これはなかなか触れることのできない壮大なテーマだと思うが、時間が沢山あるのでついつい考えてしまう事柄のひとつだ。
僕は特定の宗教観を持っていない。だが、どれも否定しない。
それぞれが違う方法で結局同じところを目指しているような…大阪に行くのに新幹線で行くか、飛行機で行くか、バスか車か、というような…ちょっと違う?
先ず、宗教と言うものを意識したのは母親が亡くなった時だっただろう。10歳の時だ。
母親はクリスチャンとして生きたくて、実際にどこまで関わっていたのかは良く知らなかったが、仏教のこの上ない暗さが嫌いだ、と言っていた。
それ、なんとなくわかる。お寺と教会を比較してもそれは感じる。
家には普通に仏壇があったが、母は教会に普通に出入りしていて、クリスマスになると聖歌隊なるものが来ていた。
しかし、家は浄土真宗。なのでお葬式にはお坊さんが来ていた。それを観ていた僕は、何だかなぁ、と感じていた。
そんなこともあり、宗教って結局、死んだとき何で送られるかだけ決めておいたらいいんじゃないか、と子供心に思ったものだ。
そんな母親の勧めもあって僕はカトリック系の幼稚園に行っていた。勿論、自分でここに行きたい、と言った覚えはない。
父親は何を思っていただろうか。
でも彼は南方諸島で激戦地をくぐり抜けてきた人なので、誰でも死ぬときにゃ死ぬし、それでおしまい、と考えながら毎日塹壕の中で暮らしていたらしい。
そんな父親は消灯ラッパと起床ラッパの区別がつかないくらいの音痴で、ピアノを嗜んでいた母にとってはその部分はかなりの苦痛だったのかもしれない。
僕は4歳にもなるとピアノを習いはじめた。それが僕の音楽への入り口だった。
そうしてフォークソングと出会い、今に至っている。
ブルーグラスに目覚め、オールドタイムを演奏し、アメリカ南部を旅すると、それらの音楽と宗教と言うものは特に考えることもなく同じ場所に、同じ時間に存在するもので、なにも特別なことではなく、日々のお祈りと音楽は同次元のものだという事が良く分かる。
僕も母の影響か、旧約も新約もどこに何が書いてあるのか覚えるくらいに読んだ。因みにもう忘れたが…。
でも、未知との遭遇は大好きな映画で、正に新約の使徒行伝の中のストーリーそのままだ、という事は今も信じている。
それでも「初めに神は天と地とを創造された」と言われると、その神ってどういう格好をした人?なんていう質問をしたくなるが、そんなことを訊いてはいけないようだ。ま、云いかえれば無意味な質問のようだ。
スティービー・ワンダーは「神の成されることに対して、何故?と思ってはいけない」と言ったそうだ。
とに角信じることから始めていかないといけないらしいが、疑い深い普通の人間はそういうわけにはいかない。
眼に見えるものだけが全てではない、と言われてしまいそう。
アメリカのレストランで、ある時、勝手に中に入ってきて花を売り歩くやつがいるので「君、誰かの許可は得ているのか?」と訊くと「ここは神のプロパティだ」と言うではないか。
店のドアは中からでもロックできるので僕はすかさずロックしてしまった。すると彼は一生懸命ドアを開けようとしている。開く訳が無い。
僕は「今、君に必要なのは神ではなくカギだろ?」 と質問した。
(お、日本語だと上手いダジャレになるなぁ。でもこれは英語でのやり取り)
「君たちにとってはどこも神のプロパティかもしれないが、ここはここのオーナーが毎月5000ドルの家賃を払っている。次に来るときはその家賃を持って来たら中のお客さんに花を売っていい」というと何も返事をしない。
更に「神の事ばかり考えていないで、隣の人がなにを思うのかをもっと考えるべきだ」とたたみかけてカギを開けて外へ追い出した。
彼は、何言ってるんだろう、という顔をしてそのまま黙って出ていった。
日曜の朝、黒人街に行くと、いかにもミサの帰りのガキたちが、チェーンを振り回しながら集団で道の真ん中で車の往来の邪魔をしている。何を祈ってきたんだろう。
世界ではいろんなところで宗教色というものを感じることがある。
ドバイの砂漠に夕陽が落ちていくのを眺めていた時にも、ここには何らかの存在が必要なんだろうな、と改めて感じてしまった。
アイルランド人はなかなかに面白い。
教会でのコンサートに遅れてきたシンガーが、しきりに交通機関の遅れにFのつく言葉を連発しながら悪態をついていた。その上に、くわえたばこをその場で踏みつぶしていた。
そこは、司祭が説教をする壇上だ。因みに彼もカトリック。
ま、僕の付き合いはそのほとんどがミュージシャンなので一概には言えないが。
ブレンダン・ベグリーの、自然界と音楽と神の三位一体はなかなかに感動ものだった。
泳ぎから帰ってきてびしょびしょの体のままアコーディオンを抱え「さぁ、山の神様のために演奏するぞ。じゅんじ、ギターを持ってこい」と言って弾き始める。
この光景は以前、トニー・マクマホンが「私たちはアイルランドの自然の中に住む妖精たちに向けて音楽を演奏している」と言ったことの裏付けだ。
宗教は良く分からないけど、音楽は通称「神」とも言われる自然の摂理と共に存在する、ということはアメリカ南部でもアイルランドでも同じことのようだ。