このタイトルは好きではない。だが、この国ではこう呼ばないとアピールできないのかな?
強烈アイリッシュ・ビートとか、アイリッシュ・ギターを弾こう、など、はっきり言って最も嫌いなタイプの言葉だが、キャッチコピーとして一般的音楽ファンにはいいのかもしれない。
何といってもそういう人達にとっては、楽しくて耳障りさえ良ければ何でもいいのだから。
さて、アイリッシュに限らず、オールドタイムもブルーグラスもフィドルミュージックだということが言えるだろう。
それだけに、アイリッシュミュージックという分野に於いてフィドルを弾く人達は大変だと思う。
ケイプ・ブレットンもスコティッシュもブルーグラスもオールドタイムもその知識を広げるためには押さえておかなくてはならない音楽だが、いかんせんその中でもアイリッシュ・スタイルは独特だ。
恐らくポンティにもスタッフ・スミスにもパパ・ジョンにとってもアイリッシュは全く違う音楽だろう。
ブルーグラスのスーパープレイヤー達にしても同じだろう。
日本ではクラシックの演奏家、特にバイオリニストがアイリッシュ、スコティッシュと言って演奏する場面があるが、上澄みだけ掬い取った感しか無い。
僕が今のデュオでやり始めた頃には、すでにトミー・ピープルスやマーティン・ヘイズ、フランキー・ギャビンやジョニー・カニンガム、といった人たちとステージを経験してきていたので、相棒も彼らに認められるようになることを願ってきた。
もちろんキャリアは全く違うが、様々な曲について知識豊富な彼等とほぼ対等に音楽談義ができるようになるに越したことはない。
今、アイルランドの若い人達の間でも忘れられてきている大切な魂を、フィドルにのせて表現できるようになること。
そうして単なる一過性のお世辞でなく、彼らの求めているフィドラーとして認められればそれは素晴らしいことだ。
7年の間、アイルランドに行き続け、着実にその存在が認められてきていることを僕は感じる。
遠回りであれ何であれ、時間はじっくりかけたほうが得るものは多いような気がする。
1973年頃、初めて韓国に行った時、あるスイス人男性と出会った。彼は音楽関係者ではなかったが極めて音楽に詳しく、更に英語、日本語、韓国語、フランス語、ドイツ語と自国語を自由に操る知識人だった。彼は日本の音楽シーンに対してこう言っていた。
「日本人はすぐプロになる。すぐ人に教えたがる」
思うに、あれから45年。日本の音楽シーンに何か変化はあったのだろうか。