フランキーが帰り、そしてパディが帰っていった11月。
あまりの強烈さにほぼ「抜け殻」状態。
やっぱり彼らとまともに渡り合うことは、並の伴奏者では無理かもしれない。
その辺は誇りに思ってもいいかもしれない。
「かもしれない」ばかりだが、ここで言い切るほど自信過剰でも、いやみな男でもない。
ただただ、どれだけの神経を集中させて演奏しているか、終わった後のこの感覚はなかなか他では味わえないものだ。
歳のせいかもしれない。しかし、パディは僕とおない年。フランキーももう60だ。あいつらのパワーの源は良くも悪くも…酒か。
飲み過ぎた時の自由奔放さは果てしなくどぎつい。まわりの空気が破れるような感じだ。
そこにシラフの僕がギターを乗っけていくわけだが、そうしないと崩壊してしまうかもしれないのだ。しかしながら、その崩壊一歩手前、あるいは片足を突っ込んだあたりが一番面白い。そこを常にコントロールするのが僕の役目なのだ。
フランキーのフィドル・プレイ、好き嫌いはあろうが、アイリッシュ・ミュージックの世界では避けて通れないひとつのスタイルだ。
それに、長年De Dannanを引っ張ってきた超大物だ。この機会を逃すとなかなか日本ではお目にかかれないだろうし、昨今の来日アイリッシュ・ミュージシャンの全ての者が聴いてきたフィドラーのひとりであろう。
それにパディ。限りなく絞り出される魂の叫びにも似た力強い音色。Bothy Bandのことはあまり言いたがらないが、こちらも誰もが聴いてきた伝説のバンドだ。このふたつのバンドの核である2人はもう日本では揃わないと思っていい。
フランキーからは自由奔放なクラシックとジャズ、パディからは限りなくブルースとロックを感じる。そして二人とも経験豊富な本物のアイリッシュ・ミュージシャン。この組み合わせは多くの音楽シーンを体験した僕にとってもってこいだ。
Lunasa, Solas, Dervishなど、日本では認知度も人気も高い、素晴らしく完成されたバンドの連中が「え!フランキーとパディ?すごい組み合わせだな。ジュンジ、どうしたらあいつらと一緒にツァーまで出来るんだ?」と口を揃えて言った。
それが2003年にアメリカで、そして2015年にこともあろうに日本で実現した。
希花が「ふたりを呼ぼう!」と言い出してから約1年。そのひとことが無かったら実現しなかったかもしれない。
今年1月のレコーディング以来2人が揃うのは10ヶ月ぶり。次に揃うのはいつだろう。どこで…だろう。
また崩壊覚悟で挑まなくては…。