なんとなく、僕が初めて見た外タレって誰だったんだろう、と考えていたらこんなタイトルになってしまった。
多分1965年(か、その少し前か)のアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズだったろう。
友人と二人で行った覚えがある。
確か静岡の駿府会館という所。
まだまだ、東京あたりへコンサートを見に(聴きに)出かけていくような年齢ではなかったのだろう。
LPレコードを持って行ってサインをもらったことも覚えている。
何故、アート・ブレイキーだったんだろう。
しかしながら、同じ駿府会館(だったと思う)に出掛けていったコンサートはもう一つあった。
ブラザース・フォーだ。
記録によると1962年には来日しているが静岡に来た、という事実はなさそうだ。なので、その後の64年だったのだろうか。
してみるとやっぱりブラザース・フォーが先かな?
その頃はギターを弾き始めた年齢だったので、こちらの方が聴いていて興奮したような覚えがある。
バンジョーの金属の部分、リゾネーターフランジが照明に照らされてこの上なくピカピカと光っていたことをよく覚えている。RB-250だったのかな?
よく考えてみると、ジャズ・メッセンジャーズとはきっと同じような頃だったのだろう。
そんな、まだ少年と呼べる時代から、最初のブルーグラス体験はフォギー・マウンテンボーイズだ。
丁度、大学に入る年だった。
それが以後の自分のブルーグラス人生を決めてしまったきっかけだった。
さて、ここからは話題を変えて、ちょっと変わった分野の音楽を聴きに行った話をしてみよう。
先ず、何故そこにいたのかよく覚えていない事柄から。
オーヤンフィフィ(歐陽菲菲) のディナーショー。これは高石さんと出会って間もなくの頃、マネージャーの榊原さんと共にでかけていったものだ。
同席していたのが音楽プロデューサーの高嶋弘之氏だった。もう50年前のことだが、ビートルズを日本に紹介した人という紹介をされたのでよく覚えている。
他にも、売れているものは観に行かなくちゃ、という観点からぴんからトリオも確か梅田花月に出掛けて行った覚えがある。
それはともかくとして、やっぱりまだまだ外タレなるものをこの目でみることが出来なかった時代というのは本当に懐かしい。
今、調べてみると、1950年代は圧倒的にクラシックやジャズの来日ミュージシャンが多く、60年代はロック系の来日ミュージシャンが多かったのかもしれない。
そこにフォークソングが63~64年あたりからブームになり、多くのフォークミュージシャンが来日したのだろう。
しかし、不思議なことにフォークソング関連では多分、ブラザース・フォーしか観ていない。
PP&Mもキングストン・トリオも観に行っていない。
その頃には興味がブルーグラスに移行していったのだろうか。いや、多分、静岡と云う立地条件でなかなか足が運べなかったのだろう。
そんな時代の事を時々思い出している。