アイルランド音楽について 2

アイルランド音楽。その魅力的な世界を垣間見たのは、1974~5年頃。
当時、最も愛好していたブルーグラスのレコードをレコード店であさっていたところ、一枚の見なれないジャケットが目に飛び込んできました。ボシーバンドという、ヒッピーの集団のようないでたちのその写真を見て、なにげなしに購入してしまいました。
しかし、当時はまだブルーグラスこそが、自分にとって生涯を通じて愛することができる音楽だ、と信じていたせいか、ボシーバンドも好きな音楽の一部である、という捉え方しかしませんでした。
確かに、パイプとフィドルの絶妙なうねり、フルートなどの繊細な響き、重厚なリズムには胸の高鳴りを覚えました。

ほどなくして、ディダナンというグループのアルバムも手に入れ、この二つのバンドは
フォギーマウンテンボーイズやスタンレーブラザースと共によく聴くレコードとなったのです。
時は経ち、1991年初頭、サンフランシスコに移り住んだ僕に誰かが教えてくれました。
「たしかアイリッシュ音楽好きだったよな。クレメント通りの“プラウ アンド スターズ”っていうパブでセッションやってるよ」
夜9時ころから始まるというそのセッション。いちど見に行ってみようかな、と思い立ち、出かけてみました。

勿論、ただ見るだけです。
50~60人ほどが入るそのパブの奥でまーるくなって20人ほどが思い思いの楽器で決まったメロディをくりかえし、くりかえし演奏しています。フィドル、コンサルティナ、
フルート、バンジョー、ブズーキもいます。
雰囲気はブルーグラスのセッションにくらべてひたすら暗い。特に曲が始まるとピリッとした緊張感が全体を包み、リーダー的存在の3人をみんなが注意深くみつめ、数曲のメドレーを演奏する。
なかにはブルーグラスでも演奏されるような、例えば“メイド ビハインド ザ バー”
“ジョー クーリーズ”などの曲も登場します。
そんな様子で夜中の2時まで進められていくセッションに、今度は楽器持ってこようと思い始めたのでした。

まずフィドルかな。この音楽はやっぱりフィドル音楽だろうな、という考えはブルーグラス以前からのオールドタイミーなどを聴いて持ち合わせていたものです。
最初は知る人もなく、知っている曲もほとんどなく、ひたすら空気に成りきって観察していたところ、自分にも馴染みのあるバンジョーに興味が生まれました。
とはいえ60年代から弾き続けてきた5弦とは違い、4弦、しかもフィンガーピックではなくフラットピック。

しかしながら、その独特なサウンドに魅了された僕はこんどはバンジョー持ってこよう、と思い始めたのです。
そうなると沢山の曲を覚えなくてはなりません。ほどなくして、アイルランドから筋金入りのアコーディオン奏者が来ているという話があり、バンジョーかついでセッションにでかけました。そこで会った人物が、将来の自分の道を大きく左右することとなるのです。
彼の名前はアンドリュー マクナマラ。彼は沢山のアメリカ人の中からいち早く僕を見つけ、“俺の横に来い”と叫びました。そして、次から次へとスタンダー ドな曲をひきはじめたのです。こんな風に、こんな風に、とくりかえし横で弾いてくれました。僕もバンジョーで言われるがままに弾いていました。

それ以来彼は、ことあるごとに僕の相手をしてくれました。
やがて、この音楽の和声に興味を持った僕はリード楽器もさることながら、コードワークに目をむけるようになりました。
そこで一番手っ取り早いのがギターだ、と考えたのです。
幼小の頃からクラシックのピアノを弾いていたのですが、無類の和音好きであった僕にとってこの単純ともいえる音楽を、伴奏でいかに盛り上げていくか、ということが初期の最大の関心ごとになってきました。
ギターはこの音楽にとってどうしても必要なものではありませんが、もしそこに存在するのであれば、かなりの知識と引き出しの多さが必要だ、と感じました。
まず、曲をよく知らなければいけません。その曲の持っている味わい。なかにはとてもよく似た曲がいっぱいありますが、その全てにおいてひとつひとつキャラクターがちがうのです。
結局のところ、数百におよぶ楽曲(恐らく最低でも5~600)を覚えなければ話にならない、ということに気がつきました。

弾き手によって解釈が違うことも当然のごとくあります。
ギター弾きは流れてくる音に対して全ての感性を開かなくてはなりません。相手がどうしたいか、この曲は次にどういう音がやってくるのか、ひとつひとつの音を聞きわけながらどのように自分が溶け込んでいくかをかんがえなければいけないのです。
そうなると、少なくとも起きている間はつねにメロディを歌っていることが必要になってきます。
ギター弾きがメロディを知らずして、どうして伴奏ができるでしょう。そして大切なこととして、今までになかった、誰もやらなかったような伴奏ができなくてはならないと考えたのです。それこそがギタリストの存在価値と成り得るからです。

この音楽にとって、比較的新しい楽器であるギターは、感覚においていくらでも好きなコードをいれたりできるのですが、まず基本的にトラッドなのです。トラッドをきちんと知らずにこの音楽を語ることはできない、というのが僕の考えです。
新しいことをするには、古いことを熟知する必要があるのです。何故ならばこの音楽は伝承音楽なのですから。