSNSとやらで要らんことを言っては嬉々としている。
全然関係ない話だが、先日YouTubeを見ていて「聴き比べ」というのが目に入った。
もちろん、ある歌の元をたどることには大賛成だが、そこにコメントしてくる輩がバカ丸出しなのであきれてしまう。
何も知らないくせにかなり失礼なコメントも見受けられるが、頭が悪すぎる。
政治家になったらいいのに。
あ、そんな人ばかりではないことも伝えなくてはならないですね。
もともとこれを嬉々としてあげるのも、音楽を演じたことがない人なんでしょう。
大体、音楽に携わっていると「聴き比べよう」なんていう意識は生まれてこない。
あくまで、もと歌を「聴いておこう」ということだ。
アイリッシュでの曲もそうだ。
ケヴィン・バークのこの演奏、やっぱりマイケル・コールマンから聴いてみよう。
ほほー、なるほど。ここはこうしているのか。ならば僕らはどっちをとるか。
一つの曲の一つの音遣いが気になり、10人超の演奏を聴く。多数決を取りたい。そして、どうにかして作者の古い録音を見つける。
「聴く」というのは僕にとってそういう作業だ。
まあ、「聴き比べ」というのも言葉のあやかもしれないので、目くじら立てるほどのことではないが、あまり好きな感じはしない。
結局、何を言いたいかというと、今を生きる人間としては、古い時代のことを幅広く知るという事が大切なんかな、ということだ。
命を賭けてこの国を守ろうとしてきた人たちに失礼のないように生きたいものだ。
かなり無理に異次元な終わり方をしてしまったようで反省。